制度的契約論の正当化根拠の検討
―法学における方法論も視野に入れて
宮澤 俊昭
Ⅰ はじめに Ⅱ 制度的契約論の概要 (1)正当化根拠 (2)特質・内容 (3)提示されている理論的意義 Ⅲ 制度的契約論をめぐる議論の整理 (1)私法学における議論の状況 (a)私法学から示される見解 (b)制度的契約論からの応答 (2)行政法学における議論の状況 (a)行政法学から示される見解 (b)制度的契約論からの応答 Ⅳ 制度的契約論の正当化根拠の検討 (1)検討の方法 (2)制度的契約論における「外部性」の検討 (a)制度的契約論において示される「外部性」の概要 (b)制度的契約論における「正の外部性」とは論 説
(c)制度的契約論における「最適化」とは (d)制度的契約論における「外部性」と経済学における外部性の対比の 是非 (3)制度的契約論は法学的に正当化されるのか (a)検討の方法 (b)利益の視点から見た制度的契約論の分析 (ア)分析の枠組 ⅰ)利益の段階的・連続的理解 ⅱ)民事実体法理論の規範の構造 (イ)制度的契約論の対象とする利益 (ウ)古典的契約と制度的契約との質的差異のもつ意味 (c)制度的契約の正当化の文脈における意思の意義―私法の視点と公法の 視点 (ア)私法の視点から—意思理論との関係 (イ)公法の視点から—法律による行政の原理との関係 (ウ)法学的検討のための二つの視角 (d)制度的契約論は法学的に正当化されるのか Ⅴ 結語—法学における研究のあり方も含めて (1)制度的契約論でとされる個別事案の法的取扱い (2)制度的契約論が提唱されたことの意義
Ⅰ はじめに
内田貴の提唱する制度的契約論1)は、民法学において、ほとんど議論がな されていないとされている2)。これが、制度的契約論が異論なく私法理論とし て受け入れられている結果であれば、あえて論じる必要はない。しかし、少な くとも現時点で示されている疑問等3)を見る限り、そのように言うことはで きない。しかも、民法学以外の分野、とりわけ行政法学において、強い関心を もって議論がなされている4)。このように領域を横断して関心を持たれている 制度的契約論が私法理論として提示されている以上、私法理論としての検討を 深める必要がある。本稿は、このような問題意識のもとで、制度的契約論の正 当化根拠について検討を加えるものである。 以下、Ⅱにおいて、制度的契約論を概観した後、Ⅲにおいて、制度的契約論 に対して示されている見解とそれに対する制度的契約論からの応答を確認す る。それを基礎において、Ⅳにおいて、制度的契約論の正当化根拠を検討する。Ⅱ 制度的契約論の概要
(1)正当化根拠
内田貴は、現代における契約化の流れとして、社会関係の「市場化」を進め る手段として契約を捉える流れと、国家からの介入を受けない社会関係を形成 1)内田貴『制度的契約論—民営化と契約』(羽鳥書店、2010 年)。 2)池田清治「民法学から見た制度的契約論」北法 59 巻 1 号 410-409 頁(2008 年)。 3)後述Ⅲ参照。 4)例えば、原田大樹は、制度的契約論の衝撃が、行政法学に深刻な「アイデンティティ・ クライシス」をもたらしたと評しても過言ではない、と述べる(原田大樹「行政法学か ら見た制度的契約論」北法 59 巻 1 号 407-406 頁(2008 年))。その他の行政法学における 見解については、後述Ⅲ(2)参照。する手段として契約を捉える流れの二つを指摘する5)。そして、前者の流れに おける契約の機能を探ることを通して、現代における契約の理解のための新た な理論枠組を提示することを目的とする考察が進められる6)。 この考察の前提として、財・サービスの公的提供の民営化で用いられる契約 を、次の 4 つの類型に分ける7)。それは、これまで国や地方公共団体によって 行われてきた財やサービスの提供が民間の事業者に契約によって委託される場 合である「民間委託契約型」、これまで契約によらずに公的機関によってなさ れていた財やサービスの提供が、提供者と受給者との間の契約関係に切り替わ る場合である「提供契約創設型」、これまで契約(ないし契約類似の関係)で 提供されていた財やサービスの提供主体が、公的機関に代わって、あるいは公 的機関と並んで、民間の事業主体によって(も)行われる場合である「提供主 体の民営化型」、それまで政府組織の内部関係であった関係を契約関係ないし 契約類似の関係に置き換える場合である「内部市場型」、の 4 つである。この うち、内田は、提供契約創設型と提供主体の民営化型に対象を絞り、その契約 の性質を検討している。 まず、これまで民商法で典型的に想定されてきた企業間の取引や消費者取引 における契約(取引的契約)をめぐる議論の中で関連をする約款論について検 討を加える8)。そして、現代の契約法理論にとって必要なのは、法規制のある 約款の拘束力の根拠を問うことでも、また、約款の中の契約性を指摘すること 5)内田・前掲注 1)4 頁。 6)内田・前掲注 1)6 頁。 7)以下、民営化をめぐる契約の類型化に関して内田・前掲注 1)16-25 頁を参照。なお、内田・ 前掲注 1)8-9 頁では、広い意味での “privatization” の訳語として「民営化」を、国営事 業の切り離しと区別された意味での財やサービス提供における民間の利用を表す語とし て「財・サービスの公的提供の民営化」を、それぞれ用いるとする。 8)以下、従来の議論との関係について、内田・前掲注 1)28-32 頁参照。
でもなく、なぜある種の契約には契約自由の原則を制約するような法規制が必 要とされるのか、また、どのような規制が正統性を有するのか、を問うことで あると述べる。さらに行政法学における従来の議論も踏まえて、財やサービス の性質を理由とした、契約自由の原則の制約原理を考える必要があるとする。 以上のような問題意識のもとで、財やサービスの提供契約の性質を解明し、 そこに課される制約を明らかにするための手がかりとして、民間に委ねるこ とができず国が提供すべきと考えられる(考えられていた)財やサービスに ついて、国が提供しなければならない理由を明らかにするための考察が進め られる9)。ここでは、まず市場の失敗について検討がなされる。そして、公 的に提供されてきた財・サービスが民営化された後に民間の事業主体に課さ れている規制は、アメリカにおいても日本においても、国家の介入の重要な 根拠となってきた市場の失敗という経済学的視点から正当化される規制に止 まらないとする。さらに、これらの規制が、それまで国や地方公共団体が服 していたのと同様の義務に民間事業者を服せしめるための規制であることを 指摘したうえで、法律の規定や明文の契約条項がなくとも、これらの公法的 規範が当然に拡張される、という議論がなされているとする。この公法的規 範の拡張論の正統化根拠として、古いコモンローの契約法理である “common callings の法理 ” が登場する。 commoncallings の法理とは、宿屋等の特定の契約(職業)について、正当 な理由なくサービス提供の依頼(契約の申込み)を拒否してはならず、合理 的な価格で相応のサービスを提供しなければならないとの内容をもつ法理で ある10)。この法理の史的展開を検討した上で、内田は、公法的規範が、厳格 9)以下、市場の失敗および公法的規範拡張論に関する内田の検討については、内田・前掲注 1) 33-38 頁を参照。 10)以下、“commoncallings” の法理の概要とその位置づけについては、内田・前掲注 1) 42-49 頁を参照。
な公法・私法二元論が支配する以前においては契約に内在する制約として捉え られていたことを指摘する。そして、直接の当事者ではない多数の人々に公平 にサービスを提供するという特質(財やサービスの給付における「公的な」性 質ないし「公共性」)が commoncallings の法理の正当化根拠であると主張する。 さらに、民営化に伴う「公法的規範の拡張」がこのコモンローの法理と連続性 を持っているとの主張が成り立つのであるならば、「公共性」を持つ一定の契 約は、民営化の有無にかかわりなく(つまり提供主体の公私を問わず)、その 種の財やサービスの給付が持つ性質のゆえに、一定の制約を内在的に持ってい ると言わねばならない、とされる。 こ の よ う な commoncallings の 法理 の 検討 に、公益事業(publicutilities) をめぐる規制の検討を加えたのち、内田は、次の 2 つの結論を示す11)。第 1 は、 公益事業の提供が民営化される際の契約において、契約事由を制限するよう な一定の制約が課されるのは、提供主体の公私とはかかわりがなく、財やサー ビスの給付の性質による、という結論である。第 2 は、その規制は、提供主 体が国であった場合に課されていた規制と同種のものであるから、私法が契 約規範として規範形成をする場合も、その性質は、純粋の私法というより、 私法公法の厳格な二元論に収まりきらない性質を持っている、という結論で ある。さらに、第 2 の結論に関連して、このような規制は、ある種の契約に 内在する「公共性」が生み出した、契約内在的制約という見方もできるとも 指摘する。 このように契約内在的制約を正当化する「公共性」について、内田は、積極 的な定義をすることなく、アカウンタビリティ12)との関係で、その中身を論 11)内田・前掲注 1)51 頁。 12)なお、ここでいうアカウンタビリティとは、「ある行為が他人の幸福(welfare)にどの ような帰結をもたらすかを『考慮に入れる』こと」を意味するものとされる(内田・前 掲注 1)53 頁)。
じる13)。まず、公権力の委譲(grantsofpublicauthority)について特別のア カウンタビリティが求められると主張するドナヒュー(Donahue)の示す根拠 を紹介する。それは、第 1 に、集権的になされるべき、社会の機能についての 重要な選択が問題となっていること、第 2 に、大衆は多数で分散しているから 政府がその利益を考慮に入れることを怠りやすいこと、第 3 に、個人は政府の 権力の前には無力(vulnerable)であること、である。このうち、内田は第 1 の根拠が特に重要であるとする。そして、多数の人々に影響が及ぶ重要な社会 的選択が問題となるときに特別のアカウンタビリティが要請されるのだとすれ ば、選択の主体が国ではなく私的主体であっても、選択の性質が同じであるゆ えに同様のアカウンタビリティが要請されるとする。さらに、アカウンタビリ ティの根拠として、このような重要な社会的選択が当該財・サービスに含まれ ているという性質を求めるのであれば、民営化に特有の問題ではないともする。 また、このような「重要な社会的選択」とは、その決定が、当該当事者だけで はなく、社会の他のメンバーにも影響する問題であることも指摘する。 以上のような考察を基礎において、内田は、「公共性」や財・サービスの「公的」 性質の中身は、当該財やサービスの「外部性」に帰着する、と主張する14)。こ こでいう「外部性」とは、必ずしも経済的損失の発生ではない。それは、特定 の住民にだけ水道水の供給契約が拒まれ、あるいは特定の生徒にだけ特別待遇 の教育を提供する合意が公教育においてなされたときに、周囲の人々の間に引 き起こされる不公正感であり不正義感である。そして、このような意味での「外 部性」は、経済学の外部不経済がそうであるように、内部化されなければなら ない、とされる。このような社会的公正や正義感情のレベルでの外部性の内部 化とは、これらの正義感情への配慮を要求することである。そのための方法と 13)以下、公共性の中身と、その公共性と制度的契約との関係について、内田・前掲注 1) 52-56 頁を参照。 14)以下、内田の言う「外部性」について、内田・前掲注 1)55-56 頁を参照。
して、①このような外部性への配慮が法的に義務付けられた主体にのみ、財や サービスの提供を認めること(公的主体による提供)、②財やサービスを提供 する主体に対して、しかるべき配慮の義務を課す規範の設定、という二つを示 す。 このように、「外部性」が財やサービスの公共性を左右し、その給付に公的 性質を付与し、そして、それが当該提供契約に制約を課す要因となるとされ る15)。しかし、外部性の有無や大きさの判断には幅があり得ることから、そ れに応じて、及ぶ義務の強さも異なることが予想される。そのため、そのこと を反映することのできる新たな法的概念が必要となると述べられる。この認識 から、「制度的契約」の概念の提示へとつながっていく。
(2)特質・内容
「制度的契約」とは、特定の当事者同士の契約関係でありながら、一方当 事者が、同様な契約を結んでいる他の当事者や、まだ契約関係にない潜在的 な当事者への配慮を要求されるような性質の契約であるとされる16)。ここで は、「契約」が、法的権利関係の変動の原因としての合意(あるいは合意によっ て権利義務を変動させること)と理解されたうえで、「制度」の語が、「個人 の意思の外部に確立された財やサービスの配分のための行動様式(仕組み)」 を意味する概念として用いられている。これを前提として、可能な限り当事 者の意思によって、財やサービスの給付に関わる権利義務関係をコントロー ルしようとする契約が「取引的契約」と呼ばれる。これとの対比で、「制度 的契約」は、個別の当事者の意思によって支配される領域は限られており、 当事者の意思の外に存在している財やサービスの給付に関する仕組みの全体 を視野に入れないと理解できない契約と位置づけられる。 15)以下、内田・前掲注 1)56 頁参照。 16)以下、制度的契約の性質について、内田・前掲注 1)57-67 頁を参照。制度的契約論と約款論の違いについては、次のように述べられる17)。約款 論においても、あくまで理念としては、契約条件は両当事者の交渉と合意が基 礎にあるべきだという考え方が維持されている。約款使用当事者さえその気に なれば、開示された内容に不満な当事者の要請に応じて、契約条件についての 交渉に応じることは可能であるし、むしろそれが望ましい、というのが前提と される。これに対して、制度的契約においては、個別交渉や、それによる契約 条件の修正は、単に事実として行われないのではなく、正義・衡平に反すると 観念される。対象となる全ての人との関係での平等で差別のない扱いこそが、 この種の契約の本質的要請であるからとされる。 制度的契約論と意思自律あるいは私的自治との関係については、次のように 述べられる18)。まず、制度的契約は、契約と名前がついている以上、意思自 律や私的自治と関係しているとされる。通常の古典的契約が、個人主義に立っ て、個々の契約ごとに当事者の意思を反映させるという発想によるものである のに対して、制度的契約の場合には、一人ひとりの個人の意思を反映させると 正義に反してしまうので、集団としての意思を反映しないといけない。このよ うな集団としての意思を反映させる役割は、通常、国が担う。すなわち、集団 として意思を国会を通じて立法者の意思として反映させ、法律で契約条件など を規制している。しかし、このような規制ができない年金契約等の場合に、団 体としての労働者や退職者の意思を反映させるための仕組みを組まないと正当 性が主張できない。このように、意思の反映の仕方がかなり異なり、質的な違 いが認められるために、このような契約は、古典的契約とは別の概念で把握し た方が説明しやすい、とされている。 このような制度的契約の概念に基づいて、複数の具体的な事例の検討が行 17)以下、制度的契約論と約款論の違いについて、内田・前掲注 1)65-66 頁を参照。 18)以下、制度的契約論と意思自律・私的自治との関係については、吉田克己他「討論(制 度的契約論の構想)」北法 59 巻 1 号 384-383 頁〔内田発言〕(2008 年)を参照。
われたのち19)、制度的契約の特色が次のようにまとめられている20)。まず、 制度的契約は、国(ないし公的主体)がサービス提供を行うことが現実的な 選択肢であり得るような契約であり、また、制度への加入という比喩が自然 に感じられるようなタイプの契約であるとされる。そして、制度的契約に共 通した特徴として、次の 4 つが挙げられる。①契約締結の際に、個々の当事 者が契約条件を交渉し、個別に合意することは、正義公平に反すると観念さ れる(個別交渉排除原則)。②財やサービスは、受給者としての資格を有する ものに、平等に、差別なく提供されなければならない(締約強制、平等原則、 差別禁止原則)。③契約の拘束力が正当性を得るためには、契約の内容やその 運用に対して、財・サービスの潜在的な受給者が、直接的または間接的な方 法で、集権的に決定に参加できる仕組みが確保されている必要がある(参加 原則)。④財やサービスの給付の内容や手続について透明性が確保されるべき であり、給付の提供者は受給者に対して説明責任を負う(透明性原則、アカ ウンタビリティ)。 以上のような制度的契約の特質が生ずる理由は、「外部性」にあるとされ る21)。すなわち、個々の制度的契約は、不可避的に、他の主体の同種の契約や、 潜在的当事者集団、さらには社会一般に影響をあたえるため、一方当事者は、 個別契約の締結や履行において、当該契約の相手方当事者のみならず、それ以 外の(潜在的)当事者への配慮が要求される。そして、このような配慮が要求 されるかどうかを決めるのは、ある共同体に属する人々の政治的判断22)であ 19)内田・前掲注 1)67-86 頁参照。ここでは、介護契約・保育契約、学校教育契約、企業年 金契約、団体への加入契約が検討されている。また、内田・前掲注 1)95 頁では、労働 契約についての検討もなされている。 20)以下、制度的契約論の特色については、内田・前掲注 1)86-87 頁を参照。 21)以下、制度的契約論の特質と外部性の関係について、内田・前掲注 1)88-89 頁を参照。 22)ある共同体の政治的判断がどのようなものであるかについては議論の余地がありうると しながらも、その中核部分は明確である旨が述べられる(内田・前掲注 1)88-89 頁)。
るとされる。たとえば、どのような条件でどのような公教育が提供されるべき かは、直接の教育サービスの受け手だけの問題ではなく、当該社会が集団とし て決定することを要する問題だ、という政治的判断が存在するとされる。
(3)提示されている理論的意義
制度的契約論は、裁判規範として一定の効果を導くための概念ではなく、何 らかの要件の充足によって制度的契約としての性質決定がなされ、そこから、 特定の効果が導かれるという判断構造が存在している訳ではないとされたうえ で、制度的契約概念の理論的意義は、以下の点にあるとされる23)。 第 1 に、紛争解決の際の判断をガイドする概念としての意義である。制度的 契約でありうる契約に関する紛争が裁判になれば、裁判官は、当事者主義のも とで、当該契約が制度的契約の特質を含んでいるかどうかを判断することにな る。それは、人々が当該契約を「外部性」を伴う契約として捉えているかどうか、 換言すれば、制度的契約としての性質を付与する政治的意識が存在するかどう かの評価である。制度的契約概念を導入することで、これらの判断が意識的に 可能になる。第 2 に、現代の社会現象を法学的観点から把握するための視点と しての意義である。民営化の拡大は、ある種の(「公的」といわれる)財やサー ビスの提供における国の関与が、政策的選択の問題であることを明確に示した。 その結果、一定の財やサービス提供契約に内在する性質が顕在化する。制度的 契約概念の導入により、契約という法技術の活用が、典型的な取引的契約だけ に限られるものでないことが明らかになる。 さらに、個々の契約類型ごとに政策的な介入がなされていると見るだけな く、制度的契約概念を導入し様々な契約に横断的な新たな視点を獲得すること によって、次のような帰結を導きうる旨も示される。 第 1 に、制度的契約の理論が、現代における公法と私法の境界の流動化を 23)以下、制度的契約論の理論的意義に関しては、内田・前掲注 1)96-99 頁を参照。象徴する理論のひとつとして位置づけられることである。制度的契約は、公 法的規範の拡張を民営化と切り離すことにより、契約法の論理に、伝統的に 公法的と考えられてきた規範を内在させる。第 2 に、制度的契約概念の導入は、 様々な契約に横断的な共通の性質を把握することを可能にし、取引的契約と は異質な特質を理解することを可能にする。制度的契約において、契約内容 の形成は、立法的・行政的介入がある場合はそれによりなされ、立法的・行 政的介入がない場合は、財やサービスの受給者の利益を何らかの形で代表す る主体と提供者の間の交渉が伴うことによってはじめて合理性が担保される という特質をもつ。そのような仕組みがあらかじめ存在しない場合には、こ の要請を実質化するような司法的介入が求められる。言い換えれば、そのよ うな司法的介入が政治的正統性をもつことを制度的契約の理論は示すことが できる。
Ⅲ 制度的契約論をめぐる議論の整理
(1)私法学における議論の状況
(a)私法学から示される見解 制度的契約論に対して、私法学において示されている批判の第一は、制度 的契約の説明がトートロジーとなっている、というものである24)。池田清治 は、制度的契約の特徴のうち、個別交渉排除原則、締約強制・平等原則、差 別禁止原則という特徴が生じる根拠として、サービスの性質(サービスの客 観的性質に加えて供給主体の性質も含む)が示されているとする。このサー ビスの性質から、最終的に「外部性」が想定されることとなる。しかし、す べての契約について、多かれ少なかれ、当事者ではない第三者が事実的に影 響を与えるという性質が認められる。そうならば、規範的な意味において「他 24)以下、第一の批判については、池田・前掲注 2)416-416 頁を参照。者への配慮」が要求されるかどうかが、制度的契約であるか否かの分水嶺と なる。そして、この点について制度的契約論においてなされる説明としては、 その社会における意識(あるいは規範意識)、社会全体の意思に還元された説 明方法がとられている。しかし、このような説明方法はトートロジーではな いか、との疑問が示される。そして、このような社会における意識のないと ころに、制度的契約論を持ち出すことは的外れになると指摘される。さらに、 制度的契約の特質が生じる根拠が「外部性」とされているが、「外部性」のあ る契約を制度的契約と呼んでいることになるのではないか、という疑問も示 される。 批判の第二は、意思理論との関係である25)。吉村良一は、ある契約が制度 的契約とされることによって、制度的な規範や決定が当事者の意思に優先した り、そもそも当事者の意思が問題とされなくなることになり、その結果、契約 における意思や合意の契機、更に言えば私的自治的要素が軽視ないし欠落させ られることになるのではないかとの疑問を示す。制度的契約として当事者の意 思が無視ないし軽視されて良いケースが仮にあり得るとしても、何がそのよう な契約にあたるかについては、より厳格な絞り込みをかけるべきとされる。そ して、そのような絞り込みをかけたうえで、制度的契約という性格付けがあて はまる契約が存在することは事実であることを認め、そのような契約の内容や 運用・解釈の適正さ、公正さを保障するにはどうすれば良いのか、との問題を 設定する。この問題について、制度的契約論の提示するアカウンタビリティ・ 説明責任、および「潜在的当事者または当事者の利益代表者(究極的な代表者 は国)が契約内容の形成に参加し、または内容をコントロールする」という手 法だけで、適切さ・公正さが担保されるとは限らないと指摘する。そして、内 容をコントロールする手法として、①この種の契約が持つ「公共性」に着目し 25)以下、吉村良一「公私の交錯・協働と私法の『変容』」『環境法の現代的課題』84-89 頁(有 斐閣、2011 年、初出・2009 年)を参照。
て、公的なコントロールを行うというやり方26)、②あくまで意思や合意を中 軸にすえ、個人の意思決定(自己決定)を重視し、それを支援し実質化するた めに内容的コントロールや規制を位置づけるというやり方27)、の二つの方策 が提示される。 批判の第三は、制度的契約論の根拠として示されている「外部性」の概念 についてである。池田清治は、制度的契約論の正統化根拠としての外部性に ついて、その概念の曖昧さを指摘する28)。一方で、内田は、「外部性」を、サー ビスの性質に基づいて周囲の人々の間に引き起こされる不公正感であり不正 義感としており、さらに、この「外部性」は、これらの正義感情への配慮を 要求するという形で「内部化」されなければならない、としている29)。しかし、 他方で、内田は、労働契約に関して、提供される労務の性質ではなく、一般 市民が人生の多くの時間を費やす生活の場であり生きがいの場を提供する特 質から、制度的契約としての性質が認められるとする。池田は、この両者の 違いを指摘し、「外部性」にどのような意味が込められているのか、疑問を 呈する。 このほか、「外部性」については、経済学における「外部性」概念との比較 26)このやり方については、吉村・前掲注 25)86-87 頁では、行政法における公私協働論、 具体的には亘理格の見解(亘理格「公私機能分担の変容と行政法理論」公法 65 号 194 頁(2003 年))に加えて、山本隆司の「私行政法」(山本隆司「私法と公法の〈協働〉 の様相」法社会学 66 号 31 頁(2007 年)他)、原田大樹の「公共部門法」(原田大樹『自 主規制の公法学的研究』(有斐閣、2007 年)他)がそれぞれ参照されている。 27)このやり方については、吉村・前掲注 25)87-89 頁では、原島重義の約款論(原島重義「約 款と契約の自由」『現代契約法大系(1)』53 頁(有斐閣、1983 年))、西谷敏の労働者の 自己決定に対する制度的支援についての見解(西谷敏『規制が支える自己決定』(法律 文化社、2004 年)がそれぞれ参照されている。 28)以下、池田の疑問について、池田・前掲注 2)416-415 頁を参照。 29)前述Ⅱ(1)参照。
においても指摘がなされている。すなわち、社会的な厚生という観点から捉え られる経済学の外部性と異なり、内田の提示する「外部性」が、社会的集団の 意思を基礎に置く平等性や公平性といった価値から導かれているという指摘が なされている30。さらに、制度的契約論においては外部性があるときに法律の 介入が必要とされている(内部化されるべきとされる)点についても、経済学 の考え方からはこのような帰結は導かれず、国家が規律することで、そうしな い場合よりもより効率的になる場合にはじめて国家の規定が正当化される、と の指摘が示されている31)。 (b)制度的契約論からの応答 第一の批判に対して、制度的契約論からは、現実の社会現象を認識するた めの理論枠組みである制度的契約概念を、典型契約のような、要件・効果で 規定される実定法上の概念と混同することから生じているものとの分析が示 される32)。当初は、古典的契約では説明できない〈例外〉としてしかみられ ていなかったバラバラの種々雑多な契約があり、それを共通のカテゴリーに包 摂するという〈前理解〉が先行する。その〈前理解〉を通して現実の事例に新 たな光が投射され、そこから浮かび上がる現象の解釈を通して、特質を生み出 す根拠として〈外部性〉が導かれる。次いで、〈外部性〉を要素とする〈制度 的契約〉という概念が構成され、それによってさらに現実を説明し理解すると いうプロセスが続く。これは解釈学的な循環であって平面的なトートロジーで はない、とされる。 第二の批判に対しては、まず、個別意思を重視することが望ましいと考えら れている古典的契約と、個別合意を許容することが不公正と感じられる契約と 30)吉田他・前掲注 18)383-381 頁〔田村善之発言〕、同 381-380 頁〔得津晶発言〕を参照。 31)吉田他・前掲注 18)379 頁〔得津発言〕。 32)以下、第一の批判に対する応答について、内田・前掲注 1)101-104 頁を参照。
の間に、質的差異があるとされる33)。その上で、契約内容の適切さ・公正さ を担保するための内容のコントロール手法の一つとして吉村が示す「『公共性』 に着目して、公的なコントロールを行うというやり方」に対して、何が公共性 かが一義的に確定できなくなっているからこそ、今日の公私協働論や制度的契 約論が要請されていること、およびナイーブに「公的コントロール」を持ち出 すところに公権力に対する無防備な信頼があるようにみえること、をそれぞれ 指摘する34)。他方、もう一つの手法として吉村が示す「意思や合意を中軸に すえるやり方」に対して、自己決定尊重論は、内容の如何に問わず本人が自ら の意思であると主張するところを尊重するというスタンスを徹底しない限り、 かえって、曖昧なレトリックによる無限定な介入を招きかねない、との反論を 示す。そして、当事者の意思が実質的に機能するのが契約に加入する段階と契 約解消(脱退)の段階であることを正面から認め、その段階での合理的な意思 決定を支援するための適切な説明や情報提供を確保すると同時に、契約条件に ついては個別意思に依存することなく適正さを確保するための制度的保障を構 築し、併せて、私法が公法的考慮を含むコントロールを発揮しうるような理論 を構築する方が、遥かに有効に個人の権利の実質的保護がはかれるとする。 第三の批判に対しては、経済学のいう外部性も無限定になりうることを指摘 したうえで、どこまでの範囲の(集団的)意思を反映させる仕組みを作れば正 統性を持ちうるか、という問題は、議論によって解決していくしかなく、制度 33)以下、第二の批判に対する応答について、内田・前掲注 1)105-108 頁を参照。 34)なお、契約を通して形成される自律的な私的領域が、決して、市場原理と弱肉強食の世 界ではなく、公的配慮を内在しているはずと主張している制度的契約論の立場からは、 安易に国家の規制権限に依る「公的コントロール」に頼ろうとする立場は、政治的に危 険ともされている(内田・前掲注 1)106 頁)。これに対して、吉村は、公的介入という アプローチの意義を再度確認し、国民・市民の行政への参加の強化、訴訟を通じたコン トロールとしての行政訴訟のあり方、そして、公的な介入が制限される領域の確認、と いった方策により、制度的契約論ではなく自らの示す手法の正当性を主張する(吉村・ 前掲注 25)94-97 頁参照)。
的契約論は、その議論のための枠組みを提供することができる、とする35)。
(2)行政法学における議論の状況
(a)行政法学から示される見解 私法学における議論と異なり、行政法学における議論では、制度的契約論の 位置づけを積極的に論じる見解が示されている。 原田大樹は、制度的契約論が行政法学に与えた衝撃として、次の三点を示 す36)。その第 1 は、民営化によって登場した契約の法的特色を契約法の観点 から分析し、従来行政契約に特殊と考えられてきた法的ルールが必ずしも行 政契約だけに妥当するわけではないことを明らかにしたことである。第 2 は、 国家によるサービス給付の正当化理由、規制の性質、公共性・アカウンタビ リティの概念など、行政法学の基幹的部分について、従来の行政法学が意識的・ 無意識的に強調し依拠してきた「国家作用の権力性」「公的財産を使った活動」 の要素を周到に取り払ったうえでの立論がなされていることである。第 3 は、 公法・私法の関係に関する新たな視点を含む「制度的契約論」が行政法学の 一般理論に極めて近い内容を含む形で、公法・私法に通底する契約内在的な 規範が提示されたことである。 他方、制度的契約論による衝撃は、行政法学に「アイデンティティー・クラ イシス」をもたらしたと評されている。制度的契約論は、法関係の内容形成を 個人の意思の自律に委ねず、「合意(法関係を生じさせることを双方が承諾す ること)」に求めている。そして、このような制度的契約論は、現代において「契 約」と呼称しうる法技術が古典的なそれとは比較にならないほど広範囲で使わ れている現実を受け止め、それをあくまで「契約」の枠組みの中で整合的に説 明するための方策を示すことにある、とされる。そして、このような制度的契 35)吉田他・前掲注 18)382-381 頁〔内田発言〕を参照。 36)以下、原田大樹の見解については、原田・前掲注 4)408 頁を参照。約論は、行政に対する法律による覊束を法関係の内容形成における個人の意思 の自律と対照させることによって行政法学のアイデンティティを構築する考え 方の採用を困難にすることになる。 そこで、「規律構造と資金調達の相互作用の分析の場」としての行政法学に、 民事法学に対するアイデンティティを見出すことが主張される、すなわち、現 に存在するサービスについての契約締結義務ないし給付義務はコモンローの commoncallings の法理から導出することは可能であっても、まだ存在しない サービスに対して給付を要求するロジック(サービス総量供給責任)や、限ら れたサービス資源の分配に関する社会的な調整システムの正当化は、行政法学 からしか導出できないとされる。この視点から、民営化によって生じる法関係 を規律する理論モデルとして、「私行政法」と「公共部門法論」が挙げられる。 特に後者について、制度的契約論が、契約化により公法的規律が拡大すること を明らかにした点は、公共部門法論の主張と軌を一にするとされる。また、制 度的契約論が給付されるサービスの特質に注目した点を捉え、この点が公共部 門法論からは導出されない行政関与の有力な正当化根拠を提供し、その要請を 受けて設定された行政関与の法「制度」こそ制度的契約論の重要な構成要素た る「制度」を具体的に構築する、ともされている。この点については、さらに、 別稿において、公的任務の民営化を、従来国家が直営で行ってきた任務を民間 主体に移行させる政策決定であるとしたうえで、利用者と任務担当組織との契 約関係に対する規制の許容性と限界は、個別契約の背景にある行政法的制度の 中で考察するべき、と主張されている37)。 大橋洋一は、行政法学から見た制度的契約論の功績として、次の二つを指摘 する38)。その第一は、主体説に固執してきた行政法理論の枠組自体の問題性 37)原田大樹「民営化と再規制—日本法の現状と課題」法時 80 巻 10 号 59 頁(2008 年)。 38)以下、大橋洋一の見解については、大橋洋一「制度的理解としての『公法と私法』」阿 部古稀『行政法学の未来に向けて』18-20 頁(有斐閣、2012 年)を参照。
を指摘し、反省の契機を与えた点である。第二は、行政法分野においても活用 が期待される契約について、交渉に根ざした(従前型の)契約類型と、交渉に なじまない一定内容の要請を伴う制度的契約類型が存在することを示唆するこ とにより、契約の利用可能性・発展可能性を提示した点である。特に、第二の 功績により、公法の硬直性を回避するため、柔軟性を求めて契約を利用する場 合もあれば、私人間の交渉に委ねることを阻止するために契約を利用する場面 を想定するなど、行政法の領域における契約理解についても一層広い視野を持 つことが期待できるとされる。 他方、藤谷武史は、制度的契約が、財産権者が市場的・自律的に形成する法関 係ではなく、また行政法が強調するように民主的政治過程を通じた法律による秩 序形成でもない、第三の何らかの決定ないし紛争処理メカニズムとして機能する のかどうか、そういった規範ないし秩序形成のモデルを提示しているのかどうか、 というところが鍵になると指摘する39)。そして、裁判所もまた公権力である以上、 公権力や社会と個人との間の距離の保障が、制度的契約論でどのように確保され るのか、と言う点に疑問を呈する。また、裁判所が制度的契約に置ける当事者の 合意に依らない規範や制約の同定を行う役割を担うものとされているが、そうし た役割は裁判所の役割としてふさわしいか、についても疑問を呈している。 (b)制度的契約論からの応答 まず、制度的契約における「制度」は、行政法理論によって正当化される法 制度に基づいて構築される、との指摘に対して、法領域がクロスオーバーする 場面においては、規律が行政法的であるか私法的であるかという意味での性格 付けをする必要は必ずしもない、と主張される40)。また、今日の日本で国が 39)以下、藤谷武史の指摘については、吉田他・前掲注 18)388-387 頁〔藤谷発言〕、同 386-384 頁〔藤谷発言〕を参照。 40)以下、原田の見解に対する応答について、内田・前掲注 1)109-110 頁を参照。
供給するサービスが、ある国、ある時代においては一貫して私的主体によって 提供されていることもあり、本来の提供主体が行政法に服する公権力の主体で あると想定することが説得力を持たない場合もあるともされる41)。 他方、財産権者による市場的・自律的な秩序形成でも、民主的政治過程に基 づく秩序形成でもない秩序形成のメカニズムはどのようなものか、という疑問 に対して、まず、(関係的契約と異なり)制度的契約の場合の規範は、共同体 の中で共有された規範ではなく、サービスの性質が根拠となっているとの認識 が示される42)。しかし、サービスの性質を根拠にしてなぜある規範が出てくる のか、という問題については、これがその根拠であると示せるようなものが予 め存在しているわけではないともされる。この点については、例えば、企業年 金契約のように、法律上の年金制度の中で組み込まれている仕組みが、私的な 年金制度においてもある種のモデルとなって使われる場合があることが具体例 として示される。すなわち、法律上の年金制度を作るときに立法者が合理的に 考えた結果出てきた仕組みであるということから、その仕組みが、法律のない、 純粋に私的な契約による年金契約の中でもおそらく妥当する、という形で、企 業年金契約の仕組みが構築されていることが指摘されている43)。 また、制度的契約における当事者の合意に依らない規範や制約の同定を行う 役割を裁判所が担うとされている点についての疑問に対しては、次のような 41)とはいえ、この種の規律を伝統的に行ってきたのが行政法であり、規律の内容や根拠に ついての研究の蓄積は行政法学において豊富である。契約法学と行政法学の交流から得 られるものは大きいともされている(内田・前掲注 1)110 頁)。 42)以下、藤谷の疑問に対する応答について、吉田他・前掲注 18)387-385 頁〔内田発言〕 を参照 43)なお、国が法律を作ってそのような規制をかけるときには、当該業界ではどのような期 待や規範が共有されているかを考えず、およそこういうサービスをあまねく多くの人た ちに提供する以上は当然にこうでなければならないということで規制がなされている、 という点も指摘されている(吉田他・前掲注 18)386 頁〔内田発言〕)。
commoncallings の理論の制度的前提が示される44)。すなわち、既に存在しており、 かつ普遍性のある隠れた共通規範の体系を見出すことのできるような人間の理 性を体現する者が裁判官になっているという制度的前提である。さらに、この ような共通規範を見出すことのできる優れた人が裁判官になっているという制 度的な前提があってはじめて、commoncallings の理論を裁判官が作り出してい くことに正当性が見出されるとする。そして、日本の場合にも、裁判所の判断を 社会が尊重する度合いの高い社会であること、優れた人たちが裁判官になる養成 システムが存在していること、をそれぞれ示し、司法的なチェックで制度的契約 の規範を課していくということは、政治的には許容されるとの認識が示される。
Ⅳ 制度的契約論の正当化根拠の検討
(1)検討の方法
制度的契約論においては、社会における不公正感・不正義感が「外部 性」45)と表現され、さらに、「外部性」に対する配慮を要求することが『「外 部性」を内部化する』と表現されたうえで、この「外部性」を経済学における 外部性との対比することで、その正当化が図られている。そのため、まずは、 そもそも制度的契約論で示される「外部性」が、経済学における外部性と対比 することが可能となるだけの内実を備えているのか、という視点から検討を加 える必要がある。この検討を、以下(2)において行う。 この検討によって、もし、制度的契約論で示される「外部性」に、経済学に おける外部性と対比することを可能とするだけの内実が備わっているという結 44)以下、藤谷の疑問に対する応答について、吉田他・前掲注 18)374-372 頁〔内田発言〕 を参照。 45)以下に示す通り、内田の示す外部性の用語法が経済学で用いられる外部性のそれとこと なるため、内田の示す外部性については「外部性」と鉤括弧を付して表記する。論が導かれたときには、続いて、経済学の知見を法学がどのように位置づける のか、という基礎理論を考察したうえで、それに基づいて経済学における外部 性との対比による正当化に成功しているかどうか、という点についての検討に 移る必要がある。他方で、もし、「外部性」にそのような内実が備わっていな いということになれば、経済学との対比ではなく、法学固有の理論として、正 当化されているといえるだけの根拠が提示されているか否かを検討する必要が 出てくる。(2)における検討の結果に従って、(3)においては、このいずれか の検討に進むことにする。
(2)制度的契約論における「外部性」の検討
(a)制度的契約論において示される「外部性」の概要 内田は、commoncallings の法理の検討を基礎において、契約の目的となっ ている財やサービスの給付の性質であるところの「公共性」が制度的契約には 内在しており、この公共性が、制度的契約に内在的な制約を生み出している、 とする46)。そして、この「公共性」や財・サービスの「公的」性質の中身は、 当該財やサービスの「外部性」に帰着する、と主張する。ここでいう「外部性」 とは、必ずしも経済的損失の発生を意味するのではなく、周囲の人々の間に引 き起こされる不公正感であり不正義感であるとされる。そして、このような意 味での「外部性」は、経済学の外部不経済が内部化されなければならないよう に、このような社会的公正や正義感情への配慮を要求するという意味で、内部 化されなければならない、とされる。 すでに指摘がなされている通り47)、また内田自身も認めている通り、ここ でいう「外部性」は、経済学における外部性とは異なる概念である。しかし、 内田は、経済学の外部性との対比することによって、制度的契約論を正当化し 46)以下、内田の示す「公共性」および「外部性」については、前述Ⅱ(1)を参照。 47)前述Ⅲ(1)(a)参照。ている。果たして、このような正当化は成功しているのであろうか。制度的契 約論を正当化するための「外部性」はこのような対比を可能にするほどの具体 性・明確性を備えているのであろうか。以下、「正の外部性」と「最適化」と いう二つの概念を通じて検討する。 (b)制度的契約論における「正の外部性」とは 経済学における外部性とは、ある人の行動が周囲の人の経済厚生に、金 銭の補償なく影響を及ぼすことを言うとされる48)。周囲に対する悪影響を 負の外部性、好影響を正の外部性といい、これらの外部性が存在する場合 には、市場の成果に対する社会的関心は、市場に参加する売り手と買い手 の厚生を超えて、間接的に影響を受ける周囲の人々の厚生にまで及ぶ。売 り手と買い手は、需要量と供給量を決めるに当たって、自分たちの及ぼす 外部効果を無視する。そのため、外部性が存在するときは、市場均衡は効 率的とならない。すなわち、均衡は社会全体の総利益を最大化できないと される。具体的には、負の外部性によって、生産量は社会的に最適な生産 量よりも多くなり、正の外部性によって、生産量は社会的に最適な生産量 よりも少なくなる。この問題を改善するために、政府は負の外部性を持つ 48)以下、経済学における外部性についての記述については、N・グレゴリー・マンキュー 著・足立英之他訳『マンキュー経済学Ⅰミクロ編〔第 3 版〕』284-291 頁(東洋経済新報社、 2013 年)を参照。このほか、スティーブン・シャベル著・田中亘他訳『法と経済学』(日 本経済新聞出版社、2010 年)は、次のような定義が厳密であるとしている。「外部効果 の発生者(generator)である G と、その効果の受領者(recipient:犠牲者あるいは受益者) である R という 2 人の当事者、ならびに基準となる状態(referencesituation)を考えよ。 ここで『基準となる状態(基準状態)』とは、G の基準となる行為(referenceact)によっ て―場合によっては、それに加えて G と R に関するそれ以外の諸要素によって―決まる ものとする。基準状態において、R は基準となる期待効用の水準 ER(a) を享受するもの とする。そうすると G の他の行為 a’ は、もしも ER(a’)が ER(a)と一致しないならば、 基準状態との比較において、R に対して外部効果を有するという。」
財に課税し、正の外部性を持つ財に補助金を支給することで、外部性を内 部化することができる。 内田の示す「外部性」は、周囲の人々の間に引き起こされる不正義感・不公 正感であるとされる。これは、経済学でいう負の外部性に対応するものであろ う。それでは、経済学に言う正の外部性に対応するものは、ありうるのであろ うか。すなわち、制度的契約を締結することによって周囲の人々の間に正義感・ 公正感が高まる(不正義感・不公正感が低下する)という場合がありうるので あろうか。また、そのような場合には、制度的契約論においてどのような対応 がとられることになるのであろうか。 以上のように、経済学における外部性には、正負の二つがあるとされ、そ れぞれについて、社会的に最適な生産量にするための施策が論じられている 以上、これとの対比によって正当化するためには、制度的契約論における正 の外部性にあたるものについても経済学におけるそれと対比可能な形で明ら かにされなければならない。しかし、制度的契約論における「正の外部性」 については明らかとされていない。 (c)制度的契約論における「最適化」とは 経済学における外部性については、その社会的に最適な解決が条件付きなも のであることが指摘されている49)。すなわち、社会的厚生の一般的最大化問 題においては、現に存在している所有権の割当が最適になっていることが前提 とされず、現に存在する所有権の割当を変更することも、もしそれが最適とな るならば許容される。しかし、外部性の問題が経済学において論じられる際に は、外部性の影響を受ける当事者の地位は、所有権の全般的な割当てに関する 一定の前提に依拠して決まっている。そのため、外部性の問題の最適解は、社 49)以下、外部性の最適化の問題が条件付きであることについては、シャベル・前掲注 48) 93 頁を参照。
会厚生の部分的最適化の問題であると理解しなければならないとされる。 内田の示す「外部性」については、社会的公正や正義感情への配慮を要請す ることによって内部化が図られるとされる。そのため、社会において、社会的 公正に対する感情や、正義感情が存在していることを前提としていると考えら れる。それでは、これらの感情に配慮することによって「外部性」を内部化さ せることと、それらの感情そのものに働きかけ、それを変化させることによる 解決とは、どのような関係に立つのであろうか。この問いに答えるためには、 そもそも、社会的公正に対する感情・正義感情が「最適化」される状態という ものが観念されるのかどうかも明らかにされなければならない。しかし、制度 的契約論においては、社会的公正に対する感情・正義感情の「最適化」につい ては、明らかにされていない。 (d)制度的契約論における「外部性」と経済学における外部性の対比の是非 以上の検討からすれば、内田の示す「外部性」を経済学における外部性と対比さ せて論じるに足る内実が備わっていないと言わざるを得ない。この結論に、そも そも経済学において、外部性を内部化するための国家の規律が正当化されるのは、 それによって効率的となる場合にのみである、という指摘がなされていること50) とも併せて考えれば、内田の示す「外部性」を経済学における外部性と対比するこ とによって、制度的契約論を正当化することはできないという結論が導かれる。 内田の示す「外部性」に、経済学との対比を可能にするだけの内実が備わっ ていないのであれば、前述(1)において示した通り、続いて、法学固有の理論 として、正当化されているといえるだけの根拠が制度的契約論について提示さ れているか否かを検討しなければならない。以下(3)において、この検討を行う。 50)前述Ⅲ(1)(a)参照。
(3)制度的契約論は法学的に正当化されるのか
(a)検討の方法 以上(2)の検討から示されるように、経済学における外部性との対比にお いては、制度的契約論を正当化することはできない。それでは、そのような手 法をとらずに、内田の示す「外部性」によって制度的契約論が法学的に正当化 されているということができるのであろうか。 ここでは、法学固有の正当化の方法論が問題となる。既存の法理論、法制度 を基礎づけている基礎理論によって自説を正当化している見解であれば、その 見解が、その基礎理論によって基礎付けられる全ての法理論、法制度との内容 的・体系的な整合性がとられているか否かによって、正当性を論じることが可 能となる。私法学において、意思理論との関係で、制度的契約論に対して示さ れている批判、すなわち、契約における意思や合意の契機、さらには私的自治 的要素が軽視されているという批判51)は、このような正当性の論じ方に沿った ものといえる。 しかし、制度的契約は、古典的契約とは質的に異なる理論に基づくものであ ることが明言されている。すなわち、内田は、個別意思を重視することが望ま しいと考えられる古典的契約と、個別合意を許容することが不公正と感じら れる制度的契約との間に、質的差異があるとしている52)。そのため、まずは、 制度的契約と古典的契約との間の質的差異とはどのようなものであるのか、そ してその質的差異は、意思理論による正当性を論じることを否定することを可 能とするものなのか、という問題を検討する必要がある。 そこで以下では、制度的契約が、古典的契約と質的に異なるのか否か、とい う問題を明らかにするために、利益という視点から制度的契約を分析すること から検討をはじめる。 51)前述Ⅲ(1)(a)参照。 52)前述Ⅲ(1)(b)参照。(b)利益の視点から見た制度的契約論の分析 (ア)分析の枠組 ⅰ)利益の段階的・連続的理解 かつて、公法と私法の峻別論を前提として、公法の規律対象とされる公益と、 私法の規律対象とされる私益は峻別して理解されてきた53。しかし、公法と私 法の峻別、公益と私益の峻別に否定的な見解が有力となっている現在において は、次のように段階的・連続的に利益を理解することによって、法学の対象と する利益の性質を適切に把握できるようになる(図 1 参照)。 私 的 主 体 へ の 独 占 的 帰 属 個 別 利 益 集 合 的 利 益 環 境 関 連 の 公 私 複 合 利 益 拡 散 的 利 益 社 会 的 損 失 純 粋 環 境 利 益 外 交 ・ 防 衛 図 1 無 ← 個別利益への分析可能性 → 有 まず、公益と私益として類型的に区別して把握されていた利益を、質的に見 て、その抽象性・個別性という視点から段階的・連続的に存在しているものと 捉える。すなわち、一方の極に、外交・防衛等、私人個々の利益を観念し得な い完全に抽象化された全体に関する利益が、他方の極に、私人に独占的に帰属 する個別の利益が存在する。この両極の間を、個別利益への分析可能性という 視点から、段階的ないし連続的に利益を観念することにより、社会において存 53)以下(a)の記述については、宮澤俊昭「団体訴訟の実体法的基礎—集合的・公共的利 益をめぐる民法と行政法の関係」松本還暦『民事法の現代的課題』1064-1066 頁(商事法務、 2012 年)を参照。
在する利益を把握する基礎ができる54)。例えば、消費者法領域において提案 されている 4 つに消費者利益(社会的損失、拡散的利益、集合的利益、個別的 利益)55)、環境法領域において提案されている「環境関連の公私複合利益」「純 粋経済損害」56)は、それぞれ図 1 にあるように整理される。 ⅱ)民事実体法理論の規範の構造 民事実体法理論によって規律対象とされる利益の外縁を画する明確な客観的 基準は存在しておらず、利益の性質、当事者の行為態様、社会での意識の変化な どが総合的に考慮されてその外縁は画される57)。この外縁を画する基準がどの ようなものか、という問題は、市民社会の法としての民法が規律対象とする市民 社会をどのように把握するのか、という問題に連なるものである。この意味にお ける民法の規律対象について具体的な枠組を示しているのは広中利雄である。広 中は、利益の帰属が問題となる根幹秩序(財貨秩序・人格秩序)と、利益の帰属 が問題とならない外郭秩序(競争秩序・生活利益秩序)があるとする58)。この 54)なお、以上のような利益の把握は、量的な把握ではなく、質的な把握である。例えば、 水俣病や四日市喘息などの大規模公害問題を考えた場合、多数人の利益が侵害されてい るので、侵害された利益は集合的に捉えうる。しかし、この問題は、個別利益への分析 可能性という視点から見ると、生命・身体という個々人に独占的に帰属する人格的利益 が侵害されている問題である。そのため、集合的・公共的利益としてではなく、私人に 独占的に帰属する個別的利益として性質決定される。 55)原田大樹「集団的消費者利益の実現と行政法の役割 - 不法行為法との役割分担を中心と して」現代消費者法 12 号 18 頁(2011 年)等。 56)大塚直「公害・環境、医療分野における権利利益侵害要件」NBL936 号 43-47 頁(2010 年)。 57)以下(b)の記述については、宮澤・前掲注 53)1066-1073 頁を参照。なお、ここではあ くまでも民事実体法理論の外縁を論じているのであって、いわゆる伝統的な古典的私権 の体系の外縁を論じているのではない。この両者が異なることは、判例・通説によれば 社会性・公共性もその客観的考慮要素に含むとされる権利濫用法理に関わる問題や、行 政法規違反行為の民事上の効力に関わる問題が、民事実体法理論の問題とされてきたこ とからすれば明らかである(宮澤・前掲注 53)1066-1067 頁参照)。 58)広中俊雄『新版民法綱要第 1 巻総論』1-37 頁、85-97 頁(創文社、2006 年)。
概念を用いて画するとすれば、根幹秩序が規律する独占的に私人に帰属する個別 の利益の領域に加えて、帰属が問題とならない利益の領域にまで民法の規律対象 は及んでいることになる(図 2 参照)。
根
幹
秩
序
外
郭
秩
序
無 ← 個別利益への分析可能性 → 有 図 2 このように外縁の画される利益に対して、民事実体法理論によって根拠づけ られる規範の構造は、次のように表現される。すなわち、権利の成立を根拠づ ける規範(以下「権利根拠規範」と記述)が基底におかれ、公序良俗・権利濫 用法理等といった権利の成立を妨げる規範(以下「権利制限規範」と記述)が その上におかれるという重層構造である。 このうち基底におかれる権利根拠規範についてみると、現在、権利根拠規範と して異論なく認められているのは伝統的な古典的私権の体系を基礎とする規範 群である。これは根幹秩序の領域の一部を射程におさめるのみであり、帰属を語 り得ない外郭秩序は射程外におかれる。そして外郭秩序における権利根拠規範を 基礎づけための実体法理論は、不明であり、議論も成熟していない。他方、権利 濫用法理(民法 1 条 3 項)、公序良俗(民法 90 条)などは、社会性・公共性など もその要素として含む権利制限規範として、根幹秩序のみならず外郭秩序にまで その射程を及ぼしている。すなわち、権利制限規範は、外郭秩序においても民事 実体法理論に基礎づけられた実定法規範として存在している(図 3 参照)。無 ← 個別利益への分析可能性 → 有 図 3 公 序 良 俗 ・ 権 利 濫 用 法 理 等 外 郭 秩 序 根 幹 秩 序 古 典 的 私 権 の 体 系 を 基 礎 と す る 規 範 群 理 論 的 に 空 白 権 利 制 限 規 範 権 利 根 拠 規 範 特に、外郭秩序における民事実体法理論の議論の可能性を考えた場合、次 の三つのタイプの議論がありうる。①実定法規範の存在する権利制限規範に 関わる議論(取締法規違反行為の私法上の効力論など)として論じる。②外 郭秩序において個別利益への分析が可能な場合、伝統的な古典的私権の体系 に基づく規範群に引き寄せることができる部分について、根幹秩序における 権利根拠規範に関わる議論として論じる。③外郭秩序における利益の公共的 利益の側面を直接見据え、外郭秩序における権利根拠規範に関わる議論とし て論じる。 (イ)制度的契約論の対象とする利益 以上(ア)で示した利益の視点からみた分析枠組のもとでは、制度的契約論は、 どのように位置づけられるのであろうか。 前述Ⅱ(2)においてみた通り、制度的契約とは、特定の当事者同士の契 約関係でありながら、一方当事者が、同様な契約を結んでいる他の当事者や、 まだ契約関係にない潜在的な当事者への配慮を要求されるような性質の契 約であるとされる。また、個々の制度的契約は、不可避的に、他の主体の 同種の契約、潜在的当事者集団、さらには社会一般に影響をあたえるので、 一方当事者は、個別契約の締結や履行において、当該契約の相手方当事者 のみならず、それ以外の(潜在的)当事者への配慮が要求される、ともさ
れている。 ここで注目されるのが、制度的契約では、未だ特定されていない潜在的当事 者への配慮が要求される点、および、その理由として、社会一般に影響を与え ることが挙げられている点である。これらの点は、制度的契約論が、個人に独 占的に帰属する利益のみならず、特定の個人への帰属が問題とならない利益を も対象としていることを示している。 さらに、制度的契約論で論じられている規範の性質をみると、権利義務の内 容となるサービスの内容については、契約締結の際の個別交渉が排除されたう えで(個別交渉排除原則)、受給者としての視角を有するものに、平等に、差 別なく提供されなければならない(締約強制、平等原則、差別禁止原則)、と されている。 以上のような内容に鑑みれば、制度的契約論は、利益の秩序が問題とならな い外郭秩序における権利根拠規範を論ずるものと位置づけることができる59)。 (ウ)古典的契約と制度的契約との質的差異のもつ意味 前述(イ)で示した利益の視点からの分析結果に基づくと、古典的契約と制 度的契約の関係は、次のように整理することができる。 古典的契約も制度的契約も、いずれも権利の成立を根拠付ける権利根拠規範 として位置づけられる。他方で、その対象とする利益をみると、古典的契約が、 独占的に私人に利益が帰属する個別の利益の領域を規律の対象とするのに対し て、制度的契約は、個別の利益の帰属が問題とならない領域を規律の対象とす る。これが、古典的契約と制度的契約の質的差異となる。 このように利益の視点から見て、規律の対象となる領域が異なるという意味 で、古典的契約と制度的契約の質的差異が認められる。そして、この質的差異 は、意思理論による正当性を論じることを否定することを可能とするものであ る。そのため、古典的契約の理論枠組みにおさまらないことを持って、制度的 59)前述(ア)で示した外部秩序における民事実体法理論の議論のタイプのうちの③に当たる。