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《エッセイ》伝統と文化の根源としての天皇論 ―折口信夫『大嘗祭の本義』を読み解く―

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Academic year: 2021

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(1)横浜国大国語教育研究 No.43(2018) 《エッセイ》. 伝統と文化の根源としての天皇論 ~折口信夫『大嘗祭の本義』を読み解く~ 福井 1、はじめに. 雅洋. 日本国民統合の象徴であるならば、なぜ天皇が象. 平成 29 年 3 月に出された新学習指導要領前文. 徴足りうるのかということは教育で語られる必要. を見ると. があるのではないだろうか。そして、今上天皇は. 教育は,教育基本法第 1 条に定める通り,人. 2019 年 4 月に退位され、同年秋に新天皇の即位の. 格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社. 礼と大嘗祭が行われる予定だという。. 会の形成者として必要な資質を備えた心身共に. 学習指導要領が改訂され、今上天皇が生前退位. 健康な国民の育成を期すという目的のもと,同. をなされ、新天皇が即位されようとしている今、. 法第 2 条に掲げる次の目標を達成するよう行わ. 天皇制や大嘗祭の在り方について今一度考えてみ. れなければならない。. る必要があるのではないだろうか。. 1 幅広い知識と教養を身に付け, 真理を求める 態度を養い,豊かな情操と道徳心を培うととも. 2、天皇制と大嘗祭のはじまり. に,健やかな身体を養うこと。. 安丸良夫(2002)によれば、今日の私たちが通. (中略). 念としている天皇制の特徴の多くは、七世紀末、. 5 伝統と文化を尊重し, それらをはぐくんでき. 天武・持統朝期に成立したものである。天皇とい. た我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重. う名称自体がそうだし、大嘗祭を中心とする即位. し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養. 礼、大極殿という名称、皇后・皇太子などの呼称. うこと。. もこの時期に成立した。(1)という。. とある。 また、道徳も「特別の教科. 天武天皇といえば、壬申の乱で皇位継承をめぐ 道徳」とされ、[我. って天智天皇の子である大友皇子を破って帝位に. が国の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度]を. ついた天皇である。この乱に大勝した大海人こと. 育成することが強調されている。. 天武天皇には従来にはなかった絶大な権力が集中. 一方、日本国憲法第 1 章第 1 条には. する一方で、自らが王位を継承することに対して. 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の. の正当性を担保するような思想を生み出さなけれ. 象徴であつて、この地位は、主権の存する日本. ばならなかった。このような状況の中で生まれて. 国民の総意に基く。. きたのが「天皇」という称号である。「天皇」は. とある。. すめらみことと呼ばれた。これは天つすめらみこ. 有史以来、絶えることなく続いてきた天皇制は. ともちの略で、天つ(天つ神の)、すめら(最高. 世界に類例がなく、我が国の文化の特徴の筆頭に. の)、みこと(神言)、もち(伝達するもの)の. 挙げられるべき存在と言える。戦後教育では、天. 義である。(2)ちなみに、『古事記』や『日本書紀』. 皇について積極的に論ずることを避けてきた。そ. も天武天皇の皇位正当化のために編纂された書物. の理由は、戦争に向かっていった昭和初期の極端. であるということも付け加えておきたい。この一. なナショナリズムに対する嫌悪感によるものであ. 連の皇位継承正当化政策の中でもとりわけ重要な. り、終戦直後の混乱期における教育者たちの心情. 意味を持っていたのが大嘗祭であろう。. としてはもっともであっただろう。. 3、大嘗祭の本義. だが、戦後 70 年を経た今でも、教育の中で天皇. 大嘗祭は、天皇が即位後最初に行う新嘗祭のこ. を論ずることはタブー視されたままであるように. とであり、一代に一度だけ行われるため、農耕儀. 思う。憲法にあるように天皇が国民の総意に基く. 礼としてのみならず、即位儀礼としての意味を併 144.

(2) 横浜国大国語教育研究 No.43(2018) せ持っているものとされている。折口によれば、. を附与する儀式を大嘗祭だと考えたのである。大. 大嘗は、新嘗の大きなものといふ意味ではなくて、. 嘗祭の時の悠紀・主基両殿には真床襲衾(マドコ. 或は大は、壮大なる・神秘なるの意味を表す敬語. オフスマ) と呼ばれる御寝所が設けられてあって、. かもしれぬ。此方が或は、本義かも知れぬ。とい. 深い御物忌みをなされる。そこで魂が身体に入る. (3). う。. まで引き籠って居る。天皇の身体に天皇霊が完全. 『大嘗祭の本義』を見ていくと、折口は、まず、. に入ると、すめらみこととしての仰せ言が下され. 「まつり」の語源についての考察から論を始めて. る。すると、群臣は天皇に対して寿言(ヨゴト・. いる。「まつりごととは、政といふ事ではなく、. 御代の長久・隆昌を祝うことば)を申す。折口は. 朝廷の公事全体を斥して言ふ。」また、「まつる. 「寿言を申すのは即、魂を天子様に献上する意味. といふ語には、服従の意味がある」とも言う。つ. である。」といい「此程、完全無欠な服従の誓ひ. まり、「此天つ神の命令を伝へ、又命令どほり執. は、日本には無い。」と言う。. り行うて居る事をば、まつるといふ」のであると. 折口は、一方で、天皇が神の命令によって諸国. 考えた。その後、「少し意味が変化して、命令通. に稲を作らせ、収穫を献上するのだという。人々. りに執行いたしました、と神に復奏する事をも、. は「みこともち」としての天皇によって伝えられ. まつるというふ様になった。」神の言葉を伝える. た神の言葉に従うがゆえに、稲の穂についた魂を. ことが「まつり」の第一義であり、そこから派生. 天皇に献上するのである。他方、天皇は「天皇霊」. してまつりごとの結果の報告祭としての「まつり」. を備えることによって、天皇として完成するとい. の意味が生まれてきたのである。. う。この両者をつなぐのが、「大嘗祭」という儀. 次に、「天つ神」が何を命令するかということ. 礼なのである。(4)このような折口の「大嘗祭」論. について、折口は古い文献から、天皇は「食国(ヲ. 考は先に述べた、大嘗祭のはじまりと照らし合わ. スクニ)のまつりごとをして居らせられる事にな. せてみると、とても理にかなっているように見え. って居る」という。「すめらみこととしての為事. る。大嘗祭を自らの神格化のための儀式とするこ. は、此国の田の生り物を、お作りになる事であっ. とによって、自らの権威の正当性と大きさを誇示. た。天つ神のまたしをお受けして、降臨なされて、. するものとしていたのであろう。. 田をお作りになり、秋になるとまつりをして、田 の成り物を、天つ神のお目にかける。」つまり、. 4、天皇制と聖なる王権. 天皇が「人を諸国に遣して、穀物がよく出来るよ. 天武・持統朝において、天皇の神格化儀礼とし. うにせしむる」のが「食国の政」であり、その報. ての大嘗祭を確立したことによって、つい近年ま. 告祭が祭りなのである。. で天皇の持つ神性は一貫して変わらず続いてき. 以上が、農耕儀礼としての大嘗祭を見たときの. た。武士階級が政治権力を奪取した際も、自らが. 折口の見解と考えて良いだろう。折口は大嘗祭の. 天皇になろうとはしなかった。むしろ、豊臣秀吉. 農耕儀礼としての側面だけでなく、即位儀礼とし. や徳川家康などは皇室に願い出て自らが神として. ての側面からの考察も述べている。その大もとに. まつられることを望んだ。家康は東照大権現の位. なって居るのが『日本書紀』の敏達天皇の条にあ. を与えられ、その後 250 年に及ぶ徳川政権の背景. る「天皇霊」という用語だ。この「天皇霊」とい. の力となった。人間である秀吉や家康は、天皇を、. う語に折口は独特の解釈を加えている。「天子様. ただの人間を神にするという途方もない力の持ち. としての威力の根元の魂といふ事で、此魂を附け. 主にしたてあげたのである。明治国家の基礎を築. ると、天子様としての威力が生ずる。」という。. いた指導者たちも自分たちは普通の人間でありな. また、「恐れ多い事であるが、昔は、天子様の御. がら、天皇を絶対神としたのである。(5)実際、大. 身体は、魂の容れ物である、と考へられて居た。」. 日本帝国憲法においては. とも言う。つまり、天子様の身体に「天皇霊」な. 第1条. る魂が入って、そこで天子様がえらい御方となら. 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ 統治ス. れるのである。新たに天皇となる人物に「天皇霊」 145. 第3条. 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス.

(3) 横浜国大国語教育研究 No.43(2018) とある。. し、これはひとたびそれが政治的権力と結びつき. 諸外国のように王権が簒奪されることなく、一. 悪用されてしまうととたんにファシズムに陥るこ. 貫して天皇制が続いてきたことの背景に、大嘗祭. ととなる危険性もはらんでいる。. による天皇の神格化ということが果たしてきた役. 福沢諭吉は 1882 年に『時事新報』に連載された. 割は大きいだろう。昭和初期には、「行き過ぎた. 『帝室論』の中で、「帝室は政治社外のものなり」. 神格化」の結果、天皇は軍部によってメシアとし. と述べ、「帝室は日本人民の精神を収攬するの中. て祭り上げられることになり、その後戦争へと突. 心なり」「帝室は獨り萬年の春にして、人民これ. き進んでしまうことになるのだが。. を仰げば悠然として和氣を催ふす可し」と述べて いる。福沢は、国家社会には神聖なる精神文化を. 5、現代における天皇. 支配する領域と世俗的利益を支配していくべき領. 冒頭にあげたように、戦後制定された日本国憲. 域がなければならないと考えていた。後者を担う. 法においては、天皇は日本国民統合の象徴とされ. のは政治である。そして、国家と国民とを統合す. ている。この地位は、主権の存する国民の総意に. る神聖なる存在、 それが象徴としての天皇であり、. 基くとあるが、この「総意」はどのようにして認. 天皇制である。具体的には、功績ある人々への栄. められたのだろうか。実は、「主権の存する日本. 誉の賦与、学問の奨励、伝統的技芸の保護や希少. 国民の総意」があろうとなかろうと、それとは無. 品の蒐集等の事業を通して、日本の文化事業の興. 関係に、すべての手続きを超越したところに、あ. 隆を担い、また、日本社会における精神的な権威. たかも悠久の昔から決定済みであったかのごとく. であることが皇室の役割である。現在の天皇家や. (6). 扱われている。 このような条文になった背景に. 皇族は、このことを自覚されて、懸命にその役割. は、アメリカ側が占領政策を推し進めるにあたっ. を果たそうと努力されている。. て天皇の権威を利用しようとした意図があった。. 今上天皇の生前退位という近代天皇制の大転換. そして、さらにその背後には敗戦による天皇制フ. 期を迎える今こそ、象徴としての天皇とは何なの. ァシズムの崩壊があったにもかかわらず、日本人. か、そして、それを義務教育の中でどう扱ってい. の心には絶対的超越者としての天皇像が色濃く残. くべきか検討し直す時ではないかと考えている。. っていたという現実があったと考えられる。 工藤(1990)によれば、天皇の文化は超一級の. 【引用・参考文献】. (7). 文化財だという。 大嘗祭は生命の永遠性を象徴. (1) 安丸良夫他『岩波講座 天皇と王権を考える. する原鎮魂祭の思想を体現し、いわば人間にとっ. 第4巻. ての根源的な願望を満たす幻想の装置として存在. 3頁. 宗教と権威』岩波書店、2002 年、. している。死という異界と現世の間に横たわる絶. (2) 有山大五・石内徹・馬渡憲三郎編『迢空・折. 対的な断絶を、大嘗祭の中で軽々と超えてみせる. 口信夫辞典』勉誠出版、2000 年、80 頁. のが天皇なのである。天皇の世界は、超越的であ. (3) 折口信夫『大嘗祭の本義』青空文庫 POD、. るがゆえに人々の異界願望を満たす機能も果たし ていることになる。. 2015 年、11 頁. (8). (4) 近代日本思想研究会『天皇論を読む』講談社、 2003 年、25 頁. 6、おわりに. (5) 安丸良夫他『岩波講座 天皇と王権を考える. これまで、天皇制とは何か、なぜ天皇制が絶え. 第5巻. ることなくこれまで続いてこれたのかということ. 王権と儀礼』岩波書店、2002 年、. 51 頁. を虚心坦懐にみてきたつもりである。工藤の言う. (6) 工藤隆『大嘗祭の始原』三一書房、1990 年、. ように、天皇は自身による「人間宣言」を経た現. 86-93 頁. 代の人々にとっても、天武・持統朝以来大嘗祭に. (7) 同書、95 頁. よって神格化され続けてきたことによって、超越. (8) 同書、220-225 頁. 的な存在であり続けられているように思う。しか. (横浜国立大学教育学部附属横浜中学校) 146.

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