イ ン ドネ シ アの 民 族 服飾 と
その 背 景 につ い て
田
中
美
智
A Brief
Note
on the Indonesian
Traditional
Costumes
and Their
Historical
Background
Michi Tanaka
1は じ め に 現 在,一 般 に私 達 が 着 用 して い る服 装 は, 近 代 に お い て 世 界 の 指 導 的 な立 場 で あ っ た欧 米 先 進 国 の服 装 いわ ゆ る洋 服 で あ る 。 い まや 洋 服 は 共 用 着 とな り,全 世 界 の 共 通 服 装 と な っ て い る。 確 固 た る国際 服 と して の他 位 を 占め て い る と思 わ れ る 。 しか し,一 方 世 界 の 各 民 族 は,独 自の 服 装 を 有 してお り,様 々 な 事 情 に よ り着 用 の 頻 度 は 異 な っ て い る もの の,洋 服 と併 用 して民 族 服 を着 甫 して い る の が 現 状 で あ る。 い ま さ ら述 べ る こ と もな いが,民 族 と は同 じ 土 地 に起 こ り,同 じ言 語,宗 教 を持 つ,同 じ 人 種 の 集 ま りの こ とで あ り,従 っ て 民 族 服 飾 とは 国 際 的 共 用 服 飾 に対 して,そ の 民 族 固 有 の服 飾 の こ とで あ る。 民 族 服 飾 は そ の民 族 の 性 質,能 力,気 質 な どの影 響 を受 け る 。 そ して気 候 風 土 の特 色 の 職 能 的特 性 も反 映 して い る。 さ らに民 族 の 歴 史 や 伝 統,政 治,経 済,宗 教 な どの 文化 的特 性 か ら大 き い影 響 を与 え られ る。 以 上 の よ う に民 族 服 飾 は,そ の 民 族 の 自然環 境,社 会 環 境,文 化 環 境 の 結 晶 で あ るわ け で あ る 。 そ れ ゆ え に民 族 服 飾 を探 ぐ る こ と は, 各 民 族 の生 活 全 般 を探 ぐ る こ とだ と考 え られ る。 現 代 社 会 の 中 で,一 般 の 暮 ら しの 中 に生 き て い る民 族 服飾 は だ ん だ ん 数 少 な くな っ て き て い るが,今 回 は1979年 春,研 修 旅 行 の 機 会 を得 た イ ン ドネ シ ア につ い て,今 な お生 活 に 密 着 して着 用 され て い る民 族 服 飾 を,そ の 背 景 を調 べ る こ と に よ り考 察 して み た い と思 う。 IIイ ン ドネ シ ア の あ ら ま し 1.自 然 に つ い て イ ン ドネ シア の 領 域 は,赤 道 を は さん で 北 部 は 北 緯6;南 部 は 南 緯11°の範 囲 にあ る ため 熱 帯 気候 に属 し て い る 。 また 西 方 は東 経95; 東 方 は141° まで広 が っ て い るた め,国 土 は ほ ぼ 東 西4800km,南 北1600kmに また が る広 大 な 範 囲 にわ た っ て い る。 全 体 と して み る と,ア ジ ア大 陸 の 東 南 部 を占 め,オ ー ス トラ リア との 中 間 をみ た してお り , ま た太 平 洋 とイ ン ド洋 と をへ だ て て,重 要 な 地 理 的位 置 を 占 め て い る。ア メ リカ 合 衆 国 本 土 に 匹 敵 す る,面 積 の 広 い 海 域 に ち ら ば っ て い る 大 小3000ほ ど の 島 々 か ら な っ て い る 。 そ の 主 な も の は,ス マ トラ, ジ ャ ワ,カ リマ ン タ ン(ボ ル ネ オ),ス ラ ウ ェ シ(セ レ ベ ス),イ リ ア ン=ジ ャ ヤ の 五 大 島, さ ら に ヌ サ=ト ゥ ン ガ ラ(小 ス ン ダ 列 島 と も い う,バ リ,ロ ン ボ ッ ク 島 な ど),マ ル ク(モ ル カ)諸 島 な ど で あ る 。 イ ン ドネ シ ア の 国 土 面 積 は,約202km2(昭 和 52年 現 在)で あ り,日 本 の ほ ぼ5倍 に あ た る。 イ ン ドネ シ ア の 地 形 は変 化 に富 み,高 山 ・火 山 が あ り,海 岸 に はマ ング ロー ブ の海 岸 か ら さん ご礁 海 岸 まで あ る 。特 に山 地 が い た る と こ ろ に 点 在 して お り,少 しば か りの 距 離 で 熱 帯 で あ りな が ら容 易 に涼 しい気 候 の 山 地 に達 す る 。 一48一
気 候 は熱 帯 的 な高 温 多 雨 型 で あ る 。一 年 中25 ℃ 以 上 の 高 温 で,季 節 的 な 気 温 の 差 異 は殆 ん どな い 。 しか し降 水 量 に多 小 の変 化 が あ り, 各 島 に よ っ て若 干 異 るが,雨 期 は一 般 的 に は, 12月 か ら3月 まで で あ る。 南 シ ナ 海 の 西 風 モ ンス ー ン の影 響 に よ っ て雨 期 とな る。 反 対 に 乾 期 は,オ ー ス トラ リア か らの 東 風 モ ンス ー ン に よ る もの で 、6月 か ら10月 にか け てが 一 般 的 とな っ て い る 。 2.政 治 ・経 済 ・社 会 につ い て イ ン ドネ シ ア は共 和 国 で あ り,そ の主 権 は 国 民 にあ る 。政 治 形 態 は5つ の 基 本 大 原則, PancaSilaに 基 づ い て い る。 そ の 第1は, 崇 高 な る神 とい う考 え に従 っ て,国 民 の 宗 教 に対 して 寛 容 で あ る こ と。 第2は,文 化 的 な 人 道 主 義,第3は,イ ン ドネ シ ア の民 族 主 義, 第4は,慣 習 法(ア ダ トAdat)を 組 み 入 れ た民 主 主 義,第5は,国 民 の 権 利 と社 会 福 祉 をス ロー ガ ンに掲 げ る社 会 主 義 で あ る。 イ ン ドネ シ ア の政 治基 本 方 針 は,"Gotong Royong"必 要 な 時 に は互 い に助 け合 う こ と,"Musyawarah"一 大 部 分 の 意見 が 一 致 す る ま で 国民 の代 表 者 た ち が議 論 を た た か わ せ,審 議 を続 け る民 主 主 義 で あ る。 イ ン ドネ シア の 固有 の 考 え方 に基 づ い て い る の が 法 律,憲 法 とな っ て い る。 経 済 は,そ の 豊 富 な 天 然 資 源 に支 え られ て い る。 特 に 多 大 な 恵 み を もた ら し て い るの は 原 油 の 産 出 で あ る。1966年 か らイ ン ドネ シ ア 政 府 は各 方 面 と協 力 して,イ ン ドネ シ ア経 済 の 安 定 策 を講 じて い る。 一 方,資 源 生 産 を促 進 す る工 場 を増 設 す る こ とに よ り,さ らに外 貨 獲 得 の 増 大 を望 ん で い る 。 イ ン ドネ シ ア で最 初 に行 な わ れ た5ヶ 年 計 画 は,食 料,衣 料 品,住 宅 問 題,雇 用 問題 な ど, 国 民 の生 活 に関 す る基 本 的 な こ との 改 善 を 目 的 と した政 策 で あ っ た 。現 在 イ ン ドネ シ ア は 外 国 の 資 本 と技 術 を獲 得 して,技 術 力 と経 営 力 を備 え て い る。 主 産 業 は 農 業 で あ る 。 ジ ャ ワ島 で は 面 積 の 90%が 農業 用 地 で あ る 。 国 内 消 費 向 け の 主 な 生 産 物 は 米 で あ るが,他 に トウ モ ロ コ シ,大 豆,ピ ー ナ ツ,ジ ャ ガ イ モ,そ して 豊 か な種 類 の果 樹 類 が あ る 。輸 出 用 と して茶,コ ー ヒ ー,タ バ コ,サ トウ キ ビ,ゴ ム,キ ニ ー ネ の 原 料 で あ る キ ナ の 皮 を生 産 して い る。 工 業 で は農 業 機 器,刃 物 類,藤 製 品,織 物,染 色 製 品 な どが イ ン ドネ シア の伝 統 的 な主 製 品 と な っ て い た が,近 年 自動 車 の 国 内生 産 と,化 学 工 業 も操 業 開始 さ れ,西 ジ ャ ワ で は 大 規 模 な 製 鉄,製 鋼 所 を建 設 し工 業 化 が 進 ん で い る。 3.歴 史 ・文化 につ い て 紀 元 前300∼200年 頃移 住 定着 した イ ン ドネ シア 人 は,各 地 で水 稲 ・陸 稲 耕 作 を行 い,原 始 共 同 体 的 な生 活 を営 ん で い た 。 彼 らは そ の 共 同 体 生 活 の す べ て の面 に お い て,精 霊 や超 自然 的 存 在 に対 す る信 仰 に よっ て 規 制 され て い た 。 規 制 は伝 統 的 に継 承 さ れ,共 同 体 を律 す るAdatと な って い た。これ らの 共 同 体 社 会 は,紀 元 前2世 紀 頃 か ら貿 易 を通 じ,除 々 に 南 イ ン ドか ら ヒ ン ドウ ー ・仏 教 文化 を受 け ズ れ,ほ ぼ15世 紀 ま で この ヒン ドウ ー ・仏 教 文 化 の影 響 下 に あ っ た 。 そ の 間 マ ジ ャパ イ ト国 な ど,い まの イ ン ドネ シ ア 共 和 国 の全 領 域 に大 きな影 響 を及 ぼ した 強 大 な 王 国 も存 在 し たが,こ れ ら諸 王 国 の支 配 は,径 来 の共 同体 社 会 に その 生 活 圏 を拡 大 させ る 等 の 影 響 の ほ か に,王 権 や 官 僚 制,カ ー ス ト制,そ れ か ら必 然 的 に生 じる 貴 族 制 な ど の新 しい社 会 的,政 治 的 要 素 を,そ して
日 本 ・イ ン ドネ シ ア 対 比 略 年 表 イ ン ド ネ シ ア 日 本 BC 無 土時 器代 縄時 500縄 文 文 化 始 ま り ACO *原 マ ラ イ 人 文代 200弥 生 文 化 始 ま り *新 マ ライ 人 弥 78ジ ャ ワ紀 元 元 年 ・伝 説 上 ジ ャ ワ建 国 生 100 時 200 代 *西 ジ ャ ワ に タ ル マ 国 お こ る 239邪 馬 台国女 王卑弥 呼,魏 に使 者派遣 300 古 400
諄
500 代 562任 那 日本府 新羅 に滅 ぼ され る 600 飛 鳥 時 593聖 徳 太 子 摂 政 と な る(∼622) 645大 化 の 改 新 始 ま る 代 672壬 申 の 乱 700 752シ ャ イ レ ン ドラ朝(∼850頃)成 立 奈時 710平 城 京 に遷 都 良代 794平 安 京 に遷 都 800 850頃 ボ ロ ブ ドゥ ー ル造 営 平 894遣 唐 使派遣廃 止 900 *プ ラ ンバ ナ ン に 寺 院 の 建 立 安 935平 将 門 の乱(∼40) 929ク デ ィ ク王 国 お こ る *摂 関政治 全盛期 1000 *イ ン ドの香 料郡 島貿 易 の発 展 時 1100 代 1086白 河 上 皇,院 政 開 始 1159平 清 盛,大 政 大 臣 と な る 1200 1300 1222シ ン ガサ リ朝(∼92)成 立 1293マ ジ ャパ イ ト国(∼1520)建 立 *ガ ジ ャ ・マ ダ時 代 鎌 倉 時 代 1165源 頼 朝,征 夷 大将 軍 と な る躍 魏}元 寇
1333鎌 倉 幕 府 滅 亡 1400 室 町 1392南 北 朝 の 合 一 1467応 仁 の乱(∼77) 1500 *イ ス ラ ム 化 進 む 時 代 *下 剋 上 の風潮 1573足 利幕府滅 亡 1596オ ラ ン ダ,ハ ウ トマ ン船 隊 ジ ャ ワ 到 着 安桃 時土 山代 1585豊 臣 秀 吉,関 白 と な る lsoo 1602連 合 東 イ ン ド会 社(VOC)設 立 1603徳 川 家 康,征 夷 大 将 軍 と な る 1700 1713ジ ャ ワ東 部 内 乱(∼19) 江 一 *海 外 進 出,ヨ ー ロ ッパ 人 渡 来 盛 ん 1717京 保 の 改 革 1717第2次 ジ ャ ワ継 承 戦 争 尸 1787寛 政 の 改 革 :II 1799VOC解 散 1825ジ ャ ワ戦 争(∼30) 時 *百 姓 一 揆,う ち こ わ し起 こ る 1853ペ リ ー 浦 賀 入 港 1830強 制栽培 政策 実施 代 1859安 政 の 大獄 1870土 地 法 制 定 1867王 政 復 古 1900 1873ア チ エ ー 戦 争 1949オ ラ ン ダ か ら独 立 明 治 1868五 箇 条 の 御 誓 文 1904日 露 戦 争(∼05) 1950イ ン ドネ シ ア 共 和 国 発 足 大正 1914第 一 次 世 界 大 戦 1967ASEAN結 成 昭和 1941大 平 洋 戦 争(∼45)新 しい 宗 教 的 原 理 を も た ら した 。 今 日み られ るマ ハ ー バ ー ラ タや ラ ー マ ー ヤ ナ を主 題 に し た ワヤ ン劇(影 絵 人形 芝 居)や 舞 踊 な ど,(写 真1,2参 照)ま た ボ ロブ ドウ ー ル の 仏 教 遺 蹟 や プ ラ ンバ ナ ンの ヒ ン ドウ ー遺 蹟(写 真3, 4参 照)な どは,こ の 時 期 の ヒ ン ドウ ー ・仏 教 文 化 の影 響 を直接 物 語 っ て い る 。 写 真1ワ ヤ ン劇 の楽 士 写 真2ケ チ ャ ックダ ンス しか しこ の ヒ ン ドゥー ・仏 教 文 化 の影 響 も, 従 来 の 共 同体 の慣 習法 を破 壊 した わ け で は な い。 ヒ ン ドゥー教 の 多 神 的 信 仰 は,旧 来 の精 霊 信 仰 と混 淆 さ れ,非 常 に イ ン ドネ シ ア的 な もの に変 容 され た 。 そ こ で は依 然 と して 精 霊 信 仰 は 生 きの び,慣 習 法 も若 干 の ヒ ン ドゥ ー 写 真3ボ ロ ブ ドゥ ー ル ・仏 教 遺 蹟 写 真4プ ラ ンバ ナ ン ・ヒ ン ドウ ー遺 蹟 的 変 更 を と も な い な が ら も,旧 来 の 原 則 を 維 持 しつ づ け た 。 っ い で イ ン ド ネ シ ア に は,イ ン ドの グ ジ ャ ラ ー ト地 方 な ど の 商 人 た ち に よ っ て,イ ス ラ ム 教 が も た ら さ れ た 。 イ ス ラ ム 教 は11世 紀 頃 か ら ス マ トラ を起 点 に,徐 々 に そ の 勢 力 を 増
大 し,15世 紀 頃 ピ ー ク に達 した 。 そ の 後 も浸 透 は続 き,現 在 で は ヒ ン ドゥー ・仏 教徒 のバ リ人,キ リス ト教 徒 の トバ=バ タ ッ ク人 ・ミ ナ ハ サ 人 ・トラ ジ ャ人 ・ア ン ボ ン人 な ど を除 く,ほ ぼ90%の イ ン ドネ シア 人 が イ ス ラ ム 教 徒 だ と い わ れ る。 イ ス ラ ム 的 社 会 規 範 は,そ の地 方 的 ひ ろ が り の な か で,各 地 に お い て 旧来 の慣 習 法 秩 序 と い くた の 対 立,抗 争 を繰 り返 しな が ら,終 局 的 には そ れ と妥 協,融 合 して い っ た もの で あ る 。 16世 紀 は じめ に ポル トガ ル 人 が 交 易 を求 め て 来 航 した の を皮 切 りに して,ス ペ イ ン,イ ギ リス,オ ラ ン ダが 進 出 して き た 。 オ ラ ンダ の 東 イ ン ド会 社 は,1602年 バ タ ピア に作 られ, そ れ 以 後 非 常 に ゆ っ くりと力 を増 して いっ た。 オ ラ ン ダ の植 民 地 支 配 は どち らか と い え ば, イ ン ドネ シ ア社 会 に西 欧 文 化 を もた らす こ と に積 極 的 で は な か った が,20世 紀 に入 る とイ ン ドネ シ ア 人 の側 にお い て,積 極 的 に摂 取 す る 努 力 が な され た 。 こ う して摂 取 され た西 欧 民 主 主 義 や 共 産 主 義 の 思 想 は,オ ラ ン ダ植 民 地 支 配 に抗 す る民 族独 立 運 動 へ の有 力 な武 器 と され た 。 これ ら西欧 思 想 の摂 取 は 単 な る移 入 で は な く,民 族 独 立 運 動 の 展 開 の過 程 に お い て,イ ン ドネ シ ア伝 統 文化 と融 合 さ れ て い った 。 新 し い文 化 の波 及 が イ ン ドネ シ ア社 会 に お け る 変化 の 要 素 で あ るの に対 し,慣 習法 は そ の接 続 の要 素 で あ る。 慣 習法 は,古 来 イ ン ド ネ シ ア人 が地 域 的 な共 同 体 を営 む うえ で,各 人 が それ に律 せ られ るべ き生 活 規 範 で あ っ た。 そ れ は根 本 的 には か れ らの宇 宙 ・自然 観 に 発 す る もの で あ っ て,そ れ よ り うみ 出 され た 宗 教 ・社 会 的 観 念 に もとつ い て,各 人 の 属 す る 共 同 体 が構 成 され,各 人 の 自然 や 他 人 へ の 対 応 ま た は属 す る共 同 体 へ の そ れ を規 定 す る も の で あ っ た 。 これ は多 様 な 外 来 文 化 の摂 取 の 過 程 に お い て も,根 本 的 な 点 にお い て は,さ した る変 化 を う け る こ とは な か っ た 。 IIIイ ン ドネ シ ア の 現 在 の 一 般 的 服 装 世 界 各 国 と同様 に イ ン ドネ シア に お い て も 近 代 文 明 の 影 響 を受 け て,都 市 部 や 子 供 社 会 で は 洋 装 化 の 傾 向 は 見 られ る が,反 面 従 来 の 服 装 が 生 活 の 中 に根 強 く生 きて い る。 冠 婚 葬 祭 な どの 特 別 な時 や,公 式 の場 で の 着 用 に 限 らず,毎 日の 暮 ら しや 労 働 の際 に 着 用 され る 一 般 的 服 装 につ い て述 べ る と ,次 の 様 な もの が あ る 。 1.男 性 の服 装(写 真5,6参 照) (1)上 衣 ク メ ジ ャ(Kemeja)と ジ ャス(Jas)が あ る。KemejaはYシ ャ ツ,開 衿 シ ャ ツ の こ と 写 真5Yogyakartaの 王 宮 の 従 僕
写 真6紡 績 工 場 で 糸 を 染 め る 男 性 を い い,ほ と ん ど の 素 材 は 木 綿 で あ る 。Jas は ジ ャ ケ ッ ト類 や 背 広 の 上 着 な ど 総 称 し て い う 。 最 近 は 木 綿 の 代 わ り に 化 学 繊 維 が 用 い ら れ る 。 (2)下 衣 チ ュ ラ ナ(Celana),チ ュ ラ ナ ・ダ ラ ム(C elana-dalam),サ ル ン(Sarung)な ど が あ る 。Celanaは 長 ズ ボ ン の こ と で あ る。 Celana-dalamは 半 ズ ボ ン や パ ン ツ 類 の 呼 称 で あ る 。Sarungは 約 巾105∼110cm,長 さ180 ∼225cmの 布 の 両 端 を 縫 い 合 わ せ た 筒 状 の も の で あ り,下 半 身 を 足 首 ま で 覆 う腰 衣 の こ と で あ る 。Sarungに は ジ ャ ワ 更 紗(バ テ ィ ッ クBatik)の も の と,格 子 縞 な ど の織 物 の も の と が あ る が,男 性 は 普 通,カ イ ン プ レ カ ッ ト (KainPlekat)と 呼 ば れ る 格 子 縞Sarung を 着 用 す る 。 男 性 のSarungの 着 方 は,輪 の 中 に 身 体 を 入 れ て,両 端 を そ れ ぞ れ の 手 に 握 っ て 好 み の 長 さ に し,右 端 を 腰 の 左 側 面 に き っ ち り合 わ せ,そ の 上 に左 側 の 布 を 腹 部 の 中 央 ま で 重 ね て,丈 の あ ま っ た 分 を ウ エ ス トの と こ ろ で 外 側 に た く し こ ん で し っ か り とめ る 。 そ の 上 か ら洋 風 の ベ ル ト を 締 め る 。 (3)服 飾 品 カ イ ン ・ク パ ラ(KainKepala)は,90cm 四 方 の 風 呂 敷 大 の 布 にBatik染 を 施 し た も の で,タ ー バ ン の よ う に 頭 に 巻 い た り,結 ん だ りす る 。イ ク ッ ト ・ス パ ロ ン(IketSeparon) は,斜 め に 半 分 に 裁 た れ た 三 角 の 布 で,同 じ く頭 を包 む 。 ブ ラ ン コ ン(Bulankong)は, KainKepalaを 帽 子 の よ う に 形 づ く っ た も の で あ る 。 こ れ に はYogyakartaス タ イ ル と Surakartaス タ イ ル が あ り,そ れ ぞ れ の 地 域 の 上 流 の 人 々 の 間 で 利 用 さ れ て い る 。 一 般 的 に は ソ ン コ(Songkok)ま た は ペ チ(Peti) と い う,黒 い ビ ロ ー ド製 の 縁 な し の トル コ 帽 の よ うな 帽 子 が あ る。ほ か に,コ ピ ア(Kopiah) と い う,イ ス ラ ム 教 徒 だ け が か ぶ る 自 い 丸 帽 が あ る 。 は き も の は ゴ ム ぞ う りか 比 較 的 多 い が,は だ し の 場 合 も あ る 。 2.女 性 の 服 装(写 真7,8参 照) (1)上 衣 ク バ ヤ(Kebaya)と バ ジ ュ(Baju)が あ る 。Kebayaは 長 袖 の 細 い 筒 袖 の 半 襦 袢 の よ う な も の で,オ ー バ ー ブ ラ ウ ス 風 に 腰 衣 の 上 に 着 用 す る 。Bajuは ジ ャ ケ ッ ト類 の こ と を い う 。Bajuに は 二 種 類 あ り,バ ジ ュ ・ク ル ン (BajuKurung)は 丈 の 長 い 前 の 開 い て い な い Bajuの こ と で あ る 。 バ ジ ュ ・パ ジ ャ ン(Baju Panjang)は 前 の 開 い て い るBajuの こ と で あ る 。 こ れ ら 上 衣 は デ ザ イ ン も豊 富 で あ り,素 材 もバ ラ エ テ ィ に 富 ん で い る 。 53
写 真8農 作 業 す る 女 性 (2)下 衣 カ イ ン ・パ ン ジ ャ ン(KainPanjang)と サ ル ン(Sarung)が あ る 。KainPanjangは 約 巾80∼ 110cm,長 さ225∼320cmの 一 枚 の 布 で 全 面 に Batik染 が 施 さ れ て い る 。Sarungと 同 様 に 下 半 身 を 覆 う も の で あ る が,筒 の 様 に 縫 い 合 わ さ れ ず 長 方 形 の 布 で あ る 。 今 日 に お い て も女 性 の 問 で は 広 く着 用 され て い る が,男 性 の 場 合 は 特 別 の 儀 式 の 時 の み 着 用 さ れ て い る 。Sarungは 男 性Sarungと 同 じ く腰 か ら 下 に は く筒 状 の 布 で あ る が,女 性 の 場 合 は 一 般 にBatik染 の も の が 着 用 さ れ る 。 但 し,中 部 ジ ャ ワ の 一 部 で は 格 子 縞Sarnngが 用 い ら れ て い る 。 女 性 のSarungの 着 方 は,腰 に ぴ っ た り巻 い て,あ ま っ た 部 分 は 一 つ の 襞 に し て,普 通 右 側 の 腰 の と こ ろ へ も っ て い く 。 そ の 上 を 次 に 説 明 す るStagenや ベ ル トで 締 め る 。 (3)服 飾 品 ス タ ゲ ン(Stagen)は 木 綿 の 芯 地 の よ うな 巾 20cm位 の 長 い 帯 で,こ れ を 幾 重 に も 固 く 巻 き 腰 衣 を お さ え る 。 ク ンバ ン(Kemban)は Stagenの 上 に 胸 当 て と し て 巻 く 。 こ れ に は絞 り染 め や 絹 も の もあ る が,Batikの 手 描 き の も の が 最 上 等 と さ れ て い る 。 ス レ ダ ン(Seledang)は 巾45cm,長 さ225cmほ ど の 長 方 形 の 布 で,肩 掛 に 用 い ら れ る 。 盛 装 用 に は 少 し短 め の 布 を使 用 す る 。 装 飾 的,儀 礼 的 な も の と し て,ま た は 日 常 生 活 で は 赤 ん 坊 を 抱 き か か え た り,品 物 を い れ て 運 ぶ な ど実 用 的 目 的 に も使 わ れ る 。 耳 輪(ス バ ンSubang),腕 輪(グ ラ ンGelang) 指 輪(チ ン チ ンCincin)を つ け る こ と も 一 般 的 で あ る 。 こ れ ら ア ク セ サ リ ー は 金 製 品 が 好 ま れ る が,個 人 的 財 産 の 象 徴 の た め や,魔 よ け の 目 的 の た め に 重 要 な 意 義 を も つ も の で あ る。 髪 は う し ろ で 束 ね て 髷 に し,小 さ い く しや 花 を さ す こ と も あ る 。 54
は き もの は最 近 サ ン ダル を は くこ とが 普 及 し て きたが,一 般 には は だ しが 習慣 で あ っ た 。 】Vイ ン ドネ シ アの 民族 服 飾 の 経 緯 1.形 態 ・着 装 の 変 化 最 も原 始 的 な もの と して は,男 性 は褌,女 性 は腰 み の をつ け る と い う形 式 で あ ろ う。 こ れ は熱 帯 的 な風 土 的 条件 か ら生 まれ た もの で あ る 。 そ して こ の形 式 の 進 化 した もの が,い わ ゆ るSarungと な り,特 に熱 帯 低 地 地 域 に 最 も適 当 した衣 服 の 原 型 とな るの で あ る。 機 械 の技 術 が伝 わ る以 前 の 原始 的 腰 着 と し て は み の,木 の葉 の 束 な どか ら作 られ た もの で あ り,ニ ュー ギ ニ ア の未 開 部 族 や ス マ トラ 西 海 岸 の 島民 に そ の例 が み られ る 。 ス マ トラ 西 岸 の メ ンタ ワ イ 諸 島 で は,芭 蕉 の葉 を結 び 合 わ せ た もの,ま た エ ン ガ ノ 島 で は シ ュ ロの 繊 維 をガ ラ ス玉 で貫 ぬ い た紐 で 結 び合 わ せ た ものが 使 われ る。 これ が 進 歩 した もの が 繊 維 で編 ん だ腰 着 で あ る 。 ボル ネ オ の ブ ナ ン族 は藤(Bottan)の 茎 か ら Sarung的 な もの を編 ん で い る。 この ほ か主 に ク ワ科 の植 物 を た た い て軟 か く し,こ れ か ら上 衣 や腰 布 を作 る技 術 もあ るが,こ れ は今 もイ ン ドネ シア の 未 開部 族 の 間 に名 残 り を と どめ てお り,セ レベ ス の トラ ジヤ 族 な どに 著 しい 。 ジ ャ ワ で は下 穿 の こ と をカ イ ン(Kain)と い っ てSarungの 下 につ け る が,Sarungは Kainが 発 達 して外 衣 とな った もの で,さ ら に 格 式 あ るKainPandjangに 発 展 してい る。 ド ド ト(Dodot.)と い う「KainPandjangよ り,さ らに 大 き く巾 約210㎝,長 さ約400cm で2-4枚 の布 を縫 い合 わせ た腰 衣 が あ る 。 これ は王 候 ・王妃 の 衣 服,王 宮 内 にお け る貴 族 階 級 の 正 装 で あ り,花 嫁,花 婿,王 宮 専 属 の 舞 姫 た ちの 盛 装 の た め の 衣 裳 で あ っ た が, 今 日殆 ん ど使 用 さ れ て い な い 。 反 対 にKainPanjangは,女 性 の服 装 の 中心 とな る もの で,最 も普 遍 的 な 礼 にか な った 日 常着 の地 位 を保 持 して お り,公 式 の 服 装 に は 欠 か す こ とは 出 来 な い もの で あ る。 男 女 共 通 して これ らSarungやKainPandja-ngを 着 用 す る こ とは,階 級 の 如 何 を問 わ ず 民 族 的慣 習 と な っ て い るが,そ の 模 様 や 着 用 方 法 は,地 域 や 社 会 階 層,男 女 差 に よっ て異 っ て い る。 今 日で は写 真6に み られ る よ うに男 性 は労 働 の 際,半 ズ ボ ン と シ ャ ツ とい っ た服 装 が 多 くな っ たが,Sarung(あ るい はKainPanjang ang)を 持 た な い もの は な い 。 自分 の 家 にい る時,普 段 着 と して はSarungを つ け て い る の で あ る 。 こ れ は 大 変 便 利 な もの で 涼 しい上 に,寝 る時 な ど頭 か らす っぽ りか ぶ っ て蚊 帳 の 代 用 に した りす る こ と もで き る。 ま た 日に 何 回 とな く水 浴(マ ンデ ーmandi)す る習 慣 が あ るが,こ の習 慣 の 関係 か ら もSarung,Kain Panjangは イ ン ドネ シア 人 に とっ て大 変 適 し た服 装 とい え る 。 女 性 の特 殊 服 飾 と してSeIendangが あ る 。 一 方 の 肩 か ら他 方 の 腋 の 下 を く ぐ らせ て斜 め に掛 け て 用 い る。 も と も と胸 に巻 くKemban か ら発 達 した もの で,次 第 に肩 に掛 け る装飾 用 と して の性 質 を帯 び る よ う に な っ た とい わ れ る 。 これ は イ ン ドか らの影 響 が うか が え る。 現 在 で は 大 変 実 用 的 な 目的 と して,外 出 用 の 肩 掛,ス カ ー フ,寒 い と きの 保 温 用,炎 天 下 の 防 暑 に供 され て い る。 ま た買 物 時 の 手 さげ 代 りに した り,赤 ん坊 を抱 く時 に も使 用 され, 女性 に とっ て な か な か 重 宝 な もの で あ る。 公 55
写 真9100年 前 の 女 性 の 服 装 (C.H.シ ュ トラ ンツ著,女 体 美 と衣 服 よ り) 写 真10現 在 の女性 の服 装 式 の 服 装 に は 欠 か す こ と は で き な い 。 原 始 民 族 の 褌,腰 み の 着 用 以 来,上 半 身 に は 上 衣 を つ け な い の が 伝 統 で あ り,Yogya-karta,Sarakartaの 宮 廷 で も,貴 人 の 前 に 出 る 時 は 上 半 身 裸 体,は だ し と い う の が 礼 儀 と さ れ て い た 。16世 紀 以 後 ヨ ー ロ ッパ 人 と の 接 触 が 多 く な っ て か ら は,上 半 身 を 露 出 し た ま ま の 姿 は 少 な くな り,今 で は シ ャ ツ や 上 衣 を着 用 す る よ う に な っ た 。 こ れ ら上 衣 の 形 態 に は,ヨ ー ロ ッ パ 的 ま た は 中 国 的 影 響 が み ら れ る 。 女 性 の 上 衣 の 場 合,特 に デ ザ イ ン も工 夫 さ れ,生 地 は 木 綿,絹 の ボ イ ル 、 シ フ オ ン, 化 学 繊 維 な ど い ろ い ろ あ り,盛 装 用 と し て 絹 に し し ゅ う を 施 し た も の,レ ー ス な ど もあ る 。 2.Batikに つ い て Batikの 起 源 に つ い て は,種 々 の 見 解 が あ る 。 原 始 的 ろ う 染 方 法 は,西 歴 紀 元 前 後 イ ン ド文 化 が こ こ に伝 わ る 以 前 か ら 存 在 し た と い う 説 も あ る が,11・12世 紀 頃 イ ン ドか ら伝 え ら れ,そ の 後 独 自 の 発 展 を み た と の 説 が 有 力 で あ る 。 こ の こ ろ ジ ャ ワ は ク デ ィ ク 王 国,マ ジ ャ パ イ 国 の 統 治 時 代 で あ っ た た め,Batikは 王 候 貴 族 の 子 女 の み に 許 さ れ た 高 級 手 芸 と し て 発 達 し た 。 彼 女 た ち は 高 価 な 材 料 と 多 く の 月 日 を 費 や し,Batik染 に 精 魂 を を 傾 け た 。 そ し て 王 宮 内 で 次 第 に 精 巧 さ と 意 匠 に 洗 練 の 度 を加 え,巧 緻 を 極 め た も の に 発 展 し て い っ た 。 16世 紀 末 頃 に な る と,Batikは 一 般 庶 民 の 間 に も浸 透 し て い っ た 。 イ ン ドか ら は 大 量 の 綿 製 衣 料 ・白 布 が 輸 入 さ れ,密 ろ う も チ モ ー ル 島 の ほ か,ス マ トラ のPa】embang,ジ ャ ワ のJa-katora(現 在 のJakarta)な ど か ら 多 量 に 供 給 さ れ,比 較 的 低 価 格 で 原 料 の 入 手 が 可 能 と な り,Batikの 一 般 化 と な っ た と考 え ら れ る 。 そ し て17世 紀 初 め,ソ ガ(Soga)染 料 が 発 見 さ れ,今 ま で の 藍 と 臼 の 配 色 の も の か らSo-gaの 茶 色 を加 え た 典 型 的Batikの 確 立 と な っ た 。 英 国 の ジ ャ ワ 支 配 下 の 頃(1811∼1816年), 今 日 のBatik用 原 布 の キ ャ ン ブ リ ン ク が 輸 入 さ れ る こ と と な っ た 。 キ ャ ン ブ リ ン ク 使 用 に よ っ て,Batikの 特 色 を よ り効 果 的 な も の と した 。 ま た,Cantingに よ る ろ う 手 描 作 業 で あ っ たBatikは,1860年 頃Capの 発 明 に よ り, Batik染 を 能 率 的 に さ せ た 。Capで ろ う を捺 押 す る 方 法 に よ る と,生 産 日 数 が 短 縮 さ れ, 以 前 よ り多 量 に 生 産 可 能 と な っ た 。 56
Batikの 専 門製 造業 社 が 生 ま れ,手 工 業 的工 場 生 産 が され るよ うにな り,工場 生 産化 に よ っ て生 産 は順 調 にの び,国 内使 用 量,輸 出 量 は 増 加 した 。 しか し旧来 の 技 芸 や伝 統 は 、重 視 され た 。 今世 紀 に入 り天 然 染 料 か ら化 学 染 料 に とっ て 代 わ られ,そ の 結 果 第一 次 大 戦 後 は今 ま で に な い最 高 の 生 産 高 とな っ たが,第 二 次 大 戦 頃 に は原 料 不 足 な どか ら生 産 は半 減 した 。 そ の 後 もBatik工 業 は しば ら く低 迷 状 態 が 続 い た 。 イ ン ドネ シア政 府 はBatik工 業 の 育 成 保 護 の 施 策 を打 ち 出 し,業 界 も これ に呼応 してBatik 産 業 の 再 建 に あ た っ た。 現 在Batikは イ ン ドネ シア の 民 族 服 飾 に利 用 され るば か りで な く,男 性 の ア ロハ シ ャ ツ, ネ ク タイ,女 性 の ブ ラ ウ ス,ス カ ー ト,ワ ン ピー ス な ど を は じめ と して テ ー ブ ル 掛 け,壁 掛 け,ベ ッ ドカ バ ー な どの イ ンテ リア製 品 に まで 巾広 く利 用 され て い る。 Batikは 時 代 の 流 れ と共 に進 展 し,永 い 間 イ ン ドネ シア 人 に愛 し続 け られ て きた 。 今 日 な お も生 活 の 中 に生 き続 け る民 族 服 飾 の 中 に, 同 じ く生 活 に密 着 したBatikを 見 る こ とが 出 来 る。 イ ン ドネ シ ア で民 族 服 飾 が 民 衆 に着 用 され る理 由の 一 つ に,Batikの 伝 統 的,す ぐ れ た 染 色工 芸 の存 在 を強 く感 じる 。Batikの す ぐれ た 技 術 は,イ ン ドネ シ ア の美 し い衣 裳 と して 活 用 され て い るわ け で あ る 。 Vイ ン ドネ シ ア に残 る民族 服 飾 の 意 味 す る こ と イ ン ドネ シ ア の 首 都 ジ ャ カ ル タ で は,高 層 ビル が 建 ち並 び,道 路 は広 く舗 装 され て い る。 政 治 的,行 政 的 中 心 で あ り,現 代 の イ ン ドネ シ アの 全 体 的状 況 が こ の 町 に集 約 され てい る。 人 々 も地 方 か らこの 町 に 多 勢 集 ま り,あ ふ れ 返 っ て い る。日々 刻 々 と成 長 して い る町 で あ る。 しか しこ の 町 で 生 活 して い る人 々 の暮 ら し向 き は,町 の 目 を見 は る変貌 と は,に て もにつ か ぬ もの で あ る。 イ ン ドネ シア 人 の 最 大 の特 徴 の一 つ は,習 慣 を重 じ る点 で あ る 。 す べ て の 生 活 習 慣 は, よ ほ どの 事 が な い 限 り変 わ る こ とな く,あ る 所 で は儀 礼 的 と まで な っ て い る 。 この よ うな イ ン ドネ シ ア人 の民 族 性 を 背景 に して,衣 生 活 面 で も旧態 依 然 の状 況 が 不 自然 に も考 え ら れ ず 温 存 され て い るの で あ る 。 全 体 的 生 活 内 容 が 変 わ らな い の な らば,衣 生 活 に お い て も特 に変 わ る こ と もな く,外 で の 生 活 は と もか く家 庭 内 で は,い わ ゆ る民 族 服 飾 が 着 用 され る こ とが 多 い わ け で あ る 。 か れ らに とっ て は 意識 す る こ とな く,た だ 今 まで 通 りの服 装 を して い る方 が か え っ て生 活 の リ ズ ム が 乱 れ な いの で あ る。 旧 態 を温 存 しよ う とい う心 理 は,す べ て保 守 的 な考 え方 か ら 出発 す る。 まず 私 達 の 実生 活 の 中 で は,慣 れ の安 全性 と い うこ とが 認 め られ る 。 古 くか ら伝 承 して き た物 事 は,確 実 で 効 果 が あ っ て 間違 い な い と い う,信 頼 感 を 覚 え る もの で あ る 。 と ころ が 従 来 と異 った新 しい物 事 に対 して は,未 経 験 の 不 安 が 伴 な い, 驚 戒 心 も湧 い て,一 応 そ の 採 用 をた め ら う心 理 が 生 れ る。 そ こ で新 しい 変 化 は 回避 し よ う とす る意識 が は た らい て,こ れ まで の物 事 を その ま ま保 ちつ づ け て い こ う とい う こ と に な る。 服 飾 にお い て もこれ まで 長 く着 な れ た もの, 見 な れ た もの へ の信 頼 感,安 心 感,ひ い ては 愛 着 を覚 え て,そ の伝 統 を保 持 し よ う とす る 傾 向 が 強 くは た ら くの で あ る 。 また,旧 来 の 57
伝 統 は わ れ わ れ の先 人,祖 先 の 実 践 して き た 物 事 で あ り,伝 承 され た そ の遺 風 は,そ の 民 族 集 団 を象 徴 す る特 性 を もっ て い る もの と し て,尊 敬 しよ う とす る態 度 を と る よ うに な る。 先 人 や 祖 先 の 崇 拝,そ の 業 績 の 礼 讃,そ の 実 践 効 果 の再 現 とい う よ う な気 持 が お の ず か ら 湧 い て くる こ とに な る。 これ らの 心 理 的 な 誘 因 に基 づ い て,伝 統 を受 けつ ぎ旧 態 を温 存 す る こ と に な るの で あ る。 VIま と め 服 飾 は 自然 環 境 と くに気 候 風 土 に対 応 して, 人 体 の 要 求 す る服 飾 が 自然 の な りゆ きで作 り 出 され る 。 また社 会 環 境 に順 応 す る た め に, 服 飾 が お の ず か ら出 来 上 っ て くる とい う生 れ 方 をす る 。 発 生 した ば か りの 服飾 は,人 為 的 な作 意 が 加 わ らず,簡 単 で しか も必 要 な 素 質 や 機 能 だ け は備 え られ て い る とい う,先 天 的 な性 格 を も っ て い る の が特 色 で あ る 。 自然 発 生 に よっ て芽 ば え た服 飾 は,し だ い に 発 育 成 長 して い く。 政 治,経 済,宗 教,思 潮, 科 学,戦 争,平 和 な どが 直接 に間 接 に服 飾 の 展 開 変 容 に 関係 し,大 きい影 響 を及 ぼ す の で あ る。 今 回 私 が垣 間 見 た現 在 の イ ン ドネ シア の 服 飾 は,イ ン ドネ シ ア民 族 服 飾 の 生 態 的 変遷 の 一 段 階 を観 察 し た にす ぎず,過 去 に お け る資 料 な らび に 文献 な どは,極 わ ず か 調 らべ る こ とが 出 来 た だ け で あ る 。 た だ この 国 の民 族 服 飾 の 形 態 変化 は,は な は だ 少 な く,そ の 少 な い 変 化 は大 変 遅 い歩 み で あ る。 民 族 服 飾 の変 遷 にお い て最 大 の もの は,上 衣 を着 用 す る こ と に な っ た点 で あ るが,こ れ は 16世 紀 頃 か らの ヨー ロ ッパ 人 との接 触 か らで あ っ て,統 一 して上 衣 着 用 が 徹 底 さ れ た の は, ス カ ル ノ時 代 に 入 って か ら と いわ れ て い る。 民 族 服飾 が 停 滞,定 着 す る理 由 は い ろ い ろ挙 げ られ るが,こ の 国 の 場 合 は 今 残 っ て い る民 族 服飾 が,こ の 自然 環 境 に適 し,生 活 特 に個 人 生 活 に ふ さわ し く,イ ン ドネ シ ア 人 の 民 族 性 に支 え られ て い る 。 以 上,種 々 の 背 景 を通 して 今 日の イ ン ドネ シ ア 民 族 服 飾 につ い て考 察 を試 み た が,今 後 さ ら に生 活 との 関 わ りか ら考 察 した い と思 う。 終 りに,本 研 究 に対 し終 始 ご 懇切 な ご指 導 を賜 わ りま した,文 化 女 子 大 学 家 政 学 部 きく とじ 遠 藤 武教 授 な らび に本 学 教 育学 部 纐 纈 千代 教 授 に深 謝 申 し上 げ ます 。 ま た,資 料 ご 紹 介, ご示 唆 を い た だ き ま した,財 団 法 人 東 洋 文庫 ユ ネ ス コ東 ア ジ ア 文化 研 究 セ ンタ ー 調 査 資 料 室 生 田 滋 室 長 に厚 く御 礼 申 し上 げ ます 。