中ソ経済関係の現状分析
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(2) つづき,あるいは外相の相互訪問を契機に,中ソ対話のレベルはこの面でも 一歩格上げされていくだろう。それぞれの思惑を秘めた穏歩前進の足どりだ が.対米,対ベトナムをはじめ国際情勢にはね返る要素はきわめて大きい。 ふりかえって, 1 9 8 5年 3月,故チェルネンコ書記長の弔問にからめて実現 したゴルバチョフ・ソ連共産党新書記長と李鵬• 中国副首相の 会談は . 「 中. ソの春」を思わせるなごやかなものであった。李副首相は,ゴ書記長 に胡耀 邦• 中国共産党総書記からの書記長就任を祝うメッセージを伝えた。中国側. はこれまで党から党へ.党指導者から党指導者へのメッセージを送ったこと がなかっただけに,これは事実上,中国共産党のソ連共産党への重要なサイ ンと受け取られた。一方,ゴ書記長はメッセージにたいして,胡耀邦総書記 はじめ中国の指導者へのあいさつを李副首相に託したという. 。ソ連の最高. (1). 指導者が党関係の断絶している中国の要人と会談したのはじつに 2 1年ぶりで あり,これはゴ新政権が対中関係の抜本的な改善を積極的に進める意欲を示 したものであった。. 1 9 8 0年に入ってから急速に進行してきた中ソ 関係改善への動きは ,なによ りもまず国家関係の正常化であり,党関係のそれではなかった。政府関係レ ベルでは 8 5年の弔問外交に先立つグロムイコ・呉学謙両外相会談が 8 4年 9月. 2年のプ の国連総会を機に実現していた。両国間の高級政治会談としては, 8 レジネフ 書記長の葬儀に際し てのグロムイコ・黄華両外相, 8 4年 2月のアン ドロポフ書記長の葬儀でのアリエフ・万里両副首相のそれぞれ儀礼的な会見 は別として.正式の中ソ外相会談は, 1 9 5 9年のグ ロムイコ・ 陳毅会談以来じ つに 2 6年ぶりであり, 1 9 6 9年のコスイギン・周恩来両首相の会談から数えて も1 6年ぶりのことであった。グロムイコ・呉学謙会談では.. 「政治対話の継. 続で一致した」「関係改善の希望を表明し合った」として.冷却した中ソ関. 4年 1 2月には.ソ連のアル 係を改善する糸口になるものと注目された。また 8 ヒポフ 第一副首相が北京で趙紫陽首相と会談した。 その際趙首相は「中ソ間. ( 1 ) 『日刊中国通信」 1 9 8 5年 3月1 8日 。. -2 (534)-.
(3) には国際問題で意見の不一致があるが,. それにこだわるべきでない」と述. ぺ.実務関係を深めたい考えを示している。 8 5年 9月には上述したように. ニューヨークで 呉学謙外相がシェ ワルナゼ外相と会談し,関係改善への動き を一段と活発にした。 こうした 関係改善にともなって,中国の対ソ連胴外交・経済交流も 1 9 8 4年 から活発化した。 8 4年 7月にボーランド,モンゴルと約2 0年ぶりに友好的対 話を復活し,相前後してチェコスロバキア,ハンガリーと経済関係強化で合 意 さ ら に 同 年 8月.親ソ国キューバとの関係改善にも動き出した。 85 年5 月に李鵬副首相が東欧 3カ国を訪問し,ソ連・東欧諸国として初めてボーラ. 1986-90年)を結んだほか.ハンガリーとの間にも長 ンドと長期貿易協定 ( 期貿易協定 ( 1986-90年)を調印した。こうして, 8 6年からは東欧 8カ国と 中国 との間で長期貿易協定 ( 1986-90年)がスタートしたのである。貿易. 経済協力の拡大をテーマとした要人や代表団の往来も活発になった。中ソの 雪 どけムードを背景に中国・東欧諸国間の関係改善は積極的 で, 2 0年以上に わたり中断してきた党関係の回復を模索する動きがあらわれた。中国は 6 0年. 2 代の中ソ対立にともない悪化したソ連圏諸国との関係を修復することで, 8 年以来の"全方位外交”を仕上げようとしているとみてよい。ただ東欧側に はソ連への配慮から,一方的に対中改善を進め にくい事情もある。ソ 連の 出 方をにらみつつ.党•国家関係改善の機会をうかがっていくことになろう。. ところで進行している中ソ関係改善への動きの発端となったのは, 1 9 8 2年. 3月2 4日の故ブレジ ネフ書記長のいわゆるタシケント提案であった (2)。この. 9 7 6年 1 1月 , 提案は 1. 「北京政変」(「 4人組」 失脚)後の呼びかけに次ぐ約 6. 年ぶりのものであったが,プレジネフ書記長とそれを実際に起草したといわ れるカヒ゜ッツァ ・ソ連外務省極東第一部長(当時)らは,中国情勢を分析し つつ(たとえば台湾問題をめぐる米中関係の冷却),. 中国側が対応できうる. ( 2 ) 「ウズベク共和国に たいするレーニン勲章授与式での L .I . プレジネフの演説」. 「今日のソ連邦J1 9 8 2年 5月 1日 。. - 3 (535)-.
(4) であろう呼びかけとなったと考えられる。 1 9 7 6年の呼びかけでは,「中 国が マルクス・レーニン主義の立場に戻らない限り話し合いはできない」と主張 していたのがつぎのように変化している。「われわれは両国間の敬対 と離反 の状態が正常な状態であると考えたことは決してなかった。われわれはいか なる前提条件もつけずに,利益の相互尊重,相互内政不干渉,互恵にも とづ き,そしてむろん第 3国に損失を与えるこ となく,ソ中関係の改善のため , 双方の受け入れることのできる措置について合意する用意がある。このこと は,双方が 具体的措置について準備ができしだい,経済・科学・文化・ 政治 関係に当てはまるものである」。中国当局は 1 9 8 2年 3月26日,「同発言に留意 し,ソ連の実際の行動を重視する」と発表 した。その背景には8 1年 6月に鮮 明となった台湾をめぐる米中間の意見の違いがあり,中国としては対ソ関係 を見直そうとの考慮があったことは確かである。 冷えきっていた中ソ関係を改善するための実務レベルの動きは,ここにき てしだいに活発化し, 1 9 8 2年1 0月の第 1次中ソ外務次官級協議(北京)の具. 3年 3月に第 2次協 議 (モスクワ),同年10月に第 3次協 体化へと発展した。 8 議(北京), 8 4年 7月第 4次協議(モスクワ),同年1 0月第 5次協議(北京), 85年 4月の第 6次協議(モスクワ)が開催され,同年1 0月第 7次協議(北京) にいたるまで折衝がつづけられてきた。しかし交渉にのぞむ双方の原則的立 場には大きな隔たりがある。. n . 中ソ関係改善の諸条件 中国が考えている関係改善も ソ連同様,これまで国家関係の正常化であっ た。だがその正常化は条件つきである。中国側の立場は,関係正常化には 中 国にたいするソ連の"脅威”の存在を実際に除去する必要があるとして,. ( 1 ). 中ソ,中蒙国境からソ連軍を撤退させること, ( 2 )アフガニスタンからソ 連軍 3 )カンボジア問願でのベトナム支援をとりやめること,の を撤収すること, (. - 4 (536)-.
(5) 3点を条件としている (3)。いわゆる「 3大障害」の除去である。加えてソ連 の INF" S S 2 0 " のアジアからの撤去も呼びかけている。 かつて中国は国境領土問題解決を中ソ関係正常化のための最優先課題で あると執拗に要求していた。中ソ国境問題は要約すれば,. 「不平等条約」に. 関する論争(愛渾条約 1 8 5 8年 , 北京条約 1 8 6 0 年 , 伊梨条約 1 8 8 1年 ) 約の不備等による実務的な問題である。前者は中国が,. と,条. 中ソ国境に関する. 条約は「不平等条約」であることをソ連はまず認めること.. これを認めたう. 1 5 0万平方キロ)の返還を中国は求めないとしている えで併合した領土 ( もの,. 後者は国境河川の島や陸地国境の解釈の相違からくる問題である。. この実務問題に関しては双方とも交渉で解決しようとの態度をとってき た 。 しかし中国が優先順位を下げたことにより.中ソ両国は頷土問題をめぐる "不毛”な応酬を避けることができている。これは中ソ関係に一定の改善を もたらした要因となったはずである。これに代って「 3大障害」除去の要求 が優先されたが,. これが定式化されたのは.. 中共 1 2全大会での胡耀邦報告. ( 1 9 8 2年 9月 1日 ) においてであり, 8 3年 3月の第二次協議で中国側が提起 してきたものである。中国側の主張する 3つの条件は,正常化は第 3国に損 失を与えないというプレジネフのタシケント提案に対応するものであり,ま たソ連との関係正常化は,西側諸国との現存の関係を損うものではないこと が強調される。これにたいして,. ソ連の立場は. 故アンドロポフ書記長が. 「ソ中関係が第 3国に損失を与えないように築かれなければならない」 ( 1 9 8 3 年 8月2 7日プラウダ紙の質問にたいする回答)と述べているように,. 「両国. 問題限定論」を固持するのである。 彰真・全国人民代表大会常務委委員長は 1 9 8 5年 4月訪日した際,日本記者 クラプでの会見で中ソ関係について言及し,. 「3大障害をいっぺんに取り除. くことは現実的ではないが,一歩踏み出すことはできるであろう。たとえば,. ( 3 ) 中共1 2全大会での胡耀邦報告(『人民日報J1 9 8 2年 9月 8日 ) 。 - 5 (537)-.
(6) ベトナムのカンボジア侵略を支持しないことはやはりできるのではないだろ うか。このようにしてもソ連にとって何の障害もないのであり.それによっ て中ソ両国関係の緊張が緩和するであろう」 (4) と述べている。彰真委員長の. 8 5 ベトナム支持停止要求は,部小平・中央顧問委員会主任も言及しており ( 年 4月1 7日のベルギー人記者との会見),「カンボジア,アフガニスタン,中 ソ国境での兵力削減のうち. 1つでも合意ができれば改善は一気に進む」と 自らがつけた条件を可月引き”する構えさえみせた。中国側指導者がこうし た「一括解決」に必ずしもこだわっていないことをうかがわせる柔軟発言を 繰り返す背景には.中ソ改善に踏み切るための保証をソ連から引き出そうと のねらいのほかに.反ベトナム.民主カンボジア 3派連合支持政策を進めて きた中国のインドシナ政策への打開策を図りたいとの思惑がはたらいている. 9 8 5年1 0月の第 7次外務次官級協議では. ものとみてよい。こうしたなかで 1 「3大障害」では進展がなかったものの.. 中ソ・中蒙国境の軍隊削減にかん. しては.満州里(黒龍江省)周辺など具体的な地点をあげて話し合い.両国 とも関係改善に意欲的な姿勢を示した (5)。 しかし現実に,双方の主張は平行線をたどっており.この面での交渉の進 展はない。第 7回中ソ外務次官級協議における中国外交部の馬玉珍・スボー クスマンの発言では.. 「3大障害を解決しなければ中ソ関係の正常化は不可. 能である」 (6) とむしろ強硬である。 6 0年代末には,中ソ国境で数度の武力衝 突 ( 6 9年 3月の珍宝島一ーダマンスキー島, 6 9年 5-8月の新彊ウイグル自. 治区やアムール川.ウスリー江など)を繰り返したことにあらわれているよ うな深刻な対立を長年にわたってつづけてきた両国だけに,正常な国家関係 を完全に確立するまでには長時間を要するであろう。 それでは現在進行している中ソ関係の改善がどのような性格のものであ ( 4 ) 『北京周報』 1 9 8 5年 5月 7, 日 7頁 。 ( 5 ) 『日本経済新聞』 1 9 8 5年1 0 月2 1日 。 ( 6 ) 『北京周報』 1 9 8 5年11月 5日 , 9頁 。. -6 (538)-.
(7) り,何を目的としているのか。 7 8年 1 2月の第 1 1期中共 3中全会(中国共産党. 1期中央委員会第 3回総会)以降,対外開放政策と国内経済自由化に転換 第1 した中国にとっては,まず平和な国際環境が維持され ることを何よりも求め ている。とりわけソ連との摩擦を避け,できれば 関係正常化を確立するのが 得策である。たしかに対西側戦略上,ソ連との対話をつづけることに大きな 意味があろうが,といって対ソ接近のイメージを強め過ぎれば,西側諸国の 警戒心を高め逆効果になるだろう。そこでソ連が簡単に応じられない「 3大 障害」除去を持ち出したという分析も考えられよう。一方ソ連も中国の意図 を十分読みとり,. 「3大 障害」は実質的に棚上げした形で実務的な面で関係. 改善を推進していこうとみられる。貿易などの実務関係を深めることは,中 国と西側諸国との関係がどう動こうとも,ソ連の外交,安全保障上の観点か ら必要との判断があるからである。 いずれにしてもこの原則問題で大きな前進がなくても,両国には 経済技術. 4年 1 2月のアルヒポフ第一副 協力,文化交流の拡大で合意が成立している。 8 首相が訪中した際,経済指導の最高責任者である陳雲・中央政治局常務委員 と会談したこと,深訓経済特別区を視察 したことなどは,中ソ両国が経済交 流について今後かなり進展した関係をつくりあげようとしていると判断でき よう。 アルヒポフ第一副首相による経済特別 区深訓の視察は ,ソ 連側に よってか なり入念に準備された。視察 に先立ち,第 5次外務次官級協議のため訪 中し たイリイチョフ外務 次官が,さらに 5人のソ連経済学者が同地を訪れ,経済 改革の 実態 を実地検分したといわれる. 。こうした動きをみると,ソ 連側は. (7). 中国の経済開放に並々ならぬ 関心を抱き,情報を 積極的に 集め はじめた。. 直.. 中ソ経済交流の進展. 中ソ経済関係の推移をみると,そこにはさまざまな変貌がみられる。まず ( 7 ) 「日本経済新聞 J1 9 8 5年 5月 3日 。. - 7 (539)-.
(8) 1 9 5 0年代の中ソ間の密接な 経済協力体制は ,貿易,借款の供与および技術援 助の各方面にわたり,これらは中国の外貨受け取り総額のかなり大きな割合 を占めて中国の経済建設に寄与した。無償とみられるソ連の対中援助には, (1) 中ソ共同 管理下にあ った中国長春鉄道関係の 一切の権利•財 産の中国への. 引き渡し ( 1 9 5 2年 1 2月 ) ,. ( 2 )旅順港海軍根拠地からのソ連軍撤退時における. 1 9 5 5年 5月 ) , 設備の引き渡し (. ( 3 ) 1 9 5 4年 1 0月調印の科学技術協力協定にも. とづ く技術資料の提供な どがあった。また中 国が受け取 った対ソ 連借款総額. 1950-57年 ま で の 間 に 5 2億 9 , 4 0 0万元(返済利子を含む). は ,. となってい. る (8). ゜. その内容は中国の企業の建設と改造にあてられた 1 6 6項 目 に の ぽ る も の で,これは中 国第 1次 5カ年計画 (1953-57年)の工業建設の核心を形成し ていた (9)。これらの企業のなかには 鞍山 ,武漢,包頭の 3大鉄鋼コンビナー トをはじめ,自動車・トラクター製造,動力 機械 • 重機械・精密機械製造,. 計器製造,無線機械製造,石油化学,航空機製造などの多くの工業部門の主 力工場が含まれている。これらの企業はいずれもソ連の設計により,機械の 選択から据えつけまで,. ソ連の技師の指導をうけた。. この作業のために ,. 7 , 0 0 0余名のソ 連人技術者が 中国に入 った。 1 9 5 4年 1 0月には,. 中ソ科学技術. 協力協定が結ばれ, 5 6年には,ソ連の多数の科学者が中国に入り中国の科学. 2カ年計画の作成に協力した。 5 8年には,両国は 1 2 2の重要な科学技術 発展 1 の項目について,共同あるいはソ連が中国を援助して研究をすすめることを とりきめた。 第 2次 5カ年計画期に入ってからは, 1 9 5 8年 8月調印の 4 7項目の工業企業. 9 5 9年 2月の協定による 7 8の項目(冶金,化学, の建設と増設の援助約束, 1 石炭,石油機械器具製造,ラジオ技術,建築材料等)および発電所の建設の. Feng-HwaMah" F o r e i g nT r a d e " ,A l e x a n d e rE c k s t e i ne ta l .e d . ,E c o n o m i c T r e n d si nCommunistC h i n a ,A l d i n eP u b l i s h i n gC o m p a n y ,1 9 6 8 ,p p .7 0 2 7 0 3 . 9 7 5年 , 4 4 頁 。 ( 9 ) 宮下忠雄・上野秀夫「中国経済の国際的展開」ミネルヴァ書房, 1 ( 8 ). - 8 (540)-.
(9) 援助約束がある。このようなソ連からの負債にたいして中国は, 1950-64 年 までの間に 2 2億4 , 4 0 0 万ドルの返済(対ソ輸出による返済が 1 5億 1 , 9 7 0万ド. , 4 4 0万ドル)を完了した ClO)0 )レ,金または硬貨による返済分が 7億2 一方,ソ 連共産党中央委員会総会 ( 1 9 6 4年 2月)における M.A. スース ロフの報告によると, 1950-60 年の期間に 1万人以上のソ連人専門家が中国 に派遣され,. 1951-62年に, 約 1万 人 の 中 国人技師, 技手および熟練労働. 者 , 1 , 0 0 0人の技術者がソ連で一般教育および実習を受け,. 1万 1 , 0 0 0人以上. の学生とアスヒ°ラント(大学院学生)がソ連の高等教育施設を卒業した (11)0 ソ連共産党第 2 0回大会を契機とした中ソ間のイデオロギー論争は 6 0年 7月. 0年代 ソ連技術者の総引き揚げとなり,経済技術援助も事実上停止された。 6 の中ソ経済関係は最悪となり貿易協定も中断された。 1 9 7 0年に政府間貿易協 定が再び復活して,両国はきびしい政治的対立を増しながらも経済・貿易関 係では現実的に対応する姿勢をみせはじめた。しかし経済・貿易交流の本格 的な進展は 8 0年代をまたねばならなかった。. 1 9 8 2年からはじまった中ソ外務次官級協議を契機 として,以 後国境貿易再 開をはじめ ,中ソ間の実務 関係の交流は著しい進展をみせた。たとえば第 2 回次官級協議では,留学生の受入れ(各1 0名)と科学技術分野における専門. 3年度貿易協定が調印された。ま 家の相互派遣が合意され,それと並行して 8 4年度貿易協定は 8 4年 2月調印され(北京), 2 6億スイス・フラン (1ス た8 ィス・フランは 約 1 . 1 8ドル,中ソ 貿易はス イス・フランで決済さ れる) と決 まった。それ以前の中ソ両国の協定貿易は 1 9 8 1年 4億スイス・フラン, 8 2年. 6億スイス・フラン, 8 3年 1 6億ス イス・フランである Cl2)。さらに 8 5年度貿 易協定は 8 4年 1 1月に調印(モスクワ)されたが,後述のアルヒポフ・挑依林. 6億スイス・フランから 4 6億スイス・フラン ( 8 4年 会談で早くも改訂され, 3 U O l Feng-HwaMah,o p .c i t . ,p p .7 1 0 7 1 1 .. 皿 欧 ア 協会「中ソ論争主要文献集」 1 9 6 4年版 , 1 7 7 7頁 。 U 2 ) 「日刊中国通信」 1 9 8 5年1 1月2 1日 。. - 9 (541)-.
(10) 比73%増)に増額された。. 1 9 8 4年 1 2月ソ連首脳 として 1 5年ぶりに 中国を訪問した アルヒ ポフ第一副首 1 )経済技術協力協定の締結(有効期 相は,眺依林副首相 と会談し ,中ソ 間で , (. 間1 0年,全 6条 ) ,( 2) 科学技術協力協定の締結(有効期間 1 0年,全 7条 ) ,( 3 ) 中ソ 経済通商科学技術協力合同委員会の設立に関する協定(有効期間 1 0年 , ) ,( 4 ) 1 9 8 6 9 0年の 経済貿易長期協定を 8 5年前半に結ぶーーという 4 全 5条 点で合意.調印した。また中ソ両国が, ( 1 )中ソ文化協力計画, ( 2 )中ソ科学院 の交流,. ( 3 )漁業および海洋学の研究協力 , ( 4) アムーム川 流域の水利資源.. 5 )ソ連河川の水量調節および汚染防 中ソ 国境河 川の水利建設の共同研究, (. 止ーーなどの協力 で一致したこ とも 明らかにされた。 調印された協定のうち.まず経済技術協力協定は.工業生産技術や工場の 設備更新,そ の他の開発プ ロジェクトなどで,両国が共 同研究や情報交流を 深め.技術者の養成などでも協力することをうたっている。また科学技術協 力協定は双方の科学.技術研究に従事する学者の相互往来や共同研究.科学 技術情報や データの 交換を行う ことを盛り込んでいる 。経済技術協定が当面 の経済建設に即した協力を目的とするのに対し,科学技術協定は長期的.学 術的な協力に重点を置い ている。さらに中ソ経済通商科学技術協力合同委員 会ではその任務を以下においている。 ( 1 )経済・通商・科学・技術面の協力に 2 )経済 ・ 関する両国間の協定ならびに取り決めの実施につい ての指揮監督,( 通商• 科学 ・技術面の協力の着実な発展をねらい とした 各種方策の準備.( 3 ). 協力関係の一層の発展をめざ した諸措置の共同研究。 中ソ 経済交流の進展に ともなって ,産業 ・技術協力の問題が急速に注目さ れてきた。なかでも ( 1 )石炭開発,発電所建設を中心としたエネルギー産業.. ( 2 )鉄道な ど運輸部門,( 3) 5 0年代にソ連の援助で建設した工場,生産設備の更 新などについての協力が両国の関心となった。ふりかえって,中ソ間で科学 技術協力協定が最初に結ばれたのは , 両国 関係が最 も良好となった時期,. 1 9 5 4年1 0月であった(李富春副首相 とミコヤン副首相) 。その際蘭州か らウ -10 (542)-.
(11) ルムチを経て,ソ連のカザフ共和国の首都アルマアタにいたる鉄道建設のた めの技術協力のコミュニケも発表された。 5 6年 4月にはこれを発展させ蘭州 からトルクシプ鉄道(トルクメン共和国の首都アシハバートと西シベリアの. 9 6 0年から ノボシビルスクを結ぶ)のアクトカ駅までの鉄道の建設,および 1 のこの鉄道の連続運行を組織することについての協定も結ばれた。しかし中 ソ関係の悪化とともに科学技術協力は規模が大幅に縮小された。中ソ友好の シンボルとなった蘭州一ーアクトカ間の鉄道敷設工事についても,中 国は鉄 道工事をウルムチまでで打ち切り,ソ連との間の鉄道連絡計画を中止した。 中ソ間の技術協力が具体的に再開されていることが認められたのは, 8 4年. 1 0月の第 5次外務次官級協議の段階であり,この時期に中国は,内蒙古自治 区の伊敏河露天炭鉱(中国の 5大露天掘り炭鉱のひとつ)開発で,ソ連との共 同設計を行い,露天炭鉱の技術経済調査に関する協定協定を締結している。. 1 9 8 4年1 2月アルヒポフ第 1副首相は挑依林副首相との間で,上述したよう に改めて科学技術協力協定を結び直した。中ソ両国は生産工程と生産技術の 知識,設計,工業企業の建設と改造などを共同で検討,交換し,相互に技術 サービスを提供し,技術要員を養成し,専門家と学者を派遣し,科学研究成 果を交換することになっている. 。したがって 1 9 5 0年代に形成された経済. (13). ・科学技術分野における中ソ協力関係の枠組みは復活したとみてよい。また 中断されていた鉄道建設の技術協力についても建設再開のニュースが流れて いる。 さて中ソ経済・貿易・科学技術協力合同委員会であるが,上述の経済技術 協力協定と科学技術協力協定の 2つの協定の実行を推進,監督する組織とし て設立されるものである。両国の副首相級で構成される最高レベルの機構に なる。中ソ間には中ソ外務次官級協議があり,これまで年 2回のペースで 6 回の会談が開かれてきたが,同委員会の設置で副首相級の両国最高幹部が定 期的に意見交換することになり,同委員会の経済,科学技術協力の促進とい. U 3 l 「北京周報」 1 9 8 5年 1月 8日 。. -11 (543)-.
(12) う目的以上に中ソ間に太いパイプができることになったといえよう。 中国とソ連は, 1 9 8 5年 7月,長期経済貿易協定 (1986-90年)と経済技術 協力協定をモスクワで締結した (U)。挑依林副首相とアルヒポフ第一副首相 が署名した長期協定では.協定期間中にソ連が鋼材.木材,化学肥料,非鉄 金属,大型発電・送電設備,鉄道機関車・車輌.自動車,飛行機などを輸出 し,中国は鉱産物.大豆.とうもろこし,豚肉• 同加工品,果物,茶葉,綿. 布,メリヤス製品,. 軽工業品, 畜産品. 手工芸品.. 化学製品などを輸出す. 9 9 0年までの貿易総額は約 1 2 0億 Jレーブル(約 1 4 4億ドル) に達し, る<15)。 1 9 0年の貿易額は 8 5年水準の 2倍の 3 0億 Jレーブル(約 3 6億ドル)を見込んでい る。一方.経済技術協力協定では,ソ連が発電,鉄および非鉄金属,石炭工 業,運輸などの部門で, 7施設を新設し, 1 7施設を再建する。 以上一連の協定調印により,中ソ友好同盟相互援助条約が 8 0年 4月に自動 失効してから続いていた無条約状態の空白が埋まった。むろんこれまで,中 ソ関係が無条約状態に陥ったとはいえ,両国の大使館を中心とした外交関係 は一応正常に機能していたほか,両国にはそれぞれ.‘ノ中友好協会,中ソ友 好協会が存在し,細々とながらも活動をつづけていた。またアエロフロート (ソ連国営航空)は週一便.. モスクワー北京を結ぶ直通航空路を運航させて. きた。さらに,中ソ間には.貿易交渉,河川交渉,国境交渉,関係平常化交 渉の 4つのチャンネルがあり,これらの交渉が両国をつなぐ重要な窓口とな ってきた。しかし上述の一連の協定調印.国境貿易再開などにより,中ソ関 係は事実上,. 「正常化」に近い状態に復帰したといえよう。そして,. 5年有. 効の長期貿易協定が調印されたことは.両国が相互の協力関係を予想以上に 長期的な視野で考えていることを示すものである。 さて経済,科学技術関係の協力協定以外の実務協定・議定書締結について 取り上げておきたい。まず国境河川に関する協定である。国境河川における. U 4 l 「人民日報」 1 9 8 5年 7月1 1日 。 U S ) 「人民日報J1 9 8 5年1 1月 8日 。 -12 (544)-.
(13) 航行および建設に関する協定は 1 9 5 1年 1月に締結され,アムール川やウスリ ー川など中ソ国境の河川を航行する船舶,操業する漁船の安全がはかられて きた。同 協定に基づき ,具体的な交渉の場 として中ソ国境河川航行合同委員 会が設置され,ソ連額内と中国領内交互に毎年 1回開催されてきたが中国文 革により中断された。中共 9全大会後の 6 9年 6月,同協定第 1 5回会議がハバ ロフスクで開かれ,以 後ほぼ定期的に開催されている実情にある。 最近では. 8 5年 3月第2 7回例会がブラゴベシチェンスクで開かれた。 9 8 3年から再開されている。 つぎに 留学生,専門家の交換であるがこれは 1 中ソ双方が短期間の協議で合意したもので, 8 3年度は交換する人数は双方と も1 0名で期間は 1 0カ月,ソ連人研修生は北京語言学院で,中国人研修生はプ ーシキン大学でそれぞれ中 国語,ロシア語の 語学研修を行った。それが昨年. 4月,中ソ間 1984-85年度学生 ・専門 家交換に関する議定書 (モスクワ)が 調印され,同年 9月からは双方とも 7 0人に増やされ,研修分野も自然科学, 社会科学の科目履修が可能となっている。 中ソ間の記者交換については ,現在の常駐特派員は国営通信社である新華 社とタスがモスクワと北京に 3人ずつ常駐しているが,両国はそれぞれの共 産党機関誌の特派員交換を検討中といわれる。党関係は中ソ論争から中国文 革を経て断絶したままになっており,このための党機関誌の特派員交換が実 現すれば,全般的な関係改善の重要な一歩として注目されている。また中ソ 間の国会議員交流が本年実現することが両国は基本的に合意していることが 明らかにされている。 8 4年1 0月の第 5回外務次官級協議,同年末のアルヒポ フ第一副首相訪中の 際話し合われたもので,これも中ソ 交流活発化のひと つ と考えられよう。 そのほか,両国間の文化,芸術代表団の相互訪問 ,芸術作品の展覧会,公 演などについて取り決めた 8 5年度の中ソ文化協力計画も本年 6月調印され, また同 時期に李鵬副首相が北京でソ連通信代表団と会談して郵便.電話通信 技術などで対中協力を要請したほか, 8 5年 1 1月には中ソ領事条約が仮調印さ. -13 C545)-.
(14) れるなど実務接触が着実に進められている. (16)0. I V . 中ソ貿易の回顧と現状 中ソ 間の貿易についてそ の推移をみる と, ほぼ 3つの段階に分けられる。. 5 0年代は上昇期, 6 0 ,7 0年 代 は下 降 .停滞期 であり,そして 8 0年代初めか ら 9 5 0年代の中ソ貿易は,第 1回政府間貿易協定によ は回復期に入った。まず 1 9 5 9年に は4 0億ドル に達し ,中ソ貿易 の歴 って急速な 拡大を示 した 。 とくに 1 史のうえ で最高額を記録 した 。その結果中ソ貿易が 中国貿易 に占める比重は. 9 5 0年の 2 6. 49 ! るから 5 9年 の4 7. 69 ; るに 上昇 した Cli)O 高まり, 1 1 950年代の対外経済関係は ,野心的な 工業化計画と ソ連 への協詞 ・依 存と いう状況のなかで,まず,稜極 的な外國貿易志向 の政策が追求された 。経 済 政策と外交政策が結びつい て,中 国の貿易を圧倒的にソ連を中心とした共産. 9 5 0年 の 11 .3億ドルから 図内貿易に導いたの で ある 。中国の 対外貿易総額は 1 5 9年 には 4 3 . 8億ドルとなり , 1 0年間 1 こ4倍近くに増大した。 このような貿易 規模の拡大は ,基本的には この間における中 国経済 の成長を反 映するも ので あった。すなわち 経済復腿期,第 1次 5カ年計画 期,大躍進期を通して ,中 国は ,米国を中心とした非共産圏諸 国の対中 国献略物亥 の禁輸を受けなが ら も, ソ連からの経済 ・技術援 助 を活用 して 経済の回復 と建設をおしすすめ , 経済規模のいっそうの拡大をもたらした のである。 中国は全共産圏と長期の貿易協定を結び,計画的な 協定貿易が貿易総額の. 70先を占め , な か で も ソ 連 と の 貿易額は , 上述したように貿見総額 の約 5 0 %,機械・設備の輸入額ではじつに 7 0形 を占めた のである。 1 9 5 0年代の中国 本節の叙述の一部は , 拙稿『中 ソ経済閃係の新展開 j 『 日ノ ‘径済胴査資料 』 日‘ ノ 協会,1 9 8 5年 8月号, 7-1 2頁を参照。 ( 1 1 ! 呉楚「中 国同荏咲的径済貿易関係在発展」『国際貿易」対外経済貿易部国際貿易 研究所 編 揖 • 中国対外経済貿易出版社,1 9 8 4年1 1月,2 1頁。征人「中睦貿易的回顧 98 5年 8月,39-4 0頁 。 与展望」『国際貿易J1 ⑯. -14 (546)-.
(15) の対外貿易は一貫して生産手段の優先輸入の方針を実行したが (1950-60 年. 1年間における輸入総額中の生産財の占める比重は 9 1 . 9形である), の1. ソ連. からの輸入生産財は,鞍山,武漢,包頭の鉄鋼コンビナート,長春の自動車工 場,洛陽のトラクター工場などの大型プラントをはじめ,各種工作機械,鉄 道車輌,船舶,. トラクター,各種工業原料,石油製品,化工原料,農業生産. 用資材(化学肥料,農薬)など多種に及んだ。またわずかな比重しか占めな い消費財輸入も多くはソ連に仰いでいた (18)。具体的には,. 中国の第 1次 5. 年計画期 (1953-57 年)の対ソ輸入全体のうち, 3 4 9 6は機械・ 設備(完成プ. 0彩)で占められ,第 2次 5カ年計画期 (1958-60年)にはこ ラントだけで 2 0形が機械・設備となり完成プラントだけで 3 3彩を占め の比率が増大して 5 た 。 第 1次 5カ年計画期を中心とする中国の建設にたいするソ連の寄与につい ては,. 上述したように中国対外貿易におけるソ連の高い比重が証明してい. る。ソ連貿易機関が公表した資料でみると,. 7年 5 1 . 2 8億ループ)レ, プル, 5. 6年 5 9 . 8 9億ルー 中ソ貿易は 5. 5 8年 6 6 . 5億ループル, 5 9年は約 7 2億)レープ)レ. 9年の貿易額は,同年のソ連の対外貿易額の 20彩にあたっている。 であり, 5 ところで中ソ貿易にあらわれた数字はあくまでも貿易であって贈与,援助. 0年代の貿易で注目すべきはソ連からの輸 でないことは当然である。しかし 5 入額のうちで,機械類や建設資材の比重がきわめて高いことから,ソ連が中 国の経済建設を助けている性質が色濃くあらわれていることがわかる。むろ んソ連の建設資材輸出がその見返りとされる中国の原料品を安い価格で買い つけているとするならば必ずしも援助的性格があるともいえなくなる (19)。. 0年代に入ってからソ連は,自らの援助を大きく宣伝したの これについては 6. U 8 l. 藤本昭•河地重蔵•上野秀夫「中国経済ー調整と改革ーJ. 1 9 8 4年 4月 , 1 5 9ー1 6 0. 頁 。 ⑲ 岩村三千夫「新中国成立後の中ソ関係」「現代中国と中ソ関係アジア・アフリカ 講座第 2巻」勁草書房, 1 9 6 5年 , 2 2 6 頁 。. -15 (547)-.
(16) にたいして 6 4年 2月に中共中央委員会はつぎのような見解を示している。 「われわれは,. ソ連の対中国援助が一方の側だけのものではなく,まして無. 償で贈 られたものでもなく,主に貿易という形式をつうじてすすめられたと いうことを指摘しないわけにはい かない。 ソ連がわが 国に提供 したすべての プラント設備と物資は,借款の形で提供された装備,物資や利息をもふくめ てすべて物資か金,または国際通貨で償還している。さらにふれておかなけ ればならないことは,われわれがソ連から輸入した品物は, 国際市場の価格 に比べるとはるかに高いものだったということである。」 (20) ソ連技術者が 中国から全員 ( 1 , 3 9 0人 ) 引きあげて経済技術援助も事実上 停止された 1 9 6 0年からは,貿易額はしだいに減少し,文革の影響も加わっ て. 1 9 6 0年代を通して 著 しく 縮小した。珍宝 島 (ダマンスキー 島)事件 の翌年の 7 0年は 4 , 7 0 0万ドルと 最低を記録 した。 この間,ソ連の対中 貿易は主 として 西側先進諸国 との貿易に,中 国の対 ソ貿易はやはり日本など西側先進諸国 お よび東南アジア 諸国 との貿易に転換され,これは東西 貿易の増大に つながっ た 。 しかし 1 9 7 0年に政府間貿易協定がふ たたび復活してから増大に転じ, 7 2年 に中ソ貿易は 2 . 5 5億ドルとなった。 1 9 7 0年後半には両 国関係はきび しい政治 的対立を増しながらもほほ横ばいで推移した。とりわけアフガニスタンから の撤収を求める中国のソ連批判は 7 9年末から激しくなり,国家関係も できる だけ 縮小するとの姿勢をみせる。 8 0 ,8 1年の中ソ両国の貿易総額に占めるシ ェアはともに 1%に満たなかった。 ところが, 1 9 8 2年 3月の故ブレジネフ 書記長の タシケント演説に端を発し た中ソの関係正常化への歩みに,はずみをつけるかのごとく再び上向きに転 じた。同年 1 0月の第 1回中ソ外務次官級協議か ら目立って増えはじめ,同年 は3 . 9 6億ドルとなった。 8 0 ,8 1年が極端に落ち込んだという反動的要素が強 凶. 「中共中央委員会が 1 9 6 4年 2月2 9日にソ共中央委に送った書簡」「北京周報」 1 9 6 4 年1 9号 。. -16 (548)-.
(17) いものの,. 中国はソ連からテレビや乗用車ボルガなどの消費財,. 小型輸送. 機,ヘリコプター,大型農業機械( コンバインなど)を輸入しはじめた。こ のことは中国がソ連の「覇権主義」批判を強める半面,貿易関係ではきわめ て現実的に対処していることを示していた。技術面での遅れ, 国内の需要の 増大に対処するため,経済交流のパイプはつなげておこうとの配慮があった ものと考えられる。. 1 9 8 2年の中ソ貿易額は往復 3. 96億ドルであ ったが, 83年には 7.64億ドル と 中ソ貿易統計. 年次. 中国の貿易 (単位:億ドル). 1 =. 貿易A 総額. 1 9 8 14 4 0 . 2 1 1 9 8 24 1 6 . 4 1 1 9 8 34 3 6 . 1 6 1 9 8 45 3 6 . 3 2. 中ソ貿易 (単位:億ドル). 鱈儡国叉貿易総額贔国腐品国叉 A'A# B B'B8. 2 2 0 . 0 7 2 2 3 . 4 8 2 2 2 . 2 6 2 5 9 . 6 2. 2 2 0 . 1 4 1 9 2 .9 3 2 1 3 . 9 0 2 7 6 . 7 0. 2 . 8 2 3 . 9 6 7 . 6 4 1 3 . 2 2. 1 . 2 5 1 . 4 7 3. 2 1 6 . 3 5. 1 . 5 6 2 . 4 9 4 . 4 3 6 . 8 7. 中国の貿易に占める 中ソ貿易の比重 ( % ). B/A B'/A'B'/A' 0 . 6 1 . 0 1 . 8 2 . 5. 0 . 5 0 . 7 1 . 4 2 . 4. 0. 7 1 . 3 2 . 1 2 . 5. 出所:中 国海開統計(「中国統計年鑑 」 1 9 8 3 ,8 4年版。1 9 8 4年は 8 5年3 月 9日国家統計 局コミュ ニケ)。元表示を当年価格でド)レ換算。 約 2倍に達した。. さらに 84年は往復 1 3.22億ドルで対前年比 74彩増(中国の. .35億ドルで対前年比 97.8%増,同輸入 6.87億ドルで対前年比 55.1%) 輸出 6 であった。同年の中国の貿易総額 5 36.32億ドルのなかで対ソ連貿易の占める. 8 3年は 1.8%) へと上昇した。 割合は 2.5% ( 1月モスクワで 85年度貿易協定(バータ 中ソ両国政府貿易代表団は, 84年 1 一支払い協定)に調印した 。この協定で中ソ両国の 8 5年の貿易額は 1 6億ドル 年1 2月のアルヒボフ・眺依林会談でさらに 20億ドルに増やす となったが, 84 ことが決ま った。これにより 8 5年は前年比 6 7形増と 上昇する。特徴的なのは. 9 8 2年度は 4月16日であったのに対し, 83年度は 3月 貿易協定締結の日付が 1 1 0日 , 84年度は 2月1 0日 , 8 5年度は 84年 1 2月と,早期締結に向っていること であり,貿易に関する実務ベ ースの協議がスム ーズになってきたことを 意味. -17 (549)-.
(18) している。なお 8 5年前半期の輸出入額が中国通関統計で公表されたが.元表. 6 . 8形増の 8億 . 8 5元 . 中国の対ソ輸出は前年同期比 2. 示で.. 輸入も 9 .7 1億. 元とほぼ均衡している。 こうした貿易額の増大につれて取引対象に加えられる商品の種類も拡大し. 4年の中ソ貿易では.中国からソ連に輸出された品目は,鉱産物, ており, 8 肉類および同製品.. 大豆,. 食用植物油, 生糸.. 絹織物.綿花,綿布,繊維. 品,衣料品,軽工業製品,茶および畜産物などであり,ソ連から中国に輸出 される品目には圧延鋼材.銑鉄,非鉄金属,木材.化学肥料.セメント,板 ガラス,化学工業製品.自動車.機械設備および航空機などであった。この うち,とくに木材は 8 2年以来毎年 2倍の数量で増加しており,また航空機は. 8 4年に中 国全体で 3 0機輸入しているが.そのうち 1 9機はソ連からの 輸入であ 5年度の貿易協定によると . 中国からソ連への輸出品目は,豚 った。また 8 肉 ,. 大豆,. とうもろこし,. 落花生.. 綿花.茶,魔法びんおよび各種繊維製. 品,一方ソ連から中国への輸出品目は,鋼材.非鉄金属,木材,セメント, 航空機,自動車および各種機械類である. 。8 5年度協定では,. (21). 商品構造の. 面では好調な中国の農業に支えられた農産物および軽工業製品の対ソ輸出が 増加し,一方ソ連からは重工業製品の輸入が増加することになる。両国の国 内経済事情を反映した構造となっている。 中ソ貿易におけるこうした 最近の輸出入商品の構成をみる と,両国は相互 補完的性質をもっていることがわかる。ソ連は重工業の発展速度が早く,軽 工業の発展が遅れている。そのため.食品と食品原料の輸入が徐々に増えて いる。. このことから,. 「中国のソ連向け輸出大宗商品は食品と軽工業,繊維. 製品となっており.これら商品は.まさしくソ連の需要に合致するものであ る。一方,中国側からみれば,近代化速度を早めるため.先進諸国の工業製 1 . 2 l ) 孫維熙.凌徳権「中蘇貿易的現状和前景」「瞭望Jく瞭望〉周刊編輯部・<瞭望〉. 周刊社, 1 9 8 4年1 2月1 7, 日 易 」 1 9 8 5年 10月 , 1 3 頁 。. 5頁。陳浩「預祝中蘇経済貿易関係順利発展」「国際貿 -18 (550)-.
(19) 品,先進技術と設備の輸入を必要としている」 (22) のである。 「中国の第 1次 5カ年計画期に,ソ連は多くの工業プラント設備を提供し,. 1 5 6件が新中国の産業基盤を固めるために積極的な役割を果たした。中国は 鹿品によってこれらの設備の代金を返済し,ソ連の生活消費の需要を満たす のに有益な貢献をした。」 (23) すなわち 1 5 6件は冶金,. 機械,. 電力と化学工業等であり,一方中国の商品は大豆,. 米 ,. 肉,非鉄金属および希有金属等である. 自動車,. 石炭,. 食用植物油,. 冷凍. 。. (24). 1 9 8 1年から 8 5年の 5年間の数量をみると,中国がソ連から輸入した鋼材と 銑鉄は 2 7 0万トン弱,木材と紙パルプは 6 5 3万立方メートル,. 尿素は 1 1 5万ト. 2万トン余,果物は 2 7万ト ンであった。中国がソ連に輸出した肉と肉製品は 2 , 0 0 0万トンであった。原材料製品を除いて, ン,生糸は 5. 5年間で中国がソ. 連から輸入した各種飛行機は 4 6機,各種自動車は 5万 5 , 0 0 0台余であった。 また中国はソ連に大量の繊維品,軽工業品(運動靴,ポットなど)を輸出し た (25)。 上 述 し た よ う に 中 ソ 長 期 経 済 貿 易 協 定 が 結 ば れ た こ と で , 両 国 関 係 に特別な 事態が発生しない限り,中ソ間の貿易額は数年間に,かつての密月 時代に近づくことになろう。貿易体制を進める中国としては,その一環とし て地方・ 企業が得た外貨の留保率を高めている。今後中国として,ソ連との 貿易拡大のために,輸入関税の減免措置を講ずる,輸入で欠損が生じたとき に補助を与える,輸入申請手続を簡索化する,設備を輸入する際に低利の銀 行融資をする,中国の輸出に対しては外貨収入を保証する,などの手段をと ることが必要となろう. 。. ( 2 6 ). 中国が西側諸国との経済協力と並んで対ソ改善,貿易拡大のメリットを計 ( 2 ' 2 ) ( 2 3 ) 孫維熙.凌徳権,前掲論文,. 5頁 。. ( 2 4 ) 呉楚,前掲論文, 2 1頁 。. 四李景泰「日趨活躍的中蘇経済貿易関係」『中国対外貿易J 中国対外貿易雑誌社,. 1 9 8 5年 9月 , 6-7頁 。 ( 2 6 ) 洪熙「発展対蘇咲和東欧国家経済貿易関係的前景」『国際貿易問題j 対外経済貿. 易大学編輯・中国財政経済出版, 1 9 8 5年第 4期 , 3 5 頁 。. -19 (551)-.
(20) 算しはじめたのは何であろうか。それはまず,建国後ソ連の工業化をモデル に経済建設をはじめた中国にとって, 5 0年代にソ連から輸入した輸送,機械 設備はすでに更新期にきており,これらをすべて西側諸国の生産体系に置き 換えることは困難であるし効率も悪いという点である。第 2に,自主独立外 交を進めるうえで西側諸国に過度に依存することは政策的にも避けたいとい う点である。対外開放政策に拍車をかけはじめた中国には,社会主義諸国と の関係を強め,. "西側一辺倒”を修正するという戦略的配慮もあろう。さら. に第 3には,木材,鉄,非鉄金属な どソ連の豊富な天然資源は中国にと って 得がたい利点なのである。 一方ソ 連 としても,中国の内政が穏健かつ より現実的なものになってきた と判断したこと,. 中国の安価な軽工業品や食肉類には大きな魅力があるこ. と,そして何よりも貿易拡大を通じて中 国を "西側一辺倒”に向かわせるこ とを阻止したいとの戦略的配慮も強い。こうしたことから,両国間に何らか の政治, 軍事的突発事件が起き ない限り中ソ 貿易は拡大 していくことになる と考えられる。 もっとも,中国はソ連からの大型機械やプ ラントの導入には 依然 として 慎 重である。 6 0年代初頭,ソ連が一方的にプラントや技術者を引き揚げた苦い 経験からきていることは明らかである。また中ソ貿易が拡大していくために は ,. 輸出入のバランスが童要である。両国どちらかの入超幅が大きくなれ. ば,拡大傾向に歯止めがかかってしまうだろう。中ソ貿易の今後は,ソ連が 対中関係にどの程度の戦略的優先順位を置くかで大きく左右されよう。. v . 国境貿易の再開 中国は 1 9 8 3年からソ連との国境貿易を全面的に再開 している (27)。 1 9 5 0年 代と 6 0年代初頭に中ソ両国の国境地区で「 国境地方貿易」が活況を呈してい. 5 1 7頁を一部参照。 叩以下の叙述は,拙稿,前掲論文, 1 -20 (552)-.
(21) たが,中ソ対立で停止されていた。 1 9 8 2年 4月に, 82年度貿易協定(バータ 一支払い協定) が締結 された際,. 双方は国境貿易を再開し,. 緩芥河 と黒河. (いずれも 黒龍江省)を貿易港として使用することに合意した。 1 9 8 3年 4月 . ソ連のダイリントルグ(極東貿易公団)の代表団と 黒龍江省対外貿易総公司 の代表者との間で 8 3年度の国境貿易議定書が調 印(ハルピン)された。往復 の貿易額は 1 , 8 0 0万スイス・フランという づいて 8 3年 4月 ,. ハイテルに向かい,. 。 ダイリントッグの代表団はつ. (28). 内蒙古自治区と国境貿易議定書を結. び , この地域での国境貿易も再開された。ソ連側の主な輸出商品は木材.鋼 材,化学肥料, 自動車,海産物で, 内蒙古自治区側の主要輸出商品は食肉, 紡織品,軽工業製品である (29)。 黒龍江省.. 内蒙古自治区とソ連との間で合. 年の貿易総額は 2 ,000-2,5 0 0 万スイス・フランにのぽるといわれ 意された 83 年の中ソ貿易は黒龍江省 Jレ る。国境貿易はこの数年間着実に伸びており, 84 ートが前年比75飴増,内蒙古自治区ルートで同 4倍に増加している。. 9 8 5年度国境貿易に関する会議は 85年 1月牡丹 黒龍江省とソ連極東地区の 1 江市で開かれ,中ソ双方は会談覚書 と商品契約に調印した。この規定に基づ き , ソ連は 黒龍江省に木材, セメント,化学肥料. ガラス, 自動車, オート バイ, 迂 ロロ •. 電気冷蔵庫, 冷凍魚類など, 果物,. 黒龍江省は ソ連に大豆,豚肉 ,肉の缶. 魔法びん ,児童服,毛布,毛布帽などを輸出する (30)。 なお 84 年. 7月黒龍江省ハルビン市で中ソ国境鉄道交通委員会が開催され,中ソ国境鉄 道議定書が調印,国境通過の貨物量を増やす問題,輸送機構の改善な どが討 議されてい る(31)。 また 85年 2月には中国,. 朝鮮民主主義人民共和国, モン. `’ソ連 4カ国による鉄道輸送計画会議が開催され,85年 の輸出 入ならび. コ)レ. に国境通過貨物鉄道輸送量会議の議定書に調印している (32)0 ⑳ 図⑳帥図. 『香港大公報 J1 9 8 3年 9月1 2日 。 孫維熙・凌徳権,前掲論文, 5頁,および「 日刊中国通信』 1 9 8 5年 3月1 1日 。 「日刊中国通信」 1 9 8 5年 4月 2日 。 『日刊中国通信J1 9 8 4 年 8月 3日 。 「日刊中国通信」 1 9 8 5年 2月1 5日 。. -21 (553)-.
(22) 黒龍江省とソ連極東地区との国境貿易が拡大するなかで,中国交通部は黒. , 4 0 0万元かけて急拠開始することになった (33)0 龍江と松花江の改修工事を 2 黒龍江港の年間荷役量はわずか 1 2万トンで中ソ貿易の増大に対応できなくな り,貿易中継港を建設し,食糧埠頭 と食糧倉庫のほか木材,雑貨,旅客埠頭 および面積2 , 0 0 0平方メ ート)レのターミナルビ)レを設けるという。またハル ピンから同江港までの松花江航路も改修中で,完成すればハルビンー同江港 間は 6 0 0トンクラスの船が通れる 4級航路になるという。現在同航路のハル ビン港,沙河子港,依蘭港では埠頭の拡張工事中 で,チャムス港も新埠頭を 建設する予定という。すべて国境貿易の拡大に対応する措置である。 極東地方と黒龍江省地方の中ソ国境線は 3 , 0 1 0キロに及ぶが, は3 0 0キロ足らず,. 陸地の国境. 残りはすべて河川が国境線になっている。それだけに河. 川,港の改修工事は貿易拡大のために不可欠の要素である。さらに中国は中 ソ国境の満州里,中蒙国境の 二連(エレン)駅の積みかえ設備,荷役設備の 増設など 2 , 6 5 0万元かけて行うことになった。完成すれば輸出入貨物輸送量 が3 0 0万トンに増大するという。 黒龍江省での国境貿易の拡大に よって,相互補完の経済構造が中ソ間で確 立されてくるならば, 将来新たな協力関係の発展が可能 となろう。それは極 東地方の労働力不足の解消を図るため,中国の豊富な労働力を活用しようと する考えである。むろんこれは 高度の政治問題がか らむが,北朝鮮がソ連材 輸入の見返りに多数の森林伐採労働者を送り込みこの地方の労働力不足の解 消に一役買っていることにかんがみ,将来実現の可能性も考えられる (34)0 中ソ国境貿易は中央アジアでも再開された。新彊ウイグ)レ自治区に沿う. 3 , 0 0 0キロの中ソ 国境は, 1 9 6 2年以来閉鎖され, 中央アジアのウイグル,ヵ ザフ,キ)レギス 族は 2 0余年にわたり分断されていたが, 1 9 8 3年 7月から国境. 0年 往来が再開され直接貿易が許可された(旅客の往来は認められない)。 5 『日刊中国通信J1 9 8 5年 5月 8日。 ( 3 4 ) 『朝日新聞』 1 9 8 5年 9月 4日 。. 閲. -22 C554)-.
(23) 代の重要交易ルートだったカシュガル近郊ツ)レガルト. (図噌喋爾特),およ. びウルムチ西方のホルゴス(雹溺果斯)両交易所が開設されたのである。 8 3 年1 1月ホルゴスで中国の輸入商品の第 1陣としてソ連製トラックが中国側に 引き渡された。この 2カ所を通ずる道路が整備され,倉庫その他の建物の新 築,既存施設の改修などが進められている。 両交易所で取り引きされる商品は当面は,ソ連から主として鋼材,セメン ト,化学肥料,小型乗用車が供給されるのに対し て,皮革製品,果実,長繊 維綿花など綿布,セーター,毛皮帽,魔法びんなど日用品が見返りになると いう. 。 1984 年は前年比 1 6形増 となった。 8 5年は前年の 3倍にのぽる 2億. (35). スイスフランに達した (36)。両国ともこの辺境地帯に膨大な兵力を配備 して いるが,. こうした 貿易交流によ って緊張は 徐々に緩和されてこ よう。なお. 5年 1月になって新彊ウイグ)レ自治区がソ連と国境貿易を 中国の国務院は 8 正式に開始することを承認 している。貿易業務は新彊側が新彊 ウイグ)レ自 治区輸出入公司,. ソ連側がカザフ,. キ)レギス両共和国の東方貿易会社であ. る 。 中国鉄道部は新彊ウイグ)レ自治区の北彊鉄道建設が 8 5年 5月 1日に着工し たことを発表した。. 。同鉄道は東のウルムチを起点に西の中ソ国境地点. (37). 0 0余キロ ボルタラ山入口にいたるまで全長 4 ウ区 間の 24 6キロ,. ( 第 1期工事はウルムチーウス. 3年で完成予定)。これは 建設資金 3.8億元の中国の自力. 建設だが,ソ連側の国境鉄道と直結することにより,新謳の対外貿易輸送の 大交通路となる。現在新彊がソ連向けに輸出している物資は大部分トラック 輸送によるもので,ウルムチから伊寧まで 2昼夜要している。これに関連し て両 国では ,現在極東,モンゴル地域で中ソ両 国を結んでいる 3本の鉄道に 加え, ( 3 . 5 ) ( l i ) ぼ ) ( 3 8 ). 新彊とソ連を結ぶ第 4の新鉄道線建設の計画があるといわれる (38)0 「北京周報」 1 9 8 4年 1 2月1 1, 日 2 7頁 。 「日刊中国通信J1 9 8 6年 2月 3日 。 「日刊中国通信J1 9 8 5年 2月1 4日 。 「日本経済新聞 J1 9 8 4年1 2月2 8日 。. -23 (555)-.
(24) しかし具体的な路線は不明である。また 8 5年 1 0月,新彊 ウイグ)レ自治区成立. 3 0周年記念の祝賀行事に,約2 0年ぶりに, 国境を接するソ連カザフ共和 国の 代表団が参加 した 。両国国境の 緊張緩和にともなう動きで 貿易関係も大き く 増大していこう。さらに中国は,文革以来禁じていた同自治区のギリシャ正 教(東方オーソドックス教会)寺院の宗教活動を正式に認めたが,これは同 自治区の ロシア 系住民への融和策であろう。 内蒙古自治 区とソ連問の 国境貿易も急激に増え ている。. この国境貿易 は. 1 9 8 3年に再開されており ,同年の貿易額は約 3 0 0万スイスフランであった。 それが 翌年 1 , 7 0 0万スイスフラ ンとなり, 8 5年には 5 , 0 0 0万スイスフランに達. 0品目 余りの商品を輸 出 , 3 0余りの工場で輸出商 しよう。同 自治区 はソ連に 2 品が生産 されている (39)。 な お 内 蒙古自治 区と蒙古人民共和 国 との 貿易 につ. 9 8 5年 1 1月,総額 6 0万スイスフラン(約 2 3万ドル)にのぼる初の国 いては, 1 境貿易協定に調印している。内蒙古自治区は軽工業品,蒙古人民共和国は紙 や靴をそれぞれ輸出する。. 6 0年代に中ソ 関係の悪化で中 断されていた 国境貿易が全面的に復活をみ た ことは,政府間 貿易外の貿易ルートの再開 として,中ソ貿易 関係が大 きなふ くらみをもってきたことを示している。 国境貿易 に開放された内 陸部 1 3 0カ 所のうちソ 連,朝鮮民主主義人民共和国,ネパ ー)レ,パキスタン,ビルマと の国境 にある 2 0カ所のルートで 貿易取引が活発化しているという. 。中 国. ( 4 0 ). の貿易関係当局では,最近の中ソ両国間の契約履行状況は良好で,国境貿易 を発展さ せることは,中ソ 国境地区にお ける 商品物資交流の活性化 ならびに 友好善隣関係の修復 に役立ち, 国境地区住民の生活の必要性を満たすうえで も有利であると評価する。中ソ双方は今後,貿易形態を多様化して取り引き 商品の種類と金額を増やす努力をしていくことであろう。. ( 3 9 ) 「人民日報J1 9 8 5年 8月1 8日 。 ( 4 0 ) 「 日 刊中 国通信」1 9 8 5年 1月2 3日 。. -24 (556)-.
(25) むすびに代えて. 中ソ関係の改善に伴って,中国は一時期のような「ソ連脅威論」からいま や脱却しているとみてよい。ソ連を戦略的な脅威と見なすか否かの分岐は, 中国すべての対外政策にとっての要である。また中ソ 0)関係改善のプロセス のなかで,わが国の問題は大きな比重を占めつつある。ソ連側からすれば, 社会主義的国際主義の立場からも中国との関係改善をはかる一方で. 日中間 の友好緊密関係にひとつのくさびをうちたいとの戦略もあろう。一方.中国 としては日本との友好緊密関係をとる姿努を示したものの,同時にソ連に敵 対する条約を日本とは結ばないと約束したことは ( 1 9 8 4年 9月の中ソ外相会 談 ) . 日中間の友好関係に笞戒を深めるソ連側を安心させたものといえる。 従来より一歩進んで世界戦略上の問題で中ソ間が同一の立場を回復しつつあ るのであり.「靖国神社公式参拝問題」などでの中国のきびしい対日批判は ソ連を大いに満足させるものであった。このような状況は,今後中ソ関係を 実務面で改善していきたいという中国の慎重な対ソ配慮を反映したものとみ てよい。 中国側としては,上述したように「 3大障害」除去問題でソ連の譲歩を得 ることは当分望めないことは十分読みとっていよう。そこで中国は現実論に 立って,とりあえず経済•. 技術協力関係拡大のメリットを選んだ。それでは. 実利主義に立った中国としては,ソ連との関係がどこまで拡大すると考えて いるのだろうか。ある程度予測できることは,米中経済関係,日中経済関係 が実務面で巨大な可能性を秘めているのと違い,中ソ実務関係は,一定の回 復期を経た後徐々に拡大していくであろうが,米中,日中以上には急速に飛 躍していくとは考えられないという点である。 貿易面から中ソ接近によるわが国への影響について考えてみると,いくつ かの状況が浮き彫りされる。 1 9 8 4 年の中国の貿易総額は 5 3 6 . 3億ドルで前年. -25 (557)-.
(26) 比 16.8%の伸びを示し輸出入いずれも史上最高となった。このうち日中貿易. 3 1 . 7億ドルで前年比31.8%増とこれも記録的な伸びを示し,中国の は往復 1 貿易総額の約 4分の 1を占めてトップである。 8 4年の中米貿易は 6 1 . 8億ド )レ,中ソ 貿易 は1 3 . 2億ドルである。中ソ貿易は 8 4年 2月の 8 4年度貿易協定調 印の際に目 標額を 1 1 . 8億ド)レ(前年比 6 0彩増)と 設定 していたのでほぼ目標. 5年は前年比46%増 ( 4 6億スイス・フラ を上回って達成されたとみてよい。 8 ン)をめざした。しかし中ソ貿易は 8 4年比較で日中貿易の 1 0分の 1以下,米 中貿易の約 5分の 1であり,その比率はまだ小さい。また米国 ,ソ連 の中国. 1. 5%, 2.5%である。中ソ 貿易の比重 の貿易総額に占める割合はそれぞれ 1 も徐々に伸びているとはいえ中国としては,むしろ実務関係拡大によってソ 連との対話を太くし,これによって政治的対立を少しずつでも柔軟にしてい くことで国内の近代化達成を実現することをねらっているものといえる。 むろんだからといって中ソ経済関係の進展がわが国にとって影響の少ない ものであるということではない。とくに再開された中ソ間の国境貿易が軌道 に乗ってきたことで,ソ連との沿岸貿易を専門に しているわが国の中小貿易 商社(ナホトカにあるダリントルグー極東貿易事務所ーを窓口にしており, わが国からは日本海沿岸各県の 1 3 0社の中小商社が参加。バーター取り引き が基本)にとっては,輸出入両面で中国と直接競合関係に入っているのであ る 。 国境貿易のなかでも日本の商社が注目しているのは,ソ連の沿海州,ハバ ロフスク州など極東地区と 黒龍江省など中 国東北地区との間の取り引きであ り,ソ連の対中輸出品目は,上述したように圧延鋼材,鋼管,アルミニウム など金属製品, 乗用車, 械 ,. 肥料,. セメント,. ダンプトラック,. ヘリコプター,. 板ガラスなどであり,. 木材,鉱山用機. そのうち大宗品目は木材であ. る。また中国の対ソ輸出品目は鉱産物,畜産物,日用品などで,そのうち大 宗品目は縫製品など繊維製品である。いずれも日ソ間の沿岸貿易でも主力商 品となっているものである。今後の 日‘ノ貿易で,ソ 連側が価格面で「チャイ. -26 C558)-.
(27) ナ カ ー ド 」 を 使 う 可 能 性 (41) も あ ら わ れ て き た と い え る 。 日 本 の 商 社 と し て. ゜. つ .. も中ソ国境貿易という競争相手の出現で新たな対応の強化が迫られてこよ. 中ソ関係の変化が,その変化の度合に対応して,中ソ両国と西側諸国との 関 係 の 変 化 を 促 す こ と は 当 然 で あ る 。 だ が 国家 関 係 が正 常 化 さ れ , 経 済 交 流 が 拡 大 したとしても,. そのままイデオロギー,. 共産党間,. 文化,. 民族的な. 差 異 解 消 の 懸 橋 に な る ほ ど事 態 は 単 純 で は な い 。 中 国 の 「反 覇 権」 姿 勢 は 依 然として存続するであろうし,加えて中ソ間の根深い不信感も存在していよ う。西側諸国が中ソ接近を騒ぎ立てることは,まさに中ソ双方の思惑通りで ある。わが国は中ソ関係の動向に対して冷静に見守る態度を堅持すべきであ る 。. 付表:中ソ経済関係をめぐる動き. ( 1 9 8 3年 1月-86年 1月 ) ※関連事項を含む く 1 9 8 3年 〉. 1・26 中国外交部スポークスマン,ソ連の S S 2 0ミサイルの一部極東移転発言を非 難. 2・10 中国・ソ連両国政府間の 8 3年度貿易協定(バーター支払い協定)調印(モス クワ). 2・22 中ソ 国境河川航行合同委 員会.ソ連のプラゴエジチェンスクで定例会議開催 3・1 第 2回中ソ外務次官級協議開催(モスクワ),技術者, 留学生の相互派遣で 合意. 3・24 4・10 7・3 8・4. 中国,第 1 0回モスクワニュース杯国際体操に出席 中国黒龍江省とソ連極東地区との国境貿易会談要録調印(ハル ビン) 中国対外友好協会・中ソ友好協会代表団,ソ連訪問 中ソ両国,黒龍江省の黒河と新彊ウイグル 自治区の ホルゴス,. 卜)レゴトの 3. カ所の 国境貿易地点を再開するために準備中と発表. 8・26 呉学謙外相,アンドロポフ書記長による中‘ノ関係改善提案を全面的に批判 9・1 ソ連留学生1 0 名,北京到着 9・2 李先念主席. アンドロポフ書記長の中ソ関係改善を希望する旨の発言を歓 { 4 U 「日刊工業新聞」 1 9 8 4年 4月 1 7日 。. -27 C559)-.
(28) 迎. 9・4 中国留学生 1 0名,モス クワ到着 9・8 9・12 10・6 1 1・1 6 12・6. ソ連のカビッツァ外務次官訪中( ソ連政府高官の公式訪問は 2 0数年ぶり) 中ソ両国政府,書籍相互交換契約に 調 印(モスクワ) 第 3回中ソ外務次官級協議開催(北京) 新四ウ イグ)レ自治区コルガスでの中‘ノ 国境貿易再開 中国国家気象局とソ連国家気象環境監視委員会,北京ーモスクワ,北京ーハ バロフスク間の気象通信業務改善合意 の議定書に調 印(モスクワ). く 1 9 8 4年 〉. 2・14 万里副首相 ,故ア ンドロ ボフ害記長の葬儀に参列 2・22 部小平主任,中ソ関係改善を進める意 向を表明,訪中のプレジンスキー氏と 会見. 3・4 ソ連客船,2 0年ぶりに上海入港 3・12 第 4回中ソ外務次官級協議開催(モスクワ)。インドシナ問題で応酬 3・ 1 5 中ソ 国境河川航行合同委 員会第2 6回定例 会議議事録調 印(黒河) 3・23 中ソ 蒙朝国境通過貨物運輸計画会議(ウラ ンバートル) 3・24 黒龍 江省とソ連極東貿易公団, 1 9 8 4年度国境貿易協定締結(ナホトカ) 4・16 中ソ 1984-85年度留学生交換議定書調 印(モスクワ)。人数枠は 1 0名か ら7 0 名へ増加。期間は 1 0カ月から 1-2年へ延長。. 4・2] 内蒙古自治区とソ連極東貿易公団が 1 9 8 4年度国境貿易協定締結(ナホトカ) 6・11 チェルネンコ 書記長,中 国のベ トナムに対す る敵対行為非難 7・2 グ ロムイコ 第一副首相兼外相 ,銭其珠外務次官 と会見 7・24 中ソ国境鉄道合同委員会閉会(ハルビン) 7・30 内蒙古自治区とソ連極東貿易公団の 1 9 8 4年度第 2回国境貿易協定調印(ザバ イカ)レスク). 9・21 呉学謙,グロムイコ両外相会談( ニューヨーク) 10・18 第 5回中ソ外務次官級協議開催(北京) 10・30 中越朝蒙 ソ鉄道時刻表会議(北京) 11・30 中ソ 1 9 8 5年度貿易協定調印(北京)。 3 6億スイス・フランで合意 12・5 ア)レヒポフ第一副首相,中国政府貿易代表団と会見 12・12 内蒙古自治区の伊敏河露天炭鉱の総合設計と露天炭鉱の技術経済調査に関す る協定締結. 12・21 アルヒポフ 第一副首相訪 中。 1986-90年の長期貿易協定を結ぶことで合意。 1 9 8 5年度の貿易額を改定し, 4 6億スイス・フランで合意 12・23 中国の留学生慰問党政府代表団訪ソ 12・27 趙紫陽首相,アルヒポフ第一副首相と会見(北京) -28 (560)-.
(29) 12・28 中ソ経済技術協力協定,科学技術協力協定,経済・ 貿易・科学技術協力委員 会設置に関する協定調印(北京). く 1 9 8 5年 〉. 1・4 黒龍江省・ソ連極東貿易公団, 1 9 8 5年度国境貿易に関する会議(牡丹江) 1・26 中国政府,新彊ウイグル自治区がカザフ共和国,キルギス共和国と国境貿易 を行うことを承認. 2・12 中朝蒙ソ鉄道運輸計画会議(北京), 1 9 8 5年の輸出入ならびに国境通過貨物 鉄道輸送量会議の議定書に調印. 2・16 青海省がソ連にヤクの冷凍肉を初輸出 3・3 中国全国人民代表大会代表団,ソ連最高会議の招きで訪ソ,中ソ間国会議員 交流の第一陣. 3・6 中ソ国境河川航行合同委員会第2 7回例会(プラゴベシチェンスク) 3・14 ゴルバチョフ書記長,李鵬副首相と会談(モスクワ) 3・17 中国商品流通体制視察団訪‘ノ 3・21 ア)レヒポフ第一副首相,中国政府運輸代表団と会見(モスクワ) 4・1 1 9 8 5年度貿易連輸会談要録調印(モスクワ) 4・2 黒龍江省とソ連極東地区(ソ連極束貿易公団)の貿易交渉終了 4・9 第 6次中ソ外務次官級協議(モスクワ) 6・4 新華社とタス通信社,短期特派員の相互派遣に関する議定書調印 6・13 斉猿遠外務次官補,ソ連外務省領事代表団と会談(北京) 6・16 1 9 8 5年度中ソ文化協力計画調印(北京) 7・3 李先念国家主席・彰真全人代常務委員長.グロムイコ・ソ連最高会議幹部会 議長に祝電. 7・10 挑依林副首相,訪ソ,「中ソ長期経済貿易協定 (1986-90年)」「中ソ経済技 9 9 0年までの両国間貿易額は 1 2 0億)レープル 術協力協定」締結(モスクワ)。 1 ( 約1 4 4億ドル)を見込み。. 7・10 黒龍江省黒河とプラゴベシチェンスク両港の開放,国境貿易の貨物の引き渡 しと輸送に関する会談要録と協定調印(プラゴベシチェンスク市). 7・18 中ソ輸出入商品検査会談覚書調印 8・23 シェワルナゼソ連外相,李則望駐‘ノ大使と会見 9・2 中国国際貿易促進委員会とソ連商工会協力協定に調印 9・3 ア)レヒポフ第一副首相,王耀庭中国国際貿易促進委員会主任と会見 9・3. ソ連主催の公共施設•生活設備国際展覧会モスクワで開幕,中国館入口に. 「中ソ両国人民の友好万歳」のボート出現. 9・9 中国・モンゴル国境鉄道新議定書調印 9・26 呉学謙外相,シェワルナゼソ連外相と会談(ニューヨーク). -29 (561)-.
(30) 10・4-18 第 7回中ソ外務次官協議(北京) 10・12 李先念国家主席, トルクノフ・ソ連連邦会議議長を団長とするソ連最高会議 代表団と会見 1 1・2 2 中ソ領事条約仮調印(モスクワ). 12• 5 カヒ°ッツア外務次官,訪中,銭其深外務次官らと中‘ノ関係改善.国際問題に ついて協議. 12・23 ゴルバチョフ書記長,李鵬副首相と会談(モスクワ)。 く 1 9 8 6年〉 1・1 9 シェワルナゼソ連外相の訪日,北京放送論評 1・26 新彊ウイグ)レ自治区の対ソ国境貿易, 8 5年は前年の 3倍増 (2億スイスフラ ン)を発表. 1・29 内蒙古自治区の対ソ国境貿易. 3年間で 4倍増を発表. -30 C562)-.
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