シャ村を中心に
-著者
田島 康弘
雑誌名
南太平洋海域調査研究報告=Occasional papers
巻
42
ページ
78-89
別言語のタイトル
New comers and their participation to the town
development in Yoron Island
与 論 島 に お け る 来 住 者 と ま ち づ く り -と く に ギ リ シ ャ 村 を 中 心 に-田 島 康 弘 鹿 児 島大学教 育学部 要 旨 与論 島のまちづ く りでは、来住者 の活躍 が 目立つ。本研究で はまちづ くりの一環 であ る ギ リシャ村構想 を取 り上 げ、 この実現 をめ ぐる諸問題 を検討 した。そ の結果 、地 域の こ と は 自分達でや る とい う自律 陸や 、ギ リシャの何 を(どうい う要素 を)取り入れ るのかについ ては創造 性が必要な こと、 な どが論 じられ てい るこ とがわか った。 また、来 住者 の活 躍の 背景 には、与論 の人が来住者 をもてなす気持 ちを持ってお り、彼 らの能力 を生か し、活 用 しよ うとす る姿勢 が あ るこ とな どもわ かった。 キー ワー ド:来 住 者 、ま ちづ く り、ギ リシ ャ村構 想 、 自律性 、創造 性
New corners
and their participation
to the town development
in Yoron Island
TAJIMA Yasuhiro
Faculty of Education,
Kagoshima University
Abstract
New comers are active in the town development activity in Yoron Island. There is an idea of
"Greek Village" in this town development
plan which is discussed
in this study. Yoron people stressed
autonomy
and creativity in their discussion.
The former means they manage all things about their area
by themselves and the latter means what kind of elements they should select in Greek culture or
society. Yoron people have welcome spirit. This is the reason why new corners are active in the town
development.
Key words: new comers, town development, Greek village, autonomy, creativity 第1章 は じ め に ま ちづ く りの担 い 手 、 主 役 は 言 うま で も な くそ この 住 民 で あ り、 そ の地 で生 まれ た そ の 土地 の 出身 者 で あ れ ば 、 そ れ だ け そ の地 に 対す る愛 着 も強 く、 そ うい う人 達 が ま ちづ く り の 中 心 に な る こ とが 一 般 に予 想 され る。しか しな が ら、与 論 町 で はそ の ま ち づ く りの 中で 、 来 住 者 の果 た して い る役 割 、活 躍 が 際 立 っ て い る よ うに思 わ れ る の で あ る。 本 研 究 で は ま ず 、1)与 論 町 の ま ち づ く りの 中で 活 躍 す る数 人 の 来 住 者 を取 り上 げ 、 そ の活 躍 の 実 態 を 把 握 す る。つ い で 、2)与 論 町 の ま ちづ く りの1つ の 中 心 的 な 内容 で あ り、 来 住 者A氏 が 関 わ って い る 「ギ リシ ャ村 」 を取 り上 げ 、 これ を め ぐる諸 議 論 の検 討 を通 し て 、与 論 町 にお け る ま ち づ く りの 方 向や ポイ ン トにつ い て 考察 す る。そ して最 後 に、3)与 論 町 の ま ち づ く りにお い て 来 住 者 が 活 躍 して い る背 景 や 理 由 につ い て 考 え て み た い 。 従 来 、 人 の移 動 に 関 わ って 来 た筆 者 は 、 は じめ 与 論 島 出身 者 と与 論 町 の 「ま ちづ く り」 との 関係 を 考 えた が 、 この 点 につ い て は 、今 ま で の とこ ろそ れ ほ ど顕 著 な事 実 を把 握 す る こ とが で き て い な い 。 そ こで 、 今 回 の 報 告 は 島外 か らの来 住者(い わ ゆ るIタ ー ン者)に 焦 点 を 当 て 、 彼 らが 与論 島 の ま ち づ く りに果 た して い る役 割 につ い て 検 討 す る こ とに した 。 こ こ で 、最 後 の 考 察 に も 関係 す る の で 、 与論 島 か ら島 外 へ の 出身 者 につ い て ふ れ て お き た い 。 1、 与論 島 出身 者 は1)東 京 とそ の周 辺 、2)関 西 が 多 い が 、次 い で3番 目に3)大 牟 田 ・ 荒 尾 地 区 に 多 い こ と。 2、 大 牟 田 ・荒 尾 地 区 に多 い 理 由 は 、 明治 期 の長 崎 県 口之 津 へ の 集 団移 住 が 、 そ の 後 石 炭 の積 み 出 し港 が 口之 津 か ら大 牟 田へ 移 っ た た め 、大 牟 田地 区へ 再 移 住 した た め で あ る こ と。 3、 以 上 の他 で は 、鹿 児 島 、北 九州 、名 古 屋 周 辺 、 長 崎 、 沖 縄 な どで も出身 者 が 多 く、 ま た 、 距 離 的 に近 い 名 瀬 市 を は じめ と した奄 美 諸 島 に も多 い こ と。 4、 出身 者 は 各 地 で 「与 論 会 」 を結 成 し、 出身 母 体 で あ る与 論 島 と連 絡 を取 り合 っ て い る こ と。 5、 鹿 児 島 県 肝 属 郡 田代 町 に も 、与 論 島 か らの 満 州 開 拓 団 の 帰 国者 が入 植 した集 団 開拓 移 住 地 が あ り、 田代 町 とは 姉 妹 町 関係 に あ る こ と。 以 上 の よ うな こ とが わ か っ て い る 。 第2章 与 論 町 に お け る 人 口移 動 来 住 者 の活 躍 に つ い て 述 べ る前 に 、 与論 町 の 人 口動 向の 概 要 を把 握 してお きた い 。 こ こ で検 討 す る 内容 は 、1)与 論 町 の 人 口の変 化 と、2)与 論 町 へ の入 込 客 の 動 向 の2点 で あ る。
1)与 論 町 の 人口 の 推 移(図1) 与論 町 の 人 口は 、 戦 後 にお い て は1955年 が最 も多 く、 日本 経 済 の 高度 成 長 期 に、他 の 農 産 漁 村 と同様 の減 少 を見 た が 、1975年 か ら1980年 にか けて 増 加 して い る こ とが 大 きな 特 色 と言 え よ う。 この 原 因 は、 次 に 見 る よ うに 入 込 み 客 の 増 大 に伴 う観 光 産業 の発 展 が そ の背 景 に あ る もの と考 え られ る。1985年 以 降 は 再 び 減 少 を始 め 、こ の傾 向 は現 在 ま で続 い て い る。 た だ 、世 帯数 を 見 る と、高度 成長 期 に多 少 減 少 した が 、そ の後 は増 加 して お り、と く に、 人 口が 再 び減 少 した1985年 以 降 も増加 傾 向 に あ る こ とが 読 み 取 れ る。 この こ とは 、 必 ず し も過 疎 化 が 著 しい とい うこ とで は な い こ と、 ま た 、 人 口減 少 の 中味 は 、青 年 層 の 流 出 で あ る こ と、 を予 測 させ る も の で あ る 。 人 ・世 帯 人 口 世 帯数 5 5 9 1 1 9 6 0 1 9 6 5 1 9 7 0 1 9 7 5 1 9 8 0 1 9 8 5 1 9 9 0 1 9 9 5 2 0 0 0 年 図1与 論町 の人口の 推移 2)入 込 客 の 推 移(図2) 次 に 、与 論 町へ の入 込 客 の推 移 をみ る と、1970年 代 に 急 増 し、そ の ピー クの1978∼79 年 に は15万 人 を超 えた 。そ の 後 も1980年 代 前 半 ま で は10万 人 以 上 を維 持 して い た が 、 80年 代 後 半 は9万 人 台 とな り、90年 代 前 半 か8万 人 台 、 後 半 は7万 人 台 と、徐 々 に減 少 の傾 向 を た どっ て き て い る。 図 で は 示 さな か っ た が 、以 前 の入 込 み 客 は船 に よ る客 が 圧 倒 的 に多 か っ た が 、 船 客 は 次 第 に減 少 し、1990年 代 の 前 半 は逆 転 して 、飛 行 機 客 の方 が船 客 を 上 回 っ た 。そ の後 は ほぼ 同 数 の 状 態 が 続 い て い る。
入込客 年 図2与 論 町 の 入 込 者 の 推 移 第3章 来 住 者 の 活 躍 こ こ で は 、与論 町 の来 住者(1タ ー ン者)の 中で 活 躍 してい る人 び とに 注 目 し、聞 き取 りか ら明 らか に な っ た そ の 内 容 に つ い て整 理 して み た い。 こ こで 具 体 的 に取 り上 げ る人 は 、1) もず くそ ば製 造 ・販 売 のS氏 、2)貝 細 工 工 芸 のA氏 、3)与 論 健 康 村 のK氏 、そ して4)土 産 物 店 経 営 のA氏 の4人 で あ る。 この他 、Iタ ー ン者 で は ない が 、Uタ ー ン者 の1人 と し
て活 躍 して い る 与 論 民 俗 村 のK氏 に つ い て も、 比 較 の意 味 も含 め て取 り上 げて み た い 。 1)も ず くそ ば 製 造 ・販 売 のS氏 S氏 は1937年 、 栃 木 県 、栃 木 市 の 生 ま れ で 、20才 の 時 、 関 西(神戸)に 出 て 、食 品 関 係 の仕 事 を して い た 。40才 の 時 に 与論 に 遊 び に 来 て 、海 の ない 県 に生 まれ た彼 は 「与論 の海 の きれ い さの と りこ」 に な った 。 与 論 に来 た 時 は 「一 文 無 し」 で あ っ た が 、 家や 着 物 に金 が か か らず 、ま た 、 「酒 や タバ コ も しなか っ た」 の で 生活 費 が か か らな か っ た。何 よ り、与 論 の 人 に は 大 清や 人 間 味 が あ っ て 、 「朝 起 きて み る と玄 関 に野 菜 が 置 い て あ り」、 ま た 、家 に カ ギ を か け る こ と もな か っ た 。 とき あ た か も、氏 が 与論 に移 住 した1977年 は 与論 の観 光 が ピー ク に達 す る 直前 で あ り、 1976年 に は与 論 空 港 が 開港 し、1978年 、78年 に は入 り込 み 客 が15万 人 を超 え た 。 氏 が 経 営 す る店 の ラ ー メ ンや コー ヒー は味 も良 い とい う こ と も あ っ て 「い く らで も売 れ た 」。 こ う した 中 で 、 特 産 品 づ く りも始 め た が 、 は じめ は 全 く売 れ な か っ た。 しか し、 氏 は 麺 類 が好 き で あ り、 ま た 与 論 で は4月 か ら6月 に か けて 、 天 然 の もず くが取 れ た の で 、 こ う した条 件 を 生 か して1988年 に 「もず くそ ば 」 を 開 発 した の で あ る。 これ もは じめは 、 島 内 で行 わ れ る 同 窓会 の 会 合 や 年 越 しそ ば な どの 際 に 、 た だ(無 料)で 島 中 を配 つ て歩 い た そ うで あ る が 、 や が て 次 第 に 「お い しい 」 とい う言ヨ畔1」を得 、 現 在 で は与 論 島 の 土産 物 と して は もち ろ ん 、 島 内 の どの 店 や スー パ ー で も売 られ て お り、 また 、 民 宿 で も使 われ て い る。
防 腐 剤 や 着 色 剤 は い っ さい 使 わず 、手 作 り、 自然 乾 燥 を 自慢 に してい る。 家 族 労働 の他 、 従 業 員 が8人 お り、 年 間3000∼4000万 円 の 売 り上 げが あ る。 た だ 、原 料 の もず くは 与 論 だ け で は足 りな い の で 、 沖 縄 の 本 島 や 離 島 の もの を使 っ て い る。 もず くの他 に キ ビ酢 の 生 産 も少 しで は あ る が行 っ て お り、 また 、海 水 を 引 き上 げて塩 、 に が り、蒸 留 水 な どの 生 産 も行 っ て い る。 氏 は ま ち が 組 織 す る 「特 産 品 開発 グル ー プ 」 の メ ンバ ー の1人 で も あ る。 ま とめ る と、氏 は1977年40才 で 与論 に来 て 、1988年 「もず くそ ば 」 を 開発 し、1997 年 もず く工場 だ けが 存 在 した 現 在 地 に青 い海 と沖縄 本 島 が 見 え る レス トラ ン 「青 い 珊 瑚 礁 」 を 開業 し、 さ らに製 塩 等 の 製 造 も行 うに至 っ て い る。 氏 は 主 と して特 産 品 開発 の 面 で 与 論 町 の ま ち づ く りに 貢 献 して い る 2)貝 細 工 加 工 のA氏 A氏 の本 業 は 貝 細 工 工 芸 で 、 大 き な 貝 を 削 っ て 装 飾 品 な どに加 工 し、 島 内外 の 土 産物 店 等 へ の販 売 の他 、 自分 の 店 で の 販 売 も行 っ て い る。 しか し、 氏 の 話 は もっ ぱ ら情 報 関 係 の 話 が 中 心 で あ っ た 。 氏 は 町 が 組 織 す る情 報 グ ルー プ の メ ンバ ー の1人 で あ り、 この 面 で 氏 は 与 論 町 の ま ち づ く りに 貢 献 して い た 。 間 もな く(2003年9月)イ ン ター ネ ッ ト上 で 「与 論 情 報 サ イ ト」 をテ ス トオー プ ン し、 10月 に 正 式 にス ター トす る。 高速 化 が 実現 で き るADSEが 町長 を先 頭 とす るNTTと の 交 渉 で 、奄 美 で は 名 瀬 市 に次 い で2番 目に 与論 に 導 入 され る こ とが決 ま っ た。 ま ず は 与 論 の文 化 を発 信 す る こ とか ら始 め 、 そ の うち 、 与論 で も可 能 なIT関 係 の産 業 が 島 内 で 生 ま れ た り、 ま た 島 外 か ら進 出 して 来 た りす る こ とを 期 待 して い る。 さ らに 、 島 内 の 生 産物 の ITを 通 じて の 販 売 を も 目指 して い る。 与論 の 情報 化 を 目指 して い る こ の グル ープ はE-○K(イ ー マ ル ケ イ)と 呼 ばれ 、 そ の メ ンバ ー は 実 質10名 程 度 で 。 1)ま ず は サ イ ト自体 を 人気 の あ る魅 力 的 な サ イ トに す る こ と 2)こ の サ イ トを全 国 に散 在 す る 与 論 関係 者 の 交 流 の 場 に す る こ と 3)や が て は 次 の 段 階 と して 物 産 の 販 売 をお こな う こ と を 目指 して活 動 して い る。いず れ に して も情 報 の交 流 が最 初 で あ り、ビジ ネ ス は次 の段 階 と して 区 別 して い る。 ま た 、情 報 交 流 の方 は 島 内 部 で の 活 用 も大 い に行 っ て行 きた い とす る。 氏 は1973年 来 島 し、自然 環 境 の 良 さが 気 に入 っ て 定住 を決 め た 。5年 後 の1978年 に結 婚 して い る。 この 当 時 、 と く に1970年 代 の 後 半 か ら80年 代 の前 半 は 、入 り込 み 客 が10 万人 を超 え 、若 者 を 中心 と した た く さん の観 光 客 が 本 土 か ら来 て い た 時期 で 、氏 の 貝 細 工 の仕 事 も こ う した 中 で 始 め られ た も の で あ る。 しか し、 そ の 後 は入 り込 み 客 は減 少 な い し 停 滞傾 向 が続 い て お り、 何 とか 若 者 を 呼び 戻 した い と氏 は 願 って い て 、 それ に は仕 事 が あ
る こ とが必 要 だ と考 えて い る。 氏 が取 り組 ん で い る情 報 化 も これ に結 び つ く こ と を望 ん で い る 。 氏 に よれ ば 、観 光 客 が 減 って い る理 由 の1つ は 、 交 通 の 便 と りわ け航 空 交 通 の 便 が 悪 い か らで あ る とい う。 本 土 か らの 客 の ほ とん どは沖 縄 経 由 で 来 るが 、 那 覇-与 論 間 の便 数 が 夏 で も週3便 、 冬 は1便 しか な く、 那 覇-久 米 島 間 の 週5便 な ど と比 べ て不 便 だ か らだ と い うの だ。 た だ 、海 水 の 淡 水 化 設 備 の設 置 で水 も良 くな っ て きた し、病 院 もあ り、 何 よ り も 人 び とが 協 力 的 で 住 み や す い こ と を氏 は 強 調 した 。 3)与 論 健 康 村 のK氏 与論 の ま ち づ く りにお け る氏 の活 躍 は既 に紹 介 も され て お り、 良 く知 られ て い るの で 、 こ こで は簡 単 に した い 。 徳 島 県 生 ま れ の 氏 は 、熊 本 で の 病 院 長 な どの経 歴 を経 た 後 、1988年 に 与論 で 定 住 をは じ め 、1995年 に 与論 健 康 村 を発 足 させ た。 そ の後 、 タ ラ ソテ ラ ピー(海洋 療 法)を 学 ん で 与論 に導 入 す る。2001年7月 に はJETROの 協 力 も受 け、 町 か らタ ラ ソテ ラ ピー の視 察 の た め ギ リシ ャ へ 派 遣 され 、 以 後 、 こ れ を柱 に ま ち づ く り に取 り組 ん で い る。 タ ラ ソテ ラ ピー とは 何 か につ い て氏 自身 は 「治 療 の 目的 て梅 水 と海藻 、 そ して 大気 と海 洋 性 気 候 の 特性 を組 み 合 わせ て 活 用 す る もの で あ る。 この 治 療 に必 要 な の は海 岸 地 帯 の 施 設 で あ り、 これ は あ らゆ る汚 染 を排 除 した新 鮮 な海 水 を汲 水 で き る特 別 な装 置 を 持 ち、 微 気 候 的 に 有名 な 土 地 に建 て られ る」 とい う定義 を 引 用 して い るが 、健 康 村 の ホ ー ム ペ ー ジ に あ る 「海 洋 の 自然 環 境 を利 用 して免 疫 力 を 回 復 させ 、 病 気 の 予 防 、治 療 を行 う根 治 的 な 療 法 」 の こ と とい う説 明 の 方 が わ か りや す い 。 ギ リ シャ視 察 か ら半 年 後 の2002年2月 、 ク レタ 島 の タ ラ ソテ ラ ピー施 設 経 営 者M.A 氏 の来 島 と講 演 を きっ か け に氏 は タ ラ ソテ ラ ピー研 究 会 を発 足 させ 、 同年7月20日 プ リ シ ア リゾ ー トで 第1回 研 究 会 を 開催 して い る。 ま た 、9月 に は与 論 町 か ら6名 が タ ラ ソテ ラ ピー の視 察 の た め にギ リシ ャ に行 き 、2003年2月 には ギ リシ ャ か ら専 門 家 を招 い て タ ラ ソテ ラ ピー に 関 す る フォ ー ラ ムや セ ミナ ー を 開催 して お り、 タ ラ ソテ ラ ピー を 取 り入 れ た ま ちづ く りが進 め られ て 来 て い る 。 こ の他 、氏 が 村 長 で あ る健 康 村 で は 、 「『健 康 作 り』 『環 境 作 り』 『地 域 交流 』 の活 動 を通 じて 、健 康 で 自然 と人 が 共 存す る豊 か な社 会作 りを 推 進 して い る」と して 、健 康 作 りで は 、 健 康 指 導 、 定 例 ウォ ー キ ン グ、 エ イ サー教 室 を 、環 境 作 りで は 、 ケ ナ フ栽 培 、 ク リーンエ ネ ル ギー へ の 取 り組 み 、 海 岸 の 清 掃 を 、地 域 交 流 で は 、 北 海 道 新 冠 町 との交 流 を そ れ ぞ れ あ げ て い る。 これ らは 与論 町 の ま ちづ く りの一 部 を担 っ た活 動 と言 え るだ ろ う。 氏 の考 え は健 康 を 中 心 と した ま ちづ く りそ の も の と も 言 え よ う。
4)み や げ物 店 経 営 のA氏 A氏 は東京 に 生 ま れ 、某大 企 業 の サ ラ リー マ ンを して い た が 、 会社勤 め が いや にな り、 1971年 会 社 を辞 め て人 生 の節 目の 旅 行 を企 て 、た ま た ま 泊 ま っ た 鹿 児 島 の ユー ス ホ ス テ ル で 与論 か ら帰 っ て 来 た 人 に会 い 、 そ の人 の話 を 聞 い て 与 論 に来 る こ とに な り、 そ の ま ま 住 み 着 い た の で あ っ た 。 翌 年 の1972年 には 沖 縄 の 本 土復 帰 が実 現 し、 離 島 ブ ー ムが 起 きつ つ あ っ た 頃 で あ り、 ま た 、 ヒ ッ ピー とか カ ニ 族 な ど と言 われ た旅 行 形 態 が 生 ま れ て い た頃 で もあ っ た 。最 初 の 半年 間 は 民 宿 の ヘ ル パ ー を し、 そ の後 、み や げ物 店 で の ア ル バ イ トに移 っ た。 この 店 は 貝 細 工 の ア ク セ サ リー を 自 ら製 作 し販 売 す る店 で 、例 えば 、 パ イ プ ウニ の か らを加 工 して 風 鈴 に した り、別 の ア クセ サ リー に した りして い た 。 この 店 で の は じめ の3∼4年 間 は 、 主 に 出来 上 が っ た製 品 を各 小 売 店 に卸 す 仕 事 で 、 この た め沖 縄 本 島 か ら八 重 山 の離 島 ま で 飛 び 歩 い た と言 う。 定住 か ら5年 後 の1976年 、 よ うや く独 立 して 自分 の 店 を与 論 の銀 座通 りに 開 く に至 っ た。 そ の後 、 沖縄 の 国 際 通 りに2軒 の店 を 開 く程 に もな っ た が 、 家 族 の こ と も考 えて今 は 与 論 だ け で あ る。 とこ ろ で 、A氏 の ま ちづ く りへ の 関 わ りは ギ リシ ャ村 に 関 して で あ る。 氏 は現 在 、 ギ リ シ ャ村 推 進 実 行 委 員 会 会 長 で 、 与 論 島 ギ リシ ャ 村 の 代 表 で あ り、 ギ リシ ャ村 づ く りの 中心 人 物 で あ る。A氏 の ギ リシ ャ村 を通 して の ま ち づ く りへ の 貢 献 につ い て は 、 章 を 改 めて 述 べ る こ とに した い 。 5)与 論 民 俗 村 のK氏 最 後 に 、Iタ ー ン者 で は ない が ま ち づ く りに活 躍 して い るUタ ー ン者 のK氏 につ い て ふ れ て お こ う。 K氏 は 現 在 、 「与 論 民 俗 村 」 の経 営 者 で あ る 。 こ の 民 俗 村 は 与論 の 民 家 や 与 論 で使 わ れ て い た様 々な 民 具 な どが展 示 され て い るが 、これ らは 主 にK氏 のお 母 さん が収 集 した もの で あ る。K氏 のお 母 さん は 民 具 の収 集 だ けで な く、与 論 の 人び との 衣食 住 の 生活 や 言 葉 ・方 言 な ど与 論 の 文 化 全 般 に亘 っ て収 集 や研 究 を した 人 で 、学 識 経験 者 と して 町 の 第4次 総 合 計 画 の 審 議 委 員 に も な っ て い た 人 で あ る。 K氏 自身 は 、1975年18才 の 時 島 を 出て23-24才 の 時戻 っ た の で あ るが 、Uタ ー ン と い う意 識 は な い と言 う。 氏 の 兄 弟5人 も皆 こち らに 戻 っ て 生 活 してい る。 氏 は 、 お 母 さん の考 え を 受 け継 い で 与 論 の 伝 統 文 化 の保 存 に努 め 、 この こ とを1つ の仕 事 と して 成 り立 た せ て い る。 観 光 客 に 芭 蕉 布 織 りや 黒 糖 づ く り等 の 体 験 教室 な どを 開 き 、 与論 の伝 統 文化 の 紹 介 に努 め て い て 、 与論 の ま ちづ く りに は 欠 か せ な い 役 割 を 果 た して い る と言 え よ う。 氏 は 昔 の 人 の 生活 の 中で 大 切 な も の は 、 もの よ りも言 葉 や 心 で あ る こ とを 強調 され 、 近 年 の学 校 教 育 の 中 で も この こ とが見 直 され て 、K氏 をは じめ地 域 の人 が 呼 ばれ る よ うに な
っ た こ とを評 価 して い た 。 また 、現 代 の生 活 が 珊瑚 を死 滅 させ て い る こ とや 、 ソテ ツや ガ ジ ュマ ル を 切 っ て しま っ て い る こ とな どの 問題 に つ い て も指 摘 され た 。 第4章 来 住 者A氏 と ギ リ シ ャ 村 本 章 で は 、 与論 島 にお け る ま ちづ く りの1つ の ポ イ ン トを なす ギ リシ ャ村 に つ い て 取 り 上 げ 、 これ と来 住者A氏 との か か わ りやA氏 が 果 た して い る役 割 につ い て扱 い た い 。 こ の た め に ま ず 、1)与 論 島 とギ リシ ャ との 交流 の経 過 につ い て概 観 す る。 次 い で 、2)こ う し た 交流 とA氏 との 関 わ りにつ い て扱 い 、 そ の後 で 、3)ギ リシ ャ木構 想 とま ち づ く りの 方 向 を め ぐ っ て の 諸 問 題 に つ い て 検 討 した い 。 1)与 論 町 と ギ リシ ャ 、 ミ コ ノ ス 市 と の 交 流 1970年 代 の 末 、 与 論 は 「入 り込 み 客 」 の ピー ク を迎 え る が 、80年 代 に入 る とそ の数 は 減 少 を 始 め る。83年 の 「ヨロ ンパ ナ ウル 王 国 」の 建 国 は こ う した 客 の減 少 に対 す る対 策 の 1つ だ っ た で あ ろ うが 、84年 の ミコ ノ ス 市 との 姉妹 盟 約 も 同様 の 対 策 の1つ で あ っ た と言 え よ う。 当 時 、観 光 地 と して の レベ ル ア ップ を 図 るた め に は、 国 際交 流 の推 進が 必 要 と さ れ 、地 中海 の海 洋 観 光 島 で あ り、 ま た 、 与論 とほ ぼ 同程 度 の 人 口規 模 を持 つ ギ リ シ ャの ミ コ ノ ス 島 が 注 目 され る に至 った の で あ る。1984年11月 、与 論 町 の26名 が ミ コ ノス 島 を 訪 問 し、11月14日 、 市 庁 舎 で 姉 妹 盟 約 が締 結 され た 。 しか しな が ら、 こ うした努 力 に も か か わ らず 、 客 の減 少 は 止 ま らず 、 そ の後 は86年 に ギ リシ ャ風 の 中学 校 体 育館 の完 成 や 89年 の ギ リシ ャ風 茶 花 港 待合 所 の建設 が な され た く らい で 、ギ リシ ャ熱 は 下火 に な っ て い た。 こ うした 中 で 、 再 び ギ リシ ャ との 交流 に 注 目 した 動 きが1997年 の 「ギ リ シャ 村 」 の 動 き で あ っ た。 この 前 年 、 茶 花 海 岸 の海 岸 道 路 を ミ コ ノス 通 り と命 名 した こ とが この きっ か け とな っ た よ うだ 。 この 「ギ リシ ャ 」村 とは 、 茶 花 の 市 街 地 の 一 部 で 白い建 物 が 立 ち並 ぶ 一 角 を 中 心 とす る地 区の14軒 か ら構 成 され て い る 「村 」 の こ とで 、 「魅 力 の あ る 、歩 い て 楽 しい街 並 み 」 作 りを 目指 して 結 成 され た。 開村式 には ギ リシ ャ大 使 館 員 を招 待 して盛 大 に行 っ た り、ま た 、村 の 代 表 が ミコ ノ ス 市 を訪 問 した りす る な ど活 発 な交 流 を行 っ て い る。 さ らに1999年11月 に は 、姉 妹 盟 約15周 年 を 記 念 して 式 典 を 開催 し、 同 時 に 「ギ リシ ャ 村 地 域 づ く りシ ンポ ジ ウ ム」を行 っ て い る。 こ の シ ン ポ ジ ウム の 主催 は 、ギ リシ ャ 村 を さ らに広 げ た 「ギ リシ ャ村 通 り会 」(70事 業 所 が加 盟)で 、2000年 、2001年 と計3回 継 続 し て行 な わ れ た。2001年 頃 か らは新 た に タ ラ ソテ ラ ピー が 、ギ リシ ャ との交 流 の1つ の 内 容 と して 入 っ て 来 る よ うに な る 。 2)ギ リ シ ャ 村 と 来 住 者A氏 以 上 述 べ た ギ リシ ャ との 交 流 の 中 で 、 当初 の 盟約 締 結 当時 は 「町」 が 中 心 で あ っ た が 、
1990年 代 後 半 以 後 の動 き は む し ろ 「民 間 」が 中心 とな っ て お り、こ の民 間 の 中 の 中 心 人物 がA氏 で あ っ た 。す な わ ちA氏 は1997年 に 開設 され た 「ギ リシ ャ村 」の 代 表 で あ り、 ま た 、 「中央 通 り会 」の 会 長 も兼 ね てい て 、の ち両 者 は統 合 して70名(事 業 所)を 組 織 す る 「ギ リシ ャ村 通 り会 」 とな り、 そ の 会 長 に も就 任 して い る 。 前 述 の 与論 ・ミ コ ノス 姉 妹 盟 約15周 年 記 念 式 典 は 、 この 「ギ リシ ャ村 通 り会 」 が 主 催 した もの で 、役 場 を 動 か し、 ギ リシ ャ大 使 館員 を 招 くな ど盛 大 に行 っ て い る。 ま た 、 前 述 の 「ギ リシ ャ村 地 域 づ く りシ ン ポ ジ ウム 」の他 、1999年 以 降毎 年 「ギ リシ ャ フ ェ ス テ ィバ ル 」を 開催 して お り、2003年 に は 「ギ リシ ャ 国 際 シ ンポ ジ ウム 」 を 開 い て 、ギ リシ ャ との 交 流 や ま ち づ く りの 方 向 に 関 す る議 論 を進 め て きて い る。 とこ ろ で 、以 上 の よ うな 行 動 の 元 に な っ てい るA氏 の 考 え方 や ギ リシ ャ木構 想 とは どの よ うな も の な の だ ろ うか 。 2000年8月 、 与論 町 企 画 調 整課 は 、 「21世 紀 の 与 論 」 と題 す る作 文 の募 集 を 広 く町 民 に 呼び 掛 け た が 、 こ の一 般 の部 の最 優 賞 にA氏 の 「ギ リシ ャ村 を考 え る」 が 当選 した の で あ る。 この 内 容 は 次 の7つ か らな っ て い る。1初 め に、2与 論 ・ギ リシ ャ の 交流 の経 緯 、 3ギ リシ ャ村 の 目的 、4ギ リシ ャ村10年 後 の 将 来 、5専 門家 か らの意 見 、6与 論 の 抱 え る 問 題7終 わ りに こ の 中 の 特 に3の 目的 で は、 「現在 進 め られ てい る 与論 港 コー ス タル リゾー ト開発 計 画 」 とい う 「巨 大 プ ロ ジ ェ ク トに ギ リシ ャ村 構 想 を 噛 み 合 わ せ 、 官 民 一 体 とな っ た地 域 興 しに よ り、 日本 に 唯 一 冠 た る ギ リシ ャ村 を構 築 し、 与論 の 経 済 ・観 光の浮 揚 ・再 生 に 繋 げ る こ とが 目的 で あ る」 と して お り、 ま た 、4の 「10年 後 の 将 来 」 の 部 分 で は 「与論 の表 玄 関 の供 利 港 ・空 港 周 辺 か らバ ラ ダイ ス ビー チ(ギ リ シ ャ風 車 建 設 予 定)・ プ リシ ア リゾ ー トを 経 て 、 コー ス タル 開 発 地 区 ・茶 花 市 街 地 ・宇 和 寺 団 地 ま で の 海 岸 一 帯 」 を ホ ワイ トカ ラー で統 一 した景 観 に し、 役 場 、漁 港 、商 店 街 、近 隣 住 宅 の 連 繋 ・協 調 性 を作 り出 し 「町 を活 性 化 させ 、 さび れ た 観 光 地 とい うイ メー ジ か らの 脱 却 」 を図 る主 旨 の こ とを述 べ て い る。 こ の よ うな 内 容 か らギ リシ ャ木構 想 やA氏 の 考 え を 一 定 程 度 知 る こ とが で き る 。 民 間 人 で あ る氏 の 考 え は行 政 に よ っ て 高 く評 価 され 、 計 画 に取 り入 れ られ て い る。 す な わ ち 、2001年3月 、 与 論 町 は 「人 と 自然 が輝 くオ ン リー ワ ンの 島づ く り」 と題 す る第4 次 与論 町総 合 振 興 計 画 を発 表 した が 、 そ の 第4章 、 戦 略 プ ロジ ェ ク トの1つ に 「生 きた 博 物 館 構 築 プ ラ ン」が あ り、そ の 中 で 、 「ヨロ ン ・ギ リシ ャ交 流 の ま ちづ く りの推 進 」の 項 目 が設 定 され 、 「ギ リシ ャ風建 築 物 の建 設 促 進 」や 「ギ リシ ャ 関連 施 設 の充 実 」が指 摘 され て い る。ま た 、第5章 基 本 計 画 の3産 業 の 中 の④ 観 光 の 部 分 で も、「ギ リシ ャ風 の 景 観 づ く り」 に つ い て ふ れ て い る。 3)ギ リ シ ャ 村 構 想 と ま ち づ く り ギ リシ ャ村構 想 に は 、 「何 故 与論 で ギ リシ ャ な の か 」 を は じめ と して 様 々 な議 論 が あ り、
それ 故 こ うした 問題 を め ぐ って 何 回 か の シ ンポ ジ ウム が 行 われ て き た。 こ こで は ギ リシ ャ 村 構 想 とま ち づ く りの 方 向 に焦 点 を 当 て 、議 論 の整理 を して み た い 。 この 問題 に 焦 点 を 当 て た シ ンポ ジ ウム は1999年 か ら3年 に亘 っ て 毎 年 行 わ れ た ギ リシ ャ村 地 域 づ く りシ ン ポ ジ ウム で あ り、 特 に そ の 第2回 目は 「ギ リシ ャ村構 想 の 実 現 に 向 け て 」 と題 す るパ ネ ル デ ィ ス カ ッシ ョ ンが 行 わ れ 、 こ こ に論 点 が集 約 され て い る よ うに思 われ る。 そ こで 、 この 内 容 に つ い て 紹 介 し検 討 して み た い 。 こ の パ ネ ル デ ィス カ ッシ ョン は 、(1)景観 とま ちづ く りの 動 向 、(2)与論 町 に お け るギ リシ ャ村 の意 義 、(3)与論 とギ リシ ャ との 経 済 交 流 、の3つ の事 柄 を柱 に進 め られ た が 、(3)につ い て は ま ち づ く り との 関 連 も少 な く、 か け た 時 間 も少 な か っ た の で こ こで は省 略 し、(1) と(2)につ い て の み 取 り上 げ た い 。 (1)の景 観 に つ い て は 「道 を 狭 く した方 が に ぎや か に 見 え る」 「電 線 の 地 中化 を進 め るぺ き 」 「建 物 の形 や 色 の 調 整 を ど うす す め る か 」な どの指 摘 が各 パ ネ ラー か ら出 され 、 これ ら に基 づ く議 論 が な され た 。 しか し、議 論 の 中 心 は 次 の 与 論 町 にお け る ギ リシ ャ村 の 意 義 の 部 分 で あ っ た と言 え よ う。 まず 、 ギ リシ ャ村 を推 進 して い る側 お よび 会 場 か ら、 そ の 意 義 につ い て の次 の よ うな 主 張 が な され た 。 ① 民 間 主 導 で 行 っ て い る こ とに 意 義 が あ る。 ② ギ リ シ ャ風 にす る こ とに よ り、 他 の 地 域 との 差 別 化 が 生 まれ る。 ③ 与 論 にお け る多 様 性 の 中 の1つ と して の ギ リシ ャ村 と して意 義 が あ る。 ④ ギ リ シ ャ風 の 風 景 や 文 化 が 心 地 良 さや 健 康 づ く りの 素 に なれ ば 良 い 。 次 に 、会 場 か らや や 批 判 的 あ る い は 疑 問 的 な 、 次 の よ うな 意 見 が 出 され た 。 ① 現 状 で は 与 論 の ギ リシ ャ村 は 中途 半 端 で あ る。 ② 景 観 の 統 一 は 必 要 な の か 、 ま た 、現 実 に 可 能 な の か 。 ③ 景 観 も さる こ とな が ら、イ ン フ ラ整 備 を しっ か りや る こ との 方 が 大 切 で は な い か。 これ らの意 見 に 対 して は 、次 の よ うな反 論 的 な 、 ま た は これ に答 え る よ うな議 論 が な さ れ た 。 ① まず 、景 観 に 関 して は 、従 来 の ま ちづ く りの 中 には ス トー リー 性 や 方 向性 が な か っ た の で あ り、 そ う した 中 で 白色 で の 統 一 は1つ の 方 向 を打 ち 出 した答 えだ っ た の だ 。 ② ミ コノ ス との 盟 約 を 結 ん だ1984年 当 時 は観 光客 が10万 を切 り、 こ う した 中で 観 光浮 揚 対 策 と して 打 ち 出 され た もの で あ る。 白 に は清 潔 感 もあ り、 島 の イ メー ジ を 出せ る 建 物 は 何 か を 考 え た とき 、 ギ リシ ャ 風 しか な か っ た の だ 。 さ らに議 論 は深 ま り、 次 の よ うな 重 要 な 指 摘 が な され て く る。 ① ギ リシ ャ風 とは 何 な の か 。 古 代 の神 殿 か あ るい は 現 代 の ミ コノ ス か 、 ま た は 通 り の狭 さか。 要 す る にギ リシ ャ の ど うい う要 素 が 「ギ リシ ャ風 」 な の か を 考 え る必
要 が あ る。 ② 「誰 か がや っ て くれ るだ ろ う」で は な く、地 域 の こ とは 自分 達 で や る とい う点 で ギ リ シ ャ村(村 民 会 議)の 人 達 は立 派 だ 。 そ の声 が行 政 に反 映 され て い る こ と も大 切 だ。 要 す る に 、 自分 達 の 地 域 の こ とは 自分 達 で 考 えて 行 動 す る こ とが大 切 だ 。 そ して 、 町 の あ る べ き 姿 を も っ と議 論 す べ きで あ る。 以 上 の パ ネ ル デ ィ ス カ ッシ ョン の 議 論 を 通 して 筆 者 が 感 じた こ とを述 べ て お き た い 。 ① ギ リシ ャ村 は そ れ 自体 が 最 終 目的 で は な く、 あ くま で 与論 の観 光 浮 揚 やま ちづ く り の 手 段 だ っ た はず で あ る し、 今 後 もそ う位 置 付 け て 進 む べ き で あ ろ う とい うこ と。 す な わ ち、 よ り基 本 的 な 、 ま た は 大 き な 目的 を優 先 させ て 、 あ るい はそ れ に位 置 付 け て 、 ギ リシ ャ村 を考 え るべ きで は な い か とい うこ と。 ② ギ リシ ャ とい うの は 、1つ の ヒ ン トと して 捉 え るべ きな の で は ない か とい うこ と。 何 が ギ リ シ ャ風 か とい う発 想 は 、 ギ リシ ャ 的 な もの を ヒ ン トと して 、 ギ リシ ャ 的 な も の の 中 で 自分 達 に とっ て 良い もの 、 与 論 にふ さわ しい も の を選 択 して取 り入 れ て ゆ くべ き こ とを 示 して い るの で は な い か とい うこ と。こ う した意 味 で は 、「ギ リシ ャ 」 を取 り入 れ る こ とは 「ま ね 」 で は な く、 「創 造 」 に 近 い もの と言 え る の で は な い か と い うこ と。 そ して 、 そ の た め に も、 ギ リシ ャ に 限 らな い か も知 りな い が ギ リシ ャ に つ い て も 、 も っ と知 っ て 行 く こ とが 求 め られ る で あ ろ う。 第5章 与 論 の ま ち づ く り と 来 住 者 以 上 見 て き た よ うに、 与 論 島 の ま ちづ く りに は 来 住 者 が 大 変 活 躍 して い る。 これ は 何 故 な の だ ろ うか 。 最 後 に この 点 につ い て 整 理 して 、 考 え て み た い 。 1、 まず 、 は じめ に見 た よ うに 、 た く さん の 与論 島 出身 者 が 関東 や 関西 を始 め 日本 各 地 に移 住 して活 躍 して お り、そ の 数 は 島 の 人 口の2倍 とも言 われ て い る。 と くに 、福 岡 県 大 牟 田 市や 鹿 児 島 県 田代 町 な どの 集 団 的 な居 住 地 もあ り、 島 が 本 土 に 開 かれ て い て壁 が な い こ とが あ げ られ よ う。 2、 現在 、 与 論 に居 住す る 成 人 の ほ とん どが 、学 生 と して あ るい は 出稼 ぎ者 と して 、 島外 で の 生活 の経 験 を持 って い る こ と。 こ の こ とは 本 土 の 人 び との 状 態 や 気持 ち を知 っ て い る こ と を意 味 す る こ と。 3、1970年 代 の 後 半 か ら80年 代 の 前 半 に か け て 、若 者 を 中 心 とす る膨大 な 「都 会 人 」 を 受 け入 れ 、 もて な した 経 験 を持 つ こ と。 こ の こ と も、 上 記2や1と 同 じ意 味す な わ ち、 本 土 の 人 に対 す る違 和 感 を ほ とん ど持 っ て い な い こ とを 意 味 す る だ ろ う。 4、 現 在 、 ま ちづ く りで 活 躍 してい る人 も、 この 時 に来 て 住 み 着 い た もの が 多 く、 この こ とは 彼 らを も3の 延 長 上 で 考 え て い る で あ ろ うこ と。 5、 与論 の 人 び とが 外 か ら来 た 人 び との積 極 性 や 独 創 性 、 先 覚 陸 を認 め て評 価 し、 これ を
自分 達 の ま ちづ く りに 生 か し、 活 用 して い る よ うに思 わ れ る こ と。
6、 人 口減 少 と言 う現 実 の 中で 、実 際 に来 住 者 を歓 迎 して 行 政 の 中 に取 り込 む 工 夫 を し、 活 躍 の 場 を 与 え て い る こ と。
以 上 の よ うな こ とか ら、 与 論 で は来 住者 の活 躍 が 、 他 地 域 に比 べ て 目立 っ て 見 られ るの で は な い か と思 わ れ る の で あ る。