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社会主義構成体における労働力商品について(桒田幸三教授退官記念論文集)

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社会主義構成体における

 労働力商品について

中  罵  太  一

       1 問 題 提 起  現代の社会主義構成体の経済的土台(下部構造)の基本性質は,多かれ少か れ計画的商品経済といわれるシステムであるが,現段階でこの特徴づけの経済 的内容自体が極めて不明確のまま残されている。過去20年間社会主義諸国では 周知のように総体的・理論的な経済システム全体=社会主義構成体の全く新し い解釈・理論化よりも,むしろ部分的な技術的論争を経ながら実際上の部分的 改革(必ずしも改良につながらない)が先行した。結局,部分的な改革と新たな矛 盾の累積過程が近年の社会主義構成体の全く新しい見直し或は理論的再編成を 不可避的に生み出したといえよう。その中で最も急進的でダイナミックな動き は中国に見られる。計画的商品経済をめぐる百家争鳴の中で,現在最も本質的 な問題は,このような全く新しい概念の下での価値範疇の諸問題,就中経済主 体=価値増殖主体としての社会主義構成体における労働力の性質評価の問題で ある。すなわち社会主義商品経済(計画的商晶経済)における労働力は商品の性 質を具有しているか否かという聞題である。正しくこの問題こそ現代世界にお ける社会主義構成体の従来のイメージ或はモデルと質的に全く異った新しいそ         イデアルテユピス の理論的原型(或は理想型)を構築する上での根本的な手掛りとなるものであ る。端的にいえば旧来の社会主義イメージは,その根底において社会主義シス テムは基本的に価値・商品範疇より解放され,就中労働の主体たる労働力は根 底的に変質し,商品・価値の物神性(物象化)より解放されたと理解するもの であった。この視点に対する批判的・修正的見解は殆んど全く理論的にタブー

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とされてきた。故に現段階での活気にみちた論争自体が画期的なことであり, そこから生み出される全く新しい社会主義構成体の理論原型(新生児)の陣痛 そのものを意味しているといえよう。そこで所謂計画的商品経済の存在理由が 労働力商品の規定性に虫送する主要な経済的論拠として第1に所有としての生 産手段の公有制或は計画と商品経済の関係,第2に商品経済下の所謂按出分配 原則,第3にこのような「労働力商品」の現段階の矛盾的特質という為熟につ いて以下で概括してみたい。     2 社会主義的所有・計画と商品経済の内在的連結の根拠と       しての労働力の商品性       1)  既にB.シュクレドブの有名な分析によって指摘されているように社会主義 的所有=公有制をもって社会主義経済の証明とすることはできない。これを敷 心すればブルジョア的所有としての私有に対立するものとしての非私有をもっ て社会主義構成体の本質とは言えない。更にこれを経済的幽幽によって区分す れば,私的商品経済に対置される雨虎として非私有=公有的非商品経済(産品 経済)という図式は社会主義経済という具体的システムについては実質的な意 味をもたない。何故ならばシュクレドブの言うように所有制という概念自体は 極めて抽象的な法的範疇に止まり,それが実体的意味・内容をもつのは,その       2) 生産システムの総体を媒介にしなければならないからである。換言すれば所有 制はただ生産自体を通してはじめて実現される。このような立場からみれば, 単に社会主義的所有のみを非私有と等置することが,社会主義構成体の証明で はなく,更に本質的な派生命題として先の命題より社会主義構成体(特にその        システム 下部構造)として具体化されるその生産体系の内実が,非商品(非私有)的所有 の歴史的諸形式を含む諸々の私有=商品形式を共時的且つ通時的に内包する概 1)B。シュクレドブ,岡稔・西村可明訳『社会主義的所有の基本問題一経済と法』1973,  202頁。所有は…生産関係の意志的,法律的発現の形態になるだけだから…経済学的  範疇の…規定的範躊にもなることはできない。又,小檜山政克『社会主義経済論』  1975,61−67頁参照。 2) シュクレドブ前掲書 211頁。

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      社会主義構成体における労働力商品について  99 念であることが示唆される。商品経済自体は社会構成体(一般的には生産様式) を代表しえないが,逆にいえばこの事実は歴史的階級社会では質と量双方で差 はあれ商品経済が通男していることを照射する。そしてこの意味での商品生産 は各生産様式と連節して各構成体の特質を具体的に形成すると同時に,諸々の 構成体を経済的下部構造としては量的に成長・発展せしめているものである。 従って各生産様式によって私的所有の具体的・歴史的形態は,夫々の商品経済 を媒介にして,商品・価値範疇を内在化する諸社会構成体の商品経済としての 特質を明らかにする。例えば資本主義生産様式においては私的所有は資本家階 級(非生産者)の手中に剰余価値が集中取得される生産システムによって一般        さラ 的・抽象的範疇より現実のものに転化する。ここでは完全な物象化過程として 人と人の関係,具体的には資本家と労働者の搾取・被搾取関係,実質上の賃金 奴隷関係が隠蔽される。その意味で資本主義経済は旧来,最高の商品経済の発 展段階であると考えられたが,それはあくまで私的所有が最も本源的な意味で 商品経済と連節しているという意味に限定されるのであって,それ以外の商品 経済の質的な生産体系と発展段階を積極的に否定する論拠にはなりえない。つ まり,更に一歩進めていえば,ブルジョア社会の場合には生産手段を中心とす る私的所有が最も純粋な,個別的な形で生産体系を媒介にして生産関係に現成 するだけである。ひるがえって社会主義「商品」社会における「個人的所有」 とはその生産体系を通じて資本主義下よりもはるかに多様な形態と機能をもつ 範疇として現われるであろう。当然のことながらそれは社会主義的所有の下で 「実現」されるものである限り純粋な私的所有としては現成しえないのであり, 根底としては労働力の「私的」所有を源泉とする実質上の私的所有,すなわち 生産手段の所有と使用の明確な分離にもとつく諸々の生産手段の占有的使用と 利潤の占有的取得の結合によって現わされよう。周知のように社会主義企業の 独立採算経営に伴う徹底した独自性の承認の上に株式会社化,丁丁制,様々な 個人経営,農村においては朕産丁半制,その他に外国資本,或は合弁による資 3) シュクレドブ前掲書 210−211頁,218−219頁参照。又蘇東斌「社会主義初級階段  経済的三層特征」新華文摘1987,6,38頁参照。

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本主義的経営が併存している状況が上述の特質を表徴している。  他方,社会主義的所有=非私有という抽象的命題もそれ自体としては成立し えない。例えば歴史的階級社会を通じて国有を中心とする非私有経済の諸形式 は存在したのであり,就中資本主義経済の現段階の重要な特質は企業の国有化        4) 過程であり,国家による計画化の過程である。現代国家独占資本主義例えばフ ランスの国有固定資本は国民経済に53%,投資額の40%,労働者数で23%を占       5) め,更に国有化銀行の貸付残高,平金残高で夫々75%と74%を占めている。発 展途上国の場合その国家的所有制は国家資本主義ウクラードとして現実化して いる。この点で国有制を代表とする非私有は社会主義的所有と等置できず,又 その独占的特徴でもない。  次に計画或は計画経済という点を以って私有制特に資本主義経済と区別する 論理が伝統的にあるが,その理論的前提としての計画=非商品経済という命題 が実際上純粋な意味では過去に存在しなかった以上,社会主義商品経済こそが 計画の実体であることになる。ここでは計画ということが生産体系を特徴づけ るが,夫は商品経済があくまでその実体的システムであることを否定できない。 従って計画という概念は少くとも歴史的階級社会・経済においては商品経済に かかわるものであり,且つ質的限定としては商品経済の社会化された大生産に        本源的適応性をもつ。故に社会主義計画は多かれ少かれ発達した資本主義の夫       の と同質的な範疇であると言えよう。蘇東斌によれば,計画の内容は正しく価値 法則の運用ということである。即ちこの場合の価値法則とは商品経済において 比例的に社会労働を分配する作用と機能であり,これ以外に計画的に社会労働 を分配する法則は存在しない。計画は一般的には主観性と融通性をもった一種 の形式である。即ち予め事物の発展に対し風見し計謀し,情況の発展に随って        の 修正・改良できるものである。従って蘇東斌のいうように計画的法則という場 4)蘇東斌 前掲論文 38頁 5)蘇東斌 前掲論文 38頁 6)蘇東斌 前掲論文 38頁 7)蘇東斌 前掲論文 38頁 8)蘇東斌 前掲論文 38−39頁

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       社会主義構成体における労働力商品について  101 合,その客観的法則としての性質は疑問多きものとなる。既ち商品経済におい てはゴ計画は国家が市場を調整し進んで企業を市場に適応せしめるようにみち        ラ びく一種の形式にすぎない。実例として過去の中国が価値法則の要求を尊重せ ず,人の主観的計画性を過大に強調し,国民経済の失調をもたらしたとされる。 1953−81年の30年間に中国の固定資産投資は26倍に増大したが,工農業総生産 額は8倍の増加に止まり,国民所得は僅かに4倍になったのみという,附甲所        値生産性の低い計画の「産品経済」的主観性が指摘される。更に計画が多国籍 企業の世界計画として既に国境を超えたことがその主観性の拡大として引用さ   11) れよう。従ってエンゲルスが現代資本主義が計画性を持たないといったのは不      12) 正確とされる。総括的に言えば,所有も計画もその抽象度は異るにせよ一般的 ・抽象的概念であり,これらを具体化するのは生産体系,ここでは商品生産体 系である。そしてこの所有のいわば媒介である商品生産の過程とその具体化で ある商品経済の社会主義的構成体においては,実際に機能する(具体化される) 生産手段は,社会或は国家にではなく各個別生産単位=広義の企業に優先的に 占有され,個別労働力と結合することを通じて実際に使用・消費され,つまり 生産過程化されることにより現実の生産力の範疇に転化するのである。ある重       13) 要な指摘がある。企業が労働者を雇用する前は彼は該企業に対する一切の権利 はないわけだから,彼が社会的に共同占有=公有する生産手段は一種の意識形 態上のものにすぎないのであり,この意味では「労働者個人は実際上“一無所 有”(全く所有しない)である。」企業が彼を雇用した時点で,彼は生産手段と結 合し,且つ占有するその部分の生産手段が,意識形態の形式から具体的な物的 なものに転化するのである。しかも彼は現実化した過程においても自分に属す る生産手段を「全体から抽出して自分と単独に結合することはできない」ので 9)蘇東斌 前掲論文 38−39頁 10)蘇東斌前掲論文 38−39頁 11)蘇東斌 前掲論文 39頁 12)蘇東斌 前掲論文 39頁 13) 質履譲・房漢廷「承認労働力的商品属性是開放労働力市場的理論前提」中国社会科  学1987.1.45頁参照

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あり,現実化した生産過程において「一丁所有」であり,これが労働力の商品 化の必要を生ぜしめるのであるとされる。これは注目すべき視角であろう。  このような構造からみれば,社会主義的所有とは,少くとも現段階の新しい 計画的商品経済においては生産手段の企業的占有は機能的には私有下におけ.る 生産機能と同質的なものであるという類推が成りたつ。マルクスによる商品生 産の概括は,第1に商品生産が生産様式(即ち所有制)と関係しないこと,第 2に商品としてはすべて一つの交換過程を経なければならない,即ち交換に入 りさえずれば生産物はすべて商品であること,第3に商品としてはすべて形態 変化を発生する既ち商品は貨幣に転化し,貨幣は商品に転化すること,即ち商 品交換の主要特徴は貨幣を通じて進行するのであり,即ち貨幣が存在しさえす        14)れば,商品経済であることが指摘される。卓燗の最近の研究によれば「マルク スのこれらの論点に基づけば,社会主義は当然商品経済である。価値は商品経 済の基本経済範疇であり,従ってそこから派生してきた一系列の価値と関係の ある経済範疇,例えば価格,コスト,賃金,資金,利潤,労働力価値,剰余価        15) 値,利子,税収,地代,銀行等が商品経済範躊の体系を形成している。」そし て卓燗はこれらの範疇が資本主義条件下では搾取を表現するが,この搾取は企 業の間の矛盾に源泉が在るのではなく,階級的社会矛盾に来源を有すると正し         う く指摘している。  発生論的にいって現段階で最も発展した商品経済である資本主義経済の必要 条件は生産手段所有と労働カ所有の分離であり,歴史的には資本の本源的蓄積 行程によって媒介される。ひるがえって社会主義下では両者は不分割であると いうのが労働力商品否定論の主な論拠である。しかも両者の結合は社会化され た直接的なものであると主張されている。しかし現段階の社会主義社会では両         老の直接結合の条件は存在しなく,少くとも間接的に止まると指摘されている。 14)蘇東斌 前掲論文 39頁 15)卓畑『再論社会主義商品経済』1986,246頁 16)一面,前掲書 246頁 17)江成竜「社会主義経済中存在労働力成為商品的弓件」中国社会科学 1987,1,37  −38頁

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      社会主義構成体における労働力商品について  103       18)江成竜によれば,不十分な社会主義の下では労働者による生産手段の共同占有 は,一個の非常に大きな,具体性の極めて小さい総体概念である。更に労働者 の素質上の能力差が非常に大きく,根本的に多種労働の需要に適応する全面発 展の程度に到達していないから生産手段との結合範囲は極めて狭く限定される。 故に労働力市場の助けをかりて結合を実現する。       19)  何偉・韓心乱によれば,社会主義下の生産手段は国家所有制企業或は集団所 有制企業において占有と支配の面で独立又は相対的に独立性をもち,現実の経 済生活の中で労働力と生産手段は依然分離しているから個人は必ず雇用を通じ て労働できるわけだから,社会主義条件下の両者の結合は実際上一種の交換関 係である。企業は労働者に生活資料の価値を貨幣を通じて支給し労働者は自己 の労働の使用価値を企業に支給するが,この関係は実際上商品売買関係である。 即ち社会主義下の労働力が使用価値と価値の二重性を具有し,労働力の使用価 値は労働であるから,この関係が社会総生産物における賃金部分の源泉であり        の 且つ剰余価値の源泉でもある。換言すれば広義の国民所得部分を創造するのは 正しく労働力の使用価値としての労働であり,他方で企業が賃金として労働者 に支払う大きさは基本的には労働力の価値(使用価値ではなく)である。従って 社会主義経済における労働力は,その実体としての商品経済の一般的条件より いっても価値範購に包摂されなければ,生産物価値と価値生産物,或は生産・ 蓄積と消費を区分不可能となり結果として国民経済の綜合的計画は不可能とな ってしまう。この事情は労働者の個人的所有という点よりみれば,労働力が連 合労働という形で支出される共同占有という条件はやはり前述の所有制の理解 に拘るものであり,個別的な労働力の私有という実体的構造によってしか現実 の生産過程に入りこめない。この労働力の個別的な私有は,別稿で詳しく紹介 したように専らその生産・再生産費用・技術的養成費用等の主要部分を家計に 18)江成竜 前掲論文 39頁 19)何偉・韓志国「試論我国社会主義市場上全方位開放」中国社会科学 1986.2,39  −40頁 20) 何偉・韓志国 前掲論文 40頁

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よって支弁している点に由来する。       ラ  中国のある学者は労働力を社会労働力と個別労働力に区分し,前者に全体の 労働者を代表さぜ,生産手段を共同占有するこの直接的結合を媒介にして労働 、力の非商品性を説明するが,他方個別労働力としての個人は公有制としての生 産手段を孤立的に直接支配できない限り,又企業が需要するのは具体的な個別 労働者の具体的労働.であるとする。故に労働力商品とは人の労働能力の売買で あって人身の売買ではありえない。資本主義における生産手段と労働力は以上 の意味で全く分離し搾取が私有に帰するが,社会主義下では剰余価値はあって も搾取はありえない。この論理は一見二元論のように見えるが,そうではなく て実質上,商品経済論を実体としてそれを下部構造とする社会構成体を特徴づ けている所有=公有制(抽象的条件)を示唆している。  総じて社会主義条件下の労働力商品の主要な論拠は,労働力の個人的所有と 生産手段に対する実質的無所有(或は無占有)の結合に求められている。しか し,根本的な問題は前述したように社会構成体における所有制の抽象性と下部 構造(生産過程)における商品経済の機能的=実現の為の媒介性ということであ る。一歩進めていえば,社会主義的所有制の別表現的な抽象的概念に止まる計 画は,商品=価値範疇との結合によって,はじめて価値法則の作用により国家 にせよ,企業にせよ,それらを通じて実現されうるのである。その最も具体化 された経済構造は,労働の均衡的な(平均利潤率でも国民経済的効率係数でもよい) 部門への配分という機能である。この労働が二重性を具有していること,換言 すれば生産過程において労働力価値を再生産し,剰余価値を生産することによ って抽象的な計画(或は所有)を商品経済と連節させることである。  社会主義的所有の典型と考えられる全人民的所有=国家所有制に対しては, 夫が他の所有制(私有,集団所有,株式所有等)と異って極めて抽象的範疇である        ことが,より体系的に主張されている。即ち,その他の上述の所有制下では企 業の財産は最終的には個人或は具体的な入間の群に分解できるから,企業利潤 21) 趙増耀「承認与開放労働力市場的思考」経済改革 1986.6,45−46頁 22)董輔耐「所有雑輩革理経済運行機制改革」新華文摘 1987,4,59頁

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       社会主義構成体におけ.る労働力商品について  105 は終局的にはこれらの個人或は具体的グループの財産の増加であり,企業の損 失は彼等の財産の減少である。換言すれば企業経営状況は個人或は具体的グル ープの切実な利害の源泉であり,血肉の通った関係なのである。国家所有制企 業では全体人民の代表として所有しているとなっているが,“全体入民”は正 に一つの総体概念であり,全人民的所有とはその中の個々の分子の所有ではな い。このような企業の利害は故に一個の分子が直接的に具体的に感触されうる ものではない。極端にいえばこれらの企業の労働者は只賃金さえ少からずもら い,奨励金をもらえれば,彼等の過失によって形成された財産の損失も彼等に とって切実な痛みを感じない。何故なら彼等は人民の各一個の分子として決し てこれら財産の所有者ではないからである。同時に国営企業は国家の各主管部 門及びその代表(工場長,経理等)が経営責任をもつものにすぎない。  このような認識に立てば,国有企業の所有と経営(生産手毅の占有使用)を分 離する方向では,依然として企業の経営権は実際上制限をうけ,企業が真に市 場活動の積極的な主体になることはできず,普遍的モデルとはなりえないとす        23) る徹底した見解が出てくる。故に目指すべき改革の方向は,国営の小規模企 業を私企業か集団企業に改編し,真の独立経営の主体とすることであるとされ る。前述の所有と経営の分離の具体形式として租賃制,請負制などの長期効果 (短期はよいとしても)は,国家(所有)の“掠奪式”経営になる可能性があると して否定的である。所謂国民経済の管制高地と見倣される企業は国有制を維持 し,市場メカニズムを媒介しない国家による調整でよいとされる。一方,一部 の中型の国営企業については集団所有制企業に改変できるとされるが,この集 団所有制は,現状の実質上国有或は地:方政府所有企業ではなく,真の独立経営 型ホズラスチョートである。一部の中型国営企業については租賃制,承包制, 資産経営責任制を実行できるという。更に大部分の中型と大型国営企業は,株          の 式所有制を実施する。これは正に国家所有制に代替する一種の所有制形式であ る。もしこの企業の株式をその企業の労働者だけが占有すれば,集団所有地と 23)董輔切 前掲論文 61頁 24)董輔耐 前掲論文 61−62頁

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区別はなくなる。もしこの企業の株式を該企業以外の個入及び国家が所有すれ ば,この財産の一部は国家財産となるが,旧来の国有企業と質的に異って理事 会での一部代表権を通じてその権限を行使するのみであるから,株式所有者は 独立経営の主体となりうるし,全株式所有者の企業として企業の利益と彼等の 利益は融合する。これらは私有企業ではないが,私有企業と同じように独立経       25) 回し「人材の合理的流動」を通じて,積極的に市場活動に参加し,市場メカニ ズムの調節を蒙り市場の変化と圧力に反応できる。従って株式所有制は国家所 有制に代替し,市場をして社会主義経済内の運行メカニズムとする前提となり       うるのである。更に三門乃によれば,市場メカニズムは,社会主義経済運営に 必づ具備されるものであり,経済活動の主体(企業,消費者個人,政府)の活動 において,市場は不断に各種資源(労働力を含む)の配置を調節するのである。 重要なことはこの主体が独立した経済利益をもった,市場競争に参加できる主 体であり,要素として部門間,企業間,地区間を自由に流動できるという点で ある。正にこのような状況の下では一未だそれは現実には初歩的に開始された ばかりではあるが,必然的な計画的商品経済の所有制の重層構造の理想型とし ての意味を持つものであり,労働力がどのように考えても商品でなければなら ないことがより確証されよう。  真に独立採算経営の集団所有の形式では商品経済は,その個別企業によって 社会的必要労働の差,いわば社会的な部門内労働生産性をその労働力価値と価 格の水準により多く反映させうるシステムであるという意味で,労働力は不可 避的に商品であることが一層適切に理解できよう。(補註1)  更にこの小論では,農村の特殊な所有制に関しては言及しえないが,類推的 にいえば,朕産承包責任制就中包干到戸一大包干(西分を媒介しない各戸生産請負 制)という最も進歩し,最も普及した所有制は生産手段の個別農家の占有・使 用と結合した各農家収入の最大化を可能にしたものであり,夫々の労働は極め て私的な性格をもっているといえよう。 25) 郭振英主編『中国社会主義股扮経済問答』1986,37−38頁参照 26)董輔耐 前掲論文58−59頁

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       社会主義構成体における労働力商品について  107  又,郷・鎮企業(事業を中心とする)は現段階では国有制に影響を蒙っている 公有,集団所有,或は私有形式をとっているが,その総生産額は全国社会総生 産額の23%(85年末)に達し,86年には農業総生産額を上回る(予想)規模に達      している。これらの企業の労働者数は農民を主体として増大しつづけ,農村の 余剰労働力を吸収し枯渇させる勢を示し,外部(他省,他地方)からの大量の労 働力の流入があるとされる。このような大量の余剰労働力は実際上商品とされ        る。又その賃金水準は略々,国営企業の夫と等しくなったともいわれる。この ような国民経済的規模となった郷・鎮工業に雇用されている労働力が,未だ現 実には十分な労働力市場を媒介にしていない,又法的な地位の上で特殊な諸限 定をもつものではあれ,基本的には労働力商品であることは明らかである。  総じて各所有制を通じて何等かあ意味での賃金と労働生産性或は労働成果や 効率とのスライドが採用されつつあり,これは一般的には労働力の価値と価格 の乖離がモティベーションとして広く採用されることを通して労働力の商品性 を示唆するが,他方全体として賃金の絶対水準は低く,最も商品生産が発展し ている温州地区のある国営食肉冷凍加工工場に働く中年の技術労働者は「これ までは賃金が低すぎ…賃金支払停止,職務留保を願い出て温州の農村やもっと 遠いところへ行って自分の技術を買ってもらっている。(傍点一中鳥)毎月昔の 収入の二,三倍に当たる…金を稼ぐことがようやくできるようになった」と話     している。実状としては,やはり特殊な制限下の労働力市場の実質的形成と労 働力の一定の移動性を示唆しているといえよう。  更に一つのケースとして去年7月温州市政府は企業自主権の画期的規定を公 布したが,その内容は「黒字企業は賃金総額と上納税金を連動させる変動制を 実行でき…独自に賃金分配方式を決める権限をもつ。欠損企業に対し規定した 欠損額による請負制を実行し,欠損が増えたら手当を与えず,欠損を減らした 27) 「中国の八年の改革を回顧して」北京周報 1986,12,23,12頁 28)万解秋「蘇南模式面臨的挑戦与選択」経済研究 1987,4,65頁,張手庫・高志軍  「社会主義条件下労働力価然是商品」経済改革 1986・6,48頁 29)北京周報 1986,10,28,18−19頁

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らその減歩分は金額留保できる。利潤がきわめて少いかまたは欠損の企業は, 市政府の認可を得て個人または集団に貸与し,請負制を実行することができ,       株式化した経営を試行することもできる。」現在はこの「規定」を普及させる ことに重きがおかれ,国営企業は集団経営に切り換えられ,利潤の45%がすべ て工場長に委ねられ自主権をもってうまく配分されている。例えば例に挙げら       31) れた計器・工場では月収300元より100元の差をもって合理的に分配されている。 このような状況の下での労働力は労働力商品としての実質的機能を果している ことは否定できない。(補註2)        32)  小門すれば,個人経済(85年に1700万人)と外資経済下の労働力の商品性は自 明として,問題の中心は,全人民的所有竃国有制経済が実質上解体され(管制 高地を除いて)殆んど集団的所有が,現段階の中国では基本的な,商品経済を 現実化する枠組なのである。そして,その実質的内容が,企業の独立化と労働 者個人の独立聯労働力個人所有が市場メカニズムを不:可避の媒介物として内在 的に下部構造として具体化するということを意味する限りにおいて,あらゆる 生産物と生産手段は商品であり,従って必然的に労働力も商品とならざるをえ ないのである。 3 曲打牙配との関係  従来社会主義経済下では労働力に対する分配原則として伝統的に按労分配原 則を基本としてきたが,計画的商品経済下ではこの原則は批判的に再検討され なければならない。現在中国経済学界ではこの原則への根本的批判が出ている。 従来,この原則の用語と内容が極めて曖昧のまま所謂産品経済での労働力の分 配原則として用いられてきたが,外面的に或は建前で公有制==非商品経済とい う理解の下では曖昧なま々,実質的には高来の意味を拡張解釈して通用してい 30)狂有芽,李寧「農村の変化が都市の改革を促進」北京周報,1986,10,28,20−21  頁 31)涯有募・李寧 前掲論文 20頁 32)北京周報 1986,12,23,13頁

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      社会主義構成体における労働力商品について  109       33)たといえよう。しかし,例えば張親譲によれば,原来の按労分配は(マルクスの モデル)個別的労働時間を尺度として個人消費品を分配することであるが,現 段階では三つの点で社会主義分配法則ではないとされる。第1に国家機関活動 の労賃は生産的労働によって社会に提供されたものからの控除部分にその来旨 をもつから,パリ・コミューンの賃金に属するものであり按労分配原則に従う ものではない。国家機関工作の職員の賃金の分配尺度は,たとえその来源が上 述の社会的控除にあったとしてもその配分尺度は依然彼等の異った労働量に基 づいているという視点があるが,張氏によればこのような観点はマルクスの原       34) 著の中にその論拠を見出すことはできない。次に消費品の分配に賃金形式に限 られない点があげられる。それは特殊需要に応じた分配か,平均的分配であり 按労分配とはいえない。この視点は1978年の三三分配に関する大討論会の統一        35) された認識であるとされる。第3に主要な論拠として,労働力は社会主義の或 種の労働制度の下では依然として商品として表現される。従って(傍点一中罵) 按労分配もそれに応じて存在しない。換言すれば,マルクスの原来の社会主義 社会における労働力に対する分配原則は,あくまで非商品経済と公有制を等置 し且つ全体的な公有制の下でのモデルであったから,そこでは労働力は質的に 実質上同等な範疇として考えられ,只個別労働力の支出労働時間の長さ(大き さ)のみがその報酬分配の唯一の尺度とされているのだから,労働の主体たる 労働力が価値を持っているとは考えられていない。従ってN・ブハーリンは 労働支出の根本法則を価値法則に代る基本的な社会主義社会に心底する原則と して考え出したが,これはマルクスのいう生産の超歴史的一一般的契機のみを無 意味に抽出したものにすぎなかった。  確認しなければならないが,マルクスはゴ一等綱領批判の諸見解の中で,只 労働時間による分配と労働尺度による分配を提起しているのであって「按労分 33) 34) 35) 張問敏「関干按労分配理論的思考」新…華文墨 1987,6,46頁 張間敏 前掲論文 46頁 張問敏 前掲論文 46頁

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       ラ 配」という用語をもって概括していない。従って社会主義の実際のシステムの 中では生産手段の公有と按労分配(マルクスの原来の原則を仮にこう呼ぶとして)を く生産手段の公有と多労多野の実行〉というように改編したのである。そして         このような改編は実際上マルクスの原来の思想の精髄を保留したといわれてい るが,これには若干の問題がのこる。というのは,マルクスの原来の思想は, 厳密な方法を伴った範疇であり,労働の量の大きさだけがあくまで問題とされ ていたのであって,労働の質の差違はその思想に入ってこないと考えてよいの ではないか。普通按労分配に適用されている「労働の質と量に応じた分配」と いう視点とはその方法において全く異るものである。即ち,労働の質を量と平 等に並べて分配の尺度とすることは,第1前提として社会の単一的な公有制で はなく,既に実質上多様な所有の並存を承認すること,つまり各種(傍点一中 罵)労働の根本的な差違を潔労することにつながる。次に一般的にいってかか る質的労働は相互に直接的社会労働としては比較できない。〈生産手段の公 有と按労分配〉という社会主義的所有下の按労分配原則の基本的な考え方は, レーニンのくプロレタリア階級の我国革命における任務〉という論文にその来 源をもつ。即ち,「人類は資本主義から直接に社会主義に移行できる。即ち生       38)      39) 産手段の公有と按労分配に移行できる。」張間敏によれば,この文の後半の原 文はpacnpeneneHHIo nponyKToB no Mepe pa60TH Ka>KAoroとなっていて 中国語の直訳は,生産物の毎個人の工作量に応じた分配,となるべきである。 このようにレーニンによれば,所謂社会主義社会の基本的特徴は,生産手段の 公有と工作量に基づいた分配(按工作量分配)ということになるべきである。張 氏によれば,明らかに中国語で表現・使用されている聖旨分配という用語自体       れう の内容とレーニン用法とは完全には一致しない。ここでは各人の労働量を言っ 36)張間敏 前掲論文48頁,又,曹献柴「馬克思的按労分配理論的新発展」経済学文  摘,1987.2 14頁:参照 37)下問敏 前掲論文 48頁 38)張間敏 前掲論文 48頁 39)張問敏 前掲論文 48頁 40)張間敏 前掲論文 48頁

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       社会主義構成体における下働力商品について  111 ているのではなく,各人の仕事=作業量を言っていると見れば,必づしも多自 訴得と一致しない。しかし,面面も言うように按労分配という用語の内容を固 定的なものでなく可変的な概念と考えれば,計画的商品経済という全く新しい 条件下では按労分配は,価値範疇即ち貨幣を媒介として各労働の質と量に比例 する労働力の価格であると考えるのが一応論理的ではなかろうか。勿論,この 場合,労働生産性と労働の質に比例して労働力の価値の大きさ・水準は,国民 経済の均衡条件下に工業労働力を基軸として国民経済的範囲において社会的な 中位的水準として根底において規定されているといえよう。従って単純な多労 三二ではなく,むしろ漠然としているが,つまり価値形式をもっているのか否 か不明であるが,レーニンの各人の作業量に応じて一という含意に近いともい える。従来の労働力配置の固定・賃金水準の固定という極めて硬直した行政的 体系の下では漠然とした意味での按労分配=多労多得も実質的に機能しえなか ったといえよう。何故なら商品経済の条件の下では,分配単位としては只,企 業内部で等量労働と等量商品の交換が行なわれうるのである。企業経営の三悪 によって夫々の所得=賃金水準に差が形成されるのは当然であり,そこに各企       41) 業の相対的な独立採算の意味も在るからである。更に各生産部門ごとにみれば, 異った資金の有機的構成の条件(労働生産性)の下で夫々の平均的・中位的な 社会的必要労働時間(労働日)は異るか.ら,全社会的生産は完:全に均衡状態に あるとしても,即ち平均利潤率或は国民経済的な効率係数の形成の下に総労働 が社会的に均衡的に配分されている場合にも必然的に部門相互の賃金水準(或 は賃金フオンド)は異なってくる。資本主義的な盲目的競争と私有制の下ではこ れらの賃金水準は可及的に抑制されるが,社会主義的商品経済の下では,むし ろ各部門,各企業の労働生産性に賃金水準或は賃金フォンドの大きさは,比例 する趨勢を持つであろう。このような意味での国民経済的な按労分配の意味づ けは,新しいシステムにおける社会的モティベーションの問題に直接拘ってく る。つまり実質上,私的占有の所有条件の下で特定個人・家族・階層のより高 41) 暁亮「社会主義初級階段的弓労分配問題」新華文摘 1987.6,49頁

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い労働生産性に比例する先行的富裕化が,社会の共同富裕化過程を促進・刺撃 するという社会メカニズムの創成ということである。  1986年10月,中国は新しく採用する労働者に対して労働契約制の実行を開始 した。これは従来の固定的な労働配分制に比べて画期的な改革であり,実質上 の労働力市場の機能を果すものであった。そこで労働力は依然として商品であ       る う ると主張する研究者が多くなってきた。去年9月10日に発表された規定によれ   ば,労働契約制は,新たな労働者の雇用(募集)の際に今後,全国的に適用さ れるもので画期的な労働制度の改革といえる。企業と労働者の間に結ばれる契 約は,自由に相互の利益に基づき双方の義務,責任,権利,契約期間を決め, 転職,更新もできる。その特色は「公開募集」によって実質上労働者に職業選 択の自由を与え,その合理的移動を促し,企業には雇用と解雇の自主的権限を 与えるものであり,実質的な労働力市場の国民経済的形成(地域上の制限は未だ 大きいとしても)過程を意味するものであったといえよう。実施直前の8月段階 でこのような労働契約制労働者数は,国営工業の従業員総数の5%を既に占め       るの ていたし,引続き全国的に急速に普及している。その後,工場長による恣意的 解顧は出来ないことが確認され,従って大量失業はおこっていないし,又積極 的に破産企業の労働者の救済が実施され,何よりも従来社会主義の優越性とみ なされてきた終身雇用制が実質上打破され,理論的にもそれは社会主義の優越 性ではないと明確に否定され,特に工場長,経理から歓迎されていると報告さ     45) れている点が:重要である。  この新しい経済関係の下で労働者と公有の生産手段は直接結合して生産労働 を進めることはできず,労働契約を媒介にして条件的に結合できるのみである。 この関係は既に前に触れたように,双方夫々の利益に基づいた一種の商品交換 関係であるといえる。つまり労働者は自己の労働能力と企業が支給する労働力 価値を相互に交換することになる。労働力は商品として自身を企業の被雇用員 42)張間敏 前掲論文 47頁 43) 「中国労働制度の重要な改革」北京周報 1986.9.16,18−19頁 44)北京周報 1986.8.26,5頁 45)北京周年 1986.12.23,14−16頁

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       社会主義構成体における労働力商品について  113 とするのであって,ここでは按労分配はその作用と普遍性を失うことになる。 当然,公有制の下では,労働者の剰余労働は形式上企業により占有され,再生  フオンド     フオンド 産資金と福利資金を控除したのこりは全て国家に上納されるが,結局国家はそ れを労働者の利益に符合するように使用するから,労働者が生産手段の間接的        主人である地位を変更しないし,又企業の社会主義性質も変更しない。つまり       論者によれば,爵禄分配を社会主義の経済法則と経済関係の特徴とする視点は          ギヤツプ 現実の生活と著しい距離を生んでいる。  伝統的マルクス主義よりすれば,生産手段の公有制が按労分配実行の決定的 条件だとされる。しかし,端的にいって両者に因果関係はありえるだろうか。 商品経済下では個別労働は直接社会労働になりえない。従来のように只主観的 な計画(公有制)に基いて生産されたものが真に社会の需要に成るか否かを問 わず社会的に承認されるべきだとするなら,結果は真に悪い販路のない或は 社会的需要のない生産物を生産する労働者も依然として按労分配原則に基いて 「労働報酬」を獲得することになり他の労働者の創造した国民所得をただ喰        48) いする国民経済上の浪費をつくり出すだけである。公有制と按労分配は,実際 には関係はない。前述してきたように生産手段所有制(権利)は抽象的な範疇で あり,最終的に社会構成体の性格を下部構造を通じて規定するだけであり,経 営形式は,商品経済としての生産力の発展水準などの具体的な条件によって決 定されるといえよう。ともかく,按労分配の原義は全く現段階では存在しえな いし,前述したように広く漠然と“多労多得”と解釈するとしても,公有制と 内在的連節関係はない。例えば労働契約制は按労分配ではない。又,農村で実 行されている家庭副産承包責任制は,実際上,部分的な公有生産手段(土地と 大型農具)を使用する家庭経済であり,それが実行している国家税と集団的留       保を控除した残り全部が自分のものとなる分配方式は,無爵敏によれば労働所 46)張間敏 前掲論文 47頁 47)一問敏 前掲論文 47頁 48)張問敏 前掲論文 47頁 49)張間敏 前掲論文 48頁

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得であって根本は按労分配ではない。現段階の社会主義経済の主要分配形式は 労働所得だとされる。これは非常に広い含意をもつ概念であり,生産物を指す ことも価値を指すこともできる。それは統一生産,統一経営,労働をもって統 一尺度とする分配の挙世を突破する概念であり,他人凹凹を占有しない労働収        入をすべて内包する。それに対立する概念は搾取であるとされる。このような 定義づけは一応正しいといえるだろう。しかし,第1に制度的な面からいうと 多様な所有制の重層構造の中で大きな比重を占めつつある私有制(或は実質上の 私有)下の「経営者」こ実際上資本所有者と一致する場合が多い階層の利潤収 入,それと現段階の中国経済体制の中で最も本質的な意味をもつと考えられる 外国資本経済(中外合弁等を含むあらゆる外資関連の経済形式を含む)における「資 本家」の利潤収入(企業者利得)も,国民経済的な意味では広義の「労働」所得 に入ってこざるをえないのではないか。国家収入を除いて,それらは正しく現 段階のシステム内部に組込まれている分配形式である。従って国民経済的な多 所有制構造よりみれば,このような広義・多様な労働所得の範疇を共通的に通 底・貫徹するものは,使用価値的生産物ではなく,価値(商品形態であれ,貨幣 形態であれ)であり,この共通的特徴が逆にこれらの多所有制下の労働力を貫 通して商品たらしめているともいえよう。  第2点として,このような労働所得は決して多丁丁得・多産多得ではない。 これは労働生産性に比例的な経済範躊を示唆することはできるが,厳密な意味 での国民経済の呼率を直接表現しえない・例えば・実体として国民経済のマク ロ的次元においては社会総生産額の年間増大と賃金フォンドの年増加の閾には 相当密接な相関関係があること又国家支出と経済成長の相関が逓減しているこ       ロ ら ロ とが証明されている。しかし,この事実が,実体としてのミクロ次元での各経 済単位の個別的な経済敷率の上昇を直接証明しているとは考えられない。この ような立場より判断して,労働所得とは経済的には個別的経済単位ごとの収益 性(その技術的・具体的変数は種々考えられる)に比例するような労働所得でなけ 50)張間敏 前掲論文 48頁 51)盧建「我国経済周期的野点,原因及発生機制分析」経済研究,1987,4,50−51頁

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      社会主義構成体におげる労働力商品について  115 ればならない。しかも,このような労働所得は,いわば基本的には労働力価値 の夫々の水準がある期間,相対的に固定されて所得の形式をとるから,更にそ の具体的水準は,基本的所得部分たる賃金フォンドの価値の価格水準として表 現されることになる。このような「労働駈得」を夫々大きさの異った再生産費 用とせざるをえない労働力の範疇とは,労働力の個人的所有に基づく労働力商 品そのものでしかないのは明らかである。 4 計画的商品経済の特質としての労働力の主体化と物象化の矛盾  現在の資本主義経済における中心問題が,従来の如き物的な資源の生産・配 分・投資・消費の領域より,完全に人間的領域の諸問題に移行したことは既に        52)周知の事実である。同質的な商品経済を基礎的な範疇として有する社会主義経 済がその必然的な発展方向としてこのような特質を有するものになりつつある ことは疑いない。この論拠は資本主義では物的資源・要素から市場メカニズム を通じて不可避的に発生する各種の成長阻害要因(収穫逓減より資本の限界効率の 逓減まで)を本質的に克服する方法である点にあった。社会主義商品経済にお いては,計画化の物的概念化・技術化の中に前述の諸要因が部分的に現成した とはいえないだろうか。前述したように計画が抽象的には主観的な性格を免れ ない以上,社会主義計画そのものが当初より一種の内在的制約を持っていたと いえる。これを打破する方法は,経済主体一人の必要及びその経済主動性を中

        53) 54)

心に置くことである。中国側の研究者によれば,遅れている生産関係の生産力 の発展に対する栓楷作用は,先づ労働者自身の発展を抑圧するところに求めら れる。このように人の必要,人の発展,人の目的,人の手段といった入の経済 を社会主義経済学の中に導入することは当然の道理となる。社会主義経済の中 でこの人の経済とは民主化された経済である。蘇東斌によれば,経済の進歩も 最終的には,この人の発展を中心とする民主経済の発展水準に依存する。そし 52) H.W. Singer, The strategy of international development 1975 pp. 2−3 53)蘇東斌 前掲論文 39頁 54)蘇東斌 前掲論文 39−40頁

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て民主経済の基礎は人の経済的必要(需要)であり,人の経済的必要の内実は         人自身の全面発展に来源をもっている。このような人の全面的発展を伴う民主 経済という思想は,一個の抽象的説教でもユートピアでもなく,社会主義の商 品経済の中で人と人の関係として具体化されなければならない。          蘇氏のいうようにこの民主経済は自由の中に体現されなければならない。そ の主体は社会主義にあっては,個人,企業,国家を含むが,特に個人に就いて       57) は自己の利益に基いた職業選択の自由が指摘される。只,先づ社会利益に符合 する選択というのは,公有と同次元の抽象度にある指標にすぎない。商品経済 と.は第一に選択自由を持たねばならず,つまり自身の経済利益を実現する方法 は総じて選択を通じることである。職業選択,生産品選択を通じ消費品の選択 がその終点となるが,この個入を主体とする選択活動の過程において,政府と 国家は個人の選択の充分な外的条件を創出すべきであり,一方企業は個人経済 活動の基地にすぎないのである。もし個人が選択の自由を失えば強制の行政的 独占経済となり,結局個人の創造性(能動性)を全く消滅させてしまう。「商品 経済の下では,もし労働力市場が欠乏し,又消費品市場が欠乏すれば,必然 的に個人が利益追求する経済動力を喪失し更に企業の活力を語るすべもなくな    る。」このような経済的(更に政治上も)選択の自由をもった個人の性格が,商 品経済のシステムの中では正しく労働力商品以外にはありえないことが帰結さ れよう。  しかし,このような自由は勿論資本主義的所有の枠内に限定されるものでは ないことも明らかである。換言すれば,この個人=労働力商品は資本家に賃金 奴隷として支配され従属するものではない。ひるがえって社会主義商品経済下 では,個人による個人の搾取という隷属的関係はありえない。個人と個人(労 働者相互)の基本関係は水平的であり,抽象的国家所有ではなく,具体的自由 55)蘇東斌 前掲論文 40頁 56)蘇東斌前掲論文 40頁 57)蘇東斌 前掲論文 40頁 58)蘇東斌前掲論文 40頁

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      社会主義構成体における労働力商品について  117       59) 人グループ即ち基本的に集団的所有下の形式をとる。この場合,生産力発展の 低水準に由来、して,このような集団的所有が個入の自由条件であり,個人の全 面発展の手段となる。このような個人を主体とする集団を基本とする水平的連 節が所謂朕合であると理解すれば,朕合の意味は,従来の抽象的・観念的な建 前の次元を越えて現実的な範疇となる。独立企業は自由人の朕合体の実体であ        60) ると考えられよう。  正にこのような状況下で社会主義国家は極く少数の重要な職能を行使し,主 として市場メカニズム(競争)の良き環境を創造することに限定される。そし て正しく,このような状況はマルクスの考えた“小政府大社会”の思想を実現       Sl) するものであると主張されている。  更にこのような特殊な労働力商品の特徴として労働者の個別能力と家庭負担 が異るにも拘らず,労働力価値(賃金フォンド)の間の差違は労働が形成する価 値の差違(労働生産性差)より小さいことが指摘され,この意味で第二次的帰属 (消費価値の大きさ)の差は数倍に止り十数倍以上に拡大しない平等性が基本的          う には確保されるが,これは実質上,一部の少数の個人先富より共同富裕への具 体的モティベーションだとして公認される。  更に社会主義下の労働力即下としての労働者の主人=所有者としての位置づ けの問題がのこる。実体的に労働力商品として流通過程及び生産過程でどのよ うな機能を持つのか。流通過程で労働力が商品としてその価値で売買されるの は当然だが,社会主義的流通過程従ってその生産過程における労働力商品の機 能は,形式上の平等ヴェールの下での資本家所有の貨幣を通じて隷属する資本 主義のそれとは異って,資本と労働の交換過程ではない。即ち,社会主義下で は労働者が労働力を売出す対象は,個人ではなく,前述した「朕合」としての       企業である。従って人々は労働力を即売した後には,彼は他の労働老と一緒に 59) 60) 61) 62) 63) 蘇東斌前掲論文41頁 蘇東斌 前掲論文 41頁 蘇東斌前掲論文 41頁 蘇東斌 前掲論文 42頁 何偉・韓志国 前掲論文 40−41頁

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なって集団的な労働力の購買者として,更に新しい労働力を購売できることに なる。同時に企業内部では毎労働者個人がすべて当該企業の指導者になりうる 同等の機会を持ち,同等の民主的権利(抽象的なものではなく)を下露できるか        64) ら,生産過程において如何なる意味でも隷属と搾取をうけないのである。  換言すれば,以上のような労働者の主体化の視角は,社会構成体の上部構造      リコジヨン 或は政治的次元と経済的下部構造を厳密に区分した重層的な構造主義的な接近 である。  即ち,計画的社会主義の下部構造が商品経済である限り労働力商品のレゾン ・ゲートルは経済的な機能としては共通しているが,このことと社会構成体の       デカラ ンユ 各次元,就中政治的=権力三次元の相互に有する質的・量的なズレ(逆にいえ ば時間的な重なり合い)が,両種の社会構成体では,その重層的な矛盾を解決し, 構成体の質的種差性の統一性を維持する政治=国家=階級支配の差として表徴 的に現成しているのである。  この意味で下部構造自体の物象化は基本的に存在し,従って経済的疎外も存       ブルジヨアジリ 在しうると考えられるが,これらは質的に異る一端的にいえば資本家階級が階 級としては存在しない意味において一国家=政治レベルと連節化された下部構 造の前述の「社会主義的労働力商品」の特質と矛盾することは事実として認識 されなければならない。現在の公式・正統的見解である社会主義疎外は存在し えないという視点は,この意味で客観的に批判されざるをえない。この矛盾は このような社会主義構成体に内在し続けるのであって,簡単で観念的・技術的 な基本的解決法は存在しないと考えるのが,逆説的にはこのような体制畿構成 体の極めて動態的・実験的革命性を象徴するものなのである。ほとんど唯一の 積極的な「発展」可能性の論拠らしくなることは,このような社会構成体が, 極めて多様な具体的所有構造より形成され,しかも労働者の個入としての主体        トタリテ化過程が上の多様性を媒介に総体としては,著しく大きな社会的動力=社会的 モティヴェーションを持続的に創出できる可能性をより多くもつ体制・システ 64) 何遍・韓遠国・前掲論文 41頁

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社会主義構成体における労働力商品について  119 ムであるということである。  換言すれば,現在の中国を中心とする社会主義社会構成体は,「:重層的に社       65) 会化された生産力と経済利益の多元化された生産関係の間の矛盾」を生産力と 生産関係の矛盾として現実化しているような多次元クラードを有ずる重層構造 であり,その矛盾は重層的に決定されるのである。従ってこれを構成する各次 元の諸構造と諸矛盾は,全体に融解するのではなく,夫々の労働生産性と労働        スペスイフイシテ 力価値・価格の種差性を独立的に維持しているのであって,この点にこそこの ような構成体の労働力の商品性が必然的範疇として求められるのである。 65)郭振英主編,前掲書 4頁 (補註1)昊思偉によれば,賃金は労働力価値の貨幣表現であり,労働力が社会主義商  晶経済条件下で商品であることを理論的に承認することによって,はじめて実践の中  で,賃金改革を価格体系の改革の中に引込み,全体価格体系の改革における重要な構  成部分とすることができる。昊思偉「論社会主義工資的本質」経済理論与経済管理,  1986,6,51頁参照。 (補註2) 明示的に規定しないが,社会主義下の労働力商品規定は,初級段階論による  全面的商品経済発展の主張によって,実質的には支持されつつある。ただ政府及び中  共中央のレベルでは,所謂主流的な研究者を通じて慎重に論争中という表現をとって  いる。劉国光「美干発展社会主義商品経済問題」中国社会科学 1986,6,19−20頁  参照。

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