労働争議における民事免責について
西
川
達
雄
一労働者はながくかつ根ずよい斗争の結果、団結の合法性︵刑事免責︶を獲得した。だがしかし、資本家はそれにかわる
ものとして、市民法の原理をかり、損害賠償請求の問題をもちだした。労働者に対する、また労働組合に対する損害賠償
の追及は、時により、刑事責任の追及より打撃が大きいこともあろう。英国の労働組合運動史をひもとく者はだれでも、労働階級の刑事免責につづく民事免責獲得の興味深い斗争の歴史を知ることができる。一八七五年、共謀罪・財産保護法
により刑事免責が確立されると、資本家の重要な法律的武器は契約違反・不法行為の民事的責任の追及となり、それは一
九〇〇年の有名なタッフ・ベェール事件.︵日即庸く巴ΦO霧①︶ によって頂点に達し、最終審たる貴族院判決は会社側を勝たしめ、組合に対し二万三千ポンドの賠償の支払いを命じた。しかし﹁労働者階級は、この判決を覆すために薪たな法律の必
要なことを痛感し、政治的抗争のために独自の政党を結成する機運を強めた。 一九〇〇年に結成をみた労働代表委員会 ︵こぎ。霞響箕Φ・・①謙語。昌。。白目ぎ8︶は、二年たらずのうちに加盟組合員数を倍加し、一九〇六年の総選挙で労働代表委員会は二九人の議員を当選せしめて名称を労働党と改め、ほかにも労働組合の法的地位の改善を約した多数の自由党員を議会
労働争議における民事免責について 五五労働争議における民事免責について 五六
へ送った。この輝かしい勝利の直後、一九〇六年労働争議法︵月田田Φ ]︶一ω喝qひΦ砂 bor 一q⊃O①畠︶﹂は成立した。一九〇六年法は一 九こ七.年労働争議および労働組合法︵二巴。∪喜鼻$き目当鑑。q巳。屋卜。♂一堂ごによって重大な制限を受けたが、 一九四 六年労働争議および労働組合法︵日目9飾① ︼︶一㎝bμ峠①㎝ 餌口幽 弓同鶏¢ d﹁β一〇降ω bOひ二の轟CD︶により一九〇六年法の規定は復活されて現在に 至っている。 ” わがくににおいても、戦後、労働組合法で刑事免責︵︸条二項︶と民事免責︵八条︶を規定し、新憲法は勤蛍者の団結権
を保障した︵二八条︶。いうまでもなく、民事免責規定は一九〇六年法喜四条にならうものであるが﹁民事免責といって
も、使用者に対する損害賠償の免責がいちばん問題になるのでそれを規定した﹂のである。かくて労働者の争議権は確立
されたが、第八条は﹁同盟罷業その他・の争議行為であって正当なものにようて損害を受けたことの故をもって、労働組合叉はその組合員に対し賠償を請求することができない﹂といい、刑事免責規定も同じく、正当なもの、という字旬を挿入
し、不当労働行為についても.正当な行為といっている。そこで何が正当なもの、正当な行為で、何が違法なもの、違法
ヘ へ な行為であるかが重要な論点になるわけであるが、一応、違法なもの、違法な行為は免責を受けえないとするのが通説であ る。上述のごとく第八条は、労働.組合または組合員の使用者に対する損害賠償の免責,を定めたもので、第三者にたいする関 係については何らふれるところがない。したがって、第三者は損害を被った場合損害賠償を請求できるかという問題は、 正当な争議行為によるときは、当然に免責されるとするのが例外のない一般論であり、判例も同じ立場である ︵昭和二三 年六月二四日 D・S映画劇場事件大阪地裁決定︶からこの点は問題ない。戦後労働関係の判例はずいぶん多い。使用者が労働争議を敷画するとは到底考えられない。何が正当なもので、何がそ
ヘ へ うでないかは、労使が対立関係たる限りその判断はつねに相反する。使用者側は、正当なものをできるだけ狭く解釈し、刑事免責については、国家権力の介入によりその目的を達している。だから、民事責任についても違法争議として損害賠
償の請求がもっとたくさんあってしかるべきにかかわらず、後者.についての判例は、おびただしい労働関係判例の中でき わめて少ない。昭和二三年一一月三〇日宮崎地裁延岡支部決定の﹁旭化成工業事件﹂、昭和二四年九月三〇−新潟地裁判決 の﹁電化青海事件﹂・昭和二六年四月一二日東京地裁判決の﹁国鉄労組事撫﹂な‘どを数えるにすぎない。しかしながら、 上記のもの全部、使用者の勝訴に終っていることは注目されてよい。
なぜ民事責任追求が少ないかについてはいろんな理由が考えられるが、わがくにの労働組合が企業内組合ということに
もとずいて、使用者が解雇権を発動させること、並びに、裁判の煩らわしさ︵法律特有のわずらわしい諭理や.解決までには 長い年月と非常な労力を必要とすることなど、その他いろいろの事情をふくめて︶が、大きな原因をなしていよう。 しかるに最近 ︵昭和三二年三月五日︶盛岡地裁が、労働協約違約︵この事件では平和条項︶ として会社が訴えた損害賠償の請求を棄却.した ﹁ラサ工業宮古事件﹂を契機として、民事責任の問題が論壇をにぎわしている︵尤も今までも若ヂの業績はあった︶。また使 用者が損害賠償請求よりも、組合幹部を解雇することによって争議の結未をつけているところがら、幹部責任︵幹部誤聞︶への反省も民事免責の問題と関連して活澄に論じられている。 以下第八条を中心に問題点をまとめてみる。 二 っ る
(1)て Q1
刑事免責を第一条に規定し民事免責を別に設けているが、両者並べて第一条に規定すべき性質のものである。したが
第八条は旧労組法第一二条を昭和二四年の改正のとき、ただ文語体を口語体にかえただけのもので同一の規定であ
刑事免責は憲法第二八条の団結権および団体交渉その他の団体行動をする権利の中に当然にふくまれるから、 労働争議における民事免責について 五七 労組労働争議における民事免責について 五八
法の蜆定は単に確認的なものかどうかについて見解がわかれるように、民事免責の蜆定についても見解がわかれる。しか
し刑事・民事の免責のない団結権・団体行動権は考えられないから、これらの規定は確認規定とするを妥当としよう。と
いうことは強行規定であることを意味し、たとえば労働協約などに違反規定を設けてもそれは無効となる。 ② 労組法第二条ならびに第五条第二項の要件を具備する労働組合に限らず、いわゆる法外組合 ︵この言葉はとか一不法 組合と聞違われやすいので適切な言葉が期待される。︶にも、また未組織の争議団などにも適用される。労政局の解釈例規は、 ﹁第八条の規定は、労組法上の労組働合以外の労働者の団体に対して適用がないことは勿論であるが、民事上の損害賠償責任を生ずる不法 行為叉は債務不履行の成立には、違法性があり、又は債務の本旨に反することを要件とするのであって、労組法上の労働組合以外の労働者 の団体の行為についても.第八条の規定の類椎によって違法性なく、 又は債務の本旨に反せざるものとして不法行為又は債務不履行の成 立なきものとせられ.損害賠償の責任を生じないことがありうる﹂︵昭和二四・八・八 再発第三一七号︶としているが、この説明では、第八条が適用ないこと勿論というのなら、なぜ労組法上の労働組合以外の労働者の団体に類推するのか不明である。この
解釈例規は第八条をもって創設的規定、したがって違法性阻却規定とする立場からであるが、ωに述べたごとく第八条は
憲法第二八条に当然ふくまれているのであるから、労組法上の労働組合以外の労働者の団体にも当然に適用あるもとの解
さねばならない。連合体に適用あるこというまでもない。 ③ ﹁同盟罷業その他の争議行為﹂とあるだけで艮的が明記されていないが、第一条第二項の﹁労働組合の団体交渉そ の他の行為であって前項に掲げる目的を達成するためにした﹂ものが、第八条にもあてはまる。 ω ﹁正当性﹂の七言については基本的には同じであるが﹁それぞれ立法趣旨がちがうのであるから、具体的にその正当性を判断しなければならない。すなわち刑事上の免責の場合には、国家の刑罰を課するに値するか否かの見地から、民
事上の免責の揚合には、使用者に損害賠償を請求せしめるに値するか、否かの見地から﹂具体的には異なるとされている
︵不当労働行為の正当性をもふくめ、三者に共通性はないとの説もある︶。尤も刑事免責と民事免責の正当性を区別することに反 対する学説もある。森長弁護士は強くそのことを主張して、つぎのようにいわれる。 ﹁刑罰法令の適用を排除する理由は
その争議行為が社会的に是認せられる正当性をもつからである。その争議行為が社会的に正当性をもつならば、対使用者
関係においても使用者は、その争議行為を受認する義務があると考える。損害賠償という民事問題も、その発生史的には
刑罰の転化してきものであるから、損害賠償といえども、労働関係においては一つの刑罰である。普通の刑罰は国家を通
じてなす弾圧であるにたいして、損害賠償は裁判の過程を通じてなすものではあるが、経営者の直接になそうとする弾圧
である。そこに本質的に区別すべきものはない﹂。刑事免責規定から﹁国家は刑罰権を抱棄するのである。しかるになお
経営者は損害賠償∼の請求ができるであろうか﹂といい.刑事免責と民事免責の正当性に区別をもうけることに反対されるのみならず、民事責任については、正当なものたると否とを問わず、免除されるとし﹁争議権の生成のあとと、前述した
組合破壊のための損害賠償請求の現実をみるときは、私はすべての争議行為について、損害賠償の責任を否定すべきであ
ると思う。組合をよう嬉し、組合を擁乱し破壊することを本質とする損害賠償請求権は、争議権が憲法上の基本権となっ
ている今日、その存在の余地がないように考える。そこては市民法の原理の割りこむ余地がないのである。たとえその争
議行為が違法、不当なものであっても、その争.議行為の主体たる労働者の団結を破壊するための使用者の行為は許されて いないと思うからである﹂と主張される。森長弁護士の主張に対して、不法行為について刑事責任はなくとも民事責任を問われる場合はいくらでもあるではない
か、との反論がでてくるであろう。しかしそれは市民法の世界でのことである。そのような反論は、刑事免責がなぜみと
められたか︵たとえ違法性阻却規定と考えるにしても︶さえ理解しえざるものであろう。森長弁護士の説は、少くとも労働組合運動の何たるかを理解しうる人には素直に受け入れられるであろう。しかし現在の段階では恐らく裁判所は採り入れな
労働条議における民事免責について 五九労働争議における民事免責について 六〇 いであろう︵それは立法諭だとすることによって︶。 わたくしはかって労働法の解釈について﹁労働法は、労働者階級が、資 ヘ ヘ へ
本主義生産の基本たる剰余価値の法則から、自らを解放すべく、前進的に斗いとった面と、生産の社会化に伴うて、必然
的に社会化された面︵資本主義を肯定し、むしろそれを積極的にたすける︶とをもった複合体である。労働法の解釈は前者の面 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へについては、合法的かつ合目的的に、後者の面については、できる限り労働者に有利なように、合法的にあるいは合目的
的に、解釈さるべきである。ブルジ。ワジーにとっては全く逆となる。両者の解釈は平行し、かつ、衝突する。両者のエ
ネルギーがこれを決定する。法の解釈は民衆がおこなうとおなじく、労働法の解釈は労働者階級によってつくられねばな
らない﹂と書いた。第八条はまさに複合体たることをみごとに現わしている。森長弁護士の解釈が一般化するか否かは一
つに労働者階級のエネルギーにかかっているといえよう。 ⑤ ﹁同盟罷業その他の争議行為﹂については刑事免責の条項と同じく、なにを争議行為というかについて規定されて いないが、.労調法第六条第七条に、労働争議・争議行為の定義がある。労調法第六条は労働争議とは﹁労働関係の当事者聞 において、労働関係に関する主張が一致しないで、そのために争講行為が発生している状態又は発生するおそれがある状態をいう﹂と定義し ている。したがって、なにが争議行為かが基本となるのであるが、その点について第七条は﹁同盟罷業、怠業、作業所閉鎖そ の他労働関係の当事者が、 その主張を貫徹することを目的として行う行為及びこれに対抗する行為であって。業務の正常な運営を阻害す るものをいう﹂と定義した。ところが、これらの定義そのものが解釈斎いろいろの見解をうんでいる。たとえば、いわゆる政治ストと呼ばれるもののごときは﹁労働関係の当事者の争い﹂でないとの意見があるかと思うと、一方﹁ここに労働関
係の当事者とは、その主体を意味するものであって、その相手方を制約したものでない﹂という主張をみるというた具合
である。それが正当性をもつかどうかは一応考慮の外にしたとき、後者の見解が、つまり政治ストもまた労働争議である
とみるのが一般的である。遵法斗争といわれているものもそうである。たとえば労働基準法ならびにその施行規則の完全
実施、時間外労働・休日労働の拒否、労働協約・就業規則などにみとめられている休暇を一せいにとることなどは、それ
によって業務の正常な運営を阻害する限り争議行為だ、とする見解に対し、法律にしたがうのは当然のことに属し、基準法 に違反していること自体.が違法なのだから、基準法に規定されている通りの行動をしたからといって、それが一せいに行 ヘ へわわて、業務を阻害することがあっても、争議行為というをえないとする見解がある。違法斗争は労働争議以前の問題で
あるから、人権斗争などと同じく労働争議というをえない。後者の見解を正当としよう。しかし休暇を一せいにとること
は、労基法第三九条第三項但し書に ﹁事業の正常な総包を妨げる場合においては.他の時季にこれを与えることができる﹂ となっているから、使用者の申入れにもかかわらず一せいに休暇をとって、事業の正常な運営を妨げるときは争議行為となろ
う。尤も労基法にいう﹁事業の正常な運営﹂も労調法にいう﹁業務の正常な運営﹂もつねに客観的に考慮せなければなら
ないのであって、なにがそれに該当、するかは個汝具体的にこれを決定せなければならない。 巫 労組法第八条によって民事責任の免除されるのは﹁正当なもの﹂に限るとなっているわけであり、 ﹁正当なもの﹂ がなんであるかは前述した通りで、尤も森長弁護士は﹁労働法第八条の規定はともかく、憲法第二八条の解釈としては、使用者は争議行為による損害賠償請求権はあたえられていないといわねばならぬ。もし正当でない争議行為にたいしては
損害賠償の請求権があるとすることは、使用者の組合破壊という不当労働行為を是認することになり不都合となみ﹂と主
張されているが、ここでは法規違反・協約違反の争議行為と民事責任についてふれてみたい。ω 法規違反の争議行為と民事免責
ω 国家公務員法器九八条第五項第六項は﹁職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為 をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業行為をしてはならない﹂﹁職員で同盟罷業その他前項の規定に違反する行為をした者は.そ の行為の開始とと脇に、国に対し、法令に基いて保有する任命又は雇用上の権利をもって対抗することができない﹂ と規定し、第一一 労働争議における民事免責について 六︸労働多議における民事免責について 六二 〇条は ﹁何人たるを問わず第九八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし.若くはあおり、又はこれらの行為を 企て者﹂ は、三年以下の懲役または、千万円以下の罰金に処する旨規定する。したがって、第九八条第五項の争議行為を した公務員は同条第六号の制裁を受けるにとどまり ︵分限上の身分保障を失い、また懲戒として免職・停職などの処分を受けるが 不利益処分に対する審査請求権はふくまれない︶、第一﹂0条の刑事責任はない。しかし、あきらかに明丈をもって争議行為を禁 止しており、そのことは地方公務員も変りがない︵地方公務員法三七条・六一条︶。 また公共企業体等労働関係法も職員の争 議行為を禁止している︵一七条︶。 そして第一八条には﹁前条の規定に違反する行為をした職員は、解雇されるものとする﹂との 制裁規定をおく。したがって公務員・公企体の職員は争議権を剥奪されている︵尤も前者は、労働法の適用を除外きれているが 1附則一六条、公企体の方は労組法の適用をみとめている一三条︶。 憲法第二八条に勤労者の団結権・団.体行動権をうたっているのに、なぜ公務員と公企体の職員だけはそれらの権利を剥
奪されるのかについては、たとえば憲法第二八条にいう﹁勤労者﹂には公務員は含まれていないのだとする見解、勤労者
のなかに公務員もふくまれるが、公務員ないし公務員の勤務関係の特殊性にーーその一つは、憲法第一三条の﹁公共の福
祉﹂に、他は憲法第一五条の﹁全体の奉仕者﹂たることに、その制限の根拠を求めるものとある。憲法の勤労者のなかに
公務員はふくまぬとの見解はともかく、多くの学者は、公務員に何らかの特殊性はみとめつつも、現行法のごとく、一律
かつ全面的に争議行為を禁止していることに対しては、違憲であるとしている。 へ憲法第二八条に公務員はふくまぬとの見解はあっても、公企体の職員もふくまぬとの説は一つもない。公企体というも
のの成立自体が占領行政によるものであり︵昭和二一二年七月のマッカーサー書簡︶、公共企業体等労働関係法は﹁立法技術の 上からみても無理と不手際にみち、矛盾撞着する諸点を年嵩する立法であることは定評のあるところのものであ軸﹂し、 一 ⑮ 諸家の見解も、争議行為の禁止は違憲とし、違憲でなくとも、争議行為の禁止を解除すべきであるとする。けだし、公企
体職員の争議行為禁止の根拠はただ一つ﹁公共の福祉﹂というにあるが、資本主義制下における﹁公共の福祉﹂は、所詮
資本家の福祉ということにほかならぬことはともかく︵現存の秩序が、秩序一般とすりかえられ、資本の自由・労働の自由が、 自由︸般とされるのと同じ︶、がんら.い個と全とは対立関係でなく、個は全をふくみ、全は個をふくむのであるから、労働者の労働基本権と﹁公共の福祉﹂を対立して考えるべきでなく、労働基本権も﹁公共福祉﹂の理念を内在しているのである
から︵絶対的権利などというものはない︶、 敢て公企体の職員にだけ﹁公共の福祉﹂をもちだす理由を見出しがたい。 公務員にも公企体職員にも全面的に労働基本権をみとめ︵戦後そうであったことを思えばよい。そのことは公務員も公企体職員 も争議行為が禁止されていることの諭理性を否定するに充分である︶、もしそれらのものに何らかの特殊性があるのなら、若干の 制限を加えれば足りる。ということは、,公務員や公企体職員の争議行為に対しても世事免責はある、ということである。 まして公務員のときは、 ﹁使用者﹂は究極的には国民なのであるから、損害賠償額の算定などできるものでない。すなわ ち公務員法・公共企業体等労働関係法の制裁以外に責任を問われることはない。もし罰期規定以外の責任ありとすれば、 右の法律遠反によるのでなく、一般のストライキとしても、違法性を問われるときだけである。 @ ㈲のぽか、法律によって争議行為が制限されているものにつぎのものがある。ω 労調法第二六条による、調停案の解釈履行に関する争議行為の制限
㈹ 同法第三六条の安全保持のための争議禁止
⑥ 同法第三七条の公益事業の争議開始についての予告義務による争議制限
⑪ 同法第三八条の緊急調整の決定があった場合の争議行争の禁止
㈹ スト規制法による、ある種の争議行為の禁止 ㈲ 船員法第三〇条による争議行為の禁止
以上のうちω⑬⑭⑭には罰則がついていないが、⑥⑪には罰則がある︵労調法三九条・四〇条︶。これらの禁止規定に違反 労働争護における民事免責について 六三労働争議における民事免養について 六四 して争議行為がなされたとき民事責任は免除されるかについては、 ﹁およそ争議の制限禁止に関する法規は、争議行為を 本来的に違法と判断するからの故でなく、むしろ労働基本権としての争議権をみとめたうえで、なお、争議調整の促進、 社会的悪影響の可及的防止のた.めの政策的立法であり、特に対使用者関係の法益を擁護することを目的としたものではな
い。したがって法規違反の争議行為によって、使用者の利益を不法に侵害したという事実のない限りは、法規の違反をも
って、ただちに民事責任の問題は生じないものと解される。しかしこのような争議により、組合が第三者に対して、法規
違反の故をもって、不法行為の責任を負うべき場合がある﹂として民事免責をみとめる説と、法規違反の争議行為は正当
性を失ない、労組法上の保護を受けえない、したがって対使用者関係について、損害賠償責任を負う、とす説がある。後
蚊は主として労政官.庁のとるところであるが ︵きわめて少数の学者がやはりこの考えに立うている︶、 たとえぽ多くの学説は労調法第二六条は訓示規定と解するのであるが、後証をとるとすれば、この規定に違反して労働組合がストライキをしたと
して、 一体それがどうして使用者に民事的損害を与えたことになるのであろうか ︵労調法第二六条は昭和二四年の労調法改正 のさい追加された条項なるも、法的証果をもたない訓示的規定と解するよりほかない︶。労調法第三六条の安全保持の規定にも罰則が ないが、安全保持は使用者責任であり、争議行為によって第三者の生命・身体を不法に害することを禺的とせない限り、対使用者については損害賠償責任はないのは当然である。スト規制法による争議行為の制限は、安全保持の虫合と性格
をことにし、その成立過程によっても知りうるごとく︵昭和こ八年秋の電産と炭労のはげしいストライキに対して、政治的意図 をもって立法された︶.﹁公共福祉﹂の名のもとに、所詮は独占資本の利益を擁護せんとするものであるから︵労働階級がいか に強く急速法の成立に反対したかを想起すべきである︶、またそれがいうごとく﹁公共福祉﹂のためであるなら、まさしく使用者に対する関係においては民事責任なしといわねばならない。罰則をもつ制限規定に違反しても、その罰則の適用を受け
ることはともかく、対使用者関係においては民事免責のあること、多言を要しないであろう。 /ω 労働訪励約違反の争議行為と民事免虫貝 労働協約違反について問題となるのは、平和義務ζ平和条項といわれるものである。 旧労組法第二一条は﹁労働協約締結せられたるときは、当事者相互に誠意をもって之を遵守し.労働能率の増進と産業平和の維持と に協力すべきものとす﹂と蜆曝し、第二五条に ﹁労働協約に当該労働協約に関し紛争ある場合調停又は仲裁に対することの定あるとき は、調停又は仲裁成らぎる場合の外同盟罷業、作業所閉鎖其の他争議行為を為すことを得ず﹂と規定した。しかしそれらの規定は、 昭和二四年の改正で削除された。通常、平和義務といわれるのは、右の第二一条に該当するものをさし、平和条項は第二五 条にあたるものとする。尤も平和条項を、旧労組法第二五条に該当するものと、争議行為開始の予告義務を定めたもの、
⑱
とに分ける説もあるし、逆に後者は平和条項に防たらないとの説もある。平和義務は﹁労働協約自体に内在する本質的な
労、使間の義務﹂である、したがって、平和義務排除の特約をもつ労働協約は無効である、などともいわれる。そこから、 平和義務は、 協約に明示的に協定されていなくとも当然にみとめられる。 しかしながら、平和義務は絶対的義務ではなく、相対的義務である。相対的とは、それによってすべての争議行為が排除されるのではなく、争議行為が協約の定める
規定に対してなされる限りにおいてのみ排除されるということである。絶対的平和義務は平和義務の拡張であり、したが
・ ⑳ ってそれは絶対的平和義務の特約によってのみ発生する、ということになる。また、平和義務は当、事者.の効果意思に基 ⑳ 因せず、これに反し平和条項は平和義務と本質的に異なり、当事者の効果意思に基因.する、との説もある。が果してそれ ほど平和義務と平和条項は本質的に異なるものであろうか。 ﹁平和条項が手続上の義務違反にすぎないというなちば、平和義務は期限のうえでの違反にすぎない。期限と手続との間にそれぼどの本質的な差異があるはずはない﹂との説が、よ
⑳ ⑳ り労働協約の本質にふれているのではないか。少くともわがくにの企業組合の労働協約の現状においては。つぎにいわゆる債務的部分といわれる平和条項・平和義務違反と損害賠償との関係については﹁労働協約は、何よりも
労働争護における民事免責について 六五労働争議における民事免責について 六六
労働者のためのものであって、資本家のためのものではないということを知らねばならない。資本家も労働協約によって
⋮⋮産業平和をうる利益を生ずるが、これは労働協約の締結によって生ずる副次的な効果にしかすぎない﹂ ﹁元来労働協約は資本家と労働者との双方の力の均衡点を表現するものであるから、どちらかのカが増加してその均衡が失われるとき
は、従来の協約は破殼せられて、薪たな協約が要求せられるという運命にあるものであるから、その産業平和は本来一時
的のものであり、常にあらたな協約をつくりだすという運命を内包している⋮⋮だからそれはカの均衡を失ったときは、 当然破致せらるべき運命のものである﹂ 一、事情変更の原則も、期待可能性も適用の余地のない平和条項違反のストは実際上ほとんどないであろう﹂との観点からすれば、労働協約の有効期野中に次期の協約事項について争議行為がおこなえる
か、労働協約の自動延長期間中に争議行為ができるか︵協約改訂期における平和義務の問題︶などの問題は自ら解決される筈である。すなわち、それらの争議行為は共に平和義務に違反するものでない。また平和条項は多く労働組合が弱いから協
定されるのであるが、不当な強制による協定や、遵守すべき客観的条件に欠けていみ.ならば協約の面影は当然許さるべき. ことである。以上から協約違反によって民事責任を追及しうる余地は殆んどないことを知りうる。たとえそれが可能なときでも、損
害額の算定が困難なるため、慰籍料請求の問題になる程度であろう。平和義務違反のスト決議に従うか、とのアンケート
に対し、四︸パーセンが、従うと答えている。労働者の権利意識は、民事免責について、前進した解釈を打ちたてようと
しているのである。 紙数の都合で、責任・王体︵幹部責任︶や、第三者との関係にふれえなかった。稿を慰めることにしたい。 ①片岡昇﹁英国労働法理論史﹂二四七頁。一九σ六年労働争議至愚四条第一項は次の如く規定している﹁組合に依り叉は組合の為に行 われたと主張せらるる不法行為に付労働者組合たると雇主組合たるを問わず組合に対し、提起せられたる訴訟叉は其の組合員若はρ ② ③ 役員に対し彼等自身の墨型当該組合の其の他の総.員の為に提起せられたる訴訟は如何なる裁判所も之を受理することなし﹂ ︵労働 省労働統計調査部﹁外国労働法全書﹂の訳による︶。 なお一九〇六年法による争議行為の免責について前記の著書で片岡助教援は 次のような説明を与えているコ九〇六年法による争議行為の免責は、民事共謀からの免責、契約違反誘導及び他人の取引の妨害 に対する免責、及び労働組合に対する不法行為一般からの免責を内容としているが、厳密には.それらは必ずしも同じ性質のもの ではない。前者は.労働組合ないし組合員に対してのみ与えられるものではなくて、すべての人間及びその集団に対し認められ、 しかも特定の類型の不法行為に関する免責であって﹁般的な免責ではない。またそれは労働争議を企図し、促進するためになされ たる場合に限り認められるものである。従ってそれは、特権化された人間ないし団体の地位を設定するものではなく.単に他の場 合に有責である行為について特に免責を認めるという特定の﹁免責事例﹂︵勺響く質鶏σqΦqo8霧ざ博︶を設けたにとどまるといわねばな 、らない。これ.と対比してみれば、労働組合に対する不法行為からの免責は、その性質を著しく異にしている。それは労働組合︵使 用者団体を含む︶に対してのみ認められるもので、それ以外の他の人間もしくはその団体に対してなされるものではない、個人的 責任に関する限り.組合員も組合役員もかかる免責を与えられない。のみならずそれは特定類型の不法行為からの免責ではなくて 不法行為﹁般からの免責であり、また争議行為を企図し、促進するためになされる場合であると否とを問わない﹂ ︵二六九i七〇 頁︶oタフト・ハートレー法第三〇︸条についてはふれる余ゆうがない。 松岡三郎﹁改正労働法﹂一四一頁。﹁立法論としては使用.者以外のすべての者に対するまたすぺての民事上の責任を免除すること が主張される﹂o − この規定に類するものは、既に早く昭和四年の労働組合法草案の社会局案にあらわれている。 ﹁労働組合の役員又は組合員が労 働条件の維持改善に関し勤誘其の他の方法に依り他人をして労務を停廃せしめ又は雇傭契約を解除せしめ若くは締結せざらしめた るに因り雇傭者に生ぜしめたる損害に付ては労働組合、其の役員及び組合員は賠償の貴に任ぜず﹂。 ﹁判例.行政解釈並びに若干の学説は、正当性の簡囲をく争議権の限界Vという権利の限界として.主体.目的.手段等に分かっ て、 一般論として明.確な限界線をひき、劃一的基準より績繹的にすべての争議行為の合法性を判断する。しかしこのことは客観的 条件に応じ変化する争議戦術を法的に固定せしめることにより労働者階級から争議権保障の実質を奪う結果となり、法律構成とし てもそれらの立場がとる違法性阻却の否定において市民法もみとめない形式的違法性基準においての.み判断されることの矛盾を惹 起せしめている。即ち前述のごとく.違法性阻却説の立場をとった場合にも、その違法性阻却基準は市民法上も実質的違法性評価 労働争議における畏事免責について 六七
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労働争議における民事免責について 六八 であることにより、形式的違法性阻却評価のみに頼り﹁般的に明瞭な基準線をひくことは不当である。そしてその実質的違法評価 は社会観念であることにより、その社会が相対立する二階級に分れている資本主義社会においては.二階級間で一致して違法評価 をなし得るものについてのみ法律上実質的違法性を付与し得るであろう。もとよりブルショワ法の抽象的理念からいえば資本制秩 序内において労働者階級のみの正当判断︵それ自体ブルショワ・イデオロギーの影響と考慮をもつ︶のみで常に実質的違法判断は 定め得ない筈であるが、判断が分れる際には違法性を付与し得ないことにより.その結果労働者の争議行為については労働者階級 の違法判断に左右せられることになる﹂ ︵宮島尚史﹁争議権の構造と解釈﹂ 労働法 七号 六七頁︶。 労働関係民事事件裁判集 第︼号.第五号。労働関係民事裁判集 第二巻第四号。 沼田稲次郎﹁違法なる争議行為に対する組合幹部の責任に就てe﹂ 労働法律時報 二三四号参照。 ラ 荻沢清彦﹁争議行為と損害賠償﹂ 討論 五六号・﹁争議行為の損害賠償について上下﹂ ジュリスト=二〇一一号・﹁争議行為の くく 違法性とその責任﹂ 労働法学研究会報 二八三号. 慶谷淑夫﹁労働協約における平和義務﹂ 討論 六四号、 花見忠﹁下部組合 の協約と上部組合の指令に基く争議﹂ 討論 六四号、 沼田稲次郎﹁上部組合の争議行為と下部組合の平和義務・平和条項﹂ 季 刊労働法 二四号、 西川美数﹁違法争議の組合幹部責任﹂ 討論 六三昏など。右はこへ最近の論文を若干あげたにとどまる。 松岡三郎﹁実務労働法﹂下巻 三七九一八○頁、 菊池・林﹁労働組合法﹂ 一二〇頁。 拙稿﹁労働法の解釈﹂ 労働法 八号。 松岡・前掲書 三六五頁。 ﹁労働組合は経済二葉をするものだといったところで、またそれによって若干労働条件が向上したといったところで,それはきわ めて限られた一部の蛍働者のみであって.マルクスの規定した絶対的窮乏化の法則は事実として立証される。而も、資本主義社会 にあって労働力の価値法則を貫く斗争は、飽くまで経済斗争であって.政治斗争ではない。政治斗争とは、価値法則の貫徹にある のでなく、価値法則を止揚することである。而も資本主義社会で価値法則が実現されるという乙とは今までもなかったし、またあ りえない。政治斗争は否定さるべきだという者は、経済斗争による価値法則の貫徹さえ考えたこともなく、斗争をしもせないのに 最初から労使休戦を唱えるのである。しかも彼らが否定する政治的考慮によって。﹂﹁合法斗争だ、経済斗争だといったところで、 市民法の立場、いな独占資本の立場からはすべて非合法斗争でり、政治斗争なのである。︿賃金法則は、労,鋤組合の斗争にあって 破棄されるものではなく、反対に、それは正にそれによってはじめて貫かれるのである。⋮⋮労働組合に対する脅威のみが、資本⑭
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家を強制し.労働力の完全な市場価値を労働者に許さざるをえざらしめる﹀ーエンゲルスーのであって、蛍働組合の斗争がいかに 政治的にみえようとも、賃金法則の貫徹を目指している限り、それは経済斗争であって政治斗争ではない。政治斗争は価値法則の 止揚を目指す早々を意味する。しかしながら社会経済的構成が諸階級の協力と要協との上に立脚する社会有機体ではなく、階級的 敵対のうえに立脚するもので⋮⋮,ブルジョワ社会の政治権力が正にブルジョワ社会における階級対立の公的要約であるとき。い かなる斗争も、政.治関心たるを止めない筈である。﹂﹁合法善計といったところで.支配階級は、つねに現存の秩序維持を︿秩序一 般﹀にすりかえるのであり、その現存のブルジョワ的秩序を法として神聖化することに利益をもつのであるから、合法斗争は︿資 本主義的.しかも独占資本主義的秩序﹀の維持のための巧妙ないい現わしにすぎない。経済斗争・合法斗争・公共の福祉が、労働 も 貴族、統治する暇をもたぬ資本の番頭としての官僚、 一部のインテリゲンツァーによって独占資本に奉私すべく、きわめて政治的 に非合.法的に私的利益のために行われるのである。﹂︵拙稿﹁滋賀県における労働力構造と労働者意識﹂︶彦根論叢 一五号 七一 一二頁。 ﹁公務員や公企体の職員の場合には.争議行為が禁ぜられているが、争議に利用するためという見地は別としても.組合員が同時 に一緒にとるということが争議行為に該当するかどうかである。しかし一緒にとるという点ならば、ピクニックに行くためまたそ .の他の慰安のために一緒にとることもあるのであるから、争議の場合だけの問題でなかろう﹂︵松岡・前掲書﹁六九頁︶﹁それどこ ろか..相手をして法をまもらせ、協約を運守せしめる斗争であるから、労働者にとって、権利であると同義に義務である。そのた めの個別接衝や抗議大会などは.公務員・公労法の禁じている争議行為をもって論ず.ることはできないであろう。けだし、争議行 為は、債務不履行の責任を前提とするからである﹂︵同上 三六九頁︶。 森長・前掲論文 =二頁。 最高裁.昭和二九・四・八二集・七巻 四号 七七五頁 栗山裁判官の補足意見.宮沢﹁昭和二三年政令第二〇一号事件﹂ 公法研 究一号. 清宮﹁憲法要論﹂一〇九頁、も同じ見解のようである︵宮沢﹁日本国憲法﹂ 二七四頁、 佐藤・鶴海﹁公務員法﹂ 三 七八一九頁︶。 ﹁労働争議権﹂労働問題と労働法 3 五九頁以下のなかに述べられている諸家の見解。 峯村・有泉﹁公労法・地公労法﹂ 三頁。 前掲書﹁労働争議と争議権﹂ 六六−七頁。 労働争談における民事免責について 六九⑰ ⑱ ⑲ ⑳