咸錫憲におけるシアル思想の成立と展開 : 連載論
文「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」を中心に
著者
朴 賢淑
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論 文 内 容 の 要 旨
申請論文は、韓国の咸錫憲が、無教会雑誌『聖書朝鮮』の連載論文「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」に おいて展開した「シアル思想」の萌芽を思想的に解明し、且つ宣教論的に考察したものである。本稿は序論 と5章から成る本論、そして結論から構成されており、これらに年表、文献表が付け加えられている。 序論では、本論文の主題に関してこれまでの研究との批判的対論が行われている。先行研究では、日韓両 国におけるこれまでの研究と対論してそれぞれの成果と課題が確認され、歴史的考察を基盤とした咸錫憲の シアル思想の解明とその宣教論的な意義の考察という方法論が明示される。 第1章の「3・1独立運動の体験と日本留学期」では、咸錫憲が国の独立と自主を宣言した3・1運動に 加担したことにより、それまで通っていた官立学校を退学し「民族教育の場」とされた五山学校に編入学す ることになった経緯が述べられる。編入した五山学校で出会った生涯の師とも言える柳永模が、授業中、生 徒たちに内村の逸話を語ったことが、咸錫憲が内村を知るきっかけとなった経緯が叙述される。さらに卒業 後、日本に留学した咸錫憲が、関東大震災の際日本在住の朝鮮人であったがために「震災」とは異なった「人 災」を被り、その体験を通して国家主義の本質に気づくようになったこと、そして大学に入学してから、迷っ ていた際、内村の出会いを通して、祖国とキリスト教信仰を結びつける方法を見出していったことが論述さ れている。 第2章の「『朝鮮の無教会』としての活動期」では、雑誌『聖書朝鮮』を刊行した6人の同人が、各地で 伝道旅行を行い、「冬季聖書講習会」を開催し、そして毎週ごとに勤務先の学校を中心に聖書研究会を開く という三つの活動を中心に考察されている。厳しい時代に母校五山学校の歴史教師となった咸錫憲は、朝鮮 の歴史について思索を続け、ついに連載論文「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」が掲載される運びになった。 一方、戦争に向かう時局の中、柳永模が時代の流れに逆行して雑誌への投稿をより積極的に行っていたこと、 そして矢内原忠雄と『聖書朝鮮』との交流の実体が明らかにされる。 第3章の「咸錫憲と『聖書朝鮮』誌」では、咸錫憲の40編ほどの論文及びエッセイが考察されている。前 期には主に「苦痛の価値」についての思索が行われており、また中期は本稿で取り上げる連載論文が『聖書 朝鮮』に掲載された時期で、注目すべきは1934年に連載論文「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」と詩文「預 言者」が同時に発表されていたことにより、咸錫憲にとって「歴史」を通しての「民衆」に関する思索が、「預 言者」研究と平行して行われていたことが明らかにされる。そして後期では、矢内原の講演会が行われた直 氏 名 学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目 論 文 審 査 委 員 (主査) (副査)朴 賢 淑
咸錫憲におけるシアル思想の成立と展開
―連載論文「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」を中心に―
博 士(神 学)
甲神第6号(文部科学省への報告番号甲第401号)
学位規則第4条第1項該当
2012年2月29日
神 田 健 次
水 野 隆 一
稲 垣 久 和
(東京基督教大学教授) 教 授 教 授− 2 − 後に咸錫憲が刑務所に入れられ、その1年後出所してからは雑誌に簡潔な所感を発表しただけで、その廃刊 まで文章を発表することはなかったことが明らかにされた。第2節では、本稿副題である連載論文「聖書的 立場から見た朝鮮の歴史」の全体としての構成が述べられると共に、検閲・削除問題が取り上げられている。 第4章の「預言者像と民衆思想の展開」では、咸錫憲の預言者像がどのように展開されたかをめぐり、 1928年の「先見者」、1931年の預言者「アモス書」講解、1934年の詩「預言者」を中心に考察されている。 咸錫憲の預言者像の特徴として、第1に預言者をただの「人の子」である「素の人」として捉え、第2に「真理」 という概念が価値判断と実践の基準であったこと、そして第3にイスラエルの預言者を中国の「天子」、韓 国の「선비 ; ソンビ(士)」という東アジアの土着的な存在として捉えていたことが明らかにされた。内村 鑑三が『代表的な日本人』において優れた歴史的な人物を「日本の預言者」として捉えていたのに対し、咸 錫憲は朝鮮の歴史の反省として、歴史上の英雄に期待するよりむしろ苦難の中にいる民衆に対し、民衆自ら が現在置かれている時代的状況を直視し、終末論的で預言者的な生き方を促していることが論述される。 第5章の「受難の女王を中心とした苦難の民衆史観」では、連載論文の中でタゴールの宗教詩「受難の女王」 を引用することで、他宗教と対話できる思想的な土台を築き、自分の思想をイメージ化することによりその 論旨をより効果的に伝える方法を見出したことが明らかにされる。また、長期独裁と軍事政権下の中で、咸 錫憲が「受難の女王」をどのような場面で、どのように解釈していったかその解釈の推移について触れ、そ れぞれの時期における「民衆」の表記がより理解しやすく表現されていったことが論述されている。そして、 「産みの苦しみをする女」と「受難の女王」モチーフは、咸錫憲においては同一線上にあり、そこに秘めら れた奥義と苦難の民衆観とは、「人の子」である「民衆」が「自ら行動する」という宗教教育を通して、神 の使者である「預言者」となれるという思想であったことが明らかにされた。 本論を受けて、結論ではシアル思想の今日的な宣教論的意義が三つ挙げられている。第1に、本論文を日 本で執筆する意義についてである。関東大震災を東京で体験した咸錫憲は、そのことを契機に国家主義の矛 盾と民衆についての思索を重ね、「民衆」が土台となるシアル思想を展開していった。咸錫憲と内村鑑三が 体験した相互の国家観、歴史観の相違は、今日においてなお、解決されるべき課題の一つとされている。咸 錫憲の思想は、相互の主張と理念の相違がどこに由来し、どのような解決の方向に向かうべきなのかについ て一つの示唆を与えてくれるが、それは国家主義と民族主義の旧習を脱皮した道徳と成熟した宗教心を通し て生まれる「厳格な自己改革」論を通して成し遂げていくことができると叙述される。第2に、咸錫憲が非 暴力的で平和的な抵抗運動を展開していった点である。厳しい軍事政権、独裁政権においてなお非暴力的な 運動をつらぬいたその真の平和への求めは、暴力とテロへの不安が日常的になった21世紀を生きる時代に 向けて、その克服への道に示唆を与えている。そして第3に、咸錫憲の土着的な生命神学についてである。 1930年代以来、咸は幾度もシアル農場を開いて、執筆活動や講演会に出かける以外は、手を休めることなく 農場で人々と共に働き土と自然から学んでいる。環境問題を含め自然のいのちを問う生命神学は、今日、緊 急の世界的規模の課題となっている。世界教会協議会が、「キリストが私たちに与えられた救いとは、この 分割された生の中に包括的な全体性を提供してくれるものである」という包括的な宣教理解を示しているよ うに、今や生命の問題は重要な神学的論点の一つとなっている。咸錫憲の生命理解は、犠牲的な愛を強調し たキリスト教信仰を媒介としており、そのような咸錫憲の生き方から、韓国における生命神学的な研究が進 められている。 末尾では、1930年代に提起された咸錫憲の前期思想をめぐり、議論と批判を重ね、今日におけるシアル思 想の土台となった連載論文を再評価することで申請論文が閉じられている。
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