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96夏、97春 中国女文字調査報告

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96夏 、97春

中国女文字調査報告

ReportonWomen'sScriptinChina; Summer1996&Spring1997

遠藤

織枝

本 誌(10-1)「96春 中 国女 字 現地 報 告」 以 後 の2度 の調 査 の…報告 を す る。1度 は1996年8月27日 ∼9月5日(以 下 「96夏」と略 記 す る)で 、 も う一 度 は、1997年4月27目 ∼5月5目(以 下 「97春」 と略 記す る)で あ る。 新 たな伝 承 者 と、 文 字 資 料 の発 掘 を 目 ざ して伝 播 地 域(図1)の 村 々を訪 ね 歩 き、 今 まで に約70か 村 、延 べ に して約100か 村 に足 を踏 み 入れ た 。村 長 や 村 の古 老 た ち にそ の村 の女文 字 の状 況 を尋 ね て、 概 況 の把 握 に 努め て い る。 この 方法 で は漏 れ が あ る し、 完全 な もの とは い えな い。 しか し、96春 の 調査 票 に よ る調査 も徹 底 して行 えな か った の で、 この地 の 調査 は何 度 も足 を 運ぶ 以外 にな い と思 うにい た っ てい るo 過 去4年 、6回 の調 査 で、 新 た な伝 承者 は今後 おそ ら く現 われ まい、 後 継 者 は育 って い ない 、文 字 資 料 は まだ探 し出 せ るだ ろ う、 な どの こ とが わ か って き てい る。 キ ー ワー ド:女 文 字 の現 状 、 伝播 の範 囲、継 承 の可 能 性、 三 朝 書 の発 掘 、三 朝書 の変 種 1.調 査 の 経過 と概 要 93年 夏 、 最 初 の現 地 調 査 で は、 中 国 の この 文字 研 究 の第 一 人 者 で あ る 清 華 大 学 の趙 麗 明副 教 授 に 同行 を依 頼:し、.女文字 の伝承者 であ る陽煥宜 さ ん と、 地 元 の研 究 者 周碩 沂 さんへ のイ ンタ ビ ューを 行 い 、 また、91年 没 し た、 す ぐれ た伝 承 者 で あ った 義 年 華 さん の家 を 訪 ね、 義 さん の こ とを家 族 か ら聞 くな ど、 女 文字 の概 要 を 知 る こ とに努 め た 。 94年 夏 も、 趙 麗 明 さ ん の 同行 を 求 め、 さ らに 詳細 に伝 承 の状 況 を 調 べ よ うと した 。 この とき、 何 艶 新 さん とい う、 少 女期 に祖 母 か ら女 文 字 を 習 っ 一128一

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96夏、97春 申国女文字調査報告 'た1940年生 まれ の女 性 の存 在 を知 った 。 95年 夏 は、 伝 播 範 囲 を知 るた め伝 播 中心 地 と され る江 永県 上 江 嘘 鎮 に隣 接 す る江 華 県 の調 査 を行 った。60年 代 に陶 嘘 鎮 で 女 文 字 を見 た 、 とい う県 の 民族 委 員 会 委 員 や、.元小学 校 教 師 の 話 を聞 い て 、 そ の地 を調 べ た が、 女 『文 字 資料 は発 見 で きな か った。 96年 春 は、 江 永 県 外事 弁 公 室 主 任 の 力を 借 りて、 村 の指 導 者 に よる村 人 へ の 聞 き取 り調 査 を 行 った(本 誌10-1に 報 告)。 各 村 に、 女 文 字 を読 み書 きで きる人 が い るか、 女文 字 の書 か れ た何 らか の 資 料 を持 って い るか、 女 文 字 の で き る人 を知 って い るか を 、村 単 位 で 全 村 人 を対 象に 調 査 した い と 考 え た。 しか し、 この 調査 は不 徹 底 に しか 行 え ず、4か 村 の村 人 の 「文 化 程 度」(中 国語 で 教 育 、 識 字 非 識 字 な どの程度 を示 す)を 知 り得 た に と ど ま った。 96年 夏 は、 「96春」の 反 省 の上 に 、村 々 の残 存 状 況 を徹 底 的 に 調 べ るに は、 自分 た ち の手 と足 で 各村 に 出 向い てぐ 村 の古 老 た ち ひ と りひ と りに尋 ね る 以 外 に ない 、 とわ か り、 調 査 者 を 大量 に増 や した 。す なわ ち、 北京 大 学 日 本 語 科 の教 師、 学生 、 院 生7人g)協 力 を求 め、4つ の グル ー プに分 か れ て 村 々へ 散 った 。 きき とる項 貝は(本 誌10-1)に 示 した調 査 表 に 従 った 。 そ の結 果33か 村 に 足 を踏 み入 れ る こ とが で き、 解 放後 の50年 代 に も女 文 字 を 習 った人 が い る こ とが わか った 。 97年 春 は 、96年 夏 に ひ きつ づ き、 未 踏 査 の村 々へ足 を入 れ 海。 このた あ 北 京 大 生 、 院 生、 華 僑 大 学 日本 語教 師 の協 力 を 求 め た。 以上 の6回 の 調査 で、 実 際 に 足 を踏 み 入 れ た 村 々 で 聞 き取 りを して 、 わ か った こ とが らを`村 別 に 報 告 して い く。 地 図(図2)に 沿 って、 北 か ら 南 へ村 々 の様 子 を記 す(村 名 の あ とに 、訪 問 した 時 期 を示 す)。 多 くの人 に 尋 ね た が 、 そ の 中 で、 女 文 字 習 得、 伝 播 、残 存 に 関す る情 報 の部 分 だ け を 報 告 す る。 な お、96春 まで の 調査 につ い て は、 遠 藤(1993、 ・1994a.b、 『1995a6b。 ℃ 、1996a.b.c>に 報 告 して い る。 一 ユ29一

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2.残 存状 況(図2) 2-1、 上江 墟 鎮(93年 当時 は 上 江 墟 郷) ① 桐 口村(93夏 、96春 、96夏) 幽91年に亡 くな った 義 年華 さん が 晩年 住 んだ 村 なの で、 義 さん の女 文 字 と の 関 わ りを知 り、 義 さん が亡 くな る前 年 に郷 政 府 が 開 い た女 文 字 学 習 班 で の 後 継者 育成 の成 果 を 調 べ るた め3度 訪れ て い る。 義 さん の 晩年 の住 居 の隣 人 ・蒋 漢 池 さん(96春 、75歳)の 話 では 、 義 さ ん は29歳 で夫 と死 別 、 て ん足 で 外 で 働 け な い ので 、刺 繍 で生 計 を 立 て て い た とい う。70歳 以上 に な ってか ら女 文 字 を よ く書 い て いた 。 扇 子 に も ノ ー トに も細 い筆 で書 いて い た。:聡明だ った か ら村 人 に 好か れ て いた が 、 訪 ね て きた 人 は あ ま りに 貧 しい の で涙 を 流 して い た。 ア メ リカ人 が半 年 ほ ど一 緒 に 暮 した こ とが あ るが(注1)、そ の ア メ リカ人 が帰 る と き、 連 れ て帰 りた い と言 った ほ どだ った 。 i義さん の 女 文字 学 習 班 は1村 の書 記盧:秀増 さ んに よる と、 後 継 者 を 養 う た め、 県 が 郷 に 指導 して、 県 と郷 が 共 同 で 開 いた 。 義年 華 さん の最 晩 年 、 1期 を1年 と して(注2)3期 ま'で開 い たが 、3期 自の途 中で 義 年 華 さ ん が 死 亡 、 そ の 時 点 で 中断 した ま ま以 後 再 開 され る ことは なか った 。 この 学 習 班 で 女文 字 を 習 った 娘 の1人 盧 蘭珠 さ ん(96夏 、27歳)の 話 で は 、 義 年 華 さん は まず 歌 を1句 歌 い 、 そ れ を黒 板 に 書 い た。 学 習者 た ちは そ れ を 見 て 紙 に書 いた 。 そ う して1句 ず つ 習 った 。 義年 華 さん の死 で3カ 月 しか 習 わ な か ったか ら習得 で きな か った。 個 々 の文 字 とそ の音 を習 った の で は な い か ら、 歌 の句 以 外 は書 け な か った。 も う1人 ≦ 盧 早 珍 さ ん(96春 、23歳)は 、 郷 政 府 に 勧 め られ て 習 い始 め '1か 月 だ け 習 った。 毎 晩 食事 後 に 習 った 。 漢字 と同 じよ うに、 先 生 が 黒 板 に 書 い た もの を ま ね て写 した。 写 して か ら歌 った。1句1句 書 い て1句1 句 覚 え た 。 そ して1つ1つ の 句 の意 味 を 教 わ った。 漢 字 に似 て い る も のが 多 い か ら覚 え や すか った 。 しか し、 漢 字 の よ うに1字1字 教 え た の では な い 。 習 った 歌 は 、皇 帝が 妃 を選 んだ とカ㍉ど うとか とい う内 容 の もの で、 古 一130一

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96夏、97春 図1女 文 字 伝 播地 域 概 略図 中国女文字調査報告 (1)中 国 全 図 (2)湖 南 省 (3)ゴ江 永 県 一is1

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図2'93夏 ∼'97春 調 査 地 域

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96夏、97春 中国女文字調査報告' くてつ ま らな か った。 義 さん の 教 え る と き の順 序 につ いて 、盧 蘭珠 さ ん と盧 早珍 さ ん の間 にず れ が あ る。 か つ て 習 った 人 か らの 聞 き と りで、 まず 歌 って 次 に書 く、 とい う順 序 の人 が ほ とん どで あ るか ら∼ 盧 蘭 珠 さ ん の方 の記 憶 が正 しい と思 わ れ る。 後 継 者 育 成 を め ざ して組織 され た学 習 班 で あ った が 、 結 局、 後 継 者 は 育 た なか った よ うだ。 現 在 、 義 年 華 さん に 習 った 、 女文 字 を織 り込 ん だ花 帯 を 織 れ る人 は い る が、1つ のパ ター ンの 女文 字 を 織 り込 め るだ け で、 図案 の一種 と して 用 い て い るにす ぎ ない 。 ② 荊 田村(94夏 、』97夏) 女 文字 創 成 の伝 説 の 主 人公 胡 宝 秀(胡 秀 英 と も呼 ばれ る。 遠藤 注)の 生 まれ た とい う村 で 、・玉 秀 の住 んで い た とい う家 の 門 や敷 石 は 明 代 の も の と され る。 わ た した ち調 査 グノレー プを もの珍 しそ うに 取 り囲 む、 男性 の1人 に きい た と ころ で は、60年 代 まで この 旧居 の 門 に皇 帝 の 名 の扁 額 が かか って い た とい う。 金 印が 捺 して あ ったか ら皇 帝か らの 竜の に 間違 い ない と もい う・。 また 別 の 男性 に 、 こ の胡 玉 秀 とは ど うい う女 性 か と尋 ね た と こち、美 藐 と 才 能 を 備 え、 女 文 字 が 書 け たか ら皇 帝 に 召 され た、 とい う。 従来 の研 究 者 の 収 集 した伝 説(注3)では 、 類 な い美 貌 と聡 明 さで 皇 帝 に 召 され た が、 皇 帝 の 寵 を 得 られず 、 そ の苦 悩 を家 族 に伝 え るた め に 秘 密 の文 字 を 作 った 、 と い うの が通 説 で あ るが 、 この 男性 は女 文字 の能 力 を 皇 帝 に 召 され た理 由 と 考 え て い た 。 ③ 湾 頭 村(97春) 村 め最 高 齢 の女 性 の話 では、 姑 が 読 め た し書 け た 。姑 は漢 族 で、 晴 里 出 身 、18∼19年 前80歳 で死 去 。姑 が主 朝 書(結 婚 した 娘 に、 式 の3日 後 に贈 る冊 子 。遠 藤注)を 持 って い た が、 姑 炉亡 くな った と き姑 と一 緒 に焼 いた (注4)。姑 は 義年 華 さ ん、 高 銀 仙 さ ん(後 述)と3人 で 義理 の姉 妹 の関 係 一 一133一

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この地 で は 結 拝 姐 妹、 結 交 姉 妹 とい う一 を 結 ん で い たd ④ 白巡 村(97春) 38歳 の男 性 の 話 。 母親 が 三 朝書 を も って い た が、15年 前 、70何 歳 か で 死 . んだ と き、 一 緒 に 焼 い た。母 は葛 覃 出身 で あ った。 母 は女 文 字 を 読 む こ と も書 くこ と もで きな か った 。 義 桂 仙 さん(85歳)。 興 福 村 出身 。 娘 の ころ 習 いか け た が 、 覚 え られ な か った 。 娘 々廟(注5)へ行 って線 香 をあ げ る と、 女 文 字 を 書 い た 紙 を くれ た。 そ の紙 を も ら って 帰 っ て、 それ を 見 なが ら練:習した が 、 覚 え られ な くて途 中 で や め た。、 女 文 字 が で き る人 は、 自分 の願 い ご とな どを書 い て 奉 納 した。 書 け ない 人 は 奉納 で きず 、 書 け る人 が羨 ま しか っ た。 娘 の ころ、 父 や 兄弟 が 病 気 で、 野 良 仕事 を しなけ れ ば い け な くて、'女文 字 を練 習 す る 時 間 が なか った 。' 村 に1人 未 亡 人 が い て、ーよ く書 け た。 新 宅 村 に もで ぎる人 が い た が 死 ん だ。 義 早 早(後 述)を 知 って い る。 女 文 字 を 書 い て い る のを 見 た こ とが あ る。 浩 塘 村 へ嫁 い だ蒋 彩 芝 が よ く書 けた が 、 も う死 んだ 。 三 朝 書 は4年 前 北京 か ら来 た学 者 に 貸 した 。 これ は、 嫁 に来 る と き、 村 の仲 よ しの娘 に も らった 。 読 め ない け ど、 とて も うれ しか った。 友 だ ちが 結 婚 す る と きは、 自分 が 書 け な いか ら義早 早 に書 いて も ら つて、 そ れ を あ げ た。 ' ,義雄 色 さ ん(70歳 以 上)。 興福 出身 。 三 朝 書 は な く した6歌 は うた え る。 姆 の とき、 み ん な 集 まる と歌 った 。 人 を訪 ね る と きの歌 、 老 同(注6)の歌 、 搴 婦 の歌 な ど民 歌 が 歌 え る。匿 高 齢 の女 性 の 話 を 聞 いて い る うち、 集 ま って きた村 人 の1人 、40代 の女 性 が 、 三 朝 書 の体 裁 で、 中 は 女文 字 は書 か れず 、 絵 だ け が 描 か れ て い るか な り古 く紙 もす り切 れ ふ ち は ボ ロボ ロに 朽 ち た ものを 見 せ て くれ た(図3)。 自分 の 母 が、・そ の母 の もの だ と言 って 持 つて いた も ので、 母 も亡 くな って い るか ら、 だれ が 、 何 のた め に作 った ものか 何 も知 らな い とい う。 絵 の 中 に は、 当 地 の女 性 た ちが 伝 統的 に描 い て きた刺 繍 の 図案 と と もに、 一134一

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96夏 、97春 中国 女 文 字 調 査 報 告

図3 絵 だけの三朝書

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孫 悟 空 が 桃 を 盗 む と ころ、 宋 代 の女 性英 雄 穆 桂 英 の闘 い の シー ン、 白蛇 伝 の主 人 公 が 橋 で 恋 人 と出会 う場 面 な ど、 故 事 や 小 説 の 名場 面 が24ペ ー ジ に わ た って 描 か れ て い る。 細 か い 筆致 はか な り専 門 的 に 描 く人 の も の と思 わ れ る が、 そ の反 面 、 人 物 や 動物 の表 情 、 手 の 描 き方 に は専 門 家 ら し くな い 稚拙 さ も見 られ る。 図 の中 の旗 の中 に1箇 所 、 筆 記用 具 ら しき もの を 集 め て描 い たペ ー ジに1箇 所、 文 字 が 書 か れ て い る。 旗 の 中の 字 は 左 か ら 「氣 和 團 一 」 と読 め る。・も う1箇 所 の は文 字 ら しき も ので は あ る が、 特 定 で き る もの で は な い。 そ の 中に 女 文 字 ら しき もの も2字 見 られ るが、 三 朝 書 に 書か れ た よ うな筆 跡 では な く、 女 文 字 と意 識 して 書か れ た も の とは 思 わ れ な い。 他 の多 くの 刺 繍 の図 案 は この地 の 女性 た ち の刺 繍 作 品 と一 致 す る伝 統 的 な もの で あ り、 同 様 の 図 案を 描 い た紙 は他 の村 の 女性 た ち も持 って い るか ら、 これ らの 図 の多 くが 女 性 が描 いた もの で あ る こと も 明 らか で あ る。 物 語 場 面 や 、 故 事 を ふ まえ て美 し く描 か れ た 絵 は 、 当 時 の娯 楽 の1種 と して もて は や され 、 楽 しまれ た もの で あ ろ う。 絵 ば か りの 「三 朝 書 」 は 女 文 字 資 料 を1950年 代か ら収 集 して い る周 碩 沂 さん も見 た ことが ない とい う。 した が っ て、 そ の作 者、 制 作 意 図 、 用途 な ど全 く見 当 が つか な い。 た だ、 三 朝 書 と大 き さ、 黒 い 布 の表 紙 、 右 の上 下 の角 の赤 い 希、 綴 じ方 な ど 体 裁 は全 く同 じで あ る こ とか ら、 女文 字 を書 く三 朝 書 の一 つ の ヴ ァ リエ ー 、 シ ョ ンとみ る こ とは で きる し、 精 密 で華 麗 に 描か れ た刺 繍 の図 案 か らは 、 こ の地 の 女 性 た ち の 「女 紅 」(注7)と密 接 な 関連 を もつ も ので あ る こ とが確 信 で きる。 ⑤新 宅 村(96夏 、97春) 義 年 華 さん の 長 女盧 全玉 さん(96夏 、67歳)の 話。 女 文 字 を 読 む こ と も 書 くこ と もで きな い。 三 朝 書 な ど女 文 字 資 料 は何 も持 って いな い。 役 に立 た な い か ら、 母 か らも習 わ なか った 。 妹(義 年 華 さん の二 女)は 二 年 前 亡 くな った が、 そ の息 子 は 祖母 の義 年 華か ら女 文 字 を 習 って 少 し書 け る。1 人 は桐 口に、1人 は 双 牌 県水 庫 に 勤 め て い る。 一136一

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♀6夏、97春 中国女文字調査報告 97春 の 調 査 で、 村 の入 口に 休 ん で いた 男 性 た ち(50、60代)㊧ 話 で は、 村 に読 み 書 きで きる 人 は い ない 。桐 口の人(義 年 華 さん の こと であ ろ うρ 遠藤 注)が 書 け た 、、そ の 人 の孫 が ζの村 に い る とい うこ とで あ った 。 村 の 中 で、80歳 くらい の女 性 に き くと、 自分 は 読 み 書 き もで きず、 何 の 資 料 も持 って い ない が 、 甫尾 の人(高 銀仙 さん の ことで あ ろ う。 遠 藤注) が で き た、 との こ と。 ⑥ 下新 屋 村 ⑲6夏) 村 人 に紹 介 され た、 村 で 最古 老 の85歳 の陳 玉 登 さ ん も、 次 い で高 齢 の76 歳 の 陳全 池 さ ん も、 女 文 字 の ことは 何 も知 らなか った ◎ ⑦ 甫尾 村(94夏 、96春 、96夏 、97春) r高銀 仙 ざ んが いた 村 な の で 、馳たび た び 訪 ね て い て、 息 子 の 胡 錫仁 さ んか ら聞 い た話 は遠 藤(1996a)に 報 告 して い る。 胡 さん は 、母 が 晩年 に 女文 字 を 書 い た絹 の布 、扇 子 、ハ ソカチ 、花 帯 駐 β〉 を 保 存 し て い る。 また 、 胡 さ ん の娘(高 銀 仙 さ ん の孫 娘)の 胡美 月 さん (夏 湾 村)は 高 銀仙 さ んか ら女 文 字 を 習 った こと が あ り、 少 し書 け る との と と。 唐 宝 珍 さん(94纂81歳)。 夏 湾 出身 。 て ん足 して い る。 高 銀 仙 さん の結 拝 姐 妹 の1人 。 娘 の とき老 同が3、4人 い た◎ 甘 益、 棠 下 、 大 路 下 に1人 ず つ い て、 一 緒 に女 紅 を した り、遊 んだ り した 。 女 文字 は書 か な か った。 結 婚 め と き、 女文 字 を書 いた ハ ンカ チ》 タ オル 、 三朝 書 をた くさん も ら った 。 吃 三 朝(注9>の と き、'男の側 の年 上 の女 性 が 、 三朝 書 をみ て 歌 っお。 歌 の 内容 は 、 娘 の 母 は 、娘 が婚 家 で い じめ られ る と辛 い か ら、娘 に 、 婚家 で よ くふ る ま うよ う、 また、 親 の恩 は 忘 れ な い よ うに 、 と悟す もので あ っ た。 自分 は読 め な いか ら結 婚 後 も三 朝 書 は ほ とん ど見 なか った。 50歳 す ぎ てか ら高 銀 仙 さん と結 交 姉 妹 を した。 姉 妹 に な った と きも、 初 め は 書 け なか った。 一 緒 に 歌 は歌 った 。3∼4年 間、 高 銀 仙 さん に習 って 少 し書 け る よ うに な った。 一137一

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96夏 再 訪 の と き、 女 文 字 を 書 い た小 さ な ノ・一 トを 見 せ て くれ た。 最 近 は 暇 が あ る と書 い て い る。20年 前 夫 が死 んだ と き、 た い へ ん悲 しか った 。結 拝 姐 妹 の 胡 慈珠(注10)が女 文 字 を書 く ことを 勧 あ た 。 しか し、 そ の こ ろは 女 文 字 は 役 に立 た なか った か ら書 か なか った 。 最近 調 査 に くる人 が い る ので、 書 くよ うに な った 。:90年ころ宮 暫 兵(注11)が、 県庁 の あ る町 ぺ 連 れ て い って、 高 銀仙 さ んか ら習 わ せ た。 宮 哲 兵 の提 案 の女 文 字 の学 校 は 計 画 だ け で 立 ち 消 え に な り、 十 分 に 習 うこ とは で きな か った。 習 うと きは 見 本 の ノー トが あ り、 そ れ に 従 って 書 く とい う方 法 で あ った 。㍉, そ のあ とで、 唐 ざんに 文 字 を 書 い て も らった と とる、辛 う じて 自分 の名 前 が 書 け る程 度 で あ った 。文 字 を書 き連 ね た ノ ー トは、 周 碩 沂 氏 に 見 せ た ら、ら周 さん いわ く、「まち が いだ らけ で、1書け る部 類 に 入 ち な ㍉・」 との こ とで あ った。 ⑧ 欧 家村(96夏)… ㌔義 海 珠 ざ ん(64歳) 。 瑤族b高 銀 仙 の養 女6読 む こ と も書 くこ と、もで きな いo㌧、 欧 静 鳳 さん(35歳)。 瑤 族。 高 銀 仙 さん か ら習 った こ と が あ る。 少 しだ け 覚 え て い る。-女文 字 で書 い た梁 山 伯 の本 を 持 って い た が、 弟 に 取 られ て しま っ.た。 ⑨櫟 馬 村(96夏) 村 の入 口に いた 女 性 に 尋 ね る と、 そ の人 の母 親(何 柳 珠 、 龍 田村 出身 、 88年 に70歳 で没)が 、 娘 の ころ読 み 書 きで きた とい う。 亡 くな うた とき、.、 女文 字 を書 いた もの は 何 も残 され て い なか った 。 ⑩ 呼家 村(96春 、ウ96夏) 高 鳳 仙 さ ん(96春 、78歳)。 高 銀 仙 の妹 。 高 家 村 出 身。 漢族 。7∼8歳 の とき女 文 字 を 村 の未 亡 人 か ら習6て 、 以 前 は 書 い た が、 今 は書 け な い。 読 む こ とは で きる。 自分 の伝 記 を陽 煥 宜 に 書 い て も らっ て、 そ れ を 見 な が ら 歌 うこ とは で きる。 陽 煥 宜 と結 拝 姐 妹 だ った6伝 記 の初 め の部分 は次 の よ うな 内 容 で あ る と い う。 一138一 一

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.96夏 、97春 中鼠女文字調査報告 ひ と り、 部屋 に座 って考 え ます(注12)・ 自分 の こ とを 考 え る と大 変 悲 しい 多 分 自分 ほ 前世 に 悪 い こ とを した の で し ょ う きっ と神 さ まに 悪 い こ とを した の です 高 鳳仙 は 自分 の こ しか た を述 べ ます 親 が 自分 を 生 んで くれ ま した この世 は曇6て ば か りで 晴 れた こ とが ない … … 三 朝 書 は北 京 の学 者 が 持 って い って まだ 返 して くれ な い。(96夏 に は 、ア メ リカ人 に1冊 貸 した と も言 って い る。 遠 藤 注). ⑪ 高 家 村(94夏 、95夏) 蒋 四 女 さん(94夏 、76歳)。 子 ど もの こ ろ、 永 州 か ら逃 げ て くる とき、 女 文 字 を書 い た もの は す べ て無 くした。 Y・Cさ ん(94夏 、60歳)甘 益村 出身 、 漢 族 。 母 か らも らった 主朝 書 を 持 ってい る。 母 が 作 った もの と思 う。 母 が そ の母 か ら も ら った のか も しれ な い。 母 は 消 江 郷(当 時)白 嶺 崗 村(現 在 玉 齢 村)出 身。 自分 が14∼15歳 の と き40歳 ぐらい で 亡 くな った。 生 きて いた ら90歳 ぐらい。. 三 朝 書 は、 自分 が21∼22歳 の こ ろ{母 の遺 品 を整 理 して い て みつ け た 。・ 母 が 女文 字 を書 いて い る と ころ を見 た 記憶 は な い。 母 親 の もの だか ら役 に 立 つ と思 って しま って おい た 。 開 けて も読 め な いか ら、 開 け る こ とは 少 な か った 。 何 美 忠 さん(95夏 、78歳)。 母 が女 文 字 を か い た ものを た くさん 持…っ て い た。 母 は 錦 江 村 出 身、 漢 族 だ った。 胡 玉 珠 さ ん(95夏 、61歳)。 荊 田村 の実 家 で母 が 三朝 書 を2冊 持 って い た。 母 は 去年 死 んだ 。 ⑫ 上 江墟:(95夏) 何 応華 さ ん(49歳)。 龍 田村 出 身 、甘 益 村 在 住。 母 ・…蒲英英 さ ん(江 永 陳 家 街 出 身、3年 前82歳 で没)が 書 い て い た。 女文 字 を 織 り込 ん だ飾 りのつ い た エ プ ロ ンを も って いた 。大 路 下 村 に 楊 淑 梅 さん とい う人 が い て、 女 文 一139一

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字 が で き る はず 。 ⑱ 土 墻 屋 村(96夏) 村 の入 口の男 性 た ち に尋 ね る と、・口々に 女文 字 は この 村 に は な い、 とい う。70歳 以 上 の女 性 もい な い とい う。・ ⑭ 楊 家 村(陽 煥 宜 さん の 出身 の村 、95:夏、96夏) 96夏 、86歳 の 女 性 に きい た と ころ、 女文 字 は 習 わ なか った 。 父 が どこ で も使 え な い か ら習 って も し よ うが な い と言 った か ら との こ と。 唐 華 玉 さ ん(95夏 、61歳)。 夏 湾 村 出身 。 呼 家 村 で女 文 字 を 見 た ことが あ る。 自分 も三 朝 書 を年 上 の 女 性 か ら も らって 持 って いた こ とが あ るが 、 ね ず み にか じ られ た の で捨 て た 。 義 潤 華 さ ん(95夏 、48歳)。 高銀 仙 の義 理 の お ばあ さん が 母 と仲 よ しだ っ た の で、 高 銀 仙 さん か ら白 い ハ ンカ チを も ら った こ とが あ る。 また 高銀 仙 さ んに 頼 ん で書 い て も らっ た こ と もあ る。 ど こに 置 い た か わ か らな い。 ⑮ 銭 塘 村(96夏)・ 三義 青 玉 さ ん(67歳)。 甘 積頭 村 出身 。 女 文 字 の もの は 何 も持 って い な い。 60歳 以 上 の 人 はみ な 「読 紙 読 扇」(注13)のことば は知 っ て い る。 母 が 三 朝 書 を も って い た。 女 文 字 を 書 い て い る の は見 た こ とが なか った 。棟 秀 青 さん とい う新 宅村 出身 で夏 湾村 へ嫁 いだ 人 が よく書 けた 。 ⑯ 浩 塘 村(96夏)' 胡 仙 珠 ざ ん(73歳)。 白水 村 出 身。 高銀 仙 さん と姻戚 関 係 に あ った 。 高 銀 仙 さ ん の娘 が 結 婚 して、 ま もな く日本軍 に殺 され た。 そ の夫 と自分 が 再 婚 した 。 高 銀 仙 さん に頼 んで 女 文 字 を 書 い て も ら った こと が あ る。 娘 の ころ、 女 文 字 は習 わ な か った が、 三 朝 書 は持 っ て いた 。 実 家 の母 が だ れ か に 頼 ん で作 って も ら った もの。 女 文 字 を刺 繍 した ハ ソ カチ も 白水 出 身 の結 拝 姉妹 の1人 か ら も らっ て持 っ てい た。 しか し、 そ れ らは、 日本軍 が来 た とき、 山に 逃 げ て、 も どっ て きた ら全部 な くな って い た。 義 年 仔 さん(78歳)。 棠 下 村 出身 。 娘 の と き結 拝 姐 妹 か ら女文 字 を 習 っ た。 そ の結 拝 姐 妹 は だ れか に習 っ て知 って い た。 今、 歌 え るが書 け な い。 一 ユ40一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 『 ⑰ 呉 家村(96夏)'齟. 唐 漢 菊 さ ん(79歳)。 夏 湾 出身 。 女文 字 を書 いた ハ ンカチや 三 朝 書 を 見 た こ とが あ る。 三 朝 書 は持 って い た 。 文字 の な い三 朝 書 ば 作 った こと もあ る。 自分 の持 って い た のは甫 尾 に 嫁 い だ唐 宝 珍 とい う友 人 か ら も らった も の だ った。2∼3年 前 、 河淵 村 の 人 が だ れ か に頼 まれ て 買 い に来 て、'2元 で 売 った。 ⑱ 神 湾 村(96夏) 村 長 に 高齢 の女 性 を紹 介 して ほ しい と頼 ん だ ら、 村 長 は 自分 の母 親 が 書 け た、 と話 して くれ た 。 呼盛 宜 さ ん とい い、 呼 家村 の 出身 で、 て ん足 を し て い た 。数10年 前 に亡 くな った。 呼 さん は 娘 の ころ 呼家 村 で女文 字 を 習 い、 読 む こ と も書 く こ と もで きた。 三 朝 書 を 持6て い た が、:1964年の 四清 運 動 のと『き▽ 古 い ものだ か ら よ くな い と焼 き捨 て た 。 村 で 最 も高齢 の呼 賢 宜 さん(呼 家 村 出身)が 女文 字 が で ぎ る と思 う と村 長 は言 った が、 本人 は不 在 で確 認 で き なか った 。』 『 ⑲ 棠 美 村(96夏) 義 王 嫦 ざん(68歳)。 大 路下 村 出身 。 て ん 足 を して い る。『自分 は で きな いが 、 大 路 下 に 書 け る人 が いて、 娘 の ころ見 た こ とは あ る。 河 淵 村 出 身 の 何 雲 竹 とい う人 が 書 け た が、 も う亡 くな った 。 結 婚 式 が あ る と村 人 は 何雲 竹 を呼 ん で 歌 って も ら った。 自分 も、 母 も書 け な か った 。村 で は何 雲 竹 だ け が で きた 。1 ⑳達 灘 村(96夏) 村 の入 口で人 々に 聞 い て も、 女 文 字 の こ とを知 って い る人 はだ れ もい な か った。 高 齢 の女 性 を 紹 介 して ほ しい と頼 ん で も、 そ うい う人 は い ない と 断 られた 。通 りす が りの女 性 が女 文 字 な ら甫 尾 、 桐 口、 河 淵 に あ る と教 え て くれ た。 ⑳ 四 脚 門楼 付 齟(96夏) 何 牛 旺 さ ん(30歳)。 漢族 。.自分 が15歳 の ころ、 三 朝 書 は 焼 き捨 てた 。・ 価 値 が な い と思 ったか ら。 お ば の盧 金 誼(達 灘 村 出身)が 女 文字 の読 み 書 一141一

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きが よ くで きた 。 お ば は いつ も女 紅 を して いた 。 お ば は 出身 が よ く、 子 ど もの ころ女 文 字 を 習 った と言?て い た 。 女文 字 を刺 繍 した 衣 服 や 帽子 を政 府 に寄 付 した こ とが あ る。4∼5年 前 に 亡 くな った。 ⑳ 三 間舗 村(96夏) 新 し くで きた 村 で、60歳 以上 の人 は い な い。 女 文 字 の こ とを知 る人 もい な い。 ⑱ 葛 覃 村(94夏 、96夏 、97春) 胡 慈 珠 さ ん の いた 村 な の で、 た び た び 訪 ね て い る。 94夏 に 、 陳 桂 秀 さん(80歳)に 尋 ね た が、 女 文 字 の こ とは何 も知 らなか った 。96夏 で も胡 慈 珠 さんが 女 文 字 が で きた とい う村 人 数 人 に 会 った が 、 現 在 読 み 書 きで き る人 は1人 もい な い とい う。 97春 。 錦 江 村 出身 の50代 の女 性 が 河 淵 村 出身 の母か ら も らった とい う三 朝 書 を持 っ て いた 。 母 は 女文 字 の読 み 書 きが で きた。 夏 湾 村 出,身の60代 の 女性 。 銭 塘 出 身 の 母か らも ら った 三 朝 書 が あ る。 母 は生 き て いた ら90歳 以 上◎ 潮 水 村 か ら来 て い た 人 が、 潮 水 村 に い る母 が三 朝書 を持 っ て い る、 とい う。 ⑳ 倒 水 洞 村(96夏) 呉 雲 池 さ ん(80歳)。 呉 家 村 出 身。12歳 の ころ、 母 ・i郡金 金 と、 兄 嫁 朱 仙 珠 か ら習 った 。 今 は全 く書 け な い 。唐 宝 珍 さん、 胡 慈 珠 さ ん ら と結 拝 姐 妹 だ った 。 王 幼 菊 さ ん(72歳)、 娘 の ころ で きた が 、 今 は全 然 覚 え て い な い 。 ⑳ 晴 里 村(96夏) 義 社 圭 さん(87歳)。 義年 華 さん とい と こ同士 。 お ば ・王路 仙 か ら、義 年 華 さん と一 緒 に 習 った。 義 年 華 さん は4歳 年 上 で た くさん 習 った が 、 お ば が 亡 くな って 自分 は十 分 習 え な か った。 習 った あ とで も あ ま り使 わ な か っ た 。 習 うと きは1句 ず つ歌 って 書 き、 ま た1句 歌 って書 き、 を 繰 り返 した。 毛 筆 で 書 い て 習 った。5人 も弟 妹 が い て世 話 を しなけ れ ば な らず 、 習 った 一142一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 あ と復 習 は で きな か っ た。 当時 村 で 習 った のは2人 だ け。 義 年 華 さん は とて も きれ い な文字 を書 い て い た 。甘 益 村 にい る先夫 に女 文 字 の手 紙 を 書 い て送 っ て いた 。 三 朝 書 は 宮哲 兵 が来 て何 冊 か 持 って い った 。 ⑳ 棠 下 村(96夏) 王 甫 仙 さん(74歳)。 白水村 出身 。 自分 は で きな いが》 孫 娘 が 義年 華 さ ん か ら習 った こ とが あ る。 盧 全 宜 さん(76歳)。 達灘 村 出身 。 女 文 字 は知 らな い。 自分 が この村 に 嫁 いで きた と き、 村 に女 文 字 の書 け る人 は い な か った。 ⑳ 夏 湾 村(96夏 、97春) 義 雲 月 さん(76歳)。 棠 下村 出身 。 自分 は 習わ なか った が 、棠 下 に い る と き楊 仙 とい うで き る人 が い た。 楊 仙 が ハ ンカチ や ノ ー トに 書 い て い る の を 見 た こ とが あ る。 彼 女 は 歌 い なが ら書 い て い た。 扇 子 や ハ ンカ チ、 三 朝 書 を も らってi持って い た が、 今 は も うな い。 胡 美 月 さん(高 銀 仙 さ ん の孫 、34歳)。85年 、23歳 の ときか ら祖 母 に習 う よ うに な った 。歌 を全 部 覚 えて か ら、 書 くのを 習 った。 歌 った 部分 の意 味 を 聞 き、 女 文 字 を書 き、漢 字 を つ けた 。 難 しさは 女文 字 も漢 宇 も同 じ く らい だ った 。 祖 母 は、83年 以 降、 学 者 た ちが調 査 に くる よ う、に な る前 も よ く書 い て い た 。 結 拝 姐 妹 と友 情 を深 め るた め、 互 いに 慰 め る た めに 書 い て、 や りと り を して い た 。紙 や ハ ソカ チに 書 い て いた 。 そ の ころ、 自分 は 女文 字 が どん な も のか知 らな くて何 も考 え た こ とが なか った 。 85年 に 習 お う と思 っ た のは、 祖 母 が 高 齢 で 亡 くな った ら、汝 文 字 が 消 え て しま うと気 が つ いた か ら。 母 は身 体 が 弱 く、 習 う余 裕 は なか った。 自分 は 、 そ の ころ結 婚 して時 間が な くな り、 十 分 に 習 え なか った 。 胡 慈 珠 さん の作 った 「女 書 の歌 」 は 少 し書 け る が、 思 って い る ことが 書 け る段 階 で は な い。 ⑱ 甘 積 頭 村(96夏) 一143一

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女 文 字 の コ ピー を見 せ て尋 ね て も女 文 字 に つ いて知 って い.る人 は ひ と り もい な か った。 ⑳ 朱 家 湾村(96夏) 高 齢 の女 性3人 に 尋 ねた が 、 家 が 貧 乏 で 習 うこ ξは なか った 、 とだ け 。 漢 字 を織 り込 んだ 花 帯(注16)を持 って い る 人 は いた 。 ⑳ 興 福 村(義 早 早 さん が住 ん で い て 、陽 煥 宜 さんが 習 いに 通 った 村 、94夏) 村 の 入 ロで 米 を 干 してい た 朱積 成 さ ん(44歳 ・男性)に 尋 ね る。 母(瑤 :族)が 書 け た が 去年 死 んだ 。他 に書 け る人 は い な い。60年 代 に、 女 の 人 た ち が集 ま って歌 うのを 聞 い た こ とが あ る。 そ の ころ、 歌 って は い け な い と され て い た が。 義 早 早 さ んに つ い て、 各 村 の人 々か ら聞 いた 話 を ま とめ る と 以下 の よ う に な る◎ 錦 江 村 の 何 建 雪 さん(95夏 、65歳)は 、 姉 が 結婚 す る と き、 義 早 早 に 書 い て も ら った 。 そ の ころ30歳 を越 した ころで 、 た くさ ん書 い て 忙 しそ うだ った 。1枚 の ハ ンカ チ を書 い て も ら う と銅 銭2個 を払 った 。 同 村 の蒋 京 亮 さん(96夏 、64歳)の 話 で は、 義 早 早 さん は 夫 の遺 産 を め ぐって村 で裁 判 を した こ とが あ る、 とい う。 そ の裁 判 に つ い て、 甘 益 村 の何 桂 芳 さん(96 夏、55歳)は 、 義 早 早 は そ の訴 状 を 女 文 字 で書 いた、 県知 事 は何 が 書 いて あ るか わ か らな いか ら却下 し よ うと した 。県 知 事 夫人 が女 文 字 だ とわ か っ て と り上 げ る こ とに な った、 とい う。 新 書 房 村 の朱 煥 池 さん は、 この 裁 判 は夫 の死 後、 親 戚 に 家 を 奪 わ れ そ う に な って お こ した の だ とい う。朱 さ ん の 父親 が 漢字 が わ か るか ら義早 早 が 相 談 に来 て い た。 それ を 女 文 字 で書 い て、 上 着 の裾 に 入 れ て 法 廷 に入 り、 そ れ を法 廷 で読 み 上 げ て い 沁、 と い う。 義 早 早 さ ん の裁 判 の話 は あ ち こ ちの村 で 聞 いた が、 女 文 字 で裁 判 を 闘 っ た稀 有 な例 であ ろ う。 ⑳ 錦 江 村(95夏 、96夏) 何 建 雪 さん(95夏 、65歳)河 淵 村 出身 、 てん 足 して いた 。 一144一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 三 朝 書 は結 婚 す る と き、 た くさ ん も ら った。.結拝 姐 妹 が7人 い た。 み な 河 淵 村 の娘 で、'2歳 の と き母 が 決 め た 「姉 妹」 だ った 。7人 と も女 文 字 は 書 け な か った が、 おば さん(桐 口出身)に 書 い て も らった の を 交換 した 。 解 放 後、 役 に立 た ない と思 って捨 てた 。 姉 が 結婚 す る と き、 義早 早 に書 いて も ら った。 義 早 早 は30歳 以上 の年 で、 た くさん の注 文 に 応 え て 書 い て いて 忙 しか った。 娘 々廟 へ も詣 った 。 女 文字 を書 い た 扇 子 を も らって きた 。 そ の扇 子 は翌 日 家 で焼 い た。 行 くと きは、 扇 子 を 買 って書 い て も らい、 そ れ を奉 納 して き た 。 吃 三 朝 の とき、 男 の側 の女 性 が 女 文 字 を書 い た扇 子 な どを 見 せ て歌 った 。 結 婚 す る とき ハ ンカ チや 扇 子 を も らわ ない 娘 は、 男 の家 の 側 か ら軽 蔑 され ーた 。 何 静 淑 さん(96夏 、66歳)。 河 淵村 出身 。 陽 煥 宜 さん と親 戚 。 扇 子 と三 朝 書 を 持 って いた が 、 文 革 の とき燃 や した。 女 文 字 は 習 った こ とが ない が、 花 帯 は 胡 四 四(注14)に習 って作 った こ とが あ る。 60代 の 男性 。 母 親 の残 した三 朝 書 を 持 って い る。 母 が 嫁 に来 る と き持 っ て きた ものQ母 は甘 益 出 身 で瑤 族 だ った◎ 母 が書 くの を み た こ とは ない。 母 は 義雲 女 と言 い79年 に84歳 で亡 くな った。 義 早 早 の 妹 。 母 の妹 に 義 三三 が い て、 黄 甲嶺 鎮 に 嫁 い だ が、 文 革 の と き 自殺 した 。 母 の姉 妹 は3人 と も女 文字 が で きた が、 母 の家 は 特 に豊 か で も教 養 が 高 く もな く、 ご く一・般 の水 準 だ った 。 い と この母 の残 した 文 字 の ない 三 朝書 が あ る とい うの で い と この妻 に尋 ね る と、 姑 は10年 前 に70歳 で亡 くな った。 亡 くな った と き遺 品 の中 に2∼ 3枚 の ハ ンカ チ と三 朝 書 が あ った が、 用 が な いか ら燃 や した、 との こ と。 欧 進英 さ ん(96夏 、65歳)。 下新 屋 村 出身 。:解放 前、 女 文 字 を織 り込 ん だ 花 帯 を持 っ て いた が 日本軍 に 奪 わ れ た。 現 在 は何 艶新 さん に文 字 の手 本 を 書 い て も らっ て、 そ れ を見 なが ら織 る こ とが で き る。 ⑳ 甘 益村(96夏) 一145一

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周 佩 珍 さん(74歳)。 自分 は で きな い。 義 年 華 さん が結 婚 後 しば ら く甘 益 に 住 ん でい た ので 彼 女 を知 って い る。 女 文字 の こ とは 「蚊 文 字 」 と もい う。 ⑳ 楊 家 巡 村(90夏 、97春) 義 室 芳 さ ん(97春 、53歳)。 大 路 下 村 出 身。 瑤族 。 母(唐 玉 葵 ・夏湾 出 身)が 三 朝 書 を 持 って い た が、 今 は な い 。 母 は女 文 字 が読 め た が 書 け なか った 。20年 前50歳 で亡 くな った。 この村 は96夏 も訪 ね て い るが 、 そ の と き も漢 字 の入 った花 帯 を もつ人 に 会 えた だ けだ った 。 ⑭ 大 路 下 村(96夏) 案 内 して くれ た 中学 教 師 が、 自分 の祖 母(楊 家村 在 住)が90歳 で 女文 字 の読 み 書 きが で き る とい う。 楊 家 村 へ 行 き確 認 した と ころ、 そ の 女 性 は い た が 、 で きな い こ とが 判 明。 楊:喜梅 さん(86歳)。 自水 村 出 身 。 瑤 族。12歳 ま で学校 へ行 き、 漢 字 を 習 った 。 学 校 を や め て か ら女 文 字 を 習 った 。 義年 華 か ら棠 下村 で 習 った。 三 朝 書 や 花 帯 を 持 って い たが 、 文 革 の と き、 持 っ て行 か れ た。 ⑳ 楼 下 村(96夏) 婦 女 主 任(注15)の話 で は、 この村 に は女 文 字 ので きる人 は い ない 。 龍 田村 に で きる 人 が い た が4∼5年 前 に 亡 くな った。 ⑳ 龍 田 村(96夏) 唐 梅 芝 さん(49歳)夏 湾 出 身 。 瑤族 。 女 文 字 が 読 め る。7歳 の こ ろお ば (父 の 妹)の 唐 淑 女 か ら習 った。 今 も10字 ぐ らい な ら書 け る、 とい うので 、 名 前 を書 い て も らお うと した が、 漢 字 を斜 めに しただ け で、 女 文 字 で は な か った。 唐 さ ん の お ば さ ん は大 路 下 出 身 の祖 母 か ら習 った。 お ば さん に は 女 の 子 が い なか った の で、 自分 に 教 え た が っ た。 学 校 か ら帰 る と、 外 で 遊 ば な い で 家 に い な さ い と言 っ て家 の 中 で教 えた 。 夜 も教 えた 。1文 字1文 字読 み 方 を教 え て 、(注16)次に 書 き方 を教 えた 。 また 、歌 を1句 歌 って 、 そ れ を書 一146一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 、・て教 えた 。 数 年 間 習 った。 学 校 に 行 きな が ら習 った 。 漢 字 よ り女 文字 の 方 が難 しか った ◎ 漢 字 と女 文 字 を 同 じ時期 に習 った が 、 混 乱 す る ことは な か った。 女 文 字 は 斜 め に書 くか ら。 女 文 字 で考 え た こ と何 で も書 けた 。 村 の 「姉 妹」 に女 文 字 の ハ ンカ チを 書 い て 贈 った こ と もあ る。10何 歳 まで 習 った 。小 学 校 で 他 に 習 って い る人 は い な か った 。 女 文 字 を 習 うの は興 味 が あ った。 お ば は、 必 要 な こ とが あ るか も しれ な いか ら覚 え な さい、 と言 った 。 しか し、50年 代 の終 わ りの こ ろ、 古 い もの は悪 い と言 わ れ るの で 習 うの を や め た。 そ の後40年 書 か な いか らす っか り忘 れ た。 お ば は3人 の結 拝 姐 妹 の1人 だ った 。3人 と も女 文 字 が で きた。 彼 女た ち は 漢 字 は で きなか った 。 お ば は て ん足 を して い た。 家 の 中 で歌 った り、 溂 繍、 衣 服、 刺 繍 の鞋 な どを作 った りして い た 。 ・⑳宅 下村(96夏) H・Sさ ん(66歳)。 江 河 村 出 身 。 漢 族 。 実 家 に帰 った と きお ば に 習 っ た こ とが あ る。 短 い時 間 だ った の で あ ま りで きなか った 。 三 朝 書 を一 冊 も っ て い るが、 兄 の と ころに 置 い て あ る。 M・Yさ ん(79歳)。:黄 甲嶺 村 出 身 。 漢 族。 女 文 字 は で きな い。 嫁 ぐと き親 戚 か ら も ら った 三 朝 書 が あ る、 切 り紙 が 得意 で、 今 は そ れ を は さむた め に 役 立 て て い る。 鍵 潮 水 村(97春) 蒋 清玉 さん(60歳)。 白馬 村 出 身 。 字 の な い三 朝 書 を 持 らて い る。 字 を 書 い た の もあ った が、 役 に 立た な いか ら焼 い た。 あ る男 性 が、 允 山 の榕 欄 金 が女 文 字 が で き るか も しれ ない 、 と教 え て く れ た 。 2-2銅 山 嶺 農 場 ① 銅 山 嶺 農 場'④3夏 、94夏 、95夏 、96春 、96夏 、97春) 陽 煥 宜 さ ん(97春 、88歳)。1楊 家 村 出 身 。 陽 さ ん に つ い て は 、趙 麗 明(19 -147一

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92)・ 遠 藤(1993、1994a.b、1995a.b.c、1996a.b.c)に …報告 が あ るの で97春 の 聞 き取 り調査 だ け 報 告す る。4月30日 訪 ね た と き は、病後 で い つ も の元 気 な 声 は 聞 かれ なか った。 陽 さ んに よる と、1丹23日 、 風 邪 か ら熱 が 出 て 意 識 が な くな った 。翌 朝 医者 に 来 て も らい点 滴 した 。2月4日 ごろ 起 き られ る よ うに な った 。 心臓 が苦 し く、 ど き どきす る。 呼 吸 困 難 に な る こ と もあ る。 現 在 も食 欲 あ ま りな く、 粥 や 豆腐 の よ うな もの だ け 食 べ る 。 毎 日寝 た り起 きた りで 何 も してい ない 。 病 気 の後 女 文 字 は 書 い て い な い。 視 力 が 弱 くな り、 目を 使 う と涙 が 出 て くる か ら書 け ない 。 翌5月1日 再 訪 した と きは、 か な り元 気 に見 え て、2行 ほ ど書 い て歌 ウ て くれ た。 歌 声 に もは りが あ った 。 娘 の ころ の ことに つ い て も答 え て くれ た 。 娘 の こ ろ、 習 った の は人 が 書 け るの を み て書 きた い と思 った か ら。 母 方 の おぽ が 書 け た。 村 で は2人 だ け 書 け た。 義 早 早 の 家 ま で5里(2 .5㎞)歩 い て 通 った 。 陽欒 欒 と一 緒 に 習 った。1人 だ と高 い が、2人 だ と1人400 文 払 え 醸 よか った。 大 勢 一緒 で は効 果 が 少 な い か ら2人 で よか6た 。 16∼17歳 の ころは た くさん書 いた 。 普 通 の歌 も書 いた が 、 三 朝 書 も書 い た。 三 朝 書 は あげ ・る相 手 の ほ め ことば を 書 い た。 結 婚 後 は 書 か な か った。 書 い て も し よ うが な いか ら書 か なか った 。 再 開 した のは 趙 麗 明 が 調 査 に くる よ うに な って か ら。 自分 が 死 ん だ ら困 る と思 って、 病気 に な る前 、 た くさ ん 扇子 に 書 い た。 大 きい 扇 子 に 書 くの に2日 ぐらい かか る。 絹 の 布 は3日 か か った 。 中 学校 の教 師 を して い る、 孫 の嫁 に、学 校 が 休 み の と き教 え て い る。 歌 を 教 え て、 書 く。 そ れ を見 て嫁 が書 く。 彼 女 は表 を文 字 、 裏 は 漢 字 の扇 子 を1本 書 いた こ とが あ る。彼 女 は覚 え て も し よ うが ない と言 って い る。 ② 河淵 村(陽 煥 宜 さ ん の友 だ ちが い る し、 何 艷 新 さ ル もい る の で、93夏 以 来6回 と も訪 ね て い る) 胡 四 四、 朱 雲 嫦 さん に つ いて 遠 藤(1996)に 、 何 艶新 さんに っ い て遠 藤 (1994b、1995a.c、1996a.b.c)に 報 告 して い る。 こ こで は96夏 以降 一148一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 に つ い て報 告 す る。 何 艶 新 さ ん(96夏 、56歳)。 田広 洞 村 出身。 瑤 族 。 こ と し5月 趙 麗 明が 、 陽 煥 宜 を家 へ 連 れ て きた 。 陽 は、 わ た しの字 は 正 し くな い、 間違 って い る と言 った 。 自分 は陽 よ り文 字 の 水 準 が 低 い。 しか し、 陽 の字 で間 違 って い る もの も あ る。 陽 は 「言」 の字 を 「耋」 と書 い て い るが、 本 来 の 字 は 暖 」 だ し 「冷 」 の字 を 「珍」 と書 い て い る が、 本 来 の字 は 「珍」 のは ず 。 女 文 字 で は、1つ の音 が 多 くの 文 字 で表 わ され る。全 くの 同音 で な ぐて も同字 に な って い る もの もあ る。 習 った とき の先 生 に よ って厳 密 に 音 を 区 別 す る人 とや や ぼ け る人 とが あ る。 「ノ」 と 「咨」 は どち ら も全 く 同 じ で 「一 」 を 表 わ して い る。 適 当 に 両方 を使 っ てい るが、 使 い 分 け は し て い な いo 祖 母 は上 江 墟:出身 で 漢族 。 祖 母 は 漢 字 も読 めた 。 祖母 は 他 の人 と一 緒 に よ く女文 字 を書 いて い た。 三 朝 書 を 書 くと涙 が 出 る、 と言 って いた 。 三 朝 書 は悲 しい こ とを書 くか ら と。 祖 母 は 亡 くな る前 三 朝 書 を4冊 くれ た 。 い らな い と思 って亡 くな った とき一 緒 に 燃 や した。 祖 母 か ら女文 字 の伝 説 を きい た こ とが あ る。 荊 田の娘 が皇 帝 に 召 され て9年 も戻 れ な か った 。 そ の 貴 妃 が 家 昏 手 紙 を書 くと きに女 文 字 を 作 った 。・1人で 作 った。 それ を 代 々 伝 え て きた 、 とい う話 であ った。 2-2黄 甲嶺 鎮 ① 莫 家 湾 村(96夏 、97春) 50代 女 性 。 谷 母 渓 村 出身 の母 の 残 した三 朝 書 が あ る。 母 は 女 文 字 は書 け な か った 。 舅 が 女 文 字 が で きた 。 舅 は イ ソテ リだ った◎ 葛 覃 に い る娘 の ど ころ に も三 朝 書 が あ る。 ② 何家 窄 村(96夏) 王柳 珠 さ ん(76歳)鳳 田村 出身 。 漢 族。16っ》17歳の とき、'河淵 村 出 身 の 人 か ら、 友 だ ち の何 娥 篇 と一 緒 に 習 った。 自分 は マ ス タ ー で き なか ったが 、 何 娥 篇 は、 桐 口の人 と同 じ く らい(義 年 華 さん の こ と と 思 わ れ る。遠 藤 一149一

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注)上 手 だ った 。 村 で は湾 頭 か ら嫁 い で き準 人 と何 と2人 だ け で きた 。2 入 とも亡 くな った。 自分 が 図 案 を描 き、 何 が 女 文字 を書 い た 美 しい 扇 子 を持 って い た 。結 婚 の と きハ ンカ チ を た くさ ん も ら った し、 三 朝 書 も持 っ でい た 。工 作 隊 が来 た と き持 って行 か れ た 。 王 さん が筆 で描 いた とい う刺 繍 の図 案 を み せ て くれ た 。 美 しい花 と蝶 の 精 細 な 図 案 で、 中に 「永 ・結 ・同 ・心 」 の 漢文 もあ った 。 結婚 の祝 いに 使 うこ とばだ とい う こと とで あ った。 王 さん 宅 ま で案 内 して くれ た人 の母 親 も、 王 さんか ら も ら った ハ ンカ チ を 古 い もの は危 い と思 って工 作 隊 に 出 した とい う。 王 さん の夫(73歳)の 話 で は、 自分 が結 婚 した ころ、 村 に女 文 字 は な か った.との こ と。 ③ 石 橋 頭 村(96夏) 村 人 のだ れ に 尋 ね て も、 女 文 字 は見 た こ とが な い と言 わ れ て と りつ く島 もなか った 。 ④ 龍 洋 村(96夏 、97春) 村 の書 記 に 古老 を紹 介 してほ しい と頼 ん だ と ころ、 女 文 字 調査 に来 た 人 は 今 まで い な か っ た と言 い、 村 の最 長 老 の 家 に案 内 して くれ た。 莫 蘭 色 さん(96夏 、92歳)。 龍 母 致村 出身 。 習 った こ とが あ る。 父か ら 友 人 と一 緒 に習 っ た。 父は 女 文字 を教 え る こ とが で きた 。 自分 は今 は 書 け な い。 夫 の妹 、 盧 桂 色(龍 洋 出身 で甘益 に嫁 いだ)が 書 け た。 文 字 のな い 三 朝 書 を持6て い る。 結 婚 す る前 に 自分 で作 った 。 糸 を は さむ のに 使 った。 み ん なが 作 って い た か ら 自分 も作 らた。 欧 陽 煥i砂さん(97春 、85歳)。 石 齢 村 出 身。i瑤族 。 字 の書 い て な い三 朝 書 を 持 っ てい る 。 結 婚す る とき母 に も らった 。 刺 繍 用 の糸 を は さむ ため に 使 って きた 。 文字 は 習 っ た こ とが あ るが 、 す っか り忘 れ た 。 田広 洞 村 出 身 の70代 の女 徃。 家 は葛 覃 だ が、 娘 の嫁 ぎ先 に来 て い る。 家 に 三 朝 書 を1冊 持 っで い る。母 の何 西 竹 か ら も らっ た。 一150一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 莫 家 湾 出 身 の70代 の女 性 。母 の残 した 三 朝 書 を持 って い る。 母 は 何 書来 とい い 、 晴 里 ゐ 出身 だ った が 自分 が50歳 の と き73歳 で亡 くな った 。 だ れ が 作 った も のか わ か らな い。 は さん で い る刺 繍 は姑 媽 や 自分 が作 っ た。 ⑤ 鳳 田村(96夏) 、王 芳 さ ん(25歳)。 祖 母 、 義 池 宜(湾 頭 出身 、94年87歳 で没)が で きた 。 ⑥ 龍会 村(96夏 、97春) 96夏 、 錦 江 村 の男 性 か ら きい た、 彼 の母 の妹 で文 革 中に 自殺 した とい う 『 義 三 三 さん の こ とを 聞 くた め、 義 さん の甥 何 福 徳 さん を訪 ね た 。 何 福 徳 さん に弟 が1人 い て 、 零 陵 で 働 い て いた 。 弟 が銃 を持 ち帰 った と 噂 が 立 ち郷 政府 が そ の銃 を没 収 に 来 た 。 弟 は知 らな い と言 った。 何 福 徳 さ ん の 父、 弟 、 そ の妻 の3人 が 鄰 政 府 に 呼 ば れ罰 せ られ た。 義 三三 に 電銃 を 隠 して い る疑 い が か け られ た。 義 三 三 は 女 文 字が 好 きで 家 の あ ち こち に隠 して い た。 家 を 捜 索 した 郷政 府 は1か ご の女 文字 資 料 も没 収 した。72歳 の 義 三 三 に72斤 の米 を も って こい と政 府 は命 令 した。 彼 女 は 、 古 い もの を持 って い るの を知 られ て しまい、 追 及 され る のを お それ て 自殺 した 。 何 福 徳 さん の妻 が、 義 三 三 の遺 品 を何 か 持 って い るか も しれ な い、 とい うので97春 再訪 した が、 そ の 妻 に は会 えず 確 認 で きなか った 。 ⑦ 黄 泥 舗 村(96夏) 解 放 後 、 他 の 村 か ら寄 り集 ま って で きた村 で、60歳 以上 の 人 はい な い。 女 文字 に 関す る情 報 は何 も得 られ なか った 。 ⑧ 西 村(97春) 村 の最 長 老 を訪 ね た ら、0・Tさ んが 女 文 字 の も のを 持 って い る と教 え で くれ、 そ の家 を訪 ね た 。0・Tさ ん(62歳)、 鳳 田 出身 。 三 朝 書 を 持 っ て い る。9枚 に文 字 が 書 い て あ り(普 通 は3枚)、 天地 を逆 に して 綴 じた 紙 が3枚 あ る。書 き手 が 異 な る人 の ものを 合 わ せ た よ うで あ る。 王 さん は 祖 母(湾 頭 出身 で鳳 田 に嫁 い だ)か ら も らった 。祖 母 の結 拝 姐 妹 が 銅 山嶺 に い る。 ⑨ 杏 菊村(95夏 、96春 、97春) 一151一

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盧 閏池 さ ん と の最 初 の出 会 い の こ とは遠 藤(1996a) .に記 した 。 そ の 後 96春 再 訪 の と き、 盧 さん は 目がほ とん ど見 え な い と言 って 読 ん で くれ な か った 。 息 子 に 先 立 た れ 、一 緒 にい た息 子 の妻 も孫 た ち も、 町 へ行 っ て しま い 、 毎 日泣 き暮 して い て、 目が見 え な くな った、 と言 った。95夏 、、生 き生 き と女 文字 を 拾 い読 み し大 声 で歌 って くれ た し、 確 か に娘 の こ ろ書 いて ㌧・ た とい うの で、 思 い 出 して くれ る よ う見 本 や ノ ー ト、 サイ ンペ ンを渡 して 帰 国 した の で、 そ の後 文 字 力 が どの くらい 回復 して い るか 大 きな 期 待 を も っ て再 訪 した のだ った が 、彼 女 の現 実 は、 文 字 どこ ろ では なか っ た。1人 暮 ら しで 自分 が食 べ る もの を手 に 入れ る のが や っ との 厳 しい生 活 に、 女 文 字 の 入 り込 む余 地 は なか った よ うだ 。 97春 、 三 度 目に 訪 ね た と き、 盧 さん は 目 も よ くな り、持参 した見本をす らす ら と読 ん で くれ た 。 生 活 も少 し安定 して き た のだ ろ う。読 む 力 を 回復 し海 後 、 書 く力 まで 呼 び 戻せ るか ど うか 、 今 後 も見 守 って い たい ⑩ 上 白馬 村(96夏) 河 淵村 出 身 の60代 の女 性 。 瑤 族。 母 親 か ら も ら った三 朝 書 を 持 って い る 。 母 も河淵 村 出身 。 母 は何 冊 も持 っ てい た 。生 きて い る と した ら84歳 。2冊 残 っ て い たが 、1冊 は 以 前、 宅 下 村 の 人 に売 った6, 莫 冬 珠 さん(68歳)。 龍 母 致 出身 。 瑤 族 。1冊 持 って いた が 今 は な い。 ⑪ 下 白馬 村 何六 六 さん(80歳)。 龍 田村 出身 。 娘 の ころ三 朝 書 を見 た こ とが あ る 結 婚 す る とき結 拝 姐 妹 か ら1冊 もら った。 今 ど こに あ るか わか らな い。 歌 は今 も歌 え る。. 欧 陽 水 姥 さん(65歳)。 石 齢 出身 。 文 字 の な い三 朝 書 を持 って い る。 去 年90歳 で 亡 く・な った母 が 持 って いた もの 。 ⑫ 谷母 渓 村(96夏) 案 内 して くれ た 鎮 の 民政 局 の役 人 の話 で、 允 山 鎮 に住 ん で い る江永 県最 高 齢108:歳 め 欧陽 さ ん(名 前 不 明)が 、 女 文 字 を読 み書 き で き、歌 も歌 え る、 とい う。 県 の旅 游 局 局 長陳 国森 さん に尋 ね て も、そ のような高齢 の女 一152一

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96夏、97春 中国女文字調査報告 性 は 県 に い な い、 とい うの で確 認 して い な い。 ⑬ 膣 下 井村(97春) 欧 陽 更煥 さ ん(47歳)。 縢 下 井 出 身 。 龍会 出身 で79年 に63歳 で没 した 母 の 三 朝 書 が1冊 あ った 。尸字 が書 い て あ った が母 が作 った も のか ど うか わ か らな い 。 今 どこに あ るか わか らな い。 漢 字 を織 り込 ん だ 花 帯 を作 った こと が あ る。 東 方紅 の歌 を 織 り込 み、73年 ご ろ作 った。 欧 陽 解居 さん(42歳)膣 下 井 出身 。 古 石 村 出 身 の母 の残 した 三 朝書 が1 冊 あ った 。 今見 当た ら ない。・ ⑭ 黄 甲嶺 村(96夏) 蒋 正 奎 さん(81歳)。 白馬村 出身 。 瑤 族 。 娘 の ころ 習 った こ とが あ る。 い と こが 習 って い た の で一 緒 に 習 った。 習 った が、 役 に立 た な くて使 わ な いか ら全 部 忘 れ て しま った 。 い と この何 幼 池 は 読 む こ と も書 くこ と もで き た し、 三 朝 書 も持 って い たが2年 前 に亡 くな った 。 ⑮ 十 甲村 龍 母 致 村 出身 の70代 女性 。 瑤:族。 三 朝 書 を3冊 持 って い る。2冊 は 文 字 が な く刺 繍 の糸 と図 案 の紙 が は さ んで あ る。 字 が 書 い て あ る の は母 に も ら った 。母 が どこか ら手 に 入 れ たか わ か らな い。 母 は 書 け な か ウ た。 自分 は 文 字 は読 め な いが 歌 は 歌 え る。 歌 は娘 の と き母 か ら聞 い て 自然 に覚 えた、 若 い と き母 が よ く歌:って い たか ら。 ⑯ 一 甲村(97春) 盧 国 生 さん(70歳)。 谷 母 渓 村 出身。 瑤族 。 夫 の欧 陽 善 卓 が 三 朝書 を持 って い た 。夫 は教 師 だ か ら持 って い た と思 う。 今 どこに あ るか わ か らない 。 盧 さん の 母親 は谷 母 渓 出 身 で 何十 年 も前 に亡 くな った が 、読 む こ と も書 く こと もで きた、 とい う。' ⑰ 龍 母 致 村(97春) 村 人 が欧 陽 宝 書 さん(72歳)が 三 朝 書 を持 って い る とい うの で確 認 の た め訪 ね た ら、 本 人 は 不 在だ った が 、 夫 が も う焼 い て し ま った と話 した 。 一153一

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1-4瀟 埔 鎮 ①新 書房 村(96春) 義 池 珠 さ ん(77歳)。 上 江 墟 出 身。 女 文 字 は読 め な い 。 娘 の ころ 「読 紙 読 扇 」 を み た こ とが あ る。書 いて い る人 を見 た こ と もあ る。 とて も習 い た か った が 、 小 さい こ ろ母 に死 に 別 れ て家 事 を1人 で や つて い たか ら文 字 を 習 う余 裕 は なか った 。 朱 煥 池 さん(75歳)。 興 福 村 出身 。 学 校 に 上 が る前、 村 で 「読 紙 読 扇 」 す るの を み た こ とが あ る。 歌 を きい てい る と とて も きれ いだ が 、 意 味 は わ か らな か った。 手 紙 の よ うに 書 い た も のを 見 た こ とは あ る。 難 しそ うだ った か ら習 お うと思 わ なか った 。 女 の人 で学 校 へ 行 か な い 人 だ け 習 っ た。 頭 の いい 人 だ け 覚 え られ た。 頭 の悪 い人 に は 無理 。 お ば の な ん とか 早 早 とい う人 が よ く書 い てい た 。扇 子 に書 い てい た 。 ② 江 河 村(96夏) 義 年 華 さん の 孫 娘。 習わ なか った。 こ の村 に 義年 華 さんが 住 ん だ こ とが あ り、 調 査 の人 が来 る よ うに な って よ く書 い て い た。 ③ 白水 村(96夏) 王 小妹 さ ん(82歳)。 白水 村 出 身 。漢:族。女 文 字 を 見 た ことが あ る。根:気 が い るか ら自分 は 習 わ な か った。 嫁 ぐとき に親 戚 か ら も ら った三 朝 書 を持 って いた が 、 自分 で読 め な いか ら捨 て た。 こ のあ た りで は三 朝 書 よ り 「送 礼 書 」 とい う方 が 普 通 。 ④ 黄 家 村(96夏) :黄桂 福 さん(60歳 、 男性)、 白水 全 村 に も う女 文 字 の で きる人 は い ない 。 何 西 静 とい う江 河 出身 の女 性 が読 む こ とが で きたが2年 前 に80歳 で亡 く な った。 書 い て い る の を見 た こ とは ない 。村 に この人 以 外 で きる 人 は い な か った。 解放 前 、 結 婚 式 な どで 書 い て い るの を見 た ことが あ る。 他 の村 か ら書 け る 人 を呼 ん で書 い て も ら って いた 。 結婚 す る人 の家 の 人 が 書 い て ほ しい 内 容 を言 っ て、 お 金 を 払 って書 いて も らっ て いた 。 子 ど もの と き歌 も よ く聞 一154一

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』96夏、97春 申国女文字調査…報告 い た が、 い い歌 だ った 。 ⑤ 周 家 村(96夏) だ れ も女 文字 につ い て知 って い る 人 は い ない と村人 の話 。 ⑥ 扶 塘 村(97春) む か し見 た こ とが あ る人 、 漢 字 の 入 った花 帯 を 作 れ る人 が いた だ け 。 ⑦ 別 景村(97春) 盧 信 仔 さん(59歳 冫。 別 景 出 身。 瑤族 。 母 李 珠 々の三 朝 書 を持 って いた が、 今30歳 に な る子 ど もが小 さ い と き、 トイ レの紙 に 使 って し ま った。 結 婚 す る とき の花 嫁 衣 裳 と して 自分 で作 った 刺 繍 の 肩か け を 見 せ て くれ た。』 何 漢 仔 さ ん(70歳 以 上)漢 族 。 龍 会 出身 の母 親 の三 朝 書 が あ った が、 い つ 捨 て た か 忘 れ た。 母 が 娘 の ころ は た くさ ん あ った。 花 帯 も持 って いた が、1944年 日本軍 が 侵略 した と き、 い い衣 服 をそ の花 帯 で縛 って 持 って行 った(そ の と き 自分 は 黄 泥 舗 にい た)。 二 階 へ大 事 な も のを 隠 して、 山 奥 に逃 げ て戻 って きた ら何 もな くな って い た 。1ヵ 月 以 上 隠 れ てい た 。 日本 軍 は40日 以 上 駐 在 し、殺 され た 人 もた くさん い た。 娘 を探 して断 わ った り、 抵 抗 した りす る と殺 され た。 鶏 、 牛 、 豚 もす っか り 持 って行 か れ た。 ⑧ 利 田村(97春) 周 龍 色 さん(78歳)。 塘 背村 出身 。 む か し見 ただ け 。 以上 が 江 永 県 の3鎮 と農場 の 中 の村 々で これ ま でに 足 を 踏 み 入 れ た所 の 状 況 で あ る。 道 県 、 江 華 県 につ い て も一 部 は 調査 して い るが 、 今 回 は 省略 した 。 これ まで の調 査 でわ か った こ とを ま とめ る と次 の6点 に な るq ① 女 文 字 の伝 承者 とい え るだ け の文 字 力 を も って い る の は陽 煥 宜 、 何 艶 新 の2人 だ け で あ る。 ② 後 継 者 育 成 の試 み もな され た し、 祖 母 か ら習 った 孫 もい るが、 伝 承 で きる 力 は ない 。 一155一

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⑧ 三 朝 書 な どの文 字 資 料 は まだ 残 って い る 可能 性 が あ る。 ④ 上 江 墟 鎮 が 中心 で、 そ こで育 った 人 が 周辺 に散 った と され るが、 黄 甲 嶺 鎮 で も書 いて い た人 が いた 。 ⑤ 解 放後 漢 字 を学 ぶ よ うに な り、 女 文 字 は 習 われ な くな った とされ るが 50年 代 後 半 に も習 った 人 が い た。 ⑥ 三 朝 書 の体 裁 で、 イ ラス ト集 の よ うな もの も作 られ て い た 。 付 記97年 の 調 査 は,平 成9年 度 科学 研 究 費 補 助 金 「国 際学 術 研 究 」 に よ って 行 って い る。 (注 記) 注1ア メ リカ、 ア イオ ワ大 学 のC・thySilb・ ・"F・・mD・ ・ght・・t。D。ught,,.i。、 L・wi・th・W・m・ ・'・S・・ipt・fS・・th・mHun・n"(rE・g・ ・d・・i・gChi・。』 HarvardUniv・Press1994)に 、義 年 華 と一 緒 に住 んだ こ とが 書 か れ て い る。 注2学 習班 で習 った盧 蘭珠 さ ん の話 では1期3か 月 だ った とい う。 注3文 献① 、 ② な ど。 注4上 江 嘘 あ た りで は死者 は土 葬 され るが 、 葬 る とき、家 の門 の前 で、 死 者 が生 前 愛 用 して い た身 の 回 りの品 を一 緒 に焼 く風 習が あ る。 注5徳 のあ った 女 性 を祀 る廟 。毎 月1日 、25目 な ど廟 の祭 りの 日に娘 た ち が詣 っ たo 注6結 拝 姐 妹 で 、 同年 齢 の 義姉 妹 の こ と。 注7刺 繍 、 織 物 、縫 物 、 布鞋 作 りな ど、従 来 の女性 た ちの 手仕 事 の総 称。 注8こ の地 の 女性 たち が、 か つ て子 ど もを背 負 った り、 体 を縛 った りす るの に使 っ た帯 。 女文 字 を織 り込 んで作 った ものが あ る。 注9結 婚3日 目、 実 家 か ら婚 家 に料理 、 食 べ 物 を届 け、 親 戚 の者 た ちが 二緒 に食 事 を す る こ と。 注10周 碩 沂 さん が50年 代 、 女文 字 の調 査 研究 を始 め た と きの 、有 力 な イ ンフ ォー マ ン トと して、 周 碩 沂 さんに,女文 字 資料 を 提 供 し、 女 文字 を教 え た。 注11宮 哲 兵 、 中 南民 族 学院 政 治 系副 教 授。1982年 、 現 地 へ民:族調 査 に訪 れ 、 女文 字 の存 在 を知 った 。 周碩 沂 さん に同 行を 求 め て 資 料 の収 集 を し、 「美 于一 種 特 、殊 文 字 的 調査 …報告」(『中 南 民族 学 院学 報1983年 第3期 』)の 論文 に ま とめた 。 これが 、 中 央 に 女文 字 の存 在 を 伝 えた最:初の論文 とな った 注12三 朝 書 の 書 き 出 しの 句 として この表 現 は よ く使 わ れ る。 一156一

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96夏 、97春 中国女文字 調査報告 注13女 文 字 を 書 い た紙 や扇 子 を 読 ん で歌 うこ と。 注14荊 田 出身 で河 淵 村 に住 んで い たが95年 没。 女 文 字 を織 り込 んだ 花 帯が 織 れ た。 注15村 長 、 書 記 の下 の村 の役 人 の1人 。1人 っ子 政 策推 進 の た めに 各村 に配 置 さ れ て い る。 注16文 字 を1つ ず つ 読 み方 を教 え た、 とい う教 え方 は、 今 まで の習 った人 の話 に は出 て こな か ったo (文献) ① 謝 志 民r江 永 女書 之 謎 』(河 南 人 民 出版 社 、'1991) ② 趙 麗 明r中 国 女書 集 成 』(清 華 大 学 出版 社 、1992) ③ 遠 藤 織枝 「中 国女 文 字 紹 介」(rこ とば14号 』 現 代 目本 語 研究 会 、1992) 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 「申 国 の 『女文 字 』 発 掘」(r総 合 ジ ャーナ リズ ム研 究 』(春)、 総 合 ジ ャー ナ リズ ム研 究 所 、1994a) 「中 国女 文 字 調査 報 告 」(『こ とば15号 』1994b) 「94夏湖 南 省 女文 字 現 地 調査 報 告 」(r文学部 紀 要 』9-1、文教 大 学 文学 部 、 ユ995a) 「女 性 と文 字」(『女 と男 の時 空 、 日本 史 再考1』 藤 原 書 店、1995b) 「95年中 国女 文字 調 査 報告 」(『こ とば16号 』1995c) 「96春中 国女 文字 現 地 調査 報 告 」(r文 学 部紀 要 』10-1、 文教 大 学 文学 部 、1996b) 『中 国 の女 文 字 一 伝 承 す る中 国 女性 一 』(三 一 書房 、1996a) 「96年中 国女文 字 調 査 報告 」(rこ とば17号 』1996c) 一157一

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