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トマス・モア『ユートピア』におけるエコロジー要素―ユートピア文学のレトリック―

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『英米文化』51, 17–35 (2021) ISSN: 0917–3536

トマス・モア『ユートピア』におけるエコロジー要素

―ユートピア文学のレトリック―

加 藤 千 博

Ecological Elements in Thomas More s Utopia:

Rhetoric in Utopian Literature

KATO Chihiro

Abstract

This paper explores Thomas More s view of ecology as a trope embedded in his liter-ary and philosophical work, Utopia (1516). It is well recognised that More s book plays a significant role in utopian literature in terms of the true origin of the genre. This socio-polit-ical satire utilizes various kinds of literary rhetoric – some inherited by other authors and recognised as elements in later utopian writings. It remains uncertain, though, whether More s book has specifically influenced subsequent utopian works with respect to ecology or environmental issues. This paper attempts to uncover More s rhetorical technique and to appraise his ecological views.

After careful consideration of the rhetoric and the ecological elements in the book, it is revealed that More adopts a narrative technique that makes the story more complicated to encourage readers to actively participate in a discussion of the work. In addition, he divides his identity into two fictional characters and sets them as narrators. By analysing dialogues between such characters, it is found that the author s views on ecology— agriculture-first principle and communal property—are concealed in one of the narrators. More s ecological views are consequently shown to be a significant and constituent element in this form of tra-ditional literature.

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はじめに

トマス・モア(Thomas More, 1478–1535)が『ユートピア』(Utopia, 1516)を出版 して以来,ユートピア文学の伝統は500年以上にわたって多くの作家に受け継がれ てきた。20世紀半ば頃には共産主義体制の行き詰まりとともに「ユートピアの終焉」 という考えが拡がり,ユートピア思想そのものが懐疑的に捉えられるようになった が(石崎・菊池17;Vieira 19–20),20世紀後半になると環境が地球規模での大きな 問題となり,エコロジーの問題の解決策をユートピア思想に求めようとする動きが 現れてきた。デ・ジース(Marius de Geus)は『ユートピア』を生態学的に責任のあ る社会のアウトラインを示した「エコロジカル・ユートピア」の作品として評価し (70),ユートピア思想に新たな価値を与えている1 シルヴェスター(R. S. Sylvester)がトマス・モアのことを「多価的人格」の所有 者と称したように(13),宗教家,法律家,政治家,思想家,商人としてのモアのあ らゆる思想が『ユートピア』には凝縮されている2。加えて,モアが織り込んだ文 芸上のレトリック(修辞技法)が一層この作品の解釈を困難にさせている。クマー (Krishan Kumar)は,この作品は「文学上の特別な発明品」であり以後500年にわ たってユートピアの領域を画定したと述べ,後のユートピア作品の記述法はモアの 形式を踏襲していると指摘する(26)。ヴィエイラ(Fátima Vieira)はジャンルとし てのユートピア文学の基礎となっているのが,モアが用いたユートピアへの訪問者 による旅行記という物語構造にあると論じている(7)。このように『ユートピア』 はモア自身の多面性と文学上の技巧により多様な解釈が可能な作品となっている。 『ユートピア』を典型としてユートピア文学共通の特徴は,理想的な国家を提示し 現実社会を批判することにより,現実社会の向上を図ることである3。この社会向 上・変革という機能こそがユートピア文学及びユートピア思想がエコロジーの分野 から着目されるゆえんであろう。もしデ・ジースの言うように,『ユートピア』にエ コロジー的な要素が含まれているとするならば,モアが埋め込んだエコロジー思想 が,後のユートピア作家たちにも引き継がれ,ユートピア文学の伝統を形成してい るとは考えられないだろうか。

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そこで本稿では,『ユートピア』に織り込まれた文学上の技巧を解明し,モアのエ コロジー思想を究明する。はじめに,作品中に登場する二人の語り手に着目し,語 り手たちと作者モアの関係性から作者モアの意図を探る。次に,作品中に示される 農本主義に着目し,モアの描いたユートピア社会のエコロジー的要素を考察する。 続いて,作品中に示される共有制に着目し,モアの描いたエコロジカル・ユートピ ア社会が持続する仕組みを解明する。この論考を通して,最終的にはエコロジーが ユートピアを構成する一要素となりうることを証明していく。 1.語りの特徴 ユートピア文学においてよく用いられる物語形式が一人称の語り手による旅行記 である。アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci, 1454–1512)の航海記に触発を 受けたモアは,ヴェスプッチの同行者ラファエル・ヒュトロダエウス(Raphael Hythlodaeus)をユートピア国の紹介者として語り手に据えている4。またプラトン

(Plato, 427–347 BC)の『国家』(The Republic, c.375 BC)の対話形式を模し,作品全 体を作中人物のモアとヒュトロダエウスとの対話形式としている。本章では,これ ら二人の語り手と作者モアとの関係を紐解くことにより,この作品がどのように読 まれるべきと作者モアが意図していたかを明らかにしていく。 1.1.二人の語り手 『ユートピア』はいわゆる枠物語の構造となっており,モアが外枠の語り手とな り,そのモアの物語の中に,内枠の語り手としてヒュトロダエウスがいる。ヒュト ロダエウスという名前はラテン語で「馬鹿話の大家」という意味があるように架空 の人物である。一方で作中人物のモアは実在のモアなのか,作者が創作した架空の 人物なのかはっきりとしない。本節では,外枠のモアと内枠のヒュトロダエウスの 関係,及び両者と作者モアとの関係性を考察する。 第一巻冒頭「軽少ならざるある問題について...ヘンリー八世は...私を交渉委員と して...フランダースに派遣された」(55)5というモアの語る内容は実際の出来事で

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ある。一方,第二巻冒頭「ユートピア人たちの島はその中央部〔一番幅の広いとこ ろ〕で二百マイルにわたって拡がり ... 周囲五百マイルにわたる円を描いたように なっており」(119)というヒュトロダエウスの語る内容は,島の直径が 200マイル で周囲が500マイルという矛盾した円周の計算となっており,ヒュトロダエウスの 語りの虚構性が示唆されている。よって,モアの真実の語りの中にヒュトロダエウ スの虚構の語りが入り込む構図となっている。出版当時はギリシャ語やラテン語に 通じた知識人であればヒュトロダエウスの語りの虚構性にすぐに気づいたであろう が,カウツキー(Karl Kautsky)によれば,「多くの人はユートピア島を現実の土地 だと思った」(300)ようである。デイヴィス(J. C. Davis)は「現実を見直すために 虚構(fiction)が必要であるとモアは言っているかのようだ」(47)と述べ,『ユー トピア』の虚構性に価値を見出している。このようなヒュトロダエウスの虚構性を 曖昧にするのが作者モアによる仕掛けと考えられるが,では果たして作中のモアに は虚構性はないのだろうか。 作中のモアはヒュトロダエウスの語る現実社会の矛盾点やユートピア国の優れた 制度に理解は示すものの,ヒュトロダエウスの主張に賛同はしていない。私有財産 制度の廃止を主張するヒュトロダエウスに対して,モアは第一巻の結末近くで「私 には逆に,すべてが共有であるところでは人はけっして工合よく暮らしてゆけない ように思えます」(113)と反論している。第二巻の結末部分でも,「最高学識者,人 間界の最高経験者である彼が語ったことのすべてについて同意することは私にはど うしてもできないけれども」(246)とモアは叛意を示している。しかしながら,実 在の作者モアの価値観はヒュトロダエウスと一致する部分が多く,逆に作中のモア の価値観とは相容れない。 『ユートピア』の執筆過程を分析したヘクスター(J. H. Hexter)によると,私有財 産制を擁護する作中のモアは著者自身の本当の見解を示したものではなく,むしろ 作者モアの意図は「財産と物資の共有制への称賛」(35)であると結論づけている。 つまり,ヒュトロダエウスの考えこそが作者モアの意見となる。すると,このヒュ トロダエウスのモデルはモアの親友であり『ユートピア』の編集者の一人でもある デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus, 1466–1536)ではないかと考えるこ

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ともできる。その根拠となるのが国王への仕官をめぐる議論である6。作中でモア とヒュトロダエウスは国王への仕官の是非について議論をしているが,ヒュトロダ エウスの考え方はエラスムスの実生活での振る舞いと一致している。エラスムスが 生涯仕官を拒み続けたのに対して,実在のモアは仕官を拒否し続けることができず 受け入れざるを得なくなる。モアは実生活において,エラスムスの生き方と考え方 に共鳴し,それを自分の理想像として作品中に登場させたと考えられる7 このようにトマス・モアという実在の人物の言動を踏まえて『ユートピア』にお ける二人の語り手のことばを分析すると,内枠の語り手であるヒュトロダエウスの 語る内容こそが,作者モアの価値観を反映しており,外枠の語り手モアは作者モア が創り上げた架空の人物であり,ヒュトロダエウスとは異なる価値観を持つ対話者 の役割が与えられていることが見えてくる。作中のモアとヒュトロダエウスの議論 では,モアはヨーロッパ人の代表的な価値観を示す一方で,ヒュトロダエウスはそ れとは真逆の価値観を示している。北村が「視点人物の常識が180度変換し,最終 的にはヨーロッパの常識に疑問符をつきつけることになる」(53)と論じているよう に,作中のモアの視点はヒュトロダエウスとの議論を経て変化していく。我々読者 は作中のモアと同様に,ヒュトロダエウスの視点へと引き込まれ,当時のイングラ ンドやヨーロッパの常識に疑念を抱くようになる。 1.2.詩と書簡の役割 『ユートピア』は主要部である第一巻と第二巻の他に,5編の詩と 8 編の書簡が添 えられている。デイヴィスがこれらの部分は「作品がどういう意味を持ち,どのよ うに書かれ,どのように読まれるべきかを明確にするためにある」(29)と指摘する ように,この作品を理解するうえで重要な役割を担っている。本節では,詩と書簡 の箇所を分析することにより,作者がどのような意図を持っていたかを考察する。 作品冒頭にある二つ目の書簡が「ギョーム・ビュデからトマス・ラプセットへの 手紙」である。ギョーム・ビュデ(Guillaume Budé, 1467–1540)もトマス・ラプセッ ト(Thomas Lupset, c.1495–1530)もモアやエラスムスと交友のある知識人で,実在 と思われるこの手紙では,『ユートピア』の寄贈を受けたビュデがラプセットに礼を

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述べるとともにこの作品を称賛している。この手紙には,「もしヒュトロダエウスを 信じることにすれば」(20)と記されており,架空のヒュトロダエウスの存在を前提 とすればというこの書の前提条件を示していると考えられる。さらに「これ〔ユー トピア島〕を発見したのは,モア自身が伝えるところによると,ヒュトロダエウス で,モアはこの人にすべてを帰しています」(21)とあり,モアはあくまでも物語の 媒介者に過ぎず,この作品の主張はモア自身の考えに基づくものではなくヒュトロ ダエウスの考えであることが強調されている。 第一巻の直前と第二巻の直後にはそれぞれ「トマス・モアからピーター・ヒレス への手紙」が添えられている。ピーター・ヒレス(Peter Giles, 1486–1533)は『ユー トピア』の編集者の一人であるだけでなく,作中に登場しモアにヒュトロダエウス を紹介し対話を構成する人物でもある。第一書簡でモアは『ユートピア』の原稿完 成が遅れたことをヒレスに詫びるとともに,ユートピア島の所在が不明な理由につ いて「ユートピアが新世界のどの部分に属しているかを私どもは彼〔ヒュトロダエ ウス〕に聞くことを,彼はそれを言うことを,思い付かなかったからです」(49)と 述べている。しかし,この説明は仲間の一人が「大声でせきをしてラファエルの話 をさえぎってしまった」(30)という「ピーター・ヒレスからブスライデンへの手 紙」中のヒレスの説明とは異なっており,ユートピアの不在性(nowhere)という特 徴がより明確となってくる。 モアからヒレスへの第二書簡では,モアはこの作品へのとある批評に対して自作 自演ともいえる反論をしている。 私どもの『ユートピア』を次のジレンマにかけたあの鋭敏の士のあなたもご承 知の批判は,私を大いに喜ばせてくれました。...さて,はなしが真実なのか虚 構なのかと彼が疑う段になると私は,彼の正確な判断はまさに不完全だと見る ことになります。(247–49下線筆者) 上記引用では,興味深い批評に対する感謝が示される一方で,ユートピア島の話が 真実か虚構かを疑うことの愚かさが指摘されている。「ばか話の大家」を意味する ヒュトロダエウスの名前や「どこにもない理想郷」というユートピアの語源から, ヒュトロダエウスの語りが虚構であることは初めから暗示されていることである。

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「ビュデからラプセットへの手紙」にあった「もしヒュトロダエウスを信じることに すれば」という前提があってこそ『ユートピア』という書物は成立することを,作 品の最後に添えた手紙で改めて作者モアが強調しているといえる。モアからヒレス へのこれら 2 つの書簡は,この作品の前提条件を示すために付け加えられた布石と 理解できよう。 これまで見てきたように,『ユートピア』の外枠の語り手モアは作者モアの偽りの 姿であり,内枠の語り手ヒュトロダエウスこそが作者モアの真の姿ともいえる価値 観を示していることが明らかとなった。本編に添えられた書簡は,ヒュトロダエウス の虚構性を容認するというこの作品の前提条件を示したものであった。よってこの 作品では,登場人物や場所の真実性を疑問視するのではなく,虚構性を許容したうえ で,対話者たちの議論をどう受け止めるかが重要となってくる。作中人物たちの対話 から,我々読者が既存の制度や価値観に疑問を持ち,ユートピア国の全く新しくも奇 妙な社会制度に関心を持つようにさせることが,作者モアの意図なのである。 2.農本主義とエコロジー これまで『ユートピア』の特徴が語り手の形式であることを確認してきたが,モ アがこの作品に落とし込んだ要素は他にもないだろうか。モアは「ユートピア」と いうことばと「充足のユートピア(the sufficient utopia)」という概念の創始者である とデ・ジースは述べているが(59),この「充足のユートピア」が後のユートピア作 家たちにも引き継がれ,ユートピア文学の伝統を形成していると考えることもでき よう。そこで本章では,モアが自身の代弁者であるヒュトロダエウスを通じて農本 主義を理想として提示していると見られる場面を拾い集め,現代のエコロジー論に 通じる要素を分析する。 2.1.エンクロージャー(現実批判) 『ユートピア』は現実批判にあたる第一巻と理想描写にあたる第二巻から成ってい る。グリーンブラット(Stephen Greenblatt)は両巻の関係性を指して「単純な対比の秩

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序を打ち立てるように私たちを誘いながら,作品そのものが秩序を覆す」(22)と論 じ,澤田は「ユートピアという新世界の幸福な社会についての報告を手がかりにして, 社会の理想政体について読者に考えさせる」(304–05)と指摘する。即ち,この作品は 現実社会と理想らしき社会を対比させることによって,より辛辣に現実を批判し理想 社会とは何かを問いかけてくる。本節では,イングランドにおける農地政策が,第一 巻と第二巻でヒュトロダエウスにより対比的に語られている箇所を分析する。 第一巻冒頭のモアのフランダース訪問は,羊毛と毛織物に関する友好通商条約を めぐって生じた紛争を,実際にモアが解決をしたという歴史的事実に基づいた描写 である。16世紀のイングランドでは羊毛が主産業となり,富裕層である大土地所有 者によるエンクロージャー(囲い込み政策)によって農民は土地を奪われ困窮して いた。第一巻の最も辛辣な現実批判の場面が以下の羊に関する描写である。 羊は非常におとなしく,また非常に小食だということになっておりますが,今 や〔聞くところによると〕大食で乱暴になり始め,人間さえも食らい,畑,住 居,町を荒廃,破壊するほどです。...つまり残る耕作地は皆無にし,すべてを 牧草地として囲い込み,住家をこわし,町を破壊し...こういうえらいかたがた はすべての宅地と耕地を荒野にしてしまいます。(74–75下線筆者) 上記引用の「羊が人を食らう」という表現は,イングランドの貴族,ジェントリ階 級,修道院長らの貪欲さに対する痛烈な諷刺となっている。この場面でヒュトロダ エウスが囲い込みにより私腹を肥やす者たちを批判する一方で,冒頭場面でのモア は,そうした囲い込みにより利潤を得る者たちの利権を守るためにフランダースへ 赴いたことになる。すると,前章で確認したようにヒュトロダエウスこそが作者モ アの代弁者であるので,モアは自分で自分の行為を非難していることになる。 第二巻にはユートピア国の貿易を示した箇所がある。物資の豊富なユートピア国 は余剰物を輸出し,金銀を輸入して戦費として蓄えている。 余ったものを外部に輸出します。たとえば,多量の穀物、蜂蜜、羊毛、亜麻、木 材、茜と緋の染料、毛皮、蝋、獣脂、皮革、それに家畜類です。...この取引で彼 らは自分のところに無いもの〔そういうものは鉄以外にはほとんどなにもあり ませんが〕だけでなく,多量の銀と金とを自国に輸入します。(153下線筆者)

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上記引用にあるユートピア国の輸出入品目は当時のイングランドのものと一致して いる。ところが,輸出品目の中に原料としての羊毛はあるが,工業製品としての毛 織物が含まれていない。田村は,当時イングランドの主要輸出品である毛織物がこ こには含まれておらず,ユートピア国での消費も少ないことに注目すべきと指摘し ている(『原型』84)。つまり,イングランドの主産業である毛織物業がユートピア 国では排除されているのである。すると,毛織物がユートピア国の産業から除外さ れることで,第一巻で批判されているエンクロージャーの問題点が一層明確に浮か び上がってくる。よって,第二巻では現実社会が理想の裏返しとして間接的に批判 されていると解釈できる。 このように,ヒュトロダエウスの語りを通じて,イングランドにおける農地政策 が第一巻では直接的に,第二巻では間接的に批判されている。現実批判の対象とし てエンクロージャーを取り上げることにより,作者モアが保護しようとしたのが農 業と農民の生活であることは言うまでもない。 2.2.農本主義(理想提示) エンクロージャーへの強い批判が,第一巻と第二巻の対比から読み取れることを 前節では確認したが,この批判は,作者モアが農業に高い価値を見出していること の表れと受け取ることができよう。チェンバーズは,『ユートピア』は旧い農業文化 を崩壊させる大土地所有者の囲い込みに対する一つの抗議であると論じている (More 131)。しかしながら,『ユートピア』はエンクロージャーに対する単なる抗議 だけでは終わらない。そこにはモアのエコロジー思想が埋め込まれてはいないだろ うか。本節では,ユートピア国での都会と田舎の関係に着目し,作者モアがエコロ ジー思想の一端として,中世的な農業体制を理想として示している箇所を分析する。 「農業についてはすべてのひとが子どものころから教えこまれ,一部には学校で の理論教育を通じ,一部には都会周辺の農村地帯に連れ出されて遊びがてらに教え こまれます」(133)とヒュトロダエウスが説明するように,ユートピア社会では農 業が学校教育にも取り込まれ,国民の思想とアイデンティ形成に大きな役割を担っ ている。社会構成上の核となる思想を,教育を通じて国民に浸透させるという手法

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は,オルダス・ハクスリー(Aldous Huxley, 1894–1963)の『島』(Island, 1962)にも 引き継がれている。『島』のパラというユートピア社会では,「エコロジー」の科目 が学校での基礎科目となっており,その社会と国民の思想形成にとって欠くことの できないものとなっている。 モアは友人の聖職者コレット(John Colet, 1467–1519)宛の手紙で「自由な自然へ のあこがれ」を述べており,これを受けてカウツキーは,モアがロンドンを離れ郊 外のチェルシー(Chelsea)に移り住んだと見なしている(333)。この主張に従えば, モアが都会よりも田舎での生活に価値を置いていたと解釈できるが,実際に『ユー トピア』の中でも都会と田舎の関係性が示されている。 自領の境界を広げようと思っている都会はありません。というのは彼らは自分 たちを,所有権者というよりもむしろ耕作者とみなしているからです。...各世 帯から毎年二十人,つまり農村で二年暮らした人々が都会に帰ります。彼らの かわりに同数の人々が都会からやってきて...(122下線筆者) 上記説明からは,ユートピア国では都会と田舎の住民が定期的に入れ替わり,誰も が農村で生活をすることになるうえ,都会の住民は土地所有者ではなく農業従事者 と自覚していることがわかる。土地所有者がロンドンなどの都会で生活し,農民か ら地代を得るといった当時のイングランドで見られた情景はユートピア社会では見 られない。ユートピア国では,田舎が都会より劣るという関係にはなっておらず, 同等かそれ以上の価値が与えられている。 地方分権も進んでおり,都市と地方の力関係も現実社会とは異なっている。島の 中心にある第一の都市アマウロートゥムと他の53の都市は,ほとんど等間隔の距離 を保ち,それぞれの都市の大きさや制度も等しくなっている(121)。「もし(ある都 会)全体の人数が定数を超えて膨張すれば,その分が(島の)ほかの都会の人口過 少を補う」(142–43)とあるように,人口も均等になるように調整されている。つま り,首都と地方都市が同じような権限を持ち,人口も権力も一極集中することがな い。モアの時代はロンドンがイングランドの中心であったとはいえ,産業革命後の ような人口集中や環境汚染といった都市化の問題は生じていなかった。しかしなが ら,『ユートピア』では既にこれらの問題が生じない仕組みが示されている。

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ユートピア国は自然景観の中に小規模都市があるようにレイアウト(設計)され ているため,都会といえどもつねに自然に囲まれている。そのうえ全ての家は広い 庭を有しており,田舎に似た生活を送ることができる。 彼ら〔アマウロートゥムの市民〕は庭を非常に尊重し,そこには,ぶどう,果 実,野菜,花を,美しく丹精をこめて栽培しており,これ以上豊かでエレガン トなものを,ほかで見たおぼえは皆無です。彼らの園芸熱はそこで味わわれる 快楽のためだけではなく,家並み相互間での庭の手入れ競争によってあおられ ているのです。(127–28下線筆者) 上記ヒュトロダエウスによる説明から,ユートピア人にとっては庭園がいかに重要 であるかが読み取れる。この庭園観はウィリアム・モリス(William Morris, 1834– 96)にも引き継がれ,自然と調和した田舎の田園風景を理想として,都市が一つの 庭のように設計された社会を,モリスは『ユートピアだより』(News from Nowhere, 1890)の中で描いている。 このように,ユートピア国では農本主義のもと,都会と田舎の格差や都市と地方 の対立は存在せず,人口過剰の抑制や地方分権が実現されている。この制度を維持 するのに必要なのがユートピア住民による自然への崇拝心である。「自然は慈愛あ ふれる母親のように,たとえば空気,水,大地のような,それぞれ最善の贈りもの を公開してわれわれの手近なところにおき」(156)とヒュトロダエウスが語るよう に,ユートピア人は自然を身近に感じ敬意を持って接しており,自然を支配するの ではなく,いわば自然との共存がなされているため,エコロジー的な生活が可能と なっている。 本章では,現実批判としてのイングランドのエンクロージャーと,理想提示とし てのユートピア国での農本主義が,作者モアに見られるエコロジー思想の一端であ ることを確認した。このような農本主義に基づく生活様式を称賛するのがヒュトロ ダエウスであり,疑念を呈する役割が作中人物のモアということになる。これら二 人の語り手によって,中世的な農本主義のユートピア社会と近代的な商業主義のイ ングランド社会とが対比的に提示されている。

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3.共有制とエコロジー 先に確認したように,作者モアは,農村での生活に高い価値を見出し,ユートピ ア社会に農本主義を採り入れていたが,それだけではエコロジー社会は持続しない だろう。ユートピア住民が豊かな生活を享受し続けることができる理由が他にもあ るはずである。ユートピア国ではすべてが共有であり,人々が必要以上に物資を所 有することはないが,それは私有財産の保持が禁止されているからではなく,そも そも人々が私有財産に興味がないからである。本章では,ユートピア国で共有制が 成立可能な理由を探るために,ユートピア住民の価値観について考察をし,エコロ ジー社会の仕組みを解明する。 3.1.私有財産制度(現実批判) 第一巻冒頭のフランダース訪問の場面は,中盤のエンクロージャー批判の場面と も,終盤の私有財産廃止論の場面ともつながっている。そこで議論の核となってい るのはイングランド社会で農民たちを苦しめる富裕層の私利私欲であり,その解決 策として私有制の廃止が提案されている。本節では,現実批判としての私有財産制 度が語り手たちによりどのように示されているかを分析する。 第 1 章で確認したように,第一巻の終盤場面では,私有財産制度をめぐりモアと ヒュトロダエウスが議論をしている。そこではヒュトロダエウスが主張する私有財 産制度廃止論にモアは疑念を示しているが,作中のモアの姿を借りて,ヒュトロダ エウスの主張に敢えて反論することにより,作者は共有制の是非を読者に問いかけ ている。そしてこの共有制の正当性を示すために,第二巻でヒュトロダエウスが ユートピア国の制度を詳細に紹介することになる。 第二巻の結末部分で語り手のモアは,ヒュトロダエウスの語ったユートピア国の 制度に矛盾点を見出すも異を唱えることを控えた。その理由として,「他人の発見し たことになにか批判すべき欠点を見つけ出さなければ,十分賢く見えないのではな いかと恐れていた人々が彼に叱られたことをちょうど思い出した」(245)からとモ アは語っている。これは第一巻での「そうすると聞き手の参議会員たちは,他人の

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気づいたことになにかケチをつけるようなことを見つけ出さなければ...愚か者と考 えられるにちがいない」(67)というヒュトロダエウスのことばを受けての描写と見 られる。これら二つのことばは,ヘクスターの分析によると,作者モアがフラン ダースからロンドンに帰還した後に書き加えられたものである(26)。主要部となる 第二巻を補完する形で第一巻を書き加えたモアであるが,ヘクスターの論に従うな らば,第一巻と第二巻が対比的となるように意図的に作者が原稿を加筆,修正した と考えることができる8 作者モアが最初に意図した,第二巻のみから成る『ユートピア』の原稿は,第 1 章で示したように,財産と物資の共有制への称賛で終わっているともヘクスターは 指摘している(35)。すると,第一巻結末と第二巻結末での作中のモアによる私有財 産制度の擁護は,ロンドン帰郷後に作者によって加筆されたものであり,この加筆 により作者モアは自分の主張を意図的に曖昧にしたと考えられる。第二巻では, ヒュトロダエウスによる共有制の提示にとどまらず,敢えてその共有制を否定する 役柄としてモアという登場人物が創り上げられている。ヒュトロダエウスとモアが 作中で議論することにより,読者は両者それぞれの主張の正当性を考えさせられる ことになる。作者モアは現実社会の問題に対する解決策を示したというよりも,理 想を示しながら間接的に現実を批判することにより,読者自身に回答を求めている といえる。モアの意図が「読者の反応を喚起する」(Baker-Smith 243; Davis 32)こと であるという指摘は的を射ているといえよう。 作者モアは自分のアイデンティティを偽のモアと真のモアに分割し,『ユートピ ア』の中で前者をモア,後者をヒュトロダエウスとして語り手に据えている。物語 の中で私有制を主張するのが偽のモアであり,共有制を主張するのが真のモアであ る。元々は共有制を主張するために書き始めた物語であったが,読者の能動的な読 解を促すために,自身の偽りの主張を虚構のモアに語らせ,自身の本当の主張を ヒュトロダエウスの語りの中に作者は隠し込んだ。両者の議論に読者は引き込ま れ,読者自身の理想国家像が問われる仕掛けとなっている。

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3.2.共有制(理想提示) 私有財産制度に対する作者の批判が,二人の語り手を通じて読み取れることを前 節では確認したが,この批判は,当時のイングランド社会に浸透しつつある商業主 義と消費主義に対する疑念として理解することができよう。現実社会に蔓延るこの 問題の解決策として,第二巻では,ユートピア社会での共有制が紹介されている。 この共有制を主張するヒュトロダエウスの語りに,作者モアのエコロジー思想の一 端を見出すことができるのではないだろうか。本節では,共有制を維持するユート ピア住民の価値観に着目し,エコロジー社会が持続する仕組みを紐解いていく。 エコロジー産業の柱となる農業を重視するユートピア国では,誰もが農業に従事 するために,農村と都会の住民が入れ替わる制度がある。入れ替わる際には,住居 も交換するが,全てが共有制であるため人々は一つの家に固執したりはしない。 さらに扉は二枚戸で,手でちょっと触れるだけで開くようになっており,それ から自然にまたしまり,だれでもはいれるようになっています。これほどにま で,どこへいってもプライバシーというものがないのです。彼らは事実,十年 ごとにくじびきで家を交換しています。(127下線筆者) 上記引用は都会の住宅事情を説明した箇所である。家も家財も共有であるうえ,町 中のどこにも私的空間が存在しないことがわかる。 家自体も耐久性が高いうえに公共物として大切に取り扱われるため,老朽化を免 れ長年の使用に耐えうる。「建造物は最小の労働で非常に長持ちし」(140)という ヒュトロダエウスの説明から,住居がユートピア人の労働時間の短縮にも役立って いることがわかる。この短縮された労働時間をユートピア人たちは,「精神の自由と 教養のために」(141)費やすことにより幸福感を得ている。 ユートピア人の服装についてもヒュトロダエウスは次のように説明している。 衣服についても,彼らがほんのわずかの労力しか費やしていないことに注目し てください。まず,彼らは...なめし皮か毛皮の質素な服を着ており,これは七 年間もちこたえます。...あそこでは毛織物がきわめてわずかで足り,その値段 もたいへん安いのです。(140下線筆者) ここからは,衣服は耐久性が高く,毛織物製品の需要も低いことがわかる。第二巻

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でのヒュトロダエウスによるこの説明は,第一巻でのエンクロージャー批判と対比 的である。毛織物製品のために富裕層が農民から土地を奪い私腹を肥やしているイ ングランドとは対照的に,ユートピア国では質素な服で事足りるため,材料をさほ ど消費せず毛織物製造業も存在しない。その結果,農民が土地を奪われることには ならないし,農業が衰退することにもならない。またユートピア人は華美な装飾を 嫌い,衣服で自分を誇示することもない。彼らは衣服の実用的側面のみを重んじて おり,「上等な衣服をまとえば,自分たちの価値が少なからず上昇するかのように」 思いこんだりはしない(171)。ここはヒュトロダエウスが「贋の快楽観」(171)を 持つイングランド人を相対的に批判している場面である。つまりここは,虚栄心が 強く物質主義に陥っているイングランドの富裕層に対する諷刺であり,消費主義社 会への批判として解釈できる。 このような共有制に伴う反消費主義的なユートピア人の価値観が,エコロジー的 な生活へと通じている。ユートピア人が基礎的な必需品だけで程よく快適な生活を 送ることができるのは,デ・ジースが指摘するように,ユートピア人の「物質的欲 求の低さ」(69)にあるといえる。最小限の労働で最大限の耐久性を実現し,少しの 量で満足し簡素な生活を送るユートピア人の思考様式が,持続可能なエコロジー社 会の基礎となっている。チェンバーズは『ユートピア』は「知的芸術的文化(intel-lectual and artistic culture)の尊重にもとづいて建設された国家をえがいたもの」 (More 138)と論じたが,ここで言う「知的芸術的文化」とは,幸福の尺度としての 物質的な豊かさではなく,精神的な豊かさを意味していると理解することができよ う。よって,デ・ジースの言う「充足のユートピア」とは,精神的な充足を指し, 節制した適度な生活を送っているという自覚から生じる心の充足が,ユートピア人 たちの豊かさの根源となっているといえる。 本章では,現実批判としてのイングランドの私有財産制度と,理想提示としての ユートピア国での共有制が,作者モアのエコロジー思想の一端として対比的に示さ れていることを確認した。作者モアは,自身の創作した真のモア(ヒュトロダエウ ス)に共有制の利点を語らせ,偽のモア(作中人物としてのモア)に共有制への疑 念を語らせていた。また,ユートピア住民の有する「充足のユートピア」という精

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神的な充足感を求める価値観が,共有制を維持する要因となっていることを見出し た。環境破壊が問題視されるはるか以前の16世紀のヨーロッパにおいて,モアがエ コロジーの問題を意識していたとは思えないが,モアがユートピア社会を構想する 際に必然的に,「充足のユートピア」としてのエコロジー思想が内包されたと解釈で きよう。 おわりに ユートピア文学の伝統において,トマス・モアの『ユートピア』が重要な役割を 占めているのは言うまでもない。モア以降のユートピア作家たちは常に『ユートピ ア』をモデルとしてユートピア文学作品を描いているが,ユートピア文学の伝統 の一つとして受け継がれているのが,読者への理想国家像の問いかけである。モア が示したユートピア国の社会制度には多くの矛盾点が含まれているが,このような 矛盾を孕んだ理想国家像に疑念を抱かせるために,モアは文学上の技巧を凝らして 読者の注意を引き付けた。加えて,モアによって含められたエコロジー思想がユー トピア社会を構成する一つの要素となっている。本稿では,モアによる文学上の技 巧を分析し,モアが『ユートピア』に入れ込んだエコロジー思想を究明することを 試みた。 『ユートピア』は二人の語り手による枠物語となっているが,作者モアは,内枠の 語り手の価値観に自らの価値観を重ね合わせ,外枠の語り手にはそれと対立する価 値観を代弁させていることが明らかとなった。本編に添えられた書簡からは,語り 手の虚構性を容認することがこの作品の前提条件であることを読み取った。モアは ユートピア社会を構成する要素として農本主義と共有制を採り入れていたが,これ らがエコロジー社会を維持する要素ともなっていた。これらのエコロジカルな制度 を,内枠の語り手の中に閉じ込め,その制度に対して,自分を装った外枠の語り手 に反論させるという,複雑な構成を作者は仕組んでいた。 「エコロジカル・ユートピア」の文学作品が登場したのも,「エコロジー」という ことばが使われ始めたのも19世紀後半のことであり9, 産業化以前のモアの時代に

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エコロジーの問題が既に意識されていたとは言い難い。しかしながら,モアの描い たユートピア社会には現代のエコロジー問題に通じる要素が含まれている。農本主 義により田舎を重視した生活様式と,共有制により物質主義的な生活を脱し心の充 足を求める価値観が,持続的なユートピア社会をエコロジー面で支えている。モア が複雑な語りの構造の中に入れ込んだ,ユートピア社会を支えるエコロジー的な着 想が,後のユートピア文学作品にも継承され,ユートピア文学の構成要素の一つと なっている。

1 Moos and Brownstein(1977)などのように1990年代のエコクリティシズム興隆以前から, ユートピア文学やユートピア実践から現代の環境問題を論じている批評家もいる。 2 モアに対する20世紀以降の主な評価は,カトリックの宗教家としての中世的側面を重視

する批評(Chambers, Martyr 489;Chesterton 501)と,社会主義者としての近代的な側面 を重視する批評(Kautsky 381;Morton 58)とに分かれる。さらには資本主義に通じる近 代的な商業主義の擁護者としての側面を重視する批評(田村『千年王国』58)もある。 3 ヴィエイラによると,ユートピアは現実や現在を疑問視するためのストラテジーであり,

現実の変革と漸進的な向上のためのプログラムである(23)。

4 モアのおよそ100年後に,シェイクスピア(William Shakespeare, 1564–1616)が『テンペスト』 (The Tempest, 1611)を,フランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1561–1626)が『ニューアトラ

ンティス』(New Atlantis, 1627)を執筆し,航海記形式のユートピアが継承されている。 5 『ユートピア』からの引用は全て澤田昭夫訳のテクストに基づき,カッコ内に頁番号を記す。 6 国王への仕官に関しては,エラスムスとモアが数年にわたり議論をしていたことがエラ スムスの書簡から明らかとなっている。『ユートピア』の中では,ヒュトロダエウスのイ ングランド初訪問が1497年のコーンウォールでの反乱鎮圧の後間もなくしてであること が示されているが(68),実際のエラスムスの初訪問も1499年であり,両者の行動が重な り合っている。 7 エラスムスは1509年にロンドンでモアの家に滞在中に『痴愚神礼賛』(1511)を執筆しモ アに献上している。作品中の痴愚女神Moriaは,ギリシャ語で「痴愚」を意味し,モアの ラテン名Morusから来ている。『ユートピア』中にはこのエラスムスの著作からの影響が 多く見られるが,作者モアは人物造形においても自身の賢者の部分をヒュトロダエウス とし,愚かな方をモア(モルス)と名乗らせたという見方ができよう。

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8 原稿執筆のプロセスに関して,モアがフランダースで第二巻の原稿を全て書き上げ,ロン ドンに戻った後で第一巻の原稿を付け加えたとする,エラスムスの説明が一般的には認 められている(Erasmus 398)。しかしヘクスターは,第二巻とともに第一巻のある部分は, モアが帰郷する以前に書かれていたはずであると主張し,エラスムスの説明を部分的に 否定している(18)。 9 エコロジカルなユートピア社会を描いた文学作品の初期の例としてアメリカのヘン リー・ソロー(Henry Thoreau, 1817–62)の『ウォールデン森の生活』(Walden, or Life in the Woods, 1854)を挙げる批評家は多い。「エコロジー」ということばが用いられたのは,ド イツの生物学者エルンスト・ヘッケル (Ernst Haeckel, 1834–1919)の著書 Generelle Mor-phologie der Organismen(1866)においてが最初とされている。Stableford(2010)及び文 学・環境学会(2020)を参照。

参考文献

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Chesterton, G. K. A Turning Point in History. Essential Articles for the Study of Thomas More, edited by R. S. Sylvester and G.P. Marc hadour, Archon Books, 1977, p. 501.

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Sylvester, R.S. Introduction. St. Thomas More: Action and Contemplation (Proceedings of Sympo-sium held at St John s University, October 9–10, 1970), edited by Richard S. Sylvester. Yale UP for St John s University, 1972, pp. 1–14.

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石崎嘉彦,菊池理夫編著『ユートピアの再構築』晃洋書房,2018. カール・ヨハン・カウツキー『トマス・モアとユートピア』渡辺義晴訳,法政大学出版局,1969. 北村直子「ユートピア旅行記における固有名詞と視点人物―文学ジャンルの物語戦略的考 察―」『人文学報』第105号,京都大学人文科学研究所,2014, pp. 35–67. 澤田昭夫「あとがき」『(改版)ユートピア』トマス・モア著,澤田昭夫訳,中公文庫,1993, pp. 297–312. 伊達功「トマス・モア『ユートピア』分析の視角―その研究史的考察―」『経済論叢』第97巻 第 1 号,京都大學經濟學會,1966, pp. 39–56. 田村秀夫『イギリス・ユートウピアの原型』中央大学出版部,1978. ―――『ユートピアへの接近―社会思想史的アプローチ』中央大学出版部,1985. ―――『ユートウピアと千年王国―思想史的研究―』中央大学出版部,1998. 文学・環境学会「環境文学用語集」文学・環境学会ホームページ,10 Oct. 2020. www.asle-japan.org. トマス・モア『(改版)ユートピア』澤田昭夫訳,中公文庫,1993.

参照

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