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コメント 社会の全体性・複雑性を考察し、個別性・多様性の視点から世界を脱構築する社会学

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Academic year: 2021

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本シンポの問題意識が示唆するような現在 の歴史の転換点において、社会学の重要性 はどのように現れているだろうか。 それは、① SDGs に見られるように、経済 の上位概念として政治や社会が設定され、経 済をコントロールする時代状況であること、 ②グローバル経済やボーダレス化において国 民国家のコントロールが効かず、格差の拡大 や社会問題が解決できないのみならず、介入 を正当化する規範が欠如していること(排外 主義の横行や、「資本主義の新たな精神」の 枯渇等)、③科学・技術の進歩に対し、原発・ AIの問題など、ベックが指摘したような、 巨大なリスクとそのコントロールへの(市民 的・国際的な)倫理的・政治的介入が必要と されていること等においてである。 社会学の長所については、まず第一に社会 の複雑性・全体性を記述しうる枠組みが挙げ られる。社会学が近代社会の安定的な社会シ ステムとして指摘してきた「サブシステム」 や「界の自立性」が、グローバル化・リスク 社会化によって解体し、社会が複雑な連関性 をもって全体的な現象として私たちの前に立 ち現れており、社会学が要請されている。 第二に、社会学は社会の生成に遡ってコミュ ニケーションや他者、制度を考察する枠組み をもつことである。社会の再構成が求められ る今、この点は社会学の重要な有効性である。 またむしろ今日、他のディシプリンが社会 学へと接近し、社会学化しつつあるのを私た ちは目撃しつつある。例えば現代アートにお いて、人々の関係性をテーマとする「リレー ショナルアート」が社会学へと越境してきて いる。アートの方法においてコミュニケー ションをテーマにした作品が作られ、そこで はエスノメソドロジー的実験と類似したパ フォーマンスも見られる。社会学は現在いわ ば期待されるか、または簒奪されつつある(樫 村 2019)。 社会へのアカウンタビリティの要請や大学 の国際的競争の厳しさの中で、また「教育か ら学修へ」の教育観の転換の中で、日本学術 会議やそのもとでの日本社会学会も、社会学 のディシプリンのあり方を自ら問い、自己定 義を余儀なくされつつある。以下、この間の 社会学の自己定義を確認しよう。

1 日本社会学会の自己定義

――「社会の社会学化」と「社会学

の簒奪」

社会学の現在と今後について、日本学術会 議社会学委員会の報告書「日本の展望―学術 からの提言 2010 報告 社会学分野の展望― 良質な社会づくりをめざして:『社会的なる

コメント

社会の全体性・複雑性を考察し、個別性・多様性の視点から

世界を脱構築する社会学

樫村 愛子

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「科学による社会の代替」に

対する、社会と他者の再構築

社会学会の自己省察と定義から 10 年経つ 現在、科学・テクノロジー・情報(ex. AI、 遺伝子技術、ロボット等)が社会に与える影 響はさらに大きくなり、加速化している。現 在の社会学の課題をさらに考察しよう。 第一に、「人間の AI 化」(佐藤 2019)や「人 間と社会の現実界化」(ラカン)と呼ばれる 事態である。 佐藤は、人間の複雑性が非合理性と繋がっ ていることに着目し、そこでのリスクを指摘 する。例えばインターネットの中でバトルや ヘイトが見られるため、人間は人間の負の部 分−非合理性を排除しようとする。この時、 感情的な非合理性を排除している AI のアル ゴリズムに同化する、といった「人間が AI 化する」可能性−危険性があることを佐藤は 指摘する。 また現代のような高度消費社会で人々は快 楽の享受を中心に生き、規範や象徴的な文化 を排除する。ラカンはこれを「人間と社会の 『現実界化』(象徴的なものや人間を支える想 像的なものの排除)」として、人間が AI 等に 同化し疎外されていくことを批判した(樫村 2009)。 第二に、他者の構築という課題である。現 在の科学の進歩に呼応するように、思想にお いても「思弁的実在論」という新しいパラダ イムが現れている。思弁的実在論は、これま で人文・社会科学の基本的パラダイムであっ た「構築主義」を「相関主義」と呼んで批判 する。「相関主義」は、思考と世界の相互関 係による循環があるため、自然科学とは相容 れないとし、「遇有性」だけがこの循環から 独立する絶対的な実在性だとするのである。 しかしこれに対し大澤(2019)は、「遇有性」 は世界を別様に見る他者を想定していること から成立しているとして、思弁的実在論を批 もの』の再構築―」では、21 世紀社会にお ける社会学の 6 つの課題として、①リスク社 会への取り組み、②社会格差の是正、③家族 の危機への取組み、④ジェンダー公正への取 組み、⑤移民をはじめとする多文化共生とマ イノリティへの取組み、⑥情報社会とそれが もたらす心の変化への取組み、を挙げている。 そして、既存の制度や規範の弱体化にとも なう個人化・リスク化の進展に対応していく ために、「社会的なるもの」をどう捉え再構 築していくかが課題である、としている。そ こでは国家的・政治的統合とも市場的・経済 的連携とも異なる形での「社会的」結合と、 相互に助け合えるかについて、「社会的なる もの」の考察が求められている、とする。 その後2011年の東日本大震災を経た「報告 社会学理論の復興をめざして」(2014 年 8 月 29日 日本学術会議社会学委員会社会理論 分科会)では、さらに以下のように述べられ ている。社会学理論は、社会学分野に限定さ れるものではなく、経済学や政治学などの研 究成果をふまえて成立する trans-disciplinary な指向をもつ理論ゆえ、社会学理論に対する 必要性は他の学問の布置状況の影響を受け る。例えば都市計画において、今日「社会的 なるもの」の理論化と実践への応用は不可欠 である。複雑で多様な利害が衝突する社会に おいて、建造環境の創造・更新を進めるため には、合意形成を可能にする公共圏の形成自 体が工学的プロセスの一部に組み込まれる必 要があるからである。しかし一方「ソーシャ ル・デザイン」といった新しい領域では目前 の課題解決が重視され、現実には多くの要因 が複雑に連関しているにもかかわらず、「社 会」についての熟慮が不十分な場合には意図 せざる結果を招く。そこには素朴な「社会」 観の導入によって安易で平板な政策的結論を 引き出してしまう危険性がある。複雑化する 現実との多様なインターフェイスをいかに備 えていくかが重要な課題であるとされる。

(3)

使う使い方は健常者とは全く異なる。視覚障 害者の身体論を構築する上では、健常者を基 準として、彼らを「視覚を欠いた存在」とみ なすのではなく、「視覚がない状態が標準で ある存在」と捉えるまなざしが必要である。 ある種の「感覚的統一」を「人間」として規 定するならば、「盲者」は単なる「視覚を取 り除かれた人間」ではなく「異なる完全性を 体現する他者」としての盲者像であるとする。 このように、自閉症や視覚障害者を知覚や 身体のレベルで脱構築するとき、「健常者」 の自明とされた身体論や主体論はむしろ「特 異なもの」として再構築されうる。また科学 そのものが AI やロボットを通じて定型発達 者の地盤を崩すと共に、自明性を解体して解 析を進めつつあり、「健常者」の再構成の可 能性を同時に開こうとしている1) 第四に、近代的主体の脱構築と再構築であ る。権力批判としての権力の主体の観点だけ ではなく、「意志し自立する主体」の構成を 社会の構成との関係で捉え直す議論が出てき ている。 例えば国分(2017)は、「中動態」という 概念によって、「意思する近代的主体」を脱 構築し、近代的主体においては自明とされて きた「意志」と「責任」の概念を問い直す。 そしてむしろ「意思」概念を「切断の装置」 として提唱し、「責任」を、「応答しない人に 無理やりさせる堕落した責任」と捉える2) 社会学は、生活環境主義、当事者運動の研 究などに見られるように、個別性、具体性に 着目する点で、このような議論との親和性を 持っているだろう(筒井、関の議論の問題圏)。

3 シンポジウム報告

ここから、シンポジウムの報告について述 べる。 判する。大澤の指摘に見られるように、社会 学は「他者」に関わり他者が自己や世界を支 えることを示唆するゆえ、思弁的実在論の素 朴な主体と世界観を批判する視点を持つ。そ して現在、むしろ「大文字の他者」(ラカン) 失墜後、代替的他者をいかに構成するかが重 要な問いとなる(これは西洋的な知の失墜後 の社会に着目する、井上・赤江の議論の問題 圏でもある)。 第三に、「オーティズム・スタディーズ」 (「自閉症学」)に見られる、知覚と身体レベ ルからの人間と世界の再構成である。「自閉 症学」とは、「定型発達(健常者の発達)の 当事者研究の始まり」(野尻他 2019)である とされる。 自閉症は、現在、医学モデル批判としての 「ニューロダイバーシティムーブメント」(神 経多様性運動)において捉えられようとして いる。すなわち、「神経学的差異」は、「ジェ ンダー」「民族性」「性的指向」「障害」と同 様に、〈社会的カテゴリー〉として認識され 尊重されるべきであるとする。自閉症の社会 学を研究する竹中(2019)は、私たちは親密 性が現在、制度(結婚の確実性等)によって 守られず、純粋な関係の再帰的維持(自分た ちが常に愛し合っていることを確認しながら 関係を守る)という困難なタスクのために、 DVなどの暴力にはらまれやすいのに対し、 自閉症にはそのリスクはない(彼らは不確実 な世界から身を守る「反復性」に頼る)とし、 健常者の自明性を親密性のレベルにおいても 脱構築する。「定型発達」(健常者の発達)そ のものの弱さを自覚することは多様な人々の 多様な生き方を守ることと繋がる。 また障害の身体論について伊藤(2017)は、 視覚障害者が、視覚以外の感覚や他者とのコ ミュニケーションを通して環境を認知し、社 会において生活していることを指摘する。視 覚障害者は健常者から視覚を差し引いた存在 ではなく、触覚ひとつとっても彼らがそれを

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よる安定した社会によって克服しうるものと 見るのではなく、民主主義の危機の中で社会 そのものをむしろ、戦争(野上 2016)や流 動性(ベックの再帰的近代、バウマンの液状 化)やモビリティ(アーリ、エリオットの「移 動論的転回」)をデフォルトとして考察する 視点による、高度なものとなっている(反知 性主義についての考察、民主主義や西洋知そ のものの問い返し等々)。 また井上が言及したブラヴォイの公共社会 学は、専門的社会学とは異なり、公衆との対 話を行う社会学であり、マルクス・ウェー バー・デュルケム・ミルズのように、各時代 の公的な問題を省察する再帰性を持った社会 学である。公共社会学は、国民国家=福祉国 家とカップリングしていた公共性が解体する 今、市野川(2006)が指摘する、国家とは異 なるもの、平等と連帯の観念を内包する「社 会的なもの」を考察する必要性という課題に も迫られている。

(2)「文系縮小圧力」のなかでの社会学

の立ち位置/筒井淳也

筒井報告は、現在、社会的要請の高い分野 への転換のもとで「文系縮小圧力」があり、 この状況における社会学の生き残りについ て、①「科学との同質性を強調する方向性」 と、②「科学との異質性を強調する方向性」 という二つの方向性があること指摘した。 ①の方向性においては、心理学や経済学の ように統計的因果推論など「科学的」なアプ ローチを積極的に取り入れる分野に社会学は 「発展的に改組」されてしまうかもしれない。 ②の方向性においては、学問や教育を取り 巻く環境が人口学的・財政的に縮小しつつあ る中、社会学はその存在意義や有用性につい て説得力を持って発信していかざるをえな い。しかし実際にはそれは困難だとする。 その上で筒井は、心理学や経済学と社会学

(1)戦後日本の社会学史から/井上俊

井上報告は、戦後の日本社会学史を遡って 考察した。井上は、50 ∼ 60 年代の日本社会 学の主流は農村社会学と家族社会学および学 説研究であり、戦後日本の課題が「近代化」 と「民主化」であり、「いえとむら」に残る 非近代性を克服することが求められたと指摘 した。学説研究はその後、戦前のドイツ・フ ランス社会学から、アメリカ社会学の紹介・ 検討へとシフトし、パーソンズらの「機能構 造主義」と「マルクス主義」が二大パラダイ ムとなった。 井上は、(日本)社会学史の中で、1950 年 代後半の「大衆社会論」に注目した。「大衆 社会現象」は近代市民社会の「頽落形態」と され、エリートたちに「モラルパニック」を 引き起こす現象であった。しかしその後の「情 報社会論」「消費社会論」「脱工業化社会論」 へ引き継がれた議論の中で、「大衆社会論」 を批判していた近代原理そのものが相対化さ れていく。 70年代後半からは先の二大パラダイムが 弱体化し、現象学的社会学等多様なミニ・パ ラダイムが乱立する。80 年代以降はカルチュ ラル・ターン、ポストモダニズム、グローバ ル化の進展のもとで、「(欧米)近代社会の自 己認識の学」としての「社会学の死」が唱え られ、また「社会学の危機」に対し M・ブ ラヴォイらの公共社会学が立ち上がった。 井上が特に取りあげた「大衆社会論」の問 題については、「情報社会論」「消費社会論」「脱 工業化社会論」(これらはポストモダン社会 のプラスの側面を記述している)の議論の中 で完全に解消されたわけではなく、むしろ現 在ではさらに過酷な形で回帰し(排外主義 等々)、現在の民主主義の困難の下で再度検 討されるべき課題となっている。 それは、大衆社会=ファシズムを、近代社 会におけるありえない病理とし制度や規範に

(5)

(3)「非宗教的なもの」の宗教社会学/

赤江達也

社会学の最も中核にあるのは宗教社会学だ が、日本では民衆の視点に立つ「新宗教論」 は盛んではあれ、宗教と日本近代の関係(さ らには天皇制)を問い直す議論は不在だった。 赤江は、戦後日本の政教分離訴訟運動(60 年代∼)で問題とされる、「公共的なもの」の 中の「神道的なもの」の背景に、戦前期の「神 社非宗教論」(神社が宗教的なものではない としたこと)があることを指摘する。そして、 キリスト教をモデルとした近代日本の宗教概 念によって「神道的なもの」を「宗教/非宗 教」の区別で分析することはできないとする。 歴史的には、「神社非宗教論」によって、 明治以降、神道は公的な場に登場することが でき、また日本のキリスト教も神社参拝を受 容することとなった。 その上で赤江は、地鎮祭批判等「町のヤス クニ」批判であった反戦運動が、訴訟の中で 裁判に勝つ法的論理を組み立てるため、政教 分離訴訟へと水路づけられていってしまった ことを指摘する(赤江 2007)。 すなわち運動において宗教か宗教でないか はもともと重要な主軸ではなかったのに、西 洋的法体系によって組み立てられている日本 の法において、政教分離という、神道の宗教 性を問う訴訟へと変化せざるをえなかったと 述べる。そしてそれは必然的に忠魂碑(箕面 裁判)の宗教性を判定する宗教の定義につい ての論争を生むこととなる(西村 2019)。 また赤江は、戦後の神道批判は、キリスト 教者(溝口のような無教会キリスト教者)に よってなされたことを指摘する。 こうして現在、修正主義の中核にある神道 (イデオロギー)の問題を現場で問うための 有効な枠組みがないことを赤江は露呈させた。 とはいえ、現実の問題として、修正主義や ナショナリズムに対し、どう有効な実践の枠 との違いは、「問いや概念を人々から受け取 ること」にあると強調する。 経済学者や心理学者は因果関係に興味を持 ち、その前提は「同質的な人間」にある。彼 らは「個体特性を除去した上での措置=介入 の効果比較」への関心を持つ(因果推論=措 置効果フレームワーク)。 これに対し社会学はむしろ個体の異質性に 興味を持つ。このように「個体」についての 考えが経済学・心理学と社会学では異なり、 社会学は現にある個体への多様性への関心を 持つ(筒井 2016)。 筒井が社会学の特異性と考える「問いや概 念を人々から受け取ること」について、質的 調査の観点から同様の提起をしているのは岸 である。 岸はディテールを重ねることが「翻訳装置」 になるとし、さらに個人史の「カテゴリー」 を発見することが重要であり、そこから普遍 性を持ったカテゴリーの社会学的発見となる こともあるという。 またインタビュー対象者の語りに現れる、 例えば「クワガタ」という言葉が、当事者の 生活世界にとって重層的な意味を持っている ことを語りそのものの中で解釈していく(岸 2018)。この時社会学は、記憶の結節点とし ての「隠喩」を発見する、文学と隣接してい るだろう。 このように、量的調査であれ、質的調査で あれ、社会学は個体の多様性に関心を持つこ とで、むしろ逆説的に、個に潜む人間の普遍 性にたどり着く可能性を持っている。 ここでは、筒井が指摘するような「科学(経 済学・心理学)VS 非科学(社会学)」の図式 があるどころか、先述したように、自然科学 自身が経済学・心理学が前提としている個体 観を覆しつつある現在、障害学やジェンダー 論で従来の個体観をひっくり返してきた社会 学の方が科学との親和性をもち、自然科学と の認識の連携をもつ可能性がある。

(6)

組みが持ちえるのか、脱構築はあっても再構 築の道筋は見えにくい。

(4)生活と知の主体性/関礼子

関は、不可視なものを可視化する「生成の 主体」としての「当時者性」を主張し、「第三 者性」を拒否してきた(関 2018)。原発問題 は当事者性の立場の重要性を際立たせている。 関は、原発問題の固有性を、(1)被害とリ スクの並存、(2)個人・家族・地域被害発生 の同時性と広域性、(3)地域破壊・故郷喪失 の現前性と将来的懸念、(4)避難そのものに 内在する権利侵害―リスク論(リスク判断に おける多元性)、環境難民に見る。 環境社会学(災害社会学)は、例えば阪神 淡路大震災の時、不可視だった「サードプレ イス」、「地域社会」の重要性を可視化させた。 が原発事故以降はさらに当事者から新たな 問題が提起されている。「曖昧な状態」で長 く続き、将来的懸念をはらみ、精神的ストレ スをもたらす固有な問題が言語化されること となった。「サブシステンス」は、そもそも 生活や主体の中に埋め込まれているため、関 のように当事者に寄り添ってその痛みの中か ら言語化していかなければ、問題は可視化さ れない。 さらに今日の問題は、経済や市場が、水、 森林などサブシステンスそのものを脱埋め込 み化して人々のサブシステンスや生活世界を 大幅に破壊し、環境難民問題が全世界化しつ つあることである。 一方で、科学技術は、人間の自明性を解体 する時、人間とカップリングする環境の自明 性も脱構築し、両者の人工的な再構築を行い つつある。この時、安易な主体と社会論は、 人間と世界を滅ぼしてしまう。(人工的な要 因によるものも含めた)環境・災害問題に限 らず、身体のありようにまで踏み込んだ社会 学の議論がさらに求められるだろう。

1) 熊谷(2016)は「当事者運動」と「当時者研 究」を区別し、後者は「当事者が自分自身を 知らない」ことから出発するとして、新しい 科学的発見が障害者にとっての認識の有用性 をもたらすことを指摘する。 2) とはいえ、そもそも社会学は行為の理解や動 機論など、行為と主体性の関係を問うていた。

文 献

赤江達也,2007,「ひとつの運動と複数の論理: 戦後日本の政教分離訴訟について」『哲学』 117: 69–88. 市野川容孝,2006,『社会』岩波書店. 伊藤亜紗,2017,「当事者の経験にもとづく視覚 障害者の身体論」『美学』68(2): 1–12. 樫村愛子,2009,『臨床社会学ならこう考える』 青土社. 樫村愛子,2019,「社会とアートの関係とその変 容を社会学的に分析すること」『現代社会学 理論研究』13: 138–143. 岸政彦,2018,『マンゴーと手榴弾:生活史の理論』 勁草書房. 國分功一郎,2017,『中動態の世界 意志と責任の 考古学』医学書院. 熊谷晋一郎,2016,「当事者研究への招待」『REAR』 38. 西村明,2019,「忠魂碑の戦後」堀江宗正編『宗 教と社会の戦後史』東京大学出版会. 野上元,2016,「大衆社会論の記述と『全体』の 戦争――総力戦の歴史的・社会的位格」好井 裕明・関礼子編『戦争社会学 理論・大衆社 会・表象文化』明石書店. 野尻英一他,2019,『〈自閉症学〉のすすめ:オー ティズム・スタディーズの時代』ミネルヴァ 書房. 竹中均,2019,「社会学──自閉症から考える親 密性と共同性のあいだ」野尻英一他編『〈自 閉症学〉のすすめ:オーティズム・スタディー ズの時代』ミネルヴァ書房. 筒井淳也,2016,「シンポジウム『日本の数理・ 計量社会学のこれまでとこれから』を振り 返って」『理論と方法』31 巻 1 号. 大澤真幸,2019,『社会学史』講談社現代新書. 佐藤卓己,2019,『流言のメディア史』岩波新書. 関礼子,2018,「共感の当時者性・生成する主体 の当時者性・方法としての当時者性:共同研 究」:放射線影響をめぐる『当時者性』に関 する学際的研究」『民博通信』163: 22–23. (愛知大学文学部教授) E-mail: [email protected]

参照

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