「気」はどのように感じられるのか
上海での気功実践を事例に
黄 信者(立命館大学)
本発表は、気功という身体的実践を通じて、「気」 が感じられるプロセスに着目し、いかに想像力と記憶 が「気を感じる」のために働くのかを明らかにするこ とを目的とする。気功は、中国から発祥の治療・養生 法であり、身体的技法でもある。気功の練習において、 「気」の感覚は、理論と実践の両方においても非常に 重要な役割を果たしている。「気」の物質性や治療効 果に関しては、世界中の科学者によって数多く研究さ れ、赤外線や電磁波などの物理現象だといった仮説が 続々発表されたが、最終的には「未知のエネルギー」、 「暗示効果」などという結論に留まっている(Palmer 2007)。つまり、「気」は、自然科学的アプローチの研 究においても曖昧な結論にしか至らない、ブラックボ ックスのような、手を加えられない存在になっている といえる。そのほかに、中医学、中国古代哲学、およ び東洋的身体論(湯浅 1977,1986)の文脈で、「気」の哲 学的意味に対する考察も少なくないが、あくまでも文 化的文脈のみで「気」のメカニズムを説明している。 一方、宗教・医療人類学では、従来の言語・象徴を 重視する分析より、個人の身体的経験をより重視する ようになり、つまり「経験とは何か」より「経験はい かに身体的実践を通じて生じるのか」を精緻的に追求 する身体に注目したアプローチが提唱されている。宗 教療法の身体的体験に注目したCsordas(1993,1994)は、 身体間の相互作用や間主体性を踏まえて、「注意の身 体的モード」によって治療文化が構築されると論じ た。また、身体技法の習得経験に関して、Ingold (2000) は、エンスキルメントという概念を提案し、身体と物 質的環境の相互作用を強調した。さらに、De Antoni and Dumouchel(2017)は、感覚や情動などの身体経験をめぐ る人類学的議論を踏まえて、「フィーリング」という、 より広い枠組みで議論を行い、エンスキルメントの過 程を考察しながら、身体がいかに世界中の様々なアク ターと応答することに焦点を当てる「世界と共に感じ る実践」というアプローチを主張している。 気功に関する民族誌では、「気」を感じるのが肝要 であるということが語られ、また人々は想像力を駆使 して気功の要領を記憶する記述もあるが(Chen 2003; Palmer 2007; Hsu 1999)、「気」を感じとる能力や想像力 が、いかに実践によってエンスキルメントされるかに ついての研究は不足している。本研究は、以上の理論 的背景を踏まえて、上海の気功教室での参与観察と自 らの経験に基づいた、「気」の身体経験に着目する。 また、教室の助手として、教師と学生たちへの聞き取 り調査、クラスの SNS グループで得られた民族誌的デ ータに基づいてのデータも参照する。 本発表では、1.「気」は、気功の実践現場での自分と 他者の身体、あるいは環境に向ける注意によって生じた 身体感覚と感情的変化によって身体化されることを明 らかにした。2.「経絡」、「経穴」など普段は感じられず 見えないものが、気功よって生じた「フィーリング」と 想像力の相互作用によって、具体的な位置あるいは、流 れのルートなどの知識として記憶された。それは、「気」 を感じる基盤となっていると考えられる。3.「気」は、 恒常的に感じられるものではない。実践からエンスキル メントされた「フィーリング」と想像力、記憶との相互 作用が深まることによって、「気」に対する感覚は量的 変化のみならず質的にも変化が生じることもあること がわかった。 参考文献Chen, Nancy. 2003. Breathing Spaces: Qigong, Psychiatry,
and Healing in China. New York: Columbia University
Press.
Csodas, Thomas J. 1993 “Somatic Modes of Attention.”
Cultural Anthropology 8(2): 135-156
Csordas, Thomas J. 1994. The Sacred Self: A Cultural
Phenomenology of Charismatic Healing. Berkeley:
University of California Press.
De Antoni, Andrea, and Paul Dumouchel. 2017. “The Practices of Feeling with the World: Towards an Anthropology of Affect, the Senses and Materiality - Introduction.” Japanese Review of Cultural Anthropology 18 (1):91–98.
Hsu, Elizabeth. 1999 The Transmission of Chinese Medicine. Cambridge University Press
Palmer, David A. 2007. Qigong Fever: Body, Science, and
Utopia in China, 1949-1999. New York: Columbia
University Press.
Ingold, Tim. 2000. The Perception of the Environment:
Essays on Livelihood, Dwelling and Skill. London:
Routledge.
湯浅泰雄. 1977. 身体:東洋的身心論の試み. 創文社 湯浅泰雄. 1986. 気・修行・身体. 平河出版社