アジ研ワールド・トレンド No.256(2017. 2)
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●
「
変
化
」
が
求
め
ら
れ
た
ア
メ
リ
カ
の
対
中
東
政
策
一九九一年に冷戦期のライバル
であったソ連が崩壊して以降、ア
メリカは「唯一の超大国」として
圧倒的な優位を国際政治のなかで
維持してきた。そしてそのなかで、
石油という戦略資源、さらにイス
ラエルという重要な同盟国の存在
する中東地域は、冷戦期と変わら
ずアメリカの対外戦略のなかで重
要なポジションを占めてきた。と
ころがジョージ・W・ブッシュ米
政権(二〇〇一~〇九年)は、ア
メリカの(とりわけ軍事面におけ
る)優位を過信し、二〇〇一年の
九・
一
一
テ
ロ
事
件
を
契
機
と
し
て、
イスラーム過激主義と
「悪の枢軸」
の巣窟とみなした中東地域に「自
由」と「民主主義」を強引に植え
付けようと考え︱︱これはしばし
ば「ブッシュ・ドクトリン」と呼
ばれた︱︱、その結果、中東にお
けるアメリカの優位性は大きく損
な
わ
れ
る
こ
と
に
な
っ
て
し
ま
っ
た。
イラクとアフガニスタンでは泥沼
の内戦に嵌り込み、シリアやイラ
ンといった主要な域内諸国との関
係は破綻し、国際テロリズムの脅
威が排除されることもなく、中東
和平への希望も大きく後退してし
まった。さらに、ブッシュ政権の
強
硬
で
独
善
的
な
対
中
東
政
策
は
中
東・アラブ世界の一般民衆からあ
からさまな敵意を向けられるよう
にもなり、アメリカへの支持とそ
の影響力は大きく低下した。
こうして二〇〇〇年代も終わり
に
近
づ
き、
ア
メ
リ
カ
は
明
ら
か
に、
対中東政策をはじめとする対外政
策全般を見直す必要に迫られてい
た。そんななか、
「変化」
、あるい
は「大丈夫、我々なら出来る」と
いった楽観的ともいえるほどポジ
ティブなフレーズを呼号し、バラ
ク・オバマ上院議員が初のアフリ
カ系アメリカ人として第四四代大
統領に就任したのは、二〇〇九年
一月のことであった。
●
オ
バ
マ
の
現
実
主
義
二〇〇九年六月四日、オバマ大
統
領
は
カ
イ
ロ
に
お
い
て、
「
近
年、
民主主義の推進に関して多くの論
争があり、かつ、そうした論争と
イラク戦争が直接関連付けられて
いることは、私も知っている。こ
こ
で
明
ら
か
に
し
て
お
き
た
い
の
は、
いかなる種類の統治システムであ
れ、ある国家が他のいかなる国家
に対しても、それを押し付けるこ
とはできないし、そうすべきでも
ないということだ」と明確に宣言
した。これはブッシュ前政権が押
し進めた「ブッシュ
・
ドクトリン」
とは対照的だ。
溝
渕
正
季
ア
メ
リ
カ
︱理想
と
現実
の
狭間
で
揺
れ
動
い
た
オ
バ
マ
政権
の
対中東政策︱
ここからも覗えるように、オバ
マ
政
権
は
中
東
の
諸
問
題
に
対
し
て、
一貫して現実主義的姿勢を堅持し
た。これはつまり、自由や民主主
義といった価値の実現は一先ず脇
に置き、アメリカの重大な国益が
脅かされない限りにおいては基本
的には現状維持を目指し、中東へ
の政治的・軍事的な深い関与を極
力回避するために不介入路線を貫
く、という立場だ。
たとえばオバマ大統領は、イラ
ンを説得して核兵器開発への野心
を
捨
て
さ
せ
る
た
め
に「
悪
の
枢
軸
」
という言葉を慎重に避け、二〇一
五年七月には歴史的な核合意を締
結するまでに漕ぎ着けた。対中東
政策の柱と位置付けられた中東和
平問題を前に進めるために、シリ
アやエジプト、サウディアラビア
といった周辺諸国との関係強化に
力を注ぎ、その独裁的体制につい
て言及することは決して無かった。
選挙公約であったイラクからの完
全撤退についても、二〇〇八年以
降のイラクにおける治安状況の改
善をうけ、二〇〇七年のピーク時
には一六万人以上にのぼった駐留
アメリカ軍を二〇一一年末には完
全撤退させることに成功した。
特 集
中東地域の現実と将来展望
―「アラブの春」を越えて―
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●
「
ア
ラ
ブ
の
春
」
の
趨
勢
他方で、二〇一一年初頭にチュ
ニジアで発生した「ジャスミン革
命」に端を発し、その後、アラブ
諸国全体に広がっていった反体制
抗議運動の波、いわゆる「アラブ
の春」は、そんなオバマ政権に困
難な問題を突き付けることになっ
た。
「
ア
ラ
ブ
の
春
」
を
全
体
と
し
て
み
たとき、その趨勢に及ぼしたアメ
リカの影響力は微々たるものであ
った。オバマ政権はめまぐるしく
変化する中東政治に深く関与する
ことを慎重に避け、現状を追認す
ることしかしなかった。
オバマ大統領としては抗議運動
発生当初から、独裁体制に異議を
申し立てる民衆デモに共感を示し、
民主主義体制の樹立を助けたいと
考えていた。だが、彼らが異議を
申し立てる既存の旧秩序とは、こ
れまでアメリカが支え、親米的な
独裁国家が維持してきた地域秩序
に他ならなかった。オバマ政権は
民主主義の追求という理想主義と、
国益の追求という現実主義のはざ
まで困惑し、事態の成り行きをた
だ傍観するより他になかった。
結果として、エジプトにおける
民
主
主
義
の
実
験
は
失
敗
に
終
わ
り、
リビアやシリア、イエメンは破綻
国家と化し、シリアやイエメンの
情勢をめぐってイランとサウディ
アラビアのあいだの「新冷戦」構
造は再び顕在化していった。そし
て、
「
イ
ス
ラ
ー
ム
国
」
の
台
頭
に
よ
って、アメリカが一〇年以上の年
月と多くの資源を費やして取り組
んできた「対テロ戦争」の行方に
再び暗雲が立ち込めることとなっ
た。
●
「
対
テ
ロ
戦
争
」
の
行
方
オバマ政権は発足当初から、ブ
ッシュ政権から引き継いだ「対テ
ロ戦争」という課題に取り組んで
きた。オバマ政権は
「対テロ戦争」
と
い
う
言
葉
の
使
用
を
慎
重
に
避
け、
就任演説の際にはそれを「わが国
は広範な暴力と憎悪のネットワー
クとの戦争の最中にある」と言い
換えた。だが、ブッシュ・オバマ
両
政
権
に
共
通
し
て
い
え
る
こ
と
は、
戦術こそ異なるものの、対テロ政
策を基本的には「戦争」という概
念で捉えていたという点だ。
とりわけ、オバマ政権の対テロ
政策における顕著な特徴は、無人
航空機や特殊作戦部隊を用いた暗
殺作戦への過度の依存傾向だ。た
し
か
に
こ
う
し
た
手
法
を
用
い
れ
ば、
海外展開するアメリカ軍の規模も
アメリカ兵が殺害されるリスクも
最小化でき(無人機攻撃に至って
は、操縦士は現場から遠く離れた
ア
メ
リ
カ
本
土
に
い
る
)、
目
立
た
ず
効率的にテロリストを始末するこ
とができる。中東地域への不介入
を原則とするオバマ政権にとって
はきわめて都合の良い手法だ。事
実、オバマ政権は就任からわずか
二年間で、ブッシュ大統領が任期
を通じて認めた攻撃の実に四倍の
無人機攻撃を許可している。ブッ
シュ政権期には四〇日に一度の割
合で無人機攻撃が実施されたのに
対して、オバマ政権期には四日に
一度の割合で無人機攻撃が実施さ
れている。
ただし、こうした手法は人道的
にも法的にも様々な問題を抱えて
おり、国内外からは数多くの批判
を浴びることになった。また、そ
もそもこうした手法は有効なテロ
対
策
な
の
か
と
い
う
点
に
つ
い
て
も、
軍事専門家のあいだでは意見が分
かれている。それでもオバマ政権
は、大規模な介入を避けつつもテ
ロリストを効率的に始末できる唯
一の有効な手段として、こうした
暗殺作戦に固執し続けた。
●
「
ア
メ
リ
カ
後
」
の
中
東
?
冷戦終結を機に唯一の超大国と
なったアメリカは、冷戦終結以降
も様々な利害関係や動機から、中
東地域に深く関与してきた。だが、
そうした方針が
「帝国的過剰拡大」
を招いてきたと考えたオバマ政権
は、過去との決別をはっきりと意
識していた。
しかし、
「アラブの春」を経て、
アメリカが中東への深い関与を明
確に否定したことで、域内におけ
るアメリカのパワーに対する信頼
は大きく損なわれ、同盟諸国は不
安を抱き、シリア危機と「イスラ
ーム国」の台頭によって域内秩序
は大きな動揺に晒されることにな
った。対中東政策の柱に据えてき
た中東和平問題もまた、ほとんど
前に進まなかった。
オバマ政権は二〇一七年一月に
任期満了を迎え、その後を引き継
ぐ政権は民主党であれ共和党であ
れ、
恐らく「オバマ政権との違い」
を生み出すために軌道修正を試み
るだろう。そのときに、中東の為
政者たちはそれにどう対応し、そ
して中東政治はどのように変化し
ていくのだろうか。
(
み
ぞ
ぶ
ち
ま
さ
き
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名
古
屋
商
科
大学経済学部准教授)
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