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満文檔案とその中琉関係史料について: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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Author(s)

王, 小紅; 外間, みどり(訳)

Citation

沖縄史料編集紀要 = BULLETIN OF THE

HISTORIOGRAPHICAL INSTITUTE(38): 71-76

Issue Date

2015-03-27

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/18766

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満文檔案とその中琉関係史料について

中国第一歴史檔案館満文処調研員 王 小紅 翻訳:外間みどり 清朝は中国史上、最後の封建王朝であり、また蒙古族の後に建てられた少数民族、満州 族による中国統一王朝である。満文は満州族の文字であり、満州族が政権をとった清王 朝においては、満文はまた「清文」「国書」とも称された。清王朝が統治した 268 年の間、 清朝の各衙門(役所)が満文を用いて書いた各種の公文書は、大量の満文檔案となり、そ れらは清代の国家の政治、経済、軍事、文化、民族、外交等の多くの領域に及び、清代史 研究の貴重な史料となっている。 中国第一歴史檔案館が保存する清代の満文檔案は約 200 万件(冊)で、保存する檔案 全体の約5分の1を占めている。満文檔案は檔案が帰属する機関あるいは檔案が保存され た場所により全宗に編入されている。全宗は8つ、内閣全宗・軍機処全宗・宮中全宗・内 務府全宗・宗人府全宗・琿春副都統衙門檔案全宗・阿拉楚喀副都統衙門檔案全宗・寧古塔 副都統衙門檔案全宗である。 入関以前の清朝は所属する領地は狭く、政治機構も簡単であったため、政務を記述した 公文書(檔案)は当然多くはなく、しかも満文で書かれたものであった。現在当館が保存 する「満文老檔」は、また「無圏点老檔」とも称され、清入関以前の後金政権が「老満 文」を用いて書いた官撰の編年体史書であり、ヌルハチ、ホンタイジ時期の史実が記述さ れている。これらは清朝初期の社会を研究する上で、これまでに発見された最も古い基本 檔案史料である。原本は台湾故宮博物院にあり、当館が保存するものは乾隆四十年(1775) 重抄の『無圏点老檔』である。 天聡三年(1629)、後金は盛京(今の瀋陽市)に「文館」を設け、帝王の得失(良し悪し) や国家政務を記録させた。天聡十年(1636)には文館を改め、内三院とした。すなわち 内国史院・内秘書院・内弘文院である。そのうち内国史院は皇帝の起居(生活)・詔令(皇 帝の命令)及び兵事や政務のすべてを記録することを管轄した。したがって『内国史院満

WANG Xiaohong, transl. HOKAMA Midori: Historical Materials on Sino-Ryūkyūan Relations among Manchū-language Archives

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文檔案 天聡崇徳簿冊』は「満文老檔」の後を受け、官側が引き続き作成した編年体の史 書であり、後金の天聡・崇徳時期の歴史を記録している。 順治元年(1644)満州族の清は中原の地を支配し、北京を都と定め、統一した封建王 朝を成立させた。国家政務の記録については、これまで通り内国史院が中央政務を記録し、 引き続き順治朝の編年体史書を編集し、『内国史院満文檔案 順治簿冊』を作成した。一 方で北京中央の大小の衙門や地方衙門に対しては、すべて明朝の制度に倣い、一切の文書 は明代の上報(上級機関に報告する)の制度を踏襲するよう命じたため、内院(内閣の前身) を経由するルートで上奏される題本の文書が増加した。題本は内閣の票擬意見を経て皇帝 のもとに送られ、皇帝の批紅(裁可)を受けた後、吏・戸・礼・兵・刑・工の六科によっ て文書の写しが作成され、関係衙門により執行された。文書の写しは二部作成され、一部 は史官の注記用として提供され、「史書」と呼ばれ、一部は六科に保存され、「録書」と呼 ばれた。「六科史書」は内閣に保存された。清代前期の題本の保存数は多くないため、「六 科史書」は重要な檔案文献であり、調査・参照すべきものである。「六科史書」の最も早 い記録は順治朝のものである。 康煕朝から始まり、特に雍正以後、清代の文書制度は日増しに整えられた。清朝の中央 機構は朝廷の政(まつりごと)を処理する過程において、北京の中央衙門と地方機関が垂 直的な統治体系となる文書を作り出した。主に北京中央各衙門および各直省辺疆地方が(皇 帝に)上奏する題本、奏摺、および皇帝が発布する諭旨すなわち上諭や廷寄の文書である。 これらは清朝政府が全国を管轄する上で最も主要な文書であり、政治を行うための主要な 道具であった。国のすべての重要問題にかかる(皇帝への)報告や伺い、また(皇帝から) 下された命令の処理や解決は、すべてこの題本・奏摺・上諭によって完成した。満文檔案 中の題本(「六科史書」を含む)は内閣全宗に、満文録副奏摺は軍機処全宗に、満文朱批 奏摺は宮中全宗に属している。皇帝の上諭は、康煕朝のものは主に「起居注」に記載され、 雍正朝以降のものは、主に軍機処全宗内の「上諭檔」「寄信檔」に集中している。このほ か雍正以降は軍機処が清朝の中核的地位にあったため、軍機処全宗中には更に満文の「議 復檔」および各種の専題檔案が保存されてる。因みに議復檔とは軍機大臣が各種の重要事 項について、皇帝の諭旨に遵い、その解決方法を協議して、皇帝に上奏し、その決定を仰 ぐ中で形成された奏摺の写しをまとめた檔簿である。また各種の専題檔案とは土尓扈特(ト ルグート)檔・西蔵(チベット)檔・准噶尓(ジュンガル)平定檔等である。これらには 主に清朝の中央官庁が処理した各種事件や解決した諸々の問題が記録されている。 内務府全宗の檔案は、主に清の宮廷内での皇帝の衣・食・住・行動の各種日常事務を記

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録したものである。宗人府全宗檔案は、主に皇族の諸々の事務を記録したもので、皇族の 玉蝶(皇族の家系図)も入っている。琿春副都統衙門檔案全宗・阿拉楚喀副都統衙門檔案 全宗・寧古塔副都統衙門檔案全宗は清代満州地方政府の檔案であり、東北満州の地方行政 の特徴を研究する上で、最も重要な体系的史料と見なせるものである。 清朝はなぜこれほど多くの満文檔案を作り出せたのだろうか。主に次の二点にある。 一つは、清朝は満州貴族が主体となる封建王朝で、それ故「首崇満州」(満州が一番) がその統治の中心思想である。清朝は満州族が政権の中で突出した地位を占有するのを保 証するため、満州貴族の特権を擁護し、中央の中枢機構において、まず「議政王大臣会議」 制度を実行した。その成員は「皆以満臣充之」(皆、満臣を以て之に充つ/成員にはすべ て満州人官僚を採用し)、「半皆貴冑世爵」(半ば皆、貴冑の世爵なり/半分は皆、貴族の 子孫による世襲(1))であり、国家の重要機密である軍政事務を処理した。その後、これに取っ て代わった軍機処も親王或いは満州族の大臣を長として事務を執行し、各種の重大機密事 項について解決方法を協議し、上奏文を作成して、皇帝の裁決を請うた。例えば『軍機処 雍正朝満文議復檔』には、具奏した大臣の筆頭はすべて満州人官僚であり、大学士馬尓賽・ 領侍衛内大臣豊盛額等の名がみえる。北京の中央各衙門も満州人官僚を長として事務を処 理した。これら満州人高官の議奏や上奏では満文が多く使用された。 二つは、清代が異なる統治区域に区分されたことによるものである。清の行政管理は、 主に三つの区域に分けられていた。一はいわゆる「直省」、すなわち十八行省である。一 般行政区として、基本的には明朝が設けたものを踏襲しているが,別に満州八旗を派遣し て要衝を防備させた。二は京師および満州の「発祥地」である東北地区をもって区分した 特別行政区域である。三は新疆・内外蒙古・西蔵・青海の少数民族地区を含む西北部を区 分した特別行政区域である。通常、直省の総督・巡撫の高官には、満州人も漢人もいた。 漢人官僚が皇帝に報告する各事項や皇帝が降す上諭には漢文が多く用いられ、膨大な数量 の漢文檔案が作成された。満州人の総督・巡撫の高官や八旗駐防の満州人官僚が清朝皇帝 との間でやり取りした文書は満文が多く用いられた。さらに特別行政地区であった東北・ 西北地区では、満州人・蒙古人の官僚が任用され政治を行い、彼らが上奏する文書や皇帝 が降す諭旨には満文が多く用いられたため、大量の満文檔案が作成された。ゆえに清代の 満文・漢文の二つの文字で作成された文書檔案は、様々な点で清朝の内地各省・東北・西 北辺疆の三大区域の政治・経済・軍事等の社会状況を反映している。これらの檔案は別々 に記録され、お互いに重なり合うことはなく、清という統一封建王朝の歴史を研究する上 (1) 昭  『嘨亭雑録』巻二

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で、貴重な原史料である。またこれらの檔案は相互に補い合い、少しも欠けてはならず、 重要な価値を有している。このほか内務府が清朝宮廷の事務を、宗人府が清朝皇族の事務 を行ったが、皇族に関わる事務は満文の使用が更に集中する所でもあり、多くの満文檔案 が残されている。 清朝が琉球国との関係を処理する上で、関連する檔案には中央政府の礼部・地方政府お よび内務府の三つのルートがある。清朝の規定によると、通常、各国貢使の接待は礼部が 責任を負い、貢使の北京における衣・食・住および行動は内務府が責任を負った。このた め中琉関係事務は主に礼部が担当し、皇帝への報告、勅諭の公布や賞賜品の授与および琉 球官生にかかる事務処理等に責任を負った。このほか清朝の冊封使および琉球国貢使の往 来に関することはすべて福建で行ったので、乗船出航・入港上陸、進貢品および賞賜品の 運搬等は、地域の管轄権限に照らし、通常は浙閩総督・福建巡撫・福建布政使から題本で 報告された。 礼部、福建の総督・巡撫の高官を問わず、彼らが処理する琉球関係事務は公務とされ、 公務は題本を用いるという清朝の規定により、通常は題本を用いて報告を行った。満文檔 案の中では、琉球関係が集中的に反映されている題本は主に内閣全宗「六科史書」の「礼科」 の中にある。『清代中琉関係檔案四編』に「礼科史書」の中琉関係史料 502 件が収録され ているので、本稿では言及しない。 ただ説明が必要なのは、これら(四編に)収録された題本は普通、満漢合璧か或いは満 漢文だということである。その中には礼部の題本もあれば、また浙閩総督・福建巡撫・布 政使等の題本もある。題本には部本と通本の区別があり、通常、中央の吏・戸・礼・兵・刑・ 工部の六部および都察院・宗人府等の衙門が上奏の際に用いた題本は部本と呼ばれ、すべ て満漢文合璧文書である。また各省の将軍・総督・巡撫および盛京五部が上奏する際に用 いた題本は通本と呼ばれ、これはすべて漢文で書かれている。漢文の通本は内閣を経由し て、漢文の貼黄(内容の要約)が満文に翻訳された後、(皇帝に)上呈された。したがっ て通本の満文は理屈からいえば、当然漢文と比べると簡略である。礼部の題本は部本に属 し、満漢文合璧であることに疑いはないが、しかし、「礼科史書」の通本には、原文通り 翻訳されているものも多くあり、特に嘉慶以前の題本はほとんど満漢合璧と同じである。 満漢合璧の文書は、文章の意味上においては当然一致するが、表現方法においては、漢文 では標準的公文書檔案用語を使用しているのに対し、満文では飾り気のない率直な表現と なっている。例えば、乾隆七年(1742)九月二十一日、福建巡撫劉於義が上奏した題本 の中の「琉球国王尚敬遣都通事鄭士綽等駕船一隻接回貢使翁鴻業等回国(琉球国王尚敬、

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都通事鄭士綽等を遣わし、船一隻に駕せ、貢使翁鴻業等を接回し回国せしむ)」の一句で あるが、「都通事鄭士綽」は満文では dalaha tungse jeng si coo となり、直訳すると「代表 となる通事鄭士綽」(2)となる。ここで使用された漢字の「都」という字は代表であることを 意味しており、「都」という文字自体が代表という意味を持っている。例えば、「都城」は つまり代表となる都市の意味であるが、漢文の表現になると上品な感じが加わる。満文と 漢文の両者で用いられた語は異なるが、基本的な意味は同じである。 また通本には、同一文書において、漢文は簡略的であるのに対し、満文の内容は充実し ているという状況がみられる。例えば、嘉慶十四年(1809)六月十九日「福建巡撫張師 誠為冊封礼成琉球国王遣使謝恩事題本(福建巡撫張師誠、冊封の礼成り、琉球国王、使を 遣わし謝恩する事の為にするの題本)」は、漢文ではただ「接到詳報、琉球国王尚灝因冊 封礼成遣使謝恩、臣復核無異(詳報を接到す。琉球国王尚灝、冊封の礼成るに因り、使を 遣わし謝恩す。臣復核するに異なる無し)」とあるだけだが、満文では(漢文と)同じ内 容以外に、さらにその使者を護送し出航させた日時や随行して来朝した人数も記録されて おり、満文が漢文の内容の欠落を補う役割を果たしている。ほかに満文が簡略的に書かれ、 漢文の内容が充実しているものもある。 軍機処全宗の満文録副奏摺にも、琉球国に関する奏摺がある。乾隆二十二年(1757) 二月十四日署福建將軍「明福等奏正月落雨欽差冊封琉球正使全魁坐船回至定海停泊由(明 福等奏す。正月落雨。欽差冊封琉球正使全魁、船に坐し回せんと定海に至り停泊する由)」(3) の奏摺などである。このほか、宮中全宗の朱批奏摺にも地方高官が具奏した案件の奏摺が あり、これも探し出すことができるものである。 清朝の内務府は皇家の物品の収蔵の責任を担っていた。そのため皇帝が琉球に賞賜する 物品については、礼部が賞賜すべき物品のリストを作成、内務府に咨をおくり、準備させ、 所定の日時に指定の場所に送り届けるようにさせた。内務府全宗の満文檔案には、広儲司 の黄冊(銀物の出納を記録した簿冊)や往来文書等数百冊がある。まだ個々の書誌データ の記録を行っていないため、琉球関係文書があるかどうかは明らかではないが、非常に期 待される資料である。 現在、満文檔案は言語の関係から、より広く社会に提供することがまだできていない。 (2) 中国第一歴史檔案館編『清代中琉関係檔案続編』(中華書局 1994 年)106 頁 (3)『軍機処満文録副奏摺』1631 巻 004 件

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しかし清代において満文檔案は特殊な役割を持ち、確実に極めて多くの資料を有する貴重 なものとして、採掘する価値を持っており、研究者や学者が開拓し利用するに十分に値す るものである。中国第一歴史檔案館満文処では現在、精力的に業務を行っており、できる だけ早く、より多くの満文檔案を公開し、社会に提供できるよう努力している。 ※本稿は 2014 年 11 月 21 日(金)、平成 26 年度沖縄県歴代宝案編集委員会において、中国第一 歴史檔案館の王小紅満文処調研員が行った報告「関於満文檔案及其中琉関係檔案説略」の翻訳である。    教育長表敬(2014 年 11 月 20 日)     前列左:王小紅女史 中央:平良勉教育指導統括監 右:黎三羊氏    平成 26 年度沖縄県歴代宝案編集委員会(2014 年 11 月 21 日)     左:黎三羊氏 右:王小紅女史 

参照

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