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『ハムレット』における「演技」と「誠実」: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Author(s)

川本, 真由子

Citation

英米文学 = Studies in British & American literature(34): 1-31

Issue Date

1986-04

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10326

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『ハムレッ

ト』における「演技」と「誠実」

川 本 真 由 子 『ハムレット』(Ha〃肱c.1600-1)。この謎に満ちた作品に、批評家達は、 それぞれの角度から様々な解釈を下して来た。主人公ハムレット(Hamlet) の復讐の延引がとりわけ彼らの注意をひきつけ、彼らはその謎を解こうと試 みた。 コールリッジ(S.T.Coleridge)は、自らにもその傾向があることを認めつ つ、ハムレットは、内省過剰のために行動できないのだ、と述べる。')ブラッ ドリー(A.C.Bradley)は、ハムレットは、母親の性急な結婚によって、あま りに衝撃を受けたために、倦怠と死への願望にとりつかれてしまうのだ、と 述べる。母の不実と、父親の死の真相が、彼を圧倒してしまい、無感動の状 態に陥ってしまった彼は、叔父に対して迅速な行動に移れず、またそれが何 故なのかもわからない。ブラッドリーは、劇中人物に、現実世界の人々によ り相応しいような心理分析を適用した難点があるものの、その後のすぐ、れた ′性格批評の源となった。2)エリオット(T.S.Eliot)は、この作品は失敗作であ り、シェイクスピア(WilliamShakespeare,1564-1616)は、ハムレットが、 表現することのできない'情緒に支配されているのと同様、’情緒を芸術の形式 に表現する唯一の方法、つまり、「客観的相関物」を見つけ出すことができな かったのだ、と述べる。3)芸術的失敗作であるという見方について、異議を唱 え、その'unity'ではなくとも、'onenessbyanalogy'を主張したファーガソ ン(FrancisFergusson)は、この劇は、デンマーク王国浄化の劇であり、祭 式的演劇に近いとする。『ハムレット』は、ソポクレース(Sophocles)の『オ 1)S.T.Coleridge,Colerit鞍4sS,ルα々espeareα〃C戒/砿加,ed.ThomasMiddleton Raysor,rev.ed.,2vols.(London:Dent,1960),pp.16-40. 2)A.C.Bradley,S〃たespeareanTragedy(1904;rpt.London:Macmillan,1976),pp. 102-41. 3)T.S.Eliot,"Hamlet"in艶"ctedEssays(London:Faber,1932),pp.141-46. 1

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イデイプス』(0ecメ秒況s)に似て、両方の戯曲が、危険に瀕した国家の福祉に ついての祈りで始まり、浄化と更新とが達成されるまで、王者たる犠牲の受 難が必要とされる。4)ハムレットの遅延について、さらに、ジョーンズ(Ernest Jones)は、精神分析を応用して、オイディプス。コンプレックスを彼の中に エヴリマン 認め、5)ルイス(C.S.Lewis)は、ハムレットは、原罪の意識を負う万人であ るとした。6),性格批評に偏りすぎると、ブラッドリーを批判し、劇のpoetryや imageryに注目する批評家達もいる。ナイト(G.WilsonKnight)、7)トラヴ ァーシ(D.A.Traversi)、8)スパージョン(CarolineF.E.Spurgeon)、9)クレメ ン(WolfgangH.Clemen)">などである。中でも、スパージョンは、この劇 における病気のイメージ、とりわけデンマーク全体の道徳的不健康さを示す ものとしての「腫物」のイメージを指摘し、『ハムレット』の問題は、病人が 病気について責任を問われないように、個人の責任を越えた、もっと大きく て不可解なものだと述べ、大きな影響を与えた。一方、ガードナーHelen Gardner)は、歴史的アプローチの立場から、エリザベス朝の復讐劇において は、概して、事件を引き起した者が、その解決の引き金ともなること、つま り、悪人が自ら滅びる行動を起すまで、復讐者たる主人公は、ただ待つのだ、 と述べた。この点で、ハムレットは典型的なエリザベス朝の復蓄者なのであ 4)FrancisFergusson,7肋〃eaofα刀water(Princeton:PrincetonUniversity Press,1949),pp.98-142. 5)ErnestJones,Ham〃αndOedipus(NewYork:Norton,1949). 6)C.S.Lewis."Hamlet:ThePrinceorthePoem?",ProceedingsofBri娩ルAaz血沈γ 28(1942);repr.inSelectedLiteraryEssの;$,ed.WalterHooper(Cambridge UniversityPress,1969),pp.88-105. 7)G.WilsonKnight,TheWルeelof岡ノセ(OxfordUniversityPress,1930),pp.17-46, 298-325. 8)D.A.Traversi,AnApproachtoS加々espeare(1938;rev、1957;rev.London:Mollis &Carter,1969),pp.42-65. 9)CarolineF.E.Spurgeon,5加舵妙gα花sImageノyandWルαi〃碗"sUs(Cambridge UniversityPress,1935).pp.316-20. 10)w・H.Clemen,TheDeveノ助加entofS〃賊espeaノハImagery(1951;rpt.London: Methuen,1977),pp.106-18.

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『ハムレットlにおける「演技」と「誠実」 3 る。'') 現代の批評家の多くは、ハムレットの行動の説明よりも、この劇全体の説 明をしようと試みているのだが、その一人、マック(MaynardMack)は、 この劇が想像のうちに生み出す世界の3つの特性をあげる。神秘性と、 'appearance-reality'の問題にかかわる当惑と、人間の弱さの意識である。ま た彼は、ブラッドリーに従って、ハムレットを、感受'性豊かな理想主義的青 年であるとするが、航海から帰ったハムレットには、その世界をあるがまま に受け容れる覚l悟を見ている。'2)そして、エイベル(LionelAbel)は、『メタ シアター』(〃ど施勉eα純)なる書物の中で、『ハムレット』は、エリオットの 言うような、「失敗した悲劇」なのではなく、成功したメタシアターなのだ、 と論じる。エイベル自身の言葉を引こう。 確かにハムレットは、自分の書いている劇を悲劇になしえないシェ イクスピアの客体化された表出そのものである。しかし、シェイク スピアは、自分の劇を悲劇とは別のもの、悲劇に劣らず瞳目に値す る何物かに作り替えた。...演劇史上初めて、この劇において、 劇作家意識を抱えていることが、まさしくその問題であるような主 人公が出現したからである。ハムレットは...舞台化され演劇化 されるとは、どういう意味なのかを鋭く意識した最初の舞台上の人 物なのである。'3) ファーガソンの言うように、一人の批評家の解釈を受け容れるからといつ 11)HelenGardner,TheBusinessofCガ"蛎加(OxfordUniversityPress,1959),pp.41 −46. 12)MaynardMack,"TheWorldofHamlet",YaleReview41(1952);repr.in5加舵一 妙“形:〃bdernEssavsinC"此ism,ed.LeonardF.Dean(1957;rev.1967;rpt. OxfordUniversityPress,1977),pp.242-62. 13)LionelAbel,〃なtatheatre:ANewViewofDra加α"cForm(NewYork:Hilland Wang,1963),pp.57-58.引用は、高橋康也、大橋洋一訳『メタシアター』(朝日出版 社、1975)、126-27頁。

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て、他の解釈を除外する必要はない。それどころか、さまざまな批評家は、 それぞれ全体のある面を、自己の特殊な角度から照らし出す鏡と見るべきで あろう。'4)しかしながら、本論は、『ハムレット』における演劇意識に焦点を 置いているために、前出の、マックとエイベルの論文に特に多くの示唆を得 ていることをことわっておかねばならない。あわせて、本論の視点は、トリ リング(LionelTrilling)が注意を促した「誠実」('sincerity')と、ほんも の」('authenticity')の観念にも大きな影響を受けている。トリリングは述べ ている。「『ハムレット』という作品がどこまで誠実の主題によって満たされ ているか、それをどの程度まで読みこむかによって、この芝居のひとめいめ いの理解が決定されるといって差支えない。」と。'5)しかし、トリリングは、 その「誠実の主題」を、作品内部に、詳しくは追って行ってくれていない。 上記の指摘を糸口として、もう一度『ハムレット』を見直してみることは、 興味深いことのように思われるのである。 I 何度となく引用されて来たにもかかわらず、いまだに我々に訴えかける力 を失っていないように思えるのが、次のハムレットのセリフ、一幕二場での、 王妃への返答である。 14) 15) Q"een.GoodHamlet,castthynightedcolouroff, AndletthineeyelooklikeafriendonDenmark. Donotforeverwiththyvailedlids Seekforthynoblefatherinthedust. Thouknow'st'tiscommon;allthatlivesmustdie, Passingthroughnaturetoeternity. Fergusson,op.at.,p.101. LionelTrilling,Sinceγ"vandA""zg""city(OxfordUniversityPress,1974),p.3. 引用は、野島秀勝訳『<誠実>とくほんもの>−近代自我の確立と崩壊一』(筑摩 書房、1976)、11頁。以下、トリリングからの引用は、この訳書による。

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『ハムレット』における「演技」と「誠実」 Ham.Ay,madam,itiscommon. Queen. Ifitbe, Whyseemsitsoparticularwiththee?

Htz"2.艶g”S,madam?nay,itis;Iknownotsge"s・

Tisnotalonemyinkycloak,goodmother,

Norcustomarysuitsofsolemnblack,

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Thatcandenotemetruly;theseindeedseem,

Fortheyareactionsthatamanmightplay;

ButIhavethatwithinwhichpassethshow;

These,butthetrappingsandthesuitsofwoe. (I・ii.68-86)">

このセリフは、この劇に充満している演劇のメタファーを用いて、「見かけ」

('appearance')と「実体」('reality')の元離という主題を早くも打ち出してい

る。'7)ハムレットは、「自分は、喪服や憂い顔で表わし切れぬほどの悲しみを

感じている」と述べる。注目しておきたいのは、このセリフに、否定語が多

用されていることである。「見かけ」に関するものは雄弁に言い表わすことが

できる。しかし、「現実」−ほんとうの悲しみ−は、これでもない、あれ

でもない、といった具合に、「見かけ」を否定することによってしか言い表わ

されていない。これは、ハムレットが抱えている問題を象徴しているものの

ように思える。"Ihavethatwithinwhichpassethshow"(「私には、見かけ

16)HoraceHowardFumess,ed.,Ha加峨(ANewVariorumEdition](NewYork: DoverPublications,1963).以下、Ha加似からの引用はこの版による。 17)Mack,op.cit.,pp.247-53. 5

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を越えた内部がある」)とは、何と歯切れの悪い、謎めいた言い方であること か。一体、何があるというのか、この謎が、ハムレットの重大な問題であり、 ひいては、劇的展開(アクション)全体にも、大きくかかわっているように

思われる。が、ともかく、彼は、自分自身の「見かけ」と「内部」の食い違

いに−つまり、内部の過剰に−言及する。と同時に、それは、宮廷や母 王妃が、先王の死を嘆くように見えたにもかかわらず、早くも新しい王を戴 き、新しい夫を持っていることへの非難ともなっている。つまり、宮廷や母 王妃も、ハムレットとは逆の意味で−悲しみという感'情が、その表現より 少なすぎるという点で−'reality'と'appearance'に分裂をきたしている。 オ ク シ モ ー ロ ン この場の冒頭のクローディアス(Claudius)のセリフも、印象的な撞着語法の 使用によって、その分裂を暗示している。 ThoughyetofHamletourdearbrother'sdeath Thememorybegreen,andthatitusbefitted Tobearourheartsingriefandourwholekingdom Tobecontractedinonebrowofwoe, Yetsofarhathdiscretionfoughtwithnature Thatwewithwisestsorrowthinkonhim, Togetherwithremembranceofourselves. Thereforeoursometimesister,nowourqueen, Theimperialjointressofthiswarlikestate, Havewe,as'twerewithadefeatedjoy,− Withoneauspiciousandonedroppingeye, Withmirthinfuneralandwithdirgeinmarriage, Inequalscaleweighingdelightanddole,一 Takentowife... (I.ii.1-14)

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『ハムレット』における「演技」と「誠実」 7 つまり、'appearance'と'reality'の分裂という問題は、ハムレット自身に あると同時に、デンマークの宮廷という外界にも存在している。それぞれの 実体を探り出すことが、この劇の大きな2本の柱となっていると思われる。

物事の実体を、正体を見きわめようとするムーヴメントは、この劇の冒頭

から鮮明に打ち出されている。一幕一場、城の胸壁の暗闇の中で、歩哨のバ ーナード(Bernardo)の誰何の声からこの劇は始まる。

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錘mam画

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Who'sthere? Nay,answerme;stand,andunfoldyourself. Longlivetheking! Bernardo? He. I.i.1-5) ややあって、ホレーショー(Horatio)とマーセラス(Marcellus)に向っ て再び"Who'sthere?"(I.i.14)という疑問が発せられる。そして、歩哨達 が、二晩続けて見た亡霊の話をホレーショーに語るうちに、亡霊の登場とな る。 Mar. Ber. Mar. Ber. Peace,breaktheeoff;look,whereitcomesagain! Inthesamefigure,likethekingthat'sdead. Thouartascholar;speaktoit,Horatio. Looksitnotliketheking?markit,Horatio. (I.i.40-43) ホレーショーは、亡霊に話しかけるが("Whatartthou?"Li.46)、口を きかせることができず、「亡くなった先王に似た姿のもの」の出没の意図を知 るには、ハムレットの出番を待たねばならない。

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宮廷の華やかな見かけが隠している真相一先王の忌まわしい毒殺一を

暴こうとする、この劇の求心的なムーヴメントは、やがて、ハムレットが例

の劇中劇の場で王の罪を確信するに至って最大の盛り上がりを見せることに

なる。しかし、ハムレット自身の「見かけを越えた内部」の探究は、もう少

し後へずれると思われる。それは劇の展開に従って見てゆくこととして、ま

ず、この求心的なムーヴメントの裏返しである、いわば遠心的な一つの傾向

に注目しておこう。それは「見かけ」に対する執勘な疑い、嫌悪、といった

感情である。上に引用したハムレットの、“Seems,madam?nay,itis;I

knownotseems."に始まり、"Fortheyareactionsthatamanmightplay"

に至る口吻には、「装い偽ること」に対する根深い敵意のようなものが感じら

れる。その原因と考えられるのは、勿論、そのすぐ後の独白が示すように、

「貞節であるように見えた」−−亡霊の言葉を借りれば、"mymostseeming-virtuousqueen"(I.v.46)一母親の早すぎた再婚であるが、「見かけ」

('appearance')に対する疑いや嫌悪は別の事柄についても、また、別の人物

の口からも漏れることを考えると、劇中により一般的な地位を獲得している

と考えられる。

しかし、まず、ハムレットの口から発せられる非難に耳を傾けてみよう。

「尼寺へ行け」とオフイーリア(Ophelia)に告げる場面に、こんなセリフが

ある。

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memad. (I1I.i.142-146)

ハムレットはオフイーリアを自分の母親と同じく"Frailty"(I.ii.146)の

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『ハムレットjにおける「演技」と「誠実」 9 巻属とみなすが故に罵倒していると考えられる。しかし、その、「化粧をして 神から与えられた」本当の自分の顔を覆い隠してしまい、「別の顔のように見 せようとする」という言い回しには、もう少し一般的なひびきも聞きとれな いではない。即ち、「虚偽」に対する1厘吐感といったものが感じられる。その 印象は、この同じ場で、ハムレットが登場する前になされる、王クローディ アスの傍白と、さらにその傍白を引き出すポローニアス(Polonius)のセリフ との響き合いによって強められる。 凡ム...Readonthisbook; Thatshowofsuchanexercisemaycolour Yourloneliness,Weareofttoblameinthis,− 'Tistoomuchproved,一thatwithdevotion'svisage Andpiousactionwedosugaro'er Thedevilhimself. 〃"g.Oh,'tistootrue! [Aside]Howsmartalashthatspeechdothgivemyconscience! Theharlot'scheek,beautiedwithplasteringart, Isnotmoreuglytothethingthathelpsit Thanismydeedtomymostpaintedword. Oheavyburthen! (11l.i、44-54) オフイーリアは、父ポローニアスの命に従って、「神妙にお勤めをしている ふり」をしている。王とポローニアスは、カーテンのかげに隠れてハムレッ トの狂気が本物であるかどうかを見きわめようというわけだ。ポローニアス のセリフの中の"show"、"colour"、"visage"、"sugar"といった「見せかけ」 にかかわる言葉は、王の"harlot'scheek"、"beautied"、"plasteringart"、 "paintedword"といった言葉やイメジャリーヘ発展し、ハムレットのセリフ

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の中の"paintings"と著しい共鳴をなしている。18)ハムレットばかりでなく、 クローディアスでさえも、自らの「見せかけ」の醜悪さをはっきりと表明し ている。 「見せかけ」に対する不信は、別のコンテクストにおいても表明されている。 Ham....ThespiritthatIhaveseen Maybethedevil;andthedevilhathpower Toassumeapleasingshape;yea,andperhaps Outofmyweaknessandmymelancholy, Asheisverypotentwithsuchspirits, Abusesmetodamnme.I'llhavegrounds Morerelativethanthis. (II.ii.574-580) 先王の亡霊のように見えた姿は、実は悪魔かもしれない、というわけだ。 う そ 「まこと」か、それとも単なる「見せかけ」、「虚偽」なのか、信じるか、信 じないか、といった命題は、もう少し重要さにおいて劣るコンテクストにお いても触れられる。一幕三場、レアテイーズ(Laertes)は、ハムレットへの 対応について、オフイーリアに言い聞かせる。 ...Thenifhesayshelovesyou, Itfitsyourwisdomsofartobelieveit Asheinhisparticularactandplace Maygivehissayingdeed... (I.iii.24-27 18)マックは、この劇における'appearance-reality'の主題に関連する、"apparition"、 "seems"、"assume"、"puton"、"shape"等の語や、衣服のイメジャリー、さらには、 "painting"の用語や、"show"、"play"、"act"といった語の重要性を指摘している。 Mack,op.c、〃.,pp.248-52.

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『ハムレット』における「演技」と「誠実」 続いてポローニアスも娘に訓戒を垂れる。 Oph.Mylord,hehathimportunedmewithlove Inhonourablefashion. 凡ムAy,伽"われyoumaycallit;goto,goto. の".Andhathgivencountenancetohisspeech,mylord, Withalmostalltheholyvowsofheaven. Donotbelievehisvows;fortheyarebrokers, Notofthatdyewhichtheirinvestmentsshow, Butmereimploratorsofunholysuits, Breathinglikesanctifiedandpiousbawds, Thebettertobeguile. (I.iii.110-114,127-131) 11 ポローニアスは、衣服のイメジャリーを用いるが、それは、'appearance'と 'reality'の問題を抱えているこの劇にあっては当然のことかもしれない。 衣服は一体、「実体」を知る為の手がかりとなるのだろうか。ポローニアス

は衣服と実体の間に何ら亀裂を意識していないようだ("theappareloft

proclaimstheman"I.iii、72。しかし、ハムレットにとっては、それは大 きな問題に発展して行く。"Alittlemonth!orerethoseshoeswereold/ Withwhichshefollow'dmypoorfather'sbody,/LikeNiobe,alltears ..."I.ii.147-149)とハムレットは嘆く。 考えてみれば、肉体さえも、精神を包む衣であろう。'9)先に引いたハムレッ 19)「心を容れる肉体という建物」という考え方は、レアティーズのオフィーリアヘの訓戒 の言葉によく表現されている。 Fornaturecrescentdoesnotgrowalone Inthewsandbulk;but,asthistemplewaxes, Theinwardserviceofthemindandsoul Growswidewithal. (I.iii.11-14)

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卜の、「外見を越えた内部がある」というセリフでは、彼は、自らの服装と実 体の乗離の意識、そして、「装い偽ること」への嫌悪を表明しているが、その 後に続く独白では、自らの肉体へのそれが表明されている。 0,thatthistootoosolidfleshwouldmelt. Thaw,andresolveitselfintoadew! OrthattheEverlastinghadnotfix'd Hiscanon'gainstself-slaughter! Howweary,stale,flatandunprofitable Seemtomealltheusesofthisworld! Fieon't!0fie!'tisanunweededgarden Thatgrowstoseed:thingsrankandgrossinnature Possessitmerely. 1.ii.129-137) 「見かけ」と「実体」の分裂を鋭く意識するハムレットにとっては、自分自 身の肉体もまた、忌まわしいものである。ウィッテンベルク行きを思いとど まるよう王と王妃に説得されて承知したハムレットの、この独白には、世の しがらみに縛られた肉体の不自由さ、不純さが、"solid"と"dew"という言葉 の対比に感じとれる。王妃の情愛深い息子、王の、"ourchiefestcourtier, cousinandourson"(I.ii.117)としての役割を押しつけられて、「牢獄」の ようなデンマーク("Denmark'saprison"II.ii.239)にとどまるハムレッ トにとって、自らの肉体は、自らの精神に従い、それを正しく表現するもの でないが故に、硬い不透明な仮面として意識され、嫌悪の対象となる。 II さて、亡霊に復響を命ぜられたハムレットは、蹟路なく誓いを立てる。

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『ハムレット』における「演技」と「誠実」 Rememberthee? Yea,fromthetableofmymemory I'llwipeawayalltrivialfondrecords, Allsawsofbooks,allforms,allpressurespast, Thatyouthandobservationcopiedthere; Andthycommandmentallaloneshalllive Withinthebookandvolumeofmybrain, Unmix'dwithbasermatter;yes,byheaven! (I.v.95-104) しかし、どういうわけか、すぐには復讐にとりかからない。 Thetimeisoutofjoint;−Ocursedspite, Thateverlwasborntosetitright1− 1.v.189-190) 13 と彼自ら嘆くように、この復讐者という役回りはなかなか受け容れ難いもの であることが暗示されているが、しかしながら、はっきりとした理由は示さ れていない。旅役者の一団が到着した後、彼が役者に引き較べて、我が身の ふがいなさを罵る長い独白に耳を傾けてみても、依然として、それは謎であ る。 NowIamalone. 0,whatarogueandpeasantslaveamI! Isitnotmonstrousthatthisplayerhere, Butinafiction,inadreamofpassion, Couldforcehissoulsotohisownconceit Thatfromherworkingallhisvisagewann'd;

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Tearsinhiseyes,distractionm'saspect, Abrokenvoice,andhiswholefunctionsuiting Withformstohisconceit?AndaⅡfornothing1 ForHecuba? What'sHecubatohim,orhetoHecuba, Thatheshouldweepforher?Whatwouldhedo, Hadhethemotiveandthecueforpassion Thatlhave? YetI, Adullandmuddy-mettledrascal,peak, LikeJohn-a-dreams,unpregnantofmycause, Andcansaynothing;no,notforaking, Uponwhosepropertyandmostdearlife Adamn'ddefeatwasmade・Amlacoward? Whocallsmevillain?breaksmypateacross? Plucksoffmybeard,andblowsitinmyface? Tweaksmebythenose?givesmetheliei'thethroat, Asdeepastothelungs?whodoesmethis? H a 'Swounds,Ishouldtakeit;foritcannotbe ButIampigeon-liver'd,andlackgall Tomakeoppressionbitter;orerethis Ishouldhavefattedalltheregionkites Withthisslave'soffal;bloody,bawdyvillain! Remorseless,treacherous,lecherous,kindlessvillain! 0,vengeance! Why,whatanassamI!Thisismostbrave,

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『ハムレットjにおける「演技」と「誠実」 ThatI,thesonofadearfathermurder'd, Promptedtomyrevengebyheavenandhell, Must,likeawhore,unpackmyheartwithwords, Andfalla-cursing,likeaverydrab, Ascullion! Fieupon't!foh! (II.ii.522-535.540-564) 15 「のろまでく、うたら」「卑'怯者」「悪人」「大うそつき」「意気地なし」「阿呆」 と、ハムレットは自らを罵るが、どれも復響の延引のしっくりした理由とな っているようには思えない。そこで考えられることは、一幕二場で、王の「第 一の側臣、親族、かつ息子」(I.ii.117)である役割を拒んだように、復瞥者 の役割を拒む何らかの意識が、ハムレットにある、ということだ。それは、 「自分には見かけを越えた内部がある」という意識であり、自らの肉体を仮面 として忌避する意識と根を同じくするものであろう。それは、他者から押し つけられ、かぶせかけられる何らかの役割におさまり切れぬ本当の自分があ るという意識である。ポローニアスなら、例によって疑いを抱かぬところで ある。彼はレアティーズにこう忠告する。 Thisaboveall:tothineownselfbetrue, Anditmustfollow,asthenighttheday, Thoucanstnotthenbefalsetoanyman. I.iii.78-80 彼によれば、自らに忠実であることは即ち、他者誰に対しても忠実である ことになる。しかし、そこに亀裂を感じるのがハムレットである。彼は今ま で見て来たように、虚偽に対して極端に敏感である。現在の王クローデイア スに対する孝行息子の役割と同様に復讐者の役割もまた「装い偽ること」「神

(17)

から与えられた顔の上に別の顔をこしらえること」、つまり、本来の自分と異 なるものを呈示することになるという点で、彼にとって容易に受け容れ難い のではないか。では、しかし、何が本来の彼自身なのか、彼がこれこそ本当 の自分だと感じ喜んで受け容れる役割は一体何なのか。それは後に考えるこ とにして、再び劇の展開に目を向けよう。 上に引いた独白の残りの部分は、ハムレットが、旅役者達に芝居を上演さ せることによって「王の良心を買にかけ」ようと思いつくくだりである。 Ihaveheard Thatguiltycreatures,sittingataplay, Have,bytheverycunningofthescene, Beenstrucksotothesoulthatpresently Theyhaveproclaim'dtheirmalefactions; Formurder,thoughithavenotongue,willspeak Withmostmiraculousorgan.I'llhavetheseplayers Playsomethinglikethemurderofmyfather Beforemineuncle;I'llobservehislooks; I'lltenthimtothequick;ifhebutblench, Iknowmycourse・ThespiritthatIhaveseen Maybethedevil;andthedevilhathpower Toassumeapleasingshape;yea,andperhaps Outofmyweaknessandmymelancholy, Asheisverypotentwithsuchspirits, Abusesmetodamnme.I'llhavegrounds Morerelativethanthis.Theplay'sthething WhereinI'llcatchtheconscienceoftheking. 11.ii.564-581)

(18)

『ハムレット』における「演技」と「誠実」 17 この独白こそ、'appearance'と'reality'の問題にとっての、そして、「装い 偽ること」に対するハムレットの価値観にとっての大きな転換のきざしを示 すものである。「装い偽ること」に、もっぱら、「虚偽」というマイナスの価 値しか見ていなかったハムレットは、芝居一それは言うまでもなく"afie-tion"(II.ii.525)であり、'appearance'の一種だ−というものを通じて、 プラスの価値を見出す。芝居はそれ自体は'appearance'ではあっても、芝居 を見て罪人が罪を告白するように、真実を暴くこともあるからだ。それを、 ポローニアスなら、「うそという餌でまことという鯉を釣る」(II.i.63)ある いは、「真直ぐにねらわないで、しかも的を射るわざ」(I1.i、65-66と呼ぶ だろう。ポローニアスが、家来のレイナルド(Reynaldo)に、パリでのレア ティーズの身持ちを探り出す方法を教え込む場面がある。ハムレットが思い 付く、その同じ演技の効用というものが、すぐ前の場で、しかし、重要性に おいて劣る喜劇的な文脈で指摘されている。一つのプロットにおける主題な り、事件なり、関係なりを、別のプロットでも変奏してみせることは、シェ イクスピアにおいては珍らしくないことであって、この場合、ポローニアス のそれは、喜劇的前奏というべきものであろう。もっとも、彼の場合、うま く「真実」を釣り出せるかどうかは、大いに疑問があるのだが。 内部の感‘情と外的表現の一致という問題にいかにハムレットがこだわって いるかは、役者たちに注文をつける例の演技指導の場面にも暗示されている。 Speakthespeech,Iprayyou,asIpronouncedittoyou,trippingly onthetongue;butifyoumouthit,asmanyofyourplayersdo,I hadasliefthetown-crierspokemylines.Nordonotsawtheair toomuchwithyourhand,thus;butuseallgently;forinthevery torrent,tempest,and,asImaysay,whirlwindofyourpassion,you mustacquireandbegetatemperancethatmaygiveitsmoothness. Oh,itoffendsmetothesoultoheararobustiousperiwig-pated fellowtearapassiontotatters,toveryrags,tosplittheearsofthe

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groundlings,who,forthemostpart,arecapableofnothingbut inexplicabledumb-showsandnoise;Icouldhavesuchafellow whippedforo'erdoingTermagant;itout-herodsHerod;prayyou avoidit. III.ii.1-13) 彼は誇張した表現を非難する。20)しかし、足りなくてもいけない、とハムレ ットはつけ加える。 Benottootameneither,butletyourowndiscretionbeyour tutor;suittheactiontotheword,thewordtotheaction;withthis specialobservance:thatyouo'erstepnotthemodestyofnature; foranythingsooverdoneisfromthepurposeofplaying,whose end,bothatthefirstandnow,wasandis,tohold,as'twere,the mirroruptonature;toshowvirtueherownfeature,scornherown image,andtheveryageandbodyofthetimehisformandpressure. Nowthisoverdone,orcometardyof,thoughitmaketheunskilful laugh,cannotbutmakethejudiciousgrieve;thecensureofthe whichonemustinyourallowanceo'erweighawholetheatreof others. III.ii.15-26) このセリフは、たしかに、一般的な芸術論をも、時事調刺をも含んでいる。 しかし、前後の文脈との呼応によって、ハムレット自身の身の処し方、 "action"についての理想を語っているともとれるのである。直前の場は、例 20バートンは、エリザベス朝からジェイムズ朝にかけて、顕著になってゆく、演劇や役 者に対する空虚、わざとらしさ、霜りといった非難や蔑視を指摘している。 AnneBarton,S〃αだ“”だαndtルe〃'αoftheP/dy(London:Chatto&Windus, 1962),pp.169-72.

(20)

『ハムレット』における「演技」と「誠実」 19 のnunnery-scene'であり、ハムレットはオフィーリアを、あるいは女‘性全体 を、"paintings"(化粧)のかどで責めている。その前には、さらに、こうい うセリフがある。 Gettheetoanunnery;whywouldstthoubeabreederofsin-ners?Iammyselfindifferenthonest;butyetlcouldaccusemeof suchthingsthatitwerebettermymotherhadnotborneme;Iam veryproud,revengeful,ambitious;withmoreoffencesatmybeck thanIhavethoughtstoputthemin,imaginationtogivethem shape,ortimetoactthemin. I1I.i.121-127) 行為でもって表現し切れぬほどの内部があることを、そして、その内部の 忌わしさをも同時に、彼は認めている。自らの内部の過剰をこの場で云々し ているハムレットは、次の場では役者達に、表現の過剰をいましめる、とい うわけだ。そして、役者達が退くと、ホレーショーを次のようにほめたたえ る。 ...forthouhastbeen Asone,insufferingall,thatsuffersnothing; Amanthatfortune'sbuffetsandrewards Hathta'enwithequalthanks;andblestarethose Whosebloodandjudgementaresowellcommingled ThattheyarenotapipeforFortune'sfinger Tosoundwhatstopsheplease・Givemethatman Thatisnotpassion'sslave,andIwillwearhim Inmyheart'score,ay,inmyheartofheart,

(21)

AsIdothee. III.ii.60-69 「感情と理性とが見事に調和して」、何事があろうと平然としているホレー ショーは、「感情の奴隷」であるハムレットの理想の姿である。ホレーショー には内部の過剰もなければ、表現の過剰もない。「運命の指先で、好みの音色 を出させられる笛」などは決してなく、常に本来の自分というものを保って いる男、それがハムレットの理想である。運命に弄ばれること、つまり望ん でもいない役割をふられることは、ハムレットが最も忌み嫌うところである。 Ill さて、ハムレットは、'mousetrap'と彼が呼ぶ芝居を王の前で上演させ、王 のただならぬ様子から、その兄殺しの罪を確信する。その後、母の王妃に呼 ばれて部屋へ向う途中、王が祈ろうとして脆いている場に行きあわせるが、 王の命を奪う好機であるにもかかわらず、そのまま、母のもとへ赴く。 第I章で述べたように、この劇には、実体('reality')を見極めようとする ムーヴメントが、見せかけ('appearance')への嫌悪を必然として伴いつつ存 在している。そして、デンマークの宮廷において、クローディアスが、もっ と も ら し く 王 と し て 振 る 舞 う こ と で 隠 蔽 し て い た 真 相 一 王 殺 し − は 、 ほ ぼ暴かれた。もっとも、ハムレットとホレーショーが王の罪を確信しただけ であって、宮廷の人々すべてに、クローデイアスの悪錬さが示されるには最 後の場を待たなければならない。王の祈りの場で、ハムレットがすぐに王を 殺さないのは、そのためだ。彼の言葉に耳を傾けよう。 Up,sword,andknowthouamorehorridhent; Whenheisdrunkasleep,orinhisrage, Orintheincestuouspleasureofhisbed; Atgaming,swearing;oraboutsomeact

(22)

『ハムレット』における「演技」と「誠実」

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Thentriphim... 21 III.iii.88-93)

王は、やがて、ハムレットの望み通り、「到底救われそうもないほどの悪事

にふけっている折」に殺されることになる。ハムレットを卑劣な手段で殺そ

うとして、王妃をも巻き添えにする最後の場面である。そして彼の悪錬さは、

人々に知られるところとなるだろう。祈りの最中に殺したのでは、それは望

めない。理由のもう一半は、劇全体の構成にかかわっている。外界の'appear-ance'と'reality'の乗離という問題については、ハムレットは、芝居の効用に

よって、その見せかけ−クローディアスの無垢な仮面一を剥いだ。しか

し、実体探りのもう一つの課題、ハムレット自身の問題が残っている。現王

の「親愛なる息子」などではさらさらなく、また、亡霊に出会って以来、奇

怪な振舞("anticdisposition"I.v.172)をするようになり、オフィーリア

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151-154でなくなってしまっているハムレット、そして、自らの「内部」

に忠実であろうとするハムレットは、自らの「内部」をどのようなものだと

認識するのだろうか。そして、それに一致した表現を見出すのだろうか。こ

ちらの問題は、解答を出すには、まだ十分に熟し切っていない。それは劇の

残りの部分で、さらに探究されることになる。

王妃の居間へ赴いたハムレットが、王妃を非難する際に、肖像画を用いる

のは興味深い。先王と現在の王、その二人の兄弟の"counterfeitpresent-ment"(III.iv.54)を指し示し、その違いを述べるのだが、今度は芝居とい

う'art'ではなく、肖像画という'art'によって、王妃の良心を捕えようとして

いると考えられる。亡霊が、ハムレットの「鈍り勝ちな志を研く、ため」("to

whetthyalmostbluntedpurpose"(III.iv.Ill)に現われるが、亡霊の消え

(23)

た後の、ハムレットの王妃に対する助言は、エイベルも指摘しているように、

さらに意味深い。2') Assumeavirtue,ifyouhaveitnot. Thatmonster,custom,whoallsensedotheat, Ofhabitsdevil,isangelyetinthis, Thattotheuseofactionsfairandgood Helikewisegivesafrockorlivery, Thataptlyisputon.Refrainto-night, Andthatshalllendakindofeasiness Tothenextabstinence;thenextmoreeasy; Forusealmostcanchangethestampofnature, Andeithermasterthedevil,orthrowhimout Withwondrouspotency. (III.iv.160-170 "virtue"はなくても、あるように振舞うように、と彼は王妃に言う。その

ように振舞っていれば、やがて習'慣の力によって、その演技が本心となるだ

ろう、と。'appearance'と'reality'の関係についての、新しい考察がここに

ある。旅役者に演じさせた芝居は、それ自身は、'appearance'でありながら

'reality'を暴くものであった。ここでは'appearance'が'reality'となってゆ

く。この王妃への助言は「装い偽ること」の、さらに別の面を、ハムレット

が認識しつつあることを示しているのではないか。

演技についてのハムレットの認識がここまで深まったところで、彼は一時、

舞台から姿を消す。イギリスへ送られるのである。その前にもう一度、まだ

復誉を果していないことで彼は自分を責める。フォーティンブラス(Fortin-bras)率いる軍隊とすれ違った時のことである。 21)Abel,op.cit.,p.48(訳書、107-8頁.

(24)

『ハムレットjにおける「演技」と「誠実」 Howalloccasionsdoinformagainstme, Andspurmydullrevenge1 Idonotknow WhyyetIlivetosayThisthing'stodo/

SithIhavecause,andwill,andstrength,andmeans,

Todo't. Rightlytobegreat Isnottostirwithoutgreatargument, Butgreatlytofindquarrelinastraw

Whenhonour'satthestake.HowstandIthen,

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Excitementsofmyreasonandmyblood, Andletallsleep,whiletomyshameIsee

Theimminentdeathoftwentythousandmen,

Thatforafantasyandtrickoffame

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Whereonthenumberscannottrythecause,

Whichisnottombenoughandcontinent

Tohidetheslain?Oh,fromthistimeforth,

Mythoughtsbebloody,orbenothingworth!

(1V.iv、32-33,43-46,53-66) 23

ここには、行為への意欲が示されているようだ。そして、次に舞台に現わ

れて、ホレーショーにイギリス行きの顛末を語るのを聞けば、その間のハム

レットは、国王の親書のすりかえ、海賊船への乗り移りと、まさに行為の人

と呼んでさしつかえない。シェイクスピアにおいて、しばしばそうであるよ

(25)

うに、「海」というものを、人を変貌させる要素として、この劇でも使ってい

る、と考えることも可能であろう。22)ともかく、ハムレットは、「運命」とい

うものについて新たな認識を得て帰って来る。彼はホレーショーに言う。 ..、Rashly,− Andpraisedberashnessforit,letusknow, Ourindiscretionsometimesservesuswell Whenourdeepplotsdofail;andthatshouldteachus There'sadivinitythatshapesourends, Rough-hewthemwewill. (V.ii.6-11) ここでdivinity"を口にするハムレットは、どうやら、神(あるいは運命)

の書く芝居の中の登場人物である自分、という認識に達し、それを受け容れ

たのではないか。23)国王の親書を開いてみて、その極悪非道の文面を見た時、 とハムレットは語る。 EreIcouldmakeaprologuetomybrains, Theyhadbeguntheplay... (V.ii.30-31) 長い間、無為の人であったハムレットは、とうとう行為を−あるいは演技 を−始める。書き換えた親書に、どうやって封印したのか、と尋ねるホレ ーショーに、ハムレットは答える。 22)また、マックは、シェイクスピアの作品において、人物がしばらく舞台から姿を消す ことは、ふつうその性格の発展を暗示すること、さらに、ハムレットの服装の変化に 注意を促している。Mack,op.cit,p.259. 23)Mack,op.cit.,p.260.

(26)

『ハムレット』における「演技」と「誠実」 Why,eveninthatwasheavenordinant Ihadmyfather'ssignetinmypurse. 25 (V.ii.48-49 heavenordinant"と彼も言うように、彼を動かしているのは、天、あるい は運命であろう。亡霊の命じた復誉者、という役割をなかなか受け容れられ なかったハムレットは、しかし、運命の中で否応なく行動を始めてしまって いる。 ホレーショーに、これを語る直前は、墓場の場面、ハムレットが再び舞台

に登場する最初の場面であり、意味深いものを含んでいる。墓掘り男と言葉

を交しながら、かつて道化のヨリックであったどくろを眺めて彼は言う。

Alas,poorYorick!...Wherebeyourgibesnow?your

gambols?yoursongs?yourflashesofmerriment,thatwerewont tosetthetableonaroar?Notonenow,tomockyourown grinning?quitechop-fallen?Nowgetyoutomylady'schamber, andtellher,letherpaintaninchthick,tothisfavourshemust come;makeherlaughatthat. (V.i.173,178-184) 「どんなに厚化粧しても、結局はこのような顔」にしてしまう、アレキサン

ダーさえ一片の土くれに化してしまう死。そこへオフィーリアの葬列がやっ

て来る。墓穴の中でのレアティーズとのやりとりは、しかしながら、演技の

過剰を嫌うハムレットの面目をもう一度、躍如とさせるものである。レアテ

イーズが墓穴へ跳び込んで大げさに嘆き悲しむのに腹を立てたハムレット は、負けずに大言壮語する。 'Swounds,showmewhatthou'ltdo:

(27)

WOC,tweep?woo'tfight?woo,tfast?woo'ttearthyself? Woo,tdrinkupeisel?eatacrocodile? I'11do't・Dostthoucomeheretowhine? Tooutfacemewithleapinginhergrave? Beburiedquickwithher,andsowillI. And,ifthouprateofmountains,letthemthrow Millionsofacresonus,tillourground, Singeinghispateagainsttheburningzone, MakeOssalikeawart!Nay,andthou'ltmouth, I'llrantaswellasthou. V.i.262-272) 感’情を大げさに表現することへの反溌のあまり、彼自身がその誤ちを犯し てしまっている。と同時に、この場のハムレットには「表現」への奇妙な意 欲をも見てとれることは否めない。24)しかし、この後には、「われを忘れた振 舞」はもう見られない。王妃の言葉は、まるで先を予言しているかのようで ある。 Thisismeremadness; Andthusawhilethefitwillworkonhim; Anon,aspatientasthefemaledove Whenthathergoldencoupletsaredisclosed, 24)ハムレット、レアテイーズ、フォーティンブラスのうちに、「同一人物の三つの相、三 つの段階、三つの化身」を見るパリス(JeanParis)は、ハムレットが復騨を果たす ためにはこの墓穴の中で掴みあうことによってレアテイーズと一体化し、彼から勇猛 さを借り受けねばならないのだ、と述べる。象徴的解釈に過ぎるとしても「行為」あ るいは「表現」への、ハムレットの態度の変化に注目している点で興味深い指摘であ る。ジャン・パリス『ハムレットー構造分析的試論』(岡三郎他訳、国文社、1979)、 49,52,54頁。

(28)

『ハムレット』における「演技」と「誠実」 Hissilencewillsitdrooping. (V、i.272-276 27 この墓場の場面を最後の「発作」として、ハムレットは以後、黙りがちで ある。以前のように自らの復讐の遅滞について苦悩することもない。しかし、 機会が来れば、王を殺すつもりでいることは疑いない。 Doseitnot,thinks,tthee,standmenowupon− Hethathathkill'dmyking,andwhoredmymother; Popp'dinbetweentheelectionandmyhopes; Thrownouthisangleformyproperlife, Andwithsuchcozenage-is'tnotperfectconscience Toquithimwiththisarm?andis,tnottobedamn'd, Toletthiscankerofournaturecome lnfurtherevil? V.ii.63-70) もっとも、こうホレーショーに向って王の罪状を並べ上げる口振りは、他 人事のようであり、また、同時に、自分に言い聞かせるような響きを持って いる。それが本当の自分の感'情を表現することになるのかどうか、王を殺す ことが、本当に自分の望んでいることかどうか、もはや彼は云々しない。「天 しもと の答」("theirscourge"III.iv.175)となって、彼自身の手で主を打ち果す ("quithimwiththisarm")ことを、彼は運命として受け容れたのだろう。 レアテイーズとの剣の試合が申し込まれると、彼は、すべてを運命の手に委 ねる。ホレーショーに彼は言う。 ...there'saspecialprovidenceinthefallofasparrow.Ifit benow,'tisnottocome;ifitbenottocome,itwillbenow;ifit

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aughtheleaves,knows,whatis,ttoleavebetimes?Letbe. (V.ii.207-211)

彼が運命一あるいは神一に振られた役割を遂に受け容れたことを、観

客が十分に納得できる理由は、イギリス行きに至るまでに、演技についての

認識がかなり熟していたこと、彼が舞台から一時姿を消すこと、そして墓場

の場面での死についての哲学的考察、等々があげられるだろう。しかし、最

も直接的に、感覚的にそれを納得させるのは、最後の御前試合の場面である。

そこにはもう、「硬い」、忌わしい肉体はなく、心の命じるままに、跳び、は

ずむ、柔軟な肉体がある。御前試合は、一種の"show"("I'llplaythisbout

first"V.ii.271)であり、劇中劇以前の、演技を忌避するハムレットであれ

ば、出演することを断わったかもしれない代物である。しかし、演技につい

ての認識、そして死についての認識を深めた彼は、王の貢を知ってか知らず

か、’快よく出場を承知する。そして、そこでは稽古用の剣は、本物の剣とす

りかえられており、御前試合という闘いの「演技」は本物の決闘となり、塗

られていた毒のために、勝負を一本とられることは本当の死につながる。そ

して、その「演技」は、王の毒杯と毒を塗った剣という殺人の謀り事の真相

を暴くことにもつながってゆく。闘いの「演技」は、いつのまにか「本物」

となってゆくのだ。そしてハムレットは、王妃の死と王の謀り事を知って激

昂し、その肉体と精神が最も高揚した瞬間に、王を殺し、復誉を果たす。そ

の瞬間には、王を殺すという行為と、彼の内部の「感'情」にはずれはないだ

ろうと思われる。彼がホレーショーに理想を見た、「感情」と「表現」が完全

に一致した人間がここに出現するのではないか。「演技」を受け容れた時には

じめて、ハムレットは、行動することが可能になり、彼の内部と外部の分裂

の意識は消え失せたのではないか。

この御前試合は、演技と真実の関係について、この劇にちりばめられてい

た考察を見事に示しているように思われる。そして、観客は、長らく演技を

(30)

『ハムレット』における「演技」と「誠実」 29 拒否していたハムレットが、拒否していたが故に失っていた身体'性を回復し、 彼にとって不可能であった行為というものを回復したことを、その肉体の躍 動によって感じとるのではないか。そしてそれによって、一種のカタルシス を経験するのではないか。 Iamdead,Horatio.−Wretchedqueen,adieu1− Youthatlookpaleandtrembleatthischance Thatarebutmutesoraudiencetothisact.. (V.ii.320-322 死 に 際 し て 、 ま わ り の 人 々 を ハ ム レ ッ ト は 芝 居 の 観 客 に た と え る が 、 し か し、そこには、自らの行為を「演技」であり偽物だとして卑しむ意識はなく、 反対に運命の芝居の中の一登場人物として役割を果たし終えた満足のような ものがうかがえるようだ。そして、このことばによって、突然、舞台上の廷 臣達と、劇中世界は広がって劇場の観客を包み込む。25)観客達も、ハムレット と同じく、世界劇場の一役者には違いないのだから。 『ハムレット』は、解釈者の数だけの解釈を許すほど豊かで複雑な要素を含 んでいるし、また必ずしも一つの解釈が他の解釈を排除するとも限らないよ うである。しかし、現代の我々にとってとりわけ興味深いのは、トリリング が指摘したように、「誠実の観念、自分自身の自我とそれを知りそれを表わす ことの困難」26)という問題を抱えこんでいるからではないか。 ヨーロッパの倫理的生活はその歴史のある時点で新しい要素、われ シ ン セ リ テ イ われが誠実と呼ぶ自我の状態ないし特質を自らに付け加えた。 25)Barton,op.cit.,p.164. 26)Trilling,op.cit.,p.10(訳書、19頁).

(31)

と、トリリングは述べる。誠実とは、「先ず第一に建前と実際の感情との一致」

を指している。「この一致に価値をおくということが、倫理生活上の新しい要

素と化した」27)のは、十六世紀のヨーロッパ(とりわけイギリスとフランス)

においてである。

しかしながら、「私たちが忠実たるべき自我の存在する場所はどこにあるの

かという問題ばかりでなく、そもそもわれわれが探しているものは一体いか

なるものであるのかという点においてもわれわれの当惑は依然変りない」

し、28)また、その点に深く立ち入ることは本論の規模を越える問題であろう。

ただ、社会の要請に従って、我々がさまざまの役割を演ずる際に、外部(社

会、ないし他者)の規準にあわせ、役割に没頭すればするほど、奇妙な喪失

感を経験することが時としてあることを確認しておけば充分だと思われる。

デンマークの宮廷でハムレットに課される役割は、現王の「親愛なる息子」

であったり、亡き父、先王の復響者、といったもので、それは現代の我々に

とっての社会の要請とかなり異なるものかもしれない。しかしそれにもかか

わらず、『ハムレット』は、我々の当惑を分け持っているように見える。主人

公ハムレットの「装い偽ること」への暇吐感、感情と表現の一致への渇望(役

者への指導や、ホレーショーヘの賛美)、その行動の欠如そのものが、そして

彼の狂気の素振り("anticdisposition")さえもが彼が誠実の概念、自分自身

の自我とそれを知りそれを表わすことの困難さにとりつかれているためであ

るかのように思えてくる。

「誠実」の観念を押しすすめてゆくと−つまり、自分の本当の自我にのみ

忠実であろうとすれば−たいていの表現は虚偽として退けられてしまうこ

ア ー ト

とになるだろう。それは、まかり間違えば、芸術そのものをも虚偽として否

定する危険'性をはらんでいる。『ハムレットjという芝居は、まさにこの危険

な観念をめぐって作り上げられていると言ってもよかろう。しかし、その危

険な力は、劇の結末において別種の力にとり込まれてゆく。それは、「この世

27)Trilling,op.cit.,p.2(訳書、9頁). 28)Trilling,op.cit.,p.5(訳書、13頁).

(32)

『ハムレットjにおける「演技」と「誠実」 31 はすべて舞台」、世界劇場のメタファーの力であり、その時までにこの観念が 力強く表わされれば表わされていただけ、このメタファーのもたらす感動も 深いと思われる。「誠実」は、このメタファーにおいて、「演技」との和解に 達するようだ。 我々が最初に注目したハムレットの、「見かけ」を否定し、自分には「見か けを越えた内部」があると述べるセリフの否定語の多さと、「内部」に関する 表現の暖昧さがいみじくも示していたように、彼の内部、彼の本当の自我が どんなものであるのかは、ついに明らかにされていない。先に見たように、 航海から帰ったハムレットは、天が定めた役割を演ずることに甘んじて、自 らの「内部」については沈黙してしまっている。シェイクスピアは、劇の結 末において、演技を拒否するのではなく、許容する精神状態にこそ、自己認 識と自己表現の道が開かれていることを暗示しているのだろうか。ハムレッ トは、神(あるいは運命)という劇作家の命ずる役割そのものを真の自己表 現として受け容れたのだろうか。"Therestissilence."(V.ii.345)ハムレ ットが最終的に口を閉ざしてしまうことによって、謎は残る。しかしその謎 こそ、本当の自我のありかを尋ねあぐねている我々を、彼がひきつける所以 であるとも思える。謎は残るものの、同時に、この沈黙と、自己放棄一ら しきもの−こそ、また、曲がりなりにも、ハムレットに、受け容れ難い運 命を受け容れる、悲劇の主人公としての地位を与え、我々の畏れの混じった 愛情と'憐'閥を誘う要因ともなっているのではないか。

参照

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