幼児期における宗教的情操の涵養:仏教・キリスト教・神道保育の比較研究
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(2) 目. 次. 序章・一・・・・・… 一・・・・・・・・・・… 一… 1 第1章 日本にお1ナる宗教教育の現状. 第1節 宗教と教育の歴史的展開・・・・・・・・・・・・…. 7. 第2節 宗教的情操教育をめぐる諸見解・・・・・・・・・…. 12. 第3節 わが国における現代宗教保育の主潮・・・・・・・…. 17. 第2章 保育における宗教的情操のエレメント 第1節 保育目標に表れた生命観と人間観・・・・・・・・…. 26. 第2節 宗教的被色感を基盤とした幼児の安定・・・・・・…. 30. 第3節 宗教規範の実践原理・・・・・・・・・…. 一・・一・34. 第3章 観察から見える宗教的情操教育. 第1節つながりを求める仏教保育・・・・・・・・・・・… 41 第2節 神への信頼を育むキリスト教保育・・・…. 一一…. 第3節 神道保育の核心たる命の連鎖・・・・・・・・・・…. 45 50. 終章・・・・・・・・・・・・・・・… 一・・・・・・… 55 資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 60. 謝辞・・・・・・・・・・・・… 一・・・・・… 一・・62.
(3) 序章 現代目本において,何らかの信仰を持っている人はおおよそ3割であると言われている。. 戦後50年の日本人の宗教意識を調査すると,昭和20年代は「信仰あり」という回答は5 書I」を越すものであったが,昭和30年代以降からは約3割となっており,現在も横ばいで ある1。アメリカでは77%の人が信仰を持っており,イギリス・フランス共に50%で,ド. イツ57%,イタリア88%であり,欧米では半分以上の人が何らかの信仰を持っているよ うである2。諸外国に比べると,日本人の宗教意識はそれほど高いようには感じられない。. しかし,私たちの普段の生活において「宗教的なもの」とは表現されずに取り込まれてい る。例えば,日本人の多くは家の信仰として仏教を挙げる。また,7割の人が初詣や七五 三などに参ると言われている。このように日本人の多くは,「ある宗教を信仰している」と. 意識に反映されてはいないものの,宗教に基づいた文化や行動,または道徳心を取り込ん でいる。. そういった文化,行動は教育を通して伝達される。古来,教育とは「先立つ世代が次の 世代に精神的な文化財を伝達すること」(フリードリッヒ・パウルゼン1846∼1908)であ り,また「精神的な財産を子孫に譲り渡すこと」(オットー・ヴィルマン1839∼1920)と 考えられてきた3。教育は,私たちの先人たちが創りあげてきた財産を伝達,継承する人間. の営みなのである。また文化の伝達や継承は情報を発信する者,つまり大人や教師の一方 的な働きかけに限定されない。情報を受取る者,子どもや生徒との相互作用によって成立 する営為である。受取り手が情報の解釈と判断を行い,自己の経験と照らし合わせて,情 報の取捨選択を行う。それにより文化は維持と変容を繰り返すのである。. 教育の場を文化の伝達,継承の場として捉えるなら,その文化の中身とは一体何か。そ れは上記したように「先人たちが創りあげてきた精神的な財産」,つまり言語や学問,芸術,. 道徳,宗教などである。しかし日本では現在,公立の学校において特定の宗教を教えるこ とは禁止されている。教育基本法第15条では,「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会 生活における地位は,教育上これを尊重しなければならない。国及び地方公共団体が設置 する学校は,特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と規定し ている。. 宗教教育とは,「広い意味では宗教に関する知識を与え,宗教的情操を養い,もって人 間の宗教心を開発し,人間の完成を期する教育である。狭い意味ではある特定の宗教宗派 の教義を教え,その儀式を行うことを言う」4。宗教教育は大別して,宗教的知識教育・宗. 1.
(4) 教的情操教育・宗派教育の3っから成り立っている。教育基本法が禁止しているのは,特 定の宗教宗派を教えるという宗派教育であり,宗教の客観的な知識を教える宗教的知識教 育は,公立でも禁止されていないと解釈されている。しかし,宗教的情操教育をめぐって は議論が分かれている。. 情操とは,家塚高志によると,感情と思考が複合したものであり,感情的な側面は情動 を引きおこす心のかまえである5。その心の構えを家塚は,感動できる心と言い換え,「価. 値にふれて心が大きくふるえる。さまざまな価値に対して心が閉ざされていては感動する ことができない,いわゆるしらけた心は,情操とは程遠いものである。」6と価値に対して. 心が開かれている状態が豊かな情操であり,これは人間らしさの最も大きな特徴であると 述べている。ここで家塚が価値としているのは,芸術や学問だけでなく,誠実な生き方や 愛情あふれる行為,自己犠牲なども,人の心を打つ価値として捉えている。様々な価値を 志向する心のかまえ,レディネスとなるのが情操なのである。 価値への関心と抽象的思考は青年期に急速に発達する7。だが,それは青年期に突如とし. て現れるのではなく,幼児期や児童期からの体験や思索が基盤となることは言うまでもな い。幼児期は情操の芽を育てる時期であり,教育基本法第二条にも見られるように豊かな 情操を育むことは,教育の目指すべきところの一つなのである。. また,情操については一般的に,知的,芸術的,道徳的,宗教的などに分類して論じら れる。しかし,それらが独自に発達するのではない。家塚は「(論理的・美的・道徳的・宗. 教的等の)このような情操が切り離されてばらばらに,それぞれ独立して存在するのでは なく,それらは基底に於いて一体なのであると考えることができる」8と述べている。例え. ば,森を歩いていたとする。歩いていると道が開け,そこにきれいな色とりどりの花が一 面に広がっていたら,人は何と思うだろうか。空と花の色のコントラストに目を奪われ,. 花畑を生んだ自然に感謝するかもしれない。この感情は芸術的情操や宗教的情操が融合し た経験であり,さらに,このきれいな花畑をそのままに守っていこうと思ったなら,道徳 的情操が育まれることにもなる。また,花の香りを嗅ぎ,芳しいと感じるかもしれないし,. 自分の頬を撫でる風を感じ,自然と一体となる感覚を味わうかもしれない。このように情 操は知的,芸術的,道徳的,宗教的などは独立しであるのではなく,色々な情操が複合し,. 一つの感情や傾向をつくりあげるのである。滝沢は,「真善美の価値追究の情操は,別々に. 発達するものではなく,一つの情操の発達は他の情操の発達を促すこととなる」と指摘し ており,そのために偏らない豊かな価値感得の場を子どもに提供すべきであると述べてい. 2.
(5) るg。. 特に宗教的情操教育は,「命の大切さ」を取り扱うものである。それは,従来から宗教 的情操教育では,生命の根源に対して畏敬の念を育むことや,命の不思議さ,素晴らしさ に気づくことが目標とされてきたからである。命の大切さや素晴らしさに気づき,自他の 生命を尊重することは何ものにも代えがたい情操である。位置づけが不明瞭なために,公 立では宗教的情操教育は遠ざかっているが,知的,芸術的情操などと共に,宗教的情操も 育まれるべきなのではないだろうか。. このように,宗教的情操教育は必要であると考えられるが,果たしてそれが公立ででき るだろうか。その問題について,可能であるという立場と不可能であるという立場が存在 する。可能であるという立場は,特定の宗派に基づかない宗教的情操が存在し,それは公 立の学校でも教えることができる1Oという意見である。反対に不可能という立場は,特定 の宗派に立たなければ宗教的情操は生まれない,そのため宗教的情操教育は宗教立の学校 で行うべき11というものである。前者の立場から,特定の宗教に基づかない宗教的情操教 育行うのであれば,公立学校において可能であろう。しかし実際,教育現場では「特定の 宗教に基づかない宗教的情操」とは何か,それがともすると宗派教育に陥ってしまうこと を危惧して宗教的情操教育を遠ざけている。そして,宗教を教えること,取り扱うことは 一種のタブーとなっている12。. そこで,本研究ではその議論の的となっている,特定の宗派に基づかない宗教的情操教 育が可能かどうか検討してみたい。宗教系幼稚園・保育所に焦点を当て,そこで行われて いる宗教的情操教育を比較して,その共通性を取り出すことによって,「諸宗教に通底する. 宗教的情操」の可能性を探っていく。各宗教における原理や,理想を達成するための制度 (加入儀礼や礼拝様式,教会・寺院システム)はそれぞれ大きく異なることは明白である。. しかし,いのちへの畏敬や聖なるものへの憧れなどの,制度化されていない原始的な宗教 的精神性があるのではないだろうか。それは特定の宗教の枠,さらには公立や宗教系私学 の垣根を超え,大切にされなければならない,人間社会が古来より尊重してきたものなの ではないだろうか。. 第1章では,日本における宗教と教育の関係を歴史的に概観して,両者の関係を考察す る。現在,宗教的情操教育を行なう上で何が問題となっているのか,それを取り巻く議論 を取り上げる。そして宗教系保育では,どのような教育が行なわれ,いかにして宗教的情 操を溜養しているのかを,キリスト教保育連盟13,日本仏教保育協会14,全国神社保育団. 3.
(6) 体連合会15から発行されている指針やテキストを用いて分析する。. 第2章では,各宗教の人間観と生命観,そこから導きだされた人間と神の関係を,ボル ノーが提唱した「被色感」という概念を手がかりに論考する。さらに宗教集団内において 重要と見倣されている規範,倫理観という側面から,多面的に検討する。それが如何なる 原理で成り立っているのかを明らかにして,共通性や差異を取り上げる。. 抽出された共通の宗教的情操をキーワードとして,第3章では各宗教系幼稚園・保育所 の事例を分析する。事例は,第2章で取り出された概念とともに,それぞれの宗教が重要 と見倣している情操にも着目する。そこに各宗教のメッセージがあると考えたからである。. 終章では,各宗教の共通性をもって,諸宗教に通底する宗教的情操教育とは何かを明ら かにして,それが公立学校園で実践可能なのかどうか,検討してみたい。. 4.
(7) 引用文献 1石井研士「戦後50年の日本人の宗教意識の変化・上・」,『神道宗教』(158),1995年, pp.28−56. 2林文「現代日本人にとっての信仰の有無と宗教的な心一日本人の国民性調査と国際比較 調査から一」『統計数理』第58巻第1号,統計数理研究所,2010年,pp.39.59 「世界価値観調査(Wor1d Va1ue Survey)」報告書(電通総研・日本リサーチセンター,. 2008)から引用 3小笠原道雄編書『文化伝達と教育』,福村出版,1988年 4教育法令研究会『教育基本法の解説』,国立書院,1947年 5家塚高志「人間形成における宗教的情操教育の意義」(日本宗教学会「宗教と教育に関 する委員会」篇『宗教教育の理論と実際』,鈴木出版,1985年)p.25 6同上,pp.25・26 7高須一「1生きる力1と豊かな感性や情操をはぐくむ教育」『初等教育資料』(785), 2002年,pp.2・7. 8家塚高志「宗教教育の理念」(日本宗教学会「宗教と教育に関する委員会」篇『宗教教育 の理論と実際』鈴木出版,1985年,p.27) 9滝沢武久「幼児期の情操教育」『日本教育』(390),日本教育会,2010年,pp10・13 10杉原誠四郎「宗教心と宗教的情操」(杉原誠四郎・大崎素史・貝塚茂樹『日本の宗教教 育と宗教文化』,文化書房博文杜,2004年) 11山口和孝「戦後の宗教と教育をめぐる争点と課題」,『教育學研究』65(4),1998年, pp.324’333. 12中村清「公教育における宗教教育の必要性」,『宇都宮大学教育学部紀要』第1部(55), 2005年,PP.1・13 13キリスト教保育連盟『改訂キリスト教保育指針』,キリスト教保育連盟,2000年 14上村映雄・米野末禎『仏教保育ハンドブック』,創作出版,1980年 15全国神社保育団体連合会設立五十周年事業委員会『鎮守の森を保育の庭に(上・下巻)』,. 学習研究杜,2001年. 5.
(8) 第1章日本における宗教教育の現状.
(9) 第1節宗教と教育の歴史的展開 古来より宗教は人間形成に深く関わってきた。それは人間が社会を築き,共存共栄して いくために必要な道徳が,宗教的権威に裏付けられて成立してきたからである。特にヨー ロッパではキリスト教道徳に従うことが人間的に成熟した人物の条件と考えられてきた。. 中世の神学者でスコラ哲学の大成者であるトマス・アクィナス(Thomas Aquinas1225 頃∼1274)は「宗教は徳として論じられ,宗教は固有に神への秩序をもたらすもの」1と 宗教を定義している。このように西欧の基本的な精神的伝統においては,神の秩序に従う ことが道徳の基礎であり,根本に属するものとして理解されていた。 教育に関しても,その開拓を担った者はプロテスタントが多いことは周知の通りである。. 例えば「近代教授学の祖」と呼ばれているコメニウス(Johann Amos Comenius1592∼ 1670)は,プロテスタントの一宗派であるボヘミア同胞教団の牧師であった。彼によれば, 人間は「教育される動物」であり「教育されなくては人間は人間になることはできない」2。. 人間は神の似姿であり,神の息によって命を与えられた神の特性である全知,物事の知識 を獲得する力を生まれつき備えていると主張した。神の伴侶となるために人間は創造され,. 他の動物と異なり理性をはじめ不断に自分の能力を働かせることにより,来世における永 遠の生命を獲得するための準備をしなくてはならない3。その準備というのが教育であった のである。. 彼は「人間形成は,人生の・最初の時期に行われるのが最も適切であり,また,この時 期を失しては行われないこと」4と幼児期からの教育を強く打ち出している。その理由は, 「すべて育ち行くものの本性とは,柔軟な間は実にたやすく曲げたり形をつけたりできる けども硬くなったらいうことをきかなくなる」5と述べている。つまり成人した大人に比べ て幼児には可塑性があり,教育次第で如何様にも形成できるのである。また,「生命の不安」. から幼児期の教育の必要性を主張している。コメニウスが生きた当時のキリスト者は,現 世の生命よりも永遠の生命を重視しており,現世は永遠の命のための準備期間であると考 えていた。そのためには神に帰依する心を身に付けさせなくてはならないのだが,当時は まだ医療がそれほど発展しておらず,乳幼児は敬神の心が表れる前に死亡してしまう危険 性が高かった。それを見越してコメニウスは「理性をそなえ・知恵を持ち・徳に溢れる・ 敬度な動物」6に育てるために,「死を先に越される人がいないように,なにをおいてもま ず急いでこの準備にとりかかなければならない」7と,永遠の生命を獲得するための早期教 育を勧めていたのだった。. 7.
(10) また幼稚園の創設者として知られているフレーベル(Friedrich Wi1he1mAugust Frδbe1. 1782∼1852)も,ルター派牧師の家庭に生まれ,彼自身もプロテスタントであった。フレ ーベルは子どもの中に神的なものを見出し,それを引き出すことが教育の目的であると説 いた。. 「すべてのもののなかに,永遠の法則が,宿り,働き,かつ支配している。この法則. は,外なるもの,すなわち自然のなかにも,内なるもの,すなわち精神のなかにも, 自然と精神を統一するもの,すなわち生命のなかにも,つねに同様に明瞭に,かつ判 明に現われてきたし,また現に現われている。」8. これは『人間の教育』の冒頭の文章であるが,フレーベルの宗教観や人問観を象徴して いる。ここで言う「永遠の法則」とは自然科学の法則と解釈できるが9,さらにこの法則を 動かし,統一している者が神なのである。「すべてのものは,神的なものから,神から生じ,. 神的なものによってのみ,神によってのみ制約される。神のなかにこそ,すべてのものの 唯一の根源がある。すべてのもののなかに,神的なものが,神が,宿り,働き,かつ支配 している」1Oとあり,万物は神によって創られたものであるため,万物のなかには神の本 性が内在しているとみなされた。万物の「それぞれのもののなかに働いている神的なもの こそ,それぞれのものの本質である」11として…万有在神論を説いた。そして神が世界を 創造したように,万物もその本質を外に表現することが人間の使命なのである。フレーベ ルの思想や,彼の代名詞とも言える「愚物」は,保育の黎明期であった明治の日本に入っ てきて,保育の主流となった。. このようにヨーロッパでは,キリスト教が人間に対する教育の意義を見出し,教育は発 展していった。さてわが国では,宗教と教育はといかに関わってきたのだろうか。日本の 教育の進展に大きく貢献しているのは仏教である。「仏教と教育」といえば寺子屋が思い出. されるだろう。寺子屋は,もともと出家前の少年が寺院に召使いのように住んだことが始 まりである。その後勉学だけを目的として一般の子どもも通うようになり,江戸時代に入 って急激に,寺院に通って手習いを受けるという通学制の形態が増えた。寺院が教育を施 したため,寺子屋と呼ばれているが,江戸末期では僧侶が開いているのはほんのわずかで,. 一般人による場合が圧倒的に多かった。しかし,寺院で始まったものであるから,教育内 容は仏教的なものが多かったようである12.. 8.
(11) 仏教徒による幼児教育については,おそらく明治30年代以前においてどこかで幼稚園・ 託児所を開いていたと推測されているが,資料は確認できていないよ一うである13。寺院関. 係者が幼稚園を開設したもののうち,最も古い現存する記録は,どちらも明治34年開設 の常葉幼稚園(真宗大谷派)と足利幼稚園(真言宗)である。常葉幼稚園は僧侶である橋 川恵順によって建てられ,「子どもは仏の子」という仏教の精神で幼児の教育が行なわれて. いた。橋川は,学校を設立して仏教を基幹とする宗教教育を国民のなかに浸透させようと していた14。また足利幼稚園は,鍾補寺の附属の幼稚園であった。そこでは「無教育の子 守の手によって俗謡を歌い,卑俗の遊をなす者多きを憂い」15,子守を行う者に対する教 育と保育事業を展開していった。. しかし明治期後半には,宗教は教育から取り除かれることとなった。近代において,宗. 教と教育の分離の傾向が現れ始めたのは,明治32年の文部省訓令第12号「一般ノ教育ヲ シテ宗教外二特立セシムルノ作」16である。これは一般の教育を宗教外に特立させること を命じたもので,官立公立学校,学校令に準拠する高等学校以下の全ての学校学科過程に 関しては課程外であっても,宗教上の教育を施したり,儀式を行うことができないという 訓令である。この訓令の背景には,当時勢いのあったキリスト教主義の学校の進出を抑え るという目的があった。その一方で教育勅語が発布され,国家主導の下,神道を基調とし た徳育が重視されていった。そして天皇制国家権力を中心とした,国家神道的ノデオロギ ーの政策へと変化していくのである。その影響は幼児教育においても例外ではなかった。 東基吉の著書『幼稚園教育法』(明治37年)から,当時の保育の様子を窺うことができる。. 「幼稚園に於いては其多数同年輩の友と事を共にすることに依りて家庭に在りては到 底司11練せんと欲して能はさる独立自重視津忍耐遜譲社会等に関する道徳の萌芽を培養 させるることを得」17. このように幼稚園においても,規律や忍耐などが徳として扱われるようになり,子どもが 将来成長して国家や社会の「有用なる一員」18になることを見越して教育を行なうことが 求められていた。. 昭和前期になると,第二次世界大戦に向けて急激な国家主義へと突入し,幼稚園や託児 所の目的は,立派な兵隊や聖戦(戦争)に協力できる人を育てることに重点が置かれた。. 保育の内容や指導方法においても皇国民錬成,国民精神の高揚,戦争遂行といった戦時国 9.
(12) 家の要請が強く反映されることとなった19。. 戦後は,日本が敗戦国としてアメリカの占領下に置かれることとなり,既存の教育は抜. 本的改革を迫られることになった。そこで日本政府は昭和20年9月15日にr新目本建設 ノ教育方針」を打ち出した。内容は以下の通りである。. 「新事態二即応スル教育方針ノ確立ニツキ鋭意努力中デ,近ク成案ヲ得ル見込ミデア. ルガ,今後ノ教育ハ並々国体ノ護持二発ムルト共二軍国的思想及施策ヲ払拭シ平和国 家ノ建設ヲ目途トシ 国民ノ宗教的情操ヲ酒養シ敬度ナル信仰心ヲ啓培シ,神仏ヲ崇 メ独リラ慎ムノ精神ヲ体得セシメテ道義新日本ノ建設二資スル」20. この方針はその後に公布された日本国憲法や教育基本法の理念に大きな影響を与えたと言 われている21。終戦直後の時期において,文部大臣が宗教的情操の酒養を重視していたこ とは,注目すべき点である。また,政府は「宗教的情操に関する決議」(昭和21年8月15 目)を帝国議会において決議している。. 「永久に戦争を放棄し,国民の安全と生活をあげて世界の公正と信義にゆだねようと. 決議したわれらは,「戦争は罪悪である」という信念を以て,世界恒久平和運動を展 開しなければならない。そのためには宗教的自覚による四海同胞,隣人愛,社会奉仕 の思想を普及徹底させると共に,宗教的情操の陶治を尊重せしめ,以て,道義の昂揚 と文化の向上を期さなければならない。」. このように世界恒久の平和のためには,宗教的自覚が必要であり,その思想と宗教的情操 の陶冶の尊重を説いている。戦後まもなくは「新目本建設ノ教育方針」や「宗教的情操に. 関する決議」に見られるように,宗教的情操を重視する傾向にあった。そして,昭和20 年9月21日の教育基本法要綱草案では,「宗教的情操の酒養は,教育上これを重視しなけ ればならないこと。ただし,公官立の学校は,特定の宗派的教育及び活動をしてはならな いこと。」22と成案が完成していた。しかし公布された教育基本法9条では,「宗教に関す る寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は,教育上これを尊重しなければならない。. 国及び地方公共団体が設置する学校は,特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動を してはならない。」と,「宗教的情操の酒養」という言葉が取り消され,「重視」が「尊重」. 10.
(13) という文言へと変更されている。この変更の過程にはGHQからの強い修正要望があった という。つまり,アメリカ側は,「宗教的情操の滴養」はある特定の宗教宗派の信仰がなけ. れば酒養は不可能であり,宗教教育は客観的・中立的なものでなければならないと考えて いたのである。日本政府は,宗教教育,特に宗教的情操教育を不可欠としながらも,「宗教. 的情操」なるものは宗教宗派と切り離せないのではないかという間いに対して,適切な回. 答ができなかった23。そして昭和22年3月31日に教育基本法が成立した。. 11.
(14) 第2節宗教的情操の育成をめぐる諸見解 現在においても,公立学校で宗教的情操教育ができるか否かという問題に関しては様々 な意見が出されており,それを取り巻く議論は多岐にわたっている。公立学校は特定の宗 教を教えることができない。そのため宗教的情操は特定の宗教宗派を離れて成立するか, という点に議論の焦点は当てられている。「成立しない」という主な意見は,宗派的信仰な. しに一般的なる宗教的情操なるものは発生し得ない,というものである。宗教的情操は礼 拝や儀礼を含む何らかの宗教的な実践活動の積み重ねと,それに伴う感情によって形成す ると主張されている24。また,宗教なきところにモラルが維持されるか,という疑問も存 在し得る。. これに対して「成立する」という意見は,特定の宗教宗派を離れて成立するものとして 「生命の根源に対する畏敬の念」を挙げる。「生命の根源に対する畏敬の念」は1966年の. 中央教育審議会答中の別記「期待される人間像」の中で明記されている。それは以下の通 りである。. すべての宗教的情操は,生命の根源に対する畏敬の念に由来する。われわれはみず から自己の生命を生んだのではない。われわれの生命の根源には父母の生命があり. 民族の生命があり,人類の生命がある。ここにいう生命とは,もとより単に肉体的 な生命だけをさすのではない。われわれには精神的な生命がある。このような生命 の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操であり,人間の尊厳 もそれに基づき,深い感謝の念もそこからわき,真の幸福もそれに基づく。25. 「期待される人間像」において初めて文部省が政策文書として「宗教的情操」を定義した。. この「期待される人間像」が打ち出されて以来,初等・中等教育では「生命の根源に対す る畏敬の念」を育むことが宗教的情操教育であると捉えてきた。. しかし「生命の根源に対する畏敬の念」の教育は,現在に至るまでに少しずつ変化を見 せている。岩田は,現在の「生命の根源に対する畏敬の念」は,「聖なるもの」,「生命の根. 源」という言葉が削られ,「人間の力を超えたもの」と表現されるようになったと指摘して いる26。また「人間のカを超えたもの」の対象が「自然」や「美」となっており,「聖なる ものとしての生命の根源」を畏敬するのではなく,「自他の生命」を尊重するという表現に 留まっている。氣多はそのような現状を「「聖なるもの」,「永遠なるもの」といった表現は. 12.
(15) 教育現場では扱いにくく,そういった表現は回避されてきた」27と説明している。このよ うに,「期待される人間像」を土台として考えられてきた「生命の根源に対する畏敬の念」. であるが,近年では「宗教性を中和させた表現」28として,公教育の中に取り入れられて いる。「生命の根源」という言葉は姿を消し,現在では「人間の力を超えたもの」としての 「自然」に畏敬を払うという教育が主流になってきているようである。. これらの議論は主に,初等・中等教育で展開されている。幼児教育における「畏敬の念」. を検討している研究は,管見の限り見つけることができなかった。そこで幼児教育におけ る「畏敬の念」は一体何を指しているのかを検討していく。. 幼稚園教育要領(平成20年改訂)で「畏敬の念」が明記されているのは,「環境」の「内 容の取扱い」においてである。. 身近な事象や動植物に対する感動を伝え合い,共感し合うことなどを通して自分 からかかわろうとする意欲を育てるとともに,様々なかかわり方を通してそれら に対する親しみや畏敬の念,生命を大切にする気持ち,公共心,探究心などが養 われるようにすること. 様々な事象や自然から,自分とは違ういのちがこの世界には存在することを認識し,それ に畏敬の念を払うことによっていのちの尊さ,素晴らしさに気づき,いのちを大切にする 気持ちが育まれる29と見なされている。「自分とは違う生命に気づく」ことは,家塚が指摘 する,「人間のいのちは,本質的に人間の手の及ばない面を持っている」30という神秘性で あり,「さらにその神秘性に打たれて心がおののくという感動が加わると,いのちへの畏敬. という情操になる」31。幼稚園教育要領では,このように命あるものとの関わりや親しみ から,自分と違う生命の存在の神秘性を知り,それに畏敬を払うことによって生命の素晴 らしさ,そして生命尊重へ繋がると見倣されている。. 保育所保育指針は平成20年の改訂において,従来の「通知」から厚生労働省による「告. 示」となり,大幅に改訂された。改訂前の平成10年版では,「畏敬の念」については「6 歳児の保育の内容」,r環境」のr配慮事項」に. (1)動植物との触れ合いや飼育・栽培などを通して,自分たちの生活との関わりに気 づき,感謝の気持ちや生命を尊重する心が育つようにする。 13.
(16) (4)飼育・栽培を通して,生命を育む自然の摂理の偉大さに敬度の念を持つように配 慮する。. と明記されていた。しかし平成20年の保育所保育指針では,「自然の摂理の偉大さに敬度 の念を持つ」という言葉は削られ,「第3章」,「保育のねらい及び内容」の「環境」におい て,次のように改訂されている。. ⑦身近な動植物に親しみを持ち,いたわったり,大切にしたり,作物を育てたり,味 わうなどして,生命の尊さに気付く。. 保育所保育指針改定の中間報告32(平成19年8月3目)ではすでに,「自然の摂理の偉 大さに敬度の念を持つ」という言葉は姿を消している。保育関係団体からの意見聴取33で は,保育所保育指針を保育現場で活用するために,個々の文章を平易かつ明確に示す必要 があるという意見が出ており,そのため「自然の摂理の偉大さ」や「敬度の念を持つ」と いった表現はわかりにくいため,削除された可能性がある。氣多が指摘しているように,. わかりにくい表現は初等・中等教育の現場だけでなく保育の現場でも回避されたと考えら れる。. 意見聴取では他に,総則に「生命の尊厳への認識」等の酒養について記載することが必 要であるとの意見も出されている。その意見を反映して,改訂前の「自然や社会の事象に ついての興味や関心を育て,それらに対する豊かな心情や思考の基礎を培うこと」という 文言の一番始めに「生命」という言葉が追加された。しかし保育所保育指針の内容を見て みると,生命や自然,社会事象に対して「豊かな心情を育む」ことに配慮されたものより,. それらとの関わりによって「思考カの芽生えを培う」といったことに重点が置かれている ようである。例えば「環境」の「内容」,「自然に触れて生活し,その大きさ,美しさ,不 思議さなどに気づく」は,自然を尊いものだと感じ,畏敬の念を払うという目的よりも,. 自然との様々な関わりの中で,好奇心や探究心,思考力などの子どもが科学的な見方や考 え方の芽生えを培うことを目的としている34。幼稚園教育要領の改訂においても,「環境」. の目標では特に「思考カの芽生え」が入れ込まれていると指摘されている35。保育所保育 指針と同様,自然から「畏敬の念」だけでなく,「思考力」を培うことに重点が置かれてい るようである。 14.
(17) 上記の「⑦身近な動植物に親しみを持ち,いたわったり,大切にしたり,作物を育てた り,味わうなどして,生命の尊さに気付く」では,動植物を世話することを通して,「どの. ようにして生きているのかを考えたり,命の持っ不思議さに気づいたり,生きているのも のへの温かな感情が芽生える」36よう保育することが内容として書かれてある。これは「期. 待される人間像」で示された「生命の根源に対する畏敬の念」に近いものであろう。動植 物がどうして生きてし、、るのかと考えるとき,「生命の根源」について考えざるを得ない。「生. 命の根源」に触れ,それに畏敬することは宗教的情操である。命は「本質的に人間の手の 及ばない面」という神秘性を持っている。なぜ動植物が生きているのか,その不思議さに 気づくことは,命の神秘性に触れることであり,幼児期は今への畏敬の念を育む最初の時 期である。. このように,宗教的情操教育は「宗教的なもの」としては表現されていないが,公立の 教育の中にも見てとることができる。しかし,幼児教育においても宗教的情操は,「畏敬の 念」として取り込まれているが,「生命を育む自然の摂理の偉大さに敬度の念を持つ」とい. った,明らかに宗教性を帯びた概念は削除されている。また,公立の宗教的情操教育は限 りなく道徳教育に近いものである。つまり,道徳教育として宗教的原理が世俗化されてい るのである。. 道徳とは,ある社会で,その成員の社会に対する,あるいは成員相互間の行為の善悪を 判断する基準である37。その善悪は,人間関係の中から表れるものである。大畑は,道徳 において人間の行為が,善悪と判断されるのは,その人の行為が本人以外の人間や共同体 を強化する方向にある行為が善であり,反対にそれを破り,弱める方向にあるものが悪で あると指摘している38。このように,道徳は人間と人間の関係において成り立つものであ る。しかし,宗教は人間と神・仏との関係に成り立つものである。宗教にとっての善は,. 神や仏の教えに従うことであり,悪はそれを破ることである。古来,西欧の基本的な精神 的伝統においては,神の秩序に従うことが道徳の基礎であると理解されていたため,宗教 と道徳はきわめて密接に関係してきたと考えられる。宗教と道徳の違いは,善悪が判断さ れる際の基準が対人間であるのか,それとも対神・仏であるかという点であると言えよう。. 公立学校園においても,生命の大切さを教える教育が行われている。人間の命が一「本質. 的に人間の手の及ばない面を持っている」39ことを教え,命の神秘性に気づくことは公立 でも可能であろう。しかし,そこから一歩踏み込み,人知を超えた絶対的なものに思いを 馳せ,それへの畏敬の念を払うところに宗教性が表れる。深川は,宗教的対象であるとこ. 15.
(18) ろの絶対者や,高い価値に関する知的な認識を中心とした感情が宗教的情操であると定義 している40。また,家塚は「ある人にとって,究極的絶対的な意味をもつ価値が志向され ている場合,その価値とかかわる情操」41を宗教的情操と定義付けている。つまり,絶対 的なものへ畏敬の念に基づきながら絶対的価値を志向する精神的な工一トスが宗教的情操 なのである。氣多は,道徳教育や情操教育を深めていくと宗教的なものが表れると指摘し ている42。現在の公立の教育では,「生命の根源」や「聖なるもの」という宗教において重 要な原則が取り除かれ,「畏敬の念」は脱宗教化されている感がある。神や仏,絶対的なも. のと人間の関係で論じられなくなった「畏敬の念」は,今日道徳教育の領域で扱われるよ うになったのである。. ここに公立の宗教的情操教育の限界を感じる。そこで次節において,宗教系の幼稚園, 保育所はいかにして宗教的情操教育を行っているのか検討する。そして,そこで得られた. 宗教間の共通性と差異性を分析することで,宗教的情操の本質に迫っていきたいそれら を比較して共通性を探ることは,諸宗教に通底する宗教的情操を構成するエレメントを見 つけ出す作業になるはずである。現在,錯綜している宗教的情操問題の新たな視点が示唆 できるのではないだろうか。. 16.
(19) 第1章第3節わが国における現代宗教保育の主潮 公立学校はその特性上,宗教的情操の酒養,また「自然に対する畏敬の念」の教育を行 うことが難しい。そこで宗教をバックグラウンドとした幼稚園・保育所はどのようにして 宗教的情操を養い,生命尊重の保育を行っているのかを分析していく。. 本論文において取り扱う宗教は,仏教,キリスト教,神道である。この三つの宗教を取 り上げた理由としてはまず,日本における信者の数の多さである。『宗教年鑑』43によると. 日本における信者数は神道系が一番多 諸宗教、 4% 一9,086,268人 く52%であり,次いで仏教系が43% キリスト教系 1% である(図1)44。そしてキリスト教 2,143,710人 系が1%となっている。 キリスト教系は神道系や仏教系と比. 神道系. べて・・1少ないが,キ1ス/教系の櫛≡111111111111111111111≡. …. 89,540,834人. 幼稚園・保育所は信者の数と比較する 105,824,798人11111:l1=、. と非常に多い。キリスト教系幼稚園は. 約1,430園であり,保育園が約530園. 総数206,595,610人. で,合計約1,960国である45(2010年現在)。 一方,全国の幼稚園は13,723圓(国公. 図1 わが国の信者数 『宗教年鑑』を参考に筆者作成. 立5,431圓,私立8,292園),保育園22,699 国(国公立11,848国,私立10,851園,)46であるから(2007年調査),私立幼稚園はキリ. スト教系が約18%を占めていることになる。また,わが国の保育黎明期であった明治期の 保育者養成校は,私立ではすべてキリスト教主義であった。信者の数は決して多くないが,. このように幼児教育とキリスト教は深く結びついているため,本論文において研究の対象 としたい。以上の理由から,仏教,キリスト教,神道の三つの宗教を取り扱うことにする。. 〈仏教保育〉47. 仏教系幼稚園・保育所の数は約3,000圓であり48,宗教系の園の中では仏教が一番多い。. 現在日本の仏教は,13宗と56派に分かれている。また,仏教を母体とする新興宗教も出 現し,多くの宗派が存在している。では,仏教保育という時にはどの宗派を指すのか。杉 原によれば,仏教保育とは様々な宗派を「広く仏教として包括し,仏教原理によって保育 を行うときの総称として,仏教保育と呼ぶ」49としている。. 17.
(20) 仏教保育では,仏教を基本とした人間を形成しようとしている。どの宗教においてもそ うであるが,各宗教における理想となる人間像が保育においても重要視される。創唱的宗 教では,開祖や祖師,聖人などが理想的パーソナリティとなる場合が多い。仏教において 理想とされる人物はもちろん釈迦である。「釈尊や祖師方の実践と教えをいただき,本当に. 尊いものに目覚めるために,幼児,保護者,保育者三者一体となって毎日の生活の実践を していく」50ことが仏教保育である。仏教保育協会は,仏教教理を簡明にし,わかりやす く今日的な実践に結びつけるため「仏教保育要領」を打ち出している。. いのち. じしんふさつ. I.生命を大切にする子どもを育てます(慈心不殺). 2.正しい生活を営める子どもを育てます(広這歳麓). 3.よい社会を作り出す子どもを育てます(f袈矯進). この3つが仏教保育における大きな目標である。これらについて少し解説を加えたい。 いのち. これは仏教保育において,第一にして最大の目標である。仏教徒の基本的生活態度でも ある十六条戒の十重禁戒,第一では「不殺生戒(いのちあるものをことさらに殺さざるべ し)」とあり,この禁戒を表したのがこの目標である。しかしこれは単にいのちのあるもの,. ちいさいものを可愛がり,大切にしていくと説いたものではない。相手を大切にし,自分 が一人で生きているのではなく,世の中に生かされていることを自覚し,世のため人のた めに尽くすことに喜びを見出すことがこの目標の真意である。. 仏教でいう「正しさ」とは中道であり,かたよりがなく中道を歩むことが「正しい生活」. をおくることなのである。釈迦は苦行主義と快楽主義のいずれにも片寄らない精神集中を 内容とする八正道によって悟りに到達したとされ,極端に走ることをいましめ,中道が正 しさの基準であるとした。さらにあるがまま,どこにもあてはまる妥当性を求めているの である。. 3.よい社会を作り出す子どもを去てます(正業精進). 生命を大切にし,正しい生活を覚めば必然的によい社会が生まれてくる。人や物,すべ てのものは生かされているのであり,ひとりで生き存在しているのではない(諸法無我)。. これを仏教では縁起ともいうが,おたがいに協力しあう仲のよい社会をつくる人を保育す. 18.
(21) ることが3つ目の目標である。. これらの目標に向かい,保育を推進していく。さらに八正道や五戒なども,子どもにわ かりやすい言葉に直し,教えていく。. /キリスト教〉51. キリスト教保育連盟は,キリスト教保育の手引書として『新キリスト教保育指針』を発 行している。その中でキリスト教保育をこのように定義している。. 子ども一人ひとりが 神によっていのちを与えられたものとして,. イエス・キリストを通して示される神の愛と恵みのもとで育てられ, 今の時を喜びと感謝をもって生き, そのことのよって生涯にわたる生き方の基礎を培い,. 共に生きる社会と世界をつくる自律的な人間として育つために, 保育者が. イエス・キリストとの交わりに支えられて共に行う 意図的,継続的,反省的な働きである。52. このようなキリスト教保育を行うに当たって,子どものなかに次のような生き方が培われ ていくことを願い,キリスト教保育の目標と掲げている。. 1.子どもが,自分自身を大切なひとりとして受け入れられていることを感じ取り, 自分自身を喜びと感謝をもって受け入れるようになる。. 2.子どもがイエスを身近な存在として知ることを通して,見えない神の恵みと導き への信頼感を与えられ,「イエスさまと共に」毎日を歩もうとする思いをもつよう になる。. 3.子どもが,互いの違いを認めつつ,一緒に過ごす努力をし,そのことを喜びとす るようになる。. 4.子どもが,心を動かし,探求し,判断し,想像力をもち,創造的にさまざまな事 柄に関わるようになる。. 19.
(22) 5.子どもが,私たちの生きる自然や世界を神の恵みとして受けとめ,それらの事柄 に関心を持ち,自分たちのできることを考え,行うようになる。. 6.子どもが,してはいけないことをしようとする思いが自分の中にあることに気づ き,そのような思いに負けない勇気をもち,行動するようになる。. 『新キリスト教保育指針』には「神に生かされている」や「子ども一人ひとり」という 言葉や表現が多く書かれてある。創世記によれば,人間はもともと土の塵であったのだが,. 神がその土の塵に息を吹きいれたため,人間は生きたものとなった。また,「神は人間を御. 自分の本性の似姿として造られた」のであり,神から与えられた命は尊く,一人として欠 けてはならず,神に愛される存在なのである。それゆえ,「子どもたち一人ひとりが神によ. って創られた存在であり,それぞれ異なる賜物を与えられ,かけがいのない今という時を 生かされていることを大切にしたい」53ということを説くのである。また世界は神の創造 によって創られ,その世界に人間が生きることは,神の恵みのもとで生かされているとい うことである。日々の生活を神の恵みと感じるように保育を行うことも,キリスト教保育 の大きな特徴である。. く神道保育〉54. 神道幼稚園,保育所の数は現在,200弱55であり,キリスト教系や仏教系に比べると少 数派である。そのため神道保育の研究は決して活発ではない。しかし『宗教年鑑』で見た ように神道の信者の数は日本においては一番多い。また日本には神社が多く存在し,その 思想が「日本の基礎的メンタリティーとでもいふふうなもの」56となっていることを鑑み れば,神道を研究の対象とし,そこから宗教的情操を探ることは大きな意義があるだろう。. 日本人は古来より,山や木,太陽などの自然に神が宿ると考えてきた。そうした日本人 の信仰や風習を背景として,「神社を中心とする信仰や風習を保育園活動に取り入れ,自然 を大切にしながら豊かな感性を育むこと」57が神道保育である。 全国神社保育団体連合会では,神道保育のテキストとして,『神社保育』(1966年)や『神. 社保育ハンドブック』(1981年)を発刊しており,さらに設立50周年記念事業の一環と して2001年に『鎮守の森を保育の庭に』を発行している。その中では「命の神秘を畏敬 して,自他の人格と生命を尊重し,毎日真心を込めて力いっぱい生き,個としてのユニー クさを失うことなしに,他と調和的に生きる人」58が神道の理想的な人問と掲げている。. 20.
(23) そして,集団の中では,平和共存,共存共栄のために献身的な態度や助け合ヒ、ができる人. 間が理想的であると述べられている59。神道保育を実践している京都府岩屋保育園園長の 室田一樹は『鎮守の森を保育の庭に』の中で,「神社保育のねらいと方法」を次のようにま とめている。. ねらい. L 自己を超えたものの存在に気づき,自然への感謝と生かされる喜びを知る。. 2.風土を大切にする保育実践を通じて,地域固有の祭りや行事,風習,祈りの姿を 体験的に知る。 方法. 1.日々の保育活動に神様に感謝する時と場を持つ。. 2.神道的行事を体験する。 3.神道的視点をもって構成された人的・物的保育環境に自発的にかかわることによ り,地域の自然と文化に親しむ。. ここでいう「神道的視点」の物的環境は神社である。神道幼稚園・保育所は,神社に併設 して園舎が建てられている場合が多く,神社の本殿や鳥居などに毎日触れることによって,. 神道を身近に感じることができる。人的環境はもちろん,保育者である。保育者が行事に まつわる風習や信仰を理解していると,保育に奥行きが出る。また,子どもは「年中行事 を通して祈る大人の姿に神様仏様を感じ,感謝の気持ちと謙虚な気持ちを学ぶ」60のであ る。神道には様々な年中行事があるが,保育者自身も神様への感謝と謙虚さを持って,保 育を展開することが望ましい。. 以上,仏教,キリスト教,神道における保育目標を概観してきた。この三つにおいて共 通しているのは,人間は「生かされている」という点である。人間が何に,どうして「生 かされている」のかば,それぞれの宗教において原理が異なる。しかし人間は一人で生き ているのではなく,神や自己を超えたもの,もしくは世の中に「生かされている」ことを 宗教は説いている。そして,それらの存在に気づき,感謝することが宗教保育の重要なフ ァクターであることがわかった。第二章では,こういった生命観や人間観についてさらに ミクロの視点から分析していきたい。. 21.
(24) 引用文献. 第1節 1岸英司編『宗教の人間学』,世界思想杜,1994年,p.14 (原典,トマス・アクィナス『神学大全』). 2コメニウス著 鈴木秀男訳『大教授学』,明治図書,1962年,第六章 p.36 3乙訓稔『西洋近代幼児教育思想史一コメニウスからフレーベルまで一』,東信堂, 2005年,P.5 4目11掲書,『大教授学』,第七章 p87. 5同上,第七章 p.89 6同上,第七章 p.87 7同上,第七章 p.88 8フレーベル著 荒井氏訳『人間の教育(上)』,岩波書店,1964年,第一篇 p.11 9荘司雅子『フレーベルの生涯と思想』,玉川大学出版部,1975年,p.79 10剛掲書『人間の教育(上)』,第一篇 p12. 11同上,第一篇 p.12 12日本仏教保育協会『仏教保育講座1仏教保育の基本原理』,鈴木出版,1969年, pp.220’221. 13日本保育学会『日本幼児保育史』第二巻,フレーベル館,1968年,p.224 14同上,pp.225’226 15同上,pp.226’227. 16杉原誠四郎・大崎素史・貝塚茂樹『日本の宗教教育と宗教文化』,文化書房博文杜, 2004年,巻末資料p.278 17前掲書『日本幼児保育史』第二巻,pp.228・232 (原典,東基吉『幼稚園保育法』,pp.12・13). 18同上,p.47 19文部省『幼稚園教育九十年史』,ひかりのくに昭和出版,1969年,p.142 20前掲書『日本の宗教教育と宗教文化』,p.22 21同上,p.21. 22同上,巻末資料p.287 23杉原誠四郎「教育基本法改正問題と宗教的情操の教育」『日本仏教教育学研究』(14), 2006年,pp.18’34. 第2節 24洗建「宗教的情操教育論について(抄)」(日本学術協力財団『月刊 学術の動向』,2008 年3月号),pp.44・45 25井上順孝責任編集,國學院大學日本文化研究所篇『宗教と教育一目本の宗教教育の歴史 と現状』,弘文堂,1997年,巻末資料pp.294・295 26岩田文昭「道徳教育における<宗教性>」(国際宗教研究所編集『現代宗教2007・宗教 教育の地平・』,秋田書店,2007年)pp.84・104 27氣多雅子「宗教学の立場から『宗教的情操教育』を考える」(前掲書,『月刊 学術の動 向』)pp.46’48. 28同上,p.47. 29文部科学省『幼稚園教育要領解説』,フレーベル館,2008年,p.136 30家塚高志「人間形成における宗教的情操教育の意義」(日本宗教学会「宗教と教育に関 する委員会」篇『宗教教育の理論と実際』,鈴木出版,1985年)p.29 22.
(25) 31同上,p.29. 32厚生労働省ホームページより引用 「保育所保育指針の改定について(中間報告)」,2007年8月3日 33厚生労働省ホームページより引用 「第3回検討会における保育関係団体からの意見聴取結果」,2008年2月19日 34厚生労働省『保育所保育指針解説書』,フレーベル館,2008年,pp.82’83 35無藤隆 民秋言著『ここが変わった!NEW幼稚園教育要領・保育所保育指針ガイドブ ック』,フレーベル館,2008年,p.33 36目1』掲書,『保育所保育指針解説書』,p85 37岩波書店『広辞苑』第六版,2006年,(「道徳」より引用). 38大畑荘一『道徳教育の研究』,1973年,p.34 39家塚前掲論文,「人間形成における宗教的情操教育の意義」,p.29 40深川恒喜・千葉博編『道徳教育における宗教的情操の指導』,明治図書出版,1956年, P.46 41家塚前掲論文,「人間形成における宗教的情操教育の意義」,p.27 42氣名前掲論文,r宗教学の立場から『宗教的情操教育』を考える」,pp.46148. 第3章 43文化庁『宗教年鑑』平成21年版,ぎょうせい,2009年 44この調査では信者の総数が日本の人口を大きく上回っている。これは一人が複数の宗教 を信仰していると回答したためである。いわゆる「家の宗教」や年中行事なども,信仰 の一つとしてカウントされたと考えられる。 しかし一方で,統計数理研究所の「日本人の国民性」調査(2008年)においては,「信. 仰あり」と回答した割合は27%であり,日本において信仰を持つ者はおおよそ3割であ るといわれている。. 45キリスト教年鑑編集部『キリスト教年鑑 2010年版』,キリスト教新聞社,2010年 46佐藤達全「仏教保育に対する保育科学生の意識変化について一「仏教保育」の授業を中 心に一」『鶴見大学佛教文化研究所紀要』(13),2008年,pp.99・120 47仏教とはインドの釈迦,ゴータマ・シッダールタを開祖とする宗教である。キリスト教・ イスラム教と並んで世界三大宗教のひとっとされている。一般に,仏陀(目覚めた人) の説いた教え,また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。釈迦は,この世の中は 苦しみであると悟り(苦諦),その苦しみ,“欲”の原因は様々な煩悩で(集諦),欲望 のなくなった状態が苦滅の理想の境地であり(滅諦),その苦滅に至るためには八つの 正しい修行方法(八正道)に頼らなければならない(道諦)という四つの真理があると 説いた。これは四諦と呼ばれ,この四諦と八正道は仏教の教えの基本である。 48日本仏教保育協会編『わかりやすい仏教保育総論』,チャイルド本社,2002年 49佐藤達全「仏教保育のとらえ方一『曹洞宗保育ハンドブック』を中心に一」『日本仏教 教育学研究』(7),1999年,pp.174−179 (原典,日本仏教保育協会編集『仏教保育内容総論』,チャイルド社) 50松樹素道「仏教と幼児教育」,大正大学『日本仏教教育学研究』(8),2000年,pp.1・18 51キリスト教とは,イエスをキリスト(救世主)と認め,その人格と教えを中心とする宗 教である。神が世界を創られたという創世記から始まる旧約聖書と,イエスの誕生から 始まる新約聖書の2つが教典である。正義と慈愛に満ちた父なる神,人類の罪(原罪), キリストによる蹟罪などを説く。 52キリスト教保育連盟『新キリスト教保育指針』,キリスト教保育連盟,2010年,p.23 53キリスト教保育連盟『改言下キリスト教保育指針』,キリスト教保育連盟,2000年,p.21 54神道とは,日本に固有の宗教であり,もともと自然神に対する恐れや,農耕儀礼の一種 であった。それが8世紀ごろに伝来してきた仏教と区別するため,神道と名づけられた。 自然の力である神に対して,慈悲深い振る舞いと保護を請うことが目的とされた。神道 の儀礼は一年のうちに決まった時に行われ,一生の成長を示す諸段階に神社に参拝する。 23.
(26) 例えば七五三や成人式などで,これらは私たち日本人にとって,とても馴染みの深いも のであろう。. 55佐藤達全「仏教保育と保育者の信仰について一キリスト教保育・神道保育と比較して一」 『日本仏教教育学研究(14)』,2006年,pp.134・138 56西谷啓治『西谷啓治著作集』第19巻,創文杜,1991年,p.46 57佐藤前掲論文,「仏教保育と保育者の信仰について一キリスト教保育・神道保育と比較 して一」. 58全国神社保育団体連合会設立五十周年事業委員会『鎮守の森を保育の庭に(上巻)』,. 学習研究杜,2001年,p.31 59同上,p.31 60同上,p.108. 24.
(27) 第2章. 保育における宗教的情操のエレメント. 25.
(28) 第1節 保育目標に表れた生命観と人間観 仏教,キリスト教,神道における保育目標に共通しているのは,「生かされている」と いう実感を幼児の内面に醸成することである。諸宗教ではなぜ「生かされてる」を説くの か。その原理とそれがいかに保育の中で展開されているのか分析していく。. 仏教の教えの中心を占めるのは,悟りである。多くの宗教は,神を畏れ崇めることが根 本原理である。しかし仏教はそういった神を前提にすることなく,自らの修行によって解 脱することを目標とする。諸宗教に存在する救済の観念,つまり絶対者や他者による救済 のイメージは仏教においては中心的なものではない。仏教の目標は救済ではなく,悟りで あるため,仏(悟りを得た人)の教えの宗教であるといえよう。 仏教保育では,第一に生命尊重を掲げている。上村映雄1は「仏教のめざすものは,生命 の尊重であり,仏教保育のめざすものも,生命の尊重以外にありません」2とまで言い切っ. ている。この目標は,自分の生命を大切にするとともに,あらゆる生き物の生命を大切に すること,互いに生かし生かされていることを自覚していくことが目標となっている。こ れをいかに保育で展開するか。仏教保育では,「いただきます」という言葉を用いて,生命. 尊重を教える場合がある。食事の前に「いただきます」と合掌し挨拶をすることは,私た ちはほかの動植物の命をいただいて初めて自らの命を維持できる,という考え方に基づい ている。「いただきます」と唱える際に,いつも自分たちが口にしている食事は,元々は生. きている動物や植物であり,それをいただいて自分たちは生活している,ということを伝 え,感謝の気持ちを養おうとする。. また仏教は日本の文化や精神と大きく関わってきたため,普段の生活においても仏教か ら派生した習慣が多く存在する。「いただきます」という言葉だけでなく,「縁」という言 葉も本来は仏教における用語である。「縁がある」と言ったり「縁起がいい」と,何気なく. 言われたりするが,仏教の中心思想では,」切のもの(精神的な働きも含む)は種々の因 (原因・直接原因)や縁(条件・間接原因)によって生じると考えられている。それを保. 育では,両親がいるから子どもが生まれてくる,父と母が結婚をいう縁を得て,子どもで ある自分が生まれてくるのだ,と幼児に伝える。他にも保育現場における「縁」は,自分 は友達や保育者がいて,はじめてここに在園することができるのだと教える。「互いが無く. てはならない存在としてこの世に存在していること」3を理解し,たくさんの「縁」によっ て自分は存在することができる,生かされていることを仏教保育では強調している。. キリスト教において人間は,神から「生かされている」存在である。その原理は前章で. 26.
(29) 示したように,「神の似姿」として「土のちり」から人間を造った,という考えに基づいて. いる。また神は最初の7日間で世界を創造し,自然や動物も創造した。それ故,キリスト 教では,人間や自然,生物,そしてこの世のありとあらゆる現象の究極的な根源は神によ って全て説明されるのである。. 最初の人間,アダムとその妻エバは,神から命を与えられ,その恵みによって存在して いた。だが,神を裏切ってしまったため,永遠の命は失われ,罪として人間に死がもたら された。しかし死は最後のものではなく,世の終わりの日にキリストの再臨とともに最後 の審判が行われる。再臨によって死者は復活し,信ずる者は永遠の生命を与えられて天国 へ行く。そこで新たに幸福なる存在として再生されるのである。再生,救済されるために は信仰が必要である。特にプロテスタントが「人間は信仰によって義とされる」と主張す るのは,こういう理由からである。. 神から創造され,祝福とともにこの世に生存を与えられたというのがキリスト教の生命 観である。それ故,命は各人に神から委託され,信頼されて任されたものであると考える4。. つまり現世での身体的生命は,神に近づくための準備期間の意味があり,死によって神に 返されるのである。モーセの十戒の第五戒「あなたは殺してはならない。」(出エジプト記. 20・15)はこの理由からである。生命は与えられた個人のものではなく,まして他人によ って支配されるものではない。神によって与えられた賜物なのである。 この生命観は,キリスト教保育においても重要なエッセンスである。『新キリスト教保育. 指針』では,キリスト教保育を「子ども一人ひとりが神によっていのちを与えられたもの として,イエス・キリストを通して示される神の愛と恵みのもとで育てられ(略)」と定義 付けている。命は神からの賜物である。さらに保育目標では,「子どもが,私たちの生きる. 自然や世界を神の恵みとして受けとめ,自然や世界の事柄に関心を持ち,自分たちのでき ることを考え,行うようになる。」やr子どもがイエスを身近な存在として知ることを通し て,見えない神の恵みと導きへの信頼感を与えられ,「イエスさまと共に」毎日を歩もうと する思いをもつようになる。」で表現されているように,命を神から与えられたものとして 受けとめること,そして自分だけでなく「相手を,神様が愛されたものと見倣すこと」5が キリスト教保育における生命観である。. 神道においても,人間は神に生かされているとする。しかしキリスト教のような唯一神 ではなく,さまざまなものを神と崇める多神教である。多くの神をその性格によって分類 すると,①自然に関する神(自然現象や動植物を神格化したもの),②人間生活に関わる文. 27.
(30) 化神(氏神や職能神,人間神),③神話に登場する神々(記紀神話などに登場する神々),. ④その他の神(神仏習合の神,修験道の神など)の4つに分類することができる6。 いさなぎのかみ 神道の生命観に大きく関わっている神は,③神話に登場する神々で,特に伊那那岐神と いざなみのかみ. 伊那那美神の二神である。.日本書紀には,伊那那岐神と伊那那美神は,高天原にいた先行. する神々から「まだ固まっていない地を修理固成せよ」という命令を受けて,夫婦の交わ りをして大八島(日本)と諸氏族の始祖となる多くの神々を生んだという神話が残されて いる。この神話が持つ最大の意味は,人間は親から親へと逃れぱこの二神に到達し,人は 生まれながらに神聖で清らかな神の本質を身に受けている7ということである。神道が「人 は神の子」と説くのはこのためである。保育の現場では,「生きとし生けるものすべてに生. 命は宿り,自分を含めてその生命は祖先と神様に通じるのであるから大切にしなければな らないことを,折にふれて保育する」8というふうに,この原理は展開されている。人間は. 等しく神の子であり,一人ひとりの体の中には尊い血がながれている。それは日本人だけ に限らず,世界中の人も同様で等しく神の子であるため,互いに自分の人格や生命を大事 にすると同時に,相手も尊重しなければならない9。. 神だけでなく,神道では自然も畏敬の対象である。キリスト教では「生めよ,ふえよ,. 地に満ちよ,地を従わせよ」(創世記1・28)とされ,自然は人間が支配する対象であっ た。それに対し神道は,自然は人間が支配したり征服したりできる存在ではない。人間に 恵みと災いをもたらすため畏れ,祭る対象であった。キリスト教は神・人間・自然という 序列であるのに対し,神道では自然・神・人間という序列である1O。それは日本人が農耕 文化であったことと深く関係している。土地にしっかりと定着し,農業を営んできた日本 人にとって,自然の恩恵に写ることによって生活が守られてきた。従って自然は人間を超 えた力を持ち,常に畏敬すべき対象であった。. 保育でもその原理は顕著に現れている。神道保育の目標では,「自己を超えたものの存在. に気づき,自然への感謝と生かされる喜びを知る」となっている。多くの恩恵をもたらす 自然に対して人間は感謝しなくてはならない。自然,神に生かされているという気持ちと 同時に,感謝の気持ちを育むことが神道保育では重視されている。これは一見,公立の幼. 稚園・保育所の目標と類似している感がある。幼稚園教育要領(平成20年改訂)の「環 境」では,「自然に触れて生活し,その大きさ,美しさ,不思議さなどに気付く」や「身近 な動植物に親しみをもって接し,生命の尊さに気付き,いたわったり,大切にしたりする」. とある。保育所保育指針にも近似の内容が示されている。しかしこれは「自然に対する畏. 28.
(31) 敬の念」や動植物の生命を大切にする気持ちを育む,に留まっている。神道保育で特徴的 なのは自然に「感謝」することである。保育の方法においても「日々の保育活動に神様に 感謝する時と場を持つ」となっており,「感謝」が保育の中でキーワードとなっている。ま. た,さらに特徴的なのは,感謝する「時と場」を持つことである。「時と場」とは日々の礼. 拝であったり,神道においては「祭り」である。感謝の念を礼拝という行為によって表す ことが,宗教保育の特徴である。. キリスト教保育においても同様で,神からの恵みに感謝することを礼拝によって表す。 仏教保育でもrいただきます」やr縁」を通じて感謝の念を合掌によって示す。r生かされ ている」ことと,それに対しての感謝を礼拝によって表すことが,三つの宗教保育に共通 する原理である。幼稚園教育要領や保育所保育指針に明記されていないが,公立において も,自然や動物に感謝することは,しばしば見られることである。しかし宗教系保育は, 「生かされている」ことからくる感謝の念を,礼拝という外的行為によって示すことが特 徴的なのである。. 29.
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