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中國近代文学のなかの旧文学(中) : 「仁」の転移

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(1)Title. 中国近代文学のなかの旧文学(中). Author(s). 杉森, 正彌. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 5(2): 10-20. Issue Date. 1954-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3557. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第5繊 第 2 号. 北海道学 ,璽 大 学 紀 要 (第一部). 昭和29年12月. 中 園 近 代 文 学 の な か の 旧 交 学 (中) -- 「仁」 杉. の. 転 正. 森. --. 移. 禰. 札幌分校国語国文学研究室. i I Tradi i ID t Masaya sOGtハ【OR[: The C1ass ca on in Modern Chinese Literature ( “ ” -- Especiai1y Through Humanism, Jeil(仁) ---. この小論 では、 古来、 中国でも叉日本でも、 やかましく 云われて来た「仁」 が、 近代中国文学の中に、 どう生 きているか、 いないかを、 孔子→但棟→老舎すなわち、 論語→二班-勝暁辞子の系列に於て見んとするもので ある。. 「仁」 を文字から考えようとすれば、 とりあえず、 最古のととのった じぴきー一説女解字の、 仁とは親しむの意味である。 人と仁とでできている。 彰 は古い字の仁である。 千と心とでできている。 ) 2 も古い字の仁である。 肉体からできている{註1 。 をひく べきであろう。 この女についても、 後世の諸家による、 さまざまの註釈があるが、 ともかく著者、 許慣. にしたがえば、 1~2 世紀ごろの中国人は、「仁」 を、「ちかづきな じむ」 という意味に解していたことになる。 3. では、 ずっと遡って、 前 5世紀、 孔子以前には、 この女字が、 どんな意味、 内容を含んで使われていたか? L (儀札を 古代人の気持が、 古典 となって結晶した五経にあたってみても、 易 (十翼を除く) 、 書 (今女のみ)、 示 つかう) 、 春秋には 「仁」 の字が見えない。 詩だけにある。. 詩311篇は、 殆ん ど古い形そのままで樽わっていると云われるが 「仁」の字を使っているのが僅か二篇ある。 叔さんは狩まくら、 みちには人のかげ もない、 人がないのじやないけれ ど、 叔さんほどのものがない、 ほん 1 とに美 し、 「仁」(しんせっな) !(詩2 猟犬の鈴の書!. ) かの人は美 しく、「仁」(やさ しくて)……(註3. 前者は共叔段が人を愛したことを、 後者は賢君が人を愛 したことをいうのである。 以上から推すと、 孔子以前には、 「仁」は大して使われず、 叉重い意味も持たなかったら しい。 郭珠若氏に し )。 たがえば、 金女にも 甲骨女にも、 「仁」 の字は探し出せないという(註4 4. 諸家の請ける如く、 孔子は当時までの文化を整理 しつつ受容 して、 体系的なものをうちたて、 文化の力をも って、 人 びとの幸幅を増進 しようと した。 いわゆる 「難而不作」 である。 そしてこの体系の中心に 「仁」 を据え たようである。 ) たる論語499章のうち、 「仁」 に関する章が58章--すなわち論語の12パ← さればこそ、 彼の言行鎌(註5 セ ントが、「仁」 に関 して語られているわけである。. - 10. -.

(3) . 中国近代女学のなかの旧文学 (中) 今、 この58章を機械的に図表に して腕分けしてみよう。. 喧不. 覧不. し・. モ仁 ・. て. 墨仁. ÷者 早. 所. ヤこ. ぢ仁. つ. し、 て. い て の. 筆者. 載. 仁. 篇. 章. ②. r-. {. 而1 第. 3 ※ 6. 43. (68). 67 68. 8) (6 69. 70 71 72 73 96 99 110 124. ′ ● ハ . ′ ′ ′ ● ′ ● ′ { ● ” ● ” ハ . ・ ′ ′ ノ ー ~. 2) (7 ー. ----i. 】●. “. 140 143. {. 300. 非 仁 者. 362 一 ‐ 387 8 8 3. 455. 153 161 176 180 186 19ヱ. 279 280 281 298 300 302 314 321 329 334. 281. 337 ( ) 」. 339 349. 411 414 435 440 442 L 451 ※ ▲ 461. - 11 -. 学. 而. 雪 擾. 禽. 第. 里. 四. 仁. }璽纏. 206. 233. 350. }馨. 第. 薙. 六. 也. 第. 遮. 七. 而. 1第. ; 八. 泰 伯. }馨. 革. ‐ ‐ 矢 で雰. 194. 337 339 」 ● ●. ′ -. 139) (. ′. 非 所 載篇. 第. 顔. 郷 群 見 先. 一. 進. 十. 十 一. 第 - 「 第. 淵. ′. }雲霞- 第. 憲. 十 四. 問. 第 十 五. 徹 霊 爪 公. 第. 陽. 十 七. }葵. 貨. 撃. 聖雷.

(4) . 杉. 正. 森. 477 486 487. rf (497). ー ; 早. 計. 署計 五 登 早. て. 二. 章 を は. ぶ い. 綱. }箸麦. 8) (49 四. }筆. 七 計 章. 計. 一. ↓ ÷. 重 複. 書. 計. 四 計. 篇. 合 計. 〔表の説明〕 篇に関係なく、 章に1から499 まで、 通 し番号を打った。 上図の算用数 字は、 すべて章の番号を示す。. . に. つ いての. し、. 章十 とあるのは、 第3章に 「仁」 について書かれていることを示 す。. こ を. つ. ー. の. 者. し、 て. ぢ仁 し、 て. 空 - 章. 68 ( ). 68. 281. 281. とあるのは、 第68章は「仁」について主とし て説かれており、 仁者について説くこと、 比 較的に軽き増示す。 .第281章は 「仁」 についても 仁者に 叉、 、 、 ついても、 同 じぐらいの重さで説いているこ とを示す。. , 〔 例〕 ( )でかこんだ数字は、 孔子以タトの人が 「仁」 について説いた章を示す。 因み にこの三つの章のほかは全部孔子の言葉と して記鍬されている。. 〔参 り 〕 ※は同一文章の重複。. 〔例〕 143 の 「仁」 は 「人」 の意味に使われている。. 〔例〕 「仁人」 は 「仁者」 に含めて表示。. 〔例〕 「非仁者」 は 「不仁者」 に含めて表示。 5. 抑々、 かかる統計数字を うち出すためには、 テキスト批判が先行せねばならないが、 伊藤仁斎の「論語古義」 0 篇のうち、 前半lo篇が上論、 後牛lo篇が下論で、 夫々編纂の膝件を異にするという。 にきくならば、 論語 2 荻生但棟の「論語徴」にしたがえば、 上論には 「牢、 日く……」 下論には 「憲、 問うを……」 とあって、 姓を 記録せず、 名だけを称 しているから、 上論は率 (すなわち琴張)、 下論は憲 (すなわち原思) の手になったもの である。 他人が記録したのであれば、 名を称する筈はないという。. また武内義雄氏 「論語之研究」 の詳細な考証にしたがえば、 論語の各鴬は、 それぞれ書いた時代や書き手を - 12 -.

(5) . 中国近代女学のなかの旧交学 (中) 異にしているようである。 とすれば、 各篇ごと、 各章ごとに吟味を加えてゆかねばならなくなってくるが、 小 論では一願、 各篇各章に軽重をつけず、 統計 してみたのである。 さて、 この図表は、 論語20 篇のうちの16篇が、 多少とも 「仁」 について触れている。 すなわち、 論語の大 体にわたって一貫して流れているものが 「仁」 であることを示す。 そこで、 (註6 ) 吾道一以貫之 ……〔81〕 にあてはめるならば、 「道」 とは 「一貫 しているもの」 すなわち 「仁」 ということになり、 更に、 〕 夫子之道、 忠恕而突。〔81 「 「忠恕」 であり、 すなわち 「仁」 は 「忠恕」 ということになる。 道 は にあてはめるならば、 」 「仁」 は忠恕 (まごころとおもいやり) であるということについては、 他の章、 31 〕 (仁とは)……興人忠……〔 (仁とは)……己所不欲、 勿施於人。 〔280〕. 〕 (仁者は)……己欲 立而立′ ・、 己欲蓮而達人。〔147 の三つが、 間接的にこれを裏書きしているが、 以上によって、 孔子の 「仁」 は忠恕 (まごころとおもいやり) である、 とだけですませてしまえるかどうか。 孔子の思想体系の中心ともあろうものが、 そう簡単にわりきれ るかどうかo. 7. 別のところでは、 断定的語気 「篇仁」 を使って 「仁」 を説明して、 00 克己復示し 、 篇仁。 〔279〕. 難行五者 (恭寛信敏恵) 於天下、 篇仁莫。〔440〕 といっている。 更に、 「寛仁」 に 「司」 叉は 「可以」 を加えて、 主張的語気をややゆるめたものに、 先難而後塵、 可謂仁美。〔139〕 ( ′o o. 克伐怨欲、 不行鷺、 可以篇仁英? 0000. 〔334〕. がある。 この四つ章は「仁」 の内容の一部を指示しているが、 「仁」 の周囲に触れているだけで、 「仁」 を覆うような うまい定義にはなっていない。 R U. 次に 「仁」 でないことを説明する章を拾ってみよう。 先ず、 〕 巧言令色、 鮮突仁。〔3 は、 今なおわれらの肺臓をえぐる一章であるが、 ここから、 われわれは気分としての 「仁」 は掴めるが、 さて 「巧言令色」 の逆を辿っていっても、 必らずしも 「仁」 は鮮かに洋上ってくるとはいえない。. o〕、〔43 5〕、〔486〕 l 同様にして 〔99〕、 〔1 、〔487〕 の 「仁」 の否定的説明によっては、 仁をはっきりと掴 むわ けにはゆかないのである。 そこで、 上越のような、 漠然たる 「仁」 を何とか して把握せんとし諸た先輩にしたがい、 いろいろの親 角 か 7 ) ; ら「仁」 を分析 してみよう(盟 。. 1 . 仁の体得者--仁者の性格を象徴的に説いた章としては、 仁者安に。〔67〕 140〕 仁者栗山、 仁者瀞、 仁者毒。 〔 仁者不憂。 〔362〕 7〕 仁者必有勇。 〔33 9〕 仁者先難而後獲。 〔13. - 13 一.

(6) . 杉. 森. 正. 獅. 仁者己欲立而立人、 己欲蓮而達人。 〔147〕 仁者其言也仁。 〔69〕 仁者能好人、 能悪人。 〔58〕. 2 仁者をひきあいに出した章と しては、 孔子は、 , 実在 した (と信 じられる) 歴史上の人物の中から・ 〔461〕 で徴子、 箕子、 比干を三仁人として称揚し 〔349〕 350〕 で管仲を仁者であると積極的に肯定し、 、〔 〔16り で伯夷、 叔斉を 「仁」 を体得した兄弟であると賞讃 している。. 3 . 「仁」 を体得する方法を説いた章としては、 孔子は、 顔淵に 「克己復市し 」 〔279〕 司馬牛に 「其言也仁」 〔281〕 300〕 塾運に 「愛人」 〔 仲弓に 「己所不欲、 勿施於人」 〔280〕 子張 に 「博学而篤志、 切問而近恩」 〔477 〕. と教えたが、 資質を異にする5人の弟子への話を綜合すると、 ある程度まで「仁」 を感 じとることができる。 4 . 「仁」 の社会的拡大性について説いた章としては、 ほんとうに 「仁」 が徹底すれば 「在国無怨、 在家無. 80〕 となる。 叉 「不悔、 得衆、 人任、 有功、 使人」 になれる 〔440〕 怨」 〔2 。 また 「薄施於人、 而能済衆」 〔147 〕 できるょ 鋤こなると、 それぞれ、 仲弓、 子張、 子貢に教えている。 蟹江義丸氏は、 「仁」 は利沢 (うるおい) であることを強調 し(謡8 ) 、 孔安国の註、 (註9 ……三十年に して ……良き政治が民をうるおすであろう 〔314〕 ). を引用 し、 利沢 (うるおい) としての 「仁」 のほかに、 更に、 重厚 (ねんごろ) 、 慈愛 (なさけ) 、,忠恕 (おも いやり) として 「仁」 をもあげている。 lo. 以 上、 いろいろひねくりまわしているうちに、 「仁 励まやや具体的になったようだが、 充分適確と は い え な. し・ 。. これは、 どだい、 0 ) 仁という言葉……は一定せず、 また抑ン 一定 した定義を得らるべ きかどうか疑問である……(註1. と吉川幸次郎先生が述 べられる如き、 ノ 仁の……明確な定義はない鰍al と郭沫若氏が断じる如 き、. 夫千説仁、 無象之象、 無跡可求(謀り. と太田錦城 が匪に述 べた如き性格のものであるからであろうか。. 山口寮常氏は、 大冊 「仁の研究」 の終り近く、 「ああ、 仁はた して言い難きか、 抑々また言易きか」 と嘆 じ 「仁の思想は、 人類そのものを基本として説き 、. 出され」 たものであるから、 「人とは何ぞやの命題を解いて、 仁の意義に及」 ぷ べきであるとし、 「仁とは人と 3 して生きる詔」 であり、 「人たること、 生きること、 生かさんとすること」 であると結論づける(談1 ) 。 11 私は以上の山口氏の主張、 さらに、 鄭玄の意見、 (仁とは) よりそう意味、 人間らしい気持でいたわりあうということ(謡1 i 4 o. にならって、 ここに<「仁」とはヒュ←マニズムである>という仮説をうち出すのである。 その言葉自体が漠然 た る ニ ュ ア ンス を も っ て い る ヒ ュ ー マ ニ ズ ム と は、. 人間性を意味するヒュ←マニティという言葉に由来 し、……<人間的自 然、 あまりにも人間的なもの>と く人間的理想、 人間的なあるべき姿>との二つの意味に解される。 一般的にヒューマニ ズムとは、 思想体 1 5 系ではなくて、 むしろ一 つの心情であり、 従って常にロマンチックな要素を含む梢ミ ). ものであると理解しておこう。 吉川幸次郎先生も、. - 14 -.

(7) . 中国近代文学のなかの旧文学 (中) 6 ) ( 「仁」 とは) 人間の 人間に対する愛情、 それを意志を伴って拡充し、 実践する能力(註1 という風に理解して居られる。 12. かくて、 前5世紀の中国という、 時代と環境とに制約されながら、 ともかく、 「仁」 、 ヒューマニ ズム、 人間 愛について、 これだけのこ とを言い、 これだけ悩 み、 これだけ集大成した孔子は、 相当、 進歩的な男であった. と考えるべきであって、 論語と云えば反射的に保守反動のエッセンス議するのは、 どうであろうか。 13. そこで、 世人から一括して保守反動のやからと見なされている江戸の儒者を一人しらべることにしょラ。 その説、 享保の中葉以後、 一世を風離した、 と云われる荻生祖.株は、 その著 「癖道」 「解名」 に於て、 程朱学 を空疎迂遠なりと罵倒し、 要するに、 人の上に立ち、 民の幸幅をはかる道のみが 「仁」 であることを強調 して、. (仁は) 長人安民之道也 (燐道). と具体的にうち出した。 当時の官学者のみでなく、 町学者である伊藤仁斎すら (仁は) 慈愛の徳、 遠近内外、 充実通徹、 至らざるなきもの (譜孟字義) という漠然たる定義をむしかえしているのに比 し、. 在安民、 在治人と云ふ二句は聖門の万病円なり と皮肉り、 後世の儒者どもは、 旦の心ありとも、 民を安んずる能はずんば、 仁 仁と云えば、 至誠側- 阻などと釈すれ共、 たとひ、 至誠側f にあらず、 何ほど慈悲ありとも徒仁也 (太平策) と、 きめつけるのである。 但株のこの 「仁こそは長人安民の道である」 という立場を、 山ロ察常氏は 「功利をもとと し」 ているから感心 8 ) とするが、 これはどう 7 ) とし、 宇野哲人氏は 「政治的意味ばかり」 をみているからいけない(註1 できない(註1 であろうか。. 14. 9 (註1 ) によれば、 但係の家は幕府の医官であったが将軍綱吉の勘気に触れて、 南総に 岩橋遮成氏 「狙孫研究」 展居し、 14才の秋から25才まで13年間を、 交わるべき師友もなく、 田父野老と語りつつ暮した(謝り。 ここで 1 ) 彼は寸陰を惜しんで読書に耽った逸話がある(誌2 。. 1690年)、 胆株は、 芝、 増上寺の前に家を借り、 小さい塾をひらいた。 貧窮 赦されて一家は江戸に引揚げ ( 2 ) を見かねた近所の豆腐屋 がおからを恵んでくれたのも、 この頃であったろ 謡2 。 市井の教師生活数年の後、 3 1才で武州河越城主柳沢吉保の儒臣の一人として召抱え られ、 19年間にわたって仕えた。 そもそも柳沢吉保. とは、 将軍綱吉の要臣として、 幕府の機務に参興し、 栄達を極め、 段誉襲腹牛ばする人物である。 この吉保が 狙棟をどの程度まで重んじ、 その献策をどの程度まで用いたかは、 未詳であるが、 ある日の儒臣会議に参加 し た但株の面目が 「政談」 に記載されている。 その会議の議題は、 困窮して妻を離別し、 坊主に変装 して脱藩逃 走の途中、 病気にかかった母親をおいて逃げた一人の百姓が補った。 この男の処分をどうするかである。 こえきらない。 狙 儒臣たちは、 明律をひっぱったり、 程朱学式の観念論をくりかえしたり、 がやがや詮議はマ. ・家老ノ料ナリ。 其ノ上ニモ 株は、 「カヤウナル者ノ 所ヨリ出ル様二数スコト第一、 代官奉行ノ料ナリ。 其ノ上ノ 立場を ベ この挿話こそ彼の儒臣としての <この百姓は罪は極めて軽い>と絶叫した きであって トガ人アル 」 。 、 端的にあらわすものでなかろぅか。 叉、 答問書(上)でも、 たとひ、 何程、 心を修め身を治め、 無暇の玉のごとく修行成就候共……国家を治むる道を知り不申候は ば何の盗も無之事に候。. さらにまた. 唐宗諸儒の説は多くは紙上の峯論にて御塵候。 紙の上にて書きつらね候所、 尤もと闘え候までにて、 実 には取り行ひ難き事をも、 道理の見えわたり候に任かせ、 あまさず書いて、 己が才智をあらわし、 事実に - i5 -.

(8) . 杉. 森 正. 綱. 構はず、 只、 間済ょき様にと心懸候事と相見え候。 と言っていることによっても、 彼が如何にヒューマニ ズムの社会的実践とその効果を重ん じた かがわかる。 15. 3 )はそれぞれ、 かかる彼の思想がま とまって発表されたのは、 「癖道」「堀名」 に於てであるが、 この二癖(註2 か 市井に住むようになって 彼が柳沢の蕪邸を離れて 彼の52才と53才のときに草稿ができ上った。 これは、 、 ら十年の後であった。. 梅が香や隣りは荻生惣右衛門. という句が其角のものとして博わっていることは、 該園学源の盛名とともに、 その市井的一面を端的に語る。 4 )としての 官学は程朱学を背骨とし、 藤原爆高から林羅山へと樽流してきた天理人欲--天地間のあるじ(註2. 天理なるものを設定 し、 それに対する人欲を否定し、 断愛滅私を強調する--思想が、 当時を風扉していたわ. けであるが、 但棟はこれに反逆を唱え、 天理が主でなく人間こそが中心でなければならぬ、 人欲 こそが人間の 自然であって、 えたいの知れぬ理とかいうものは基準にならないとする。 先王之数、 以物、 不以 理 (弁道). 何となれば、. 理無形、 故無準 (弁道). であるから。 したがって、 羅山の. 仁者ト云フモノノ前L儀ト私欲トラ、 ニッ我 ガ胸ノウチニ闘ハセテミテ、 ラノ レガ私欲ラセメノ ケテ、 タ タカヒカチ テ、 乱儀ニカヘ ル トコロラ仁トスル ゾ、 ラノ レガ欲ラハナレズソバ、 仁 デハアルマイ ゾ、 鏡モ ク モ リ ラ ミ ガキ テノ ヶ ズ ソ バ、 ア キ ラ カ ニ ハ ナ ル マイ ゾ、 私 欲 ラノ ケ テ コ ソ、 天 理ノ マ マ ニ 到 ラ ン ズ レ. (春鑑抄). といったような、 厳粛主義的なる「仁」 の説き方には員向から反対し、 人性の自然にしたがって、 先 王の作賭し た道を歩みゆくのが「仁」 であると強調する。 能挙先王之道、 而体之者仁也。 (弁道) では、 先王之道とは何か。 すなわち. 先王之道、 安天下之道也。 (弁道) であり、 且つまた、 互に親しみ愛し合い、 働き合い、 助け合い、 救い合うのは、 人の本性である。 ……天下を見 渡すに、 なかまをはずれ孤立して、 生きてゆけるものがどこにあるうそ! 士農工商も助け合って生きてい. る、 でなければ存 在できない。 どろ ぼうすらなかまがあるではないか なければ存在できないから …… 、 。 億万人を して、 親しみ愛し合う気 持を徹底せしめ 八の本性を完全にあらわせるようにするのが 先 王之 、 、 、 道である そ して この先王之道を学習して 実践できるようになった人 5 ) こそは、 仁人である(誌2 。 、 、 のである。 すなわち、 集体生活において、 互にいたわり親しみあって生きていってこそ 幸せになれる その 。 、 指導者 として先王があった、 その敷をよく しら べて 人びとを導いてゆくのが 現代の儒者であるのである 、 、 。 そ して、 先王之道は・ 孔子の道 であり、 その詳細、具体的内容は六経に記載されて鱒えられてい● るから、 す べ てこの古言に徴して しらべてゆかねばならぬ。 「ことば」 は時代とともにその表わす内容が変ってゆく(註2 6 〕か らである。 しかるに、 程朱学は、 自分たちの思考の展開を 六経にお しつけるのみ で、 ややともすれば 先王 、 、 之道の贋意を失 うというのが、 彼の 「古文辞学」 の立場であった。 16. 天下を治め傷る人でなければ、 ほんとうの仁人とはいえな い。. 天下を安んじようという気があっても、 ほんとに天下を安んじたという実績がなければ 仁とはいえな 、 い。 (弁道) という彼の言葉が端的に表わしているように、 道は、 天地 の間に存在するしろものでなく、 先王が作篇 して世 一 16 一.

(9) . 中国近代女学のなかの旧交学 (中) うと考えたものであり、 人間の人間に対する愛情は、 最高度に於ては、 社会単位に集中表 を平和に治めてゆこ′ 現されてゆかねばならぬ。 このヒューマニ ズムを狙株は 「仁」 であると強調 したのであったo 17. そこ で、 個人的なあらゆる努力を書したが、 その両眼を社会的なるものへ見開くことを知らずして敗北して いった一人の男の生涯を描いた、 近代中国の作品、 老舎著 「脇眺群子」を 緩いて、 そのヒューマニズム--「仁」 7 ) の流れを考えてみよう(註2 。 私がこれから紹介しようと思うのは 「詳さん」 であって 「際暁」 ではない。 「隣雛」 というのは彼のあだ 名だからである。 そこで私は先ず 「辞さん」 のことを話そう。 次に「隣雛」と 「群さん」 とが、 どんな関係 にあるかを説明することに しよう。 cksha Boy として孫訳が という書き出しでは じまるこの作品は、 ある洋車夫の哀史である。 アメリカでは、 Ri. 8 ) 出{註2 、 ベストセラーとな り、 独・伊・チェコ・ス ペイ ン語にも訳されたという。 全二十四章から成り、 「詳さん」 という、 若くて元気、 すばらしく立派な身体、 洋車夫としての天分を豊かに そなえ、 第一流の博夫たらん とする向上心に燃え、 そのためには、 朝早くから夜晩くまで、 風の日も雨の日も、 食うものも食わず、 超人的な努力を続ける、 理想的青年偉夫が主人公として登場する。 そ して、 此の詳さんを中 心として、 崎型的なりし中国社会 の実相、 わけても、 その身分が犬や馬に異らぬ洋. 車夫の実態を描写 し、 しかも、 この理想的,博夫が、 あらゆる努力を傾倒し、 精魂を潤らし蓋して、 七轄八起し ようとしても、 不合理なる社会悪のために挫折せしめられ、 ささやかな希望も踏みに じられ、 絶望目薬の末、. 「堕落、 利己、 不幸という社会悪のおとし子たろ、 個人主義の幽霊に朽ちはて」 させて終りとなっている。 いち早く、 アメリカで孫訳され、 つづいて日本語訳されて(課の 広い読者をもつこの作品は、 いろいろの論評 を受けているが、 訳者竹中伸氏は、 あとがきで これほど ……ュ‐モアと、 洗錬された名文とをもって描かれた、すばらしい社会小説が他にあるだろうか 0 (隷3 ). と絶讃 し、 島田政雄氏は、. ヒューマニズムの立場に立って、 愛情深く庶民生活を眺めて居り、 到るところで、 ュー モラスな謙刺を きかせている……人力伸夫酪眺詳子の運命の描写を通 じて、 穆み出ている 老舎の正義感はつよく 人の胸を. 打つ(謝り とほめ、 桑島信一氏は、 2 ) 北京の人情世態の中から、 新旧思想の矛盾を掴み出した(談3 と許 してい る。. さて、 ベストセラーになったというアメリカ国内に於ける反響については未詳であるが, 翻訳が、 終末の部分 を勝手に改変して、 悲劇的結末を消して了っていることから推測すれば、 娯楽よみものとして、 この中に無意 味な ギャグを見、 社会的なるものから遊離し、 それを忘れさせる、 たあいない可笑みをのみ喜ぶのではないか と思われる。 むろん、 これは老舎が 「隣脱群子」 を書いた本旨とは、 へだたること遥かに遠いものである。 18 3 3 ) 以上の外に注目すべき論評は、 沢田瑞穂氏のものである(註 。 ……読者はそれによって痛 快を覚え、 笑を発する。 しかし読み縫った時、 巻を橋うて残るものは、 ただ 救いのない縄塑感と虚無的な後味のみである。……何 だか中国小説の暗い宿命的な樽統であるような気がす. る。 ……みな暗い聯を曳いていないものはない。 とし、「極端な絶望の書ではないか。」 と断じるのである。 なるほど、 この作品は、 暗く、 寂 しく、 陰気で、 苦渋である。 しかし、 そこには、 何かしら救いへの暗示が ある。 全篇に老舎のヒューマニズム-- 「仁」 が脈うっている。 老舎にしたがえば、. 憲a 4 ) humor は字典の上では十 ぐらいの異った定義を持っているものである( 。. - 17 -.

(10) . 杉. 森 正. 爾. しかし、 その幽獣(ューモア) 小説は 佐佐木邦式のゴーモア小説のように、 手放しの楽天主義で、 す べて の葛 藤を極めて安直に解決 してゆく ものとは、 正に雲泥の相異である。. humor は可笑しみでもなく 譜諺でもない それは 「うるおい」 であり 「人間ら しさ」 であり 「人間愛」 。 、 、 、 、 であり、「仁」 でもある。 「反語、 皮肉、 譲刺、 機智、 滑稽……は、 みんな humor に関係をもつものである」 (課ラ )が、 humo r と異 h 6 る と こ ろ は、 「 umor 作家の心中には熱情があるが 謙刺作家の心は冷淡である」 ( 註 3 ) し 、 、 機智はいわば、 世事人心を X 線の下にさ らけ出 したようなものであるが、 humor は、 こんな超越傍観. 的な態度でなく して、 人をばすべて兄弟とみな し、 みんなの短所をゆるし……、 そして課刺のようにきつ 3 7 ) いものでなく、 ……一説同仁的な笑いにあふれた状態である(註 。. と述べる老舎の humor は humanism に通じ、「仁」 といってもよいのではないか。 老舎が 「人民塗術家」 の称号を受けたのも、 このような観点と方法とをもって、 全中国の人民を愛し、 中国 8 ) を愛し、 それを生き生き した作品にみが き上げたからであろう俄3 。 19. 9 詳さんは、 「全力をあげて車を泣いて儲けて飯を食う。 これこそ天下にもっとも生甲斐ある仕事だ」(註3 )と常 「 に思っている。 ところが、 とらちやん」 に押しかけ女房になられてからは、 家で徒食することを狸いられ、 車. を鏡きにゆけなくなる。 そして、 正月のまちを、 洋車ひいて疾走してゆく偉夫たちを見て かれらこそ 「年を 、 越 し、 年を迎えたと感 じているようだ」 と羨むのであるが、 辞さんには働くこと以 外に、 よろこびはなかった. のである。 洋車泣きは、 目前の, 陣があるにせよ、 ないにせよ、 意識するにせよ、 しないにせよ、 都市の苦力 労働者であ るが、 北京のまちの下層勤労者群の形態、 意識、 それをとりまく社会を、 老舎は極めて、 生き生きと形象化し て い る。. 20. 18 才にして詳さんは、 農具も不充分だし、 肥料の買入の金も不足し、 土地も収穫が少く、 小作料を納め て しまえば、 他に所得は殆どなく、 凶作に見舞われた時には、 親戚にあわれみを乞い、……三日か五日の食. いつなぎをするが、 債務は次第に重なり、 重荷を負った牛のように苦 しい 農村を棄てて、 北京の城門をく ぐる。 得る職は苦力労働である。 むろん 「くびになった巡査、 学校の小便、 元 も子もなくなった商人、 失業大工、左官など」(「脇舵輝子」 ょり。 以下、 特に議せざる 「 」 はこれに倣う。 )も. 軸落してその仲間に入る。 かれらは、 自分の生活を考えるだけが精一ぱいで、 社会に向って両眼を見開くひま はない。 かれらは超人的な努力をするが、 その成果たる、 あまりにもふさわしからぬものである。. 辞さんは、 はじめ三年計画で目前の偉を買うことにきめ、 苦しみに堪え、 数十万滴の汗を流して、 中古伸を 手に入れた。 「彼は信 じた、 陣こそは自由と独立とを輿えてくれる唯一のもの、 自分の手足であると。」 しかも 周囲をとりまく社会は、 詳さんを、 常に泥沼にひきずりこもうとする邪悪な力をかくしていたのである。. 第一の力は、 戦争であった。 偶然なことから、 「彼の一切の克己、 忍耐、 刻苦、 勉励の総決算に対する報酬で あり、 恰かも百職苦闘を経た武将の勲章にも似た」 洋車を掠奪され、 自分も命からがら脱走してくる。 そして 「もう一度、樺を買うんだ! そうすりや、 すべてがうまくゆく。」「車を泣いて、 自分の律を買おう。」. 「俺には望みがある。 力がある。 年も若いんだ。」 とつぶやいて再出発する。 しかも、 社会の荒波はリ 最大であり ますらお (大個子) の彼も、 はねのけることは、 むずかしい。 「世の中が恨めしくなった。 どうして、 こんなに. 博夫とその孫に、 肉鰻頭をふるま 苦 しまねばならぬのか」 と懐疑し、 厳冬の夜、 大衆 食堂に倒れこんできた老, い、 貧り食う 「子供の身の上は、 何と自分の姿ではあるまいか、 と同時に、 老博夫の身の上は、 何か自分の将 来に似ている」 ように思う。. さて、 住み込み伸夫として、 いたわってくれた曹教授は、 社会主義者狩 回こあい、 巻きぞえをくった 詳さん は、 再 び貯 めこんだ虎の子の金を、 刑事に捲き上げられ、 次に住み込んだ夏邸では第二夫人に誘惑される。 つ ぎに不吉を承知で譲りうけた中古偉の崇りで、 押かけ女房の「とらちやん」は難産で死に、 自分は重い疫病に臥 一 18 一.

(11) . 中国近代女学のなかの旧文学 (中) す。・きいごに、 隣長屋の薄倖の少女、 「嗣ちやん」 とともに磨生せんとして、 さがしまわった娼家で、 彼女の 死をきく。 この時から、 詳さんは 「誰とでもとくをするときにだけつきあい、 人の茶をのみ、 煙草を吸い、 借り た金は返さず到る所で大小 便をたれ、 年中、 巡査と喧嘩し、 警察に三日位いても平気」 という、 無頼の博夫に なりさがり、 俸も拡げなくな ってからは、 葬式やの棺桶かつぎとして、 一生を終える。 21. 現実の把握と描写は徹底し、 登場する人物はす べて、 この世の重荷を負う、 虐げられた不幸な姿として、 浮 彫りされてはいる。 しかし、 その悲惨と無智とから脱け出そうという身構え、 但株に云わせれば 「安民」 に重 点をおいた立場からは描かれているかどうか。 ここに、 いわゆる批判的リアリ ズムの限界がある。. その後、 老舎は努力、 成長をつづけている。 長篇 「四世同堂」 では、 あわれな個人主義的末路鬼の群さんの か ● わりに、 具体的「婆民一 の道をさがしもとめて苦悩する、 中学校の英語教師の郡さんが、 活躍しているが、 祁 さんの暗さには、 辞さんよりも、 より多いたの しさとあかるさを含んでいるようだ。 今の北京では、 牛馬の代りに人間が汗みどろに泣いてまわる洋車夫の姿は影をひそめたそうである。 辞さん を愛し北京を愛する老舎は、 社会主義リアリズムの眼をもって、 群さんのあとをつぐものを見つめていること であろう。 22. 狙棟は、 学問は慣重にものを考えることが第一である。 考えるにあたっては、 老荘悌教はもちろん、 程朱学その 0 ) 他の (いやな) 学問でも、 とりいれて参考にすべきである(註4 と述 べた。 共産党の領導する国なるがゆえに、 中国を蛇蝿観するのは、「仁者」のとる べき態度でなく、むしろ、. 大きく包容してゆきたい。 人民の安寧と幸閥とを第一 としてすべてを考えて ゆこうとする現代中国的 ヒューマ ニズムこそ、 孔子の集大成した 「仁」 の積極的方面であり、 狙株の主張 した具体的 「安民」 としての 「仁」 の歴 史的展開の姿でなかろうか。. 旨王. 1 「仁、 親也。 鼠人ニ。 些, 、 古文仁。 凧千心作。 2 古文仁。 或凧戸。」 2 「叔千田、 巻無居人、 巻無居人、 不如叔也、 淘美且 .仁。」(鄭風、 叔千田篇) 3 「慮令令、 其 人美風 ‐仁。」(斉風、 慮令篇) 45年)野原四郎氏等訳、「中園古代の思想家たち」上、岩波書店 ( 1953年) 127頁 ー9 4 郭沫砦氏、「十批到書」( 5 漢書養女志 「(論語は) 孔子と、 弟子と、 時の人と、 応答せるもの、 及び、 弟子のネ ロ興に言うて、 孔子に 質 問 解 説 し て も らっ た も の で あ る。」 6 〔 81〕 とは通 し番号による論語の第81章を示す。 以下これに倣う。. 1936年) は一応これらの研究を集成した。 7 山口祭常氏 「仁の研究」 岩波書店 ( 4年) 笠原伸二先生の教示による。 190 8 蟹江義丸氏 「孔子研究」 金港堂 ( 4〕 9 「如有王者、 必世而後仁。 」〔31 」 ・園謡 「……如有受命者、 必三十年、 仁政乃成。 孔安 952年) 第3巻、23 1 1頁 o 吉川幸次郎先生 「新倫理講座」 創 i女恥 ( l 上4、 127ー 11 浮 頁. 12 太田錦城 「涼潤仁説」 13 吾 妻7 に お な じ。. 14 郷玄、 中庸の話 「人也、 読如相人偶之人、 以人意相存問之言。」 15 加茂儀一氏等編 「哲学小辞典」 霞書房 ( 1948年) 16 帯EIO に お な じ。 17 言に7 の 454三 妄 電. 8 1 19 2 0 21 22 23 4 2. 岩波書店、 哲学大辞典 岩橋趨成氏 「狙棟研究」 関書院 ( 19 34年) 訳女箸蹄序 「年十四流落南総・二十五値敵、還東都、中間十三年、日興田父野老個処、筒何間有無師友……」 先哲叢談 「祖ぞ 来着書向暮、 則出就借際、 驚嘆亦不可弁字、 則入対斎中燈火。」 先哲叢談 「舌緋殆不給衣食……隣但ギ 束貧而有志、 日飴席造。」 この二書への照明は、 京都立命館大学教授女学博士橋本循先生の教示による。 天下国家之嬰鎌。 - 19 -.

(12) . 杉. 森. 正. 爾. 25 且.也、 相親、 相愛、 相生、 相成、 相輔、 相匡、 相救者、 人之性鴬然……今訳観天下、 効能孤立不群者、 士農工商、 相肋面食也、 不若是、 則不能存尖、 難盗賊必有覚類、 不若是、 則亦不能存突 …… ……離合億 万人、 使総其親愛生養之性者、 先王之道也、 学先王之道、 成徳於我者、 仁人也。 (弁道) 26 世載言以遷、 言誠道以遷 (学則二) 1939年)17以下樋口武 氏の1952年3月本学卒業論文「老舎の現実描写につい 27 「路暁輝子」 上海人間書屋 ( て」 に 負 う と こ ろ 多 し。 1945年) 28 B. Ki ng 訳 「Ri cksha Bo y」 下に 「洋車夫」 という漢字がついている。 (. 1952年) 29 竹中仲氏訳 「脇暁辞子」 新潮文庫 ( 54年秋から) 筒 「らくだと言われた男」 という名で、 ラジオ東京が連続劇を放逸している。 (19 兵につれてゆかれ 偉を掠奪され 強制募 名は 科さんが というあだ 雛蛇 この「 」 、 ある夜、 脱 因みに、 、 、 、 走したさいに、 脇暁三匹を拾い、 つれてかえる。 この噂が仲間に ひろがった結果、 このあだ名がついた 30. 3 1 2 3 33 34 5 3. の で あ る。 註 29 ,の あ と が き。. i952年) 島田政雄氏 「新中園文学入門」 ハト書房 ( 51年) 19 鈴木択郎氏ら訳 「四世同堂」 序 ( 1948年) 沢田瑞穂 氏 「中国の文学」 学徒援護会 ( 940年 か) 1 老舎 「老牛破車」 華文書局 ( i i ims l f t i ca i t ) ar c e) t y)、 這幾 r e) sa r ony) 、 奇趣 (wh 註34の54頁 「反語 ( 、 滑稽劇 ( 、 機智 (wi 、 調刺 ( h 的関係…… ) 有相当 r . o 幽獣 ( u m 都球 = 個字. ÷ 36 謎 ‐34 の 55 員 8頁~59頁、 機智是将世事人心在 X 線下照透、 幽獣則不帯這 種超越的態度、 而似乎把人都看成 37 誌 34 の5. は 「謂幽獣的心態就是一顧同仁的好笑的 兄弟、 大家都有短処、 ……幽獣在態度上、 浪有諏刺逼様腐害、 ……所 心態 …… 38 その後、 戦中、 戦後を通 じて、 倦まず書きつづけた作品 (剣北辺、 国家至上、 火葬、 四世同堂) に、 それ がますます明瞭にあらわれてきている。 9 用力粒車去排口飯吃、 是天下最有気骨的事 3 40 且学問之道、 貴乎思、 方恩之時、 難老悌之言、 皆足鴬杏肋、 何況宋儒及諸家之訟乎。 (弁道). --. - 20 -. 文部省助成研究 No.10237 に 関 連. --.

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