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教育理念の形成と教育刷新委員会第三回総会

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(1)Title. 教育理念の形成と教育刷新委員会第三回総会. Author(s). 古野, 博明. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 32(2): 47-61. Issue Date. 1982-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4872. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 教育理念の形成と教育刷新委員会第三回総会. 古. 野. 博. 明. 憲法・教育基本法体制の教育理念は, 1 930年代以来の学制改革 への期待の延長上に, 第二次世界 戦争終結後における内外の諸力 の複雑な合成のもとで, 侵略戦争とファ シズムの一掃という戦後史 を貫いた世界史的課題と深く結びつきながら, 改革に直接かかわっ た人々の思想と論理を介して形 成されるに至っ た.教育理念の形成に関する問題の所在を直接にしかも最もあ ざやかに示したのが , 19 46年9月 20 日, 文部省四階会議室で開催さ れた教育刷新委員会第三回総会である . 教育改革に向けての教育刷新委員会の本格的議論は, この総会において開始されたといってさし つかえないであろう. また, 田中耕太郎文相の強い指導と影響のも とにすでに省内大臣官房審議室 で練られつつあっ た教育基本法の構想が, 文相自身によ ってこの日はじめて報告され, 教育刷新委 員会の参考に供されたのは, よく知られている. これらの報告や討論は, 憲法改正案 (衆議院修正 案)の第九十帝国議会通過( 1 946年1 0月 7 日)を目前に控えて行なわれたの であっ た. 今日, 教育 基本法成立過程の再検討を促す作業の一つと して, この総会に提出さ れた教育理念の根本的刷新を め ぐる複数の異なった発想を紹介しそこに現れた問題の基本構造を指摘しておくことは 先行研究 , が必ずしも十分な位置づけを与えなかっ た教育基本法成立史における教育刷新委員会第三回総会の 意義を確定するうえ で有益であり, また, 人間教育と国民教育をめ ぐる議論の行方に一つの素 材を 提供しうることになるかもしれない.. (1) 第三回総会の進行の順序とは逆になるが, すでによく知られた田中耕太郎による教育基 (ママ ) 本法の全体構想から検討してみよう. その口頭報告は, 「極く大雑把に 二 週間か十日位 で御参考に 供することが出来」るo )との第二回総会における約束に従っ てなされたものではあるが, 同時に, 教 育基本法制定への田中の強い期待と意思の表明ともなっ た , 田中は, まず 「教育の理念とか目的とかという問題について簡潔に示した方が宜い」 としてその 法定の必要性を明らかに し, 次のように述べたのであっ た. 「これは, 天下り的に上から教育理念を押しつけるというようなことは好ましくないことであるということも考 えたのでありますが, さきほど関口委員も触れられましたが『憲法の前文に, 民主主義の理念, つまり普遍人類的 な理念はこういうものであるといことを掲げてありますから, 従って教育の根本法というべきものにおいては, そ の点じ こ触れた方が有益だろうというように考えて, これは決して役所でもって一般の観念を無視してディクテート 47.

(3) . 古. 野 博. 明. するという意味でなく, 本当に全教育界がこういう風に要望して居るだろうというようなそういう気持をくんで掲 げるわけであります. ……従ってその点もやはり憲法改正草案の教育上における発展という意味を持って居るので あります.」(傍点引用者)( 2 ). かかる見地に立っ て示さ れる教育目的構想のアウトラインは, 次のようなものである, 「……教育の目的, あるいは理念と申すべきものといたしましては, 真理の探求と人格の完成が目的であり, 民 主的, 文化的な国家及び社会の成員として責任を果たすことができる心身共に健全な国民を育成するということを 一応書いてみたのであります. しかし, これは抽象的になって居り, もう少し具体的な方針を掲げた方がよくはな いかというわけでありまして, 真理は普遍的なものであり, 人格は尊厳なものであり, 社会はお互の協力によって はじめてその健全な発展を期待しうるものである, 又, 個性の健全な発展を図り, 実生活との関連を考慮しつつ相 互の敬愛と信頼のもとに切さたくまによって, 文化の創造と発展とに貢献するように教育を行わなければならぬと いう多少具体的な方法を掲げて居るとも考えて居るのであります.」(傍点引用者){ 3 } ※ なお, 今日 では, 1946 年 9月2 1日付教育基本法要綱案の存在が明らかにされている. (鈴木英一「教育基本法 97 8年, 8 3一8 5頁)それ における戦後改革の精神」『教育基本法30年と教育法学』日本教育法学会年報第7号, 1 によると, 「教育の目的」「教育の方針」 は, 次のようになっており, 田中の報告とほぼ対応していることがわか る.. 1 ( )教育の目的 教育は, 真理の探求と人格の完成とを目的とし, 民主的, 文化的な国家及び社会の成員としての責任を果す ことが出来る心身共に健全な国民を育成することを期すること, 2 ( )教育の方針 教育は, あらゆる機会にあらゆる施設を通じて不断に行はなければならないものであって, 真理は普遍的な ものであり, 人格は尊厳なものであり, 社会はお互いの協力によってはじめてその健全な発展を期待しうるも の である と い 、自覚のもとに, 研究の自由を尊重し, 個性の健全なる発達を図り, 実生活との関聯を考慮しつ つ, 相互の敬愛と信頼とのもとに切瑳琢磨によって, 文化の創造と発展とに貢献するやうに行はなければなら な いこ と.. 教育の直接の目的をあくまで人格の完成と真理の探求におこうとするところに, 「教育の本義」 , すること 「教育は本来然かあるべきものとする信念」 て 教育を直接国家社会形成の手段化 に立 っ , ( 4 ) を避けようとする元来からの田中の論理の特徴が現れており, 教育活動の具体的展開は, 文化の創 造と発展に貢献すべく, 文化的活動の実質を有すべきことが強調されたの であった. そして国家, 社会の成員たる国民 (→国際社会に開かれた世界的日本人) の育成は, このような抽象的 「人間教 育」 の目的の 「達成」 を通じて行なわれるべきことが論じられたとみられる. 従来の通説的理解に 従うならば, ひとまず以上のように理解することができよう. かかる教育理念を教育根本法に積極 的に掲げることで「従来の軍国主義的極端な国家主義の方針」 (傍 点引用者)を排除する意図を表現 しようとした{ 5 )のであるが, それが果たして国家主義的教育構造と論理を全く持たなか ったか どう か, また, 歴史の試練に十分耐えうる内容を持ちえたかどうかは, 慎重な吟味を要するところであ る.. . 田中は, さらに, 教育根本法に規定すべき事項として, 教育の機会均等, 女子教育, 義務教育, 政治教育, 宗教的教育, 学校教育, 教育行政をあげ, 簡単にその内容を述べて いるが, 教育行政に 関する次の説明は従来からとりわけ注目を浴びてきた事 柄であっ た, 「最後は, 教育行政の問題であります, ……文部省なり地方の行政官庁なりが終戦まで執って居った態度は我々 の考から言ってはなはだ違いものであるのでありまして, 文部省にしろ, あるいは地方の行政官庁にしろ. 教育界 に対して外部から加えられるべき障碍を排除するという点に意味があるのであります. 又一方には教育界の世話を 焼き, 保護する屋根のようなものである, 教育の方針をかれこれと指導すべきではない. ただ教育理念に関します 限りは, 民主主義的な教育を実現し徹底させて行くという大きなことは促進しなければならないでしょうが, その 方針は やはり民主主義の方法でなければならない. 官僚的な弊害に陥ってはならぬことは当然であります, 要する 48.

(4) . 教育理念の形成と教刷委第三回総会 に, 学校行政はどういう風にやっていかなければならないものであるかということ あるいは 学問の自由 教育 , , , の自主性を強調しなければならないということ, ……そういう建前をもって教育の目的遂行に必要な色々な条件の 整 針蒲確立を目的とするようにやって行かなければならぬというようなことを考えて居る次第でございます 」(傍点 . 引用者)( 6 ) ※ 前掲1 946年9月2 1日付教育基本法要綱案の 「教育行政」 は, 次のとおりである , ( )教育行政 9 教育行政は,学問の自由と教育の自主性とを尊重し,教育の目的遂行に必要な諸条件の整 劃荷確立を目標として 行はなければならないこと. 教育行政は, 教育界に対す る外部からの障碍を排除しかっ 「教育界の世話を焼」 いてそれを 「保 護する屋根のような」 役割を果たすべき であって 「教育の方針をかれこれと指導すべき ではない」 , との論旨は, 具体的教育活動の展開を学問の自由, 教育の自主性の保障領域に委ねること を予定す るとみられ(教育行政の任務と限界) , また, 「教育理念に関する限り」においては, 「民主主義的方 法」 によって上からも大いに促進されるべきことが説かれている ここに田中の構想の啓蒙的性格 .. と「教育理念」ないし 「教育目的」 と「教育の方針」(具体的教育活動)の制度上の区別が垣間見え る, 教育の目的遂行に必要な色々な条件の整備確立という用語の中に かかる論旨が込められたの , であ っ た.. このように, 田中が報告した教育基本法構想には, 教育は 「国家の他の政治的及び行政的機能か ら独立して, 人間を作るという独自の使命の遂行に当るものである」 ( )との見地から教育 そのものの 7 内在的価値に立脚しようとする彼の「人間教育」の理念と教育権独立の論理が( 8 } , いかんなく発揮さ れたとみることができる, しかし, それがこの時点でいかなる論理構造と位置づけを持ちえたかは , おのずと別の 問題である. ( ) ところで, 教育基本法の成立過程 を詳細に扱っ た代表的な先行研究は 以上の田中の構想に 2 , ついて十分な注目を払い, つとめてその意義の解明に力を注いできたとみることができる 例えば . , 鈴木英一『教育行政』(戦後日本の教育改革3,1 9 0年3月, 東大出版会)は, 「すでにこの段階 で教育基本 7 法との相当の共通性がたどれる」 こと, とりわけ 「教育基本法第1 0条 (教育行政) の 『条件整備』 という考え方が, 学問の自由と教育の自主性を保 障する建前のもとに提出されていることに注目し たい」 としながら, 教育基本法立案作業開始時期における田中耕太郎の指導的役割とその成文への 影響をきわめて重視 している ( 21 3一21 6頁) 9 7 61月, , 堀尾輝久『教育理念』(戦後日本の教育改革2,1 東大出版会, 山住正己と共著)も「成案と田中文相の提案を比較すれば そこに大きな共通項を見出すこ , とは容易である」 ( 331頁) 「表だっ た行動をさしひかえた文部省(田中文相 審議室)が÷ 教育基本 , 法案の素案を提示することによって, 実質的には重要な役割を果たした」 ( 315頁)としている, 田 中の所論とその指導的役割に着目する研究の成果は, とりわけ 「講和」 以降のわが国の教育が 政 , 治との対応において無原則的な妥協と迎 合に堕し易く 政治への従属の道を急テンポ で進んだこと , への 鋭い批判の視点と論理を備え, 抵抗への熱い想いに満たされていて読む者に深い感動すら与 え る. また.その資料的実証性 の豊かさは 後学の者に力強い励ましとなっ た 〔なお 鈴木 『現代日本 , , の教育法』( 1 9 9年, 勤草書房) 7 堀尾『 教育と人権 1 』( 9 7 岩波書店 7年 兼子仁と共著 ) も合わせて参照さ , , , れた い.〕. 一方, これらの研究は, 教育基本法成立過程の表裏の問題として教育勅語をめ ぐる問題が焦点と なっていたことを正しく 取り扱い, 勅語の擁護者たる田中耕太郎が この時期に教育基本法との両 , 立を構想していたかにみえることにも言及している( . では い たい っ 9 ) , . , 田中が提示し, 法定化しよ うとつとめた 「人間教育」 の理念と教育権独立の論理は 教育勅語擁護の態度といかに整合的であ , りえたのか. その克服の跡をたどろう とするとき, 問題は依然残されたまま であることを知るの で 49.

(5) . 古. 野. 博. 明. ある. ここ では, さしあたり, 田中の戦後の 「出発」 に立ち返って検討を要すべきことの指摘にと どめ ざるをえない. 第一に, 田中は, 敗戦直後において, 連合国側 が 「我が国体が軍国主義及び偏狭排他的なる民族 主義の淵源」 とみて 「国体に累を及ぼすの 懸念絶無なりとしない」 という見通しに立って, 神がか り的信念では なく 「合理的理論的説明を考 慮用意し, 連合国側をして衷心我が国体が真に国家生活 の維持発展の為の 必須条件なることを確信せしむことは, 現下の対外政策の見 地から最大の緊要事 である」 ⑩ として日本君 主制の政治学的合理性を主張する国体護持の有力なイ デオロー グの一人と して登場したということである. 田中はまず, 原理的には, 我が国家が 「皇室中心として結合し, 自然的に発達 した一大家族集団である」 とする家族国家観に 立つ. 「凡そ総ての社会形態の理想は, 家族に求められる. 何となれば, 家族に於て, 全体と個人, 権威と自由, 命令 と服従, 本能と理性, 義理と愛情, 犠牲奉仕と自我の発展との完全なる調和が発見せられ, 成就せられるのである. ところで家族的国家観は我が国に於て単なる 『アナロギ-』 的説明や象徴に止まるものではなく, それは我が国家 の歴史的現実に一致するものである.」”“. かかる我が国家の特質は,「共産主義が我が国に於て特に認容せられ得ぬ一つの理論的根拠を為す ものである」 とみなされた. 次いで, 我が国民性の 欠陥にもかかわらず, 「アナーキー」 と 「独裁」 の交替的出現を 防止して国内秩序を維持し, 「国力を油養」して対外的に「大国の地位を維 持獲得で きた」 のは, 「国体の精華の然らしむる所」 であると述べて 「我が固有の君主制」 の現実的機能にも 論及する. こう した原理的, 現実的「合理性」ゆえに, 国体護持=天皇主権の擁護は, 「政治の安定 及び国家の健全なる 発達」 したがっ て 「変革」 の拒否にとっ て不可欠の主柱と考えられたのである, 要するに, 田中にあっては, 帝国憲法の国体に関する諸条規は, 「将来に対する不動の根本規範」で あ っ た. { 1 2 ). 94 5年9月に前田多門文相との会談に備えて 第二に, 田中の教育思想的出発は どこにあったか.1 i度的方面」の二項目から成り, その「内 作成されたメモ, 『教育改革私見』 . 3 { )は, 「内容的方面」と 怖l 容的方面」 の冒頭に 「教育思想」 を掲げている, 戦後の出発, 教育改革への着手にあたって田中が 教育思想の 「転換」 をいかに重視 していたかを伺い知ることができる. そこには, 次のように記さ れ て い た. ( 1 )国民教育の倫理化 -- 倫理的形式主義の排斥, 教育勅語の自然法的意義の顕揚(政治に於ける五ヶ条の御誓文 に同じ) -- 従来の国体明徴運動の実効少なかりしこと及びその弊害の反省 -- その対策として倫理教育に於て 宗教的内面性を強調すること ( )被教育者の個性の発揚と人格の完成に力を致すこと -- 但し個性の発揚は,個人主義,アナーキズムの弊に陥 6 らざるやうに警戒することを要し, 人倫の大本, 即ち自然法的道徳原理に依る限界を厳守する必要あること. 「教育 思想」 の冒頭に 「国民教育の倫理化」 が掲げられ, 「人格の完成」 ないし 「個性の発揚」 は 最後の六番目に登場することに注目したい. 国体明徴を標梼した極端な国家主義排斥の第一の眼目 は, 国民教育の倫理化の主張であって, それは形式化した教育勅語理解 をあらためて, その自然法 的意義の顕揚を図ると同時に 倫理教育において宗教的内面性の質 を導入するところに求められたと みられるの であり, 「人格の完成」という目的は, こう した倫理的秩序=自然法的道徳原理の中に昇 華せ ざるをえない論理構造を持つとみなければならないであろう. また 刻ま, もともと 「人間は」 (したがって「人種, 民族, 国家其の他総ての経験的, 歴史的存在 である人間の集団」も)「真善美 の価値判断に関しては自由 でありえ」 ず, それは 「我々 以外のある」 (普 遍人類的な--古野)「標 準に依っ て決定せられている」( M )との見地に立っていたが, その意 味で 「国家も真理及び道義に奉 仕すべきものなることを明 瞭にすること -- 反対に権力国家的思想即 ち国家が正邪善悪に 超越す 50.

(6) . 教育理念の形成と数刷委第三回総会. る存在なること又は国家が正邪善悪の尺度を規定し国家に有用な, るもの即ち正且つ善なりとの思想 を排撃すること」( 『教育改革私見』「内容的方面」( 4 )教育と国家主義) を掲げたのであっ た. かか 舟教育思想( る国家主義的教育構造の相対化ということも田中の教育思想の重要な特徴である さらに 彼は , , , かねてより教育における権威と 自由の調和を主張していたが( , 5 ) , 前掲『教育改革私見』 では, 「教育 者の権威は如何なる意味に於て存するや」 と問い 「倫理的方面に於ては絶対的, 学問的技術的方面. に於ては相対的 -- 教育的協同体思想, 家族主義 -- 家長的権威は学校教育に於ても必要なるこ と」 と記している. 初期における田中の教育勅語擁護の態度は, 以上のような国家観, 教育思想に二重に支えられた 論理必然的帰結であっ たとみなければならない . 「天皇制に関連致しまして今日の極端な考へ方から勅語とそれ自身が甚だ封建的なものであり 真理に反するも , のであるかのやうに言ふ者があるのは, 私の理解できないところであります 形式は主権者の諭旨といふことに . なってをります.併し乍ら私は如何なる形式であれ,その形式によって内容が誤りになるものぢゃないと思ひます . それは親がその権威を以て子に訓戒するといふこと・同じであります. 親の権威を以て我々に或る事を教へる 同 , 様に, 一国の君主が国民に対して国民道徳の帰趨を示すといふことは, これはあってい・ことであります 君主の . 権威のために真理が誤りになる訳のものでもない, といふことをはっきり我々は確認してをればい・のでありま す,」 「総ての古典例へは言 論孟だとかバイブルだとか, 仏教の聖典だとか, ギリシャの先哲の教へだとかが 真理に適っ , てゐる故に効力を持つといふ意味において教育勅語は或る種の内容的権威を持ってをるといふ風に考へるのであ ります. 唯それが補はれなければならない, 補はれたら一層よいといふことは……別問題であります 」( 6 ) . ,. みられるように, 勅語の擁護の論理 を天皇の権威によって外的に 構成するの でなく それ自体の , 「真理」 性の承認に基づく内容的権威に立脚し, その 「自然法的意義」 を高め その原理の 唯一絶 , 対化を避けようとしている点に田中の所論の重要な特徴があった その論理形式は 「教育を政治の . , 手段とせず其れ自体価値あるものとす る思想」( 立脚して に 教育権の独立と教育の権威の維 持確 , 7 , 立を論拠づける終始一 貫した彼の所論がもつ独自性ときわめて相似 している また この時期に , . , 補われるべき新しい政治理念, 新しい教育理念が, いかなる形式 であらわされるべきかについて , 田中がどのように探求していたのか, 筆者は未だその判断の材料をもちあわせ ていない . ところ でなにゆえに田中は, 戦後においてかかる 「出発」 をなしたのだろうか 田中における国 . 家と教育をめ ぐる論理構造の究明とともにそれは困難で重い研究課題となって我々にのしかかって 来る感を禁じえない. また, 田中の所論のトーンないし力点は, 情勢の推移とともに少しずつ変化 をみせたことにも 注目をしなけ ればならないであろう. ともあれ, ここでは, 教育刷新委員会第三回総会においても依然次のように 述べて教育勅語原理 の相対比の方針をいっそう鮮明にしていたことに注目しておこう, 田中にあっては 教育勅語原理 , の相対化と教育目的の法定は対をなしていたのではなかったのか, 「教育勅語につきましては, 新しい教育勅語を奏請するというような意図は持って居りませぬ しかしながら . , 従来の教育勅語につきまして第一線の教育者達が取扱いに迷って居る, ……従って……実際の取扱いの問題につい ては何か指示する必要があるのではないかというわけでたゞ今案を練って居ります た ゞ教育勅語に対する全体の , 心構えは, 今まで色々の機会において表明して参りました. つまり教育勅語を今まで神懸り的のもの つまり神様 , の言葉として取扱うような態度であってはならない. それは倫理教育の一つの貴重な資料であるというような態度 で臨まなければならぬ, しかしそれは唯一の理想ではない. あれを唯一の教育の淵源であるというように考えたと ころに誤りがある, なお, 教育勅語は, 抽象的な徳目列挙になって居りますが, これを活かしもっと掘り下げなけ ればならぬ. これは哲学とか倫理とか宗教とかあらゆる方面から掘下げなければならぬのであってたゞあれを暗唱 するというようなことは意味をなさないというようなこと で参って居るのであります 」( 8 ) , , ( 1 )教育刷新委員会第2回総会速記録 (野間教育研究所所蔵, 以下同じ) , 田中耕太郎発言. 51.

(7) . 古. 野. 博. 明. { 2 ) 3 )教育刷新委員会第3回総会速記録 ,( 「ポツダム宣言履行の為めの緊急勅令事後承諾に関する貴族院委員会」(田中耕太郎文書) 日本教育法学会年報第 ( 4 ) 4 号. 1975年. ( ) )教育刷新委員会第3回総会速記録 5 6 ,( ( 7 30 ) 『田中耕太郎巣』 ( 1 9 19 46年3月1日 『中央公論』 4月号) )田中耕太郎 「教育と世界観」( 95 , 現代知性全集 ( 年9月, 日本書房)149頁 3号参照 7巻1 ( 8 )佐藤秀夫 「田中耕太郎の教育権論」『法律時報』 第4 ( 19 9 )鈴木英一 『教育行政』( 19 70年3月, 東大出版会)1 59一1 81頁, 堀尾輝久・山住正己 『教育理念』 ( 76年1月, 東大出版会)316一32 5頁 I D 1 )田中耕太郎「日本君主制の合理的基礎」政治研究叢書口『天皇制の科学的研究』1 ( 1 2 46年1 の 9 0月, 桃膜書房) ,( ,( 2頁, 3- 4頁, 5 9, 10頁, 1頁 ( 1 )田中耕太郎文書, 日本教育法学会年報第4号, 1 3 9 75年 1 ( 4 )田中耕太郎 「国際文化運動の理念」( 1 2- 9 36年12月 5 日 『改造』 第1 9巻第12号所載) 前掲 『田中耕太郎集』4 43頁. ( 1 9田中耕太郎「教育に於ける権威と自由」( 1 19 45年2月 7 日『大 94 0年3月 3日『中央公論』所載) , 「教育と政治」( 19 49年勤草書房版) 所収 日本教育』799号所載) などを参照, 『教育と権威』( 19 46年11月, 好学社)所収27 ( 1 6畑 中耕太郎「教育に於ける権威と自由」( 19 46年3月1 9日)『教育と政治』( 9-28 0 頁, 284頁. 館 )注( 4 )に同じ. { 1 8 )教育刷新委員会第3回総会速記録. 3. ( 1 ) 田中耕太郎による教育 基本法構想の提示に先立って, 教育刷新委員 会第三回総会は, 教育理 念の根本的刷新に関し, 総括 的な討論を行なっていた. 関口鯉吉, 大島正徳, 倉橋惣三, 羽渓了諦, 戸田貞三, 河井道, 竹下豊次, 森戸辰男, 佐野利器, 務合理作, 木下 一雄, 川本宇之介, 矢野貫城, 高橋隆道, 名 倉愛吉, 関口泰, 渡辺鉄蔵, 城戸幡太郎の18名の委員が, 次々 と発言に立って白熱し た討論を展開した. この間達なフリートーキン グに見出される最も重要な問題は, すでに少しく文 部省筋が明かしつつ あった新しい教育の理念,予想さ れる教育根本法の内容を具体的に鋭く意識し, その動向と明らかに対立的で, 全く 異質の論 点が提出されて, 教育理 念の形成に強いイ ン パクトを 与え, その後の過程が, 田中の思 惑とは異なった展開をみせる出発点となっ たとみられることであ る. そ して, そ こ に は, 今 日 の 時 点でもあらためて吟味を要するほ どの二つの重要な, しかも異なっ た発想が含まれていた. 第一に, 後に, 第一特別委員会の討論を終始リー ドすることになっ た森戸辰男, 務合理作の主張 が注目される. 森戸は, 新たに示されるべ き教育の理 念は,「単に真理の探求が大事である, あるい は, 人格を 尊重しなければならぬというやうな抽象的なものだけに止ま ってはならぬ」 と, 田中耕 太郎, 山崎匡輔ら文部省 首脳を強く牽制 したうえで, 次のように述べた. 「……例えば教育勅語の精神を見ますと, 封建社会が一つのイデーとしてその後ろに盛られて居ることは明らか であります, 従ってこれに対する新しい教育理念としては, 単に誰にでももっともな概念を並べる以外にこれを統 合した一つの社会的イデーというものが表わされなければならぬではないか. 前の方がいわれたように社会生活殊 に協同生活その最も代表的な形である国家というものと関連してやはり教育の根本理念というものが, 明らかにさ れなければならぬのではないかと考えます. 従って根本理念を考える場合には, いつも新しい社会の理念, 新しい 社会には政治的経済的に今非常な変化の時にありますから, そういうもの・把握がなければならぬのではないか即 ち旧い協同生活の理念から新しい協同生活の理念を我々が把握するということで初めて可能になるのではないか. 殊に政治問題に関連しては, 新しい憲法においては天皇の地位については少なくとも法律的には一大改変があった のでありまして, これは道徳的にも一大変革がやはり持ち来たされなければならぬ, 又, それに応じた教育の根本 52.

(8) . 教育理念の形成と教刷委第三回総会 理念というものが出来なければならぬ. 新憲法というものが新しい理念を持つ……現実の事実として我々はその前 に立って居り, 国民が正しいとして受け容れる以上, それに応じて私共のいろいろな精神的制度的諸施設は作られ なければならぬ, 教育の根本理念に付てもかような意味の高い社会性, 政治性が盛られることが必要じゃないかと 考えますので, 御審議の場合は是非そういう点を是非とも考慮されたいと思います 」(傍点引用者) , ( } ,. みられるように, 教育理念の抽象的設定に対する批判は痛烈である 教育勅語の徳目だけ ではな . く, その社会的, 政治的性格 を否定し, 国体を変革した 新しい国家 天皇主権でなく 国民主権の , , 社会生活, 協同生活に立脚した教育理念の設定を求めるその論理は 国民の民主的再形成という歴 , 史的なすぐれて政治的, 社会的要求をよく反映していたということができる 後に森戸は 個 人の . , 価値と平和 (国際平和) の媒介として, 「協同体たる国家, 或は国民」 を設定することが必要であ る とし,「個人の尊厳の実現される場として, 又世界の平和の確立せられる一つの社会的場としての国 民協同体というものが閑却されてはならぬ」 と 主張することになるのであった( 2 ) , 務台は, 戦前教育 の欠陥を,( 1 )功利主義, 立身出世主義の手段と化したこと ( )社会 の教育に対 , 2 する実利的要求 の弊害,( 3 )教育勅語にみられるような, 観念的忠君愛国主義の上からの押し付け , の三点において指摘し, それらの除去を強く主 張しながら, 森戸の意見に 賛意をあらわした . 「そこで, 教育の効果を挙げて行く上に何が最も基本的であるかというその見透しをつけることが最も大切であ り, 具体的な問題になるのでありまして, その基本的なものというのは, たゞ今森戸さんが言われたように二つの 点に壷きると思います. 第一は, 将来の社会協同生活, 国家生活というものに見透しを持つということ 従ってある性格を持たなければ , ならぬと思います, 唯国の為になるとか社会の為になるとかいうことでなく 如何なる国家 如何なる社会に対し , , てなすべきかという点の見透しをつけましてその見透しの上から基本的なものが選び出されてくる その基本的な , ( ) ママ ものが選び出されて参りますれば学校の教課目というものは非常に単純化され簡素化されて参りまして従ってそ こに力を入れることができますからそういう基本的なものを学生生徒にしっかり身に附けてやることができるだ ろうと思います.又そういうものが将来の社会なり国家の建設に実際に役立つわけであります ……」(傍点引用者) ,. 務台にあっ ては, 教育の営為は,「唯国の為になるとか社会の為になるとかいうこと でなく 如何 , なる国家, 如何なる社会に対してなすべきかという点の見透し」 のうえに行なわれるべき 将来の , 社会及び国家形成の媒介であったと考えられる. かかる意味で 「学校の社会化」 を求めるとともに 「社会自身が教育化」 すべきことを主張しつつ, 普通教育 (Gene IEduca i t ) の確立を構想した ra on の である. またこのような社会 的性格をもつ 国民教育 のもう一つの基本問題として務 台は 「人間づ , くり」 をあげていた. 「もう一つはやはり人間の問題でありまして, 人間を作り上げて行くということ, こういう面では多分に宗教的 な面であるとか, 本当に良い意味での道徳の面というものになって来るであろうと思いますが こういう点は実際 , に当る教師の人格というようなもの・影響の大きい所であろうと思われます.」( 3 〉. 務台が人間の形成に ついて 「こういう点は, 実際に当る教師の人格」 の影響が大であると語ると き, それを宗教的内面性や抽 象的道徳秩序に昇華させようとする見解への警戒心の現れとみること は憶測にすぎるであろうか. かく して, 務台は, 教育理念の設定にあたっ て 「学校の仕事において最も基本的なるもの」 を明 確にするよう求めたのであった. 第二に, 次のような関口泰と城戸幡太郎の発言は, 森戸, 務台と同様に文部省 筋に批判的であり ながら, 彼らの見解とは対極をなすものとして注目される 関口は, 教育の理念を法律で定めるこ , と に か か わ っ て こ う 述 べ た,. 53.

(9) . 古. 野. 博. 明. 「皆様の御話を承りますと, どれもこれも大事でありますが, これを教育根本法においてどういうかっこうにす るかということを考えてみますと, 私は根本法そのものに多少の疑を持つのであります. ……務台委員の御話の中 に根本理念とかあるいは教育の目的というようなものを上からもらわなければ下の教育者が動けないようなこと では困るというようなことがありましたが, 私非常に同感で, ことに文理科大学長であり, 高等師範学校長である 方からこういう御議論を伺うことを非常に嬉しく 思うのであります. このことは, 教育勅語との関係で皆の頭にあ るのではないか. 新しく教育勅語を奏請するかどうかということは, 只今では恐らく問題ではなく なったのではな いかと思いますが, とにかく教育勅語に代るべき教育の根本理念なり何なりを法律に依って最高国家機関である所 の国会が決めるというよう な所に頭があるのではないか.しかしながら憲法を見ましても前文にありますように,こ の根本理念をあすこで説くことはできると思いますが, あとの係文になりますと憲法が組織法であるように. やは り教育の根本法というものもある程度の教育体系, 教育制度の基本を決めなければ, たゞ抽象的な概念のら列では 法律にならないのではないかと思います.」「さきほど根本理念というのは, 前文に書くくらいの程度のものではな い か と 申 しま した が… … た ゞ法律のかっこうにするとその観念は固定する. 根本理念とか教育の目標というものを 余り細かくあるいはそれを重んじてというか直せないようなものにして吹き込むことには無理があり, 余り喜ぶべ きことでないではないかというように考えて, とくに根本理念の内容は, それが基本法との関連においてそういう 疑問があることを一言申し上げた次第であります.」(傍点引用者) …. 関口が示唆したように, 教育刷新委員会では, すでに, 教育勅語に代 わるべき教育理 念の刷新は, 法律の形式に おいて明示されるべきことが提起されつつ あった. こうした状況のなかで, 関口は, 理念や目的を法律で定めて 「余りに細かく」 「直せ ないようなものにして吹き込む」ことに 鋭い疑問 を呈したの である. この意見に賛成 して発言に立っ たのは, 城戸幡太郎である. 「私はさきほど関口委員から御話のあった点に賛成でありまして, 教育の理念問題は, 教育の根本法と連関して 考えていた ゞきたいと思います. 関口委員は, 教育理 念は主として内容に関係するからという御話がありました. 教育という立場から考えますと, 教育の理念は単なる内容ではなく, 内容を創造して行く機能が教育の理念だと思 います. ……今ここで教育の内容についていろいろな徳目などが挙げられてありますけれども, 私はそういう徳目 をここで規定してもそれが絶対的なものでなく, 将来いろいろな徳目を定め考え, 又発展していくものである. そ の社会の進歩発達を行うのが教育の任務だと思うのであります. そういう意味で今ここでいろいろな徳目をら列し て教育勅語にあるような徳目をどういうように変えるかという問題でなく, そういう風に変えて行くことは, これ からの子供達がやって行くわけでありますから, それらの子供達がそういう風に自ら決定し, 又自ら発案して行き 工夫していくような人間を作るという所に教育の理念を置いていただきたいと思うのであります.」(傍点引用者). 教育理念の法定に疑問 を呈する人間教育の 主張が, 社会の進歩とともに教育理念が発展するもの であるという見地, 教育の理念と教育の内容を区別 しようとする発想を含んでいるこ とに注目した い. 城戸はさらに 「どういう人間 を作るか」 と問うて次のように説いた. 「……自由な教育をして自分のことは自分で決定する, あるいは, 自分で工夫してやって行くような人間を作る ということに なれば, 実社会において仕事に就いて行く場合に仕事に依って訓練され, そこに新しい文化をも自ら 創造して行き, 本当に役に立つ教育として考え得られると思います. そういう役に立つ教育をするには道徳的なも の, 宗教的なものももちろん重要であるが, 私は仕事だと思います. 人間が生きて行く場合には仕事をしなければ ならぬ, いかなる仕事を国民に与えていくかということ, 仕事というものにはっきりした見透しがついて居らなけ 学課を 単に教えるというだけで れば教育はできないのではないかと思うのであります. 一般教養として抽象的な は, それが役に立つとか立たないという問題が起って来るのでありまして, これから我々は どういう仕事をして行 5 } かなければならぬかという問題をはっきりすることが教育理念を示すことと思うのであります.」(. みられるように, 城戸は, その人間教育の理念を宗教, 道徳の方向に向かって抽象化するの でな く, 具体的に労働, 職業政策と関連させて 設定しようとしていた. ) こう して, 教育刷新委員会第三回総会の討論は, 教育理念の形成をめ ぐる二つの革新的議論 ( 2 の表出の機会となったのである. その一つ が, 森戸, 務台に代表さ れる国民教育再生への論理であ の理想の具体的追求であっ た. 二 り, 他の一つは, 関口(泰) , 城戸にみられる 人間教育の発想とそ 54.

(10) . 教育理念の形成と教刷委第三回総会. 度目の発言に立っ た森戸は, あらためて自己の 主張を展開したが, 同時に それま での討論 で か , , かる二つの異なっ た考え方があることを正しく認識して次のように指摘していた . 「只今までの御話を伺いますと教育の根本理念について二つの違ったような理解があると思います 私は主とし , て教育の上というか境 でもって教育の方向を決めるようなものに重点を置いて考えて居ったのでありますが 他の , 一つは, 教育の中で教育をどういう風にしていくべきかという原則 こういう二つの考え方があるように思いま , す,」( 6 }. 前者が, 社会思想, 政治思想の研究に関与してきた人々の発想 であるのに対し 後者が 教育な , , いし教育学に近い立場に位置した人々のそれ であったという 事実は 興味なしとしない 彼らがこ , . の 「変革」 期に試みたものは, 一方は, 教育という事柄の社会的 政治的性格の明確化したが て っ , 教育と社会, 国家との関係の社会科学的究明の必要の喚起 であり 他方は 人間の発達と学習にか , , かわっ た教育に内在的に固有な価値と論理 の解明の重視 という ともにす ぐれて現代 的な課題 で , あったとうけとること ができよう, そして, 重要なことは, 両者がその 発想の根底において対極に位置してはいたが 必ずしも両立 , しがたい矛盾を内包していたとみなすことはできないと思わ れる点である 第一に ともに文部省 . ,. 首脳の教育勅語擁護の方針, 教育刷新委員会内部の新勅語漢発論に対する厳しい態度において共通 していた. 第二に, いずれも教育理念の抽象的設定に対する批判的見地に立ち その 克服の方向を , 探求していた. そして第三に, こう した問題意識の共通性を土台に双方の主張の間には 「連合」 と 「統一」 を図りうる 「接点」 を見出すことが できる 例え ば 務台が 国民教育への論理のなか で . , , IEduca i 普通教育(Gene t )を重視 し, 人間教育 の論理をも位置づけようとしていたことはす で ra on にみたとおり である. 他方, 城戸 は, 「ことに民主主義的な国家を作るということになりますと 政 , 治というものは世論の政治になりますと 政治の文化 的水準というものは世論のいか んに依 て決 , っ るわけでありますから, 教育はやはり世論を形成し指導していくということに考えてみますと ど , うしても国民の教養は, 1 8歳くらいま では, 一般教育 (Gene IEduca i t ra on-古野) を与えて行く ということに力を注がなければならぬ」( i IEducat ion) と し て r ve sa 7 }であろうとして普通教育 (Un の中等教育 の全国民的普及を説いたの であった こうして 教育刷新委員会第三 回総会において . , , 森戸, 務台, 関口(泰) 城戸ら は 田中耕太郎を 筆頭 とする文部省筋の論調に対して共同の論陣を , , はる素地をつくりつつあったとみられるのである. このことは 彼らの発言のし方にもよく現れて , おり, 双方の主張に互いに理解が示されていたことを伺うことが できる 我々は かか る対極的な . , 二つの発想が, 社会と国家のひとつの 「変革」 期における革新的議論として同時に登場し すでに , この時期に人間的自律と国民の再生という二重の課題が提起さ れ その統一への模索が開始されて , いたことに格別 の関心を払わなけ ればならないであろう . とはいえ, 教育刷新委員会第三 回総会に現れた国 民教育の論理が 国家による国民教育 の構造に , 変質・転化しない論理と構造を内に持ち合わせていたか どうか また人間教育の理念が 国民教育 , , の倫理化としてのそれを克服しうる具体的, 能動的見通しを どの程度に備ええたのかについては , 個々の論者にそく した厳密な吟味を要するところ である 教育刷新委員会第三回総会における 教 . , 育理念の根本的刷新に関する革新的議論の表 出は, かかる研究をふまえたうえ での正当な評価が与 えられなければならないであろう. ( 1 )教育刷新委員会第3回総会速記録 (野間教育研究所所蔵, 以下同じ) ( 2 )堀尾輝久・山住正己 『教育理念』 ( 19 76年1月東大出版会)3 34頁, 第一特別委員会第4回会議 ( 3 ) 4 ) 5 6 ) ) ( ) 7 教育刷新委員会第3回総会速記録 ,( ,( ,( ,. 55.

(11) . 古. 野. 博. 明. 4. 1 ( ) 教育刷新委員 会第三回総会は,最後に第一特別委員 会の委員として南原副委員長が提案した, 天野貞祐, 関口鯉吉, 務合理作, 芦田均, 森戸辰男, 羽渓了諦, 河井道, 島田孝一の8名について 了承 し, 会議を終えた. この人選の経過については定かではない. さて, 以上のような田中の構想と4人の委員の議論の紹介からわかるように, 教育刷新委員会第 三回総会は, 教育理念の刷新をめ ぐって, 田中耕太郎を中 心とする文部 省首脳と教育刷新委員 会の 理化の構 進歩派 (森戸, 務台, 関口 (泰) , 城戸ら) との間の見解の対立, すなわち, 国民教育の倫 想の具体的追求 生の主張と人間教育の理 想に源を発する 「人間教育」 の理念対国民教育の民主的再 との 「連合」 という対抗的構図を鮮明に描いたのであっ た. その根底に, 教育勅語の擁護と否定, 国体の護持と変革をめ ぐる認識の対立が非和解的に存在した. 一方は, 教育勅語の再解釈, 掘りさ げと補強を行う ことでこ れを擁護し, その補強の手段 を教育根本法の理念に 求め, 両者の両立を追 求したとみ られるが, 他方は, 教育勅語の 内容とその社会的, 政治的性格の否定の 上に主権者国民 の意思をもって教育 基本法を制定するように求めたの であった. ただ後者の間 では 勅語の否定の方 法について次のようなちがいがあった. すなわち, 関口 (泰) は, 第三回総会で新憲法草案第7条 の解釈として勅語という 形式が成立しえないことを追求した. 「教育勅語のことでありますが, 憲法の第7条に天皇の国事に関する権能が限られて居りまして, あの中には, 無 論教育に関することなどありません. 従ってこのことは当局が出そうと出すまいというような裁量の余地がなく なって新憲法においては国務大臣 が副署した勅語というような形式で教育勅語は出し得ないのであるということ を明瞭にできないものかどうか. この点は文部大臣でなく, あるいは委員長, 副委員長に伺った方が宜いかとも思 います,」( ・ }. これに対 し森戸は勅語という形式で教育勅語を否定する方向を探求していった. 「従来のような勅語を戴くということは, 時代として困る. ……其の教育の精神は, 新しい国柄に基かなければな らないということも勅語の中に云っていただければ, 従来の教育勅語が善いか悪いかということはなくなって新し いも の に な る と 一 番 な だ らか では あ るま いか.」( 2 }. 務台も, 「教育は転向しなければならん. 新 しい憲 法の精神に依ら なくてはならんということを 3 ) はっきり仰せられれ ば, それで教育勅語の処置は附くの じゃ ないか」と考えていた( . このようなち 結とみられる 発想のちがいの帰 がいは, 恐らく教育理念の刷新をめ ぐる . こ う Lた ダイナミ ッ クな対 立の構図は, その後第一特別委員会における保守派 (天野, 芦田, 羽 渓ら) と進歩派 (森戸, 務台ら) との対立, 妥協, 「合意」 を間にはさんでさ らに複雑な運動 を続け ることになっ たと考 えられる. それは容易に 完全な結着をみることができ ないほどの根の深い対立 であっ たという べきであり, 実際, 教育基本法成立過程は, それ自体と して教育勅語の廃 止という 成果をついにあ げえなか ったの である. このことは, 田中耕太郎の教育勅語の原理及び国家主義的 ある種の 教育構造の相対化の方針が, 「変革」との対蜂における見通し .とその現実的作用において, 「正確さ」 と 「生命力」 を保持しえていたことの証左でもある. 逆に, それは, 教育刷新委員会の 活動がもつ限界の 問題としても個々の論者にそく して分析の光があてられるべき問題であろう. しかしながら, かかる対立の構図は, 教育理念の形 成に直接関係 した人々 が活動 したこの時代の 46年9月7 9 歴史的動向と決して無縁でなかったことに注意を喚起 しなければならないであろう.1 日, 首相官邸で開 かれた第一回総会の委員会構成をめ ぐる質疑はこのことを少しく反映してい たと 1 )その成立の由来 みることができる. 文相拶 挨に立っ た田中耕太郎は, 教育刷新委員 会の特色を,( 56. ‘.

(12) . 教育理念の形成と教刷委第三回総会. が, 19 46年1月 9 日付連合国最高司令部の覚書「アメリカ教育使節団に協力すべき日本側教育家委 員会に関す る件」 にあること, 換言すれば教育刷新委員会の前身は 日本側教育 家委員会であ るこ , と,( 2 )教育のあらゆる分 野の代表的権威者を網羅して それが主たる構成要素とな ていること っ , , )その構成において全く 官僚的要素を含んでいないこと の三点において指摘 し 「それは どうい ( 3 , , , う所から来ているか」 と問いながら 次のように述べ たのであっ た , . 「教育は本来教育家の手に依って行はなければならない 従って 教育の改革に付ても亦 教育者 教育関係 者自 , . , , 身からイニシアティ ブを取るべきものであると云ふ民主主義的原理を反映するものである 」 4 〉 . (. これに対し森戸は, こう主張 したのである . 「勿論, 教育刷新のことでありまして, 教育関係の方が主として之に当られると云ふことは当然であります . 又, 日本の学校の状況から言ひまして, 官立学校の方が重要な部分を占めると云ふことも当然であると存じます が, 大 体にこの委員の顔触れを見ますと, 余り官立学校の而も長の方が多いやうに思はれます 此の点で多少新しい建前 . から立てると云ふこと で文部省から独立したけれども官的な性質と云ふものが相当残 て居るやうな結 果になり っ はせぬかと云ふ心配がなく は ないと思ふ の であります 其の点に於て私立学校方面の方々の参加が少ないのじ . ゃ ないかと云ふようなことが考へられまするし, 尚他面から申しまして教育生産者と言ひますか さう云 ふ方々が大 , 部分であって教育消費者と言ひますか, さう云ふ方面の代表者が割合に少ない 民間の 教育にインタレ ストを持 . , ちながら教育専門家でない人の参加が少ないのではないか それから又教育関係者の方 でも寧ろ長と云 ふものに主 , 眼が置かれて, 例えばもっと下部で教育に対する色々な意見も有り得ると思ふのでありますが それ等のも のは , 色々の形で教員組合などに代表される場合も屡々あるのでありますが そう云ふやうな相当重要な団体がある に拘 , らず, さう云ふやうな人の代表的の人は加へられて居ないと云ふやうな事情がありま して 是は私の希望 でありま , するけれども, さう云ふやうな面を考へますると まだ定員には充ちて居らないやうでありまするので 若しさう , , 云ふ方面を御考慮になって増員をして戴ければ 大変それが全面的な意義を持 て来るのではないかと思 っ , って居り ます.」( 5 ). 関口 (泰) も, 森戸の意見に賛成しつつ 刷新すべきものは旧来の教育であ て 「謂はば是は教 っ , 育刷新委員会の被告とも言ふべきもの であります 此の教育刷新をしなけ ればならないという要求 . が出て居ります. 其の方の側からの代表者が出て来て居る」 と委員会 の構成を批判 し 今後増員す , るときは教育 消費者の代表を加えるよう強く求めたのであづた ( 6 ) . かかる森戸, 関口 (泰) の批判は その後十分文部省筋の容れると ころとはならなか た しか , っ . し, 田中が, 「教育者」自身のイ ニシアティ ブによる自主改革を企てたのに対して 森戸 関口(泰) , , らが, それを多少なりとも国民的な広がりと下からの要求とかかわらせて 構想していたことは 注 , 目してよい事柄 であろう 第三回総会に 現れた教育理念の刷新をめ ぐる対立の構図は 委員 会構成 . , に関するかかる認識のちがいと同 質のものであり その延長線上に位置するとみることができ るか , らである. こう して, 教育刷新委員会第三回総会については 単に教育基本法の構想がはじめて提示さ れ , , 委員会審議の対象となり, 教育改革への本格的議論の開始を告げたという意味にと どまらず 教育 , 基本法成立過程において それまでの様相を大きく変える重大なエポッ クとしての地位が与えられな ければならないことになる したがって そこに現れた対立の構図にそく して 以後の審議の過程 . , , と立案活動がた どられ, 再検討される必要が生じうる その意味で教育基本法成立過程は解明 しつ . く さ れ た と は い い がた い .. ( 2 ) ところで, 先行研究は, 教育刷新委員会第三回総会のかかる位 置づけと構図に関しては意外 に淡白であっ た. それは,田中耕太郎による教育基本法構想の提示には十分注意が払わ れたが 彼の , 57.

(13) . 古. 野. 博. 明. 思われる. わずかに, 報告に 先立つ総括 的討論に格別の関心がもたれなかっ たところに 起因すると 倉橋, の意見を部分的に紹介 した 堀尾輝久が, 森戸, 務台, 城戸, 関口(鯉) , 戸田, 竹下, 川本, 育 教育の うえで, 「こう して人格と人権の 尊重, 正義と人 道, 子どもの 自発性と真理に根 ざした教 , 示され, そ 社会性と共同生活意識等々の理念が, 戦前の国家目的に従属した教育に 代るものとして う方 向が定まっ の表 現形式としても勅語によって ではなく, 根本法によっ て 宵言されるべきだとい 30頁) 2 8一3 て い っ た」 と す る に と どま っ て い る, (堀尾, 前掲書, 3. も十分に 重視 し, たしかに, 先行研究は, 教育 基本法成立過程における教育刷 新委員 会の活動を ) 9月に成立した教育刷 新委 1 1946年 (昭2 その分析に 重要な貢献をなしたといえる. すなわち, 「 1 3頁)「教育 基本法 員会は, 教育基本法立案活動についても大きな役割を果たした」(鈴木, 前掲書,2 9頁)とし, 前掲書,3 0 の成立にとっ ては, 教刷委の審議が第 一義的に 重要な役割を果たした」(堀尾, 三回総会が採択 そこでは とくに 第一特別委員 会の審議の過 程が詳細に 追跡さ れている. それは,第十 会に提示 した 一 した 「教育の理念及び教育 基本法に関すること」 およ び第一特別委員 会が第十 回総 法の 「教育 基本法要綱 案」 が, その後の省内立案活動の基礎と なっ たことを明らかにし, 教育基本 教育刷新委 とりわけ た , 成文には教育刷新委員 会の見解が強く反映したことを論証 したの であっ . 迫真の説得力が いては 成立する過程につ れらが 立のなかでこ 員会 内部の保守 派と進歩派の意見の対 派(森戸, 務台, あるといってよい であろう. けれども, これらの 研究では, 教育刷新委員会の進歩 中耕太郎 (したがって大臣官房審議 室作成の教育 基本法要綱 案) の 関口 (泰) , 城戸ら) の見解と田 にはほとんど着 目される 理念との発想の差違, それが両立しがたい根本的な矛盾を有していたこと の刷新についての ことがなく, また, 本来表裏の 問題とみ られる教育勅 語をめ ぐる論議と教育理念 務台,関口(泰) 戸 , 構想とが分離的に扱 われる向きもみえないわけ では ない. したがって,田中と森 , ともすれば て あ むしろ当然で っ ていないのは , , 城戸らとを対 比して 分析するという 手法がとられ ない もなくは るうらみ るやに感じられ 追求されてい 合性が , 両者の整 統一 先行研究の成果を継承 しながらもかかる 「盲点」 の解明 を意図して, 人間教育と国民教育の 提起 という課題が, 国民教育の倫 理化→ 「人間教育」 というき わめて保守的な構想と対抗しながら 題 であり, されていた歴史的問題状況を正確に徹底的に分析 しつくすことは,後学の者に残された課 と国家による国民教育の 今日 の時代が強く求めてやまないところ である. 人間教育の抽象性の克服 論的予 見を準 備すること プロセスに関する理 否定の 統一として国民教育の民主的再生のルートと は, 教育行政学の重要な課題といわれなければ ならない. ( 1 )教育刷新委員会第3回総会速記録 6年1月, 東大 197 3頁, 堀尾輝久・山住正己 『教育理念』 ( 19 70年3月, 東大出版会)17 2 )鈴木英一 『教育行政』( ( 23頁, (第一特別委員会第1回会議) 出版会)3 ( 3 )同前, (第一特別委員会第4回会議) 6 )教育刷新委員会第1回総会速記録 ) ( 4 ) 5 ,( ,(. 5. 戦後教育改革のこの時期に, 教育理 念の形成にかかわ って 重要な役割を演じたとみられる人物の 委員 なかに, 今一人, 南原繁 がいたことを忘れてはな らない. 彼は, 第一回総会において教育刷新 代わ たので 会に出席できなかっ って , 会の副委員長に 選出されたが( . } ,安倍能成委員長がしば しば総 第三回総 会の司会 その司 会をつとめることが多く, 総会の運営と動向をきめる重要な位置にいた. 58.

(14) . 教育理念の形成と教刷委第三回総会. を担当したのも南原 であり, 恐らく第一特別委員会のメンバー の人選にも関係したとみられる 最 2 ( } . 後に, 教育理念の形成についての南原の役割に関す る検討の必要性を喚起して本稿を終えようと 思 , つ.. 南原は, この時期に, 自主自律の平和 的民主的国家の建設を熱っ ぽく説いた知識人の一人であ っ た. その理想は, 19 46年8月 27 日, 第九十帝国議会貴族院 本会議での質問演説によく現れている . 「抑々日本が将来国際社会に伍しまして恥ずるなき独立国となる為には 何よりも正義と自由が人類の至宝である , ことを改めて認識致しまして, 外は世界に向かって最早戦端を開かず 却て人類の間に実現せらるべき高貴なる理 , 想を自覚 した平和的国家の建設であります 又 内に向いましては 最早人の人に対する圧迫と隷属を知らず 再 . , , , び大権の蔭に隠 、れて人間の自由の権利を抑圧する危険のない国民共同の民主国家の建設でなければなりませぬ, 此 の事は我が国が受諾致しましたポツダム宣言の結果からそうであるばかりでなくして 実は日本が目からの更生の , 為に進んで断行しなければならぬ所の問題であります 而して其の事は 外ならぬ国家の基本法たる憲法に向 て . っ , , 根本的な改革を加えなければならぬという問題があります 従って之が解決は単に法律解釈論的な立場に囚われる , ことなく,世界の政治的動向と,時代の意義をよ G同察致しまして これに適応したものでなければなりませぬ 」 , 3 ) .(. こうした見地から, 憲法草案成立過 程における政府の態度に ついて 「恐らく同一政府の下 では執 , り得べからざる政策の根本的転 回」 { 4 )に現れた自主自律性 の欠如を指摘し,「新憲法の安定性」にとっ て「極めて憂慮すべき 問題がある」 5 ( )と,再三にわたり政府の姿勢を追求し,祖国の自律的再興を迫っ たのであっ た. また, 彼は, 同じ日の演説で, 新憲法の草案は 「紛うべくもなく 所謂君主主権に , , 対立する人民主権の理論」 であり, 国体観念を明かに変更するものであると主張したあと こう述 ,. べ た の であ っ た ,. 「政府は流石に斯かる変更を蔽う為にそれを緩和致しまして 国民の中には天皇を含むと云う 極めて奇怪なる解 , , 釈を案出されたのであります. 加えて初めの間は, 国民の総意が至高であるというのは必ずしも主権の所在を規定 して居るのではないと云う御説明でありました 併しながら斯様に 国民の中に天皇を含むと云う御解釈は これ . , , までの日本の国語並びに法律用語として曽てないと申して宜しいのであります 且つ日本の政府が発表された英訳 , 文に 於き ま しては, 明 らか に 「ソ ヴリ ン ・ウイ ル・ オ プ ・ ザ・ ピー プ ル」 「ソ ヴリニ テイ ・ オ プ, ザ・ ピー プ ル, ,. ウイル」となって居るのであります. 殊に3月 6 日の聯合軍最高司令官の声明には 「主権は今や率直に人民の手に , 置いてある」と宣言せられてあるのであります 斯く迄明白な事実の中を押し切って 敢て人民主権でないと主張 , , せられる態度は, 所謂耳を蔽うて鈴を盗むの類ではありませぬか (拍手) . 現に今回の衆議院憲法委員会の審議に於きまして, ……最後の段階に 却って政府与党から主権在国民の提案が , あって, それが遂に今回衆議院の修正となったと心得て居ります 政府はこれに同意せられた理由は何処にあるの . でありますか. 私共の解釈としましては, 寧ろ現草案の論理を徹底したもの 即ち今や純粋の人民主権を表したも , の, 殊にその意味に於ては, 英文の精神に於てはより忠実になったものと私は考えるのであります ただ併し こ . , の場合にも依然として, 国民の中には天皇を含むと云う解釈を残すことに依りまして 一方には これまで主権在 , , 君説を維持してきた政党がこれに転換しまして, 又他方には他の政党がこの中には新しく人民主権の思想を織り込 んだものとしてこれを賛同すると云う, 極めて奇態なる現象をそこに生じて居るのであります 併し 議会と政府 , , とが如何様に妥協せられ, 解釈されましても, 国民主権 或は人民主権と云う世界共通の政治学上の概念が持 て , っ 居る真理性は, これを蔽うことは出来ないのであります 従って若しこれを以て我が在来の政治的基本性格乃至国 . 体観念が変更されぬと御考えになるなれば, これは一つの自己満足 自己慰安 敢て申せば自己欺臓と申して宜し , , いと思うのであります. (拍手)実に今回の改正に依りまして 天皇制と主権論を綾って 政府の否定的な御答弁に , , も拘らず, 私が純粋に, 客観的に, 論理的に解釈致しまして 肇国以来の大革命が進行しつつあるのであります , , 私共は敢て斯かる主義の革命を避くるものではありませぬ ただ問題は国民がそれを意識し 自覚し それを要望 , , , して居るか どうかと云うことに繋がるのであります 政府はこの問題を如何様に御覧になって居るか 」 . 6 ) . (. 南原が, このように人民主権論に立脚する国家の自主自律的 で平和的民主的な再生を追求する中 で, 何よりも 「人間の完成」 に力点をおく人間教育を構想していたことは 教育刷新委員会第十三 , ・ 回総会 ( 1946年11月 29 日) における彼の発言によく示されている 第一特別委員会が第十一回総 .. 59.

(15) . 古. 野 博. 明. 会( 11月15日) に提出した教育基本法要綱案は, 教育の目的を 「教育は, 人間性の開発をめ ざし, 民主的平和的な国家及び社会の形 成者として, 真理と正義とを愛し, 個人の尊厳をたっ とび, 勤労 と協和とを重ずる, 心身共に健康な国民の育成を期するにあること」(傍点引用者)と規定していた. 南原は, 教育の 目的が 「動きが取れぬ文句では困る」 とし, 第一特別委員 会の案では, 教育の目的 が人間性の開発→国家社会の形成者→国民の育成へと集中 してしまう 危険を指摘してこう述べたの で あ っ た.. 「目的がしまいのここに集中してしまうのです, 御存知の通り日本はそれが今まで悪かった. 殊に国民教育がそう だった. 一向に人間としての人格完成が出来なかったということが言われて居るのです. それでこれは倫理学上む つかしい意見になるかも知らぬが, とにかく, 社会も国家も最後の目的は人間の完成だ. 人格の完成, これは前文 にうまく出て居るのです. ところが教育の目的のところで, それを人間性の開発ということに行って居る. こ・が ちょっと問題になるの じゃないか, 一方人間としても個性の完成をやると同時に, それが社会並びに国家の形成者 となるというようなものがどういうものであるかというこまかな議論でありますが, 御考えを願ってもよいもので はないかと思います. ……」( 7 ). この 主張は, 教育刷新委員会の建議には直接 生かされなかったが, それが田中の 構想とは異質 で あること, 森戸はもとより務台の発 想と比べても相違がみられることには注目をしておかなければ ならないであろう, さて, このように, 人民主権と人間教育の主張者であっ た南 原は, 第一 特別委員 会が教育基本法 11月 1 5日) で, 教育刷新委員 会が法律案その の 「前文案」 と 「要綱案」 を提示した第十一回総会 ( ものの作成を行なうことに次のように 強い疑問を述べていた. 「関口委員から御要めがありましたから委員としてこれに関する意見を申しますと, 私は本委員会としてはこうい う基本法というものをかくも具体的に早く言えば一言一句まで推こうしたようなものを出すことが此の委員会と して適当であるか どうかということを疑問に思うのであります, と申しますのは, 此の委員会としましては, 大体 の大項をたとえば教育基本法を作るとすればどういう精神を吹き込む, あるいはどういう具体的のことを要綱とし て掲げるかという大体の大綱を全体にカバーして出すのがよいじゃないか, 一字一句も動かせぬような原文そのも のを出すということははたしてどうであるかということに疑問を持つのであります. 率直にこのことを申し上げま すと今日の要綱は, 現在案としては失敗である. 基本法の要綱草案は, 文部省でせっかく準備中のものを取り上げ てやったことは,これは争われぬと思います.そこに直接今のようなことが起って来て居るのじゃないかと思います. 特別委員会でこれこれのテキストができたということになって来ますとその後の進行はどうなるか. 政府案なら ば, 政府案として出る時はその文句も直るだろうし, 又変るだろうと思う. そういう時に融通の利くものをこしら えて置かぬと, テキストをやって置いても議会その他でひっくり返えると, この委員会の権威に関すると思う. そ んなことがありますので, 今御話のありましたカバーするものをできるだけ列挙する. 前文が要るならば, 前文に ついてはこういうことを言うことはよいと思うが, さきほど大島さんのおっしゃるように文句については文句があ ると思う. そういう点も御考慮下さる必要があるのじゃないかということを私委員として考えますので, 率直に申 し上げる次第でございます. その方針をどういう方針を採って御審議なさるかということに依って決まるかと思い ます. どっちを取るか, こういう動かし難いテキストというものを書いてやるか, それとも大綱ということで行く かということになるかと思います, どちらを御採りになりますか.」{ 8 ). 南原は, 第十二回総会でも同様の 主 張をくり返して, 総会が第一特別 委員会から提出された教育 基本法要綱案を承 認することに否定的 見解を明らかに した( 9 ) .かかる南原の強い態度は, 第一特別委 二 員会をして先の 「前文案」 と 「要綱案」 を含んだ第 回中間報告の補正を行わしめる原因となっ た の であ る.. 南原のかかる判断がいかなる根拠に出るものであっ たか, 第三回総会に現れた対立の構図の展開 のなかで, それがいかなる役割を果たしたのか, そして教育 基本法成立過程および教育理念の形成 のその後の行方にどのように影響したのか等々の問題は, 彼の 思想における国家と教育をめ ぐる論 1 981年8月) 理構造と密接にかかわっ て, 究明を要する重要な課題 であるとみ られる. ( 60.

(16) . 教育理念の形成と数刷委第三回総会 ( 1 )第1回総会における選挙結果は次のとおり である 委員長 安倍1 8票, 南原1 3票, 芦田2票, 佐野1票, 副委 . , 員長, 南原2 3票, 佐野6票, 田島2票, 上野1票, 芦田1票 務台1票 教育刷新委員会第1回総会速記録 , , 2 ( )南原は,「幹事の方々と御相談致し今後出来る四, 五の委員会とにらみ合わせて こういう風にしたらどうかとい , ふ一つの案を持って居ります,」 と述べていた. 教育刷新委員会第3回総会速記録 ( 3 )清水伸 『遂条日本国憲法審議録 [改訂版] 19 』( 76年, 原書房) 第1巻43‐ 44頁 ( 4 )同前44頁 )同前5 ( 5 3頁 )同前8 ( 6 -8 87頁 86 ( )教育刷新委員会第1 7 3回総会速記録 ( 8 )教育刷新委員会第11回総会速記録 ( 9 )教育刷新委員会第12回総会速記録参照 (本 学講師 ・ 旭川 分 校). 61.

(17)

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