ポール・レオトー、あるいは内面の都市-(1)
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(2) ポ-ルレ・オト-. 'あるいは内面の都市-3 大いなる反響. を全て読み、必要な箇所をメモしてもあるo. ね'図書館にも通った. 1月に開始されたこのインタヴユ. このラジオ放送にょり、七八歳の老人にすぎないポ-ル・レオト-. に耳を懐けたという。. リのカフェは空々になり、人々は家でラジオから流れるレオト-の声. 予定されていたインタヴユ-は、四倍近-に増幅されたことになる。 ロべ-ル・マレにょるレオト-のインタヴユ-が放送される夜は、パ. いて1時間づつ、ロべ-ル・マレに語り続けたのである.当初十回を. 七八歳のポ-ル・レオト-は実に一年近くの間、はぼ毎週、自らにつ. -番組が'翌年、つまり1九五1年の10月まで競いたことである。. れの注目を引くのは、一九五〇年1. あったのだが、それにしても三十八時間は、やはり長い。次にわれわ. 八時間に亘って語ってしまう.七八歳の老人はもちろん話し好きでは. るべきポ-ル・レオト-の肖像を、ポ-ル・レオト-その人が、三十. 各々のインタヴユ-が各一時間だったから'三十八時間のインタヴユ -。まず、三十八時間という長さに驚かねばならない。われわれが語. いのだからoだが、このインタヴユ-ほ、実堅二十八回読けられる。. る試みは一回でよいだろう。次の回に'別の有名人を登場させればよ. ことである。当代の有名人をゲストに迎え、ホストがインタヴユ-す. まず驚くべきことは、このインタヴユ-がl.回でほ終わらなかった. の内容と同時に、そのインタヴユ-が引き起こした関心の大きさであ. ヴユ-は成功したと記してよいだろう。だが、われわれの関心は、そ. -の内容が興味深かったことを成功と呼ぶなら、もちろんこのインタ. ロベ-ル・マレにょるポ-ル・レオト-のインタヴユ-ほ大成功だ. てみた。そして、何よりも彼は、その出版社が定期的に出版している 文芸雑誌に、不定期に自らの日記を掲載していた。それにも目を通し た。別に多-の人々に知られているわけでもないのに、この老人は' 信じ難い量の文字を公にしているのだ。もちろんこの老人は、全-人 、アンドレ・ジ. に知られていない存在ではない。編集者という職務から、多-の文学 者たちほ彼の存在を知っている。ポ-ル・ヴァレリ-. ッドなどとはかなり親しかったと言う。さらに、彼の書物の読者さえI まだこの世に生存しているはずである.当時から、五〇年近-逝上ヮ た1九〇〇年代初頭に著された彼の書物は、有名な文学賞であるゴン ク-ル賞の候補にものぼったことがあり、また、まだ世の中が十九世 紀と呼ばれる時代にほ、彼はスタンダ-ル研究者としても人に知られ る存在だったのだ。 ロべ-ル・マレはインタヴユ-を開始しなければならない。彼にと. って印象的なのは'老人のかけている度の強い老眼鏡の奥にある視線 である。あの杖や、老人の身なりを形容する見すばらしさとほ正反対 の'強-、そして、鋭い視線がロべ-ル・マレの方に向けられている からである。老人は、放送を前にした緊張感に掃えられているわけで. る。だが、こちらを見据えたような視線には、七八歳という年齢は存. ほない。視線を除いたすべての物腰は、実に落ちついた平穏の中にあ. 在していない。ともあれ、彼の声を記録するために、ロべ-ル・マレ は、インタヴユ-をしなけれはならない。. る。. いるつもりだ。彼の勤務した出版社があるコンデ街二六番地もたずね. った。否、成功、不成功という表現は適切ではない。もしインタヴユ. 五四. らを判断し、出版することがこの老人の仕事であることはよ-知って. 梅本. そしてこの老人は、編集者でもあった。他人の原稿に目を通し、それ. -.
(3) は、有名になる。それまで、わずかな文人と友人だけが、彼の存在を. ド・フランス社ほ'今もそこにあり'天井近-に設けられた小さな明. 日記の群が並んでいる。われわれは、しばらく'このポ-ル・レオト. 奥にある螺旋階段を下りた倉庫の中には、ポ-ル・レオト-が残した. り窓から差し込む光を除いては、昼間でも照明の必要な暗い事務室の. に広がることになるo彼のインタヴユ-は、一九五1年のうちに、ガ. 知っていただけなのだが、それ以後、ポ-ル・レオ--の名は、世界 リマ-ル社から出版され、かなりの売行を示すことになる。さらに、. -につきあうことで'1八七二年から一九五六年までのフランスの主. 私の幼年時代. 都パリを生きてみたいと思う。. れるなり、出演を了承し、その出演料で、靴を1二足、帽子を六つ、. さて、彼は1体何を語ったのか.あるいは、インタヴユ-というも. のの持つ機能について考えるとき、設問は、彼が何を語ったか、では. か、と立てられるべきだろう。解答は至って単純である。マレが採用. な-、インタヴュア-であるロベール・マレが、彼に何を語らせたの. アンドレ・ジッドが亡くなる。ロべ-ル・マレに付きそわれて、杖を. した方法は編年体'つまり、年を追いつつポ-ル。レオト-の生涯を. たどり直すというものだったo主題別ではなく、年代順に自らについ. てレオト-に語らせることは'事レオト-に限っては、極めて重要な. ことである。その理由は、もちろんポ-ル・レオト-その人について. 聴取者の多-は全-知らない'ということに求められるだろうが、そ. のことと同時に、あるいはそれ以上に、ポ-ル・レオト-にとって、. 自らの幼年時代は、七八歳の1九五〇年に至るまで、変ることのない. 重要性を保ち続けているからである。誰にとっても幼年期は大切だ、 という常套句を-りかえしたいから、そう記すべきなのではない。彼. にとっての幼年時代とは、過去のノスタルジ-に満ちたものでほ決し. てない。ノスタルジ-と呼ぶには余りに生々しい事実そのものなの. 様々な場所を語ることこそ、. ポ-ル・レオト-を語ることになるだろう。そして、何よりも忘れて. だ。あるいは、レオ--ほ七八歳になった一九五〇年にもなお、その. ワ街、フォッセ=サン-ジャック街. はならないのが、コンデ街二六番地である.レオト-が長年勤務した 'あるいほ内面の都市-川. 幼年時代を生きていると記してもよいだろうO甘美な記憶とほ正反対 ポールレ・オト-. 五五. 出版社メルキュ-ル・ド・フランスの住所がここだ。メルキュ-ル・. -. a-=ル-プランス街1四番地、フィヤソティ-ヌ街七番地、サヴォ. ィ-ル街11一番地、クロ-ゼル街1四番地、ク-ルブヴォワ、ムッシ. 失ってゆき、彼は、八四歳と三五日でこの世を去る。人は、以来、ポ -ル・レオト-について語り始める。モ-ユ-ル街三九番地'マルテ. 終わり、彼は、ゆるやかに死に向かって歩みを進めてゆ-。ロベ-ル ・マレの前に出現したときの、あの視線の鋭さも'その輝きを徐々に. (1九五二年) から、そのレオト-もまた生命力を弱めはじめる.彼 の死はそれから三年後のことである。ロべ-ル・マレにすべてを語り. つきながらレオト-はジッドの葬列に参加することになる。その翌年. インタヴユ-の録音がすべて終了したころ、レオト-の長年の友人. ていたという。. 上着を二着'電動式のコ-ヒ-,,、ルを買うことができ、大いに満足し. 拒否していたレオト-は、マレから、出演料が払われることを知らさ. 初めて多くの読者を獲得することになる。当初、このインタヴユ-を. 彼が1九三〇年代までに出版した書物の多-ほ'その機会に再版され. 3r=E. 梅本.
(4) ポ-ル・レオト-. 'あるいほ内面の都市-3. ポ-ルの父フィルマン・レオト-は一八三四年アルプス地方の小村. 近-の現在ほ存在していないモリユ-ル荷三九番地に住み、ポ-ルは. 訳者だった。フィルマンとジャンヌは'コメディ-=フランセ-ズの. ン-ロックの教会で洗礼を受ける。代父はコメディ--フランセ-ズ. ユベイに生まれ、その村に生まれた若者たちの多-と同じ様に'二〇. ブ-ルヴァ-ルに程近いフォ-ブ-ル・モンマルトルで働-若きフィ. の俳優ポ-ル・ポ-ヴァレ、代母ほやはりコメディ--フランセ-ズ. そこで生まれた.1八七二年一月一八日のことである.ポ-ルの誕生. ルマンが芝居に心を引かれるのは自然なことかもしれない。彼がパリ. の女優ブランシュ・ボワサ-ルだった。フィルマンは、洗礼証明に署. 歳でパリに上る。パリではフィルマンの伯父の経営する時計・宝石商. に上って二年後、つまり一八五六年、フィルマンほ'国立の俳優学校. 名するが、その証明書にジャンヌの名は存在していない。. エルディナン・モソテルの名があり、ポ-ルは同年三月一一日に、サ. であるコンセルヴァ-ワ-ルに入学し、二年間、俳優修業を積むこと. は'パリ1区の区役所に届出られ、証人にはロッシ-ニ座の支配人フ. とめた音楽家であり'弟のエ.ミ-ル・ペソノ-は、著名な古典文学翻. ジャンヌの父ほ、フル-ト奏者であり'帝国軍音楽隊の指揮者をつ. 五六. の店に見習として勤める。その店とはフォ-ブ-ル・モンマルトル街. ポ-ル・レオト-にとっての幼年時代とほ、そ. 梅本. にあった。オ-スマンの都市改革で、様々な大劇場が出現したダラン. うした時間である。. の、重々しい現実. -. になる。コンセルヴァトワ-ルに入学するとは'俳優を目指すすべて. ジャンヌほ、ポ-ル誕生の二日後、フィルマンの許を去る。洗礼の. いるのは、パリの演劇界なのである。俳優を志した父フィルマンはも. は、理由のないことでほない。まず何よりもポ-ルの周囲に広がって. われわれが、ポ-ルの誕生の背景について、やや詳細に記したの. 交錯する場所であり、それはマリ-・プゼの記憶でもある。. 九区、つまり、セ-ヌ右岸の中心を西から東に走るグランプ-ルヴァ -ルから'ゆるやかにモンマルトルの丘に続-狭-入り-んだ街路の. は'当然のことながら、マルティ-ル衝からクロ-ゼル街1帯のパリ. 毎夜ポ-ルを自分の部屋で寝かせていた.ポ-ルの幼年時代の記憶と. 一三番地からそれほど遠-ないグロ-ゼル街一四番地の七階に住み、. -・プゼは、当時フィルマンのアパルトマンがあったマルティ-ル街. ルの世話を一任するがうまく行かず、乳母マリ-・プゼを雇う。マリ. ったポ-ルをパリのアパルトマンに引き取り、近-に住む女性にポ-. 後、フィルマンはポ-ルをエタンプの乳母に託すが、翌年、病気にな. に推挙させる習慣は、当時も今日も変わっていないo. ヌほ後にポ-ルの母となる女性である。. ルマンは、1八六八年、ファニ-の妹ジャンヌとも知り合う。ジャン. だった」とPべ-ル・マレとのインタヴユ-でポ-ルに語らせるフィ. 年、ファニ-との間に長女エレ-ヌをもうける。「彼ほ正にハンサム. 彼は、女優のファニ-・フォレスティエを知る。そして、一八六六. 八年末に、俳優から、マティネ-バラソト座の舞台監督となる。当時. 舞台に立つことができるようになる。しかし、フィルマンは、1八五. オデオン座、ボルト=サン=マルタン劇場などパリでも有名な劇場の. る。コメディ-=フランセ-ズの準座員に推挙はされなかったものの. ィルマンは、喜劇部門第二位の成績でコンセルヴァトワ-ルを卒業す. タジエ-ル). 自動的にフランスの国立劇団コメディ-=フランセ-ズの準座員. の若者たちの夢であり'コンセルヴァトワ-ルを首席で卒業すると' (ス フ.
(5) たし、ポ-ルの生誕の証人には劇場支配人のキンテルが、洗礼の代父. ちろんのこと、母ジャンヌ・フォレスティエの姉ファニ-も女優だっ. なことではない。むしろインタヴユ-の常套手段である。先述した通. ロべ-ル・マレによるポ-ル・レオト-の言葉の引用は、別に不思議. 聴いたわけでもない。しかし'三十八回に上るインタヴユ-は'全六. 九五一年に、ロべ-ル・マレとのインタヴユ-が放送されたラジオを. に驚くことなどできはしない。われわれは、さらに、1九五〇年'1. れ以上に驚-べきことは、ポ-ル・レオト-の声である。もちろん' 出版された『ロべ-ル・マレとの対話』から'ポ-ル・レオト-の声. が、老い、という現実から、過去という距離を引き出すとき'ほとん どの場合、相手方に感じられるノスタルジ-は、マレに答えるポ-ル ・レオト-に全く不在なのはやはり驚くべきことである。そして、そ. り'相手の向いている方向に自らを合わせることが必要である。だ. り、インタヴュア-は自らの所見を開陳するのではなく'できうる限. であるポ-ル・ボ-ヴァレとブランシュ・ポワサ-ルの名が発. と代母には、それぞれコメディ--フランセ-ズの正式座員(ソシュテ -ル). 見できる。ポ-ルが幼年時代をすごした〓何からは、パリの大劇場の ほとんどに徒歩で行ける。そして、母ジャンヌの不在は'ポ-ルにと って1生つきまとう重荷となる。ポ-ル・レオト-の生涯とは'劇場 と母の不在とによって決定されているようだ。全一九巻に及ぶ『文学 日記』を除いてみると、ポ-ルの執筆活動の中で、演劇は二冊の『テ (2). アトル・ド・モ--ス・ボワサ-ル』に結実し、母の不在は『私の母. への手紙』となって成立している。少なくとも'この二方向は、ポ-. (3). ル・レオト-が語るべき重要な位置を占めているだろう。それらにつ. 巻のカセットテ-プに再編集され'およそ五時間にまとめられた形. の冒頭の部分は、そのままテ-プに録音されている。. で、われわれも聴くことができる。そして、三十八回のインタヴユ-. (5). いてほ後に詳述することになるだろう。 私は語り始める. あり、発音は、すでに歯の大半が失われているためか'明瞭さを欠い. さて、ポ-ル・レオト-の声である。それほ、もちろん老人の声で. 方向を、対面する男が歩んできた道に合わせる。何しろ相手は七八歳. てはいるが、声にあふれるカ. いよいよロべ-ル・マレは質問を開始する。質問者は自らの質問の. の老人である。老い、についてポ-ル・レオト-がすでに何を記した. その力と同時に、話し方の速度には. ことがあったか。マレほそれについても十分に調べ上げているつもり. 乾燥した早口で'事実(それは確認しょうがないので、事実であるか. 含めずに)だけを、ポ-ル・.レオト-は矢継早に放り出してゆ-0. になることを慰め'そこに楽しみさえ見出すこと、それほ'毎年毎. を語っている声とは正反対のそれが、われわれの耳に屈-のである。. 返り'郷愁を込めて'感情を込めて'哀惜を込めて'過ぎ去った時間. -. どうかはわれわれにほわからないが、少なくとも客観的に、形容詞を (4). 、あるいは内面の都市-糾. 五七. 解すること」です。 ポ-ル・レオト-. 梅本. 年、物事や人々や自らについてよりほっきりと、より良く知り、理. レオト-さん、もしあなたご自身の言葉を信じるならば、「老人. 聴く老なら誰でもが驚かされる。つまり、七八歳になり、人生の大半 を終了したことで平穏な老後を迎えた老人が、過去をおだやかに振り. だ。.
(6) ポ-ル・レオト-. 'あるいは内面の都市-糾. 私の母方はパリ出身だが、父は、バ-ス・アルプのフ-ルで生ま れた。(中略)本当の農民の子だ。昔、羊の群を飼ったことがあると モンマルトルの時計・宝石商の見習になった。(中略)父レオト-. 父に私は言ったことがある。二十歳でパリに上り、フォ-プ-ル・. は、私の未来の伯母になるファニ-の恋人になった。父ほ'ラマル ティ-ヌ街でファニーと住み、当時1八歳だった未来の私の母ジャ ンヌは、オデッサ街の両親の許にいた。ある日、ジャンヌは二人に. もちろん当時ほまだ私の父でほなかったが. 会いにラマルティ-ヌ街にやって来る。会話ほ夜遅くまで続-。だ から私の父. こう言った。「夜中にジャンヌをラマルティ-ヌ街まで一人で帰す わけにはゆかない。ここに泊ればいい」。そして、ジャンヌは、二 人の恋人と寝ることになり、父が真申だった。三十年後に、カレで母が私に言った。「私の存在は全く無視されていて'あなたのお. -. の周囲にいた人々が彼について、彼の家庭について証言した言葉の内. を引-理由を明らかにした方がよいだろう.ポ-ル・レオト-は、彼. ポ-ル・レオト-はそう語り始める。三十八時間に亘るインタヴユ -が、信じ難い数の聴取者たちの関心を引き、また、われわれの関心. った」。. (6). 私の隣で。そしてまた、私を抱いて彼の愛人にすることも妨げなか. 父さんがファニ-と愛の営みを行うのを妨げほしなかった。それも. は'. 容を裏切ることのない事実を担々と告白してゆく。もちろん、今、彼 が語った言葉は事実だったかどうか、彼が生まれることになる日以前 のことなど、ポ-ル・レオト-自身も確かめようがない。だが、われ. 在. あるいほ感情の不在ゆえの感情の過剰. に驚-のである。事. 五入. 実を事実として放り出す。そこには何らかの効果が期待されているわ. -. パリ九区. パリは、釆たるべき政治体制をめぐって、様々に揺れ. たかほ'われわれの関心ではない。生まれたばかりのポ-ルにとって. 動いている。だが、もちろんポ-ル・レオト-が、それにどう関わっ. のことであるo. 1年のパリ・コ、,、ユ-ン。ポ-ル・レオー-が生まれたのはその翌年. 取り囲む都市である.パリが現在のような形になったのは、周知の通 り、オ-スマンが都市改革を行なった第二帝政の時代である。1八七. る.パリとは、1区を中心として全二十区が、エスカルゴ状にそれを. ル・ノレオト-が排御することになるごく狭い地域こそ、その対象とな. われわれの関心をパリの小さな地域に限ってみよう。幼少時のポ-. セ-ヌ右岸、1八七〇年代. てほいない.ポ-ル・レオト-は、すべてを'並べるだけであるo. 理解した。日記でもインタヴユ-でも、彼は彼の内面の心情を吐露し. であることを知っている。そして、ロべ-ル・マレのポ-ル・レオ-へのインタヴユ-が、ほとんど日記と同じ運動を示していることを. の前にしている。自らとその周囲に展開することを記録するのが日記. われわれは、ポ-ル・レオト-の全一九巻に及ぶ『文学日記』を目. で'多-の事実を並列させてゆ-。. ったことでほない。それよりも、彼は、具体的に、詳細を極めた形. と語り続ける。別にそれが人を驚かせようと、驚かせまいと、彼の知. けではない。ただそれがそうあるだけのこと それだけを、ポ-ル・レオト-は、しわがれた不明瞭な発音で、力を込めて、しかも担々. -. 梅本. われは、彼の語る内容に驚-以上に、彼の語り口の中にある感情の不. Ⅱ. -.
(7) 来事にすぎなかったから、さしあたって、一八七二年に生まれたとい. らに、ポ-ル。レオト-にとって政治とは青年期に至っても外部の出. 次の政治体制がどうあるべきかについて関心があるはずもないし、さ. 収まってしまうような小さな地域。ゆるやかにモンマルトルの丘に向. 繁華街グランプ-ルヴァ-ルの北側の一辺が八百メ-トルの正方形に. の短い地域。ポ-ルの幼少時代の十年間を支配しているのは、そのよ. うな暗さと分かち難い地域である。三一歳のポ-ルは小説『情人』の. 中にその極めて限られた地域を封じ込めたわけだが、その小説の位置. については後に詳述することにして、今は、専らロべ-ル・マレとポ. -ル・レオト-の二人の声に耳を懐けてみよう。. まず、この地域は特殊な場所なのである。たとえばダランブ-ルヴ. ァ-ルや'モンマルトルの丘のすぐ下に位置するロシュシュア-ル大. 通りや'クリッシ-大通りならば'建ち並ぶ商店街に人々が群がり'. 他方をロシュシュア-ル街とフォ-ブ-ル・モンマルトル街に縁ど. そうした指摘には反対するものの、マレは、それはあなたが子供の視. ない稀な地域のひとつです」。もちろんポ-ルは、ロべ-ル・マ. (9). レの. かって坂道が延びてゆき'。ハリにしては低層の三-七階の建築物が建 ち並び、さらに狭い道が四方に広がり、坂道と建物にょって日照時間. う事実は、単に偶然なのである。彼が生まれたのほモリエ-ル街。 「私が思うに、その通りはオ-スマンの都市改革にょって取り壊され たのですね」.ロ.I(-ル・マレはそう指摘しているo一八五〇年代に 始められたオ-スマンの都市改革はまだ続けられていた。そして先述 した通り、ポ-ルは、まずパリ郊外の乳母の許にあずけられ'二歳の とき、父の住むマルチィ-ル街〓二番地にもどり、そして父の引越に 伴って、マルティ-ル街二1番地に住む.. 商業という交換を目的とした速度を伴なう運動が、街全体の変化をう. 以後十年以上の間、ポ-ルはこの地区に住むことになる。1九〇三 年、ポ-ルほ自伝的色彩の非常に濃厚な小説『情人』を発表するが、. ながすだろう。だが、この二本の大通りに狭まれたこの地域だけほ奇. その中で、彼は自らの幼年期について次のように記している。. 妙に運動から忘れられている。一九五〇年にロべ-ル・マレさえ次の. ように指摘している。つまり、「この地域は五十年間、形状の変わら. られたパリの地域で展開していた。(中略)私に最も親しげに感じら. 線でこの地域を眺めていたからだ、と説得する。われわれは、そうし たPべ-ル・マレの指摘に同意せざるを得ない。二十世紀も終わろう. 私の幼年期のすべては、モンマルトルの丘からダランプ-ルヴァ -ルに至り'一方をクリッシ-衝からショセダンタンに至る線で、. れ、私が常に保っておかねばならぬ映像に満ちているその地域と. (8). は、ノ-トルダム-ド-ロレット街とフォンテ-ヌ街'ク-ッシ-. が語る通りの場所であることを発見したからだ。. とポ-ルが其撃に語る乳母マリ-・プゼである。マルティ-ル街二1. 存在となるのは、「彼女は私にとって類稀なる献身そのものだった」. そして、この時代とこの地域のポ-ルにとって決して忘れられない. とする現在さえ、マルチィ-ル街をはじめとするこの地域ほ'ポ-ル. 大通りとロシュシュア-ル大通り、ロシュシュア-ル街とラマルテ (7) ィ-ヌ街を含む地域である。. 現在の地域区分でほ、パリ九区のほぼ北半分にあたるこの地域こそ. 、あるいは内面の都市-3. 五九. ポ-ルが忘れ難い「映像」として指し示す地域である。セ-ヌ右岸の ポ-ル・レオト-. 梅本.
(8) 'あるいは内面の都市-山. 記憶からほ消え去ろうとしている。そして父までも、ポ-ルの世話な. ポ-ル・レオト-. 番地の父のアパルトマンに住むことになったポ-ルは、この家で眠る. 六〇. ポ-ルが八歳'つまり一八八〇年のこと'ジャンヌがまたフィルマ ンの許を訪れる。今度はポ-ルのために玩具を用意している.ジャン. 中になり、・ポ-ルを見失ってしまう.ポ-ルは1一時間もの間'両親を. はポ-ルを喜ばせようと二人が考えたことだったが'二人は、祭に夢. 郊外にある森の中の村サン=クル-の祭に出掛ける。もちろん、それ. ルチィ-ル街を登り、左折してクロ-ゼル街をさらに少し登り、1四. る。母は、ポ-ルが生まれてすぐにポ-ルの許を去り、幼いポ-ルの. のインタヴユ-でも'さらに'『情人』の中でもこの情景について語. 域の、さらに暗い夜の寂しい登行運動。ポ-ルは、ロべ-ル・マレと. ヌがフィルマンの家で昼食を済ませたあと、彼ら三人は、パリの西の. という口実で、フィルマンに会うためだったかもしれない。. ジャンヌは、必ずポ-ルの前に姿を現わす。もちろん'ポ-ルに会う. ないこの女性は、見知らぬ女性にすぎない。以来'はぼ毎年に一年、. さんが来る、と何度も言われたが、ポ-ルにとって住宅を共にしてい. ん'ポ-ルにとってジャンヌは母であり、マリ-からも、今日はお母. セ-ズに出掛ける.ポ-ルにとっての最初の劇場体験だったoもちろ. を連れて'フィルマンがプロンブタ-をつとめるコメディ-=フラン. に、マリ-・プゼのアパルトマンを訪れる。彼女は、ポールとマリ-. た年譜にしたがっておこう。ジャンヌは'その日、息子ポ-ルに会い. 人でもあり、後にポ-ルの研究者ともなるマリ-・ドルモワの作成し. 自身その年を様々に答えているが、われわれはポ-ルの老年時代の恋. -ルに会いに来たのは、一八七六年のことらしい。ポ-ル・レオト-. ていた。ジャンヌが、フィルマンとポ-ルの許を去った後'初めてポ. に出ていたらしい。主にオペレットの女優としてジャンヌは演じ続け. ったのか。女優としてのキャリアをめざすジャンヌは様々な地へ巡業. ところで母ジャンヌは、フィルマンとポ-ルを残して1体どこへ行. プゼだけが、ポ-ルにとって忘れ難い存在となる。. どに全く関心はない。「彼女を母とさえ思っている」というマリ-・. (ll). 番地に着-と、建物の中にある急な螺線階段を七階まで登る。暗い地. マリ-・プゼに伴われたポ-ルの夜の散歩は、毎晩続けられる。マ. ないと考えた。. 毎晩、父は別の女と帰宅した。乳母はそれは子供向けの情景では. 変更されることになる。. ヌと共に関係を結んでしまうフィルマンの次のような行ないのために. ル街にもどっていたのだが、そうした習慣も、姉ファニ-と妹ジャン. の帰りを待ち、マリ-・プゼは、フィルマンが帰宅してからクロ-ゼ. をあきらめ、コメディ-=フランセ-ズのプロンブタ-をしていた父. トマンでマリ-・プゼと共に、発音の問題から俳優としてのキャリア. なぜポ-ルがマリ-・プゼのアパルトマンで眠らなければならなか ったかを知ることは実に簡単である。もちろん、最初ほ、父のアパル. 母との再会. ンで眠らねばならない。. 折したクロ-ゼル街1四番地の六階にあるマリ-・プゼのアパルトマ. れ'父のアパルトマンからマルティ-ル街を百メ-トルはど登り、左. ことを許されたりはしない。ポ-ルほ、毎夜、マリ-・プゼに連れら. 梅本. (10).
(9) 失-し,捨てられたと思い込む。両親がようやくポ-ルを見つける と,ポ-ルの余りの浪狽ぶりに、両親は笑いころげるだけだった。 ジャンヌが去った後'フィルマンは、毎晩、別の女性を連れ帰った が,その誰もがマルティ-ル街一二番地に住みつ-ことはなかった。. あなたの. に至るまで、歴史から忘れ去られ、置き去りにされたような'パリ九. 区の坂道、そしてその暗さだけがポ-ルの記憶である。おそら-その. 坂道もその略さも、何も一八七〇年代にそれを経験したポ-ルだけの. ものではあるまいo第二帝政から第三共和制への移行という大きな節. 目を迎えたフランス史も、あのパリコ、,、ユ-ソも'ブ-ランジェ将軍. も、ポ-ル・レオト-の声は全く発話しない。慮りの名前を示す移し 'マリ-. 、ルイ-ズといった女たちの名前もロをついて出てく. い量の固有名詞が彼の口から発語されることになるし、ジャンr( ァニ-. るものの、それらには全く歴史との回路が失われている。七八歳のポ. ール.レオト-は'まるでそれを昨日のことのようにロに出す。われ. われからは'彼の声が現前していた1九五〇年と1八七〇年代の間に. 横たわる七〇年以上の年月がすっかり忘れ去られるようだ。マリ-.. ルティ-ル街やクロ-ゼル街の坂道もその暗さも、現在そのまま残っ ているためかもしれない。. しかし'ポ-ルがi八七〇年代を語る言葉たちの中で、わずかに歴. 史に結びつけられそうなものが存在してはいる。それらはすべてフィ. ルマンがポ-ルを連れていったコメディ-=フランセ-ズと深い関わ. りがあるoわれわれは'すでにポ-ルの生誕に関して'彼の周囲には. 八七〇年代にもすでに、その傾向は強められてゆき'後に演劇批評集. 演劇人の名前が貼り付いていることを指摘しておいたが'ポ-ルの1. を出版することになるポ-ルの基礎がつくられてゆ-のかもしれな. い。だが同時に、歴史を欠落させたポ-ルの幼少時代の中で唯一歴史. とつなぎとめられるのも'他なちぬ劇場なのである。. 六一. フ. だが、一八八〇年のある日のことである。 マルティ-ル街で拾った女が'フィルマンの家に住むようになっ た。私ほ、彼女が間接的にマリ-・プゼが去る原因となったと思っ ている.マリ-は父にこう言っていた。「何ですって′ 年で一五の女の子なんて?」. 、あるいほ内面の都市-川. 紘,当時のパリの姿'歴史的なパリの姿は全-写ってはいない。現在 ポ-ル・レオト-. 梅本. 滅している。パリ・コ・∼ユ-ンの翌年にこの世に生を受叶たポ-ルに. 六年のことである。ポ-ルの1r<七〇年代の日常生活からほ歴史は消. たのは,すでに述べた通り'母ジャンヌがポ-ルに会いに来た】八七. でフィルマンはこの職務をまっとうする。ポ-ルが初めて劇場に入っ. になったのは一八七四年であり、以後二三年間、つまり山八九七年ま. フィルマン・レオト-がコメディ--フランセ-ズのプロンブタ-. 劇場の誘惑. マンがルイ-ズとポ-ルを伴なって転居したのは言うまでもない。. 郊外ク-ルブヴォワに転居するのは一八八二年のことである。フィル. 生々しくわれわれの耳に響くためかもしれないし、あるいはまた、マ になるQレオト⊥家が、マ∼ティ-ル街を引き払い、パリの北西の. プゼやジャンヌ・フォレスティエをめぐるポ-ルの言葉の群が余りに ルイ-ズ・ヴィアルといい、後にフィルマンは彼女を妻に準ぇること. その直後,マリ-・プゼほレオト-家を去る。その〓血歳の少女は、. (12).
(10) ポ-ル・レオト-. 'あるいは内面の都市-H. 初めてポ-ルをコメディ-=フランセ-ズに連れていったフィルマ. ンは、以来'ポ-ルを少な-とも週三回ほ、フランスで最も有名な彼 の働く劇場へ連れてゆ-。舞台め前面のすぐ下にある小さなプロソプ メ-・ボックスの中に入れるというポ-ルの特権は'まだ十歳に満た ぬ少年にとって得がたいものであることは言うまでもない。幼いポルにとって劇場の体験とは、あの坂道の暗さと対照を成すような、明. るさと豪華さに満ちた体験だったo父から小遣いも満足に与えられ ず、女中と共に放り出されて生活していたあの坂道と,着飾った女た ちと堂々とした男たちが満員の客席を埋めつ-し、当代きっての名優 たちが舞台に立つ劇場。陪さが'あの坂道の暗さが歴史をおおいかく. すとするなら、舞台の輝かしさは、歴史を見つめている。 1八七〇年代のパリの演劇ほ、同時代の政治的変化とほ関係がな く、そのまま第二帝政の継続である。まず第二帝政で興隆を迎えた風 俗劇ほ、第三共和制に至っても流行を極めている。小デュマや,オジュの作品はコメディ-=フランセ-ズの演目の中でも最も上演回数. 歴史から取り残されたように見えるマルティ-ル衝二一番地にも、. こうして演劇史が流れ込んで-る。快楽の追求と、そしておそらく金. わり、流刑の地から帰国したヴィクト-ル・エゴ-も姿を見せている。. ヴィクト-ル・ユゴ-は楽屋にいた。彼の戯曲を上演した日だっ. た。父が私にこう言った。「ゲィクト-ル・ユゴ-氏に敬意を表し. て来い」.父は私をd''コ-に紹介し、ユゴ-は私の頬をなでてくれ. フィルマンがポ-ルに様々な大人物たちを紹介したこと. である。ポ-ルがそれを快-思わなかったのは、ポ-ルが引っ込み思. が、小遣いをもらう。俳優や女優たちに挨拶をしおわったポ-ルを父. 時の習慣として、子供は大人に新年の挨拶に回ると'小額でほある. 父は必ずポ-ルを有名な俳優'女優たちに新年の挨拶に回らせる。当. ンセ-ズの開演の日はポ-ルにとって毎年耐え難い屈辱の日だった。. 案な性格を持っていたからばかりではない。新年のコメディ-=フラ. それほ. スばかりでな-、楽屋にも行-ことになる。そこには、撃1帝政が終. 少な-とも週に三回、フィルマンはポ-ルをコメディ-=フランセ -ズに連れて行く。もちろん、ポ-ルはそこでプロンプタ-・ボック. るだろう。. 見てみれば、すでに日常生活の中にさえ存在していたことほ理解でき. じて舞台の上だけに存在していたの・ではな-、父フィルマンの生活を. 銭の流通を主題としていた第二帝政型風俗劇は、決して世の中に先.. i. 六二. 必ずしもポ-ルにとって楽しいことではなかったようだ。コメディ-フランセ-ズの楽屋で、フィルマンほポ-ルを誰にでも紹介したの. -. の多いものだった。特に小デュマの『半社交界』は二百回以上の上演. (小デュマ)の『半社交界』. 数を数えたが'ポ-ルほ、この作品にまつわる父フィルマンの思い出 をこう語っている。. 父ほアレクサンドル・デュマ・フィス. フランス全土の公演のために特権的な役割を果たした。当時彼は、 様々な方向へ行-巡業を組織していたし、マルティ-ル街の家の大. きなサロンで各々の巡業のための俳優の梧古をさせていた。犬のタ. た。(14). 梅本. バは私の側で眠っていたが、女優が私に近付いてきて抱擁しようと すると、女優にかみついたものだ。. (13).
(11) マレとのインタヴユ-でさえ、ポ-ルは、七〇年前のフィルマンのそ. はいつも待ち受けており、ポ-ルから金銭を奪い取った。ロべ-ル・. 愛関係にあり、フィルマンとの間に一女ユレ-ヌをもうけたことがあ ったジャンヌの姉のファニ-がポ-ルの世話を時々することになる。. 小学校で友人が多-できることはなかった。かつて、フィルマンと恋. 近-の小学校に通いはしたが、近所の商店の子弟が多いロディエ街の. がおこっている。すでに見知らぬ女性である母ジャンヌがポ-ルに会. ワに転居する一年前、ポ-ルにとって生涯を決定するとも思える事件. フィルマン、ルイ-ズ、ポ-ルがマルティ-ル衝からク-ルプヴォ. の習慣を許していないと語る。快楽の追求としての女性とそして金銭 は、そのまま父フィルマンの生活だったのである。 また第二帝政に成立したオッフェンバックなどによるオペレットの レオト-家に流れ込んで-るし、ポ-ルは、フォ---ベルジェ-ル. マンと昼食を共になどしないし、まして、フィルマンとポ-ルを伴っ. 興隆ほ'母ジャンヌがオペレットの女優をめざしていたことからも、. やエリゼ=モンマルトル'プ-ル-ノワ-ルといった社交場に'マリ -・プゼに連れられて行ったことがあるという。コメディ--フラン. てサン=クル-に足を延ばしたりもしない。フィルマンの新しい愛人. 差し出し、私は彼女のベッドの方へ行った。私はとても困っていた。. こに止まったまま動かなかった。彼女が「こっちへおいで」と手を. 込んであった。彼女は「入って」と叫び、私は入っていったが、そ. 私ほ混乱していた。ドアの前に着いてみると'鍵が穴の中に差し. だった。ポ-ルは、階段を上がり、二階の彼女の部屋をノックする。. ラフェリエ-ル街一六番地にあるそのホテルのジャンヌの部屋は二階. テルの1室を借り、フィルマンにそこにポ-ルを寄こすよう依醸する。. と平行に走り、クロ-ゼル衝からやや下にあるラフェリエ-ル街のホ. たが'ポ-ルを1日見たいと思う。そこでジャンヌは、クロ-ゼル街. ルイ-ズがその原因である。ジャンヌはルイ-ズに会いたくはなかっ. いに、この地域を訪れたのである。もちろん今回ジャンヌは、フィル. セ-ズの楽屋で輝かしさを発見したポ-ルだったが、父フィルマンの ために、金銭と快楽の世界に連れもどされる。だが、それらの社交場 において、ポ-ルは、ただただ光に満ちあふれた輝きを見い出してい. ちの存在だった。フィルマンが巡業を組織した小デュマの戯曲の題名. た.ポ-ルにとって'そんな輝きの中で最も大きいのは美しい女性た. 半社交界でほないが'ポ-ルがロべ-ル・マレに語ったところによれ ば、そうした場所は、高級娼婦たちの集う場所だったということであ る。劇場への誘惑は'そうして、女性たちへの誘惑とも重なり合う。 母の不在が、もちろんこの二つの誘惑の原因でもあるのだが、この二. つの誘惑を合わせ持っていたことでポ-ルは'やはり、一八七〇年代 に生を受けた老のひとりだったと言えよう.. 私は彼女のことをほとんど知らなかった。それに彼女ははとんど身. キ. パリを去る. 体に何もまとっていなかった。彼女の裸体という光景が私にはとて もショックだったo彼女ほ女の子がするように私にキスをしたo. スをくりかえすたびに震える彼女の胸を私は頼に感じていた。. (15). マリ-・プゼがレオト-家を去った後、ポ-ルは、六歳年長の父の 恋人ルイ-ズとうま-行かなかった。したがって'ポ-ルは'犬のタ. 'あるいほ内面の都市-糾. 六三. バと共に、ガランとしたサロンで一日をすごすことになる。もちろん ポ-ル・レオト-. 梅本.
(12) ポ-ル・レオト-. 、あるいほ内面の都市-3. したかほ知られていない。だが、少なくとも、マリ-・ドルモワの記 すところによれば、フィルマンほ郊外に魅了されていた'という0 オト-一家が、パ-の北東の近郊ク-ルブヴォワに借-たのほ、街の 中心レビュブリック大通りに面した家である。犬好きのフィルマンは. タバと共に横になりながら'本を読む習慣ほ'ずっと前から成立して. 街二一番地で、父の帰りを待ちながら大きなサロンのテ-ブルの下で、. なかったが、少な-とも勉強'特に読書は好きだった。マルティ-ル. ポ-ルほ、もともと学業に熱心だった。規則を順守する優等生でほ. ヴァン-ペグェ-ルであり、他の一人ほレオン・マリエである。. からすごす1生に大きな影響を与えることになる.1人は、アドルフ・. の子供たちがいた。そうした級友たちのうちの二人は'ポ-ルがそれ. -ルブヴォワの小学校にほ、そこが住宅地であるという性格から、別. な形でおさまってゆ-少年たちがポ-ルの周囲に存在していたが、ク. 校にほ商店の子息がはとんどであり、やがてほ父の後継者たちに自然. の小学校にほいない子供たちがいる。パリ九区という商業地域の小学. 続けることになる。だが、ク-ルブヴォワの小学校には、ロディエ衝. ともあれ、十歳のポ-ルは、ク-ルブヴォワの公立小学校で学業を. そう呼べてしまえる場所である.. 特徴付けた坂道も、商店も、娼婦たちもいない。健康な地域と呼べば. のの、交通の便も良好とほ言えない郊外の街である。フィルマンの働. 声と文学の間で. レオト-一家がパ-を去るのは、それから一年後のことである.. ルにジャンヌとおもむき、ジャンヌの数多い男友達に会うことになる。. オペレット専門のシャトレ座に行き'その後、フォリ-=ベルジュー. ルという現在も残る高級レストラyンで夕食をとる。さらに夕食後は'. ゼリゼを走り、リグォリ備に入り'バレロワイヤルのグランヴュフ-. 日、ジャンヌに付きそわれ、ポ-ルほ、動物園に行き、馬車でシャン. 大通りへ狩りの一行を見に行ったことがあるだけだった。だがその翌. 周囲に空地ばかりが目立つモンマルトルの丘に行ったことと、商店な. 十年後に1大副都心がつ-られることになるデファンス地区があるも. 近郊で最も高級な住宅地であるヌイイがあり、南方には、それから八. 比べてみれば、何の変哲もない場所である。セ-ヌの対岸にほ、パリ. ほ'レオト-一家がそれまで住んでいたパリ九区のマルティ-ル街に. パ-から蛇行するセ-ヌ川を二度渡って到着するク-ルブヴォワ. によいと考えられたからかもしれない。. ヴォワに越したのも、アパル-マンから家への転居が、犬たちのため. タバの他にも何匹もの犬を飼っており、マルティ-ル衝からク-ルブ. 六四. くコメディ--フランセ-ズからもかなり遠いし、マルチィ-ル街を. レ. ど一軒もな-、庭付きの大邸宅が建ち並んでいただけのシャンゼリゼ. た経験といえば、マリ-・プゼに付きそわれて、まだ建築中であり、. すことができるだろう0この日以前のポ-ルには、この地域から離れ. にとって、母とは女性であることを正確に感じ取った瞬間であると記. のところ、この情景こそ、母の不在が大きくのしかかっていたポ-ル. 『情人』について、われわれは後に詳細に記述することになるが、今. ってこの日の母の姿は彼の一生を決しているといってよいだろう。. 前半の主要部分がこの情景であることを考え合わせれば、ポ-ルにと. この日のことをポ-ルは、何度も語っている。さらに小説『情人』の. 梅本. フィルマンが何故マルチィ-ル街を引き払いク-ルブヴォワに転居. クールブヴォワ. Ⅲ.
(13) いた。またコメディ--フランセ-ズのプロンプタ-という職業上の 必要からフィルマンは沢山の戯曲や新作劇の台本を所有しており、ポ -ルにとって読むべき書物は無数にあったのである。マリ-・プゼが. 家にいたころにはよく散歩をしたものだったが、彼女が去った後'ポ -ルほはとんど家を出ずに読書をしたものだった。だから、ク-ルブ ヴォワの小学校は'ポ-ルにとって、新しい空間だった。さらに、二. フィルマンは他の女性たちには持たなかった忍耐力をルイ-ズに. は持っていた。ある男が、何らかのやり方で心を捉えられてしまえ. ば、どんな忍耐力も持ってしまうものだと思わなければならない。. つまりその男は馬鹿になってしまう。. フィルマンとアン-ニット役を練習するルイ-ズの声ほポ-ルにとっ. て耐え難いものだった。マリ-・プゼの深く落ち着いた声に囲まれて. 幼少時代をすごし、ジャンヌ・フォレスティエのオペレット女優であ. ルは'その家の二階へ至る階段の上にある小さな場を与えられる。ポ. って、ルイ-ズの声ほ耐え難いものだったろうし、才能を欠いていた. る職業から-る明る-はずむような声に驚いた経験を持つポ-ルにと. ルイ-ズへのフィルマンの献身ほ、見苦しいものだったろう。. しかし'ルイ-ズが仕事のためク-ルブヴォワを一日だけ空けた、. で見送りに行-と、その晩には別の女性を家に連れ帰って、ポ-ルに. まさにその日、フィルマンほ、ルイ-ズを早朝ク-ルブヴォワの駅ま こ人の女. こう言ったという。. 女優をめざしていた。だが、彼女に何の教養も知識もないのは当然の. 彼女に必要なことは教えてやれ。もし足りないものがあったら、金. アドルフィ-ヌ嬢だ。ルイ-ズの代わりに家にいることになった。. しても'フィルマンの性癖が変わるわけでほなかった。ルイ-ズは、. ルイ-ズと共に'ポ-ルを伴なってク-ルブヴォワに移り住んだと. ほますます進むことになるo. フ・ヴァン-ペグェ-ルやレオン・マリエにうながされて、彼の読書. -ルにとって、ほじめて自分の空間が得られることになった。アドル. 年後'父フィルマンほ、レビュプリック大通りからそれ程遠-ないウ ェスト荷四四番地にある家を買い求め、そこに腰を落ちつける。ポ-. (16). ことである。フィルマンほ、商店の一六歳の娘を連れて釆たのだから0 フィルマンが彼女の師となるのは自然の成行だろう。フィルマンは、 ルイ-ズに、モリエ-ルの『女学者』のアンリニット役をさかんに朗. -やジャンヌに寄せた献身を大き-上回っていた。. 唱させていたという。フィルマンのルイ-ズへの献身ぶりは'ファニ. そしてP.'(-ル・マレのインタヴユ-に答えるポ-ル・レオト-は. 、あるいは内面の都市-糾. は、ポ-ルがロベ-ル・マレに父の言葉としてそれを引用する七十年. 以上に、フィルマンが告げたことを完全に記憶しているポ-ル・レオ ト-の記憶力の方である。フィルマンがポ-ルにそのことを語ったの. われわれが驚くのは、フィルマン・レオト-の性癖でもあるが'それ. 物産で買ってくるように。. (17). も前のことなのである。語るのでほな-耳を澄まし、捜し求めるので. 六五. こうも語っている。. ポ-ル・レオト-. 梅本.
(14) ポ-ル・レオト-. 、あるいは内面の都市-3. ている。辻馬車が家の前に停まる。鉄格子の門をゆすり、こう叫び声 、レオト-/」 フィルマンほ起き上がり'窓. 父の家には住んでおらず、ムッシュ--ル-プランス街に住んでい. た。ある日、私ほ、コメディ--フランセ-ズの出口で父を待って. いた。すると回廊の柱のうしろにアドルフィ-ヌがいるのを見つけ. た。彼女も父を待っていたのだ。それで私は少し離れたところにい. て彼ら二人が話し合えるようにした。そして、もっと後、ある日'. 私はコ-ランク-ル街に住む友人に会い、歩いて帰ろうとフォンテ -ヌ街を下っていると、目の前にその女がいたoそう、父と別れて. からもう十年経っていた。(中略)私は彼女の前に立ちこう言った。. 「覚えていますか」。彼女は街娼だった。「いいえ」と彼女は答えて. は口論するものの、完全に争いあうことはなく'この状態が四か月か. ヴォワを離れた後、娘が一人生まれ'はとんど毎週コメディ--フ. 用心深げな様子だ。「ポ-ルです」. と私が言うと、彼女はク-ルブ. 五か月は続いたという。もちろん、われわれは、かつてフィルマンが. 当時ポ-ルの友人が住んでいたコ-ランク-ル街とほパリ一八区のモ. 口論がたえなくなり、結局、アドルフィ-ヌが去ることで、レオト-. 家は平穏をとり戻すことになる。だが、アドル7ィ-ヌの物語ほここ で終わったわけではない。. それよりあと、ずっと後になってからのことだ.私はすでに私の. たいと思うが、その前に、今少し、ク-ルブヴォワにおける八年間の. れは、ポ-ルの『情人』を詳し-読むことで再びパリの九区にもどり. -ヌ街で彼女に再会するのも、ポ-ルにとって偶然ではない。われわ. ルの世界は、演劇と女性という二つの極の間に広がっている。コメデ ィ-=フランセ-ズの出口でアドルフィ-ヌに出会うのも、フォンテ. セ-ズの出口と女性1われわれがすでに指摘して. いつもこの地域にもどってくるのかもしれない。コメディ-=フラン. るとマルティ-ル街にぶつかる。ポ-ルにまつわる女性の思い出は、. が幼少時をすごしたあの地域の中心にある。少しフォンテ-ヌ街を下. それまでは、掃除をし、買い物に行き、石炭を買いに行き、すべて. を甘やかして-れる二人の娘の間で気楽なものだった。. ンマルトルの丘の西側にある通りだが、フォンテ-ヌ街とは、ポ-ル. してくれた。. (19). やらな-てはならなかったが、そのときは全く何もしなかった。私. 私にはこの二人の女性と-らしたとき程幸せなことはなかった。. ランセ-ズの前で父を待ち、娘のための小銭をもらっていた、と話. アドルフィ-ヌとルイ-ズは'ときどき. 六六. ファニ-とジャンヌを共に愛人にしたときのことを思い出している。. こには別の女が眠っているo. 見せずにルイ-ズを家に入れる。彼女は、寝室に上がってゆくと'そ. に顔を近付ける。ルイ-ズがいる。フィルマンは全く動揺した様子も. が聞こえる。「レオト-. って-る。すでにフィルマンはコメディ--フランセ-ズから帰宅し. もちろん'その翌日の午前二時、ルイ-ズはク■-ルブヴォワにもど. らない。. はなく静かに観察するポ-ルの聴覚と視覚の力ほとどまるところを知. 梅本. とアドルフィ-ヌとの関係は四か月後にほやはりうまく行かなくなり. 結局'アドルフィ-ヌがレオト-家を出てゆくことになる。ルイ-ズ. (18).
(15) ポ-ルの生活につきあってみたいと思う。 もう一度、ク-ルプヴォワの小学校におけるポ-ルの二人の友人ア ドルフ・ヴァン-ペグェ-ルとレオン・マリエにもどってみよう.. 未の「聖なる怪物」の時代を演劇はそろそろ迎えた時期にあたり'サ. ラ・ベルナ-ル、ムネ=シュリ等、当代の名優がコメディ-=フラン. セ-ズの舞台を飾っていたこの時代、彼らの声を毎夜聴くことができ. タヴユ-を挙げてもよかろう.ポ-ルが、自らと自らを取り囲む世界. たのは特権的なことだった。あるいはまた、ロべ-ル・マレとのイン 朗唱術. を語る声こそ、ポ-ルを有名にしたのである。だから声は'発語する. こととほ'ポ-ルにとって好むと好まざるとに関わらず重要な行為と. アドルフ・ヴァン-ペグェ-ルとポ-ルは同じ年齢だった。だから 小学校で同学年だったことは言うまでもあるまい。ヴァン-ペグェ-. なっていたことは認めておかねばなるまい。. っ込み思案で、マルティ-ル街に住んでいたころ、サロンの大きなテ. 成績が1番だった老がする仕事ではないと一日で辞める.次いでフィ. -'就職する。まずインド会社での荷役人足。ポ-ルほ、長年学校で. 一八八七年、義務教育を終えたポ-ルほ、高等教育を受けることな. ておいて-れ、邪魔されるのはきらいだ」。フィルマンほポ-ルにそ う言い放つ。. いを-れるといった普通の父親が行なうことと正反対だった。「放っ. ルの結果を告げる.だがフィルマンの答えほ、ポ-ルを抱擁し、小遣. である。ポ-ルほ、フィルマンがいつもいるカフェに走り、コンク-. 79ちろん、コンク-ルの結果をいち早く知らせる対象はフィルマン. だけではな-、最も優秀な生徒であることをも同時に意味している。. 番になるということは、ただ朗唱術に優れていることを意味している. -りかえす必要ほないだろう。だが少なくとも'このコンク-ルで一. の国語教育の中で朗読及び暗唱がいかに大きな部分を占めているかを. 供たちの中で、ポ-ルが最も朗唱術がうまい七いうことだ.フランス. いうことである.コンク-ルでポ-ルは1等質を得る。その地域の子. 一八八四年のその日の重要さとは、それまで周囲の声に耳を懐けて いるばかりだったポ-ルが、その日を期して、発語する人になったと. ルほ、ポ-ルとは正反対の性格である。ポ-ルがどちらかといえば引 -プルの下でタバと共に読書をしていたことに表われる生活を送って いたのに対し、ヴァン-ペグェ-ルほすべてにおいて積極的だった。. この正反対の性格を持つ二人は、一九二七年'アドルフ・ヴァン-ペ グェ-ルが五五歳でこの世を去るまでその友情を続けることになり'. 後に共同作業、共同執筆を行なうようにさえなる。 1八八四年、レオト-一家がウェスト荷の住居に転居した年、ポルにとっての輝ける事件がおこった。ク-ルブヴォワを含むヌイイ地 区の二二の学校から、それぞれ生徒が選ばれ、朗唱術のコンク-ルが. 催された。言葉を発語するとは、ポ-ルにとって、宿命にも似たもの である。もちろん幼少時から劇場に親しみ、父フィルマンがコメディ --フランセ-ズのプロンプタ-という他者の言葉を記憶する仕事を 職業にしていたことがその原因であると考えられな-もない。だが短 絡は慎まねばならないだろう0父の職業は息子にそれほど大きな影響 を及ぼさず'反擬しか生まない方がむしろ自然なことだろう0だが、 週に三度コメディ--フランセ-ズに行き'プロソプタ-・ボックス. 'あるいは内面の都市-川. 六七. で時間をすごサボ-ルの体験は、やはり特殊なことであり'十九世紀 ポール・レオト-. 梅本.
(16) ポ-ル・レオト-. 、あるいは内面の都市-糾. 世界にますます接近することになる。ポ-ルが、父の許からの独立を. ばよいのか。そのときポ-ルに浮かんだのはムネ=スユリである。世. いてくれているらしい。一体どうしたらよいのか。一体誰に相談すれ. ヌ.マリエには詩を書いて贈ってみた。どうやら彼女も、ポ-ルを好. の道、特に、同時代の素略しい詩人たちの存在を教えられた。ジャン. る。父譲りの朗唱術を彼ほ心得ている。ヴァン=べヴェ-ルにほ文学. 例外なくその問題で少しは悩むにちがいない。ポ-ルもその一人であ. 一体、どんな仕事で身を立てればよい・のか.1八歳の少年ならば、. しない。独立の時期は近い。. ヴォワに連れもどす。父フィルマンほ、ポ-ルに何の罰も与えようと. られ、ポ-ルに金が無いのを知ったホテルの男は、ポ-ルをク-ルプ. ホテル・ロゼ-ルの1室をポ-ルは借りようとする。だが前金を求め. 心ソルポンヌから程近いムッシュ--ル-プランス街四五番地にある. らされつつ、変化の中心にあるセ-ヌ左岸のカルティエ・ラタンの中. 改革以来'何の変化もないセ-ヌ右岸の九区ではな-、常に歴史にさ. ふれたセ-ヌ右岸のパリに居を定めるのではない。オ-スマンの都市. ろん移り住む先は、パ-である。だが、今回ほ、あのなつかしさにあ. 長い議論の末、ポ-ルほ荷物をまとめてク-ルブヴォワを出る。もち. ポ-ルは、ヴァン=ペグェ-ルの紹介で、ク-ルブヴォワの地元新聞. 無縁だったポ-ルは、レオンの親切に感謝するが、レオンの心遣いよ. オンは、ポ-ルに、彼の家族を紹介する。家庭の暖さといったものに. ら乗った列車の中で偶然レオン・マリエと再会する。駅近-に住むレ. ペグェ-ルが主催した文学講演会の年、ポ-ルは'ク-ルブヴォワか. 方へ誘ったのではない。学校を卒業してから二年後、つまりヴァソ-. レオン・マリエほ'ヴァン=ペグェ-ルと異なりポ-ルを声と文字の. もう一人の友人レオン・マリエについても記しておかねばなるまい.. ムネ-シュリ. ェニックス・ランドリ-の五倍、月に一二五フランだった。. る新聞「ラ・レビュブリック・フランセ-ズ」に入社する.給料はフ. ポ-ルほジョゼフ・レナックとジュ-ル・フェリ-によって発刊され. 講演会において、フランソワ・コッペ'シュリ-・プリユドム、テオ ド-ル・ドゥ・バングィルの詩を朗唱することになる。次いで十月、. グェ-ルが、ポ-ルの朗唱の実力を忘れたわけはない。ポ-ルほその. とその周辺地区の学校や役場で、文学講演会を開催する。ヴァン=ペ. 同じころ'ヴァン=ペグェ-ルは持ち前の行動力で、ク-ルブヴォワ. 考えはじめるのは極めて自然な成行である。フィルマンとルイ-ズと. して、さらに恋人ジャンヌ・マリエの存在を通して、彼は声と文字の. ンの給料は、そのまま父の許に差し出される。そして'詩と朗唱を通. 「ラ・レビュブリック・フランセ-ズ」からもらう月額一二五フラ. ま詩を贈り、花を詩にそえるのを忘れたりしない。. る。偶然ポ-ルの実母と同じ名前を持つレオンの妹にポ-ルはすぐさ. りも、ポ-ルの心を動かしたのは、レオンの妹ジャンヌ・マリエであ. 六八. に勤めることになる。彼はここで初めて文字を職業とすることになる。. そこで再び登場するのが'アドルフ・ヴァン=ペグェ-ルである。. 八八九年のことである。. 険会社でポ-ルは働く。だが、「ラナシヨン」ほすぐに倒産する.1. 一-二フランの小遣をやる。次に水道局、さらに'「ラナシヨン」保. ンで働きはじめる。フィルマンは息子の給料を全額奪い'代わりに週. ルマンは'フェニックス・ランドリ-にポ-ルを入れ、月給二五フラ. 梅本.
(17) p.)).. mam∼re,Mercure. France.)956.. Thd6tredeMauriceBoissardZ.NRF.)926・.1e MauriJeBoissardZZ,NRF))943,Paris. L&autaud,Lellres. Thi3tre. PaulLかautand、le. Paul. Annies Pelil. p.)3.. d'apprenlissage. ami,5・la. L6autaud,le. )967.Paris.. Paul p.)51 p.)5.. p.)5.. p.)5.. p.22.. p.)8.. p.)9.. Petil. ami,p.30,Mercure. littiraire,3.1es. Pokes. France.)903.Paris.. disques. d.aujourd'hui.4.. その六巻のテ-プの題名は以下の通りである.).i.Enfance.2.1es. de. 紀末を彩ることになる「聖なる怪物」の一人'そして、サラ・ベルナ -ルの相手役として名高いムネ-スユ-。彼ならば、あの素略しい声 と、そしてその声が伝える古典作家たちの言葉を持っている。早速、. ムネ-スユリにポ-ルは会見を申し込む。ムネ=スユリにとっても、. Mort)6・lesBeteJ)Production p.22.. p.22.. p.23.. p.24.. によるポ-ル・レオト-のアンソロジ-であり'次の二冊は、ポ-ル・. ADES一. 書物を参考にした。最初の一冊は、本文中にも述べたマリ-・ドルモワ. にポ-ル. 書誌は、 いずれまとめられることになるが、本号掲載分についての主 レオト-に関する歴史的伝記的事項に関しては、次のような. (付記). ′. a. de. p・35カセットテ-プでは「それに彼女はほとんど身体に・・・-」以下 がカットされている。. de. ポ-ルはフィルマンの息子であり、見知らぬ他人でほない。幼少時か らポ-ルを知っている。会見ほすぐに実現する。 ポ-ルは、ムネ=スエリの前で1体どうすればよいのか。幼少時か らの思い出話をし、自らの胸中を打ち明け、彼に忠告を求めればよい. のか。ポ-ルのとった方法は、もっと単純でもっと明解だった。つま り'ムネ-スユリの前で'ヴィクト-.ル・ユゴ-の『リユイ・ブラス』. の一節を朗唱するのだoそれによって、ムネ-スユリは的確な判断を 下すだろう。「演劇より文学の方をためしてはどうか」。それがムネスユリの答えだった。. E. ジャンヌ・マリエが、やはりパリのセ-ヌ左岸、フォ-ブ-ル・サ. E E. E E. E E E. E. やがて、ポ. E. S E. (5) (4) (3) (12)(ll)(]0)(9) (8)(7) (6) (15)(14)(13). E. le. (18)(17)(16) (19). E. ン-ジャック街1三番地に住むためにパリにやってくるo. 以. -ルも、ジャンヌと同居するためにそこにやって来る。そして、その. avecRoberi. 梅本. E. 翌年'彼の母方の姓を使い「ル・プチウグリユ」誌に最初の記事を発. (注) Lかautaud}Entreliens. Mallet,Ga))imard、)951. 'あるいは内面の都市-糾. (以下次号). 表する。さらにその二年後、1八九三年1一月三日には'その後、彼 の死の五日前、一九五六年二月一七日まで書き続けられる、あの『文. Paul. 下Eと略記するo ポ-ル・レオト-. 六九. 学日記』の最初の日付が記されるのである。. H.
(18) ポ-ル・レオト-. 'あるいは内面の都市-川. 梅本. レオト一に関する数少ない研究書の中で、レオト-研究について出放さ. de. de. Frenc.I,). France,Mercur2. l'idenliti(1872・]9]4),. れた博士論文である。ポ-ル・レオトーの書物が邦訳された例ほ、筆者. recherche. Mercure. フランス語教室、Dept.of. de. の知る限り、存在していない。 I,6aulaud,la. UMEMOTO. et. le. Dormoy、L6aulaud"Ga))imard,1958,Paris.. R.Mahieu,Paul Minard.Paris. EdithSi)ve.Paul France,1985.Paris.. (Yoichi. Liaulad. Marie. 七. ○.
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