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現代ユネスコ論の展開 : その最近の動向と実態を中心として

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(1)現代ユネス. コ論の展開. その最近の動向と実態を中心として 伊. 藤. 彦・五十嵐良雄. 忠 ま. が. え. き. 横浜国立大学教育学部教育学科で,学生の研究と教育のために`-コーア・コース”を採. 用して2年余になる。この間,学生たちほ各自の研究課題を明確に,集団的な討議と研究 な重ね,教官もさまざまなかたちでそれに参加してきた。. この改革ほ,もちろん,いわゆる大学紛争ときわめて深い関係にある。われわれも学生 「研究とほ何か+ 「大学とほ何か+などほ何度も討論し も紛争のなかで, 「学問とほ何か+ た。教官と学生とによるカリキュラム委員会も発足し,内実的な大学改革を討議した。そ れは,いわゆる大学改革案なるものに失望したからでもあり,われわれ自身の<存在>の 変革を目指したからでもある。またわれわれ自身の<関係>の変革を目指したからでもあ 1つの学科内でほあっても,内. る。こうした過程を経て,コーア・コース案が提示され, 実的な変草に各自が志向することとなった。. こうした変革と研究の深化の過程で,横浜国立大学現代教育研究所**も発足した。コー ア・コースの研究を発展させて,現在いくつかの研究テーマと真剣にとりくんでいる。そ れらは,さまざまなかたちで発表されてきたが,本稿は,それらのうちの「国際教育研究 班+の研究の1つである。. A. Approach. new. to. Its Recent Tadahiko. Tbe the. purpose. recent. have. on. On. angle international. an. an. has. effort. been. issue. an. I have. education glVen. tO. the. has. and. in. a. UNESCO. Activity-. Yoshio. IGARASHI. brief,. time,. develop. my. ロNESCO studied been treated in. 口NESCO. issue. in. a. make the. UNESCO. of. UNESCO. on. and. from. same. further. to. education.. international. how. ITO*. studies? l have, at the. article in. of. make. Trend. is to,. articlc. work to. pedagogical this. new. if. and. is it necessary. why. this. of. trend. Stddies. the. view. new. today?. tried. to. point of What. shed. continued. in the comparative international. *教育学教室(°ept. of Education) **国立学校設置法施行規則第3節第20条による研究施設ではない。. to. approach. light. studies. signi五cation. does. it. ロNESCO. from. a. on on. problems. of such. education education.. on. research.. educational. research context. the. and. of the. problems what. as. status,.

(2) 40. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 目 <ほ. 次. じめに>. 教育学における国際教育の概観 -研究対象としてのユネスコの位置一 今日,特にユネスヲを問題にする根拠 ユネスコを覆い始めた新しい動き ① 独立と解放を勝ちとったアフリカ諸国の加盟 ②. 大規模な国連援助資金からの配分. @. 事業計画における教育最優先の原則. 後進国開発援助槙閑としてのユネスコ ①. 現地援助活動化. ②. 教育文化の南北問題化. 社会主義諸国とユネスコ 存在論としてのユネスコの本質 一括びの言葉に代えて付論. ユネスコにおける中国関係. <は. じ. め. に>. 本稿の目的ほ,簡潔に言えば,国際連合教育科学文化機関(略称ユネスコ)の,最近の 動向や実態をおもいを新たにして明らかにしようとしたものである。特に,こんにち,何 故,新たにユネスコをとりあ抗それを問題にしていく必要があるのか.またそれほ,教 育学研究にとって,果してどのような意味があるのか。なかんずく,私たちのように,教 育学研究におけるマルクス主義を志向し,全く独自な立場で,国際教育学を展開していこ うとしている者にとって,今日,改めてユネスコをとりあげ,問題にしていく根拠,ある いは理由は果してなんであるのか。そういった点も,自己確認の意味から掘り下げ,明ら かにし,そして整理していくということも含めて,私たちほ,ここに一つの現代ユネスコ 論を行なっていこうというわけである。. そこで先ず始めに,教育学における国際教育の概観として,教育問題を国際的硬野から アプロ-チしてきている比較教育学と,その国際教育の研究において,ユネスコ問題が一 体'どのような位置におかれてきたのか。いわば,教育学研究における研究対象としての ユネスコの位置を素描するところから,本稿を書き進めていくことにしたいと思う。. 1教育学における国際教育の概観 一研究対象としてのユネスコの位置一 改めて私たちが述べるまでもなく,既にレーニンが,その『帝国主義論』において指摘 したように,. -それまで,大量殺人としての戦争は,外交史や支配層の個々の政策のや りとりや,かけひきのなかに,その基本的な要田があると考えられていたものが,実ほそ.

(3) 41. 現代ユネスコ論の展開. うではなく,全世界の経済生活の基礎についての資料の総体のなかに,その要因があると いうこと。また支配層の客観的立場の分析のうちにその基本的な要因があるとということ。 -このような戦争の要因に関する命題をほっきりと打ち出し,国家権力を掌握している 支配者たちの,個々の動横や,欲望やあるいは倫理の衝突から戦争が起るのでほなく,世 界的な規模で進行していく資本主義の高度化と独占に,その客観的な要因を求めて,戦争 の性格づけを行なってくれたことは,時代認識の方法として,また現実認識の方法として, 二十世紀後半に生きる私たちに,実に多くのことを示唆している。 ところで,こういう時代の特徴や,現実に触発されてか,教育学の歴史において,国家, 民族といった,いわゆるネーションの枠を越えて,教育問題を国際的視野から眺め,その. 国際的連関性に着目して,独自の研究領域や研究方法を形成してきているのが,言うまで Padagogik)と称せられているものだ。この もなく,一般に比較教育学(Vergleichende 比較教育学が教育学という学問分野において,独自の研究対象を持ち,またそのための独. 自の研究方法をもった,それ固有の研究分野を果して総括しているのかどうかほ,ここで ほ問わないが,とにかく,教育学の歴史において,自国の教育問題を国際的な視角からイ ンターナショナルな視野をもって捉えた,教育研究固有の分野を代表した学問としてその 比較教育学が成立し,一応,科学としてその発展の段階にはいるのは,基本的にはやはり 第一次世界大戦を契機としてからである。これほ,レーニンの指摘のように,資本主義が 民族国家の枠を乗り越え,国際的規模1)に発展していった結果,教育問題そのものにも国 際的性格が刻み込まれると共に,国内の教育問題を国内視野でほもう正しく捉えることが. できず,国際的視野から捉えなければならない段階にほったことと関連していよう。従っ て,第一次大戦後,ネーションの枠をはずしたインターナヨナルな視野から捉えた教育問 題の研究ほもちんのこと,少なくとも国際的性格を帯びた教育問題の研究は総じて,この 比較教育学の歴史のなかに包括されてきているのが,こんにちの教育学のの現状である。 "比較教育学の世界的な権威者であるドイツのミュン-ソ大学名誉教授フリードリヒ・シ (博士の名著『比較教育学』の訳者の言葉)の最初の総括的労作は,彼の. ュナイダー博士” 創刊した『国際教育学雑誌』. (Internationale. Zeitscbrift. fur. Erziebungsvissenschaft). の最初の二巻(一九三一年-一九三三年)に次のようなタイトルのもとに発表されている くらいだ。 (Interna"国際教育学,外国教育学および比較教育学-その本質,歴史,方法,成果” Erziehungswissenschaft tionale Padagogik, Auslandspadagogik und Vergleichende ・. Wesen,. Geshicbte,. Metbode,. Ergebnisse.. 1931-1932)0. っまりこのことほ,こ4Jにち私たちが考える国際的な教育問題に関する研究は,教育学 の分野においてほ,すべて比較教育学(Comparative education)に,一応,包摂されて きているということを物語っているということである2)0 ところで,その比較教育学の歴史において,これまで国際教育という概念で意味するも のが,どのように考えられ,どのようにとり扱われてきたのかということに関してほ,既 『国際教育論序説』 (一九六九年刊,現代評論社刊)の第Ⅱ部第二章で に私たちの一人が,.

(4) 42. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 詳しく論じたことがあるので,ここでほそのことに関しての説明は省略するが,ただ,国. 際教育という概念が最も多く,最も旺んに使われてきたアメリカにおいて,それがどのよ うな概念として規定されてきたのかということを,参考資料として,その一つだけを次に 紹介しておきたいと思う。. 例えば・既に御存知のことかと思うが,アメリカにおし丁てほ,一九六六年十月,ジョ./ "国際教育法” (International. ソソ政権時代に,. Education. Act. of 1966)というものが 制定され,国際教育問題に関する政策の法的根拠がっくりあげられた。同法ほ,冒頭で. 「教育は総べての国民の希望と目的の中心をなしているものであり,それほまた,われわ れの国際関係の中心をなすものでなければならない+として,主として,次の四つが同法. の目標として掲げられた。 第一は,国際的な教育協力のための米国民の,能力を増進させること。 第二は,他国との学生や教師の交換を奨励すること。 第三に,開発途上にある国々の教育の進歩を助けること。 第四に,国際理解のための新しいかけ橋を建設すること。 そして,その際,. 「わが国の外交政策の実践ほ,わが国の学校のカリキュラムより早く. 進むことほない+として,カリキュラムの重要性を指摘し,その目標を実現していくため, 例えば,. 「国際事情の授業を新しく計画,拡充したり,低開国諸国に姉妹校を設置したり,. 海外からきている米国留学生の指導助言の強化+などを示唆したりした。このような目標 辛,その目標実現のための,具体的方法を打ち出した同法作成に際して任命された"国際 教育に関する作業班”. Force. (Task. lnternational. Education)は,下院に同法案 を提出するために作成した議会提出参考資料(下院法案第一四六四三号 国際教育法. Slected. Reading. Supplement. to. on. H.R.. 14643)の冒頭において,これまでの"国際教. 育”の概念を総括して次のように記している。 The. 1). term. American. substance. Second,. 2) United for. 3) own. the. States. and. aspect. ”international. to. for. these. of school phrase. and. visitor-and. Fifth,. of those. international to. sense. intent. Finally-but. on. refer. careers. l suppose. any. we. do for us-is. times. one. of faculty-living is used education institutions areas. education to. in. to. used. refer. in the. education in. has. United. non_. States. in the. of. do. education. certainly. tens. the. provided. American. mo・st. to. an. thousands. important. of. its. and studying abroad. increasingly to refer to the organiin newly developing by nations. of the. world. is frequently viewed. undergraduate international not. to. refer. abroad,-what they. be. curriculums. to. used. what. stafBng of educational from more developed. professional. 6). from. may. university. be. of international education. Third, States at t壬1e United. educators. 5). and. may. students. hundreds students-and Fourth, international 4). zing. education”. and. graduate. in. a. reasonably. professional. narrow. training. service.. really丘nally-international. edllCation. can. be.

(5) 43. 現代ユネスコ論の展開 looked. as. at. to. statesman. the. and. standing. in adult. problem. their. educate. in which. age. media. a. social, of world. (89th Congress,. following. live, and. we. professional,. involving. citizenship: to. the. attempts. the. supporting. and. civic. complexities efforts. organizations. and of to. by. made. leading. responsibilities the. universities・. increase. of mass. public. under-. affairs. Session.. 2nd. House. Document. No・. 527). ここで総括された六つの概念規定から,アメリカにおいて,国際育教という言葉で,ど ういうことが意味されてきたか,十分,理解する.ことができよう。さてところで,その国際 教育において,またそその国際教育の研究において,更にまた国際教育学(Internationale International padagogik, Education)において,第二次大戦後,最も主要な問題関心と なり,かつまた最も主要な研究対象なり,認識対象となってきたものほ,果してなんであ るか。それは,比較教育学の世界的権威であるフランツ・ヒルカー(Franz. Hilker)ち,. 1962)において述べているし,シュナイ その『比較教育学』 (Vergleicben・de Padagogik, Erziehungswis・ (Vergleicbende ダー(Friedrich Schneider)も,その『比較教育学』 senschaft,. 「世界平和のため諸国民の,文化教育の相. 1961)において述べているように,. 互関係に貢献している国際機関,国際組織であり+,その代表的なものはユネスコなので ある。アメリカの比較教育学の権威であり,比較教育に数々の新しい研究領域を開拓して いった有名なキャンデル(Ⅰ.L. Kandel)ほ,次のような言葉でそのことを説明している くらいである。. 「ユネスコが,国際理解と世界平和を達成するために掲げた三つの課題こそ,まさに, 比較教育学の研究の(国際教育研究の),目的,理念を的確に示したものであるといえよ Forum, No. 1955)。またグッド(H・ Good)ほ,その彼の代表的 う。+ (The Education 著作『西洋教育史』 (A て,. History. Education,. of Western. New. York. 1950)ほ'におい. 「国際教育学は,いわば平和のための教育研究であり,それは平和教育学とも名づけ. られるものであろうし,ユネスコこそ,その研究対象にふさわしいものであろう。+と述べ ている。一方また,アメリカの比較教育学会の研究機閑誌で行なわれた「低開発国援助政 Education-と,比 策および,その活動を研究対象とする開発教育-Development 較教育学における研究領域との相違をめく小る論争+ "Editorial”. Vol.. 7, No.. 3, Vol.. 9,. No.. (Comprative. Education. Review. 3参照)において,戦後世界における比較教育. 学および開発教育において,その研究分野における主要な研究対象として,ユネスコの問 題が登場している。. 例えば,これらの事実からも,国連教育科学文化機関であるユネスコが,教育学研究に おいて,特に,比較教育学や国際教育学において,独自なそして,主要な研究対象になっ ていることを私たちは,十分に理解することができよう。 註. 1)比較教育学が,科学としての学問の段階にはいるのは,ほぼ今世紀にほいてから,特に第一次 世界大戦を契機にしてからであるということは,次のような比較教育学の世界的権威者のそれ.

(6) 44. 伊藤忠彦・五十嵐良雄 ぞれの言葉からも明らかであろう。 比較教育学創始者の一人,イギリスのニコラス・ -ンス(Nicholas Hans)は,ト八一七年 のジュリアン(Mar°-Antoine Jullian)によって科学的な比較教育研究が初めて示唆された が,一九世紀時代の研究は単なる外国研究に過ぎず,本当の科学的な比較教育(Comparative Education)は,二十世紀初頭のサドラー(Michael Sadoler)によって始められた+ (”Com・ Parative. Education-A. Study. of. Educational. いる。. Factors. and. Traditions-,参照)と述べて. 比較教育学の世界的権威者であるシュナイダー博士ほ, 「比較教育学は近代国民国家の発展 の際に行なわれた外国教育研究に始まり,第一次大戦以後ドイツのクリ-ク(Ernest Krieck) や数理統計学者のフィッシャー(Aloys Fiscber)らによって高められ,比較教育科学Erziebung・ Erziebungswissens。baft swissenscbaftになって現在に到ってし.、る+ (Vergleicbende 1961 参照)と述べいる。 I(andel)やシュナ ヘッセソ(Sergius Hessen)やまたは, -ンス自身もキャンデル(Isaak イダーらによって比較教育が科学的研究として進められてきたと述べているし,ラワリ_ズ (J・A・ Lauwarys)も大体, -ンスと同じく,サドラー以前の比較教育学は外国教育の記述に 過ぎなかったといい,それ以後の段階を一応,科学的な比較教育の時期としている。 2)研究対象をめぐって,あるいほ研究領域をめく小って・例えばそれほ外国教育学(Auslandspada-. gogik)の範時にほいるものだ,いやそれは国際教育学(∫nternationale P畠dagogik)のカテゴ リーにほいるものだoいやそれは,比較教育学(Vergleichende Erziebungswissenschaft)が 対象とする固有の領域であるoいや,比較教育(Vergleibende Erziehung, Comparative Education)の対象であるといったように,学問固有の成立の根拠が,これまでの教育学研究 の歴史において,各国で機会ある毎に問われてきたことほ,シュナイダー博士の著書のなかで も記されているが,それを記し,総括する老が常に比較教育学老であることから推察されるよ うに,一応比較教育学の分野のなかで,国際教育について論じられてきたことを,私たちは理 解することができよう。 2. 今日,特にユネスコを問題にする根拠. 前章で,教育学の研究対象としてユネスコの重要性について素描したが,私たち自身の こんにちユネスコを問題にする個人的な理由と根拠について次に述べておきたいと思う。 今日,日本の教育状況が一層,そう思わせるのかも知れないが,今,第二次大戦直後の 世界の教育現実を想起する時,第一次大戦直後の時もそうであったと思うが,新しいさま ざまな教育理念や教育思想が,一斉に噴出して社会全体を引っばていたような感じがする。 大戦挺後,各国においても限をみほるような画期的な教育改革案が次ぎ次ぎと立案され打 ち出されていったから,そんな感じを私たちが強く持っのかも知れない。例えば,先進国 における見事な民主主義的教育改革案の典型としては,フランスの"ランジュヴァン教育 改革案”が,新興独立国における典型としてほ,インドの尤大な国民教育計画案である "サージェソト・プラ'/”が,また,日本の六三制教育の構図を措いた"ミッション・レポ ート”などを次々と思い起こされようoそれらすべての改革案の中に原則として凝縮され ていたものは,それまでの長い間,人類が希求してやまなかった文化,教育,平和に関す る熱烈な願いであり,理想であった。教育改革案にこめられた人類の願いと理想が,文化 科学の諸分野に対しても同じようにこめられていったことほ言うまでもなかろう。これら の願いを基掛こ,第一次大戦後の苦い経験を深く反省しながら,一特に"国際的協力委 員会”の活動や経験を踏まえて一組織された"恒久平和確立のための教育,科学,文化 の国際協力機関”が即ちユネスコであった。.

(7) 45. 現代ユネスコ論の展開. その目的についてユネスコ憲章ほ,次のように述べている。. 「--人種,性,言語また. ほ宗教の差別なく,世界人民のためと確信している正義,法の支配,人権および基本的自 由に対する万国共通の尊敬を更に深めるため,教育,科学,文化をもってする諸国間の協 力を促進し,それにより平和と安全保障に寄与する+にありと。 発足した当初のこの,知的国際協力検閲であるユネスコが,世界の諸国民からいかに大 きな期待と夢とが託されていたかについては,当時の新聞論調に,繰り返し明らかにされ. ている。日本においても"ユネスコ運動に関する衆議院の決議” (筑21箸)守"参議院の決 議” (ial鶏y9箸)守,あるいほまた学術会議や国立大学協会におけるユネスコ事業に関す 決議などの中で,そのことが具体的に物語られている。ともあれ,第二次大戦直後に展開 された各国のユネスコ運動ほ非常に大きなものがあった。例えば日本において展開された ユネスコ運動についてほ,次のように記されている。. 「わが国のユネスコ運動ほ,連合国の占領下という有史以来の困難な情勢のもとに,辛 和な文化国家の建設を目ざしつつ,国際社会-の復帰と協力との熱望にもえて展開されて いった。はじ釧ま民間の協力運動として現われ,ついで教育刷新委員会,文部省,国会が 動き,最後に日本学術会議が動いて,昭和二十二年から逐次旺んになって,期せずして政 府,民間の協力による一大国民運動に盛り上ったのであった.+. (航空遠賀戸). ところが,これほど熱心にその意義と役割が説かれ,かつてこれほど大きく運動が展開 されににも拘らず,今や,ユネスコの問題が全く問題にされない状態にある。もちろん, そのようになるという理由ほいろいろとあろうが,最も大きな理由は今や,私たちが生活 しているこの現実の教育や文化とほ,ユネスコが全く関係も,かかわりも持っていないか らであろう。ユネスコを知ることによって,私たちの現実の生活意識なり教育意識なりの なにが改められたり,確かめられたりするのか。日本のユネスコ国内委員会の関係者にと ってほ,職業としてそれを知る必要があるだろうが,私たちにほ全く関係がない。 長い間,そう思って関心を示さなかった私たちが,改めて,こんにち特にユネスコを問. 題にしていく必要を感じたのほ,次のようなきっかけからである。 先ずその一つめは,最近のアジア,アフリカ(略称AA)の教育問題の状況を考える際 に,ユネスコの活動を抜きにしてほ,正しく考えられないのでほないか,ということであ. る。特に私たちがそのことを強く感じたのは,数回に亘って私たちの一人がアジア,アフ リカの国国を歩いてきてからのことである。 実際,現地の学校教育を眺めて歩くたびに,今日のAA諸国の教育は,国際的な援助 活動を抜きにして果して成り立ち得ないのではないか,という厳しい印象さえ持ったくら いである。言うまでもなく,この教育援助活動の中心をなしているものほ,ユネスコなの である。. 旋行の途中,幾つかの国の教育学会や教員団体の総会に出席する機会があったが,そこ での主要な議題ほ常にユネスコの援助計画や援助活動に関連するものばかりであった。ま たいちいち名前も指摘できないほど,教育文化に関連した研究センターや事務検閲がユネ AA諸国において,文化教育に関する大きな建 スコの援助を得て設立されていた。大体,.

(8) 46. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 物は必ず国際的な援助によって建設されたものと思えば間違いない。つまりそれほどまで に,ユネスコ活動はAA諸国の教育と,密接なかかわりを持ちながら進展しているので ある。もちろんこのような教育状況ほ,一般的に後進地域と呼ばれているアジア,アフリ カ,ラテンアメリカ(略称AALA)の総べての国々に起こっている現実であろう。 その二つ糾ま,大国の対外政策において最近特に,文化思想対策といったものが強化さ れているが,それに対応するかのようにユネスコ活動が著しく重要視されてきているとい うことである。特にそのことを私たちが強く感じたのは,故ケネディ米大統領が打ち出し た新しい『対外援助法』 (公法77-195)の中の,第二章第二百十一条に限を通すに及んで からである。そこでほ,低開発諸国に対する援助政策の問題として,対外的な教育対策を 重要視し例えば次のように述べている。. 先ず「大統領は技術協力および開発のプログラムのような手段により,人的資源の開発 を助けることに力点をおいて,低開発友好国および地域の経済開発を促進するために,衣 ずからの決定する条件で援助を供与する権限が与えられる。+として,以下の方針を打ち 出している.. -「大統頭は援助供与に当ってほ,まず第一にその活動が社会的進歩を達 成するための教育またほ他の制度およびプログラムの発展に貢献する合理的見込みがある か否か,. --をを勘定しなければならない。とくに経済開発の初期段階にある国および地 域においては,教育および人的開発以外の目的のための資本的便宜の供与に対しては,必 要な知識および技能の開発が行なわれるまで低い順位が与えられねばならない。+ つまり,. AALAの低開発諸国に対しては,先ず第一に教育投資に最優先を与え,現地. 人の頚に対する働きかけを,第一義的な課題としなければならないと強調しているのだ。 これほ低開発国に対するケネディ政権の,対外的な文化思想対策の最も根本的な根拠をな す条文であったと言われている。一方また,ユネスコ活動の重視として,米国商務省統計 局発行の"Statistical. Abstract. of the. U.S.A.. 1961,. p.. 947”によれば,アフリカの. コンゴにおけるユネスコの,海外援助活動費の全額百万ドルをアメリカが全部自己負担し ていることが明記されている。 これに対してソビエトの方はどうか。結成当初ほ,. 「ユネスコほ観念的であり,しかも. 帝国主義の影響下にある+としてその加盟を拒否してきたが,第八回総会(1954年)を 契機にユネスコ加盟を正式に行ない,以来,アメリカに次いで巨額な分担金を支払ってい るのが最近のソ連の姿である。 世界銀行,フォード財団,フランス政府などからの資金を基にして設立されたユネスコ の国際教育計画研究所役員に,ソビエトは教育科学アカデミー副総裁のゴソチャロフとい. う大物を派遣している。これらの事実は,大国がユネスコを極めて重視しはじめているこ とを明らかにしているものといえよう.. その三つめは,最近の帝国主義老が採りつつある新しい支配の方法や形態(新植民地主 義)において,教育文化の国際組総としてユネスコが活用されているのでほないか,とい うことである。特に私たちがそのことを強く感じたのは,私たちの一人が世界教員会議に 出席して,国際教育労働運動の方向をめくoる討議に参加したりしてからである.運動のな.

(9) 47. 現代ユネスコ論の展開 AALA諸. かで採択された諸決議や討議資料のなかで,その名称こそ記されていないが,. 国に対する文化侵略の機関としてユネスコが心ある人々から極めて警戒されているという 事実がある。中国などは早くから,ユネスコの本質バクロを次のような発想をもとに旺ん に批判を行なっている。. 「政治的な独立と解放を勝ちとったAA諸国に対する新しい植民地支配の方法として, 帝国主義は文化思想侵略を重視し,政府と民間の諸組総および,さまざまな国際機関を通 じて正面からと側面からの二重の手口を運用して,新たな植民地体制の中にそれらの国々 (1962年5月4日付『北京大公報』). を組み込もうとしている+. このように,ユネスコほ大国の対外政策,特に低開発諸国に対する援助政策において, ますます重要視されてきているのが,最近の情況である。 3. ユネスコを覆い始めた新しい動き. それでほ,現在,ユネスコほ,どのような性格をもって活動しているのであろうか。 1960年代にはってから起こりはじめていったユネスコ内部の新しい重要な動きから眺め ていくことにしよう。 ①. 独立と解放を勝ちとったアフリカ諸国の加盟. 先ず第一の新しい動きとしては,加盟国が1960年の83カ国から,. 1962年の113カ. 国-の激増といった動きが指摘されよう。創立当初,やっと世界の34カ国で出発したユ ネスコを考える時,またそれから1960年までの14年間にやっと49カ国の加盟国しか 出現しなかったユネスコの歴史を考える時,僅か2年間に30カ国が一挙に加盟したとい う事実は,驚くべきことである。とにかくこのような大量の新規加盟が,僅かの期間に行 なわれたということほ,それ以前の主ネスコの歴史においては全く想像さえもできなかっ たことである。もちろんそのほとんど総べての新規加盟の国は,独立と解放を勝ちとった ばかりのアフリカ諸国からであったのほ言うまでもない。その結果,国連め場合も同様で あろうが,必然的にこの頃を一つの契機にして,それからの新興独立国の要求や動きが, 1960年の"アフリカの ユネスコ内部に色濃く現われ始めていった。その点に関連して, 年”と呼ばれた年に開かれたユネスコ第十一回総会に出席した日本代表団の一人,武藤義 雄氏(当時,日本コネスコ国内委員会事務総長)ほ報告の中で,当時の情景を述べている。 「--この総会で新規加盟の承認が行なわれたのは,総べて熱帯アフリカの国々で,国 名も耳新しく黒い皮膚と特異な服装の代表が会議場に多く加わったことは,これまでにな い空気をかもし出し,急速に変りつつある世界情勢を身近に感ぜしめるものがあった。ま た総会自体の,アフリカに対する力の入れようについては非常なものがあった。この総会 を特色づけたものは,何といってもアフリカ色であったと言っても過言ではない。 (『日本ユネスコ活動十年史』より``第四章ユネスコ総会と代表団の活動''p・ 99-100). 事実,この言葉で述べられているように,この総会をあたかも一つの出発点にして,ア フリカ諸国の要求や動きが,急速な勢いで,ユネスコ活動の全体に反映していったのであ る。アフ1)カ諸国から提案された教育上の差別待遇に反対する一連の条約(convention). --+.

(10) 48. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 早,勧告(recomendation)や議定書(protocol)などが,以後,次ぎ次ぎと採択されてい 『教育上の差別. ったのほ,その動きの反映であろう。例えば,その代表的なものとして, 待遇反対に関する条約』. (Convention. Discrimination. against. in Education),. 『教育上. in Education). の差別待遇反対に関する勧告』 (Recomendation against Discrimination 『教育上の差別待遇反対に関する条約の加盟国の問に生じる紛争の解決のための調停,戟. 旋委員会設立議定書』 (Protocol to. be. responsible. between. States. for Seeking Parties. to. lnstituting. a. conciliation. Settlement. the. Convention. of. any. and. disputes. Discrimination. against. good. o氏ces which. Commission may. arise. in Education)など. がある。またユネスコ執行委員選挙において,以後,アフリカ代表の候補者全員が欠かさ ず当選していったのも,その動きの現われであろう`。 た,ア・ジスアペパプラン遂行のための,. (第十二回総会の選挙)あるいはま. "アフリカ文部大臣会議”という機構を設置し,. 一連の会議-アフ1)カ諸国教育開発会議(1961年),アフ1)カ諸国文相会議(1962年), アフリカ高等教育開発会議(1962年),アプラン遂行のためのアフリカ文相会議(1964 午)--等々が国連アフリカ経済委員会(ECA)と共催のもとに-がひんばんに開かれ ているのが,やはりその一つの現われであろう。. ともあれ,このアフリカ諸国からの一斉加盟を一つの転横にして,連鎖反応的な仕方で ユネスコ内部に大きな質的な変化がもたらされ始めていったことは十分,想像できる。そ の点に関して河野靖氏(日本人のユネスコ本部職員)などほ,次のように述べているくら いである。 「今まで西欧的な方針や方法によって動かされてきたユネスコは,従来と異なった国家. 理念を持った新独立国,即ちアフリカ諸国の加盟によって,第十一回総会以来,その情勢 は大きく変ったのである。何故なら今までと違った性格を持った地域集団が,ユネスコ内 部に誕生したからである。+. (1963年8月15日,. 25日付『ユネスコ新聞』所収``ユネスコを動. かす力”参照) ②. 大規模な国連援助資金からの配分. 第二のユネスコの新しい動きほ,加盟国の分担金以外の,いわゆるユネスコ予算外財源 というものが,驚くほどの勢いで増加してきているということである。本来,ユネスコの. 事業や活動ほ,加盟国の人口や収入に比例した各国の分担金によってまかなわれる建て前 になっており,. (第一表『加盟国一覧』参照)各国の分担金によって組まれる予算は正規の通. 常予算と呼ばれ,その他の資金によって組まれるものほ予算外財源と呼ばれている。. 予算外財源の増大の懐向ほ最初,国連拡大技術援助計画の基金(略称EPTA,. 主と. して低開発諸国の国内経済を強化するた捌こ設定されたもので, 1950年から国連で運営 され出したもの)と,国連特別基金(略称SF-主として低開発諸国の経済的発展のた めの国際的援助を更に拡大するた捌こ設定されたもので, 1958年の国連総会で承認され た)のユネスコに対する配分を契機にして起り始めていったものであるが*,特に国連の *拡大技術援助計画EPTAと,国連特別基金SFとは, 1966年末から両者の合併が行なわれ, 以後,正式には国連開発計画(略称UNDP)が発足しているので,名称ほ変っているが,実質的 には従前と余り変りない。.

(11) 現代ユネスコ論の展開 第一表. 49. ユネスコ加盟国一覧表 昭和44年度 ◎印ほ執行委を出している国. 嘩月管) (S86i7墓). (寒月晋) (望6i7墓) ニ. 玉. 合. ◎連 ュ. サ. ウ. オ. ア. ジ ス. ー. ◎イ キ. ◎フ. ラ. ド. ラ ンド. 1946.. ビ. 1946.. 4.30. 0.06. ◎ル. 1946.. 6.11. 1.48. ◎フ. 1946.. 6.12. 1.73. モ. ラ. ア. リ ア ド. 華. _ヽ■. フ ̄. 1946.. 6.29. 5.71. ス. カ. 1946.. 7.. 2. 0.04. ガ. コ. 1946.. 7.. 6. 0.33. マ. レ. 1946.. 7.16. 0.21. ア. /レ. ◎ア. メ. チ. 1946.. 8.. 8. 0.41`. 辛. ダ. 1946.. 9.. 6. 2.97. ダ. 国(台湾). 1946.. 9.13. 2.50. コ. ク. 1946.. 9.20. 0.58. 1946.. 9.30. 29.94. コ. エ. ー. 合衆国. ス. 5. 1946.10.. ロバキア. ◎ブ. ラ. ジ. ル. 1946.10.14. ◎レ. バ. ノ. ン. 1946.10.28. ギ ポ. シ′. ◎ペ. 寸. ア. 1946.ll.16. 0.05. オ. イ. チ. 1946.ll.18. 0.04. ソ ガ. ィ. へ. 不. ズ. 寸. へ. /レ. ラ. ◎オ エ. ク. リ. ′レ. ビ. ウ バ. リ. ェ. ト. ポ. ル. リ. マ. 0.33. ト. ラ. ロ. ン. ビ. ル. グ. ア. ボ. 1.08. ウ. ン′. ダ. 1947.. 1.. /レ. 1947.. 1.22. 0.05. ◎イ. 1947.. 3.. 0.04. エ. ル. サ. 1947.. 8.29. 0.19. ア. フ. ガ、ニ. ス. タ:/. 0.05. オ. ス. ト. 1). ド. ア. ゝ. ブ. ル. 社. エト シ. ロ. ジ. ー. 0.08. グ. 1947.10.27. ア. 1. 6. 1.04. ホ. 1953.. 6.27. 0.04. ◎イ. リ. 1953.. 7.. 0.25. ◎-. 会. 1954.. 4.21. 主義共和国連邦 白. イ. フリ. 0.47. ◎チ ◎ソ. ア. 1946.ll.29. ビ. リ. 央. ー. 1946.ll.21. ノヽ. ク. カ. ル. 1946.ll.25. リ. ン′. ス. ガ. 1946.ll.21. ユ. セ. ガ. ン「. ヾヽ. 辛. ー. ェ. ギ. ア 寸. へ. 和. 共. コ. ニL. 7. 14.00. ア. 1954.. 5.12. 0.49. ク. ラ. イ. ラ. 1954.. 5.12. 1.85. ラ. グ. ア. イ. 1955.. 6.20. 0.04. ア. 1956.. 7.27. ド. 1956.10.10. コ. 1956.ll.. 7. 0.10. ア. 1956.ll.. 7. 0.05. ン′. 1956.ll.26. ナ. 1958.. 4.11. 0.07. ア. 1958.. 6.16. 0.ll. ア. 1958.10.. ◎ア イ タ. ◎ス. ン. ジ タ. ー. ラ. ュ. リ ル. バ. ド. ガ. ル. リ ソ. ゼ フ. チ. 0.04 0.16 0.33. 0.40. 0.05. 16 2.. 0.04. 4. 0.04 0.04. 国. 1960.10,24. 0.04. ル. 1960. 10.28. 0.04 8. 1960.ll.. 0.04. ル. 1960.ll.10. 0.04. ル. 1960.ll.12. 0.04. ル. 1960.ll.12. 0.04. ソ. 1960.ll.12. 0.04. カ. 1960.ll.12. 0.04. ア. 1960.ll.14. 0.16. タ. 1960.ll.14. 0.04. ア. 1960.ll.15. 0.04. ン. 1960.ll.17. 0.04. ゴ. 1960.ll.18. 0.04. ア. 1947.10.31. イ. 1947.ll.. ス. 1947.12.16. 0.21 8. 0.09. 0.04. ア. 1948.. 1.27. 2.38. ル. 1948.. 4.28. 0.04. 1948.. 5.. ア. 1948.. 8.13. ン. 1948.. 9.. 1948.. 9.14. ソ. 1948.. 9.15. ク. 1948.10.21. イ. 1949.. 1.. ス. 1949.. 1.28. ラ ン. 1960.. 1. 1960.10.19. メ. ネ. 中. リ. ピ. ニ. ジ. ◎カ. ◎ナ. リ. ア. 5.17. リ. メ. 1.36. /→. ゴ. ダ. 6. シ′. ジボア-. ニ. 0.04. ノレ. フ. ン. マ. 1946.ll.. 7.. 1956.. ア. 0.05. 1946.ll.. 1955.. ◎マ. 1946.ll.13. ビ. シ′ ノヽ. ド. ー. オ. ◎セ. 0.23. ジ. ニ. ダ. 0.89. 4. ア. ン′ ツ. ユ. ◎コート. ア. リ. ボ. ヤ. ン. 7. -. 1.04. ニ. ラ. lコ. ス. ェ. カ. イ. ン′. マ. リ. マ. ン′. チ. ー. 民. ソ. ′レ. リ. 0.76. ナ. 中. ビ. ガ. 6.12. ウ. ル. オ. 1946.. ◎アラブ連合(ェジプり カ. チ. コ. ル. ノ. 6. 「ン. ヽ. ト. ブ. 3.. ソ. メ. エ. 0.35. 2.20. ラ. ト. 6.76. 1946.. 国(英国). ジー. ーー. ー. 4. 0.05. 0.50 6. 0.19 0.52. 0.86 0.07 1. 0.13 0.82.

(12) 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 50. 第一表. つづき 1967,. 倖月習) (望6i套) ビ. ノレ. モ. ナ. /ヽ. ◎イ. キ. ス. ス. ラ. ウ. ニL. ◎コ. ス. ス. イ. 0.35. シ. ノレ. 1949.. 9.16. 0.16. イ. ン/. 1949.ll.14. ラ. 1950.. 1.. マ. 1950.. 1.10. 0.04. ンノ. 1950.. 1.23. 1.18. ジ. ア. 1950.. 3.31. 0.34. ル. カ. 1950.. 5.19. 0.04. ア. 1950.. 5.27. 0.36. ン′. 1950.. 6.14. 0.04. 1950.. 6.14. 0.12. ア. 本. 1951.. 7.. 2. 2.60. マ. ラ. ウ. イ. 1964.10.28. ア. 1951.. 7.. 3. 0.04. ◎ザ. ン. ビ. ア. 1964.ll.10. 0.04. ム. 1951.. 7.. 6. 0.07. マ. タ. 1965.. 2.11. 0.04. ス. 1951.. 7.. 9. 0.04. ポ. ル. ル. 1965.. 3.12. 0.14. 遵. 邦. 1951.. 7.11. 6.95. シ. ン. ル. 1965.10.28. ブ. ア. 1952.. 2.22. 0.04. ガ. ナ. 1967.. 3.21. 0.04. ン′. 1953.. 1.30. 0.68. レ. 1967.. 9.29. 0.02. 1953.. 5.. 0.04. エ. マ. 7 ̄. ラ. ビ リ. タ. シ. ノレ. ダ. 大. 韓. 氏. 国. ◎日 ボ. ン. 、P. ト. へ. ◎ド. ツ. カ. ラ. イ. へ. ネ. コ. ナ. イ. ス. ク. ノレ. ′ヽ. ウ. ト. -. 6. 2. 1. 1960.ll.19. ド. ヤ. プ. キ イ. ス. ロ. ル. ラ. ン. ド. 1961.. 1961.10.. ア. 0.04. モ. リ. ー. タ. エ. ザ. ン. ラ. エ. ニ. メ. ジ. ル. オ. レ. エ. リ. ェ. ゴ. ン/. イ. マ. 0.04. ネ. 1962.. 3.28. ン. 1962.. 4.. 0.04. ア. 1962.10.15. ノレ. 1962.ll.. 1. 0,04. 1962.ll.. 2. 0.04. カ. 1962.ll.. 7. 0.05. ダ. 1962.ll.. 7. 0.04. 9. 0.04. トリニダード・トバゴ ャ. 7. 0.04. 2. 0.09. ワ. ン. ウ. ガ. ン. ダ. 1962.ll.. フ. ル. ン. ジ. 1962.ll.16. ア. 1964.. 4.. 7. 0.04. 1964.. 6.. 8. 0.04. ケ. イ. ラ. ス. ン. /レ. ト. ガ. ポ. ガ. -. ア. イ ソ. ド. ト. 0.04. 0.04. 0.04. 計122か国 準加盟国. 0.05. モ. リ. ー. シ. ャ. ス. 1960.ll.15. 0.02. ノレ. 1962.ll.12. 0.02. 1964.10.21. 0.02. 1966.10.26. 0.02. 0.04. カ. 9. 0.04. 英領東カ1)ブグループ. 3. 0.15. ハ. 1960.12.23 2.. 0.07. 0.05. ンゴ民主共和国1960.ll.26. チ. ア. ジ. オ. ラ. 3.. 9.14. ヨ. カ. 1962.. 7.. 1949.. ド 不. ン. ア. 0.04. 1949.. ェ. ゴ. 1.ll. ン. ー. ̄. -. 1962.. コ. ナ. ス. ◎タ. ア. 6.27. テ. ◎パ. 0.04. (寒月菅) (. 1949.. lコ. ア. グ. モ. マ. タ. イ. セ. 0.05. 68年分 担金率. タ. ビ. 第十六回総会(1961年)で決議された"国連開発十年計画”で,. ン. 「国連諸機関が総力を挙. げて後進国の経済的,社会的発展の援助+を決めて以来,傾向が急激な勢いで現われ始め てきたのである。例えば,急激な予算上昇を示し始めた1963-1964年度のユネスコ予算 EPTA, SFからユ 総額(加盟各国の分担金の総額)が三千九百万ドルであるのに対して, ネスコに分配された資金ほ,前者が一千三百九十六万九千四百十六万ドル,後者が二千万 ドルで両者を合わせると約三千四百万ドルに達しているのである。ほぼ加盟国が支出する ●. ●. ●. ●. 分担金の総額金の総額に近い金が,外部からユネスコに配分されてきているというわけで ある。第二義『学校教育発展のためのユネスコの地域事業計画費』をみてもわかるように, 地域によってほ正規の通常予算からよりも,. EPTAの方から支出される予算の方がほる. かに多いというところさえも生まれているくらいである。 このような通常予算外の財源の増加は,時と共にますます増加してきており,. (第三表.

(13) 51. 現代ユネスコ論の展開. 『最近の予算額概要』参照)第十三回総会の議案として,各国のユネスコ国内委員会に配布さ (Draft. れた,例えば『1965年-1966年度ユネスコ事業計画予備草案』 Budget. for. 1965-1966,. Programme. Proposed. Budget. and. Programme. and. for 1965-1966)からは,. 予算外財源が正規の通常予算を上回ろとしてほじめているくらいである。そうだとすれば 繰り返すようだが,そのような予算外財源の急激な増加ということは,ユネスコのあり方 に,いったいどのような結果をもたらしているのであろうか。詳しくは,あとで述べるが,. 少なくとも次ぎのような結果がもたらされてくることは,十分想像できよう。まずそうい う資金の導入によって,即ちEPTAとSFの低開発国-の開発援助というその資金の性 第二表. 学校教育発展のためのユネスコの地域事業計画費 (単位-ドル). (1)アフリカに支出される予算額 業. 計. 画. 規. 事. 業. 計. 正. 辛. 1963年-1964年 850. 画. 000. ,. 1965年-1966年. 前年度より 255. 1,105,484. との増加率 30 7o. ,484. 2,051. 0. 0. 技 術 援 助 (EPTA) 特 刺 基 金(SF). 2,051. ,000 3,100,000. ,000 5,500,000. 2,400,000. 77 7o. 紘. 6,001. 8,656,484. 2,655,484. 44%. 計. (2). ,000. ラテンアメリカに支出される予算額 事. 正. 業. 計. 規. 画. 特. 別. 996. 業. 事. 技 術 援 助. 1963年-1964年. 1. (EPTA). 基. 500. ,. ,740,500. 100,111. 1,771,060. 30,560. 計. 10 9ら 29 7o 0. 0. 0. 130,671. 2,867,671. 2,737,000. 前年度よりの増額 前年度との増加率. 1,096,611. 0. 金(SF). 総. 1965年-1966年. 5ヲ乙. (3)アラブ諸国に支出される予算額 事 正. 業. 画. 計. 1963年-1964年. 業 計 画 技 術 援 助 (EPTA) 規. 事. 別. 特. 基. 1. 計. 紘. 649. ,. 000. 699. 840. 893 ,. 840. 500. 金(SF). 1965年-1966年. 000. ,. ,989,893. ,. 245. 前年度より 50. との増加率 87o. ,245. 800,000 2,340,138. 0. 0. , 893. 300. 350. ,. ,. 000. 67o. 245. 18ヲTo. (4)アジアに支出される予算額 事. 莱. 計. 正. 規. 技術. 援 助. 特. 別. 画. 事 基. 1963年-1964年 業. 1. (EPTA) 金(SF). (Draft Programme. ,039,210 ,453,500 200 000 ,. 計. 紘. 1. and. 1965-1966に基づいて作成). 2,692,710 Budget. for. 1965年-1966年. 前年度より. との増加率. 1,015,484. 23,726. 27o. 1. 15. 17o. ,438,440. 1. ,000,000 3,453,924. 1965-1966,. Proposed. 800 761. ,′060 , 000. 40 7o 28 %o. ,214. Programme. and. Budget. for.

(14) 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 52. 第三表. 最近の予算額概要 (単位-ドル). 年. \ --\ー_\. 度. 1963年-1964年. \\---. 区分. 1965年-1966年. \. 規 事 業 予 算(通常予算) 技術援助・EPTA (予算外財源). 39,000,000. 47,460,000. 13,969,416. 16,556,972. 特. 20. 35. 正. 別 基 (Draft. 金・SF. (予算外財源). Programme. for. Budget. and. ,000 ,020. 1967-1968,. Proposed. 1967年-1968年 61. ,506,140 18,463 ,665 38 ,550 ,500. ,300,000 Programme. and. Budget. for. 1967-1968に基づいて作成). 第四表 年. ---\、. 度. \ \ー---\、. 区. 分. 教. 最近のユネスコ予算配分率の変化. 育. 1963年-1964 1965年一1966 1961年∼1962年l 年⊆. 午-1968年 年1F1967. 32.77o. 34.77o. 32.857o. 33.09ち. 16.7. 16.7. 22.0. 21.8. 文 動 社会科学および人文科学. 17.0. 16.3. 14.7. 19.5. 12.0. ll.5. ll.0. 大. 衆. 通. 報. 15.3. 13.9. 12.5. 国. 際. 交. 換. 4.3. 4.4. 4.3. 係. 2.0. 2.6. 2.8. 自. 加. 盟. 然. 科. 化. 活. 国 連 絡. 学. 関. 22.0. ). 3・7. (第三表出典資料に基づき作成). 格からして,ユネスコの事業計画ほ,今後ますます後進国の経済的・社会的発達を援助す るという目標に向かって拡充強化されていくであろう。そしてそれに伴いユネスコ憲章で 規定されているユネスコの正規事業ほ,いろいろな形態をもって後進国の教育開発援助の 活動に集中していくであろう。すでにユネスコに配分されたEPTAの資金に基づいて, 世界の七十五カ国においてそのための活動が展開されている状況である。 ③. 事業計画における教育最優先の原則. 第三の新しい動きは,いわゆる経済的,社会的発展のなかで果す教育の役割や機能とい ったものが,ユネスコ全体として広く深く認識されてきているということである。もちろ んこのような,教育に対する認識は,いわゆる教育投資論の観点から,先進資本主義諸国 において早くから考えられてきたことである。特に1960年をピークとした世界の植民地 体制の崩壊を実検として,新たに展開され出した大国の米ソの,低開発国援助政策の発展 と強化によって,そのような教育認識は国際的規模で普及していったようだ。ユネスコに おいても,既に第十回総会(1958年)で一応,そのことが強調されていたが,第十一回 総会(1960年)-アフリカの年一においては,それが"ユネスコ事業計画における教 育最優先の原則”という形で確立されていった。もちろん次の第十二回総会(1962年) においてほ,更に強くその"教育優先の原則”が全員一致をもって確認-されるにいたった。.

(15) 53. 現代ユネスコ論の展開. そのことは例えば第四表『最近のユネスコ予算配分率の変化』をみてもわかるように,教 育分野の活動に対して全予算の三分の一近い額を計上し,教育長優先の原則を裏付けてい る。. 一方,あらゆる国連援助機閑においても,. 1961年頃カ、ら一斉に,この原則を支持して. いく動きが始まったが,特に国連総会と経済社会理事会ほこの原則を具体化するた捌こ, 主として国際的な援助計画機関に対して特別な要請を行なうにいたった。それを契機にし て国連地域経済委員会は,ユネスコのあらゆる地域教育計画に対して全面的にバック.ア -1961年5月に樹立された,いわゆ ップするという形態を形成していったのである。 るアペパプラン(アフリカ綜合的な教育開発発展計画)の実施に対しては,国連アフリカ 経済委員会(ECA)が,また1962年1月に樹立きれたサンチャゴブラン(ラテンアメ 1)カの綜合的な教育開発発展計酬の実施に対しては,国連ラテンアメ1)カ経済委員会 (ECLA)が,あるいはまた,アジアの綜合的な教育開発発展計画であるカラチプランに対 してほ,国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が,それぞれの地域全体の社会的,経済的 発展計画とのかかわりで全面的な援助活動にはいっているのは,御存知のことかと思うo -その結果,ユネスコの予算配分額目,自然科学,文化活動,社会科学および人文科学, 大衆通報,国際交換,加盟国関係,教育などのうち,最も多くの経費が教育に支出されて 1963年-64年慶事業計画においてほ全予算の約三十五パー. いくこととなったのである。. セソト近い予算が教育の項に支出されているという状態である。これはその年度の第二の 重要項目,自然科学に支出されている予算配分率十六,七′く-セントと比較する時,いか に多くの経費が教育分野に支出されているかが,理解できようo 4. ①. 後進国開発援助機関としてのユネスコ. 現地援助活動化. 以上,紹介してきた三つの大きな動き。このような動きについてほ,実ほ現事務局長ル 『ユネスコの発展の回顧と将来の展望』というレポ ネ.マウ氏(フランス選出)自身も, ートの中で,. 「ここ数年問に起った三つの決定的な新しい動き+として,早くも1962年. の末,就任,早々に同様な指摘を行なっているのだ。とにかく,このユネスコ内部に起っ た三つの新しい動きによって,それ以後,ユネスコが受けている影響ほ,ちょっと計りし れないほど大きなものがある。. 結論的に言えばその影響ほ,ユネスコ全体を組織的にも機能にも,またユネスコ自体の 存立を根底かゆさぶっているものである。ユネスコ加盟の新興独立諸国,つまり一般にア ジア.アフ7)カグループといわれている国々は,すでに過半数を越しているという状態で. ある.その事実だけをみても発足当初から西欧中心で,しかもあの有名な「戦争ほ人の心 の中で生まれるものであるから,人の心の中に平和のトリデを築かなければならない+と いうテーゼのもとに,多分に精神的・知的理想主義を掲げてきたユネスコに,今や重大な 変化が起こっていることを想像することができよう。 ともあれ,それらの動きとそれによって起っている変化にもとづきながら,ユネスコが.

(16) 54. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 現在,取り組みつつある全般的な方向ほ,実に後進国の社会的,経済的開発を教育分野か ら援助していくという方向なのである。その点に関連して,例えば,早くも第12回総に 出席した日本代表団のひとり井上孝治郎氏(当時の日本ユネスコ国内委員会事務総長)ほ, 総会報告の中でつぎのように述べている。 「開会以来,十日間というものはほとんど国連 開発十年計画に,ユネスコとしてはどのような方法や形態でもって参加するか。あるいは 国連のその開発共同事業の一翼をどのようにしてになうべきかというような低開発国に対 する文化教育援助の政策的問題の論議に終始した+ 資文』 No. 12所収の"総会雑感”一から). (日本ユネスコ国内委員会『ユネスコ. この12回総会をあたかも出発の合図にするかのように,大々的に国連機構の一環・とし て,後進国開発援助の活動に乗り出していくに及び,ユネスコはその専門機閑としての独 自性や自律性を次第に喪失していったのである。同時にそのことほ,それまでのユネスコ の事業計画や活動の性格に対しても大きく変化させていったのである0 たとえば前述したアジア・アフリカ,ラテンナメリカなどの地域教育開発発展計画の実 施からある程度推察できるように,ユネスコ活動ほ現地援助活動(Operational. Activites). に主力が注がれる結果をつくり出していった。日本ユネスコ国内委員会事務局も,そのこ とを「1963-1964年ユネスコ事業計画+ (『ユネスコ資料』 No. 12, p.7)の中でつぎのよ うに報告している。 「ユネスコの事業や活動ほ,かくて必然的に地域化していくとともに,それぞれの現地. 活動に重点が注がれていき,その結果,現地派遣のユネスコ職員は本部職員よりも多くな り始めているという状態をつくり出していっているのである。+. そのことをさらに数字で説明すれば,それまではユネスコ憲章にもとづいて,本部外で 働く職員ほきわめてわずかであったものが, 1963年1月にいたって,本部職員約1,000 人に対して現地派遣のいわゆる本部外職員は約1,800人に急増しているということであ る。もちろんそれらの現地駐在職員ほ主として,被援助国との連絡および現地にある国連 諸機関との調整活動に従事しているわけである。このような変化について,ユネスコ自身 のレポート(Draft. Progamme. and. Budget. 1963-1964)が,つぎのようにしるしてい. るくらいである。. 「--従来のユネスコの事業計画および活動はすべて基礎的,間接的,促進的なもので あったが,最近のそれらは加盟国の具体的な事業や活動を,直接的,実際的に援助すると いう方向に大きく性格を変えてきている.・・・+ 以上のようなユネスコの活動や事業の性格や変化ほ,また必然的にユネスコの機構その ものにも,大きな変化をもたらしてきていることほ当然であろう。 1963年以来,それほ 全面的に改革され, 1964年には例えば教育局は従来の「初等教育部+や「中等教育部+を 廃止して,新たにアフリカやアラブやラテンアメリカやアジアなどの「地域別+の部がっ くられたし,また後進国の教育全体を対象とする「国際教育計画研究所+ lnstitute. for. Educational. (International. Planning)早,教育行政指導を扱う部を新たに創設したりし. ているのがそれである。その改革に米ソがいかに大きな力を注いでいるかは,派遣してい.

(17) 現代ユネスコ論の展開. 55. る人物からでもうかがうことができる。計画研究所には,ソビエトほ教育科学アカデミー 副総裁のゴソチャロフ氏を,アメリカは前教育文化担当の国務次官フィリップ・Ⅲ・クー ムズ氏をそれぞれ送り込んでいる。. 以上述べてきたような変化をつぎつぎにもたらしている要因のうち,最も大きなもので あるユネスコの地域教育援助活動というもの。つまり地域の社会的経済的開発計画と結び 付いた地域教育開発発展計画なるものが,いかに巨大なものであるか。ここでやや詳しく 説明しておこう。たとえばアジアにおけるそれとして,ユネスコが最初に手がけた‥初等. 義務教育拡充計画”,つまり通称カラチプランと呼ばれているものの原型をなしているも の。その実施のために最初に開催された"アジア文相会議”に集まった顔ぶれをみてもそ のことの一端を理解することができるが,そこで検討されたプランの内容ほ,大ざっばに いえば,つぎのようなものである。 例えば,. "1960年から1980年までの20年間をとらえ,その間のアジア地域の全人口. を推定し,そこから義務教育を受ける児童数を割り出し,これを基礎としてそれに要する 一切の所要経費を算出して,最少限7年間の無償義務教育制度を,アジアの全地域に確立 するということである” "っまり1950年に7億1千万人(ただし日本と中共を除く)だ 20年後の1980 1960年に7億6千万人に達しているので, ったアジア地域の全人口は,. 年には11億人に達することが推定され,この人口増加に対応して義務教育学校就学児童 1960年には全人口の 数は, 1950年と全人口の5.7 ′く-セントである3千8百万人が, 8.47. /i-セントである6千5百万人になり,. 1980年にほそれがさらに全人口の20パー. セントの2億2千万人になることが算出され,そに合わせて,教員対児童の比率が1対 35の,いわゆるヨーロッパの教育先進国と同程度の義務教育体制を確立しようというの が,この基本的な構想である”。 これだけの説明では未だ実感をもって,このカラチプランの巨大さがわかりかねると思 うので,それに要する必要最低経費について簡単に述べておこう。 ・まず20年計画到達のために,. 1980年までに要する経費の総額ほ640慮ドル。日本. 円に換算すると23兆4千億円ということになり,それは現在の日本国家の総予算額の 約14倍近に当るものである。. 1年間に要する経費ほ,平均して最低33億ドルで,日本. 円にすれば1年間に1兆円を必要とするわけである”。 このよう.な巨額な金をどのようにして調査するのか。少なくともその調査のた捌こは,. あらゆる国際機閑や財団の力が動員されるであろうことほ明らかであるo ァジスアペパプランにしても, 蘇(略省GNP)の4パーセント,. "アフリカにおける教育費を1965年までに国民総生産 1980年までに6′く-セン 1970年までに5パーセント,. トまでに引き上げるという前提の上に立って,アフリカ全般の経済的,社会的発展のため の総合計画の一環としで具体的に構想され,検討されそして既に実施されつつあるので ある。またサンチャゴブランにしても"1965年まで少なくとも教育費を国民総生産額の 4′く-セントにまで引き上げることを前提にして,ラテンアメ1)カ全般の経済的,社会的 発展のための総合計画の一環としで具体的に構想され,検討され,実現されつつあるの.

(18) 56. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. である。 <カラチプラン実施のために,最初に開かれた〟アジア文部大臣会議〃に参集したのは, アジア18カ国の文相以外に,アメリカ,ソビエト,ユーゴ,イギリス,メキシコ,スウ ェーデソ,オーストラリア,ポリビヤ,ブラジル,キューバ,チェコ,エクアドル,フィ ンランド,ドイツ,イスラエル,イタリア,レバノン,クウェート,ニュージ-ランド,. ポーランド,ル-マニア,サウジアラビア,アラブ連合,オランダ,フランスなどの25 カ国o国連本部oエカフェ, ILO,世界銀行,ユニセフ, WHO, WCOTP,世界教員組合 連盟(FISE),国際大学協会(IAU),世界教会協議会,国際カトリック教育局,国際社会 学会など12機関oその他としてアジア財団,フォード財団がある。この顔ぶれからでも, カラチプランの規模が想像されよう。 ⑧. >. 教育文化の南北間題. 以上述べてきたような,大体1960年,いわゆる"アフリカの年”といわれた時期を重 要な契機にして起り始めていった三つの大きな動きな動き。そして,それによって惹起さ れ始めていったユネスコ内部の大きな変化。それらを考えていく時,既にそれから8年近 い歳月の過ぎた現在のユネスコに関して,次のようなことを結論的に言えるのではないか。. 先ず第一ほ,現在のユネスコというものは,かつてのユネスコとはまるで違ったきてい るということ。いわばユネスコ憲章に基づいて創設された当初のユネスコほ全く異なるも のに変容してきているということ。 第二にほ,その意味で現在のユネスコは,大変重要な転機に立ち至っているということ。 つまりユネスコが憲章から離れて,更に大きく変貌していくかどうかの岐路に立っている ということ。. この二つのことを具体的に要約して言うと, 「戦争ほ人の心の中で生まれるものである から,人の心の中に平和の砦を築かなければならない+という,あの有名なユネスコ精神 を既に喪失し・今やユネスコほ,後進国の開発と推進を目的とする国際機閲,後進国開発 の道具になり下っているということだoこのことを,当今の言葉で指摘するならば, "現 在のユネスコは教育投資論の観点から,マン′叩Policy)の国 ・ポリシー(Manpower 際的推進者の役割を,国際的視野から果しつつある〃ということである。従って私たちは, ユネスコ憲章に基づいてこれまで抱いてきたユネスコ観やユネスコ像によってでは,最近 のユネスコの事業や活動は正しく捉えられなくなってきているということ。それゆえ,私 たちのこれまで,培われてきたユネスコ意識というものほ,こんにち全面的に改められな ければいけない時にきいているようだoいずれにしても,今やユネスコほユネスコ憲章か らは想像もつかないほど大きく変貌してしまっていることほ確実である。国家権力と癒着 し,政府の補加金を受仇財界のバック・アップのもとに組織されている『日本ユネスコ 協会連盟』でさえも,その点に関連して,早くから次のように述べているくらいである. ト-現在,ユネスコ加盟国ほアジア,アフリカ諸国だけで,既に過半数を占めるにい たっているoその結果,西欧中心で,しかも有名な"人の心の中に平和の砦・・・.”のテゼのもとに多分に精神的・知的理想主義を掲げたユネスコは,これら低開発国中心の煉梼.

(19) 57. 現代ユネスコ論の展開. と変わり,従ってその事業内容も,これら低開諸国-の援助活動,いわゆる現地援助活動 を中心とするものに大きく変わらざを得なくなっている。・-+. (例えば1964年8月5日. 付『ユネスコ新聞』参照). もちろん,このようなユネスコの姿を,ユネスコ精神の喪失とみるか,それとも,南北 間題の時代におけるユネスコ精神の新たな再生の道とみるかは,大きく議論の分かれると ころであろう。. ところでこのように変容し,変貌しているユネスコの動きのなかで,一体どのような問 題が具体的にユネスコの組織の中枢部内で提起され,検討されたりしているのであろうか。 その点に関しての幾つかの客観的な資料のうち,特に現ユネスコ事務局長ルネ・マウ氏 (フランス選出)が,その就任の最初に問題提起として明らかにした重要な見解を,参考 資料としてここで紹介しておこう。 『1965-1966年度,事業計画予算予備草案』を作成するに当っての序文のなかで,ル ネ・マウ氏は先ず次のように述べ, 「今後のユネスコの在り方と方向とを考える際に最も重要な問題として,また未来のユ ネスコ活動に対して大きな変化をもたらしている最も決定的な要因として,国連拡大技術 援助計画(略称EPTA)と国連特別基金(略称SF)とのかかわりの問題がある+ そして大要次のような指摘を行なっている。 「各方面からユネスコに入手しうる財源を一律化して,事業計画の統一を保つことo れは過去二回にわたる総会で明白にされた原則の一つである。ところがそれにもとづき, SFへの参加の原則を定め,事業実施の監督を行な ユネスコ総会や執行委員会がEPTA, うにしても主要な決定権限ほユネスコにはなく,それが被実施国と当該の国連機関との間 にあるということ。そのため,予算外財源の増加ということほ,外部の決定に依存する活 動量が,近い将来,ユネスコ自身の決定量よりもさらに大きな部分を占めていく結果をも たらしてくる。しかもユネスコの事務局長は委託事業についてユネスコに対してではなく, 外部に対して責任を負うのであるから,まさにそれはパラドックスであるといわざるを得 ない。. ・-予算外財源による事業の目的と基準は最近,拡大され弾力的にほなったが,早 ほりそれは開発援助関係のワク内に限定されている。したがってEPTAとSFの事業が いかに包括的になったとしても,ユネスコの仕事の全体をおおうわけにはいかない。ユネ スコ憲章で明記されているユネスコの本来的な目的ほ,開発援助活動とまったく関係でほ ないが,その限界をはるかに越えているものであり,ユネスコの目的全体と一致するもの ではない。. --それ故,予算外財源にもとづく事業や活動が,さらに強化されていくなら ば,必然的ユネスコ総会がユネスコ事業全体についてのみばかりではなく,ユネスコ予算 自体についても唯一の決定者でなくなるという結果がもたらされてくる。これは論理的に ユネスコの独立性と自律性の放棄であり,また自主性の完全なる喪失でもある。+ このように問題点を指摘し, 「今日のユネスコは,技術援助EPTAと国連基金SFの 調整力の影下にほいりつつあるだけでなく,国連とのものの投資前計画のための,実施機 関としての性格さえも帯びつつある+と断定しているのである。この『予備草案』の序文. こ.

(20) 58. は,. 伊藤忠彦・五十嵐良雄. 「マウ事務局長みずからの筆になるもので,その執筆に当って,彼の全力が注がれた. ものであるといわれ,重大な転機に立つユネスコの事業計画の根本を示したものとして, ユネスコ関係の総べての人によって研究されねばならぬもの+と許されているものだ。. (例えば1964年8月5日付『ユネスコ新聞』参照)とにかく,現職の事務局長自身に よるこのような大胆な問題提起とユネスコに対する批判ほ,一体,どのような理由にもと. づいて,またどのような動向を背景にして出されてきたものだろうか。つまりユネスコに 現われている南北問題を,一体,彼はどのような方向で解決し,どのような性格をユネス コに付与しようとしているのか。もちろんその答を出すことは容易でほないが,少なくと も言えることは,かつてドゴール仏大統領がその中国承認で示したような,国際情勢に対 するあのフランス的リアリズムの外交政策の発想に基づいて打ち出されてきたものであろ. うということ。今日までユネスコが実質的に憲章で規定されているようなユネスコではな くなってきているのに,いまだに正式の提案としていずれの国からも,このような大胆な 問題が提起されてこなかった現状を考える時,ルネ・マウ氏の問題提起ほ,きわめて重大 な問題を真正面からユネスコに突きつけたものといえよう.それでほ米ソの両大国ほ一体, それをどのように受けとめたのであろうか。また国際的な援を求めてやまぬ,アジア,ア フリカ,ラテンアメリカ(AALA)の国々ほその提案に対してどのような反応を示してい ったのであろうか。 いずれにしても現在のユネスコほ,この問題に対する決着のいかんによって,国連の人. 的資源開発機関の一つと化してしまう方向に進むか,また創立当初のいわゆるユネスコ精 神を再び,新たな段階の中に蘇みがえらせる方向を辿るか,あるいは教育の南北間題の解 決を踏まえた新しい性格のユネスコを創造していこうとする方向を示すか。ユネスコがい まその決定的な転機に立っているといえることだけほ確かであろう。 5. 社会主義諸国とユネスコ. 以上,述べてきたことほ主として,. 1960年を中心とした,いわゆる世界植民地体制の. 崩壊を大きな契磯として起こっていったユネスコにおける新しい動きであり,その動きに よってつくり出されていったユネスコの変貌である。それでは1960年以前の歴史におい て,ユネスコの大きな変貌にかかわる動きほ果してなかったのだろうか。 そのような問題意識のもとに歴史をひもとく時,注目すべき動きが,特に第八回総会を 実検にして起こっていることに私たちほ気づく。 1954年11月12日-12月10日まで, 約-カ月近くに亘って南米ウルグワイ国,モソテヴィデオ市で開催されたこの第八回ユネ スコ総会ほ,次に述べる二つの新しい動きが示されたという意味で,それまでのユネスコ の歴史において重大な転棟を有するものであった。 先ず第一の新しい動きについて。 それまで,. 「ユネスコほ実質的軒こアメ1)カ合衆国の支配下にある.ユネスコほアメ1)カ. の文化的帝国主義の機関と化す恐れがある。ユネスコは西欧の思想によって支配され,弁 証法的唯物論を排除しようとしている+等々といった理由をもって,結成以来,/一貫して.

(21) 59. 現代ユネスコ論の展開. その加盟をしぶり,拒否してきたソビエト社会主義共和国連盟が,この第八回総会を契機 にして,ウクライナ,自ロシア,ルーマニア,ブルガリアなどの社会主義国と共に新たに 加盟してきたということ*o. またフランコ独裁国としてスペインのユネスコ加盟に反対し. て,それまで脱退していたポーランド,. -ソガリー,チェコスロバキアが共に復帰してき. たということ。つまり社会主義陣営全体が,この総会をきっか桝こしてユネスコに加盟し 「こ. てきたということである。その意味では,例えば,日本代表団(日本政府代表団)は, の第八回総会を契機にして,名実共にその加盟国に関する普遍性が実現し,ユネスコ発足 (外務省報告書)となったと報告しているo 以来,最も注目すべき総会+ 第=の新しい動きについて. それまで,ユネスコの執行委員会ほ最高の決定機関である総会(General. Conference). に次ぐものとして,総会全体のためにその権限を行使することを基本的な性格としていたo 従って執行委員の主要な任務ほ,総会に代って,総会で採択されたユネスコの事業計画の 実施に関して責任をもつもので,次期総会までそ,その計画を執行していくことにあったo Board)の性格と任務からして,それまでの執行委員会は そのような委員会(Executive 総会政府代表のなかから,飽くまで個人的資格のもとでユネスコ全体を代表する老として・ またユネスコ全体に対して責任をとる人間として,選挙されてきたのであるoところが, この第八回総会において;執行委員の性格は「自己が国籍を有する国の政府を代表するも の+ (憲章第5条③)に改められたのである**oその結果,必然的に,執行委はユネスコ 全体を代表し,ユネスコ総会の決議に責任を負うというより,むしし自国政府のユネスコ 方針に責任を負うという方向に変貌していくこととなった。 第八回総会におけるこのような二つの動きほ,それでは一体,どのようなことを物語っ ているのであろうか。. 先ず第一の,ソ連を先頭とした社会主義国の一斉加盟の問題は,後に更に詳しく述べる が,マルクス主義にとって,極めて重大な問題を提起しているo一般化して言うならば, プロレタリア国際主義というものを対外政策の原則とする社会主義国が,資本主義を含め た各国政府間組織にはいり,その組織を維持していくとは,一体,どういうことなのかと "労働者,農民の国家である社会主義国が, いう問題である***o既に述べたようにソ連は, *. ソ連は1946年11月の結成大会である第一回総会にも顔を見せず,また,その欠席の理由も, 加盟拒否の根拠も一貫して今日に至るまで明らかにしていない。もちろん,この第八回総会の 場合も加盟の根拠なり理由なりを明らかにして加わっていったというわけではないo従って, 他の社会主義国の発言,例えば第一回総会に参加した社会主義国ユーゴスラビア代表のリブニ ヵ-ルの発言などをもって,当時のソ連の真意を推論するしかない。第二次大戦直後のユネス (昭和23年1月, コ研究の第一人老であった箕輪三郎氏の著わした名著『ユネスコの解説』 時事通信社発行)においても同様な指摘がある。. **. ユネスコ憲章そのものの制定過程において繰り返し指摘されてきた,次のような規定が,この 総会において根本的に改められたということである。 「執行委員会は,総会の決議事項を実施するため総会の代行機関であり,それゆえ,執行委 員ほ,各自の所属する政府を代表するものであってほならないo必ず,総会の代表者として行 動するものでなければならない。+. ***. プロレタリア国際主義に基づく対外政策の問題として,国際政府間組織や国際政府間横構に対.

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