まえがき ∼土砂動態学とは∼
我々が住む地球という天体の中で,物質は 様々な形態で循環している.よく知られた大 気循環システムでは,太陽からの熱によって大 気が暖められ,上昇することによって流れが発 生し,様々な季節風や低・高気圧,台風などの 複雑な気象が現れる.また,水循環システムで は,雲の形成と降雨により水が高所に運ばれ, それが重力の作用によって徐々に低い場所(= 海)に流れていくが,その途中で地層に浸み込 んで地下水となり,海に流れ着くのに長い年月 がかかる場合もある.また,その水循環の過程 で,流水は岩や土を削り,運搬して,堆積させ ることで地形を変化させる.すなわち,地盤を 構成する岩や土などの固体物質もまた,形を変 えながら移動,循環している. これら地盤を形成する物質は,その状態によ って岩石,土,土壌,土砂など,様々な名称で 呼ばれるが,地盤表面で,重力や流水によって 移動する場合には,大小様々な粒として存在 している.本書ではそれらの粒子状の地盤材 料を総称して「土砂(英語では sediment)」と 呼ぶ.土砂は,山地での風化や侵食によって生 成され,重力による斜面崩壊や川の流れによっ て移動・運搬される.そして,平野部や海底で 堆積し,その後,長い期間の続成作用によって 堆積岩として固まる.固まった岩石は,プレー トテクトニクスによって徐々に移動し,ある ものはプレート境界から地球深部に沈み込み, 高温・高圧状態でマグマとなり,あるいはマグ マに接触して変成岩となる.さらに,マグマが 火山噴火で噴出し,急冷・固化して火山岩とな り,山地部の地表を形成する.あるいは,プレ ートテクトニクスの力で地盤が押されて隆起 し,山地を形成する場合もある.このような多 様な物質循環を,本書では広い意味で「土砂循 環」と呼ぶ. 本書では,そのような移動形態のうち,特に 粒子状の「土砂」として移動する部分,すなわ ちプレートテクトニクスによる移動以外の移 動形態に焦点を当て,これを「土砂動態」と呼 ぶ.土砂動態は,プレート運動よりも時間スケ ールが短く,また地盤のより浅い部分の運動で あり,後述するように我々の生活に直結してい る現象である. 他の物質循環現象と比べて,土砂動態は,定 量的な議論がいまだほとんどなされていない. これは,大気や水は,流体であり,扱い方(数 学で記述する方法)が比較的確立しているのに 対して,土砂は,土粒子や土粒子の集まりとし て移動するが,その力学法則がいまだによくわ かっていないことが原因として挙げられる,ま た,多くの場合,雨や河川などの水の流れに影 響されて移動するため,土粒子と水の両方の 動きを考えなければならないことも,問題をむずかしくしている原因の 1 つである.また, 現象の時間スケールが,プレート運動よりは 短いものの,人間の生活時間スケールに比べ るとずっと長い(侵食・堆積地形の変化は数十 年,数百年以上のスケール)ことも,影響して いる.すなわち,日単位で変化する気象などに 比べて,観測データが絶対的に不足している. 定量的な議論ができない,ということは, 「数値」として予測できない,ということであ り,我々の生活を改善するための「農学」や 「工学」に利用できない,ということを意味す る. そこで,このような未解明の課題を解決しよ うとする学問分野,すなわち,「地球表層の未 固結地盤材料である土砂の移動形態メカニズム を明らかにしようとする学問」としての「土砂 動態学 (sediment dynamics)」が,本書のテー マである. この学問は,大きな枠組みでは「地球科学」 という理学の学問分野の一部であると考えられ る.特に,「地質学」,「地形学」,「堆積学」な どと関わりが深い. 一方,工学の既存の学問分野の中では,力 学(手法)を基準としたものでは,土の力学 を扱う「土質力学」,水の流れを扱う「流体力 学」「水理学」をベースに,「砂防工学」,「地盤 工学」,「河川工学」,「海岸工学」などの「土木 工学」の複数分野にまたがった分野として位置 づけられる. これらの既存の学問分野に対して,「土砂動 態学」では,「土砂」の運動という力学現象の 解明を中心課題に据えて,現在の定性的な理解 から,定量的な評価に向かう足がかりとするこ とを目的としている.また,土砂の流れは山地 から深海までつながっていることから,それら を俯瞰し,統一的に記載することを目指してい る. 「土砂動態学」が,我々の生活といかに関わ っているかを,いくつかの例を挙げて説明しよ う. ⑴ 構造物を安全に建設する 我々は地面の上で生活しており,住居や工場 やオフィスビル,あるいは川の氾濫を防ぐ堤防 やダムなど,様々な人工構造物を地面の上に造 っている.しかし,それらの構造物をいかに強 固に造っても,それを支える地盤が弱いと,沈 下したり,すべったりして構造物が役に立た なくなるどころか,急激な破壊は人命をも脅か す.構造物を造るための鉄鋼やコンクリートは 人工の材料であり,その品質を管理することが できるが,地盤は自然の材料であり,場所や深 さによってその性質が大きく変化している.し たがって,構造物を造る前に,その地盤を掘削 して,いろいろな深さから試料を採取し,圧縮 しやすさや,すべりやすさを実験によって確認 しておく必要がある. 地盤の性質が場所や深さによって異なるの は,地盤がどのように形成されたかに関係し ている.たとえば川の近くの地盤は,大雨によ る川の氾濫で堆積した土砂からできており,比 較的新しい地盤である.そのような地盤の中 でも,山から流れ出た土砂が堆積した扇状地 では,比較的粒径の大きな砂や礫が堆積し,も っと下流の海に近い場所では,より細かい粘土 などが堆積している.いったん,堆積した土砂 の上に,新しい土砂が堆積すると,下の土砂は 上の土砂の重みで圧縮されて硬くなる.また, 堆積した土砂の隙間を地下水が流れると,長 い年月をかけて,カルシウムなどの成分が析出 して,土砂の粒子どうしを固着する.これによ っても地盤は年月とともに硬くなっていく.し たがって,このような土砂の移動現象をよりよ く理解できれば,どのあたりの地盤がどのよう な性質を持っているか,ある程度推定ができる
ようになる.さらに,これらの情報を定量化で きれば,構造物を建てるときに役立つ情報とな る. 現在のビッグデータ社会において,日本の国 土の地盤物性データをデータベース化しようと する動きも始まっている.国土交通省の Ku-niJiban1)や,防災科学技術研究所が中心とな ってまとめられた統合化地下構造データベー ス (Geo-Station)2)などはその例である.これ らの情報は,過去の様々な建設工事の際に取得 したデータであり,現状では空間的な偏りが大 きく,解像度は十分でない.しかし,これらの 情報と,土砂動態学研究で得られた地盤の形成 プロセスの知見を相補的に用いれば,データベ ースの精度は大きく向上すると考えられる. ⑵ 斜面災害の危険度を予測する 山がちな国土を持つ日本では,毎年のように 地震や大雨による土砂災害が発生しているが, これも土砂移動現象の一形態である.雨水がど のように流れて集積するか,それがどのように 土砂を動かすのか,というメカニズムが明らか になれば,毎年のように発生する土砂災害のリ スク軽減に役立つ.2000 年に制定された土砂 災害防止法(正式名称「土砂災害警戒区域等に おける土砂災害防止対策の推進に関する法律」) により,各自治体において土砂災害の恐れのあ る区域を指定し,様々なソフト対策に役立てる ことが試みられているが,この危険区域をより 合理的に決定するためにも,土砂移動のメカニ ズム解明は重要な課題である. ⑶ 地震動の強さを予測する 将来想定される地震に対して,日本の各地が どの程度揺れるかを予測する「全国地震動予 測地図」が防災科学技術研究所のホームペー ジ (J-SHIS)3)より公開されている.その予測 には,地震断層から伝播してきた地震動が,表 層地盤でどの程度増幅するかの情報を,微地形 区分(その場所が地質的にどのように形成され たか,表 0.1)を基礎として数値化している4) が,土砂動態学の知見は,この精度の向上に役 立つことが期待される. 表0.1 微地形区分3,4) 微地形分類コード 微地形区分 1 山地 2 山麓地 3 丘陵 4 火山地 5 火山山麓地 6 火山性丘陵 7 岩石台地 8 砂礫質台地 9 ローム台地 10 谷底低地 11 扇状地 12 自然堤防 13 後背湿地 14 旧河道 15 三角州・海岸低地 16 砂州・砂礫州 17 砂丘 18 砂州・砂丘間低地 19 干拓地 20 埋立地 21 磯・岩礁 22 河原 23 河道 24 湖沼 出典http://www.j-shis.bosai.go.jp/map/JSHIS2/ data/DOC/DataFileRule/Z-RULES.pdfの表3 3 ⑷ 環境・生態系を守る それぞれの山地から,毎年どのくらいの土砂 が生産され,流出するのかは,前述の土砂災害 リスクとも関連して,土砂動態学の重要な研究 対象である.実はこの土砂生産・流出は山地の
植生とも密接に関連していることが,最近の 研究で徐々に明らかになってきている(詳細 は第 4 章を参照).逆に,土砂動態の観測結果 が,森林の保全を行う上での重要な基礎情報と もなる. 高度成長期の水不足・電力不足で,日本各地 にダムが建設されたが,これによって河川の生 態系が分断され,周辺の自然環境に影響を与え ていることが指摘されている.また,ダムは水 だけでなく土砂の下流への流出も制限するた め,下流への土砂供給が減少し,干潟や河口周 辺の砂浜が減少する,海底地形が変化して潮の 流れが変わったり,台風の高潮や津波の高さが 影響を受ける,等の長期的な影響が現れる.こ れらの影響を軽減するために,ダムが一時的な 人工洪水を発生させるフラッシュ放流なども行 われているが,この操作の有効性の検証や効果 的な運用法についても,土砂動態学の知見が役 に立つ可能性がある. 河川の流量が上流のダムによって制限される と,中州などの植生が発達し,洪水時にそれが 抵抗となって水深が上昇して堤防の決壊につ ながる可能性もある.このように,土砂動態と 生態系の長期的な変化は,防災にも様々な影響 を及ぼす.こういった観点から,環境や生態系 に関わる様々な長期問題を長期防災と位置づけ て,斜面災害などの短期的な防災と一体で考え る必要がある. ⑸ 農地を守る 古代文明が,肥沃な土壌が広がる場所で発達 したという考え方は古くからあるが,近年,人 類の歴史を土壌の変化と関連づけてより詳細に 議論する提案がなされている5).そこでの基本 的な考え方は,肥沃な土壌を酷使することによ って土壌が瘦せ,結果的にそこにある国家は衰 退していく,というものであり,農業の面から の土壌管理の重要性を指摘している.農業にお いては,土壌に含まれる栄養分といった化学的 視点のほか,地盤の硬さや水はけなどの物理的 性質や,微生物などの生物学的な面が複合的に 絡み合っている.そして,長期の土砂動態は, 文明の長期の持続的な発展を考える上で不可欠 な視点である. ⑹ エネルギー・資源を探る 河口や沿岸に堆積した土砂は,波の作用で 徐々に深い方へ流れ,ついには深海へと流れ 込む.近年の地球深部探査船「ちきゅう」など の観測により,今まで未知だった海底での土砂 動態が徐々に明らかになってきている.このよ うな土砂の移動は,その後のプレートテクトニ クスによるさらなる沈み込み時の地震挙動など にも影響を及ぼすが,より注目されている応用 分野は,深海の利用と環境保全である.石油や 各種鉱物資源,特に近年注目されているメタン ハイドレートやレアアースなどの海底資源分布 は,長期間の土砂動態が深く関わっており,こ のメカニズム解明は,資源探査の効率化につな がるものである.また,そういった海洋開発に おいては,海底地すべり・海底土石流などの急 激な土砂移動現象による災害にも配慮する必要 がある.これらは,深海の環境・生態系にも密 接に関連している. 以上を見てもわかるとおり,「土砂動態学」 は,既存の様々な分野にまたがった学問であ り,これまでは,それぞれの分野において,関 係する事柄について別々に研究されてきた.そ のような焦点を絞った議論が重要であるのと同 様に,分野をまたいだ,広い視点での議論を行 い,知識の共有化を図ることも重要である.そ のような目的で,公益社団法人土木学会におい て,地盤工学委員会「土砂動態学」小委員会が 組織され,様々な分野の研究者が集まって,統 一的な見方を議論した.そこでまず問題となっ たのは,用語や概念の不統一であった.これら
は,分野間の相互理解の妨げになり,これを解 消するために多くの研究紹介とそれらに対する 議論が必要であった.そのうえで,それぞれの 分野での土砂動態の取り扱い方を比較すると, 土粒子個々の運動に着目する立場,土粒子の集 合体としての運動に着目する立場,流体の運 動に付随する運動として土砂動態を記述する 立場,単にある領域に入ってくる土砂と出て行 く土砂の収支のみに着目する立場など,様々な 考え方があり,それぞれの立場を理解すること は多くの議論を必要とする作業であった.本書 は,そのような議論を通して,委員の間で共有 化された知見の一部を,初学者にわかりやすい ようにまとめたものである. 本書の構成を以下にまとめる. 1 章「概論:山から海への土砂の移動と地 形」では,土砂動態学の全体像を様々な地形と の関係でまとめている.本章で,山地から海へ つながる,土砂移動の概要をつかんで,以降の 章へ進む足がかりとなっている. 2 章「堆積土砂の基礎的性質」では,土砂動 態の主役である土砂の性質として,土粒子の性 質,およびそれらの集合体としての性質を定量 的に表す物性値について説明している.また, 以降の章で議論される,土粒子と土砂の運動に ついての力学法則について,簡単な式と図を用 いて説明している. 3 章「土砂の移動とベッドフォーム・堆積構 造」では,土砂の移動によってどのように地 形・地層が形成されるかについて,その基本的 なメカニズムと土砂の物性値との関わりについ て解説している. 4 章以降では,山地から始まり,深海に至る まで,土砂の移動方向に合わせて,それぞれの 場所での土砂動態の詳細と,関連する応用事例 について解説している. 4 章「山地における土砂生産と土砂移動」で は,山地における土砂移動形態としての,斜面 崩壊や土石流について解説し,土砂生産,下流 への土砂供給や植生との関連を解説している. 5 章「河川流域の地質と河床構造・生態系」 では,主に山地に近い渓流河川の河床構造の形 成メカニズム,侵食や堆積によって形成される 流域の地質について解説し,それらと河川生態 系との関わりについても述べている. 6 章「沖積河川の土砂収支」では,沖積平野 を流れる河川における土砂収支,すなわち,ど の程度の土砂がその地域に流入し,また流出し ているのかの観測と,それが河川地形に与える 影響や人間活動の影響などについて解説してい る.また,土砂収支を定量的に扱うためのモデ ル化の手法についても,具体例とともに紹介し ている. 7 章「干潟・砂浜の生態地盤学」では,より 下流の干潟や砂浜での生態系と,堆積土砂の関 係についての最近の研究成果を解説している. 8 章「沿岸域における土砂の移動と海浜変 形」では,海岸線に近い部分で,波浪や沿岸流 によって土砂がどのように移動するかのメカニ ズムと,それによる地形変化について解説して いる. 9 章「沿岸地盤の多相系ダイナミクス」で は,海岸線に近い沿岸部の地盤について,特に 液状化と呼ばれる現象とそれが海岸構造物に及 ぼす影響などについて,数学的なモデル化も含 めて紹介している. 10 章「海底扇状地と土砂重力流」では,海 岸付近から深海に向けて流れる重力流と呼ばれ る流れによる土砂移動現象について解説してい る. このように本書では,山地から深海までの土 砂移動現象について,現在まで得られている理 解を分野横断的に記述したものである.なるべ く専門的な知識を前提としない形で解説する
ように心がけたが,力学的なモデル化の部分な どは,どうしても専門的にならざるをえず,一 部,偏微分方程式などの記述も含まれている. そのような部分については,巻末に補遺を設け て,なるべく本書のみで情報が完結するように 心がけた.ただし,それにも限界はあるので, そういった場合には,巻末の「より深く学ぶた めに」に記載した,材料力学,流体力学,土質 力学などの他の専門書などを参照していただき たい. 各章の最後には,大学の授業で使えるような 演習問題も加えたので,適宜利用していただき たい. 本書をまとめるにあたり,執筆のきっかけと なった土砂動態学小委員会の設立をサポートし ていただき,また数多くの有益なアドバイスを いただいた京都大学名誉教授の関口秀雄先生に 厚く御礼申し上げます.また,筑波大学構造エ ネルギー工学専攻地盤工学研究室,および京都 大学地球惑星科学専攻地球生物圏史講座の学生 さんには初稿を読んでもらい,読者目線での多 数のコメントをいただきました.そして,共立 出版の寿日出男さん,中川暢子さん,天田友理 さんには,本書の企画から仕上げの編集作業ま で,懇切丁寧に導いていただきました.ここに 記して,感謝申し上げます. 最後に,読者のみなさんにとって,本書が 「土砂動態」現象に興味を持つきっかけや,よ り広い視野を身につけるうえでの助け,あるい は現在取り組んでいる課題の解決への指針とな れば,執筆者一同,とてもうれしく思います. 参考文献 1) 国土地盤情報検索サイトKuniJiban http:// www.kunijiban.pwri.go.jp/jp/ 2) 防 災 科 学 技 術 研 究 所:統 合 化 地 下 構 造 デ ー タ ベ ー ス(Geo-Station) https://www.geo-stn.bosai.go.jp/(2020.3.19参照) 3) 地 震 ハ ザ ー ド ス テ ー シ ョ ンJ-SHIS http:// www.j-shis.bosai.go.jp/(2020.3.19参照) 4) 若松加寿江, 松岡昌志(2013),日本地震工学会 誌,35 38. 5) デイビッド・モントゴメリー(2010),土の文明 史,築地書館.