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Vol.67 , No.2(2019)050林 〓〓「台湾の日本統治時代における仏教系雑誌の嚆矢―『台湾教報』刊行背景に関する一考察―」

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Academic year: 2021

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台湾の日本統治時代における仏教系雑誌の嚆矢

―『台湾教報』刊行背景に関する一考察―

林     

はじめに

『台湾教報』は日清戦争で従軍僧侶を勤めた曹洞宗の佐々木珍龍1)により日本 の植民地となった台湾で明治29(1896)年11月に上梓された仏教雑誌である.創 刊号には曹洞宗が台湾で布教したものだけではなく,他の宗派が行った布教活動 も記載してあるため,日本仏教が台湾で布教した最初の全体状況を知るのに極め て貴重な資料であるうえ,台湾においても仏教系雑誌の嚆矢であった.現在, 『台湾教報』についての研究としては台湾人学者江燦騰2),釋慧嚴3)が掲載内容を 中心として当時の布教状況を分析したうえに各自の論点を提出している.日本人 学者中西直樹も台湾における日本仏教の最も初期の布教について,宗派ごとにま とめてその全体像をとらえるという優れた研究を提出している4).だが,これら は『台湾教報』の創刊された経緯を深く論述してはいない.『台湾教報』は第一 号しか発見されていないため,筆者は当時に発行された新聞,各宗派の機関誌を 参考にした.以下,『台湾教報』が刊行された背景について明らかにしたい. 1

.日本仏教の従軍僧侶が軍隊とともに渡台

明治27年に日清戦争が起きると,日本の仏教界は国に献金したほか,各宗派が 集合し,総勢三十名余りの従軍仏教僧侶たちを日本軍隊に派遣した.翌年4月に 清朝が敗戦し,5月に台湾,澎湖島は日本の植民地になった.日本軍が台湾を接収 するとともに,従軍僧侶である浄土宗の林彦明と橋本定幢,真宗大谷派の佐々木 圓慰,浄土真宗本願寺派(以下真宗本派と称す)の大江俊泰と下間鳳城と名和淵海, 真言宗の椋本龍海,天台宗の大照圓朗,日蓮宗の武田宣明と久保田要瑞,曹洞宗 の佐々木も渡台した5).その結果,日本仏教が従軍僧侶たちによって台湾にもた らされた.そのなかで特筆すべきは曹洞宗の佐々木が行った布教事業である.

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.曹洞宗の大日本台湾図書館の設置

日本による植民地支配に抵抗する台湾の人々が各地で暴動を起こしていたもの の,反乱は鎮圧されつつあった.明治29年4月1日より台湾総督府の施政方針は 軍隊による厳しい統治である軍政から民政の実施へと変更された.そのため軍隊 と共同行動していた従軍僧侶たちは軍隊の宿舎から立ち退きを命じられた.そこ で彼らは各自の布教拠点を探し始めた. 台湾の社会秩序が次第に平穏になるに連れ,渡台した日本人も徐々に増加して きた.明治30年1月発行の『伝灯』の記載によれば,当時渡台した日本人は様々 な目的を持ち,その中で一番多かったのは一攫千金を夢見て来た人々で,その割 合は4割近くに達した.次は日本で活路に窮し糊口を求めに渡台した人が31.7%, 三番目は官命によりやむ得ず来た人が28.5%であった6).コミュニケーションに 差し障りのない,商工業者に対する布教を主とすれば支持なども得やすいと考え て,僧侶たちはそれまで慰問や葬儀を中心とする軍人に対する布教から,徐々に 一般の日本人に向けた布教に力を入れ始めた.同時に,今後の布教活動の便宜 上,日本語がわかる台湾人弟子を育成する必要があるとの思いから日本語学校の 設置にも着手した. 明治政府は北方の領土防衛と開拓を推し進めるために,明治2年に北海道に開 拓使を置き,屯田兵を派遣した.佐々木は明治19年に北海道へ布教に渡り,寿都 龍洞院の末寺として 岸法龍寺,歌島龍岩寺,黒松内洞参寺,政泊説教所,長万 部説教所を創立した.また黒松内蔵原の原野72町歩の開墾に成功し,函館に吉祥 女学校,寿都に実業女学校も作った7).北海道の厳しい自然条件の中で開教師と しての経験を積んだ彼は明治27年12月に北海道を出発し,東京行き本山の辞令 を受けてから,従軍布教師として中国の満州,山東省に渡った.戦争直後,両大 本山に命じられ初代台湾総督の樺山資紀と同じ船で台湾に来た.また台湾全島の 宗教を視察した後,佐々木は台湾布教に対し,他の宗派より先 をつけるべきと 両大本山に報告した8).それから台北の艋 街にある古刹龍山寺の住職になった. 明治29年3月16日に,曹洞宗大本山特派従軍布教師の足立普明は樺山総督に 対し龍山寺を含め14の寺が既に曹洞宗の分寺になったことを記載した申告書を 提出した9).それから,一流の能弁家でもある佐々木は熱心に学習指導をする一 方で,4月8日の釈尊降誕会に龍山寺で,同宗派の鈴木雄秀布教師,有志家の菊 地慶治郎,鹿山豊,内藤無一庵,小濱和夫らと共に,渡台した日本人および台湾

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人に仏典が読める場所を提供するという趣旨を示し,龍山寺内に大日本台湾図書 館を作ることとし10),足立普明が館主を務めることになった. 3

.曹洞宗の佐々木による大日本台湾仏教会の設立

間もなく足立普明が帰国した後,佐々木は西門街二丁目三十一番に位置する, 四間に七間の二階建ての建物に仏教会館を開設し,同年5月10日午後1時11) 発会式を行った.会館の二階には仏教図書館および無料の宗教新聞,雑誌の閲覧 所を設け,毎週土曜,日曜日に仏教についての説話や講義などの会を開いた. 発会式当日には五百名以上の来客があり,台湾新聞社員内藤順太郎をはじめ, 真言宗教師小柴豊嶽,神官松浦,浄土宗布教師橋本に続き真宗本派布教師井上が 講演した.佐々木は聴衆の前で将来仏教会館において大日本台湾仏教会を組織 し,雑誌を刊行し,台湾人学校を設立して台湾人子弟を教育し,台湾人に大和魂 を教え込む計画であること,大日本台湾仏教会の緒言規約などを述べた12).ま た大日本台湾仏教会の開会式を(6月)21日に開催することを宣言し13),極めて 積極的に布教を開始した.同年7月に龍山寺内に曹洞宗務支局を設置し,宗務監 督になったうえ,台湾の各地にある寺院と末寺の締結をすることに奔走し,その 結果,9月末までに台湾における末寺は194カ所に達した14) 4

.浄土宗,真言宗と真宗本派の連合による台湾開教同盟事務所の設置

明治28年に渡台した浄土宗の橋本定幢は既に台北艋 営盤頂街海山館を拠点 として布教していた.そして,先述した台湾総督の軍政から民政への施政方針変 更を経て,明治29年5月16日に真言宗の小柴豊嶽は台湾人黄義清の所有する黄 氏家 (台北艋 科館口七十一番戸)の貸与証明書を得て無償で借り受けた15).二 日後の5月18日に真宗本派は台北城北門外にある至道宮を以て布教場に充て,26 日に巡教使の紫雲玄範,井上清明は,台北県橋口知事に本願寺布教使事務所であ る至道宮で私立龍谷学校設立の許可を申請し,6月8日に知事の許可を得た16) 曹洞宗の積極的な布教活動を目にした浄土宗の橋本定幢,真宗本派の紫雲玄 範,真言宗の小柴豊嶽三師は,6月21日真宗本派の至道宮で集会を開き,台湾開 教同盟事務所を設置することを発起した17).その規約は以下のとおりである. 一,開教上和合を本とし相提携して以て乱後の人心を慰撫し王化を補翼するを本旨とす. 二,慈善其他教家適応の事業を興起するを目的とす.三,共同に関する一切の費用は同盟 各宗の費用とす18)

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紫雲,小柴の二名は6月29日に艋 祖師 を管轄する第二聯第一大隊本部に行 き,祖師 中央仏像安置の場所を借りるための願書を出した19).そして,台湾 開教同盟事務所の真言宗布教師の小柴豊嶽,浄土宗布教師の武田興仁,真宗本派 巡教使助勤の大久保教義が早速7月15日に,至道宮で明倫学校の名称を以て,児 童教育に従事する私設共立学校設立願を橋口知事に提出し,維持費用の年額 1,428円は各宗布教師が支弁することとなった20).提出した願書に不備があった ため,六日後真言宗の小柴豊嶽,浄土宗布教師の武田興仁,真宗本派巡教師の紫 雲玄範三師は,7月21日に明倫学校名義で,私設共宗学校設立願を橋口知事に再 び提出した21).だが,25日に橋口知事が一旦は旧鉄道隊の所有地の貸し出しを 許可したものの,一週間もしない8月1日に明倫学校は退去を命ぜられた.台湾 開教同盟は,ほかに官有家屋を借りるか,或いは新たに民間家屋を借用するかし たうえで,明倫学校の授業を行わざるえなくなった22).また台湾開教同盟の三 宗派は布教費用の不足に悩まされ,しかも,校舎の資金繰りに手を焼き,のちに 明倫学校は真宗本派の至道宮に移転した. 三宗派が連盟して結成した台湾開教同盟事務所を目のあたりにし,曹洞宗も更 に布教に力を入れ,8月8日に同宗の特派布教師の陸鉞巖は知事に台北艋 街新 興宮内に台湾仏教会附属日本語学校の設立許可を提出した.曹洞宗大本山,仏教 会員は共同で維持費用の1,200円を負担することにした23) ここで同じ日に開会式を行った大日本台湾仏教会と台湾開教同盟の両陣営は, 仏教の団体組織化にはじまり台湾人学校の設置に至るまで激しく競争し合う姿が 見られた. 5

.大日本台湾仏教会の機関誌としての『台湾教報』の創刊

渡台した従軍僧侶の中では曹洞宗の佐々木が一番活躍していたとも言え,大日 本台湾図書館,大日本台湾仏教会,台湾人学校が設立されたあと,佐々木は同年 11月25日には大日本台湾仏教会を宣揚するために『台湾教報』を創刊した.ま ずは「発刊の趣意」として,次のような記載がある. …大日本台湾仏教会は,以上所陳の二大責任を負ふて設置せられたり,乃ち一に新同胞の 感化的必要と二には渡台同胞の安心的必要と是也.本会は純然たる日本仏教の代表なれは 固より宗派的臭味は毫も無きは勿論にして,記事論説に務めて公平正義なることを掲く, 要するに本誌の発刊せられたる趣意は,本会の設立せられたることを江湖に紹介すると共 に増々会員の堅固を計り…24)

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つまり,「大日本台湾仏教会は二つの任務を負って設置された.それは日本の 新しい同胞になった台湾人を教化し導くこと,日本とは気候も習俗も違う台湾に 来た日本人が安心して生活できるようにすることである.そして,宗派の壁を越 え台湾に仏教を興隆し,大日本台湾仏教会を人々に知ってもらうために,『台湾 教報』は創刊された」という趣旨である.佐々木は他宗派と競争し合う状態を打 開するために,投稿した記事により他宗派の動きが理解できるように,別の宗派 が大日本台湾仏教会の機関誌である『台湾教報』に投書することも歓迎してい る.その内容については,次のように記載されている. ●社説 対台湾布教策 ●論説 仏教南進策●講演 七仏通戒偈 曹洞宗名称論●詞藻○ …●宗教彙報○台湾仏教調査第一回○台湾外教の概略○蕃族の風俗,人種宗教の一班○朝 鮮仏教調査第一回○西蔵拉嘛教の略調●教海時言○国家と宗教○伊藤侯の宗教談を評す○ 二十九年度に於ける教海の三波第一回●雑録及記事○新台湾総督○佐々木珍龍師○橋本定 幢師○日本学校○在台各宗派の現況○台湾仏教会の規則并其会員表●寄書○所感を記して 教報発刊の祝辞に代ふ○祝辞25) 佐々木は日清戦争は東洋平和のための聖戦であり,日本帝国が東洋全体の同化 を長計すべきだと思っていた26).そのため台湾人を同化し,東洋平和を維持す ることは,日本仏教が背負わなければならぬ責任であると考え,東洋地域の宗教 を理解するため,対台湾布教策,台湾にある各宗教に対する調査結果は勿論,朝 鮮仏教調査やチベット仏教などに関する記事も『台湾教報』に収めたのだろう.

おわりに

佐々木は北海道で布教した経験を活かし,また曹洞宗は台湾の仏教と同じく禅 宗系であったことから,他の宗派が敵わないほど迅速に,台湾で布教事業を行っ た.台湾のより多くの人々が仏教に関する書物が読めるようになり,より多くの 信者に大日本台湾仏教会に興味を持ってもらうために,大日本台湾仏教会が牽引 すべく,その機関誌として『台湾教報』は創刊された.その創刊された背景を深 く考察すると,日本仏教の各宗派が植民地の台湾で行った布教において,表向き には協力し合いながらも裏でより激しく競争していたことが理解される.また, 佐々木は大日本台湾仏教会を通じて,宗派の区別が無い台湾で布教を主導しよう とする意欲を持っていたことが明らかになった.更に,『台湾教報』に記載され ている大日本台湾仏教会会則によって実施された事業は,後に佐々木が台湾で 行った布教方針になったと言えるだろう.

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本稿は日本の従軍僧侶が渡台し,台湾で最初の仏教系雑誌である『台湾教報』 が創刊されたことに注目し,その状況分析を行った研究である.『台湾教報』に 記載された内容は誌面の字数の関係で今回は割愛した.また,筆者は今回新たに もう一つ別の『台湾教報』という雑誌の存在を発見した.これは真宗本派の東條 論良が明治42年から発行したもので詳細は不明である.今後,日本と台湾両地 の史料の調査を進めることにより,引き続き課題を解明していきたい. 1)佐々木珍龍(1865–1934),号は耕雲で明治28年6月–34年12月まで台湾に滞在した.    2)江燦騰1995「 教報第一號 ―日治初期台湾佛教史料的出土―」『台湾史料研究』6号: 153–156.   3)釋慧嚴1998「西來庵事件前後台湾佛教的動向――以曹洞宗為中心――」 『中 華 佛 學 學 報』10:289–290.   4) 中 西2016:46–56.   5) 林2015:29–30.    6)『伝灯』133号,1897年1月:32.   7)安藤1916:180–181.   8)『宗報』第1号, 1896年12月:13.   9)溫1999:1–3.   10)「台湾図書館」『曹洞教報』25号,1896 年4月:9.   11)「大日本台湾仏教図書館と龍山寺の住職」『曹洞教報』30号,1896年7 月:21.   12)同注10.   13)「大日本台湾仏教会」『台湾新報』1896年6月17日,日 刊3版.  14)「曹洞宗末寺」『台湾新報』1896年11月18日,日刊3版.  15)『伝灯』 125号,1896年9月:28.   16)「私立龍谷學校設立ヲ許可ス」『台湾史料稿本』1896年6 月8日.  17)「開教同盟と學校設立」『明教新誌』1896年8月22日:4.   18)『浄土 教報』259号,1896年7月:5.   19)『浄土教報』260号,1896年8月:6.   20)「私 設共立明倫學校ノ設立ヲ許可ス」『台湾史料稿本』1896年7月17日.  21)『浄土教報』 260号,1896年8月:7.   22)同注21.   23)「台湾仏教会附属日本語学校ノ設立ヲ 許可ス」『台湾史料稿本』1896年8月14日.  24)『台湾教報』第1号:4.   25)『台 湾新報』第1号: 目次.  26)佐々木1900:16. 〈参考文献〉 1896『宗報』第1号,曹洞宗.  1895–1896『浄土教報』第233–260号,浄土教報社.   1895–1896『曹洞教報』第1–33号,曹洞教報社.  1896『台湾教報』第1号,大日本台湾 仏教会.  1896–1897『台湾新報』台湾新報社.  1895–1897『伝灯』第96–133号,真 言宗伝灯会.  2001『明教新誌』(DVD-ROM)高野山大学附属高野山図書館.  安藤 嶺丸1916『曹洞宗名鑑』壬子出版社.  溫國良編訳1999『台湾総督府公文類纂宗教史料 彙編(1895.10–1902.4)』台湾省文献委員会.  作者不明1896『台湾史料稿本』台湾総督 府史料編纂会.  佐々木珍龍1900『人と云ふ話』光融館.  中西直樹2016『植民地台 湾と日本仏教』三人社   林 2015『日治時期臨濟宗妙心寺派在台之教育與醫療』中 国文化大学博士論文. 〈キーワード〉 台湾教報,佐々木珍龍,大日本台湾仏教会 (国立台北教育大学非常勤助理教授,文博)

参照

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『台灣省行政長官公署公報』2:51946.01.30.出版,P.11 より編集、引用。

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