蔵漢訳『阿閦仏国経』に記される触地の様相
佐 藤 直 実
1.はじめに 阿閦(Akṣobhya)仏は東方・妙喜(Abhirati)世界を主宰する他土仏 であり(田中2015, 138–154),大乗仏教最初期に登場し,西方・極楽世界の主宰仏, 阿弥陀仏と対をなす仏である.大乗仏教では四方四仏の東方仏として5世紀には 定着し(田中2010, 48–54),密教では金剛界五仏の東方に配される1).図像におい ては大乗,密教共に,右手の五指を垂下させる触地印(bhūmisparśamudrā,降魔印)2) で描かれる.この印相は降魔成道時の釈 を象徴する所作と同じであり,両者の 連関が予想されるが詳細は明らかにされていない.釈尊の触地印は,右手で大地 に触れることで地天(大地の女神)を呼び出すという逸話に由来することは明白 だが,阿閦の逸話では「足」の記述はあるが「手」の記述が見いだせない.文献 にしたがえば,阿閦の姿は右足を地につける形で描かれるのが穏当である.では なぜ,阿閦は釈 と同じ形をとるのだろうか.本稿では文献と図像の伝承を確認 し,このような差異が生じた理由について考察する. 2.釈 の触地印 釈 の触地印は,魔王を退け成道する瞬間を象徴する所作 であり,それゆえ降魔印とも呼ばれる.文献に残される降魔の逸話は多様で, 『サンユッタニカーヤ』や『スッタニパータ』にも記されるが,大地に触れる場 面を描くものは多くない3).最古の文献は『ラリタヴィスタラ(以下LV)』と考え られ4),『サンガベーダヴァスツ(以下SV)』や「ニダーナカター(ジャータカ序文, 以下NK)」にも触地の記述がある.いずれも釈 の過去世での無数の布施行を証 明するために地天(Sthāvarā,堅牢地神)を呼び出すという内容である. LVの概略は次のとおりである. 菩提樹の下で瞑想に入っていた菩 のもとへ,その成道を阻もうと魔王が現れ,自分の娘 に誘惑させたり,魔衆に襲わせたりするが菩 はいっこうに動揺しない.その時,菩 は 魔王に,お前が魔王となったのは過去になしたたった一度の布施の功徳にすぎないが,私 は過去に無数の布施をなしており,成仏に値する功徳を積んできていると告げる.すると 魔王は「私の過去世の善行は,今お前自身が証明したが,お前が過去世でなした自己犠牲の証人は誰もいない」と反論する.すると菩 は「生類を支えるこの大地が証人である」 と 言 い, 右 手 を 体 か ら す べ ら せ, 大 地 に 優 し く 触 れ(dakṣiṇena pāṇinā sarva-kāyaṃ parimārjya salīlaṃ mahīṃ parāhanati sma),大地に自分の証人となるよう命じると,大地が震 動し,地天が無数の女神を引き連れて現れ,「私たちは証人となりましょう」と言い,魔 王は退散する(Lv: 232–233)5). 大地に触れるという行為は「地天を呼び出す」ためのパフォーマンスであり, 釈 の過去の布施行が「真実であること」を証明するためになされたと言える. NKもLVと同様に「右手」を大地に差し伸べたと記すが(Nk: 74),SVでは 「大地に触れた」とだけ記し,手か足かには言及しない(Sv: 114)ため,大地に触 れたのが足である可能性も捨てきれない. というのも,降魔成道時に釈 が足指で大地にふれたという記述が『高僧法顕 伝』に見られるからである. 菩 前到貝多樹下 敷吉祥草 東向而坐 時魔王遣三玉女 従北来試.魔王自従 南来試 菩 以足指案地 魔兵退散 三女変成老母.(T51, 863b7–11) 菩 は進んで貝多樹の下に到り,ここに吉祥草を敷き,東向きに坐った.その時,魔王は 三美女を遣わし,北からきて試させた.魔王自らは南側から来て試した.菩 が足の指で 地を撫でると魔兵は退散し,三美女は老女に変わった. 当該箇所は法顕がブッダガヤーを訪れた際の記述であり,成道時に釈 が足の 指で大地を撫でると魔王の兵たちは退散し,3人の美女は老女に変わったと記さ れる.ただし,ここでは女神は登場せず,触地の役割は「真実性の証明」ではな く威嚇であり,LVの逸話とは異なる.しかしながら,降魔成道の逸話として, 手ではなく足で大地に触れるという伝承も確かにあったことがここからわかる. 足による触地の記述は,『大集経』や『維摩経』『方等般泥 経』にも見られる. たとえば『方等般泥 経』では,釈 の入滅時に,釈 が足で触地したことによ り大地震が起こり(以足指案地六返震動十方境界,T12, 924b8–11),『維摩詰経』では, 穢土である娑婆世界を浄めるために釈 が足指で大地に触れると,大地震が生じ た(於是佛即以足指案地此三千大千世界皆爲震動,T14, 520c7–9)と記す.このように, 釈 の足による触地の逸話は珍しいものではなく,阿閦の記述も伝承ミスや間違 いではないことがわかる. 以上のように,降魔触地の文献伝承は,右手だけではなく,足の記述も残され ていることが確認できた.それでは図像はどうであろうか? 触地印の釈 像は 2世紀のガンダーラやマトゥラ−で発見されているが(宮治2010, 324–350),いずれ
も右手を地に付すものばかりで,足を地につける像は見つかっていない6).つま り,図像では右手を垂下する形のみが伝承されているということである. 次に,「触地」という所作の目的を考えたい.魔王が退散するきっかけとなっ た逸話は,必ずしも地天を呼び出すものばかりではないが(宮治2010, 331),いず れの場合も,魔王の誘惑や攻撃に対し釈 が最後まで動じなかった点は共通して いる.つまり「降魔」という一連の逸話は,釈 の「不動なる決意」を示してお り,釈 の触地形には「真実性の証明」に加え,「不動性の強調」という目的も あると考える. 3.阿閦の触地印 続いて,阿閦の触地の伝承を確認する. 「阿閦」とは,サンスクリットのAkṣobhyaに由来する音写語で,「揺れ動かな い」を意味する.名前の由来は,阿閦の成道への決意が「揺るぎないもの」であ り,怒りや畏れに「心を動かさない」からと考えられ(田中2015, 109),「不動」あ るいは「無怒」と漢訳されることもある. 阿閦について記す最古の仏典は,紀元前後に成立した,通称〈阿閦仏国経(以 下AV)〉と呼ばれる大乗経典である.インド原典は見つかっておらず,現存する のは漢訳2本とチベット語訳1本で,阿閦の誓願や成道から入滅の様子,また妙 喜世界の特徴について述べている(佐藤2008, 3–11; 71–98). 阿閦はもともと,妙喜世界の前主宰者・大目(広目,spyan chen po)如来のもと で修行する比丘であった.大目如来の六波羅蜜に関する説法を聞き,発心のの ち,生類に対して身口意に関する十悪を生じない,十二頭陀行や律規定を守るな どの誓願を立てた.その誓願の途中で,ある別の比丘が,阿閦の誓いが本当かど うかを確認したいと言葉をはさむ.当該箇所が,阿閦の触地を表す文献記述であ る. 支讖訳 乃作是結願.若使不退轉者.當以右指案地令大震動.爾時阿閦菩 .應時承佛威 神.自蒙高明力乃令地六反震動.(T11, 753a18–19) 「この誓願をなし,もしも退転することがないならば,まさに右指を地にのせて, 大震動させよ」その時,阿閦菩 は,仏の威神力を受けて,隠していた優れた力 で地を6回震動させた. 流志訳 大士.若此誠心不退至言無妄者.願以足指搖動大地.時不動菩 .以仏威神及本 願善根力故.令彼大地六種搖動.(T11, 103a19–21) 「大士よ,もしこの誠心が退かず,言ったことに嘘がないならば,どうか足指に よって大地を揺動させよ」その時,不動(阿閦)菩 は,仏の威神[力]によっ て,また,本願の善根力の故に,その大地を6種に震動させた.
JSY skyes bu dam pa khyod kyis dam bcas pa di gal te yang dag pa i smon lam yin zhing / bla na med pa yang dag par rdzogs pa i byang chub las phyir mi ldog par gyur pa i yang dag pa yin na bden pa dang / bden pa i tshig dis rkang pa g-yas pa i mthe bos stong gsum gyi stong chen po i jig rten gyi khams kyi sa chen po di g-yo ba dang / ……(中略)…… sha ra dwa ti i bu de nas byang chub sems dpa sems dpa chen po mi khrugs pa des / de i tshe sangs rgyas kyi mthu dang / rang gis bden pa i dam bcas pa i dge ba i rtsa ba i stobs bskyed pa des / rkang pa g-yas pa i mthe bos stong gsum gyi stong chen po i jig rten gyi khams kyi sa chen po di rnam pa drug tu g-yos bar byas te /(P 12a7–b3)
よき人よ,この誓いがもしも正しい誓願であり,無上正等覚から退転することのない 正しいものであるならば,あなたは真実と真実の言葉[の力]により,右足の親指で この三千大千世界の大地を震動させ,……(中略)…… シャーリプトラよ,それか らそのアクショービヤ菩 大士は,その時に仏力と自らの真実の誓いの善根力が生じ たことにより,右足の親指でこの大いなる三千大千世界を六種に震動させた. 支讖訳では,ある比丘が「この誓願が不退転であるならば,右指を地にのせ て,震動させよ」と述べ,流志訳は「この誓いが不退転で嘘でないならば,足の 指で大地を震動させよ」と記す.一方JSYは「誓いが正しく不退転であるなら ば,真実の言葉によって右足の親指で大地を震動させよ」と述べる. いずれも「手」を記さないため,文献記述にしたがえば,阿閦は足を大地につ ける形で示されるのが妥当ということになる.支讖訳は「右指」とだけ記すた め,右手を指していた可能性もあるが,阿閦が右手を大地に触れるという明確な 根拠は文献には見いだせない. ではなぜ,阿閦の像は釈 と同じ右手を垂下させる触地をとるのであろうか. 森(2001, 69)は,釈 の降魔成道の場が「金剛宝座」,すなわち「動くことのない 場所」であったことに関連するのではないかと指摘する. 阿閦の特徴は,その名前の由来からも「不動性」と考えられるため,それが 「金剛宝座」のイメージと重なり,同じ触地印の姿で描かれるようになった.す なわち,阿閦の印相はAVの記述に由来するのではなく,「不動性」という釈 と共通の特徴から転用された可能性があるということである. 阿閦が大地に触れる目的は,自身の誓願の真実性を証明するためであり,釈 の場合と等しく「真実性」の証明にあると考えられる. 4.まとめ 以上,釈 と阿閦の「触地」に関する文献及び図像の伝承と,それ ぞれの目的について検証した. 目的については,釈 の場合「過去の善行の真実性を証明するため」と「不動 性の強調」の2つであるのに対し,阿閦は「誓願の真実性の証明」にあることが
わかった. また文献及び図像伝承に関して,釈 の触地を示すものには「右手」を大地に 垂らすものだけではなく,「右足」をつける記述も残されており,図像は「右手」 を垂下させるという降魔成道時の逸話に基づくもののみが発見されている.一 方,阿閦の触地の場合,「右足」もしくは「右指」という記述のみが残されてお り,「手」の伝承がない.ところが,図像では釈 と同じ「右手」を垂下させる 触地形をとり,阿閦の触地の所作は必ずしもAVの記述を具象化したものではな いことがわかった.ではなぜ阿閦の図像は「足」ではなく「手」による触地印で 描かれるようになったのであろうか.可能性として次の3つを想定した. ①未発見の右手を大地につける伝承が存在していた. ②足の図像制作が困難であったため,手に変更した. ③釈 の触地印が先に定着しており,その「不動性」のイメージが阿閦仏の「不動性」と いうイメージと重なり,転用された. ①②は文献に由来を求める場合の可能性である.③は文献とは無関係に,先に 定着した釈 の降魔像から転用されたと考える場合である.現時点で明言するこ とはできないが,筆者は①は可能性が低く,②と③の両面から,阿閦の右手の触 地印という形が定着したと考えている. 1)阿閦仏を密教五仏として定着させたのは『初会金剛頂経』である(森2001, 70–71). 2)密教の阿閦如来の印相を「触地印」と記すのは『初会金剛頂経』が最古と考えられる. 3)『スッタニパータ』所収Mahāvagga内Padānasutta 425–454が降魔伝説の最古の記述と考 えられる. 4)LVの書誌情報や成立年代については外園(1994, 93–103)を参照. 5)漢訳では「爾時菩 徐拳右手以指大地(『方広大荘厳経』T3, 594c20–21)」,「菩 即以 智慧力伸手按地是知我(『普曜経』T3, 521b27)」. 6)片足を地に下ろす形として半跏思惟像があるが,同型の阿閦像は発見されていない. このような倚坐像のうち,両足を大地に下ろす善跏倚坐(bhadrāsanā)像はインドや中 国,東南アジアに見られ,説法印や禅定印などの手印を結ぶが,降魔印は見つかってい ない(Revire 2017, 279–304). 〈略号〉 支讖訳: 支婁 讖訳『阿閦仏国経』T11, 751b24–764a11. 流志訳: 菩提流志訳『大宝積経不動如来会』T11, 101c26–112c12.
JSY: Jinamitra, Surendrabodhi, Ye shes sde訳.Phags pa de bzhin gshegs pa mi khrugs pa i bkod pa zhes bya ba theg pa chen po i mdo. P22 (no. 760-6) dzi, 1–80a5.
Lv: Lalita-vistara. Ed. P. L. Vaidya. Darbhanga: Mithila Institute of Post-Graduate Studies and Re-search in Sanskrit Learning, 1958.
Nk: The Jātaka, Together with its Commentary, Being Tales of the Anterior Births of Gotama Buddha, vol. 1. Ed. V. Fausbøll. London: Pali Text Society, 1962–1964.
Sv: The Gilgit Manuscript of the Saṅghabhedavastu: Being the 17th and Last Section of the Vinaya of the Mūlasarvāstivādin. Ed. Raniero Gnoli. Serie Oriental Rome no. 49. Roma: Istituto italiano per il Medio ed Estremo Oriente, 1977–1978.
〈参考文献〉 外園幸一 2001『ラリタヴィスタラの研究』上巻,大東出版社. 森雅秀 2001『インド密教の仏たち』春秋社. 佐藤直実 2008『蔵漢訳 阿閦仏国経 研究』山喜房佛書林. 宮治昭 2010『インド仏教美術論』中央公論社. 田中公明 2010『インドにおける曼荼羅の成立と発展』春秋社. ― 2015『仏教図像学―インドに仏教美術の起源を探る―』春秋社.
Revire, Nicolas. 2017. From Gandhara to Java?: A Comparative Study of Bhadrasana Buddhas and their Related Bodhisattva Attendants in South and Southeast Asia. In India and Southeast Asia: Cultural Discourses, ed. Anna L. Dallapiccola and Anila Verghese, 279–304. Mumbai: K. R. Cama Oriental Institute. 〈キーワード〉 阿閦,釈 ,触地印,降魔,地天,Akṣobhya,bhūmisparśamudrā (宗教情報センター,博士(文学)) 新刊紹介 永﨑研宣 著