印度學佛敎學硏究第六十六巻第一号 平成二十九年十二月
乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄
における
﹃正法眼蔵﹄
の
引用について
菅
原
研
州
一
はじめに
本 論 は、 乙 堂 喚 丑 ︵一 六 八 四? ︱ 一 七 六 〇︶ の 主 著 で あ る ﹃正 法 眼 蔵 続 絃 講 議 ︵以 下、 本 書 ま た は﹃続 絃 講 議﹄ と 略 記︶ ﹄ の 考 察 を 通 し て、 江 戸 時 代 初 期 か ら 中 期 に か け て の 曹 洞 宗 で、 どのような宗旨が構築されようとしていたのかを研究するも のである。 本 書 は 天 桂 伝 尊 ︵一 六 四 八 ︱ 一 七 三 五︶ 最 晩 年 の 主 著﹃正 法 眼蔵弁﹄に対する批判書として成立したが、従来は、主題 で あ る﹁曹 洞 宗 の 面 授 嗣 法 観﹂ に つ い て の 研 究 が 主 で あ っ た。しかし、内容を詳しく分析していくと、他の関連領域に ついても多くの知見を含むことが分かった。 よって、本論では本書における﹃正法眼蔵﹄の引用につい て考察したい。 本書は元々、 ﹃正法眼蔵﹄ ﹁面授﹂巻に関しては全文を引用 し て い る け れ ど も、 そ の 本 文 釈 及 び、 ﹃正 法 眼 蔵 弁 ﹄ へ の反の際には、永平道元﹃正法眼蔵﹄から、複数の巻の引 用が見られる。 そこで、本論は本書における﹃正法眼蔵﹄の引用状況を検 討 し な が ら、 乙 堂 が﹃正 法 眼 蔵﹄ を ど の よ う に 受 容 し た の か、考察を行うものである。これは、当時ようやく始まった ﹃正 法 眼 蔵﹄ 研 究 に つ い て、 一 人 の 学 僧 が、 ど の よ う な 思 想 的遍歴をったかを探ることにも繋がると思われる。 併 せ て 、 乙 堂 が 引 用 し た ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ 写 本 の 系 統 も 検 討 し 、 当 時 の ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ 受 容 の 状 況 を 考 察 す る 一 助 に も し た い 。二
本書における
﹃正法眼蔵﹄
の引用及び活用
本 書 を 概 観 す る と、 ﹃正 法 眼 蔵﹄ の 引 用 及 び 活 用 は、 以 下 の三種類が見られる。 ①天桂伝尊﹃正法眼蔵弁﹄への反のために、天桂と同 文または前後の文脈を引用し、解釈を争う場合。 ②天桂伝尊の見解を反するために乙堂が独自に引用する乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄における﹃正法眼蔵﹄の引用について︵菅 原︶ 場合。 ③ 関 連 す る 事 項 を 示 す た め に、 ﹃正 法 眼 蔵﹄ の 巻 名 ︵本 書 は 章・名︶ のみを示す場合。 そ こ で、 乙 堂 の﹃正 法 眼 蔵﹄ 理 解 を 把 握 す る 目 的 で あ れ ば、①についても検討するべきだが、本論では乙堂独自の引 用・活用の状況を分析するために、②に論点を絞って検討を 行うものである。
三
本書において引用される
﹃正法眼蔵﹄
について
前 項 で 指 摘 し た 通 り、 乙 堂 が 独 自 に 引 用 し た﹃正 法 眼 蔵﹄ に つ い て 本 書 を 確 認 し た と こ ろ、 ﹁面 授﹂ 巻 を 除 い て、 全 部 で 五 〇 箇 所 の 引 用 を 見 出 し、 以 下 の 傾 向 が 見 て 取 れ た。 な お、比較のために天桂﹃弁﹄における引用状況も挙げてお いた。その際も、 ﹁面授﹂巻の引用文は省略している。 ●乙堂﹃続絃講議﹄ 全五〇箇所 七五巻本系 四八箇所 六〇巻本系 四一箇所 二八巻本系 八箇所 一二巻本系 一箇所 その他 一箇所 ●天桂﹃弁﹄ ﹁面授﹂ 全二九箇所 七五巻本系 二九箇所 六〇巻本系 二〇箇所 二八巻本系 九箇所 まずは、天桂の引用について確認しておきたい。 本来であれば、六〇巻本系を重んじた天桂に、二八巻本系 の引用が見えるのはやや矛盾しているように思われるが、天 桂は六〇巻本と、それに併せて一八巻を選び、七八巻を是と した。その上で、自身の見解に引用できると思われた箇所は 果断に引用したようである。 ﹁嗣 書﹂ の 引 用 が 多 い の は、 同 の 中 に 天 桂 が 唱 え る 嗣 法 観 に 活 用 出 来 る 箇 所 1 を 引 用 し、 ま た﹁見 仏﹂ に つ い て は、 ﹁面 授﹂ の﹁面﹂ の 意 義 を 事 よ り も 理 に 重 き を 置 く た め の引用だと思われる。そして、余りに﹁授記﹂巻が多い引用 傾向から、天桂においては、以下の通りの弁作業を行った ことが確認される。 面 授 逸 夫 れ 雲 禅 師 輯 録 せ る 所 は 六 十 に 止 む。 而 之 に 外 る る 者 若 干 。 如 今 面 嗣 二 、 亦、 拾 遺 に 属 す。 而 も 此 箇 両 授 記 に 同 ず乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄における﹃正法眼蔵﹄の引用について︵菅 原︶ る は、 堂 奥 の 事 な り。 故 に 今 授 記 に 附 し て、 而 之 を 辨 じ 之 を 注 す る者な り 2 。 龍水本﹃弁﹄は各冒頭に、一の弁の概要を記すこ と が あ る け れ ど も、 ﹁面 授﹂ に つ い て こ の 言 葉 の 通 り で あ ることは、引用文の多さからも立証できたといえよう。
四
本
書
に
お
い
て
引
用
さ
れ
る﹃正
法
眼
蔵﹄
本
文
の
典拠
今回の検討には、乙堂の手元にあった﹃正法眼蔵﹄の写本 の系統を推定することも含んでいたのだが、残念ながら判然 とはしなかった。 例えば、以下のような引用文が確認される。 ・ 仏 性 に 云、 始 有 に あ ら ず 本 有 に あ ら ず︿此 六 字 有 除 可 謂 抜 仏 眼 睛﹀妙有等にあらずいはんや縁有妄有ならんや と 3 ・ い は ん や 諸 仏 を 覚 者 知 者 と い ふ 覚 知 は な ん た ち が 云 云 の 邪 解 を 覚 知 と せ ず 風 火 の 動 静 を 覚 知 と す る に あ ら ず た ヽ 一 面︿或 本 作 両﹀ の仏面祖面これ覚者知者な り 4 ・ 夫 古 仏 彼 云 諸 仏 の ま さ し く 諸 仏 な る と き は 自 己 の︿或 作 は 非 也﹀ 諸 仏 な り と 覚 知 す る こ と を も ち ひ ず し か あ れ と も 証 仏 な り 仏 を証しもてゆ く 5 以上から考察すると、乙堂は﹃正法眼蔵﹄本文を引用する に当たって、複数の写本を校訂したり、自身の所見を通して 本文を引用したはずだと思えてしまう。そして、既に検討し た 通 り 6 、 乙 堂 が 引 い て い る﹃正 法 眼 蔵﹄ ﹁面 授﹂ 巻 本 文 は、 龍水修訂本ではない﹃弁﹄写本一本を参照していると推定 した。 そこで、他の箇所に関する引用についても検討したが、以 下のような引用などについては、先に挙げたような綿密な校 訂と相反する結果が出た。 ︻本 書︼ 大 悟 よ り 仏 祖 か な ら ず 恁 麼 現 成 す る 参 学 を 究 竟 す と い へ と も 大 悟 の 渾 悟 を 渾 仏 祖 と せ る に は あ ら す 仏 祖 の 渾 仏 祖 を 人 悟︵原 文 マ マ︶ に は あ ら さ る な り 仏 祖 は 大 悟 の 辺 際 を 跳 出 し 大 悟 は 仏 祖 よ り 向上に跳出する面目な り 7 ︻他 本︼ 大 悟 よ り 佛 祖 か な ら ず 恁 麼︵に︶ 現 成 す る 参 学 を 究 竟 す と い へ ど も、 大 悟 の 渾︵大︶ 悟 を ︵渾︶ 仏 祖 と せ る に は あ ら ず、 佛 祖 の 渾 佛 祖 を 渾 大 悟 な り と に は あ ら ざ る な り。 佛 祖︵ ︿の 仏 祖 な る﹀ ︶ は 大 悟︵ ︿の 大 悟 な る﹀ ︶ の 辺 際 を 跳 出 し、 大 悟 は 佛 祖 よ り 向 上 に 跳 出する面目な り 8 。 波線部や括弧内と比較すると、非常に細かなところではあ る が、 複 数 の 写 本 な ど を 校 訂 し た 大 久 保 本 と 相 違 し、 ま た、 龍水本﹃弁﹄ とも相違するが、同様の字句の異同が多い。 更には、乙堂が引用した文章の内、二箇所は本文に付した 巻名を間違えている。乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄における﹃正法眼蔵﹄の引用について︵菅 原︶ これらの誤記の原因として推測される理由は、以下の数点 が考えられる。 ①乙堂は ﹃弁﹄未修訂本を入手し、 その本文に従った。 ②乙堂は部分的には綿密に校訂を行ったが、全体については 熱心ではなかった。 ③西有穆山・権田雷斧による本書刊行時の校訂ミス。 現段階では、この三つとも決定打はない。今後、更なる写 本資料の発見や、他の写本との比較を経て、検討されるしか な い と 思 わ れ る。 ま た、 本 書 の 底 本 と な っ た 乙 堂 手 沢 本 は、 元々所持していたとされる東京赤坂盛徳寺が戦災で焼失する のと時を同じくして焼失していると考えられ る 9 ため、③の立 証は現段階では不可能だと考えるべきである。
五︱一
本
書
に
お
け
る
﹃
正
法
眼
蔵
﹄
引
用
の
意
義
︵
一
︶
天桂による﹃正法眼蔵﹄引用については、自身で構築せん とする宗旨に伴って引用が行われたと推定されるが、乙堂に おいても同様の傾向が見られるのか、検討したい。 まず、既に﹃続絃講議﹄巻一を検 討 10 した通り、乙堂は七五 巻 本・ 一 二 巻 本 と も に 古 い 編 集 で あ る こ と を 指 摘 し、 ま た、 版橈晃全編九六巻本についても存在価値を認めている。その 点からすれば、当然に六〇巻本系のみに固執する天桂への批 判を行うに際し、乙堂は六〇巻本系以外の引用も含めて行わ れたと考えるのが妥当である。 そこで、以下の数節を確認しておきたい。 汝 亦 云 う こ と 勿 れ、 自 証 は 六 十 の 数 に 与 な ら ず、 後 人 の 妄 添 な り と。 其 の 文 気 語 脈 後 人 の 及 ぶ 所 に 非 ず。 六 十 の 外、 一 二 の 疑 う べ き 有 り。 道 心 章・ 生 死 章 の 如 し、 是 な り。 深 信 因 果 の 章 は 恐 ら く 未 挍 考 な る 者 歟。 然 れ ど も、 其 説 涅 槃 の 扶 律 談 常 の 如 し。 而 亦 当 に 古 仏 の 手 に 出 す べ し。 其 外 の 、 各 お の 緊 要 深 密 の 示 誨 有 り。 文 と 云 い 義 と 云 う、 余 流 余 人 の 及 ぶ 所 に 非 ず。 凡 そ 具 眼 の 者 見 て 之 を 知 れ。 請 う ら く は 你、 私 情 を 規 と し て 取 捨 を 生 じ、 妄 り に 邪 を 鑿 ち て後人をして異坑に顛墜せしむる莫 矣 11 。 こ れ は、 ﹁自 証 三 昧﹂ に 対 す る 乙 堂 の 見 解 中 に 見 え る 一 節である。いわば、自証自悟とは﹁稽古﹂であるとする一節 を評価し、道元の意図を正しく把握することで、宗門の嗣法 について会得すべきだと促したといえる。同巻は大慧宗杲の 行実を題材にしつつ、嗣法と﹃嗣書﹄伝授の重大性を説くも の で あ る が、 六 〇 巻 本 に 入 ら な い た め か、 天 桂 は 重 視 し な い 12 。よって、天桂が重視しない巻も踏まえつつ、総合的に宗 旨を宣揚しようとする乙堂の立場は明確である。 亦 你 謂 う 勿 れ、 辨 道 の は 六 十 の 外、 而 疑 う べ し と。 若 爾 は 深 信 因 果 の に 示 し 玉 ふ に、 将 に 如 何 と し て か 為 ら ん。 古 仏 の 正 眼 目 に 非 ざ る 自 り、 決 し て 此 の 道 話 無 し。 経 師・ 論 師 及 び 宗 門 中 幾 く 無 量乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄における﹃正法眼蔵﹄の引用について︵菅 原︶ の 人 か、 而 も 此 の 道 理 を 参 究 す る 者 有 り や 也 た 否 や。 請 う ら く は 邪 言を吐いて後賢を誑惑すること勿 れ 13 。 こちらは﹁弁道話﹂に対する乙堂の見解中に見える一節で ある。七五巻本などには入っていないが、この時代、卍山本 の 影 響 か ら、 ﹁弁 道 話﹂ は﹃正 法 眼 蔵﹄ の 一 巻 と し て 認 識 さ れ て い た こ と は 明 ら か で あ る。 ま た、 こ の 一 節 は﹁先 尼 外 道﹂ に 関 す る 実 体 我 批 判 と し て 引 用 さ れ た 文 脈 で あ る が、 ﹁深 信 因 果﹂ 巻 に も﹁も し、 衆 生 死 し て 性 海 に 帰 し、 大 我 に 帰す、といふは、ともにこれ外道の見な り 14 ﹂とあって、実体 我批判の文脈を共有しており、乙堂はそれを手掛かりに天桂 の ﹃正法眼蔵﹄編輯論を批判したのである。
五
︱
二
本
書
に
お
け
る
﹃
正
法
眼
蔵
﹄
引
用
の
意
義
︵
二
︶
乙 堂 自 身 の 見 解 と し て 引 用 さ れ た﹃正 法 眼 蔵﹄ の み で も 五〇箇所に及ぶが、引用された意図について検討したい。 概 観 す れ ば、 乙 堂 の﹃正 法 眼 蔵﹄ 引 用 に つ い て は、 天 桂 ﹃弁 ﹄ に お け る 見 解 を、 よ り 深 く﹃正 法 眼 蔵﹄ を 学 ぶ こ と で乗り越えようとする意図があったと思われる。本論で典拠 とした五〇箇所の中でも、その意図が明確に理解できる文脈 を挙げておきたい。 ○議云、以心伝心の言或師は師資互伝の意と為す。 鷄 禿 は、 師 心 は 師 心 に 伝 え、 資 心 は 資 心 に 伝 う、 各 伝 の 意 と 為 す。倶に胡乱、正伝の見識無し。 蓋し古仏言く、以心伝心は晩学の弁肯、 と。 然りと雖も、好道得する者、文を以て意を害さず。 故 に 古 仏 曰、 葫 蘆 藤 の 葫 蘆 藤 を ま つ ふ は、 仏 祖 の 仏 祖 を 参 究 し、 仏祖の仏祖を証契するなり。たとゑは、 これ以心伝心なりと。 請此文意あやまることなかれ。たとえばとは、語の不円なる初心 の 弁 肯 な る こ と を し ら し む る な り。 こ れ を し ら し む る が ゆ え に 以 心 伝 心 を し て 復 伝 尽 の 道 得 な ら し む る な り。 然、 鷄 禿 の 如 く、 自 心 を 以 て 自 心 に 伝 え る 者、 極 悪 邪 見 な り。 此 の 見 は、 仏 祖 道 を 昧 ま し、 群邪の門を開く。 ︿中 略﹀ 古 仏 の 道 得 に 准 す れ ば 則 ち 汝 亦 如 是 吾 亦 如 是 此 れ 即 ち 以 心 伝 心 な り。 汝 得 吾 髄 此 れ 以 心 伝 心 な り。 汝 得 吾 皮 此 れ 以 心 伝 心 な り。 胡 蘆 藤 種 纏 胡 蘆 藤 此 れ 以 心 伝 心 な り。 仏 祖 の 仏 祖 に 証 契 す、 此 れ以心伝心なり。 ︿中 略﹀ 亦 仏 教 曰、 正 伝 と は 自 己 よ り 自 己 に 正 伝 す る が ゆ へ に 正 伝 の な か に 自 己 あ る な り と 此 の 正 伝 の 自 己、 你 頑 解 の 如 く に 非 ず。 捏合すること勿れ。古仏言く仏祖の身心の所通皆脱落なり と 15 。 これは、嗣法の際にどうしても避けて通ることが出来ない ﹁以 心 伝 心﹂ の 用 語 に つ い て の 理 解 を 論 じ た 箇 所 で あ る。 或 師とは卍山道白のこ と 16 だと思われ、卍山は師資の豊かな交流 をこそ前提にし、当人の境涯などは詳しく問わない嗣法観を 立てたといって良い。乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄における﹃正法眼蔵﹄の引用について︵菅 原︶ そして、鷄禿とは﹁鷄﹂が﹁桂﹂に通じ、天桂への侮的 呼 称 で あ る が、 そ の 見 解 と し て は﹁師 は 師 に、 弟 子 は 弟 子 に﹂ という各伝の意義として理解されているとする。 そ の 上 で 乙 堂 は、 ﹁ 藤﹂ 巻 か ら の 引 用 17 を も っ て、 以 心 伝 心とは仏祖が仏祖を証していくことであるとしつつ、 ﹁自己﹂ の問題に固執してはならないとする。つまり、仏祖とは、師 資の間の交流を通して、各々が仏心を証すことであると理解 さ れ て い る。 し か も、 ﹁仏 教﹂ 巻 を 引 用 し つ つ、 正 伝 と 自 己 の問題を整理し、最終的には仏祖の身心脱落という重大な語 までも引用され、宗旨の落着にまで議論を進めている。
六
結論
近世江戸時代に入り、曹洞宗の僧侶たちの間で、自らが洞 下の一僧であるという自覚を深めつつ、徐々に宗旨の内容を ﹃正 法 眼 蔵﹄ な ど の 宗 典 に よ っ て 定 め る 動 き が 強 ま っ た。 筆 者は既に、当時の曹洞宗に関わる学僧達の全般的状況を論じ た 18 けれども、その場合、 ﹃正法眼蔵﹄の先駆的活用としては、 嗣法論に関連して、卍山道白・梅峰竺信が積極的に取り入れ た印象が強い。ただし、それは自らの嗣法論の傍証に﹃正法 眼蔵﹄を用いているに過ぎず、その点では天桂伝尊が﹃正法 眼 蔵 弁 ﹄ を 著 し、 ﹃正 法 眼 蔵﹄ の 全 面 的 研 究 を 行 っ た こ と は特筆に値する。 そ し て、 乙 堂 は 天 桂 の 方 法 を 見 つ つ も、 ﹃正 法 眼 蔵﹄ 編 集 論 で 六 〇 巻 本 ︵及 び そ れ を 拡 大 し た 七 八 巻︶ 系 へ の 固 執 を 見 せ ずに、より広く引用・活用を行うことで、多くの文脈で道元 の意図を捉えようとする営みが行われたと見て良い。 し か し、 ﹃続 絃 講 議﹄ は 江 戸 時 代 中 に は 開 版 さ れ ず、 他 の 学 僧 へ の 影 響 は 部 分 的 19 で あ る。 ま た、 引 用 さ れ た﹃正 法 眼 蔵﹄本文も、決して良い内容ではなく、本書の限界も同時に 知るべきであるといえよう。 1 天桂は、卍山下の ﹁化儀嗣法﹂ を否定する意図があった。 2 龍水本﹃弁﹄ ﹁面授﹂、 ﹃蒐書大成 十五﹄二五三頁上段。 3 ﹃続絃講議﹄巻三・九丁表。 ﹃正法眼蔵﹄ ﹁仏性﹂巻の引用。 4 ﹃続 絃 講 議﹄ 巻 三・ 六 七 丁 裏 ︱ 六 八 丁 表。 ﹃正 法 眼 蔵﹄ ﹁仏 性﹂ 巻の引用。 5 ﹃続 絃 講 議﹄ 巻 三・ 七 二 丁 表。 ﹃正 法 眼 蔵﹄ ﹁現 成 公 案﹂ 巻 の 引用。 6 菅原﹁ ﹁乙堂喚丑の ﹃正法眼蔵﹄釈の研究﹂参照。 7 ﹃続絃講議﹄巻三・ 六三丁裏。 ﹃正法眼蔵﹄ ﹁大悟﹂巻の引用。 8 ﹃古 本 校 定 正 法 眼 蔵 全﹄ 八 二 頁、 波 線 は 筆 者、 括 弧 内 は 龍水本﹃弁﹄ 。 9 現 在 は 神 奈 川 県 伊 勢 原 市 内 に 移 転 し た 盛 徳 寺 関 係 者 よ り 聞 き 取り。 10 菅原﹁乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講義﹄ の研究﹂参照。 11 ﹃続絃講議﹄巻三・ 一七丁裏︱一八丁表。乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講議﹄における﹃正法眼蔵﹄の引用について︵菅 原︶ 12 天 桂 は、 ﹁自 証 三 昧﹂ 巻 後 半 の、 道 元 に よ る 大 慧 宗 杲 批 判 は ﹁宗 我 見﹂ と ま で 断 じ、 本 文 す ら 載 せ ま い と す る 徹 底 ぶ り で あ る。 ﹃蒐書大成十五﹄五八九頁参照。 13 ﹃続絃講議﹄巻三・ 七〇丁表。 14 ﹃道元禅師全集﹄巻二・ 三九一頁。 15 ﹃続 絃 講 議﹄ 巻 五・ 六 一 丁 裏 ︱ 六 二 丁 表、 段 落 は 筆 者 が 便 宜 的に付した。 16 卍 山 道 白﹃洞 門 衣 袽 集﹄ ︵﹃曹 全﹄ ﹁室 中﹂ 巻 所 収︶ の 見 解 を 簡潔にまとめたものだと思われる。 17 乙 堂 が 特 に、 道 元 も 重 ん じ た﹁汝 亦 如 是 吾 亦 如 是﹂ を 強 調 し ていることに留意されるべきである。 18 菅原﹁江戸時代初期の ﹃正法眼蔵﹄研究について﹂参照。 19 乙 堂 が 本 書 の 下 書 き を 送 り、 添 削 を 依 頼 し た 面 山 瑞 方 が 見 て いる。菅原﹁乙堂喚丑﹃正法眼蔵続絃講義﹄ の研究﹂参照。 ︿一次資料﹀ 永 平 道 元 の 著 作 は 、﹃ 道 元 禅 師全 集 ﹄︵ 全 七 巻 ︶ 春 秋 社 、 一 九 八 八 ︱ 一 九 九 三 を 参 照 し た。 ﹃正 法 眼 蔵﹄ 本 文 の 対 校 は、 大 久 保 道 舟 編 ﹃古本校定 正法眼蔵 全﹄ ︵筑摩書房、一九七一︶ も参照した。 ﹃永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成﹄ ︵大 修 館 書 店、 一 九 七 四 ︱ 二 〇 〇 〇︶ を 参 照 し、 引 用 時 に は﹃蒐 書 大 成 ○ ○﹄ と 巻 数 を 含 め て 略 記 し た。 引 用 に 際 し て は、 原 典 に 従 っ て 訓 読 し つ つ、 カ ナ を か な に す る な どして、表現を見やすく改めている。 ﹃続 絃 講 議﹄ は、 ﹃蒐 書 大 成 二 〇﹄ 所 収 本 を 参 照。 原 漢 文 の 場 合、 訓 読 は 本 書 に 従 う。 な お、 国 立 国 会 図 書 館 デ ジ タ ル コ レ ク シ ョ ン ︵旧・ 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー︶ で も 全 巻 が 公 開 さ れ て お り、 引 用 時 は 原 典 の 丁 数 の み を 提 示 し、 カ ナ を か な に す る な ど 見 や す くしている。 ︿参考文献﹀ 菅 原 研 州﹁乙 堂 喚 丑﹃正 法 眼 蔵 続 絃 講 義﹄ の 研 究﹂ ﹃印 度 學 佛 教 學研究﹄第六一巻第二号、二〇一三 菅 原 研 州﹁乙 堂 喚 丑 の﹃正 法 眼 蔵﹄ 釈 の 研 究﹂ ﹃印 度 學 佛 教 學 研究﹄第六二巻第一号、二〇一三 菅 原 研 州﹁江 戸 時 代 初 期 の﹃正 法 眼 蔵﹄ 研 究 に つ い て﹂ ﹃禪 學 研 究﹄第九三号、二〇一五 ︿キーワード﹀ 近世仏教、乙堂喚丑、正法眼蔵 ︵愛知学院大学講師︶