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<特集・論文>

新興民主主義国における政治制度の構築

⎜⎜ロシアにおける大統領制導入をめぐって⎜⎜

津 田 憂 子

1. は じ め に

ペレストロイカ期のロシアでは,1991年3月 に大統領制の導入が決定された。その後現在に 至るまで大統領制は存続しているが,他方で,大 統領制の廃止,議院内閣制の導入に関する議論が 何度か登場している。とりわけ 1990年代前半に は議院内閣制への制度変更が唱えられたが,実現 することはなかった。視野を広げてみると,旧ソ 連諸国の多くで議院内閣制が根付きにくい傾向が 示されているように思われる。

1980年代に始まった旧ソ連東欧諸国の民主化 は,ハンチントンが民主化の「第三の波」と呼ん だものの一環である。民主化の「第三の波」に覆 われた旧ソ連東欧諸国では,どのような政治制度 のデザインないしは政治制度の組合せが体制の安 定に結びつくかという制度設計の問題に注目が集 まり,政府の形態をめぐる議論に少なからぬ感心 が寄せられた。同じ時期に,比較政治学における 制度設計に関する議論も新制度論の潮流に乗る 形で一層の発展をみせ,1990年以降とくに議論 が集中してきたのは,制度の選択が新たに成立し つつある政治体制の安定とどのように関係するの かという論点であった

このような議論の高まりは,1990年代のロシ アの政治体制を考える場合に有益な示唆を与える かもしれない。しかし興味深いことに,比較政治 学における議論とロシアの制度設計をめぐる議論 とは同時代的に進行していたにもかかわらず,両 者の相関関係はそれほど強くないように思われる。

たとえば,大統領制をとるフィリピンにおいて近 年活発になってきた議院内閣制導入論は,導入を 支える論理が比較政治学で主張されてきた大統領 制の欠陥とほぼ合致して展開しているが,ロシ アでは必ずしもそうではない。比較政治学におけ る論争の焦点は,体制の安定にとって望ましい制 度設計は何なのかという問いかけである。そうし た制度設計の基準として少なくとも2点挙げられ るだろう。政治の安定をもたらすような制度であ ること,政策決定のパフォーマンスが良いこと,

である。しかし,ロシアで議院内閣制の導入を支 持する人々は,この2点を念頭において制度変更 を主張しているわけではなかった。彼らが,大統 領制を批判し議院内閣制の導入を唱えた主な要因 のひとつは,急速な市場経済化と私有化を推し進 める強力なリーダーシップに対抗するためだった といえるだろう。ヤーシンのいうように,とくに 1990年代のロシアにおける議院内閣制の導入を 主張する議論は,大統領をトップとする執行府と 最高会議の対立という視点から分析する必要があ る

新しい政治制度の選択に際して,旧ソ連東欧諸 国の多くの国々が大統領制的要素と議院内閣制的 要素が混合した準大統領制を採用した。ロシアも ソ連の一構成共和国であった時代に,定義上は準 大統領制の形をとる政治制度を導入した。しかし,

ロシアの政治制度を理解する場合,一般的な定義 を安易に借用し準大統領制という枠組みで一括り にするだけでは,その独自性を無視する結果に陥 ってしまう。肝要なのは,制度の構築をめぐる豊 かな議論に目を向け,ロシアの現実を合わせて考 慮することである。政治制度の分類を行った既 存研究は多く存在するが,本稿ではそうした従

* 早稲田大学政治経済学術院助手

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来の研究をふまえて,ロシアにおける政治制度の 構築を分析しようと試みる。本稿の意義は,1990 年以降の比較政治学における政治制度をめぐる議 論⎜⎜理論的視座⎜⎜とロシアにおける制度設計 の過程⎜⎜実証的分析⎜⎜という2つの視角から,

ロシア大統領制の普遍性と独自性の両方を明確に 把握するところにある。

本稿では,とりわけ 1993年までの新憲法制定 過程に議論の焦点を当て,その後のロシアにおけ る制度設計を議論していない。というのも,1994 年以降の大統領権限や議会との権限配分をめぐる 論争は,1993年 10月の事件の反動でかつての活 発さを失ってしまっており,とくに 1990年代は,

1993年 12月に出来上がった憲法草案の範囲内で 大統領と議会のバランスが保たれてしまっている。

よって本稿では,大統領と議会の権限配分がいま だ曖昧のまま,両者の論争のダイナミズムが最も 顕著に現れた時期に絞って,すなわち,ペレスト ロイカ期から 1993年 12月のロシア新憲法制定ま での時期に限定して議論を進めることとする。

本稿の構成は以下の通りである。最初に,大統 領制,議院内閣制の特色をそれぞれ示し,現代の 比較政治学における大統領制と議院内閣制をめぐ る議論の展開について簡潔に概観する。次に,ロ シアを含む多くの旧ソ連東欧諸国で採用された準 大統領制の特色を論じ,ロシアの政治制度のデザ インがどのように位置づけられてきたのかを検討 する。続いて,1990年代前半のロシアにおける 政治制度の構築に焦点を当て,大統領制導入の歴 史的背景と導入後から新憲法制定に至る政治過程 を考察する。なぜ議院内閣制ではなく首相を伴う 大統領制が採用されたのか,比較政治学における 議論の中でロシアの制度設計はどのように捉えら れるのか,本稿ではこうした疑問に答えたい。さ らに,ハズブラートフらによって展開された議院 内閣制の導入に関する議論を取り上げ,多様な制 度構築の可能性が開かれていた点を示す。

2. 政治制度の3類型

大統領制の特色は大きく次の2点である。⑴国 民によって直接選出された大統領と,同じく選挙

によって選出された議会とが,ともに民主的な正 統性を享受している(「二元的な民主的正統性」

のシステム)。⑵執行府を支配する大統領と立法 府である議会はそれぞれ任期が固定され,お互い の存在は独立している(政治的剛性)

一方で,議院内閣制の特色は執行府と立法府の

「権力の融合(ʻfusionʼof powers)」がみられると ころにある。執行府の長である首相と内閣を構成 する閣僚は立法府である議会によって間接的に選 出され,それらは議会の信任に依拠し,議会の不 信任投票により退陣を迫られる。大統領制がただ 1 人 の 非 集 団 的 執 行 府(non-collegial   execu- tives)であるのに対し,議院内閣制は首相およ び内閣による集団 的 執 行 府(collegial   execu- tives)といえる

リンスは,ラテンアメリカの経験的事例から大 統領制の抱える欠陥を指摘し ,大統領制と比べ ると議院内閣制のほうがより安定した体制を招き やすいという結論を導いた 。リンスの主張はそ の後,大統領制と議院内閣制のどちらがより安定 した体制をもたらす可能性が高いかという点をめ ぐって様々な学問的論争を巻き起こした。リンス の主張を支持する研究がある一方で ,それを批 判する議論も示された。たとえば,議院内閣制の ほうが大統領制よりも体制の安定に寄与するとい う議論 や,大統領制が議院内閣制よりも崩壊し やすいという主張は成り立たないという議論 が その代表的なものである。あるいは,ハンチント ンのように,議院内閣制のほうが安定した民主主 義体制を招きやすいという結論を出すには時期尚 早であると穏当な見解も提示された 。また,政 治制度単一ではなく,選挙制度や政党システムと の組み合わせが体制の安定には重要であるという 議論も登場した 。

準大統領制は第3の民主主義制度として考えら れている。先に述べたように,旧ソ連東欧諸国の 多くの国々は,民主化の「第三の波」の中で新し い民主的な政治制度として準大統領制を採用した。

ロシアでもソ連大統領制を模倣する形で大統領の ポストが設置された。以下に,その制度的特徴を 示し,ロシアにおける制度設計との関連を検討し たい。

準大統領制という政治制度の存在を最初に指摘 したデュヴェルジェによれば,その定義は次の通

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りである。⑴ 大統領は国民の直接選挙によって 選出される。⑵ 大統領はかなりの権力を有する。

⑶ 大統領に対抗する権力が存在する。首相や他 の閣僚は行政・執行権を有しており,議会との対 立がなければ,各々の職権を保持することができ る 。

サルトーリによると,準大統領制は大統領制へ の代替可能な制度とみなされる。準大統領制が

「剛性」の問題を解決し,大統領制が欠いている 柔軟性を提供してくれるという。サルトーリの定 義は,デュヴェルジェの定義⑶をさらに発展させ,

大統領が首相と執行権を共有し二元的な権威構造 を形成しているとする。首相とその内閣は議会に 依存しているという点で大統領から独立しており,

逆に,大統領は議会から独立しているが,単独で,

あるいは,直接に統治を行う権限は与えられてい ない 。

デュヴェルジェからサルトーリにいたる準大統 領制の制度的特徴を概観して気づくのは,準大統 領制は大統領制的要素と議院内閣制的要素を併せ もっているため,現実の政治情勢を反映させなが ら,大統領優位型の国家へと傾くのか,あるいは,

議院内閣制の契機を強めるかについて,下位レベ ルの類型が必要であるという点である。というの も,ロシアでは,首相とその内閣は議会よりもむ しろ大統領に依存しており,その点ではサルトー リの定義に当てはめることは難しい。

デュヴェルジェが最初に準大統領制を定義して から約 10年を経て,準大統領制を2つに分けて 考えたのがシュガートとキャリーである。彼らは 準 大 統 領 制 を,首 相 ‑ 大 統 領 制(premier- presidentialism)と 大 統 領 ‑ 議 院 内 閣 制

(president-parliamentarism)に分類した。首相

‑大統領制はデュヴェルジェの準大統領制の定義 と同じであるが,大統領 ‑議院内閣制の定義は次 のようになる。⑴大統領は国民の直接投票によっ て選出される。⑵大統領は閣僚の任免権を有する。

⑶閣僚は議会の信任に依存する。⑷大統領は議会 の解散権を有する 。

首相 ‑大統領制では,大統領が首相を指名して も,議会が信任をしなければ組閣は認められない。

また,議会が不信任決議を可決させた場合,内閣 は退陣しなくてはならない。一方,大統領 ‑議院 内閣制では,大統領も内閣の任免権をもっている

ため,議会と大統領の双方が組閣における主導権 を主張できる 。こうして,首相 ‑大統領制と大 統領 ‑議院内閣制の違いは大統領の内閣に対する 影響力にあるとみなせるだろう。一般的に,大統 領 ‑議院内閣制における大統領の権限は,首相 ‑ 大統領制における大統領のそれよりも強いといえ る。大統領 ‑議院内閣制では,議会の多数派によ る不信任か大統領個人の決定のどちらかによって 閣僚の罷免を行うことができるが,その場合,内 閣に対する双方の権限が制度上明確にされていな いので,執行府と立法府の間で対立が生じやす い 。

ロシアでは 1991年に大統領のポストを設置す るための憲法改正が行われた。大統領権限に関す る新規定では,大統領は議会の決定に基づいて大 統領令を公布しなければならず,議会の解散権を 有していなかった。また,大統領の議会に対する 拒否権は脆弱であった 。大統領と議会の権限配 分は,後者が優位な立場になるよう設定されてい たことがわかる。こうした点を考慮すると,改正 直後のロシアの政治体制は,首相 ‑大統領制に分 類することができる 。しかし,1993年 12月に 新憲法が採択された後のロシアの政治制度をみる かぎり,分類上は大統領 ‑議院内閣制に移行して いる 。大統領は直接選挙で選出され,閣僚の任 免権と議会の解散権を有し,一方で,議会にも内 閣不信任権が与えられている 。このような権限 配分は,準大統領制の中でも大統領 ‑議院内閣制 の定義により近いといえよう 。

次節ではまず,大統領制の導入とその制度的特 徴について考察し,1993年 12月の憲法制定にい たる過程で,ロシアの大統領制が首相 ‑大統領制 から大統領 ‑議院内閣制の定義により近い形へと 変化していった点を検討する。次に,憲法の規定 問題をめぐって大統領と議会の対立が激しくなっ た 1990年代前半の政治制度の構築過程をふまえ て,ロシア大統領制の普遍性と独自性を指摘した い。

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3. ロシアにおける制度設計

3.1. ソ連における大統領ポストの創設

ソ連に大統領のポストを設置しようとする議論 は,ペレストロイカの時期に突然登場したわけで はない。大統領制導入の議論は 1910年代まで遡 ることができる。1917年の二月革命以後に設置 された特別委員会は,憲法制定会議によって選出 される臨時大統領に関する草案を練り上げている。

その後,1936年にも憲法草案を審議する際に大 統領に関する問題が取り上げられた。しかし,

「ソ連最高会議と対等の地位にある,国民から直 接選挙で選ばれた大統領という存在は,ソ連には 必要ないし,自分自身が(大統領となって)最高 会議と対立する立場になることもない」というス ターリンの発言が示すように,大統領職の設置は 最終的に拒否されて終わった。スターリンの死後,

ソ連の新しい指導者となったフルシチョフは,

1962年に新憲法制定のための委員会を設け,大 統領のポストを創設するよう提案したが,自分自 身が罷免されたため,この委員会の活動は中止さ れた。ブレジネフの時代にも大統領職について審 議されたものの,1977年に公表された新憲法に はこの規定はなかった。そして再び,大統領制導 入に関する議論が浮上したのがペレストロイカの 時期である 。

ソビエト的な伝統の中に大統領制を導入すると いう政治的変化をどのように理解することができ るだろうか。共産党書記長であったゴルバチョフ は,1988年 10月1日のソ連最高会議臨時会期に おいて,グロムイコの引退にともない最高会議幹 部会議長に選出された。さらに翌年の5月に,彼 は最高会議議長に就任する。最高会議は,ソ連が ソビエト制度によって統治されているという形式 的外観を与えるために存在する儀礼的機関であっ たが,同時に現体制の正統性を誇示するのに必要 不可欠な機関でもあった。ゴルバチョフが最高会 議幹部会のトップに就いたのは,その議長はソ連 の国家元首と扱われるためであり,彼は名実とも にソ連の最高権威者となった。しかし,ソ連の政 治体制は集団指導体制をとっていたため,たとえ

最高会議議長と共産党書記長を兼任する最高権威 者の地位にあっても,そして,事実上大統領と等 しい立場であったとしても,やはりそれは複数の 支配者のうちの1人にすぎなかった 。集団指導 体制からただ1人を頂点とする大統領制への転換 を図ろうとしたゴルバチョフは,正式に大統領に 就任した際に,これまで国家元首として扱われて いた最高会議議長の役割を変更して議会運営をそ の主な任務とすることで,最高会議の機能転換も 試みた。

実際,共産党書記長という地位は,絶対的権力 を握っているかのようにみえて,そうではなかっ た 。ヤコブレフの指摘するように,ペレストロ イカ期には「権力の不在状態」が危惧されてい た 。こうして,大統領という個人に,国家の強 さと保全を具現化することのできる強大な権限が 見出された。大統領制の導入は「政治操作の当面 の練習」であり,強力な大統領を共産党の絶対的 支配に対峙させることが必要だったのである 。

1990年3月 15日に開かれた第三回臨時ソ連人 民代議員大会でゴルバチョフのソ連大統領就任が 決定したことで,1910年代から続く大統領制導 入の議論が実現したが,大統領の選出方法は,国 民投票ではなく代議員による多数決,つまり,間 接的であった点に留意しなければならない。国家 元首は国民によって選出されるが,例外として最 初だけ,人民代議員大会において大統領を選出す ることが提案されたのである 。

ソ連大統領の権限は,当初はゴルバチョフの提 案によって議会の権限に配慮した内容であった。

大統領は議会の解散権を持たず,最高会議の解散 を人民代議員大会に提案することだけが可能とな っている 。つまり,大統領制の導入をめぐる議 論では大統領の強権が想定されていたにもかかわ らず,発足当初は意外に弱体であったといえる。

しかし,次第に大統領の権限は強化される方向 に動いていった。早くも 1990年の秋には,アメ リカ型の大統領制に改変する必要性が指摘されて いる。たとえば,当初は大統領の職務は立法府と 執行府の調整にあったが,1990年 12月の憲法改 正で,大統領は「執行機関の長」であり,執行権 の担い手であることが明確にされた。また,改正 前の憲法では,大統領は「閣僚会議の決定・処分 を停止する権利」を,最高会議は閣僚会議の決

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定・処分の「破棄権」を持っていたが,改正後に は,大統領は内閣(閣僚会議は内閣に改編)の決 定・処分のみならず,省令その他大統領に従属す る機関の法令を「破棄する」権利を与えられるこ とになった。さらに,以前では,最高会議に全面 的に従属していた閣僚会議は,改正後,大統領に 直接従属することが明らかとなった 。

ペレストロイカ期のソ連に大統領制を導入し行 政機構を立て直そうとする政治改革が断行された のは,国内に少なくとも 20件は確認された紛争 の発生や社会情勢の悪化を背景にしている 。構 成共和国における分離主義の高まりが,国家の統 一性を脅かし,イデオロギー上,政治上,経済上 の危機をもたらした結果,中央権力の強化,共産 党の影響力の低下,立法権力の弱体化を目的とし てソ連の大統領制は創設されたのである。ゴルバ チョフが大統領制を導入したのは,改革に反対す る勢力を抑え,新しい権力の拠り所を求めてだと いえるだろう 。

3.2. ロシアにおける大統領ポストの創設 ソ連に大統領制が導入されると,直ちに構成共 和国のレベルでも大統領制創設に向けてのプロセ スが始まった。ロシア共和国では 1991年3月の 国民投票で大統領制の導入が決定され ,同年6 月に実施された大統領選挙においてエリツィンが 第1回投票で 50パーセント以上の得票率を獲得 して圧勝し,初代大統領に就任した 。ゴルバチ ョフと同様,エリツィンも大統領就任以前にロシ ア最高会議議長に選出されており,ゴルバチョフ がルキヤノフに対してそうしたように,エリツィ ンも大統領に就任した際に,最高会議議長の地位 をハズブラートフに譲り渡している 。違ってい たのは,ロシア大統領が国民の直接選挙によって 選出されたことであった。

ソ連時代には大統領制の導入とソビエト の活 性化が並行して進み,大統領とソビエトという2 つの国家機関の権威が回復・設立したが,今度は この2つの国家機関同士の間で争いが生じるよう になった。ソ連崩壊後のロシアでも 1992年から 1993年の間に,新憲法草案の内容をめぐって大 統領と議会 の間で活発な議論が展開され,次第 に両者の見解は激しく対立していった。ロシア連 邦大統領は,ソ連時代のロシア共和国大統領の地

位を継承しているため,ソ連時代に既に存在して いた大統領と議会の対立の萌芽はそのまま独立後 のロシアに持ち越されたのである。ペレストロイ カ期のゴルバチョフ(大統領)とルキヤノフ(最 高会議議長)の対立は 1990年代初頭のロシアに おけるエリツィン(大統領)とハズブラートフ

(最高会議議長)の対立に置き換えることができ るだろう。

ソ連時代のロシアに大統領制が導入されたこと は,単純にソ連大統領制を模倣した結果というこ ともできるが,なぜこの制度がロシアに必要なの かという点に関して,当時の議論の蓄積は決して 浅くなかった。例えば,閣僚会議議長だったルイ シコフは,大統領制の導入は,立法,行政,司法 のそれぞれの分離,つまり三権分立のための必要 不可欠な段階であり,三権分立によって政府は効 率的な形態となりうると考えていた。彼がこのよ うに考える根拠は,最高会議(議会)の委員会と 閣僚会議(政府)の両方が同じ案件に関して異な る決定を下し,議会の承認を政府が批判するとい う事態がしばらく続いていたため,国家運営の非 効率性を懸念したことにある 。あるいは,エリ ツィンらがロシアに大統領のポストを導入しよう とした理由のひとつに,権限区分をめぐる連邦中 央と構成共和国との緊迫した関係を指摘すること もできる 。またもっと単純に,ロシア共和国の 独自性を強化し,その利益を守ることを第一に考 えたがゆえに,大統領制の導入がロシアにも必要 であるという結論に達したとも考えられる 。

以上から,ソ連・ロシアで新しい政治制度とし て大統領制が創設されたのは,議院内閣制よりも 大統領制のほうが体制の安定を導きやすい,すな わち,国家の強化と統一を実現しやすいと判断さ れたからだといえるだろう。比較政治学における 議論の中では安定した政治体制を招きやすい政治 制度は地域ごと国ごとでバラつきがある点が示さ れたが,急速な政治変化が求められたロシアにお いては,効率的な国家運営を可能にするために大 統領制が選択されたのである。ロシアでは早急な 政治改革が政府と議会の職務混乱を招いた結果,

政府は「前足を縛られた馬が疾走するよう命じら れている状態」に陥ったと例えられたが ,この 事態を打開するためにも,執行権の強化が焦眉の 課題として浮かび上がってきたのである。以下で

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は,大統領制導入後から新憲法制定までの政治過 程に焦点を当てて,ロシアにおける政治制度の構 築を分析することを試みる。

ロシア大統領の権限は,ソ連大統領と同じく発 足当初は決して強力なものではなかった。1991 年には,「ロシア大統領の選出について」と「ロ シア大統領について」に関する2つの法案が採択 されたが,それらによると,大統領には議会の解 散権が付与されておらず,大統領令を発布する場 合にも議会の決定に基づいて行う必要があった 。 1991年 11月1日に,閣僚の任命権と経済改革促 進のための大統領令を発令する特別の権限がエリ ツィンに与えられ,大統領は最高会議の審議にか けることなく,大統領令を公布できる非常大権を 1年間の条件で手にしたが,これによって大統領 の政治的権限が強められたわけではない。その理 由に,依然として議会に対する大統領の拒否権は 弱かったことなどが挙げられる。また,1991年 5月の憲法改正の内容や 1992年 12月の第七回人 民代議員大会の状況から判断しても,大統領の議 会に対する権限は強いとはいえなかった 。実質 的にはロシアの政治制度は大統領の権限の弱い議 会優位型であったことがわかる。こうして,議会 が大統領に優位な立場になるよう規定されていた 1993年以前のロシア大統領制は,準大統領制の 下位類型の中でも,首相 ‑大統領制に該当できる。

ところが,1993年の新憲法草案の制定過程に おいて,この議会優位の体制が崩れていくことに なる。ロシア人民代議員大会はソ連崩壊後もソ連 時代に選出された代議員で構成されており,そこ ではエリツィンを中心とする「改革派」とハズブ ラートフをリーダーとする「議会派(保守派)」

の対立構造があった。「議会派」が用いた「改革 派」に対する対抗手段は現行憲法の規定であり,

大統領による大統領令の発布や改革政策の実施に 対して,議会が憲法規定に則って大統領の決定を 無効にし,改革の実行を不可能にするような事態 がしばしば発生した。このような状況の中,エリ ツィンら「改革派」が「議会派」に対抗する手段 として作成したのが,新憲法草案である。大統領 と議会の権限配分は新憲法の内容如何に拠るとこ ろが大きかったため,どちらに優位な憲法を制定 するのかという問題をめぐって攻防が繰り広げら れたのである。

ただ,留意しておかなければならないのは,

1992年の初め頃までは,大統領と議会の対立に は和解の余地が十分にあったという点である。こ の時期にハズブラートフは,「もし私が大統領を 批判したい気持ちに駆られるなら,議員を辞職す るほうがましだ」と発言している。彼は,大統領 個人に対する批判から一線を画し,執行府を立て 直す機会を窺っていたのである 。一方のエリツ ィンも,大統領に多くの権限が付与されている第 1次憲法草案 が提出された 1990年末以降の政 治的な対立を憂慮して,ソ連が崩壊する直前の時 期に,「ロシアは,不毛な(大統領と議会の)対 立を中断し,(体制の)安定化を図るこの時期に は一時的であれ仲直りする必要がある。……また,

大統領と議会の機能の区分を明確に行うことが不 可欠である」と述べており,公には議会との対決 よりも和解を模索する姿勢を示していた 。

新憲法制定過程では複数の憲法草案が提出・公 表されたが,主なものとして,憲法委員会による 公式草案と大統領側が独自に作成した草案が挙げ られる。最終的に後者の草案が新憲法草案として 採用されたが,それは大統領が武力でもって事態 の収拾を図った結果であった 。1993年 11月に 大統領側から公表された最終憲法草案は,同年7 月に公表された草案の内容が下敷きになっている。

7月の草案では,大統領の解任を手続きの面でよ り厳格にしているため,議会による大統領権限の 行使に対する制限は,憲法委員会作成の草案と比 較すると大幅に減少していた 。一方で,大統領 には,議会の解散権,国民投票の告知権,さらに は連邦議会の両院選挙の告知権も認めており,首 相を除く,副首相その他の閣僚の任命権および大 統領府の創設とその長の任命権も保障されている

。大統領の権限は,議会の権限が縮小した反面,

相対的に強化されたのである。11月の最終憲法 草案における大統領の権限には,7月に公表され た新憲法草案の内容⎜⎜議会の解散権,国民投票 の告知権,連邦議会の両院選挙の告知権⎜⎜に加 えて,首相の任命権,内閣総辞職の決定権,議会 の同意を必要とせずに国民投票の実施を決定する 権利などが大統領に新しく付与され,その権限強 化が明確に示された。こうして,1993年 12月に 採択された新憲法における大統領と議会の権限配 分をみるかぎり,ロシアの政治制度は,準大統領

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制の下位類型の中でも議会に対する大統領の権限 がより強力な大統領 ‑議院内閣制に該当するとい えるだろう。

ロシア大統領制の独自性については,制度それ 自体の強さがロシアに一時的な安定を与えてきた ことが挙げられる 。上述したように,大統領 ‑ 議院内閣制の国家では執行府と立法府の間で対立 が生じやすいとされ,結果的に政治的不安定が生 まれる。しかし,クリャムキンが主張したように,

体制移行の時期には,権威主義的な「強い手」の 存在がロシアでは不可欠とされた。強力な指導者 による上からの政策を容認し,今後の発展のため に「強い手」に期待がかけられた 。また,ロシ アの大統領職は,1人の指導者「ツァーリ」の伝 統を反映する一方で,ソ連崩壊直後のロシアの特 別な事情も反映していた。エリツィンは,共産主 義からの移行を生き抜いてきた現職のエリートを 保証する存在として考えられていたのである 。

ロシアの大統領制は,一般的に指摘されるよう な大統領制の欠陥も抱えている。幅広い権限をも った大統領の存在は対議会関係において深刻な問 題を3点提示してきた。1つ目は,ロシアではと くに大統領個人への依存が顕著であるという点で ある。2つ目は,大統領(執行府)と議会(立法 府)の間に対立が生じるという点である。両者の 対立は新憲法制定過程において先鋭化した。しか し 1993年の憲法では,大統領に有利なようにこ の種の対立が解決されるよう規定されている。3 つ目は,ロシアの大統領制のもとでは政府それ自 体の運営が難しい状況にあるという点である 。 こうしてロシアの大統領制は,比較政治学の議論 の中でリンスが指摘したような制度的欠陥を内在 してはいるものの,そうした欠陥もロシアの政治 状況を反映して表面化しているといえるだろう。

ロシアに大統領制が導入されて以後,1993年 12月の新憲法制定にいたるまで,ロシアの制度 設計は困難の道をたどった。最後に,1990年代 前半の時期に最高会議議長であったハズブラート フによって展開された議院内閣制の導入をめぐる 議論を概観することで,ロシアにおける制度構築 の過程に関する理解を深めたい。

ロシアにおける議院内閣制の導入論は,執行府 と立法府の対立の中で生まれてきたといえる。ハ ズブラートフは 1992年の初めの頃には大統領批

判に反対の立場を示していたが,その後の新憲法 制定過程の中では一貫して大統領の権限を縮小す るよう主張してきた。1992年 11月7日の新聞に 載せたエッセイでは,新憲法では政策決定に責任 をもつ立法府を創設し,政府が実施する社会経済 政策を考案し監視する主導的役割を議会が担うべ きであると述べ,議院内閣制の政府形態を模索し ていたことがうかがえる 。また,同年 11月 24 日付けの新聞においても,大統領制の独裁的性格 を批判し,議院内閣制の導入の必要性を説いた 。

こうした議論は,ロシアにおける制度設計の可 能性を広げたという意味では評価されるが,当時 どこまで現実味を帯びていたかは疑問が残る。実 際には新憲法制定過程の中で,議院内閣制の導入 をめぐる議論は居場所を失っていったかのように みえる。たとえばタルズの主張するように,ロシ ア国民の間にはただ1人の指導者に権限と権威を 与えようとする認識が出来上がっていたとするな らば ,議院内閣制の導入論を国民にまで浸透さ せることは困難な作業かもしれない。もちろん,

1993年に新憲法が制定した後も大統領制の廃止 や議院内閣制の導入をめぐる議論が完全になくな ったわけではない。たとえば,ルイシコフは,新 憲法が制定された後も大統領制の存在が政治を不 安定化させる懸念を表明し,⑴大統領(執行府の 長)は独裁に向かいやすい性質をもっている,⑵ 1993年 10月の事件が示したように,執行府と立 法府の間には潜在的対立があるという理由で,大 統領制の廃止を唱えている 。こうして,とりわ け 1990年代前半には議院内閣制の導入に関する 議論が提起されたが,現在に至るまで大統領制か ら議院内閣制への制度変更は実現化していない。

4. お わ り に

本稿では,大統領制と議院内閣制という二項対 立的な議論の変遷に加えて,両方の制度的特徴を 組み合わせた準大統領制を取り上げ,1993年の 憲法制定以前と以後で,ロシアの政治制度は,首 相 ‑大統領制から大統領 ‑議院内閣制の定義によ り近い形へとシフトしたことを指摘した。続いて,

1990年代前半のロシアにおける制度構築の過程

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について考察を行い,大統領と議会の対立には妥 協の可能性があったにもかかわらず,最終的には,

大統領の権限を強化する形で新憲法が成立した点 を論じた。また,本稿の最後では,憲法制定の過 程で議院内閣制の導入をめぐる議論も展開してい た点に着目し,ロシアにおける制度設計の可能性 の幅広さを示した。

本稿では,ロシアの制度設計を理論的考察と実 証的分析の双方から分析し,同国における制度の デザインを比較の中に位置づけるという試みを行 った。リンスの指摘した大統領制の欠陥をロシア の大統領制も抱えているが,ロシア特有の政治的 文脈の中でそうした欠陥を考慮すべきであること が本稿の中で指摘されたといえる。

大統領制と議院内閣制はどちらも民主主義の政 治制度であるが,大統領制を導入したロシアで民 主的な国家運営が行われていたのかという疑問に 答えないまま,本稿では見切り発車的に議論が出 発した嫌いがある。フリーダムハウスのスコアで

「部分的に自由」と評価されていたエリツィン大 統領の時代においても,民主的な原則は一貫して 拒否され続けてきたという主張もある 。民主的 な政治制度と非民主的な国家運営がロシアにおい ては共存するものなのか。こうした疑問は今後の 研究課題としたい。

[謝 辞]

本稿は,2006年度早稲田大学大学院政治学研究科「魅 力ある大学院教育イニシアティブ」海外出張補助にもとづ く研究成果の一部であり,政研イニシアティブ最終コンフ ェレンス「国際比較研究の創生⎜⎜アジアの視座から

⎜⎜」での報告を大幅に加筆・修正したものである。改訂 に際して,長與進先生(早稲田大学),伊東孝之先生(早 稲田大学)からいただいたコメントは大変有益であった。

記して謝意を表したい。

[注]

⑴ 本稿では定義上,ロシアを「準大統領制」に分類し ている。しかし実際に論文の中では,習慣・便宜上か ら単に「ロシアの大統領制」あるいは「ロシア大統領 制」と表記している。

⑵ 新制度論は,20世紀前半の旧制度論と対比される 形で登場してきた。旧制度論は形式的な統治の単なる 記述や比較を目的としていた。しかし,新制度論はそ うした旧制度論の静態的性格を批判し,また一方で,

政治過程を個々のアクターの利益と行動によって理解 できると考えた行動科学主義に対する反動として,

1970年代頃から発展してきた(B. Guy  Peters[37]

pp.1‑45)。

⑶ Joe Foweraker and Todd Landman[10]pp.43‑

66.

⑷ 川中豪[2]23‑41頁。

[31]p.143.

and [36]p.15.

⑺ Arend Lijphart[33]; [41].

⑻ Juan J. Linz[35]p.6.

⑼ Arend Lijphart[33]pp.117‑118,[34]pp.2‑4.

ラテンアメリカ諸国における政治体制の不安定性に 着目したリンスは,大統領制の欠陥を次の 4点指摘し た。⑴大統領選挙の勝者総取り(winner-take-all)

的性質が政治をゼロ・サムゲーム化し,政治的対立を 引き起こしやすい。⑵大統領と議会はともに「二元的 な民主的正統性」を保持しており,両者間の論争を解 決するような民主的原則なるものが存在しないため,

対立や非難が生まれることがある。⑶任期半ばで大統 領が信任を失った場合でも,大統領を解任することは 難しい。議会が弾劾や圧力をかけて辞職に追い込む以 外に,大統領を辞めさせる合法的方法は存在しない。

⑷在職期間が限られているために過剰な切迫感を大統 領が感じ,そのことが問題を孕む政策のイニシアティ ブや政策実施面での軽率な行動につながる可能性があ る。また,時間的な制約があるため,政治の速度が議 院内閣制とは対照的で(大統領制のほうが速度が早 い),勝者と敗者の間では,合意の形成,連立への移 行,妥協の成立を行う余地がほとんどない(Juan  J.

Linz[16]pp.55‑68)。

Juan J. Linz[35]p.70,[16]p.52, pp.68‑69.

リッグスや,ステパンとスカッチは,議院内閣制の ほうが大統領制と比べて「生存率」が高く,前者の後 者に対する優位性を指摘した(Fred  W. Riggs[39]

pp.218‑219; Alfred Stepan and Cindy Skach,[21]

pp.1‑22)。また,フランシス・フクヤマらは,東アジ ア4カ国(台湾,インドネシア,フィリピン,韓国)

の事例においては,大統領制の欠陥として考えられて いるものがそれほど表面化せず,場合によってはその 欠陥さえも,政治体制がうまく機能するために重要な 役割を果たした点を示した(Francis Fukuyama, et al.[11]pp.102‑116)。  

Donald L. Horowitz[29]pp.204‑205.

Matthew  Soberg  Shugart and  John  M. Carey

[43]pp.40, 44‑45.

Samuel P. Huntington[7]266‑268頁。

レイプハルトは比例代表制と議院内閣制の組合せが 新興民主主義国の体制の安定化に最も最適であると主 張し,他方で,メインウェアリングは多党制と大統領 制の組合せが安定した体制の維持を困難にする点を指 摘 し た(Arend   Lijphart[15]pp.72‑84; Scott Mainwaring[17]pp.198‑228)。 

Maurice Duverger[9]p.166.

(9)

Giovanni Sartori[42]pp.94, 131‑132; Giovanni Sartori[8]105, 146‑147頁。 

Matthew  Soberg  Shugart and John  M. Carey

[43]p.24.

Matthew  Soberg  Shugart and John  M. Carey

[43]pp.23‑27.

Matthew Soberg Shugart[19]p.30.

大統領が一度拒否した法案でも,その法案が再度議 会で過半数を得た場合には署名をしなければならなか った。

Petra Schleiter[18]pp.1‑26.

Yitzhak M. Brudny[25]pp.85‑86.

1993 pp.152‑153.

しかし近年では,準大統領制という分類に疑問を呈 す研究者もいる。シャロフは,大統領制と議院内閣制 のそれぞれに下位類型を設けて政治制度を4つに分け,

準大統領制の概念を排除した。本稿ではこの議論には 踏 み 込 ま な い が,詳 し く は 次 を 参 照 せ よ。 Alan Siaroff[20]pp.287‑312. 

and [24]pp.108‑109;

[14]p.4.

[32]p.217.

“Constitution Commission Head on Gorbachevʼs Powers,”Moscow  TV, 11 Feb. 1990 in FBIS-SOV 

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21 Feb. 1990: 55

[26]p.135.

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TASS, 27 Feb. 1990 in  FBIS-SOV‑90‑039, 27 Feb. 1990: 40.

Eugene Huskey[30]p.31.

1990年 12月の憲法改正の中で,大統領制の変更点 に関しては次を参照されたい。森下敏男[4]13‑21 頁。

“Burlatskiy  Advocates ʻStrongʼ Presidency,”

Moscow  LITERATURNAYA  GAZETA  in Russian No.10, 7 May 90 p 2 in    FBIS-SOV‑90‑069, 10

April 1990, p.50.

and [24]p.109.

1991年 3月 17日の国民投票で,「ロシア大統領の ポストが必要かどうか」という質問項目に対して,国 民の 70パーセント以上が賛成を投じ,大統領制の導 入が決定した( 26 1991, p.2)。

1991年 6月のロシア共和国大統領選挙の詳細な結 果に関しては,次を参照されたい。上野俊彦[6]20 頁。

伊東孝之[5]16頁。

ソビエトについて簡単な説明を加えておく。ソビエ トとは,ロシア語で本来「評議会」を意味する普通名 詞であり,固有名詞ではない。西欧諸国で一般的に考 えられる議会はソビエトとイコールの関係にはない。

議会は立法府としての役割を担うが,ソビエトは,立 法と執行権力の統一体として位置づけられている。連 邦レベルから村レベルに至るまで各行政段階に存在す る会議,評議会がソビエトと呼ばれた。国家の最高権 力機関として,ソビエト制度のピラミッドの頂点に位 置するのがソ連最高ソビエト(最高会議)ということ になる。しかしソ連時代には,実際の国家運営は共産 党が担っており,年に2回開かれたソ連最高会議は,

何ら実質的決定権を持たない機関であった。ゴルバチ ョフによるソビエト改革は,形骸化したソビエトの機 能を回復し,その権限を高め,西欧諸国の議会に近づ けることを意図していた。

ハズブラートフは,国家の最高権力機関を表記する 言葉とし て,ソ ビ エ ト( )で は な く 議 会(

)と い う 言 葉 を 用 い る よ う 主 張 し て い る。

14 1992, pp.1‑2.

“Ryzhkov Interviewed on Russian Presidency,”

Moscow  IZVESTIYA  in  Russian, 6 Jun 91 Union Edition in FBIS-SOV‑91‑111, 10 June 1991, p.84. 

[23]p.512.

[27]p.55.

“Ryzhkov Interviewed on Russian Presidency,”

Moscow  IZVESTIYA  in  Russian, 6 Jun 91 Union Edition in FBIS-SOV‑91‑111, 10 June 1991, p.84. 

1991, 17, p.510, 512.

上野俊彦[1]38‑40頁。

and

[28]p.120.

第1次憲法草案において大統領は,執行権を統括し,

閣僚の罷免権,憲法裁判所および最高裁判所の裁判官 候補者ならびに検事総長候補者の議会への提案権,法 律の停止権等を付与されている。また,首相のポスト

は設けられていない( ,22

1990, pp.1‑4)。

[38]p.416.

憲法草案の内容に関する大統領と議会の対立過程に

ついては,次を参照せよ。 and

[24]pp.110‑116; [27]pp.63‑68. ま た,草案における大統領権限の変化に関しては,次を 参照せよ。津田憂子[3]119頁。

1993年7月に先立って公表された憲法委員会によ る公式草案は,大統領の権限を大幅に制限する議会優 位型であった。大統領令の取消しを行う権利を除いて,

大統領の権限に対する議会側のチェック機能を容認し

(10)

ている。また,大統領の権限に関しては,大統領によ る議会の解散権,国民投票を布告する権利等を認めて いない。首相や閣僚の任命も,議会の同意や承認がな ければ,大統領は自由に任命できないことになってい

る( 8 1993, pp.9‑13)。

16 1993, pp.3‑6.

Stephen White[44]p.57.

[12]pp.50‑54.

Olga Kryshtanovskaya and Stephen White[13]

pp.711‑734.

Stephen White[44]pp.57‑61.

7 1992, p.1, 5.

24 1992, p.1, 5.

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8 1995, pp.1‑2.

[40]p.55.

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[定期刊行物]

Foreign  Broadcast Information  Service Daily Report Soviet Union  

[議事録]

[ロシア人民代議員大会/最高会議法令集]

参照

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