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昭和42年7月9日西日本豪雨災害に関する研究

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(1)

防災科学技術総合研究報告 第24号 1970年5月

627,14/.15:551.3: 551,577.61(521.84)

昭和42年7月9日西日本豪雨災害に関する研究

        呉市浜田川における土石流災害について

平尾公一・大久保駿

建設省土木研究所河j11部砂防研究室

Studies of the Disasters in Western Japan by a        Heavy Rain on gth July 1967

        0n the Disaster From Mudflow in        トlamada River in Kure City

       By

      Koichi Hirao and Shun Okubo          Pα舳cWoτん8伽8εαrcん1η8εゴ舳θ,τoん〃o

Abstract

   In July1967,a heavy rain attacked Westem Japan.The heavy rain was caused by a bai−u front stimulated by a tropica1depression.Many disasters occurred in the areas of Nagasaki,Saga,Kure,Takehara and Kobe from 1andslides,mudflows and floods of minor rivers.

   As an example,tlle disaster by mudflow in Hamada River in Kure City is taken up,and the movements of sediments on mountain−side and river bed are investigated from the viewpoint of sediment balance.

    H−amada River is a small but swift running river of which the basin area is about1.3㎞2,the river l㎝gth1.8㎞,and the average river bed slope22 per cent.The land surface in the basin consists of granitic rocks of Hiroshima type wllich are widely distributed in the Chugoku district.The mudf1ow at−

tacked Hamada Village in its Hat area near tlle exit of the vaHey.

   Methods of invegtigation are the cross−sectional surveying by using a pairofaeria1photographstake・beforeandafterthedisaster,andusi㎎the

measurements of variation of the sediments on mountainside and river bed.

   Though landslides occurred in the basin,only a few of山em supplied the sediments to the river,and the supp1ied vo1㎜me was very sma11.The greater part of sediment of mudflow was caused by the removal of fluvial deposit in the river bed,for which tlle vertical erosion in the river1〕ed was responsib1e.

Tllerefore,if tlle1ower1imits of vertical erosion in the river bed are known,

the vo1ume of sediment to1〕e removable by tIlis type of disaster can be esti−

mated,and the results seem to contribute much to the planning of erosion control works.

1.

2.

3.

4.

5.

まえがき 調査方法 浜田川流域概要・

地質 災害特性

目         次     108 6、土砂変動量     108 7.河床の形態変化     108  8.結論

    108 9.今後の問題点     111    謝辞

113 119 124 124 125

^ 現在の勤務官署:土木研究所河川部急傾斜地崩壊研究室

(2)

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学技術総合研究報告 第24号

1970

 1.  まえがき

 渓流に券ける適切な砂防計画をたてる際,災害 時に流出する券それのある土砂が流域内のどの位 置に,どのよう在状態でどれだけの量が存在して いるかが問題である.

 すでに新沢・柿・小出らは災害時の土砂源とし て河床堆積土砂の重要性を指摘し,従来の崩壊土 量中心の調査計画の組み方に疑問をもち,意識的 に河床堆積土砂量を取り入1れた調査計画の手法を 提案している.

 しかし,その後十余年間,現在に至るまで1=の 考え方を数量的に表現確認する手法は開発されな い ままの状態である.

 そこで今回,昭和42年7月の西日本集中豪雨

災害を対象として行なわれた特別研究促進調整費 による総合研究で,土砂による災害の部門を担当 し,土石流災害を発生させた広島県呉市の浜田川 について,流出土砂源の中で河床堆積土砂の占め るウェイトを数量的に計測,表現することを試み

た.

 2.調査方法

 モデル渓流として,浜田川を選んだ理由は,

 i)流域内にはいくつかの崩壊が発生し,土石   流として流下した土砂の中で河床堆積土砂の   ウェイトを知るのに好都合であったこと.

 1i)昭和42年7月の集中豪雨に上り,その前

  後で河道周辺が大きく変化し,土砂変動量を   計測するのに好都合であったこと.

 iil)災害前後に撮影した航空写真があり,かつ   災害後のものはその直後に撮影さ:れ,災害時   の状態の記録が良好であったこと.

在どである.

 調査区域は,浜田川本川源頭部に発生した崩壊 の頂部から海岸までの本川区間を主対象とし,他 に支川券よび新規に発生した崩壊のうち,本川に 直接土砂を供給したものを取り扱った.解析区問 長は約2.4kmである.

 調査手法は,すでに方法的には利根川支川渡良 瀬川で一応の目安はつけられているが,災害前後

に撮影した2組の航空写真(昭和37年5月13 日国土地理院撮影の/1OpOo,拾よび昭和42年 9月13日〜28日国立防災科学技術センター撮影

の/1oOoo)を用いて・2組の写真上に設定した河 道内同一断面に春ける横断測量を行ない,河道断

面積の変化を計測し,河道内の土量の変化を求め るものである.横断線ぱ約20m間隔に設定し,ス テレオオートグラフA−8機でそれぞれの時期の 横断線上の河床の標高を測定した.これと併行し て写真判読およぴ現地調査を行ない,河床の形態 的変化および細部の検討を行ない,計測で得られ た結果と照応させることとした。判読用には昭和

42年10月4日〜12日国立防災科学技術セン

ター撮影の大縮尺写真(レ3ρoo)を用いた、

 な春,災害前後の航空写真撮影時期には約5年 の問隔があるが,この間に今回の災害以外河道内 の状態はほとんど変化していないので,この2組 の写真によって今回の災害による変化をほぼ確実 に表現し得たと考えている.

 3.浜田川流域慨要

 浜田川は呉市東南の休山(501m)に源を発し,

南方へ約1.8km流れて瀬戸内海に流入する小渓 流である.その流域面積約1.3km2,平均河床こ

う配は約1/4.5である(図一1参照)。

 河道内あるいは河道周辺や山腹には階段状の水 田,果樹園などがよく開発されて拾り,河床には 河床堆積土砂が厚く分布し,また古い崩壊残積土 や崖錐性堆積物も各所に存在し,1二の上も階段畑 として土地利用が密に行なわれている.

 渓流の出口には緩傾斜の扇状地(土石流扇状地)

が拡がり,こ〜二も宅地や水田として利用され,

浜田部落の大部分はこの緩傾斜部〜平坦部に密集 している(写真一1参照).

 な歩,本川には災書前ほとんど堆砂していない ダムが2基あった.

 4.地質

 浜田川流域は広大な広島花陶複合岩体(東西

230km,南北50〜100kmに及ぶ日本最大

の連続貫入体とさ1れている)に属する.一般的には 広島岩体型の黒雲母花陶岩ではなく,多少とも角 閃石を含み色調もやや花陶閃緑岩質のものが主体

である.

 図一2の地質図では黒雲母花闘岩を粒度により,

粗粒部,中粒部,細粒部に分けた・粗粒部は石英

の径5mm内外の斑晶,長石も5〜1mm内外の

やや淡紅色を呈する角閃石,黒雲母花陶岩質岩石 が主である.中粒部は普通の完晶質花陶岩〜花闇 閃緑岩質部である.細粒部は灰褐色の堅硬,綴密 一108一

(3)

昭和42年7月9日西日本豪雨災害に関する研究一呉市浜田川におガる土石流災害について一 一平尾 大久保

図一1 浜田川流域位置図 な半花陶岩質部である.

 細粒ないしは半花陶岩質部は元来均質,堅硬な ため,風化に対して強く,また粗粒部も概して新 鮮である.一方、中粒部が最も風化が進んで春り,

マサ状に鉄部まで風化したり,表面がボロボロに ぜい弱化している.

 現在,河床に見られる露岩部は,従来水田など におおわれほとんど露出して拾らず,今回の土石 流で表面の被覆部が流出し去ったために現われた 所がほとんどであるが,なおかつ中粒部が最も風 化しており,土石流によって縦侵食を受けた個所 が多い.

 岩体中の節理等の割れ目については,図一2の 地質図に,

 1)比較的大きな断層性割れ目 (幅1m前後

  の破砕帯状のものを有するもの)

 i1)節理

 lii) 1),i1)の中間的な中規模の割れ目(若干の   破砕帯状のものを伴なうが,それ程連続性も   なく,周囲への影響の少いもの)

 1V)小規模の割れ目(節理の延長性が比較的良   好なもの)

の四つに分けて記入した.

 マサ化した部分はある程度,南北系の大きな断 層性割れ目に支配される傾向があるが,全体とし てぱ南北,北西〜南東,東西系のものが多い.と くに細粒部黒雲母花陶岩部分では細かい割れ目が 発達してし(る.

 今回の土石流発生と風化の程度,割カ目分布が いかに結ぴついているかは不明であるが,基盤上 を拾拾っているマサ土の他に崖錐性堆積物,旧崩 壌残積土,河床堆積物の分布,位置,あるいは割 れ目と支沢の形成,割れ目、節理沿いの風化はく 離を通じての表層ぜい弱体の形成,斜面から河道

(4)

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学技術総合研究報告

第24号 1970

     \

     、べ

口 

/  ,萎

       /

       ダ/

/   ・や

・身=、箏二蠣腸・

凡例

匹§・1一・災によ鮒

髭河麻鮒物

[コ・1一・災11よる流舳湘域

慶崖雛鮒物

麗覇閃紺一閉鮒ん岩

麗麗潮舳醐蛸鯛〕

圃顯跣榊部)

睡圓黒鮒舳醐〕

s趾酩ヒ表肚搬榊

[1コ痂肚部(朴鮒弱化11)

ロコ比鮒大さ棚脳か

ロコ榊榊

[コ小規榔裂が 田蘭1里

0   100   200

図一2

       、

      ぺ 、中ク

   !バ肺

浜田川流域地質図

  一110一

(5)

昭和42隼7月9日西日本豪雨災害に関する研究一呉市浜田川における土石流災害について一 一平尾 大久保

への供給形式と供給された物質の河道内での存在 状態が土石流発生と関連ずけられるであろう.

 5.災害特性

 西日本各地に大きな災害を発生させた集中豪雨 の原因は,台風7号の衰えた熱帯性低気圧とそれ に刺激された梅雨前線である.とくに被書が大き かったのは長崎,佐賀,呉,竹原,神戸などで・

市街地背後の山腹崩壊,土砂<ずれ,がけくずれ,

土石流,中小河川のはんらん等による災害が頻発 し,多数の死傷老,人家の損壊.田畑の流失埋没 などの被害が発生した・

 前線が九州〜関東地方に伸びていたため,強雨 域はその進路に沿って帯状に東方に移動してし(る。

低気圧の移動速度が速かったため。強雨の継続時 間が短かく、連続雨量もそれほど大きくないが,

短時間の降雨量が大きく,最大時問雨量について は各地で記録的なものであったようである.

      広島県内土木 表一1 広島県沿岸部の降雨量表(事務所観測 〕

「 ■

観測所名

最大24

同左日 連続雨 同左日時 降雨継

時日雨 続時問

広  島 125.5 8 5

9 5 189.5 皐§。8 38

221.0

819

91り 307.O

 8 3〃 920

41

甘日市

142.0  8 5 95 219.5  8 5 919 38

大 柿

193.5  819 919 251.0  8 4 923 43

加  計 117.0  816 916 146.0  8 5921 40 吉  田 119.O  817 917 147.0  8 5917 36 西  条 111.0  818 918 205.0  8 5918 37

竹  源■ 179.0  820 920 263.O  8 4 920 40

三  原 148.O  820 920 253,0  8 4 920 40

福  山 96,O  8 5〃 9 5 168.5  8 5 920 39

上  下 108.O  818 918 141.5  8 4 918 38 三  次 120.O

 818〃 918

144,5  8 2〃 918 40 庄  原 120.0

818

145.O 8 4

918 918

38

福  ]1

(松永) 102.5  8 4 94 185.7  8 4921 41 竹  原 164.5  820〃 920 209.O 8 4

(木之江)

920

40

㌻嚢昌、/

7榊

      卜      .      一

㌻余亀

 ぺ\

       .彗       長

災1. 暑

      〆

    徽   /

広島県、

寸う蔓

零︶

蔓粥

     大崎圃丁脳6       六汀町 鍔纂、蝪、。、

    肴/

  〔㌧.!

\、

         山     へ、  蔽

■雲 11一㌻

     9

潰   県

図一3 呉市周辺の雨量分布図

 呉市周辺の降雨の分布状況は図一3に示すよう に,連続雨量の最強雨域ば呉市を中心として瀬戸 内海沿岸沿いに竹原,三原の方に伸ぴている.

 呉測候所の観測による降雨量は,連続雨量(7

月8日4時〜7月9日19時)307mm,最大 24時間雨量(7月8日18時〜7月g日19時)

223mm,最大時間雨量(7月9日18時〜7月 9日19時)75mmである.雨の降り方を図一

4で見ると,最大時問雨量の発生するまでの前期

降雨量が約170mm程度(8日4時〜9日17

時,37時問)あり,すでに地表面付近は相当含 水している状態のところに,わずか2時間ほどの

問に約110mmという非常に強い雨が降り,斜面

の平衡状態が破れ一挙に各地で山くずれ,がけ<

ずれ,土石流などの災害が発生したものと考えら れる.したがって出水は急速で,瀬戸内海沿岸周 辺に多い中小河川の災害も非常に多いようである.

 山くずれ,がけくずれなどの発生は呉市〜三原

(6)

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学技術総合研究報告 第24号 1970

ξ50

}40

匡30

δ070805040302010 0 400350300250?OO150100 50

O  ? 0  2 0  2 24

O  1?

7日   8日   9日 図一4 雨量強度(呉測候所〕

250 盲

 E  }

?OO

 ε  酪 150口

loo

50

市の間の瀬戸内海沿岸周辺に頻度が高く,呉市に 券いてはとくにいちじるしい.

図一5は呉市の災害の規模を示したもので,が

けくずれ倉よひ山くずれ個所数1251か所,宅 地くず;れ202か所,死考88名,生き埋め者数

169名に達している。

 このうち,浜出川では死者4名,生き埋め老数

33名をはじめ表一2に掲げるような被害があっ

浜田川に拾ける災害の形態としては,源頭部で 崩壊が発生し,崩土を含んだ流水が流下してゆく 問に,河岸や河床を削って量と勢力を増しつつ土 石流となって流下し,渓谷部を出た緩傾斜部で多 量の土石をぱんらん堆積させた.この緩傾斜部か ら海岸までの間は両岸倉よび河床内の土地利用が

、片

㌧、

.ノヘ

7へ

図一5呉市災害図

農   地 21 河川砂防海岸

18.214

浸*水面積︵ha︶

宅地その他 2

公施共設土被木害︵千円︶

農地農林漁業用都市施設等

8,939

23

27,153

全壊流失 10 一般資産

11,956

半壊床上浸水 27 農 作 物 819

 *一被般資産害︵千円︺

建物被害︵戸︺

床下浸水 43 営業停止

5,061

80

17,836一

*この数字にぱ隣接する大入川の数字も含む

      表一2 浜田川の被害状況

         一112一

(7)

≡舳口4211.7」」911州1水釦以㌃W〔関する研究=一呉市浜出川にお吋引.イf流災州(ついて一 一Ψ/ 大.久1111

一ノ \.

簿迂葦議二。.

⊥ナい  2  ト.イ≡∵ ..∫、ゲ1.」(1∵・!■・ヨ,ド

泌= し,、1一ニプ、}ポジ川■、一ポペーll■」ジ.」・㌧,.・.■上」ポI−1以

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.支た今佐も土イ.i流にll。・て 1グ1ナ」る元主険り高い、吹であ る.そして,こハらの地域の{1イf汁に工1る災」、韮手=£

一時に大最=の人命,財産を.奪うも・りて あるの■こ,

今後の砂防計画のりiでも橘梅山にβ力謹災を土1又リ人 れるぺきである.

 6, ±砂変勤量

 ■j1ゾープl1・一1ポパいi二」。・!、i ・≡、;!、;。へ、,..〜く ガ1。]・、ナ.

.,け■1」、l1二 二■1■∴二No. 12火11㌧、1い,I1 ■ 1.しj へ■こL一一ポ1小ナ〕地.l11亡こり≒箏、外一1.■一」は約 71.〕1川mJ,乍琳牛1I■.}二約Z5,O1川・i;{で, .…

12丈ジイ。へは約刈6,OOい。1・{/川1紗、1コ:ll■」i・し、1二。

No.一12」、りトI流てのL{しノ、水密集地帝て刈線 の.1lと定か{難、,㌻典撮景.1口、ド■こド山11作茱等で推 舳〕沙の除去が行われて」タ。、り1L脈二{二H千;一〔っ;ゲ。

1二くい,稜傾斜舳て流ハカ;切、散L、,一級凶fヒ機て も、t山定イ;H]有E三^写の♪量山!一二より江jい這はイ了なわな;づ上つ た.こ川メ.吐り」二砂召1鋤』二」の推定値として呉市役

/方によω竹料,現地閥、、込み,痕跡,、ポポ{1、エニ ;1・ら

炎一3 土砂変動量総括表

堆 積・ 一量(m3)

洗 掘 姑(m3〕 五勤1一穴 (mJ)

…1 帖

汽分率(%) ゾ  十;= 1二1 分率(%)

土  量

r1分率(%)

本    川

11,879 85.1 レ1(8,30び)57,955 (14.3)89.1

一46,076 90.2

A 支 川

1,972 14.1 (1,lUU)3,9刈8 (27.8)6.1 一 1,976 3.9

B 立 川 107

O.8 3,143 4,8 _ 3,036 5.9

C 支 川

1,677 1.183 十  49・・一

…2

合   、1卜 13,958

100

65,046(9,!00)

1OO

(14.4j 一一51,088 loい

第一堰堤より

下流No.12まで

9,316 4,749 十4,567 総   計 24,951 70,978

⊥46,027

l1 ( )は川壊に。仁ジ」1産1三ハた」二砂屋二 十12(.〕支川の」1.}=1.上含まない.

(8)

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学技術総合研究報告 第24号

1970

表一4に示すような値を得た.

 No.0(第一堰堤)から下流は土石流がはんら ん,堆積した区間であるので,浜田川全川を第一 堰堤を基準に考えることにする.そうすると,こ こまでの全洗掘土量は約6,5,000m3,全堆積土

量は約14,000m3で約51,000m3の土砂が第一

堰堤を通過したことに在る.

 第一堰堤 までの間で生産され,あるいは移動し た土量中崩壊により生産さ二れたもの,および河床 堆積土砂が移動したものに分けてその割合を調ぺ た.この両現象の境界としてNo.61をとり,こ れより上流での土量を崩壊によるもの,下流での 土量を河床堆積土砂の移動によるものとした.A

支川についても同様にNo.A−cで分けた(B支

表一4 下流部堆積土砂量推定値

堆積土量

  312,400m

呉市役所調ぺ

道路(国道沿い)

1,600

土木研究所推定

2,400

2,100

沿 1,300

2,800

復旧工事による海中投棄

4,500

27,100

川,C支川は後述するように本川へ土砂をほとん ど供給していないので除いた).

 その結果,崩壊により生産された土砂は本川で

8,300m3,A支川で1,100m3,計約9,400

m3である.これは第一堰堤 までの問での全洗掘

土量約65,000m3の約14.5%であり,残りの 約55,600m3,85.5%の土砂はほとんど河床

堆積土砂の移動によるものである.すなわち土石

[コ1佳和 醐=先洞

d允,

筍二蛆t是

工石州支総括   写一姐虚

8?9

9.94

4.294

 芥

   累言十輔〜

肋.;3一…匝 舳2一一一一団 一一萄一一一一E璽

〃1.4一一一一一[固

一一一一…一国

膿1;洲猟2

        ∬oo

    ,卿腺〜o.1?

  上一了.「00… よ1下糺

言r与、き1下9?r   ・1−r・一一一E配

、宙、。舳、 z \   。

      !淋\噛苔;漸帯

函団  ・1汕

       預戸内詞

   図一6 浜田111流出土砂量収支図

流となって流下した土砂の土砂源として河床に堆 積していた土砂の二次的な移動が非常に大きなウ ェイトを占めていることが明らかとなった.この ことは同じ花嵩岩地域である六甲の住吉川(昭和

42年7月豪雨),昭和41年9月山梨県西湖災

害(御坂層群に属する第三紀層地域)についても 同様の結果が得られている.

 つぎに,流出土砂源中で大きなウェイトを占め る河床堆積土砂は、主として河道の横断方向.の拡大,

あるいは河床低下いずれによってもたらされるか を調ぺた.図一7は各地点の土量の変化券よぴ最 低河床高の変化量を同時にプロットしたものであ

るが, 細部はともかく,一見して両者は非常に 関係のある動きを示していることがわかる.す在 わち,河床低下がその地点(区間)の土砂の変動 量を規定していると考えることができる.もちろ ん,河道の横断方向の侵食の拡大による土砂量も あるが,その区間に券ける土砂変動量を規定する ほどの影響度はないと考えられる(ここで,河道 の横断方向の拡大を調べる場合,河幅の定義が問 題となる.とくに災害前後で河床の形が大きく変 化したようなところでは災害前の河幅を決定する 基準が得がたい).

 したがって,災害時の流出土砂の重要な部分を 一114一

(9)

平尾 大久保 昭和42年7月9日西日本豪雨災害に関する研究一呉市浜田川におガる士石流災害について一

柵  撃

漫く口︵5桐側 祐︷漫桐付 漫<口亀︶桐担

軸十愚無員映 c8︶

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(10)

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学技術総合研究報告

第24号 1970 柵   撃 祐く口桐持

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(11)

平尾 大久保 呉市浜田川に倉ける土石流災害について一

昭和42年7月9日西日本豪雨災害に関する研究

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(12)

昭和42隼7月豪雨災害に関する研究 防災科学技衙総合研究報告 第24号

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(13)

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浜田川下流部土地利用状況(1/3,000航空写真より〕

写真一3 災害前の状況(昭和37年5月13日撮影航空写真)

(14)

昭和42年7月9日西日本豪雨災害に関する研究一呉市浜出川にお ける土石流災害について一 一平尾.大久保

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図一7 土量と最低河床の変化 占める河床堆積土砂の分布,なかでもその堆積の

厚さ分布を事前に調べることによって,災害時に 流出するおそれのある土砂の概略の量拾よびその 位置を予測することが可能と思う.

 な春,No.61で崩壊部と河床低下部を分けた

根拠は,

 1)No.61を境として,そのド流は崩壊、士砂   の流下にともなうごく薄い表層のはく離の   行なわれた区問であること,

 ii)No.61より下流では残土部が分布するこ   と

なとである.

 7.河床の形態変化

 現地調査および判読を加えて災害前後の河床の 変イヒを杉…討してみる.写典一3, 4は・それ千ハ浜 田川の災書前後の状況をホしたものてあり,凶一

8は災害後に河床に新たに堆積した土砂の粒径ご との分布拾よび土砂変動量を模式的に描いたもの,

図一9は災害前の河道周辺の土地利用状況および 河床の形態変化などを表わしたものである.図一

10に示すように本川をA〜Lの区聞に分けて考

える.

 Aは崩壊部,Bは崩壊土砂の残.土部およぴ崩壊 士砂の流下に伴カう表層のはく離と縦侵食の行な われた区問である.今回の土石流の端緒となった のぱ,このA区問の崩壊と,A支川源頭部の崩壊 と考えられる.本川崩壊の最上端 をみると,地表 には花陶岩の 11錐性角礫が散在しており,その下

20〜30cmの厚さで腐植土があり,そのドlmの

あたりまでが角礫まじりの黄〜黄暢色のl11銚〜葡 伏性の舳楮土屑で,その 卜 舳寸深丁三3mあたり咳

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なっている、この郁分は節榊もわ一か㌧なくなり,

写真一5 本川崩壊部(No.65付近)

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(15)

1970

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学枝術総合研究報告 第24号

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(16)

昭和42隼7月9日西日本豪雨災害に関する研究一呉市浜田川におガる士石流災害について一 一平尾 大久保

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図一9 河床の形態変化

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(17)

昭和42年7月豪雨災害に関する研究 防災科学技術総合研究鰯告 第24 号  1970

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図一10 浜田川縦断図

石英粒が残っているが,いわゆるマサ状にぱなっ

ていない.このドぱ細かい亀裂の発達した風化花 嵩岩体を維て比較的堅硬な節理の発達した岩盤と なっている.崩壊縁辺部の状況から,崩壊は崖錐 一崩積土層と塊状風化帯の境界付近で起ってお・り,

塊状風化柑もかなりの侵食を受けたと想像できる.

N・.55付近には河道の真中に階段畑が破壊されず に残り,自然のタ ムを形成し,この部分で崩壊土 砂は相当止められたと思われる.これは計測の結 膏}から.士明瞭でなし1(㍗真ポ 7)・

写真一6 河道内の階段畑(No.55付近)

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㍗真一7 写真一6の河道内階段畑⊥流の堆砂状況

 (一け八支川〜∫….二に.仁る影響なとで十1砂む堆干;1iか 多くレポバレ■x. 1ザこある.理地、淵査の結[壮いニレ1・

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(洗掘)の最も大き:な1メニ問である.全!刈りにわた って基岩が露出しているが,他の区閉とは異なり 基岩は堅固ではな<,マサ〜塊状に風化して倉り

(18)

昭和42年7月9[晒日本豪雨災害に閥する研究一呉伽如川におけるLニィ1流災書について一 一平尾 大久保

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図一11 土砂変動量累加曲線

r500  童巨陸 河床堆積土砂がことごとく流送されてしまい,さ SO HO舳妻魯弓らに基岩 までも激しく縦侵食が行なわれた区問で        ある(写真一8).

        G,IおよぴJは河床低下およぴ土砂変動量

       (洗掘)のいちじるしい区聞であり,同時に渓岸        侵食もいちじるしい(図一9).

        この区問の基岩は堅固であり,その上にのって        いた河床堆積土砂(ほとんど階段畑として利用さ        れていた)はすぺて流送され,両側の階段畑も大        きくけずられている.Jではこの階段畑は流送さ .        れずに残っている部分が若千ある(写真一9).

        Fは災害前から認められる落差約30〃の滝で        あるが,このほかに災害後滝状河床になったとこ        ろがNo.45付近,No.19付近の2か所あり,いずれ        も滝の下流では洗掘は激しく行なわれている(図一8        拾よぴ10).

        HかよひKはそ二れそオ1第二堰堤,第一一一堰堤の堆        砂区問である.これらダムはいずれも高さ6mで        あり,災害前にははとんど堆砂していなかったが,

       今[口1の土石流で満砂した.その堆砂量は第一堰堤        4,294㎡.第二堰堤829㎡,計5,123㎡であり,

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1与真一8 No.44付近の河床仏ド(点線ば災害前の河道,実線は災害後の河道形状)

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(19)

昭和42隼7月豪雨災害に閲する研究 防災科学技術総合研究報告 第24号

1970

写真一9 No.16付近の河床堆積土砂の流出

第一堰堤書での全洗掘土量65,046㎡の1割に

も充たないが,堆砂量そのものよりむしろ,堆砂 地付近の河床堆積土砂の再移動防止,および土石 流滅殺効果は大きく評価されるぺきである.

 Lは第一堰堤より下流で土石流が拡散,はんら んし,田畑を埋め家屋を傾嬢させた区問で,谷の出口か

ら拡がる緩傾斜部である.

 つぎに,支川により生産された土砂が本川にお よほした影響度合いをみると,A支川の影響は大 きく,全体で3,948㎡の洗掘があり,このうち 崩壊により生産されたものは前述したように約

1,ユ00㎡である.堆積土量は1,972m3で,1.9766

㎡の土砂が本川へ供給されたことになるが,現地 調査の結果から崩壊土砂の流■卜 よりむしろ合流点 付近の河床〜斜面上の河床低下による土量の方が 影響度は高いようである.B支川は計測によると,

全洗掘土量3,143㎡のうちのほとんどの3,035

㎡の土砂が本川に供給されたことになっているが,

現地調査の結果,ほとんど合流点付近の階段畑で 止められているようである.この点,計測の結果 とは若干<い違う.言た,C支川は計測によると 全体として堆積傾向と在って拾り,書た現地調査 の結果B支川同様本川への供給土量はほとんどな

く,土の状態の変化による密度変化などの影響が 考えられる.

 8.結論

 従来から重要さを指摘されていた河床堆積土砂 の流出土砂中に占めるウェイトを数量的に検討し た結果,河床堆積±砂は災害時の流出土砂源とし て非常に重要な存在であり,浜田川につし(ては全 生産土量の約85%を占めていたことが判明した.

 かつ,河床堆積十砂の移動量の多少はその地点 にふ・ける河床低■ド深の大小と非常によく似た傾向 をホした.

 こりこと、小ら,河床堆械.L砂の堆榊掌さ分布を 調べろことによって,災苫時のL砂流出の姑的予 測に結ひりけることがll」■育旨になるであろうと思わ オ㌧こ1れかてき力は,刈策なとの判断に有効に使 川できんであ■〕うと思オ・ハる.この河床堆枯十砂 の堆磧〃さの堆定には卿性波探査も考えりオ」るの で,現在モデル渓流に1島・いて試験を実施中である.

 このほか,流出土砂11・,崩壊により生産さわた 土畠1の占める割合は大きなものではなかったが,

土石流発生の契機として働いたと考えられる.ま た,河道周辺の土地牙一」用のための人⊥的地形改変,

下流緩傾斜部でのやはり土地利用のための不自然 な流路の狭少化,屈曲などが災害の規模を大きく したであろうと考えられる.

 9.今後の問題点

 以⊥の調査から,この手法を今後他の地域で用 いる場合に留意すぺき事項等の諸点を掲けると,

 1)航空写真は災害後ただちに撮影することが   望ましい.災害時または直後の状況を完全に   記録できる唯一の手段であり,かつ広範囲の   情報を擬供するものであり,その利用度はき   わめて高い.災害後人工の加わらない間の撮   影は後の解析の精度を高めるものである.

 ii)撮影する航空写真は,災害前後できるだけ   同一縮尺であることが望重しい. また,同一   コースで撮影するよう計画することが望重し   い.これは精度の大小はもちろん重要な問題   であるが,災害前後で同一の精度での測定を   行なうことの方が目的にかなっているからで   ある.本報でとりあげた調査の場合には撮影   縮尺は1!〔OρOo・測定は1/i,oOoが適当と   考えられる.

 iii)河床堆積土砂の再移動はド流堆積地へ流出   した土砂の主要在部分で,主として河床低下   によってもたらされることがわかったが,な   拾河道の横断方向の拡大によって生産される   土量の影響を調ぺる必要がある.これには災   害前後の変動範囲の設定にあたって同じ条件   で扱うことのできる基準が必要である.

 1V)崩壊現象そのものによる土砂の流出と,そ   れに続く河道の洗掘による土砂の移動は元来

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