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Academic year: 2021

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(1)

印 象 深 い 思 出 と 解 決 し た い 課 題 浅

香 幸

雄 歴史地理学会は昨春創立満ニ

O

周年を迎え︑

米合会長の広島で記

念大会を開き︑

その記念紀委も今春学会に提示した︒こうして本学 会はいよいよ青年期に入る︒まさに思出多き二

O

年ではあるが︑

め織に印象に残る二・三について︑求められるままに綴らせていた

だくことにする︒

一︑後関誌は紀要形式て 創立総会にあわぜ行われた研究発表会のテ!マは﹁歴史地理学の

つぎに起ってきたのが学会 本質と方法﹂であった︒創立草創期に

(当時は研究会﹂

の機関誌をどうするかということであった︒その ころまでにできていた地理関係の諸学会(日本地理学会をはじめ︑

人文地震学会・東北地煙学会・::;:)は︑すべて雑誌形式をとり︑

わが学会は︑会員数︑したがって

年一二

l

四回のものを出してレた︒

発表数

‑ W

﹂考え︑紀要形式で年一回発行するということとなった︒

紀要持︑いままで各国ぢともテ i

マ主義をとってきているが︑これ

もそのときにきまった︒それにはいろい切ろ意見があったが︑ A

︑ 新 学会であるので既製の諸学会に対して新機戦を出そう︑

というのが

第一であった︒ B

︑ そ れ に 学 会 の 財 政 と レ う こ と も あ っ た

︒ 何 し ろ 創立当初の会員数が一

OO

人余︑半年しても一三

O

人位しかになん

CCC

円程度の会費で︑学会を運営してゆかねばならない

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︐ ム

OJJ‑ w

ので誰しも運営貨が顕

K くる︒テーマ主義にすると︑それは十八学の

忍 論 研 究 の 手 引 書

K

っかわれるかも知れない︒それによフて会員外 にも買われてゆくと学会運営を助けてくれることになる︒それには.

﹁自由論題中心の雑誌よりもよりよいであろう﹂といったところで︑

テーマ主義

K

落ついた︒それが大当りとはいえないが︑パックナン

F

L

パーは年とともに減っていって︑

いまは最近発行の数号介だけしか 残らないという禿行好調の原因になったのではなかろうか

( 何

し ろ

︑ 紀 委 第 一 号 の 印 刷 代 が 発 行 後 一 年 し て も 払 え ず

︑ 次 年 度 の 会 費 れ 前

批判分で埋めてい・た当時からすれば︑何をするにも財政のことを考え

それから︑

c

︑ ねばならなかったのである︒

テ!?であるが

れ は学会の大会テ

l

マに一致させることにした︒すなわ︑現在まで償 例となっているものであるが︑

それは紀要にのせる論文は︑会い

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数に開いてもらい

い ろ い ろ 意 見 守 ﹄ 開 き ︑

のち自らも検討を手心だ ものを掲散すべしという論文作製の一般論そのまま

( 治

ι

にいえば

学会の討議を経ないものは幹載せるべきではない) というのが基本姿勢にあヲたのである︒

を実践してゆこう

こ う し て ︑ 第一号の﹁原理と方法﹂についで︑第二号は歴史池田川学

の室︑証的研究のはじめとして﹁地域の変貌﹂:・:::と号を象ねるこ

とになヲたのである︒

そ の 売 れ ゆ き は 仮 風 満 帆 と は レ え ず

し か

し ︑

会員に対して︑

それぞれの勤先の図書館の購買図書に加えてもらっ

(2)

た り

︑ 講義の準テキストにつかったりもして︑

販 売 速 度 を 早 め る の に協力をお願いしたのであった︒

こ の 紀 要

・ 大 会 の 論 題 を テ

i

マ に す る ー そ の 発 表 者 が 成 稿 し て 次 口ちにのせる!とレう方式は二

O

号をこえた紀官官の内容の充実と学会 財 政 を 補 っ て き た こ と は 歪 め な い と 思 う

︒ 途 中 で 財 政 事 情 も あ っ て 発行予定の一口万円けが遅れていたが創立数年後に同じ年に二飛を出し て︑その欠を補えるようにまでなった︒また紀要一編集は︑会員・役 員のち大の労力奉仕によっているが︑それが門人大であるので︑

版社に編集を代行︑

そして発行﹂してもらうべく交渉したが︑

受入 れ ら れ な か っ た こ と も あ る

︒ ど の 学 会 も 経 験 し て い る 創 立 数 年 間 の

・ 慾行の一つといえよう︒門田山文化財団が学会の助成にも応じていら れることを開いてそれを頼人︑

数 回 に わ た っ て そ れ を 頂 戴 す る こ と

ができたのも︑

あ る い は こ う し た ま と ま っ た 業 績 ( 本 に な ワ て い る ) も考慮されてのことであろうか︒

とにかくこうして歴史地理学紀要は︑

発 行 数 は 延 一 万 数 千 に の ぼ り

︑ 研 究 者 の 座 右 に 届 け て い る の で あ る

︒ こ れ は 会 員 通 信 か ら 会 報 に発展した本学会の忠実で有意義な大きな業績とレえよう︒

︑ 東 京 以 外 て の 大 会 学会がその本部のあるところ以外の地で大会を開くことは︑

歴史 地理学会だけのことではなレ︒

い ま は む し ろ 学 会 ら し い 学 会 の 常 例 と な っ て レ る こ と で あ る

︒ 歴 史 地 理 学 会 も そ れ を 何 回 か 行 な っ て き ている︒初期の夏め長野・富山の問符民学一夜大会をはじめ︑

近年は

京 都

・ 広 島 な ど 会 長 さ ん 方 の 拠 点 地 域 で の 年 次 大 会 が 行 わ れ る よ う に な っ た

︒ そ れ ぞ れ 本 部 所 在 地 で は 求 め ら れ な い 貴 い も の を 得 て い 最 る ︒ 初 の 長 野 夏 期 大 会 ( 於 長 野 大 学

i

旧 称 本 州 大 学 ) は

︑ 初 め て の こ と で あ り

︑ 準 備 期 間 も 十 分 と は い え な か っ た が

︑ 会 場 の 大 学

P

元 市 町 ( 上 田 市

・ 丸 子 町 )

︑ 県 地 理 学 会

︑ 県 教 委

︑ 県 内 の 教 育 話 回 体 ( 中 高 校 の 社 会 科 や 地 理 研 究 会 )

﹁ 出

の 大 変 な 協 力 の も と に 行 な わ れ た

︒ 開 会 の と き に 会 場 が 超 満 員 ( 約 三

CCO

名 ) で あ っ た め に は 先 ず ピ ッ ク リ し た

︒ 巡 核 が 第 一 日 の 夕 刻 ( 丸 子

・ 上 田 近 窃 と第二日 の終日の二回にわたヲて行なわれ︑いづれも大型パス一二台にマイク ロバス二台が動員され︑第二日は北国街道上を軽井沢︑

ついで中山 道 を 望 月 宿

! 和 田 峠

l

霧 ガ 峯

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諏訪のコ

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ス で

︑ 単 独 行 で は と て

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望めないコ

1

スの索内を受けたことが印象的である︒

富山夏期大会(於富山大学)も盛んで充実してい︑た︒これも開会 時に二

CC

名 近 く が 集 ま っ て い た

︒ 会 員 の ほ か 扇 状 地 同 人 会

・ 勉 学 会

・ 大 学 教 官 ( 経 済

・ 文 理

・ 教 育 三 学 部 と も )

‑県史編さん霊の関 係者がそれぞれ次々と研究発表に立たれ︑

地域認識を大変探め得た︒

古 代 ( 越 中 国 府

・ 国 分 寺

・ 中 世 ( 倶 利 伽 羅 古 戦 場

・ 井 波 の 寺 内 町

l 彫刻)︑近世(高

岡 城

・ 瑞 竜 寺

・ 高 向 銅 器

・ 庄 川 松 川 除 堤

l

砺 波 平 野 の 防 水 ) の 代 表

巡検は富山湾岸の新港地域を皮切りに︑

一 の

宮 )

的史跡・文化財︑

そ れ に 砺 波 の 散 村 ( 個 人 宅 の 内 外 も 拝 見 )

と 曲

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なスクジュールであったが巧みになされた︒

このときも︑県

‑ P れ は い 向 友 会

・ 萄 工 会 議 所

・ 関 係 市 町 か ら 大 き な 援 助 が 寄 せ ら れ た

(3)

京都・広島はともに会長のもとで︑会長も多く︑

それらが中心と

なって真の日子会の名にふさわしい︑

充実した研究発表の連続であっ た︒巡検は二珪もつくられ︑+八民と奈良方面をまわり︑広島では広 域化した市域のほぼ全域と{ロ口忌にわたって︑それぞれ現地認識を深 めることができた︒両大会とも関東からの参会者も多く 不案内だった.フランクを十二分に埋めることができた︒

いままで

来 年 は 東 北 で の 大 会 準 備 が 進 め ら れ て い る と 聞 く

︒ こ れ も 大 き な

楽しみである︒

ア ﹂ R ノ ' レ

J

歴史地理学会の大会の開催網は︑次第に拡大され︑

央日本から西南日本︑

そ し て 東 北 日 本 へ と 全 国 を お お う こ と に な り つ つ あ る

︒ そ し て 今 ま で 他 学 会 の 機 を 刺 用 し て よ う や く 得 ら れ て レ た日本の諸地域についての認識は︑

これからは焦点を歴史地震にし ぼ っ て 急 速 に 鉱 げ ら れ て い く こ と に な る の で あ り

︑ 歴 史 地 理 学 を 飛 碍的に発展させることになることであろう︒

︑ 歴 史 地 理 学 会 の 発 展 と 課 題

こうして創立当初一(い

C

人 そ こ そ こ で 発 足 し た 本 学 会 は

︑ 現 在 は 六

OO

人近くにまで増加した︒

また大学における歴史地理学の研究・

教 育 機 構 上 の 位 置 づ け も ま た 拡 大

ιr Z4

つつある︒例えば︑筆者の在

厳してし

V

た現筑波大学も︑ 新時筏一の思九日ににあたって地球科学系の地

F

在学が増設されたほか︑歴史・民俗系に歴史地理学の一誇座(誇路一組絵は筑

波大にはないが)が設けられてレる︒また口門学の地嫁科学系教室の 外国留学が著しく多くみられるが︑外匡めか}理学における歴史地震

学 の 比 重 の 大 き い こ と ( 七

C

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は歴史地理学)

に認識が深められ︑

そ の 影 響 が み ら れ つ つ あ る こ と も 湾 い て い る

︒ 長 期 に は な ろ

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将 来

︑ 地 理 学 の 研 究 方 法 に 歴 史 地 理 学 的 方 法 が と め 入 れ わ れ て は く ことは否めないであろう︒教養設程の地理学が歴史地理学め↑々岡を 強めることも考えられる︒

小中高の教育課程は︑ 過般ヰホの改訂が次第に実施段階に入れリ勺門戸

あ る

が ︑

歴 史 地 理 方 法 の と り 入 れ を 強 調 す る 考 え が 強 ま り ( つ あ る

と 開 く ︒

中 こ う し て

地 理 学 の 研 究 と 教 育 の 方 向 が 次 第

K

歴 史 地 理 学 的 傾 向

を強めることになり︑

われらが年来主張している地域研究め方向が︑

緩徐ではあるが我主張の方向よりに動きつつあることは認めム一れる

f

ところである︒

こうした歴史地理学人口の増加

地 理 学 の 研 究 と 教 育 それと義 務教育や中等教育における教育方向等を考え併せると︑

それをい払 平くから推進して来た本学会の先極的役動は大空︿評低きれ︑

e

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や 将来に向かって極めて重要な役割をはたすのである︒

それに対処して︑ すでに学会執行部では会報を判官一展させて﹁雑誌﹂

へ の 案 が 検 討 さ れ て い る と 聞 く

︒ そ う し た 捧 懇 が 打 ち 出 さ れ た こ と は

︑ 本 会 が 物 心 両 面 に 充 実 し つ つ あ り

︑ 意 慾 的 活 動 を つ づ け て い る し る し で あ る

︒ 会 員 の 業 織 の 阜 期 掲 裁 と 学 会 と し て の 中 七 的 活 貨 が よ 句 活 発 化 し

︑ 進 展 す

J

ることでまことにか和麿である︒ただよ

Et

し た

如く︑いままで本会が中心的発表機関としてきた配置女とめ関仔︑線一吉見

発行につレてのプラス一回とマイナス面について冷静・慎重に紀要と

(4)

雑 誌 の 両 立 の 可 能 性 と 只 体 的 方 法 そ れ に 経 安 も と も な う こ と な の で財政面からの吟町内をも加えて︑ 妥当紘一一を導出した上で︑

そ の

中 十

︑ 施

に 踏 み 切 っ て 頂 き た レ の で あ る

︒ さらにもう一勺︑

歴史川崎湾学会は︑ 目下のところ︑

そ の 法 的 位 置 づ け は 在 意 学 術 団 体 で あ る

︒ こ れ を 学 術 会 議 が 学 術 団 体 と 公 認 す る

町一助走学会!学術会議 muA

五 円

以 絞

祈 若

干 比

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出 版

助 氏

金 め

配 戸

川 一

その

位 三 六 資 格 を も っ

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に 寸 る こ と で あ ろ う

︒ 学 会 と し て の 業 績 は 二

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口ちにあまる紀安がそれを与し︑ム五日いの分布は全都道府県⁝にわたり︑

そ の 校 時 は 十 二 号 に

↑ 允 た し て い る

︒ そ し て 近 き 将 来 に お い て 公 式 的

にも日ドの有力学会一

hy

つ と な る こ と を 望 み そ の 早 期 実 現 を 黙 し て頂ぎたいのでみ

F J る ︒

、 創 立 以 米 治

一 年

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セムロの百九区のために全力会﹂傾けてしただいた会

円以・役い一芯兄をはじめ

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ザ一日間わヲた自由山文化財団はじめ

札 一

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村 山

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向 山

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し て

︑ 改めてん)から感謝し︑今後の健闘をお 軒町し︑ また校野︑三一をお飯いするものである

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( 開 和 国 一

1 m

八 年 度

︑ 会 長 お よ び 常 任 委 員 長 兼 務

H

専 修 大

学文学部教授・東京教育六時一一名誉教授)

参照

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