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Precesses of Emerging Charisma of the Foundersin Japanese Firms: Analysis of Scenarios ofPower Games in Japanese Firms : (II)

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

Precesses of Emerging Charisma of the Founders in Japanese Firms: Analysis of Scenarios of Power Games in Japanese Firms : (II)

日置, 弘一郎

https://doi.org/10.15017/4491746

出版情報:經濟學研究. 52 (1/4), pp.355-372, 1987-02-10. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

ー一企業における権カゲームのシナリオ分析

I l   ‑

日 置 弘 一 郎

本稿は日置

1985b

に続き,企業内での権カゲ ームにシナリオ分析という概念を導入して,組 織内の権力についての分析を進めようとする試 みである。この試みについての概念等は日置

1985b

で論じたので,本稿では詳論しない。基 本的な理論仮説や概念については日置

1985b

を 参照されたい。

1.  方法上の問題点の再整理

日置

1985b

及び本稿で理論の素材とするのは,

1 9 7 9

年から

1 9 8 4

年までの日経ビジネス誌のニュ ーズレター・トップ人事というコラムでの企業 のトップの動向や,交代の予測・解説を中心と した記事である。この記事はいわゆる人事につ いてのゴシップに類するものであり,これを社 会科学の理論素材とすることについてはなにが しかの方法的裏付けを必要とするであろう。す なわち,このニューズレター・トップ人事の記 事が予測記事であり,また,記事の書かれた意 図や情報ソースが明示されておらず,さらには 記事そのものも事実をつげているというよりは 伝聞や噂・社内世論として述べられている。こ のため,どの程度の情報バイアスがあるのか判

本研究は日本証券奨学財団昭和61年度助成をうけて いる。

定することは不可能であり,事実をそのまま伝 えているという保障がないため,記事の内容と 実現した結果は必ずしも一致しない。したがっ て,日置

1 9 8 5 b

ではその点については,『分析は,

与えられた情報が事実であるか否かの判定を留 保し,あらわれた記事で述べられた現象の類型 化だけ試みる』と述べた。

この点をさらに補足しておくと,日置

1 9 8 5 b

で の議論は,記事の事実との対応を問題にするよ りも,その記事が書かれたという事実に依拠し て議論を進めようというものであった。本稿で はこれをさらに進めて,日経ヒ ジネスの記事を テキストとして位置づけ,このテキストを読み 解く作業であると位置づけたい。このようなテ キスト読解の作業であれば,テキストの内容の 真偽自体は問題にする必要はなく,テキストの シナリオという概念も,テキストの内容の類型 という意味でより明確になる。日置

1985b

の表 現であるいは誤解を与えたかもしれないのは,

このような日経ビジネス誌の記事を事実として 扱った事例研究を行い,実証研究を行うという 意図を持っているかのような印象を与えうると いう点である。基本的には実証における事例分 析は,背後にその社会現象についての母集団を 想定するものであり,大量現象のなかで特定さ れた事例として位置づけるという性格を持つ。

本稿では,このような母集団の存在を想定して

(3)

経 済 学 研 究 いない。これは,個々の企業内での権カゲーム という社会現象が果たして大量現象としで,平 均や分散といった母集団のパラメーターを介し て理解できるのかという点で疑問を持つからで ある。

もっとも,テキストの読解ということになる と,直接の社会現象とは距離を置いた分析であ り,社会科学の方法論としても充分に理論的に 基礎づけられた標準的な方法が確立しているわ けではない。この意味では実証研究における事 例の代替として日経ビジネス誌の記事を用いる と述べた方がこれまでの学問的蓄積との連続性 を強調でき,容易に共感が得られるかもしれな い。しかし,この方法はあくまで日経ビジネス の記事を事実として扱うことが要請され,社会 現象と記事の間に何らかの主観が介在すること を拒否している。テキスト分析であれば,記事 が書かれたという事実だけではなく,この介在 する主観(テキストの記述者ー記者)の意図を も分析の対象とすることが可能であり,本稿で の分析の目的にはテキスト分析という方法を適 用するとした方が適当であることは言うまでも ない。しかも,現象の表層のレベル

( p h e n o t y p e

=表現型)での分析ではなく,現象が発生す るメカニズムのレベル

(genotype=

遺伝子型)

での分析でシナリオという概念を用意してい るため, このレベルの分析は主観的解釈を含 むもので,多様な解釈の可能性を排除するも のではない。この意味からはテキスト分析と しての性格づけがより適当である。この点も 考慮した上で,本稿ではあえて方法が未確立で はあるが,より可能性が大きいと思われるテキ スト読解という方法として本稿を性格づける。

もっとも,このように述べ,実証科学とは一 線を画していると宣言しても,それは経験科学

第52巻 第1,..̲, 4号

からの訣別を意味するものではない。本稿での 作業は組織研究を近代の実証科学という枠組み を越えて,経験科学の領域へと拡大しようとい う意図を持つものと理解してもらえれば幸いで ある。

さらに,このようなテキストの読解という方 法の採用は,企業内の権力分析での重要な資料 になりうるモデル小説をこのような日経ビジネ スの記事と同一の資格での理論素材として用い ることを許すという点に研究遂行の戦略上きわ めて有利な点がある。実際,日経ビジネス誌の 記事の性格からいっても,ある種のシナリオに ついての記載はきわめて少なく,例えばトップ の不行跡やスキャンダルなどは取り上げられる ことは少ない。このような性格の事件は事後的 にモデル小説が現れることが多く,これらは研 究の素材としてしばしば極めて重要である場合 が多い。これらを日経ビジネスの記事に追加情 報として補充することで理論的に可能なシナリ オの全てが分析の対象となる。

2.  カリスマの成立の組織論的含意

本稿では,日置1985bで述べた企業内での権力 ゲームのシナリオのうち,血統によって権力継 承の正当性が保証されるタイプのイエモトが中 心となるタイフ゜

I

とされたもの,すなわち,い わゆる同族企業を中心とするシナリオ類型のう ち創業者の組織内にカリスマを確立する過程の 分析を行う。このシナリオ類型については日経 ビジネスでの記事だけでは素材の収集としては 不充分で,かなりの情報の追加を必要とする領 域であった。これは組織内でカリスマが成立す る初期の状況については,企業規模が相当に小 さな段階からのフォローが必要となるため,'こ

(4)

の点についての情報を伝える記事は当然ながら 全くなく,企業規模が相当に大きくならねば,

日経ビジネスの取材対象とならない。この領域 を何冊かの書物で補う必要があった。しかし,

現在までのところ,シナリオ類型のかなりの部 分について充分な情報は得られておらず,本稿 の段階では日本の企業の創業者の特性について の理論仮説を提示することが主たる作業とな る。

さて,この企業内権カゲームのシナリオ分析 という一連の分析において,基本的な理論的背 景は Hsu=濱口によるイエモト組織の理論で ある。この理論は日本の組織の原形となる組織 編成原理を芸道の家元制に求めるもので, 日 本の組織現象に固有の特徴を説明しようとして いる。この意味でイエモト組織の理論は日本に 固有な現象に焦点をあてた理論であるといえ る。組織論における文化的な一般と特殊の使い 分けは非常に困難な問題を含んでいるが,権力 をめぐる現象はその文化に固有な特殊な問題と 通文化的に共通する問題の両者が複雑にからみ あうことが普通であろう。 この点を意識しつ っ,創業カリスマについての仮説を提示してい

こう。

まず,日本の企業では創業者の多くは組織内 でカリスマとして機能している。これは何の不 思議もないように思われる言明であるが,よく 吟味してみると多くの問題を含んでいる。極め て基本的な問題として,企業者史学が指摘して いるように,どの文化においても一般に創業者 の多くは特異なパーソナリティを持っている傾 向がある(源岡

1 9 8 0 )

。この事実からは,通文 化的に全ての創業者はなにがしかのカリスマ 性を持っていると言えそうであるが,この逆の カリスマ性を持たなければ企業の創業に成功し

ないという仮説はおそらく成立しない。企業の 創業という作業が逸脱的なパーソナリティを持 った人物によってなされる傾向があることは事 実であっても,すべての逸脱者が創業者になれ るわけでもなく,またすべての創業者が逸脱者 であるわけでもない。これをさらに逸脱が社会 的にどの程度許容されるかという文化的歴史的 条件が考慮される必要があり,企業の創業と創 業者のパーソナリティがはたしてどのような関 係にあるかという点は充分に吟味の必要がある

ことが了解できよう。

日本の企業の創業者の場合は一体どのような 状態であるのか。日本の企業の創業者は通常か なりのカリスマ性を持っているように見える。

企業組織がある程度以上の規模に達して,創業 者のリーダーシップが浸透しているような企業 においては,大多数の企業では創業者が完全に 権力を掌握して,カリスマ然としているケース が大半である。ここで創業者のパーソナリティ が始めからカリスマ性を帯びていたと考えるよ

りも, 日本の組織では除々にカリスマ性が増大 してゆくと考えるほうが適当である。可能な解 釈としては, 1) 創業者が組織の全権を保持し て企業経営に当たってゆく過程で次第にカリス マとしての態度や行動様式を身につけてゆ<' つまりカリスマとしての訓練を受けると考え る,あるいは 2)組織自体が創業者をカリスマ に仕立て上げることで機能的に安定すると考え る,および, 3)日本の組織自体がトップのパ ーソナリティを増幅する機能を有していて,そ の結果トップがカリスマ化するという三つが考 えられる。

これらの説明がどのように日本の組織に適用 されるかについて,まず日本の企業の組織的特 質として,,トップのリーダーシップ・スタイル

(5)

経 済 学 研 究 がタスク・リーダーとしてよりも,集団のリー ダーという性格が強いという点を指摘しておこ う。つまり,創業者は何らかの形でそれまでの 市場や製品• あるいは組織に革新をもたらした 存在であり,その意味では明確にタスクリーダ ーであるわけだが, 日本の場合はこのような革 新者としての独創性がリーダーとしての地位を 保障するのではなく,集団内での人格的リーダ ーとしての評価がカリスマの形成により重要で あると考えられる。

実際に日本では経営者としての権力を持って いるがリーダーとしての資質を持っていない人 物と,この逆の経営者としての能力には欠ける がリーダーとしての資質を持つ人物を比較する と,圧倒的に後者の方が経営者として成功して いるといってよい。この意味で創業者のカリス マ性が組織内の成員による人格への支持を必要 としているという点に日本的な特質があるとい ってよい。

ここで,通文化的には組織内にリーダーが 晶出するプロセスについてどのような理論が 用意されているかを見ておこう。組織内の革新 者がカリスマ性を獲得してゆく過程について は,

H o l l a n d e r

が小集団論の文脈で特異性信用

( i d e o s y n c r a c y  c r e d i t )  

という概念を提出して いる。 この議論によれば, 集団内ではリーダ ーはその地位に基づく裁量権によってある程度 集団の規範からの逸脱することが可能であり,

この逸脱を資源として集団に何らかの革新をも たらし,集団のパフォーマンスや成員の報酬の 増大に貢献しうる。通常の集団成員とは異なる 性格を持つことに対して,集団成員からの信用

( c r e d i t )

を得ることができ, この信用によっ てさらに大きな逸脱が可能となる。集団に革 新をもたらしつづけている限りにおいては,特

52巻 第1,..̲; 4号

異性信用はますます拡大し,革新の可能性も増 大する,というものである。この特異性信用の 概念で,小集団におけるリーダーが他の成員と は異なる機能を遂行しうることは理解できる。

この特異性信用の蓄積が,他の成員に比べて圧 倒的な量になった場合を想定すれば集団リーダ ーがカリスマ性をおびるという状況を説明する ことになる。

この特異性信用の理論は小集団を対象として いるために,現実の組織ではさらに複雑な条件 がこれに加わるが,カリスマの発生についての 状況についてはかなりの示唆に富む理論である といえる。これに対して,組織の管理戦略とし て制度的に特定成員に権限が集中する状況を理 論化したのが

C h i l d1 9 7 3

である。

Astong r o u p   (Pugh e t   a l . ,   1 9 6 8 )

の組織構造分析の結果か

ら導かれた, 組織構造は成員の行動をできる だけ規則で統制しようという官僚制の特徴を示 している因子と,権限に関する因子という二因 子によって構造変数が説明されるという議論を

C h i l d

は拡張する。

C h i l d

はこの因子をそれぞ れ管理の戦略と解し,権限を特定個人に集中す ることによって組織の意志を統一するという官 僚制の理論に加え,権限を集中された個人に革 新の機能を果たさせる組織管理戦略としてこの 二因子を解釈しうると述べた。すなわち,組織 管理ぱ,規則を積み重ね,成員の行動をできる だけ可視にしておくとともに権限の行使に制約 を設けて恣意による管理を許さないという官僚 制を進行させる管理戦略と,規則の設定は緩や かにして特定個人に権限を集中し,その個人の 革新遂行能力を最大限に発揮させるという代替 的な二戦略が可能であると論じた。この後者の 戦略からカリスマ的指導者が生まれてくる可能 性が生じる。

(6)

この

H o l l a n d e r

C h i l d

の二つの理論が現 在のところ組織内にカリスマが晶出してくる過 程を説明する理論であるように思われる。ここ で,この二つの理論においてカリスマを生み出 す過程はリーダーの超常的なパーソナリティそ のものが直接のきっかけになっていないという 点に注目しておく必要があろう。基本的には特 異性信用の場合も,

C h i l d

の管理戦略の場合も,

組織リーダーが革新を起こす能力を保持してい なければカリスマ性は生じない。その意味で は,カリスマ性をもたらすものは基本的にはパ ーソナリティではなく,超常的な能力による革 新が先行してカリスマが生じるということにな ろう。超常的的な革新能力者の副次的属性とし ての強烈な個性が理論化されている。

ここで日本の組織においては, 日置1984で論 じたように,組織のトップによるスポンサリン グという現象があり, トップ自身が革新を引き おこす能力を直接持っていなくとも革新を引き 起こしうる能力を持つ者に権限を付与すること によって自分は革新の導入者として組織に貢献 し,カリスマとしての評価を確立することがで きる。このことは,例えば技術開発を例として みると,日本の技術開発が個人によるものであ るよりは開発チームによって行われるケースが 多いことにもよるが,技術開発において決定的 なアイデアの提供者が誰であるかよりは,その 開発チームを統括して技術開発を成功させたチ ームリーダーが基本的な功績者としての評価を 与えられる。

例えば,日本のベンチャービジネスでは,創 業時に確立した技術をもっていたケースはごく 僅かであり,大半は操業を継続する過程におい て優秀なもしくは独創的な技術を獲得してい る。このため,ベンチャービジネスのトップは

必ずしも技術者である必要はなく,出身大学を みても文科系の出身者が少なくない。この点は 欧米,とりわけアメリカのベンチャービジネス が高度技術を開発した技術者がガレージ規模で 創業するというパターンが大半であるのに対し て日本的な特徴であるといってよい。日本では 創業者自身が卓抜した技術者であったり,技術 開発のアイデアの提供者である必要はかならず しもないといってよい。このように日本の状況 においては,組織のトップは有能なタスクリー ダーで集団を人格的に統合する能力に欠けてい るよりは,組織に革新をもたらす能力はなくと も集団を人格的に統合し,革新者をスポンサリ ングできる人物がよりリーダーとして適格であ るということになる。

一般に,日本の組織での典型的なリーダーは 人格者として組織を統合するべき存在であると いう性格が強く,創業者のカリスマもまた特異 な能力のゆえに生じるというよりはパーソナリ ティに由来するバランスのとれた経営感覚や人 間的魅力の持ち主であることに基礎づけられて いるといってよい。また,日本の企業の創業者 がすべからくカリスマとしてのパーソナリティ の持ち主,すなわち真正カリスマであるわけで はなく,通常考えられるような意味での強烈な 個性の持ち主としてのカリスマが創業者となっ ているケースは稀であろう。おそらく日本には 全ての企業の創業を説明するほど多く真正カリ

スマとしての個性が存在していたわけではな く,真正カリスマの代替をしての存在(これを 疑似カリスマと呼ぶことにする)が多くの企業 の創業者となっていると考えてよい。つまり,

これまでみたように,日本の組織では超常的な 革新能力への組織成員の信頼からカリスマ的リ ーダーが生まれるのではなく,革新のスボンサ

‑359‑

(7)

経 済 学 研 究 リングなどを通してリーダーのパーソナリティ への信頼が生まれ,カリスマ性をもたらす。こ のパーソナリティが,組織内の権限を集中し,

重要な決定は全てトップが引きうけなければな らない,という小規模組織の状況で訓練される ことで,疑似カリスマとなってゆく。

ここで,日本の組織のプロトタイプであるイ エモト組織が人格関係の連鎖によって成立して いるという点を考應するならば,この人格関係 の連鎖の結節点である家元が人格関係の中心に 位置しており,人格的に組織の最上位に位置づ けられることになる。このため,組織トップの 行動は組織成員から注目を集め,結果としては 家元の行為を増幅する装置として組織が機能す ることになる。

このような組織の特性は日本の組織ばかりで はなく,かなり一般的にみられる現象であると いえなくもない。つまり,組織は一般に一人の 個人では達成できない行為を遂行するための社 会的装置であるとするならば,その個人の能力 を増幅する機能を持っているといえる。 しか し,このような機能は官僚制を前提とする限り においては十全には機能しない。個人の能力を 増幅することが可能ではあっても,その能力と 不可分である特定個人のパーソナリティを増幅 することを厳重に阻止する役割を官僚制は規則 の制定により付与されている。本来社会的装置 としての組織は個人の能力を増進する点にある としても,組織が形成されてその中に複数の成 員が含まれ,各成員と雇用契約が交わされるよ うになると複数の行為主体の相互作用により,

集団として固有の行為主体として機能するよう になる。このため,組織として固有の運動を開 始し,特定個人の個性を増幅する形での組織運 営を行うことは困難となってくる。

第 52巻 第1"'4

これに対して,日本でのイエモト組織におい ては,組織トップと成員との関係が人格的なも のとして設定されるために,組織トップのパー ソナリティが組織という社会装置を通して増幅 されることが可能である。あるいは,むしろ組 織トップは積極的にパーソナリティを発現する ことが期待されているといってよい。このよう な点で,日本の企業の創業は

C h i l d

の論じて いる特定の個人に権限を集中することによって 革新をもたらすという管理戦略によることは明 らかである。しかし,日本的な特徴として,ス ボンサリングによる革新機能の委譲や,成員と の関係が人格的関係であることによって組織卜 ップ(イエモト)のパーソナリティがより以上 に強調され,パーソナリティを増幅する社会的 装置として機能しているという点に創業フ゜ロセ スでの特徴を指摘できる。

3.  創業に関するシナリオ

I‑1‑a,  創業カリスマの生成

I‑1‑al,  大規模化に伴う組織整備の失敗,

I‑1‑a2, 創業カリスマの不行跡

以上のような点を確認したうえで,具体的に 創業に関する日経ビジネスの記事やシナリオを みてゆこう。日置

1985b

でのシナリオ類型を示 す。そこでは, 創業によるカリスマの成立そ のものがシナリオとして考慮されることを予 定していた (I‑1‑a)。しかし, どのような 行為がカリスマの成立を保障するのか,カリス マとして振る舞いはじめたのは組織規模がどの 程度の段階であるのか,あるいはどのような個 性がカリスマとして有効であるのか,といった 点の追求は集った素材からは困難である。ここ ではまず,先に論じたような創業者が革新の導

‑360‑

(8)

入者もしくはスボンサーとして機能している点 を確認しておこう。

社長が直接担当者にメモ送付, サントリーの マルメ作戦

トップから下部への意志伝達はなかなかうま くいかないものだが,サントリーの佐治敬三社 長は通称 マルメ というメモを担当部門へ寵 接送りつけ効果をあげている。

マルメというのは,メモに佐治社長が独特の 筆致でイニシャルK.S.をサインするとちょう どカタカナのメを0で囲んだように見えるとこ ろから自然にそう呼ばれるようになったもので

「マルメが飛んできたぞ」 となると, その部門 は一瞬緊張という具合。

このマルメ,内容も体裁もいろいろ。佐治社 長の思い付きを,使用済み用紙の裏に書きつけ たものから,雑誌の写真で宣伝企画の参考にな りそうなページを破ったもの,社長が会合で聞 き込んだ商売情報などのほか,商品カタログの 誤字指摘まであるとか。

マルメが飛んで来た部門は総がかりで 答 申 づくりに入るわけだが,組織の長いパイフ゜

を通って来る社長命令と違って,社内の受け止 め方もヒ゜リヒ゜リするし,名指しされた社員の気 の張り方も格別とか。もちろん佐治社長にも生 の反応が直接伝わるとあって,マルメの効用,

予想以上に大きいらしい。 1980・1/14  この記事での佐治敬三氏は厳密には創業者で はなく、`,父鳥井信治郎氏のあとをうけた二代目 経営者であるが,佐治敬三氏の代になって始め た事業も多く,実質的な創業者機能を果してい るといってよい。佐治氏はこの記事において,

組織内の規則や慣例にとらわれず,組織のどの 部分についても自由に正規の命令系統を越えて 指令を出す体制を確立している。これは当然に 社長自らが革新者であったり,あるいは革新を スポンサリングする場合に既存の組織の命令系 統あるいは情報伝達系統によらないことなどに 非常に好都合であることは間違いない。このよ

うな組織管理が,情報の入手と指令の発動とい う双方に有効であることにも注目してよいだろ

ぅ。

このように特定個人に権限と情報が集中する ことによって革新の機能をはたすことが期待さ れている状況でi, 次第にカリスマとしての性格 が形成されてくることが理解できる。組織化の どの段階でカリスマ性が高まるかについては一 般化は困難であるが,かなり小さな企業におい ては,企業のトップの権限は絶大で,ちょうど 前近代における家父長と同様の機能を果してお り,これをカリスマ性の発現と解してよいかと いう点はかなり問題であるが,機能としてはカ リスマでと等価あるという事実は見逃せない。

企業の規模とトップのカリスマ性の程度の関 係は,これが組織の形成過程における運動論的 な問題であり,運動過程としてカリスマの成立 を検討する必要があるため,一般論として述べ にくく,また,状況による差異も大きい。従っ て,小規模な企業において企業主がカリスマ然 としているのと,かなりの規模の組織でトップ がカリスマ性を持つのでは相当に意味が違うこ とは明らかであるが,何がカリスマを保証する かの一般論は難しい。小規模な企業での家長と しての行動は,彼以外には組織内で規則の設定 者が存在せず,文字通り自分の個性の延長とし て組織を用具として作うことが許されるのに対 して,一定以上の規模に組織が成長すればトッ プのメンバーシップの範囲を越えてしまい,間 接的な管理の用具を用いざるをえない。もちろ ん,その規模を超えてもなお成員の人格的傾倒 を得ることができるならば充分にカリスマとし ての性格を有するといってよい。先に述べたよ うにイエモト組織はこのような人格的傾倒の連 鎖としてのハイアラーキーを構成するので, ト

(9)

経 済 学 研 究 ップが真正カリスマでなくとも,疑似カリスマ で充分にカリスマとして機能しうるという点に 日本的な特色があり,微弱なカリスマ性を増幅 する機能を持っているといってよい。

このように,イエモト組織が特定個人のパー ソナリティを増幅する機能を持っているという ことは,逆に,複数の個人による創業について はかなりの問題が発生する可能性がある。すな わち,創業者が複数であり,パートナーシャフ トによる創業の場合は,その中の特定の一人の みカリスマ性を獲得し,他のメンバーは次第に 創業者としての地位を失って行く傾向があるよ うに思われる。例えば,ワコールは近江商業卒 業生のパートナーシャフトにより創業されたよ うに見えるが,次第に特定のパーソナリティ=

塚本幸一氏に焦点が当てられていったように思 われる。また,ソニーについても井深大氏の創 業に盛田昭夫氏が参加したといってよいが,こ の場合も盛田氏のパーソナリティが次第にソニ ーを代表するようになった。現在ではソニーは 盛田一族の同族企業となっているといってよ い。日本ではパートナーシャフトによる創業は 困難であり,パートナーのいずれかがカリスマ 化することが組織の安定化の条件であって,複 数のカリスマをいただく組織は分裂の可能性を 含んでいるといってよい

5

ところで, このトッフ゜と成員の間の直接の メンバーシップが成立する人数を越えて組織が 成長するという段階で,組織が危機に陥るとい うケースがかなりある(シナリオ

I‑1‑al)

。 それは,組織の大規模化に伴い官僚制的規則や 制度の整備が不可避となり,また,運動論的に はトップとのメンバーシップが成立しなくなる という時点で問題が発生する。これは中小企業 が成長する際にのりこえなければならない障壁

第 52巻 第1,....̲,  4号

であり,具体的問題としてはワンマンの存在で あった企業主が権限の委譲をなさねばならない 状況にあってなお権限をにぎりこみ,結果とし て適応の不全を引き起こすというケースが最も 一般的であろう。また,法制化された諸制度の 整備やそれに伴う組織内の規則の設定に対して も,先のサントリーの例でみられたような組織 トッフ゜への権限の集中が阻害されるという意識 が強く,規則の設定一般を拒否するための組織 成長への適応不全が引き起こされるという説明 も可能であろう。このような大規模化への適応 不全の多くは放漫経営による経営悪化として報 じられる。当然ではあろうが,このケースにつ いての事例は日経ビジネスにはあらわれない。

かなりの企業規模になってからの倒産としては 山陽特殊鋼や次に述べる日本熱学が考えられる が,適当な資料の収集に至っていないのでここ では詳論しない。

また,シナリオ

I‑l  ‑ a 2

として創業カリスマ の不行跡というものを挙げた。これは創業カリ スマが組織内での絶対のカリスマ性を確立した のちに組織運営以外の領域で不行跡を引き起こ した場合,組織はどのような対応をみせるのか という理論的な興味でシナリオに加えたもので ある。このシナリオは現在のところでは適当な 事例を見出すことができていない。この理由は かなり単純で,組織内のカリスマを確立し,企 業を成長させるだけで相当の時間を必要とし,

その上で不行跡を行うほど経営者の寿命が長く ないためであるといってよい。創業者の不行跡 の事例は少なくないが,一般に経営基盤が確立 していないために創業者の不行跡は直ちに業績 の悪化から倒産という経路をたどる。 このた め,創業者の不行跡に対して組織の反応が観察 できる事例はほとんどない。この例に近いもの

(10)

として,日本熱学をあげてよいかもしれない。

日本熱学は当時としては極めて優秀な技術を持 ったエアコンメーカーであったが,一部上場ま で成長した時点で創業者による放漫経営の結果 として倒産した。この時,創業者の行動がノン プロ野球チームの創設や大相撲力士の後援,女 優への肩入れ等かなりのスキャンダルを引き 起こしていた。結果として倒産に到ったため,

週刊誌等で話題になった創業者の行動が,組織 にどのようなリアクションを生んだかは確認で きないが,組織運営として日本熱学は市場開拓 等も創業者がみずから行い,権限の委譲が極め て小さかったことが指摘できる。この点では日 本熱学の例は

I‑1‑al

I‑1‑a2

の両方の性格 を持っている。

4.  シナリオの追加

I  ‑l  ‑ a 3 ,  

スポンサリングによるカリ マ的権威の確立ス

同様に創業者の行動が問題となったのは,大 映の永田雅一のケースである(三鬼1973)。大 映は昭和

1 7

年戦時体制下に企業が統合されて設 立したものであるが,戦後昭和

2 2

年に永田が社 長に就任した。その意味で実質的に永田を創業 者と考えてよい。永田は戦後の映画産業の成長 を背景に業績を伸ばし,昭和

2 6

年黒沢明の『羅 生門』のベニス映画祭でのグランプリ受賞や六 割もの配当を行ったことで経営者として組織内 の権威を確立した。しかし,他方で永田は極め て政治好きで,自身が終戦の混乱期に立候補・

落選してからは,もっばらフィクサー/スボン サーとして政界に強大な影響力を行使した。こ の政界のフィクサーとしての役割はかなりのも ので,その背景に膨大な政治献金があったこと

も疑いない。政局の転換時には毎回のように永 田の名前が取り沙汰されたことは組織内部で必 ずしも歓迎されることではなく,また,この時 期の政界での取り引きが決して清潔なものでな いことはよく知られており,組織トップの行動 としてはきわめて不行跡に近いと判断できる。

もっとも,このようにマイナス・イメージであ っても著名人として名前をあげられることがカ リスマの確立に役立っていた可能性はある。し かし,このような政界との接近は大映の経営に 資するところなく,結局は映画産業の衰退に適 応できず倒産に到った。

この永田の事例で,三鬼は次のように述べ る。「永田が, 映画界のノーベル賞とも称され るグランプリを授与されたのは,まぎれもない 事実である。しかし,当時,一部玄人筋で言わ れたとおり,ノーベル賞を受けた映画『羅生門』

は,元来が黒沢明の作品であるが,永田は同作 品については,当初,高評価しなかった。それ なのにグランプリをもらうや,あたかも自分の 作品のごとく変貌した。そして, われこそは

"日本の映画製作王,, といった自惚れに酔って しまった。」

ここでの記述は,先に述べた日本の組織で は, トップ自らが革新を引きおこさなくとも革 新のスボンサリングを行うことでカリスマ性を もたらすという仮説の一つの変形であるといっ てよい。すなわち,黒沢による革新を認容し,

それを後援したことがカリスマとしての永田の 功績であるという評価につながり,"日本の映 画製作王 を自認するところまでの権威を確立

したといってよい。同様の事例は,かなりさま ざまな形態で現れており,スボンサリングによ る革新機能の委譲というシナリオをあげておい てよい。これを

I‑1 ‑ a 3

として追加する。

(11)

経 済 学 研 究

I  ‑1‑a4, 

創業カリスマの革新の不全 さらにシナリオを追加する。

I ‑1‑a2

のカリ スマの不行跡に類似するシナリオであるが,創 業者が高齢になるなどで革新の機能に不全をき たすというケースがある。例示しよう。

藤田一暁社長の 先見の明 ,社外は感服,社 内は冷ややか

フジタ工業の藤田一暁社長といえば,建設業 界の中で独特のアイデアマンとして知られてい る。例えば,業界の中ではいち早く 5カ年の中 期計画を導入したりまた管理戦の定年制や学生 重役など思い切った経営手法を次々に導入して 話題になった経営者だ。

その藤田氏がまたまた,中国人労働者を同社 が受注したイラクの高速道路建設工事現場に受 け入れるというアイデアで,同業他社の社長を して『いかにも新しいモノ好きの藤田さんらし いが,あの先取り精神にはカブトを脱ぐ」とい わしめている。ところが社内に陰のこえあり。

「うちの社長のアイデアや先見の明は一目に値 するが,結果はどうも芳しくない。こんどこそ 成功してほしい」と。先見性を発揮した土地投 資が災いしてこのところ業績はいまひとつ伸び 悩んでいる。頭脳先行で足腰がついていけない という同社の体質。これを変えるアイデアはな かなか出てこないようだ。 1980・1/14  ここでも藤田一暁社長は厳密には創業者では な<'むしろ本稿の分類では家業カリスマとす べきであるが,機能として創業カリスマとして の役割を果たしているといってよい。創業者が 革新機能を自分で遂行しようとした場合,その 革新がすべて業績に貢献するとは限らない。創 業者が自身の組織内でのカリスマ的権威を確立 する過程で革新が空回りし,権威を損なうとい う可能性は充分にある。ここでテキストとする 藤田一暁氏の場合は既に確立した同族企業とし ての権威を持っていることが明確であり,甚だ しい業績の低下がないかぎりは,権威そのもの

52巻 第1'"v4

が危うくなるわけではない。

このシナリオもまた先のシナリオ I‑l 

‑ a 2

の 創業カリスマの不行跡と同様に,創業からの日 が浅<'企業の基盤が脆弱であるため,カリス マの権威の揺らぎはただちに企業全体の業績の 低下という結果をもたらすことが多く,純粋に カリスマの揺らぎだけではなくしばしば倒産と いう組織崩壊にまで到るため,事例の収集が困 難であるという点が問題となる。急成長してい る運動体は,特定の個人に革新機能を発揮させ るためにその人間に権限を集中するため,その 個人が革新に失敗すると直ちに組織の存続まで 危うくなるという傾向がある。

逆にそのような革新を導入することを期待さ れる立場にある個人は,次々に革新のアイデア を提出しなければならない,という可能性をも こ の テ キ ス ト は 示 し て い る と い っ て よ い 。 ま た,この変形として,自身が革新の導入者でな く,革新のスボンサーである場合でも同様のこ とがいえる。つまり,このようなスボンサーが 最終的な革新導入のゲートキーパーとなってお り,彼の認可がなければ新規の事業が開始でき ないという場合である。例として森永製菓を考 えよう。森永製菓は森永家・松崎家の君臨する 同族会社であるが,ここに森永太平氏というカ

リスマが存在した。彼の評判をみよう。

森永製菓の森永長期政権に強まる「創立80周年 花道説」

森永製菓の森永太平社長の引退説が強まって いる。来年の終戦記念日8月15日に奇しくも創 立80周年を迎える同社だが,この80周年を花道 に森永太平 超 長期政権は後進に道を譲ると いうもの。

森永氏の社長就任は昭和32年。以来21年間ず っと社長の座にある。明治33年3月生まれで今 年78歳の森永氏は,まさに「ミスター森永」で

(12)

あり,森永とともに生きて来た。しかし,あま りの在任期間の長さに「老害」の陰口も聞か れ,ご本人も昨年の改選期には引退をほのめか したようだ。だが,減益決算では花道を飾れな いとの判断も一部にあったという。

来年の決算役員会で森永氏が会長職に就任す るとの見方が強い。後任社長の最短距離にいる のが,松崎保副社長。昭和10年森永製菓入社の 生粋の森永マン。技術畑出身である。現在でも 同氏が実質的に経営を切り回しており,政権委 譲もスムースに運びそうだ。 1978・11/6 

このように森永太平氏への評価は芳しいもの ではない。しかし,これを文字通りの事実と受 け取る必要はない。当然このような記事はいわ ゆる観測気球ー記事が現れることによる反応を 観測するための意図的な情報の提示ーでありう

るからである。しかもこの観測気球は交代の当 時者(この場合は森永氏)の側からも,交代を 期待する側からも,あるいは交代により不利益 をこうむる側からも提示されうるという問題が ある。このような点にまで考慮しなければなら ないとすると,これを事実として扱う実証の方 法では事実の推移が問題とされ,権力の動向を 分析するには現実の問題が複雑にすぎるという

ことになろう。

さて,このテキストでの森永氏の評価は,彼 が森永製菓の社長としてかなりの業績をあげ,

充分に組織内の権威を確立しているが,他方,

彼 が 新 製 品 発 売 の 最 終 決 定 権 を 握 っ て い た た め,革新の導入の最終段階でのネックとなっ ていたという点に由来している。製菓業という 業界は子供の嗜好に合わせて次々と新製品を回 転させてゆかねばならないという特性を持つ。

ここに78歳の社長が新製品の決定権を持ってい るのでは変化への対応が充分でないことは明ら かである。つまり新製品の最終決定がどうして

も保守的となり,他方,新製品の提案者の側で は社長に責任を転嫁することができるため,革 新機能が著しく衰えることになる。このように 革新に責任を持つべきカリスマ性の保有者が充 分に機能しない場合には創業カリスマの権威は 極端に低下することが予想される。

この森永製菓の場合,記事の予測は的中せ ず;兄弟会社の森永乳業からいわゆる大番頭,

本稿の用語では執行高弟が送り込まれて来て,

業績の回復にあたることになった。このような 点が創業カリスマと家業カリスマの差で,森永 太平氏のように長年にわたり社長を勤めてくる と組織内での役割は創業カリスマと同一になる と考えてよいが,実際にカリスマの権威に疑問 がなげかけられた時,カリスマを代替する人材 のストックが決定的に異なり,創業カリスマの 代替者は存在しない。家業カリスマは同族内で の人材のストックばかりでなく,この森永の場 合のように業務を委託する執行高弟に権限を 委譲し,革新の機能を回復することが可能であ る。このような点については創業カリスマは自 らの革新の能力が衰えるならば,カリスマとし ての権威・権力も衰退するといってよい。この 場合多くの創業カリスマが採用するのが自らの 革新ではなく,革新のスボンサリングをおこな

うことで権威を保つという方策である。

I  ‑1‑a5, 

カリスマ性の補完

これまで,日本の企業の組織成立の過程にお いて創業者が自らの個性を伸長する形で組織

(運動体)に影響を与え,革新機能を果たし,

組織に貢献することでカリスマ性を獲得する過 程を見てきた。しかし,先に述べたように真正 カリスマといえる存在はそれほど多く周囲にい るわけではなく,多くの創業カリスマは疑似カ リスマであるといってよい。すなわち,人格だ

(13)

経 済 学 研 究 けで周囲の人間を圧倒してしまうような通常の 意味でいう超常的な能力をもった人格は稀であ り,多くの創業カリスマは組織への貢献や他の 権威からの認容によりカリスマと認定されてい る。むろん,組織内の権力がこのカリスマ性と 補完関係にあることはいうまでもない。組織内 の権力基盤が確立しているほど個人の人格的な カリスマ性は小さくともカリスマとして君臨で きるであろうし,個人のカリスマとしての魅力 は小さな権力基盤を補強することになる。

しかし,それでもカリスマとしての集団内の リーダーとしての人格的魅力が欠如していると いう存在はいるものである。このような可能性 としてシナリオ

I‑1‑a5

カリスマの権威の補完 を想定することができる。シナリオ

I‑1‑a5

は カリスマ性を補完する権威が何であるかによっ て,さらにいくつかの下位カテゴリーに区分す ることができる。ここではまず宗教の権威によ る自己のカリスマ性の補完を考える。

宗教の問題は日経ビジネスにはほとんど現れ ない。これは宗教が微妙な問題をはらんでお り, 日経ビジネスとしては個々の宗教団体の毀 誉褒貶につながる記事は掲載しにくいためであ ろう。しかし,一般に企業経営の最前線にいて合 理的な判断が役に立たないという不条理な状況 に常に直面せざるをえない経営者にとっては超 越存在との橋渡しを行なう宗教への関心は決し て弱いものではない。このような意味では宗教 の権威を借りる経営者が存在することにはなん の不思議もないが,これが表面化するケースは それほど多くない。ここでは日経ビジネスを離 れ,ダスキンの鈴木清ー前社長を取り上げよう。

鈴木氏は西田天香の創始した一燈園の信者で あり,一燈園の行として行なわれる見知らぬ 家での便所掃除という経験からつや出しワック

第 52巻 第l,....̲,  4

スのケントクを創業した。ケントクの企業経営 は一燈園の行を取り入れたもので毎日曜日ごと にケントクの近所の会社・工場の便所掃除をし て歩くというものであった。ケントクは米国 大手トイレタリーメーカーであるジョンソン社 と業務拡大のため提携した。ところがジョンソ ン社は提携後次第に株式を買い増し,経営権を 掌握すると鈴木社長の退任を要求した。鈴木氏 は事実上自分の創業した企業を乗っ取られてし まう。ところが鈴木氏はジョンソン社と争うこ となく身を引き,同氏とともにケントクを退任 したメンバーとレンタル化学雑巾のダスキン社 を創立する。また,ダスキンの経営が軌道にの るやいなや, ドーナッツチェーンのミスタード ーナッツの日本フランチャイズを組織した。

このような鈴木氏の経歴からは同氏が極めて カリスマ性の強い人物であるという印象を受け るであろう。事実,筆者もそのような存在とし て鈴木氏を理解しようとしていた。しかし,実 際の鈴木氏の印象はその風貌にも関わらずカリ スマという印象は全くなく,極めて計算のいき とどいた人物であるという印象であった。筆者 は生前の鈴木氏には鈴木氏の講演会の聴衆とし て程度しか知らないので,もちろん,筆者の印 象は個人的に過ぎ,また学問の素材としては主 観的に過ぎるという批判は可能である。しかし なお印象は強烈なカリスマ性を否定するもので あった。ダスキンでの企業経営は,宗教を表面 に出しながらも極めて成員が受け入れやすいも のであり,朝夕の読経がその中心をなしてい る。朝の唯摩経と夕方の般若心経がそれで,成 員は無宗教であることについては批難されるが,

どのような教義であっても信仰を持てば受け 入れられる。唯摩経と般若心経は教典としては きわめて宗教性の薄いもので, おそらくどの

(14)

宗教でもこれらの読経は許され,信仰と矛盾し ないといってよい。このような経典を選んで宗 教性を希薄にした上で宗教の権威だけを組織に 導入しているという評価は可能であろう。自ら の信奉する教義の布教を諦めて宗教性のみ要求 するカリスマという存在は考えにくい。自らの 人格の延長上に信奉する宗教の教義があるのが 当然で,人格的影響力を行使すれば自然に信仰 へと導かれるという可能性が強く,不特定の宗 教が混汝して,組織内でどの教義を信奉しても よいという状況はやはりカリスマ性の欠如を示 しているといってよいであろう。

実際,鈴木氏の死亡後の二代目社長は天理教 の信者である駒井茂春氏が就任しており,宗教 の教義が複数,他を排することなく組織内で並 存しているという状況は,いくら日本の宗教状 況がシンクレティズムが浸透しているとしても やはり尋常ではない。組織内の織務を行と位置 づけ,給与をお下がりとし,「祈りの経営」や「我,

損の道をゆく」というスローガンも宗教性を前 面に打ち出し,超越存在への帰依を契機とした 共同体として機能するように,超越存在の権威 を借りる極めて綿密に計算された組織運営であ るように思われる。もっとも,このような意図 を鈴木氏自身が持っていたとは思わない。この 点まで計算されつくしていたということは恐ら くなく,鈴木氏自身は超越への帰依を契機とす る共同体としての位置づけを示したという意識 が強いように思われる(駒井

1 9 8 4 )

。しかし,

現実に機能しているのは超越者の権威が組織卜 ップの権威と混校しているという事実である。

この事例と同様に創業者が自らのカリスマ性 の欠落を意識して組織運営を行ったと思えるの が日置

1985a

における三井物産の創業である。

三井物産は事実上益田孝によって創立された。

三井物産の前身は,維新の元勲である井上馨が 政府の金を引き出す窓口,今日の言葉でいえば

『集金マシーン』として作られた先収会社であ る。先収会社は下野していた井上が社長とな り,地租改正などを利用して大いに儲けた会社 であったが,井上の政府復帰に伴い解散するこ とになった。この後を,益田孝を社長として三 井の傘下に入って再編することになった。この 時,当時の三井の大番頭であった三野村利左衛 門と井上馨との間で交渉があったはずで,要す るに井上は利権を含めて先収会社を三井に売却 したのである。しかし,三井物産の経営を請け 負った益田孝は三井物産を御用商人=政商とい う位置から,今日の総合商社の原形を作り出 し,当時としては世界的な規模に育てあげた。

この時に三井と益田の関係は非常に奇妙なも のである。益田は創業に当って三井と契約を結 んだがその内容は次のようなものであった。ま ず三井は社主として三井一族の分家,武之助・

養之助を出す。業務の内容はコミッションビジ ネスに徹し,思惑をしない。コミッションビジ ネスであるからという理由で三井は資本を出さ ない。ただし,三井銀行での五万円までの当座 貸越を認める。益田は月給二百円をうけとるほ か,利益の一割を賞与として受け取る。損失が でた場合は益田が無限責任を負う,というのが 大綱であった。いってみれば三井は三井という 名称を提供する代わりに利益の九割を手中にし たといってよく,三井銀行での五万円の当座貸 越も最終的には益田個人が無限責任を負うので あってみれば,益田が得たものは三井の名前の 他には月給の二百円のみということになる。こ うなると,危険負担だけは益田が負い,利益は 三井が吸い上げることになり,なぜ益田は自分 で創業しなかったのかという点が問題になる。

(15)

経 済 学 研 究 この点について日置1985は益田の集団リーダ ーとしての性格に問題があったのではないかと いう仮説を提示した。益田の人となりについて は以下のような証言がある。まず,後年藤原銀 次郎が中堅社員として見た益田評では「当時三 井部内や世間では,『徳の渋沢,智慧の益田』

と並び称し,あるいは益田を『商売の神さま』

などといってゐた。『益田さん』は,是は是,

非は非とする合理主義者で,『親分肌』のひと ではなかつた。」(白崎1981)。また「実は,鈍翁

(益田号一引用者注)に関するいかなる文献に もかかれてはゐないが,彼はその外見にやや似 ないところがあった。その一つは,時として甚 だ怒りやすく,俗にいふかんしゃく持ちだつた ことである。」(白崎1981)。また, 高橋義雄も 次のように述べている。「益田は真しで初心で 何れかといえば度胸のない方であって,物事に

ママ

感動しやすく,徳とみればすぐ飛びつき,損と 思えばすぐ振り払って逃げ出すという商売人肌 であった。(中略)例えばある店に損失を生ず れば自分が指図したのに,その支店長に対して 忽ち不興顔となる。」(安岡他1978)

このような発言から伺えるのは,極めて有能 ではあるが人格的魅力に乏しいという人物像で ある。ましてこの時益田孝は25オである。三井 という権威を借りての創業という形態は機能的 に極めて安定的であり,益田孝が存分に能力を 発揮できる条件が与えられたといってよい。創 業カリスマとしてのカリスマ性を持たなくとも 三井という権威の庇護の下に入ることでタスク の遂行責任者としての身分が確保され,組織管 理から比較的自由な立場にいてよいということ になる。

このような事例は明治の混乱期だからこそあ りえたという評価は可能である。しかし,現在

52巻 第1,...̲,4

でも,例えば三沢千代治氏が三沢ホーム創業の 際,自身の年齢を考えて, 自分は専務として,

年長者を社長に据えて設立したというケースが これに近く,また,日本ソフトバンクの孫正義 氏は自らの能力を最大限に生かすボストとして 会長に就任しり社長には日本警備保障の副社長 であった大森康彦氏をスカウトするという人事 を行った例もこれと同様の意味を持っていると いえる。すなわち,日本の組織を円滑に運営し ていくためにはよほど強烈なカリスマ性を持っ ていなければある程度の年齢が必要である。こ のため,カリスマを補完する要素として,実績 と年令を持つ年長者を組織リーダーに据えると いう方策がとられる。ここではカリスマを補完 する権威として宗教と既存の権威としての確立 した家業カリスマを取り上げたが,この他に可 能な権威として,財界の認知や勲章等の国家の 認知,また,趣味の世界での評価等が考えられ る。つまり,いわゆる成り上がりの創業者であ っても,あるいはそれだからこそ財界での評価 を得て,しかるべき役蹴(商工会議所会頭など)

に就くことに必死になり,あるいは受勲する勲 記を上げることが人生の最大目標のような行動 をとるなどの例は多くある。さらに茶道などで の評価があがり,文化人としての評価を得るこ ともなにがしかの重要性を持つようである。

5 .  

創業カリスマヘの挑戦

創業カリスマの議論の最後に,これまで述べ た創業カリスマの生成と揺らぎという文脈に則 して,極めて端的な創業カリスマの権威への挑 戦の例として山崎製パンのケースをみよう。山 崎製パンは創業者飯島藤十郎氏とその弟飯島一 郎氏との間の激しい確執が続き,告訴による法

(16)

廷での争いとなったために抗争が表面化したも のである。まず,日本経済新聞の記事を引用し よう。

山 崎 製 パ ン

訴訟取り下げ 和解劇,どう読めば..…•

山崎製パンが51年から54年にかけて繰り広げ た お家騒動"の後遺症ともいえる法廷闘争が 同社の訴訟取り下げ,財団法人組織への財産出 えんによる利害調整という形で和解し, 8年ぶ りに終止符を打った。

係争途中から飯島藤十郎氏側の逆転勝ちによ り現在の経営陣に切り替わったため,子息の飯 島延浩氏が社長を務める企業が,父である藤十 郎社主を訴えるという図式になって裁判が継 続,ただでさえわかりにくい法延闘争になって いた。そこへ部外者には複雑怪奇とも映る和解 策の登場である。

ともかく公益的な性質を帯びる財団法人への 出えんということであれば,藤十郎氏には決し て認められない商法違反による損害賠償とはな らず,山崎製パンは藤十郎氏の関西ヤマザキ株 を取得することにより,かねて望んでいた関西 ヤマザキとの合併がスムーズに行える。個人的 な恥辱は絶対に受け入れられないとする藤十郎 氏と,合併への思惑を捨て切れない山崎製パン 両者の利害は確かに一応一致するわけだ。

この和解策は両者の本音が出ている面もあ り,重要な意味が隠されていそうでもある。東京 地裁の一審判決(56年3月)は,藤十郎氏に関西 ヤマザキの所有株を山崎製パンヘ返還するよう 命じ,会社側が勝った形にはなった。しかし,具 体的な損害額の立証はできなかったのである。

関西ヤマザキ設立のいきさつをみると,藤十 郎氏の唱えた大阪進出に社内が消極的なため同 氏がやむなく個人の保証で資金を借り,責任を 負う形で始めた事情が根底にある。法律上の論 理としては商法違反が通るとしても,当時の飯 島一郎氏を支持した側の戦略的な側面,後押し した一部株主の考え方も無視できない。このあ たりに昨秋,東京高裁が両者に「裁判外による 和解」を勧めた背景があるといえそうだ。

なお,別に一部株主が当時の監査役,会長,

飯島藤十郎氏,飯島一郎氏を相手取って経営責 任を問う訴訟を起こしていたが,これもほほ同

時に取り下げられ,同社の内紛から派生してい た法廷闘争はすべてなくなった。

しかし,今回の訴訟取り下げ,和解劇を大株 主7社などが了承していても,仮に損害賠償が 認められて請求していた約50億円が会社に入っ た場合に利益を得るはずだった(と期待してい た)株主たちの受け止め方はどうだろうか。法 延闘争はケリがついてもこれを機に再び経営権 をめぐる争いに火をつける可能性があることも 否定できない。

折から同社の内紛劇をモデルにした企業小説 が昨年12月に刊行され,関心を集めている。同 書は一部株主の同社乗っ取り策を基調にしてい るが,その真偽,出版時期と令回の和解交渉時 期との符合を指摘する声も出ている。一件落着 のはずの和解がさらに波紋を広げる要素になら ないとは限らない。

とにかく「裁判の争いの実体が事実上なくな っていた」 (飯島延浩社長)とはいえ,複雑微 妙な関係者の思惑は今後も同社の内外につきま といそうだ。パン製品の2年連続の消費停滞と いう厳しい経営環境の中で,いつまでも不安定 な要因を引きずってはおれない事情が今回の和 解を促したことも確か。これからが飯島社長の 経営手腕が本当に問われる。 (鈴木芳記者)

日本経済新聞 1984.2/18  この記事の中で山崎パンをモデルした小説と いうのは,清水一行「闘いへの執着」 (1983)で ある。日経ビジネスの記事と同様に,このよう なモデル小説が事態に働きかける機能を持って おり,その力は日経ビジネスの記事よりかなり 大きいことが理解できる。このように小説が現 実の事態に何らかの影響を与えうるのは,現実 の解釈を小説が含んでいるからで,報道された 事実のみでは理解が完結しないという点に着目 すべきであろう。

さて,この小説では,(小説が事実を伝えてい るという保障は全くなく,我々が可能であるの はここでも読解であるが)創業者が病気を理由 に出社せず,自宅での執務や取締役会の開催を

(17)

経 済 学 研 究 行 っ て い る と い う 状 態 ( 創 業 カ リ ス マ の 不 行 跡 ) に 対 し て , 創 業 者 の 弟 が 同 社 に 原 材 料 を 提供している大株主である企業と組んで創業者 を排除するために画策するというものである。

クーデターは成功し,創業者は会長に祭り上げ られ,実権を全て奪われた存在となる。ここか らの巻き返しが小説として書き込まれたフ゜ロセ スであるが,分析として注目すべきなのは紛争 の当事者である両者のそれぞれの権力資源であ ろう。まず,創業者にとっての権力資源は,な によりも創業者であるという権力保持の正当性 を持っている点である。山崎製パンの紛争の中 でもこの点を考慮して会長という地位を提供し なければならなかった, という事実に対応す る。経営権を把握してしまえば完全な退任を要 求してもよいわけ芍,先のケントクの鈴木清一 氏の場合は経営権を把握したのが外資系の企業 ということもあり,名誉識としての地位を用意 していない。創業カリスマの影響力をある程度 組織内に残しておくことは組織内の権威の構造 を安定化するためにも有効であるが,他方この ような配慮を一切しなければ,権力の纂奪者と いう評価を受ける可能性があり,そのことだけ で自身の権カ・権威の不安定化を招く可能性が 強い。そのためにも創業者に名誉職的な地位を 用意する必要があったわけだが,創業者はこの 地位を基盤に巻き返しを画策することになる。

創業者のもう一つの権力資源は創業カリスマ 自体である。これは,紛争の相手側の権力資源 が大株主を背景とした組織外のものであるのに 対して,組織内において有効な資源である。紛 争の相手がわ,創業者への挑戦者の権力資源は 当然,取り引き先の支持であり,また,制度上 の権力の把握である。さらにこれに商法上の裁 判所の判断が商法違反,会社への損害の認定を

第 52巻 第lr‑v 4号

行ったことも紛争の過程では有力な権力資源と なりえた。また,挑戦者を支持した原材料提供 会社を支配する同族が名家であり,清水の用語 を用いると『名門後継者夫人』を出しているこ とも,ある種の権威の補強となっている可能性 は小さくない。『名門』につながる一族である ということが,創業カリスマを越える権威を与 えることは充分にありうるからである。

このような挑戦者の権力資源に対して,創業 カリスマの取りうる政策はもっぱら組織内のも のである。むろん,取締役会での社長解任とい う形をとっているため,取締役や上級管理識ヘ の働き掛けは有効ではなく,この層は既に大株 主の根回しを受けている。このため,創業カリ スマが機能している部分についての働き掛けと いうことになる。

販売店から猛烈な反発食った山崎製パンの猛烈 型セールス

山崎製パンの高度成長型ともいえるセールス マン管理法が強烈な反発をうけている

このほど同社の販売店主約500人が東京・上 野のホテルに集まって「ヤマザキパンは押し込 み,割当販売をやめよ」と気勢をあげたのがそ れ。製パン業で独走体制を築き上げたのは強力 なセールス軍団があったからだが,その破竹の 進撃をささえたのが「ヤマザキ・セールス・マ ニュアル」。その中には, セールスマンは①不 退転の決意で②不算達成の不役⑧一国一城の主 で,調査員で,アイデアマンーなど,叱陀激励 の言葉が並んでいる。このように後退すること を許されないセールスマンが需要拡大期には猛 烈な威力を発揮したのは確かだ。

しかし,パン製品の消費が伸び悩む中で,販 売店主と衝突するのは避けられなかったよう だ。しかも,販売店主は老齢化し,ある程度の 経営基盤を固めたところは保守的になり, 「そ こまで拡販しなくても……」という甘えも目立 つ。高度成長期のマニュアルは見直しを迫られ ているようだ。 1979・2/12 

(18)

この記事が現れたのは丁度紛争のもっとも激 しかった時期にあたり,先の清水1983と合わせ 読むとどうやら創業者の巻き返しの一環として 当時社長の地位にあった挑戦者に揺さぶりをか けるために開催された集会であったらしい,と 理解できる。当然,このような記事が掲載され ること自体が一つのメッセージとなっていて,

山崎製パンの状況が注目されているという日経 ビジネスの判断が示されている。またこの記事 の内容は一見当たり障りはないがもうひとつ要 領を得ない書き方がされている。すなわち清水 1983では社長交代による販売政策に変化があり 拡販が強化されたことが述べられており,実際 に販売政策の転換があったからこそ糾弾のため の集会が開催されたと思われるが,その点につ いては記事はあいまいにされている。このよう な背景として社長と創業者の確執がなければこ の記事が掲載されることはなかったであろう。

その意味ではこの記事は紛争の当事者にとって 決して中立的なものではなく,このような集会 の存在を日経に通報したことも創業者の挑戦者 に対する対抗の手段であったと考えられる。清 水1983ではこの集会が明らかな創業者の巻き返

しであったことが述べられている。

ここで,山崎製パンにおける創業カリスマの 浸透が直接の販売者である販売店主に及んでい ることが確認できる。そして,大株主に対抗し て小売業者を組織して創業カリスマが有効であ る層を組織することで圧力をかけるという戦術 がとられている。組織内の成員を直接動員でき ないならば,周辺の関係者を動員するという創 業カリスマとしての権力資源を有効に行使して いるといえよう。もちろん,組織外の取引先の 圧力のみで制度上の権限を掌据した挑戦者に対 抗できるわけではない。組織内についても創業

者の働きかけがあったと思われる。

お家騒動収拾終え親睦会に,山崎製パン管理職 組合衣替え

山崎製パンのお家騒動の収拾にひと役買った 同社管理職組合が初期の目的を達成し,このほ ど「ヤマザキ管理職親睦会」に衣替えした。今 後は会員の共済活動を注進に会を運営してゆ

く,という。

同管理職組合は,創業者の飯島藤十郎氏,弟 の一郎氏との兄弟げんかがヒ゜ークに達した1月 27日に結成,事態の正常化へ圧力をかけた。管 理職の一致団結した直訴もあって, 2月末にお 家騒動は幕を閉じ,再燃の恐れもなくなったの で,めでたく親睦会に切り換えたもの。

会長には,安斎隆同組合委員長が就任.会員 も組合結成時の180人から420人と全管浬職が参 加した。 「折角の管理職組合を解消するのはも ったいない」との声も中高年族から聞こえてき そうだが, 「当初から, 経済要求は考えていな い」と事務局は組合存続に色気なし。「ただ,

ー朝ことあれば,その時は……」とご意見番の 役割は堅持する姿勢だ。 1979・9/24  この記事は紛争解決後のものであり,紛争は 創業者の長男が社長に就任し,挑戦者は取締役 から解任されるというものであって,事実上,

創業者のほぼ全面的勝利であったので,この記 事中の管理識組合の「ひと役」もその方向で理 解 し な け れ ば な ら な い 。 つ ま り , 表 面 的 に は 管理識組合は紛争に対して中立的に行動し,事 態の正常化に向けて圧力をかけたとされている が,その正常化とは結果的には創業者が創業カ リスマとしての権力の保持することの正当性の 確認であり,決して両者に中立ではない。これ は,紛争になにがしかの解決をもたらそうとす れば当然どちらかに有利な方向への解決を用意 することを意味するというだけでなぐ,創業者 の中間管理識に対する働きかけの可能性が強い。

もし,清水1983が述べるような大株主による乗

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