評価 ・選別 を難 しくしているものは何か
1富永 一也
はじめに :本 論 が扱 う範 囲 につ い て 、 また本論 が その序 論 を成 す ところの全 体 の議 論 につ い て
どの公 文書 を残 す か 。 どの 公文書 を廃 棄す るか 。 い わ ゆ る公文書 の 「評価 ・選 別」 は、公 文書 館 専 門職 員 の最 も重 要 な業務 の ひ とつ だ と考 え られ てい る
。
2ところが 、そ れ は同時 に 、 最 も困 難 な業 務 に もか ぞ え ら れてお り、客観 的 ・実用 的 な基準 が なか なか 出来 ない よ うだ。
3い った い なぜ だ ろ うか 。 本 稿 で は 、 評 価 ・ 選別 を難 し くして い る要 因 につ い て考 察 を加 え る。 4
本論 は大 き くふ たつ の部 分 に分 か れ るが 、読 者 は 、そ の前 半 にお い て筆 者 が 、評 価 ・選 別 を困難 に して い るので は ないか と考 え る (全 部 で は ないが )い くつ か の 問題 を提 起 す るの を見 るで あ ろ う。 た とえば廃 棄 を 厭 うメ ンタ リテ ィの 問題 、 (意識 的 に しろそ うで ない に しろ )資料 の価 値 を膨 張 させ よ う とす る要請 、「ア‑
1 本稿を書か しめた直接の きっかけは実務上のルサ ンチマ ンであった し、危機感であった。 その後 もこの負のエ ネル ギーは、筆者を して原稿書 きに駆 り立てたのであるO しか しなが ら、本稿の成立にはネガテ ィブな契機ばか りが関与 し ているわけではない。筆者が ここにおいて提出 した議論の着想 を得た り、発展 させるうえで力 となったのは、館 の収集 基準を見直すべ く行われた一連の会議であ り、そこで上司や同僚 (佐久川課長、豊見山専門員、大域専門員 ) と行 った ディスカッシ ョンである。これは、わた しのような実務屋が、現状 において受講 し得る、最高の授業であったと思 う。
ゼ ミナール
そのような 「教室」 に身を置 くことがで きたのは全 く幸運なことであった。また、「専 門員が研 究論文 を書 かず に、何 の存在価値があるものか」 と絶えず轍 を飛ば し、容赦 な くプレッシャーをかけ続けた富山館長のおかげで もある。 ここ において感謝の意を表 したい。
2 アメリカアーキビス ト協会は、1986年に出版 した報告書の中で、「継続的価値 を有する記録の選別は、アーキ ビス ト の第‑の責務であるO他のアーカイブズ業務はすべて、いかに賢 く選別するか、という点にかかっている」 とまで述べ ている。"PlanningfortheArchivalProfession:AReportoftheSAA Task Forceon Goalsand Priorities, SocietyofAmericanArchivists,1986.全国歴史資料保存利用機関連絡協議会 (以下 「全史料協」 と略称す る)は、
1989年におおやけに した 「文書館専門職 (アーキビス ト)の養成についての提言」のなかで、「評価 ・選択 システム を 開発 し実行するのは、アーキビス トの最 も重要な職務のひとつ」だとしている。全国歴史資料保存利用機 関連絡協 議会 編 r日本の文書館運動 一 全史料協の20年‑」(岩田書院、1996年)、p,305参照。同様の認識は、同協議会が1992年 に 公に した 「アーキビス ト養成制度の実現に向けて一全史料協専門職問題特別委員会報告書」 に も表明 されている。 F日 本の文書館運動
J
p.333参照。また、国立公文書館の主催で組織 された 「公文書館 における専 門職貝の蕃成お よび資格 制度に関する研究会」(1989年‑1993年 )は、その報告書 (1993年6月21日)において、「評価 、選別」 を、「専 門職貝 の業務の中で最 も重要」であ り、「専門職員の大 きな責任が問われ、その専門性が発揮 される領域」だ としている。 F日 本の文書館運動jp,333参照。 また、同研究会のあとを受け、引 き続 き専門職問題を議論 した 「公文書館 における専 門 職員の養成機関の整備等 に関する研究会」(1993年‑1996年)は、前身の研究会の認識を引 きつ ぎ、「評価 ・選別」 を公 文書館業務の 「中軸」であると位置付けた。「公文書館 における専門職員の養成検閲の整備等に関する研究会報告書」、1996年7月。
3 評価 ・選別の重要性 とその業務遂行の困難 さについては、かな りひんぽんに言及 されているので 、広 く共有 された 認識だと考えて差 し支えない。そのい くつかの例は、た とえば以下の文献 を参照のこと。安藤正人 「記録史料学 と現代』
吉川弘文館 (1998年 )、p.229。樋口雄一 「公文書館 における評価 と選別 一 原則的考え方 ‑ 」神奈川県公文書館紀要 第2号 (1999年 )、p.33。戸島昭 「文書 ・記録の評価 と選別」(安藤正人 ・青山英幸編著 F記録史料の管理 と文書館』北 海道大学図書刊行会、1996年)、p.3750GeraldHam,"TheArchivalEdge,"inA Modem ArchivesReader:Basic
ReadingsonArchLUalTheoTT andPractice,editedbyMeygeneF.DanielsandTimothy Watch (Washington, DC,NationalArchivesTrustFundBoard,1984),p.326. FrankBoles,Archiual AppTlaisal,(New York and London,1991),p.4.
4行政における電子記録の普及が、評価 ・選別の様相 を根本か ら変えて しまう日も遠 くないが、本稿における議論 は、
従来的な、ペーパー文書 を念頭においた 「紙世 (かみ よ)の時代」の枠組みにとどめることとする。これは、筆者の勉 強不足 ということもあるが、何 よりも、電子記録の評価 ・選別の問題 を扱 うまえに、まず、公文書館の本質論 をステ ッ プとして踏んでおかな くてほならない と考えるからだ。評価 ・選別は、それ自体が 目的なのではな く、公文書館 の本質 的役割の よりよい実現 に奉仕するための業務であるか ら、本質の理解な くしては、記録の評価 ・選別 (それが紙 だろ う が、デジタルだろうが)もまたあ りえないのである。ただ し、公文書館の本質論 については、前 に述べたように、別の 機会に扱 う。
‑ 77‑
カイブズ的価値」 をめ ぐる混乱 (とくに歴史研 究 と結 びついた形でのそれ)などである。後半 (これは前半 よ りずいぶん短い し、構造的 に も前半部 にビル トイ ンで きなかったので、「後半部」 とい うよ りは、 別論 を たてたほ うが よかったか もしれない)においては、旧来の評価 ・選別 (請)に対す る批判 として登場 して き たいわゆる 「ドキュメ ンテーシ ョン戦略」 について取 り上げる。「ドキュメンテーシ ョン戟略」 (documen‑
tation strategy)は、アメ リカにおいて展開 されて きた議論であるが、その出発点 には 「(適切 な)評価 ・ 選別 を難 しくしている」要因についての、戦略提唱者 たちな りの認識がある。その意味で、本稿のテーマ と 深 くかかわる部分があるといえる。 よって、筆者 は、ここでの議論 に有意 なように ドキュメ ンテーシ ョン戦 略 を切 り取 って この場 に持 ち込んで きた。そのため、本稿 は、学説史的な領域 にまでは踏み込 んでいないの だが、その ことに不満 を抱 く向 きもあろ うか と思 う。それは本稿の枠組み と、その筆者の力量 の限界 を超 え た範囲にあることを素直 に認めた うえであえて言い添 えると、 ドキュメンテーシ ョン戦略 自体がい まだひと つの理論体系 を持 っている とはいいがた く、む しろある幅 を持 った議論の複合体 を指 している、 といったほ うが よい ような印象 を受 ける。わが国において ドキュメ ンテーシ ョン戦略の公平 な紹介 、評価 、あるいは実 践報告が、遠か らず筆者 よ りも適切 な論者 によって行 われることを望 む ものである
。 5
わた しの考 えでは、評価 ・選別上の実務的 な観点か らも、 また理論的な観点か らして も、 ドキュメンテー シ ョン戦略 には問題が多い。それ ら問題点 については もちろん本稿で指摘 してい くが、重要 なのは、筆者 に よる個々の批判点の妥当性 とい うよ りもむ しろ、「適切 な評価 ・選別の基準 は、最終 的 には公 文書館 の本質 規定 に依存す る」 とい う、第‑部、第二部 を貫 く本稿の結論 たるテーゼである。評価 ・選別はそれ 自体が独 立 した、 自足 的な業務ではない。 したが って、公文書館の適切 な本質規定 (あるいは概念規定 といって もよ いが)こそが適切 な評価基準 の前提条件 となるのであって、その逆ではない。 この ことは、 ご く当然の こと であって、わ ざわざ述べ るまで もない ことの ように思 われ ようが、 じつはそ うではない。評価 ・選別 という 業務が奉仕す る ところの公文書館事業 について じゅうぶんに吟味 しない まま、方法論のみが議論 として独 り 歩 きを している状況があるのだ。それ どころか、あの、「図書資料 は図書館 、モ ノ資料 は博物館 、文書 資料 は (公)文書館」 とい う人口に月曾灸 した概念規定 の方法の ように、扱 う客体 によって主体たる事業 を拘束す る、す なわち資料の整理や保存 、あるいは利用 の方法論が異 なる とい う経験的事実 によって図書館や博物館 か らの領域 的独立性 を保証 しようとするや り方の ように、方法論が本質を規定す るような倒錯 した観念 もま た広 く行 き渡 っている。6
そ こで、公文書館 は どうあるべ きか、 とい う主体 を規定するための議論が必要 になって くるのだが 、これ は決 して帰納的に行 ってはな らない。なぜ な らば、英語でアーカイブズ (archives)、 日本語 で (公 )文書 館 と呼称 され、あるいは 自称す る組織や事業があ ま りに多様であるため、それ らの事例 をすべ て含むような 領域 を公文書館の範囲 として線引 きす ると、それ こそ 「なんで もあ り」の状況 になって しまうのだ
。 7
ここで、「公文書館 は どうあるべ きか」 とい う議論 において、筆者が第一義的 な対象 と してい る 「公文書
5 ドキュメンテーション戟略については、日本語では現在のところ、安藤正人が簡潔に紹介 Lているものがあるので 参照のこと。安藤前掲書 (注3)、pp,250‑251。また、評価 ・選別の歴史一般については、01eKolsrudが、イギリス、
ドイツ、ノルウェー、デンマーク、アメリカ等の主な議論を取 り上げてコンパクトに概観 している。…TheEvolutionof BasicAppraisalPrinciplesISomeComparativeObservations,"AmericanArchivist55 (Winter1992),pp.26137,
6 このような (公)文書館の規定の仕方をわたしは三分法 (tripartitetheory)と呼ぶ。 もちろん、方法論が本質論 に先行するや り方が必ず しも誤 りだというわけではない。だが、三分法は、公文書館が、行政の道営に不可欠な事業と して行政組織の中で地歩を築き、発展 し、事業の永続性を保証されていく、という筆者の希望するスキームからすれば たいへんに危険な思想だ。三分法が陥る危険性については、現在のところ筆者は理論的予測以上のものを提出 し得ない けれども、公文書館の概念規定にかかわる重要事なので、別の機会に、本稿の続編たる論考の中で分析を加えることと するD
館」について、 まず その範囲 を確定 してお こう。本稿 において、議論 の対象 と している 「公文書館」 は、公 文書館法 (昭和
6 2
年法律 第1 1 5
号 )に定 め られた、国 または地方公共団体が設置の主体 とな っ て い る もの を 指す。 これは何 も、 この範噂 に属す る個 々の公文書館 を要素 とす る集合体 を設定 し、そ こか ら公文書館概 念 を帰納 しようとい うわけで はない。そ うで はな く、「アーカイブズ」 (あ るいは 「文書館」)
とい う概 念 が 、 その経験論的範囲 においてあ ま りに多様 であ るために、本論考 の筆者が、責任 あ る本 質規定論 を行 うための 基礎 を、 まず は制度面か らの アプローチ に拠 ろ うと したためである。
8したが って英語でい うところの 「アー カイブズ(archives)」 や、 日本語の 「文書館」 の用法 よ りもよほ ど語義の範 囲が限定 されてい る。 しか しな がら、公文書館 関係の文献 において、論者 た ちが必ず しも用法の範囲 を明確 にせず、あるい はむ しろ積極 的 により広い意味でのアーカイブズ、「文書館」 について論 じている と見 るべ きケース も多 い こ とか ら、拙 請 において も、公文書館 の概念の境 界が 、文献 か らの引用 を通 じて、多少 アモル ファスな色合 い を帯 びて来 ざ るを得なかった。もともと、筆者 は一本の、三幸構 成の論 考 を構想 していた。序章で評価 選別の問題点 を指摘 、整理 し、そ れをステ ップに、続 く章 (これが メイ ンとなる予定 だった)で公文書館本質規定論 を展 開す る。最後 に公文 書館発展の戟略論 を付 す。 しか しなが ら、序章で開溝点の整理 を試み る うちに、 なか なかそ こを さら りと通 過することがで きない こ とがわかった。ペ ー ジ数 も当初の計画 よ りよほ ど膨 れて きた。そ こで、この 「序章」
を、ひとつの論考 と して孜 う形で発表す るこ とに したO しか しなが ら、依然 この論考が、全体構 想の一部 に す ぎない事実 に変 わ りはな く、続 く議論 はいずれ まとめておおやけにす るこ とと したい。先 に述べたように、
本稿 に限っていえば、そのめ ざす到達点 は、問題 の提起 までである。公文書館本質論 と戦略論 は別稿に譲る。
第 Ⅰ部 :何が評価 ・選別 を難 しくしてい るのか
評価 ・選別は 「必要悪」 か
〜
「保存第‑主義」の仮説評価 ・選別が困難 とされてい る理 由はい くつか考 え られ る。本稿で は、手始 め に、仮説 をひ とつ提示 し、
7 公文書館像についてのコンセンサスが存在 していない状況については、堀内謙一が分析鋭 く指摘 しているので参照 されたい。堀内謙一 「基礎的自治体における公文書館運営の展望と現代的課題」(平成10年度公文書館専 門職貞養成課 程修了研究論文、未公刊)。また、龍野直樹は、自治体史編纂事業の延長上に文書館が設置 されるとい う、わが国にお ける公文書館設置のひとつの有力なパターンを批判 しつつ、背景にある 「文書館」概念の不明確さ、不適切 さを的確に 決ってみせたO龍野直樹 「自治体史編さん事業 と文書館 をめぐる一考察‑和歌山県立文書館を例として」和歌山県立文 書館紀要第3号、1997年、pp.1‑18。なお、編纂事業と (公)文書館事業の相違が認識 されていないことが、新たな公文 書館設置の阻害要因となっているのではないか、という問題提起が佐藤勝巳によって行われているので、こちらもぜひ 参照されたい (「地域文書館の創造に向けて一特に市町村文書館創造への展望
‑
」F記録と史料」第7号 、全国歴史資料 保存利同様関連給協議会、1996年、pp.4‑14、特にpp.6‑7 )0 Archivesという語の氾濫、濫用について はJean‑Pierre Wallot,"ArchivalOnenessintheMidstofDiversity:A PersonalPerspective,''AmericanArchivist59(Winter 1996),pp.14‑29を参照。8 「切 り取 り勝手」ならぬ 「名乗 り勝手」のアーカイブズの世界に、共通のコンセプ トを見つけることは、筆者の能 力を超えている。「名乗 り勝手」の現状は、ICA(InternationalCouncilonArchives、国際文書館評議会)の"archives"
定義の同義反復性によって、タ‑ ミノロジカルに追認されているoICA編纂の Fアーカイブズ用語辞典j"Dictionary ofArchivalTerminology"(ICA HandbookSeriesVolume3,1984)におけるarchivesの項の英文による定義。同辞典 の1988年版 も定義は変わらない。′ト林蒼海 「アーカイブズについて」国立公文書館紀要 r北の丸j第20号 (1988年)に この項の和訳がある (p.4)0ICAの用語辞典の入手方については、国立公文書館の下畠知志氏の手を煩 わせた。お札 を 申し上げたい。
ところで筆者は、とりあえずここで消極的アプローチにより公文書館の範囲を切 り取っておいたが、そうではな く、
公文書館法に積極的な評価を与えたうえで、その理論の構築を試みたのが堀内謙一 「基礎的自治体における公文書館設 立のための序論」(ほ 録 と史料』第7号、1996年、pp.15‑24)であるO洞察力す ぐれた指摘が各所にあ り、堀内の議論に 賛成するにせよ反対するにせよ、自治体公文書館の問題を論 じるときの基本的文献であると筆者は考える。
‑ 7 9‑
それ を検討 してみ る こ とと しよ う。そ れ は、われ われ公 文書館 に勤 め る者 の 、 メ ンタルな面 を問題 にす る。
評価 ・選別 とい う業務 の重 要性 に対 す るあ らゆ る リップサ ー ビス に もかかわ らず 、われ われ は内心 で はこ れ を本来 あ って は な らない、嘆 か わ しい仕事 だ と感 じてい るので はない だろ うか。つ ま り、われわれ は、で きるな ら公文書 は選 別 な どせ ず にすべ て残 したい と願 ってい るので は ないか。 ところが 、膨 大 な現代公文書 のすべ て を残す こ とは事 実上 不可 能 であ る。 この 、あ るべ き姿 と、現 実 との間 に横 たわ る大 きなギ ャ ップに よって、評価 ・選 別 は、不 本意 なが ら も行 わ ざる を得 ない 「必要悪」 なの だ、 とい う意識 が形成 された とし て何 の不 思議 が あろ う
。 9
評価 ・選 別が 、いや いや なが ら手 を染 めねば な らぬ行 為 で あ る な らば 、 だれが 喜 々 と して基準作 りにな ど励 もうか。評価 ・選 別 をめ ぐる困難 さにつ いて論 じる とき、われわれ は、 自分た ちの メ ンタ リテ ィにつ いて も省察 を加 える必要 が あ りそ うだ。そのため に、た とえば 、つ ぎの ような思考実 験 は どうだろ うか。中間書庫 をつ くる こ との効用 が いわれ るが 、その一つ に、中間書庫 で 「熟成」 させ る こ とで 、公文書 の歴 史的価値 が判 断 しやす くな る、 とい う ものがあ る。10中間書庫 の諸 メ リッ トを認 め た うえで 、 あ えて わ た し は、 この主張 に限 って は疑 問 を持 つ 。 なぜ か。つ ぎの よ うな単純 な設 問 を 自分 自身 に行 ってみ る とよい。現 在 、評価 ・選 別 を避 けてい ったん 中間書庫 に保管 した、そ うで なければ廃 棄 されたか も しれ ない公文書 は、
30年後 には、歴 史的価 値判 断が よ り容易 になっていて、廃棄 もよ りスムーズ に行 くだろ うか。30年後 よ りは 50年後、50年後 よ りは100年後 、 とい う具合 に、長 く 「熟成」 させ れば させ るほ ど、資 料 の 歴 史 的評 価 は定 まってい き、評価 ・選 別 の業務 は、「熟 成説」 が予言 す る ように、 よ り容易 になってい くだ ろ うか 。 わ た し は、そ ううま くこ とが運ぶ とは思 わ ない。逆 に、公文書 が古 くなれば なるほ ど、廃 棄す る こ とに対 す る心理
9 樋口雄一は 「理想は全量保存であることが前提」 である としている (樋 口雄一、前掲論文、p.33)。大和武生は
「
F歴史資料 としての公文書J
であるかぎり残 してはならないものは存在 しない」 と言 う.選別するのは 「物理的にすべ ての公文書を残すことが不可能」だからである (大和武生 「地方文書館の使命 と課題 一地域に根 ざした文書館像 を求め て‑」徳島県立文書館研究紀要創刊号、1997年、10ページ)0FrankBolesは、あるベテランのアーキビス トの発言を引 用 して、「多 くのアーキビス トの気持ち」 を表現 してみせた。「もしも記録の保管、保存、サービスのコス トが無料なら ば、もしもスペース、資材、エネルギー、人員のすべてが無料で無限にあるのだったら、すべての文書 を、 どんな軽微 なもので も保存 してお くことを、私は提唱するだろう」
。Boles前掲書pp.3‑4。
10 佐藤隆は、「将来何が歴史資料 として価値を持つかを予想することは困難である。現時点で将来的な歴史資料の価値 を判断 しなければならないとすれば、最 も適切なのはすべてを残すという方法である」 としたうえで、すべての公文書 を公文書館へ移せば、公開までの30年間に 「体系的な視野で、十分な時間をかけて歴史的な価値が生ずるのを待 って選 別ができる」 と公文書の熟成面での中間書庫の意義付けをしている。秋田県公文書館研究紀要第4号 (1998年 )、p.400 じつはわた しも、は じめは 「熟成理論」 を自明のことと受け入れ、 じっさい沖縄県公文書錨の施設案内をするときなど、
中間書庫の存在判J.由について、そのような説明をしてきたOそ うするうちに価値の開通を検討 しは じめたところ、それ が思っていたほど単純な問題ではないことを思い知った。中間書庫が もっと大 きければ、あるいは収集す る賓料が格段 に しぼられていれば、書庫の容量にtTえて、思考停止のまま、この間題を先延ば しにしたかもしれない。 しか し、いつ かは容巌の限界は来る し、廃棄の決断はおこなわれなければならないのだ。そのためには現実的で冷徹な議論が必要だ。
なお、仙値の問題については、欧米のディスカッションも、とても信頼に足るものではないことも知った。
I‑ 全史料協は、前掲の 「文書館専門職 (アーキビス ト)の養成についての提 言」のなかで、「近 世文語のように占い文 轄 ・.;‑Ll録については、選択を行わないで保存するのが瞭則」だとしている。いっぼう、「現代記録」 については、発生 鼠が膨大で、すべてを保存できないゆえに選択が必要なのだ、と主張 している.前掲 紺 本の文吾郎連動』、p304。古 文 ‑E!;:カ判 価 ・選別の対象にならないことについて、同提言は理由をあげてはいないが、選択 をせず とも全 量保存が吋能 だから、ということでは決 してあるまい。む しろ、古文書が膨大にあることのほうが、多 くの文書館の実務上の問題に なっているのではないだろうか。古文書の定義はここではあえて行わないが、「近 l!H の文書の 「膨大 さ」 に対する言 及は、わた しのようにカジュアルな読者の目にもよく飛び込んで くる0「現代公文書は選別するが古文書は選別 しない」
という原則には、物坪的な要因よりも、む しろ心理的な要因が関連 している。この仮定が正 しければ、現存の公文書を 選別せずにたとえば100年間、中間書庫で寝かせたらうまく評価選別できるのかどうか、結論は明 らかである。 たとえ ば、Schellenbergは、「あらゆる記録は一定の年数が経つ とある種の歴史的価値が出て くるものだ」 といい、例証 として 以下の国々において、それ以前の記録は全てを残すべ き年代が設定 されていることをあげている。 ドイツ (1700年)、 イングランド(1750年)、フランス (1830年)、イタリア (1861年 )o TheodoreR.Schellenberg,Modem Archives: PrinciplesandTechniques,KansasStateHistoricalSociety,1996,p.150(初版は1956年、シカゴ)0
的抵抗 も大 き くなることが予測 で きる。そ もそ も、年数が経 った文書 ほ ど歴史的価値があ る、 と見 な される 根強い傾向があるの だ。 もともとわれわれ公文書館職員が、一般的 に豊富 に持 っている保存 に対す る強い思 いが、古 い文書 に対す る一種畏怖 の ような感覚 (これは強弱 の差 こそあれ、だいたい誰 にで もそ なわってい るのではないか と思 う) と重 なる と、中間書庫で長い期 間寝 かせ ておいた文書 を廃棄す るの に、われわれが どれだけの葛藤 を経験す るか、想像 にかた くないのである。11 たぶ ん、で きれば、100年経 った公文書 は選 別せずに残 したい と思 うだろ う し、それが無理 な ら、その公文書 に対 す る 「死刑宣告 (廃 棄 決 定)」 をな る べ く先に延ば して しまいたい、 と考 えるだろ う。 これは、わた しの想像力の産物 ではない。わた し自身の職 場経験か ら指摘 で きるこ とだが、 この ような心理 は、県か ら引 きつが れて きたばか りの比較 的新 しい、 しか もルーテ ィンの文書 に さえ働 くの だ。12それが100年経 った ら、粛 々 と評価 ・選別、廃棄 を執行 で きる ように なるとは考 えに くい。13
このようなメ ンタリテ ィには、 もちろん理 由があ る し、 また、 これ を 日本人 に特有 な、情緒 的 な心性 だ と 片づけて しまうわけに もいか ない (その ようなや り方 は、人 を して、ある種 の文化論 の よ うに、 「日本 人 は こうだか ら、 こうなのだ」 とい う、 レッテル粘 りの循環論法 に陥 らせ るだけである)0 P.Boisardは 、 ヨー ロッパ大陸のアーキ ビス トた ちの一般的 な心情 につ いて、「資料 を廃棄す る仕事 (そ れ は選 別 を しな けれ ば ならない ことを意味す る)は、アーキ ビス トにたい‑ ん不快 な感 じを与 える」 と述べ ている。確 か に、カナ ダのアーキ ビス ト、TrevorLiveltonも指摘 す る ように、アーキ ビス トたちは長年 、保存 の仕 事 に携 わ って きたため、文書 を廃棄す るこ とに対 して、抵抗感 が強いのであ る。14 日本 においては、文書館設立運動が、
近世の文書保存運動 に大 きな源流 を持つ こともあ って、資料 の廃棄 についての抵抗感 はや は り根 強 い。15
どちらの場合 も、資料 の 「保存」が第一 に強調 されている。 これ を仮 に 「保存 第‑ 主 義」 と呼 ぶ な らば 、
「収集基準 は、排 除の もの さ しではな く包容 の もの さ し」である とい う言説 (鈴江英一 ) は、 この心 性 の セ ンチメン ト (思 い)をよ く表現 している し、公文書 には 「絶対的 な価値 と相対 的 な価値」 の二通 りの価値 が あるとす る議論 (戸 島昭 )は、公文書 にアプ リオ リな価値 (理屈ぬ きで文書 を保存 しなければならない根拠) を担保 しつつ 、必要悪 と しての選別 (こち らは相対 的価値 を比較す る ことによって行 う) を も引 き受 けねば ならない、保存 第一主義 の置かれた立場 をよ く象徴 している ように思 える。16
12 もちろん、ルーティンの文書だから即廃棄すべ きだとはいわないが、出勤簿などまで捨てずに取ってお くとなると、
そもそも捨てるものなどなくなって しまう。「出勤簿」については、平成10年度の国立公文書館の専門員養成研修で一 緒になった人 (つまり自治体の、公文書館等の職員)から聞いたのだが、その人の職場の運営委員 (だったか と思 う) に、その地域のある自治体の出勤簿 (昭和10年代のもの)を調べて、農繁期における兼業農家出身の市役所職員の出勤 状況をもとに論文をもの した方がいたそうで、「出勤簿は、あとで必ず歴史的価値が出るか ら捨ててはならぬ」 とア ド バイスしていたとのことである。
13 沖縄県公文書館では、評価 ・選別待ちの公文書や、個人から寄贈を受けた蔵書等により、中間書庫が満杯 になって しまう時期が目前に迫ってはいるが、資料の廃棄に対する慎重論も強 く、廃棄をするくらいなら 「書庫の増設」 という 形で事態に対処すべ きだ、との意見 も存在する。
14 TrevorLivelton,ArchiualTheory,Records,and thePublic,TheSociety ofAmerican Archivistsand the Scarecrow Press,Inc.,Lanham,Md.,andLondon,1996,pp.70‑71.Boisardのコメントは、Liveltonからの引用。 15 高橋実は公文書館法について 「戟後の史料保存利用運動の一つの帰結」だと述べている (F文書館運動の周辺』、p.19).
しかしながら、運動の主な担い手たる近世史研究者が 「眼前で史料の散逸を数多 く経験」 していることから、その よう な状況で育った、彼 らの 「皮膚感覚」が史料保存運動に一定の枠を与えてしまったことも指摘 している。
日本における歴史資料保存運動 と文書館設立運動の関わりについては、前掲 『日本の文書館運動』を参照。
16 鈴江英一 「わが国の文書館における公文書の引継移管手続 と収集基準について」北海道立文書館研究紀要第4号 (1989年)、p.101。戸島前掲論文、p.354。誤解のないように申し添えてお くと、わた しは、保存を軽視 しているわけで はない。保存すべ きであると判断 した資料は、全力をあげてケアすべ きであると考えている。ここで多少批判的に命名 した保存第一主義 とは、保存すべ きかどうかの判断よりも、「まずはとってお く」という意味での 「保存」(「保管」 と 称してもいいかもしれない)を優先させる行動パターンや、そのもととなる心性のことであ り、しば しば評価について の判断停止をともなうものなのである。
‑8 1‑
この ようなメンタリテ ィは、行政 において、記録管理や公文書館 のシステムが不備である状況では、シス テムの欠落 を非 システム的 に (す なわちランダムに)補完 していた面があろ う。17しか し、 い ったん公文書 館が設置 され、公文書が絶 え間な く公文書館‑ と流れ込む体制が整 って くる と、話が違 って くる。公文書の 発生か ら最終的 な処分 (公文書館の資料 として保存 ・整理 してい くか、あるいは廃棄す るか) まで、ひとつ のシステム として合理的 に運営 してい くためには、システム不在 の ときと同 じ心性の ままでよいのかどうか。
「廃棄」 とい うのは、行政 における記録管理/公文書館 システムにとって必須な業務の ひ とつ で あ って 、そ れを必要悪 と見 なすのは、そ もそ もシステム 自体 に倫理的問題がある、 とい うのに等 しいのではないだろう か。
公文書館 を設置す る とい うこ とは、資料 を残 す ための書 庫 スペ ース 、環境 、 人員 な どの業務 遂行 能力
"Capability"を手 に入れることだ といって よいが、果た してわれわれの理 念 は、Capabilityに追 いつ いて いるだろ うか。18単 に 「廃棄 される資料 を救済 したい」 とい うだけの心性 は、公文書館 にお け る評価 ・選別 の理念た りえない。 どの ような 目的 をもってある種の公文書 を残すのか、その点 を明確 に し、続 いて、 どの ような公文書 を残せ ばその 日的にかな うのかを客観的 に判断す ること ‑ その ような理念が ない場合 に、起 こ り得 る望 ましくない シナ リオのひとつは、「とにか く資料 を残 したい」 とい う強い気持 ちがCapabilityと
ドッキ ング し、書庫が満杯 になって どうにもならない状況 にいたるまで選別、廃棄 を先送 りにす ることであ る (Capabilityがなければ、 どんなに強 く思 って も、で きなかったことだ)。 もちろん、その場合 、実効性 のある評価 ・選別基準 な ど、つ くられは しない。そのいっぼ うで、Capabilityの拡大 に対す る要求 は どん ど ん膨 らんでい くだろ う。つ ま り、書庫増設や人月枠拡大‑の要求である。そ うなると、われわれのテーマは、
いかに的確 に残すか、ではな く、いかに多 く残すか、になって しまう。 よ り多 く残す ことが 自己 目的化する のである。 これでは評価 ・選別 どころではない。理念な きCapabilityの獲得 と行使 は、放恋 に凍 れやす く、
結果 として公文書館の存在意義す ら危 う くしかね ない。 これは、われわれが肝 に銘 じなければ な らないこと である。
資料的価値の インフレーシ ョンと廃棄のハー ドルの上昇
評価 ・選別 を困難 に している心性的要 因に加 え、問題 をさらに複雑 に しているのは、公文書館資料が特有 に持 っている とされる価値 (あるいはその価値 についての通念)である (「価値」 とい う用 語 は、公文書館 関係の文献 における頻 出語であるが、この語 くらい、 きちん と吟味 もされない まま盛 んに使われている例 も めず らしい と思 う)。19た とえば、公文書館資料の価値の特性 と して、 図書館 が扱 うような出版 物 と違 い、
J7 古い文書に対する畏敬の念が全 く存在 しなかったならば、そもそも歴史資料を残すという行為自体が存在 しうるか、
怪 しい。これはわたし自身の体験だが、沖縄県公文書館開館 (1995年8月)緩まもないころに、石垣島の沖縄県八重山 支庁を訪れ、そこに残っている、沖縄の日本復帰以前の公文書 (琉球政府文書)を調査させてもらったことがある。総 務課の係長は倉庫をひととお り見せてくれたあと、「じつは、たい‑ん古い文書が二箱あるのですが、見てみますか」
といった。それは何ですかと聞 くと、「いや、じつはあまりに古い簿冊のようなので、怖 くて触らないようにしていま す」という。箱を開けてみると、(沖縄県では希少な)戦前の県公文書などが出てきた。 この場合、古い資料への畏怖 の念が、消極的なやり方であるにせよ、この資料を保存 した、といえよう。もちろん、「蛮勇」 をふるってオフィスを クリーンアップするような担当者が現れた場合、文書の運命はここに極まる。個々の文書の残 り方を偶然が左右するわ けであり、本文中 「ランダム」な残 り方をする、といったのはそのようなことを指 しているO
川 このようなtheory/capabilitygap(物理的能力とそれを制御 し使いこなすための理念 との兼離)とでもいうべ き 状況は、じつは現代社会のあらゆる側面に見られるのであるが、それは余談となるので、ここでは触れない。
19 「価値」については、以下にあげる事辞典の 「価値」(あるいは"value")の項を参考に した (カッコ内は項 目の執 筆担当者)
。
F平凡社大百科事典』(平凡社、1984年、西部通)、F縮刷版文化人類学事典』(弘文堂、1994年、綾部恒雄)、 F現代哲学事典』(講談社現代新香、1970年、杖下隆英)、CD‑ROM版EncyclopediaAmerLCana(GrolierElectronic PublishingC0.,1995,T.N,Carver)0「オリジナル」 であ り、一点 限 りしか存 在 しない 「ユ ニ ー ク」 な ものであ り、い ち ど廃 棄 して しま う と、 そ の内容 は永久 に失 われて しま う、 とい うこ とが いわれ る。20 なるほ どこの よ うに、公 文 書 館 が 扱 う資 料 の 価値 を強調す る こ とにはた しか にメ リ ッ トがあ る。公文書館 資料 が重 要 であ ればあ るほ ど、税 金 を使 って公 文書館事業 を維持 す る正 当性 もいや増 す とい うもの だ。 さ らに、公文書館 資料 の価値 が高 く評価 されれ ば、
それを扱 う専 門職 まで も付帯 効果 に よ り重 要視 して もらえるか も しれ ない (扱 う対象 が重 要 だか ら扱 う者 も 重要だ、 とは論理 的 に直結 しない けれ ど も、その ような付 帯効果 は、た しかに世間にあ りがちな話ではある)。
しか しなが ら、それ には諸刃 の剣 とい うべ き側面 もあ る。つ ま り、公文書 の価値 をあ ま り膨 張 (イ ンフ レー ト)させ る と、廃棄 のハ ー ドル もまた高 くな りす ぎて しま うのであ る。
アメリカの アーキ ビス ト、Gerald Hamはつ ぎの ように述べ てい る。
アー カイブズ選 別 を これ ほ ど難 し くしてい るの は、それが最 終 的 な もの だ とい う事 実 だ。 アー カイブズ資料 は通常 一点 しか存在 しない (unique)ため 、 ア ー キ ビス トが何 を残 し、何 を廃 棄す るか 、あ るい は何 を放 置 してお き滅失す るに まかせ るか とい う決定 は、い ったん下 して し
まうと、取 り返 しのつ か ない もの なのであ る。図書館 司書 が あ る本 を買 わ ない こ とに決 め たか らとい って 、その本が社会 か ら失 われ る こ とはないが 、 アーキ ビス トが取 ってお か ない記録 は 永遠 に失 われて しまう。21
加 FrankBolesは、他の 「情報専門家 (informationspecialists)」 も情報の選別を行 うが、それらの専門家にはない、
アーキビス トに特有な選別上の責任が存在するとし、それについてつ ぎのように述べている。 「アーキ ビス トは、資料 を廃棄するとき、これらに含 まれる情報は永久に失われるのだ、という前提でそれを行 う。図書館のように、 インター ライブラリーローンのシステムによって同 じ本が見つかるというわけではない し、地下書庫にマイクロフ ィルムがあっ て原本 (original)の代わ りに使えるということもない し、コンピューターテープにバ ックアップが取ってあって、テー プドライブに装填 して読み出せるというわけで もない。他の情報専門家が下す決断と違い、アーキビス トの評価決定は、
通常、最終のものである し、や り直 しはきかない
」
.Boles,ArchiualAppraisal,p.1.この主張は、アーキ ビス トの行 う業務のユニークさを強調 しようとするあまり、多少公正 さを欠いて しまっていると思 う。21GeraldHam,SelectingandAppraisingArchivesandManuscripts,Chicago,1993,p.1. Hamの指摘す る困難 さを、決 して技術的なそれだと解釈 してはならない。これは、む しろ、大いに心理的なものだ。ところで、公文書のユ ニークさの他に、原本性 (originality)に対 して働 く特別な心理については、1997年9月に、地方 自治体 の文書担 当職 員や史料保存関係職員等を対象にしたアンケー トの結果に一例をみることができる (F文書管理通信』No.35お よびNo.
36)0「複製物を作製 した永年保存文書は廃棄可能か」 というアンケー トの設問に対 し、ある回答者は 「オ リジナルの価 値とは、財産的価値ではなく、原本 と呼べるものは世界に1つ しかないという存在的価値」であるとい う理由を挙げて、
廃棄 してはならない、という立場 をとっている。また、同 じく廃棄反対の立場をとる別の回答者は、原文書 に 「真の価 値」が兄いだされるのだ、としている。ただ、公平のために付け加えてお くと、廃棄反対の立場を取る回答者の多 くは、
複製には再現できない、たとえば紙質、インクの色や質 といった非文字的情報が失われることを重 く見ている ようであ り、これはもちろんただちに心理的要因によるものと断定することはできない。
ちなみにこのような、複製でなく、原本で保存することを正当だてる価値を、"intrinsicvalue"(固有価値 、内在的 価値)という。Ⅰntrinsicvalueの概念を明確化 しようとした1979年の米国立公文書館の努力 (彼 らは、紙文書の減量の 必要性に迫 られ、マイクロなどの複製作成後に廃棄できる記録 とそうでない記録の区別を明確にしようとしていた)に もかかわらず、この概念はいまだ問題含みだとわた しは思 う。そ もそも 「内在的価値」 というネー ミングが、絶対的価 値を想起 させる。わた しは単純に、これを、複製では表現で きないところの、資料の持つ 「属性」 (property)、 または
「非テキス ト情報」(non‑textualinformation)と呼んだほうがよいと思 う。あるいは、「価値」 ということばをどうし ても使いたければ、「非テキス ト情報的価値」 としたらよいと思 う。文書の内容 (テキス ト)は、複製 において も保存 されるからだ (そうでなければ、複製の役を果たさない)。 ところが、アメリカアーキ ビス ト協会 (SAA)や国際文書 館会議 (ICA)用語集の"intrinsicvalue''の項を見ると、文書の 「内容」(content)も内在的価値 に含め られてお り、
これはちょっとひどいと思 う。また、「利用」 という、直接には資料の属性によらない、外的なファクターも 「内在的」
価値に含められている有様である。米国立公文書館の 「内在的価値委員会」の報告書 (1982年)においては、出所や内 容の怪 しい文書 も、後に科学的なテス トを行 うこともあるかもしれず、そのために原本を取ってお く必要があるとい う 意味で、内在的価値 を持つ とされる。ここまで くると、コ トバの濫用 としかいいようがない。米国立公文書館 の報告書 については、…IntrinsicValueinArchivalMaterials" (前掲 A Modem ArchivesReader,pp.91‑99)参照。
‑ 83‑
なるほ ど、た しかに
Ham
のいうとお りか もしれない。だか ら、われわれは、評価 ・選別 とい う業務 を行 うに際 して、 じゅうぶんに慎重 にならな くてはな らない。それは認める。 しか し、Ham
の言 は、 いわゆる「角 を矯めて牛 を殺す」の類で、われわれを して萎縮せ しめるのに十分な効果 を持 っている。評価 ・選別す べ き公文書 を 目前 に
Ham
にか ようなことを耳元でつぶやかれたなら、私だった ら怖 くて廃棄の決定 な どできない。
先 に公文書の 「絶対的価値」 についての言及 に触れたが、公文書館関係の文献 には、このように公文書の 価値 を絶対の域 にまで持 ち込みかねない雰囲気 を持つ ものが少なか らずある。 しか しなが ら、公文書が 「ユ ニーク」で 「オリジナ
ル
」で 「絶対的価値」 2 2
を持 ち、 とにか く保有することが肝要 な ものであ る とす るな らば、そ もそ も評価 ・選別 をすること自体が間違 っている。 しか しなが ら、先 に論 じた 「保存第一主義」の 枠組みで考えるなら、公文書 に絶対的価値 を持 たせ るの も自然 といえよう。じっさい、保存 を第‑ に考えるなら、「公文書の (そ して より広 く記録の)絶対的価値」 を前提 としたほ うが都合 よい。そ して、その ように形成 される理念的枠組みは、それが文書保存運動 を担 っている限 りにお いては、それな りに有効であることは認めなければならない。行政的観点か ら用済み となった公文書 を、気 軽 に捨てて しまお うとす る行政マ ンに対 し、効用的見地か ら説得 を試みて も効果はあまり期待で きない。な ぜ なら、行政マ ンは、まさに効用的見地か らその公文書 を用済みだとみな しているわけだか ら。そこにおい て、効用的な議論 を二義的なもの として とりあえずわ きにおいてお き、かわ りに絶対的な価値のパ ラダイム で相手 を説得 にかかることは、戦術 として悪 くない。 ことに説得者 自身がその理念 を深 く信 じている場合に は、ぜ ひともその戦術 を採 りたいだろう。それは、た とえていえば、人権が操欄 されている国において、人 権は、それが誰のであろうと無条件で尊重 されなければならない、 とい う原則 を認め させることに大 きな意 味があるの と似ている。 じっさい、公文書館法が成立 した
( 1 9 8 7
年)ことや、1 9 9 9
年現在過半数の都道府県 で公文書館が設置 されている事実は、文書保存運動が一定の成果 を収めたことの証左 としてよい。ところが、「評価 ・選別」、そ して 「廃棄」がシステムの重要 な柱 として機能 しなければならない公文書館事業 において は、公文書 に、人権や人命 と同 じように、それが無条件で尊重 されなければならない とい う意味での、絶対 的価値 を認めることは、システム自体 を否定 しかねない論理的結末 をもた らす恐れがある し、 さらには、公 文書館職月の職務の うち、 もっとも重要 とされる評価 ・選別の業務 にあたる者 を して、倫理的ジ レンマに直 面せ しめかねない。 じっさい、公文書関係の文献 を読んでいて気 になるのは、「記録」 を、人間 に擬 して捉 える傾向があることだ
。
23この間題については、物語 を使 った付論、「レコーズ星のこどもたち」で別に論 じ ることとする。記録の効用 と歴史研究上の使用価値が結びつ くと‑
振 り返 ってみると、公文書の評価の問題が、まず使用価値の問題 として、効用論的な枠組みの中で論 じら れて きたのは、 もともと行政体が、その記録管理の過程 において、自らの必要性 に鑑みて、残すべ き文書 と そ うでない ものを特定 して きたことを考える と、たいへんに自然 なことであった
。Hi l ar yJe n ki ns on 卿2 4
が、文書 を作成 した原局に廃棄 と保存の決定 をまかせ るべ きだ とした25のは、職業的アーキ ビス トな ど存在 しな い遠い昔か ら、行政体が必要 な文書 はとってお き、不要 なものは廃棄 した、何世紀 に もわたる慣 行の追認26
22 「絶対的価値」の定義は難 しいOここでは、絶対的価値をとりあえずつぎのように定義してお くOまず、それは、
比較考量を許さない、相対化できない価値である。つまり、時代が変わろうが、判断者が変わろうが、左右 されない。
その意味では、普遍的で、客観性を持った価値といえる。これに近い例として 「人命」があげられよう。「人命は何も のにもかえがたい、尊いものである」というときの価値である。ただし、人命があらゆる時代、社会、個人によって遍
く絶対的に尊ばれたとはいえないが。
であった と見 る こ と もで きよ うo また 、 プ ロ シアやバ バ リア にお いて 、行 政体 の頂 点 の資 料 を選 んで残 す 、 いわゆるア オス レ‑ゼ ・ア ル ヒー フが 発 達 した27の も、エ リー ト主 義 的 な イデ オ ロギ ー の 産 物 で あ る とい う よりもむ しろ、 ピラ ミッ ド型 を成 す近 代 官 僚 ・政府 組織 に普 遍 的 な、上 方へ 行 くほ ど権 限 ‑責 任 の大 き くな るシステム を考 えれ ば 、重 要 な決定 の証拠 書類 は上 位 の組 織 に よ り多 く残 ってい るはず だ とい う、 じつ に効 用論的な判 断が働 いた上 で の こ とだ と解 釈 して、充分 に説 明が つ くもの と思 う
。
ね 行 政 の 発 展 に お い て 、 ドイツとは異 な る歴 史 を持 つ ア メ リが にお い て 、評価 ・選 別 を行 うにあ た って は 、記 録 を保 存 す る効 用 とそ のコス トを厳 密 に計算 す るべ きだ、 とい う議論 が 出て きたの も、や は り効 用 論 の流 れ と見 る こ とが で きる.劫
つ ま り、後 々 「使 わ れ る」 文 書 (つ ま り 「使用 価 値」 の高 い文書 ) を残 そ う、 とい うわ け で あ る。 ア メ リカの初 期 の評価 ・選 別 の論 者、PhiHp Bauerは アーキ ビス トが兼 ね備 え て お か ね ば な らな い 「未 来 予 見 能力」 につ い て語 った。31Bauerの主張 は 、そ れが 、行 政体 が 自 らの必 要性 を予 測 して永年 保 存 文書 を残 す 、
といった伝 統 的 に行 われ て きた行 為 の範 囲 に とどまる限 り、大 きな問題 もな く、経験 論 的 な枠 組 み で収 まっ たろ う。 ところが 、効用 論 的 評価 ・選別 の枠 組 み の 中 に、行 政 的利 用 (こ こで は 、行 政組織 の職 月 の利用 、 とい う狭 い範 囲で は な く、行 政行為 の介 在 す る、行 政 と市 民 との 関係 にお い て 、市 民 が必 要 とす る公文書 を
23 「記録のライフサイク)i,」 というネー ミングが まさにそうである.石原一別は記録の ライフサ イクル概 念 を、記録 の、「役割に応 じた複数の段階」 に応 じて 「誕生、幼年期、青年期 、壮年期、老年期」 とい う、人生 との アナ ロジカル な対応関係において説明 している。石原一別、「欧米における記録管理」 (前掲 F記録史料 の管理 と文書館
』)
p.4610GeraldHamの評価 ・選別についての著書 には、ウィスコンシン州のファイリングシステムの手引 き書 か らイ ラス トが 転載 されているが、こちらも基本的には同 じく、記録 と人生 の諸段 階が対応 しているo Selecting andAppraising, p.27.また、某県立公文書館の公文書担当者は、公文書廃棄業務の功により、「殺人鬼」 というあだ名をたてまつ られた という話を聞いた。まさしく、評価 ・選別は、「記録の生死を決する」(「文書館専門職 〔アーキ ビス ト〕 の養成 につい ての提言」、前掲 r日本の文書館運動jp.35よ り)ことだ、 ということになる. もっ とも、記録 の価値 を高め過 ぎた こ とに関 しては、反省 も出て きているようで、Hunterはアーカイブズ資料の 「恒 久的価値 (permanentvalue)」 (「永遠 に続 く価値」)が、最近では 「耐久的価値 (enduringvalue)」(つ まり、「長持ちする価値」)とい う言 い方 に変 わ りつ つあることに触れ、つ ぎのように指摘 している。「‑記録の研究的価値は時代 とともに変わ るので、特定 の記録が歴史 的目的にとって不要にな り、捨てて も構 わな くなった りする。 もしもわれわれが、アーカイブズ資料 を、恒 久的価値 を 持つものである、というふ うに定義 したならば、それ らを聖なるもの としてまつ りあげて しまうことにな り、後 に考 え を変えて廃棄を しようにも、それがや りづ らくなって しまう。(これに対 し)耐久的価値 は、記録 を列聖す るのではな く、その下の地位である列福 をす る ものである」 。 Gregory S.Hunter,Developing and Maintaining Practical Archives:A How toDoltManual,New YorkandLondon,1997,p.3.アーキビス トに、後における評価 見直 し のための柔軟性 を確保 しようというHunterの立場は、多 くの公文書館でdeaccession(デ イ ・アクセ ッシ ョン、いった ん公文書館資料 として受け入れ、登録 した資料 を、公文書館資料から抹消すること)が 恒常的に行われていることを示 唆 している。 じっさい、Liveltonの指摘するところでは、「‑こんにち、多 くのアーカイブズ機 関が、すで に 自分たち が管理 している文書 を廃棄 しているようだ‑たとえばカナダでは、最近行われた全国調査に回答 したアー カイブズ機関 のうち、65パーセン トが活発に評価の見直 しを行い、以前にいったんは恒久的保存の価値がある、と評価 したはずの資 料を̀̀deaccessioning''‑これはほほ廃棄に等 しい‑ している」o Livelton,ArchiualTheo/ツ,P.71 この ような事例 からすると、アーカイブズ的価値 を絶対視 しようとする傾向は、現実の前に後退を余儀な くされつつあるのだろう。
24 1882‑1961。「同世代で最 も影響力のあったイギ リスのアーキビス ト。英国におけるアーカイブズ実務 の権威的指南 書であるA ManualofArchiuesAdminislrationの著者 として記憶 されている。 しか しなが ら、 アメ リカ人にとって 最 も意味深いのは、ジェンキ ンソンがアーカイブズの重要性 を世間に知 らしめるプロパ ガンデ イス トだったことだ」 (A Modem ArchivesReader,p.2).
25 HilaryJenkinson,"ReflectionsofanArchivist,"inA Modem ArchivesReader,pp.15‑21,a reprintfrom ContemporaryReview 165(June1944).安藤正人 F記録史料学 と現代jpp.234‑2350Jenkinsonは、評価者の主観 に よる偏向がかかるとして、評価選別 自体を嫌ったようである。Luciana Duranti,"TheConceptofAppraisaland ArchivalTheory,"AmericanArchivist,57(Spring1994).pp.334‑337,esp‑pp.336‑337を参照。Jenkinsonの立場 を 象徴すると思われる次の言葉 をあげてお く。「アーカイブズ資料は、自然な過程で集 まって きた もので、まるで トプシー のように (放 っておいて も自然 と)成長 した ものなのだ」(カッコ内は筆者が補った)0 Jenkinsonは、 アーカイブズ資 料は、意識的 に選 んで残 した もので は な く、 そ こが博 物 館 の資 料 と違 う ところだ 、 と言 って い る。 Jenkinson, Reflections,op.cit.,p.18. トブシ‑ (Topsy)は、 ス トウの小説 、「ア ンクル ・トムの小屋」 に出て くる人物名。
Jenkinsonの考えるアーキビス ト像は、行政から預かった資料 を、原型 をきちんと保全 して管理するcustodian(保管人) としての役割を果たすものであった。Schellenberg.Modem Archives,p.14,
‑ 85‑
調査 す る こ と も含 め る) とは別 の 、公 文書 の歴 史的価 値 の評価 、 とい う観 点が入 り込 んで きた とき、われわ れ は じつ に容易 で ない問題 を抱 える こ ととなった。つ ま り、「歴 史的価値」 が 、語義 につ い て の特 別 な吟味 を受 け る こ とな く、効用論 的 な評価 ・選 別論 と結 びつ い た とき、われ われ は これ を 「歴 史資料 と しての使用 価値」 の こ とだ と解釈 したのであ る。つ ま り、あ る資料 が 、将 来 にお いて、歴 史研 究 に利用 され るか どうか が 、その資料 の歴 史的価 値 を決定す る とい うわけだ。
行 政利用 とは別 の、主 と して歴 史研 究者 のニーズ を も念 頭 におい て評価 ・選別 をす るのだ、 とい う理念は、
米 国立公文書館 のTheodore氏.Schellenberg32の発 明 した概念 に よって 強化 され る こ と とな っ た (1950年 代 の こ とであ る)。す なわ ち彼 は、公 文書 には、公 文書 の作 成機 関 に とって有意 の 「一次 的価 値」(primary values)の他 に、作 成機 関以外 の行 政機 関や私 的利 用 者 に とって有 用 な 「二 次 的価 値」 (secondary val‑ ues)があ る と主張す る。「二次 的価値 」 は 「証拠価値 」 と 「情報価 値 」 に わ か れ るが 、 後 者 の 選 別 にお い て アーキ ビス トは、「歴 史的価値」 に基 づ いて評価 を行 う こ とが 求 め られ た。33schellenbergの ス キ ーム に お いて アーキ ビス トは、政府 が廃 棄す る こ とに した記 録 の 中か ら、その 「一次 的価値」が消滅 したあ とに残 るか も しれ ない 「二次 的価 値」 を評価 す る権 限 を与 え られ るべ きなのであ る
。
34評価 ・選 別 に 、 行 政 の必要 性 だけで はな く、一般 のユ ーザ ーのニ ーズ を導入 しよ う とい うSchellenbergの議 論 は 、 じつ に民 主 主 義 的 に響 くので 、結構 な こ とに も思 える。
35 しか しなが ら、今 日で もアーカイブズ界 にお い て絶 大 な影響 力 を持 つ 「公文書館 理論 の父」 のい うところの 「情報価値」 を どう量 るか、 につ いてはい まだ に定説 はない。また、26 人類の歴史におけるアーカイブズの起源を考えるとき、われわれは行政体の記録管理に行 き着 く. JamesGregory BradsherandMicheleF.Pacifico,"HistoryofArchivesAdministration" in JamesGregory Bradshered., ManagingArchivesandArchiualInstitutions(London,1988).公文書を選別 して保存 した り、廃棄 した りするの は何 もアーカイブズや公文書館の専売特許ではなかったわけだ。日本における公文書管理の歴史については、安藤正人 ・ 青山英幸編著 r記録史料の管理 と文書館j(北海道大学図書刊行会、1996年)を参照Oイギ リスにおいて、国立公文書 館副館長 (DeputyKeeper)が、早 くも1875年には、すでに受け入れて保管 している記録のうち 「無用の もの」 を廃棄 する権限を求め、1877年には公記録庁法 (PublicRecordOfficeAct)によってそれが認められた (同時に彼が無用と みなす記録の受け入れ拒否権 も付与 された)。その時、1715年以前の文書は廃棄権限の範囲か らはずされたが、その後、
1898年に、この制限ラインは1660年にまで縮小 された。この、選別における公文書館側の権限拡大の流れか らすれば、
Jenkinsonがそれを否定 したのは、あるいは 「回帰」 と呼んだほうが適切かもしれない。 どの資料 を残すかについて、
行政体側に選択 させる、というJenkinsonの理念は、今 日にいたるまで、イギリスの評価 ・選別の基本 になっていると いうoKolsrud,op.cit.,pp.27‑28。
27 これ につ いて はHansBooms."Society and theFormation ofa Documentary Heritage:Issuesin the AppraisalofArchivalSources,"ATIChiuaria24(Summer1987),編集者注88のbを見よ。
2B のちの時代にも、たとえばKarlOttoMuellerは、中央及び中間行政体の記録の重要度 を地方行政体のそれの上位 に置いたが (1926年)、これはやは り行政のハイアラーキカルな構造を重視する考えを反映 している。Muellerの主張は、
1937年の ドイツアーキ ビス ト年次大会 において、HeinrichOttoMeisnerによって引 き継がれた.Kolsrud,"The Evolution, pp.30‑310
29 ドイツの官僚制概念 (マ ックス ・ウェーバーの議論)やアメリカの行政組織論については、村松 岐夫 r行政学教科 審』(有斐閣、1999年)を参照 した。
30 NancyPeace,"DecidingWhatto Save,"inNancyPeaceed.,ArchiualChoices/Managing themstorical RecordinanAgeofAbundance,Lexington,MassachusettsandLondon,p.60安藤正人 F記録史料学 と現代』p.2 390 Peace論文の入手については、国立史料館の安藤正人氏にお世話になった。この場でお礼を申し上げたい。
3L Hunter.op.cit..p.48.
32 1903‑19700「アメリカ公文書館理論の父」(GeraldHam)0
33 Schellenberg,Modem Archives,pp.16,28‑29,139‑160.
34 Ibid.,p.32.
瀬 schellenbergが引用するPhilipC.Brooksのつ ぎのようなコメン ト(1948年)に、そのような気分があらわれていな いだろうか
。「 (
評価 ・選別における)米国立公文書館の最 も重要な貢献は、研究的視点からの判断である。 自分の仕事 で手一杯の行政マ ンが、自分たちの記録を、将来において歴史家や政治学者や経済学者、社会学者に統計学者、あるい は家系調査者やその他の多様な利用者 らが どの程度まで必要 とするかを知っているとする理由はないのである0‑万、国立公文書館は、政府 と人民の両方に記録 を提供することを目的としてうたってお り、どのような種類の記録や情報が 必要 とされているかを知るための経験 を蓄積 しつつある」oIbid.,p.32.(強調は富永が付 した)0
研究者の必要性 を考慮 に入 れ た評価 をす る こ との問題 を指摘 す る論者 もあ り36、 われ わ れ は今 日に至 る まで 価値の迷路 を さまよいつつ 、あ あで もない、 こ うで もない、 とい う議論 を繰 り返 し、そ してふ たたび、 また みたび同 じ地点 に戻 ってい るおの れ を見 出す の だ
。 3 7
評価 ・選別 にお いて歴 史家 あ るい は歴 史学 は頼 りになるのか ?
さて、効用論 的歴史資料価 値 の立場 か ら、将 来 どの資料 が歴 史的 に価値 あ る もの となるのか 、歴 史家 に協 力と助言 が求 め られて きたの は、当然 の こ とで あ った。 ところが 、結 果 はあ ま り芳 しくない。い まや歴 史家 というもの は、つ ぎの二つ の うち、 どち らかの ア ドバ イス をす る もの だ とい う評判 で あ る。 ひ とつ は、 自 ら の興味関心 に沿 った資料 を残 す よ う求 め る もの 。い ま一 つ は、「どれが将 来重 要 な資 料 とな る か わ か らない ので全て残す ように」 とい う もので あ る
0
38前者 の助言 は言語 道断 とい うべ きで あ るが 、 後 者 の コメ ン トは 正直に自らの限界 を認 め、一見 良心 的 にみ えるの だが 、実際 にはで きない こ とを要 求 してい るぶ ん、無責任 といえる (全量保存 が許 され るな ら、 は じめか らわれわれが歴 史家 に相 談 を持 ちか け る とい うこ ともなか っ たわけであ る)。それで も、Gerald Hamのい うよ うに、 アー キ ビス トたちは、歴 史研 究 者 た ち の需 要 に応 え よ う と して
36 反対論については、稿を改めて論 じよう。
37 評価 ・選別をめ ぐる議論が堂々巡 りをしていることについては、一例 としてデンマーク国立公文書館 のEriksenが指 摘している 「形式主義的」評価 と 「内容主義的」 評価の対立があるoAugustWiemann Eriksen,"TheDebateon Appraisal‑Recurrences and Traps" inThePrincipleof PrDUeTuLnCeIReportfroTn the FirstStockholm ConfereTm OnArchiualTheoJワandthePrincipleofProvenance,2‑3September1993(Sweden,1994)pp.133‑ 138を参照。
38 ドイツのHansBoomsは嘆 く。「・・・過去20年以上にわたって、歴史家による諮問委員会 とつ きあってきた経験か ら確 信するにいたったのだが、歴史家たちの意見が一致するなんてあ り得ないのだ。評価の問題に関 して、自分の研究 に役 立つ記録を最 も重要だと見なす傾向が常 にある」。HansBooms,"Ueberlieferungsbildung:Keeping Archivesasa SocialandPoliticalActivity,"Archiuaria33(Winter1991‑92),p.29.大演徹也 も、これは民間在資料の収集につい てではあるが、大学の 「研究者」の個人的関心によって収集すべ き資料の選別が行われてきたことを指摘 している。大 演徹也、「日本のアーカイブズー現在関わるべ き課題 をめ ぐり
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」第3回EASTICA(東アジア文書館会議 )総会 (1997 年10月14日‑17日、東京)における講演。また、全ての資料 を残すべ き、という歴史家のア ドバイスについて、樋 口雄 一はつぎのように回顧する。「かつて神奈川県史の主任執筆委員をした竹内理三は公文書の選別の話が出るとすべての 資料を残す必要性を強調 されていた。ゴミとして捨てられた木簡が貴重な資料 となっていることを説明 してお られた」。樋口雄一、「公文書館 における評価 と選別」p.33。小林蒼海が紹介 した、GeraldHamのあげた事例には次のような もの がある。「高名な歴史家であるJohnHopeFranklinは、[ある事件で意見を求められて]、1974年11月に、シカゴの連邦 法廷に立ち、過去の記録を保存することの価値についてその意見を述べた。彼は、全てを取って置 くべ きである、 なぜ ならば 『今から10年、15年又は100年後に何が価値があることになるかを知る方法がない』からであると述べ た」。小林 蒼海、「アーカイブスについて」、F北の丸』(国立公文書館報第20号、1988年3月)、p.16(引用文中の漢数字は、富永が 算用数字に置 き換えた)0
歴史は本質的に後験的 (retrospective)な学問である。その本質を忘れ、歴史家に未来を語 らせ ようとす る最近の傾 向に、歴史家 として危機感を抱 く者 もいる。「通常の宗教的、哲学的、そ して道徳的教義が権威 を失 って きている。 し たがって、歴史家に人類の将来をたずねることが習慣化 してきた‑歴史家に、で きないことをさせ ようとした瞬間、い ま見たような厄介事に歴史家を巻 き込むことになるのだ。その後に続 く混乱の中では、む しろ次のように主張する方が 容易かもしれない。つまり、歴史家の仕事は、過去についての客観的な情報を与えることではな く、未来 に対するメッ セージを提供することである、と。これこそが、歴史を修辞学の一分野 として定義 し、また、歴史家の、過去 を発見す る能力を否定 したがる人々によって好 まれる立場であ り、彼に未来の青写真 を期待するものである。さあ、われわれは、
根本的な点について、きちんと確認することに しようではないか。歴史家は痕跡 (evidence)を取 り扱 うのであって、
修辞は彼の商売ではないのだ、 と」.HistoTT Textbooks/A StandardandGuide199411995Edition,American TextbookCouncil,New York,New York,1994,p.34。示 されている典拠は、Arnaldo Momingliano,"History in anAgeofIdeologleS,"TheAmericanScholar,vol.51,no.3,Autumn1982,p.5060
39 GeraldHam,"TheArchivalEdge,"p.329.「歴史学の風見鶏」 となることの本当の問題は、 アーキ ビス トが歴史 学の下僕 となることよりも、実現可能性が原理的に怪 しい目標のために、実務的で秩序的な評価 ・選別システムの発展 が犠牲になる恐れがあることだろう。