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長い年月をかけて 人類は 食 から 薬 を見つけ 薬によって医療行為が生まれ 医療行為によって医学が発展最も原始的な食療の始まり : 神農本草経 に 神農が民衆の病気を治療するために多くの草を試食し 1 日に 72 回の毒に遇ったが 茶によって解毒された 人類が進化していく過程で 火の使用は大きな役

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Academic year: 2021

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1 中医薬膳学の概念と歴史

中医薬膳学の概念

「中医薬膳学」:「中医営養薬膳学」に由来 中医営養薬膳学:中医学の理論に従って、食材や中薬を用い、健康の維持・増進、疾病の予防・治療・ 回復などを目的とする学問 食材や中薬がもっている四気五味、加工による帰経・効能・応用法などを研究し、個 人の年齢・性別・体質・体調・生活環境などに合わせた食生活を提案 中医営養薬膳学:「営養学」と「薬膳学」の2つの内容 「営」は、「営んでうまく収めること」 「養」は「補養・生長」を意味 「営養」:身体が適切な物質を体外から取り入れることによって身体に栄養をつけて成長させ、健康に向 かわせる、ということ 「薬膳」:健康維持や病気の予防・治療に用いられる、特別な食事のこと 薬膳は中医学の弁証・立法と同じように、食材や中薬を組み合わせて、栄養・効能・色・香り・ 味・形など、すべてがそろうように調理した食事のこと 現在の薬膳は、中医学の理論を十分に取り入れながらも、薬臭さを極力抑える工夫がされており、美 味しい料理として供されるようになってきている。しかし、薬膳を提供するには、中医学の弁証論治・ 中薬・食材などのついて正しい知識をもち、個人差を考慮しなければならない。

中医薬膳学の歴史

原始社会において、人類は生きていくために、まず食の問題を解決しなければならず、大変な苦労を したことが、後世の書物に数多く記されている。 『淮南子え な ん じ』に「古人は雑草を食べ、水を飲み、果実を取り、腐った貝を食べるのでよく食中毒や病気 になった」とあるように、その時代、食べられるものと食べられないものの区別がつかなかったため、 よく中毒や病気になったことが記録されている。同様の苦労は、 『山海さんかいぎょう経』の「日遇七十二毒(毎日 72 の毒に遇う)という記載からもうかがい知ることができる。 こうした長い間の実践と経験を通じて、用途が明確に分かれていった。 「食材」:穀類・肉類・魚・野菜など、口当たりがよくておいしいもの、生姜しょうが・葱そう白はく・蘇そ葉よう・「中薬」:魚腥ぎょせい 草 そう (ドクダミ)・番瀉ばんしゃ葉よう(センナ)黄柏おうばくなど、味はよくないが薬効があるも のはに分類 「食薬」:中薬の中には大棗・枸杞子など、食材として使えるもの

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2 長い年月をかけて、人類は「食」から「薬」を見つけ、薬によって医療行為が生まれ、医療行為によ って医学が発展 最も原始的な食療の始まり:『神農本草経』に「神農が民衆の病気を治療するために多くの草を試食し、 1日に 72 回の毒に遇ったが、茶によって解毒された」 人類が進化していく過程で、火の使用は大きな役割を果たした。動物の肉や植物の生食から、火を通 した食事になったことで、消化吸収が促進され、胃腸の病気が減少した。食の質・栄養状態が改善 更に様々な調理技術が現れて、食材・中薬の使い方も豊富になり、これが食文化の発生・発展につな がった。 こうした道のりを経て、食事・薬膳・薬学・医学が誕生し、中医薬膳学の土台を形成

夏時代

(紀元前 2205~2198) 文字による最も古い記載が残されている夏禹か うの時代:儀狄ぎ て きという人物が酒を造り、禹う王おうに献呈 紀元前 22 世紀、儀狄ぎ て きという人によってお酒が発明された。以後、中医学は、酒を百薬の長とした。中華 料理にとって酒はなければならない存在である。また、薬材を酒にいれ、養生や滋養用の薬酒を造った り、酒に食べ物をつけたりするなど多彩なことが行われた。今でもこういうことは多く使われ、薬膳の 一部になっている。

商時代

(紀元前 1600~1100) 商の時代は食物が豊かになり、多くの調理技術が生まれた時代 『 呂りょう氏ししゅんじゅう春 秋』に、 料理が得意で食材に関する知識が豊富な「庖人ほうじん(調理師)」伊尹が、君主に「味の根本は水にある。味の 調和は必ず甘・酸・苦・辛・鹹の五味にあり、最もおいしい味は、四川の陽朴産の生姜と貴陽の招揺産 の桂枝を組み合わせたものである。」と言ったと記されている 紀元前 16 世紀、伊尹い い んという料理人が商の王様に気にいられ、なんと首相に抜擢された。伊尹い い んは料理の達 人だけではなく、国もきちんと治めた。さらに、薬材を煎じて、その汁を飲むなどの発明を行った。こ れは、今までも使っている中薬の使用方法である。この方法は、後に薬膳スープに発展していく。伊尹い い んは これらの功績から、中国の食療の元祖ともいわれている。 『湯とう液えきぎょう経』:伊尹は煎じた湯液を作り始めた

西周時代

(紀元前 1066~771) 飲食と医療における職が設置 『 周しゅう礼らい』てんかんちょう天 官 冢宰さい第一篇:「包人」「膳夫」「医師」「食医」「疾医」「瘍医」「獣医」などの職があった

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3 「包人」:「包」は「庖」と同じ意味で、厨房を指す。「包人」とは厨房で働く人のことで、鶏肉など動物 肉の食材に詳しかった。その人数は 30 名で、助手が 40 名 「膳夫」:食事・食べるといった意味で、「膳夫」は王とその家族の食を管理し、王の食事を先に試食す るという、責任の重い仕事であった。その人数は 32 名で、助手は 120 名 「医師」:10 名で、助手が 20 名。『周礼』に「医師の仕事は規則を掌管し、効能の強い薬によって医療 行為を行い、病気の患者と怪我の患者を、分けて治療をする」とあるよう に「医師」の仕事は現代と違って、主に医療法律や政策を受け持つ、管理 職 「食医」:2名。王の飲食のバランス、四季の陰陽調和、味の配合を管理する役目 「疾医」:8 名 「瘍医」:8 名 「獣医」:4 名などの職があった。 調理師は、食医の指示通りに料理を作った。なぜなら、当時の治療方針は『黄帝内経』に書かれていた ように、「聖人は已病いびょうを治さず、未病を治す」ことから、医者によって、やまいは発生する前、予防す ることを重視していたためである。この未病を治すのに、食事や薬膳が用いられた。 この時代から、穀類・豆を利用して、酢・味噌・醤油・豆豉などの製造が始まった。

東周~春秋戦国~秦時代

(紀元前 770~206) 『山海さんかいぎょう経』:地理・環境・伝説が記載されている書物であるが、薬効のある魚・動物・鳥類・植物・鉱 物についても多く載せられている。例えば「羊のような姿で、尾が9つ、耳は4つあり、 目が背中にある」「鶏のような姿で、頭が3つ、目が6つ、足が6つ、羽が3つ」などの珍 禽異獣が記載されており、同時にその食薬としての作用について、食べるとそれぞれ、腹 痛・心痛・皮膚病が治るなどと書かれている 『黄帝内経素問』:中医学の基礎理論の基となった経典 黄帝は神農の次に現れた人物である。≪黄帝内経≫は中国の最初の医学本で、中医 学の基盤を定めた本と言われ、食事で養生を行うことが、治療手段の一環として記 載されている。 81 篇の中に、食材の四気五味の特徴・作用・使い方などに関する論述が、上古天真論じょうこてんしんろん 篇をはじめ 40 篇以上もあり、最も重視すべきことは治療より予防である、と述べて いる 精神・精気・神明・五臓六腑の働き、気・血・津液はみな助け合い、調節しながら 健康体を作っている。五気・五味・五穀・五果・五畜・五菜を四季陰陽に合わせ、 病気の時も、これらの寒熱温涼の性質と五味によって治療すればよくなるのである。 五常 ごじょう 政大論せいたいろん篇:「強い毒性をもつ薬は、病の 10 分の6を除去するが、それ以上服用 してはいけない。中程度の毒性をもつ薬は、病の 10 分の7を除去するが、それ以上 服用してはいけない。弱い毒性をもつ薬は、病の 10 分の8を除去するが、それ以上 服用してはいけない。毒性のない薬でも、病の 10 分の9を除去したら、それ以上服

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4 用する必要はない。それ以後は、穀物・肉類・果実・野菜などを食べることによっ て、気を調え養って、正常な気を回復させ、邪気をすっかり取り除いていく」とあ る 効果が高い中薬を毒といい、多く使うと身体の正気も傷めるので、薬は適量を使い、 食材と合わせて病気を治した、ということである。 食養という言葉は、≪黄帝内経≫にすでに現れている

漢時代

(紀元前 202~西暦 220) 『神農本草経』:中国で最初の薬学の専門書である『神農本草経』が出版 365 種類の薬物を、「上薬」「中薬」「下薬」の3種に分けて、詳しく説明 「湯液を作るときに君・臣・佐・使の配合法がある。君薬になるものを上薬といい、120 種類がある。(上薬には)毒性がなく、多量に長く服用することができて延年長寿の効 果がある。臣薬になるものを中薬といい、120 種類ある。(中薬には)毒性があるもの とないものがあって、病気を予防したり、強弱を補う。佐使薬になるものを下薬とい い、125 種類がある。(下薬には)毒性があり、長く服用することはできない。寒熱邪 気を取り除き、積聚などの病気を治療する 『後漢書』巻 84 列女伝第 74:薬膳の言葉が初めて記載される 母親を亡くした4人の兄弟が、新しい母親を嫌がって、いつも悪戯をしていた。この 母親は、周りの人から、悪い子供たちにそんなにいじめられるなら、別居しなさいと まで勧められた。しかし、この母親は温厚で愛情が深く、「私が大義を教えれば彼らは 自ず良い子になる」と言ったという。あるとき、長男がひどい病気になり、母親が愛 情をこめて薬膳を作って食べさせたところ、病気は治った。それで兄弟たちは反省し、 母親に謝り、その後は母親の教えを素直に受け入れて、地方の名士になったという。 『傷寒雑病論』:張仲景「医聖」といわれる この書は現在、中医臨床の経典といわれている 第1方剤といわれる「桂枝湯」(桂枝・芍薬・甘草・生姜・大棗)がある。この処方は 風寒感冒の治療方剤であるが、ほとんどが食材で構成されている方剤として、知られ ている。また張仲景は、処方を書くだけでなく、その飲み方も書いている。「薬を飲ん でからしばらくして温かい粥を飲ませれば、薬効を高める」、さらに注意事項として、 「生もの・冷たいもの・粘りのあるもの・肉・麺・刺激性があるもの・酒・乳製品・ 匂いが強いものを禁忌とする」とも書いている。 『傷寒雑病論』の中にある方剤 冷えを改善する「当帰生姜羊肉湯」(羊肉の当帰生姜スープ) 食欲不振や心の不安症状を改善する「百合鶏子湯」

東晋時代

(317~420) 葛 かっ 洪 こう :世界で最も早く脚気病を見つけた。

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5 『肘後備急方』:豆豉酒を脚気病の治療と予防に活用したことが、記載 このほか、あずき、ごまも脚気病に使われ、腹水・むくみの食療処方もこの中に多 く書かれている。

南北朝時代

(386~589) 『本草経集注』:南朝の陶弘景とうこうけい 730 種類の植物・動物を玉石・草木・虫獣・果・菜・米などに分類 その中で果・菜・米が食療の食材と中薬に属することを明記し、禁忌と衛生について 書いた。本書は漢の時代の『神農本草経』に次ぐ、中薬に関する重要な本 『雷公炮炙論らいこうほうしゃろん』:

劉宋の

らいぎょう雷 斅が

炮製を扱った専著

この時代から、貯蔵・運送のために、茶を茶餅などの形に加工し、東南アジアに輸出した、という記録 が残されている

唐時代

(618~907) 国立の医科薬科大学に相当する「太医署」が設置。博士・助教・師・工などの教員が置かれた 『備急千金要方』:孫思邈「薬王」と尊敬 多くの中薬と方剤、および食事に関することが記載。 その中で医者は、病因病機をはっきりと見極めたうえで、まずは食によって治療を 行うべきで、投薬はその後の手段である、と強調 羊のレバー・骨髄・筋・胆や、豚のレバー、兎のレバーを利用して、目の疾病を治 療することが書かれており、この時代に動物の内臓を用いて人体の臓腑を養うとい う、病気の予防・治療方法が確立したとみられる 同書「食治篇」:最も古い食療法の専門篇。果実・野菜・穀類・鳥獣虫魚の4章に分類。 『 食 療しょくりょう本草ほんぞう』:孫思邈の弟子である孟詵もうしん 食療法の最初の専門書 『備急千金要方』食治篇をもとにして、食材と中薬を増補し、138 種の薬膳の処方を編 集 『食 性しょくせい本草ほんぞう』:陳ちん士しりょう良 食材と中薬の性味・効能・使い方・用量などについて、比較的詳しく述べられている 『茶ちゃきょう経』:陸りく羽う 世界で初めて、茶の専門書。「茶聖」「茶神」と呼ばれた この中には、「のどが渇いたら水を飲む。ストレスを取り除くため酒を飲む。眠くなったら茶 を飲む」とあり、現代と同じようであったことがわかる。 『煎茶せんちゃ水記す い き』: 張ちょう又ゆう新しん 世界で初めて、お茶のおいしさが水と深く関係していることを強調 この時期は、多くの食養・食療に関する本が続々と出され、また豊富な経験を積み重ねることのできた

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6 時期であり、食療は1つの独立した専門分野として発展し始めた。食物と中薬の区別が明確となってき た。

宋時代

(960~1276) この時代、国家薬局が設立され、薬物の仕入れと販売が国家の専売となった。その後、医学史上最初の 薬品製造・販売のための「太たい医局いきょくじゅく熟薬所やくじょ」(売薬所)という官立の薬局が開設され南宋の時代に「太平 恵民局」と改名 『太平恵民和剤局方』:国家により初めて 中薬と方剤の専門書が頒布された。その中には、薬膳の処方も含まれている。 例えば、元気衰弱・真陽虚損に用いる「羊肉圓」(羊肉団子)である 母乳の出ない産婦に飲ませる「豚足と通草のスープ」 処方のより優れた効果を求めるうちに、食物や中薬の性味せ い みは効能と同じくらい重要であることが、この 時代に認識されていった。例えば、牛乳の性味は微寒であり、効能は止渇・補虚である。あずきの性味せ い みは 酸・甘・平で、むくみ・消渇・下痢などに使うといった具合である 『聖済 せいさい 総録 そうろく 』:宋の政府が編纂 「食治」門が設けられ、29 種の病症に対する、285 個の薬膳処方が収録されている。 当時、粥、羮、スープ、料理、餅、饅頭、酒、麺、飲料などの薬膳の製作方法もあった

金元時代

(1115~1368) 金元時代は、中医学の各家学説・医学流派が盛になった時代 李り東とう垣えん:脾胃の働きを最も重視する考え方 張 ちょう 従 じゅう 正 せい :攻補兼施を主張「養生のためには食によって補うのは当然である」「精血不足も当然食によっ て補う」と提唱 金時代(1116~1228) 『奉ほう親しん養老書ようろうしょ』:陳ちんちょく直 老人の病気予防と治療専門書であり、薬膳処方が 162 個ある。 「いくら医者が薬を上手に使っても、食による治療には及ばない」と記載されている。 つまり、食材に関する知識をもち、うまく食材を調合して使えば、薬の何倍も効果が あるのだから、よく薬を使う人よりも上手に食を利用する人の方が優れている 唐の時代に引き続き、『太平聖恵方』『聖済総録』『太平恵民和剤局方』などの書籍に「食治門」が設けら れている 『飲いん膳ぜん正要せいよう』:宮廷の太医を務めた忽こっ思し慧え 中国では最初の営養学の専門書

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7 元代の皇帝フビライが長寿になったことと対照的に、後の4代の皇帝は皆短命であった。 忽思慧は皇帝たちの不摂生を原因と見て、皇帝を間接的にいさめるため、この本を作り献 上した 薬膳料理が 94 種、スープ類が 35 種、お茶類、饅頭、ワンタン、点心、麺、粥など多数が 収録され、老衰を予防する処方も 29 個含まれている。また、食材の図像、薬用効果、使用 の禁忌なども紹介されている。これは後世の食療法と薬膳の発展に大きな影響を与えた。 現在の中国でも、忽思慧の薬膳メニューは多く使われている。 「五味は五臓を調和する、五臓のバランスがよくなれば気血が充実し、元気で爽かとなり、 精神が安定するため、寒暑のような外邪など、すべての邪気が身体に侵入できないので健 康になる」と、飲食五味の五臓と身体の健康に対する重要性を述べている。さらに飲食禁 忌と、スープ・粥・主菜・副菜などの献立をたくさん紹介し、食薬 230 種、図 168 枚、献 立 238 方を載せている。この本はそれまでの食療から営養保健に注目し、営養によって疾 病が予防できることを強調 中国北方の食習慣と、遊牧民族・モンゴル族の食習慣について紹介 牛・羊・馬・豚以外に、象・駱駝・虎・狼などの動物についても、詳しく説明している

明時代

(1368~1644) この時代に、薬膳学は中医学の進歩とともに全面的な発展と成熟の時期に入った。 明代で、当時の中医学はさらに発達して、薬膳に関する研究も促進した。養生や食療に関する著作が 200 種近く出版された。 『本草綱目』:李り時じ珍ちん 李時珍は 30 年の歳月を費やして、800 余りにも及ぶ古典を通覧し、『本草綱目』を完成。 その時代までの、薬用として記載されている植物・動物・鉱物などの形・効能を自ら確 認し、図と説明を入れた。その内容は、水部・穀部・菜部・果部・禽部・獣部・気味陰 陽・五味宣忌・四時用薬などに分けられ、薬は 1,892 種、方剤は 11,916 余りが載せられ ている。その中には、食療と薬膳の内容が多く含まれている 例えば、「耳鳴り・難聴の原因は、腎虚・気虚・鬱火・風熱にある。気虚の耳鳴り・難聴 には黄耆・白朮・人参を使い、腎虚の耳鳴り・難聴には豚の腎・羊の腎・鹿の腎を使う」 弁証により、耳鳴り・難聴の薬膳的な治療方法を提示している。 薬粥は42 種、薬酒は75 種が載せられており、後世に豊富な資料を提供。 本草の書物としても、食療の事もたくさん記録され、薬膳の発展に大きな貢献を果たし た 『食物本草』:姚よう可成か せ い 山の水・川の水・湧き水などのおいしさと食との関係が強調され、野菜の食用法などが書 かれている

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清時代

(1644~1911) この時代には、食療が重視され、多くの食材や中薬などの本草に関する本が整理され、出版される。 中国で最後の封建王朝だった清代には、皇帝たちは自ら養生を重視し、乾けんりゅう隆帝ていの時代から、薬膳を宮廷 に定着させた。薬膳のおかげで、乾けんりゅう隆帝てい自身、在位 60 年、享年 88 で、中国史上最長寿で、在位が最も 長い皇帝となった。 悪名高い西太后も、良く自ら薬膳をつくらせ、食べていたそうである。そのため、73 歳でなくなると きも、40 代の若さを保っていたと言われている。 『本草綱目拾遺』: 趙ちょう学がく敏びん 『本草綱目』に 716 種の薬を新たに追加 『老老恒言』:曹そう滋山じ さ ん 食材と中薬を用いて作った、老人のための薬粥の献立と作り方 100 種。 上品の粥 36 種類、中品の粥 27 種類、下品の粥 37 種類 上品の第1位は蓮子の粥 粥を作るときに土鍋を使うことを強調 『寿じゅ世せい青編せいへん』:尤ゆうじょう乗 「飲食で養生できるが、あまり噛みすぎると概も生じる」と書いており、食が体によい面 と悪い面の両方を及ぼすことを忠告し、粗食(精進料理)を提唱 病後における身体の調和と食事の注意が述べられている 『随 ずい 息 そく 居 きょ 飲 食 いんしょく 譜 ふ 』:王士 お う し 雄 ゆう 331 種の食療効果がある材料を収録し、養生と食療の両面で論述し、処方も使い やすく、食べやすくなっている 『 粥 しゅく 譜 ふ 』:黄雲鶴 こううんかく 薬膳粥の専門書。247 種の粥が掲載され、大変実用価値がある。

近現代

(1911~) 薬膳学に関するさらなる整理・開発・研究が、進められている。 1997 年、国家教育部は、中医薬大学に中医養生康復専門学部を置くことを正式に許可した。これによっ て、中医薬膳学の発展はますます加速し、食材や中薬に関する応用と研究が活発化 2002 年、全国 12 の中医薬大学の教授・専門家が集まり、はじめての『中医薬膳学』の教科書が編集さ れ、発行される。 これで教科書のなかった状態が改善され、中医営養薬膳学の発展は、さらに促進される。

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9 ■参考文献

実用中医薬膳学, 辰巳洋著:東洋学術出版社(2008) 実用中医学, 辰巳洋:源草社(2009)

参照

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