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総合討論

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Academic year: 2021

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総合討論

北原 :総合討論の交通整理係 として役割 を果た させ ていただきたい と思います。私 、北原 と申 します。CO Eプ ログラムの うち、景観 とか災害 とか とい う分野があ ります けれ ど、そこで災害痕跡 と人間活動 とい う分 野 を担 当 してお ります。今 回は私 どもが掲 げているテーマは ここに登場 してお りませんけれ ども、COE全 体で 「人類文化のための非文字資料の体系化」 とい うのをど うす るか とい うことで深 くかかわるか とい う立 場にあ りますので、何 らかの示唆 をここか ら得たい と思 ってお りますO それで昨 日二つ、今 日二つセ ッシ ョ ンが行われ ま した.です けれ ども会場か らのご質問をお受 けす る時間がなかった とい うことで、私たちは一 時間半、時間をいただいてお りますのでなるべ く会場か らの ご意見、ご質問をお受 け して、それ を本プ ログ ラムのま とめの方向に、有効に活用 させていただきたい と思 ってお ります。 ですか ら最後 のほ うにな ります けれ ど、時間を とってあ りますので最後 まで是非、私 どもにお付 き合いいただきたいて活発 なご意見をいた だきたい と思 ってお ります。 よろ しくお願 いいた します。 それでは昨 日か らのセ ッシ ョンの順番で コーデ ィ ネー ターの方に 自分たちのセ ッションの内容をお まとめいただき、5、6分ずつお話いただきたい と思いま す。では最初のセ ッシ ョンは的場先生か らお願 いいた します。

的場 :的場ですo昨 日午前 中の第1セ ッシ ョンは、この非文字資料の理論化をめ ぐる問題 で、「方法論的諸問 題」 とい うタイ トル をつけ させ ていただきま した。今年4年 目にあた り理論総括班 とい うものが設立 され ま したO われわれの研究はこのシンポジウムで報告 され るのはすべてではあ りません。それぞれ の個別研究 も そ ろそろま とめの段階に入 っています.私 の専門は思想 史です. もう一人報告 され ま した リュ先生 も哲学、

どちらか とい うと歴史や民俗学の研究者か ら見て相 当畑違いです。 しか し非文字研究の体系化、理論化 とい う問題 に関 してはわれわれ が適任だ とい うことで担 当 しているわけですO 昨 日の第1セ ッシ ョンの報告は、

それぞれ二人 とも内容 は違 いますが、新 しい方向性 あるいは全体の枠 に冒険的試み を入れ てみた らど うか と い う提案だった と思いますO リュ先生の提案 とい うのは、神奈川大学21世紀COEプ ログラムを、文科省 に 提 出 しているプ ログラムか ら区別 して、 もっと大 きなプ ロジェク ト (プログラムとプ ロジェク トを区別 しま す)、つま りもう少 しスケールの大 きなプロジェク トを積極的に提示 してみた らど うか とい う提案で した。そ うい う意味では私たちの力量のほ どかはわか りませ んが、人類学 ミュー ジアムみたいなものを構築す るプ ロ ジェク トを立ててみ よ うとC これはネ ッ ト上に構築す るものであ りますO なぜ こ うした提案 を されたか とい うと、リュ先生は80年代に起 こった技術革 命、すなわち科学の進歩、技術の進歩が学問の方法を大きく変え て しまったか らだ とい うのです.。 クーンの 「パ ラダイムの転換J とかボランニーの 「大転換」 とい う言葉で も表現 され ていま したoこの革命によって、私たちな どがや ってきた70年代 までの学問がはっき りいって行 き詰ってきたoそれ を変えるために新 しい技術革新 を行 う必要が生 じているOこれ に ど う乗 っかってい くかO とりわけコンピューターの技術の発展が もた らした影響が大 きいのですが、 これ まで私たちが見 ることがで きなかった世界 を広 げた。 こ うして今 までのよ うな細か く本 を読み取 り、歴史を研究す る といった方法、ま たそれ を学生たちに書物 を使って教 えてい くとい う方法な ど、つま り今 までの読み書き とそれ を学ぶ とい う 方法が変わって しまったo そ して新 しい研究方法、学習のスタイルができたんだ とい うわけですo はっき り いえば、 もはや大学はそ うした場所 を占めていない。 その場所は どこにあるか とい うと、バーチャル上の ミ ュー ジアムにある とい うわけですo それはなぜか とい うと、先生がいて学生がいて教室で教育が行われ る と

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い うこれ までの形が変わ ったか らであ り、 コンピュー ター を通 じて一緒に参加 し、そ こで冒険 しなが ら、つ ま り教師 も生徒 も試行錯誤 しなが らともに何かを見つけてい くとい う参加型教育に変化 したんだ とい うわけ です。 それに対応す るためにバーチャル ・ミュー ジアムが非常に有効 なのではないか とい うことを提案 され ま した。今回の報告 を見ます と、た とえば絵 引に関 して も、絵 を部分的に分 けて、そ こに描かれた道具をこ とこまかに分析す るわけですねO かつて (日本常民文化研究所 によって)行われた絵引作成 に習 って行われ ているわけですが、た とえばこれに少 し動 きを入れてみ ると道具 自体の意味 も変わる。た とえばある橋が出 ていま したが、その橋 を人間が渡 っていることと道具 とど う関係す るのか、 とい うことが見えて くると思 う んです。 これ を民具の方で行 きます とそれ を使 う人の姿が見えてきます。今回は直接 人の姿が見 えなか った んですが、民具を使 っている人間 と民具 との勤的関係 がわかる。 民具 とい う概念か らす る とそ うした見方が ふ さわ しい と思 うんですO それか ら景観 に関 して も、写真の中にある対象の さまざまな変化 よ りも、そ こに 暮 ら している人間が、他の人間 とど う関係 しているか とい うのが見えて くると思います。 こ うい う点に よる バーチャル ・ミュー ジアムによる新 しい方向なのか と思います。

私の報告に関 しては、非文字資料の方法に関す る もので したが、いわゆる文字的な資料の方法 を超 えた よ うな方法論があ りえないか とい う問題提起で した。文字資料の方法論について昨 日次の よ うに考 えま した。

それ は、文字資料はひ とつの文法的 コー ドを持つoLかもそれは、かな りカ ッチ リした コー ドですoだか ら、

それに したがってすべての ものが同 じよ うに理解 され、同 じよ うに発見 され ると考 え られ ていたわけです。

しか し、実はその コー ド自体他の見 えない部分を消 していたわけで、その消 した部分、す なわち文章 コー ド に見 えないよ うな部分 を新 しく読む ことができる。 この消 された部分 を非 コー ドといったのですが、 コー ド 化 されていない ものの読み取 りの可能性があるC非文字資料の研究 とは畢寛 この コー ドの解読ではないか と 考 えます と、た とえば絵 引きの場合で も基本的には リュ先生の提案 と同 じことになるわけですが、一つ一つ の動作や 、あるいは描かれ ている人 々の部分を分析す ることではな く、全体 としていったい何 を意図 してい るのか とい うことを見 ることになるわけですOそ うい う方向か らその時代の人の考 え方や た とえば人の身体 を見た りす るこ とはで きるだろ う.D もちろん民具において もそ こにかかわっている人間の問題 です とか、そ の人が どのよ うに民具を理解 しているか といった問題 が見えて くるのではないか と思 います。 同 じことは写 真にも言 えます。写真 を見 る側 の問題 、またその景観 をその当時の人々が どのよ うに見ていたのか とい うこ と、確かに変化 とい うものは面 白いのです けれ ど変化 よ りもそ こにいる人たちが普通の風景 をある一定の期 間 どう見ていたのか とい う問題 も見えて くるん じゃないか と思いますo Lか しこれはいずれ に して もこれ を 具体的に、プ ログラム作成 として、何 らかのデー タベースや他の形 あるものに結実 させ る とい う意味では大 風 呂敷な話にす ぎません。 しか し、理論班の役割 が、議論 をふ っかけるとい う点にあ りますので、少 しハ ッ タ リをかま しなが ら、それ ぞれの班 にこれ らの問題 について後か ら答 えていただ くとい うことで次にお願 い いた します。

北原 :次、 ど うかお願 い します。第 2セ ッシ ョンでまとめた ものを、今の問題 を受 けなが らで結構ですか ら よろ しくお願 いいた しますo

金 :まず、セ ッシ ョンの課題 をま とめるところか らは じめたい と思います。セ ッシ ョン2は、基本的に

CO

E第 1班 の活動を集約 した もので、テーマは図像資料 を生活文化の研究のために資料イヒ・体系化す ることで あ ります。その実質的な 目標が絵引編纂であ り、今 日の報告では福 田先生、田島先生に実際の絵 引編纂の過

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程 の例 を報告 していただきま した。 まず、福 田先生は絵 引編纂の重要性 と独創性 について触れ ていただきま した。生活給引の作成 は個 々の図像資料 を個別に分解す るのではな く、全体の図像資料が置かれた相互関係 をも視野にいれた作業であるとい うことを強調 され ま した。 また、図像資料か ら引 き出 した情報は特定の地 域や時期の 日常生活 を知 る手がか りになる研究資料になる点 についても指摘 され ま した。福 田先生の絵引編 纂に対す る考え方は、第 1班の絵 引編纂の作業 を支 える方法論で もあ ります。

次に 日本近世編 を担 当 している田島先生の報告は加賀の農書である 『農業図絵』 を活用 した絵 引編纂の中 間報告で したO『農業図絵』に描写 され る庶 民の生活に注 目し、細か く切 り取 った図像 に事物の名称 を与えて 内容を解説す る実際の事例 を紹介 していただきま した。『農業図絵』が作成 された特定の時期 と場所 に関連す る言葉や用語な どを撤密に拾い上げ、解説 を加 える研究過程 を報告 していただ きま したO

次に台湾の中央研究院の王正章先生ですが、王先生は神奈川大学coEの絵引編纂には直接かかわっている 方ではあ りませ ん。ただ し第1班のメンバーの中には中国美術史を専門 としている人がいない とい うことで、

ご専門 としている中国の明暗時代の都市図について教 えていただきた く、お招 き しま した,王先生は17世紀 18世紀に制作 された中国の風俗画、特に都市図を とりあげ、その作例 を数多 く紹介 していただき、都市図が 広 く流布 し、珍重 され る社会的背景 について言及 されま した。 中国の都市図について広 い視野でアプ ローチ

され たご発表はこれか ら我々の第1班の東アジア編の編纂に も役に立つ ことで しょう。

私の報告は主に韓国朝鮮編の絵引編纂 に関す る資料収集の過程 と朝鮮時代の図像資料の作例 として r平壌 監司饗宴図」について報告いた しま した。韓国朝鮮編の絵 引編纂では朝鮮 時代 を代表す る風俗画家の 申潤福、

金弘道の r昔園侍神帖」、「檀園風俗画帖」の作例が極 めて重要であることについて紹介 し、その他の作例 と して18世紀後半の制作 と推定 され る 「平壌監司饗宴図」を取 り上げ、朝鮮時代の地方都 市平壌 とその文化の 読み解 きについてご報告いた しま した。

二人のコメンテー ターか らは、以上の報告について貴重な ご意見をいただきま したOまずモス トー先生は、

イ メー ジはただ事実を抑いているのでは く、それ を作 らせ る力がその背景にあると述べ ま した。したが って、

絵 引編纂作業には、必ず図像資料の検証 と裏付 けが必要であると指摘 していただきま した。 この点は、我 々 も常に議論 して きた ことではあ りますが、絵 引編纂に向けて改めて検討すべ き点である と感 じてお ります。

そ して、 トレーデ先生か らは図像資不il・の編纂の対象 をどのよ うに考えるべ きか、 とい うことについて コメン トをいただきま したO 図像資料の裏付 けの問題 と関連 して、果た して図像資料は信悪性のある資料なのか、

とい う根本的な問いで したO 中国や朝鮮の都市図に描かれ る図様 は、実際の場面を表わ しているのか、 とい う問題 ですO写実的な図像資料はそのまま信 じることができるか ど うか とい う問題提起で したo

河野 :セ ッシ ョン3は 「率の形態比較か ら東アジアの民族移動に迫 る」 とい う大風 呂敷を広げま した。 中国 に関 しては東海大の渡部武先生、韓国に関 しては仁荷大学校名誉教授 の金光彦先生、 日本 に関 しては河野が 担 当 しま して、雲南大学の声紹亭先生にコメン トをいただ くとい うかたちでや りま したoセ ッシ ョンと して は割合ま とまっていた と思 うのですが、 これ はコーデ ィネーターの力量ではな くて、皆 さんのご協力があっ たか らです。実 は準備段階で さほ ど多 くの時間を使 った とい うわけではないんです. これ は 日ごろか らお互 いが論文交換なんかを しているなかで相手に一 目置いている、お互いが コイ ツはす ごいやつだ と認 め合 って いる者 同士で信頼関係があったので、他の用事 よ りも優先 して神奈川大学のシンポジ ウムに出よ うと都合 を つけて もらいま した し、ま さに信頼関係の賜物 だ と思います。 タイ トルの民族移動 を探 る とい うのは私が提 起 した ことで、それ に賛同 して集 まっていただきま したOですか らここの場でそれができたわけではなくて、

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これか らや りま しょう、そのためには今 までお互いが どこまで到達 したのか とい うことを出 し合 って摺 り合 わせ をや ろ うとい うのが今回のセ ッシ ョンです。 ですか ら次回以降にだんだん発展す ることが期待 され るん ですが、セ ッシ ョンが終わ って昼の会合の中で来年はこのメンバーで、中国で開いてみ よ うか とい う話 も出 てきていますのでそのあた りに期待 してお ります

八久保 :第4セ ッシ ョンですが、個別 の内容に関 しては先 ほ どの ことですので、全体 としての問題 点、課題 な どがあげ られたわけですが、それ について少 し述べたい と思 います。私たちのプ ログラム とい うものが、

人類史の理解手法 として非文字資料 に注 目す るとい う前提に立って研究 しているわけですが、その中で我 々 第4セ ッシ ョンに求め られたのは以下の3つの課題 であると思います。

一つは淀揮写真 をマテ リアルズ として使 っているわけであ りますので、写真の分析、読み取 りとい うもの の問題 であ ります。 この間題 は コメンテーターの鄭先生が指摘 され たよ うに、彼の地に行 って別の国の人が 調査す るとさまざまな間違 い、思い違 いが生まれ るので、その国にいる研究者 と交流 しなが ら進 める必要が あるとい うことで したCそれは重要 な点であ ります。 これ を人類史 として広げてみ ます と、我 々があま り得 意 としていない、語学 の習得である とか、諸地域 における地理情報の習得であるとかを個別研究者 が深 める 必要があるとい うことがわか った と思います。 このプログラムを構成す る先生方に も実は求め られているの かな と思います.⊃

それか ら二つ 目はパ ブ リケー シ ョンの問題です。表現の形態 と して博物館 であ り、バーチャルな ものの利 用 であった りす るわけです けれ ども、そ ういったものを利用す る場合にいったい どの よ うな課題 があるのか とい うことです。 これ は奥野先生のほ うか らの提言であったか と思います.。我々のプ ログラムについて考え てみ ると先ほ どの前提 に迫 るためには もっ と多様 な、分割 された 目的 とい うものがあって、 目的の明確化 、 到達 目標な どをある程度構想 しておかなけれ ばな らないだろ うとい うことであったか と思います。

それか ら三つ 目は、お二人の コメンテー ター、私 も、報告者 もそ うであったのですが、先 ほ ど金先生 に も 言っていただいてあ りがたかったのですが、プログラムの他のセ ッシ ョンとの連折 とい うところであ ります。

た とえば絵画資料 と写真を連続的に捉 えるであるとか、民族移動 と地理的な景観 の変化をいかに してつなげ て考 えるか、融合化 させて考 える必要があるのではないか とい うことであったのではないか と思い ます。 さ ま ざまなスタデ ィーマテ リアルズを我 々は使 っているわけであ りますので、その部分での融合化 と、 この よ うな言葉があるか ど うかわか りませ んが 「結晶化J

r

結実化」す る方向 も必要か と思いますoそ ういった場合 に私たちに求め られ るのは、個別の接近の仕方は違 うのだけれ ども、ある目的に向か って一緒に歩いている とい うことにな りますが、その際には、 もう一度 自分たちの研究における立場である とか、視座である とか 明確化 して こ うい う方向か ら私たちは考える、その中で受 け入れ られ るもの、そ して乗 り越 え られ るの も私 たちが認織 していかなければな らない とい うことを考 えてお ります。

個別 の質問には発表者 もフロアにお られ ますので、直接 ご質問いただければ と思いますD以 ヒですo

北原 :あ りが とうございま した。それ では とりあえず皆 さんの これ までの二 日間で議論 された ことをおま と めいただいたわけです け ど、ここか らは共通の問題 をどのよ うに議論 してい くのか とい うのは、なかなか難

しい と思います。最後の第4セ ッシ ョンでい くつか問題 を提起 された、全体にかかわることと して写寅 と図 像 との関係では共通す る問題 があった と思いますので、八久保先生のほ うか ら個別の接近の方法はそれぞれ 違 うけれ どもス タンスを明 らかに して、共有できる方法 を開拓す るとい う意味で、共通す る論点がある と思

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いますので、それぞれ の立場か ら相互に共通 した議論 として何が問題 にな りうるのか とご提案下 さいO また 的場先生の表現の問題、デジタル人類学の方にな ど、い くつかあると思いますのでその辺 も含めてお話 し下

さい。

八久保 :はい。その問題 においてはコメンテー ターの奥野先生か ら質問、問題提起があ りま したので、その 質問を奥野先生か らお話願 って我々に再度 、課題 を投げかけて もらって、それに答 えるとい うかたちに した い と思います。先生いかがで しょうか ?

北原 :も う一度 、質問を繰 り返す と時間がかか りますので先生の方でおま とめいただいて、それで奥野先生 にお答 えいただ く部分 を明確に してか らの方がいい と思いますのでよろ しくお願 いいた します。

八久保 :まだ終わったばか りでま とま りきっていないので、奥野先生か らも う一度発言いただけないで しょ うか。

北原 :では奥野先生か ら発表者 に対 して された質問を もう一度お願 いいた しますo

奥野 :図像 と写真 の関係です けれ ども、1930年代の溢滞 フ イル ムコレクシ ョンの場合 は30年代 と限 られて いますが、今の時点か ら見れば、今の周辺 の写真 を撮 って、また間の時代の写真 を探 して集 めることが可能 ですo写寅だけ じゃな くて分析す る際に浜 田先生や藤永先生の場合は地形図 とか他の材料 も使 っています。

さらに昔の集落、昔の様式 を1930年代が どのよ うなベースになっているのか、そ して今の時点で どう読んで い くのか、その よ うな説明、融合化が可能ではないか と考 えています。

八久保 :基本的には先ほ どまとめた問題の3番 目に当たると思いますD写真 とい う具体的なものか ら、 もの をあつか うとい うときに射程においたのはや は り図像であって、 どこに違いがあるのか見つけよ うとしてい た ところだったのですが、個々に違 った側面はあ りますが時代のスパンを広げてみ るとあま り変わ らないの ではないか と思っています。 いつか金先生 と議論 した中で、図像資料が 18世紀、19世紀以降に写真 にかわ っていった と、それ と同 じ性格 なんだろ うか とい う話 を しま したけれ ども、それについては私 の判断 もつ き かねていま して、逆に金先生が どのよ うなご感想 をお持 ちなのかお教 えいただけれ ば と思 っていますが ・‑0

北原 :それ では金先生のほ うか ら私の疑問 もかねてお答 えいただ くかたちでご対応 いただければ と思います。

私はお伺 い していて昨 日の第2セ ッシ ョンの ご発表 とい うのは絵引の方のお二人の発表 と、後の金先生 と王 先生の美術史のお立場が明確な ご発表であろ うと思います 絵引のほ うの ご発表 とい うのは描 かれ たものが 何 か、描かれた ものの分析 であるO それ に対 して美術史の伝統的な学問のや り方なのか も しれ ませ んが どの よ うに描かれているのか、絵画全体の系譜論 とそれが ど う変わったのか とい う感 じで どこかではクロスす る んだけれ ども具体的に出て くる分析方法 とい うのはだいぶ違 うと思っていますので、その辺は写真 とも通ず ることで何 を撮 ろ うか としたのか、そ こに写 されたものをど う分析す るのか とい うことでは、作者の視点 と、

撮影者の視点、そ こに出て くる対象 とでは共通す るもの と感 じてお りますのでそれ を含 めて金先生の方か ら お考えをお示 しいただければ と思います。

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金 :具体的には写寅資料 と絵画資料が共有できるものは何か とい う質問であったか と思 いますが、まずそれ にお答 え したい と思います。今 日の写真資料に対す るお二人の発表の中で、私の記憶 に残 るキー ワー ドは、

写 し手が どのよ うな意図で写真 を撮 ってい るのか、撮 った意図 とは裏腹に撮 られた資料が どのよ うに使われ るか とい うことで した。 ここで、写真は果 た して写実的なのか、また、絵画 と して描かれ た図像 はあるがま まのことを描いているか どうか、とい う慎重な資料批判が必要になろ うか、と思います。これはCOEの 1班、

また3班の重要な課題であると思います。 昨 日の リュ先生 (フランス)の発表で印象的だったのは、 ヨー ロ ッパの絵画は19世紀にモダンアー トが始 まる前まで、絵 を眺めることはすなわち文字 を読む ことであった と い う発言で した。 とい うのは、ヨー ロ ッパの絵画は19世紀 まで人物画であれ、風景画であれ 、物語 を示唆す るイ コンが描かれてお り、絵 を眺めることは、すなわち物語 を読む行為であった とい うことです。東アジア の美術において も、 とくに 日本の絵巻物は、物語 を絵画化 した ものですか ら、絵の背景に物語 を背負 ってい ることにな ります。絵巻物 を編纂資料 とす る絵 引の編纂で重要なのは、物語のス トー リーか ら一歩、離れ る 必要があるとい うことです。.仮に写真資料 に も物語 を背負 ってい るところがあるとい うのであれば、その背 景にはやは り写 し手の考え方が存在 しているとい うになるのではないで しょ うかO この点についでは写真 と 絵画資料で も共に考 えなければな らない共通点であると思いますO

も うひ とつの ご質問ですが、美術 史の方面か ら分析 している図像資料 と福 田先生 、田島先生が考 える図像 資料 とはかな り異なるよ うに受 け止 め られ た とのご指摘ですが、美術 史的な図像の分析 と生活給 引の図像分 析 が必ず しも相反す る ものではない とい う認織が必要だ と思 います。私 自身、美術史の専門家 と しては じめ てCOE第1班 の絵 引き編纂の作業にかかわ った ときに実は驚 きま した。例 えば、絵画作晶の中の一部の生活 の場面 を切 り取 ることに違和感 を覚 えま した。 しか し、研究を続 けている過程で、美術史研究が見逃 しがち な図像の細部に 日常生活 に関わる情報が多 くあることに気づかれ ま したO生活給引の研究は従来の美術 史研 究、すなわち、構図の分析や制作年代、作者の意図な どとは異なる角度か ら絵画作品の持つ可能性 を広 げて いると思います。

北原 :あ りが とうございます。今の点 は部分 を切 り離 して全体を見ないでいいのか とい う最初の問題 を提起 され たこと、いまの問題 をどのよ うにお 考えにな りますか。

的場 :こ うい うことだ と思 うんです。先 ほ どの リュ先生のお話 で 17世紀、 18世紀に西欧画の技法が変わ っ た と。 たぷん絵の技法には、図像学的なあるイ コン、ひ とつのス トー リー を描 くとい うよ うな時代か ら、 17 世紀のオランダ派の よ うな風景画の時代、あるいは人物画の よ うな写実的な、つま り何かを写実的に描 ける んだ とい う、客観的にコー ド化可能だ とい う発想 を もった時代があったOすなわち、絵画は客観的に理解可 能で、人間は見たままにそれ を理解できるんだ とい う気持 ちを持 っていた時代がある程度 あったわけです。

それが私の話で言 えば百科全書派の18世紀の時代であったわけです。逆 に言 えばその時代に、初 めて客観的 に柵 けるのだ とい う尺度ができた とわけですQ客観的な尺度 とい うのが実は、それ 自体文法的なコー ドで、

ある程度客観性 が出せ るんだ とい う認職 と一緒になっていた。だか ら、問題は私たちが絵引を研究す る場合、

た とえば18世紀の方法に則 って、部分 を微細にかつ正確に描 くとい う発想 を前提 に しなが ら、そ こか ら得 ら れ た認織が正 しい とい うな ら、なるほ ど分析的手法 とい うのは意味がある。 それは絵画が文法的に コー ド化

されているわけで、その限 りにおいてたぶんその時代の人間の考え方 をそれぞれの資料 に読み取 り、説明す

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ることができるわけです。 ところが問題は、絵画がそ うした理解 の手段 となるとい う考え方 自体が しょっち ゅ う変わってい くわけです。 こ うした17世紀、 18世紀 にあった考え方は、当然19世紀 になると印象派が出 て きて、物事 を写実的に描 く、つま りものをまるで レンズの よ うに真実 を写 しとることをや めます。認識手 法、つま り考 え方が変わってい く。 同 じよ うに人間の知覚に関 して も、昨 日の私の話で言 えばフ ッサール以 降の哲学の変化 とい うか、認織手法が どこかで大 きく変わってい くわけです こ うした変化 に注意 しなけれ ばな らないo私たちがある時代の絵 を探 る とい う場合、その絵がいつ描かれ た、 どこで書かれ た とい うこと

も重要です けれ ども、それ よ りももっ と、 どうい う認織 の視点に立 って、 どのよ うに捕 こ うとされたのか と い うことを認織 しなけれ ばな らない。 この ことが絵 を全体 と して見 るとい うことなんです。 どのよ うに一つ 一つの事実について描いているかではな くて、事実について描 こ うとす る意思があったのかDた とえば昨 日、

都市図が出 され ま したが、何でその時代の人 々は飛行機 もないのに都市図がかけたのか、山に登 らないのに なぜ 山か ら見た絵 を描 くことができたのか、こ うい うことを含 めて、その何 らかの意図を知 ることが必要で す。認織す るための意 図 とい うものが明確 に され ては じめて、絵が どうい う客観性 を持つのか とい うことが 議論 され るのだろ うと思います。その限 りにおいて柵 く立場の問題 とい うものを もう少 し議論 された らどう か とい うことを述べたわけです。

北原 :ど うもあ りが と うございま した。 ち ょっとかけ離れ ますけれ ども、セ ッシ ョン3の方では考古学資料 と合わせて古い絵 図を問題 とされま したO その辺でセ ッシ ョン3の方で今の問題 とかかわって、時代 も設定 が違いますが絵画 としてみ るのか、実証、本 当に寅実が描かれているもの として絵 を処理 していいのか、河 野先生の場合、考古資料それに (絵画 を)検証す る材料 として導かれ ています けど、絵 についての検討 とし てはこれまで どのよ うな議論がな されているのか、今 までの議論 と関係付 けてお話いただけますか。

河野 :はい。私は博物館の収蔵庫で民具調査 を始めたのが 1981年なんで、26年間や っているんですが、一 方で r匹I季耕作図」の研究 とい うものを10年余 りや ってお ります。それ は美術史の研究ではな くて、まさに 農業技術史 として個々の絵 が資料 として どの程度使 えるのか、そ こでは単純に ウソ、ホン ト見分 けなんですD なぜそのよ うなことが必要か といいます と、日本は中国文化圏ですので、「匹卜季耕作図」とい う稲作の一年 を 四季 を交えて描 くとい う画題 が 日本で室町時代以降に出て くるんです が、それは もともと中国の 「耕織図

の輸入に始 まるわけなんですO ですか ら狩野派が描いた ものなんかで、久隅守景の作品 もそ うなんですが、

日本の農村風景 を描いたよ うに見えるに もかかわ らず、 じつは中国の絵 が手本 になっていて、中国の絵柄 に 服装だけ 日本に差 し替 えているとい う安易 な もの もあるんで、農業技術史屋 と しては、その ウソ ・ホン トの 見分けを ど うして もや らなければな らない。です か ら実際の農具 との突 き合わせ をや っていっているわけで す。 その‑んは美術 史屋 さんの弱い ところです。 それで四季耕作図が資料 として どこまで使 えるか とい うこ とをやってい くと、粉本 といっていますが絵手本 に基づいて描 くとい うのが結構 あって、危ない といわれて いるわけですが、調べ ていけば江戸時代の絵で絵手本 となるものの数が意外 と数が限 られ ていることがはっ き りしま したO 大坂で享保年間に出版 され た 『絵本通宝志』 とい うものがあ りますが、 これが全国的な絵手 本 として トップで、東北地方か ら九州 まで使われ ていますO だか ら東北地方の犀風 にあったか らといって も 東北地方の農業 とは限 らない し、大分県の絵馬 に大坂地方のスケ ッチ を もとに した 『絵本通宝志』の絵がそ っ くりそのまま描かれ て とい うことがあるんですねo なぜその よ うなことが起 こるのか.農村 です よね.見 る人は農家の人々、それ な らウソ、ホン トは見分けがつ くはず。 に もかかわ らずその絵が地域社会で受 け容

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れ られているとい うのはなぜ かO絵師に注文 して も絵師の方はだいたい農業は苦手 とい うか、農業に関心が 薄いです。都 市生活や時代 のファ ッシ ョンには敏感 ですが、農村風俗 はあま り熱心に見ていない。 そ こで注 文が くると自前では描 けないので絵手本 を借用す るわけです にもかかわ らず農村で受 け容れ られている と い うのはなぜか といいます と、 日本 の 「四季耕作図」 とい うのは農業 を描 いていて も文化 としては京で生ま れ た都会の文化 なんですね。都会か ら広が って くる文化なので、有名な絵師が描いて くれれ ばそれで大満足 で、中身が実際の農具 と合 っているか どうか とい うのはあま り問題 に しないんです。

それで話 を戻 しますが、絵手本では 『絵本通宝志』が圧倒 的で一番 多 く使 われていますC次は 『女大学宝 箱』の 口絵がよく出てきます。 その他は二、三 くらいで、それ ほ ど絵手本の種類 は多 くない とい うことがわ か って きま した。とい うことはそれに外れているものは地元の様子 を描 いているとい うことになって、ウソ、

ホン トを見分 けるのがかな り正確にで きるよ うになってきま したO とい うことをや ってお ります。

北原 :あ りが と うございますO そ うします と、今、先生がお っ しゃった点 とい うのは、例 えば 『農業図絵』

を分析 された田島先生の方向で活かせ るご提言 と受け止めて もよろ しいか と思いますが、会場の方か らもい ろいろな ご意見 をいただきたい と思 います ので、 とりあえず私たちの方の情報発信 を どの よ うに してい くの か とい うことを、セ ッシ ョン 1で図書館 と博物館 が融合 した新 しいかたちと しての リュ先生の提案であるバ ーチャル ・ミュー ジアムorデ ジタル人類学、とい うよ うな話 もあ りま した し、最後の奥野先生の情報発信 を どのよ うなかたちで考えているのか、溢滞 フイル ムはデ ジタル化 して開示す るのはいつ頃なのか、 この間題 の障害は何かあるのか といった非常に具体的なかたちで もでて きま した.。 この間題 について少 しそれぞれの 立場か らお考 えを今進行 していることを含 めて、述べて もらいたい と思います。議論 を交わす とい うチャン スがなかなかないんで、せ っか くであ ります し、 こ うい う場ですがそれぞれが行 っていることと提案、情報 発信 のあ り方に関 して、 この程度はで きるんだ とい うことをまず2、3分でお話いただいて会場のほ うか ら

どうい うかたちでや ってほ しい、あるいはそれ はかたちを変 えて こ うしてほ しい とかいろいろなご注文 とこ のプ ログラムについて もあると思いますのでそのよ うに話 を展開 させ ていただきたい と思います。 では八久 保先生のほ うか ら順にお願 いいた します。

八久保 :先 ほ どま とめの ところで も触れ ま したが、我々がいちばん問題 としているのはこのプ ログラムの中 で地域スケール、地域 区分の特定化 とい うものがな されていな くて、フロアか らも意見がでま したが 日本 と い うのは どこまでか、河野先生の ところでは中国が9つの地域 に分かれ る話が出て きま したけれ ども、地理 学か らす ると扱 うマテ リアル を分類す る ときに地域的に どの よ うに分ければいいか とい うことを重要な問題 と考 えている訳です。昨 日の話で平壌城の図を使 われた中でお話 をす るときに地方 とい う捉 え方 をされた と 思います。 ところが高句麗の中心都市、都であったわけで したか ら、朝鮮時代には地方であったか も知れ ま せんが、描かれた時代 は中心的な構造、キャピタル的な構造 を持 っているとい うわけですか ら、時間的な中 心、周辺 と分 ける となれ ば分類 上に、今の地域 区分上で分 けていいのだろ うか と検討 している ところであ り ます。 い くつか河野先生の ところでは都市 と農利で あるとか とい う言葉 を使 われた と思いますが、絵画が都 会か ら農村に伝播す る とい うことがある とい うことだったのですが、その場合の都会 とい う概念がグローバ ル に見た場合に 日本の都市 と農村、 ヨー ロ ッパにおける都市 と農村、新大陸にお ける都市 と農村 とい うもの が同 じものではなかったわけですO我 々が地理学上の知識 と して覚えている点は、 したがって どのよ うなカ テ ゴ リー分けをす るか とい う手法上の問題 として苦労 しているところです。

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北原 :情報発信 としては話がなかったよ うです けれ ども ・・・。

八久焦 :したが ってそのよ うに求め られ る場合に新たな地域 区分な り、それか ら分類手法、カテ ゴ リー分 け をいかに して提示できるか とい う共通 した問題 をもっているとい うことです。

北原 :わか りま した。

河野 :情報発信ですね。私の分野では非常に難 しい状況にあ ります。私は もっぱ ら博物館 ・資料館の収蔵庫 を見せ て もらっているんですが、収蔵庫 とい うのは本来非公開なんです よねO整理が出来てないか らな どい って先方 さんは見せたが らないんです。それ をなん とか と頼み込んで見せて もらって写真 を撮 っているんで す け ど、 この場合 に私 と相手側 の無言の了解 とい うのは、資料館側 には寄贈 を受 けたけれ どもどうい う性格 ものかわか らない民具をよそか ら調べ に来て、それで 自分の ところの資料が ど うい う意味を持つのか明 らか に して くれ るだろ うとい う期待があ ります。 こち らはそれで調べ させ て もらっているわけで、 したがって論 文でそこの資料の位置づけをす るかたちでの発表 をす ることについては当然なが ら了解 して、喜んで応 じて もらえます けど、そ うい う歴 史的 ・学術的位置づけを しないで、いきな りデー タだけを公開す ることは、信 義に反す ることです。情報発信は本来、そ この資料館 が 自分で整理 を してデー タ公開をす る問題 なんです よ ねOそれで このCOEがは じまった2003年の8月か ら2004年の8月まで13ケ月間で東北地方6県を駆 け足で まわ って 174箇所 の資料館 を回 りま した。 それな りにた くさん写真は撮 ってあ ります けれ ども、これは生デ ー タのま までは公開できないですね。デー タベースをつ くれ といわれ ても、私の分野ではまずは難 しい とい

うことです。

北原 :必ず しもデー タベース とい うことが情報発信 とい うわけではないので、まずは論文化だ とか ・・・。

河野 :順番はそっちか らとい うことです。

北原 :いろんなかたちがあると思いますけれ ども、それぞれが もっている問題 をご提示 いただ くとい う点で は今の ことを一つ考えておかなければいけない。つま り私たちが持 っている資料ではない ものを土台に しな が ら分析 をす る場合の苦労 とい うのは図像 の場合 もあるわけですが、この辺 を含 めて金先生いかがで しょ う か ?

金 :河野先生がおっ しゃることは第 1班 の問題で もあ りますo現在、絵引編纂資料 と して取 り扱 っている図 像資料の中には、 日本近世編 を除いては、所有権の問題 が係わっていますo そ して絵引編纂は、所有権だけ ではな く、作業その ものが非常に時間を必要 としますO そ うい う意味では、様々な困難 と闘っているところ です。 どのよ うに第 1班 の研究情報を発信 してい くかは、至急検討すべ き課題である と思いますが、絵引は 字引に対す る言葉であるよ うに、いわゆる辞書のよ うな ものですQ使 いやす くす るには、デー タベースを作 成 して、ネ ッ ト上に公開す るのが最 も理想的だ と思 ってお りますO

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北原 :あのその場合ですね 材料 とす る資料に関 しては、すでにこ うい う方向で考えているとい うことにつ いては所蔵者の許諾な どを得 られている現状で しょ うか ?

金 :日本近世編纂 の資料 についてはある程度 ク リア していると思 ってお ります。中国編の資料は18世紀の蘇 州 を描いた 『姑蘇繁華図』 とい う巻物の絵画作品です。 中国藩陽の遼寧省博物館の所蔵で、 これか ら正式 に承諾 を得なければいけないのですが、2回にわたる作品調査の際に、神奈川大学 COEが資料の活用を希望 す ることについては遼寧省博物館 に伝 えてあ りますO韓国 ・朝鮮編の資料ですが、編纂資料になる一連の風 俗画は殆 どが韓国国立中央博物館 の所蔵で、基本的には大 きな問題 はない と思います。

北原 :そ うします と、かな り可能が高い とい うことで、期待 され るわけですねC

北原 :的場先生のお立場か らいかがで しょ うか。

的場 :私の立場 はですね、具体的な仕事 を何 もや っていないので、何で も言 えちゃ うとい ういい加減な とこ ろがあ りますO けれ どそれ を前提にす る とい うことで、そのバーチ ャル ・ミュー ジアムとい うか、そ うい う 発想か らすれば何が言 えるか とい うと、まず今の有形の具体的な資料な り、また具体的な写真 とか絵 とか、

こ うい うものを版権 な くして、 ど う公開す るか とい う問題 があ ります。 もちろん、 こ うい う問題 でいえば確 かに非常に難 しい問題が今 はあると思 います。 ただ、昨 日に橘川先生が質問 された ことに、本物 と偽者の違 い とい う問題 があって、本物の もつ迫力はや は りあるのではないか とO で、バーチャル ・リア リテ ィーの世 界は、 どちらか とい うと偽者 です よね。偽者 の世界では例 えばバーチ ャル ・リア リテ ィー、バーチャルの ミ ュー ジアムの空間では、作 られた偽者、本物ではない偽者 を作 りなが ら、それ を触 った り、壊 した りす るこ ともできるわけです。そ うい う形で展開すれ ば、可能だ と思 います。版権が どこにあるのか とい う問題 は も ちろんあ りますO私たちは論文を書 くとき、 自分の論文は どこに版権 があるか とい うことを考 えます,資料 を集 めて資料 を並べただけな ら、その論文の版権は全面的に資料を持 っている人にあ ります よねD しか し、

その資料 をどの よ うに方法的に新 しく読み直 し、 どのよ うな結論 をつけたか とい う新 しい何かが付加 されれ ば、私たちは新たな版権を持つ だか ら、そ うした編集権 とい うものな らば、公開 し、並べ ることがで きる と思いますね。それは一種 の方法の展示 なのですが、そ うした方法をバーチャル空間の中に活かす ことがで きるのではないで しょ うかD人間の動作だ とか、動 きです よね、こ うい うものをその中に入れ 、一つの図を 勤か してみ ると、 これ はも う、 もとの絵 よ り新 しく動か した方に新たな版権が生 まれているのではないか と

も思います。

も う一つは、さきほ どリュ先生が、たぶん一番手頃だろ うとい うところでお っ しゃった例 だ と思 うのです けれ ども、マ ッピングとい うか、いわゆる文化図ですね。それぞれの研究成果 としてこ うしたマ ッピングが あがって くるO今 日の民具研究な どがま さにそ うだ と思いますけれ ども、それぞれの地域 の文化的な コー ド 体系 とい うか、ま とま りですね。そ うした文化的体系をま とめてい くと、様々な国家のよ うな もの、つま り いろいろな境界ができて くる。 こ うい う境 界 とい うものは、研究の結果や成果ですね。それはまさに私たち 大学が もっ とも得意 とす る部分ですO何か を具体的に展示す るとい うことは、図か何かを情報発信す る とい うことで もあ り、それ は結果 と して得 られ た研究成果 をマ ッピングとい うか、マ ップのよ うな ものを作るこ とで もある。そ うしたマ ップを塵ねあわせ るよ うな、多次元的な方法が積み あがってい くとことになれ ば、

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多分、版権の問題 はそれ として残 る として も、得 られた結果の展示 は可能である。 た とえば、民具研究の結 果、つま り民具の写真 を公開す るとい うのではな く、今 日もあ りま したよ うに、民族移動が分かる とい うマ ップを逆にネ ッ ト上で公 開す ることが可能になる。 この間題 についてだけな らば、たぷん版権の問題 を完全 にク リアーで きると思 うのです けれ ども。

北原 :力強 い とい うか、何で も言 える とい うことを前提 に話 して くだ さいま したけれ ども、や っぱ りそ うい う形で私た ちが学術 とい う点で努力す る領域がかな り大きい、とい う領域の可能性が示 され ま した。それで、

もう一つは私が昨 日印象的であった、懇親会の会場においてです けれ ども、 リュ先生がナ シ ョナル とい うふ うなものを越 えて、今 ある政治的に組みあげた国の額域 を超 えた文化領域 としての地図、そ うい うものが作 られ るとい うことが意味があるんだ、 とい うふ うなことをお っ しゃったのです,そ うい うことを 目指す と、

なかなか楽 しいことになるな、 とい うふ うに感 じてお りますO

現在、まだ も うちょっと時間を取 りま したので、是非、いま持 っている私たちの素材 と、それか ら発信で きる状況について皆様 に今一応 ご提示 した とい うことにいた しま して、この状態に対 しま して、何か ご提言 な り、ご質問で も結構 です し、何か ご意 見を頂ければ、それ を活かす方向で考 えたい と思 いますので、ご意 見がある方、是非 よろ しくお願 いいた しますO ど うぞ。

ラフイン :ブ リテ ィッシュ ・コロン ビア大学のク リステ ィナ ・ラフ インと申 します。 たぶん一番勉強不足で 未熟なもの として最初 に発言す るのはたい‑ん恐縮 です けれ ども、今回本 当にお招 きいただいて有難 く思 っ てお りますO発表者で もな く、 コメンテー タで もな く、提携大学の代表者 と して来てお りますので、 こ うい う人間の交換 も情報の交換 の一つになる と思 うのですけれ ども、情報の公 開に関 してはたぶん トレーデ先生 もおっ しゃっていた と思 うのですけれ ども、なるべ く早 くその 『絵引』として、またはデー タベース として、

バーチャル博物館 までいかな くて も、データ もしくは 『絵引』 と して国内外で利用で きれ ばす ごく有難 く思 います。 それはたぶん学部の授業で も大学院の授業でもまたは研究のなかで もす ごく役立つ ものだ と思 って お ります。

あ と一つだけ、印象 を、あの、上手 く表現できるかちょっと分か りませんけれ ども、今 日の シンポを聞い て、その非文字 とか文字の区別で も私 も帰 ってか らいろいろ考えて、たい‑ん大 きな問題 だ と思 ってお りま すけれ ども、あま り今回たぶん顕わに出て こなか ったことで、たぶん皆様作業の段階で も気 になっているに 違 いない と思 うのです けれ ども、発表の中ではそれほ ど聞いていなか った、その裏の政治性 とい うか、力関 係 の問題 だ と思 うのですねO それはいろいろな形 で出てきますO例えばその言葉の レベルで非文字 をど うい うふ うに定義す るのか、 もしくは本 当にそのナシ ョナルなボーダーを越 えたいのであれば、例 えば私 と して す ごく気になる、民具 とい う言葉 、「民族」、「民具」 とい うと、どうして も私 と して、まあ我々が親 しまれて いる、こ う、「民具」として、とい うふ うに聞 こえて しま うので、それはまあど うか とい うふ うに思います し

あ と例 えばジェンダーの問題 、それ は何回か金先生の ご発表の中でもいろいろ後で問題 になっていた点で もあると思います けれ ども、拭かれている視点か らで もそれ を引っ張って研 究者 として利用す る時で も、い ろいろな意味でその政治性 が生 じるんです よね、力関係。で、例 えばシンポの中で もどれ ぐらい女性研究者 が参加 されているか とい うと、まあ今回四分の一位 で しょ う、 とい うこととか、そ うい う意味でいろいろ問 題 になって くると思 うのですけれ ども、とにか く、その研究者 の レベル で、それ を 『絵

』のためにで も「体 系」 として編纂す る とか、ある部分だけを切 り取 って、そ うす る と客観的に見えるか とい うと、私 と してす

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ごい疑いをもつんですね。つま り、例 えば先 ほ どの写真で もそ うです けれ ども、1930年代 に韓国で撮 られた とした ら、それは ど うい う政治状況のなかで撮 られて、 どうい うふ うに、そ こまで旅 に行 った 日本人が、そ こ‑行 って ど うい う意識で撮 ったのか、す ごく興味があったのですけれ ども、それ を資料 だけ として使 うと 本 当にそこを切 り離 され るか とい うのは、それはたい‑ん大きな問題 として残 ります。

もう一つ、その非文字 と文字の違いです けれ ども、いまだに私 はち ょっ と疑問に思 っている、 どれほ どそ れ を区別で きるのか とい う問題 なんですね。それで、ある意味で、 こち らでや られているそのCOEのプ ロジ ェク トのなかでの定義 になるので、それはそれで結構 じゃないか と思 うのですねO つま り、もっと普遍 を も つ ものに しよ うとす る と、かな らず、いや私の分野では違 う、 とい うふ うに出て くる人がいるん じゃないか と思 うので、本 当にこのプ ロジェク トに合 った ものでいいん じゃないか と思 って、それで も うちょっと堂々 と、そ うい うふ うにやればいいん じゃないか と思 うのです けれ どもO そ うい う印象があって、すみませんO

北原 :どうもあ りが とうございま したOい くつか、要す るに描かれた ものな り、写真に撮 られた ものな りの、

その、なぜ撮 るのか とい うか、背景 にある政治性 とい うふ うにお っ しゃったけれ ども、その意図 と、それ を 支える構造です よね。

ラフイン :撮 られ たほ うか、根 ったほ うとかだけではな くて、現代か らそれ を利用す る場合に ど うい う、 ど こまで考えない といけないか、 とい う問題 です。

北原 :民具の問題 とそれか らジェンダーの問題。 民具 とい う表現がたい‑ん気 になるとい うことですが、先 ず民具のほ うの、r気になる」 とい う今の ご質問に対 してO

河野 :私は 日本で民具 とい う言葉が使 われ てきていて、そのかつて使 われてきていた定義はそろそろ見直 し の必要があるよ とい うことを言 っているわけですね。 これが国際的に今後 ど う使 って もらうか どうかは、 も うちょっと研究の広が った段階で考 えればいいので、今は成 り行 きに任せればいい と思 っていて、押 し付 け る気 はあ りませ ん。

北原 :今の段階でのお答 えとい うことで、完成 されたお答 えではないか と思います けれ ども、ジェンダーの ほ うに移 らせていただきます。金先生のほ うで、 ジェンダー問題 を軸にたてた項 目があるのか どうか、お考 えを。

金 :当然考 えるべ き問題 と思います。絵引編纂 に どのよ うに反映 させ るかは別 として、絵 引の編纂資料 にな っている絵画作品に、女性 が どのよ うに表現 され ているのかに関 しては、一つの課題 として思っています。

昨 日の王先生の発表 と トレーデ先生の コメン トの中に も議論があ りま したが、北采時代 に制作 された 「清明 上河図」 と北采以来の模写本のなかには、ほ とん ど女性 が登場 しないですが、滴時代 に入 ると、都 市図の中 に女性 が描かれ るよ うにな ります。 これは、実際の社会や生活の実態 を反映 している描 き方ではな くて、パ トロンの意思が働いてい るとの ことです。パ トロンの意図に合 うよ うに理想 的な女性 を描 き、女性 の生活の 場面を描いているのではないか、 とい う議論があ りま したo ジェンダーに関連す るご指摘 は、描かれた図像 に対す る資料批判の一つ として検討すべ きであると思いますo

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北原 :どうもあ りが とうございますO ほかにあの何か、 ど うぞ.

的場 :今の問題 なんですけれ ど、それ はま さに私が主張 している問題 であ ります。 あるもの ごとを把握 し理 解 しよ うとす る とき、かな らず何 らかの個 人な り、また何 らかの社会な りの価値判断 とい うものが入 って く るわけです。政治性 とい うのはまさにそ うい うことで、そ こにはこ点あ ります。一つは個 人 としての価値判 断ですねo た とえば私 は男性 です。男性 とい う個人が、 どこまでそれ を振 り払 って、脱構築 とい う言葉があ りますけれ ども、 自分の性 を脱却 してあるもの見抜けるか、 とい う問題 ですね。次に社会のl桝 こいる自分が どのよ うにそれ を見るか とい うこと問題があ ります。常民 とい うことばはま さに社会の中の一つの価値判断 です。私 どもの研究所 は 日本常民文化研究所 、コモ ンピープル とい うのですか、常民 とい う言葉がいつ頃、

どのよ うに出たのか。例 えば1920年代に 日本常民文化研究所 とい う言葉が出た とすれば、一方に常民 と同 じ よ うな言葉でプ ロレタ リアー トだ とか とい う言葉 もある し、人民 とい う言葉 もある。また民衆 とい う言葉 も あるO なぜ常民 とい う言葉 に固執 したのか とい う問題 、 これは一つの価値判断です. 同 じことは民具 とい う 言葉 にも当てはまる。 これ は民具を どの よ うに捕 らえるか とい う問題 であると同時に、ある時代に民具 とい

う言葉 が出てきて、ある時代にある意図を もって使 われた とすれ ば、それは一つの価値判断であ り、それ を 明 らかにすべ きであ ります。 そ うい う価値判断、言い換 えれ ば政治性 を抜 きに して、ある物事の背景にある よ うなものを抜 きに して、分析す ることができるのか ど うか とい う問題 である と思います。

金 :先は ビラフィン先生にお答 えで きなかった点が一つあ ります ので補充 させていただきますO切 り取 った 図像は客観 的であるか、 とい う質問で したが、切 り取 る行為や切 り取 った もの 自体のすべてが客観的だ とい うわけではあ りませんC 図像の切 り取 りは、 とくに 日本の絵巻物 を編纂資料 と して取 り扱 われ る場合、図像 に客観性 を与える一つの方法であった とい うことで したO

北原 :はいお願 いいた しますO

会場女性 :本 当に素人で混乱 させ る質問になると思 うのですが、非文字資料 に しろ、文字資料に しろ、私た ちは過去の人類が培 ってきた文化の大 きさとい うものを把握す るいろいろな方法に恩恵 を得たい と思 ってい るのですが、 さっきイムジャ ド (荏子息) の ところで鄭先生があの写寅はいつ もの生活ではな くて特殊 な時 期 のことである といわれて、なるほ ど見るほ うも、これか ら資料 を作 ってい くほ うで も気 をつけなければ と 思いま したO 写真の景観資料でたまたま今 日発表 されま したのは、昔か らあった山だ とか、鉄道 とかそ うい うものを もとに して追って らっ しゃいま したけ ど、私は山は削 られ ることもあ ります し、鉄道 は付 け替え ら れ ることもあ りますか ら、あま りその よ うなことには頼 ることができないのではないか と思いま して、その 方面か らも山な どが変わ らない うちに泣滞 フイル ムの解析 を急いでいただきたい と思い発言 いた しま した。

北原 :そのよ うな ご指摘 といいますが、 ご希望なんですが大丈夫で しょ うか ?

八久保 :先ほ どの情報発信の ところで言いかねていたのは、ま さにその ところで実際に4000枚近 くの写真が あって、それ を どうい うかたちで公 に してい くか とい う場合 に、写真 を写 された方が ご存命 である、または

+ 拭

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その権利 を持つ方がい らっ しゃった場合 にいったん商業的な もの として出 して しまった場合には、版権の問 題 が発生 した り、一つ一つ を乗 り越 えて進 めなければな らないので、本 当に時間 との勝負 とは思 ってお りま すが、考慮 したい と思 ってお りますO (いまの ところ) これだけ しかいえません.

北原 :ではほかに ・・・ 。 ど うぞO

津 田 :昨 日か らず っ と聞いていて、多少貯 っているんですが、 とい うのは コメンテーターの先生方がいろん なかたちで同 じことを言っていたよ うな気が します。 それは何か とい うとま さに資料公開の話であって、各 先生方の話 を聞いています とこれは当分資料公開は しないんだな としか受け取れないんです よね。 それが何 か とい うと、要す るに 自分たちの枠組みが決 ま らない以上は出さない と、端的にいってそのよ うな話で しか ないよ うに受 け取れ ます。 それは最初の リュ先生が ウェブ上に出ているフ リーの百科事典 の話 を しま した よ ねe あれは全 くそんな話 じゃない話 を伝 えたのではないん じゃないか と思いますO それ を受 けていろいろな 先生がお話 を しま したけれ ども、それが何か といいます と絵引で もそ うです し、滞 フイル ムでもそ うです け ど、こんな ものはたぶんネ ッ ト上に公開 してみんなの意見 を聞けばいいものだ と思 うんです よ。 自分たち のスタンスは こ うい うものを持 っています とい うもの と共に生のデー タとして出 して、それ に書 き込めるよ うなかたち、そ うい うものをやればいいんだ と思いますO ある一部の狭い範囲の専門の人が絵 引に して もや った ところで穴があるのは当た り前です よ。 もっ と広い 目で見て もらう。 ただ しそれが野放図に どうなって もいい とい う話ではな くて きちん と管理 しなけれ ばだめだ と思 うんですが、それな らす ぐで きる話だ と思 う んです。例 えば溢揮 フ イル ムも出 して これ は どこで写 したのか とい うのは、早 くや らなけれ ば死んで しまい ます けれ ども状況 を知 っている人たちが、例 えば韓国にだっているか もしれない し、その景観 とい うのは70 年前の景観 だけれ ども20年前までは残 っていた景観なのか もわか らないです。あるいは これは どこだ とい う

ことはす ぐにわかることなのか も知れ ない。それ を全 く知 らない人が探 しにいって、見つか らない、見つか らない といって も単なる徒労ではないかO悪い言い方 します け どGそんな気がす るんですO だか ら公開す る とい うのはもっ と積極的に行 うべきだ と思います。

北原 :あ りが とうございま した。今の ご提案 とい うのはす ぐにできるん じゃないの とい うことで したけど。

先 ほ ど先生方に現状を報告 していただきま したが、許諾の問題 とい うのは溢滞 フ イル ムで も先 ほ どお っ しゃ ったよ うに著作権がある方がお られて、その許可 を得なければな らない とい う手続 きがあるとい う話だった んですね。そ うですか らち ょっと停滞 を している印象 をお持 ちか と思 うんですが、たぶんその方向に向けて 努 力 されている と思いますので、今す ぐできるか どうか とい うことは事務のほ うの問題 と突き詰めて考 えな ければな らない問題だ と思いますが、何れ に しま しても早 く淀揮 フイルムで も目録 くらいは出す くらいの体 制が必要である とい うことは皆 さんの ご意見か ら伺 えるところだ と思います。 それ は全体の方向だ と思 いま す。

津 田 :そ うなんですけれ ども、版権が どうの とい う話ばか りして、言 い訳 を して長 引かせ ているよ うに聞 こ えるんです よね。私 も多少関係者 だか らそんなこと言 っちゃいけないのか も知れ ませんが、常に資料館なん かで未整理だか らまだ公開 しない とい う言葉 をよく聞 くんです。それ と同 じ話ではないか と受 け取れ るんで すo あなたも多少係わ っているか ら同罪 じゃない とい う見方をされ るん じゃないか と思 うんです よね 絵引

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の近世の ものなんかは版権 もクソもないんだか らそれ こそす ぐ出せ るん じゃないですか。 自分たちがや って いるのは こ うや っています よ。 で、そのまま出 したものに対 して切 り取 り方 も含めて ど うや って番号をつけ て、それに名前 をつけるのでもいいですが、それ をもっと自由にや らせ てみた ら我 々が考え付 かないよ うな 展開をす るか もしれ ません し、そ うい うことは早 くや らなければ面 白くともなん ともなくなる。 二番煎 じじ ゃ しょうがないですか ら、早 くや ってほ しい と思います。

北原 :つま り今す ぐ双方向の情報で回答が とれ る。 そ うい うかたちの ものを考 えるんであって、 自分たちの 方で完成 した ものを待 って出す とい うことを考えるととて も じゃないけ どいつにな るかわか らない とい うこ

とです よねO

的場 :それ と関連 して こ うい う場ですか らお話 します と、私たち

C O E

研 究の内部において もこ うい う場 に出 ない と、それぞれがいったい何 をや っているのか さっぱ りわか らない とい う点があ ります。私 たちの中で も イ ンタラクテ ィブになっていな 研究 も、 どん どん出 してインタラクテ ィブにいろいろな人が書 き込 めば いいのであって、版権の問題 は別に して、いろいろなことができる可能性 は秘 めていると思 うんですo私た ちの研究手法 も、個 人研究 とい うものを前提 に して、それ をただ束ねてそれ を総合研究 としていいのか。そ れ を部分で も公開す る と、世界 中の人が どん どん参加 して くるか ら個人研究の レベルでは収 ま りきれな くな ります。新 しい研究方法が生まれ る。逆にそ うした人々の意見を開いていけばいい ものができるのではない か とも個人的には思います。今の ところ個 人研究の狭い レベルか ら、それ を超 えるよ うな ところ‑広がって いない と思います。

北原 :かな り強烈なご意見なんですが、 どこの方が どの よ うに受 け止 めるのか、なかなかわか りませんが、

まずは内部でイ ンタラクテ ィブな ことをや らない と開かれない と思いますので、かな り重要なご提言 と して 受け止 めていきたい と思いますO あ と挙手 された方、あと時間的に最後 と ・・O

会場男性 :去年か ら聞いていま して気 になるんですが、非文字資料 とい うこ とで大型資金 を頂戴 なさってい るわけなんです け ど、非文字 とい うのに とらわれす ぎているよ うな気 が します。 文字資料のほ うでは古 くか ら確立 しているわけで、方法論の上で も非文字資料の方法論 よりは方法論、研究法が進んでいるわけです。

それ を使 わない手はないだろ うと思 いますo です か ら図像に して も民具に して も写真 に して も言 ってはい ら っ しゃるんだけ ども文献の方で言 うとテキス トクリテ ィックです よね。絵画 も、民具 も、写真 もそれ を最初 に しなければな らない。絵 引をだす資料に して もそ うなんですがあま り専門的になる とい うことでそ こまで お っ しゃ らなかったか も知れませんが、 どの版本 を使 うのかあるいは どの写本 を使 うのか、 どうして この刊 本 でなければいけないのか、底本にす る本 ですねO どうして この刊本でなければいけないのか、その発言が ほ とん どないんですねQそれがや っぱ り一番大 切なことだろ うと思いますO絵画の場合 も今 の、近代の絵画 とい うことか ら見す ぎているよ うな気がす るんですo近代以前の絵画 とい うものは金 さんが物 語的、文字的 とい うことをお っ しゃったんですが、私 にいわせ ると芸能的 とい うんですけ ど、近世までの絵画 とい うもの は非常に芸能的要素が多いんですO ですか ら約束です とか型です とか絵 に柵かれていることによってそれが 読めない と、例 えば浮世絵 で もそ うなんですけれ ども型や約束が今 は読めないか ら浮世絵 とい うものが読め な くなっているんですO近世の絵画 とい うものはそ うなんですねo俳詑なんてい うもの もそ うです けど、そ

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