曇五H日
回廊
1998年
度、1999年 度の調査 とあわせて南面回廊 の東半 と東面 回廊 を全面発掘 した。 回廊 の規模 は『流記』の記載 とおお きく矛盾す ることはな く、火災後の回廊 の復興事業が、創建 の規模 を踏襲 し て行 われて きた ことをあ らためて確認 した。 また東面 回廊 の門を境 に南北 で桁行柱 間寸法が異 なると い う『流記』 にはない事実 を明 らか に し、礎石位置の変更が ない ことか らみて、それが回廊 の創建 当 初か らの設計であることを確認 した。基壇縁 と外周
今 回検 出 した凝灰岩切石 の基壇外装 。河原石組 の雨落溝 と石敷 は、中門北 の基壇外周
B期
(F概報I』)と
、東面 回廊北半西側 にある外周施設 (『概報 Ⅱ」)と
、位置 。規模 。構造 ともに一 致す ることか ら、一連の仕事 であろう。 この うち中門北側や東面 回廊北半西側の石敷の下 には、廃棄 土坑や足場穴が検 出 され、今 回 も石敷敷設前 に瓦敷地業 を行 っていることか ら、 この外周施設 は、創 建 当時の ものではない ことは明 らかで、敷設の時期 については今後 の検討課題 となろう。 また、おなじく河原石 をもちいる中金堂前庭部の Ⅱ期石敷 (『概報 Ⅲ』
)と
の関係 も追究す る必要がある。階段 と門
東面 回廊 の基壇西辺で階段 を確認 した。
2段
に復元で きる階段 は、基壇外装の地覆石 を抜 き取 った後 に築成 している。基壇縁や外周の施設 と一連の仕事 であるのか、あるいは階段 のみ後世 に 付設 したのか、明確 な証拠 を得 ることはで きなかった。階段 は東面 回廊 の柱 間1間分 に対応 し、 この 柱 間はほかの柱 間 よ りも寸法 を大 きく設定 していることか ら、 回廊 に開 く「楽門」 の位置 を知 ること がで きた。 さらに「楽 門」 の位置が回廊 を設計す る際の基準 とな り、 中金堂や中門の石敷、東西金堂とも密接 な関係があることが明 らかになった。
内庭部
火災後の瓦 を廃棄 した土坑が検 出 された。創建期か ら平安時代 までの瓦 を含 む廃棄土坑が多 く、中世以降の瓦 を含 む もの もある。いずれ も内庭部の東南隅に集 中 してお り、中金堂前庭部、 中門 北、「楽 門」 の門前 な ど、内庭部の主要 な位置 を避 けて廃棄 している とみ られる。調査 区西辺で検 出 し た瓦敷地業 は、内庭 の一部 を改修 したことを示 している。
第21図 回廊建物復元 図
結
つる0と
室町時代初 期 (大阪市立美術館蔵) 本文4・ 21ペ ージ参照
3 東面回廊の楽門 4 西面回廊の楽門 幅
利 略
茶 絵 曼 寺
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