• 検索結果がありません。

イギリス博物館訪問記 : ヘイドリアンズ・ウォー ルを歩く

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "イギリス博物館訪問記 : ヘイドリアンズ・ウォー ルを歩く"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

イギリス博物館訪問記 : ヘイドリアンズ・ウォー ルを歩く

著者 文珠 省三

雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報

巻 48

ページ 11‑13

発行年 2004‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00024021

(2)

イギ リス博物館訪問記

—一ヘイドリアンズ・ウォールを歩<―

はじめに

この博物館訪問記は、平成14年度に大阪市の 学芸員研修制度により2002年2月9から3月12

日までの32B間、イギリス各地の博物館を訪れ たことによる記録の一部である。

2月10日にロンドンヘ到着、そこを振り出し に各地の博物館を訪問し、カーライルを訪れる のは、 16日目の2月26日で、その次の日にヘイ ドリアンズ・ウオールとヴィンドランダ、 The Roman Army Museumを訪れた。

ヘイドリアンズ・ウオールを歩く

朝、カーライルの駅より、鉄道でニューキャ ッスルヘ向かって三つ目の駅、ハルトウィスル へ向かう。そこから1/25000の地脳を頼りにヘ イドリアンズ・ウォールを目指す。地図上では 約 5km程で、多少のアップダウンは覚悟で出発 する。しかし、実際に歩いてみると地囮上の等 高線よりアップダウンをかなり厳しく感じる。

後で地図を再確認すると、ウオールに着くまで に標高約110m地点からおおよそ220m付近まで 登り、また170m付近まで下っている。

ハルトウィスルの町中を過ぎてからは誰とも 遭遇せず、会うのは道沿いの牧場に放されてい る羊ばかり。その羊も時々見慣れない人間が来 たと警戒するのか、こちらを見て1頭が鳴く、

すると連鎖反応的にその鳴き声が伝わり、そし てこちらの方ヘ一斉に頭を向けてくる。何とも

~

!Ill 

'響

ヘイドリアンズ・ウォール 途中にある監視所跡より東を望む

文 珠 省

変な気分である。

何とかウオールまでたどり着くことができた が、これまで歩いてきた道を思い出して地図上 のウオールのある地形を見るとウォール沿いに 歩くかどうか少し迷う、が覚渚を決めて歩き始 める。歩き始めた地点が低い位置であったため 初めは気がつかず、高い位置に登るまでわから なかったのだが、標高の高い位置にくると丘陵 の端部に沿って東西に延びているウオールを望 むことができる。なかなか壮観な眺めで、これ が古代ローマの皇帝ハドリアヌスの命令により AD120年代に築づかれていたのかと想うと驚

きがこみ上げてくる。

今回歩いたところでの最高所は標高約320m で、そこから北側のスコットランド側を望むと

ウォールがある所との高さの差が約40m程あ り、やはり征服できない異民族の侵入を防ぐた めの防壁であったことが実感できる。壁は現状 では高さがl.3‑l.5m程で幅が約1.0‑l.3mであ るが、発掘調査などにより、築かれた当初は漑 さ約6.6m幅約3 mのウオールであったと想定 されている。そして 1マイルごとにmilecastle

(監視所)が置かれ、その間に2箇所のturret(小 監視所)が設置されていた。

ウオールに沿って歩いていくと当時のturret

(小監視所)があり、これには復元想定図とと もに英語・ドイツ語・フランス語・日本語で記 した解説板がついている。日本語で解説を害<

必要があるほど数多くの日本人が訪れるとは考 えにくいのだが、やはりこれは遺跡を保存し、

そして広く公開し活用しようとする姿勢のひと つの現れなのだろうと思う。

‑ 11 ‑

歩いていくとウオールに沿って道のあるとこ ろもあり、またそこに比較的新しい靴跡もある のでこの冬の季節でも私と同じようにここを訪 れる人がいたことがわかる。途中一般道と交差 するところがありそこから下へおりて平坦な道 を歩こうかと思ったが、そのまま歩くことにす る。しかしこれは後で少し悔やむことになる。

(3)

というのも地図上の等高線を読み間違えていた ことから、考えていたより上り下りが急で、距 離が長く、根を上げそうになる。

しかし、何とか歩き通し、次の目的地であるヴ ィンドランダとTheRoman Army Museumへ と続く古代ローマが敷設したローマン・ロード まで出ることができた。ここからの道は平坦で 上り下りはないが距離が約5kmある。道を歩い ているとこんなところでと思うのだが数台の乗 用車が私と同じ進行方向に横を通り越してい く。これは後でわかるのだが、ヴィンドランダと The Roman Army Musewnとへ行く車だった。

ローマン・ロードは地図上で見ると基本的に は直線道路で、地形に制約されるところや方向 を変える必要があるところでは曲がっている が、それ以外はだいたいまっすぐにつくられて いる。

F

ヘイドリアンズ・ウォールより南に下り、ローマン・

ロードと交わるところより、東のヴィンドランダ 方面を望む

ヴィンドランダとTheRoman Army Museum  ヴィンドランダは、古代ローマ帝国が建設し た軍隊の駐屯地とそれに付属する集落跡のひと つである。

ローマ帝国は、屈服せずたびたびローマが征 服した地域に侵入してくる巽民族(スコットラ ンド人)に手を焼き、その侵入を防ぐためイギ リスにおける征服地の最北部に築いた防壁がヘ イドリアンズ・ウオールである。この防壁に沿 ってローマン・ロードと軍隊の駐屯地、それに 付属する集落が各地につくられた。ヴィンドラ ンダはその駐屯地の一つで、ヘイドリアンズ・

ウォールの南側にあり、ローマン・ロードに接 して建設されている。

ヴィンドランダでは砦跡と BathHouseや兵

ヴィンドランダを東南の丘陵上より望む 舎・住居跡などが発掘調査により明らかにされ ている。発掘調査後、保存整備がおこなわれて 公開されており、調壺は現在も続いている。砦 は木と石でその一部が復元されており見張り台 の上まで昇ることができる。

ヴィンドランダに復元された見張り台(北西より)

ヴィンドランダ Bath House 

• .  f 

公開されている各遺構は、どのくらいの頻度 で清掃などがおこなわれているのかわからない が、状態は良く保たれている。遺跡の全体に芝 生が貼られており、保存公開されている各遺構 の礎石とマッチして良いものである。ただ、気 になったのは一つの建物遺構を整備している

(?)ところがあったのでしばらく見ていたの だが、どう見ても遺構を整備しているというよ

‑ 12 ‑

(4)

り建物の基礎を造り直しているという方が似合 っているような作業状況である。

. . .

r•

A l

;r

. . '

,,

.

 Cl

A

'・I 

対 し

:  y 

遺構を整備している様子

The Roman Army Museumはヴィンドラン ダに接してもうけられた博物館で、ヴィンドラ ンダの下の谷間にあり、ちょっと見たところで は郊外にある大きめの平屋の住居で一見すると 博物館には見えない。入館料はヴィンドランダ とセットになっている。中はかなり広く、ヴィ ンドランダから出土した資料を豊富に展示して いるc

The Roman Army Museum 

特に目を引いた展示資料は、大量に出土して いる有機物の製品で、皮革製サンダル•木製櫛・

布製の履き物・ウール製の衣服などがある。ま た、木製のWritingTablets(日本でいえば木簡)

も多数出土しており、そのような出士品の保存 処理過程を写真などを交えながら展示解説をお

こなっている。

展示をみると、ケースは小型の壁面ケース中 心で、それを各コーナーに区分けし、例えば生 活用具として日常の調理や食事に使う様々な用 具や食器をケースごとに展示し、それを一つの コーナーとして当時の食生活と食事の状況を示

している。 興 味深いのは、ヴィンドランダがロ ーマ軍の駐屯地として機能していた200300年 間における出土資料を展示するのにも大英博物 館やヴィクトリア&アルバート博物館でおこな われているような同一の資料を多数展示して、

その資料の形態の変化を示すとともに観覧者に インパクトを与えようとする展示手法がここで も見られることである。ただ少し違うのは、遺 跡の範囲と時代が数百年間に限られることなど からそのような展示ができる資料は限られてい るということである。

照明を見ると部屋の中はやや暗くし、展示ケ ースとその中の資料を際立たせる工夫をして る。ケース内の光源は蛍光灯で、光源の前に熱 きりガラスを置きケース内に熱がでぎる限り伝 わらないようにしている。

野外には、博物館の外に流れている小川に沿 ってローマ時代の神殿・集落の中にあった店舗・

兵士の家などの復元建物がある。店舗・兵±の 家ではその中での当時の生活を人形などを配置 し再現しており、その前にあるスイッチを押す と会話を聞くこともできるようになっている。

‑ 13 ‑

. .  

.,., ・,.,,●  , ̲̲ 

The Roman Army Museumの野外に復元された 神殿,店舗,兵士の家(左より)

なお、ヴィンドランダに接して設けられた駐 車場には多数の車が止まっており、冬の日であっ たが家族連れなどの人たちが数多く訪れていた。

このHの行程は、先に述べたようにカーライ ル駅より、鉄道でニューキャッスルヘ向かって 三つ目の駅、ハルトウィスルから午前9時頃出 発し、ヘイドリアンズ・ウォール、ヴィンドラ ンダと TheRoman Army Museumを経由して 四つ目の駅バードン・ミィルに午後4時30分頃 到着した。地図上で見ると行程はおよそ20kmに なる。

参照

関連したドキュメント

編﹁新しき命﹂の最後の一節である︒この作品は弥生子が次男︵茂吉

※ゴールドと、シルバーの「BLUEMORIS」ロゴを大きくあしらっ たパーカーです。ポリエステル

並んで慌ただしく会場へ歩いて行きました。日中青年シンポジウムです。おそらく日本語を学んでき た

 支援活動を行った学生に対し何らかの支援を行ったか(問 2-2)を尋ねた(図 8 参照)ところ, 「ボランティア保険への加入」が 42.3 % と最も多く,

○齋藤部会長 ありがとうございました。..

となってしまうが故に︑

 Rule F 42は、GISC がその目的を達成し、GISC の会員となるか会員の

 講義後の時点において、性感染症に対する知識をもっと早く習得しておきたかったと思うか、その場