関西の博物館・資料館における近現代史展示のあり 方とその課題について
著者 冨坂 賢
雑誌名 関西大学博物館紀要
巻 3
ページ 254‑280
発行年 1997‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/16539
本稿は︑本学の日本史基礎史料講読四︵近現代史︶の講義の中で学生
①
諸君に課したレポートの結果を集計したものである︒レポートの課題は︑受講生が分担して関西の博物館・資料館における近現代史分野の展示を
実際に見学し︑その様子を報告するもので︑講義時間の中で報告・討論
したものを担当者である冨坂がまとめたものである︒そしてさらに最近
の博物館・資料館の展示について︑とくに近現代史の展示に関する問題
点をまとめた小論をレポート全体を包括する意味で付与した︒
レポートの作成については︑あくまでも一観覧者として展示に望むよ
うに指導し︑当該館の学芸員に解説やコメントを求めるようなことはし
ていない︒それは不特定多数の市民に開かれていることが︑展示の本質
であると考えたからである︒
さて︑各施設の紹介の前に︑レポートに課した課題を整理すると左の
ようになる︒空欄は該当する展示や記述がなかったケースである︒なお︑
はじめにl本稿の目的I 関西の博物館・資料館における近現代史展示のあり方とその課題について
②
紙数の関係で削除した項目があることをあらかじめお断りしておく︒また︑欄内上段の︹寸評︺は講義において受講生と討論したものをまとめ
たものである︒
I←施設について
︵i︶施設の名称︵Ⅱ︶開館年月日︵通︶所在地
Ⅱ←近現代史部門の展示について
︵i︶展示の基本テーマ︵Ⅲ︶常設展示の中に占める近現代史部門
の割合︵撤︶展示のサブ・テーマ︵.哩サブ・テーマの中に戦争や
人権等のテーマがあればどのような解説となっているか︵V︶展示
してある年代︵Ⅵ︶現代社会につながる展望を示しているか︑いれ
ばその内容について︵Ⅷ︶観覧後︑基本テーマにそった理解が得ら
れたか
Ⅲ←見学後の感想について
︵i︶一番学んだ点は何か︵率Ⅲ︶一番印象に残った展示物は何か︵蹴︶
もっとも不満な点は何か
冨坂賢 日本史基礎史料 講読四受講生一同
二五四A府県立および大都市所在博物館 一各施設の現状
︻報告者︸史地九五五○栗林保恵
二五五 ︹寸評︺京都文化博物館は平安遷都一二○○年事業の一環として設立された︒京都の歴史と文化を総合的に紹介する施設とされるが︑古都からの再生を基本テーマとするあまり﹁近代化﹂に展示が引き付けられすぎ︑﹁近代化﹂の暗部である﹁戦争﹂や﹁人権﹂という要素が捨象されていることが最大の問題点であろう︒また複製品を多用する典型的な常設展示のスタイルをとっていることも議論される点である︒ ︵i︶京都府立京都文化博物館︵曲︶一九八八年十月一日︵通︶京都市中京区三条高倉
I
︵・1︶東京遷都による混乱と困窮を経て︑市民の自治と伝統を
守ろうとする姿勢と先取の気性が近代都市京都を築いて
いく過程を示す︒そして現代において新たなる都市を求
めて創造し︑模索する歴史都市京都を概観する︑
︵Ⅲ︶約1/7
︵耐︶①古都からの脱皮として︑京都の産業・商業の近代化に
たいする果敢な市民の姿勢を示す②全国に先駆けて学校
教育が推進された様子を示す③人々のエネルギーによっ
て繁華街が誕生し古都が再生していく過程を示す④文化
人が近代の街の環境・システム・工業の先進性について
語る
︵.Ⅳ︶︵v︶一八六八年〜現在
︵Ⅵ︶平安京遷都以来︑民衆が培って来た京都の産業・伝統を
継承しつつ技術革新を加える意味や︑これからの国際学
術都市構想の推進の重要性を文化人が語るVTRを流す
ことで示す︒
︵Ⅷ︶京都の近代史を産業・教育・文化の各方面から見る構成
で︑写真をふんだんに使った展示形式のため近代化を目
指し︑日々進歩する近代京都の様子がよく理解できた︒
現代においても︑そのハングリー精神が受け継がれてい
ることがわかった︒
II
︵i︶京都に住む人々が近代化に向けて︑時代の先端を行く考
えをもって挑み実践してきたことに驚いた︒又︑今も京
都に大学が多いことや︑ベンチャービジネスと呼ばれる
新しい市場を開拓しようとする企業が存在することも︑
京都の長い歴史と独特の文化が創り出したものだと感じ
た︒
︵1︶展示物というより︑文化博物館別館の建物が印象深い︒
旧日本銀行京都支店で︑辰野金吾とその弟子長野宇平治
が設計した近代洋風建築︒一九○六年完成︑一九六九年
重要文化財指定︒
︵歯︶第二次大戦中の展示が全くなかった︒さまざまな逆境を
乗り越えてきた京都の民衆のエネルギーは大戦中もあっ
ただろうし︑それを抜きにして京都の歴史は語れないと
思う︒空襲や当時の市民生活の大変さをもっと伝えてほ
しかつた︒又︑写真展示されている工場や学校などの場
所が詳しく記載されていなかった︒あれば︑近代京都の
足跡をたどることが容易にできたと思う︒
Ⅲ
︻報告者︼史地九五九四竹内洋暁 二五六
︹寸評︶兵庫県立歴史博物館は一九九六
年春に常設展示のリニューアル
および館内の施設についての改
装を終えて新しく出発した︒常
設展示改装の最大のねらいは展
示の性格を﹁政治史﹂から﹁生
舌・
bwJqU文化史
L一
へと変更したこと
であった︒勿論︑導線や展示効
果などの点もそれに伴い改編さ
れたが︑やはり展示内容がどの
ように新視点を導入したかが問
題となった︒結論から言うと︑
近現代史部門については一体何
が変わったのかよくわからない
というのが正直な感想である︒
県立博物館として県域全体をカ
バーするのか︑あるいは立地点
である播州姫路にこだわるのか
といった点でも議論が必要に思
︑えス︾︒ ︵i︶兵庫県立歴史博物館︵i︶一九八三年四月一日︵湖︶姫路市本町六八
I
︵i︶人々の暮らしに焦点をあてる︵各時代共通︶︒
︵Ⅱ︶約1/6
︵通︶①兵庫県の誕生②生活の近代化③戦時下のくらし・かわ
りゆく景観
︵w︶戦時下において軍用品の生産や生活物資の不足は社会に
動揺と混乱をもたらし︑人々の暮らしに大きな影響を与
えた︒そして次第に政治・経済・文化などあらゆる力が
戦争に向けられた︒
︵V︶幕末〜現在
︵.w︶︵Ⅷ︶幕末から明治・大正・昭和と時代が移り変わるごとに人々
の生活も近代化され︑農具の改良や洋風の生活様式が実
物で展示されており︑また阪神間に開通した鉄道やバス
などの交通の発達︑工業の発達により人口が集中し︑勤
労者のあいだに生まれた大衆文化や︑戦争による文化の
変化などがわかった︒
I1
︵i︶兵庫県下では︑神戸港が海外に開かれ外国貿易が始まつ
た・そのことによって早くから西洋文化の流入がみられ︑
進んだ洋式産業が広がり︑今の異国情緒あふれる神戸を
生み出したのだと思った︒
︵h︶阪神京津間発着時刻表
︵歯︶近現代のコーナーは姫路市や神戸市にばかりかたよって
いると思う︒もう少し県域全体のことに関して展示した
ほうがよいと思う︒また戦時下の暮らしについてはその
困難さを示す資料が少ないように思う︒
ⅡI
≦き
へへへへへへ
V1 V 1V 111 11 1
ー…ーー…ー
確 近 商
か 現 業
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代 都大 史 市
阪 に 大
の 固 阪
陣 有 の
以 の 文
降 テ 化
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新 マ 現
田 設 代
開 定 に
発 は い
や な た
流 い る
通 。 経
の 緯
発 を
達 紹
で 介
も す
多 る
少 。
現
(i)
大阪市立博物 館
(h)一九六二年十一月
(通
)大阪市一城阪大区央中一
I
II
︵i︶淀川を中心とした多くの川によって大阪は発達してきた
ことと︑幾多の戦乱や動乱をのり越えてきたこと︒
︵Ⅲ︶市内の史跡連絡遊歩道電光案内板︒
︵髄︶明治以降の展示がないこと︒博物館だけを目的にすると
駅から遠いこと︒ ︻報告者︼史地九五一五八松本望
ⅡI
二五七 ︹寸評︺近年︑近代美術館とともにリニユーアルオープンし︑以前の博物館とは外観︑内容とも一新された︒全体の構成としてはオーソドックスな展示手法がとられているが︑前博物館を知る者にとっては比較にならぬ程理解しやすい展示構成となったことは評価できよう︒しかし近現代の分野についてみると県史上の重要事項がまだ抜け落ちている所もあり︑惜しまれる︒ ︵i︶和歌山県立博物館︵Ⅱ︶一九七一年四月二十二日︵湖︶和歌山市吹上一四一四
I
︵i︶和歌山県における近代化を兵制︑教育︑税
の面から示している︒
制
、
産業など
︵曲︶約1/6
︵髄︶①和歌山藩の交代兵制②近代教育とその影響③地租改正
の実施④近代産業の形成⑤和歌山県の民衆運動⑥人々と
戦争
︵・唾戦争については︑県下の空襲についてパネルで解説し︑
一九四五年の空襲による死者分布と焼夷弾や防空鉄甲な
どの実物資料が展示されている︒人権については︑民衆
運動の発生分布図やポスター・新聞の展示︑また﹁南方
上邑
︽日死
楠 と 神社合祀反対運動﹂ということで熊楠が行なった
環境保全運動についても触れている︒
︵V三八七○年〜太平洋戦争
︵.Ⅵ︶︵Ⅷ︶実物資料が多く︑その解説が分かりやすかったこと︑ま
た図表を適切に用いることで基本テーマにそった理解は
得られたと思う︒
II
︵i︶和歌山藩の兵制改革において
−1交代兵制﹂という徴兵制
をとり︑それが日本でも画期的だということを知り︑近
代化していったとしても後進県だと思っていたので驚い
た︒
︵Ⅱ︶南方熊楠と神社合祀反対運動について印象に残った︒こ
の運動は一村一社を命じた神社合祀令にたいして豊かな
自然と歴史の宝庫である杜の伐採を憂え︑展開した環境
保全運動であると思う︒
︵斑︶他の時代には設置してあるAVモニターを近現代史の.
−ナーにも置いてほしかった︒モニターの中の人物がそ
の時代や出来事を紹介する︵和歌山弁で︶手法は子供た
ちの興味をひくであろうといった点でも惜しいと思う︒
111
︹寸評︺同館は南蛮美術館と考古館を設
立母体として出発したことから
わかるように︑博物館とはいう
ものの美術館的側面の強い施設
である︵これは頻繁に催される つある大阪市立博物館だが︑開館後三○数年を経ても近現代史の展示が常設展示にないことは新館に期待することを差し引いてもその責任は問われねばならない︒まして府立の歴史系総合博物館がない現実では︑都市大阪を広く紹介する施設は︑個々の専門館に任せるのではなく︑市立博物館が務めるべきである︒館の建物自体が近現代史の重要な生き証人であることも強くアピールする必要がある︒︵i︶神戸市立博物館︵Ⅱ︶一九八二年十一月三日︵歯︶神戸市中央区京町二四
I
︵i︶神戸は国際港都として古くから諸外国と交流が深いこと
から︑﹁国際文化交流・東西文化の接触と変容﹂を基本テ
ーマとしている︒
︵i︶約3/帥
︵通︶①開港をめぐって⁝摂海の防備と兵庫開港︑新政府と神
戸︑外国人居留地︑貿易のはじまり︑交通の発達②文明
開化と近代化⁝神戸の外国人︵グルーム︑モラエス︶︑異
人館︑洋装と新しい職業など︒
︵.Ⅳ︶︵V︶一八六八年〜現代︵大震災での同館の被害写真のみ︶ 代につながるところもあるが︑戦後から現代に至る発達は分からない︒
︵Ⅷ︶観覧者を大阪市民に想定しているのであるならばこれで
もよいが︑大阪市外の人にとっては分かりにくい︒
II
︵i︶初代首相を務めた伊藤博文が︑初代兵庫県知事であるこ
とは初めて知った︒
︵h︶森仁左衛門作の牡丹に唐草文様の望遠鏡︒
︵通︶第二次世界大戦後の神戸の様子がわかるような展示物が
まったくないことが不満である︒ ︻報告者︼史地九五一○一玉尾大志
1I1
二五八
︹寸評︺
基本的な諸テーマは県立博物館
と重複する所が多いが︑本館は
関西では数少ない近現代史専攻
の学芸員が配置されている施設
であり︑やはり展示には工夫の
あとがうかがえる︒展示中に戦
争関係のものが若干もの足らな
いと感じられるが︑この点は一 特別展をみてもわかる︶︒一般に神戸市というと港町のイメージであり︑そこからは当然に幕末の開港からの歴史が重要な意味をもってくるが︑それが常設展示の中に正当に位置づけられているとはいえない︒また︑近現代史全体を見渡した場合︑この開港期以後の歴史が抜け落ちており︑都市が抱える様々な側面を多角的に検討する材料が提供されていないのが現状である︒︵i︶和歌山市立博物館︵Ⅲ三九八五年十一月一日︵瞳︶和歌山市湊本町三二
I
︵i︶市民の時代を反映して︑明治初年の和歌山藩の藩政改革
から戦災の復興までを産業・文化・教育などの側面から
和歌山の﹁近代化﹂していく様子を市民の視点で示す︒
︵h︶約1/5
︵通︶①藩政改革で日本最初の徴兵制を実施するなど全国の注
目をあびた兵制改革により教育︑産業︑生活様式の変革
のきっかけをつくる②小学校の開校により近代的な教育
制度が確立し③軍隊の需要から皮革や紀州ネルの地場産
業が発達する④このような近代化のながれを示しながら
近代日本の思想家として名高い南方熊楠の環境保護など
をからませる
︵w三九四五年にはいると和歌山も何回か空襲を受けた︒と
くに七月九日の和歌山大空襲は凄惨をきわめ︑市街地の ︵Ⅵ︶古くから外国との貿易や文化交流が盛んな神戸は︑これ
からのグローバル化する国際社会において︑ますますそ
の重要度を増すであろうとしている︒
︵Ⅷ︶十分理解できた︒
II
︵i︶もっぱら私のもっていた和歌山の印象は﹁都会的﹂でな
い︑言い換えれば﹁最先端﹂ではないというものだった︒
しかし︑藩政改革で日本最初の徴兵制を実施したり︑明
治政府に先立った兵制改革を導入するなど和歌山も全国
の先駆けとなっていたことを知って認識が大きくかわっ
た︒
︵Ⅱ︶ラヂオ隻六が一番印象に残った︒ラジオが日本に入って
きて︑国民のラジオにたいする知識を深めるために売り
だされたものだが︑近代化の波にのって流入してくる諸
外国の品々にたいする日本人のとまどいと期待を感じ
た︒
︵歯︶展示にたいする解説文は他の時代に比べて近代はもの足
りないように感じた︒それから︑戦災のあと市民の努力 ︻報告者︼史地九五一八九横田諭史
III
二五九
B周辺市町村立博物館
︹寸評︺吹田市立博物館は︑大阪府下の
市町村立では珍しく︑博物館法
にのっとった博物館相当施設で
ある︒また同館では積極的に近
現代史のテーマを特別展に採用
して事業展開していることは評
価できよう︒それは同市の成り
立ち︵鉄道網の整備・千里ニュ 九九五年度の特別展﹁和歌山大空襲の時代﹂においてフォローされている︒また同展に限らず和歌山の近現代史に関する特別展が︑必ず開催されるということは︑やはり専任の学芸員が存在するからである︒このことがいかに重要であるかは後段で触れることとしたい︒︵i︶吹田市立博物館︵Ⅲ︶一九九二年十一月一五日︵歯︶吹田市岸辺北四一○一
I
︵i︶吹田の近現代史について﹁近代の吹田﹂﹁新しい吹田と未
来﹂の二本の柱を設定している︒
︵曲︶約1/5
︵耐︶①近代のあゆみ︵長州征伐絵馬︑薩州役所・明治政府の
触書︑アサヒビール関係資料︶②戦争への道︵山田村小
作争議︑戦争関係資料︶③ニュータウンと万国博覧会︵千
里ニュータウン関係︑万博関係資料︶
︵蓮小作争議などの社会運動にたいして︑政府は弾圧の方針
でのぞみ︑さらには軍部・財閥に動かされ︑アジア諸国
への侵略を始め︑やがて欧米諸国とも戦火を交える太平
洋戦争に突入する︒戦争は相手国のみならず日本国民に
も悲惨な状況を招き︑一九四五年の日本の敗戦で終結す
ると解説する︒ 大半が焼失し︑三○○人あまりが死亡し︑四○○○人以上が負傷した︒避難場所の旧県庁跡の広場は地獄と化し︑ここだけで七四八人の死者が出たと︑解説される︒
︵V三八六九年〜一九五九年
︵・巴洋式軍隊創設による必要性から︑紀州ネルや皮革産業な
どの地場産業が発展していくことや︑南方熊楠の提起し
たエコロジー思想や地域主義など独創的な思想が近代日
本に影響を与えたなど︑分野ごとに示していたように思
われる︒
︵Ⅷ︶理解できた︒
II
︵i︶山田村で小作争議があったことは初めて知った︒高校の
日本史で学んだ賀川豊彦が同村をしばしば訪れたという
ことは︑吹田も日本近代史のなかに位置づけられるのだ
と思った︒
︵h︶千里ニュータウンの全景写真︒
︵逝︶交通の便が悪すぎる︒すぐ近くまでアクセスする交通機
関がないのはともかく︑もよりのバス停についても迷い
かねない︒ によって復興されたことにもう少し具体的な事例を紹介してもよいのではないかと思われた︒さらに現在の和歌山の産業で革やネルなどはあまり聞かないが︑みかんや材木を抜いて県下一位の産業となっていたこれらの産業が戦後どのように推移したかも知りたかった︒
︻報告者︼史地九五一六二皆木良子
III
二六○
︹寸評︺五條文化博物館は奈良県南部で
唯一の博物館である︒また奈良
県は考古学・古代史関係の施設
のほかにはほとんど無いといっ
てよい︒そのようななかにあっ
て同館は五條市を中心とした南
部奈良県の歴史を総合的に紹介
する施設である︒天詠組の史跡
との関係で建てられた立地場所
は交通アクセス上便利とは言え −タウンの開発等︶からも当然といえようが︑同館の最大のネックは交通アクセスが非常に不便な点である︒展示内容と異なり何処に立地するかといった問題はえてして評価の対象になりにくいが︑より多くの市民に鑑賞してもらうためには実は重要なポイントである︒︵i︶市立五條文化博物館︵Ⅲ︶一九九五年四月二十九日︵通︶五條市北山町九三○二
I
︵i︶五條が生んだ儒者﹁森田節斎﹂や天詠組の変など︑五條
でも始まっていた近代の胎動について︒
︵Ⅱ︶約1/6
︵甜︶①幕末維新期の儒学者森田節斎は︑勤王の志に燃え︑そ
の門には諸国の勤王の志士が多く集った︒吉田松陰や乾
十郎も彼の弟子であった②天詠組によって行なわれた五
條代官所の襲撃とその後の戦いは︑新しい時代の到来が
間近に迫っていることへの証しであった︑ことなどを紹
介する︒
︵
.
Ⅳ
︶
︵V三八六三年〜一九五九年
︵Ⅵ︶旧紀州街道沿いに残る通称﹁新町通﹂と呼ばれる五條の
古い町並みは︑独特の雰囲気を残し歴史的環境をよく伝
えており︑後世に伝えるべき貴重な文化遺産であること
を訴える︒ ︵V︶幕末〜一九七○年︵.Ⅵ︶﹁新しい吹田と未来﹂のコーナーでエンドレスのビデオ
を流して︑ニュータウンの開発や万博を契機に今後も吹
田市が発展していくことを紹介している︒
︵Ⅶ︶吹田の近代の様子についてはだいたい理解できたが︑旧
吹田操車場に関しての資料がなにも展示されていなかっ
たことが不満である︒
II
︵i三番学んだ点は︑近世の松倉重政による新町村開設であ
る︒彼は城下町振興策として新町村を取り立てて︑年貢
諸役を免許して商業を振興し︑商人の集住化を図った︒
これにより︑五條が南和地域の中心として発展する基礎
が形づくられた︒
︵h︶﹁天詠組出発図﹂︒吉村寅太郎︑藤本鉄石を中心とする天
詠組三○余名が︑弱冠一九歳の公卿中山忠光を擁して挙
兵する姿が描かれている︒
︵湖三九九五年に開館したため︑外装・内装とも近代的で美
しく︑設備も整っており内容も充実していたが︑交通の
便が悪く利用者が少ない︒今後ぜひ改善してもらいたい
点である︒ ︻報告者︼史地九五二四江口大悟
Ⅲ
一一一ハー
ないが︑展示内容やその手法は
同館の積極的な姿勢を表してお
り︑今後の活動が期待できる︒ ︵耐︶森田節斎や天詠組の変については理解が得られ︑五條も
尊擢派の拠点のひとつであったことが理解できた︒
︻報告者︼史地九五四五貴田直子
︻報告者︼史地九三l四浅尾和重 一一一ハーー
︹寸評︺
大阪府下河内地域にも各自治体
に歴史資料を展示するなにがし
かの施設は存在する︒しかし概
ね小規模で︑かつ考古遺物を中
心とする構成となっている︒そ
れは当地が古代政治の中心地で
あったことによるのは勿論だが
それだけではない問題を孕んで
いる︵後述︶︒そのような状況に
あって同館は総合的な歴史展示
を目指しているといえる︒常設
展示の在り方もそうだが︑頻繁
に開催される企画展や特別展の
課題設定は地域博物館から何が
発信できるのかを常に念頭にお
いているといえる︒ ︵i︶八尾市立歴史民俗資料館︵Ⅲ︶一九八七年十一月八日︵通︶八尾市千塚三一八○一
I
︵i︶﹁文明開化と八尾﹂︒民俗資料が中心である︒
︵Ⅱ︶全体にたいする割合は低い︒
︵髄︶サブテーマはないが︑明治時代のランプや懐中時計など
の日用品︒尋常高等小学校の通信簿︒地券︒太政官高札
などを展示︒
︵.Ⅳ︶︵V︶明治〜大正時代
︵.Ⅵ︶︵Ⅶ︶明治時代の人々が日常どのようなものを使用していたの
︑﹃︑
力
文明開化がどのように庶民の中に入って行ったかは
理解できた︒
II
︵i︶河内木綿関係の資料が展示の柱をなしており︑その意味
で︑八尾は河内木綿とともに歩んで来たことが理解でき
た︒
︵i︶河内木綿の展示︒江戸時代の河内木綿の切れ見本が多く
展示されている︒木綿の生産過程がよく分かった︒
︵猫︶展示スペースによってやむを得ないが︑展示資料数が全
体に物足りない︒
1I1
C﹁平和﹂﹁人権﹂を専門とする博物館
︻報告者︼史地九四七四田中将司
一一一ハーニ ︹寸評︺現在ではようやく公的機関による平和博物館の建設が各地で見られるようになってきたが︑この種の施設の場合はいまだに戦争の評価や︑加害・被害の両面をいかに描くかなどといった問題が浮上する︒それは現在︑国が計画を進めている﹁平和資料センター
L、をめぐる議論をみて
も明らかである︒本館は現在地
に開館する以前に府庁内に資料
室が設置され︑資料の収集とと
もに議論の積み重ねがかなりあ
った︒その結果バランスのとれ
た展示内容となっているが︑専
任の学芸員が配置されていない
ことは大きな欠陥といえる︒ ︵i︶大阪国際平和センター︵h三九九一年九月十七日︵耐︶大阪市中央区大阪城二一
I
︵i︶世界平和に貢献することと戦争の悲惨さを戦争を知らな
い世代に正しく伝える実物資料による歴史の証言の場と
なることを目的としている︒展示室はA・B・Cの三室
に分けられており︑﹁大阪大空襲と人々の生活﹂﹁一五年
戦争﹂﹁平和の希求﹂という基本テーマを設定する︒
︵Ⅱ︶すべて近現代史の展示
︵湖︶観覧当日は特別展は﹁戦争はフィリピン・インドネシア
でどのように伝えられているか﹂を開催中であった︒
︵Ⅳ︶特別展は︑フィリピンで行った﹁パターン死の行進﹂や
抗日ゲリラとの激戦︑インドネシアでの天然資源・食糧
の収奪と労働力の搾取など︑両国民に多大の犠牲と苦痛
を与えたという︑日本ではほとんど知られていない歴史
を伝えている︒
︵v三九三一年〜現在
︵・辺常設展示室Aでは︑ジオラマなどで大阪大空襲の被害状
況が解説されており︑現在の大阪と対比しながら︑空襲
の悲惨さが示されている︒
︵Ⅷ︶展示室A・Bについては戦争の悲惨さ︑空襲の規模など
想像を絶する悲惨さが感じられ︑Cについては主に核兵
器の問題や地域紛争など現代の平和問題について考えさ
せられるものがあった︒
1I
︵i︶大阪大空襲と同時に広島・長崎の原爆についても展示さ
れていたので︑改めて戦争の恐ろしさがわかった︒また︑
日中戦争における日本軍の大量虐殺︑朝鮮・台湾におけ
る﹁皇民化政策﹂などで自分が知らなかった点などが学
習できた︒
︵曲︶とくに﹁平項山事件﹂のことが写真で展示されていて︑
解説とともに見ると日本軍の残忍さ︑民衆にたいする容
赦のない弾圧が想像された︒
︵面︶展示室A・Bともに照明が必要以上に暗かったため解説
パネルが見づらいほかは︑不満はなかった︒
111
一中人しと
又菫日・坤
−
︻報告者︼史地九五一六六宮崎由希子
全沐
二六四I
II
1I1
︹寸評︺本館は︑同大学の教学の理念で
ある﹁平和と民主主義﹂具体化
する形で建設された︒大学が博
物館を設置することは近年多く
見られるようになったが︑この
ような﹁平和博物館﹂という特
定のテーマにもとづく施設は珍
しいといえるし︑展示内容や手
法も最新の成果をふんだんにと
りいれている︒また小学生まで
観覧者の対象に含め︑大学内部
だけではなく︑地域や関係機関
との積極的な交流をもっていこ
うとする姿勢も顕著である︒ ︵i︶立命館大学国際平和ミュー
ジアム
︵Ⅱ︶一九九二年五月十九日
︵髄︶京都市北区等寺院北町五六
’
一
I
︵i︶一五年戦争の実態を伝えるとともに現代の戦争が人類に
もたらす悲惨な影響や核軍備競争の現状︑さらに軍縮の
ための国際的努力についても学ぶことのできる展示を目
的とする︒
︵︾Ⅲ︶すべて近現代史の展示
︵蓮①﹁一五年戦争の実態﹂軍隊と兵士
沖
占領地・植民地
縄戦・原爆とあらゆる角度から歴史の事実を明らかに
する②﹁第二次世界大戦と戦争責任﹂③﹁現代における
戦争と平和﹂現代の戦争の惨禍とともに未来の平和の創
造を中心に展示︒
︵・巴歴史的な事実としての戦争をありのままに伝えている︒
日本の加害者・被害者としての両立場を客観的に︑また
子供にも理解しやすく展示している︒
︵V三九三一年〜現在
︵Ⅵ︶展示全体を通じて︑とくに③のコーナーで示している︒
︵Ⅷ︶ほとんどが実物資料・写真なので︑戦争というものを今
まで学んできたよりもリアルに感じることができる︒
く
と
に一五年戦争では人々のくらし︑国家政策︑空襲など
の多くの資料で幅広く展示してあるので︑戦争の実態を
理解しやすい︒
II
︵i︶﹁戦時下における人々のくらし﹂について展示してある
スペースが非常に広く︑解説なども詳しかったので︑そ
こが一番学べた点だと思う︒また当時人々が実際聞いて
いたラジオや見た映像をVTRで見ることができるのも
よかった︒
︵Ⅱ︶東京の街中の写真︒政府の立てた﹁スパイに気をつけろ﹂
という趣旨の看板が立ち並んでいる様子が印象に残っ
た︒
︵面︶観覧者層を広く設定し︑子供にも理解しやすく展示して
あるためか︑戦争の実態や悲惨さが若干伝わりにくいと
思われた︒また戦争責任に関する展示が少ないように思
った
。
1I1
−
︹寸評︺
本館は人権という人類共通の問
題を正面からとりあげている施
設である︒同和地区内に設置さ
れ︑部落問題の解決を中心課題
とすべく活動している︒一九九
五年にリニューアルオープンす ︵i︶大阪人権博物館︵h三九九五年十二月一日︵通︶大阪市浪速区浪速西三六
三六
偏弛小町一庇
I
︵i︶部落問題をはじめとする人権問題を調査・研究し︑関係 −
資料を調査・保存・公開することにより︑人権意識の普
及につとめる︒
︵︾︑︶ほぼ近現代史の展示
︵面︶および︵.Ⅳ︶第二次世界大戦中の国内外における従軍慰安
婦の問題や︑韓国・朝鮮の人々にたいする強制労働や皇
民化政策︑また現代の沖縄米軍基地問題についても解説
し︑戦争と人権問題をからめて展示してある︒
︵V︶室町〜現代
︵Ⅵ︶現代の水俣病などの公害問題︑障害者差別問題︑高齢化
問題や沖縄・アイヌの人々にたいする事柄なども多く扱
い︑問題意識を喚起している︒ および︵w︶①与謝野晶子の詩の市民生活・堺大空襲につ崖原爆投下と非核運動について圭別︑女性解放︑外国人差別巾の取り組みについて説明︒一九○四年〜一九九四年一五年戦争での過ちを繰り仮と多様性を認め合う社会を創堺市の活動を紹介︒堺市の取り組みについては学 机と人曜雪
II
踊説し.日
一れる②部一
季ど世界杓1
五年瑠孝下の加害行為︑一別︑障害者守屋壬亭垂pHⅡ知毒国風一P一画噂醒Ⅱ凸しグ
︵i︶私の出身地︵名古屋︶では︑土地柄として同和問題や在
日韓国・朝鮮人の問題についてあまり問題意識をもった
ことがなく︑実際学校でそういったことについての教え
をうけたこともなかった︒今回の見学で︑まず問題意識
をもつことができたし︑ある程度理解を深めることがで
きたと思う︒
︵曲︶在日韓国・朝鮮人の戦後まもない商家や︑アイヌ人の伝
統的家屋などの実物大の展示︒また差別を受けてきた
人々の作文や告白映像などは非常に身につまされた︒
︵通︶とくになし︒ 〃並列は唾 鼓でありなから︑日本の侵略や加害行穐に蔭ふんだんに用いている点︒巾民に設定されているため︑同市の概要を知の人にとってはあまり印象に残らないのでは7︒しかし身近な所から平和と人権についてための啓発という目的は十分達成できている合施設のためか︑スペースに比べて多くの内メグーー淨句︐F﹄︑︲︐︻Ⅲドーゴ腱薗︲氏ノ︑︒︒r︑一皇nu尹字︲L豆忌暹かゆ︑︲︑0〃r
︻報告者︼史地九四一二七本多崇泰
III
二六五 ︹寸評︺本館は自治体設置にもかかわらず積極的に反戦・平和・人権の擁護を明確にうちだしている︒しかし大きな課題にたいして消化不良の気味は免れず︑とくに平和と人権という二大テーマが有機的に関連しあっていないことが惜しまれるし︑観覧者の理解にとって混乱を生じさせる原因ともなっている︒
D産業史・企業博物館
︹寸評︺一九六二年に大阪環状線開通記
念事業として発足した本館は︑
一九九○年に博物館としてリニ
ューアルオープンしJR西日本
が所有する企業博物館として再
出発した︒いわゆる体験・参加
型の博物館で︑アミューズメン
ト施設としての性格もより強調
された︒博物館にこのような性
格を導入することについての議 る以前の資料館時代はその点がより顕著であったが︑現在は広く人権問題全般に目配りするような構成へと変化した︒しかし︑それは対象の暖昧さも含むことになり︑なぜ館の名称に﹁大阪﹂を冠しているかという疑問が残つく︾◎︵i︶交通科学博物館︵Ⅱ︶一九六二年一月二十一日︵歯︶大阪市港区波除三
I
︵i︶鉄道を中心とした国の交通の科学と歴史・文化を広く伝
え︑新しい豊かな文化の創造を目指す︒交通に関する資
料の収集と研究を行ない︑展示や催し物などの教育普及
活動を展開している︒
︵Ⅲ︶鉄道の歴史を中心とするため︑ほとんど近現代史の展示
︵耐︶館内は基本的に以下の七室に分けられている︒①明日に
むかって⁝リニアモーターカーに見る明日の鉄道②鉄道
の誕生⁝鉄道の創業時代の姿③鉄道のおいたち⁝日本の
基幹交通として発達した鉄道のおいたちをさぐる④鉄道
車両のしくみ⁝鉄道車両のしくみと技術を紹介⑤鉄道の
施設としごと⁝安全輸送のかなめとなる鉄道の施設を紹
介⑥鉄道とくらし⁝鉄道がもたらした社会の変化や文化
を紹介⑦航空・船・自動車のあゆみ⁝空と海そして陸上
の交通機関の発達を紹介︒
︵.Ⅳ︶戦争についてはほとんど触れられていない︒第三室に学 ︵耐︶とかく理解しづらく︑また抽象的になりやすいテーマを
映像・ジオラマ・実物展示を多用して非常に身近で分か
りやすいものとなっていた︒
II
︵i︶操縦士からみた標識の説明では日ごろ記号としか捉えて
いなかった表示の意味がわかったし︑あまり意識してい
なかった交通における鉄道の重要性を実感できた︒
︵曲︶リニアモーターカーの仕組みについて︒
︵溢︶鉄道以外の展示︑とくに私は船の歴史の展示をもう少し
充実させてほしかった︒しかし︑﹃交通科学博物館概要﹄
において記述されている地域社会への貢献という点に関
してはその条件をほとんど満たしているのではないかと
思った︒また英語その他の外国語による解説の導入も今
後の課題だと思う︒ ︻報告者︼史地九四三九鬼頭彰
111
一一一ハーハ
︹寸評︺いわゆる企業博物館の類型にお
いて近代という時代に限ると︑
本館は近代産業史に特有の分野
の施設であるといえる︒企業博
物館は現在多数存在するが︑そ
れが企業の宣伝広告の場か︑あ
るいは企業の私有物となってい
るケースが多い中で︑本館は比
較的公的に解放されているとい 論は常にあろうが︑この場合︑鉄道の発達が果たした歴史的役割︵吹田市立博物館の特別展の項を参照︶を基本テーマとして伝えきれているかどうかが問題となるが︑その点はいささか心もとないといわざるをえない︒企業博物館にもこのような公的使命が求められることは欧米の博物館と比較しても明らかであつ
く
︾
◎
︵i︶松下電器歴史館
︵h三九六八年三月七日
︵通︶門真市門真一○○六
I
︵i︶松下電器の創業者松下幸之助の生誕五○周年を記念して
一九六八年に松下幸之助の歩みを中心とした歴史資料を
公開する︒創業者の精神﹁人をつくり︑ものをつくり︑
そして人々の生活の向上を常に求めた﹂を広く知らしめ
ることを目的とする︒
︵Ⅲ︶すべて近現代史の展示
︵猫︶①時系列展示ゾーン⁝和歌山に生まれ︑幼くして大阪に
出て丁稚奉公し︑松下電器をつくり育てて九四歳で死去
した幸之助の歩みを振り返る②テーマ展示ゾーン⁝幸之
助の創業精神を様々な角度から紹介する③ハイビジョン
シアター⁝幸之助の著書を題材にイメージ放映する︒
︵
.
Ⅳ
︶
︵V︶幸之助の生誕〜現在
︵
.
Ⅵ
︶ 書などがあったが︑全体にその割合は少ない︒ 旅行の自粛を呼びかけた回覧板や旅行制限のための申請 童疎開引き上げ列車の記述︑大阪鉄道局発行の戦時中に
︵V三九世紀末〜現在
︵Ⅵ︶第一室のリニアモーターカーの展示は将来のさらなる高
速移動時代を暗示している︒
︵耐︶基本趣旨が交通全般の歴史の理解というならば物足らな
かった︒多少は船の模型や実際に使われたバス︑電話の
展示もあったが︑鉄道関連の展示が圧倒的で︑鉄道交通
博物館のような名称がふさわしいと思えた︒
1I
︵i︶松下グループの人々に創業者の偉大さと主義主張を教え
ることに徹底しており︑その意味では優れた松下マン作
りには大切な教育の場であろう︒入館者もほとんどが松
下の取引先および顧客であり︑そして最も多いのが松下
グループの新入社員であることでこの歴史館の存在意義
が達成できているのであろう︒改装開館以来︑土曜日も
見学できるようになったが︑本来の目的からすれば松下
電器の業務日のみに見学できればよいものである︒
︵︾Ⅲ︶御家芸であるAV機器がふんだんに使われている点︒
︵Ⅲ︶松下グループの求心活動の拠点として︑松下幸之助氏が
あるのであるから︑グループにとっては社員であること
の誇りの原点であり︑商売人としての志しの源泉である︒
その目的達成という点から見ると展示内容・方法には不
備なところはない︒むしろ立派といわざるをえない︒ ︻報告者︼史地九三九三田淵史博
III
二六七
えよう︒松下のような巨大企業︵Ⅷ︶十分理解できた︒
ならばさらに地域社会との関わ
りを持つことも企業の使命の一
つと思われる︒
︻報告者︼史地九六三○○四清水卓二
︻報告者︼史地九四○○三石井健太
一
一
六 八
︹寸評︺本館の設置者は大蔵省造幣局で
次の淀川資料館と同様に国の政
策を理解してもらうための施設
である︒大阪では砲兵工廠とと
もに︑造幣局が工業の近代化に
果たした役割は非常に大きい︒
その意味では国家の権能である
通貨発行の紹介だけではなく︑
地域大阪にとって造幣局がいか
なる地位を占めていたかという
視点がもっと強調されるべきで
あると思われる︒ ︵i︶造幣博物館︵Ⅲ︶一九六九年四月︵歯︶大阪市北区天満一
九
一
七
I
︵i︶明治時代の西洋風建物︵当時発電所︶の保存︑造幣局開
設一二○年を記念して︑展示物の一般公開︑といった理
由から設立された︒
︵Ⅱ︶約1/4
︵歯︶館内は四つのテーマ室に分かれている︒①造幣局の歴史
⁝造幣局が果たした近代工業の先駆者としての当時をし
のばせる写真や工具などを展示②現在の造幣局の仕事⁝
貨幣の製造工程と勲章の製造工程をパネルを添えて展示
している︒また貨幣袋と千両箱の重さを体験できるコー
ナーがある︒③日本の貨幣⁝わが国最古の和同開珠︑大
判・小判などの古銭をはじめ︑近代貨幣にいたるまでの
実物を展示︒④外国の貨幣⁝約一四○か国の貨幣の展示
のほか︑造幣局で造られた札幌オリンピックなどの金・
銀・銅のメダルも展示されている︒
︵.Ⅳ︶︵V︶古代〜現代
︵.Ⅵ︶︵Ⅷ︶理解できた︒
1I
︵i︶学芸員もいないらしいし︑博物館としての登録もされて
いないことには驚いた︒
︵Ⅱ︶皇朝十二銭と和同開珠︑秀吉の造らせた大判など︒
︵歯︶とくにないが︑照明が暗すぎるような気がした︒
IⅡ
一
グ、垂
水百后年事業の一環
く大阪﹂﹁百年の歴由
る水道﹂﹁市民と水道
どを基本コンセプト
児代史の展示
迫の厨 卜写宣 八年の までの
に室山浄
てある︑百年匿の歴史をた魑当時の遺物が展示されていつの宮浄水場開設から現在安騨は興味深かった︒︒レーヂ/ココーグレーI︶て﹁巳雨吋 ︻報告者︼史地九五一三七平見真也二六九 ︹寸評︺設置者は建設省であり︑造幣博物館とともに国の政策をPRする場といえる︒一八七四年に国の直轄河川改修事業として工事に着手し︑これが日本の近代河川工事の始まりであることを考えると︑本館はもっと存在意義を強調してもよいのではないかと思われる︒貴重な歴史資料が保管・展示されているのだが︑現代の観覧者の要求も考慮して魅せる展示を考えてほしいところである︒ ︵i︶淀川資料館︵曲︶一九七七年四月一日︵耐︶枚方市新町二二一三
I
︵i︶淀川の水害や治水工事の歴史を通じて︑淀川河川事業の
重要性の理解を得ることを目的とする︒
︵面︶ほとんど近現代史の展示
︵測︶治水工事や水害のほかに︑淀川の生物相を魚や蝶の標本
によって紹介している︒また淀川水域の公園をジオラマ
で紹介︒
︵.Ⅳ︶︵V︶平安時代︵淀川古図︶〜現在
︵・巴水害を紹介することによって︑治水の重要性を訴えると
ともに自然と触れ合う場所としての淀川公園を地域社会
につながるものとして展望している︒
︵耐︶十分理解できた︒
II
︵i︶治水事業などには興味がなかったが︑そのようなテーマ
でも歴史的に研究することで自然と人間のかかわりとい
う大テーマにつながっていく︒歴史学というものが広範
な知識と好奇心を必要とするものであることが学習でき
た︒
︵i︶水害が報道されている明治・大正期の新聞︒
︵歯︶役所が作ったものなので︑おもしろく見せようとする姿
勢に欠けている点︒
Ⅲ
︵i︶水道記念館
︵Ⅱ︶一九九五年十一月二十五日
︵髄︶大阪市東淀川区柴島一三
’
一
I
11
111
E近現代史に関する特別展
︹寸評︺
亀岡市を人口的にみると︑京都
府下では京都市・宇治市に次ぐ
位置にある︒京都市が政治・経
済的にも突出している京都府の
なかでは︑周辺市町村は独自の
特色を出していかないとアピー
ルは難しい︒亀岡は京都から山 ︹寸評︺最新の設立だけあって︑みせることについては十分に計算されている施設である︒大阪市の水道事業は全国の都市の中でも特筆されるものであるだけに︑むしろ開館が遅かったぐらいである︒本館は一九一四年に建設された旧第一排水ポンプ場を活用しており︑歴史的建造物の有効利用という点でも今後の博物館設置のあり方の参考となろう︒︵i︶亀岡市文化資料館︵曲三九八五年十一月一日︵通︶亀岡市古世町中内坪一
I
︵・1︶﹁近代丹波・亀岡のあけぼの﹂丹波・亀岡における幕末
から明治維新︑明治初期の情勢を示し︑現在の亀岡の原
点となる時代の様子を探る︒
︵i︶常設展示会場をすべて特別展にあてている︒
︵通︶①幕末の動乱の様子と地理的に京都に近い亀山藩が尊王
穰夷の動向に影響されたことについて示す②次に明治維
新の展開と亀岡について③そして版籍奉還と廃藩置県を
経て京都府の誕生と亀山藩から亀岡県へとなったいきさ
っと︑交通・教育の発達について示す︒
︵.Ⅳ︶︵v三八六五年〜一八九八年
︵.Ⅵ︶ ︵連①琵琶湖と淀川水系②大阪市の水道百年③くらしと水④
水道メモリアルギャラリー⑤コミュニケーションゾーン
︵.Ⅳ︶︵V︶江戸時代〜現代
︵.Ⅵ︶︵Ⅷ︶理解できた︒
II
︵i︶亀岡が地理的に京都に近いということで︑尊王穰夷の動
向に影響されたことや︑地方の郷士の政治的運動など︑
歴史の授業で学ぶことのない事実や人物のことが分かり
興味深かった︒
︵曲︶﹁五梼の掲示﹂︒実物資料中心の展示には好感が持てた︒
︵通︶私が行ったとき資料館に来館していたのは年配の人だけ
だった︒亀岡市の歴史について分かりやすく展示してあ
ったので︑自分たちの地域の歴史について理解を深める
ためにも若年層の利用が増えればよいと思った︒そのた
めにはAV機器の導入なども検討される必要があると思
︑﹃︐〃◎ れる水時計がある︒これはこの館のシンボルともいえ︑三○分ごとに時を知らせる心地よい音が流れる︒
︵通︶あえてあげるならば交通の便が悪いことぐらいでとくに
ない︒博物館でないため学芸員の配置はないが︑館の職
員の説明も詳しくテーマに沿った理解がえられる︒
︻報告者︼史地九四一四太田和紀
III
二七○
陰へ通じる街道の最初の町で︑
京都の影響を強く受けながらも
城下町として独自の文化を育ん
だ地であるが︑資料館の活動も
含めて伸び悩んでいるのが実情
である︒ ︵Ⅷ︶解説が丁寧なので十分に理解できた︒当地の学校教育の
一環に組み入れられればさらによいと思う︒
︻報告者︼史地九五一七八安田恭子
︻報告者︼史地九四八七豊田慎一
一
一
十?
一
︹寸評︺
本館は近現代史専攻の学芸員が
配置されていないにもかかわら
ず意欲的な展示活動を展開して
おり︑交通アクセスの悪さ・展
示室の狭硲さが悔やまれる所で
ある︒本展も近代史を語る上で
欠かせない鉄道を軸に企画され
ており︑その着眼点は評価でき
ようが︑内容に若干言及すると
鉄道の発達が果たした﹁国家﹂
﹁国民
Lの創出という観点にも
目配りできていれば︑尚一層の
充実が得られたのではないかと
思われる︒ ︵i︶吹田市立博物館︵h︶一九九二年十一月十五日︵髄︶吹田市岸辺四一○一
I
︵i︶﹁鉄道沿線物語l鉄道の発達と吹田l﹂近代における鉄
道の発達をみると同時に吹田における鉄道敷設と市街地
化などにスポットをあてた吹田の鉄道史を併せてみる︒
︵函Ⅲ︶特別展用の会場
︵哩三部構成となっている︒①﹁鉄道の歩みと吹田﹂として
官鉄の歩みを②﹁沿線開発と郊外住宅﹂として私鉄とそ
の沿線の街の広がりとの関連を③﹁描かれた鉄道沿線﹂
として庶民の旅をそれぞれ紹介する︒
︵
.
Ⅳ
︶
︵V︶幕末〜昭和三○年代
︵
.
Ⅵ
︶
︵耐︶近代日本の発展において鉄道の存在は不可欠であり︑ま
た吹田その他の街の広がりには鉄道敷設が一役かってい
たということがよく分かった︒
1I
︵i︶鉄道の出現によって近代日本は殖産興業が可能となり︑
人の行き来もそれまでとは比べられないほど短時間で行
なえるようになった︒また街の拡張にも鉄道が関わって
いた︒こうした鉄道の貢献をあらためて示され素直に驚
いた︒
︵Ⅱ︶明治初期の鉄道時刻表︒それまで大まかな時間感覚であ
ったろう日本人が︑これにより分刻みの感覚を感じたの
ではないか︒
︵通︶とくに不満ということはないが︑ただ鉄道関連の資料自
体が少ないということが残念である︒
1I1
前章で見たように︑各施設は便宜的に五つのグループに分けて紹介し
た︒すなわち︑A府県立および大都市所在博物館︑B周辺市町村立博物
館︑C﹁平和﹂﹁人権﹂を専門とする博物館︑D産業史・企業博物館︑E
近現代史に関する特別展︑である︒これは全国に数千は存在するといわ
れる博物館・資料館を一様に論じられないためであり︵実はそこに博物
館をめぐる議論のむずかしさがある︶︑設置目的や規模などの条件に︑受
③
講生の居住地などの要素も考慮してリストアップしている︒勿論︑今回紹介した施設が本稿の目的に適い︑その要件を満たしているかどうかは
十分とはいえないであろうし︑このようなグループ分け自体が近現代史
分野の展示についての博物館・資料館を論じる場合の指標となりえるか
どうかも議論を必要とするところであろう︒しかし︑おおむね議論や検
討に耐えうる施設をあげたつもりでいる︒
それでは︑A府県立および大都市所在博物館︑から検討することにし
よう︒関西の府県立博物館ということでは︑本稿で紹介した以外に以下
のような施設が存在する︒例えば大阪府立泉北考古資料館・大阪府立弥
生文化博物館・大阪府立近つ飛鳥博物館・大阪府立上方演芸資料館・京
都府立丹後郷土資料館・京都府立山城郷土資料館・滋賀県立琵琶湖博物
館・滋賀県立琵琶湖文化館・滋賀県立安土城考古博物館などである︒こ
のほかに︑今回の検討対象からは外したが︑各地の︵公︶文書館におけ
る展示も近現代史料の紹介施設として存在する︒このようなことが前提
二レポートの小括
としてあるのを承知でまとめを進めると︑︑まず府県立博物館の存在意義についての議論が必要なように思われる︒その典型が兵庫県立歴史博物館である︒府県立博物館が現在の行政区域に基づいて︑府県域の歴史をカバーするという古典的理解に立てば︑もっとも苦心し︑そして成功しているとはいえないのが当館だからである︒府県域をカバーするのか︑あるいは館の立地する地域を重視するのかのはざまで展示に一貫性を持てていないのである︒現在︑府県立ながら特殊化・個別化を進めているのが大阪府である︒
右にあげたように大阪府立としては歴史系の総合博物館は存在しない︒
設立の計画そのものは以前から耳にするのだが︑今あるのは発掘調査に
基づいて設立された考古系の博物館が中心である︒それがどのような意
図によるのか関知しないが︑その役割を代替し︑実際に活動しているの
が大阪市立博物館である︒しかし︑︹寸評︺でも述べたように同館には近
現代史の展示はない︒大都市に所在する博物館は多くの場合︑府県庁所
在地に立地するが︑府県立博物館がどうしても網羅的にならざるをえな
いのにたいして︑﹁都市﹂という基本的性格を全面に出して展示を展開す
ることが可能なはずである︒そしてこの場合︑近代・現代という時代が
決定的に重要な役割を果たしている︒このことは︑近年の歴史学におけ
る都市論の隆盛をみても分かる通りである︒個々の館の特殊事情はある
としても︑このような博物館・資料館で近現代史が論じられていないか︑
限定された時期しか示していない︵神戸市立博物館のようなケース︶は
重大な過失といわざるをえない︒歴史系の総合博物館として名乗る以上
は︑その責務を果たさなくてはならない︒
七
さてこれらの博物館にたいして︑B周辺市町村立博物館は︑より地域
に密着した展示が展開できる﹁地域型博物館﹂といえるだろう︒今回紹
介した諸施設は︑十分にその役割を意識した活動を行なっている︒それ
は︑館およびそこに勤務する学芸員の不断の研究と努力があってこそ実
を結んでいるのだと思うが︑ここで注意してほしいのは︑全国に存在す
る歴史系博物館・資料館の圧倒的な部分がこの﹁地域型博物館﹂である
ことである︒具体的な統計をとったわけではないが︑こと関西に限って
みても何らかの展示施設を有する自治体の数は相当数にのぼるものと思
われる︒そして管見の限り︑多くの場合︑近現代史に言及していてもそ
こに展示されているのは︑農具や日用品︑教科書といったものが羅列的
に陳列されているにすぎない︒勿論︑教科書的な通史展示がよいといっ
ているわけではない︒実際に︑その地域・街の成り立ちを生かし︑それ
を中心に展示を構成している施設も近年では多く見られるようになって
きた︒しかし︑常設展示に近現代史まで含めて展示している﹁地域型博
物館﹂にはあまりにもステレオタイプな表現をとっているか︑民俗史と
区別できない展示が多いこともまた事実である︒圧倒的な割合を占める
﹁地域型博物館﹂がこれからどのようにすれば生き残れるかは︑より地
域に密着した研究や調査に基づく展示を含めた活動が展開できるか否か
④
にかかっていると思われる︒この場合︑地域の成り立ちを前面に出すのは当然としても︑現在の地域形成にもっとも深くかかわっているはずの
近現代史の展示がより一層重要になってくるだろう︒
続くC﹁平和﹂﹁人権﹂を専門とする博物館︑D産業史・企業博物館︑
E近現代史に関する特別展︑は近現代史に固有なテーマを基本として展 示している施設である︒その点先のA︑Bの施設とは大きく異なり︑当然特有な課題や問題も生じてくる︒
まずC﹁平和﹂﹁人権﹂を専門とする博物館であるが︑本テーマ自体は
何も近現代史に固有のものではなく︑およそ歴史を貫く基本的課題であ
ることは承知している︒ところが博物館・資料館における﹁平和﹂展示
とはアジア太平洋戦争のことを指し︑﹁人権﹂とは部落問題を中心として
現代の様々な人権侵害の問題を指す場合が多いので今回の調査で取り上
げている︒﹁平和﹂に関する恒常的展示施設の関西における代表的な事例
としては︑先の紹介であげた施設であると思われる︒堺市の﹁平和と人
権資料館﹂はひとまずおくとして︑大阪国際平和センターと立命館大学
国際平和ミュージアムはともに︑先の戦争を一五年戦争あるいはアジア
太平洋戦争と位置づけ︑戦争の加害と被害の両面を展示し︑恒久的平和
を希求することを目的としている点で共通している︒展示構成や手法を
みてもよく考えられたものとなっている︒ともに戦争が遂行された﹁時
代相﹂を描き出そうと努力している︒本年︵一九九六年︶の長崎市にお
ける原爆展をめぐる混乱や︑昨年のアメリカ・スミソニアン博物館の原
爆展についての米国内の種々の議論をみても︑この分野の展示がいまだ
に感情的・利己的な批判の対象となっていることを考えると︑両館とも
客観的かつ公平な展示活動を行なっているといえるだろう︒ただし大阪
国際平和センターには専任の学芸員が不在であり︑今後の館運営には不
安が残る︒
ところで﹁平和﹂に関する展示としては︑昨年が戦後五○年というこ
とで各地で多くの特別展・企画展が見られた︒普段常設展の中で十分に
七
⑤
展開できていなくても積極的に展示を行なった館が多く見られた︒全体を観覧したわけではないし︑ここで個々について論じる余裕はないが︑
好企画もあったし︑やや首をかしげるような企画もあったが︑各自治体
や労組・市民団体が毎夏催す平和展もいつもにまして熱心に取り組まれ
ていたと思う︒それが戦後五一年目の今年はどうであったかというと︑
予想されていたこととはいえ盛り上がりに欠けた︒戦争や平和の問題は
何周年かを記念して回顧されるものではなく︑現代社会を生きる私たち
にとって日常的な課題である︒その意味では常設的な施設はさらに増え
ていくことが望ましい︒その場合︑国家的な動きを伝えることも大切で
あろうが︑やはり身近な戦争の傷痕を丹念に調査・追跡していく姿勢が
重要となろう︒とくに戦争体験者が日を追って少なくなっていく今日で
は︑緊急の聞き取り調査が必要である︒
さて﹁人権﹂を専門とする博物館では大阪人権博物館を紹介したわけ
であるが︑この種の施設も平和博物館とともにまだまだ数少なく発展途
上の専門館といえるだろう︒同館の展示内容について個々に批評するこ
とは割愛するが︑今回の報告者のように同和問題について学校教育で扱
われて来なかった地方は︑私たち関西に在住する者にとっては意外なほ
ど多いのではないだろうか︒実際の非差別部落の分布とあいまって︑身
近な体験がない人が同館を訪れる場合と︑私自身のように小学校のころ
から﹁熱心﹂に同和教育を受けて来た者とでは︑まるで印象が異なるよ
うに思える︒前者は﹁新鮮﹂な驚きをもつであろうが︑私自身はどうし
ても重苦しさを感じてしまう︒部落差別の存在やその悲惨さは歴史的事
実として厳然と存在するのだが︑同館の展示はあまりにもそれが自明の 前提として出発しているように思えてならない︒また︹寸評︺にも述べたが︑リニューアル後︑広く人権問題を意識するような構成へと転換したため︑以前に比べて焦点が拡散した感は免れない︒人権侵害に関することを追求すると社会の諸問題をすべてそこに行き着かせてしまう恐れはないか︒人権侵害といえば﹁戦争﹂はその最たるものだが︑そこが整理できずにいる施設は堺市立平和と人権資料館であるが︑このような混
⑥
乱を生じている施設は同館に限らず外にもいくつか見られる︒ついでD産業史・企業博物館である︒この分野もここでは論じ切れな
いほど多様かつ多数の施設がある︒ここでは公立施設と私立施設を近代
産業に関する博物館ということで一くくりにしたが︑本来は別途に︑と
りわけ企業博物館については一稿を起こさなければならないほどである︒
それはあくまでも営利追及を基本とする企業における博物館とは自社の
PRのためかオーナーの趣味の延長かは別として︑社会教育施設である
ことを本旨とする公立博物館とは一線を画するからである︒しかし︑欧
米に遅れてようやく企業の社会的役割やメセナ活動がようやく強調され
るようになってきた現在では︑企業が一人私のための運営をしておれば
⑦
よいという時代ではなくなってきている︒また公立施設については︑A・Bでみたような施設とここであげたよ
うなテーマ館では︑設立目的・館の活動や対象とする観覧者の違いなど
多くの論点を含んでいる︒しかしここではその問題にはあえて触れずに︑
右に述べたような理由から︑近現代史に固有なテーマを展示する施設と
して一括して紹介した︒
そこで気が付くのは︑今回の事例のなかでは造幣博物館と水道記念館 二七四