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飛鳥〜奈良時代のガラス遺物の材筆質

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Academic year: 2021

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飛鳥〜奈良時代のガラス遺物の材筆質

飛 鳥 藤 原 宮 跡 発 掘 調 査 部

昨年度,飛鳥池遺跡で発見されたガラスエ房関連遺物について調査したのを機会に,今年度 は,飛鳥〜奈良時代のガラス遺物の材質について訓査した。調査資料は,藤原京,平城京およ び近辺の遺跡から出土した約10 0点の遺物で,これについて分析をおこなった。

その結果,当時代におけるガラス材蘭は,アルカリ珪酸塩ガラスと鉛珪酸塩ガラスに大別で きる。アルカリ珪酸塩ガラスは,すべてナトリウムを融剤とするソーダガラス系で,カリを融 剤とするカリガラス系は古墳時代中期以前の世術からのみ検川する。ソーダガラスには,酸化 アルミニウムを1 0 %前後含有する高アルミナソーダ石灰ガラス[N a 2 0 A l 2 0 3 ‑ C a O S i O 2 ]と酸 化アルミニウムを数%しか含有しないソーダ石灰ガラス[ N a 2 0 ‑ C a O ‑ S i O 2 ] の2種類が存在する。

そしてこれらには数%の酸化鉛[ PbO ] を含有するものと,わずかしか含有しないものがある。

高アルミナソーダ石灰ガラスの出土例としては,牽牛子塚古墳出土の粟玉があり,このうち,

黄緑色半透明および黄色半透明を呈するものは,PbOを数%含有し,茶色〜赤茶不透明なもの は1%以下である。水落遺跡出土の淡青色ガラス小玉,平城京内から川土した淡青色透明ガラ ス小玉などは,いずれも高アルミナアルカリ石灰ガラスで鉛含有敵は少ない。酸化アルミニウ ム含有並が少ないアルカリ石灰ガラスの川土例は,高松塚・ 占墳州土の青紺色半透明ガラス玉,

薬師寺出土の淡脊紺色不透明ガラス片,111崎遺跡(愛知県)出土の淡青緑色透明ガラス未製品な どで,いずれも鉛含有堂はわずかである。ガラス鋳型に残存するガラスを分析した例としては,

飛鳥池遺跡と上之官遺跡のものがあり,いずれも高アルミナアルカリ石灰ガラスである。

鉛珪酸塩ガラスは,P b O ‑ S i O 2 系の一種類のみであり,大半のものはPbOを6 0 〜7 0 %含有す る高鉛含有の鉛ガラスであるが,なかにはPbOの含有雄がこれらより少ない鉛ガラスも存在す るようである。6世紀には朝鮮半島では,鉛ガラスの製造が開始されていた可能性があり,日 本に製品もしくは一次製品を輸出していたことが考えられる。これを示す証拠として大阪府塚 廻古墳(7世紀後半)洲土の管玉は,朝鮮半島産の鉛鉱石が使用されていることが鉛同位体比測 定で明かにされている(1 9 9 1 , 1 1 1 崎) 。7 1 1 t 紀後半の鉛ガラス製遺物としては,阿武山古墳出土

の 緑 色 透 明 ガ ラ ス 玉 , 安 倍 寺 出 土 の 緑 色 板 〜 塊 状 ガ ラ ス ( P b Oは 約 5 0 % ) , 川 原 寺 出 土 の 噂 ( 鉛 袖

ロ本産鉛鉱石を使用)などである。7世紀末には,飛鳥池遺跡で大並の鉛ガラスが製造され,こ れらは,鉛同位体比測定の結果,日本産鉛鉱石を使用したことが明かとなった。ガラス州渦は

藤 原 京 内 , 平 城 京 内 , 滋 賀 県 中 畑 T 1 遺 跡 ( 8 1 1 t 紀 後 半 ) か ら 出 土 し て お り , す べ て 鉛 ガ ラ ス を

検出している。薬師寺から多並のガラス片や玉類が発兄されている。このうちコバルトブルー のガラスを除く,黄色透明,赤色透明,緑色透明,褐色半透明のガラスはすべて鉛ガラス(P b O は6 0 〜7 0 %前後)で国産品である。この他,平城寓,坂、寺からも鉛ガラスを検出しており,当 時 の 宮 殿 や 寺 院 に 多 雄 の ガ ラ ス が 使 用 さ れ た こ と を 示 す も の で あ る 。 ( 肥 塚 隆 保 )

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