「こわい」手塚さん
山 本 顕 一
40
年以上にわたって在職された立教大学を,ついに定年を迎えられて 退職なさる手塚さん(手塚伸一教授と申し上げるべきところであるが,や はりこう呼ばせていただこう)は,研究・教育の両面においてまことに羨 むべきご成果をお残しになっておられる。外国文学の研究者の場合,特に心惹かれるただ一人の詩人の研究に一生 を捧げた上で,知り尽くしたその詩人の全作品を,一字一句ゆるがせにせ ぬ彫琢のすえ,感興をそのままに伝える美しい日本語に移し換えることが 出来たとしたら,これに過ぎる生涯の満足はないであろう。「フランシ ス・ジャム全詩集」はそのような偉業である。
教育者としての手塚さんがどんなに学生たちから慕われてきたかの証拠 は数々ある。われわれ研究室の同僚は,手塚さんを中心に教授会のあと必 ず連れだって飲みに行くのが二十数年来のならいである。ついでに書き添 えておくが,手塚さんこそは最上の飲み相手である。無類のお酒好きで,
美酒佳肴の探求にはひたむきであられながら,酒には決して溺れられない。
長い付き合いの間で,手塚さんが座を乱したり人にからんだりしたのを私 は一度も見たことがない。そして割り勘の端数が面倒になりそうなとき,
「じゃあこれで計算を簡単にして」と札入れから数枚を取り出されるのは いつも手塚さんなのである。閑話休題,その手塚さんがめずらしく「今日 はちょっと勘弁してくれ」とおっしゃったことがあった。あとでうかがう と,「昔の教え子達と飲んでね」とのこと。手塚先生を囲む定期的なクラ ス会がいくつもあって,一番古いのはなんと
40
年も前の学生であるらし い。当時はまだ立教に仏文科はなく,教えられたのは第二外国語のクラス であったはずであるが,このように長年親交が続くとは、私などでは考え られない慕われかたである。教室でどのような丁寧な授業をなさってこられたかは私には知る由もな く,研究室で小耳にはさむ卒論指導の女子学生に対する懇切な応対ぶりか らわずかに推測されるばかりであるが,私自身も手塚さんから一度懇切な 教えを受けたことがある。
1980
年代の半ばごろ,手塚さんと入れ替わり 41に立教大学から一年間の海外出張を許された私は,一週間重なったパリ滞 在を好機とばかりに,このエピキュリアンの先達にフランスのレストラン についてのご指導を仰ぐことにした。「よし」とうなずかれた手塚さんは,
早速モンパルナスの一応名の知られた店ロトンドに連れていって下さり,
ソーモン・フュメを注文し,「この味を覚えておきなさいね」とおっしゃ った。次に,この番号にこう言って電話をかけなさい,とお命じになった が,それは当時人気上昇中でミシュランに新しく星が付いて話題となった カルチエ・ラタンの店,ドダン・ブファン(一時の隆盛のあとシェフが変 わったため,今は星を失っている)への予約の電話で,慣れない私をして 早くフランスの電話になじませるためのお心遣いだった。数日後,構えは 地味ながら客の立て込んだドダン・ブファンのテーブルに着くと,オード ブルの注文に「ここでもソーモン・フュメを選んでごらん」と示唆された。
その一切れを口に含んだ瞬間,私は感得した,安易な店と腕のいい料理人 がはりきっている店とでは,おなじ燻製の鮭でも味わいがこんなにも違う ものか,と。メインの生フォアグラの味とともに,フランス料理の決め手 のありかがどのあたりにあるか初心の私にも推察できたような気がしたの も,ロトンドという適切な捨て石を一つ置いて下さったからだと,私はこ の周到な心遣いに内心嘆声を発したものである。手塚さんからはまた,当 時の日本では絶対に見られない種類の映画を上映している館の所在と入り かたも教わった。
しかし,私が手塚さんから教わったものはこれだけではない。
立教大学に仏文科が創設されたのは
1963
年で,定員急増のおかげで翌 64年,私ごとき者までが立教大学に勤めさせていただけることになった。その少し前から,私の大学院時代の親しい先輩,新倉俊一,高橋武智の両 氏が立教の専任になっておられたが,この二人の俊英は,新入りの私に口 をそろえて「手塚さんはこわい人だから注意するように」と忠告して下さ った。ところが,それまで一面識もなかった恐ろしい人であるはずの手塚 さんが誰よりも親切に学内状況の説明や池袋界隈の案内をして下さるの で,こちらは大いに戸惑った。こうした謎の手塚さんの「こわさ」が私に 分かるようになったのは,しばらくたってからのことである。
実は手塚さんは,人としてしなければならないこと,決してしてはなら ないことに関しては厳格な基準をお持ちの方なのであった。けじめをつけ るということを非常に大切になされるのである。そして,ここぞという時 には,あえて厳しい注意を与えて下さる。これは主義や道徳の問題という 42
より,手塚さんの場合には,人の生き方の清らかさに関する一種の審美的 な感覚として身につけておられるように見受けられる。私などは甘えや怯 懦から,困難を前にすると,みっともないごまかしで一時しのぎをしよう とする傾向があるが,「山本君,やはりここはこう振る舞うべきなのだよ」
とたしなめられて,何度失態を免れたことであろう。迷惑の種となってい る人に対して,言わなければならないが言いにくいことを言うという損な 役回りをかってでて下さるのも手塚さんであった。
とはいうものの,決して他人の弱点を見つけて得々と裁くようなお人柄 ではない。ご自分の言動に関してはきびしく律しておられるが,他人に対 しては本質的にお優しいのである。かつての紛争時代の教授会などで,普 段は押し黙っている他学科の老教授が突然しどろもどろな発言をしたりす ると,われわれ仏語仏文の生意気連中はあとの酒席でその発言を嘲笑のた ねにしたものであるが,そんなとき手塚さんだけは「あの人も本当はこん なことが言いたかったのではないかな」と善意の解釈をおもらしになる。
育ちが悪くてひねくれた解釈をしがちな私などは,「手塚さんも好人物が 過ぎるのではないか」と内心思うことが何度もあった。本当に手塚さんは 他人の中になかなか邪心の存在を認めようとなさらない方なのである。そ のような手塚さんが,周りの親しい人などについて,「あの人に,こんな ことだけはしてもらいたくなかった」としみじみ述懐なさるとき,その人 の行動を強く否とするお気持ちと,その人をかばいたいというお気持ちと のせめぎがどんなに強いかが察せられて,こちらまで胸が苦しくなるので ある。思えば私も,「山本君に,あんなことはしてもらいたくなかった,
言ってもらいたくなかった」とお心を痛めさせたことが,何度となくあっ た筈である。このような私に対しても長年寛大につきあってくださり,人 間の信義というものに関し無言の教えを示し続けてくださった手塚さん と,ついにもう学内でお会いする機会がないのかと思うと,言いようのな い淋しさで胸は一杯になる。
しかし,それは手塚さんのこと,これからも「一晩おつきあい下さい」
とお願いすれば,ともに飲みあかすべく必ずや池袋までご足労下さること であろう。こうした手塚さんと長年にわたり立教でともに過ごすことが出 来た幸せをあらためてかみしめつつ,定年教授らしからぬ若さをいまだに 保っておられる手塚さんが,いつまでもお元気でわれわれを暖かくお見守 り続けて下さることを今は切に祈るばかりである。
43