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学びの研究から学んだこと

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学びの研究から学んだこと

著者 田中 俊也

ページ 1‑35

発行年 2020‑03

その他のタイトル Studies of Thinking and Learning

URL http://hdl.handle.net/10112/00020486

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ただいまご紹 介 頂 きました田 中 でございます。

本 日 のこのクラスは教 育 方 法 ・技 術 論 の通 常 のクラスで、それを使 って最 終 講 義 をさせて頂 くとい うことで、特 に学 内 外 で仕 事 をされてる方 にとってはウィークデーですので、大 変 ご迷 惑 をお掛 けする 形 になっておりまして、まずはお詫 び申 し上 げます。

本 日 は学 内 外 からもた くさんの方 に来 て 頂 きまし て ありがとうございました 。 私 の方 としては、今 串 崎 先 生 からご紹 介 あったような形 で、色 々なお話 をさせて頂 こうと思 っております。

ざっとお顔 を拝 見 する限 りでも学 内 外 で私 と色 んな関 わりのあった方 がたくさん来 られて いますの で、一 番 の本 音 としては、お一 人 お一 人 のエピソードを 語 りながら進 めていきたいというのがあります が、今 日 はちょっとそこを禁 欲 しまして、私 の研 究 を中 心 にしたお話 を進 めていきたいと思 っております。

そのことによって何 か皆 さんに、特 にお若 い皆 さんに記 憶 に残 るようなお話 ができれば、と思 っておりま す。

途 中 、ひょっとしてご質 問 等 がおありになるかもしれませんけれども、 今 串 崎 先 生 からもご紹 介 があ ったように、今 回 は時 間 の都 合 上 ご質 問 をお受 けはできないということでご了 承 頂 きたいと思 います。

それからもう一 つだけ冒 頭 に、関 係 のない方 には申 し訳 ないんですけれども、一 応 授 業 の一 環 にな っていますので私 の受 講 生 の方 はいつもの LMS に出 席 の箱 を設 けていますので、LMS で出 席 の方 を 取 っ て お い て 下 さ い 。 宜 し く お 願 い し ま す 。 授 業 の 受 講 生 に は 今 日 は ミ ニ ッ ツ は 配 り ま せ ん の で 、 LMS での出 席 で参 加 確 認 にしたいと思 っております。宜 しくお願 いします。

それでは、最 初 に私 の方 からイントロダクション的 なお話 をして、それからいくつか の柱 をたてて、中 身 に入 っていきたいと思 います。

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今 日 のお話 の概 要 はレジュメ冒 頭 にあげておりますので、そちらをご覧 ください。始 めに私 の研 究 活 動 の背 景 になった事 柄 をいくつかお話 をして、その後 の研 究 活 動 の基 礎 的 部 分 を少 し共 有 頂 ければ と思 っております。

探 求 への関 心

研 究 活 動 の関 心 の契 機 なんですけれども、私 は田 舎 に住 んでおりましたので 昔 から空 を眺 めるの が好 きで天 体 をずーっとよく見 ていました。

皆 さんも夜 空 をご覧 になると星 が動 いたり月 が動 いたりして いるのに気 づかれると 思 いますが、天 体 観 測 をしておりまして、その星 の動 きの背 景 に何 かありそうだなということを常 に考 えておりました。

そういう、目 の前 で展 開 される現 象 の説 明 だけではなくて、その背 景 の何 か原 理 原 則 ですね、それ を知 りたい・分 かりたいという関 心 がずーっと子 供 の頃 からありました。

その中 でも特 に印 象 的 な出 来 事 として星 座 の観 察 がありました。みなさん、小 学 生 の頃 、理 科 の授 業 で星 座 という単 元 を学 んだと思 うんですけれども、星 座 というのは夏 はさそり座 が中 心 、冬 はオリオ

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ン座 が見 えるという、そういう形 の勉 強 で学 んで いたわけです。田 舎 の実 家 では星 の観 測 は、屋 根 に 寝 転 がってずっと見 ていました。時 には明 け方 までずっと見 ていることもありました。そうすると、ものすご く驚 いたことに、真 夏 なのに明 け方 、オリオン座 の一 部 が出 てきたのですね。

わかりますか、どういう意 味 か。

つまりオリオン座 っていうのは冬 の星 座 だと、夏 に見 えるはずがないと思 って いたものが見 えてくる、

ということで、これは原 理 的 に考 えれば当 たり前 のことなのですね。学 校 で習 う夏 の星 座 、冬 の星 座 っ ていうのは、夏 の 間 はこういう空 が よく見 えると、 冬 の間 はこういうのが 見 え るというだ けで、 別 に 夏 や 冬 に特 化 した星 座 であるわけではないわけです。

しかし、そういう、見 えるはずがないと思 っていたものが実 際 に見 えたというその驚 きがありまして、な るほどもっとこれは知 りたいなということで、すごく感 動 した覚 えがあります。

断 片 的 知 識 から「統 合 」へ

その次 にきた感 覚 が、そういうその一 つ一 つの、あ、あれはこうだな、あれはこうだな、という断 片 的 な 知 識 (例 えば夏 の空 は夏 の大 三 角 、冬 はオリオン座 、等 ) に留 まっていると、非 常 につまらない、という 風 な感 覚 でした。

例 えば高 校 時 代 に、物 理 とか化 学 とかを履 修 していたわけですけども、とってもつまらないんですね。

何 故 かというと、ただやり方 があって、計 算 して答 えを出 して、ということ。そういう物 理 、あるいは化 学 のつまらないという感 覚 はなぜか?それから歴 史 なんかもそうですね。いついつ何 があったというのを覚 えておくということは非 常 につまらないという風 にずーっと感 じていたわけです。

ところが、実 は私 一 年 浪 人 をしておりまして、その浪 人 時 代 に勉 強 したこと、これは教 科 とか からは 離 れて自 分 で色 んなものをまとめていくわけで、その浪 人 時 代 に、高 校 時 代 に はあれだけつまらないと 思 っていた物 理 の断 片 的 な知 識 が、あれ?と思 ったんですね。 例 えば位 置 エネルギーとか運 動 エネル ギーとか、熱 エネルギーとか電 気 のエネルギーと かが、「エネルギー」という概 念 でつながっていること に気 づくわけです。そうすると 力 学 というのは、単 に 計 算 して答 えを出 す、そ ういうものじゃなくて、実 は 世 の中 の仕 組 みってこういう風 な形 で統 合 されて いるんだっていうことを身 をもって感 じたのですね。こ れも大 きな感 動 でした。

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けれども、実 はそうじゃなくて、それらを鳥 瞰 的 に眺 めて見 ると、世 界 全 体 の動 きが見 えてくる。 世 界 の 年 史 を自 分 で一 覧 できるようにつくりあげてみるとよくわかる。 そういうその断 片 的 な知 識 を統 合 して いくことがすごく大 事 だという、そういう感 覚 を強 く持 った覚 えがあります。 いわゆる「世 界 がみえてくる」

感 覚 です。

理 論 化 ・統 合 化 への疑 義 と畏 怖

そうやって理 論 を使 って何 か説 明 する原 理 を発 見 するというのはすごく大 事 だと、それでいいんじゃ ないか、という風 に思 うかもしれないんですけれども、私 は実 は、そこに至 った時 に、つまり何 かこう世 界 が見 えたなという感 覚 を持 った 時 に、それが感 動 であったのと 同 時 に、半 面 、非 常 に恐 怖 を感 じた の ですね。ひょっとしてそれ以 後 のあらゆるできごと・現 象 はそれでみんな説 明 できるんじゃないかと。あれ はこう、これはこう、ということですね。

一 旦 獲 得 した原 理 原 則 であらゆることを説 明 する ことができる、ということになってくると、実 はそれ 以 後 は、豊 かな意 味 の世 界 で世 界 との交 渉 をすることをやめるということになるのではないか、と。

ちょうどそういう風 な感 覚 を持 っていた時 に、これは大 学 に入 ってからですけれども、フッサールという、

現 象 学 という哲 学 を始 められた方 の 「危 機 書 」と呼 ばれている本 の中 にある、「ガリレイによる世 界 の 数 学 的 理 念 化 」というフレーズと出 会 ったのですね。あ、まさにこれだ!という風 に思 いました。

つまり一 定 の理 論 を発 見 して、以 後 は皆 、あれはこう、これはこうということで説 明 する、それはすごく いいんだけれども、そこに感 じた僕 の違 和 感 ですね、これはそのフッサールの言 うところの、 世 界 を数 学 的 に理 念 化 をしてしまって捉 え、そこでもう本 来 の世 界 との 豊 かな交 渉 をやめてしまうことになること、

自 分 のまわりの世 界 を理 念 化 して実 際 の具 体 的 な世 界 との交 渉 をやめるということではないかと。

その感 覚 を持 った同 じ頃 に、本 学 で心 理 学 の山 下 栄 一 先 生 という方 がいらしたんですけれども、山 下 先 生 はちょうど教 育 心 理 学 に対 して、後 に「教 育 状 況 の現 象 学 」(金 子 書 房,1981 年 )という本 を出 されているのですが、教 育 状 況 というのを、そういう現 象 学 的 な 視 線 で見 ていく、つまりその 諸 現 象 の意 味 を復 活 させるという、そういう風 な動 きをされて いました。

同 時 にその頃 、ラジオ講 座 と言 いますか、NHK のラジオで、講 座 があって、木 田 元 さんという現 象 学 の大 家 のシリーズものの「講 座 現 象 学 」というのがありまして、これをずーっとテープ に撮 って何 回 も何 回 も聞 いて いました。そこで、 やっぱりそうだと 、自 分 が解 釈 したの はあながち身 勝 手 な解 釈 ではな い

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のだなあという風 に思 ったことがあります。

つまり、理 念 化 ・理 論 化 をして世 界 を眺 めるというのは一 方 で便 利 なんだけれども、それによって そ の世 界 とのかかわり方 が 非 常 に貧 しくなるという、そういう二 律 背 反 的 な感 覚 を持 ったわけです。 そこ で、その感 覚 は一 体 何 だろうかなあということで、ちょうどマスターの院 生 になった頃 、そのことを まとめ て、こんな図 式 を考 えてみました。

つまり、人 間 というのはあるところまでは、世 界 と関 わりながら、ああではないか、こうではないかとい うことで色 々考 えて、仮 説 を持 ったり、理 論 を立 てたりするわけですけれど、ある時 、さっき言 った、あ、わ かった!世 界 が見 えた !と 、そういう段 階 になってくると、いきなり今 度 は、そ この理 論 で説 明 する、そ の 言 語 でのみ世 界 と関 わる、ということで、これが実 は世 界 に対 しての意 味 の喪 失 ではないかと、そうい う風 に考 えたわけです。

こ の 図 は 、 私 の 学 位 論 文 の 中 に 載 せ た 図 の 1つ で す けれ ど も 、 そ の 大 元 は 、 こ こ に 書 い た よ うに 、 1977年 、マスターの2 年 生 の時 の論 文 の図 なんですけれども、この頃 こういう事 を考 えて いた事 をご 紹 介 しておきたいと思 います。

「思 考 」そのものへの関 心

そういった流 れから、ものごとを考 えるということに対 してすごく強 い関 心 を持 つようになりました。

つまり、ものごとを考 えるということで、実 際 に世 界 と関 わりながら、その世 の中 の物 を観 察 しながら、

ああではないか、こうではないか、ということで理 論 化 して それをわかろうとする。

そういう理 論 化 をしていくということは、ある種 科 学 的 な研 究 活 動 そのものだということで、そのプロ セスが一 体 どうなっているんだろう、つまりものごとを考 えて理 論 を立 てていくという、そのプロセスその ものが一 体 どうなっているかですね、これに対 してすごく大 きな関 心 を持 ちました。

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思 考 ・科 学 論 ・科 学 哲 学 への関 心

そういうことを研 究 する領 域 は、実 はあるのですね。

科 学 哲 学 という研 究 領 域 で、「科 学 」そのものを科 学 するという、そういう領 域 がある のです。哲 学 の領 域 でいえば科 学 哲 学 、それから心 理 学 プロパーの領 域 で言 えば、思 考 心 理 学 という領 域 がある んですけれども、これらはいずれも、ものごとを考 える、ということそのものについて考 えるということです。

その思 考 に関 しては、学 部 の学 生 の頃 、当 時 奈 良 女 子 大 におられた清 水 御 代 明 先 生 という 思 考 心 理 学 では著 名 な先 生 が非 常 勤 に来 られて、一 年 間 その思 考 心 理 学 の話 をずっとされて いて、そこ で大 きな衝 撃 を受 けました。

それから、学 部 4 回 生 の時 に哲 学 科 の竹 尾 治 一 郎 先 生 の科 学 哲 学 の授 業 を正 規 に登 録 をして 受 けていました。たまたま哲 学 科 の学 生 が誰 もいなくて、 心 理 の私 だけだったので、1対 1で竹 尾 先 生 の研 究 室 で年 間 通 して非 常 に密 度 の濃 い授 業 を受 けた記 憶 があります。

科 学 哲 学 ・ 科 学 史 については大 学 院 に進 んでからも、 村 上 陽 一 郎 さん の論 がきわめて明 確 で面 白 く、トマス・クーンの「科 学 革 命 の構 造 」の精 読 と相 まって、「理 論 」の「変 更 」に及 ぼす「データ」の 扱 いの考 え方 が、あとで述 べますが、仮 説 における情 報 の扱 い、シェマにおけるエイリメントの扱 いなど と同 列 にみえ、このころが最 もわくわくする研 究 活 動 をしていた時 期 だと思 っています。

心 理 学 への引 き寄 せ

そうして現 象 学 や科 学 哲 学 を背 景 に、やがて自 分 の専 門 領 域 である心 理 学 での 研 究 に引 き寄 せ て研 究 を進 めていく必 然 性 が生 じてきました。卒 論 、です。

卒 論 では、先 に紹 介 した清 水 御 代 明 先 生 の影 響 もあり、収 束 的 な思 考 の典 型 である「問 題 解 決 」 をテーマに、そのプロセスを細 かく分 析 するという手 法 で研 究 を進 めました。 そこでは、ブルーナーが用 いた概 念 達 成 課 題 の課 題 そのものをカードにエナメル塗 料 で 描 いて 81 枚 のカードを作 り、大 学 生 を 対 象 に実 験 室 で実 験 を行 いました。

そこでの被 験 者 の行 動 の変 化 を、まったく何 していいかわからない「混 沌 」の状 態 から、ああでもない、

こうでもない、と考 えながら正 答 を見 つけ出 すという「均 衡 」の状 態 に変 わっていくこと、ととらえ、こうし た思 考 過 程 を「混 沌 から均 衡 へ」というサブタイトルをつけた「思 考 過 程 の方 略 論 的 分 析 」というタイ トルの卒 論 にしあげました。

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思 考 というのは非 常 に面 白 い現 象 だ、ものごとを考 える、何 かを見 つける、見 つけた後 どうする、そう いう風 なプロセスを考 えるのは大 変 面 白 いということで、それを卒 論 にし たわけです。その卒 論 の中 に、

当 然 心 理 学 の卒 論 ですから実 験 をするわけですけれども、実 験 結 果 の報 告 だけではちょっと物 足 りな くて、今 お話 ししたような、現 象 学 や科 学 哲 学 を含 めてまとめました。

ピアジェの論 のもどかしさ

この時 、問 題 解 決 を「均 衡 化 」の過 程 と 考 えるとピアジェの発 達 論 、特 に認 知 発 達 論 は 避 けて通 れないのですが、この卒 論 執 筆 当 時 はそのピアジェの理 論 のもどかしさをすごく感 じながら、しかしピア ジェのその考 え方 は面 白 いということで、均 衡 という概 念 は用 いていたわけです。

そのピアジェの理 論 が何 でもどかしいかというと、皆 さん多 くの方 がご存 知 だと思 いますが、 ピアジ ェは「発 達 段 階 」を提 唱 されていて、感 覚 運 動 期 から最 終 の形 式 的 操 作 期 、というそういう形 で認 知 発 達 が説 明 されるわけです。そのころ何 故 もどかしさを感 じたかというと、ピアジェはシェマつまり、人 間 が何 かをやろうとする時 に一 定 の構 えを持 っていると いうそのシェマについては語 っているのですが、そ のシェマが何 を処 理 するのか、何 を対 象 にそれを動 かすのか、ということについてほとんど書 かれてな かったのですね。

それが、晩 年 の著 書 の中 の一 つ(Piaget,1975)に、エイリメントという概 念 が出 てきたんですね。

このエイリメントというのは、栄 養 物 とか滋 養 物 とかそういうものです。例 えば、人 間 の生 活 で言 えば、

食 べ物 とか飲 み物 ですね、こういったものはエイリメントとなるわけですけれども、 ここに至 って初 めて、

シェマがエイリメントとどういう力 関 係 になるかによって、ある時 は同 化 、ある時 は調 節 が行 われ、不 均 衡 な状 態 が均 衡 な状 態 に変 わっていく、ということが明 らかにされたわけです。 このピアジェのモデル はわくわくするような優 れたものですが、田 中(1980)や日 下 正 一 (1996)さん以 外 ではほとんど触 れられていません。

HUPA の着 想

私 は博 士 課 程 の後 期 課 程 は名 古 屋 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科 教 育 心 理 学 専 攻 に進 んだのです が、そこでこのピアジェの本 (1975)を精 読 し、ブ ルーナーの「仮 説 ・ 情 報 」理 論 、サイモンの情 報 処 理 モデル等 と 統 合 し、結 局 私 の関 心 の中 心 は、 人 間 の持 っている、行 動 に先 立 つ、行 動 前 のある 種

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behavioral Activitis)という新 たな概 念 を着 想 しました。ヒューパと読 みますが、独 創 的 ではあって も一 般 には全 く浸 透 していません(笑 )。

卒 論 では、問 題 解 決 の結 果 としての、そこで結 局 どんな方 略 ・ストラテジーをとったのか、について だけの研 究 でしたが、修 士 論 文 では、その問 題 解 決 過 程 を、持 っている仮 説 と具 体 的 な情 報 探 索 活 動 ・処 理 活 動 との関 係 でみていくこととしました。HUPA の枠 組 みでの研 究 です。

Ⅰ.思考と眼球 運動・情報探索 活動の研究

思 考 過 程 の分 析 には、具 体 的 な情 報 処 理 活 動 の指 標 が大 切 、という観 点 から、課 題 に接 している ときの被 験 者 の目 の動 き(眼 球 運 動 )を測 定 することとしました。

修 士 課 程 ・ 博 士 課 程 後 期 課 程 以 降 の研 究 は 基 本 的 に、そ うした、問 題 解 決 中 の情 報 探 索 活 動 の測 定 、そのまとめに終 始 しました。

眼 球 運 動 測 定

眼 球 運 動 の測 定 は、1976 年 当 時 は豆 電 球 の光 (微 弱 )を目 に当 て、角 膜 に反 射 されたものと刺 激 付 置 とを合 成 して「どこを見 た」かを特 定 するという方 法 でした。いまではこうした白 熱 光 を目 にあ

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て る と い うの は 研 究 倫 理 上 認 め られ る もの ではありません。

あ た まに 載 せ る 装 置 が 子 ど もに と っ て は 重 す ぎ る こ と も あ り 、 上 記 倫 理 上 の 配 慮 も ありこの眼 球 運 動 測 定 装 置 を用 いることは 断 念 し、幼 稚 園 実 験 では、課 題 の背 後 にビ デオカメラをセットし、被 験 児 の目 を拡 大 撮 影 するという方 法 で測 定 しました。

情 報 探 索 活 動 の 背 景 には、その 子 どもの 認 知 発 達 のレベルがどのような状 態 である かを抑 えておくことが重 要 だと考 え、概 念 達 成 課 題 の遂 行 に先 立 って、その子 の認 知 発 達 レベルを測 定 するという目 的 でピアジェの保 存 課 題 を 3 種 (液 量 、数 、重 さ)課 しました。

大 学 併 設 の幼 稚 園 の一 室 を実 験 室 として使 わせていただいたことは大 変 大 きな財 産 でした。

加 えて、すぐ近 くの公 立 小 学 校 の子 どもにも被 験 者 になっていただきました。

名 古 屋 に移 ってからは、こうした情 報 探 索 活 動 の測 定 法 について独 自 の工 夫 をしました。

頭 部 運 動 測 定

1つ は 、 比 較 的 軽 量 な ビ デオ カ メ ラ が 発 売 されたこ ともあり、これを ヘル メットの 頭 につけ て 、 一 方 で、 視 野 を 制 限 し て 、 見 た もの とビ デ オ に 映 っ た も の が 同 期 で き る よ う に し て 情 報 探 索 活 動 を測 定 する、というものでした。大 学 生 については、かなり頭 も体 もしっかりしていま すので、ちょっと杜 撰 だったと思 うんですけれど も 、 こ う し て 、 視 野 を 制 限 し て 、 情 報 探 索 の た めには頭 部 を動 かさざる を得 ない ようにし、そ の頭 部 の運 動 を記 録 する装 置 の開 発 を始 めました。運 動 会 などで昔 行 われていた、メガホンをさかさ まに目 につけ視 野 を制 限 してボールを蹴 って早 さを競 う、あのゲームにヒントを得 ました。

視 野 の制 限 は、業 務 用 の防 眼 メガネの一 方 を見 えないようにし、もう一 方 に、円 錐 型 のコーンのよ うな形 のものを付 け、その眼 鏡 からはそのコーンの先 端 の小 さな穴 からしか視 野 が取 れないように制 限 し、このメガネをかけていただくこととしました。何 か見 ようとすれば頭 全 体 を動 かす必 要 が生 じます。

眼 球 運 動 の測 定 や上 記 のような頭 部 運 動 の測 定 は、直 接 「どこを見 た か」の指 標 となりうるので アナログなデータとしては説 得 力 があるのですが、その分 析 は大 変 な労 力 を要 しました。 私 の求 めるも のは、「問 題 解 決 中 の仮 説 (シェマ)と具 体 的 な情 報 の探 索 (エイリメント)の関 連 を測 定 する」という ことでしたので、何 も眼 球 運 動 に固 執 する必 要 はなく、被 験 者 の情 報 探 索 のありようを正 確 にとらえ られれば良 かったのです。その頭 部 運 動 は、ビデオに撮 るだけでは先 の 眼 球 運 動 測 定 と同 様 の、アナ ログデータしか得 られません。そこでこれをデジタル化 する工 夫 をしました。生 来 道 具 作 りが得 意 であ ったことも手 伝 い、また、以 下 にご紹 介 する研 究 環 境 に恵 まれていたこともあり、情 報 探 索 活 動 データ をデジタル化 する装 置 を作 成 しました。

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測 定 データのデジタル化

視 野 を制 限 して、情 報 探 索 のためには頭 部 を動 かさざるを得 ない状 況 をつくりましたので、あとは その頭 部 運 動 を如 何 にデジタル化 して収 集 するか、ということが課 題 でした。

実 験 課 題 はこれまで同 様 、四 角 の視 野 の各 隅 にさまざまな情 報 のある刺 激 が出 現 する、というもの でしたので、要 はその4隅 をどのように探 索 しているかのデータが時 系 列 で正 確 にとらえられればいい わけです。その場 所 への停 留 時 間 、場 所 から場 所 への移 動 軌 跡 ・時 間 等 が主 な指 標 です。

そ の た め に 、 ま ず 、 眼 科 医 の 用 い る 額 帯 鏡 を 後 頭 部 に つ け 、 そ こ に 向 か っ て 発

射 された光 をその額 帯 鏡 で反 射 したものを受 光 する部 分 を作 成 しました。 光 の受 光 部 には Cds(硫 化 カドミウム・フォトセル)を配 置 し、そのセンサーで感 知 した情 報 をデジタル変 換 し、パソコンのキーボ ードを開 いてコードをつないで、その情 報 が入 力 できるようにしました。

被 験 者 の視 野 と、入 ってくるデジタル信 号 のキー ボード上 の位 置 を同 期 させれば、次 々とデジタル 情 報 がパソコンに取 り入 れられる、という次 第 です。被 験 者 は、視 野 制 限 した軽 い眼 鏡 と前 後 さかさ まにした額 帯 鏡 をつけるだけですから、負 荷 はありません。

こうして開 発 した道 具 を使 って、保 育 園 の子 どもたちに対 して長 期 にわたって組 織 的 な研 究 を行 う ことができました。その成 果 は学 会 誌 にも掲 載 されています。

研 究 は道 具 作 りから

私 は大 学 院 の後 期 課 程 は名 古 屋 大 学 に行 き、 教 授 学 習 心 理 学 を中 心 に梶 田 正 巳 教 授 の下 で 学 びました。同 時 に開 放 的 な雰 囲 気 の中 、発 達 心 理 学 、社 会 心 理 学 、臨 床 心 理 学 の第 一 人 者 の研 究 者 のもとで幅 広 い研 究 者 としての基 礎 が築 けた気 がしています。 またここでの大 きな学 びの1つが、

創 造 性 の開 発 ですね。名 古 屋 大 学 には 、非 常 にたくさんの研 究 所 があるのですが、その研 究 所 の中 の一 つに、環 研 と呼 んでいた、環 境 医 学 研 究 所 というのがありまして、その環 研 に京 都 大 学 から移 ら れた苧 阪 (おさか) 良 治 先 生 とい う方 が い らっし ゃいまし た。 眼 球 運 動 研 究 の 第 一 人 者 で す 。 そ の 苧 阪 先 生 に 環 研 の 中 に あ る 工 作 室 を 提 供 し て 頂 い て 、 と に か く 何 でも いいから作 りなさい、何 を使 っても良 い よと いうことで、色 んな部 品 とか、工 作 道 具 とか 含 め て 、 全 て を 貸 し て 頂 い て 、 学 びまし た 。 上 記 のデジタル頭 部 運 動 測 定 器 の開 発 は

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まさにこの研 究 所 の賜 物 です。

で、苧 阪 先 生 から学 んだ事 の一 番 大 事 な事 は、結 局 心 理 学 というのは、構 成 概 念 、つまり、目 に見 えないものを研 究 するわけだから、どうやってそれを研 究 するかというのが一 番 大 事 だと いうことでした。

つまり、適 切 な道 具 がなければ何 も調 べることはできないということで、研 究 というのは実 は道 具 作 り からだよ、という事 を、身 を持 って教 えて頂 いた、そういう記 憶 があります。

これが研 究 者 としてのまず第 一 章 ですね、情 報 探 索 活 動 の研 究 という、そういう辺 りです。

その当 時 の研 究 成 果 の一 部 が以 下 のような内 容 です。

情 報 探 索 に関 しては、関 西 大 学 の教 育 学 科 が出 していた教 育 科 学 セミナリーという 研 究 紀 要 にも 載 せてもらったことがありますけれども、サイコロジカル・リサーチという学 会 誌 にもここでの研 究 成 果 を 出 しました。

学 位 論 文 の単 著 化 での工 夫

また、それらをひっくるめて、最 終 的 に 2004 年 に「思 考 の発 達 についての研 究 」という単 著 の本 を 出 しました。この時 の本 、今 一 冊 だけ持 ってきたんですけれども、こういう本 なんですけれども、この本 は 実 は私 なりの仕 掛 けを作 ったんですね。

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で、どういうことかと言 うと、これが表 紙 です。それから、裏 表 紙 がこれです。この表 紙 と裏 表 紙 の間 に、

こういう中 身 があるわけですね。

その表 紙 はもうちょっと拡 大 してみると、オリオン座 なんですね。星 座 です。

つまり、今 お話 したことを纏 めることになりますけれども、自 然 の現 象 を眺 めて (表 紙 )、この本 の中 身 にあるように、 ずっと探 求 の活 動 があり(中 身)、最 後 裏 表 紙 のこの真 ん中 にある、 ケプラーの 運 動 法 則 の図 と、それからオリオン座 に対 しての神 話 の図 (裏 表 紙 )です。要 するに、現 象 を眺 めて研 究 を して最 後 、結 論 として、科 学 的 な法 則 に至 るか、いや 、しかしやっぱり神 話 ・文 学 のままだという風 にな るかですね、そういう意 味 で作 ったものです。

この本 は図 書 館 にもあるんですが、残 念 ながら図 書 館 の本 は、カバーを全 部 外 してしまいますので、

これを見 ることはできないんです。カバーを外 すと無 機 質 なこんな緑 の本 なんですけれども、実 は一 番 力 を入 れたのは、こちらのカバーのデザインということですね。もし、お時 間 があればまたお見 せしたいと 思 います。

Ⅱ.知識表象と思考の研究

(カーネギーメロン大学での研究 を中心に)

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ピッツバーグでの1年

次 に、二 つ目 の話 題 に入 りたいと思 います。

そうやって、その情 報 探 索 活 動 を研 究 しながら、もう少 しこれを詰 めていきたいという風 に思 っていた 頃 に、関 西 大 学 には在 外 研 究 という制 度 がありまして、一 年 間 全 く授 業 なしで、海 外 で研 究 ができる という、そういう恵 まれた制 度 ですが、これに当 たり、1997年 から 1 年 間 、海 外 での研 究 活 動 が保 証 されました。

私 は以 前 から、個 人 的 に非 常 に親 しみと尊 敬 の念 を感 じていた、カーネギーメロン大 学 のハーバー ト・サイモン先 生 のところに出 掛 けて、そこでの研 究 生 活 を一 年 間 過 ごすことができました。

そこでの研 究 の中 身 に関 しては、あとで簡 単 にご紹 介 しますけれども、 家 族 (家 内 と子 供 二 人 )引 き連 れての一 年 間 の研 究 活 動 、一 年 間 のピッツバーグでの生 活 について、ピッツバーグ便 りというの を出 しておりまして、それは今 でも大 学 の URL に残 っておりますので、こういう形 でアクセスすることが できます。もし関 心 のある方 は見 ていただければと思 います。

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ピッツバーグはアメリカの東 海 岸 、5大 湖 の1つエリー湖 の南 に位 置 する、ペンシルバニア州 の大 き な都 市 です。こんな風 に研 究 とは関 係 のない、色 んなところへ出 かけた話 も載 せております。ピッツバー

グとはどんなところ か、 或 いは、アメ リカの東 海 岸 は どんなとこ ろ かを 知 りた い とい う方 は 是 非 見 て 頂 ければ幸 いです。

ナ イ ア ガ ラ の 滝 旅 行 と か、 ワ シ ン ト ン 、 ニ ュ ー ヨ ーク訪 問 とか、授 業 でもお話 ししたランカスターの ア ー ミ ッ シ ュ の 村 訪 問 と か の た く さ ん の 楽 し め る 記 事 も書 いています。ニューヨークでは、今 はなき、

WTC のツインタワーの写 真 なども近 いところから 撮 っていたりします。

私 の所 属 していたカーネギーメロン大 学 は通 称 CMU(シー・エム・ユー)と呼 ばれています。そこの客 員 研 究 員 を1年 間 務 めたことになります。

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サイモン先 生 との研 究

この CMUでの研 究 期 間 は基 本 的 に非 常 に恵 まれていた日 々でした。サイモン先 生 との出 会 いは、

私 が学 部 生 の頃 に、こんな分 厚 い本 “Human Problem Solving”という「人 間 の問 題 解 決 」とい う本 が出 たのですが、図 書 館 にあったそれを読 んですごく共 感 したことから始 まります。関 大 の教 員 に なり、在 外 研 究 での 研 究 先 をどこにするかといっ た時 に 、もういの 一 番 に カーネギーメ ロンのサイモン 先 生 のところだということで、メールを出 してアポを取 って、色 々交 渉 をしながら、じゃあ来 なさい、という ことで、認 めて頂 いて出 かけたわけです。

このカーネギーメロン大 の一 年 間 で一 番 成 果 があったのは、私 は勝 手 に DWDS という風 に呼 んで いますが、Discussion With Dr.Simon=サイモン先 生 とのディスカッションということで、これを 2 週 間 に一 回 、コンスタントに行 うことができた、と いうことです。これが大 きな成 果 であったと思 っていま す。

その DWDS の進 め方 としては、毎 回 、サイモン先 生 の諸 理 論 ・概 念 のなかでよくわからないところ、

疑 問 のところを1つのテーマに絞 って 事 前 に書 類 を作 り、メールで渡 しておいて、会 った時 に色 んな 議 論 をする、という繰 り返 しでした。

そういうことが中 心 でしたが、途 中 からは、先 生 の方 からトシ、 ―私 はトシなんですけれども 。ちなみ にサイモン先 生 は Herb(ハーブ)と皆 が呼 んでしましたー「トシ、これを読 んでおいた方 がいいよ」とい う風 な形 で、課 題 を与 えられる、そういうこともありました。そういう形 で、DWDS すなわちサイモン先 生 との差 しの議 論 を一 年 間 通 して行 いました。

私 の方 では、例 えばこんな風 なレジュメを先 に作 っ て 、 そ れを メ ー ル で サ イ モン 先 生 に 送 っ て お い て 読 ん でお い て い た だ き 、 会 っ た と き そ の場 で議 論 する、という形 です。

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この写 真 は DWDSでの議 論 の様 子 なんですけれども、この時 、大 きな喜 びの一 つは、 私 ね、英 語 、 特 に会 話 はそんなに得 意 ではありませんので、ひょっとして聞 き逃 しのような事 があ ってはならず、でき るだけきちんとサイモン 先 生 の語 る情 報 は正 確 に得 ておきたいということで、ビデオを撮 ることを認 めて頂 きました。 毎 回 、ビ デオを撮 ることを認 めて頂 いた上 で議 論 をしていったわけです。DWDSのビデオ(当 時 の最 新 、デジタ

ルビデオカセットでの録 画 です)は貴 重 な財 産 だと思 っています。帰 国 後 すぐにテープを DVDに焼 き 直 したりして保 管 しています。

(一 部 再 生 して紹 介 ・・・)まあ、こんな感 じで、実 際 にずっとこう、1対 1でお話 をしていきました。ちょ っと音 が小 さいですけれども、ここでは別 に中 身 を聞 いて頂 くのが目 的 ではないのでこういう形 でやっ てました、という雰 囲 気 をご紹 介 しました。

このDWDSに関 して、もう少 し詳 しくご説 明 しま すと、サイモン先 生 は1916年 生 まれの方 で、当 時 79歳 だったのかな、 私 がちょうど在 外 中 に80のお 誕 生 日 をお迎 えになったんですけれども、5月 からずっと隔 週 で研 究 をしていきました。修 論 の研 究 を していた76年 から78年 の間 に、72年 に出 されたNewellとの共 著 の“Human Problem Solving” の本 がすごく面 白 くてそれを読 みふけり、非 常 に大 きな影 響 を与 えて頂 きました。

で、ご存 知 だとは思 いますが、1978年 の時 のノーベル経 済 学 賞 をお取 りになった方 です。心 理 学 はノーベル賞 にはありませんので、心 理 学 者 でノーベル賞 を取 る方 はたいてい経 済 学 賞 ですね、或 い

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は、医 学 生 理 学 賞 です。

サイモン先 生 の概 念 で面 白 いのが、限 定 合 理 性 という考 え方 です。これは後 でお話 しますが、私 の 関 心 の一 つである人 間 の持 っている合 理 性 と非 合 理 性 について、両 方 ともありだ、ということで、じゃ あそれがどうなっているかということを説 明 する、そういう理 論 で非 常 に面 白 い ものです。私 自 身 も帰 国 後 この限 定 合 理 性 に特 化 した論 文 も個 人 であるいは院 生 とともにまとめています。

一 方 で、「サイモンといえば人 工 知 能 」ということで、徹 底 した Symbol Systems の主 張 をされた 方 で、このサイモン先 生 の研 究 というのは、私 の 大 学 院 の授 業 なんかでは色 んなところで、 毎 年 必 ず 説 明 するという、そういう方 であるわけです。 そういう意 味 で、今 さっきも言 いましたけれども、二 人 だけ で年 間 通 してずっと議 論 ができたというのは非 常 に大 きな財 産 だという風 に思 っております。

DWDS のテーマ例

で、例 えばということで、ここにざっと DWDS でのテーマを書 きましたけれども、赤 い字 だけざっと見 て頂 くと、知 識 とか表 象 とか、それからEPAM とかCaMeRaとかのモデルですね、それからPhysical Symbol Systems という、そういうそのサイモン先 生 の中 心 的 な概 念 についての議 論 が中 心 である ことがわかります。それから、私 自 身 の研 究 を 持 ち込 んだ例 もあり 、それに対 してのコメント等 をいくつ か頂 いて、大 変 実 のある研 究 活 動 ができたという風 に思 っております。

滞 在 最 後 の年 の2月 には、サイモン先 生 の ご自 宅 にお邪 魔 して、色 々とお話 をさせていただきました。

帰 国 前 1か月 ほどヨーロッパ滞 在 の予 定 でしたので、CMUでの生 活 のお別 れ、お礼 でもありました。

サイモン先 生 は ただ単 に学 問 的 な部 分 だけ ではなく、人 間 的 にも大 変 優 れた方 で、大 きな成 果 を得 たという風 に思 っております。

アンダーソン、クラー先 生 との研 究

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それに加 えて CMU では、私 が出 かけた時 に、サイモン先 生 の計 らいで、他 の先 生 達 の授 業 も受 け な さ い 、 そ の 方 が い い よ 、 と い う こ と で 認 め て 頂 い て 、 同 じ く ら い 研 究 上 の 内 容 で 親 し か っ た 、John Anderson 先 生 の授 業 に出 させてもらいました。これは完 全 セメスター(週 2回 の授 業 )のハードな授 業 で ACT-R というアンダーソン先 生 開 発 の思 考 モデルの理 論 ・実 践 の授 業 でした。途 中 、ACT-R の国 際 学 会 も CMU であり、世 界 に拡 がっているアンダーソン先 生 のお弟 子 さんや研 究 者 が集 いまし た。その日 の夕 方 はアンダーソン先 生 のご自 宅 で打 ち上 げパーティ。賄 いに業 者 さんも入 ったパーティ で、私 の家 族 はみんな招 待 され、地 下 室 の卓 球 場 で遊 んだりしていました。ACT-R については、院 生 のマイク君 に大 変 お世 話 になりました。(記 憶 研 究 でよく知 られたリー ド先 生 は奥 様 。家 族 に対 しては 細 か い 気 遣 い を い た だ き ま し た 。 ) 放 送 大 学 の ラ ジ オ の 講 座 の 1 つ に 「 改 訂 新 版 心 理 学 研 究 法 」

(2014)というのがありますが、そこで ACT-R のモデルの紹 介 をしているのもこの期 間 の研 究 成 果 の一 部 です。

そ れ か ら も う 一 人 、 さ き ほ ど お 話 し た 科 学 哲 学 、 科 学 、 科 学 的 発 見 の 研 究 を さ れ て い た David Klahr という人 がいるんですけれども、そのクラー先 生 の授 業 にも出 ていました。そのクラー先 生 のとこ ろには埼 玉 大 学 から藤 村 宜 之 さんという方 が客 員 研 究 員 で来 ていたんですけれども、彼 も一 緒 にそ の授 業 に出 た、というわけです。

ど こ の 大 学 で も そ う で す け れ ど も 、 ス タ ッ フ の 研 究 活 動 と い う の は も の す ご く 旺 盛 な も の で 、 こ の CMU のサイモン先 生 、それからアンダーソン先 生 、クラー先 生 ですね、彼 らは僕 がちょうど出 掛 けて帰 ってくる前 後 に次 々とセンセーショナルな世 界 的 にも影 響 力 のある本 を出 されております。

一 番 左 側 はサイモン 先 生 の96年 のものです。 自 伝 で、私 も親 しくさせ ていただいている安 西 祐 一 郎 ご 夫 妻 の 翻 訳 で す 。 ニ ュ ー ヨ ー ク の 紀 伊 国 屋 を通 して翻 訳 が出 てすぐそれを送 っ て も ら っ た 記 憶 が あ り ま す 。CMU、 ピ ッ ツバー グ 、 シカ ゴの 様 子 な どもの すご く リ アリティがあります。

それからあと、David Klahr のですね、

そ れ か ら Anderson の 本 で 、David Klahr は、私 は CMU に一 年 間 いただけ な ん で す け れ ど も 、 こ の Explore

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science、「科 学 の探 求 」というこの本 の謝 辞 の中 で、トシ、田 中 と一 緒 に授 業 の中 で色 々と議 論 をし た、ことを書 いていただいていて少 し感 動 した覚 えがあります。

サイモン先 生 達 との CMU の仕 事 は物 理 的 シンボルシステムという、このサイモン先 生 達 の考 え方 を中 心 にしてそれを深 める、ということがメインでした。しかし同 時 に、 後 でお話 する、全 く真 逆 の、状 況 学 習 論 との対 比 、というのも、在 外 研 究 に出 かける前 からの研 究 テーマの1つでしたので、その関 連 の 調 査 票 の作 成 もこの1年 間 に行 いました。

帰 国 後 は、先 ほど来 ちょっとお話 をした、情 と理 のせめぎ合 いという、それに対 してのヒントをたくさん もらったので、そういう、それに刺 激 を受 けた論 文 等 も書 いてまいりました。

これらがこの CMUでの研 究 成 果 の一 つですね。

Ⅲ.学ぶということ:「知識」をどう捉えるか

お話 は次 々と進 んで申 し訳 ないんですけれども、それらを踏 まえてですね、だんだんと、もともと持 っ ていた、学 ぶとか教 えるとか、結 局 知 識 の問 題 の徹 底 した研 究 というテーマに立 ち返 ってきました。 知 識 というのは上 記 で詳 細 したような、シンボルシステム的 な捕 らえ方 もできるものなんですけれども、 そ れ以 外 にもさまざまなとらえ方 があり、知 識 を一 体 どう捕 らえるか、という事 に大 きく関 心 がシフト致 し ました。

これは、冒 頭 の関 心 事 のお話 と無 縁 では ないのですね。冒 頭 に何 か世 の中 の事 柄 を 眺 め て て 、 理 論 を 見 つ け た 。 そ の 理 論 を 見 つけたという事 に対 して感 動 するというお話 を し た ん で す け れ ど も 、 同 時 に そ う や っ て あ る 種 の 理 念 的 に 世 界 を 眺 め る と い うこ と に 対 し て の 危 険 性 で す ね 、 そ れ を 感 じ て い た わけです 。じ ゃあ 何 故 そ うやって 苦 心 して獲 得 した理 論 ・説 明 原 理 なのに、それを使 うこ

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に大 きな問 題 だろうと考 えました。学 ぶとか教 えるとか、わかるということ、これに関 してもう少 し徹 底 し た議 論 が必 要 じゃないかと、ということで少 し理 論 の方 にシフトしてまいりました。

学 ぶ・教 える・知 識

この領 域 の関 心 事 は、背 景 には色 んな人 達 がいるわけですけれども、何 人 か挙 げるとすれば、一 人 は佐 伯 胖 ですね、私 は時 々先 生 と呼 ん だり、さんと呼 んだり、呼 び捨 てしたりし ま す け れ ど も 、 佐 伯 さ ん の 場 合 、 歴 史 的 な 研 究 者 だ と い う 意 味 で 呼 び 捨 て にしています。

そ う い う 意 味 で は 佐 伯 胖 の 学 び の 理 論 は非 常 に面 白 いもの です。読 まれた 方 も い る か と 思 い ま す が 、 学 び と か 納 得 とかですね、これが一 体 どうなってい る の か と い う こ と を し っ か り こ う 考 察 さ れた人 であるわけです。

それから、ピアジェの理 論 ですね。ピアジェは 先 にも言 ったように私 の立 場 からすると、シェマ、エイリ メント、それとの関 係 で、同 化 と調 節 を繰 り返 すと、その繰 り返 しが 均 衡 (発 達 )に結 びついていく、そう いう話 で捕 らえていくと、非 常 に面 白 い理 論 であるわけです。

それに加 えて認 知 科 学 とか、先 程 の出 してきたサイモン、或 いはニューウエルさんのシンボルシステ ムですね、それから、もう一 つ後 でお話 しますが、Jean Lave という研 究 者 の状 況 学 習 論 という考 え 方 、これはサイモン達 と全 く真 逆 の考 え方 ですけれども、そういう さまざまな考 え方 をひっくるめて、じゃ あ結 局 知 識 って一 体 何 だろうかということをしっかり考 える必 要 があるという風 に思 っています。

そ の 一 番 わ か り や す い 例 を 一 つ だ け ね 、 紹 介 したいと思 うんですが、例 えば ここに、2H+ O→2HO と書 きました。

皆 さ ん は ほ ぼ 1 0 0 % 何 の こ と か わ か る か と 思 うんですが、いろんな段 階 の人 に聞 いてみま すね!

大 人 はね、聞 いてみると「うん、知 ってるよ」。

中 学 生 に聞 いてみましても「うん、知 ってますよ」

と。

小 学 生 に聞 いても「うん、知 ってる、知 ってる」 。 3歳 の子 供 に聞 くとね、たまたま「うん、知 ってるよ」 。

という事 で、どの学 年 、どのレベルの人 もみんな知 ってると言 ったとします。だけどこれ、普 通 に考 えて、

みんな同 じレベルで知 ってるとはとても考 えられないんですね。

例 えば、成 人 は、もう少 し細 かい、水 素 とか酸 素 とか分 子 とか原 子 とかモルとかですね、そういう細 かい概 念 を持 った上 で、化 学 式 というところで理 解 をしている。

中 学 生 の場 合 は例 えば、教 科 書 にそれがあったので覚 えている。

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小 学 生 の 場 合 は 、 模 型 が あ っ て 、 その模 型 で遊 んだことがあるという ことで知 ってる。

3 歳 児 の 子 供 の 場 合 で す ね 、 た ま た ま そ う い う カ ー ド が い っ ぱ い 家 に あ っ て 、 何 度 も 何 度 も 見 て た の で 覚 えた。ということで2Hと Oを足 し た ら 何 に な る 、 と い う よ う な 一 見 答 えられるはずがないと思 われるよ うなことを 3 歳 児 でも答 えようと思 えば答 えられる、ということ。

つまり、「知 っている」レベルが実 は違 うんだということなんですが、穴 埋 め式 のテストで「さてそこは なんでしょうか」ということで一 番 最 後 に括 弧 を書 いたりしたら、どのレベルの人 達 も答 えられるわけで す。じゃあ、みんな同 じレベルか、というと実 はそうじゃない、ということで、そのレベルの違 いというのを 考 える必 要 がある、ということを考 えました。

知 識 表 象 のレベル

そこで私 は研 究 者 としての生 活 の中 でオリジナルに提 案 した概 念 の一 つとして、知 識 表 象 のレベル という考 え方 を提 唱 しております。

教 育 方 法 ・技 術 論 とか、教 育 心 理 学 の受 講 生 のみなさんは、ああ、あれか、ということでお気 づきに なると思 うんですけれども、結 局 我 々が何 か知 っているといった時 のその 「知 る」といったレベルがいく つかあるということです。

一 番 はじめのレベルを私 はレベル0と呼 んでます。とにかく現 場 、現 象 ですね、その 場 で見 たもので

「知 って」いる。目 の前 のものが「すべて」だ、という考 え方 で、WYSIATI(ウィズィアティ)とよばれるこ ともあります。現 在 の感 情 で目 の前 のものがすべてと考 える。「知 識 」はそうして獲 得 されている、と考 えるわけです。

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わる(レベル3)。そういうことで、レベル0、1、2、3と、そういうその色 んなレベルの知 識 があるということ で、そのレベルの違 いというのをきちんと把 握 しておかないと教 育 も駄 目 だし、それを評 価 する、といっ た時 に一 体 何 を評 価 しているのかということがわからない わけです。その意 味 で、この知 識 表 象 のレベ ルという考 え方 は非 常 に大 事 だ、という風 に思 っております。

レベル3の世 界 、レベル3というのは、ピアジェでいうところの形 式 的 操 作 という、例 えば、12歳 以 降 そうなるという風 な言 い方 してますけれども、それは何 かというと、非 常 に形 式 的 な、例 えば物 理 学 とか、

化 学 とかいうシェマ(図 式 ・理 論 ・仮 説)があって、それに対 して、それに対 応 する数 値 とかですね、現 象 をはめ込 んでいって理 解 できている、という世 界 です。一 定 の約 束 事 のなかで初 めてそこでのエイリメ ントが意 味 を持 つ、という世 界 です。

したがって、このレベル3の世 界 とレベル0の世 界 というのは、ものすごく違 っているわけです 。ではそ の違 いは何 かと言 った時 に、一 つは生 々しさの実 感 、その知 識 で生 々しさをどの程 度 感 じてるかという ことですね。もう1つの違 いは、その知 識 を使 って他 の人 とどの程 度 コミュニケーションができるかという ことで、それを思 考 の公 共 性 という言 い方 をすることもできます。

その、生 々し い実 感 と 思 考 の公 共 性 というの は 、 実 はパラドックスに なって いて、一 方 が 増 えると 一 方 が減 るという形 で、レベルを上 げていくと、 レベル3の世 界 では、非 常 に抽 象 的 な概 念 、或 いは数 値 と置 き換 えますから、誰 とでも間 違 えずにコミュニケーションができるんですが、生 々しさというのはどん どんどんどん減 っていきます。死 者 100 名 、という情 報 はだれがどう考 えても亡 くなった方 が 100 名 いた、という情 報 になるのですが、亡 くなった状 況 の生 々しさの情 報 は一 切 含 まれていません。知 識 と いうものは、その生 々しさと、他 者 とのコミュニケーションの公 共 性 の両 方 を得 ようとしたらどう いう形 が 望 ましいのか、また、そうした知 識 を「学 ぶ」といったときに何 が大 事 なのか、その辺 の吟 味 が最 も大 事 なのではないか、と思 っております。

学 びとは

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そうなると、学 ぶとは一 体 何 だ ろ う か 、 と い う こ と な ん ですけれども、例 えばレベル 3 と か レ ベ ル 0 と か い う そ の ど れ か 一 つ の レ ベ ル に 留 ま っていては、常 に何 か足 りな い 、 何 と な く わ か る け れ ど も 何 か足 りない、そういう感 覚 を 持 ち 続 け る 、 と い う こ と に な り ま す 。 そ の 、 何 か が ち ゃ ん と わ か る と い う の は 、 レ ベ ル0の現 場 の世 界 でもレベル3の抽 象 的 な数 値 とかでも理 解 できる、そういった事 柄 を行 ったり来 たり することができる、そのことが大 事 じゃないか、ということ になります。つまり、何 かを知 るということは、た だ単 に頭 の中 でシンボルの操 作 ができるようになるという ことだけではなくて、それを知 ることによって 自 分 自 身 が何 者 かに変 わりつつあるという、そういうアイデンティティと絡 んで知 識 というのを考 えなき ゃいけないな、という風 に思 っております。

結 局 、学 び手 である子 ども達 を中 心 に考 えれば、そういう、自 分 が何 者 かに変 わっていくということ を実 感 させることのできるような場 を作 っていくことが教 育 にとって本 質 的 なことではないかという風 に 考 えております。

Ⅳ.教えるということ

そこで今 度 は学 ぶ側 ではなく教 える側 で考 えてみたいと思 います。 教 える、ということを、先 ほどまで の 学 ぶ と い う事 の 発 展 で分 類 し て み た い と思 います。

学 び 手 が ど う い う 風 な ス タ ン ス を 持 つ かということと、 教 える 側 がどんなス タンス を持 つかという、このことと絡 めて見 ていく と、色 んな教 え方 がある、という風 に考 えま す。

学 び手 の ス タン ス に は 学 習 と 学 び が あ ります。 学 習 の ス タンス とい うの はと に かく 言 わ れ る 事 を 覚 え て お け ばい い 、 テス トの 時 に頑 張 ればいい、これが学 習 のスタンスです。学 びのスタンスとは、さっきも言 いましたように、それを 知 ることによって、あるいはわかることによって、何 か自 分 がちょっとずつ変 わっていくという 、そういう自 分 のアイデンティティの変 化 の実 感 を持 つ、そういうのを学 びという風 に呼 びたいと 思 います。

それから、教 える側 、これは先 生 の側 ですが、教 える側 のスタンスとしては、一 つはとにかく私 はもう 完 成 されている、君 らは未 熟 だ、だから私 が君 らを創 ってあげます、形 成 してあげます、そういうスタンス

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それに対 してもう一 つは、私 はもちろんたくさん生 きてるから色 んな事 を知 っているけれども、実 は私 自 身 も教 育 活 動 をする中 で変 わってきている、変 わりつつある、或 いは変 わっていかなきゃいけないと 思 っている、ということで、生 徒 と共 に学 ぶというスタンスを持 った教 師 、ということで、 これを共 学 型 と 呼 びます。

こうして、学 び手 側 の学 習 と学 び、それから教 える側 の形 成 と共 学 、これをマトリックスにしてみると、

色 んな授 業 の形 が見 えてくるわけです。

教 えー学 びのマトリックス

一 般 的 な講 義 の形 式 は、先 生 が 、君 たちに色 んなことを教 えてやるよ、ということで、知 識 を伝 え る ので覚 えなさい、ということですね。これが一 つの形 式 です。 学 び手 は学 習 のスタンス、したがって教 え る側 は形 成 のスタンスをとります。そこで成 立 するのが有 意 味 受 容 学 習 という授 業 のスタイルです。

それから、学 び手 には依 然 学 習 のスタンスを要 求 するのだけど、先 生 自 身 が授 業 をすることで学 ん でる、という場 合 があります。これは、教 育 実 習 なんかの場 合 がそうですが、そこでの教 室 は、教 え方 を 練 習 するという場 、教 授 法 錬 磨 の教 室 になります。

本 日 焦 点 を当 ててお話 したいのが、学 生 ・生 徒 は学 ぶスタンスを持 っている、それから、先 生 の側 も 共 に学 ぶというスタンスを持 っている、というスタンスでの授 業 です。この部 分 の一 番 いい例 として挙 が るのが、実 は大 学 でのゼミの活 動 ですね 。ゼミっていうのは、先 生 自 身 も、 ゼミの授 業 を することで変 化 していき、当 然 学 生 達 は自 分 のあるべき姿 を求 めて、どんどん学 んでいくということになるわけで、こ の相 互 的 な学 びの教 室 として、ゼミという 学 びの形 態 については非 常 に 関 心 が強 くなってきたわけで す。

こうした、知 識 の獲 得 ・運 用 に関 する仕 事 は以 下 のように行 ってきた経 緯 があります。

Ⅴ.ゼミの実践・研究

ゼミのことが実 は今 日 のお話 の中 心 的 なものの一 つになろうかと思 いますけれども、ゼミは 、1989 年 に文 学 部 の教 育 学 科 に赴 任 した当 初 から、学 部 の制 度 として運 営 しないといけないということで運

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営 してきました。

しかし同 時 に、学 生 がゼミで学 ぶこと、或 いは私 がゼミを運 営 することそのものが、私 の研 究 活 動 の 一 環 にもなる、という捉 え方 をしていましたので、その辺 の話 をしていきたいと思 います。

正 統 的 周 辺 参 加 論

そ こ で 、 そ の 時 に 一 つ 理 論 的 な背 景 として出 て く る の が 、 学 び と い う こ と に 関 し て の 、 正 統 的 周 辺 参 加 論 、 と い う 考 え 方 で す。

こ れ は 、 ジ ー ン ・ レ イ ヴ

(J.Lave)という人 が91 年 に書 いた本 で、93年 に 翻 訳 が 出 ま し た け れ ど も 、 学 ぶというのは、ただ単 に 何 か 頭 の 中 に 色 ん な 知 識 を 溜 め込 むというのではなくて、実 は 自 分 が行 こうとしている、或 いは なろうとしているコミュニティ・ 共 同 体 に 積 極 的 に 参 加 し て い く 、 この参 加 していくことそのものが 学 び だ 、 と い う 風 な 捕 ら え 方 で す 。 そ の 際 、 現 在 の 自 分 で も 参 加 で き そ う な 周 辺 的 な と こ ろ か ら 入 っ て 徐 々 に 中 心 に 入 っ て い く、これが学 びだという 考 え方 で す。これをLegitimate Peripheral Partcipation、という形 で、LPP と呼 んでいます。

この考 え方 を少 し図 式 化 したのが、これなんですけれども、まず 「私 」がいて、「私 」が何 かなりたい もの、或 いは行 きたいところ、つまり、あれはすごく大 事 だな、というそういう世 界 を認 める。で、その世 界 には実 は、今 の私 でもちょっと努 力 すればアプローチできるような周 辺 的 な 部 分 もある。その周 辺 的 な ところに、まずは参 加 して、徐 々に徐 々に中 心 に入 っていく。その時 、学 ぶということを、何 か記 号 的 な関 係 を覚 えるということではなくて、自 分 をよりいいものにしたい、試 行 錯 誤 を繰 り返 して自 分 の感 じてい る問 題 を 解 決 していくということで、最 終 的 に 「私 」が中 心 に入 っていくというモデル です。このモデル

(作 図 )に関 しては 2003 年 に Lave さんと実 際 にお話 をしました。

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Lave さんは私 よりも一 回 り上 くらいの歳 の方 で、そんなに高 齢 ではないのですけれども、日 本 にも 来 られたし、以 前 関 大 にも訪 問 されたことがありますけれども、私 は UC バークレイでお話 をしました。

そ の と き、 Lave さんの 今 紹 介 し た モデ ル ( 私 の 作 図 ) を 中 心 に し て 、 長 女 ( 当 時 高 校 生 ) が 家 族 と 一 緒 に ア メ リ カ に 来 てESLクラスから徐 々に通 常 クラスに はいっていく過 程 をその図 を使 って お話 したんですけれども、その時 、このモデル は、僕 のオリジナルのモデル (作 図 )とし ていいよ、とい うことでお 話 を頂 いて 、非 常 に感 動 しました。

(Lave さんとの議 論 のビデオ紹 介 ) その時 はこんな感 じでお話 をしていました。

ゼミ実 践 の先 取 性

そのLaveさんのLPPモデル、これが結 果 的 には私 のゼミのモデルになっているんですけれども、実 はそれが出 る(オリジナル 1991 年 、翻 訳 1993 年 )前 から、私 の方 は先 輩 と後 輩 、つまり3回 生 と4 回 生 が 一 緒 に 学 ぶ 、 と い う そ うい う取 り組 みをや ってお り ま した。

先 程 串 崎 先 生 からご紹 介 あったように、私 は平 成 元 年 、 8 9 年 に 赴 任 し た ん で す け れ ど も 、 赴 任 当 時 は ゼ ミ を 持 っ て お り ま せ ん の で 、 心 理 学 一 般 実 験 と い う 3 回 生 必 修 の 通 年 の 授 業 を 中 心 に 担 当 し て お り まし た 。 そ の 2 年 後 あ た り か ら ゼ ミ を 持 っ て 、 そ の ゼ ミ のスタートからずっとブラザーシスターという形 で、3回 生 と4回 生 が一 緒 に活 動 する授 業 を持 っており ました。

この写 真 はまだゼミを持 っていない時 の 91 年 卆 の学 生 なんですけれども、大 変 仲 の良 い年 代 の 学 生 で、今 でも一 人 ひとり名 前 が浮 かぶ位 の学 生 たちです。当 時 は文 学 部 の古 い建 物 の、旧 A棟 の 3階 建 てになっている、そこの2階 に一 般 実 験 室 というのがありました。 私 の写 真 、ちょっと若 いですけ れども、こういう形 で教 えていたのを思 い出 します。

心 理 第 一 実 験 室 は非 常 に機 能 的 な部 屋 で、小 さな個 室 が周 りにあって、真 ん中 に大 きな教 室 が

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あって、そこで授 業 をして、さあ実 験 しましょうということで散 らばって、個 室 で実 験 をしていた 、そういう 部 屋 です。

この時 の卒 業 生 の4人 が実 は去 年 1 0 月 来 て く れ まし て 、 そ の うち の 一 人 、 り っ ち ゃ んと い う 、 こ の 左 側 の女 性 ですけれども、 こんなん

(ピース)してる人 、彼 女 がこんな ものを持 ってきてくれました。

そのころ、私 が指 導 していた学 生 にレポートを返 していたわけで すけれども、私 は、よくできている 部 分 に◎ 、それから、これいいな というところに○、いまいちのとこ ろ △ 、 直 し て ほ し い と こ ろ × 、 と 、 こ ん な 感 じ で 、 ◎ 、 〇 、 △ 、 × と い う 記 号 を 冒 頭 に つ け て コ メ ン ト 書 いて返 してたんですけれども、

このりっちゃんが、最 後 の授 業 の 時 に、私 に対 して、あなたの授 業 はこんな評 価 になります よという ことで、◎、〇、△、×、という風 に書 いてくれました。

これは実 は今 、大 学 では授 業 改 善 の契 機 として学 生 による授 業 評 価 というものをやってますけれど も、そんなこと言 いだす前 から、学 生 達 は主 体 的 にそうやって先 生 も評 価 する ということをやっていたの ですね。ちなみにこのりっちゃんは、卒 業 後 、山 陰 地 方 の某 放 送 局 の人 気 アナウンサーになりました。

ブラザー&シスター制 度

そ の ゼミの 運 営 に関 し て どうい う風 な 考 え 方 で や っ て い た か 、 と い う こ と な ん で す け れ ど も 、 当 時 は 3 、 4 回 生 が 同 じ 授 業 の 枠 で行 うもの(3、4回 生 で履 修 する科 目 名 は 異 な る )で、 その 3、4 回 生 が 一 緒 にやる 時 にどんな風 な形 がいいだろうということで考 えておりました。たまたま私 は学 部 の時 にグ リークラブという男 声 合 唱 の音 楽 団 体 にい た ん ですけれ ども、 そ こ でや られ て い た ブ ラ ザー制 度 というのがありまして、これは4回 生 が新 しく入 ってきた新 入 生 に対 して、音 楽 の色 んな理 論 とか考 え方 とかを指 南 する、というそういうものなんですけれども、それがヒ ントになって採 用 することに しました。

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のも若 干 ありましたけれども、私 はゼミを運 営 するにあたって、3、4回 生 が一 緒 になって何 かをするとい うことの必 要 性 、素 晴 らしさを考 えまして、これをブラザー &シスターという風 な形 のシステムにしました。

政 治 的 ・制 度 的 な徒 弟 制 ではなく、民 主 的 ・認 知 的 徒 弟 制 としたわけです。

当 時 はそうやって3、4回 生 が一 緒 のコマの授 業 だったので当 たり前 だったのですけれども、もうここ 10年 以 上 は3回 生 のコマと4 回 生 のコマが分 かれてます。それでも4回 生 の人 達 が3回 生 の授 業 に 入 り込 んで一 緒 にやっていくということをずっと続 けてまいりました。

ゼミの年 間 スケジュール

この年 間 のスケジュールなんですけれども、ゼミでは、最 初 にゼミが決 まったら 4 月 の早 い時 期 にコ ンパをして、みんな仲 良 くなって、それから4回 生 は 卒 論 に向 けた研 究 を、3回 生 は基 礎 的 なことがらの 学 びを進 めていきます。

やがて夏 の合 宿 で、4回 生 が卒 論 でやろうとしていることを紹 介 して、それを聞 いた3回 生 が、自 分 がつくべきお兄 さんお姉 さんを決 め(その結 果 がブラザーまたはシスターになるわけです)、それを決 め て、秋 学 期 からは3、4回 が一 緒 に研 究 をしていく、というそういうシステムにしておりました。

これが夏 の六 甲 山 の合 宿 所 での様 子 ですけれども、夕 食 の時 ですから、もう既 にブラザー &シスタ ーは決 まっていて、まだ発 表 してないので、誰 にきてもらえるか、4回 生 からするとドキドキの食 事 ですけ れども、それをやっている時 です(左 )。

それから、これ(右 )は発 表 した後 、あなたにはこの人 、あなたにはこの人 、ということで3回 生 が指 定 した4回 生 と一 緒 に写 真 を撮 っています。こういう形 でブラザー&シスターの運 営 が進 みます。

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このブラザー&シスターの考 え方 は、実 は先 程 Laveさんの LPP の考 え方 を紹 介 しましたけれど、

全 くその通 りなんですね。つまり、中 心 の活 動 が4回 生 。ここに先 輩 がいて、その先 輩 に対 して、3回 生 である私 があの人 につきたい、ということでそのつきたい先 輩 を決 めていく。その時 に、いきなり4回 生 がやっているような卒 論 をできるわけがないので、その卒 論 のお手 伝 いというような事 柄 を周 辺 的 なも のとしてやっていく。その周 辺 的 な活 動 をやっていく中 でだんだんと、私 もやがてああなるぞ、という風 な 形 の像 を抱 くようになる。ということで、このブラザー&シスターのシステムは、先 程 紹 介 した LPPのシ ステムと奇 しくも符 合 、一 致 しているわけですね。

正 統 性 の認 知

その時 大 事 なのは、結 局 、制 度 的 に私 の方 からあなたはこの人 、あなたはこの人 、と決 めるんじゃな くて、3回 生 の人 達 が本 当 に自 分 が尊 敬 できる、或 いは、やりたいと思 うことをやっている、その先 輩 に つくという意 味 で、どうやってその正 統 性 を確 保 するのか、本 物 の活 動 をしている先 輩 をどうやって 見 つけるかということが大 事 なわけです。そのためには、私 からすれば、4回 生 が本 物 の活 動 をしてほし い、つまり卒 論 に対 して、本 物 の活 動 をしてほしい、ということ を願 い、テーマを決 めるのにすごく時 間 を かけてもらいました。その、テーマに時 間 をかけるというのは、まさにこれからやろうとしている自 分 の卒 論 の活 動 というのは本 物 だ、というそういう自 負 が持 てる、それを保 証 する ことになるのです。また、3回 生 からすれば、自 分 が参 加 して、その人 と一 緒 にやっていくことによって、徐 々に、なりたい、ありたい自

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