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台湾における civil society 概念の受容と展開

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はじめに

台湾では,1987年に38年間にわたった戒厳令が解除された。政治的な民主化を迎えたことで,

1990年代には,戒厳令下に構築された社会の諸制度の柔軟化・自由化と,「市民社会」の実現を目 指す数多くの社会運動が繰り広げられた。例えば,1990年代の社会運動の主翼を担った「四一〇 教育改革運動」がある。この運動は,1994年4月10日に台北市で行われたデモ行進をきっかけに 始まった運動であり,教育改革を通じて,戒厳令下において作られた閉塞的な社会を改革し,「市 民社会」の形成を呼びかけるものであった1

こうした1990年代の台湾での数多くの社会運動の盛り上がりは日本でも注目され,しかも社会 運動の盛り上がり自体を「市民社会」の興隆ととらえ,この「市民社会」と台湾の戒厳令解除,そ してそれにともなう政治体制,社会諸制度の民主化との関連を考察する研究が蓄積されてきた2

このように,1990年代の台湾における政治的な民主化や社会運動の活発化は,「市民社会」と関 連づけられながら語られてきたといえる。

台湾では現在,日本語の市民社会すなわち英語のcivil societyは,公民社会と訳されるのが一般 的である。しかし,台湾にcivil society概念が導入されたとされる戒厳令解除前後は,civil society は公民社会ではなく民間社会と訳されていた。訳語が変化しているということは,概念の変化が あったことが考えられるが,一体,台湾においてcivil societyとはどのようなものと考えられてき たのだろうか。本稿は,台湾におけるcivil societyの訳語の変化から,概念の変容を明らかにする ことを試みるものである。

これまで,台湾におけるcivil societyの訳語と概念の変化に着目した先行研究は日本においては ほぼ皆無であり,また,「公民社会」論を牽引した中心人物として,上述した1990年代の社会運動 の主翼である「四一〇教育改革運動」を主導した社会・教育改革者たちがいるが,彼らが「公民社 会」をどのような社会ととらえ,その形成を目指していたのかということは,日台においても十分 に検討されていない。台湾におけるcivil societyの訳語の変遷,および概念の変化とその意味を明

台湾における civil society 概念の受容と展開

― 1990 年代社会運動期の議論を中心に―

山口 香苗

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らかにすることは,民主化を進めようとする台湾が目指している社会像を明らかにすることにもつ ながるといえる。

したがって本稿は,civil society概念の台湾への導入過程と,台湾におけるcivil societyの訳語と 概念の変化を検討することを通じて,台湾において現在「公民社会(civil society)」とはどのよう な社会と考えられているのか考察することとする。

構成として,第1節において,civil society概念が導入された背景,および民間社会,その後市 民社会と訳された理由,そして「民間社会」「市民社会」それぞれの内容を明らかにする。そして 第2節で,「公民社会」論を牽引した社会・教育改革者たちの議論を確認し,公民社会へと訳語が 変化した理由と「公民社会」論の内容を明らかにする。

1.台湾における civil society 概念の受容

1.1 社会運動の興隆と「民間社会」論の開始

台湾においてcivil society概念は1987年の戒厳令解除前後に導入されたといわれる3。その背景 には,1980年代後半から頻発していた,多様な担い手によって多様な議題をあつかう運動,いわ ゆる新興社会運動が活発化したことがある。

台湾は1945年,日本の植民地から解放されたが,その後,国共内戦に破れて中国大陸からやっ てきた国民党の圧制下に置かれ,1949年には戒厳令が敷かれた。これによって台湾の人たちは,

1950年代には「白色テロ」の弾圧を受け,言論の自由を奪われ,政治的にも不自由な生活を強い られた。しかし,1960年代の経済発展を経て,1970年代後半から,当時,国民党とは距離をおき 政治活動をしていた「党外人士」と呼ばれる政治活動家たちを中心に,これまで封殺されてきた民 主化運動が徐々に実施されるようになった。この影響もあって1987年には38年間にわたった戒厳 令が解除され,政治的な民主化を遂げると,さらに社会の民主化を押し進めるべく,1990年代には,

消費者保護運動や環境保護運動など,様々な議題をあつかう社会運動が一気に沸き起こった。

こうした社会運動の出現は,台湾の知識人によって,台湾におけるcivil societyの出現と称され た。台湾においてcivil societyの議論を開始したのは,「大学に所属しない知識人」と呼ばれ,雑 誌記者や作家として活動をしていた,南方朔,木魚らであるとされる4。とくに南方朔は,英語の

civil societyを民間社会と翻訳し,1986年から雑誌『前進』や『中国論壇』において議論を開始した。

南方朔は「中華民国の大安売り」5(1986年7月)と題した一連の記事において,戦後台湾では 国民党政権が日本植民地国家から接収した経済資産を基礎に,国営企業,省営企業,党営企業(国 民党営を意味する)などの公営部門を形成し,金融,エネルギー,交通運輸など経済の要となる分 野を掌握しているとし,この状態を「国家資本主義体制」として批判し,これら企業の民営化を主 張した。なぜなら,国,省,党営企業が国家の資本を独占し,多くの民衆はこれらの企業に生活を 預けているため,「損得性」を考慮し,民主化運動に参加してこないという社会構造ができ上がっ ていることを問題視したからであった。しかも,この論文を発表する数年前から,これら国,省,

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党営企業と民間業者との間に徐々に対立がみられるようになっていたことから,南方朔はこれを

「台湾の民間部門の発動であり,国家資本主義体制の支配に挑戦する時代がすでに来たということ である。(中略)国家と経済の結合関係が分解され,国家が民間社会を取り込むのとは反対の方向 に進み出した」6と述べた。そして,世界各国においても多くの公共事業が民営化している状況に ついて,「これもつまり,80年代は事実上「民間社会」(civil society)が出現し始めた時代という ことができる」7と表現した。

同年発表した「台湾の新社会運動」(12月)でも,「我々は,当面の数々の新社会運動を,この ように解釈できるだろう,つまり,これらが示すのは,まさに台湾の民間社会が出発したというこ とだ。これは台湾の権威主義体制が,豊かな「人民民主」に向かい出した予兆であろう」8と述べ ている。つまり,南方朔は国家体制を変化させようとする数々の社会運動が生まれていた状況を

civil societyの出現と表現し,そしてそれを民間社会と訳したのである。

木魚も「人民の力量」(1987年10月)という文章で,「ここ2年,台湾社会で爆発している様々 な自力救済(住民運動のことを意味する:筆者注)9,および各領域の自主化運動(学校,司法,労 働組合,メディア)は,まさに不正義な専制支配の構造が長期にいらだちと不満(いわゆる一般大 衆が抱いている恨み)を蓄積させた結果であり,この歴史的時代,幾重の矛盾が集まり,これまで の危機管理コントロールが効力を失ったことの表れである。言い換えれば,国民党政権はすでに

「危機管理の危機」に陥っているのであり,さらに多くの権力と資源を解き放ち,民間の自主管理 に任せなければならない。さもなくば,すべてのシステムは柔軟にはならない。(中略)いわゆる

「人民の力量」の重点は,党国全権に応対し,民間社会の興奮を躍動させることである。「人民/国 家」,この実践の場が出現しはじめたのである」10と述べ,国家に対抗する人民たちの力が社会運動 として湧き出ている社会を,民間社会と表現した。

つまり,台湾におけるcivil society概念は,国民党によって構築された党国体制(中国国民党と 国家(中華民国政府)が実質一体化している体制)に抑圧されてきた民衆が,この体制に対抗して 社会運動をおこすようになった社会を意味するものとして台湾に導入されたといえ,導入当初は民 間社会と訳された。

1.2 「民間社会」論の内容と訳語の意味

社会運動の出現が,「民間社会」(civil society)の出現と考えられると,その後,「民間社会」の 内容と特徴についての議論が進んでいった。孫善豪は,「「民間社会」という語はグラムシから来 ていると認識されている」11とし,南方朔も「民間社会という用語はグラムシから影響を受けてい る」12とした。しかし,孫は同時に,「グラムシの実践哲学は,終始,無産階級の革命武器であり,

無産階級の権利獲得のために尽くすものである。しかし台湾の民間社会理論は,グラムシに源流が あるとはいえ,革命の性格をもっていない。逆に,民間社会理論が希望するのは「人民」が国家政 権のヘゲモニーを獲得することではなく,国家の統治を「民間」の外に排除することであり,「民間」

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に自主を与えることである。つまり,「革命」ではなく,国家と民間にそれぞれの位置を与えるこ とである。これはグラムシとは大きく異なる」13と,「民間社会」論とグラムシの思想との相違点を 述べた。

同様に蔡其達も,南方朔が語る民間社会について,「こうした定義は,18世紀のロック,ルソー,

アダムスミス,ファーガスンなどの古典政治理論家の理論とは異なり,またヘーゲル,マルクスが 定義したブルジョア社会とも大きな隔たりがある。また,私のグラムシに対する拙い理解のもとで も,この種の「民間社会論」はグラムシの理論だけを参考にしているとは言えない」14とし,その 理論が独特であることを指摘した。

このように,西洋のどの思想家のcivil society論をもとに南方朔らが台湾において「民間社会」

論を提出したのかを特定することは容易ではない。しかし,ここにおいて重要なのは,民間社会と 訳すことで,彼らが何を意味しようとしていたかという点にある。

civil societyの訳語としての民間社会という用語は,同じ中国語圏であっても中国で使われたこ

とはなく,台湾独特の表現であるという15。顧忠華は,「民間社会」論の特徴は,意識的にヨーロッ パの国家対civil societyという二項対立の観点を取り込むことで,「官民矛盾」を明らかにし,「民 間」の自主性を強調していることであるという16。甘陽も,民間社会ということばは「根っからの 中国語名詞であり,中国的な概念」であるとし,「「民間社会」というこの簡単な中国語名詞のなか に,とても根深いもの,中国人が政治生活と政治社会に対してとる伝統的な見方,つまり「民間対 官府」という二分式の基本構造を見ることができる。民間社会論者は,つまり官府に対立あるいは 対抗する者である」,「「民間社会」,この概念が喚起するのは,「民間対官府」と「反官府」の意識,

観念および行動方法である」としている17。范雲は,「「民間」というこの用語は,英語のfolkに近 く,「民間,非政府」を意味する。「民間社会」は,社会抗議現象を叙述する新概念であるだけでなく,

規範的な視点から民間の国家に対する抗争を正当化し,国家の間違いによる行為,あるは不作為に よって受けた傷の補償を要求する。この他にも,国家の民間部門に対する制御の緩和を訴え,権威 的な党国体制のコントロールが民間部門から全面的に撤退することを要求するものである」18と述 べた。

このような主張から,民間社会という訳語は,党国体制における国家と民衆の対立関係を浮かび 上がらせ,国家権力を民衆の生活空間から排除することを意味するために使われたものということ がわかる。

何方は,「民間社会」論は,以下3つの働きをしたと分析している。一つ目は,南方朔の主張に あるように,資産階級と国民党の間の連結を解体し,資本を国家から民間へと戻すことである。二 つ目は,「民間社会」内部を団結させることである。「民間社会」論が提出された頃,党外人士たち の「統一独立論争」(中国と統一すべきか,それとも台湾として独立すべきかという論争)を終了 させ,党外の分裂を防ごうという考え方があった19。「民間社会」を国家の対抗軸とすることで,「民 間社会」の中に位置づく党外人士たちの足並みを揃えることが目指されたのである。三つ目は,反

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国民党の声を大きくすることである。党国体制にあった当時において,反国家はすなわち反国民党 を意味したため,国家と民間社会とを二分し,民間社会の重要性を主張すると,それは必然的に反 国民党を意味することになったという20

このように,民間社会という訳語は,国民党による政府と民衆との対立関係を強調するための ことばなのであり,国家権力を民衆生活から排除することを要求するという目的で使われたとい える。

1.3 「民間社会」論への批判

しかし,1990年頃から民間社会ということばに疑問が呈されるようになった。張茂桂は,「す べての「抗議」,「請願」,「デモ行動」,「自力救済」を等しく,曖昧な構造(国家と民間社会の対 立)に集結し,紛らわしい名詞(反抗運動)で統括している」,「抗議の風潮は,「国家」という一 つの抗議目標に向いていないだけでなく,共通の意識形態がない可能性もある」,「civil societyと 国家は必ず対立の立場にあるのではなく,互いに影響し,支持し,互いの存在を保障することもあ る」21と,「民間社会」論が社会運動のすべての矛先を国家に向けることになってしまっていること を疑問視した。また曾建元も,「現在の台湾のような党国体制下では,どの反支配の社会運動も結 局はその矛先が党国に向いてしまう」,「民間社会論は最後には国民党に反対するために,重点を民 進党においてしまうこととなり,社会運動の自主性は不幸なことに政治闘争によって崩壊し,抹殺 されてしまう」などと指摘した22

また,民間社会という用語はとても曖昧な表現であり,伝統中国の民間,民俗という概念だとと らえられてしまうこともあり,現代的な概念としての「civil society」を適切に表すことができてい ないという点も指摘された23

そのため,一時ではあるが市民社会という訳語も使われている。甘陽によると,「市民社会」とは,

「資産階級社会」あるいは「中産階級社会」のこと,つまりヘーゲル,マルクスのいう「burgerliche

gesellschaft(ブルジョア・ゲジェルシャフト)」のことであったが24,王振寰が論文「出現中の市

民社会およびその限界」(1991年)25において,階級概念を用いて社会運動を分析したことで,市 民社会という訳語も使われるようになったという26。しかし,「市民」という呼び方が「あたかも 公民権は都市に住む市民にしかないように誤解され,それに経済と階級概念が強調されることで,

経済活動と階級問題を混ぜて語ってしまい,焦点がずれてしまう」27という問題点が指摘され,こ の訳語はすぐに使われなくなったという。

民間社会と市民社会の概念と用語の意味についてまとめると,次のようにいえる。

台湾では戒厳令が解除された1987年前後から,社会運動が活発化した社会をcivil societyの出現 ととらえ,それを民間社会と訳した。なぜ,民間社会と訳したのかというと,国民党による政府と 民衆すなわち非政府の部分である「民間」との対立関係を強調し,国家権力の民衆生活からの排除 を求めるという目的があったためといえる。

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その後,一時期,階級概念から社会運動を分析した場合,市民社会という用語が使用されたが,

市民という呼び方が都市部の民衆のみを指しているような誤解を与える可能性が指摘されたため,

使われなくなった。

その後,1990年代後半になると,civil societyの訳語は民間社会や市民社会から,公民社会に変 わり,現在に至るまで使われるようになっていく。次節では,公民社会へと訳語が変化した理由と,

「公民社会」論の内容を見ていくこととする。

2.「公民社会」論の展開とその内容

2.1 公民社会という用語の出現と「公民」の意味

公民社会という訳語は,范雲によると,1997年頃から新聞上において頻繁に聞かれるようにな り,2000年に台湾初となる政権交代が行われると,新聞上における「公民社会」の頻出度合いは「民 間社会」に取って代わったという28。この時期に,公民社会という訳語が提出された背景には,政 府に対する大規模な抗議運動がある。

1997年に幼女誘拐・殺害事件が起き,台湾の人々を震撼させた。しかも,この事件捜査の過程で,

警察の不手際があり,これがきっかけとなり人々の治安に対する不安が沸き上がった。これにより,

同年5月4日と18日に,民衆による,児童の安全と治安の良い生活空間を求める「五〇四運動」,「五 一八運動」がたて続けに起こった29。これらの運動は,行政院(日本の内閣に相当)の総辞職をも たらすほど大規模なものであった。この時,運動のリーダーたちは,「人民こそが政府のトップで ある」と主張し,さらに,政府に失望した我々「公民」が,これをきっかけに「公民社会」を作っ ていくと宣言した30。これがきっかけとなり,公民社会という用語がcivil societyの訳語として一 般的に使われていくようになったという。

ここで,「公民」の意味を確認したい。公民とは,英語のcitizenの訳語である。顧忠華によると,

「一種の身分,あるいは一定の権利と義務の資格を連帯している概念」であり,憲法上においては,

「20歳以上の選挙権と被選挙権を有する国民」のことであり,さらに,顧は以下のようにも述べて いる。

「現代の民主国家において,政治は少数の政党や政治家によって独占される領域ではなく,す でに「大勢のもの」となっている。つまり,すべての「公民」が基本的権利を有し,十分な機 会でもって「公民権」31と「参政権」を行使している。こういう概念は,すでに大勢の人が聞 き慣れているとはいえ,その内容まで理解しているとは限らない。特に,台湾の過去の民主観 においては,その意識は選挙競争に集中し,一般民衆は「選ぶ人」としての行動は熟知してい るが,非選挙期間においても公共政策に参加し討論する「公民」としての身分と意識について は,あまり理解されていないと思われる」32

つまり,「公民」とは,公民権をもつだけでなく,日常においても公共政策に関与し,討論を行っ ていく人々のことを指しているといえるのであり,この理想的な「公民」たちによって形成されて

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いく社会を,「公民社会」と表現しているといえる。「民間社会」が国家対民間という対立関係を強 調する意味をもっていたのに対し,「公民社会」では,社会参加をする自覚的市民の役割が強調さ れているのである。

2.2 「公民社会」論の展開

このように,1990年代に公民社会へと訳語が変化した直接的な原因としては,1997年頃の社会 運動の影響があるといえるが,さらに変化の背景として,1994年の四一〇教育改革運動の主導者 たちによる,「公民社会」形成を促すための主張があったことがある。以下,四一〇教育改革運動 を担い,「公民社会」論を牽引した黄武雄の「公民社会」論と,彼の考えを支持した社会・教育改 革者たちの「公民社会」に関わる議論を確認する。

2.2.1 黄武雄の「公民社会」論

まず黄は,2000年に,台湾社会の現状について,以下のように述べている。つまりこの文章は,

台湾の1990年代に焦点を当てたものである。

「戒厳令解除から十数年間,「国家理性」が台湾においても徐々に社会の共通認識になりつつあ る。国会改造,司法独立,反裏金,反賄賂の声が絶えず聞こえることからも,これは明らかだ。国 家理性とは,ヨーロッパの啓蒙運動および近代国家が発展する過程の産物であり,国家は平等な基 礎をもとに,理性でもって法律を定め,社会内部の構造を規定し,それを有効的に実施することを 意味する。20世紀末から国家理性の概念は徐々に台湾社会に入り,台湾「現代化」の前提となっ た。しかし台湾の歴史を細かく見ると,人々はこれまで直接公共圏に入り,個人と社会の関係を発 展させ,近代文明の精神を把握し,国家理性に対する信念を打ち立てる機会はなかった。18世紀 末の啓蒙運動の「自由,平等,博愛」およびその後に進展した内容は,これまで台湾社会で深く討 論されたことはない。国家理性は,人々の認識において,事実,単なる「形式的な平等」なのであ る」。33

さらに,この国家理性は,台湾ではすでに無効になっているという。「現段階の台湾社会は,物 質上においてはすでにポストモダン社会に突入している。個人の経済力は大きく向上し,各種交通 はこれまでにないほど便利になり,人は絶えず流動し,情報はすばやく伝達される。「ポストモダ ン社会」が発展するための物質的条件は,何ひとつとして欠けていない。少数のエリートによって 唱えられる主流価値観は,すでに多くの社会成員に適用できず,その抽象的な理性によって制定し た法律は,有効的に社会秩序を維持することができなくなっている」34

そのため,国家理性ではなく「公民社会」への期待をいう。「現在の台湾社会の特徴的な状況を みると,発展が期待されるのはまさに民間の力量である。各種の公共圏を開放し,人民に参加させ るとともに,人民に十分な現代社会の認識と,深く人類の精神文明を理解する学習を提供する。公 共参加と深い学習によって,人の内在的な力量を発揮させ,人の新たな価値観と社会の新秩序を形 成する。エリート主導の国家理性を,民主参加式の公民社会に引き上げる,これが21世紀の台湾

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が必ず開拓せねばならない活路である」35

つまり黄は,エリート主導型の社会ではなく,民衆が深い学習を基礎に公共に参加することを通 じてつくられる民主社会を「公民社会」とし,この形成を目指したのである。

さらに黄は,公民社会を以下のように定義している。「「公民社会」とは,「公民が公共事務に参 加すること,さらには公共政策に影響を与える社会のことをいう。こうした「下から上」の状態は,

公共討論の発展(例えば,メディア)および社会の深い学習(例えば,コミュニティカレッジ)に よって,国家中央あるいは地方の公共事務に影響を与える(例えば,公民投票とコミュニティ形成 によって)社会であり,政治エリートの支配から抜け出し,社会を社会成員の要求に適応するよう に発展させ,ならびに理性的に社会全体の長期的な利益を考えるものである。このようにして現代 国家に欠かせない公衆(public)の力を形成し,多くの社会資源を,政府と私人あるいは純利益集 団の掌中で操作されることを防ぐ。そして公衆の力によって国家発展の方向性を変え,公衆の利益 が重視される,これが私の言う「公民社会」である」36

そして,自身の「公民社会」論とハーバーマス公共圏の概念との類似性を述べている。「私個人 の「公民社会」に対する概念と,ハーバーマスが公共圏を言うときの考え方は比較的近い。後者が 提出するいくつかの条件は,すべて公民社会に含まれるべきものである。1.公共論述を形成する,

2.すべての公民に開放している,3.普遍的利益をあつかう,4.自由に集会および表現する,5.「公

衆」の形成を促す作用がある」37

つまり,黄の「公民社会」論は古代ギリシャ・ローマのポリスに起源をもつcivil society概念を 検討し,そして東欧革命後のハーバーマスを中心とするcivil society論38をベースにするものであ る。そして,民衆の公共への参加を促すために,民衆の深い学習や教育を求めるものである。教育・

学習を通じて政治や公共政策に自覚的な民衆を育成し,彼らが国家権力を監督し,社会の普遍的な 利益を自らが守っていく社会,こうした社会を公民社会と呼び,今後の台湾社会が進むべき道だと 主張したのである。

2.2.2 その他の社会・教育改革者たちの「公民社会」に関わる議論

さらに,顧忠華は,上述の黄の「公民社会」の考えを軸に,「公民社会」とは,「公民と国家の権 利義務関係に着目」した概念であり,「公民が権利の正しい行使方法を理解し,公開的に結社し,

意見表明をすることで国家の公共政策に影響を与える」社会のことであるとした39。そして,こう した「公民社会」を形成するために,非営利組織の重要性を述べた。顧は,「私は非営利の性質を もつ公民組織を,公民社会の重要な運搬人とみている。決して選挙,投書,請願,申請など,各公 民が単独に行使する公民権を軽視しているわけではないが,現代社会が「組織社会」であることを 鑑みると,組織的な行動が欠けていれば,公民社会はいかなる政治力および経済力を牽制する作 用を生み出すことはできない」40とし,戒厳令解除後に急増したNPOなどの非営利組織の役割を,

重視した41

また,李丁讃・呉介民は,非営利組織の数量だけではなく,これらが「公共圏」を形成している

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かどうかが,公民社会の発展の要であるとした。李・呉は,非営利組織や社会団体が,メディアや その他の公共空間を通じ,対話,意思疎通,連結をおこなう場のことを「公共圏」とし,「公共圏 が存在するcivil societyに限って,私たちは公民社会と呼んでいる」と述べた42

台湾の非営利組織の多くは,1980年代の民主化運動を担った社会運動団体に起源をもつ。当時 の多くの社会運動団体は,1996年頃までは,当時野党であり社会運動団体の受け皿であった民進 党と政策的にパートナーシップを結び,様々な抗議活動を行い,与党・国民党政権に対抗する運動 を行っていたが,民進党が政権を執ることを視野に入れ始めると,民進党が「以前ほどラディカ ルでいられなくなった」ため,徐々に民進党とは距離をおき,独立した非営利組織となったとい う43。そして1997年の「五〇四運動」,「五一八運動」をきっかけに,デモ活動などは完全にこれ らの非営利組織同士によって計画,主導されるようになった。これによって,非営利組織は,既存 の政党から独立した領域から,政治を牽制するものと考えられるようになった44

つまり李は,公共圏は,「民主政治の礎」であり,民主体制は健全な公共圏があってこそ有効に 作用するものの,長い間,戒厳令下にあった台湾では,理性でもって討論すべき公共政策に対する 議論も,「統一・独立」あるいは「藍緑」45などの政治的な意識形態を基礎におくため,「真なる公 共の世論を形成しない」として問題視していた46。そのため,既存政党すなわち国民党と民進党か ら距離を置く非営利組織において,民主的な言論空間,すなわち「公衆の論述によって生み出され,

多くの公衆から認められるがゆえに社会的な権威をもつ公共圏」47を形成することが,「公民社会」

の発展において重要であるとしたのである。

このように,1990年代の社会・教育改革者たちは,黄武雄が主張した「公民社会」の考えを支 持し,この発展を促すために非営利組織や公共圏の重要性を説いたといえる。しかし,李・呉の主 張は,完全には「民間社会」論を捨て切れていないようにも見える。なぜなら,既存政党と距離を おくことで「健全な公共圏」が作られるとしているが,それは「既存政党に属しない」という新た な政治性をもつともいえ,それが再び民衆・民間との対立関係を生む可能性を否定できないためで ある。そういう意味では,「公民社会」を実現していくための方法は,問われ続ける必要があるも のといえる。

2.3 「公民社会」論の特徴

范雲は,「公民社会」がこれまでの「民間社会」や「市民社会」と異なる点は,第1に社会のす べての成員に,公民として積極的に公共事務に参加することを要求していること,第2に公共的,

理性的な討論を含むため,特に公民投票を促す言説において多用されること,第3に「公民社会」

概念は,国家とのパートナーシップ関係による補い合いを強調し,「民間社会」論が強調した社会 と国家の対抗関係を意味するものではないことを指摘している48

また,銭永祥は,「公民社会」論者が公民社会を述べる時の3つの特徴を述べている。一つ目に,

「公民社会」は「自己組織社会」,つまり社会は自己で組織していることを原則にするという点を強

(10)

調するという。そのため,「民間社会」論に見られるような国家と社会の対立関係や,単純な支配 関係を強調しないとした。この点は,范雲の指摘と一致している。また,二つ目に,自己組織した 社会の内外にも衝突が必然的に存在するが,この衝突をどのように規範化し処理するかについて言 及している,つまり「公民社会」論は「秩序と規則の構築」,「相談による制度的な妥協」を考慮し ているという。そして三つ目に,どのように社会は国家をコントロールするのか,どのように公民 を積極的に参加させるのか,社会的な民主のメカニズムに政治的な意義をどのように与えるのかに 対して,明らかな考えをもっているとした49

つまり,「公民社会」論は,「民間社会」論のように,国家と民衆の対立関係ではなく,国家と公 民の権利義務関係,国家と社会のパートナーシップ関係に着目し,公民たちの参加によって,新た に形成していく社会ということを強調するものといえる。

おわりに

台湾では戒厳令が解除された1987年前後から,社会運動が活発化した社会をcivil societyの出現 ととらえてその概念を導入し,それを民間社会と訳した。なぜ,civil societyを民間社会と訳した のかというと,国家対民間(民衆)という対立構造を強調することで,国民党が支配してきた国家 に対する民衆の力を強調するという目的があった。その後,一時期,階級概念から社会運動を分析 した場合に,市民社会という用語が使用されたが,市民という呼び方が都市部の民衆のみを指して いるような印象を与えてしまうという懸念から,使用されなくなった。

その後,1990年代後半からは,civil societyは公民社会と訳されるようになった。これは,社会 の主権者として公共政策に参加する「公民」が,非営利組織や,自由な言論空間である公共圏を形 成し,理性でもって討論していくことで形成していく社会という意味がある。つまり,公民社会と いう用語には,戒厳令時代のように強権的な政治によって民衆が支配される社会ではなく,また国 家と民衆を対立関係におく社会でもなく,民衆の社会への関心や社会への参加をベースとする民衆 主体の民主的な社会という意思が含まれていると考えられるのである。

本稿は,台湾におけるcivil societyの訳語の変化から,概念の変容を明らかにすることを試みた が,課題も残されている。第一に,civil society概念の議論について,本稿は主に1990年代の社会・

教育改革者の論述を中心に分析したが,civil society概念の議論は政治学,憲法学,法学研究など から大いに影響を受けていると考えられるため,これらの分野の論述を検討することが課題であ る。第二に,台湾における「公民社会」の論述は,「発展している西洋」のcivil societyをモデルとし,

それを「遅れている台湾」で実現しようという,いわばアジアを「遅れている」とおく価値認識を 含んでいるようにも見えるのである。この点についてのさらなる検討は,今後の課題としたい。

(11)

[注]

1 黄武雄「公民社会与教育改革」黄武雄・顧忠華編『成人的夏山:社区大学文献選輯』左岸文化,2004,pp. 155-165。

2 例えば,西川潤・蕭新煌『東アジアの市民社会と民主化:日本,台湾,韓国にみる』明石書店,2007。

3 顧忠華『解読社会力:台湾的学習社会与公民社会』左岸文化,2005,p. 192。

4 同上,p. 198。

5 南方朔「拍売中華民国」『前進』1986.7。「中華民国の大安売り」とは「中華民国を民間に払い下げよ」という意味が ある。この論考は3篇に分かれ,第1篇の本土篇では「台湾を統治する恐竜:国民党の政治支配」,第2篇の国際 篇では「現代の怪獣:国家および国家企業」,第3篇では「超級の特権をもつ変形悪党:中華航空の経営とそれを どのように売り払うか」という副題目が付されている。

6 同上,p. 52。

7 同上,p. 59。

8 南方朔「台湾的新社会運動」『中国論壇』第269期第23巻第5期,1986.12.10,pp. 36-40。

9 自力救済とは,地域開発に伴う環境悪化などに対し,被害住民が救済を求めて抗議する住民運動のことをいう。また,

木魚は当論文で,自力救済運動の種類として「汚染,害毒,娼妓,掘墳,貪汚」を挙げている。「汚染」は環境汚染,

「害毒」は工場などの化学薬品などによる害毒,「娼妓」は児童売春や公娼制,「掘墳」は政治家が墓穴を掘る行為,

「貪汚」は贈収などの汚職を指すと思われ,これらが当時の社会問題であったと言える。

10 木魚「人民的力量」『南方』第10期,1987.8,pp. 28-32。

11 孫善豪「「民間社会」与「文明社会」:民間社会理論対葛蘭西的誤解」第33628巻第12期,1989.9,pp. 30-32。

12 「如何看待民間社会(座談会)」『中国論壇』第33628巻第12期,1989.9,p. 11。

13 上掲論文,孫善豪。

14 蔡其達「打開「民間社会」史:一個反宰制論述的考察」『中国論壇』第33628巻第12期,1989.9,p. 25。

15 中国ではcivil society概念が導入された1980年代当初は市民社会と訳され,その後公民社会という訳語が使われてい る。鄭正来『国家与市民社会』中央編訳出版,1999,p. 12。

16 上掲書,顧『解読社会力』p. 198。

17 甘陽「「民間社会」概念批判」『中国論壇』第1332巻第2期,1991.11,pp. 66-73。

18 范雲「從民間社会邁向公民社会」王宏仁等『跨戒:流動与堅持的台湾社会』群学出版,2008,p. 25。

19 民間社会ということばが出現するのと同じ頃,「統独論争」を終わらせ,党外人士の分裂を防ぐことを目指した「民 間哲学」という考えがあった。この思想の中心にいたのも木魚や江迅ら民間社会論者である。例えば江迅は,統独 論争は,「混乱した薄っぺらい台湾思想界と政治運動にするどい洞察を与えてこなかったばかりか,無数の対立意 識と頑固な執念を作り出し,各団体の非理性的な誤解と対抗を誘発してきた。(中略)台湾は国際的人格を有して いるのか,台湾を誰が統治するのか,台湾は独立すべきか統一すべきかなどは,すべて問題の核心ではない。重要 なのは,民間の自発的な力をどのように成長させ,民間力量を社会進歩を進める力とし,外在的な束縛と抑圧の要 素を排斥するかである」と述べている(江迅「從統独迷思到民間哲学的確立 謝長廷対趙少康:意識形態的黄昏」『南 方』第6期,1987.4,pp. 34-41)。他にも,文亦台「打破迷思,只是理解的開始:対「民間哲学」的期待」『南方』

7期,1987.5,pp. 54-55,木魚「從「民間哲学」到「民間社会理論」的確立:迎向一個人民民主実践的年代」『南 方』第8期,1987.6,pp. 37-44などの論考が発表された。

20 何方「従「民間社会」論人民民主」『当代』第47巻,1990.3,pp. 39-52。

21 張茂桂『社会運動与政治転化』国家政策研究資料中心,1989,pp. 20-28。

22 曾建元「從民間社会走向人民民主:評述台湾社会運動的社会学干預」『憲政評論』第22巻第8期,1991.8,pp. 10-15。

こうした見方は,「民間社会論」に対して「人民民主論」と呼ばれている。

23 上掲書,顧『解読社会力』p. 202。

24 上掲論文,甘陽。

25 王振寰「出現中的市民社会及其限制」『二十一世紀』5,1991.6,pp. 57-67。

26 上掲書,顧『解読社会力』p. 200。

27 同上,p. 202。

28 上掲論文,范雲,pp. 25-26。「聯合報」を対象に用語の使用状況を調べた結果である。

29 199754日におこった「悼暁燕,為台湾而走大遊行」(五〇四運動)と,518日「五一八用脚愛台湾」(五一

(12)

八運動)のことである。

30 上掲論文,范雲,p. 26。

31 「公民権」について顧は明確に定義をしてはいないが,選挙権,被選挙権および政府機関への投書,請願,申請など も公民権に含まれるとしている。同上,pp. 203-204。

32 顧忠華『公民社会・茁壮』開学文化,2012,p. 3。

33 上掲書『成人的夏山:社区大学文献選輯』pp. 155-156。

34 同上,pp. 155-156。

35 同上,p. 156。

36 同上,p. 22。

37 同上,pp. 23-24。

38 ハーバーマスは『公共性の構造転換』において,「zivilgesellschaft(civil society)の制度的な核心をなすのは,自由 な意思にもとづく非国家的・非経済的な結合関係である。もっぱら順不同にいくつかの例を挙げれば,教会,文化 的なサークル,学術団体をはじめとして,独立したメディア,スポーツ団体,レクリエーション団体,弁論クラブ,

市民フォーラム,市民運動があり,さらに同業組合,政党,労働組合,オールタナティブな施設にまで及ぶ」とし た。そして,こうした結社は「あらかた国家にとりこまれてしまった政党とは違って行政システムには所属しない が,ジャーナリズムの影響力をつうじて政治的な効果をもたらす。なぜなら,そうした結社は,公共的コミュニケー ションに直接参加したり,あるいは,たとえば現状に対案を提起するプロジェクトのように,活動を計画し実例を 示すことによって暗黙のうちに公共的な討論に寄与するからである」とした。つまりハーバーマスは「「公共的な 討論」に参加して「世論を形成する諸結社」という性格付けを与えられた「市民団体」の総称」をcivil societyとし,

様々な「市民団体=結社」が討論の場となるとともに,政治参加の拠点となることを想定した。ユルゲン・ハーバー マス著,細谷貞雄・山田正行訳『公共性の構造転換(第2版):市民社会の一カテゴリーについての探求』未来社,

2006,pp. xxxviii-xxxix。

39 上掲書,顧『解読社会力』p. 202。

40 同上,pp. 203-204。

41 戒厳令下においては,自由な結社は禁止されてきたが,戒厳令解除後の19891月,「動員戡乱時期人民団体法」が 立法院を通過したことで,政治団体あるいは政党の設立条件は登記制がとられたものの,結社の自由は大幅に開放 され,職業団体,社会団体,非営利組織の規則は緩まった。上掲書,顧『解読社会力』pp. 114-115。

42 李丁讃・呉介民「公民社会的概念史考察」『群学争鳴』群学出版,2008,p. 424。李丁讃とは異なり,公共圏を公民社 会自体とする論者もいる。例えば江明修・陳定銘は「公民社会とは公民が公共事務によって影響をもたらす「公共 圏」のことを指しており,この領域の中で,民衆は対話を通して複雑な政治(あるいは公共)活動に参加し,かつ 政府のガバナンスの過程で,不満を述べる者や被害者ではなく,積極的に参加者と監督者としての役割を演じる。

そして,公共政策への強制のない参加を体得し,個人を基礎にした自主権を発揮し,社会への関心という責任を表 すのである」としている。江明修・陳定銘「非営利組織与公民社会之建構:以社区大学運動為例」『中大社会文化 学報』2001,pp. 16-17。

43 蕭新煌「台湾の社会運動,市民社会,民主的ガバナンス」上掲書,西川潤・蕭新煌,2007,p. 39。

44 上掲書,顧『解読社会力』p. 208。

45 「藍」は国民党陣営,「緑」は民進党陣営を指す。

46 李丁讃「市民社会与公共領域在台湾的発展」李丁讃編『公共領域在台湾:困境与契機』桂冠,2004,p. 1。

47 同上,p. 13。

48 上掲論文,范雲,pp. 26-27。

49 銭永祥「公共領域在台湾:一頁論述史的解読与借鑑」上掲書,李,pp. 120-121。

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