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萩 原 朔 太 郎 『 青 猫
』 『 蝶 を 夢 む
』 の 巻 頭 詩 の 役 割
北 岡
美 乃 梨
はじ めに 萩原 朔太 郎の 作品
、ま た作 家自 身に 関す る研 究は さま ざま な角 度 から 行わ れて きた
。中 でも
、詩 作品 に関 する 研究 は、
『月 に吠 える
一
』『 青猫
二
』な どの 詩集 を朔 太郎 にと って の一 つ一 つの 時代 と捉 え る見 方を 前提 とし てい るも のが 多い
。実 際に
、朔 太郎 の詩 風の 変遷 は極 めて 分か りや すく
、用 いら れる 語彙 やリ ズム がそ の時 々に よっ てか なり 特徴 的で ある
。時 代を 区切 り、 いく つか 詩を 取り あげ てみ ると
、そ こに は共 通の 理念
、そ して 根源 を等 しく する ある 気分 が漂 って いる よう に感 じら れる
。ま た、 朔太 郎自 身も
、「 全集 や総 合詩 集は 例外 とし て、 すべ て単 一な 標題 を掲 げた 詩集 は、 その 標題 が示 す一 つの 詩境 を、 力強 く一 点に 向つ て集 中さ せ、 そこ に詩 集の 統一 され た印 象を 構成 せね ばな らな いこ と、 あた かも 一巻 の小 説に 於け る構 成と 同じ であ る三
」と 書い てい るこ とか ら、 詩集 の構 成に こだ わり を持 って いる こと が明 らか であ る。 よっ て朔 太郎 自身 が構 成し た詩 集は
、朔 太郎 が読 者に 対し て与 えた い印 象を 与え られ るよ うに 意識 して 演出 した もの であ ると いう こと にな る。 本稿 では
、詩 集『 青猫
』と 詩集
『蝶 を夢 む四
』に 注目 し、 大正 六
年期 の朔 太郎 詩を 解釈 する 新し い手 がか りを 提示 した い。 この 二つ の詩 集の 最初 に収 録さ れて いる 詩は
、そ れぞ れ「 薄暮 の部 屋五
」、
「蝶 を夢 む六
」で ある
。詩 集を 構成 する うえ で、 その 詩集 の冒 頭に くる 詩は 全体 の印 象に 影響 を与 える 詩と して 極め て重 要で ある と思 わ れる
。「 薄暮 の部 屋」
、「 蝶を 夢む
」の 二篇 は共 に大 正六 年に 発表 さ れて おり
、登 場す るモ チー フな どに も共 通の もの が多 い。 この 二篇 を中 心に 据え るこ とで
、当 時の 朔太 郎の 創作 意識 の核 の部 分に 存在 する もの を暴 くこ とが 本論 文の 目的 であ る。 その 手順 とし て、 第一 章で は「 薄暮 の部 屋」
、「 蝶を 夢む
」二 篇を
『青 猫』
、『 蝶を 夢む
』( 前編
)収 録の 他の 詩作 品と 比較 する こと で 解釈 の幅 を広 げる
。第 二章 では
、二 篇に 共通 のイ メー ジ、 共通 して 登場 する
「寝 臺」
「寝 床」 とい った モチ ーフ に注 目し
、そ こに 託さ れた 役目 を考 察す る。 第三 章で は、 第一 章、 第二 章の 内容 を踏 まえ
、 二篇 がそ れぞ れ詩 集の 先頭 に選 ばれ た理 由に つい て総 合的 に考 察 し、 大正 六年 期の 朔太 郎の 詩に つい て新 しい 評価 を加 えた い。
一
『青 猫』 前期 の詩 解釈
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一― 一
「薄 暮の 部屋
」「 蝶を 夢む
」の 二篇 につ いて まず
、本 稿で 主に 扱う
「薄 暮の 部屋
」と
「蝶 を夢 む」 の二 篇を 引 用す る。
「薄 暮の 部屋
」は
『青 猫』
、「 蝶を 夢む
」は
『蝶 を夢 む』 に それ ぞれ 収録 され てい るも のを 引用 した
。 薄暮 の部 屋( 大正 六年 一一 月) つか れた 心臓 は夜 をよ く眠 る 私は よく 眠る ふら んね るを きた さび しい 心臓 の所 有者 だ なに もの か そこ をし づか に動 いて ゐる 夢の 中な るち のみ 兒 寒さ にか じか まる 蠅の なき ごゑ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ
。 私は かな しむ この 白つ ぽけ た室 内の 光線 を 私は さび しむ この 力の ない 生命 の韻 動を
。 戀び とよ お前 はそ こに 坐つ てゐ る 私の 寝臺 のま くら べに 戀び とよ お前 はそ こに 坐つ てゐ る。 お前 のほ つそ りし た頸 すぢ お前 のな がく のば した 髪の 毛
ねえ やさ しい 戀び とよ 私の みじ めな 運命 をさ すつ てお くれ 私は かな しむ 私は 眺め る そこ に苦 しげ なる ひと つの 感情 病み てひ ろが る風 景の 憂鬱 を ああ さめ ざめ たる 部屋 の隅 から つか れて 床を さま よふ 蠅の 幽霊 ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ
。 戀び とよ 私の 部屋 のま くら べに 坐る をと めよ お前 はそ こに なに を見 るの か わた しに つい てな にを 見る のか この 私の やつ れた から だ 思想 の過 去に 残し た影 を見 てゐ るの か 戀び とよ すえ た菊 のに ほひ を嗅 ぐや うに 私は 嗅ぐ お前 のあ やし い情 熱を その 青ざ めた 信仰 を よし 二人 から だを ひと つに し この あた たか みあ るも のの 上に しも お前 の白 い手 をあ て て 手を あて て。
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戀び とよ この 閑寂 な室 内の 光線 はう す紅 く そこ にも また 力の ない 蠅の うた ごゑ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ
。 戀び とよ わた しの いぢ らし い心 臓は お前 の手 や胸 にか じか まる 子供 の やう 蝶 だ
を夢 む
(大 正六 年一 月) 座敷 のな かで 大き なあ つぼ つた い翼 をひ ろげ る 蝶の ちひ さな 醜い 顏と その 長い 觸手 と 紙の やう にひ ろが る あつ ぼつ たい つば さの 重み と。 わた しは 白い 寝床 のな かで 眼を さま して ゐる
。 しづ かに わた しは 夢の 記憶 をた どろ うと する 夢は あは れに さび しい 秋の 夕べ の物 語 水の ほと りに しづ みゆ く落 日と しぜ んに 腐り ゆく 古き 空家 にか んず るか なし い物 語。 夢を みな がら わた しは 幼な 兒の やう に泣 いて ゐた たよ りの ない 幼な 兒の 魂が
空家 の庭 に生 える 草む らの 中で しめ つぽ いひ きが へる のや う に泣 いて ゐた
。 もつ とも せつ ない 幼な 兒の 感情 が とほ い水 邊の うす らあ かり を戀 する やう に思 はれ た なが いな がい 時間 のあ ひだ わた しは 夢を みて 泣い てゐ たや う だ。 あた らし い座 敷の なか で 蝶が 翼を ひろ げて ゐる 白い あつ ぼつ たい 紙の やう な翼 をふ るは して ゐる
。
「薄 暮の 部屋
」は 大正 六年 一一 月に 雑誌
『詩 歌』 にて
、「 蝶を 夢 む」 は大 正六 年一 月に
『感 情』 にて 発表 され た。
『感 情』 は朔 太郎
、 室生 犀星 らが 中心 とな り刊 行し てい た雑 誌で あり
、主 に山 村暮 鳥、 高村 光太 郎、 北原 白秋 らが 寄稿 して いた
。詩 観が 近い 詩人 たち によ って 作ら れる この 雑誌 に、 他の 雑誌 に対 する 以上 に信 頼を 置い てい るこ とは 間違 いな いだ ろう
。『 青猫
』の 前期 と呼 ばれ る「 幻の 寝臺
」
「憂 鬱な る櫻
」は 一八 篇あ るが
、そ のう ち一 一篇 の初 出が
『感 情』 であ る。 また
、『 蝶を 夢む
』収 録作 品を 見て も、 大正 六年 に発 表さ れた もの のほ とん どが
『感 情』 に載 せら れた もの であ る。 朔太 郎は 大正 六年 六月 号以 降『 感情
』へ の寄 稿を 減ら して いる
。 大正 六年 一一 月発 表の
「薄 暮の 部屋
」は
『感 情』 では なく
『詩 歌』 に掲 載さ れて いる
。初 出時 は「 夕暮 室内 にて 静か にう たへ る歌
」と いう タイ トル だっ たが
、こ の詩 がな ぜ題 を変 えて
、そ して 他の 詩を
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差し 置い てま で詩 集の 先頭 に置 かれ たの だろ うか
。ま ず、
「薄 暮の 部屋
」と
『青 猫』 前期 の詩 との 距離 感、 また 雑誌
『感 情』 との 距離 感を 意識 して
「薄 暮の 部屋
」の 解釈 の可 能性 を考 えて みる
。
一― 二
『青 猫』 前期 の代 表詩 とし ての
「薄 暮の 部屋
」
「薄 暮の 部屋
」は
『青 猫』 の中 でも 前期 と呼 ばれ る大 正六 年か ら 大正 七年 にか けて 発表 され た詩 の一 つで あり
、「 幻の 寝臺
」の 中に 収め られ てい る。 この
「幻 の寝 臺」 と、 後に 続く
「憂 鬱な る櫻
」に は、 共通 の詩 情が 漂っ てお り、 共通 の音 楽が 流れ てい る。 ここ に収 録さ れて いる 詩た ちは
、互 いに 作用 し合 い、 互い の解 釈を 深め たり 広げ たり しな がら 読め るよ うに でき てい ると 考え られ る。 一つ の景 色、 エピ ソー ドを さま ざま な側 面、 距離 から 何度 もス ケッ チす るこ とを
、幾 篇か にわ たり 試み てい るよ うで ある
。よ って
、「 薄暮 の部 屋」 にあ る抽 象的 なイ メー ジは 他の 詩に より 強化 され ると いう 見方 もで きる
。こ の可 能性 を検 証し てい こう と思 う。
「薄 暮の 部屋
」に は「 私」
、「 戀び と」
、「 蠅( なき ごゑ
、幽 霊、 う たご ゑ)
」な どが 登場 する
。ま ずこ の「 私」 の所 在に つい て考 える
。 はじ めに
「つ かれ た心 臓は 夜を よく 眠る
」、
「私 はよ く眠 る」 とあ る こと から
、〈 つか れた 心臓
=私
〉の よう な構 図が 明ら かに なる
。等 号で 結ぶ のは 短絡 的で ある にし ろ、 この
「つ かれ た心 臓」 と「 私」 が非 常に 近い 位置 にあ るこ とが 想像 でき
、次 に続 く「 ふら んね るを きた さび しい 心臓 の所 有者 だ」 から
、こ の「 つか れた
/さ びし い」
と形 容さ れる 心臓 は「 私」 の心 臓を 指す とい うよ うに 読む のが 自然 であ る。 しか し、 心臓 は「 よく 眠る
」、 私も
「よ く眠 る」 とい う表 現が 用い られ るこ とで
、「 私」 の身 体イ メー ジが 特殊 性を 帯び てく る。 この 心臓 が臓 器と して なの か、 また は精 神、 魂と 同義 のも のと して 用い られ てい るの か。 どち らに して も、 よく 眠る 私の 身体 の中 で、 心臓 とい う一 つの 臓器 も眠 りに つい てい るの だと すれ ば、 私の 眠り と心 臓の 眠り を区 別し て書 いて いる のは なぜ なの だろ うか
。こ こに は、 精神 と身 体が 乖離 と合 致を 繰り 返す
、朔 太郎 に特 徴的 な身 体イ メー ジが 表れ てい ると 考え られ る。 また
、表 象と の距 離が 近づ いた り遠 ざか った りと 変化 する のも 一つ の特 徴で ある
。例 えば
、一 度「 つか れた 心臓
」と 照準 を絞 った あと
、そ れを 所有 する
「私
」ま で後 ずさ りす る。 この よう に、 一つ の詩 の中 に表 象と の距 離感 や、 表象 を捉 える 枠組 みが 幾種 類か 用意 され てい るこ とで
、映 像的 な効 果が ある よう に考 えら れる
。瞬 時に 遠ざ かる こと で、
「心 臓」 は「 私」 とオ ーバ ーラ ップ して 重な り、
「私
」自 身と 同等 のサ イズ
、同 等の 質量
、同 等の 重要 性を 持っ た核 とし ての
「心 臓」 のイ メー ジが 浮か んで くる ので はな いだ ろう か。
「薄 暮の 部屋
」は 初出 時、
「夕 暮室 内に あり て静 かに うた へる 歌
」七
とい う題 であ った
。こ れに つい て朔 太郎 は「 二つ の手 紙八
」と い う文 章に 詳し く書 いて いる
。「 二つ の手 紙」 では
、「 夕暮 室内 に座 り て静 かに うた へる 歌」 とし て触 れら れて いる
。「 あり て」 では なく
「座 りて
」と なっ てい るの は単 なる 誤植 では ない よう だ。 文章 の中 に「 一人
、薄 暮の 室内 に座 つて
」と いう 表現 があ るこ とか ら、 朔太
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郎自 身こ の時
、こ の詩 に「 夕暮 室内 に座 りて 静か にう たへ る歌
」の 題を 冠し たと いう 気持 ちで
「二 つの 手紙
」を 書い てい るも のだ と考 えら れる
。詩 中の
「よ く眠 る」
、「 私の 寝臺
」と いう 表現 から
、「 私」 は横 たわ って いる もの だと 捉え るの が素 直な 読み 方だ と考 えら れ る。 さら に、
「私
」は
「夢 の中 なる ちの み兒
」の 存在 を確 認し てい る。
「夢 の中 なる ちの み兒
」を
、「 私」 の「 夢の 中」 にい るち のみ 兒 だと 解釈 すれ ば、
「私
」は 夢を 見て いる 最中 なの だと いえ る。 また
、 この ちの み兒 は単 なる ちの み兒 では なく
、「 心臓
」や
「私
」な どを 指し てい ると 読む こと もで きる ので はな いだ ろう か。 後に
「わ たし のい ぢら しい 心臓 はお 前の 手や 胸に かじ かま る子 供の やう だ」 とあ るこ とか ら、 ちの み兒
、子 供、 心臓 の三 点を 結ん でみ ても いい かも しれ ない
。
「夢 の中 ある ちの み兒
」を どの よう に解 釈す るに して も、
「眠 る」
「寝 臺」
「夢 の中
」の 語彙 から
「私 が横 たわ って いる のを 想 像す るの は極 めて 自然 なこ とで はな いだ ろう か。 しか し、
「二 つの 手紙
」内 で「 夕暮 室内 にて 座り て静 かに うた へる 歌」 とい う題 が冠 され てい たこ とを 思え ば、 この
「座 りて
」と いう のは どう にも 引っ かか る表 現で ある
。座 って いる のは
「戀 びと よ」 とた びた び呼 びか けら れる 人物 であ り、 この 室内 にあ るの は「 蠅の うた ごゑ
」で ある
。
「二 つの 手紙
」は
、「 ある 男の 友に
」か ら始 まる 第一 の手 紙の 部 分と
、「 ある 女の 友に
」か ら始 まる 第二 の手 紙の 部分 から 成る 文章 であ る。 この
「あ る女 の友 に」 は、
「あ なた は私 の詩
「夕 暮室 内に 座り て静 かに うた へる 歌」 をご 覧で した か」 とい う一 言か ら始 まり
、
「夕 暮室 内に 座り て静 かに うた へる 歌」 を詳 細に 説明
、別 の言 葉に
翻訳 した かの よう な、 散文 詩的 な文 章を 挟み
、「 とは いへ
、今 日の 静か な雨 の日 の窓 で、 かう した 手紙 をあ なた に書 くこ とを 悦び ます
。 思ふ にあ の美 しい
「叙 情詩 人」 とい ふ名 稱は 私の 墓石 の銘 を飾 るた めに は最 も適 はし い文 字で せう
。藝 術の 権威 を信 じな い私 にと って
、 詩を 魂の 慰安 とし て無 意義 に人 生を 空費 した 私に とっ て、 その 暮銘 こそ 悲し い運 命の 微笑 を語 るも ので す。 では
、愉 快に 希望 を以 てお 別れ しま しょ う。
」と 締め くく られ る。
「二 つの 手紙
」に よる と、
「一 人、 薄暮 の室 内に 座つ て冥 想に 沈 む私 の心 は、 あの 白い 寝台 の上 に長 く眠 つて ゐる 悲し い人 間の 姿で す。 私の 心臓 は疲 れて
、私 の胴 体は 寝台 の上 に横 はつ て居 ます
」と ある
。「 私の 心」 の表 象が
「白 い寝 台の 上に 長く 眠つ てゐ る悲 しい 人間 の姿
」に 託さ れて いる
。そ して
、「 私の 胴体 は寝 台の 上に 横は つて 居」 るの であ る。 寝台 の上 の胴 体、 そし て寝 台の 上の 人間 の姿 とし て描 かれ る「 私の 心( 魂)
」。 一見 する と、 どち らも 寝台 の上 に 横に なっ てい る一 塊の
「私
」で ある よう に思 われ るが
、「 座つ て冥 想に 沈む 私の 心」 とい う表 現を 尊重 し、 体と 心は 離れ た状 態と して 描写 され てい ると 受け 取る
。「 二つ の手 紙」 によ れば
、「 私の 心」 は 次の よう な道 筋を たど る。
「そ の人 の心 臓は 腐れ
、そ の人 の魂 はす やす やと 眠っ て居 ます
」、
「「 戀び とよ
」と
、私 の疲 れた 心臓 が白 い 寝台 の上 で叫 びま した
。そ して いま
、彼 女の 唄ふ しづ かな
、し づか な子 守歌 をき きな がら
、私 の心 は幸 福に も「 遠い 墓場 の草 かげ にま で」 すや すや と眠 りつ いて 行く ので す」
。「 私の 疲れ た心 臓が 白い 寝 台の 上で
」と ある よう に、 最初 は「 薄暮 の部 屋の 室内 に座 つて 冥想
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に沈
」ん でい た私 の心 が、 寝台 で横 たわ って いた 胴体 のも とへ 帰着 した とい う道 程を 見る こと がで きな いだ ろう か。 そし て体 へと 帰還 した 心は
、「 遠い 墓場 の草 かげ にま で」 眠り つく
。疲 れた 心、 心臓
、 魂は
、寝 台の 上に 横た わる 胴体 に重 なり 眠る
。や がて 心は 身体 を離 れ、 遠い 墓場 の草 かげ とい う夢 の中 の景 色に まで たど り着 く。 これ が「 物侘 しい 日暮 れの 室内 の寝 台の 上で
」起 こっ てい るの であ る。 しか し、 この よう な読 み方 は「 薄暮 の部 屋」 だけ に目 を通 した 場 合、 生ま れ得 ない もの では ない だろ うか
。「 夕暮 室内 にあ りて 静か にう たへ る歌
」、
「二 つの 手紙
」の 内容 も鑑 みな けれ ば、 この 心( 魂) のた どっ た道 筋は 見え てこ ない
。「 夕暮 室内 にあ りて 静か にう たへ る歌
」と
「薄 暮の 部屋
」と の間 には
、大 幅な 本文 異同 が見 られ るの であ る。
「遠 い墓 場の 草か げに 眠り つく それ まで は」 も削 られ てい る。
「夕 暮室 内に あり て静 かに うた へる 歌」 にお いて この 一行 は、
「戀 びと よ、
」と
「戀 びと よ。
」の 呼び かけ の間 に挟 まれ
、際 立っ て いる 部分 であ る。 また
、「 二つ の手 紙」 でも 先に 引用 した 文以 降に も「 今は ただ 白い 寝台 の上 で、 静か な生 のた めい きに 耳を 傾け なが ら、
「美 しい 並木 ある 墓地
」の 夢を 楽し むば かり です
」と いう 文が あり
、こ の「 墓地
」の イメ ージ はこ の詩 を読 む上 でか なり 重要 なモ チー フだ と考 えら れる
。「 薄暮 の部 屋」 で「 墓地
」に つい てが 削ら れた のは どう して だろ う。
「夕 暮室 内に あり て静 かに うた へる 歌」 の「 墓地
」の イメ ージ は、
『青 猫』 前期 の他 の詩 に分 散し て見 かけ られ るの では ない だろ うか
。 例え ば、
「憂 鬱の 川邊
」九
の「 そこ には 生え る不 思議 の草 本/ あま た
の悲 しい 羽蟲 の類
/そ れは 憂鬱 に這 ひま はる 岸邊 にそ うて 這ひ まは る/ じめ じめ とし た川 の岸 邊を 行く もの は/ ああ この 光る い のち の葬 列か
/光 る精 神の 病靈 か/ 物み なし ぜん に腐 れゆ く岸 邊 の草 むら
/雨 に光 る木 材質 のは げし き匂 ひ」 や、
「鶏
一
」〇
の「 しの のめ きた るま へ/ 私の 心は 墓場 のか げを さま よひ ある く」 であ る。
「憂 鬱の 川邊
」の
「光 るい のち の葬 列」
、「 光る いの ちの 病靈
」は
「私 の疲 れた 心臓
」と 同じ よう な道 筋を 流れ てい るの では ない か。
「物 みな しぜ んに 腐れ ゆく 岸邊 の草 むら
」を 行き
、
「遠 い墓 場の 草か げ」 に眠 りつ くの では ない か。 また
、「 鶏」 の「 私の 臥床 にし のび こむ ひと つの 憂愁
」か ら「 私の 心は 墓場 のか げを さま よひ ある く」 の流 れと いう のは
、先 に論 じて いた
「私 の疲 れた 心臓
(心
、魂
)」 のた どる 道筋 をよ り強 固に する
、い わば バリ エー ショ ンの 一つ であ る。 さび しく 疲れ た憂 愁の 心が 自分 の力 では どう にも でき ない 場所 に 存在 して おり
、そ れが 無力 に横 たわ る体 に入 り込 み、 やっ と自 分の もの にな る。 精神 がよ うや く身 体で 触れ られ る距 離に まで 寄り つく
。 そし てさ らに それ は身 体を 離れ
、遠 い夢 の中 の景 色に たど り着 く。 これ が『 青猫
』の 冒頭 に置 かれ た「 薄暮 の部 屋」 に代 表さ れる
、『 青 猫』 前期 の魂 のあ りさ まな ので はな いだ ろう か。 さて
、こ の魂 のた どる 道筋 を案 内し たの は、
「戀 びと
」の 存在 で はな いだ ろう か。 先に 一部 を引 用し た「 鶏」 でも
、「 戀び とよ
」と いう 呼び かけ があ る。
「二 つの 手紙
」で はこ の戀 びと につ いて
「も ちろ ん、 現實 の戀 びと では あり ませ ん。 それ は私 の心 にい つも 悲し く描 いて ゐる 夢想 の愛 人の 姿で す」
、「 言ふ 迄も なく
、彼 女の 病熱 的
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なキ リス ト教 の信 仰と
、彼 女の 感傷
(そ れは 人間 の最 も神 聖な 道徳 的感 情で す) とが
、不 幸な 私を 救つ て神 の前 に導 いた ので す」 と書 かれ てお り、
「夕 暮室 内に あり て静 かに うた へる 歌」 では
「物 言は ぬ私 の少 女よ
、」
、「 この 愛ら しい
、し かし なが ら憂 愁に かた むく 少 女よ
、」 など と描 写さ れて いる
。こ の、 現実 では なく 夢想 の存 在だ と自 分で 分か って おき なが ら呼 びか ける
、求 める 対象 とい うの は、 姿を さま ざま に変 えて いく つか の詩 に登 場す る。 次の 章で 触れ るが
、 この 幸福 の幻 影は
、「 寝臺
」の 語に 託さ れて いる こと もあ る。
「二 つ の手 紙」 では
「戀 びと
」に よる
「救 ひ」 につ いて 言及 され てお り、
「夕 暮室 内に あり てう たへ る歌
」に おい ては
「こ のあ たた かみ ある もの の上 にし も、 お前 の白 い手 をあ てて
、手 をあ てて
。」
、「 薄暮 の 部屋
」で は「 私の みじ めな 運命 をさ すっ てお くれ
」、
「よ し二 人か ら だを ひと つに し」
、「 手を あて て」 とい うよ うに
、「 愛」
、「 救ひ
」と いう 幸福 の幻 影の 存在 が自 分の 魂の 慰安 につ なが るこ とを
、自 覚的 に記 して いる
。『 青猫
』前 期の 詩で
、「 薄暮 の部 屋」 と〈 夕暮 れの 室 内で 自ら の魂 の行 方を 案ず る〉 とい うイ メー ジを 共有 する 詩は
「蠅 の唱 歌一
」一
であ り、
〈心 臓、 心、 魂を 救っ てほ しい と求 める
〉と い うイ メー ジを 共有 する 詩は
、「 強い 腕に 抱か る一
」二
、「 鶏」 であ る。
「蠅 の唱 歌」 には
、「 いま 室内 にひ とり で坐 つて
/暮 れゆ くた ま しひ の日 かげ をみ つめ る」 とい う部 分が あり
、こ れは
「夕 暮室 内に あり て静 かに うた へる 歌」 や「 薄暮 の部 屋」 より も、
「二 つの 手紙
」 の「 一人
、薄 暮の 室内 に座 つて 冥想 に沈 む私 の心 は」 と直 接的 につ なが る表 現だ と感 じら れる
。し かし
、「 薄暮 の部 屋」 の「 戀び と」
に相 当す るよ うな 幻影 の姿 が見 受け られ ない
。強 いて 言う なら ば、
「た より なき 子供 等の すす りな く唱 歌」 がそ れに あた るだ ろう か。
「薄 暮の 部屋
」で も、 戀び との イメ ージ が蠅 に分 散し てい る部 分が ある ため
、「 蠅の 唱歌
」が
「た より なき 子供 等の すす りな く唱 歌」 と言 い換 えら れて いる と捉 える こと がで きる
。ま た、
「た より なき 子供 等」 と「 やさ しい 戀び と」 は、
「二 つの 手紙
」に ある
「感 傷( そ れは 人間 の最 も神 聖な 道徳 的感 情)
」を 共有 する 存在 とし て、 同種 類の 価値 を持 つも のと 認め るこ とは でき そう であ る。
「強 い腕 に抱 かる
」で は「 女よ
」、
「鶏
」で は「 戀び とよ
」、
「母 上 よ」 と、 魂の 救ひ を求 める 呼び かけ が登 場す る。
「戀 びと
」が
「私 の心 にい つも 悲し く描 いて ゐる 夢想 の愛 人の 姿」 であ るな ら、 おそ らく この
「女
」も
「母 上」 もま た、 夢想 の存 在な のだ ろう
。「 鶏」 では
「戀 びと よ」 と「 母上 よ」 が一 続き の二 行に 配置 され てい るこ とで
、そ れが 幻の 存在 であ るこ とが より 強く 表さ れて いる
。 自ら 幻だ と認 めな がら も、 その 幻が 魂を 慰め るや さし さを 持つ 存 在だ とし て希 望を 託し
、求 めて いる とい う精 神の 構造 が、 この 時期 の朔 太郎 の詩 に散 見さ れる ので ある
。
一― 三
『青 猫』 から 抜け 落ち た「 蝶を 夢む
」
「蝶 を夢 む」 は「 薄暮 の部 屋」 と同 じく
『青 猫』 前期 の作 品の 一 つで あり
、詩 集『 蝶を 夢む
』の 先頭 に置 かれ てい る表 題作 であ る。
『蝶 を夢 む』 は「 前篇 蝶を 夢む
」と
「後 篇 松葉 に光 る」 から 成
- 65 -
る『 青猫
』と
『月 に吠 える
』の 拾遺 集だ
。前 篇が
『青 猫』 の時 期の 作品 とな るた め、 発表 年次 順に する と、 前篇 に比 較的 新し い詩 が収 めら れて いる こと が分 かる
。こ のよ うな 収録 順に なっ てい るの は、 おそ らく
『蝶 を夢 む』 の刊 行の 時、
『青 猫』 の刊 行か ら半 年し か経 って おら ず、 朔太 郎の 詩精 神が
『青 猫』 詩時 点の 状態 によ り近 いと いう こと が関 係し てい ると 考え られ る。 しか し、 一つ 一つ の詩 の発 表年 次順 に注 目す ると
、前 篇の 中に 収め られ た詩 は基 本的 に古 いも のか ら新 しい もの へと いう 順番 に並 べら れて いる こと が分 かる
。
『月 に吠 える
』や
『青 猫』 でも おお まか には その 順番 に構 成さ れて いる
。年 次順 に配 置す るこ とで 詩風 の移 り変 わり を感 じや すく
、や はり そこ にも また 全体 で大 きな 物語 構造 を見 出す 読み 方が でき る とい う効 果が ある と思 われ る。 例え ば、 先に 論じ た「 薄暮 の部 屋」 に代 表さ れる
『青 猫』 前期 の気 分、 精神 は、
『青 猫』 後期 の作 品で 形を 変え て登 場し てい る様 が見 受け られ る。
「惡 い季 節一
」三
で「 ぼ くの 感情 を燃 え爛 すや うな 構想 は/ ああ もう どこ にだ つて あり はし ない
。」 と振 り返 るわ けで ある
。し かし
、拾 遺集 であ る『 蝶を 夢む
』は この よう な読 み方 がで きる
「単 一な 標題 を掲 げた 詩集
」で ある こと を優 先し て編 まれ たも のと 捉え られ るの だろ うか
。ま ずは
「蝶 を夢 む」 の解 釈の 可能 性を 広げ
、検 証し てい こう と思 う。 徐載 坤が
『萩 原朔 太郎 作品 にお ける 女性 像の 研究
』の 序一
に四
、朔 太郎 の創 作し た作 品に おい て荘 子の 説話 であ る「 胡蝶 の夢
」の イメ ージ が登 場す るこ とを 指摘 して いる
。朔 太郎 の「 胡蝶 の夢
」は 短歌
、 詩、 そし て散 文詩 風な 小説 へと 継が れて いく
。短 歌は
『ソ ライ ロノ
ハナ
一五
』の うち 最も 初期 の作 品に 数え られ る、
「春 こゝ に こゝ に 暫し の花 の酔 に まど ろむ 蝶の 夢あ やぶ みぬ
」で あり
、詩 は「 蝶を 夢む
」、 小説 は「 猫町
一六
」で ある
。「 蝶」
、「 夢」 とい った モチ ーフ は 詩、 特に
『青 猫』 期に よく 見ら れる が、 その よう にモ チー フ単 位で なく
、物 語の 構造 や構 想が
「胡 蝶の 夢」 の後 を追 って いる よう にも 読め るの であ る。 阿部 吉雄 の『 荘子
』か ら「 胡蝶 の夢
」の 訳一
を七
引 用す る。 かつ て荘 周が 夢の 中で 胡蝶 とな りま した
。ひ らひ らと 飛び 廻り
、 全く 胡蝶 にな りき って いま した
。楽 しく て心 の思 うま まに 飛び 廻 って いた ため か、 自分 が荘 周で ある こと を意 識し ませ んで した
。 にわ かに 夢か ら覚 めま すと
、き ょろ きょ ろと 眼を みは って 驚い て いる 荘周 でし た。 そこ で荘 周が 夢に 胡蝶 とな った もの か、 それ と も胡 蝶が 夢に 荘周 とな った もの か、 すっ かり 分か らな くな りま し た。 しか し荘 周と 胡蝶 とは
、必 ず区 別が ある こと です
。物 の変 化、 すな わち 死と いう のは
、こ うい うこ とを 言う ので す」 この 訳の あと 阿部 吉雄 は、
「荘 子は
、死 をあ の世 に行 くと も天 国 に行 くと も考 えな い。 物の 変化 と考 える
」と 評し てい る。 この
「胡 蝶の 夢」 のス トー リー を頭 に入 れて から
「蝶 を夢 む」 を読 むと
、何 もな しに 読む のと では 違っ た印 象を 持つ こと にな るだ ろう
。
「蝶 を夢 む」 は、
「夢 をみ なが ら」
「幼 な兒 のや うに 泣い て」 いる 現実 の「 わた し」 と、
「庭 に生 える 草む らの 中で
」「 ひき がへ るの や
- 66 -
うに 泣い て」 いる 夢の 中の
「わ たし
」が 登場 する 複雑 な構 造を して いる
。ま た、
「蝶 を夢 む」 とい う題 であ りな がら
、夢 の内 容に は蝶 が関 わっ てい ない
。こ の「 蝶」 は「 わた し」 にと って どの よう な存 在な のだ ろう か。
「蝶
」に 関す る描 写は
、「 醜い 顏と その 長い 觸手
」 のほ かは 翼に 関す るも ので あり
、夢 の記 憶を たど る前 は「 大き な」
「あ つぼ つた い」
「紙 のや うに ひろ がる
」、 夢の 記憶 の後 は「 白い
」
「あ つぼ つた い」
「紙 のや うな
」と なっ てい る。 最後 に現 れる
「白 い」 とい う形 容は
、同 詩の 中で
「わ たし は白 い寝 床の なか で眼 をさ まし てゐ る。
」と 登場 して いる
。白 い寝 床と 白い 蝶の 翼、 この 取り 合わ せの ため か、 蝶が 座敷 に敷 かれ た布 団と 同化 して いる とも 考え られ る。 夢の 中よ りも むし ろ、 寝床 の中 の「 わた し」 と限 りな く近 い位 置に いる
、も しく は「 わた し」 自身 と重 なっ てい るイ メー ジで ある よう に捉 えら れる
。「 たよ りの ない 幼な 兒の 魂」 を「 わた しは 幼な 兒の やう に泣 いて ゐた
」よ り「 わた し」 の魂 をも 指し てい るも のと 考え た時
、夢 の中 では
、こ れと
「し めつ ぽい ひき がへ る」 のイ メー ジに 託さ れる
。夢 を見 なが ら泣 いて いる
「わ たし
」と
、夢 の中 でひ きが へる のよ うに 泣い てい る「 幼な 兒の 魂」 が、 その 境界 をぼ かす よう に並 べら れて いる
。こ れは
「胡 蝶の 夢」 の荘 周と 胡蝶 の関 係に 重な るよ うに 読め ない だろ うか
。こ のこ とを 踏ま える とす れば
、 はじ めと 終わ りに ある
「蝶
」の 描写 は、 中盤 の夢 が「 胡蝶 の夢
」の よう な構 造を とっ てい ると いう こと を暗 に指 示す る役 割を 果た し てい ると 捉え るこ とが でき るの では ない だろ うか
。
「蝶 を夢 む」 は、
「わ たし
」が 荘子 の「 胡蝶 の夢
」に 似た こと を追 体験 した 様子 を書
いて いる とい う解 釈も でき るだ ろう
。 小説
「猫 町」 では
、「 支那 の哲 人荘 子は
、か つて 夢に 胡蝶 とあ り、 醒め て自 ら怪 しみ 言っ た。 夢の 胡蝶 が自 分で ある か、 今の 自分 が自 分で ある かと
」と 直接 的に 書か れて いる 部分 があ る。
「胡 蝶の 夢」 の謎 を「 猫町
」で 自分 なり の翻 訳を して みせ てい る、 いわ ばオ マー ジュ 作品 とし ての 読み 方を も薦 めて いる よう な書 き方 であ る。 また
、
「猫 町」 につ いて
、小 黒貴 之の この よう な文 章が ある
。 この よう に『 猫町
』は 慣れ 親し んだ 民話
・怪 談の 類い を組 み合 わせ たよ うな 小説 だと 言え なく もな い。 昔か らあ る形 式に 似て い る。 しか しそ の似 てい るこ とが くせ 者で ある
。似 てい るか らこ そ錯 覚に 陥ら され る。 読み 直し てみ ると 主題 は異 界探 訪そ のも ので はな く別 のと こ ろに ある ので はな いか と思 われ た。 山奥 にあ る猫 の町 とい うイ ン パク トに 目を 引か れが ちだ が、 この 作品 自体 が作 中に 出て くる
「二 つの 別々 の面
」を 持っ た「 壁に かけ た額 の絵
」、
「四 次元 の世 界」 を形 作っ てい るの では ない か。
(中 略) もち ろん これ は作 中 の「 私」 が迷 い込 んだ
「町
」に 関す る記 述だ が、 この 作品 その も のに 同じ こと が言 えな いか
。読 み手 の判 断を 惑わ せる 仕掛 けを 細 部に まで 施し た「 人為 的に 構成
」さ れた 作品 なの だ。
一 八
「胡 蝶の 夢」 のよ うな 錯覚 を起 こし たこ とに つい ての 物語
「猫 町」
、
- 67 -
そし てさ らに それ を読 み錯 覚を 起こ す読 者、 とい う構 図に 巻き 込ま れて いる ので はな いか とい うこ とで ある
。朔 太郎 の作 品で は、 小説 だけ でな くも ちろ ん詩 の中 でも これ が行 われ てい ると 感じ られ る こと が多 い。 書き 手の 混乱 をた だ描 写す るの では なく
、読 み手 が同 じ混 乱に 巻き 込ま れる よう に計 算さ れて いる よう な、 極め て繊 細な 注意 が払 われ てい るの が分 かる
。「 蝶を 夢む
」も
、見 た夢 の内 容の 外に 現実 の「 わた し」 がい て、 それ を読 者が さら に外 から 眺め るよ うに 読め る。 多く の疑 問が 残さ れ、 不思 議な 余韻 が続 く。 これ によ り読 者が
、書 き手 に起 こっ た錯 覚を 追体 験で きる ので ある
。 朔太 郎が しば しば 用い る「 蝶」 のモ チー フは
、必 ずし も「 胡蝶 の 夢」 に由 来し てい ると は限 らず
、む しろ 朔太 郎固 有の イメ ージ が優 先し て読 まれ るべ きも ので ある
。杉 田泰 一が 朔太 郎の 詩語 につ いて この よう に解 説し てい る。 とこ ろで
、こ うし た「 表象 範則
」は あま りに も個 別的 で、 あま りに も主 観的 でも ある ので
、詩 人が この
「範 則」 によ って 紡ぎ だ す詩 語は ほと んど 概念 とし ては 機能 して いな い、 詩人 固有 の情 緒 的イ メー ジを 担っ た言 語で ある
。( 中略
)し かし
、そ うで ある に して も詩 が言 語藝 術で ある かぎ り、 詩語 はそ の語 が本 来も って い る概 念か ら完 全に 自由 にな るこ とは でき ない ので はあ るま いか
。
一
こ 九
の言 語の 概念 から 逃れ られ るの が「 恐ろ しく 憂鬱 なる
二〇
」の
「て ふ」 のよ うな
「音 象表 現」 であ ると 続け られ る。 ここ で「 薄暮 の部 屋」 の「 ぶむ
」と いう
「蠅 のな きご ゑ/ うた ごゑ
」が 思い 出さ れる
。
「ぶ む」 とい うの は蠅 の羽 音だ と考 えら れる ので
、
「な きご ゑ」 も鳴 き声 とい うよ りは 泣き 声だ と捉 える のが ふさ わし いの かも し れな い。
「ぶ む」 とい う音 は詩 の中 でか なり の存 在感 を発 揮し てい るが
、こ の蠅 はあ くま でも
「蠅 の幽 霊」 であ り、 つか れて 床を さま よう 力の ない 様子 も描 写さ れて いる
。実 体が 定か では ない のに その イメ ージ を色 濃く 受け 取っ てし まう 気味 の悪 さが 際立 って いる
。一 方、
「蝶 を夢 む」 の蝶 は音 をた てず にじ っと 居座 って いる 印象 を受 ける
。静 謐で いて
、「 なが いな がい 時間
」が 経過 して いる 重苦 しさ
、 厳か さも 感じ る。
「恐 ろし く憂 鬱な る」 の蝶 は集 団で けだ るく 飛び めぐ り、
『蝶 を夢 む』 に「 騒擾
二一
」と して 再録 され た『 青猫
』詩 で ある
「月 夜二
」二
の蝶 も「 生物 の群
」で ある
。そ して そこ には
「て ふ」 や「 ばた ばた
」な どの 音が ある
。堀 江信 男は
「月 夜」 の蝶 につ いて
、
「飛 翔へ のね がい と、 その ひよ わな 翼、 そし て失 墜を 予想 させ る蝶
」 と表 現し てい る。 まさ にこ の失 墜す る恐 れに つい て作 者は 極め て自 覚的 であ ると 思わ れる
。幸 福の 幻影 を渇 望す る強 いま なざ しと
、そ れに 伴わ ない 脆弱 な身 体の イメ ージ がそ こに はあ る。
「蝶 を夢 む」 の蝶 に集 団の イメ ージ はな い。 一匹 でひ っそ りと そこ にい る。 朔太 郎の 詩に は動 植物 や昆 虫の イメ ージ がよ く見 られ る。 その 特 徴に つい て田 中雅 史は この よう に記 して いる
。
この よう に今 見た 範囲 では
、朔 太郎 の動 物の イメ ージ を使 った
- 68 -
日喩
(区 別す ると 煩雑 なの で、 昆虫
・鳥
・微 生物 など も動 物に 含 める こと にす る) には
、人 間や 人間 が内 部に 感じ 取っ たも のが 一 方に あっ て、 その 人間 的な もの が動 物的 なも のと 混ぜ 合わ され る とい う特 徴が ある
。彼 は自 分自 身の 性的 焦燥 や孤 独や 美へ の憧 れ など を、 羽ば たく 蝶や 泳ぐ バク テリ ア(
「ば くて りや の世 界」
)や 月夜 に吠 える 犬な どを 通し て表 現す る。
二三
動物 のイ メー ジは
、人 間、 それ もお そら く作 者自 身の 分身 とし て 登場 する 例が 多い とい うこ とで ある
。そ のよ うに 読む 読者 が多 いの もま た事 実で あり
、そ れは 朔太 郎の 狙っ たと ころ と重 なっ てい ると 考え られ る。 特に 蝶な どの 羽ば たく もの のイ メー ジに よく 象徴 され てい るの は、 暗澹 たる 憂鬱
、哀 愁と いう 主観 的な 感情 であ る。 しか し、
「恐 ろし く憂 鬱な る」 や「 月夜
」の 集団 の蝶 が羽 ばた いて いく イメ ージ と、
「蝶 を夢 む」 の静 かに 居座 る一 匹の 蝶の イメ ージ は、 同じ 蝶と はい え必 ずし も同 じ印 象を 託さ れて いる とは 考え がた い。 前者 の蝶 は、 憂鬱 が分 解さ れど こか へ運 ばれ てい くこ とへ の望 みが 表れ てい るよ うに 感じ られ る。 それ に対 し「 蝶を 夢む
」の 蝶は
、今 まさ に憂 鬱の 夢を 見せ てい る重 苦し くの しか かる 蝶で ある
。こ れが 先に 述べ た通 り、
「白 い寝 床」 のイ メー ジと さら に重 ねら れて おり
、 大き な蝶 が觸 手を 伸ば し「 わた し」 にど っし りと のし かか り、
「わ たし
」と 蝶と は一 塊に なっ てふ るえ てい るよ うに 見え る。
「蝶 を夢 む」 が詩 集の 先頭 にあ ると いう こと が、 今こ こに ある のは こう いう 種類 の憂 鬱で ある と紹 介す る効 果を 持っ てお り、 後に 続く 詩を 読む
手掛 かり にも なる
。こ の時 期の 朔太 郎の 詩の 世界 観に 導入 する 詩の 役割 を担 って いる ので はな いだ ろう か。
二
「寝 床」 のイ メー ジに つい て
二― 一
「寝 臺」 詩の それ ぞれ につ いて の解 釈
「薄 暮の 部屋
」、
「蝶 を夢 む」 の両 方に
「寝 臺」
、「 寝床
」と いっ た モチ ーフ が登 場し てい る。 この モチ ーフ は、 大正 六年 に発 表さ れた 一部 の詩 にお いて 強い 存在 感を 放っ てい る。 また
、他 の時 期の 詩に 登場 する
「寝 臺」 とこ の時 期の
「寝 臺」 の間 には 託さ れて いる 意味 合い に大 きな 差が ある
(例 えば
、大 正一
〇年 二月 発表 の「 天候 と思 想」 に登 場す る「 寝臺
」は
、今 回扱 う「 寝臺
」と 区別 され る)
。先 に論 じた 二つ の詩 以外 に中 心に 見て いき たい のは
、「 寝臺 を求 む
二四
」、
「腕 のあ る寝 臺二
」五
、「 青空 に飛 び行 く二
」六
の三 篇で ある
。ま ずこ の三 つの 詩に つい て一 つず つ見 てい き、 朔太 郎詩 の語 彙と して の「 寝床
」、
「寝 臺」 のイ メー ジを 明ら かに して いき たい
。 雑誌
『感 情』 に発 表さ れた 順に 見て いく とし て、 まず 大正 六年 二 月発 表の
「青 空に 飛び 行く
」か ら読 んで いく
。こ の詩 で「 寝床
」は
、
「あ あ かれ のか へつ てゆ くと ころ に健 康が ある
。/ まつ 白な 大き な幸 福の 寝床 があ る。
」と 登場 する
。「 かれ を走 らし めろ 遠く 白い 浪の しぶ きの 上に まで
。」 から
、こ の白 い浪 のし ぶき が真 っ白 な寝 床の イメ ージ と重 なっ てい ると 考え られ る。
「浪
」は 他の 詩に もよ
- 69 -
く見 られ るモ チー フで
、こ こで は「 寝床
」と 結び つけ られ てい るが
、 例え ば「 群集 の中 を求 めて 歩く
二
」七
では
「都 会の 群集 の流 れ」 のイ メー ジが 託さ れて いる
。『 青猫
』前 期の 頃の この よう なイ メー ジた ちは
、幸 福の かた ちを 模索 して いる 段階 で様 々に 見た 幻影 のよ うで ある ま 。 た、 この
「か れの 大き な幸 福の 寝床
」と
、後 に出 てく る「 私の ちひ さな 幸福
」と が対 比さ れて いる
。こ こで
「寝 臺を 求む
」の 娘た ちの
「さ うし て白 い大 きな 寝臺 の中 で小 鳥の やう にう づく まる
」様 子や
、男 たち の「 いつ も悲 しみ にみ ちて 大き な人 類の 寝臺 を求 める
」 様子 が思 い出 され る。 自分 が追 い求 める 幸福 の幻 影、 そし てそ れを 既に 叶え てい るよ うに 見え る他 者を 羨む 気持 ちが 表れ てい る。
「青 空に 飛び 行く
」の
「か れ」 の現 状に 幸福 があ ると は言 いが たい が、
「私 をは なれ て」
「か へっ てゆ くと ころ
」に
「幸 福の 寝床
」が 確か にあ る。 少な くと も「 私」 には そう 思わ れる とい うこ とで ある
。
「私
」 が確 実に 幸福 を手 に入 れら れる
「か れ」 に対 し羨 望や 執着 を見 せて いる とい うよ うに 読め るが
、一 方で
、「 かれ
」が
「私
」か ら遠 ざか るこ とで 幸福 を手 にす ると 自分 に言 い聞 かせ
、さ びし さを 大袈 裟に 誇張 して いる よう にも 見え る。 次に
、「 寝臺 を求 む」 を読 む。 先に も述 べた が、
「寝 臺を 求む
」に は、 娘た ちの
「さ うし て白 い大 きな 寝臺 の中 で小 鳥の やう にう づく まる
」様 子と
、男 たち の「 いつ も悲 しみ にみ ちて 大き な人 類の 寝臺 を求 める
」様 子の 対比 があ る。 何度 も「 寝臺
」の 語が 繰り 返さ れ、 かな り直 接的 に求 めて いる こと が表 現さ れて いる
。一 見す ると
「寝
臺」
、そ して それ を持 つと いう
「娘 たち
」に 対し て自 分自 身の 理想 を投 影し
、求 めあ ぐね てい るよ うに 読め る。 しか し、 この 詩の 一層 不穏 なこ とに は、 ある 違和 感を 持た せた 表現 が散 見さ れる ので ある
。 まず 最初 から
「寝 臺」 は「 悲し い」 と形 容さ れて いる
。こ の寝 臺は あた たか く大 きく て美 しい もの だが
、同 時に 悲し いも ので もあ るの だ。
「私 たち 男」 にと って 手に 入ら ない もの だか ら「 悲し い」 のか
、 寝臺 の中 にあ る「 いぢ らし い感 情の ため いき
」が
「悲 しい
」と 思わ せる 根源 なの か、 様々 に考 えら れる だろ う。 また
、美 しい とさ れる 娘た ちで ある にも かか わら ず、
「猿 に似 たち ひさ な手 足を もつ
」の であ る。 この
「猿 に似 た」 とい う表 現は
、一 般に 美し さを 表す 場合 には 用い られ るこ とが 少な い。 この 表現 につ いて
、平 田利 晴は この よう に書 いて いる
。 とこ ろが
、詩 篇全 体の こう いう 雰囲 気の なか にあ って
、〈 小鳥 の やう にう づく まる
〉〈 娘た ち〉 のそ の〈 手足
〉が
〈猿 に似 た〉 と 表象 され てお り、 これ がわ れわ れに とっ ては 違和 感を とも なっ て迫 って くる のだ
。詩 篇全 体の
〈娘 たち
〉を 賛美 する 雰囲 気の な かで
、そ の雰 囲気 がす んな りと 理解 でき るだ けに
、な おこ の句 が奇 異に みえ るの だ。 そう して
、そ うい う奇 異な 印象 によ って
、
〈猿
〉の もつ イマ ージ ュが さか しら
・狡 獪と った 意味 に結 びつ いて ゆく のだ
。( 中略
)そ のう え〈 娘た ち〉 は、 たと え〈 猿に 似〉 てい よう と、
〈白 い大 きな 寝台 の中 で小 鳥の やう にう づく まる
〉
〈手 足〉 をも つ。 けれ ども
〈私 たち 男〉 はそ うい う〈 手足
〉を も
- 70 -
たな いの であ つて
、〈 娘た ち〉 を〈 奴ら
〉と いっ たふ うに 軽蔑 す る以 前に
、〈 娘た ち〉 の〈 寝台
〉に
〈う づく まる
〉た めの その 資 格す らも って はい ない ので ある
。二 八
娘た ちに 羨望 と軽 蔑の 入り 交じ った 視線 を向 けな がら も、 その 娘 たち が持 つ「 寝臺 にう づく まる 資格
」さ え、 この 男た ちは 持た ない
。 ただ 娘た ちが 自分 たち より 優れ てい るも ので ある と表 現す るの で はな く、 どこ かし らじ らし い、 胡散 臭い と感 じて いる 気持 ちも 垣間 見え るよ うに 描写 され てい る。 それ にも かか わら ず、 その 娘た ちに 対し
、疲 れた 魂を 癒す 寝臺 を持 たな いと いう 点で
「私 たち 男」 は大 きく 劣っ てい る。 この こと を強 調し てい る表 現が
、違 和感 とし て読 者に 引っ かか ると いう こと では ない だろ うか
。 朔太 郎は
、詩 人の 室生 犀星 につ いて 雑誌
『感 情』 にこ のよ うに 書 いて いる
。 室生 の淫 売婦 に対 する 時、 いつ も野 獣の やう な烈 しい 色情 で対 手を うち のめ しそ れか らま た烈 しい 愛憐 と羞 恥と をも つて 寝臺 から とび おり る。 彼は 時と して 女王 を見 るや うな 眼付 をし て此 のみ じめ な異 性を 仰ぎ 見る こと があ る。 彼ほ ど淫 売婦 に対 して 高貴 な敬 愛の 感情 と親 切な 友情 とを もつ て居 る詩 人は ない
。二 九
犀星 に対 して この よう に評 価す ると いう こと はも ちろ ん、 朔太 郎 自身 はそ のよ うに なり きれ ない と感 じて いる とい うこ とだ ろう
。こ
の文 章に も「 寝臺
」が 登場 する
。寝 臺か らと びお りる とい うこ とは
、 一度 寝臺 の上 に乗 って いる 状態 があ ると いう こと であ る。 あえ てこ れを
「寝 臺を 求む
」の 世界 の延 長で ある かの よう に読 むと
、男 たち は寝 臺を 持た ない が娘 たち が持 つ寝 臺を 認め るこ とを 選択 する こ とは でき
、そ の自 分の 持た ない 価値 を相 手が 持つ とい うこ とを 認め るこ とこ そが
、寝 臺を とび おり るこ とに 相当 する と読 むこ とも でき ない だろ うか
。し かし
、こ の犀 星に つい ての 文章 にも また
、冷 やか すよ うな ニュ アン スが 垣間 見え
、手 放し で絶 賛し てい るの とは わけ が違 うこ とも 押さ えな けれ ばな らな い。
「腕 のあ る寝 臺」 は、
「寝 臺」 の語 が繰 り返 され る「 寝臺 を求 む」 と極 めて 似て いる 作品 であ る。 しか し、
「寝 臺」 を擬 人化 して いる よう な表 現が 多く
、ま た「 寝臺 を求 む」 で感 じら れた よう など こか しら じら しい 不穏 な気 分が あま り感 じら れな いの が特 徴で ある
。や はり この
「寝 臺」 は自 分の もの では なく
、憧 れの 対象 とし て渇 望さ れる
。こ の寝 臺に 対し 求め てい る条 件は
、「 薄暮 の部 屋」 で「 戀び と」 に対 し求 めて いる 内容 と重 なる 部分 があ るの では ない だろ うか
。
「寝 臺」 とい う語 に、 孤独 が癒 され るイ メー ジが 託さ れて いる と考 えら れる
。そ のよ うに
「寝 臺」 の印 象を 固定 して いく とす れば
、「 蝶 を夢 む」 の「 寝床
」は 極め て救 いの ない 場所 であ る。 先に も記 した とお り、
「蝶 を夢 む」 は「 こう いう 種類 の憂 鬱を 抱え てい る」 とい うこ とが 分か りや すい 詩に なっ てお り、 詩集 の先 頭と して 優秀 な役 割を 果た して いる と考 えら れる
。こ の後 に続 く詩 であ る「 腕の ある 寝臺
」で
、こ の憂 鬱、 孤独 から 解放 され たい と願 って いる よう に読
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みや すく
、や はり 考え られ た流 れで ある と考 える
。
「腕 のあ る寝 臺」 には
、初 出時 のタ イト ルが
「ま ぼろ しの 寝臺
」 であ るほ か、 細か い本 文異 同が いく つか 存在 する
。そ の中 でも 重要 と思 われ るの が、
「そ れに も知 れぬ 遠方 に見 え」
、「 あと かた もな く 失は れた る」 とい う表 現が 削ら れた こと であ る。 この
、絶 対に 手に 入ら ない とい う激 しい 絶望 を感 じる 表現 が無 くな った こと で、 少し 淡々 とし た印 象を 与え る詩 に変 化し てい る。 堀江 信男 が詩 集『 蝶を 夢む
』に つい て書 いて いる 文章 の中 に、
「寝 臺」 のイ メー ジを まと めて いる 箇所 があ る。 やす らぎ の寝 臺は 幻で あり
、飛 翔も まま なら ない まま に灰 色の 道を 歩む 憂鬱 な感 情が
、こ の章 の重 い導 入部 を形 成す る。
「青 猫」 に収 めら れた
「寝 台を 求む
」と 類想 同工 の「 腕の ある 寝台
」は
、
「生 命の よろ こび
」を 与え てく れる 寝台 を夢 想し なが ら( 中略
) 寝台 は幻 であ るこ とを
、憂 愁に みち た韻 律で うた う。 やす らぎ
、 健康 への あこ がれ
。し かし 詩人 はそ れら から 見放 され た存 在で ある
。三
〇
「そ れに も知 れぬ 遠方 に見 え」
、「 あと かた もな く失 はれ たる
」と いう 表現 が削 られ よう とも
、こ の「 寝臺
」が 手に 入ら ない もの だと いう 読み は十 分に でき る。
二― 二
『青 猫』 前期 の「 寝臺
」に 着目 して
これ まで
、『 青猫
』前 期に
、自 分の 物に はな らな い明 るく 健康 な 幸福 の幻 影を 追い 求め るイ メー ジが 集中 して おり
、そ の幻 影の 一つ が「 寝臺
」で ある とい う読 みを 進め てき たが
、こ の「 寝臺
」が 頻出 する 大正 六年 は朔 太郎 にと って どの よう な年 であ った とい える の だろ うか
。大 正六 年、 朔太 郎は 雑誌
『感 情』 への 寄稿 を増 やし てい る。
「寝 臺」 詩と して 先か ら注 目し てい る五 つの 詩、
「蝶
」、
「青 空に 飛び 行く
」、
「寝 臺を 求む
」、
「腕 のあ る寝 臺」
、「 薄暮 の部 屋」 のう ち、
「薄 暮の 部屋
」以 外の 四篇 が雑 誌『 感情
』に 掲載 され たも のだ
。こ の年 の二 月、 詩集
『月 に吠 える
』の 刊行 があ り、
『感 情』 の第 二巻 第一 号や 第二 号に は、
『月 に吠 える
』に 収録 した 詩と 後に
『青 猫』
、
『蝶 を夢 む』 に収 録さ れる こと にな る詩 が並 べて 掲載 され てい る。 朔太 郎に とっ て大 正六 年は
、詩 の時 代の 過渡 期と いえ るだ ろう
。ま た、 二月 に『 月に 吠え る』 が刊 行さ れた 直後
、「 愛憐
」と その 続き のペ ージ にあ った
「恋 を恋 する 人」 が風 俗壊 乱に あた ると され
、警 視庁 から 発売 中止 の内 達を 受け ると いう 事件 があ った 室生 犀星 が
『感 情』 第二 号に
「萩 原の とこ ろを 方方 から 知ら せて くれ と云 つて くる が同 君は 相州 鎌倉 長谷
、海 月樓 にゐ る三
」一
と書 いて いる とお り、 この 時期 に朔 太郎 は鎌 倉に 滞在 して おり
、風 俗壊 乱問 題が 起こ った 時も 鎌倉 にい たと いう
。第 一詩 集で ある
『月 に吠 える
』の 出版 に際 して つま ずく こと にな って しま った が、 売れ 行き 自体 は極 めて 良好 であ り、 朔太 郎に とっ ては
、自 らの 詩が 世に 広ま って いく 大き なき っか けと なる 出来 事で あっ た。
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『月 に吠 える
』で は、 自ら の憂 鬱や 孤独 を捉 えき るこ とが 出来 ず にも てあ まし てい るよ うな 詩風 がう かが える が、
『青 猫』 の前 期の 頃に は、 自分 の救 いの 方向 を仮 想で はあ るが 見つ け、 それ を求 めて いる よう に読 める 詩が 多い
。『 月に 吠え る』 刊行 のタ イミ ング でこ の仮 想の 救い を表 すも のと して
「寝 臺」 など のモ チー フが 登場 した のだ と考 えら れる
。自 らの 感情 につ いて
、手 に取 って 扱え るよ うに
、 様々 に仮 定し てい る様 子こ そが
、『 青猫
』前 期の 詩に 見ら れる 詩人 の姿 であ る。 朔太 郎は 詩の 表現 につ いて の考 え方 とし て、
「ぴ つた りし てゐ る とい うこ とは
、比 喩を 脱し て象 徴の 域ま で進 んだ 表現 を言 ふの であ る三
」二
と表 して いる
。こ の例 とし て「 墓穴
」が 挙げ られ てい たが
、
『青 猫』 前期 の「 寝臺
」も 例外 でな く、 その
「象 徴の 域ま で進 んだ 表現
」と して 用い られ てい たの では ない かと 考え てみ る。 それ が何 を象 徴し てい るか とい えば
、魂 に棲 みつ いた 憂鬱 を分 解し
、昇 華し
、 癒し
、取 り除 くた めの キー アイ テム であ る。 しか しこ れは いく ら求 めて も手 に入 らず
、希 望に 向か わせ る象 徴で ある よう に見 えて 実際 のと ころ は、 幸福 が永 遠に 訪れ ない こと の象 徴を も内 包す る、 絶望 のイ メー ジで ある
。し たが って
、求 めて 理想 を語 れば 語る ほど に虚 しく 響き
、遠 ざか って いく ので ある
。し かし
、こ の「 寝臺
」は
、「 ぴ つた りし てゐ る」 とい える のだ ろう か。
「象 徴の 域ま で進 んだ 表現
」 とは いえ
、「 ぴつ たり して ゐる
」と いう には 意味 が絞 れず
、輪 郭が ぼや けた 印象 を受 ける
。詩 篇ひ とつ ひと つに とっ ての
「寝 臺」 の語 彙が いか にぴ った りし てい よう とも
、そ の語 彙の 用例 を集 めて みる
と、 読み 方は 広が るが
、イ メー ジが 不安 定な もの にな って しま う。 その ため
、『 青猫
』に 収録 され てい るも のと
『蝶 を夢 む』 に収 録さ れて いる もの とに 分か れて いる こと で、 読み の揺 れが 抑え られ るよ うに 操作 され てい るの では ない だろ うか
。意 図的 に行 われ たこ とだ とま では 考え られ ない とし ても
、詩 の収 録順 によ り読 者が 受け 取る 印象 は変 わる もの だろ う。 ここ で、
『青 猫』 前期 の朔 太郎 詩を 読む ため の手 がか りと して
、平 田利 晴の 文章 を引 用す る。 外在 的な 世界 との かか わり をも たず
、そ のう え自 分の 内面 的な 世界 でも 自己 疎外 にお ちい ると いう
、自 己の 存在 の場 をも とめ よう のな いと ころ に、
『青 猫』 前半 期の 詩人 はい る。 そう して
、
『青 猫』 前半 期の 詩人 は、 まさ しく
、そ うい う二 重に 疎外 され て 混沌 とし た人 間存 在の あり よう を、 そう いう あり よう その まま のか たち で形 象化 した ので ある
。三 三
また
、安 藤靖 彦は まず
「沖 を眺 望す る」 を例 にあ げて から
、こ の よう に書 いて いる
。 ここ には
、幸 福が 幻影 のそ れと して いわ ば閉 ざさ れた もの とし てで あれ
、そ れを なお 求め ると いう 朔太 郎な りの 出発 の意 図が ある
。( 中略
)そ うい う目 で見 るな ら、 前記 詩篇 のそ ここ こに
「求 める
」と いう 形の 出発 の形 式を 見つ ける こと がで きる
。三 四