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古代ギリシアにおける徳育について

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はじめに

 道徳教育の目標は,『中学校学習指導要領』によれば「よりよく生きるための基盤とな る道徳性を養うこと」1であり,近年道徳の教科化(「特別の教科 道徳」,以下「道徳科」

とする)が決定されるなど様々な充実策が取られている。道徳の時間の時代と同様,道徳 科の内容も『学習指導要領』に定められており,小学校と中学校では道徳科を要としなが ら学校の教育活動全体で道徳教育に取り組むこととされており,道徳教育は高等学校にお いても,教科ではないものの,公民科の「公共」や「倫理」,特別活動が中核的な指導場 面であることに配慮するよう定められている。2

 日本においては,近代的な学校制度が成立して以来,道徳が教育課程に組み込まれてき た。しかし,そもそも道徳が教えられるものであるかという問題は,古代ギリシアから連 綿と続いている。林は,道徳が教えられるか,教えられないか,その立場の違いによって 道徳教育のアプローチは異なり,20 世紀後半からは両方の立場を融合させた進歩主義的ア プローチが取られていると指摘しており,モラルジレンマ授業や価値明確化,モラルスキ ルトレーニング授業などがこれに数えられる。3モラルジレンマ授業の基盤となった道徳 性発達理論を考案したコールバーグは,徳は教えられないという立場に立ち,ディスカッ ションを中心とした授業方法を考案した。こうした進歩主義的アプローチは,新しい道徳 教育の方向性である「考え,議論する道徳」に適うものと言えよう。また,2017・2018 年 改訂の学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が基本的理念とされているが,対 話による学びには古代ギリシアにおいてソクラテスが知恵ある人々と問答を交わして哲学 を実践していたことが示唆を与えると考えられる。4

古代ギリシアにおける徳育について

─プロディコス「ヘラクレスの選択」を例として─

田中 奈津子

1 文部科学省『中学校学習指導要領(平成 29 年 3 月告示)(東山書房,2018 年),19 頁。

2 文部科学省『高等学校学習指導要領(平成 30 年 3 月告示)(東山書房,2019 年),31 頁。

3 林泰成『新訂道徳教育論』(放送大学教育振興会,2009 年),11-12 頁。

4 主体的・対話的で深い学びとはアクティブ・ラーニングを指すが,鵜飼はこれを教育原理的に 検討している。鵜飼篤『対話的な学び』の教育原理的考察―ソクラテスの実践を参考に考える―」

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 ソクラテスのこのような思想は,当時流行していたソフィストの教育に対置されるもの であった。ソフィストとはギリシア各地を巡回し,金銭と引き換えに教育を行う職業教師 であった。アテナイのような都市国家では市民によって肯定的に受け入れられたが,ソク ラテスやプラトンは彼らに批判的であり,それはプラトンの対話編から看取できる。しか し,ソクラテスは自らが批判するソフィストとして非難され死刑に処されることになる。

このことをきっかけに,プラトンはソクラテスがソフィストではなく哲学者であったこと を対話篇で論証した。5

 プラトンは西洋哲学の源流であり,その哲学が明治以降日本に導入され,日本における 道徳教育の基礎となったことを考えると,彼の批判したソフィストやその思想について考 えることは道徳教育についての視野を広げ,知見をさらに補完できるだろう。

 そこで,本稿ではまず,ソフィストについて概観した上で,ソフィストの一人であるプ ロディコスの徳育に着目してその内容や特徴を考察したい。

1.ソフィスト

 ソフィストとは,「知者」を意味し,専門的な知識を持つ人などを広く指すものであっ た。その後,前 5 世紀後半からは,報酬を受け取り教授活動をする職業教師のことを指す ようになる。彼らはギリシア世界の周辺部の出身で,主にアテナイを活躍の場とした。ア テナイでは政治に参加する資格を持つ市民による直接民主制がとられており,市民たちは 広場に集まり,議論を通じた合意によって物事を決定していった。そのため,自分の意見 や政策を他の多くの人々に説得力をもって訴えかける術が必要とされるようになった。そ うした弁論術を教えることを担ったのがソフィストであった。アテナイにおいて弁論術は 市民にとって必須の教養とみなされ,したがって,その知識を持ったソフィストたちが重 宝されたのである。そのような需要から,ソフィストたちによる教育は,生活の場面です ぐに使用できるような実践的・実用的な知識を注入することに重きが置かれていた。

 有名なソフィストにはプロタゴラス(トラキア地方南部の都市アブデラの出身。前 494/488-424/418)やヒッピアス(ペロポネソス半島のエリス出身。生没年不明),ゴルギ アス(シチリアのレオンティヌム出身。前 490 頃-385 頃),プロディコス(ケオス島のイ ウリス出身。前 5 世紀後半-4 世紀初めに活動)などがいる。

 アテナイのような民主国家とソフィストたちの出現により,知は誰にとっても身近なも のとなり,知の民主化が進んでいった。しかしソフィストたちの教育は,既存の道徳観に

5 納富信留『ソフィストとは誰か?』(筑摩書房,2015/2020 年),137 頁。

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縛られない相対主義を生じさせ,伝統的な価値観を揺るがすものとして非難された。これ に特に与したのはプラトンであり,今日まで残る「詭弁家」というソフィストの悪名の流 布に果たした彼の影響は大きい。

 こうして職業教師としてのソフィストの活動は表舞台から遠ざかっていくが,彼らの得 意とした弁論術は後世に引き継がれ,アリストテレスはこれを哲学的に体系化し『弁論術』

としてまとめ,キケローによって弁論術はローマに定着し,ルネサンスへと受容されて いった。6

 3 世紀に執筆された『ソフィスト列伝』では,ソフィストを前 5 世紀に遡る古期ソフィ スト(第 1 巻)と,2 世紀以降の新ソフィスト(第 2 巻)に分けており,特に後者に焦点が 当てられている。両時代のソフィストは性格が異なっており,ローマ時代のソフィストた ちは古代のソフィストたちと異なり,皇帝などから勅命を受け定住して教授活動を行い,

社会の指導的役割を果たすものも出てきた。7

 ソフィストが再び注目を集めるのは 19 世紀になってからで,ゴルギアスの弁論術の再 評価などが近年盛んになり,ソフィストを積極的に評価し復権させようとする動きが見ら れるという。8

2.ソフィストの教育目的,方法と内容

 さて,古代ギリシアのソフィストは職業教師であったが,彼ら自身による著作は殆ど残 されておらず,その教育目的や内容,方法については,皮肉にも彼らに敵対したプラトン を始めとする同時代の人々の記述によって知ることができる。

 プラトン『プロタゴラス』9によると,著名なソフィストの一人であるプロタゴラスは,

自分から学べるものは「身内の事柄については最もよく自分の一家を斉ととのえるの道をはかり,

さらに国家公共の事柄については,これを行なうにも論ずるにも,最も有能有力の者とな るべき道をはかること」,すなわち「国家社会のための技術」であり,それによって「国 家社会の一員としてすぐれた人間をつくる」ことが教育の目的であるとしている。(318E

-319A)

6 今井康雄編『教育思想史』(有斐閣,2009 年),21-23 頁。

7 ピロストラトス/エウナピオス『哲学者・ソフィスト列伝』(戸塚七郎・金子桂司訳,京都大 学学術出版会,2001 年),380-381 頁。なお,『ソフィスト列伝』の作者であるプラウイオス・

ピロストラトス(レムノス島出身。170 年頃− 249 年頃)は,世襲的にソフィストを職業とした 一族の出身で,彼もまたソフィストであった。

8 納富,前掲書,33-37 頁。

9 プラトン『エウテュデモス/プロタゴラス』(山本光雄・藤沢令夫訳,岩波書店,1975 年)を 参照した。

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 これに対し,ソクラテスはプロタゴラスが教えることができるとしている内容は徳性で あるが,徳は人間には教えることができないものである,もし教えられうるものであると すればそれについて説明してほしいと彼に問う。(319A-320C)

 プロタゴラスはプロメテウスの物語を用いて説明を行ない,生活のための技術と国家社 会のための技術とは区別されることを示す。国家を成り立たせるためには正義と節制と経 験を人間は持たねばならず,これを徳性とすると,人は生まれながらにこれを備え,幼少 の頃から家族や学校や国家によって教育されている。つまり,徳は持っているだけでは不 十分で教育が必要であり,いわばあらゆる人が徳の教師なのであるが,彼ら以上のことを プロタゴラスは教えることができるため,報酬に値する得難い教師なのであるという。

(320D-328C)

 この後もソクラテスによる追及は続くが,ここでプロタゴラスは徳が教えられることと 自分がそれを教えられることを雄弁に語っている。

 一方ゴルギアスはソフィストとして認識されているものの,本人は自分を徳の教師だと は宣言せずに,弁論を教える者であると自称していた(プラトン「メノン」(95C))10。 彼が教える弁論術とは,言論によって人を説得する術であった。つまり,他人を支配する 力を持つようにするということであるが,そうした力をゴルギアスは徳と考えており,彼 の認識とは異なり実際のところゴルギアスはソフィストであったと考えられる。11

 ところで,ゴルギアスは即興演説を得意としており,ピロストラトスによると即興の創 始者とも言われているが,これはプロディコスを非難し,彼に対抗して始めたものであっ たという。プロディコスは『プロタゴラス』の登場人物の一人であり,ソクラテスとの対 話も描かれている。プロディコスは「ヘラクレスの選択」あるいは「岐路に立つヘラクレ ス」と呼ばれる説話で好評を博しており,ギリシア各地で同じ話を繰り返していたが,ゴ ルギアスはこれを馬鹿にし,自分は決して同じ話を聞かせないということを自慢にし,そ の都度の状況に合わせて即興で演説することに専念することにしたという。12

 ここまで,ソフィストによる徳育の目的と方法を見てきたが,プロディコスの教育活動 はソフィストの教育内容の一端を知るのにふさわしいと思われ,また,物語による徳育と いう形式は日本における道徳教育と親和性が高いものである。そこで,次にプロディコス による「ヘラクレスの選択」について詳しく見ていきたい。

10プラトン『ゴルギアス/メノン』(加来彰俊・藤沢令夫訳,岩波書店,1974 年),318 頁。

11納富,前掲書,98-99 頁。

12ピロストラトス/エウナピオス,前掲書,10 頁。

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3.プロディコス「ヘラクレスの選択」

 プロディコスはケオス島の出身で,外交使節としてギリシア各地を訪れ,公的な講演と 私的な講義(有料)の両方を行っていた。プロディコスは自分の講義を等級によって定め ており,ソクラテスは自分も一番安い講義を聞いたと述べている。13

 『プロタゴラス』における描写からも明らかなように,プロディコスは言葉の意味の諸 相の厳格な区別と使用にこだわった学者として有名で,ある種の言語学を確立させたとさ れる。14また,人間は有益なものを神とみなしたとする宗教思想の断片も残されている。15  『ホーライ』という著作があり,これに「ヘラクレスの説話」が収められていたとされ るが16,現在この説話を伝えるのはピロストラトスやクセノフォンの著作であり,後者に よる『ソクラテス17の思い出』により詳しい。以下,説話に関わる部分18を確認したい。

 「ヘラクレスの選択」は『ソクラテスの思い出』第 2 巻でソクラテスと弟子との対話の 中に現れる。この部分でソクラテスはアリスティッポスという弟子と対話しており,そこ では統治者にとっての自制心や忍耐がテーマとなっており,ソクラテスはヘシオドスやエ ピカルモスの言葉を引用したあとで,自分が記憶しているプロディコスの説話を語り聞か せる。

 ヘラクレスはギリシア一の英雄とされるが,その彼が子どもから青年になろうとする時 期,すなわち美徳の道を歩むか悪徳の道を歩むかを選択する時期の話とされている。彼が どちらの道を歩むべきか静かな場所に赴き思案していると,二人の女性が近づいてくる。

一人は容貌端麗で高貴で慎み深く純白の衣をまとい,もう一人は化粧を施し外見に過度に 気を配り,自分を絶えず眺め周囲の視線を気にしている。

 後者がまずヘラクレスに近づき,自分を友とすれば最もたのしく楽な道に案内し,あら ゆる楽しみを味わい,苦労を嘗めずにすみ,戦争などの面倒事は考えずに,食事や愛や睡

13ソクラテスは自分を,おそらく戯れに,プロディコスの弟子と称するのが常であったという。

プラトン『ゴルギアス/メノン』,322,323 頁。96E,田中美知太郎『ソフィスト』(講談社,

1976 年)46,48 頁。

14ドミニク・フォルシェー『年表で読む 哲学・思想小辞典』(菊地伸二・杉村靖彦・松田克進訳,

白水社,2001/2005 年),47 頁。納富,前掲書,97 頁。

15納富,同前。プロディコスの宗教思想については以下を参照。中澤務「ソフィスト・プロディ コスの宗教思想」『関西大學文學論集』第 67 巻第 3 号,2017 年,95-123 頁。

16フォルシェー,前掲書,47 頁。

17佐々木理による同書の翻訳では,人名に関して「クセノフォーン」「ソークラテース」「アリスティ

ポス」という表記が用いられているが,本稿の本文中では,「クセノフォン」「ソクラテス」「ア リスティッポス」という慣例的な表記に統一する。

18クセノフォーン『ソークラテースの思い出』(佐々木理訳,岩波書店,1953/1970 年),68-82 頁。

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眠を骨を折らずに手に入れることだけ考え,心身の労苦なくあらゆるところから利益を得 る権利を与えようと語りかける。

 ヘラクレスはこれを聞いてから彼女に名前を尋ねると,彼女は自分を友とする者には

「幸福」,嫌う者には「悪徳」と呼ばれていると答える。

 もう一人の女性も追いつき,ヘラクレスの両親を知っていると語り始め,自分の道を歩 むのであれば優れた功績を残す人物となり,それによって自分の声望もより高まることを 期待すると述べる。そして,真実を語るとして,世の中の善美は苦労せずには手に入らな いよう神々に定められていると告げる。もしその恩寵を得たいのであれば,神々を崇拝し 国家に忠誠を尽くし,友人から親愛を得られるよう努め,戦争で武勲をたてるためには戦 術を学び修練し,心身を鍛えなければならないと主張する。

 これに対し,「悪徳」は「美徳19」の述べた内容は喜びへの険しく遠い道であり,自分 なら幸福への楽な近道を案内できると自分を選ぶようヘラクレスに問いかけるが,「美徳」

は「悪徳」が挙げた事柄に一つ一つ対立する内容を述べていく。

 「悪徳」は善いものを持たず,楽しみも知らないとし,欲しくもないものを望み,努力 をしないよう友を教育するがゆえに,神々から見離され,善き人間からは馬鹿にされてい る。そのような「悪徳」は誰にも信用されないだろう。しかし,私(「美徳」)は神々にも 人間にも尊ばれている。自分のもとでは人は忍耐と努力によって暮らすことで楽しみを感 じることができている。自分を選んでこそ人は愛や幸せを感じ,尊敬を得られ,死後も栄 誉とともに記憶に留められると述べる。

 以上がプロディコスによる美徳による教育の話であり,彼は自分よりももっと絢爛な言 葉をもって語ったとソクラテスは語り,アリスティッポスにもこの説話をよく心に留める よう告げる。

 この説話は,内容形式ともに伝統的であり,それを雄弁の形式に翻訳してみせただけで 徳育の成功や進歩には貢献しないという批判があるが20,伝統的な教えにプロディコスの 考える人間の善や幸福に関する把握が人間生活の事実に基づきなされており,ソクラテス 的な把握と異なる点に意義が認められるとするものもある21

 「ヘラクレスの選択」では,悪徳に名前を尋ねる以外,ヘラクレスは発言しておらず,

説話の最後は美徳が自分の道を選択することの正しさの主張で終了しており,彼がどちら の道を選んだのかについての言及はない。また,ソクラテスもアリスティッポスに対して,

19文中でもう一人の女性は名乗っていないが,悪徳に対して美徳とされている。

20田中,前掲書,107-109 頁。

21松本厚「プロディコスの『岐路のヘラクレス』について―ソフィストの徳育の一考察―」『広島 大学文学部紀要』22(1),1963 年,61-62 頁。

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この説話を心に留め将来の生活に配慮することが重要であると説くのみである。

 このような説話の構成は,ヘラクレスのような英雄であれば当然悪徳を退け美徳の道を 選択するものという暗黙の了解があるためとも言えるが,その英雄はそもそもどちらの道 を進むか悩んでいるのである。ギリシア一の英雄にとっても徳に関する選択は難しいもの であるのだから,人間にとってはなおさらであることがまず示されており,結論は明らか であるとしてもそれを明言しないことで,どのような人生を送るかを判断する主体が人間 であることがこの結末によって示唆されていると見ることができるだろう。

 したがって,プロディコスによる徳育はプロタゴラスのように「国家社会の一員として すぐれた人間をつくる」ことや,ゴルギアスのように弁論において相手よりすぐれると いった結果を保証するものではなく,よりよく生きるためには何が必要であるかを自分で 選択することを指し示す助成的な教育であると言えるのではないだろうか。

おわりに

 ソフィストの時代の徳育は,すぐれた人間を作るために行われ,市民としての教養=徳 を身につけることを目的としていた。アテナイ市民にとってそれは弁論術など実用的なも のであったが,ソクラテスにとっては徳の部分ではなく徳そのものの本質を対話しながら 追求していくことが重要であった。『プロタゴラス』において,ソクラテスとプロタゴラ スは徳についての対話により,最終的に徳とは知識であるという一応の結論に至る。

 ソクラテスにとって,それは何か特定の事柄に関する知識ではなく,「善美のことがら」

や「大切なことがら」「正義」に関する普遍的なものであり,徳についての知識を指して いた。そして,このような知識は人間ではなく神のみが所有できるものであった。だから,

ソクラテスにとって,知識とはソフィストたちのように教えることのできるものではな く,また,自ら生み出したり所有したりすることのできるものでもなかった。彼にできる のは,無知の知を人々に自覚させることだけであった。その上で最高の知識,すなわち徳 に留意し,魂を気遣い自己自身をよりよくすること,よく生きることが人間のなすべきこ とであると人々に説いて廻ったのである。

 しかし,徳を総体として把握するためには,何が善美であるか,何が大切とされるのか といった徳の部分を知っていることもまた必要であるように思われる。そのためには,プ ロディコスのような説話もまた有用ではないだろうか。

 もっとも,「ヘラクレスの選択」で挙げられている美徳や悪徳がどの時代や社会,文化 にも共通のものであるとは限らないが,善と悪という二項対立には普遍性がある。善悪の 判断や善悪の間の争いはどのような時代にも見られるもので,例えば 4 世紀の詩人プルデ

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ンティウスによる『プシュコマキア』ではキリスト教的な美徳と異教的な悪徳との戦いが 描かれている。さらに「ヘラクレスの選択」という説話自体,ルネサンス期やバロック時 代のヨーロッパにおいて文芸作品の題材としても好まれており22,文芸作品が徳育の役割 を果たしていた可能性がある。そこでは,当然,古代ギリシアや現代の徳とは異なる徳も 表現されているだろう。「ヘラクレスの選択」を題材とする具体的な作品の検討を通じて,

後世における徳や徳育の捉えられ方を考察することについては今後の課題としたい。

22例えばデューラーやカラッチによる絵画や,J. C. バッハやヘンデルによる音楽作品が残されて いる。

(9)

【参考文献】

家入敏光「プルデンティウス『プシュコマキア』小論」『カトリック研究』53,1988 年,

25-40 頁。

今井康雄編『教育思想史』有斐閣,2009 年。

鵜飼篤「『対話的な学び』の教育原理的考察―ソクラテスの実践を参考に考える―」『東京 家政大学研究紀要』第 58 集(1),2018 年,15-23 頁。

クセノフォーン『ソークラテースの思い出』佐々木理訳,岩波書店,1953/1970 年。

クセノポン『ソクラテス言行録 1』内山勝利訳,京都大学学術出版会,2011 年。

田中美知太郎『ソフィスト』講談社,1976 年。

中澤務「ソフィスト・プロディコスの宗教思想」『関西大學文學論集』第 67 巻第 3 号,

2017 年,95-123 頁。

納富信留『ソフィストとは誰か?』筑摩書房,2015/2020 年。

Erwin Panofsky, Hercules am Scheidewege und andere antike Bildstoffe in der neueren Kunst. (Studien der Bibliothek Warburg/ hg. von Fritz Saxl, 18), B. G.

Teubner, 1930.

エルヴィン・パノフスキー「アルブレヒト・デューラーの銅版画『ヘラクレス』」『ヨーロッ パ文化研究』高木昌史訳,34,2015 年,212-196 頁。

林泰成『新訂道徳教育論』放送大学教育振興会,2009 年。

ピロストラトス/エウナピオス『哲学者/ソフィスト列伝』戸塚七郎・金子桂司訳,京都 大学学術出版会,2001 年。

ドミニク・フォルシェー『年表で読む 哲学・思想小辞典』菊地伸二・杉村靖彦・松田克 進訳,白水社,2001/2005 年。

プラトン『ゴルギアス/メノン』加来彰俊・藤沢令夫訳,岩波書店,1974 年。

プラトン『エウテュデモス/プロタゴラス』山本光雄・藤沢令夫訳,岩波書店,1975 年。

松本厚「プロディコスの『岐路のヘラクレス』について―ソフィストの徳育の一考察―」

『広島大学文学部紀要』22(1),1963 年,48-63 頁。

文部科学省『中学校学習指導要領(平成 29 年 3 月告示)』東山書房,2018 年。

文部科学省『高等学校学習指導要領(平成 30 年 3 月告示)』東山書房,2019 年。

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