ベケットの映画術 : 『フィルム』のフィルム体験
著者 木戸 好信
雑誌名 主流
号 68‑69
ページ 57‑80
発行年 2007‑11‑15
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015209
57
ベケットの映画術
『フィルムjの フ ィ ル ム 体 験
木 戸 好 信
I
画面いっぱいにクロース・アップされたパスター・キートンのまぶた.サ ミユエル・ベケット唯一の映画作品『フィルム.1(Film, 1964) 1は,映画の 先行形態である演劇の閉幕をなぞるように,このまぶたがゆっくりと開く ショットからはじまる.そのしわしわのまぶたは鵬虫類の鉱物的な襲の質感 をイ云え,そこには『キートンのセブン・チャンス.1(Seuen Chαnces,1925) でみせた若かりし頃のアクロパティックな軽やかさは微塵もなく,むしろ チャップリンとは対照的にトーキ一時代に完全に取り残された老いた喜劇役 者の憂いさえ感じ取れる.年輪を刻み込んだその化石と化したまぶたとは対 照的に,聞かれた瞳は磨きたてのレンズのように瑞々しい.しかしながら,
その眼のクロース・アップからわれわれはいかなる意味も読み取ることはで きない.どこにも焦点があっていないキートンの眼は, w裁かる、ジャンヌ』
(LαPαssion de Jeαnne d'Arc, 1928)のパッションに満ちた眼でも,
r
アンダルシアの犬.1(Un Chien Andαlou, 1928)の剃刀で切りつけられるサディ スティクな
H
艮でもなく,ましてや,r
時言十じかけのオレンジj(A Clockwork Orαnge, 1971)冒頭のアレックスの邪悪な眼でもなければ,r
めまい』(Vertigo, 1958)のタイトル・パックのキム・ノヴァクの眼のクロース。
アップのエロティックさとも無縁だ.この眼は一体いかなるものなのだろう か.
この冒頭の眼のクロース。アップについては脚本自体にはなんら指示はな
58 ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一
いが,撮影にベケット自身が立ち会い詳細な指示を与えていたことを考慮す るならばこのショットは間違いなくベケットの意向を十分に反映するもの だjベケット自身,脚本出版の際に,完成した作品に合致するようにテク スト自体を書き直すことはしなかったと述べ,なにより,初めの構想、からか なり大きくずれた唯一の箇所は街頭の場面で,結局どうしても必要な夫婦以 外はすべて削除するという形に簡単化して撮影したが,その他の部分につい ては,
r
撮影はすべて,台本の指示に忠実に従って行われたJ
(10) 3とお墨 付きを与えている.『フィルム』の冒頭,キートンのこの見開いた眼が何度かまばたきするの だが,自己言及的なタイトルが既に示しているように,それは映画の撮影カ メラのまばたきする構造そのものである.あるいはまた,それはあたかも映 画というものに対するウインクでもあるかのようだ.確かに,ジョルジュ・
メリエスが『月世界旅行j(Le Voyα:gedαns lαLune, 1902)においてロケッ トをお月様の眼に突き刺して以来,これまでにもいくつもの眼がクロース・
アップされてきた.注目すべきは,このキ一トンの眼のショットがそれ自体 ではなにも意味を喚起しないということだけではなく,眼のクロース・アッ プという映像自体がわれわれの様々な映画的記憶を喚起させてしまうという 事実,すなわち,
r
フィルム』は既に問=テクスト性ならぬ「間=フィルム 性J
4という磁場に捉われているということだ.つまり,r
フィルム』は単 に「映画についての映画J
(Ben‑Zvi 31)であるばかりでなく,r
映画史につ いての映画」でもあるのだ.今日までのベケット研究においては『フィルム j に関する散発的言及は少 なくないが,作品自体を真っ向から扱ったものはその他のベケット作品と比 べると格段に少なく数えるほどしかない 5確かにその原因の一つは作品自 体へのアクセスの難しさにあるのは確かであるが,なによりも,本作品が単 に映画についての映画,すなわちメタ映画であるといった紋切り型の言説で 片づけてしまいられがちであったことも大きいだろう.文学研究の側からは
ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一 59
『フィルム
J
という映画作品がベケットの小説や演劇における主題やモチー フがダイジェスト版で単にメディアを変えて表現されているだけであると捉 えられ,その映画独自の表現形式やコンテクストが考慮されることはほとん どないし,逆に,フィルム・スタディーズの側からは確かに『フィルム』は 興味深い実験映画の貴重なサンプルの一つであることに変わりなく,ことあラ/ガタユ ンネマトグラフィック
るごとに言及はされるのだが,その関心の中心は作品における映画言語 の方にあり,ベケットの文学における実践までもが詳細に考慮され論じられ ることはまずないメ本稿の目的は複数の映画史的コンテクストを考慮しつ つ,この文学研究とフィルム・スタディーズというごつのアングルを縫合し
より立体感のある『フィルム
J
像とこの映画を可能にした映画作法,すなわ ちベケットの映画術を映写してみせることにあるのだ。E
まず,
r
フィルム jが撮影された時代的コンテクストを踏まえるならば,まさにそれがヌーヴェルeヴァーグ全盛期と重なっていることを忘れてはい けない.ベケットはそのパリの空気の中にいたのだ.そして他でもなく映画 という複製メディアが実は引用メディアであることを明らかにしたのが間=
フィルム性を母胎としたこのヌーヴェル・ヴァーグであった.中でも,映画 という複製メディアが引用メディアであることや,映画を見ることと映画を 作ることが等価であるという事実を鮮やかに示したジャン=リュック・ゴ ダールのモンタージュの探究はヌーヴ、エル・ヴァーグにおける映画史的引用 を真の形式の水準まで押し進めた.そもそも,モンタ}ジュはエイゼンシュ テインによって理論的枠組みを与えられたが,
r
フィルム jの時代設定はそ の華やかなサイレント時代を懐かしむかのように r1929年頃J
(12)という 設定になっている.この20年代はトーキーへの移行期にありながらもサイ レント映画は衰えを見せるどころかむしろ次々に名作を生み出した最後の黄 金期であったばかりではなく,エイゼンシュテインをはじめクレショフやプ60 ベケットの映画術一一一;フィルムJのフィルム体験一一一
ドフキンそしてジガ・ヴェルトフといったモンタージュ派の理論と実践が映 画史上に不滅の足跡を残した時期でもあるa ベケットのこの時代への入れ込 みは被がモスクワの国立映画研究所に研修生として受け入れてもらえないか という手紙をエイゼンシュテインに直接出していることからも窺い知ること カ
τ
できるだろう(Kno w l s o n2 2 6 ) . "
ゴダールはエイゼンシュテインの映画はモンタージュの映画ではなく,む しろ「アングルの映画」にすぎないときっぱりと言い切ってしまうのだが 8
エイゼンシュテインに心酔するベケットがOとEに分裂した主人公,この 逃れようとする前者と追跡する後者の知覚をめぐる物語である『フィルム』
の構成原理を他でもなく「アングルの映画」として提示していることは興味 深い。
O はEによって。後ろから,また45度を越えない角度において斜め後 ろから.知覚される.ここでは次の約束が了解されているものとする 十ーすなわち。 45度という角度を越えたときにのみ, 0は〈知覚〉の 領域に入る.つまり作目覚される》という苦しみを経験する. (11) しかし,ベケットの試みは単なるエイゼンシュテインのリメイクではない.
ベケットは紛れもなく 60年代の映画的環境にいたことを忘れないようにし よう@プドフキンやルドルフ・アルンハイムの書籍に読みふけり映画雑誌
T
クロース@アップ jのパック・ナンバーを読み漁っていた(Knowlson 2 2 6 )
ほどのシネフィルであるベケットがヌーヴェル・ヴァーグのイ乍品を知らないとはまず考えられない.確かに,
f
フィルムi
の第一部の街頭のシー ンで,壁伝いに逃げる Oを追跡するカメラワークはゴダールの長編第一作 f勝手にしやがれ (About de souff Z
ム1959)で手ぶれを気にすることなく ジャン=ポール。ベルモンドとジーン・セパーグのふたりの呼吸に寄り添う ような手持ちカメラによる路上でのシーンを喚起せずにはいられないし,一 方,ゴダールはと言えば,ベケットの「ああ,美わしの日々よ jU
しあわせベケットの映画術
‑ r
フィルム』のフィルム体験 61 な日々』の仏題)の映画化を企画し既にその方法論まで考えていたという事 実も二人の影響関係を考えるうえで興味深いしかしながら,本稿の目的 はベケットが観たであろう映画を確定したり,あるいは彼がゴダールの映画 に影響を受けたといったようなことを指摘することではない.そもそも間=フィルム性というものの本質が,後続の映画が先行する映画の影響を受けて いるといったリニアな時間軸上の影響関係というものを破壊するものではな かったか.むしろここでわれわれが確認したいのは,ヌーヴェル・ヴァーグ,
特にその旗手たるゴダールの作品とベケットの『フィルム』が共有している 点,すなわち映画を作る行為がそのまま映画に対する考察になること,つま り映画がはじめて自意識を獲得したということ,そしてなにより,結局は映 画というものがわれわれ観客に伝えるのはまさにわれわれ自身の知覚のプロ セス以外のなにものでもないということだ.
それゆえ,
r
フィルム』の冒頭,キ一トンの眼とそのj随虫類のようなまぶ たは,このまぶたと同じような質感の壁へとデイゾルヴする。かくして,ベ ケットは眼と壁,すなわち,カメラとスクリーンという映画の原光景から物 語をはじめるのだ.r
登場人物は壁に沿って急いで、歩いていくことによって,危険を制限することができる.実際そうすれば,脅威となるのはもはや一方 の側面だけとなるからだ.墜に沿って登場人物を歩かせることが,この映画 の第一幕である(あらゆる偉大な映画作家がこのことを試みてきた)
J
(24)と「最も偉大なアイルランド映画一一一ベケットの『フィルム
j J
の中で,こ の映画における壁の役割と映画というメディアにおける壁の重要性を指摘し たのはジル・ドウルーズであったが,同じく壁に魅了された映画人のひとり であるゴダールもまた壁についての偏愛をあからさまに語っていた.r
もちろんそうだ.ひとがなにかを見つめるとき,それはつねにひとつのスベクタ クルなんだ.ぼくは壁についての映画を作ってみたい.壁を見つめていると,
ついにはそこになにかが見えてくるものなんだ……
J c r全評論・全発言 I U
51‑2) ,と言うゴダールのこの言葉がわれわれに思い起こさせるのは,多く
62 ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一
の観客の前で上映される映画というものがまずなによりも見世物=スベクタ クルであったということだろう.
「ほかの人物はみな明るい夏の服を着ているのに, 0だけは黒っぽい長 い外套の襟を立て,帽子をまぶかにかぶり,左手にはカバンをもち,右手で 顔の露出された側面,つまり右側をおおっている
J
(12)と指示されるキー トン扮する O の怪物染みたいで、たちはこの映画の見世物的な側面を強調す ると共に,よりによって見られたくないタ知覚されたくないという民スベク タクルな主人公とそれを追うカメラという設定によって映画という仕掛けそ のものが見世物=アトラクションであることがあらためて一層前景化され る.101
スペクタクルの社会」の到来を告げたギー・ドゥボールの同名の書 が出版されたのは『フィルム jが撮影された3年後の1967年であったが,この60年代にはほとんどの映画がワイドスクリーン用となり,それに応じ て,映画界においてはヌーヴェル・ヴァーグの美学であった「作家主義」と は別の文脈,すなわちハリウッドにおいてスベクタクルな見世物性への回帰 があったことも忘れてはいけない(北野176幽切にしかも,テレピの技術的,
制度的起源や映画における音声の統合,ナチスドイツによるマスメディア技 術の利用,あるいはフランスにおけるシュルレアリスムの政治的失敗といっ たものと同時期である 1920年代末期こそが「スベクタクルの社会」の開始 点でもあるのだが CCrary,Spectacle,Attention, Counter‑Memory"),ま さにこの時期こそ,サイレント映画の全盛期であるばかりでなく,
r
フィルム』の時代設定である 11929年頃」ともぴったりと重なるのだ.まさにベ ケットの『フィルム
J
はこのような映画史的文脈に位置するのである.E
これまでわれわれはベケットの映画術を『フィルム』の時代設定である 20年代,そしてこの映画が撮影,公開された60年代の映画史的状況に位置 づけてきた.次はOを追う E,このカメラそのものに焦点をあててみよう.
ベケットの映画術 『フィルム』のフィルム体験一一 63 そこには間口フィルム性としての映画史とは別の視聴覚装置の歴史として の,すなわち眼の誕生あるいは視覚の誕生としての映画史が見えてくる.
「アングルの映画
J
である[フィルム』において, 45度という角度の他 にベケットが脚本において何度も強調するのが, Eの鋭い視線のその耐えが たさである.Eの視線におぴえるのはOだけでなく街頭の老夫婦も階段の 花売りの老婆も同様の〈知覚される苦しみ〉の表情を示すのだ.Eが記録す るのはOに釘づけにされたEの視野にたまたま入ってきたものだけであ り,さらには, Eの表情について,I
それは厳しいというのでも,優しいと いうのでもなく,むしろひたすらじっと眼をこらしているとでもいうか,と もあれ描写不可能な表情であるJ
(47)と脚本に述べられるのだが,まさに その眼はただ記録のみを続けるカメラの娘である.このカメラとしての E に関してわれわれが是非とも参照しなくてはならないのがエイゼンシュテイ ンやプドフキンと並ぶソビエト映画のパイオニア,ジガ・ヴ、エルトフの提唱 した「映画眼(キノキ )J,カメラのみが捉えることのできる真実を追究した「映画真実(キノプラウダ)J による記録主義である。ヴェルトフの「映画眼 (キノキ)Jは60年代のヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに受け継がれ,中 でもゴダールらが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗り『東風j
( V e n t o d ' e s t
, 1969)などの作品を発表したこと,そして偶然にも『フィルム』の時代設定 である 1929年はジガ・ヴエルトフの代表作である[カメラを持った男 j( C h e l o v e k s k i n o
α:ppαrαt o m )
が公開された年でもあることを記憶に留めて おいても無駄ではないだろう.ヴェルトフの「映画眼(キノキ)Jという言葉からわれわれがまず連想す るのは「カメラ・アイ
J
(camera司eye)ではないだろうか .OED (第二版) によれば,それは「細部の印象を記録する眼,カメラのような眼,並はずれ て細かい,あるいは距離を置いた観察や記憶J
である.しかし一方,r
映画眼(キノキ)Jはこの単なるカメラ・アイといった意味だけに留まらず¥肉 眼が見通すことのできない現象の表層を貫き通し隠された真実を暴きだす眼
64 ベケットの映画術 『フィルム」のフィルム体験ー←
といった積極性を帯びており,まさに,「私は映画眼である.私は機械眼だ.
機械の私は,私にしか見えないかたちで世界を諸君に示すつもりである」
(17) という「キノキ,革命」におけるヴェルトフの宣言は『フィルム』の 分裂した主人公の片割れである E (眼=カメラ)にこそふさわしい.ヴェル トフにとって最も基本的で重要なことは「映画を通して世界を知覚し探究す ることJ(14)であり,その出発点として「空間をうめつくす視覚現象のカ オスを探究するために,肉眼よりも完全なカメラを映画隈として利用する」
(1ふ5)ことを主張するのだ 11
ヴェルトフは「カメラを持った男
J
の冒頭で「この実験の目的は演劇や文 学の言葉とはまったく異なる真に国際的な絶対言語を創造することである」と高らかに宣言するのだがラこのキノキの戦略はベケットが文学において実 践しようとしていたプログラムと類蝕することに注目しよう.ベケットは 1937年にドイツの知人に宛てた手紙において英語ひいては言語そのものに 対する激しい敵意とそれに対する戦略を表明していたe その手紙の中で,ベ ケットはヲ「私にとって公的な英語を書くことはますます難しく,いや無意 味にさえなりつつある.そしてますますq 私自身の言語はその背後にあるも の(あるいは無)に到達するために破らねばならないヴェールのように思え ている」と述べ,
r
言語に一つまたーっと穴を聞けて,その背後に潜むもの ー ー な に か あ る も の あ る い は 無 一 ー が 濠 み 出 て く る よ う に す る こ とJ
(Disjec加 171‑2)を主張するのだが,明らかにこれはヴェルトフの「見えな いものを眼に見えるものに,不明瞭なものを明瞭に,隠されたものを顕在化 し 仮面を被ったものを裸に,演技を非演技に,虚偽を真実にかえうる映画 眼J(41)による戦略と同じであるe そしてその方法というのがヴェルトフ にとっては「真に国際的な絶対言語」を,ー方,ベケットにとっては「非言 語の丈学
J
(li terature of the unword") (Diりectα173)を創造することで あったのだ.さらに注目すべきは9 ヴェルトフの肉眼と映画眼との区別はベケットの
ベケットの映画術 『フィルムjのフィルム体験 65
『フィルム』においても明確に表現されていることである.明らかに『フィ ルム』は追跡される Oと追跡するEの物語であるが,別の言い方をすれば,
「肉眼」と「カメラを通した眼
J
(ヴェルトフの表現に倣えば「武装した眼J )
の物語でもある.ヴェルトフが肉眼とカメラという光学装置を通した脹を区 別したように,ベケットもまた『フィルム』においてOとEの知覚の違い を明確に区別することを主張する.その方法論についてベケットは,
I
たと えば映像を構成したり,画面を二分したり,二重焼き付けを利用したりして」(58)同時的に示そうという試みは,結局不満足な結果に終わるに違いない として退け,次のように述べる.
この問題を解決するには,二つの異なった質感の映像一一一方は
E
に よる O の知覚,他方は O による部屋の知覚に呼応する を継起的に 示せばよいかもしれない.質感の相違は現像の仕方を変えることによっ て出せるかもしれない.すなわち,一方の知覚から他方の知覚への移動 は,映像の輪郭の明断さあるいは明るさの度合いの変化によって示され る.どんな方法によるにせよ,両者の相違はまぎれもないものとならな ければならないだろう.(58酬9)つまり,ベケットはOとEの知覚を「三つの異なった質感の映像」によっ て表現し,さらにはそのこつの映像を「継起的に
J
,すなわちモンタージュ によって示すことを提案するのだ.自らの指示に対し「技術的に素人である わたしは,問題のむずかしさを実際以上に誇張しているのかもしれないJ
(59) と謙虚に書き添えるべケットであるが,以上の記述はむしろベケット がいかに映画言語に精通していたのかを垣間見ることができるだろう.
さらにベケットは,肉眼を完全に排除するヴェルトフと違い, 0 と E の 知覚の両方を表現することによって映画眼(キノキ)とはまったく違う肉眼 の持つ生理学的な身体性というものも逆にクロース・アップさせる.
I
存在 スルコトハ知覚サレルコトデアルJ
(Esse est percipi)というパークリーの66 ベケットの映画術 『フィルムjのフィルム体験一一
言葉を『フィルム』の脚本の冒頭に引用するベケットであるが 12そのパー クリーもまた彼の視覚論において,主要な認識の起源を身体感覚や身体運動 に訴え,触覚起源の観念が視覚にもたらされた時の媒体となる観念として,
「両眼の回転j,
I
眼の緊張j,I
頭や眼を上下左右に動かすこと j,I
目を上下 に動かすという行為j といった身体感覚,とりわけ眼についての身体性を強 調していた 13中でも,特に興味深いのは身体感覚としての触覚と視覚の関 係である.確かに,デカルトとパークリー,そしてデイドロに至るまで,視覚という ものが触覚との類推によって理解されてきた.つまり,視覚は触覚のように 働くという触覚的視覚があった 14有名な例はデカルトが『屈折光学』にお いて述べた三本の棒を持った盲人である.それは盲人が二本の棒をはさみの ように交差させて持ち,棒の先端で触れる物体の大きさは,触覚で感じられ る二本の棒の角度から分かる,すなわち,視覚の場合も,眼の水晶体で光線 が交差するので,それと類比的に考えられるという主旨のものであり,デイ
ドロも『盲人書簡
J
の中で視覚についてこれ以上明瞭な概念はないとこのデ カルトの図像を取り上げている (16).そして同じく,パークリーもこの二 本の棒を持った盲人の例を取り上げるのだが,彼の場合は視覚と触覚を単に 類似的に考えず,デカルトの仮説に反論し,視覚観念と触覚観念は異質のも のであり,大きさや距離,位置や運動などの空間に関する諸概念は本来触覚 によってのみ直接知覚され得るものであり,それらが視覚によっても感知さ れるのは経験によって視覚的な観念と触覚的な観念との間に結合が生じてい るからだと述べる.I
三本の棒の角度J
をめぐるこのようなパークリーの知 覚モデルは「アングルの映画J
である『フィルムJ
を考察する際にも興味深 いものとなるのは明らかだ.特にパークリーが触覚と視覚の結合として描い た知覚の概念は,他でもない元祖│アングルの映画j監督たるエイゼンシュ テインが述べた,異なる知覚の融合,I
色を聞き,音を見るJ
という感覚の 転移,すなわち「共感覚j としての彼のモンタージュ理論の核との類似性もベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験 67 指摘することも可能だろう 15
視覚における身体感覚の他に,パークリーの視覚論の背景として当時の 様々な光学機器の急速な普及という時代状況も見逃しではならない.眼鏡や 顕微鏡や望遠鏡が一般的に使用されるようになると,デカルトの『屈折光学』
に代表されるような幾何学的な光学理論では十分に説明できないような現象 が指摘されるようになったのだ.事実,われわれは長い間,視覚というもの の概念にその眼及びまなざしを浸蝕されてきた.伝統的な認識論や真理論に おいては,視覚が対象から距離をおいた感覚であり,それゆえ対象の様態や 知覚状況から影響を受けることが相対的に少ないという理由から諸感覚のな かで最も信頼を得てきたし,またあらためて指摘するまでもなく,その意味 で多くの場合,認識が視覚のモデルで語られ真理が光のメタファーで語られ てきた.しかし逆説的なことに,映画というものを可能にしたのは人聞の 肉眼が経験する視覚的幻像,光学の領域外の逸脱的現象である網膜残像ゃの 現象のおかげであり,この錯覚という光学における反視覚的な逸脱的現象と いったものが光学的真理,視覚的真理の地位を獲得したためであるのだ.そ もそも映画の原型たるソーマトロープ,フェナキトスコープ,ゾーイトロー プといった視覚器具が肉眼の錯覚や残像の研究の中から生み出されてきたと いうのは映画という視覚装置を考えるうえでも重要なことである.確認すべ きは,観客が実際には見えていないものを見てしまうということ,つまり,
われわれが映画で見る事物というのは,フィルム上のどのコマの上にも実際 には存在していないという事実,映画とはスクリーンの上に映写され,少な くとも一人の観客によって見られた時にはじめて存在するという事実であ る.
そしてまた,いかなる対象にとっても知覚できる客体とそれを知覚する主 体との間の関係が必要条件となるのだが,ベケットは『フィルム』の脚本に おいて以上の状況を次のように述べていた.
r
この冒頭部分では,すべての 人物が,お互い同士を,あるいは庖の窓とかポスターといったなんらかの対68 ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験
象を,観察し知覚しているように示さなければならない.言いかえれば,す べての人物は満ち足りて〈知覚し〉たり〈知覚され〉たりしているのであ る
J
(12).かくして,パークリーの「存在スルコトハ知覚サレルコトデアル」という状況は,映画という視覚装置の前提条件ともなるのであるが,ゴダー ルはこれを見事に表現する.
r
つまり,映画というのはすべてであろうと欲 するなにかだということです.それで、も,決して忘れてはならないのですが,一本の映画は,なによりもまず見られるものでなければ,したがって映写さ れるのでなければ,なにものでもありません」と
c w
全評論・全発言u
645).すなわち,誰にも見られない映画は存在しないも同じことであり,映 画とは見られることによってはじめて存在するのだ.
町
映画とは見られることによってはじめて存在するものであれば,それを知 覚する存在,すなわち観客というものの存在を忘れてはならない.これまで
『フィルム
J
におけるフィルム体験として,まず最初に間=フィルム性とし ての映画史,次に視聴覚装置の歴史としての映画史という観点からベケット の映画術を位置づけてきたが,ここでは観客論史,すなわち観客の誕生とし ての映画史というアングルから彼の映画作法についてさらに考察してみよっ .
言うまでもなく,映画を見る行為は単に受動的なものではない.ある意味,
観客はスクリーンを見ているだけではなく,むしろ,観客の眼こそが一つの スクリーンであり,もし映画というものが存在するのであれば,それはもう 一つのスクリーンである観客の眼の中においてでしかありえないだろう.こ れは単なる比喰ではない.映画という視覚装置の本質が残像とそしてなによ りもの現象というものに基づき,実際には存在しないものを観客が知覚する ことによってその存在が可能となることを今一度繰り返し確認すべきだ.さ らに,同じ構造は映画技法のレヴェルにおいても繰り返される.例えば,モ
ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一 69 ンタージュとは二つの異質のショットを繋ぎ合わせることにより観客の中に そのどちらにも含まれていない新しい意味を,すなわち実際には存在しな かった意味を創造することにあるのだ.
以上のような観客と映画の共犯関係は『フィルム』の第三部である部屋の 場面においてより一層強化されることになる. 0は部屋に入ると,外から 見られないように横から窓に近づいてブラインドとカーテンを閉め,鏡にお おいをかける.そして自分を見つめる犬と猫を追い出し, <父なる神〉の複 製版画像を破り捨てる.さらには自分を見つめてくる鶏鵡と金魚にもおおい をかけることによって部屋のありとあらゆる知覚の窓を塞いでしまう.しか し最初に閉めたブラインドが破れているためにその隙聞から外の光が閉ざさ れた部屋にさしこみ,その構造はあたかも映画装置の原理的な起源でもある カメラ・オブスキュラと化す。カメラ・オブスキュラとは閉じた箱や部屋の 側面にあいた小さな穴を通して,外部世界が反対側の側面に上下逆さの倒立 像として映し出される光学現象を生み出す装置である.注目すべきは,パー クリーの知覚モデルもまた暗室が前提としていたモデルと一致していること (Crary, Techniques 55),そしてなにより,カメラ・オブスキュラが原理的 には撮影装置と映写装置と映画館を兼ねているのと同じく, wフィjレム』の カメラ・オブスキュラたるこの部屋ももう一つの暗室たる映画館をも兼ね備 えていることだ.その映画館,すなわち部屋の中央にある揺り椅子に座る
O .
そして彼は封筒から彼自身と思わしき同一人物の赤ん坊から現在にいた るまでの数枚の写真を取り出し成長段階の順にそれをパラパラと眺めてい く.あたかもそれは少しずつ位置がずれた画面をパラパラめくるようにして 次々と見るとある連続して変化する映像がそこに出現するという映画の基本 原理をなぞるかのようだ.フィルム
まさに主人公Oが迷い込んだのは暗室の中,映画館の中,すなわち映画 の中である.そう言えば,喜劇役者キ一トンにとってこの状況は既に経験済 みだ.
r
キートンの探偵学入門.1(Sherlock Jr., 1924)はまどろんでいる映70 ベケットの映画術一一‑
r
フィルム』のフィルム体験一一写技師に扮するキ一トンがスクリ}ンの中の世界に入ってしまうという物語 ではなかっただろうか.さらに,ベケットは,
I
写真を見つめている Oの気 持ちを表すために,揺り椅子を利用することJ
(61)と書き添えるのだが,その心の動きとシンクロした揺り椅子のリズムはフィルムのコマをリールか らリールへと送る映写機のようだ.あるいはその揺り椅子のリズムはグリ フイスが『イントレランス
J
CIntolerαnce, 1916)において別々の時代の四 つのエピソードを並列形式でつなげる際の媒体としたあの揺りかごのようで もある.ここでグリフイスに言及したのは単なる連想ではない.ベケットに 多大な影響を与えたであろうエイゼ、ンシュテインのモンタージュの起源はグ リフイスにあることももちろん忘れてはならないが,そもそもベケット自身 カ宝「ミッド・ショットのソフト・フォーカスでグリフイスによってサイレン ト映画のスクリーンに映し出されたようなJ
(191)と,小説『マーフィー』においてこの「アメリカ映画の父」の名に既に言及していたではないか.グ リフイスの功績はクロース・アップと並行編集を体系的に利用し,映画の基 本的な空間構文,そして視点編集による物語の生成と主人公への観客の感情 移入の方法を完成させたことだ 16ベケットも「鶏鵡の眼のクロース・アッ プ
J
(34),I
金魚の眼のクロース・アップJ
(35)としきりにこの指示を出し,さらには主人公Oが聖書鵡や金魚を見るショットに彼が見た光景のショット をつなげる視点編集を巧みに導入するのだが,ベケットのクロース・アップ や視点編集に対する晴好が,彼のレンズ,あるいはカメラそのものに対する 晴好と結びついていることにも注目すべきである.ゴダールが『しあわせな 日々』の映画化にあたって,
I
遠く離れたところから前進しはじめ,ラスト ではクロースアップ」で終わると述べていたのは既に確認したが 17この演 出法を理論的に支える虫眼鏡という光学アイテムをウィニーの所有物として ベケット自身がテクストにあらかじめ書き込んでいることを忘れてはいけな い.あるいは,r
勝負の終わりJ
では望遠鏡というこれまた映画的な小道具 を巧みに登場させていたではないか.事実,最初期の映画においてはシーンベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験 71 の中にクロース・アップ・ショットを取り込むには望遠鏡や拡大鏡といった 視覚的口実が必要であったのだ.しかも,虫眼鏡で見ることや,望遠鏡を覗 き込むことは,それを覗き込む主体に特権的な視覚を与えるという意味で,
観客が映画を見ることとの類似は明らかだが(加藤189),それでは,この 特権的な視覚を与えられた映画を見る主体とは一体どのような主体であるの か,あるいはまた,
r
フィルム』における観客の主体的体験とはいかなるも のであるのだろうか.最後に,以上のことを映画における観客の同一化という観点から検討して本稿を締めくくろう.
V
一般的に同一化という言葉は観客が映画作品の特定の登場人物との開に結 ぶ主観的な関係を表す語で,特定の人物の様々な感情を共有する経験であ る.ジャン=ルイ・ボードリーは映画における「基本装置
J
(彼によればそ の最たるものはカメラである)に関する理論的研究を行い,フロイトが自我 の形成を論じる際に一次的同一化と二次的同一化を区別したのに倣って映画 における「二重の同一化」の作用を初めて区別した.映画におけるこの二重 の同一化では,一次的同一化(つまり視覚の主体への同一化)が二次的同一 化(つまり登場人物への同一化)を支える基礎や条件をなすのだが,ボード リーによるこの二つの同一化の区別が画期的であるのはこうした理論的考察 が行われるまでは同一化という語が意味していたのは二次的同一化のことだ けであったからだ.ボードリーは「映画の基本装置によるイデオロギー効果」の中で次のように述べる.
I
したがって,観客は表象されたもの,見世物自 体に同一化する以上に,見世物を演出し,それを見えるようにし,それが見 るものを見るように観客に強いるものに同一化する.つまり,それはまさに ある種の仲介装置としてのカメラが担っている機能に同一化するのであるJ
(364) .そしてさらにこのようなカメラとの同一化がもたらす機能について このように述べる.
I
結局,同一化が可能であるかぎり,採用される物語や,72 ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験
映像の 内容"などは少しも重要で、はないのである.そこに姿を見せるのは まさしくイデオロギーの維持および手段としての映画が果たす特別な機能な のだ¥それはある中心的な位置(神のそれで、あれ,まったく別な代替者のそ れであれ)を欺目前的に画定することによって 主体"を構築するものである」
(同).18
ボードリーはルネサンスの遠近法やカメラ・オブスキュラの考察から出発 し,そこで確立された超越的主体が観客の映画体験を根本から支配している こと,すなわち映画における主体構築のイデオロギーを明るみに出したが,
ベケットの『フィルム』はその同一化の作用を極限まで押し進めることに よって見事に解体させてしまうのだ.その戦略はまず映画全体を通して登場 人物 E であるカメラの視線と観客の視線を一致させることにより二次的同 一化を一次的同一化の上にぴったりと重ね合わせることからはじまる.その ためにこの作品は大部分が主人公
E
の眼から見たような作りになっており,さらにOの動きに寄り添うようなEのカメラワークによってこの同一化は より一層強固なものとなっている.しかしながらこの同一化はもう一人の主 人公O の視覚,その画面にフィルターを通したようなピントの合っていな い映像がノイズのように挿入されることによってすぐに不安定化する.しか も
E
の視覚が捉えようとするのはO
の行動のみに限定されているために,Oを追うカメラに,その窃視的なカメラであるEにわれわれ観客は感情移 入すると同時に,この最後まで正面を向けない知覚されることにおびえる O にも感情移入する.そしてまた,一見単純な追跡もののように見えなが ら,その追跡、はOがEを追うといった一方的なものではなく, EもまたO の知覚の領域を避けながら O を追跡している.つまり, 0 とE の知覚のみ から構成された『フィルム』は観客による主人公(たち)への感情移入を過 剰に促進させるのみならず,その方法論を極端に押し進め,観客の視線とカ
メラの視線,そして登場人物の視線の聞の一致の度合いを,主体構築の現場 を観客に体感させ,さらには構築されたばかりのこの主体をすぐに解体させ
ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一 73 るために多彩に利用するのだ.
しかも以上のプロセスはベケットが作品官頭に掲げたパークリーの「存在 スルコトハ知覚サレルコトデアル」というテ}ゼ、にも密接に関係している.
存在することは知覚されることであるならば,存在したくないならば知覚さ れなければよいと考える主人公が結局は不可避的な自己知覚に直面するのだ が,注目すべきはこの自己知覚というものが主体の分裂として捉えられ,さ らにはこのパークリー的状況が映画独自の表現形式によって提示されている ことだ.作品冒頭のまぶたと眼のクロース・アップ,執劫に前景化される壁 や共感覚による感覚の転移はもちろんのこと,なにより, 0 と Eへの主体 の分裂が肉眼とカメラを通した二つの視覚の巧みなモンタージ、ユによって表 現され,さらには,主人公にとって〈知覚される苦しみ〉として体験される この主体の分裂が二重の同一化によってわれわれ観客にも追体験されるの だ.
r
フィルム』は「二つの異なった質感の映像」を巧妙に駆使したモン タージュの世界へ観客を巻き込むアトラクションであり,このたえざる運動 の過程においてく追う 追われる), <見る 見られる〉という関係を構造化 し意識化する.I
最後の詰め」でOからEへ,そしてまたEからOへとカ メラが何度も切り替わることにより,互いに見つめ合う左目に眼帯をした キ一トンのミディアム・ショットが示され,追跡していた観察者 Eが実際 は分裂したO自身であることが観客に明らかにされるのだが,このOとE に分裂した主人公の知覚によって分裂させられているのは,実は,観客であ るわれわれ自身であり,まさにこれこそがわれわれ観客の『フィルム』にお けるフィルム体験に他ならないのである.注
1 主演パスター・キートン,監督アラン・シュナイダー,撮影ボリス・カウフマン,
編集シドニー・メイヤーズによりベケット立ち会いのもとにニューヨークにおいて 撮影.街頭,階段,部屋の3つの場面からなる.モノクロ, (第一部における
〈シーツ〉を除き完全な)サイレント映画.上映時間24分.
74 ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一
2 撮影で第一部を大幅に削除し代わりに眼のクロース・アップを導入するに至った 経緯等についてはAl組Schneider,OnDirecting Film"; Maurice Harmon, ed. No Author Better Serued ; S. E. Gontarski. The Intent of Undoing in Sαmuel Beckett's Dramatic Textsを参照のこと.
3 ベケットの『フィルムjの脚本からの引用はSamuelBeckett, Film: Complete Scenαrio, Illustrations, Production Shots (New York : Grove, 1969)に拠るもの
とし,引用箇所のカッコ内にページ数を記すこととする.尚,日本語での引用は高 橋康也訳『ベケット戯曲全集 3jを用いた.
4 蓮賓重彦は
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問=フィルム性』の記憶装置」において次のように述べている.「映画ほどあからさまに孤独を禁じられたいとなみもまたとあるまい.集団芸術と しての映画とか,観客の匿名的複数性といった視点からではなく,個々のフィルム の宿命として,孤独への誘惑をあらかじめ断たれている.このうえなく独創的だと 思われている監督の作品ですら,映画自身の記憶に重くたわみきって,係累なしの 独身者的崎型性をあらかじめ奪われているのだ。アラン・レネの『ミュリエル』
(63年〕には小津安二郎の記憶がまつわりついているし,ベルイマンの『処女の泉」
(60年〕には黒浮明の思い出が影を落としており,ゴダールの『気狂いピエロjに は溝口健二のカメラワークが感染している.
r
未知との遭遇』は誰が見たってハ ワード・ホークスの世界だし, トリュフォーの『恋愛日記j(77年〕は間違いなく ジョゼフ・ L ・マンキーヴィッツ的風土に浸りきっている.こうした映画的記憶の 相互汚染現象は,影響といった時間軸にそっての伝播というより,むしろ共時的な 饗宴として捉えるべきものだろう.映画とは,映画自身を同時的に肯定する現在の 運動に他ならない.この起源と中心を欠いた運動へと人を導く環境を,とりあえず,『面一=フィルム性』と名づけることもできょう.
r
問=フィルム性』の断層として の映画は,映画白身の父であると同時にその子であり,創造主の不在によって思考 統御する不可視の制度で、ある.J
(194‑5).5 ベケットの『フィルム』を論じたもの及び映画とベケットの関係に言及した論文 の主なものをいくつかあげておく.Vincent J. Murphyは『フィルム』におけるべ ケットのEsseest percipi原理とパークリーのオリジナルとの違いを指摘しつつ,
その起源を『フィルム』執筆の三十年前に書いたブルーストに関するエッセイに求 めている(ベケットのブルースト論と『フィルム
J
との関係に関してはMartin Dodsworth,ベケットとパークリーの関係についてはSylvieDebevec Henning及 ぴWilliamMartinも参照のこと).岡室美奈子はベケットの機械メディアと遠近 法の関係を考察し,視線の権力構造を脱構築させるべケットの戦略について論じ,N orma Bouchardはアヴァンギャルドやシュルレアリスムなどより広いコンテクス トを考慮に入れ『フィルム』をいわゆる「デカルト的遠近法主義」に対抗するベ
ベケットの映画術一一『フィルム』のフィルム体験一一 75 ケットの反視覚的戦術であると位置づける.Steven Connorはベケットの後期の散 文作品におけるテクストと余白を交代させる特徴的な方法をスライドやシャッ
ター,あるいは映画のまばたく構造にその起源をみているし, Anna McMullanは ラジオ,映画,テレビ等といったテクノロジーが生み出す virtualsubjects"の観 点からベケットの後期演劇における主体性の問題を論じている.カメラそのものに 関しては, Rosemary Pountneyがドッペルゲンガーとしてのカメラあるいはレン ズとベケット作品の関係を考察しており,また田尻芳樹は一九二0年代から三0年 代のモダニズムのコンテクストを踏まえ,視覚というものが新しいテクノロジーに よってどのように変容していったのかを,特にカメラ・アイに焦点を絞りベケット の『フィルム
J
との関係を探っている.ベケットと初期の映画理論家たちとの関係 は, Mariko Horiがベケット作品における俳句的な要素と視覚で聴覚を代替させる 共感覚との類似点をアルンハイムやエイゼンシュテインの理論に依拠しながら述べ ている.6 例えば, Jean‑Paul Simonはベケットの『フィルムjと映画全体を通して登場人 物の視線と観客の視線を一致させているロパート・モンゴメリーの『湖中の女』
(Lαdy in the Lαke, 1947)を例にとり,映画における視線の主体と対象の関係を言 表作用と物語叙述の観点から分析している.
7 ベケットのエイゼンシュテインへの手紙はJayLeyda, ed. Eisenstein 2: A Premαture Celebration of Eisenstein's Centenαry(London: Methuen, 1988) 59に所 JjJtされている.
モンタージュ
8
r
われわれはまた,エイゼンシュテインは一一ふつうは編集のスペシャリスト とされているわけですが,でも実際は ものごとに対する独自の視点をもったき わめてまれな映画作家の一人だったということを示すでしょう.一九一五年から二 O年にかけて,ロシア人が,あるいはロシア人のなかのある種の人たちが,世界に 対し,世界のほかの大部分の人たちとは違った視点を持っていたからなのです.当 時のエイゼンシュテインは,ものごとの変転を示すにあたって,自分のその視点に ついてのきわめて的確な考えをもち,その視点をはっきりと描き出していました.彼はカメラのアングルというものを提出するすべを知っていたのです.
J
(ゴダール『映画史 IIj 266) ;
r
われわれはこれからつくろうとしている映画史のなかで,ア メリカ映画をむしろ,クロースアップとか映画スターとかを発明した映画として語モンタ ジュ
るでしょう.そしてソ連映画を, 編集と呼ぶことのできるものを つまり事物 と事物のつながりをーーさがし求めているうちに,アングルというものを発明した 映画として語るでしょう.一方は,クロースアップを通してそのつながりをさがし 求め,なにかを発見したつもりでいました.そしてもう一方は……エイゼンシュテ インは,編集というものを発見したつもりでいたのですが,実際はアングルという
76 ベケットの映画術 『フィルム』のフィルム体験一一
ものを発見したのです……カメラをどこに置くべきかを知ったのです.
J
(同 351‑ 2) ;r
でもエイゼンシュテインは,編集についてしか語らなかったにしても,編集 者ではなく計算する人でした.そしてアングルというものを発見しました.彼は のちのウェルズと同様 途方もないアングルを自分のものにしていたがゆえ に,それによって必然的に編集の端緒が関かれ, {これは見事に編集された映画 だ〉と言われるような映画をつくったのです.でもあれはまだ編集ではありません.別の何かです.
J
(ゴダール f全評論・全発言m . !
383).9
r
ぼくは一時期,r
ああ,美わしの日々よ』を映画化することを考えていた.実現 しなかったのは,マドレーヌ・ルノーをつかってくれと言われたからだ.ぼくは若 い人たちをつかいたかったんだ.それで、もいいということであれば,ぼくはあの企 画に大いに乗り気になっていたはずだ.というのも,すでにテクストがあって,あ とはただそれを映画に撮りさえすればよかったからだ.ぼくはその映画をただひと つの移動撮影だけで撮ったはずだ.遠く離れたところから前進しはじめ,ラストで はクロースアップになるというわけだ.十分に遠いところから出発し,一時間半後 にテクストの最後の言葉が口にされるときにはクロースアップになっているわけ だ.だからこれはもっぱら小学四年生の算数の問題,速度と時間に関するささやか な計算の問題なんだ.J (ゴダール『全評論・全発言1Ij 54).10 ここで言う「アトラクション」とはエイゼンシュテインの演劇論でありそしてな によりも観客論である「アトラクションのモンタージュ」において使用した文脈の 意味においてである.アトラクションは一般には「観客の興味をそそる呼び物」と いった意味であるが,エイゼンシュテインはもうひとつの意味,すなわち,公園の 遊戯施設や移動遊園地の乗り物という意味を重ね,しかも演劇論,観客論としては 後者を重要視した.アトラクションとは,観客の知覚を刺激し撹乱する刺激素のこ とであり,その効果的な再編成法が「モンタージ、ュ」と呼ばれた.エイゼンシュテ インのアトラクションに関してはSergeiM. Eisenstein, The Film Sense及びTom Gunning,The Cinema of Attraction: Early Film, Its Spectator and the Avant‑
Garde"を参照のこと.
11 本稿においてモンタージ、ユ派のそれぞれの理論についての差異を詳細に論じるこ とはできないが,ただここで是非とも付け加えておかなければならないのはヴェル トフのモンタージュの特異性である.普通,モンタージュとは撮影した後の問題で あるのだが,ヴェルトフにとっては既に見るという段階からモンタージュがはじ まっており,それを観察時のモンタージュ,観察後のモンタージ、ユ,撮影時のモン タージュ,撮影後のモンタージュ,目測(モンタージュ断片の探索),最終的モン タージュという六段階のプロセスに分類している.ヴェルトフの映画眼の戦略はな によりもわれわれ人間の知覚に染み付き視線を構成している文化的コードを解体す
ベケットの映画術一一 『フィルムjのフィルム体験一一 77 ることにあるのだ.特にDzigaVertov, "Kino‑Eye," Kino‑Eye: The Writings of Dziga Vertov, 60‑79を参照のこと.
12 ベケットは脚本でこのように述べている.
r
存在スルコトハ知覚サレルコトデア ル.動物,人間,神など,あらゆる外的なものによる知覚を抹消したとしても,そ の場合なお,自己による知覚は存在し続ける.外的なものによって知覚されること から逃れて,非存在を求めようとする試みは,結局,不可避的な自己知覚に直面し て,挫折する.以上の言葉は,単に物語の構造上の有効性をもつだけであって,そ れが真理であるというつもりはないJ
(11).13 G ・パークリー『視覚新論』下僚信輔,植村恒一郎,一ノ瀬正樹訳(勤草書房,
1990年)の解説Iを参照のこと.
14触覚的視覚の系譜についてはJonathanCraIJんTechniquesof the Observer: On Visionαnd Modernity in the Nineteenth Century (Cambridge: MIT P, 1990)の 第2章を参照のこと.
15 映画史における最も有名な叫び声の一つは『キング・コングJ(King Kong, 1933) のフェイ・レイの叫びであるが,もう一つは間違いなく『戦艦ポチョムキンJ
(Bronenosets Potyomkin, 1925)のオデッサの階段の場面で,白分の赤ん坊が兵士 たちに撃ち殺されるのを無力に見ている母親の叫びであろう.カメラは絶望して頭 を抱える母親に接近していき,大きく開いた彼女の口の中にほとんど入りそうにな る.前者のフェイ・レイの耳を努くような叫ぴは言うまでもないが,同じような激 しい叫ぴ声をサイレント映画である後者においてもわれわれは確かに開く,すなわ ち叫び声を見るのである.このような感覚の転移は『フィルムjにおいても実践さ れている
.E
によって知覚される決定的な各場面において老夫婦,階段の花売りの 老婆,そしてO自身がこの視覚に転移された叫びをあげ,カメラは大きくあけら れた彼らの口を捉えるのだ.触覚と視覚の関係についても補足しておこう.冒頭のパークリーの引用の後にベ ケットは外的なものによる知覚を抹消し非存在を求めようとしても結局は不可避的 な自己知覚に直面すると述べていたが,この自己主目覚のプロセスはOが自らの指 で手首の脈持を測ることによって示される.すなわち,外的なものに見られるとい う視覚による知覚から脈を取るという触覚による自己知覚へという感覚の転移がお こなわれているのだ.この脈を見る場面は脚本にはないショットであるが,映画に おいては三度も繰り返される.
16 グリフイスの語法については加藤幹郎「アメリカ映画のトポグラフイ一一一D .
w.
グリフイスのアメリカン・インデイアン初期映画J
及びTomGunning, D.W .
Grif戸ithαndthe Origins of Americαn Nαrrαtive Film: The Eαrly Yeαrsαt Biogrαphを参照のこと.
78 ベケットの映画術 『フィルム jのフィルム体験一一 17注の9を参照のこと.
18 二重の同一化と観客の映画の受容のメカニズムをイデオロギー的,精神分析的,
記 号 学 的 に 分 析 し た 以 下 の 文 献 も 参 照 の こ と .Jean‑Louis Baudry, "The Apparatus: Metapsychological Approaches to the Impression of Reality in Cinema"; Jean‑Louis Comolli,Technique and Ideology: Cam巴ra,Perspective, Depth of Field"; Christian Metz, The 1mα:ginαry Signi,βer: Psychoαnαlysisαnd the Cinemα.
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