現代英國詩の性格
著者 高橋 源次
雑誌名 主流
号 13
ページ 2‑7
発行年 1951‑12‑01
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016585
現 代 英 園 詩 の
性 格
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彼の孤独のさけび︑或いは彼の絶望の府民によってのみ記憶せられ︑また批判されることであろう︑左いう見解は正しいと思う︒吋吋山田l兄さんは説代の英詩の底に山流れている悲観的な宮学については希撃的な綴泌をしているし︑実存主義の哲学なぞ英国では決して振をは
るものではないといっている︒二人の考え万が臭っているようで突は同じところをからっている左思う︒陪い虚然の世界だけに抱いた
絶望も為れば︑ブ一ブイトな希望の世界に展開してゆく紹望もゐるo
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これらの詩人は時代の問題を階級闘宗と反全体主義の角度から眺
めたのである︒自らの属ずる中窪階級を攻撃し︑快楽と批会不安の継続が中窪階級の支任に腐すベケであるとなした︒絞等はマルグス
とア口イドの理念を泡却して︑文人の祉会的責任を強制したのである︒詩人は社会のハ1トであり分析者でゐり︑予言者であり笠
停者であるとの信念をもっていた﹂この詩人の機能そ漏れ北さぜるた
めに 必要 な能 力は 白百
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るだ けで あっ たコ 松山 一ー は批 一会 そ一 己れ の主 休性 にお いて 有機 的に 把握 して
いた彼等が全く一紅会の現実から浪一位してしまった形であるι彼等の
知的の解決ではとうにもならなくなったのである︒
この絶望感は一位会と個人の関係において︑長以ヤや批会という吉田i
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は何人の介在︑一討さないものだと感ぜしめている︒いわば個
人的介在が一げされないという淋しい認識︑それに伴って来る無気力
が果てしない彼等の幻訟の縦続を余儀なくさせている︒伺入︑か飼人
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まにあまり多くを期待することができない現黙のようである︒未来
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代の詩的性坊を充分に明確化していない︑彼等が時代的でないとい
う点であるo彼等ばかりでなく他にもよくこれに成功しているもめ
はいない︒この性格の何であるかは明白にできないにしても︑これ
が形 成に なく てな ら︑ ない もの は︑
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たずさわっていない︒できるだけ公平なプシパイプになろうとつと
めているのは彼でらるωそして無私公子という言葉湿り︑全く無私
の客観的態皮でおるο
然し 全く つ私
﹂を な︿ んた 公一 やと いう もの があ
るでおろうか︒発表すべき﹁私﹂を明確にもたない彼は熱きにもら
らず冷かにもあらざる微温的なものとならざるを得ない︒この態度
が枇会的にいって特にいわゆるロOロ
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とな現詩垣の性格を形成したのである︒この傾向に加えて︑或いはこの傾向の故にと
いってもいLのかも知れないが︑戦後多くの青年詩人達が海外にで
かけたことで︑ある︒これは今日の詩墳を研究するものにとって一つ
の鍵 を探 知見 さ吃 る点 であ る︒
殺後の虚院の裡にあって自ら孤独に波わる主出bいの若い詩人法が
未だ見ぬ世界の風物の中に強レ刺戟と興奮を受けたのである︒岡県閣
の光 と色 移と 淳一 間が 彼等 の討 一民 心
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んで 中東 一に 出か けた
︒中 誌の 荒廃 の一 夫︑ 残虐 の−
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被等に新しい感情をそ︑ふったのである︒これらの詳人廷に数えら
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かなしさ︑それがもっ活徳以前の交化の美︑︑が彼等の詩にちりばめ
られている︒そしてそこに生み出されている詩こそA7日の英詩棋の
回収美の詩である︒それは秘覚的色︐錨人的な︑記述的なものであ
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♂的 で叙 古学 的な お写 をい うの であ る︒
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うOプレイザーさんはらのようにまだ若い三十四才の詩人であるo
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洋好きである点はブラシデザJさんにまけないと
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をうたったものがでて来つLある︒さらに長図的な障問調に加うるに
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人に憾みあり﹂というご仰の詩に如くはない
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人の議設に一存を傾けるとき︑私尖には白木はきっとこの詩人の好き
な闘であることが感じられ︑さらに詩人が中京の仏政行で如何た以上の
枚法一をこの極東日木から符られるこしιを矧符ーするし︑それを私は心
ιから削っていることJ乞
附記 して おき たい ので
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るような表説た見一るけれと弘︑あくまでも記述的な中京風景の中に
それが美し︿詩化されているといってよい︒現代のギ
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を以てわれらの生命を一一泊することになるのだ﹂とか︑ド一玖いはまた
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を眺めることはいLことであるが︑その円周だけを見てその中心を
鱈むことを忘れてはならない︒
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己完はそれを忘れている︒
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践後五年間の英詩塙一の展望として以上で充分とは私は思わない︒
けれども談後の庫院からまだぬけきり得ない友色の英閣と︑熱︿も
冷くもない今臼の詩恨の様相は否むべくもない︒然しyレイザーさ
んもいう如く英閣の如何統精神がこの際仁こそ生き返り︑未︑たつなぎ
得ずにいる過去と現在との結びをよく女学が可能ならしめ︑自由の
市立帆が昨日て英凶的のものの︵切に生命を輿えていたように必ずや新
らしい息吹となって表説されるのはそう惑︿はないと考えられる︒
アイザレーさんが最託
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ローはほ巾は笈谷に傍わる口止昔︑賠同誌の彼方の光り︑空しさにつなが
る実在︑死に結ばれた生命の位界秒一暗示している︒全議十二節の中
から初めの二節を引用しようo
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詩の必紛の政に︑確信してよいと思うのである︒
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習 に あ せ り す ぎ る こ 止におい丈いる︒詩のメツセイジについては︑詩がわれらに牧誌のこ
とを諮りわれらの精締をひきしめるとか︑紳秘的だとか宗致問げた
とかといった忠由から判断されてはならない︒詩が何らかのメツセ
イジヂ一体一淫しているからいふなととは品唱えてはならない︒判断の基
礎は須く作者の山口弘ぬ宮によめるU心理的に形而上的に﹁湘察﹂に
絞した詩がよき言語と搭誌に対すお関心とに結合ナおとぎにのみ︑
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討が生まれるものだといっているGこの
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怒突に突を結ぶことを信じ︑その人間と社会と自然べの潔い洞察の
中に正しい意味においての詩の
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