密 教 文 化
ネ ワール語銘文 を持つ チベ ッ ト仏教絵画 につ いて
吉
崎
一
美
は じめ に
タ ンカ と総 称 さ れ る チ ベ ッ ト仏 教 絵 画 の 中 に、 ネ ワー ル語 の銘 文 を 持 っ
作 品 グ ル ー プが あ る。 そ れ ら は、 十 七 世 紀 か ら十 九 世 紀 にか け て、 チ ベ ッ
トとの 交 易 に従 事 した ネ ワー ル商 人 た ち の依 頼 に よ って、 シガ ツ ェの タ シ
ル ン ポ寺 を 中 心 に制 作 さ れ た とい わ れ て い る。 本 稿 で は それ らの銘 文 を 解
読 し、 これ らの 作 品 グ ル ー プ に共 通 す る特 徴 を探 る。
1. 韓 国ハ ンビ ッッ文化 財 団所蔵 チベ ッ ト仏教 絵 画の ネ ワー ル語 銘文 につ いて
韓 国 ハ ン ビ ッツ文 化 財 団 に所 蔵 され る膨 大 な チベ ッ ト仏 教 絵 画 の コ レ ク
シ ョ ンに は、 田 中 公 明 氏 に よ る詳 細 な 解 説 と紹 介 が あ る([田
中1998],
[田中2000],
[田 中2001],
[田 中2003],
お よ び[田
中2001b])。
本 節
で は、 そ れ らの 中 か ら特 に ネ ワー ル語 の 銘 文 を持 つ 絵 画 を取 り上 げ、 そ の
銘 文 の 解読 を 試 み る。 解 読 に は、 印刷 刊 行 され た 図 版 の拡 大 コ ピー を用 い
た。 印刷 技 術 の進 歩 に よ って、 こ う した方 法 で の解 読 もあ る程 度 まで 可 能
に な った。 世界 各 地 に散 在 す る絵 画 資 料 を 見 て 回 るチ ャ ンス は、 誰 に で も
あ る わ け で はな い。 そ れ が こ の分 野 の研 究 の 進 展 を妨 げ て きた 主 要 な理 由
で あ る と考 え れ ば、 精 緻 な印 刷 は歓 迎 す べ き資 料 で あ る。 む ろん、 実 物 か
らの解 読 が最 も望 ま しい こ と は言 うま で もな い。 そ れ で今 回 は、2001年5
月12日 か ら7月1日
まで 福 岡 ア ジア美 術 館 で 開 催 され た、 同 コ レク シ ョ ン
の 「タ ンカ の世 界 一チ ベ ッ ト仏 教 美 術 展 」(注1)に
お い て、 田 中 氏 と福 岡 ア
ジ ア美 術 館 の厚 意 を受 け、 実 際 の銘 文 と照 合 す る機 会(2001. 6. 6.)を
得
た。 銘 文 の ロ ー マ ナ イ ズ ・ トラ ンス ク リプ シ ョ ンに あ た り、()内
は筆 者
の 解 釈、[]内
は筆 者 に よ る補 足 を示 し、....は判 読 不 能 を 意 味 す る。 ま
た訳 文 中 の()内
は筆 者 の補 足 で あ る。
(1)チ ャ ン ダ ・ マ ハ ー ロ ー シ ャ ナ 曼 茶 羅([田 中2000:38-40, esp., 39]= vol. 2, no. 13)(line
1)om namah sricandamaharosanaya////sl[ey]o[']stu//
samvat 949 mti bhadravamase krsnapakse
dasamyam////tithau
punarvasunaksatre
parighanayoge jathakarttumuhurtte
mamgalavara-sare kamnyarasigate savitare
mithunarasigate
camdramasi////
etat
dine sri 3 candamaharosanaya mandala sampurnna siddha yens
dina
(line
2)juro////danapati jajamana nepalamandale
kasthamanda-pamahanagale omvahatola manjusrlnava(!)ka
mahavyahare nivasita
iyutakse
dhvakavahacaya vasthita sri sakyabhiksu bhuvamnakara
kasya jyestha
putra bhajupati
tasya bharyya dhanamati tasya putra
bhajunarasim tejanarasim...
(line
3)....putri
tejaprajnalaksmi
thuti
samucayanam
tejanarasim-ya.
ati
dharmmacitta utpatti
juyao utrapamtha gamana kale
brahma-putra nadi samgame samducaityaparvatasthane
tasirumbu
mahavyha-re sikhakse
name desasa
ruti(?)nasa
vepali
jusyam cone verasa////
(line
4)//sri 3 candamaharosapa mapdala dayaka
juro///thva-teya punyena jajamanasya ayu arogya kamanartha jnanasiddhi
jasa-vrddhi
karyyasiddhyartha
astadhatu
navaratna paripurnna
kamanar-tham iha loke
sukha sampatti paraloke
moksa sukhavati
bhuvana
pra-ptyartham//subham bhuyat//
<和訳>オー ム、 吉 祥 な る チ ャ ン ダ ・マ ハ ー ロ ー シ ャ ナ(尊)に 帰 ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て密 教 文 化 依 し ま す。 幸 い あ れ。(ネ ワ ー ル)暦949年(西 暦1829年)バ ドラ 月 の 黒 分 の 第 十 日、 ブ ナ ル ヴ ァ ス ・ナ ク シ ャ ト ラ(井 宿)、 パ リ ガ ナ. ヨー ガ、 ジ ャ タ ー カ ル トゥ ・ム フ ー ル タ、 火 曜 日、 カ ヌ ヤ ー ラ ー シ 日、 サ ヴ ィ ト リの ミ ト ゥナ ラ ー シ 日、 チ ャ ン ド ラ マ シ(い ず れ も月 や 星 な ど の 位 置 を 特 定 す る)。 こ の 日 に、 吉 祥 な る こ と三 度 の チ ャ ン ダ ・マ ハ ー ロ ー シ ャ ナ の マ ン ダ ラ が 完 成 し た。 施 主 寄 進 者 は ネ パ ー ル. マ ン ダ ラ(カ トマ ン ズ 盆 地)の カ シ ュ タ マ ン ダ ブ. マ ハ ー ナ ガ ラ(カ トマ ン ズ 市 の 南 地 区)の オ ン バ ハ. トー ル に あ る マ ン ジ ュ シ ュ リー ナ カ. マ ハ ー ヴ ィハ ー ラ に住 む(以 下 の 一 節、 意 味 不 明 地 名 な ら び に 寺 名 の 固 有 名 詞 と 推 定 さ れ る)、 吉 祥 な る シ ャ ー キ ャ 比 丘 の ブ ヴ ァ ナ カ ラ、 そ の 長 男 の バ ー ジ ュ パ テ ィ、 そ の 妻 の ダ ナ マ テ ィ、 そ の 息 子 の バ ー ジ ュ ・ナ ラ シ ン、 テ ー ジ ャ ・ナ ラ シ ン、……(この 部 分 は も と か ら 空 白 で あ る の か も し れ な い)、 娘 の テ ー ジ ャ ・ プ ラ ジ ュ ニ ャ ー ・ ラ ク シ ュ ミー、 こ れ ら(の 者 た ち)が 集 ま り、 テ ー ジ ャ. ナ ラ シ ン の 宗 教 心 が 起 き て、 北 へ の 旅 の 途 中 で、 ブ ラ フ マ プ トラ 川 の 岸 辺 の、 サ ン ド ゥ ・ チ ャ イ トヤ 山 の 地 に あ る、 タ シ ル ン ポ 大 寺 院 で、 シ ガ ッ ェ と い う 地 方 で、 (以 下 の 一 節、 意 味 不 明 地 名 ま た は交 易 の 物 品 名 と 思 わ れ る)交 易 を し て い た 時 に、 吉 祥 な る こ と 三 度 の チ ャ ン ダ. マ ハ ー ロ ー シ ャ ナ の マ ン ダ ラ を 制 作 し た。 こ れ ら の 功 徳 に よ っ て、 施 主 の 長 寿 ・無 病 息 災 ・願 い 事 ・財 産. 知 恵 の 完 成 ・名 誉 の 増 大 ・仕 事 の 完 成 の 目 的 が(叶 え ら れ、 ま た)八 種 の 貴 金 属 と 九 種 の 宝 石 を 満 た す 願 い が、(さ ら に は)こ の 世 で の 幸 福 と 成 功、 来 世 で は(輪 廻 か ら の)解 脱、 極 楽 世 界 へ の 到 達 と い う 目 的 が(叶 え ら れ ま す よ う に)。 幸 い あ れ。 <所 見> タ シ ル ン ポ 寺 は シ ガ ッ ェ の 近 郊 に 位 置 す る。 正 確 に 判 読 し が た い 部 分 が あ る と は い え、 こ の チ ベ ッ ト様 式 の マ ン ダ ラが タ シ ル ン ポ 寺 の 領 域 内 で 制 作 さ れ た こ と は 明 らか で あ る。 制 作 依 頼 者 の ネ ワ ー ル 人 は 仏 教 僧 侶 カ ー ス トに 属 しっ っ、 チ ベ ッ トと の交 易 に 従 事 して い た。 マ ン ジ ュ シ ュ リー ナ カ ・マ ハ ー ヴ ィハ ー ラManusrinaka mahavihara(ネ ワ ー ル 名 を ビ カ マ ー ・バ バBikama Bahaと い う)は、 今 も カ トマ ン ズ 市 南 地 区 の オ
ンバ ハ ・ トー ル に あ る。 か っ て は 市 内 有 数 の 経 済 力 を 誇 り、 付 属 す る支 院 は 市 内 で 最 多 の 十 二 を 数 え る。 そ の 一 っ は、 ラ サ と の 交 易 に 従 事 し た ラ ト ナ ー カ ラ ・シ ャ ー キ ャ の 創 建 と さ れ る([Locke1985:356-367, esp. , 358, 362])。
(2)白 傘 蓋 仏 母Sitatapatra([田 中2000:166-167, esp., 167]=Vo1. 2, no. 75) (line 1)om namah sri mahapratyamgirayai//sl[ey]o[']stu//
samvat 933 miti vaisakhamase suklapakse naomyayam tithau purvva-phalguninaksatre vyaghatayoge yathakarnnamuhurtre adityavara-sare mesarasiga[te)vitrari sirasigate candramasi
(line 2)...dine//dana...para mahaviharavasthi-to.ya jyestha pu.sri bhaju...sri....sya pra-thama putra sri
(line 3)tradi sakara pariva[ra]sa mohana juyao vimnalasimha tasiru[m]bu mahaviharasa nana vanije vyapara yanam cony verasa dharmmacitta[u]tpatti juyao thva mahapratyamgira pattibhara dayaka juro//ete dharmmena jajamanaya sadakalam subham//
<和訳>オーム、 吉 祥 な る マ ハ ー プ ラ テ ィ ア ン ギ ラ ー(尊)に 帰 依 し ま す。 幸 い あ れ。(ネ ワ ー ル)暦933年(西 暦1813年)ヴ ァ イ サ ー ク 月 の 白 分 の 第 九 日、(月 や 星 の 位 置 は)プ ー ル ヴ ァ ・ フ ァ ー ル グ ニ. ナ ク シ ャ ト ラ(張 宿)、 ヴ ィ ヤ ー ガ ー タ ・ ヨ ー ガ、 ヤ タ ー カ ル ト ゥ. ム フ ー ル タ、 日 曜 日、 メ ー シ ャ. ラ ー シ 日、 ヴ ィ ト ラ リ(?)、 シ ラ ー シ 日、 チ ャ ン ド ラ マ シ(に あ た る)。(施 主 は) 大 寺 院 に 住 む の 長(男) の 第 一 子 な ど、 す べ て の 一 族 が 魅 了 さ れ、 ヴ ィ ン ・ ナ ラ シ ン ハ が タ シ ル ン ポ 大 寺 院 で 種 々 の 商 業 交 易 を し て い た 時 に、 宗 教 心 が 起 き て、 こ の マ ハ ー プ ラ テ ィ ア ン ギ ラ ー の 画 像 を 制 作 し た。 こ の ダ ル マ に よ っ て、 常 に 施 主 に 幸 い あ れ。 <所見>この絵画 は 今 回 の 展 覧 会 に 出 展 さ れ て お ら ず、 銘 文 の 解 読 は ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て
密 教 文 化
印 刷 図 版 に依 拠 す る。 そ の た め に、 金 文 字 で 記 され た第 一 行 と第 三 行 に比
べ て、 銀 文 字 で 書 か れ た第 二 行 の判 読 が 困難 で あ る。 と は い え、 この 絵 画
もまた(1)と同 様 の状 況 で 制 作 さ れ た と推 定 で きる。 女 尊 マハ ー プ ラテ ィ ア
ンギ ラ ー は 白傘 蓋 仏 母 の別 名 で あ る。 白傘 蓋仏 母 を思 念 す る者 は阿 弥 陀 の
浄 土 に生 まれ る と され、 ネ ワ ー ル人 た ち は この女 尊 が 特 に ゲ ー ル ク派 で 尊
重 され る と認 識 して い る([Sakya
1998:74])。 タ シル ンポ寺 はゲ ー ル ク派
の 大本 山 で あ り、 そ こ に住 む パ ンチ ェ ン ・ラマ は阿 弥 陀仏 の化身 と され る。
画 面左 下 隅 に チベ ッ ト服 を着 た人 物 が 描 か れ て い る。 パ ル に よ れ ば、 「(こ
う した)絵 画 の い くっ か は、 チ ベ ッ トの形 式 を踏 襲 して、 施 主 の 肖像 画 を
描 か な いが、 別 の もの は ネパ ー ルの 流儀 に合 わせ よ う と して い る。十 八 世
紀 初期 の タ ン カで は、 神 が 立 っ 蓮 華 の 台座 の左 に、 典 型 的 な ネパ ー ル 衣 装
を着 た カ ッ プル が 書 き加 え られ て い る。十 九 世 紀 の 諸例 で は も っと頻 繁 に、
一列 に な った人 物 た ち が 定 型 的 な 様式 で(絵 画 の)最 下 辺 に描 か れ て い る。
明 らか に ネ ワー ル の施 主 の あ る者 た ち は、彼 らが 制 作 を 依 頼 した絵 画 の 中
に こ う した表 現 を含 ませ る よ う に望 ん だ の で あ り、 チ ベ ッ トの 作 者 は そ れ
に応 え よ う と した の で あ る」 と い う([Pal 1978:154])。
(注2)2.
タ シ ル ン ポ 寺 と 「ラ サ 」
パ ル の指 摘 に よ れ ば、 「(ネワー ル語 の銘 文 を持 つ)十 七 世 紀 以 後 の タ ン
カ の多 くは、 そ れ らの タ ンカ の浄 め(完 成 儀 礼)が ネパ ー ル の 交 易 商 人 た
ち に よ って な さ れ た と記 録 す る。 こと に それ は タ シル ンポ僧 院-ネ パ ー ル
とチ ベ ッ ト間 の交 易 ル ー ト上 に位 置 す る 一 にお い て、<そ
の者 の 財 の増 加
と、彼 の家 族 の物 心 両 面 で の 向上 を願 って>のこと で あ った。 さ らに別 の
タ ンカ は、 巡 礼 者 に よ って制 作 が依 頼 され、 僧 院(参 拝)の 記 念 に持 ち帰
られ た」 と い う([Pal 1969:26])。 持 ち帰 られ た タ ンカ は、 た と え ば、
「トラ ダル た ち の家 の仏 間 に は、 しば しば チベ ッ トの タ ン カ や ダ ラ イ. ラ
マ の 肖像 画 が 飾 られ て い る」([Lewis 1984:484])と
い う よ う に、 チ ベ ッ
ト仏 教 を支 援 し、 チ ベ ッ トと の交 易 を積 極 的 に推進 す る者 たちの 問で、 日々
の 礼 拝 の対 象 と され た。 トラ ダ ル や後 述 の タ ム ラカ ル は、 ネ ワ ール の 在 家
仏 教 徒 カ ー ス トに属 し、 ウ ラ エUray(ウ
ダ ー スUdas)と
総 称 され る。
これ らの銘 文 は、 そ の 絵 画 の 制 作 地 が シ ガ ツ ェの タ シル ンポ寺 で あ る と
明確 に記 して い る。 そ れ に対 して、 ラサ の 地 名 の み を 記 して、 そ れ以 上 の
寺 名 を挙 げ な い銘 文 もあ る。 そ れ らは実 際 に ラサ で 制 作 され た と も解 釈 で
き る(ラ サ の ア ト リエ が僧 院 内 に あ っ た と は限 らな い)し、 あ るいは また、
ラサ に滞 在 す る者 た ち が、 ラサ以 外 の 地(す
な わ ち タ シル ンポ寺)に 赴 き、
そ の地 で タ ンカ を制 作 した と も考 え られ る。 た とえ ば パ ル は、「あ る典 型
的 な銘 文 に よ れ ば、一 般 に 金 属 を 扱 う タム ラ カル(・ カ ー ス ト)の 商 人 が
交 易 の た め に ラサ に行 き、 そ の間 に タ シ ル ンポ寺 を訪 れ、 そ こで絵 画 の 制
作 を 依 頼 し、完 成 の儀 礼 を(も)行
った 」 と い う例 を挙 げ て い る([Pa1
1-78:154])。 こ の よ うに、 チ ベ ッ トと の交 易 に従 事 した ネ ワール人 た ち は、
タ シル ンポ寺 や 「ラサ 」 の 地 で チ ベ ッ ト様 式 の仏 画 を作 り、 それ に ネ ワ ー
ル語 の 銘 文 を書 き添 え た。 そ の よ うな作 例 を もう少 し追 って み よ う。(3)は
タ シル ンポ寺 で制 作 され、 また(4)-(6)は ラサ の 地 名 を 挙 げ る。
(3)釈 迦 を 中 心 と す る ツ ォ ク ・ シ ン(ボ ス ト ン 美 術 館 所 蔵[栂 尾1986:III 8-1, 解 説pp. 58-60])(line 1)svasti srimatsri sakyasimhatathagatasya buddhaksatre
(ksetre)bhadrakal[p]ehema...parvvatarajnoktagbudinya(?)kariju-ge aryyava[r]t[a]punyabhumau nepara[de]se vasukiksetre vagamatya-yam purvvakule kesavatyaya[m] urtta(uttara)kule samkhavatya-ya[m] vayuvakule urttaragvapuchagripave(-giriparvate) svayambhu-
(line 2)ne(sthane)////sl[ey]o[']stu samvat 916 vaisakhamase sukrapakse trtiyam tithva mrgasiranaksatre surajoge jathakarnna-muhutre mamgalavarasare vikharasigate savitre mithunarasigate
ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て
密
教
文
化
ca[rn]dramasi////danapati
neparamandare
lalitapuramahanagare
(line
3)havihare taokhaksaya
dharmmatarma(dharmatma)sri
sakyavamsa nipindrajoti
utrapa[m]tha(uttarapatha)gamanakale
tasirumg(!)bu
mahavlhare
sa[m]ducaityaparvvatasyagfe
brahmaputra
nadi
samgamya sikhaksa
nama desasa
kikirakhasa
gyayamkusalaya
vepali
urjjaya
juyao
Bona
(line
4)sa dharmmacitta
utpati
luyao sri
3 sakyasirpha
bhagavan
pativahara
likhapita
sva...pitamahi
pramajoti
pits
chatra-joti
matra ranimuni
daju
kija
tats kehe thvanam jva...to
juyao
kosya
namana dayaka p[r]atima
julo
subha[m//]
< 和訳>吉祥に して 吉 祥 な る 釈 迦 獅 子 如 来 の 仏 国 土 で、 バ ド ラ ・カ ル パ(賢 劫)の、(一 部 不 明)、 カ リ ・ユ ガ に、 ア ー ル ヤ ー ヴ ァ ル タ(ア ー ル ヤ 人 の 国)と い う福 徳 の 地 で、 ネ パ ー ル の 地 で、 ヴ ァ ー ス キ(竜 王)の 国 土 で、 ヴ ァ グ マ テ ィ(川)の 東、 ケ ー シ ャ ヴ ァテ ィ(川)の 北、 シ ャ ン カ ヴ ァ テ ィ(川)の 北 西、 優 れ た ゴ ー プ チ ャ(牛 尾)山 の 頂 に位 置 す る ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー の チ ャ イ トヤ の 地 に お い て、(私 は 宣 言 す る)。 幸 い あ れ。(ネ ワ ー ル)暦916年(西 暦1796年)ヴ ァ イ サ ー ヵ 月 白 分 第 三 日、 ム リ ガ シ ラ. ナ ク シ ャ ト ラ(紫 宿)、 ス ー ラ ・ ヨ ー ガ、 ヤ タ ー カ ル ト ゥ. ム フ ー ル タ、 火 曜 日、 ヴ ィ カ ー ラ ー シ の 日、 サ ヴ ィ ト リの ミ ト ゥ ナ ラ 「 シ の 日、 チ ャ ン ド' ラ マ ー シ の 日 に、(私 は 宣 言 す る)。 施 主 は、 ネ パ ー ル ・マ ン ダ ラ(カ トマ ン ズ 盆 地)の ラ リ タ プ ル 市 に あ る、 ヴ ァ イ シ ュ ラ ヴ ァル ナ. マ ハ 〒 ヴ ィハ ー ラ に 住 む、(一 部 不 明)、 信 仰 心 の 深 い、 吉 祥 な る シ ャ ー キ ャ族 の ニ ピ ン ド ラ(ヌ リペ ン ド ラ?)・ ジ ョ ー テ ィ で あ り、 北 へ の 旅 の 途 中 で、 タ シ ル ン ポ大 寺 院 で、(サ ン ド ゥ?・)チ ャ イ トヤ 山 の 頂 き で、 ブ ラ フ マ プ ト ラ川 の 岸 辺 で、 シ ガ ツ ェ と い う名 の 地 で、(「 部 不 明)交 易 に 励 ん で い る 時 に、 宗 教 心 が 起 き て、 吉 祥 な る こ と 三 度 の 釈 迦 獅 子 世 尊 の 画 像 を 描 か せ、 自 ら の(一 部 不 明)、 祖 母 の プ ラ マ ー(?). ジ ョー テ ィ、父 の チ ャ ト ラ. ジ ョー
テ ィ、 母 の ラ ー ニ ム ニ、(ま た)兄 弟 姉 妹、(一 部 不 明)の 名 に よ っ て、 (こ の)絵 を 制 作 し た。 幸 い あ れ。
〈 所 見 〉 ヴ ァ イ シ ュ ラ ヴ ァ ル ナ. マ ハ ー ヴ ィ ハ ー ラ は、 パ タ ン(ラ リ タ プ ル)に あ る グ ジ. バ バGuji Bahaで あ ろ う (see[Locke 1985:121-124])。 「釈 迦 獅 子 世 尊 の 画 像 」 と あ る よ う に、 中 央 に ひ と き わ 大 き く釈 迦 の 像 が 描 か れ、 そ の 周 囲 で 多 数 の 神 々 や 祖 師 た ち が ッ ォ ク ・シ ン(集 会 樹) を 形 成 して い る。 こ の 絵 画 に っ い て は[森1998], [森2003]の 研 究 が あ る。
(4)ヴ ァ ス ダ ラ ー ・ マ ン ダ ラ(Rijksmuseum voor Volkenkunde, Leiden [Pal 1969:no. 34, 解 説pp. 142-143])
(line 1)orp namah sri vasudharadevyai namah///sreyo[']stu
samvat...mti bhad[r]ava krsna trtiya sunhu siddhayaka danapati nepalamandale kasthamandapa mahanagare krttipunya vajradhatu-caitya mahavihare vasthita sakyabhiksu sri bhaju dyao(?)srl dhamju sri bhajumana mana vasalaksml thakumati lanimati danalaksmi thvati parivara samuccaya juyao sri bhajumana(mata?)brahmaputra nadi paramge lhasa....
(line 2)...to bhuvane simhasarthavaha avatare jasasvalapala name grhasa nana vanirtha(vanijya?)yasyam cone velasa manasa dharmmacitta utpatti juyao sri 3 vasumdhara mandala pratibha.... dayaka thugu punyana jajarnanasya jana dhana santana laksmi vrddhir
astu iha janme sukha sampatti paratre anuttara jnana vrddhir astu samsale sarvasatva uddharanartham su[bham']stu...//
< 和訳>オーム、 ヴ ァ ス ダ ラ ー 女 神 に 帰 依 し ま す。 幸 い あ れ。(ネ ワ ー ル)暦....年 バ ド ラ 月 黒 分 第 三 日 に 完 成 し た。 施 主 は、 ネ パ ー ル ・マ ン ダ ラ(カ トマ ン ズ 盆 地)の カ シ ュ タ マ ンダ ブ ・マ ハ ー ナ ガ ラ に あ る、 ク リ テ ィ プ ヌ ヤ. ヴ ァ ジ ュ ラ ダ ー ト ゥ ・チ ャイ トヤ ・マ ハ ー ヴ ィ ラー ラ に住 む、 シ ャー キ ャ比 丘 の 吉 祥 な る バ-ジ ュ ・デ ィ ヤ オ、 吉 祥 な る ダ ン ジ ュ、 吉 祥 な る バ ー ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て
密 教 文 化 ジ ュ. マ ナ、 ヴ ァ サ ・ ラ ク シ ュ ミ ー、 タ ク ・マ テ ィ、 ラ ー 二 ・マ テ ィ、 ダ ー ナ. ラ ク シ ュ ミ ー、 これ ら の 家 族 が 集 ま っ て、 吉 祥 な る バ ー ジ ュ ・マ ナ が ブ ラ フ マ プ ト ラ川 を 渡 り、 ラ サ....、 シ ン ハ サ ー ル タ. バ ー フ の 化 身 と して、 ジ ャ カ ー ソ ラ ー ・パ ー ラ ー と い う名 の 家 で、 種 々 の 商 売 を し て い た 時 に、 宗 教 心 が 起 き て、 吉 祥 な る こ と三 度 の ヴ ァ ス ダ ラ ー. マ ン ダ ラ の 画 像(一 部 不 明)を 作 っ た。 こ の 福 徳 に よ っ て、 施 主 に は 一 族 と 財 産 と子 孫 と 幸 運 が 増 大 す る べ き で あ る。 こ の 世 で は 安 楽 と繁 栄 が、 別 の 世 で は 無 上 の 知 恵 が 増 大 す る べ き で あ る。 輪 廻 の 世 に 住 む、 一 切 の 衆 生 が 救 済 さ れ る よ う に(私 は 祈 り ま す)。(幸 い あ れ)...。 <所見>ネワー ル 暦 の 数 字 が こ こ で は 読 み 取 れ な い が、 パ ル は 西 暦 1829年 と 紹 介 す る か ら、 彼 は そ こ に949の 数 字 を 読 ん だ の で あ ろ う。 カ シ ュ タ マ ン ダ ブ ・マ ハ ー ナ ガ ラ は カ トマ ン ズ 市 の 南 地 区 に 相 当 し、 ク リ テ ィ プ ヌ ヤ. ヴ ァ ジ ュ ラ ダ ー ト ゥ ・チ ャ イ トヤ ・マ ハ ー ヴ ィ ハ ー ラ は、 ラ ガ ン. バ バLagarp Bahaに 比 定 で き る。 こ の バ バ の サ ン ス ク リ ッ ト語 名 称 は キ 「 ル テ ィ プ ヌ ヤ ・マ ハ ー ヴ ィハ ー ラ で あ り、 ま た キ ー ル テ ィ プ ヌ ヤ ・ヴ ァ ジ ュ ラ ダ ー ト ゥ ・チ ャ イ トヤ ・マ ハ ー ヴ ィ ハ ー ラ と 呼 ば れ る こ と も あ る(see [Locke 1980:27], [Locke 1985:313-317])。 チ ベ ッ ト に(特 に ラ サ に) 在 住 す る ネ ワ ー ル の 交 易 商 人 た ち に よ っ て 組 織 さ れ た 共 同 体 を パ ー ラ ー と い う。 ジ ャ カ ー ソ ラ ー ・パ ー ラ ー は そ う し た 共 同 体 の 一 っ で あ っ た と 思 わ れ る。 シ ンハ サ ー ル タ ・バ ー フ は ネ ワ ー ル の 伝 説 的 な 交 易 商 人 の 英 雄 で あ る(注3)。絵 画 の 最 下 辺 に 施 主 一 族 の 姿 が 小 さ く描 か れ、 そ れ ぞ れ に 上 述 の 人 物 名 が 記 さ れ て い る が、 そ の 「肖 像 画 は 定 型 的 な 表 現 に す ぎ ず、 実 際 に 個 々 の 人 物 を 描 き 出 そ う と す る意 図 は 認 め ら れ な い 」([Pal 1969:142])。
(5)タ ー ラー と弥 勒 菩 薩 像(北 海 道 帯 広 市、秋 元 進 一郎 氏 蔵)
(図1-3)(注4)(line
1)om namah sri
aryyatarayai//namo maitrivodhisatvaya//
//sreyo[']stu stvam(samvat)979 mti jyestha suklaya pamcami
図1図1
タ ー ラ-と 弥 勒 菩薩 像(全 体)
図2
タ-ラ-と
弥 勒 菩 薩 像(銘
文 左 半 分)
図3
タ-ラ-と
弥 勒 菩 薩 像(銘 文 右 半 分)
ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て密
教
文
化
adityavara
thva sunhu yala
vuvahala vuddha jasodhara
mahaviharaya
nhulacheya
vaja[ca]ryya sri
kulamana sim kayaca sri joganara sim
nimha
(line
2)kagu lhasa desasa vanijya
yens cone velasa dharmacitta
utpatti
juyao sri kulamana simya svabharyya dhattaraksmi
svarga-lohana juomhaya namana thva sri aryyatara pratima svaputra sri
dhanajoti
simya namana thva maitrlvodhisatva
pratima dayaka
(line
3)na jula//subham//
<和訳>オーム、吉 祥 な る 聖 タ ー ラ ー(女 神)に 帰 依 し ま す。 弥 勒 菩 薩 に 帰 依 し ま す。 幸 い あ れ。(ネ ワ ー ル)暦979年(西 暦1859年)ジ ェ ー シ ュ タ月 白 分 第 五 日 の 日 曜 日、 こ の 日 に、 パ タ ンの ブ バ ハ ル、 す な わ ち ブ ッ ダ ヤ シ ョ ー ダ ラ ・マ ハ ー ヴ ィ ラ-ラ の、 ヌ ラ チ ェ の(ヌ ラ チ ェ に住 む?) ヴ ァ ジ ュ ラ ー チ ャ ー ル ヤ で あ る、 吉 祥 な る ク ラ マ ー ナ ・シ ン、 息 子 の 吉 祥 な る ヨ ー ガ ナ ラ ・シ ン の 二 人 が、 父 と 息 子 の(住 む?)ラ サ の 地 で 商 売 (交 易)を し て い た 時 に、 宗 教 心 が 起 き て、 吉 祥 な る ク ラ マ ー ナ シ ン の 妻 で あ る ダ ッ タ(?)・ ラ ク シ ュ ミー と い う、 天 界 に 上 っ た 者(故 人)の 名 に よ っ て、 こ の 吉 祥 な る 聖 タ ー ラ ー の 像 を、(ま た)息 子 の 吉 祥 な る ダ ナ ジ ョ ー テ ィ ・シ ン の 名 で、 こ の 弥 勒 菩 薩 の 像 を 制 作 し た。 幸 い あ れ。 <所見>銘文か ら は、 息 子 の ダ ナ ジ ョー テ ィ ・ シ ン が 存 命 で あ る の か ど う か 判 然 と しな い が、 こ こ で は 母(タ ー ラ ー ダ ッ タ?・ ラ ク シ ュ ミー)` が 子(弥 勒 ダ ナ ジ ョ ー テ ィ ・ シ ン)を 抱 く姿 が 想 定 さ れ て い る も の と思 わ れ る。 ア ン シ ュ ヴ ァ ル マ ン王 の 時 代 に ネ パ ー ル か ら チ ベ ッ トの ソ ン ツ ェ ン ガ ン ポ王 に 嫁 い だ ブ リ ク テ ィ ー 妃 は、 チ ベ ッ トに タ ー ラ ー と弥 勒 の 像 を 持 参 した と い う。 ま た 田 中 氏 の 教 示 に よ れ ば、 絵 画 の 下 方 に ラ サ の 守 護 神 ラ モ チ ェ と思、わ れ る 女 尊 の 姿 が 見 ら れ る。 そ れ で こ の絵 画 は、 ラ サ の ト ゥ ル ナ ン寺(チ ョ カ ン)を 念 頭 に 置 い て い る の か も しれ な い。 (6)ブ ッ ダ ガ ヤ の 大 仏 塔([Wee 1969])
こ の タ ン カ は、1969年 に チ ュ ー リ ッ ヒ な ど で 開 催 さ れ た チ ベ ッ ト美 術 展 に 出 品 さ れ た。 プ ー ル ナ ・ハ ル シ ャ ・ヴ ァ ジ ュ ラ ー チ ャ ー ル ヤ 氏 に よ る 銘 文 の 解 読 に よ れ ば、 「こ の タ ン カ は ネ パ ー ル 暦(ネ ワ ー ル 暦)923年(西 暦 1803年)ジ ェ ー シ ュ タ 月 白 分 第 三 日 の 日曜 日 に奉 献 さ れ た。 施 主 は、 ネ パ ー ル の カ ー ン テ ィ プ ル に あ る ト ゥ ネ ケ. ネ タ に 住 む、 ク リ シ ュ ナ ・ダ ナ. ト ゥ ラ ダ ル、 ダ ル マ ・ ラ ク シ ュ ミ ー. ト ゥ ラ ダ ル、 な ら び に ク リ シ ュ ナ ・マ テ ィ で あ る。 こ の タ ン カ は、 故 人 と な った 祖 父 の プ ー ル ナ シ ッデ ィ と祖 母 の デ ィ ネ ー シ ュ ヴ ァ リー に 捧 げ られ た。 こ の 主 題 の 絵 画 を 制 作 依 頼 す る(こ と に な っ た)宗 教 的 な 思 い は、 ク リ シ ュ ナ ・ ダ ナ が ラ サ に 滞 在 し て、 ラ カ ン ・ パ ー ラ ーLhakampala(マ マ)の 一 員 と して 商 売 を し て い た 時 に 生 ま れ た。 タ ン カ の 題 名 は ブ ッ ダ ガ ヤ で あ る 」([Wee 1969:300])と い う。 た だ し、 「こ の 絵 画 は ブ ッ ダ ガ ヤ ・ス ト ゥ-パ の 正 確 な コ ピ ー で は な く、 も っ と 自 由 な 概 念 に 基 づ い て い る 」([Wee 1969:296])。 「ネ タ」 は、 カ トマ ン ズ 旧 市 街 の 中 心 部 ア サ ン ・ トー ル か ら 西 ヘ ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー に 向 か い、 ナ ラ デ ー ヴ ィ ー を 過 ぎ て、 か っ て の 城 壁 に 達 す る 地 区 で あ ろ う。 タ ンカ の 右 下 隅 に、 赤 い 帽 子 の 施 主 と そ の 息 子 と 思 わ れ る 少 年 が 描 か れ て い る。
3. ネ ワール語 銘文 を持 っ チ ベ ッ ト仏教 絵画 の特 徴 につ いて の考察
ネ ワ ー ル と チ ベ ッ トの 仏 教 美 術 史 を概 観 す れ ば、 中世 ま で は ネ ワ ー ル の
職 人 が チ ベ ッ ト仏 教 美 術 の 主 要 な担 い手 で あ っ た。 と ころが近世 に な ると、
逆 に チ ベ ッ ト人 が ネ ワー ル の 仏 教 美 術 に影 響 を及 ぼす 流 れ も出 て くる。 パ
ル は ネ ワ ール 語 銘 文 を持 っ タ ンカが 十 七 世 紀 後 半 に登 場 し、 そ の大 多 数 が
十 八 世 紀 と十 九 世 紀 に属 す る と指 摘 す る と と も に、 そ の 影 響 に つ い て、
「こ う した絵 画 が カ トマ ンズ盆 地 に もた らさ れ た こ と は、 ネ パ ー ル の 伝 統
にか な りの衝 撃 を 与 え た。 そ の 最 も根本 的 な影 響 は、十 七 世紀 後半 の ネパ ー
ル 絵 画 に突 然 に導 入 され た、 雪 を い ただ く山 々 に認 め られ るだ ろ う。ネパ ー
ル の画 家 た ち は、 当 時 の タ ンカ に 見 られ る よ うな 丘 や 岩 の構 成 を そ っ くり
ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て密 教 文 化 そ の ま ま 模 倣 し た の で は な い が、 そ の 山 並 み の 風 景 に 関 す る基 本 的 な 理 念 は、 十 七 世 紀 に は 明 瞭 に 独 自 の 様 式 を 完 成 さ せ て い た チ ベ ッ ト絵 画 か ら借 用 した の で あ る。(ネ パ ー ル 絵 画 に)導 入 さ れ た 別 の 特 徴 に は、 ドラ ゴ ン、 ま た 雲 の 形 状、 た な び く ス カ ー フ、 い っ そ う重 厚 に な っ た 衣 装、 玉 座 の 蓮 華 を 有 薬 の よ う に 描 く花 模 様 の パ タ ー ン、 チ ベ ッ ト風 の 人 物 像、 そ し て 最 後 に、 明 る く華 や か な 色 彩 へ の 嗜 好 が あ る。 そ れ ら は チ ベ ッ ト人 が こ と に 好 ん だ も の で あ っ た 」 と述 べ て い る([Pal 1978:154])。 ま た パ ル は、 ラ サ に 滞 在 して い た ヴ ァ ジ ュ ラ ー チ ャ ー ル ヤ に よ る、 チ ベ ッ ト様 式 の 絵 画 を 描 く た め の ス ケ ッ チ ・ ブ ッ ク を 紹 介 して い る。 こ の ス ケ ッ チ ・ ブ ッ ク に は ネ ワ ー ル 暦773年(西 暦1652/53年)の 年 代 記 載 が あ る([Pal 1985:161, 235-236, cf. ibid, P.146])。 ス ラ ッ サ ー は そ の 影 響 が 主 と し て 中 国 か ら の も の で あ る と 考 え て、 「(マ ッ ラ の)三 王 国 時 代 に は、 チ ベ ッ ト人 は 宗 教 用 具 を 自 給 自 足 す る ま で に な って い た。 実 際 の と こ ろ、 彼 ら は ネ パ ー ル の 商 人 た ち の た め に、 頻 繁 に ブ ロ ン ズ や 絵 画、 な ら び に 儀 礼 用 具 を 制 作 した。 そ う した 絵 画(パ タ、 ネ パ ー ル で は ポ ウ バ ー、 チ ベ ッ トで は タ ン カ と い う) は、 主 要 な 奉 献 の 銘 文 が ネ ワ ー ル の 言 語 と書 体 で 書 か れ て い る 点 を 除 い て は、 純 粋 に チ ベ ッ トの 作 品 で あ っ た。 そ う し た 絵 画 の 多 く は タ シ ル ン ポ 寺 で 制 作 さ れ た ら し い。 こ の 時 期、 チ ベ ッ ト美 術 の 影 響、 ま た チ ベ ッ トを 経 由 し て の 中 国 的 な モ チ ー フ も、 ネ パ ー ル 人 の 美 術 の 中 に 顕 著 に な っ た。 ネ パ ー ル で は 異 国 風 で あ っ た モ チ ー フ も、 し だ い に ポ ピ ュ ラ ー に な っ て い っ た。 た と え ば ド ラ ゴ ンや 典 型 的 に 中 国 様 式 の 雲、 ま た 中 国 の 発 想 に よ る 雲 の 乗 り物(な ど)で あ る 」 と 述 べ て い る([Slusser 1982:I, 71-72])。
こ の 新 た な チ ベ ッ ト様 式 はsMan-bris gser-ma派("New Drawing [style of]sMan")と 呼 ば れ た。 ハ ン チ ン ト ン と バ ン デ ル は、 「(十 七 世 紀 後 半 か ら十 八 世 紀 初 頭 に 中 央 チ ベ ッ トで 発 展 した)こ の 様 式 は、 美 術 家 や 交 易 商 人 と して チ ベ ッ トを 旅 し た ネ ワ ー ル 人 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ した。 中 央 チ ベ ッ トか ら の 多 数 の 絵 画 に は ネ ワ ー ル 語 の 銘 文 が 付 さ れ、 そ れ に は そ の 制 作 の 年 代 や、 そ れ らが 完 成 し た 際 の セ レモ ニ ー が 行 わ れ た 年 代 が 記
さ れ て い る。 こ の 習 慣 は こ と に 十 九 世 紀 の 初 期 に 流 行 し た よ う で あ る。 実 質 的 に、 こ の 様 式 の 例 証 と な る す べ て(の 絵 画)はsMan-bris gser-ma 様 式 で あ る。 カ トマ ン ズ 盆 地 に 住 む ネ ワ ー ル 人 画 家 の コ ミ ュ ニ テ ィ も、 最 終 的 に こ の 様 式 か ら強 い 影 響 を 受 け る こ と に な っ た。 十 九 世 紀 後 半 か ら二 十 世 紀 初 頭 に か け て の ネ パ ー ル 絵 画 に は、 そ の 風 景 の 特 徴 と し て、 チ ベ ッ トの 慣 用 的 な 表 現 と の 同 一 性 が 指 摘 さ れ る 」 と 述 べ て い る([Huntington and Bangdel 1996:49])。 こ の 派 に っ い て は[Huntington and Hunting-ton 1990:299-300]、 ま た[Reynolds, Heller, and Gyatso 1986:26]に 概 説 が あ る。
こ う し た 絵 画 の 作 例 と して、 本 稿 で 取 り上 げ た 六 点 の 他 に、 パ ル([Pal 1978])は 次 の 六 点 を 紹 介 す る。 す な わ ち、
Fig.212 パ ン チ ャ ・ ラ ク シ ャ ー 1662年 The British Museum. Fig.214 ヴ ァ ス ダ ラ ー 1689年 Prince of wales Museum. Fig.215 千 手 観 音 1695年 Bharat Kala Bhavan.
Fig.216 不 空 絹 索 観 音 18世 紀 The British Museum. Fig.217 仏 教 マ ン ダ ラ 1805年 The Denver Art Museum.
Fig.218 阿 弥 陀 浄 土 by Bhimanara Singh 1790年 Jim Singer Collection, Los Angeles.
で あ る ま た 別 に 彼 はPrince of Wales Museum所 蔵 の ヴ ァ ス ダ ラ ー (1788年)と タ イ トル 不 明(1821年)の 二 点 を 紹 介 し て い る([Pa11967: 25])が、 残 念 な こ と に 彼 は こ れ ら の 銘 文 の 内 容 を 明 らか に し て い な い。 そ れ で も、 こ れ ら の 絵 画 を 概 観 す る と、 そ の 第 一 の 特 徴 と して、 こ れ ら の 絵 画 は 「明 白 に チ ベ ッ ト様 式 で あ る が、 そ の 主 題 は し ば し ば 典 型 的 に ネ パ ー ル 風 で あ る 」([Pal 1978:154])と い う こ と が 挙 げ ら れ よ う。 主 題 が 「ネ パ ー ル 風 で あ る」 ば か りで な く、 そ こ に は 必 ず ネ ワ ー ル 語 の 銘 文 が 付 さ れ て い る こ と に も注 目 し な け れ ば な ら な い。 そ の 銘 文 は、 基 本 的 に、 ネ パ ー ル の 暦 法 に し た が っ た 日時 の 設 定、 施 主 の 住 所 と 氏 名 の 特 定、 制 作 意 図 の 陳 述 か ら成 り、 そ の 形 式 は か な り 定 型 化 し て い る。 こ の 定 型 化 した 形 ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て
密 教 文 化
式 は、 ネ ワー ル仏 教 儀 礼 の開 始 時 に そ の儀 礼 の趣 旨 を宣 言 す る表 白文(サ
ンカ ルパ ・ヴ ァー ク ヤ)と 同一 の構 造 を して い る(ネ ワ ー ル仏 教 儀 礼 に お
け る表 白文 の諸 例 は[吉 崎1997], [吉 崎1997b]に 紹 介 した)。 同 様 の 定 型
化 した文 句 は、 経 典 書 写 の習 慣 で は、 書 写 さ れ た経 典 の奥 書 部 分(経 典 写
本 の奥 書 にっ いて は[吉 崎 ・田 中1998:244-252]を
参 照 され た い)に
記 さ
れ、 ま た ネパ ー ル国 内 で 制 作 さ れ た絵 画 や宗 教 施 設 の銘 文 に も使 用 され て
い る。 こ れ は、 チベ ッ ト仏 教 の伝 統 下 で絵 画 を制 作 す る こ と が、 一 方 で は
チ ベ ッ トの土 産 と い う意 味 が あ りなが ら も、他 方 で は依 頼 主 の ネ ワ ー
一ル人
に は確 か な宗 教 行 為 と して 認 識 さ れ て い た証 拠 で あ る。
そ の特 徴 の 第 二 に は、 絵 画 の主 題 が 多 岐 に渡 るば か りか、(5)や(6)のよ う
に、 従 来 の 形式 に と らわ れ な い、 か な り 自由 な 発 想 に基 づ く構 成 が 見 られ
る こ とが 挙 げ られ る。 チ ベ ッ トに住 む ネ ワ ール 人 仏 教 徒 た ち は、 ネパ ー ル
国 内 の同 輩 た ち よ り も は るか に多 様 な信 仰 を 持 って いた ば か りで な く、新
た な発 想 を 生 み 出 す柔 軟性 に も恵 まれ、 そ の 発想 に応 え よ う とす る画 家 と
の間 に は、 良質 な 緊張 関係 が 成 立 して いた の で あ ろ う。 画家 が チベ ッ ト人
で あ った の か、 あ るい はチ ベ ッ トに滞 在 して チ ベ ッ ト様 式 の 絵 画 を 学 ん だ
ネ ワ ール 人 た ち で あ った の か、 今 は推 論 の域 を 出 な い。 しか し絵 画 の 中 に
ネ ワ ール 語 の銘 文 を書 き入 れ た者 は誰 か と考 え れ ば、 通 常 の 習慣 で は画 家
が 銘 文 を記 す の で あ るか ら、 そ の 者 はチ ベ ッ トに在 住 す るネ ワー ル 人 画 家
で あ った もの と思 わ れ る。
また さ らに重 要 な第 三 の特 徴 と して、 無上 ユ ガ系 の尊格(た とえ ば、ヘ ー
ヴ ァ ジ ュ ラや チ ャク ラサ ン ヴ ァ ラ、 あ るい は カ ー ラチ ャ ク ラな ど)が、
こ
う した絵 画 に描 か れ る ζ と は な い。 無 上 ユ ガ系 の尊 格 を描 く絵 画 は、本 来、
そ の た め の イ ニ シエ ー シ ョ ンを受 け た者 た ち の間 に だ け流 布 した。 こ こで
取 り上 げ た絵 画 の制 作 依 頼 者(施 主)た
ち は チ ベ ッ トと の交 易 に従 事 して
お り、 た とえ(5)のよ うに施 主 が ヴ ァ ジュ ラー チ ャー ル ヤ の カ ー ス トに属 す
る例 が あ る にせ よ、 彼 らは、 カ トマ ンズ盆 地 で ネ ワ ー ル仏 教 儀 礼 を 司祭 す
る者 た ち を中 心 に した、 サ ンヴ ァ ラ系 密 教 を主 流 とす る、 無 上 ユ ガ系 密 教
の伝 統 と は明 らか に一 線 を 画 して い たか らで あ る。 む しろ彼 ら は、 チ ベ ッ
トで の商 業 活 動 を 円 滑 に進 め る 目的 もあ った の で あ ろ うが、 ネ ワ ー ル仏 教
を 擁 護 す るよ り は、 積 極 的 に チ ベ ッ ト仏 教 に接 近 す る傾 向 が あ っ た(注5)。
これ に呼 応 して 第 一 の 特 徴 を再 考 す れ ば、 こ こで の 銘 文 に は、 ネ ワ ー ル仏
教 儀 礼 を司 祭 す る ヴ ァ ジュ ラー チ ャー ル ヤ た ち が 読 み 上 げ る儀 礼 趣 旨宣 言
文 に しば しば見 られ た、 サ ン ヴ ァ ラ系 密 教 の諸 要 素([吉
崎1997]参
照)
が見 られ な い。
しか しな が ら、 チ ベ ッ トに在 住 す るネ ワー ル人 を 施 主 と した、 無 上 ユ ガ
系 の タ ンカ は存 在 しな い と断 言 で きる のか と いえ ば、そ うで は ない。 チ ベ ッ
トに は、 交 易 商 人 以 外 の ネ ワ-ル 人 と して、 美 術 工 芸 に携 わ る職 人 た ち の
他 に、 チ ベ ッ ト仏 教 を学 ぶ 僧 侶 た ち もい た。 実 際 の と ころ、 チ ベ ッ トに滞
在 して チ ベ ッ ト密 教 の修 行 に励 む ネ ワ ール 人 僧 侶 が、 自 らの修 行 の補 助 と
して 無 上 ユ ガ系 の絵 画 を描 か せ た と推 定 され る作 例 が あ る。 バ ンデ ル は、
バ ー ゼ ル博 物 館Museum
der Kulturen, Baselに 所 蔵 さ れ、 十 八 世 紀 頃 の
作 と推 定 さ れ る ヴ ァー ル ニ ー(ヴ
ァー ル ニ ー は ヴ ァジ ュ ラ ヴ ァ ー ラー ヒ ー
の 化 身 の一 っ と して、 サ ン ヴ ァロ ー ダ ヤ. タ ン トラの第 二 十 六
章Varuni-nirdesa-patalaに
登 場 す る)の 絵 画 を取 り挙 げ、 「ネ ワ ー ル 仏 教 徒 た ち の
問 で ポ ピュ ラー な 図像 学 の特 徴 か ら見 て、 この 絵 画 は、 た と え チ ベ ッ トで
制 作 され た に して も、 お そ ら くは チ ベ ッ トに逗 留 す る ネ ワ-ル 人 仏 教 徒 の
パ トロ ンの た め に作 られ た もの で あ ろ う」 と指 摘 す る([Bangdel
2003:46,
and Fig. 10])。 と ころ が こ う した絵 画 に は、 交 易 商 人 た ちが 帰 国 の 際 に 持
ち帰 った チ ベ ッ ト仏 教 絵 画 と は異 な っ て、 当初 か ら記念 品 と して の 意 図 が
な い か ら、 チベ ッ トの土 産 で あ る こ と を物 語 る銘 文 を書 き添 え る必 然 性 も
な い。 しか もそ の 絵 画 は厳 格 な伝 統 に沿 っ た修 行 の道 具 で あ るか ら、 交 易
商 人 た ち が示 した よ うな 自由 な 発 想 に基 づ く構 成 が許 さ れ る こ と もな い だ
ろ う。 そ れ ゆ え に、 た とえ ネ ワ-ル 人 が 制 作 の依 頼 者 で あ って も、 この 種
の 無 上 ユ ガ系 の タ ンカ は、 本 稿 で 注 目 した絵 画 の グ ル ー プ と は ま った く別
の ジ ャ ンル を形 成 して い る の で あ る。
ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て密 教 文 化
4.カ
トマ ンズ盆地 で制作 され た可能性 が あ るチベ ッ ト仏 教絵 画
こ こ に取 り上 げ た ネ ワー ル語 銘 文 を持 つ チベ ッ ト仏 教 絵 画 は、 全 体 の ご
く一 部 にす ぎ な い。 そ の全 貌 が どれ ほ どの もの で あ るの か、 今 の 筆 者 に は
予 測 が 困 難 で あ る。 そ れ ゆ え に、 こ こに列 挙 した三 っ の特 色 も、 ま だ完 全
に証 明 され たわ け で は な い。 ひ とっ ひ とっ の 銘文 を さ らに 丹 念 に 収 集 す る
こ とが 今 後 の 課 題 に な る。 そ れ に よ って、 さ らに興 味深 い事 実 も明 らか に
な るだ ろ う。
そ の よ うな 事 例 を一 っ 挙 げ よ う。 ク リーゲ ル は、 「十 七 世 紀 半 ば 以 後、
チベ ッ トに旅 した多 数 の ネ ワー ル人 美 術 家 の 中 で、 多 くの者 た ち が タ シ ル
ンポの 僧 院 に定 住 す る よ うに な った。 こ う した ケ ー ス で は、 彼 らの パ トロ
ンが 常 にチ ベ ッ ト人 で あ った と は限 らな い。 む しろ時 に は、 この地 で ビ ジ
ネ スを す る ネ ワ ー ル人 商 人 の こと もあ った。 彼 らネ ワー ル の 商人 た ち は、
そ う した イ コ ンを盆 地 に持 ち帰 ろ う と した。 そ れ らは国 外 で仕 事 を す る者
た ち に よ って チ ベ ッ ト様 式 で描 か れ たが、 ネ ワー ル語 の献 辞 と銘 文 を 備 え
て いた 」([Kreijger 1999:17])と
い い、 ま た そ の 図 版34「 仏 陀 釈 迦 牟 尼
(三尊)像 」 の解 説 で は、 「この 絵 画 の 端 に 沿 って奉 献 の銘 文 が記 され て い
な けれ ば、 この ネ ワ ー ル絵 画 を チベ ッ トの 作 品 と区別 す る こ とは不 可 能 で
あ った だ ろ う。 お そ ら くこの 絵 画 は、 チ ベ ッ トに住 む ネ ワ ー ル人 の 画 家 に
よ って 制 作 され た の で あ ろ う。 こ う した 国 外 に在 住 す る(ネ
ワー ル 人 画 家
の)グ ル ー プ に制 作 され た多 数 の 絵 画 はチ ベ ッ トの様 式 で 描 か れ、 この 時
期 にカ トマ ンズ盆 地 へ の 輸 出 用 に作 られ た か、 あ る い は ま た そ こに住 む チ
ベ ッ ト人 の パ トロ ン向 け に作 られ た の で あ る」([Kreijger
1999:94])と
い う。 しか しな が ら、そ の 銘 文 を 読 む 限 りで は、 こ の絵 が チ ベ ッ トで 描 か
れ た とす る決 定 的 な 証 拠 は見 あ た らな い。 す な わ ち、 そ の銘 文 は、
svayarpbhu-dyutibhavajinanatha[h)pamcabuddha[-a]tisamjnah sriman diparn-karakhyo manihrdayajinah sri vipasyo sikhi ca//visvabhu sri kraku-ccha[nda]kanakamuni muni(sic. )kasyapa
sakyasim-(左 端)ha prajnadevi ca
lokeSvara[bodhi]sa[ttvebhyah]patramatna-umya(?)bhutan//1//svasti sri giriraja cakracudamani...tha....e tyadi vividha virudavali virajamana manonnat sriman....dhiraja sri 5 prthvi vira vikrama saha vahadura samsa...jamma...samara vijayinarp vijaya rajye///danapati
(下 端line 1)hirapyavarpa mahavihara viralita purvabhimukha Va-jrasana sri sakyamuni Buddha sasana gotama gotrotpanna
sakya-vamsa jyestha sri munidhanam madhyama bhrata sri dhirjamuni trtlya bhrata sri...muni caturtha
(下 端line 2)[bhrata sri]sparsamuni parpcama bhrata Srl devamuni sahita svasva bharyyadi putra pautradi jahana jma(jamma)5[//] thva to parivara chiyam dharmmacittotpatti yanao////sreyo['stu ne]pala samvat 1017 miti
(右 端)Sravapa Sukra astami//kaliyugodaya parva divasa sa// [pim]dapatra dohalapa julo//thva to punyana[m] danapatiya sam-tana dana sarnbharaya iha janmasa sapta vrddhyadi astaisvaryya phalala[bha]mparatra sa moksa[pada]laya mala julo//jagat sam-sera sa raksa juya male[jula]subha[m)...//
< 和訳>オー ム、 吉 祥 な る デ ィ ー パ ン カ ラ(仏)に 帰 依 し ま す。 吉 祥 な る 本 初(仏)で あ る ス ヴ ァ ヤ ン ブ ー の 光 か ら 生 ま れ た、 勝 者 主 尊 の 五 仏、 吉 祥 な る デ ィ ー パ ン カ ラ(仏)と い う 心 宝 珠 の 勝 者、 吉 祥 な る(過 去 七 仏 の)ヴ ィ パ シ ィ ン、 シ キ、 な ら び に ヴ ィ シ ュ ヴ ァ ブ ー、 吉 祥 な る ク ラ ク チ ャ ン ダ、 カ ナ カ ム ニ、 カ ー シ ャ パ、 シ ャ ー キ ャ シ ン ハ、(そ し て)般 若 女 神 と 世 自 在 菩 薩 た ち(に 敬 礼 し ま す)(1)。(時 節 は、)吉 慶 吉 祥 な る 山 の 王、 最 勝 の チ ャ ク ラ(を 持 っ?)吉 祥 な る...大 王、 吉 祥 な ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て
-69-密 教 文 化
る こ と五 た びの プ リテ ィ ヴ ィ ー. ヴ ィー ラ ・ヴ ィク ラ ム ・シ ャハ. バ ハ ー
ドゥル ・シ ャ ムセ(ル)...の
治 世 で あ る。 施 主 は、 ヒ ラ ヌ ヤ ヴ ァル
ナ ・マ ハ ー ヴ ィハ ー ラで 東 向 きの金 剛 座(に
あ る)、 吉 祥 な る釈 迦 牟 尼 仏
の教 え を 奉 じる、 ゴー タマ ー 族 に生 ま れ た シ ャー キ ャ族(の 者 た ち)で あ
る。(す な わ ち)長 男 の吉祥 な るム ニ ・ダナ、次 男 の吉祥 な るデ ィール ジ ャ ・
ムニ、 三 男 の吉 祥 な る...・ム ニ、 四 男 の吉 祥 な る スパ ル シ ャ. ム ニ、
五男 の 吉 祥 な るデ ー ヴ ァ ・ム ニ とと もに、 各 々の 妻 た ち、 息 子 た ち、 息 子
の妻 た ち、 総 勢 五(家 族)、 これ らの家 族 が集 ま り、発 心 して(こ
の 絵 を
制 作 した)。 幸 い あれ。 ネ ワ ー ル暦1017年(西
暦1897年)シ
ュ ラ ヴ ァ ン月
白分 第 八 日、 カ リユ ガ の 開始 日に、 乞 鉢 を 奉 献 す る。 この 功 徳 に よ って、
施 主(た
ち)は、
この世 で は子 孫 が 繁 栄 し、財産 は七 倍 とな り、八 っ の富
貴 の果 報 を得 て、 他 世 で は解 脱 の境 地 を 得 させ た ま え。 世 間 で 守 護 さ れ ま
す よ うに。 幸 い(あ れ)...。
ヒ ラ ヌ ヤ ヴ ァ ル ナ ・マ ハ ー ヴ ィハ ー ラ は、 パ タ ン市 の 有 名 な ク ワ ・バ バ Kwa Bahaで あ ろ う(see[Locke 1985:31-40])。 こ の 寺 は 多 く の チ ベ ッ ト交 易 商 人 を 輩 出 し た こ と で 知 られ、 そ の 境 内 に は チ ベ ッ ト仏 教 寺 院 を 模 し た 霊 場 も あ る。(注6)とこ ろ が この 銘 文 に は ラ サ や タ シ ル ン ポ の 名 が 挙 げ ら れ て お らず、 ま た 施 主 で あ る シ ャ ー キ ャ比 丘 の 五 兄 弟 が、 チ ベ ッ ト交 易 に 従 事 し て い た と い う 記 述 も な い。 た だ し、 画 面 下 方 に 描 か れ た、 チ ベ ッ ト 風 の 衣 装 を 着 た 五 人 の 男 た ち は 施 主 の 五 兄 弟 で あ る と思 わ れ る か ら、 そ の 衣 装 が チ ベ ッ トと の 交 易 を 示 して い る と も考 え ら れ る。 ま た 銘 文 は、 カ ト マ ン ズ 盆 地 で の 布 施 行 事 で あ る パ ン チ ャ. ダ ー ン に っ い て 語 っ て い る。 パ タ ン市 で の パ ン チ ャ ・ダ ー ン は 「シ ュ ラ ヴ ァ ン月 白 分 第 八 日」 に 開 か れ、 カ トマ ン ズ 市 で は 「カ リユ ガ の 開 始 日」 で あ る 同 月 黒 分 第 十 三 日 に 催 さ れ る。 そ の い ず れ に も デ ィ ー パ ン カ ラ仏 の 像 が 重 要 な 役 割 を 果 た し、 僧 た ち の 乞 鉢 が 施 物 で 満 た さ れ る(こ の 年 中 行 事 に っ い て は、[吉 崎 ・田 中1998: 219-223]を 参 照 さ れ た い)。 こ の 絵 画 の 制 作 時 期 よ り も少 し 前 に パ タ ン で活 躍 した学 僧 の ア ム リタ ー ナ ンダ も、 ネ ワー ル 仏 教 の 年 中行事 を紹 介 して、
「シ ュ ラー ヴ ァ ン月 の 白分 第 八 日に はデ ィ-パ
ンカ ラ如 来 の 供 養、 僧 た ち
の 行 進、 乞 鉢 な ど の施 与 が あ る。 この 月 の黒 分 第 十 三 日 に は、 上 記 と 同様
に カ リ ・ユ ガの 三 宝 を礼 拝 す る」 と記 して い る([Brough
1948:673])。
こ の よ う に、 こ の銘 文 は、 これ まで に本 稿 で取 り上 げ た銘 文 の 内 容 と は
異 な って、 カ トマ ンズ盆 地 で の仏 教 行 事 を 記 録 して い る。ま た この銘 文 は、
絵 画 の 四 方 の縁 に沿 って、 極 め て変 則 的 に記 され て い る(上 縁 左 か ら始 ま
り、 左 縁 に飛 ん で 上 か ら下 に続 き、下 縁 の 二 行 を経 て、 右 縁 で は下 か ら上
に 向 か う)。 一 般 的 に言 って、 絵 画 と銘 文 が 当初 か ら一 対 に な って い る 時
に は、 銘 文 は絵 画 の 画 面 の一 部 に組 み込 ま れ て い る。 これ らを総 合 して推
定 す れ ば、 こ の絵 画 は、 チ ベ ッ ト交 易 で成 功 を 収 め た 仏 教 徒 の五 兄 弟 が カ
トマ ン ズ盆 地 に帰 って か ら、 そ の 財 力 を駆 使 して ネ ワ ール 仏 教 の年 中行 事
で あ る布 施 行 事 に参 加 した 際 に、 手 元 に あ った絵 画 の 余 白 に銘 文 を書 き込
ん で、 そ の記 念 に した もの で あ る と思 わ れ る。 そ の 絵 画 が チベ ッ トで制 作
され た の か、 あ る い は カ トマ ン ズ盆 地 で 制 作 され た の か、 今 は判 断 で きな
い が、 銘 文 の書 き込 み は お そ ら く カ トマ ンズ盆 地 に お い て で あ っ た と思 わ
れ る。 「ネ ワ ー ル語 銘 文 を 持 っ チ ベ ッ ト仏 教 絵 画 」 に は、 こ の よ う な 作 例
もあ る ので 注 意 しな けれ ば な らな い。
<注>
(1)同 展 は、 古 代 オ リ エ ン ト博 物 館(東 京2001.3.17-5.6)、 福 岡 ア ジ ア 美 術 館 (5.12-7.1)、 利 賀 ふ る さ と財 団(富 山7.7-7.29)、 岡 山 オ リ エ ン ト美 術 館(8.4 -9.2)、 京 都 文 化 博 物 館(11.5-'02.1.6)に お い て 開 催 さ れ た。 ま た2003年9月 に は 大 英 博 物 館 に お い て も 展 覧 会 "Tibetan Legacy:Paintings from the Hahn Kwang-ho Collection"が 開 催 さ れ た と 聞 く("Hahn Kwang-ho"
は ハ ン ビ ッ ツ の 英 語 表 記 で あ る)。 (2)[Slusser 1982:1-71]に は、 「多 く の 記 録 が、 チ ベ ッ ト の 僧 院、 と り わ け シ ガ ツ ェ の タ シ ル ン ポ 寺 に ネ パ ー ル 人 が 滞 在 して い た こ と を 伝 え て い る。 例 え ば、 タ シ ル ン ポ か ら帰 国 した パ ドマ ・ ドヴ ァ ジ ャPadmadhvajaと い う <僧侶>は、 ネ ワ ー ル 語 銘 文 を 持 つ チ ベ ッ ト 仏 教 絵 画 に つ い て
密 教 文 化 <妻と娘と息子の賛同を得て>、西暦1667年(ネ ワ ー ル 暦787年 ヴ ァ イ シ ャー ク 月)に バ ク タプ ル に僧 院 を建 立 し、 デ ィ ーパ ンカ ラ仏 の像 を安 置 す る と と もに、 グ テ ィの土 地 を寄 進 したLと あ る([Sakya & Vaidya 1970:130-134, on no. 33]参 照)。 この僧 院 は ム ニ ・バ バMuni Baha(Dharma Uttara havihara)と 呼 ば れ、 今 は テ ー ラ ヴ ァ ー ダ仏 教 徒 の 寺 に な っ て い る([Locke 1985:439])。 ま た[Slusser 1982:1-70]は、 カ トマ ンズの ア サ ン ・ トー ル 出 身 で あ った ナ ラ シ ンハ ・バ ー ローNarasirpha Bharoと い う商 人 が タ シル ン ポ寺 で交 易 に従 事 して い た と紹 介 して い る。 (3)チ ベ ッ ト交 易 に従 事 した商 人 た ち は、 しば しば 「シ ンハ サ ー ル タ ・バ ー フ の 化 身 」 と 自称 す る。 そ れ に対 して、 チ ベ ッ トで 活 躍 した ネ ワ ー ル の職 人 技 術 者 た ち は、 自身 を 「ヴ ィ シュ ヴ ァカ ル マ ー の化 身 」 と形 容 して い る。 (4)田 中 公 明氏 の紹 介 に よ る。 ま た本 稿 で の引 用 と写 真 掲 載 を 承 諾 して 下 さ った 秋 元 進 一 郎 氏 に感 謝 しま す。 な お秋 元 氏 の 教 示 に よれ ば、 タ ンカの サ イ ズ は軸 装 の 全 体 で72.5×133.0cm、 ま た作 品 本 体 の サ イ ズ は46.0×65.5crnで あ る。 〔追 記 熊 本 日日新 聞(2005.1.15夕 刊)紙 上 に、 こ の絵 画 の カ ラ ー 写 真 を 掲 載 し て 紹 介 した。〕 (5)ネ ワ-ル 語 銘 文 を記 した チ ベ ッ ト仏 教 絵 画 は、 主 と して チ ベ ッ ト交 易 に携 わ る ネ ワ ー ル商 人 た ち が施 主 に な って 制 作 され た。 ま たそ の画 家 は、 チベ ッ ト様 式 の 絵 画 技 法 を学 ぶ ネ ワ ー ル の職 人 た ちで あ っ た と思 わ れ る。 彼 らに は絵 画 を通 して 積 極 的 に チ ベ ッ トの仏 教 文 化 を取 り入 れ よ う とす る意 欲 が うか が え る。 そ れ に 対 して、 次 回 発 表([吉 崎 未 発 表 論 文])の 機 会 に述 べ る よ う に、 チ ベ ッ トに 滞 在 す る ネ ワ ー ル人 た ち が、 そ れ ぞれ の活 動 の合 間 に多 数 の 良 質 な ネ ワ ー ル仏 教 経 典 を書 写 した行 為 に は、 チ ベ ッ トの 地 にあ りな が ら も熱 心 に ネ ワ-ル 仏 教 の伝 統 を 護 持 しよ うとす る姿 勢 が 読 み とれ る。 (6)チ ベ ッ ト仏 教 寺 院 を模 した霊 場 は、 同 じ くパ タ ン市 の ウ ク. バ バUku Bahaに も あ る。 ウ ク. バ バ は、 チ ベ ッ トで 活 躍 す る職 人 や 技 術 者 た ちを 輩 出 した。
<参考文献>
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