1.中国語と日本語のモダリティ要素共起に関する研究の現状
中国語と日本語におけるモダリティ標識1の共起はしばしば観察される現象である。し かし、両言語のモダリティ標識の研究状況はかなり異なる。
中国語の研究では、モダリティ要素の共起が比較的重要視されている。中国語は孤立語 であり、形態の変化が豊かではないため、文の構造や語順が言葉の意味に重要な影響を与 える。そもそも、中国語では語順そのものが重要な文法手段であり、モダリティ動詞の共 起が形成する複雑な構造は、言語学者の注目を引きやすかった。このため、中国語のモダ リティ動詞2の共起に関わる研究には、多くの蓄積がある。その代表例は、Guo(1994)、
呂叔湘(1980)、劉月華(1983)、馬慶株(1988)、斉滬揚(2002)、彭利貞(2007)、宋永 圭(2007)等である。
一方、日本語の研究において、モダリティ標識の共起と語順に関する研究は、ここ四十 年近くにわたる日本語研究分野のなかで、あまり重要視されてこなかった。その主な原因 は、日本語が形態変化の豊かな言語であり、語順が相対的に自由であり、構文上、語順が 文法的な役割を区別する手段ではないからである。また、日本語のモダリティ標識の語義 の範囲は相対的に明確であり、容易に境界を示せる。日本語のモダリティ系統は膨大で、
モダリティ標識も多く、機能は複雑である。このため、モダリティ標識の意味機能に関す る研究が、長い間日本語のモダリティ分野の研究における中心となってきた。
中国語と日本語のモダリティ共起の比較研究を進める出発点は、中国語を母語とする日 本語学習者が、日本語のモダリティ共起を習得することが極めて困難な原因を探究するた めである。中国語と日本語のモダリティ共起には、いずれも客観的な規則が存在してい る。本論では、言語学と言語類型論の角度から、両言語のモダリティ標識の共起の語順や 共起の語義などについて比較を試み、その中から特に興味深い現象と規則を発見した。こ れは、現在の教学実践に理論的側面において指導的役割を果たしうるものである。
2.マクロ的な視点から見た中国語と日本語のモダリティ共起の異同
中国語と日本語の特徴的な表現に基づくと、構文の配列における両言語のモダリティ共 起形式の差異は、その相似点よりも遥かに多く、差異のなかには全く正反対のものもあ
王 暁華 著 原田 信・吉田幸治 訳
共通性について(附訳者解説)
る。以下では、共起の類型や項目数、文の構造、共起の順序や語義などの角度から、中国 語と日本語のモダリティ共起が示す差異を観察する。
2.1 共起の類型と項目数
共起の類型は、文中のモダリティ動詞の位置にもとづく。中国語のモダリティ動詞の共 起には「間隔共起」3(例1)と「連続共起」(例2)がある。このうち、連続共起が本論に おける比較研究の対象である。連続共起とは、異なる類型、または同じ類型のモダリティ 動詞が連続して出現することを指す。例えば「应该要」「应该会」「想要」「可能要」のよ うに、連続共起するモダリティ動詞には、共通して文の核を指し示すことが必要である。
一方、日本語のモダリティ標識の共起にも間隔共起(例3)と連続共起がある。その連続 共起の形式間においては、具体的な状況に基づいて形態変化が進み連結が完成するが、異 なる共起形式の連結には緊密性の強弱がある。連続共起の形式は概ね固定傾向型(例4)
と連合表意型(例5)に分けられる。このうち、固定傾向型は固定度の度合いが異なる二 種類の類型を含み、連合表意型のモダリティ共起は結合の自由度が高い。
(1) 任何你能想到的东西,他们可能4 4都会4吃。a
(あなたが思いつくあらゆるものは、彼らがすべて食べてしまうだろう。b)
(例1.『我的世界我的夢』c)
(2)你应该
4 4
会4来。
(あなたは来るに違いない。)
(例2.同上)
(3) そろそろ 覚悟して 歯医者 に いく べき ころ かもしれない。
ADV V1 OBJ Case-PRT V2 MOD-DE Formal-N MOD-EP
就(要) 做精神准备 牙医 (目的) 去 应该DE 时候 也许
也许应该下决心去看牙医了4。
(例3.『ひまわりの祝祭』d)
(4) それ も 成功の一因 だった のではないか。
PRO PRT NP COP-V MOD-EP
那 也 成功的一个原因 是 wh-(MOD)
那不也是成功的一个原因吗?
(例4.「現代の肖像・浦沢直樹」e)
(5) 「なん と 言っ たらいい の だろう か」
PRON Case-PRT V MOD-DE MOD-EX MOD-EP SE-PRT5
什么 (内容) 说 (妥当) (説明) (推断) 呢
说什么好呢?
(例5.『雨降りお月さん』f)
共起する項目数から見れば、中国語の連続共起は主に2項、3項のモダリティ動詞で、
4項(例6)および4項以上の形式はあまり見られない。日本語では、一般に2項、3項、
4項のモダリティ標識が共起し、5項(例7)および5項以上の形式はあまり見られない6。
(6) 应该
4 4
会 4 乐
4意 4 许
4我去。
(私が行くことを喜んで許してくれるはずだ。)
(例6.馬慶株1988:18)
(7) 私は それは あってもいい の だろう と思う のです。
ISUBJ PRON+BindingPRT V+MOD-DE MOD-EX MOD-EP MOD-EP MOD-EX
我 那个 有 亦可 (提示) (推量) (表明) (提示)
我想有那个也行。
(例7.「国会会議録」g)
2.2 文の構造
この問題については、まず日中両言語の(単独の)モダリティ標識と動詞の間に存在す る階層構造の関係について述べる必要がある。
劉月華(1983:108-109)は、中国語のモダリティ動詞が文のなかで述語となる際、その 目的語が動詞(フレーズ)や形容詞(フレーズ)、主述フレーズになると指摘している。
モダリティ動詞の目的語は、その後ろに置かれるあらゆる語句(モダリティ助詞を除く)
を含む。時には、モダリティ動詞の目的語そのものが動詞目的語構造である。また、中国
語のモダリティ動詞は、単独でも使用できる。
一方、日本語の「学校文法7」における(モダリティの)「助動詞」は付属語類であり、
時(tense)、相(aspect)、態(voice)、語気(mood)の変化を備えている。日本語のモ ダリティ標識は動詞を修飾して副詞になることはなく、中国語のモダリティ動詞と異な り、述語から離れて単独使用することもできない。このため、日本語のモダリティ標識と 中国語や英語のモダリティ動詞は異なる。日本語のモダリティ標識は、動詞、形容詞、名 詞類と呼応することで述語になることができ、モダリティ標識の前に接続して用言(活用 形のある語)となる時、モダリティ標識の地位は用言に次ぐものであり、補助作用を担 う。また、モダリティ標識の前で体言(名詞など活用形のない語)と接続して述語となる 時、モダリティ標識の地位は述語動詞に相当する。
これまでの研究によると、中国語のモダリティ動詞は、日本語におけるモダリティ標識 と動詞の構造関係とはやや異なる。しかし、中国語と日本語のモダリティ標識の連続共起 を対比すると、両者の文の構造は本質的に同じであることがわかる。
馬慶株(1988:18)は入れ子構造によって、連続共起の結合レベルを論述した。これに よると、最後の能願動詞はその直後の述語、あるいは述語性構造と先に結合して能願構造 となってから、その前にある能願動詞と結合し、複雑な能願構造を形成している。図1 に、例(8)の入れ子構造の分析結果を示す。
(8) 真正的男人 应该
4 4
要4 能4 忍受 厨房中的热气。
Aux Aux Aux V OBJ
(真の男は、キッチンの熱気に耐えることができなければならない。)
(例8.「哈仏経理職業素質」h)
应该 要 能 忍受厨受厨受厨房中的热热热气气
図1.中国語におけるモダリティ動詞共起の構造レベルの分析例
日本語のモダリティ標識の共起の構造は、「時枝文法」の入れ子型の文のレベル構造理 論によって説明できる。時枝(1941)は、(日本語の)文の本質が「詞」と「辞」の結合 であると考えた。ここでいう「詞」は「概念あるいは表象」を示しており、客体的表現で
ある。「辞」は主体的な総括の役割を示しており、主観的表現である。入れ子型構造は、
「辞」が「詞」を内包する構造である。この観点は仁田(1991)等に引き継がれ、モダリ ティ(態度表現)が命題(事態表現)を包み込む文の階層論が提唱された。図2に例(9)
の分析を示す。
(9) 一生 そのうわさに 耐えていか なければならない かもしれない のだ。
ADVE OBJ+Case-PRT V AUX AUX AUX
一生 那个谣言 忍耐 必须 也许 (提示)
不得不忍耐那个谣言一辈子。
(例9.『いつか、青空』i)
図2.日本語のモダリティ動詞共起の構造レベルの分析例
耐えていか なけれなばらない かもしれない のだ 一生そのうわさに
図1と図2からは、V(VP)を中心として、中国語と日本語のモダリティ標識の連続 共起がともに入れ子型の文の構造であること、そしてV(VP)と、これに距離が最も近 いモダリティ標識(AUX1)の構造が最も緊密であり、「V(VP)−AUX1」構造がさらに AUX2によって包み込まれていることが見て取れる。この類推結果を図3に示す。
図3.中国語と日本語のモダリティ標識連続共起の構造レベル
V(VP)
AUX1
AUX2
AUX*
AUXN-1
AUXN
線形構造から見ると、中国語と日本語のモダリティ標識の連続共起の区別は語順にあ る。中国語はS-AUXN-AUXN-1(AUX- *)-AUX2-AUX1-V(VP)であり、日本語はS-V(VP)
-AUX1-AUX2-(AUX*)-AUXN-1-AUXNである。主語が現れない時、中国語と日本語は逆 の線形構造を示す。
2.3 共起の順序
モダリティ標識が連続共起する時、各モダリティ標識の配列には、一定の順序が存在す るのか。また、中国語と日本語のモダリティ標識の共起の順序はそれぞれどのようになる のか。
中国語に関する先行研究は比較的多く、Guo(1994)、宋永圭(2007)、彭利貞(2007)
等 の 研 究 で は、 中 国 語 の モ ダ リ テ ィ 動 詞 の モ ダ リ テ ィ 共 起 は「 認 識 モ ダ リ テ ィ
(epistemic)>義務モダリティ(deontic)>能動モダリティ(dynamic)」の配列順序にな ると指摘している。彭利貞(2007)は、中国語のモダリティ動詞の間に「義務>義務」、
「認識>認識」、「能動>能動」と同類の共起が存在しており、例(10)のように、同類の モダリティ類型に内部の連語関係も存在していると考えた。
(10) 谁 可 能 4 4 会 愿 意4 4 4 干 涉 他 的 私 事 ?
(認識モダリティ>認識モダリティ>能動モダリティ)
(誰が彼のプライバシーに干渉したいことがあろうか。)
(例10.『生活在別処』j)
日本語では、モダリティ共起の語順に関する系統性な研究は多くない。王暁華(刊行予 定)は言語コーパスのデータ統計分析から、日本語のモダリティ共起の順序、そのなかで も、連合表意型の異類連続共起の順序が「能動8>義務>認識>説明」、あるいは「能動
>義務>説明>認識」9であることを明らかにした(例11、12を参照)。日本語のモダリ ティ標識の同類共起の類型には「認識>認識(はずだろう)」や「説明>説明(わけなの だ)」があるが、同類共起には条件上の制限があり、その数も少ない。
(11) 「あなたも、 この森を、 出 たけれ ばいい のです よ。」
(Dy>De>Ex)
SUBJ OBJ+Case-PRT V MOD-DY MOD-DE MOD-EX SE-PRT
你也 这个森林 出去 想 (許可) (強調) 啊
你如果想走出这片森林也可以啊。
(例11.『世界の果ての城』k)
(12) 「百合さんと 肩を並べて 歩き たい ん だろう な。」
(Dy>Ex>Ep)
N+Parallel-PRT adverbial VP V MOD-DY MOD-EX MOD-EP SE-PRT
和百合 并肩 走 想 (説明) (推量) (感嘆)
真想和百合幷肩前行啊。
(例12.『やさしくなりたい』l)
目下、中国語や英語のモダリティ研究では、日本語における説明のモダリティに類似し たモダリティ類型が発見されていない。そのうえ、日本語において説明のモダリティが独 自に成立するのか、なお議論されている。よって、ここでは説明のモダリティを考慮しな いことにする。
総じて、中国語と日本語におけるモダリティ標識の連続共起の順序は次のようになる。
中国語と日本語のモダリティの連続共起には、異類モダリティ類型の共起、あるいは同類 の共起が存在する。しかし、中国語と日本語のモダリティ標識の連続共起は、全く相反す る配列順序を示しており、中国語のモダリティ連続共起の配列順序は「認識モダリティ>
義務モダリティ>能動モダリティ」となり、日本語では「能動モダリティ>義務モダリ ティ>認識モダリティ」となる。
2.4 共起の語義
モダリティ共起の形式は、語義の表現に作用するものである。理論的に言えば、モダリ ティ共起の形式は、必然的に非共起モダリティ標識が表現できない語義をも表現する。そ れでは、モダリティ共起の語義表現のメカニズムはどのようなものか。異なるモダリティ の語義が重なったものなのか。実際の言語資料からは、その答えが単純でないことがわか る。
まず、日本語について言えば、日本語のモダリティ連続共起は、固定傾向型と連合表意 型の二種類に分けることができる。このうち、固定傾向型(例えば「のか」「のではない か」「よね」「ものか」「ことか」「〜てくれるか」「〜てくれないか」等)は、そのものを 全体とみなすことができ、全体で語義や機能を表現している。例えば、「ものか」は反語 を表しており、「ことか」は感嘆を表している。連合表意型は、その呼称が示すように異 なるモダリティ標識が連続して共起することであり、連続共起したそれぞれのモダリティ 標識の語義には、変化が発生することもあれば、発生しないこともある。従って、ある種 の「全体機能」、あるいは語義の積み重ねや結合などの状況を生み出す。日本語の連合表 意型のモダリティ共起には、「かもしれないだろう」や「ものなのだ」のような、同類異
義の共起形式が存在している。しかし、中国語のような、「应该要」([義務]>[義務])や
「必然得」([必然]>[必然])といった同類同義の共起形式は存在しない。言い換えれば、
日本語の連合表意型のモダリティ共起の各項目は、一般的に異なるモダリティの語義を表 現しているが、モダリティの語義それぞれの役割は決して同じではない。モダリティ共起 の語義の表現は、文全体の意義を表現するために作用するのであり、一般的にモダリティ の意味だけを際立たせている(例13、14)。この根拠は、実際の言語資料からも得ること ができる。例えば、日本語の命令のモダリティ標識は、義務や認識、願望のモダリティと は共起しない。これは命令のモダリティ標識の参加が命令文を構成しているからであり、
日本語では、一つの文の中で命令文、陳述文、願望文のいずれかの一つの類型しか取るこ とができない。ある語義を際立せることは、コンテクストやディスクールの目的といった 要素に依拠する。際立ちのないモダリティ標識の機能は、意味領域の範囲や語義の広がり などの面で変化する可能性があり、そのため弱化、漂白化、あるいは機能の転換といった 現象が現れる。
(13) お前 だって 甲子園へ 行き たい だろう。 (Dy>Ex)
SUBJ Binding-PRT OBJ+Case-PRT V MOD-DY MOD-EP
你 就是 甲子园 去 (願望) (推測)
(願望のモダリティ態度を際立たせる)
你不也想去甲子园嘛。
(例13.『熱球児』m)
(14) では、 行か なければならない よう ね。 (De>Ep)
CONJ V MOD-DE MOD-EP SE-PRT
那么、 走 必须 好像 吧
(必要のモダリティ語義を際立たせる)
该走了吧。
(例14.『五輪の薔薇』n)
中国語と日本語とでは、モダリティ連続共起の順序等に異なりがある。しかし、共起す る語義の表現の問題では一致を示している。言語資料の観察や分析を通じて明らかなのは、
中国語が語義表示の面でも日本語と同じ状況を示すことである。すなわち、中国語ではモ ダリティ動詞が共起する時、モダリティ動詞の間には全体の語義の構築を完成させる作用 が相互に働き、一つの文では一般的に一種類のモダリティの語義が際立つ(例15、16)。
しかし、中国語のモダリティ標識は日本語ほど数が多くなく、形態変化もないので10、通常 は限定され、相対的に数の少ないモダリティ標識を通じて無限の語義を表現するしかない。
このため、中国語のモダリティ標識の結合形式はより多様化する。まさにこのために、中 国語のモダリティ連続共起には、日本語にない同類同義の共起形式が存在するのである。
文中の意味の構築過程において、連続共起するモダリティ動詞の多くは、力の配分が不 均衡であるため、モダリティ動詞の語義には、語義の「強化」「重ね型」「弱化」「融合」
といった現象が現れる11。
(15) 我们应该
4 4
要4铭刻在心,大有受用。
(必要のモダリティ態度を際立たせる)
(私達はしっかりと心に刻み、大いに享受しなければならない。)
(例15.『仏法概要』o)
(16) 卡修国王的确不会被威胁,但应该
4 4
会愿意4 4 4进行协议的,这是贤明的君主理所当然 会下的决定。
(「願望」を際立たせる)
(カシュー王は確かに脅しに乗らないだろう。しかし、協議を行おうと望むはず だ。これは、賢明な君主が道理として当然下すべき決定である。)
(例16.『羅徳斯島戦記』p)
3.類型学の視点からみた中国語と日本語のモダリティ連続共起
上記2.3節での考察によると、中国語と日本語におけるモダリティ標識の連続共起の線 形順序は、正反対の方向を示している。この結果は、中国語と日本語の大きな差異を反映 している。しかし、中国語と日本語の間に存在する、見た目には正反対となる現象の背景 には、ある種の規則が隠れている。そして、この規則には自然言語が内包する一般性も反 映されている。
中国語と日本語の類型学上の共通性を検討する前提として、中国語の語順はSVO、日 本語はSOVだという点を指摘しておきたい。周知のことだが、言語の実態は多様であ り、様々に変化する。どの言語も、複雑に交錯したシステムであり、語順の傾向も相対的 なものである。例えば、橋本(1977/2008)は中国語に「北方型」と「南方型」が存在す ることを提起し、金立鑫・于秀金(2012:22)は、中国語の標準語にVO型とOV型が 存在することを指摘した。あらゆる言語現象を描き尽くせない状況のなかで、中国語が SVO型の言語であるという観点が広く受け入れられている現状を鑑み、ここでは日本語
がSOV型に属し、中国語がSVO型に属する言語であるという観点にもとづき、類型学 の角度から中国語と日本語のモダリティ標識の連続共起の順序について検討する。
Greenberg(1963/1966)の19言語に関する統計によると、SVO型言語のモダリティ 動詞と動詞の順序はAux+Vであり、SOV型言語ではV+Auxであった(橋本1977/
2008:34)。この点から明らかなように、中国語と日本語のモダリティ標識と動詞の順序 は、類型学の特徴と合致する。
橋本(同上:21-22)は、日本語が典型的な逆行構造の言語であり、ある文の左側部分 と右側部分がともに左側へと枝分かれし、修飾語は被修飾語の前に順に置かれることを指 摘した。中国語の動詞フレーズは基本的に順行構造であり、目的語あるいは補語が動詞を 修飾する成分であり、どのような状況でも動詞の後ろに置かれる。自然言語の構造におい て、もしある部分が順行構造であれば、その他の部分も常に順行構造になる。同様に、も しある部分が逆行構造であれば、その他の部分も常に逆行構造となる。橋本の研究による と、もし命題部分の構造が、中国語と日本語で正反対の順序となるならば、モダリティ部 分の構造は中国語と日本語で正反対の順序になるのも十分に自然な事であり、中国語と日 本語の認知メカニズムや思考のロジックとよく合致している。
中国語と日本語におけるモダリティ標識と動詞間のレベル構造の関係(本論2.2節の議 論)、および類型学の角度から共通の比較プラットフォームを設定する必要性を検討した 結果にもとづき、本節では日本語の「用言」をVあるいはVPとし、モダリティ標識 Auxと動詞Vを例として論じ、日本語のN+Auxの類型には触れないことにする。
Sweetser(1990:49-75)は英語のモダリティ動詞の発展順序を、物理世界(physical world/dynamic)> 社 会 世 界(social world/deontic)> 認 識 世 界(mental world/
epistemic)と考えた。またVan der Auwera & Plugian(1998)は、モダリティ研究の なかで文法化連鎖(grammaticalization chain)の概念を用いた12。文法化連鎖の順序は能 動モダリティ→義務モダリティ→認識モダリティ(Bybee 1985:166:Bybee . 1994:
241-242)である。すなわち、認識モダリティは人の内部世界に対する描写であり、義務 モダリティは社会や世界を、能動モダリティは物理世界を反映しており、「能動→義務→
認識」の順序とは、左から右へ進むほど客観性が弱まり、主観性が強まる過程である。中 国語と日本語のモダリティ標識の連続共起の順序は正反対だが、もしV(VP)の部分を 中心とするならば、興味深い言語現象が発見できるだろう。
中国語のモダリティ動詞はV(VP)部分の前に位置し、かつ主観性の強いモダリティ 動詞ほど前方に位置しやすい。日本語のモダリティ標識はV(VP)部分の後方にあり、
なおかつ主観性の強いモダリティ標識ほどより後方に位置する。言い換えれば、中国語と 日本語のモダリティ共起は文法化連鎖の順序に従っており、主観性の弱いモダリティ類型
はV(VP)部分から近く、主観性の強いモダリティ類型の距離はV(VP)部分から遠い。
V(VP)部分を中心にすると、中国語と日本語のモダリティ標識の連続共起は鏡像のよ うになる(図4)。
図4.中国語と日本語のモダリティ標識連続共起の順序
中国語
認識 Ep>義務 De>能動 Dy
主観性が強い 弱い レベルが高い レベルが低い
弱い 主観性が強い レベルが低い レベルが高い 順行構造
日本語
動的 Dy>義務 De>認識 Ep(文法化連鎖の順序)
逆行構造 V/VP
なぜ、主観性の弱いモダリティ類型はV(VP)部分に近い位置にあるのか。この点に ついては、距離類像性要因の理論を借りて解釈できる。距離類像性要因では「機能や概 念、あるいは認知の上でより接近した実体は、記号のレベルでもより近くに置かれる」
(Haiman 1983:782-783)と考えられている。認識モダリティと比べて、能動モダリティ
がよりV(VP)に近いのは、能動モダリティが物理世界のモダリティ類型を反映してい
るからであり、認知上は、命題部分とともに客観世界を反映するV(VP)と最も近くな る。
それでは、主観性の強いモダリティ類型の文中における位置からは、どのような情報が 得られるのだろうか。この点を明らかにするために、語義の作用域を援用して、まず形態 の発達した日本語を観察してみる。日本語の文末のモダリティ類型は主観性が最も強く、
そのモダリティの意味の作用域も最大であり、モダリティの意味は文全体を包括すること ができる(図2)。中国語の形態は発達していないが、実際にはこのような語義レベルも 存在している。このことは、本論2.2節で分析した中国語のモダリティ動詞の連続共起の 構造と合致する。
「先大後小」は中国語の思考方式であり、修飾語の配列順序である。意味の作用域の大 小によって、中国語ではV(VP)部分から離れた位置にあるモダリティ動詞の語義の作 用域が大きいことがわかる。同様に、V(VP)部分を中心として中国語と日本語のモダ リティ標識の作用域を比較すると、モダリティ標識とV(VP)は包括か被包括かの構造 を形成しており、連続共起するモダリティ標識の配列構造は惑星の軌道と類似する。
かりに、中国語と日本語において主観性の強い語義が包括性も強いとするならば、それ
はまさしく自然言語と客観世界との関係を反映しているといえよう。自己の視点や思考か ら観察した世界では、人の認知を叙述する主観性の強い表現方法が、客観世界に近く主観 性の弱い言語表現方法を包括する。中国語と日本語のモダリティ標識の配列順序は人の認 知メカニズムと一致しており、人間の言葉は結局のところ客観的存在に対する意識の反映 であり、大脳で加工された痕跡が文として残る。
上述したことをまとめると、中国語と日本語のモダリティ標識の共起の順序が正反対で あるという現象の背後には、以下のパターンがある。中国語と日本語のモダリティ標識の 共起の順序は、ともに人類の認知パターンと一致しており、文法化連鎖の順序と合致す る。V(VP)の位置に近いモダリティ類型ほど客観性が強まり、モダリティの意味の作 用域は小さくなる。逆に、V(VP)の位置から遠ざかるほど、主観性は強まり、意味の 作用域も大きくなる。金立鑫(私信による)は、このことを別の「語義接近原理」と理解 し、動詞(動作行為の語義)そのものに近い成分ほど動詞に近づき、話者に近い成分ほど 動詞から遠ざかると考えている。OV言語にせよVO言語にせよ、どちらもこのようにな り、表面上は正反対のように見えても、実際のところ、話者に近い成分と動詞との距離は 等しい(等距離)。OV言語では主観性が強く、構造的な位置が高い成分ほど後方に置か れる傾向があり、これはVO言語と正反対である。
SVO型とSOV型の言語でAuxとVの順序が異なることは、他の点にも影響を与えて いる。例えば、日本語のモダリティ標識の後置は、文の並列条件にもとづいており、空間 上制限はない。このため、このことはモダリティ標識でよく見られる共起項目数が中国語 よりも多い原因の解釈に用いられる。しかし、共起項目数も制限を受ける可能性がある。
共起項目数は一般に人の情報処理能力の範囲内にあり、瞬間記憶(spot memory)等の心 理的要因の影響を受ける。
4.中国語と日本語におけるモダリティ共起のミクロ的対比の個別事例
「べきだ」と「应该」は高い対応度13を示すモダリティ標識であり、両者はモダリティ 共起の面で部分的に一致する現象を示す。
「べきだ」が異なる種類のモダリティ標識と共起する時、「べきなのではないだろうか ね」のように、一般的には認識や説明などの他のモダリティ標識の前に出現する(王暁華 2011)。これと同様のことは、中国語にも見られる。中国語において、日本語の「べきだ」
と対応度の最も高い「应该」は、「可能」以外のモダリティ動詞の前に置くことができる
(陳嘉嘉2006:30)(例8を参照)。言い換えれば、「べきだ」と「应该」がそれぞれ他の
モダリティ標識と共起する時、一般的にその位置は他のモダリティ標識の前となる。
この言語現象については、同じ表象のもとでその差異と共通性を発見する必要がある。
まず、「べきだ」と「应该」の位置に着目してみる。V(VP)を中心にすると「应该」 の共起形式は述語の前に位置しているが、「べきだ」の共起形式は述語動詞の後ろに固定 化されており、形態変化がある。
「应该」は義務や認識のモダリティを超える。彭利貞(2007:401-417)は「应该可以」
「应该会」「应该能」など関連するモダリティ共起の組み合わせを分析し、次のことを指摘 した。まず、「应该」とその他のモダリティ動詞の共起が基本的に「認識モダリティ>義 務モダリティ>能動モダリティ」の順序に合致することである(例17)。そして「应该」 は義務、あるいは認識モダリティとコンテクスト、主語等に関係があることを表現してお り、「应该」の表現するモダリティの語義が認識か、義務であるかに関わらず、「应该」と 共起するモダリティ標識と較べて、いずれの距離もV(VP)より遠ざかることである。
「べきだ」は主に義務モダリティの標識である。「べきだ」は義務モダリティの「義務」や
「評価」の語義を表現する時、認識や説明、態度のモダリティと共起することができ、そ の共起は「能動モダリティDy>義務モダリティDe>認識モダリティEp」の順序にな
る(例18)。義務モダリティの「べきだ」は能動モダリティ標識以外のモダリティ標識の
前に並ぶために、自然言語ではV(VP)からの距離が最も近くなる。
(17) 这一点大家 应该
4 4
可以4 4 理解。 (認識Ep>義務De)
(この点は、みなさん納得できるはずです。)
(例17.「哈仏経理弊病診治」q)
(18) おもい出す べき でしょう。 (義務De>認識Ep)
V MOD-DE MOD-EP
想起 应该 (推量)
应该想起来了吧。
(例18.『改憲は必要か』r)
日本語には「義務>義務」といった同類のモダリティ標識が共起する状況が存在しない ため、ここでは中国語における同類の共起には言及しない。以上の考察によると、「应该」 と「べきだ」は、モダリティ標識が共起する時、他のモダリティ標識に先行する。しか し、両者が従う共起順序は正反対であり、語義表現の面で差異が存在しており、ともに文 法化連鎖の順序という言語の一般性に合致する。「应该」と「べきだ」の共起現象は、両 者の対比から、表象は相似しているが性質は異なっており、本質は同じであると概括する ことができる。
5.おわりに
モダリティの共起に通言語的な共通性はない。しかし、中国語と日本語において、これ はよく見られる言語現象である。本論は共起の類型や項目数、文の構造、共起の規則や語 義の角度から、両言語のモダリティ共起についてマクロな視点での対照研究を行い、両言 語のモダリティの連続共起に異なった種類のモダリティ類型の共起、あるいは同じ種類の 共起が存在することを明らかにした。だが、両言語のモダリティ標識の連続共起は全く相 反する配列順序を示しており、中国語のモダリティ標識の連続共起の配列順序は「認識モ ダリティ>義務モダリティ>能動モダリティ」となり、日本語では「能動モダリティ>義 務モダリティ>認識モダリティ」となった。この対照研究の結果は、中国語を母語とする 日本語学習者にとって、日本語のモダリティ共起の習得を極めて困難にしている現象だと 解釈でき、中国語と日本語の母語話者それぞれがモダリティを習得する上で異なる心理認 知メカニズムを有していることを証明している。共起の語義の面では、中国語と日本語に 言語上の差異があることから、共起の語義の具体的な構築は必ずしも同じではない。しか し、マクロな視点から見れば、両言語は相似した状況にあり、モダリティ動詞が共起する 時、モダリティ動詞の間では相互に作用して全体の語義の構築を完成させ、一つの文では 一般的に一種類のモダリティの語義が際立つ。
中国語と日本語のモダリティ共起について、類型論の角度から検討した結果として明ら かとなったのは、両言語のモダリティ標識の共起順序が相反する現象の背後に、人類の言 語に共通する規則が隠されていることである。両言語のモダリティ連続共起はどちらも文 法化連鎖の順序に従っており、主観性の弱いモダリティ類型はV(VP)の部分から近く、
主観性の強いモダリティ類型の距離はV(VP)の部分から遠い。V(VP)の部分を中心 とすると、両言語のモダリティ標識の連続共起は、一つの鏡像を示した。SVOの中国語 とSOVの日本語のモダリティ共起の順序は、表面的には完全に相反するが、実際のとこ ろ、モダリティ標識と動詞との距離は等しい。
本論では、モダリティ共起の個別の問題についても考察し、一致性の高い「べきだ」と
「应该」のモダリティ共起を対照分析した。この結果、両者のモダリティ共起は表象とし ては相似するが、言語的に異なる性質を反映していることが明らかとなった。
注
1. 標識(marker)は、中国語では「標記」とも翻訳される。標記理論における「標記
(marker)」と区別するため、本論では「標識」によって、ある種のモダリティ意義
の代表的符号とした。狭義の日本語モダリティ標識は、(モダリティ)助動詞、活用 形、動詞性複合形式等を含む。
2. 厳密に言えば、中国語のモダリティ系統の主要な担い手はモダリティ動詞である。こ のため、中国語のモダリティ標識は、主にモダリティ動詞を指す。中国語と日本語の 客観的な事実や研究の伝統に基づき、本論では比較を行う中国語のモダリティの担い 手としてモダリティ動詞を、日本語では狭義のモダリティ標識を取り上げた。
3. 本論で検討する中国語のモダリティ動詞の間隔共起とは、同一文の中心となるモダリ ティ動詞が共起する情況だけを指す。例えば、次の例にあるモダリティ動詞①と③の 間の関係は、本論で検討する間隔共起には属さない。
一个人要4①想4②有所作为,应该
4 4
③有远大的志向,而为实现志向孜孜不倦、持之以恒 地坚持工作更为重要。(『中国児童百科全書』)
(一人で何かを成し遂げようと思うならば、大きな志を持たなければならない。
しかも、志を実現するためには絶えず努力し、長期に渡って仕事をやり抜くこと がより重要である。)
4. 本論にある日本語例文の中国語訳は筆者が翻訳した。当該箇所の文責は筆者にある。
5. この標識は日本語の終助詞(sentence ending particles)である。文中ではSE-PRT と略した。
6. 筆者は中国語と日本語のモダリティ連続共起に関する言語資料376,416文字について 分析した。この分析には、日本語の命令標識、終助詞、丁寧・謙譲等の表現は含めて いない。
7. 日本の中等教育で使用される文法体系、即ち橋本文法のことである。
8. 日本語の能動モダリティは「意思・願望」のカテゴリーのみを含んでおり、dynamic
modalityは、日本語で通常「動的モダリティ」と呼ばれる。
9. 日本語におけるモダリティは広い概念であり、命令標識、終助詞は多くがモダリティ 系統に含まれる。このうち、終助詞の文法機能は中国語の語気詞に類似する。命令標 識と終助詞のモダリティ類型については現在でも議論されており、加えて中国語の命 令や語気詞に関する研究の現状を鑑みた結果、本論では日本語のモダリティ共起の順 序に、日本語の命令標識や終助詞を含めなかった。
10. 日本語と中国語のモダリティ標識のマクロな比較の詳細に関しては、王暁華(2011)
を参照。
11. 斉滬揚(2002:167,173)は「語気の重なり」や「累加」といった概念を提唱し、「理 論上、連語の単位が多いほど、表現する語気は強くなる」(同上:163)や「いわゆる 交替使用とは……第一に、異なる語気が文中でそれぞれ異なる役割をもつ。第二に異
なる形式の標識は同じ語気を表すことができる」(同上:170)と指摘している。
12. 文法化連鎖は、Heine .(1991:220)が提起したものであり、grammaticalization channelsやgrammaticalization pathsとも呼ばれる。これは、Haspelmath(2003:
236)からの引用による。
13. 北京日本学研究中心の「中日対訳語料庫」および筆者個人のコーパスにある中国語と 日本語の対訳言語資料から抽出した例句1366句について分析を行った。中国語原文
「应该」の日本語訳として「べきだ」が出現する割合は55.15%、日本語原文「べき だ」の中国語訳として「应该」「应」「该」が出現する割合は55.95%であった。「应 该」と「べきだ」の対応度に関する言語資料の実証研究については王暁華(2011)を 参照。
訳者注
a. 本論に挙げられている例文のうち、中国語例文は書籍、オンラインサイトおよび北京 大学CCL現代漢語語料庫(http://ccl.pku.edu.cn:8080/ccl̲corpus/)から、日本語例 文はKOTONOHA・現代日本語書き言葉均衡コーパス(http://www.kotonoha.gr.jp/
shonagon/)から採られたものである。以下、著者が書籍から直接引用した例文につ いては書誌情報およびページ数を示し、オンラインサイトから引用した例文はURL を、コーパスから引用した例文は検索結果にある書誌情報のみを示した。
b. 以下、中国語例文の和訳は訳者が翻訳した。
c. 姚明『我的世界我的夢』(長江文芸出版社、2004年)131頁。
d. 藤原伊織『ひまわりの祝祭』(講談社、2000年)。
e. 夏目房之介「現代の肖像・浦沢直樹」(朝日新聞社『AERA』2005年4月4日号)。
f. 阿刀田高『雨降りお月さん』(中央公論社、1989年)。
g. 「1999年第145回国会会議録」衆議院常任委員会・日野委員発言。
h. 「 哈 仏 官 吏 培 訓 系 列 全 集・ 第01単 元・ 哈 仏 経 理 職 業 素 質 」(http://ccl.pku.edu.
cn:8080/ccl̲corpus/search?q=厨房中的热气 &start=0&num=50&index=FullIndex&
outputFormat=HTML&encoding=UTF-8&maxLeftLength=30&maxRightLength=3 0&orderStyle=score&LastQuery=&dir=xiandai&scopestr=)
i. 小林しげる『いつか、青空』(KTC中央出版、1999年)。
j. ミラン・クンデラ著・景凱旋等訳『生活在別処』(作家出版社、1989年)175頁。
k. ゆうきりん『世界の果ての城―人知らずの森のルーナ4』(集英社、1995年)。
l. 鎌田絵里『やさしくなりたい』(講談社、1992年)。
m. 吉野道男『熱球児―高校球児物語』(文芸社、2002年)。
n. チャールズ・パリサー著・甲斐萬里江訳『五輪の薔薇』2(早川書房、2003年)。
o. 明暢『仏法概要』(上海古籍出版社、1998年)224頁。
p. 『羅徳斯島戦記』https://www.yooread.com/4/554/15918.html。
q. 「哈仏管理培訓系列全集・第13单元・哈仏経理弊病診治」http://ccl.pku.edu.cn:8080/
ccl̲corpus/search?q=这一点大家应该可以理解&start=0&num=50&index=FullInde x&outputFormat=HTML&encoding=UTF-8&maxLeftLength=30&maxRightLength
=30&orderStyle=score&LastQuery=&dir=xiandai&scopestr=。
r. 憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』(岩波書店、2004年)。
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王暁華「現代日漢情態対比研究」(博士学位論文、2011年、上海外国語大学)
王暁華「類型学視野下的日語情態共現」(北京対外貿易学院『日語学習与研究』編輯委員 会『日語学習与研究』、刊行予定)
訳者解説
原田 信
吉田幸治
1.はじめに
本稿は王暁華著2014年「漢日情態共現的差異与共性」(『外語教学与研究』第46巻第2
期pp. 202-213所収)を翻訳したものである。王暁華氏は上海外国語大学日本文化経済学
院准教授。言語学を専門とし、日本語学や連語論、日本語と中国語の対比について研究を 行われている。近年では「義務、認識、動的モダリティの共起語順について」(韓国日本 語 学 会 編『 日 本 語 学 研 究 』(50),2016年,pp105-116)、「「 ら し い 」 の 承 接 に つ い て モダリティ、エヴィデンシャリティの枠内で」(仁川大学校日本文化研究所編『東 アジア日本語・日本文化研究―東アジアと日本学―』(21),2015年,pp1-19)、「類型論 による日本語のモダリティ体系の分類」(仁川大学校日本文化研究所編『東アジア日本
語・日本文化研究―東アジアと日本学―』(16),2013年,pp145-164)、「「ほうがいい」
的語義類型分析 兼談日語評価性情態的単義性」(日語学習与研究編輯委員会編『日語 学習与研究』(3),2013年、pp9-15)といった論文を発表されている。以下、簡潔に研究 の背景と原著論文の位置づけに関して解説を行う。
2.階層関係と文脈情報
言語学において、文内の諸要素がどの位置に生起することが可能であるのかを厳密に規 定することは重要な研究課題となっている。そして、文内の位置という場合、線形順序に おける位置ではなく、構造的な位置を考察することが重視される。例えば、次例(1)の ように、線形順序では曖昧性が区別されず、構造的な依存関係(structural dependency)
を考慮しなければ解釈上の差異を示すことができないからである。
(1) a. 太郎と花子の母
b. [[太郎]と[花子の母]]
c. [[太郎と花子]の母]]
(1a)は(1b)のように二人の人物を指す場合と、(1c)のように一人の人物を指す解 釈が可能である。両者の解釈上の違いは階層的な結合様式の差をもとに示される。
このように、言語要素は階層関係にもとづいて結合されているが、文の階層構造と文脈 情報との相関について、特に日本語学の分野において多くの研究が行われてきており、重 要な提案が示されてきた。代表的なものとして、三上(1963)、南(1974)などの研究を 挙げることができるが、同様の観察は英語の副詞類の生起位置についても行われており、
Greenbaum(1969)、中右(1983)などにおいて事実観察が示されている。
もちろん、中国語における階層性に関しても数多くの研究があり、朱(1995)、木村
(2012)などを挙げることができる。
こうした文の階層構造と文脈情報との関係を考察する際には、焦点の位置にどのような モダリティ要素が生起し得るのかを判定基準として用いることが行われている。述語の性 質および文のアスペクト的特性によって、生起できる要素が異なるからである。
3.本論文翻訳の背景と理由 3.1. 日本の現状
残念なことではあるが、日本においては「XX語については知っているが、比較すべき YY語については知らない学者」、「ZZ語について様々な事実を知っているが、それを分 析する手法が備わっていない学者」などが散見される状況になっている。特に、特定言語 の分析を中心としている学者には普遍性を探求する視点が欠けており、いわゆる「蛸壺的
研究」が散見される。
これとは対称的に、通言語的(cross-linguistics)な研究を通して普遍性を追求しよう とする立場の研究者もいる。こうした研究者にとっては、特定の一つの言語に対象を絞る ということはまれであり、個別言語に拘ることに対して否定的である。
また、研究ポストが不足しているなど社会的な要因も関係しているが、日本の学者は欧 米の研究を重視する傾向があり、アジアの諸言語の研究に注意を払わないことも多い。
しかし、近年のアジア諸国からの留学生の増加にしたがい、徐々に状況が改善されつつ ある。とりわけ中国・韓国からの留学生によって日本語研究に対する興味・関心が高めら れたことにより、中国語と韓国語の研究者が増加したことは歓迎すべき事態である。
こうしたある意味「外圧的」な力が多少なりとも影響し、中国や韓国の研究者のなかに は日本における国語学・日本語学の研究成果を援用する研究がみられるようになってきて いる。なかには、日本の大学・大学院において日本語研究の手法を学び、日本語教師と なって帰国し、日本で学んだ研究手法をその後も利用する研究者も少なくない。意図され たわけではないが、日本語研究の知見が本来あるべき姿で輸出されているといえる。
ところが、日本の言語研究にとって不幸なことの一つとして、こうした研究成果を知ら ない、または知っていても関心を払わない研究者が少ない状況が続いている。その理由 は、「YY語のできるYY語研究者」がその研究成果や研究によって得られた知見を他の 言語の研究者に対して伝える努力をしないところにある。
本翻訳の契機は、「日本語のモダリティの階層性について知っている学者」に対して、
他のアジア言語におけるモダリティの階層性に関する研究を紹介することであった。
したがって、できるだけ広い範囲を扱いながらも中国語の専門家ではない読者にも言語 学の研究成果を伝えられるものとしてこの論考を翻訳の対象として選択した次第である。
3.2.モダリティ要素を研究する意義
言語研究者のなかにも誤解している場合が少なくないので、ここでモダリティという用 語についても説明しておく。
モダリティという用語は論理学における「法部(modal)」と「命題部(proposition)」
の区分にもとづいており、 X is Y. という式型で客観的に表示される命題部とは異な り、「話者(書き手)の主観的な心的態度を表す」ものがモダリティである。具体的には 副詞・助動詞・文末表現などがモダリティ要素として表出(represent)される。このな かで助動詞類は英語の平叙文であれば主語の直後に現れ、日本語であれば文末に生じる。
さらにモダリティ要素はその意味内容に応じて生起する位置が制限され、一定の階層を 成すことが知られている。例えば、日本語では同じ推量を表す助動詞であっても、「〜の
ようですね。」は許されるが「*〜だろうですね。」(アステリスク*は非文であることを表 す。)は許されない。これは「ようだ」と「だろう」の属す階層が異なるからである。
さらに、他の言語と比べて、基本語順がSOVの日本語は語順の自由度が高いとされ る。場面・状況は制限されるが、目的語や動詞でも文頭に移動させることが可能である。
(2) a. 英語を太郎は勉強した。
b. 勉強した、太郎は英語を。
他方、SVO言語とみなされることが多い中国語は日本語ほど語順の自由度が高くなく、
語順の変更が制限されるといわれている。特に、出来事の生起順序には敏感だとされる。
(3) a. (他)吃了饭(以后),他就出門。(彼は食事をしたあと,出かける。)
b. *他就出門,他吃了饭以后。(彼は家を出る、食事をしたあと。)
このように、基本的な文法において一定の差異を示す日本語と中国語であるが、モダリ ティ要素の生起条件に関しては一定の類似性を示すことが知られており、本研究の意義は その類似点と相違点を明らかにすることにあるといえる。とりわけ、日本語研究との比較 を通じて中国語のモダリティ要素の整理と分類を深化させる試みとして重要である。
4.結びにかえて
中国における中国語研究では、語彙の研究に関しては一定の成果を収めてきたが、統語 論と意味論の研究はまだ歴史が短く、本格的な研究が行われるようになって半世紀ほどし か経過していない。そのため、欧米の研究を摂取することに敏感であった日本語研究の成 果を援用する研究は今後さらに進展することが予想される。本研究はモダリティ要素の生 起に関する基本的文献となる可能性を有しており、日本語への翻訳を公表する重要性は高 いものであるといえる。
なお、翻訳作業の大部分は原田が担当し、吉田は専門用語の確認と全体の記述を統一す る作業を行った。
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木村英樹『中国語文法の意味とかたち―「虚」的意味の形態化と構造化に関する研究』(白 帝社、2012年)
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南不二男『現代日本語の構造』(大修館書店、1974年)