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南アジア研究 第27号 017学会近況・秋田 茂「テーマ別セッションII 南アジアからの19世紀再考」

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Academic year: 2021

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(1)

学・会・近・況 テーマ別セッション

II

Reconsideration of the 19th

Century from South Asia

南アジアからの

19

世紀再考

秋田 茂

グローバル経済史研究の領域では、2000年に

Kenneth Pomeranz, T

he Great Divergence-China, Europe, and the Making of the Modern World Economy

(Princeton University Press)

が出版されて以来、近世(

early-modern

) の経済発展をめぐり「大分岐」論争が続いている。その余波は19世紀 世界経済の再解釈にも及び、2014年には『リ・オリエント』の著者

A.G.Frank

の遺作

R

eOrienting the 19th Century-Global Economy in the Continuing

Asian Age

(Boulder: Paradigm Publishers)

が出版された。また、19世紀 に関するグローバルヒストリー研究である

Jürgen Osterhammel

の大著 (原著ドイツ語2009年)の英語版

T

he Transformation of the World: A Global

History of the Nineteenth Century

(Princeton University Press)

も出版され、 英米の学界で話題作となった。こうした諸研究の広がりをうけて、19世 紀世界論・世界史像が、グローバルヒストリー研究において改めて注目 されている。本パネルは、インド・ネルー大学(

JNU

)から、2人の著名 なインドの歴史学界を代表する近現代史研究者、

Aditya Mukherjee

先 生、

Mridula Mukherjee

先生を招聘して、19世紀の歴史像を南アジア研 究の視点から再考することを意図して組織したものである。 通常、19世紀は、「パクス・ブリタニカ」の下でのイギリス帝国(公 式帝国および非公式帝国の両方)の発展を基軸として、「ヨーロッパの 世紀」と理解されてきた。私たちは本パネルで、南アジアの政治経済的 変容から見た19世紀のダイナミズムを明らかにし、特に、19世紀後半に おける経済的グローバル化の進展、相互依存関係の形成において、アジ ア現地社会の担い手(

Asian agency

)が果たした主導的役割、アジア側

(2)

からのイニシアティヴがいかなるものであったのか考えようとした。パ ネル前半では、イギリス帝国支配下における「近代化」・経済的グロー バル化が、グローバル(世界経済)・リージョナル(アジア地域経済)・ ローカル(地方社会)の三層構造の相互作用・連関の中でいかに展開し たのか、マクロ・レヴェルでの解明(ムカジー夫妻報告)を試みた。次 いでパネル後半では、ミクロなレヴェル(水島司の南インド土地制度研 究―当日体調不良により欠席)から、地域社会に対して農業開発の進展 が及ぼした影響、世界経済への経済的統合の過程で見られた現地社会 の積極的な対応を明らかにしようとした。南インドの事例研究を相対化 するために、同時代の東南アジア・蘭領東インドにおける地域間貿易の 発展とその担い手を、比較対象として考察した(太田淳報告)。

第一報告は、

Aditya Mukherjee

氏の“

Revisiting the

19th

Century: A

Perspective from the South

” である。

Aditya

氏は、2013年にインド歴 史学会会長を務めた経済史研究者であり、19世紀の南アジア経済発展 をめぐり、ロンドン大学

LSE

Tirthankar Roy

氏と「植民地工業化

colonial industrialization

」論争を展開している。 氏によれば、世界経済への編入による急速なインドの経済成長を主張 する

Roy

氏 だ け で なく、最も著 名なマルクス主 義 経 済 史 家

Eric

Hobsbawm

も、19世紀をヨーロッパ中心史観に基づいて、「ほとんど切 れ目のない物質的・知的・道徳的な進歩」の時期と解釈している。これ は全く事実に反しており、従属的地位で世界資本主義に編入されたイン ド・中国・エジプトのような従属諸地域とヨーロッパとの間で、「大分 岐」

great divergence

が生じ、その後その格差が急激に拡大して、非 ヨーロッパ諸地域が従属的経済として構造化されたのが19世紀であっ た。

Angus Maddison

の過去一千年紀の

GDP

研究は、この点を明確に提 示している。 確かに19世紀を通じて、国際貿易の量は50倍以上に膨張したが、植 民地下での世界市場への編入がもたらしたインパクトは何なのか、誰が 何のために貿易を統制し、その貿易の類型・相手国・決済で何が起こっ たのか、インドが獲得した膨大な貿易黒字は何のために使われたのか (=本国送金・本国費

Home Charges

支払い)、こうした諸問題を「南の

(3)

世界」(

the Global South

)の立場から精査する必要がある。具体的に、 インドの現地産業、現地資本、伝統的な大商人層や金融業者、および新 たな経営代理商会に対して「脱工業化」(

de-industrialization

)が及ぼ したインパクトを考察してみると、その影響は大概破滅的であった。だ が、西部インドの一部の現地貿易商人だけが独自性を保持し、アヘンと 棉花の輸出貿易で巨額の利潤を獲得し、20世紀に入って勃興する近代 的インド人ブルジョア層の先駆者となることができた。 20世紀になると状況は一変し、世界経済へのインドの参入は、戦間期 から漸進的に、1947年の独立以降は劇的に、インド経済の発展にとって 有利に機能するようになった。 以上、

Aditya

氏は、改めて19世紀の植民地支配の下での脱工業化・ 脱都市化によるインド経済の停滞性を強調した。

第二報告は、

Mridula Mukherjee

氏の“

The Questioning of Colonial

Modernity in

19th

century India

”である。

Mridula

氏は19世紀インドの 政治文化の連続性を強調した。氏によれば、19世紀前半にイギリス東イ ンド会社による領域支配が拡大してインドの植民地化が進む過程で、

Ram Mohan Roy

のような、改革と近代化(

modernity

)を掲げて植民 地行政官と協力する新たなインド現地人知識人層が出現した。彼らイン ドの改革派は、現地の知的伝統を基盤として、サティや幼児婚などの是 正・改革を唱えたのであり、彼らの活躍は植民地化以前のインド現地社 会に「近代的」思想の起源があったことを想起させてくれる。 1840-50年代までに、西部のマハーラシュトラで、インドに進歩をも たらすと称するイギリス人の主張、「白人の責務」(文明化の使命)を批 判する声が聴かれるようになり、その批判は1870-80年代に、インド からの「富の流出」を主張する包括的な植民地経済政策批判につながっ た。その代表格が、世紀末に

E

conomic History of Indiaを執筆し、貿易・金

融・財政・産業政策など植民地経済政策を全面的に批判した

R. C. Dutt

である。従って南アジアの19世紀は、イギリス帝国主義の全盛期だけで なく、現地インド人知識人層による植民地支配批判によっても特徴づけ られる。さらに19世紀は、こうした中産階級だけでなく、農民・兵士・ 部族・大地主(ザミンダール)等、あらゆる集団による「大衆的抵抗」 (

popular resistance

)が見られた時期であった。 以上

Mridula

氏は、政治社会面から19世紀南アジアの政治的自立性、

(4)

植民地・帝国主義支配に対する広範な抵抗活動、そのクライマックスと しての「インド大反乱」の意義を強調した。

第三報告は、太田淳氏による“

British Cotton for Tropical Products:

Trade in the Dutch Ports in the Outer Islands of Colonial Indonesia

”で ある。太田報告は、2014年2月に出版された主著『近世東南アジア世界 の変容―グローバル経済とジャワ島地域社会―』(名古屋大学出版会) の主要議論を要約したものである。太田氏は、19世紀前半のオランダ公 文書館所蔵未利用貿易統計を精査して、ジャワ島以外の蘭領東インド外 島諸港の貿易実態を解明した。その結果、外島諸港は、コーヒーのよう な植民地物産だけでなく、香辛料・林産物やその他の地方物産など、中 国向け(一部東南アジア向け)熱帯物産の輸出を続けた一方で、1840 年代の英蘭関税協定以降は、大量のイギリス産綿製品を輸入した。この ように、既存の対中国貿易と、西欧資本主義と結びついた新たな植民地 貿易は、相互に緊密に結びついていた。オランダの勢力圏を超えたこう した超域ネットワークが、外島諸港を取り巻く周辺地域の貿易が着実に 伸びていく源泉となっていたのである。 以上、太田報告は、蘭領東インドの周辺部である外島地域において、 植民地支配以前から存在した対中国向け地域間貿易が、植民地支配の 枠組を超えて存続し、世界経済と地域経済の結節点であった英領シンガ ポールとも結びついていたこと、その貿易の担い手としての現地華僑 (華商)の積極的な役割を示唆している。 水島氏の不在により、南アジアの農業開発との関連は議論できなかっ たが、限定的であるとはいえ、本パネルは、19世紀を「南の世界」のア ジアから見直す作業の第一歩になった。ムカジー夫妻の協力により、イ ンドの学界における19世紀の定説的解釈を改めて確認できた。だが、そ の過程で幾つかの問題点も明らかになった。 第一に、

Roy

氏の「植民地工業化」論に対する痛烈な批判にもかかわ らず、限定的であったが、19世紀後半、特に1860年代初頭の「棉花ブー ム」を契機として、パールシー商人を中心としたインド海外貿易商のイ ニシアティヴにより機械製紡績業がボンベイ(ムンバイ)を中心に勃興 し、インド綿業が再興したのも事実である。その主要因は、中国市場向

(5)

けの機械製綿糸の輸出拡大であり、インド現地商人層の活躍である。19 世紀末の日本(大阪)を交えた綿糸輸出の「アジア間競争」の展開とそ の世界史的意義を考える必要がある。 第二に、植民地支配・帝国主義への抵抗だけでなく、19世紀後半に なると、帝国秩序(「強制された自由貿易」・自由貿易帝国主義)を積極 的に利用し活用した経済開発・利潤追求も可能であった。植民地支配へ の「協力」

(collaboration

)、「協力者階層」(

collaborators

)としての植 民地現地社会の新旧エリート層が果たした役割の再考も必要になるで あろう。 あきた しげる ●大阪大学

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