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国家と地域の思想の再審

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国家と地域の思想の再審

―市民社会と直接民主制―

黒 沢 惟 昭 問題の所在

「地域」の意義を真剣に考えるようになった契機は、かつてふるさとの信州で、

高校の学区拡大の意向が県教委から示されたとき、高校三原則実現の努力を続けてい た高校の教員たちとの学習会においてであった。小学区制を単に通学の便、 「全入」

の観点から考えるだけでよいのか、地域の創造と関わって追究されるべきではない か、そんな念いが参加者全員に共有されていた。

その後勤務先が変わっても、市民講座の講師などを引き受け、参加者の主婦たちを 主とする討論のなかで、地域の問題、そこにおける教育をいかに考えていくべきかと いう現実的問題が絶えず提出された。そうした論議は「地域」を考察する上で示唆を 与えてくれた。さらに、私はしばしば自治体や研究所及び民間団体などから教育の調 査研究や改革案づくりを要請されそれに携わったが視点はつねに「地域」にあった

(拙著『教育改革の言説と子どもの未来』明石書店、2 0 0 2年、参照) 。

一方短期間のものを含めてヨーロッパへの旅、彼の地での見聞・体験もまた、日本 の「地域」を考えるために大きな刺激を与えてくれた。そこでの実見・実感をヨー ロッパに関する研究書等で再考し、逆にその 一般論 を現地で確める作業も続け た。この文献解読・現地検証の反復は私なりのヨーロッパ理解(いいかえれば日本理 解)のために効果的であった。また、滞欧の折は、幸いにも外見ではわからない彼・

彼女らの家庭生活、親類づきあい、またフランスやベルギーの農村の生活を一部では あったが識ることができた。それらの経験を反芻するたびに「地域」研究への意欲は 一層昂められ深められた。

ところで、類と個、普遍と特殊の問題はヨーロッパ思想史上の伝統的な問題の一つ といわれる。若き日に私がその思想の追思惟を試みたマルクスもこの問題に取り組ん だヨーロッパ人の一人である。

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『資本論』を自在鍵にしないで欲しい、とはマルクスのザスリッチ( 『資本論』ロ シア語版の翻訳者)宛の手紙における一節だったと記憶するが、小論で触れた(西)

ヨーロッパの在り方が普遍と特殊についての一つの回答を暗示しているのではないだ ろうか。ともかく、このような歴史・風土とマルクスの思想は無縁ではあるまい。更 にヨーロッパで生まれた社会主義の実現とその崩壊後、一層重要性を帯びた「市民社 会」及び「民主主義」の概念を再審するためにも初期マルクスの「真の民主制」の構 想は示唆に富む。

「地域」を中軸にして私のこれまでの関心の在り様をデッサンすれば以上のように なる。小論においては私の関心が錯綜し、引用の多い稿となった憾みはあるが、今後 の研究への一里塚とするほかないと念う。

ヨーロッパの体験とその意味

ヨーロッパにいささかでも滞在した者が感ずることの一つは、その多様性であり、

それを頑固なまでに固執する保守的態度、それと関連するであろう自我の強調であ る。私が比較的長く滞在したイタリアでも、いわゆる「イタリア人」という意識は彼・

彼女らには概して稀薄であるように思えた。ローマの友人も、自分がロマーノ(ロー マっ子)であることをいつも誇っていた。イタリア人の外見についても、フィレン ツェあたりを境界にして、南と北では体駆も容貌もずいぶんと違う。サルデーニアを 訪れたときなどは出会った彼・彼女らが果たして同じイタリア人なのかと疑ったほど にユニークな風貌であった。スパゲッティも、 「ボロニェーゼ」 「ナポリターノ」etc の名称のように各地で味つけも、めんの太さ、ゆで加減も大分違っていたと記憶す る。これは「カンパニリズモ」(campanilismo)といわれるイタリア独特の 郷土愛 にも関係があるらしい。手許にある説明書によれば、 「 『カンパニーレ』 (鐘桜)とい う言葉からきているが、偏狭な郷土愛とか郷土主義という意味である。鐘桜がなぜ郷 土愛に繋がるかといえば、どの町にも必ず、その町を象徴する鐘桜があり、人々は朝 に夕にカンパニーレを仰いで郷土愛をはぐくむのである

」という。

この偏狭なまでの「カンパニリズモ」は日本のいわゆる「お国自慢」の比ではない。

マルチェッロという私の友人は、まさに生粋のローマっ子で、ナポリとメッシーナへ 旅し、そこで短期間滞在したほかは生まれてこの方ローマを離れたことがないという

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私より少し年長の友人である。四児の父親で好人物なのだが、パリの話をしても、ロ ンドンの見聞を語っても、最後には「しかし、ローマが一番好きだ」といわないと機 嫌がわるい。トウキョウとヨコハマには私への配慮からか多少の関心を持ってくれて いるようだが、何事につけても「ローマ第一」主義者である。一度、テルミニ付近の 日本レストランへ行きなけなしの金で、日本酒・日本食を御馳走したことがあるが、

日本酒を「一杯」飲み、てんぷらを「一口」かじったのみで、早々にワインとイタリ ア(ローマ?)風の食事にきりかえてしまった。常宿にしていたペンシオーネの女主 人も私をつかまえては出身地のペルージャの外国人大学の自慢をしきりにするのが常 であった。また暑い夏の一日、フィレンツェからローマへの帰りの汽車で、出稼ぎの 南部の人たちの「帰郷」に出くわしたことがある。小さな体駆の男たちがそれぞれの 家族を引きつれ、自分よりも大きなトランクをかついで、満員列車に乗り込んでいた 光景は、かつて私が青年時代に幾度も体験した盆暮の上野からの帰省列車のイメージ を想い起こさせたがその規模は比較にならない。一種の 民族大移動 ともいうべき 壮観を呈するものであり、図らずもイタリア人の 郷土愛 の一端を実見した次第で ある。因みに、外国人から、お前は日本人か、と尋ねられて、いや何々県人だ、と答 える日本人はまず居るまいが、こうした応答はイタリアでは珍しくないのである。イ タリアで感じたこのカンパニリズモがヨーロッパの多様性とどのような関わりをもつ のか定かでないが見聞した一端を記した次第。

体験をもう一つ。ローマから飛行機で二時間。イタリア特有の喧騒から一転して閑 静なベルギーの首都ブリュッセルに着く。周知のようにベルギーは、ワロン語系とフ ラマン語系の二民族がオランダから独立した国であるが、どうして一つの国になった のか、と不思議に思うほど、言葉をめぐる二つの民族間の対立は激しい。都市によっ てそれぞれどちらかの言語を話す民族が圧倒的に多い。因みにベルギーで私が最も気 にいった街ブリュージュ(ブリュッヘ)はフラマン語系の都市である。しかし、首都 のブリュッセルだけは双方が入り交じっているので、あらゆる表示が二つの言葉で記 されている。映画の字幕も、地図にも両語が併記されている。私にとって煩雑なこと おびただしかった記憶が甦える。テレビのニュースをみているとこの「表示」を巡っ て週一度位はあらそいが起こっていることがわかる。ブリュッセル滞在の折はいつも 私が寄宿する友人の父上はワロン系で小柄であるが、母上はフレッミシュ特有の大柄 なひとである。一家はまことに睦まじい家庭で、滞在するたびに私を家族の一員とし

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て扱ってくれるのが常である。何度目にお世話になった時だったろうか。ある夕食の 折に、食卓のごく軽い話題のつもりで私が、 「ブリュッセルでは、どちらの語系の人 口が多いか」と質問したことがあった。父上が「人数としてはフラマン系が多いが、

文化としてはワロン系が優れている」という謂を答えたところ、普段はひかえめな母 上が突如色をなし、猛反論。父上の再論、再反論が続き、いつもは静かな談笑とユー モアに満ちた夕餉の雰囲気は一転して激論の場と化し、私の存在は無視され、延延と 論議は二時間近くも続行。その間、当然夕食もおあずけ。ことほどかように、わが国 の言語問題をめぐる民族対立は激しいのだ!という私の友人である息子の嘆息まじり の「間の手」でおひらきになり、漸く冷えた料理にありつけたシーンがいまでも懐し く想い返される。

限られた体験の恣意的な例を一般化してはいけないとお叱りを受けるかもしれない が、周囲を海でさえぎられ一

「自然発生的 単一 国家」と思われる「極東の島国」

の住人からみれば、誠に興味ある体験であった。こんな体験を重ねているなかで、私 はたまたまパリの一角の日本書を売る本屋で、西尾幹二氏の『ヨーロッパの個人主義

』 なる書を立ち読みしたことがあった。その説明が私の体験を一般化してくれることに 共感し、早速購入して、宿舎の近くのルクサンブール公園のベンチに寝ころんで貪り 読んだことがあった。いま読みかえしてみてもなるほどと思う箇処がある。少し長い が引用しよう。

一つの国民文化は、無限の地方文化の総結集であるべきだし、またそれを、さら に分析すれば、それらはさらに小さい諸々の地方文化から構成されているべきもの なのである。理想的にいえば、ひとつひとつの村落が、さらに個々の都市共和国が それらに特有の性格をもっているべきなのである。われわれがヨーロッパ各国を旅 行するたびに驚嘆するのは、地方文化のこの活発さと、ひとつひとつの都市がそな えている固有の色彩である。

このように述べた西尾氏はヨーロッパの部分と全体について以下のような興味ある 説明を行う。

部分がじゅうぶんに部分としての個性を発揮し、相互に他を否定し合い、反発し

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合い、あるいはまた他を是認し、味方に引き入れ、そういう離合集散のプロセスの なかで、全体の統一性が自動的に成立するというものでなくてはならないのであ る。……ある限度を超えぬかぎり、個人と個人との間に、地域と地域との間に、集 団と集団との間に摩擦や抗争があることは、むしろ文明の安定の必須条件であると さえいえるし、それがまた文化に多様性を与える条件でもある……部分と部分との 対立が消えたときには、部分と全体との関わりも自由を失い、あのフィクショナル な契約的な相互関係を奪われることになるからである。

以上の自説に基づき、氏はヨーロッパ文明について次のような結論を提示する。

ヨーロッパの普遍性は、各民族の個体としての自覚によって、はじめて保証され るものである。……ドイツ人はドイツ的個性の自覚に徹することを可能にする。逆 にいえば、各民族文化というようなものは存在しないのである。

このようなコンテキストの下に、近代の民族国家を超えて存在するヨーロッパの

「文化的、精神的統一体」を想定することが可能であり、しかもあの「人類史上未曾 有の豊麗さを誇るヨーロッパ近世から近代に至る文化の精華」は、 「ある幸運な神話 的共同体の上に成立したものだといえるかもしれない」と説く。更にそこでは、 「個」

であることが同時に「全体」に通ずるという「無意識な秘密」が存在していたと指摘 する氏は、ヨーロッパ人の「自我」 、 「市民」にも関説して、以下のように述べる。

「ヨーロッパにおいて『個人』というものが大きな意味をもってくるのは、個人が ある全体秩序からの解放の自由を味わうことができたからではない。たえず『個人』

が『社会』との緊張の上に立たされる経験を歴史的に積み重ねてきているからであ る。 」したがって、 「 『個人』に徹することが、同時に『社会』に参与することになる という逆説的な人間のあり方」がヨーロッパ特有なものであることをふまえ、 「市民」

という概念も、 「個人と個人とがぶつかり合って生きているヨーロッパ、国と国とが 入り組んだ国境を接してせめぎ合っている」ヨーロッパの知恵の上に花咲いた「一九 世紀という一時代の現実処理の用語にすぎない」という。いいかえれば、 「解放され たエゴイズムが底しれぬ危険を秘めていればいるほど、その危険を各人が腹の底まで 知った上で、責任ある体制によって、フィクションとしての秩序によって、みずから

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欲して調整され、保護されることをねがう共同体への現実的な意識をさすことばなの である」と説明する。

以上、断片的引用ではあるが、私がヨーロッパを旅する折に感じた前述のような個 人的体験の意味、すなわちヨーロッパの多様性、地方文化の活発さ、彼・彼女らの強 烈な自我の主張、それを統一する目に見えぬ全体性の予感は奈辺に存在するのか、以 上の西尾氏の説明によってある程度了解できたように思えたのである。

なお、中世「都市」に照準しての歴史的研究を踏まえて地域論を展開している増田 四郎氏の諸労作

も如上の問題の解明のために検討を試みたが、充分その課題を果た していないので、増田氏の一連の「地域」論については、もう一人の「地域主義」研 究の主唱者である玉野井芳郎の諸労作

とともに後論で若干の言及をするにとどめた い。

また、ヨーロッパの未来について西尾氏は、 「米ソ二大強国によって、ヨーロッパ はもはや内部的な闘争をおこなうだけの余裕も必要性も失ってしまった」ことを指摘 し、 「好むと好まざるにかかわらず、西ヨーロッパ共同体は、これからのヨーロッパ の歩む唯一の道となるほかはないだろう」と予測しながらも、 「西ヨーロッパ共同体 という新しい外枠に開かれていくとともに、同時にその枠を超えないという安心感」

があること。それは実際には国家観の確執と相剋を繰り返しているという事実が、統 一されたヨーロッパ文明全体に、プラスに作用し、安定と刺激の両方を与える要件と なっているためであること。西尾氏のヨーロッパの未来の予想は概ね以上のようであ る。

木村尚三郎氏も、 「国家の主権性を放棄してヨーロッパに統一国家が生まれること などありえない

」というのがヨーロッパ人一般の感じ方であるとしながらも、 「ヨー ロッパの統合は、好むと好まざるとにかかわらずもはや EC 諸国にとって至上の目標 であり、それぞれ自国を生かすために不可避の命題となりつつある

」として、具体 的には、 「ちょうどアメリカ合衆国と同じように、州の法律があり、合衆国憲法があ り、州の軍隊があり、連邦政府の軍隊があるといった形で統合することになるだろ う」とイメージし、更にその時期としては、 「石油の枯渇が予測されている1 9 9 0年代 ないし今世紀の終りまでには実現しているのではないだろうか

」と予測している。

伴野文夫氏も、ジャーナリストの立場から、 「ヨーロッパはひとつでありながら多 数であり、多数でありながらひとつである。多数の民族国家はひとつのヨーロッパ意

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識でつながっている。その面白さは共通したひとつの意識をもっているのに、内部は 多数であり、多数であるのに共通したものが貫かれていることである

」と西尾氏と 類似の指摘をし、未来については木村氏と同様に、 「ヨーロッパの完全な政治統合は 予測し得る将来、不可能だ

」と述べ、次のように結論する。 「EC、ヨーロッパ共同 体は、九ヶ国の九つの顔を持つゆるやかな連合体であり続けるだろう。そして内部の 対立を繰り返し、分裂の危機を繰り返しながら、同時に外部に対しては結束してみせ る奇妙な集団の姿を保って行くことになるだろう。近代史の中で、もっとも優れた文 化を創り出し、かつては自らを 世界 としていたヨーロッパが、超大国に囲まれ、

新興国につき上げられながら生きて行くためには止むを得ない方法なのだろう。むし ろそうした行き方を考え出したのは、ヨーロッパ人の知恵と言えるかもしれない

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」 と。

ここで紹介した諸論の選択については恣意的・断片的であるそしりを免れないが、

その後の EC から EU 結成への経緯をみれば「旧ソ連の消滅」 「石油の枯渇」につい ては予測が外れたとはいえ、それ以外は概ね以上の論者の当時の予想のようにその後 の歴史は進行したといえよう。それはともかくヨーロッパの特性の分析・研究は日本 の将来、とくに「地域」と「国家」との関連について非常に多くのことを示唆してく れるであろう。この問題はすでに触れた「地域主義」の研究と関連して是非解明した いと考えている。ここではそのための私自身の体験と、それと関わる先学の言説の紹 介と問題の指摘にとどめねばならない。

日本における「地域」をめぐる諸相

1 玉野井芳郎・増田四郎氏の見解

ヨーロッパから、日本の状況に目を転じよう。私は、以前に「地域」の問題を教育 の視点から捉え、明治維新以降の歴史を粗描したことがあるので

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、その参着を乞い つつここではまず「地域主義」研究者の所説をみよう。玉野井芳郎氏は、日本の中央 集権の実相をまずは以下のように描きだす。

じっさい日本ほど中央集権的な国は世界にもあまりないといってよい。政治と行

−9−

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政が中央の東京へと集中し、物も人間も文化もすべて東京がモデルとなっている。

企業も教育も中央から出発して中央に帰るというパターンをとっている。このよう な一点中心型の国家体制は明治維新以降一世紀を超える近代化の歴史の中で構築さ れてきたものである。その同じ歴史の中で、地方は中央に対して劣位の体制におか れるようになってきた。地方がインフェリオリティ・コンプレックスにおちいった のは当り前である。このような傾向は、第二次大戦後の高度成長の過程でいっそう 拍車をかけられる結果となった。

マ マ

もともとわが国日本は四面海に囲まれた島国で、同じ民族が同じ日本語を話し、

一種の同質社会をつくりあげてきている。……そのような同質社会であるところ に、さらに一点中心性が加わったのであるから、まさしく異常で例外的な状況がつ くりだされたことになる。国民的エネルギーの大半が東京に集中し、東京があたか も全国を支配するようなかたちでの国民生活が出現するにいたった。国民の顔はみ な東京へ向いており、地方のどの都市に行ってもミニ東京やミニ銀座がつくられ て、全国画一のおもしろくない都市や地方生活が多くなっている

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以上の玉野井氏の指摘はこれまでも多くの論者が説くところであり、アイヌ民族や 在日外国籍の人々への配慮の欠如を除けば概ね私も同感できる。この点と関連する増 田四郎氏の、この国の近代化の歴史的事情についての次の説明も示唆に富んでいる。

十八、九世紀の西ヨーロッパというヨーロッパ史上でもきわめて特殊な、国家意 識の強烈きわまる時期、そしてまた産業革命の進行しつつある時期に、そうした

「先進国」を模範と仰いで、諸多の文物・制度をとりいれたわが国としては、さし あたり、そうした国家本位の発展にならざるをえなかった事情もあったろう。つま りその場合には、それ以前の長い歴史の発展の過程で、営々とつちかわれてきた ヨーロッパ人の社会生活についてのものの考え方、具体的にいえば中世都市の生活 にはじまり、市民革命を経て身につけられたデモクラシーの精神を、体験を介して 学びとるだけのゆとりがなかったのである

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以上の「中央集権」化、それと表裏する「デモクラシー」の欠

という伝統的な日 本の特性は一連の戦後改革にもかかわらず大きくは変わらなかった。しかし、国民に

−10−

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「地域」 「市民」に着目させ「地方自治の本旨」 (日本国憲法九一条)をあらためて厳 しく問い返えすことになった主要因には高度経済成長とそれに伴った「公害」の発生 があった。この点について、増田氏は以下のように述べる。

ごく最近にいたり、周知のように主として公害の問題をきっかけに、一つの大き な曲り角に直面することになった。それから地域住民の切実な連帯感がうまれ、や がてその連鎖反応ともいうべきうごきが、基地問題、開発問題、日照権問題、医療 問題、食料品問題等々にも波及して、いまや上からの一方的なペーパー・プランや 大企業の計画は、ことごとに地域住民の同意と諒解を得るのでなければ、何一つ実 施にうつしえないほどの状況にたちいったのである

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氏はさらに、以上の関連において、日本人の法意識の変化を指摘し、 「泣き寝入り」

を強いられてきた日本の民衆にとって、公害問題は「意識改革の貴重な芽ばえ

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」と して評価する。続けて、増田氏は、この新しい意識の芽ばえがいかにすれば、健全な 市民意識に定着するかが今後の課題であると指摘する。

周知のようにこの課題に真摯に取り組んでいるのが増田、玉野井の両氏も発起人で ある「 『地域主義』研究集談会

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」であり、これまで学問の諸分野から多くの提言が 報告・公刊されている。これらの諸成果の検討につては機会を改めたい。ここでは、

高度経済成長の展開の序段において、 「地域」と教育との関わりにつとに注目し、教 育にとっての地域の意味を追究しつつ、国民教育研究所研究会議議長として当時の教 育界に大きな影響を与えた上原専禄氏の「地域」論及びそれに関わる教育論を検討し よう。

2 上原専禄氏の地域論と教育についての提言

氏によれば、地域を考える視点は二つあるという。第一は、認識方法上の概念とし てであり、第二は、価値概念としてである。

まず、第一の概念について氏の主張をみよう。

中央の政治、たとえば日本の政治とは何か、ということを考えます場合に、権力 側の政治、政策、それに対抗する野党側の政治のあり方が日本の政治だ、と簡単に

−11−

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いえばそうかもしれませんが、それを具体的につかもうとすると、それぞれの地域 においては権力と民主的、人民的政治要求とか、具体的にどういう具合に対決の姿 勢にあるか、そのことの複合体として日本の政治というものがとらえられなければ ならないのではないか

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日本の教育と地域を考え認識していく視点についても以下のように論ぜられる。

それぞれの地域において、今のような複雑なメカニズムを通った権力の意志決定 としての政策が、それぞれの地域において、どのような反対運動を呼び起している か、どういう対決の姿勢が民衆の側からでてきているか、そのぶつかりのなかで、

それはどちらが勝ったとか負けたとか、負けつつあるとかいう、そのことも問題で あろうが、ぶつかりのなかでどのような新しい教育の実践が、現場において行なわ れておるのか、そのような現場のなかではどういう教育実践が、未来を切り開くこ とを志向しながら行なわれているといえるのか。そういう地域の複合的・構造的全 体が、日本の教育の姿ではないだろうか。そういう教育のおさえ方を抜きにした教 育認識は、日本の教育をいわば高いところで観念的につかんだだけで終わりはしな いか。……日本というものの全体認識の、具体的で、実際的で、現実的な方法とし て地域を知らないわけにはいかない、ということだと思います。A の地域は A の 地域にとって興味あるだけでなくて、日本全体のなかで A がどういうあり方をし ているか、ということがやはり関心事にならざるを得ない。そういう仕方で地域は 存在していると思うのであります

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次に、第二の価値概念としての「地域」はいかなるものであるか。まず現代の地域 を取り巻く状況について氏の見解を引用しよう。

現在の資本主義体制のもとだけであるかどうかは別といたしまして、地域という ものは「地方」化されています。つまり、地域のもつ有機体的性格、そういうとす こし強いかもしれませんが、地域における生活と仕事の実際性、そういうものを概 念化し、抽象的なものにしていく、具体的にいえば、資本の利益を追求していこう とする、そういう政策がだされています

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以上の地方化政策に対して上原氏は「価値」としての地域を次のように提起する。

国民が本当に国民のための教育、国民のための文化、それを創り出すための文化 の拠点として地域をとらえていく。あるいは源泉に地域をしていく、そういう可能 性、あるいはそういう願いというものを、地域の方々は持っていらっしゃるのか、

……地域というものを、国民教育をつくり出す、そういう具

として、ある いは中央の権力のわがままな政策意志を現実に食い止め、克服していく場として、

別の言葉でいえば地域というものをひとつの価値として、たんなる研究上の作業概 念としてではなく、日本の国民生活を進めていくための拠点的な、現

として 考える。つまり、ひ

としてお考えになるかどうか

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。 (傍点引用者)

以上にみられるように、まず上原氏にあっては「地方化政策」に対する「抵抗」の 拠点として地域が捉えられている。しかし、それは単なる「抵抗」の拠点にとどまら ず、 「国民のための文化、それを創り出すための文化」の拠点「国民教育をつくり出 す」 「具体的場」としての地域なのである。それ故に、地域は「価値」概念になりう ると氏は説くのである。さらにそのための学習の方法として、 「生活現実の歴史化的 認識」が提唱される。それは以下の一節に集約的に表現されている。

「現在」の問題意識を出発点とし、それを手がかりとして「過去」を形象化し、

形象化されたその「過去」を媒介として、こういう操作の反復が、 「生活現実の歴 史化的認識」と私が呼んできたものの作業内容の骨格であるわけです

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たしかに森田俊夫氏も評価するように、上原氏の提唱は、 「現実認識においても、

また実践的見通しにおいても、きわめて正しいもの

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」であったと私も惟う。したがっ て、その後の実践家も研究者の多くも一時このテーゼを導きの糸としてきたこともそ の後の歴史が示す事実である。想えば、公害反対運動、生涯教育構想等が喧伝される 以前に「地域」の意味に着目して、それを抵抗の「拠点」とともに「価値」概念とし て捉え国民教育と結びつけようと構想する上原氏の先駆性は高く評価されて然るべき である。しかし、いま改めて読み返すとき、つとに高島善哉氏が批判したように、上

−13−

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原理論における階級視点の稀薄性

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、その反面、主体形成としての「国民」への過剰 な期待、それはまた岡村達雄氏が批判する、天皇制の批判を欠いた民族概念

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とも無 関係ではないだろう。その評価とともにいまなお検討されるべき面も多いことも確か である。更にいえば、その構想が、上原氏のなかに堅持されていた現実との厳しい対 決姿勢が忘れられエピゴオネンに継承されたとき、主観的価値と願望が増幅されその 観念性、恣意性は嵩じて、遂には政党プロパガンダの 侍女 としておとしめられる 危険性もあったのではないか

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以上で上原氏の「地域」及びそれに関連する教育についての提言の検討を終える が、とはいえ戦後教育に占める上原氏の位置については今日なお主題的研究が必要で あろう。この作業は他日に譲りたい。

「地域」の思想的意義

――竹内芳郎、清水正徳、城塚登氏の言説に学ぶ――

「地域」についての諸見解の考察を試みたが、その限りでも、 「地域」への期待は それぞれ多様である。本節では私がこれまで関わってきた初期マルクス研究の立場か ら「地域」の意味を考えてみたい。

私が不満を抱いてきたことは、初期マルクス研究が「人間の解放」という視点から マルクスの思想について精緻に分析を試みても、それをいかにして現実の打開のため に適用されうるか、についての理論(当時流行の言葉を用いれば現実への「架橋」 ) がみられないことであった。もちろん、思想研究がただちに現状変革へ通ずるなどと いう考えは短絡的思考であることは認めるが、それにしても自らの研究と自らがよっ て立つ具体的経験のかけがえのなさを媒介させようと努める意識が総じて稀薄だった のではあるまいか。この点について、竹内芳郎氏の厳しい批判を自戒をこめて以下に 記したい。

わが国の大学闘争のさなかにあって、これにもっとも敏感な反応を示し得たの は、いままでの客観的大状況から問題を発想することしか知らなかった旧マルクス 主義者たちではなく、かえって、たえず人間の実存的契機にかかわってきた文学専 攻者、キリスト教(プロテスタント―なぜなら、これは宗教改革をこそ己の成立根

−14−

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拠としているのだから)や仏教(日蓮宗と浄土真宗―なぜなら、ふかく民衆のなか に息づくことのできた生きた仏教だったからだ)などの宗教者、きびしく職業倫理 を問いつづけてきたウェーバー主義者たちの方であった。多くのマルクス主義者た ちの方は、腐り切った大学アカデミズムのなかに安居して、機動隊に護られつつ革 命の〈科学的〉理論とやらを研究していたにすぎなかった

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このような状況を惟うとき、清水正徳、城塚登氏のマルクスの思想研究を踏まえた 次のような提言はいまなお注目すべきものと考える。

まず、清水氏は、 「働くことの意味」について思想史的に詳細な考察を行った後に、

「人間関係と労働」について言及し、 「生産的労働」だけを主眼に考える態度の再検 討、 「市場経済」が社会生活に対してもつ役割の制限、労働生産の自主管理の問題の 三つの提言と並んで「地域」についても以下のような主張をしているのは興味深い。

人間と自然を生命ある環境世界として、しかも宇宙とか人類とかいう大きなス ケールよりも、それぞれの人間がいわば手のとどくところで、語りあい交流しあ う、そういう世界での人間らしさの蘇生をねがうこと。そこに男と女、教育、医療、

そじょう

そして労働といった私たちにとって避けては通れぬことどもが俎上にのぼせられま す。こういう自然と人間の基礎把握による地域づくりの〈希望〉は、それ自体が切 実な生きた仮説、生きた実験であって、私たちを緊張させずにはおかぬものです

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後出の提言と比べてやや抽象的なきらいはあるにしても、 「手

」と いう章句にこれまでヒラの市民には「手のとどかない」哲学・思想研究の限界を超え

おも

ようとする清水氏の念いがこめられているように思われるのである。

他方、城塚氏は「新人間主義の哲学」を標榜しつつ、一層具体的に、 「地域社会に おける共同性の崩壊」を現代日本社会における人間疎外の一端として次のように告発 する。

資本主義経済とともに、農村から都市への人口移動が大規模になり、自然的につ くられていた地域社会の共同性は稀薄となり、特定の目的のためにつくられた機

−15−

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が多数現われ、人びとはそれらの集団に、その特定の目的に結びつく部分だ けで関係するようになった。日本の場合、戦後には急激に都市化が進み、大都市に おいては各個人、各家族が近隣の人びととの人間的な結びつきをほとんどもたず、

孤立して生活するようになってきた。生産点においては、いかに人間疎外が深刻に なっても、同じ職場に働く人びとの間には、労働組合の活動などがその連帯を強め る働きをしているのであるが、地域社会における市民生活となると、たとえ近隣に 住んでいても、それぞれ仕事も異なり生活の仕方も異なるという場合が多いので、

住民どうしが人間としての結びつきをもつことは困難であり、多くの場合、つきあ いがきわめて浅いところにとどまることになる

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。 (傍点引用者)

このように地域社会における生活がばらばらに孤立して営まれているために、生活 環境の改善といった問題は、もっぱら「地方政治」の主題とされてしまい、住民たち 自身が改善のために協力するということが少なくなったのである。さらに同氏はマル クスの見解に触れつつ以下のように述べる。

かつてマルクスは、市民生活の共同性が政治的な力というかたちで国家に収奪さ れてしまったがゆえに、市民社会での人間の生活は連帯感を失い利己主義に支配さ れているとし、そこに人間の自己疎外を見いだしたが、まさに同じような事態が地 域社会での市民生活に現われているのである。近隣の人たちは利己的権威を主張し あって対立することがしばしばおこり、相互に無関心で、身寄りのない老人の孤独 な生活といった悲惨な諸問題が生じてきた

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以上のような「地域」の疎外状況を指摘した氏は他面で、前出の増田氏と同様たと えば区長公選の要求、日照権、騒音防止を求めるごとき、 「市民としての連帯を地域 社会に築こうとする市民運動が芽ばえつつある

30

」ことに期待しつつも、それらの運 動が「労働運動」や「消費者運動」と結びつかない限り、発展はないことを警告する。

しかし、なによりも氏が要求するのは、それらの基礎組織が人間的であること、いい かえれば、 「それにおける結びつきが 人間活動の全側面にわたっており、人間疎 外を克服するという志向に貫かれている」 (傍点引用者)ことであり、より具体的に は「参加および脱退の自由の上に成り立っており、原則的に機能的分化を避け

32

」る

−16−

(15)

ことであると説く。一言でいえば「直接民主制」を原則とするという提言である。

私もまた、結論的にいえば地域の意義を以上の両氏と同様に「手のとどくところ」

(地域)における「直接民主制」に求める者であるがこの点を初期マルクスの思想と の関わりで再考してみたい。

かつて他稿で考察したところであるが

33

、 「公民と市民への人間の分裂」という近 代特有の人間の現存については、すなわち近代社会における国家圏と市民社会圏との 関係については、マルクスはヘーゲルの理論を基本的に承認した。だが、この両圏の 対立的分離の統一に関しては、両者は対立する。要するにヘーゲルは両圏の分離を歴 史的事実として認めつつも、結局、論理学の操作によって、 「国家」という共同体に おいて、実際には中世的身分制国家への還帰によって、精神的に(国家的ゲジンヌン グ〈Gesinnung〉によって)統一しようとするのに対して、マルクスは、周知のよう にフォイエルバッハの「転倒の方法」を活用して、ヘーゲルの主語=述語関係を正

させる。すなわち、国家ではなく市民社会を主語にするのである。ヘーゲルにあって は総体の一契機とみなされた市民社会を自立的なものとして捉えかえし、そこに真の 共同態を求めんとしたのであった( 「国家の市民社会への再吸収」 ) 。この辺の事情は 初期マルクス研究においてはよく知られた事実である。

問題は、ヘーゲルの転倒した関係を正立させるその方法についてである。もちろ ん、市民社会の諸矛盾を、国家的ゲジンヌング(Gesinnung)を内面化し共有化する ことによって「止揚」するというヘーゲル的方法はマルクスのとるところではない。

予めいえば、マルクスが提唱するのは「民主制」なる概念である。

この「民主制」についても、他の機会に詳論したので

34

、ここではその要点のみを 述べる。それは近代に特有な国家圏と市民社会圏の分離の解体・克服を目指すもので あって、両圏の分離を前提したところのいわゆる普通選挙制でないことは明らかであ る。端的にいって、 「直接民主主義」の全面的展開の謂であるとみてよいであろう。

この点に関する前出の竹内芳郎氏の次なる説明は肯綮にあたる。

真の民主制にあっては、立法権への人民のできるだけ普遍的な参加(直接民主主 義)が企てられる。なぜなら、政治国家の全体性は立法権にあり、したがって市民 自身が直接的に立法権に参加することは、市民が市民たるままで国家の成員となる こと、市民社会みずからの内部に政治国家を奪回することだからだ。そしてこのと

−17−

(16)

き、市民社会と政治国家の分離は真の意味で克服され、政治国家としての政治国家 は没落する。したがって、こうした民主制こそ、はじめて普遍的なものと特殊的な ものとの真の統一なのである

35

。 (傍点引用者)

ところで、 「民主制」が展開された『ヘーゲル国法論批判』の直後に書かれた『ユ ダヤ人問題によせて』においても、マルクスの共同態についての構想がみられる。そ れは有名な以下の章句に集約されるであろう。

現実の個別的な人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間の ままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その 個人的な関係において、類的存在となったときはじめて、つまり人間が自分の『固 有の力』 (forces propres)を社

力として認識し、組織し、したがって社会的 な力をもはや政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて、人間的解 放は完成されたことになるのである

36

「政治的解放」を超える「人間的解放」のイメージの表白としてつとに知られるこ の一節は従来しばしば引用・論議されたことは周知のところである。たとえば平田清 明氏は、 「これこそ、マルクスのコミュニスムであり、マルクスの生涯をつらぬくも の

37

」と積極的に評価し、さらに「ここにはすでに、後年の国家死滅のテーゼが胚胎 しています。諸個人の固有の力をコミューンとして、真に現実化していくことが課題 であって、それを『政治的な力』=政治的国家あるいは『政治的共同体』として疎外 しないことこそが、社会革命=人間的解放の課題です

38

」と自らの評価を敷衍してい る。たしかに、この章句は後年マルクスが経済学的研究をくぐり抜けて到達した「自 由人たちの連合体」のイメージ、すなわち、 「共同の生産諸手段をもって労働し、自 分たちの個人的労働諸力を自覚的に一つの社会的力として支出するような自由人たち の連合体」 ( 『資本論』第一巻第一章第四節)の構想に通ずるものとして注目すべき章 句である。

しかし、私はかつて、この一節について、 「この周知の章句に『人間的解放』の意 味するところが簡潔に表現されている

39

」と評価しつつも、その実現の具体的提言に ついての論及がみられないところから、 「残念ながらこの点に関するマルクスの叙述

−18−

(17)

は『ヘーゲル国法論批判』における『立法権への参与』という示唆ほどにもみられな い

40

」 、まして「解放の主体についてはなんら言及されていない

41

」として平田氏のよ うな高い評価は与えなかった。これはまた私の「民主制」への評価とも関連している のであるが、この点と関説して以下のような竹内良知氏の批判を受けた。

著者(=黒沢、以下同じ)の『ヘーゲル国法論批判』についての理解には、私は かなり根本的な異論をもっている。著者は、 「マルクスはフォイエルバッハの『転 倒の方法』に依拠して国家の現実的地盤としての市民社会に注目し、市民社会その ものの構造を分析し、 『対象の独自な論理』を手操らんとするがまだ『独自の対象 の独自の論理をつかむ』にいたっていない」と書いているし、 『ヘーゲル法哲学批 判序説』についても、 「この時期のプロレタリアートの内実はやはり……市民社会 の独自な論理によって手操られたものといい得るものではない。その意味で『形式 においてのみレアリスティッシュで、内容はまったく観念的だという』エンゲルス のフォイエルバッハ批判はこの期のマルクスのプロレタリアート観=共同態につい てもあてはまると思われる」と書いている。 『ヘーゲル国法論批判』はもちろん

『ヘーゲル法哲学批判序説』の時期のマルクスもまだまったくフォイエルバッハの 影響下にある、と著者は見ているようである。しかし、 『ヘーゲル国法論批判』は すでにフォイエルバッハの立場を高く超えている。マルクスはたしかにフォイエル バッハの「転倒の方法」によってヘーゲルにおける政治的国家と市民社会との位置 の転倒を批判したが、同時にその「転倒」がヘーゲルの頭のなかだけでおこなわれ たのではなくて、近代社会の現実そのものが転倒しているという事実を発見した。

そして、この発見によって、マルクスの近代社会の分析はまったく新しい次元に立 つものとなった。彼は「対象の独自の理論」によって、市民社会から政治的国家へ の抽象が、 「現実的抽象」であることを明らかにし、代議制国家が私的所有を基盤 としていることを解明した。だが、著者はマルクスのこの発見の巨大な哲学的意味 についてまったく触れていない。著者がマルクスに対するルソーの影響を軽視する のもそのことと結びついている

42

。 (傍点引用者)

竹内芳郎氏も強調する「この期のマルクスに対するルソーの影響

43

」については直 ちに竹内良知氏の批判を受け入れることは留保したいが、 「独自な論理」 、とくに「民

−19−

(18)

主制」についての小論に対する批判は慎しんで受け入れざるをえないところである。

いまにして省みれば、 「人間的解放」の主体としてのプロレタリアート、というマル クスの発想にこだわり過ぎていたこと。いいかえれば「民主制」に托する当時のマル クスのおもいへの洞察が欠けていたこと、が自省される。この点について、いまの時 点における私の考え方を若干開陳しておこう。当時私が抱いた疑点はマルクスが「民 主制」と関説する「無制限な選挙」についてである。その箇処を引用しよう。 「マル クスによれば『無制限な選挙』とは市民社会の政治的国家にたいする、無媒介的な、

直接的な選挙によって『抽象的政治的国家』の内部での国家を解消し、これによって 同時に市民社会を解消すること、つまり二つの圏の分離の克服をマルクスは要求して いる。しかし、この場合、何故『抽象的政治的国家』の内部と限定する必要があるの か。ここでマルクスがいう国家と市民社会の『解消』とは近代特有の矛盾である両圏 の分離の克服と質的に異なるのであろうか

44

」 。なお、この疑問提起の根拠の一例と して柴田高好氏の見解―「政治的国家の内部における選挙法の改正と『政治的国家と 市民社会との矛盾の解消をめざす無制限の普通選挙権との関係についても、まただれ がいかにしてそのような無制限の選挙を実現するのかについても、なんらそれ以上の 展開はなされていない

45

』 」―を援用したのであった。

しかし、前出の竹内芳郎氏の見解などに学び、現時点で再考してみると、この「民 主制」については、すでに引用した『ユダヤ人問題によせて』の一節へ至る「過渡的 概念」と一面的にみなすべきでなく、むしろ、 「社会主義体制」においてもなお問わ れ続けられなければならない重要な概念と考えるべきである。因みに私はやや不充分 ながら、この点を次のように述べた。 「民主制は疎外の回復されたものとして構想さ れるのは当然である。逆に疎外回復のための批判原器といってもよい

46

」と。

この点についてはとくに次のマルクスの章句に注目すべきである。 「民主制はあら ゆる体制の謎の解かれたものである

47

。 」 「民主制は体制の類である

48

。 」 「民主制にお いては形相的原理が同時に質料的原理である。それゆえに民主制にしてはじめて普遍 と特殊との真の一体性なのである

49

。 」 「あらゆる国家形態はそれらの真理として民主 制を有し、それゆえにこそ、それらが民主制であるのでないかぎり、非真理であるこ とはおのずから明らかである

50

」etc。そしてこの「民主制」実現の具体的方法及び 内実が「立法権」である。これについてのマルクスの主張を列挙すればおよそ以下の ようなものである。 「或るものの意識的な一員であるということは、意識的にそのも

−20−

(19)

のの一部分を己に引きうけること、そのものに意識的に参与することである。この意 識なくしては国家成員はけだものにほかならぬであろう

51

。 」 「立法権に参与すること は政治的国家に参与すること、己が存在を政治的国家の成員として、国家成員とし て、証しし実現することである」 。みられるように、 「立法権への一般的参与」こそ、

「己を政治的社会に化そうとする、あるいは政治的社会の努力

53

」と主張されること に注目したい。しかしこの場合、 「代理を通じての市民社会の政治的国家への参与こ そは、市民社会と政治的国家との分離およびそれらのたんなる二元的一体性の表現に ほかならない

54

」として代議制は否定されることにも同時に注目すべきである。した がって、 「民主制」とは「立法権への一般的参与」 、いいかえれば、 「市民社会がごっ そり、あわよくば、そっくりそのまま、立法権のなかへ押し入ること

55

」、端的にいっ て、直接民主制によって、政治的国家と市民社会の分離を解消しようとすることを意 味するのである。要約すれば、 「民主制」とは一方において、すでにみた『ユダヤ人 問題によせて』の一節により具体化されたマルクスのコミュニスムスの表現、すなわ ち、目的概念であると同時に、他方においてその到達目標を実現していく方法概念で もあるのだ。まさに「民主制」はこの二つの概念の統一として解されなくてはならな いのである。 「民主制においては形相的原理が同時に質料的原理である」とマルクス が述べる所以である。 (因みに、すでにみた「無制限な(unbeschrankt)選挙」は、

¨

恐らく現実の政体すなわち「代表制」=「代議制」の内部についての言及と思われる。

この政体のもとでは当然に「選挙」を前提としなければならず、そのとき選挙の「可 能なかぎりでの一般化」 、 「無制限な選挙および被選挙」を追放するほかないという意 味と推測される。 )

本節のはじめの部分で、 「地域」の意義を、清水、城塚両氏の所論を手がかりとし つつ、 「手のとどくところ」における「直接民主制」であると結論的に述べたが、初 期マルクスの思想を辿るという迂路を経てこの結論を思想史的にたしかめた次第であ る。

かつて私は「地域」についての小論で、まず、 「それは人間と自然を媒介する具体 的・基礎的『場』 」であり、 「労働の『場』が大人しか含まないのに対し、地域は子ど も、更に家庭をも含む。この意味で人間形成の母体といえる

56

」と述べ、 「手のとど くところ」に注目すべきことを提起した。更に、この「手のとどくところ」への見直 しが、いいかえれば、明治以降、あらゆる面で中央集権が推進されてきたのであった

−21−

(20)

が、その事態に対する批判、反省が、とくに高度経済成長政策の破綻とともに急速に 行われたこと、しかも、学校教育と社会教育をシステム化、インテグレート(統合)

するものとしての生涯教育が、1 9 7 0年代の国の基本的政策として押し出され、8 0年代 半ばの臨教審によってより一層推進され国策化されたのであった。これに対抗して、

「下から」の学校教育・社会教育の再編成を、 「地域」を拠点にして( 「手のとどくと ころ」で)創出するという構想が打ち出され、以来、この発想に基づく諸実践が市民 運動・民衆運動として展開されてきた経緯も周知のところである。

これらの実践例の具体的検討は改めて論じなくてはならないが、私は以上の「地 域」主義的発想とそれに基づく実践に敬意を表しつつも、同時にその発想に対する次 のような懸念も表明したのであった。 「たしかに中央政府に対して地方自治体は相

に独立した地域であるが、それはあくまで相対的であって、地方自治の『固有説』

をとる者であっても、これを絶対的と考えることは不可能である。ここには国家と政 府を同一視するという混乱がみられるのではないか。悪なる『国家』に対する善なる

『地域』という発想は中央集権を呪詛する者に受け入れられやすいが、いうまでもな く地方自治体は国家の重要な構成要素である。したがって現代における地方自治を価 値的に捉えることはできない

57

」 。更に、 「教育における地域」についても、そこで は、 「ひとはともすれば階層階級関係の対立からきりはなされたものと考えがちであ るが、教育における『地域』だけが同質であろうはずはあり得ず、階層階級の多様な 教育要求の錯綜の総体以外の何物でもない

58

」 。したがって、 「 『地域』を価値的に措 定し、その限界と矛盾を認識しないならば、折角の『下からの』地域教育計画も『上 からの』それの補完物に堕することになろう

59

」 。以上が当時の私の懸念・疑点の概 略である。この不安は今なお一般的には拭えないでいる。

ここで、ありふれた言い方をすれば、その概念・疑点・不安は結局、個々の具体的 実践のなかで克服されていくほかはなく、一般的、統一的理論(自在鍵)として提示 することは不可能なのではあるまいか。重要なことは、実践を推し進め、あるいはそ れらを分析する場合の視点、視座をどこに定位するかということであろう。かつて、

この点については、私は「地域」を「幻想的共同体としての国家に対する真の共同体 を創造していくための段

、橋

とみなされるべきものである

60

」と述べ た。いまこれを若干補足すれば、すでに初期マルクスの思想の考察から明らかなよう に、 「直接民主主義」の実践・検証の具体的な「場」と考えたい。やや具体的にいえ

−22−

(21)

ば、すでに引用したように「参加及び脱退の自由の上に成り立っており、原則的に機 能的分化を避け、直

を目指す」こと。なかんずく意志決定については「直接 民主制」が必須の条件でなくてはならないと惟う。 「手のとどくところ」である「地 域」でこそ具体的実現が可能であり、しかも、これこそまさしくあらゆる「体制の類 である

61

」というマルクスの卓見に想いを致すべきである。念のためにいえば、この 場合の「体制」とは国家体制のみを意味するのではなく、あらゆる人間集団・関係を 意味すると解すべきである。

如上の諸観点に立つ諸実践、そしてそのネットワーキングこそがこの国の伝統的な

「上からの」地域の取り込みに抵抗し、それの補完物に堕することを許さず、さらに 幻想的共同体としての国家に対する真の共同体を創造していくための「橋頭堡」を構 築し、更にそこを拠点にして現実の 共同体 ( 「国家の市民社会への再吸収」 )を実 現する展望を切り拓くものと考える。国家の権能の「地方分権化」が進展しつつある 最近の動向を勘考すればこの可能性は次第に拡大していると惟う。以上をもって小論 を結ぶことにする。

付 記

本稿は、旧稿「国家と地域の思想―『真の民主制』の再検討―」(拙書『疎外と教育の思 想と哲学』理想社、2000年、所収)を、現時点で再考し、加筆・修正さらに補注を施した ものであることを断っておきたい。なお、マルクスの民主制の考察については次の書(と くに第一部「思想としての民主主義」)も参考になる。松田賀孝『民主主義とマルクス主 義・共和制国家から「協同社会」へ』(御茶の水書房、2001年)。

《注》

1 柳沢修『イタリアとイタリア人』(日本放送出版会、1977年)p.223。エンツォ・ピアー ジ著、大西寛・林要一訳『新イタリア事情』(朝日新聞社、1983年)(下巻、一四章)

も参照のこと。なお、私自身の体験については、拙稿「太陽と甃の街―ローマ雑感」

(『信州白樺』27・28合併号〈1977年〉、後に拙著、増補『市民社会と生涯学習―自分 史のなかに「教育」を読む―』明石書店、2002年、に収録)をご覧願いたい。

2 西尾幹二『ヨーロッパの個人主義』(講談社、1969年)。西尾氏の論説の引用は全て本 書によるが、引用箇処が多いので煩雑を避けるため引用箇所に逐一頁数を注記しな い。そのほか、同氏の労作、『ヨーロッパ像の転換』(1969年)、『日本の教育ドイツの

−23−

(22)

教育』(1982年)(いずれも新潮社)にも多くの教示を得た。因みに、西尾氏のほかの 書の書評をしたことが機縁になって、後年同氏とお目にかかったとき、この時の想い 出を語ったら、大変喜ばれたことがある。

3 たとえば、増田四郎『地域の思想』(筑摩書房、1980年)、同『ヨーロッパの都市と生 活』(筑摩書房、1975年)、同『社会史への道』(日本エディタースクール出版部、1981 年)など。

4 たとえば、玉野井芳郎『地域分権の思想』(東洋経済新報社、1977年)、同『エコノミー とエコロジー』(みすず書房、1978年)、同『地域主義の思想』(農山漁村文化協会、

1979年)、同『生命系のエコノミー』(新評論、1982年)など。

5 木村尚三郎『ヨーロッパからの発想』(講談社、1978年)p.264。因みに「石油の枯渇」

については、21世紀初頭の現在、木村氏の当時の予測は外れたといえるが「統合」に 関しては EU の成立によって的中していると考えてよいであろう。なお、最近の興味 深い同氏のヨーロッパの考察については次の書を参看されたい。木村尚三郎『ヨーロッ パ思索紀行』(NHK ブックス、2004年)。

6 同上、p.265。

7 同上、p.265。

8 伴野文夫『EC=ヨーロッパ九つの顔』(日本放送出版協会、1974年)p.238。

9 同上、p.244。

10 同上、p.244。

11 拙書『社会教育論序説』(八千代出版、1981年)第九章、その後、拙著『国家・市民社 会と教育の位相―疎外・物象化・ヘゲモニーを磁場にして―』(以下『位相』と記す)

に収録。

12 玉野井芳郎『地域分権の思想』(東洋経済新報社、1977年)pp.4―5。

13 増田四郎『地域の思想』(筑摩書房、1980年)pp.146―147。

14 同上、p.148。

15 同上、p.149。

16 註11参照。

17 上野専禄「『世界・日本の動向と国民教育』―地域における国民教育の研究をすすめる ために」(国民教育研究所編『国民教育の創造をめざして―民研二十年のあゆみ』1977 年)、p.177。

18 同上、pp.177―178。

19 同上、p.178。

20 同上、pp.177―179。

21 上野専禄「現代認識の問題」岩波講座『現代Ⅰ』(岩波書店、1963年)pp.36―37。

−24−

(23)

22 森田俊男『地域の理論』(民衆社、1976年)p.23。なお、上原氏の地域と教育の関連に ついては次の文献も参考になる。片岡弘勝「戦後主体形成論における『地域』概念―

上原専祿『生活実現の歴史化認識』論の構造―」(日本社会教育学会紀要 No.34、1998 年度)。

23 高島善哉・水田洋・平田清明『社会思想史概論』(岩波書店、1965年)終章。

24 岡村達雄『現代公教育論―再編と変革への視座』(社会評論社、1982年)第Ⅲ部第二 章。因みに、太田昌国氏も、当時の「進歩的文化人」を代表する一人として、上原専 祿氏をとりあげ、「思想的根元においては日本ナショナリズムの強化に力を貸してい た」ことを、上原氏の編著『日本国民の世界史』(岩波書店、1960年、因みに、私も本 書を太田氏と同様強い共感をもって読んだ記憶がある)を検証しつつ、批判している

(太田昌国『「国家と戦争」異説・戦時体制下の省察』、現代企画室、2004年、pp.345―

351)。傾聴に値する見解と思われる。私なりの上原氏へのおもいの一端としては拙著

『教育改革の言説と子どもの未来―教育学と教育運動の間』(明石書店、2002年)の

「『あとがき』にかえて―教育総研の教育活動」をご参看願いたい。

25 拙稿「近代法としての社会教育法」(吉田昇『社会教育法の成立と展開』、東洋館出 版、1971年)pp.65―66。

26 竹内芳郎『国家と民主主義』(現代評論社、1975年)p.114。

27 清水正徳『働くことの意味』(岩波新書、1982年)pp.173―174。

28 城塚登『新人間主義の哲学』(日本放送出版協会、1972年)pp.175―176。

29 同上、p.176。

30 同上、p.209。

31 同上、p.211。

32 同上、p.211。

33 拙著『疎外と教育』(新評社、1980年)第五章、その後『位相』に収録。

34 同上。

35 註26、p.17。

¨

36 Karl Marx Friedrich Engels Werke, Band I, Institut fur Marxismus. Lenismus beim ZK der SED, Dietz Verlag, Berlin,1956.S.370.(邦訳『マルクス・エンゲルス全集』一(大 月書店、1959年)p.407。

37 平田清明『市民社会と社会主義』(岩波書店、1969年)p.198。

38 同上、p.198。

39 註33、p.120。

40 同上、p.120。

41 同上、p.120。

−25−

参照

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