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税制公正化への闘いでの魂の燃焼 ──税務会計学研究

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(1)

Ⅰ 序言──「税務会計学研究 70 年の歩み」の研鑽の軌跡を回顧    ──風雪に耐え幾つの峠や岐路を越えてきたかな──

 かの大東亜戦争の末期に戦局急迫で国家滅亡の危機に直面し学徒出陣と して旧制横浜高等商業 (現横浜国立大学経済学部) の2年生の時に陸軍現役 兵に徴兵され,海外の最前線に出征した。そして,陸軍兵科甲種幹部候補 生として活躍し陸軍少尉に任官する直前に敗戦となり,翌1946 (昭和21)

年に,まさに九死に一生を得て復員し内地に帰還することができた。

 369 商学論纂(中央大学)第 59 巻第1 ・ 2号( 2017 年9月)

税制公正化への闘いでの魂の燃焼

──税務会計学研究 70 年の歩みを回顧──

富 岡 幸 雄

   目   次

Ⅰ 序言──「税務会計学研究70年の歩み」の研鑽の軌跡を回顧   ──風雪に耐え幾つの峠や岐路を越えてきたかな──

Ⅱ 苦難と波瀾に感動と歓喜を体得してきた学問遍歴の途筋   ──各年代ごとの研究タイプと進化の態様の変遷──

Ⅲ 1950年代の活動──「行政官僚期の税務会計学」研究の時代   ──行政経験の理論化の研鑽と税務の民主化を志向──

Ⅳ 1960年代の活動──「暗中模索期の税務会計学」研究の時代   ──学的体系構築化の研鑽と方法論の形成を志向──

Ⅴ 1970年代の活動──「黎明早暁期の税務会計学」研究の時代   ──学的体系充実化の研鑽と各論領域の形成を志向──

Ⅵ 1980年代の前期──「旭日昇天期の税務会計学」研究の時代

  ──学的体系精緻化の研鑽と研究領域の拡大を志向──

(2)

 そこで,これから大学に進学し本格的に勉強し直そうと計画したが,敗 戦直後の厳しい環境で,家庭の経済的事情からも至難なことは明らかであ り,やむなく職に就くことになった。もとより東京をはじめ大都市は焼野 原で荒廃し,民間企業も殆ど活動していない世情であった。

 就職したのは郷里にあった,東京財務局大月税務署である。税務行政の 最前線で私の担当したのは,法人税の賦課のために民間会社の会計帳簿を 検査する税務調査の業務であった。まさに,「税界70年の歩み」のスター トである。

 爾来,国税官庁における税務行政業務に1946 (昭和21) 年から15年間,

官界から学界に転じて,1960 (昭和35) 年から1995 (平成7) 年まで中央大 学での税務会計学の研究と教育に35年間,その後,在野の自由な研究者と して,生涯の天職である税制問題の研究に専念し,今日にいたるまで22年 間,これら全部を通算すれば,トータルで72年間となる。

 その置かれている立場と環境は異なっても,ひたすら「税界一筋の途」,

「税務会計学研究一筋の途」を歩み続けてきたことになる。

 それは,苦難と波瀾とともに,感動と歓喜を体得しながら,闘魂の限り を尽して,ひたすら走り続けてきた学問追究の遍歴の旅路であった。

 序言を草すにあたり,今より22年前に中央大学の現役教授を終わるにあ たり行われた最終講義の一節を想起したので,これを本稿の冒頭に掲げる こととする。

 これは,中央大学広報部が発行している学生向けの機関『 Hakumon ち ゅうおう』1995 (平成7) 年3月発行の「ʼ94・卒業生号 (第109号) 」に掲 載した文章である

1)

。次に,これを転載しよう。

1 ) 富岡幸雄「中央大学教壇の三十七年間」『Hakumon ちゅうおう』第 109

号,ʼ94・卒業生号,1995(平成7)年3月,中央大学,32頁。

(3)

*   *   *

〔中央大学教壇の三十七年間〕

〔1〕

 「私が走れば,それも走る。私が止まれば,それも止まる。いつまで も,どこまでも私にくっついてくるものが,ある。私のこれまでは,そ のものとの闘いであった。

 それは,私の影なのである。私のこれまで競争相手は,ほかならぬ自 分自身であったのだ。」

 少しキザな言い方をしていたが,これは「税務会計研究の回顧と展望

─わが半生の軌跡─」と題して昨年の12月14日に行われた私の中央大学 における最終講義の終りのところで思わず語ってしまった一節である。

 私の最終講義は,次の3部構成であった。

 第1部 税務会計学の学的体系の形成と拡大的展開  第2部 税制再改革の基本目標とそのあり方

 第3部 村山政権の理不尽な「背信」の税制改革と大蔵官僚の国会答 弁の欺瞞性

〔2〕

 本題の話が終ったあとの,しめくくりである最後の部分は,次のよう である。

 「宇宙の誕生から200億年,地球の創成から46億年,永遠の時のながれ のなかで,私たちは,ほんの一瞬だけ生きているにすぎない。一瞬と は,はかないものだ。はかないから大事なのだ。」

 「70年にわたる私の人生は,過ぎ去ってみれば夢のように短くも感ず る。この短い時間のうち自分は何をしてきたのであろうか。

 短い一生のうちに,私はさきの大戦を経験した。学なかばにして陸軍

(4)

の現役兵として出征した。戦後は,国税庁に勤務のかたわら中央大学法 学部,大学院商学研究科に学んだ。

 やがて,国税庁に勤めながら母校本学の教壇に立ち商学部に創設され た「税務会計論」講座を2年間担当した。その後,官界から学界に進出 し専任教員とし35年の間,この教壇に立ち,税務会計学の建設と充実,

教育,その社会的活動に全力投球してきた。

 ひたすら,ひた走りに,走り続けてきた。でも,私についてくるもの があるのだ。」

 このあとに冒頭のくだりが続くのである。

〔3〕

 「私は,この激動の時代に,やはり険しい小道をたどり,いくつもの 高い峰を乗り越え,深い谷を渡ってきた。

 『学問にとって平安の大道はない。そしてこの険しい小道をよじ登る のに疲れることを恐れない人々のみが,ひとりその輝ける頂上に到達す る仕合せをもっているのである。』

 この『資本論』フランス訳の序文に書かれたこの文字ほど,研究の途 を歩んできた私にとり感動的なものはなく,いつも私をはげましてくれ たのである。深夜まで机に,かじりついても原稿は1日に僅か2,3枚 しか書けないこともあった。それでも1年間に1 , 000枚ちかくになる。

40年間に単著で32冊,編著で13冊,合せて45冊の単行本を刊行すること ができた。

 研究とは,書くことである。書かれない思索,書かれない研究は,す べて消え去り,飛び散り,霧散してしまうからである。

 成果はともあれ,やれるだけやってきた。我が半生にもう悔いはな

い。もし生まれ変わることがあったら,再び同じ学園である中央大学に

帰り,再び同じ学究生活をくり返したいと思う。」

(5)

 以上で,私の最終講義は終っている。

*   *   *

 この22年前に中央大学の教壇で語った心境と信念は,2017 (平成29) 年 の現在も全く変っていない。それは,私の税務会計学研究70年の歩みの永 旅において貫いてきた心情である。

 今後の学問研究においても,その姿勢は変わらないでありたいものと切 に願っている。

Ⅱ 苦難と波瀾に感動と歓喜を体得してきた学問遍歴の途筋    ──各年代ごとの研究タイプと進化の態様の変遷──

1 闘魂の限りを尽して学問研究の追究に猛進

⑴ 私の学問研究の過去と未来

 税務会計研究の分野を創造的に開拓し,やがて「税務会計学」の学的成 立の構築を主張することができるまでになり,その内容充実と研究成果の 集積に猛進してきた。

 やがて「総合租税学」の創設を志向しながら,さらに,これからは,

「社会公正達成の総合科学」のパラダイム形成にまで到達し,崇高なる日 本改革に貢献することを目指しているのが私の学問遍歴であり,今後の展 望である。

⑵ 研究活動の軌跡を回顧

 いまにして歩みきたりし学問研究の軌跡を回顧するとき,それは,まさ に激動の嵐の中を苦難と波瀾と感動を体得しながらの学問遍歴であった。

 それは闘魂の限りを尽して,ひたすら邁進し,幾つもの険しい峠を乗り

越え,深い谷を渡ってきた研究人生であったと考え,まことに感慨深いも

のがある。

(6)

 今は,ひたすら「学を楽しむ」心境で,道楽となっている自由な学問研 究を遊んでいる。

2 研究タイプの時代区分別の研究内容と特徴

⑴ 時代とともに変化し発展してきた研究活動の態様

 税務会計学研究を主体としてきた私の学問研究の歩みを,研究タイプの 時代区分別に,それぞれの発展過程における研究内容の性格と特徴ととも に,その時期における主要な著作,学会での研究報告,国会での証言や意 見公述,裁判所での証言,さらに主要な職歴,役職,学術受賞等を含め て,その概要を要約して示すことにする。

⑵ 進化してきた税務会計学のカテゴリー

 1950年代から10年間を区切りとして,その時代における研究タイプに応 じて税務会計学をカテゴリー別に区分して,それぞれにニックネームを命 名して研究活動の特徴を明示した。

 なお,1980年代は,研究活動の成熟期に入り,研究スピードも急速に加 速したので5年間を区切りに,前期と後期に分けて記述した。

⑶ 研究アプローチの時代区分とタイプ

① 1950 (昭和25〜34) 年代──行政官僚期の税務会計学 解説・解明型の税務会計学研究

→税務の民主化を志向 (脱却純化)

② 1960 (昭和35〜44) 年代──暗中模索期の税務会計学 苦闘・奮起型の税務会計学研究

→方法論の形成化を志向 (進路確認)

③ 1970 (昭和45〜54) 年代──黎明早暁期の税務会計学 前進・暁の税務会計学研究

→各論領域の形成化を志向 (内容集積)

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④ 1980前期 (昭和55〜59) 年代──旭日昇天期の税務会計学 進展・躍動の税務会計研究

→研究体系の成熟化を志向 (社会進出)

⑤ 1980後期 (昭和60年〜平成元) 年代──闘う行動期の税務会計学 税制改悪化と対決する税務会計研究

→学的成果の実践化・社会化を志向 (公正税制)

⑥ 1990 (平成2〜11) 年代──公正税制志向の税務会計学 不公正税制是正の税務会計研究

→理念追求型の理想税制の建設化を志向 (税制改革)

⑦ 2000 (平成12〜21) 年代初期──原理論完成の税務会計学 税務会計学原理完成の税務会計研究

→大学教授の使命達成を志向 (業績確立)

⑧ 2010 (平成22〜) 年代──社会公正達成の総合科学 不公正なことと闘う世直しの学問研究

→ロマンチック・サイエンスの展開 (日本改革)

Ⅲ  1950 年代の活動──「行政官僚期の税務会計学」研究の時代    ──行政経験の理論化の研鑽と税務の民主化を志向──

1 解説・解明型の税務会計研究と税務の民主化に尽瘁

⑴ 行政経験の集積と租税知識の体得

 1950年代は,国税官庁在勤時代であり,行政経験の集積とともに,租税 関係法令の立法形成と執行面への解釈適用等の行政業務の執行を通じて修 得した専門的知識を基盤として活用しながら,自然発生的に税務会計の理 論形成の構築に努めた時期である。

 税務行政業務の実践と経験の濾過から,おのずから税務会計理論の形成

を探求した時代である。

(8)

⑵ 解明論型の研究ながら理論構築を志向

 研究アプローチのタイプとしては,解明論型に属する規範的税務会計研 究が主体ではあったが,著書や論文の執筆等を通じて,理念的税務会計理 論の構築を意識しながら,租税の本質の探究と,民主国家における租税立 法と行政のあり方を考えた。

 税務行政機関において行政執行の掌にあるため苦悩しながらも,税務の 民主化を志向する意識を昂揚させていた時期である。

2 国税官庁勤務15年間の業務と研究活動

⑴ 主要な職務・学業・資格・受賞

1946年4月 東京財務局大月税務署に就職し直税課に勤務 1947年4月 中央大学旧制法学部に入学

1949年9月 第1回公認会計士試験第2次試験に合格 1950年3月 中央大学法学部卒業

1950年5月 東京国税局法人税課に転任 1951年4月 第1回税理士試験に第1号で合格 1953年12月 公認会計士試験第3次試験に合格

1953年12月 東京国税局長より模範職員として表彰を受ける 二階級特進する 1958年4月 中央大学商学部兼任講師,創設講座「税務会計論」を担当

⑵ 学会研究報告

1959年5月 税務会計の構造『会計』1959年10月号(日本会計研究学会第18回 大会「統一論題」研究報告,於関西大学)

⑶ 主要な著作

1951年5月 税務上の損益計算 岩崎書店

1955年1月 税務損益論 白桃書房

1957年6月 棚卸資産の税務会計 森山書房

1959年6月 租税節約の話──合理的納税のための会社経営 中央経済社

(9)

3 税務行政業務に従事し税制の実践的知識と税務実務を経験的に体得

 税務行政の第一線で法人税担当官として税務調査に従事し敗戦直後の混乱を 極めた税務の実践の厳しさを身をもって体験

 1946 (昭和21) 年に東京財務局大月税務署に就職して「法人税法」と大 蔵省主税局発行通達集「法人各税の取扱」 (昭和20年9月発行) と出合って 以来,税務調査を担当しながら必死になって法人税関係法令と取扱通達の 修得と調査技術の練磨に傾倒した。その後,勤務は,東京都内の中野,分 割によって淀橋 (現在の新宿) 税務署に転勤した。

 当時の東京は,戦災の跡が生々しく荒廃を極めた状況にあった。中野税 務署は,家具屋の2階に間借し,淀橋税務署は焼野原に1つだけ立ってい た焼けビルの中にあった。

 今の新宿で賑やかな繁華街となっている歌舞伎町などは焼野原で家は殆 ど無く,電信柱だけが立っているのが目立っていた。

 しかし,人々は飢餓に耐えながら,闇市場を開くなど逞しく復興に立ち 上がっている姿がみえていた。

 淀橋税務署管内には,当時から大きな会社が多くあり,いろいろな業種 や規模の会社についての法人税の賦課のための税務調査を体験した。

 現在では,資本金が1億円以上の大会社は国税局の調査部が担当してい るが,当時は全て税務署が担当していた。そのため超一流の大会社から小 規模の会社にいたるまで,多種多様な会社の経営実態や経理実務の実際に 接して,自分にとっては貴重な知識の修得と多くの経験を体得することが できたことは有益であった。

 ボロボロの軍服を着た22〜23歳ぐらいの若僧が一流企業の社長と対等に

差し向えるなどということは,普通ではあり得ないことであった。もちろ

ん,しっかり調査し,脱税には厳しく対応した。調査では大量の札束を見

つけたことが,何度もあった。当時は経済統制時代であり闇取引が横行し

(10)

ていたので現金を隠し持っている人が多く,経理も不正が多く,二重帳 簿,裏帳簿を摘発することが税務調査の急所であった。

 本土決戦に備えて軍需物資を蓄積した軍と結託した業者が敗戦のドサク サにまぎれて隠匿した物資による闇収入を摘発して課税することも危険が ともなったが大事な仕事であった。

 淀橋時代では,たくさんの人生の機微に触れた。金を軸にして空転する 人間の欲望,弱さ,はかなさ,哀れさ,そして業……。人間の本性に迫っ た数々の生なましくも冷厳にして深刻な事象に接し,自分の人生経験にお いて非常に貴重な勉強となった。

敗戦処理税制で戦時補償請求推額の100%課税で政府が債務を踏み倒した

「戦時補償特別税」の執行も担当

 淀橋税務署時代には法人税のほかに,「戦時補償特別税」の執行業務を も担当し厳しい経験をした。政府は,戦時中に国が支払いを約束した兵器 など軍需品の代金の未払金について,1945 (昭和20) 年8月15日の敗戦時 現在の戦時補償請求権の価額を課税標準にして100%の税率で課税した。

債務の踏み倒しを税金の形で行ったのである。こんなことは,税というべ きものではない。しかし,戦争ということが,このような異常な事態を引 き起こしたのである。

 私は飛行機会社などを調査したが,税務署としては債権と債務をどのよ うに,相殺するかや,契約の単位の判定などがポイントであった。

 日本政府は,戦争に負けたのであるから,莫大な賠償金の支払いを覚悟 しなくてはならなかった。当時の大蔵省としては,しっかり税を徴収して 賠償金も戦時補償も払うものはきちんと払うという方針であったが,

GHQ (連合国最高司令部) では「戦争で国に協力した企業などにお金を払

う必要はない。戦争をすれば損をするということを分らせるべきだ」とし

て,2度と戦争に協力させないようにするという考えであった。

(11)

 そこで大蔵省の幹部は泣く泣く戦時補償を打ち切ったのである。非常に 特殊な税で今になって思うと凄いことであるが,当時の私は,上からの命 令ということで法令に従って業務をこなしていた。

 財産税も戦時利得の没収を目的として,戦時補償特別税とともに併せて 制定され,免税点は10万円で,所有財産が10万円を超えると税率は25%か らの超過累進課税方式で1 , 500万円を超えると90%という高率であった。

 さらに,政府は非戦災者特別税によって戦災を免れた人々の財産にまで 税金をかけた。敗戦直後の大混乱で超インフレ期における極めて異例で狂 気のような税制の時代であった。

日本橋税務署時代は超一流の大会社の税務調査を通じて企業経営の実態と企 業経理や原価計算の実際の経験的修得とともに,敗戦からの復興期の日本経済 界の諸事情を観察

 淀橋税務署での猛烈な仕事ぶりが認められたのか,税収が日本一で最大 規模の日本橋税務署に転勤した。管内の全税務署からスーパーエリートが 抜擢され配属されており,最若年の私は,直税課法人税係の三班の末席に 加えらえた。机を並べている大ベテランの先輩方が非常に偉大にみえて圧 倒される思いで緊張感をもって着任した。

 着任してすぐに感じたことは,日本橋税務署の調査官の多くが,「俺が 国家財政を支えているのだ」という気構えを強烈に自覚していたことであ った。敗戦からの復興期であった当時は,全国どこの税務署の調査官もそ うした気持であると思われたが,巨額な税源を管轄する日本橋にいた先輩 方の気迫は,他の税務署とは比較にならないものであった。

 国民全体が必死の思いで日本の復興に立ち上がるなか,国税職員は国家

財政の再建のため,正義感と使命感に溢れた「サムライ集団」として,ま

ずは税収確保のため公正な納税を求めて正しい申告納税を促さなければな

らず,脱税などの不正は絶対に見逃してはならないという熱い思いであっ

(12)

た。

 当時の日本橋税務署では,課長はもとより,主任や班長からの個別的な 指示は全くなく,一人ひとりが完全に自分の考えと責任で仕事をしてい た。各調査官は,出勤して大急ぎで関係書類を鞄に詰め込んで,自分の立 てたスケジュールと作戦計画に基づいて出張して行くのである。

 それは,あたかも,敵陣めがけて航空母艦から出撃するゼロ戦や重爆撃 機のように勇ましい風景であった。そして,夕方になると,1機もやられ ることなく,「我が方の成果甚大なり」といった様子で成果を持って帰還 する。更正処分の決議書には自信が溢れていて,その内容について上司が 口をはさむことは滅多になかった。配属したての私の目には,そうした先 輩たちの姿がとても眩しくみえたのである。

 敗戦から3年を経過し,復興とともに新しい国づくりに向けた意気込み が日本中にみなぎっていた。特に,日本経済の中心である日本橋税務署管 内では,活発な経済活動の胎動が次第に進展しつつあり,商店街でも,か なりの賑わいをみせるようになっていた。

 やがて税務調査にも精通し「脱税摘発件数と税額で日本一の腕前」という賛 辞を連続して獲得し意欲を昂揚

 日本橋税務署の法人税係に末席として配属されたが,半年もすると次第 に複雑と困難を極める大会社の税務調査にも単独で自信をもって立ち向か うことが出来るようになった。

 当時は,東京国税局管内の全ての税務署で署ごとの税務調査の調査官の

個人別の成績が発表されていた。私は更正処分の件数と税務調査の結果に

より,追加課税をする増差税額が東京国税局管内で1位となった。そし

て,その後もひたすらトップを走り続けるようになり,「脱税摘発件数と

増差税額で日本一」の腕前と賛辞を頂くことが出来るようになった。自慢

話になり恐縮であるが,24歳の若造であったので,それは嬉しく意気込ん

(13)

で次第に仕事に自信を深めるようになった。

 多くの厳しい場面や修羅場,いろいろなケースに出会いなど,貴重な経 験をして,私は税務調査における独自の「急所と勘所」を発見し集大成を 作り上げた。本稿では,その内容の記述は省略するが,これは「税務調査 法」とも称すべき税務監査と税務分析の独自の秘法である。

 日本橋税務署では,多様な業種の超一流の大会社の税務調査を通じて税務会 計の基準や独自の会計手法を開発し,税法整備に素材を提供

 日本橋という日本経済の中枢となる土地柄から,どの業種でも日本を代 表する巨大会社が軒を連ねていた。それぞれの業界が,その業種の特性に 応じて独自の会計基準や会計慣習によって帳簿を作っていることが多く,

初めは非常に戸惑った。しかし,「何としても適正な課税をする」という 意気込みで飛び込み,それぞれの業界について徹底的に勉強し順次に攻略 していった。

 調査対象とした業種について,事業の実態や業界の慣習を徹底的にマス ターして,課税の可能性が潜んでいるウィークポイントを探り出し,問題 を提起して新しい税務会計ルールを開発した。

 もとより,当時の法人税法とその取扱通達は,極めて簡素なものであ り,取り扱いの細部には規定がなく,税務調査官として課否の判断に迷う ことばかりであった。

 私は多くの場面において,会社が慣行として都合のよいように行ってい る会計基準や手法に,多くの疑問を提起し,新しい税務会計処理の手法と 課税対象の発見についての発想を発掘した。これがやがて,国税庁の取扱 通達として制定され,重要なものは法人税関係法令の整備のための素材と なった。

 税務調査の実務経験を通じて税務上の取扱が不透明で課税の公正を期す

るために検討を要し新規の税務会計ルールを策定することが急務であると

(14)

考えて,独自の判断で課税処分をした多くの事例があった。

 例えば,倉庫業では,日本一の倉庫会社を調査し,収益計上基準につい て会社が「出庫基準」によっているのを「期間対応基準」により否認し た。これがのちに「企業会計原則」の「未収収益」として取り入れられ た。保管物品の移動に用いる「コロ」と呼ぶ大量の小型の丸太が修繕費と して取得時に全額を損金処理をしているのを,当該事業にとって基本的に 重要な資産とみる「少額重要資産」という概念を創造して資産計上を要求 し否認した。

 私のこれらの指摘に対し,企業会計審議会の委員であった商法学者の社 長が「敵ながら天晴れ」と賞讃してくれ,『有価証券十講』と題した著書 にサインして贈呈してくれた。その後,この私の話を企業会計審議会の席 で話題にされたことを恩師の黒沢清先生から聞くことができた。

 デパート業界では,一般に売り上げは正しく計上しているが,在庫商品 の評価額を操作するという悪弊を見つけて日本一のデパートを調査して追 及した。棚卸資産の期未評価について企業会計原則を取り入れた規定が税 法に整備される前の時代であった。規模が大きく,支店も多くあり調査は 難航したが,事実上,その後になっていう「売価還元法」の方式により課 税処分をした。

 製鉄業の調査では,本社でなく川崎や鶴見の工場の現場に出張して原始 記録について精査し,原価計算の内部に立ち入った。非常に複雑であり真 相究明は難渋したが,その後,税務取扱通達で「原価差額」として調整方 法が整備される盲点を発見して課税処分をした。

 業界ごとに税務処理を改め,片っ端から更正処分をしてきた。後に,こ

れらは多くの通達となり,やがて法令となって現在の整備された税務会計

ルールの規定として生きている。

(15)

東京国税局直税部に配属されシャウプ税制による民主的な申告納税制度の推 進を基調とする法人税行政の管理と法人税法の解釈と適用の審理業務に従事  1950 (昭和25) 年4月,国税庁が創設された後の東京国税局直税部に転 任し,新しく制定されたシャウプ税制の執行に伴う申告納税制度の普及と 進展を図る申告指導の業務を担当する特命を受けた。

 私が配属された部署は,東京国税局管内の62の税務署 (当時) の指導監 督業務を担当し,直税部法人税課の総括,法令解釈審理,申告指導業務,

特殊案件の調査処理,税務署の人事を含めた成績評価の視閲等であった。

 当時は,戦後税制の原点となったシャウプ税制が施行された時期であ り,私が担当したのは,民主国家にふさわしい民主的な申告納税制度に納 税者主権の魂を入れ,封建税制から民主税制に変革することに従って,こ れにふさわしい税務行政の大改革を実行するための仕事であった。

 申告納税制度を成功させるために新しい税務知識の普及向上と,納税者 の協力を獲得するための新しい税務行政の施策が求められた。そのために は,税務署内部の意識改革を進め,これまでの権力行政から脱却して,納 税者の権利を尊重し,自主申告と自主納税をサポートするサービス行政へ と発想を転換することであった。しかし,これまで永いこと定着してきた 納税者を脱税者視する監視行政の権力主権的な因習から脱却して民主的な 指導行政に切り替えさせるのは至難の業であった。

 一方,納税者に対しては,税金は国家権力により強制的に搾り取られる ものではなく,納税者が自主的に自ら進んで,自己の負担能力に応じて納 めるものであるという意識改革をしてもらう必要があった。

 シャウプ勧告の税制哲学は,課税の公平,税制から経済政策の排除,民

主政治の実現という3つが源流にある画期的なものであった。総合累進課

税を中枢とする直接中心主義が基本となっていた。しかし,当時の混乱の

中にあった日本の経済的・社会的状況のもとで,いかにして公平かつ適正

(16)

に執行される税制を作り,民主的にして円満な税務行政を執行するかが重 要にして困難な仕事であった。

 私は,東京国税局において税法の審理と税務行政の管理業務に約10年 間,1960 (昭和35) 年に中央大学に転職するまで勤務をし,情熱を燃やし て法人課税を中心とする税制を実証的に徹底して修得して検証し,税務行 政の管理業務の遂行を通じて税務の実践の生きた現実について多くの貴重 な経験を体得した。

 この間に,税制は戦後改革期の改正に続き,経済自立期における改正,

経済成長期における改正へと変遷している。

 私が東京国税局に勤務した1950 (昭和25) 年から1960 (昭和35) 年の10年 間は,25歳から35歳までの青春時代であり,敗戦日本の復興の再起と,こ れに続く経済成長への発展の時期であった。語りたい興味ある多くのこと があるが,紙幅の関係で本稿では省略する。

4 行政の実践的経験の集積の濾過から論理を探究した理論形成の初期 時代

⑴ 税務会計に関する最初の文献の刊行

 法人税行政の執行過程において体得した実践的経験と法学的知識を背景 に,会計学的研究のアプローチとテクニックを応用的に活用して法人税に ついて,その計算上の仕組みの解明を進めた初期的な成果として,東京国 税局に在職しながらの旧制大学院在学中に執筆した『税務上の損益計算』

(昭和26年5月刊・岩崎書店) を刊行した

2)

 同書は,私にとり処女作であるが,同時に,戦後,我が国における税務 会計的刊行物として先駆的役割を果したものともいえるであろう。

2) 富岡幸雄『税務上の損益計算』岩崎書店,1951年5月,A5判,276総頁。

(17)

 その刊行の意図は,その「序文」において,自ら,次のように述べたと ころである。

 「民主主義社会における租税法は,国家と国民,課税当局と納税者の 相互信頼を基調とする申告納税制度により,国家の財政的基礎の確立を 図っている。申告納税制度は国家の権力的な一方的賦課に代わって,国 民の自主的な自己責任に基づく自己賦課の方法により運営せられる。

 これがためには財政学的な見地からする税法の研究,法律学的見地か らする税法の研究とともに,会計学的見地からする税務に関する研究が 重要である。法人企業に対する法人税法の規定する課税所得の計算を会 計理論と会計的思考の見地から考察することは公正なる課税所得の計算 と,合理的な所得の計算基準の確立のために緊要である。これは『課税 権者たる国家の利害に答え,且つ,納税義務者としての企業の利害を調 整する』ための新しい会計の分野であると考える。」

 もとより,これは,同書において志向した方向である。しかし,それは 新しい学問分野の開拓に通じなければならないものであるだけに極めて至 難な課題である。租税問題への会計学的アプローチとしては,同書は,ま ことに,ささやかな初期的な歩みにすぎない。

 されど,それは若き日のほとばしるばかりの情熱と,ひたむきにして溢 れるような希望のままに設定し,自らに課した課題であった。しかし,そ れは,苛烈にして,しかも宿命的なロマンに満ちた永遠の課題となってし まったのである。

 このために,その後,たゆみなく税務会計の理論体系の形成と,税務会 計的思考の探究をめざし,幾多の拙論を発表することになった。

 まず,「税務損益計算原則の展望」 (『税経通信』,第7巻第3号,昭和27年2

(18)

月号) を皮切りに,2年有余の期間にわたり連載執筆した税務損益計算原 則論をめぐる一連の論考とともに,税務会計論の方法論につき論述を試み た「税務会計論序説」 (『会計』,第61巻第4号,昭和27年4月号) など,随時,

習作を発表した。

 この時期は,行政実務に従事するかたわら,その経験の集積をも背景と し,同時に,当時,飛躍的に発展しつつある新しい会計学理論を摂取しな がら税務会計の理論形成に向けて歩みを進めた時代である。

⑵ 税務会計原理の探究への本格的なチャレンジ

 そして,この時代における思考行脚の一里塚として,税務会計研究の理 論的体系化を目指し,大胆にも,「近代会計学の一分科をなす社会科学と しての税務会計論の成立とその学問的体系の形成についての所信を主張す るもの」 (同書「はしがき」10頁) として,第2冊目の著書『税務損益論』

(昭和30年1月刊・白桃書房) を刊行した

3)

 同書の巻頭に,恩師・黒澤清先生 (横浜国立大学教授) は,税務会計を近 代会計学の一分野として認めて頂いている次のような貴重なる序文を寄せ られている。

 「本書は,税務会計に関する非常にフレッシュな文献である。

 企業会計と税務会計との関連が真剣にとり上げられるようになったの は,企業会計原則の公表以後のことに属する。それ以来,両者の関連に ついては,著者の指摘しているように,次の3つの見解が対立するにい たった。

 イ 完全同一説  ロ 相互独立説

3 ) 富岡幸雄『税務損益論─会社税務損益計算─』白桃書房, 1955 年1月,A

5判,548総頁。

(19)

 ハ 依存関係説

 著者は,両者を同一視する完全同一説にも,両者を完全に独立視する 相互独立説にも反対し,依存関係説を支持する。この考え方を発展せし めて,著者は税務会計をもって近代会計学の一分野となすところの結論 に到達したのである。私の同感を禁じえないところである。

 近代会計学は,その一分野として税務会計を追究しなければならな い。それによって企業会計それ自体の発展もまた可能となるのであり,

税法の近代化も完成され得るにいたるのである。税法の専門家が会計学 を無視,または会計原則を異端視するのは,全くの誤りであると同様 に,会計学者が税務会計を理解しないことは,会計機能の全き研究を怠 るものであるというべきである。……」

 同じく,同書には,恩師・井上達雄先生 (中央大学教授) から寄せられ た,次のような序文も巻頭に掲げている。

 「……本書は,課税所得の概念ならびに計算理論を隣接科学としての 財政学,私法学等との関連に論及し,特に企業会計原則を全面的に取り 上げ,これとの関連において論述をすすめ,会計学の一分野としての税 務会計論の確立を企画しようとするものである。しかして,さらに企業 利益と課税所得との間に存する差異を明らかにし,その差異に理論的妥 当性及び合理性を主張し,税務会計の基礎理論にとり組み,税務損益計 算原則の体系とその具体的内容を明らかにし,課税所得計算の理論構造 を確立しようと努めている。……」

 同書は,税務会計理論の確立を念じ,私が,その20代後半のエネルギー

を投入して「苦しみ,思索し,遍歴したその足跡であり,告白」 (同書「は

(20)

しがき」12頁) なのである。

 当局内において賛同が得られ難かった税務行政のあり方についての自説を著 書において主張

 課税当局にあった時代に刊行した『税務損益論』は,1950年の中葉にお いて,申告納税制度の普及向上と民主的な税務行政への脱皮の実現を志向 して情熱を燃していた時期に執筆したものであり,同書においては,「自 己賦課による税の仕組みとその運営」のあり方についても論じた。

 私は,課税当局に属する立場にありながらも,「このような租税思想の 転換から,民主主義を基調とする申告納税制度のもとにおける税務行政の あり方も根本的な変革が強く要請される」として,当時としては国税当局 部内では一般的な認識とはなっていなかったと考えられる見解を,あえ て,次のように記述し,私見を強調したのであった (同書,10頁) 。

 「申告納税制度のもとにおける税務行政の性格は,それが賦課税時代 において理解されてきた単なる『監視行政』であってはならない。それ は,納税者が『税法を尊重し,これを守ろうとする意思』の発現が円 満,かつ公正に達し得られるよう助長することを重要な課題とし任務と するものでなければならない。故に,『申告納税制度を基調とした税制 のもとにおける税務行政の真髄は,納税者の自主的納税体制を促進し,

申告納税の円満にして民主的な実現によって課税の適実と公正を期する ものである』ことが認識されなければならない。

 かくして,税務行政の性格は著しく変貌し,単なる『監視行政』の性 格から発展して,『社会的公正を基調とした指導行政』,『納税者の自主 的な納税体制を推進し,これを助長する助長行政』へと変革されるべき ものであることが強調されなければならない。

 租税思想の転換を契機として『税法を尊重する意思』は,納税者の側

(21)

について考えられると同様に税務行政を担当する機関についても,まっ たく同じである。税務行政機関も税法を尊重し,税法を守り,税法の適 正な運営が義務づけられている。税務行政機関の任務は,納税者が自ら 税法の意思を尊重し,自主的に納税をなしうるように助言し,これに奉 仕することを基調とするものであり,この面から税務行政は,一種の

『サービス行政』の範疇に属するものといえよう。しかしながら,一面 において納税者が税法を尊重する意思を示さない場合には税法を尊重 し,これを守り得られるように措置すべきものであり,あるいは納税者 が税法の意思から離反している場合には,これを匡正し,税法の意思に 合致せしめるための行政的措置がなされるものである。そして,これら は,すべて納税者の自主的納税体制の推進とその確立とに奉仕すること を基調とすべきであろう。」

 いま,改めて読んでみると,かなり抽象的な表現ではあるが,申告納税 制度とは称しながら当時の権力主義的な強圧的な税務行政の進め方に対 し,現職の国家公務員として厳しい制約のなかで精いっぱいの批判的見解 を自己主張として著書のなかにおいて必死の思いで開陳したのである。

5 会計実務上も税務上も最も問題の多い棚卸資産会計における原価構 成論を中心に税務会計の各論的研究の成果を公表

 棚卸資産会計上の最大の課題である原価構成に関する税務会計的研究の解明 書を刊行

 棚卸資産の経理は,会計実務上も税務上も最も問題が多く,これについ

ての論議は,会計学においても極めて盛んであり,しかも,常に新しい問

題を提起している。この処理の仕方いかんは,企業の税負担に直接大きな

影響を及ぼすのであるが,税務会計上,これを統一的,体系的に論じたも

(22)

のは未だあまり例をみない時代であった。

 そこで,棚卸資産会計上の最大の課題である原価構成の問題を主要テー マとして取り上げ,原価計算の内部にまで立ち入った企業経理との実際的 な関連を深く追求しつつ税務上の処理を解明し,問題となる項目を丹念に 徹底的に究明し,多くの図解や計算例題を用いて具体的に詳述した著書

『棚卸資産の税務会計─原価構成の理論と実際─』 (昭和32年6月刊・森山書 店) を刊行した

4)

 法人税法における課税所得の計算に関し必要な棚卸資産の経理について 諸規定は,税法規定のうち,企業会計理論及び企業経理実務と最も深い関 連を有する分野であり,税務会計的思考の展開の最も強く指摘される領域 である。特に,棚卸資産の原価構成の問題は,費用の原価性に関する問題 であり,これらの多くはその事柄の性質からして基本的には企業の原価計 算を主体として考えられるべきものである。

 本書は,棚卸資産の原価構成の問題を主題として企業経理との理論的実 際的な関連を深く追及しつつ税務上の処理を具体的に説述しそこにおける 問題点を解明したものである。

 第1編は,棚卸資産の税務会計の序論として棚卸資産会計の研究課題及 び棚卸資産経理と期間損益計算との関係を概観し,さらに,法人税法上の 棚卸資産評価規定の概要について述べ,その立脚点を解明することにより 棚卸資産の税務会計を浮き彫りにし,そこにおける問題の展開と問題点の 摘出に資することとした。

 第2編は,企業が外部から購入する方法によって取得する棚卸資産であ る,いわゆる購入棚卸資産について,その取得時期の決定の問題をはじ め,購入主費及び購入副費等の諸問題に関し記述しその原価構成を明らか

4 ) 富岡幸雄著『棚卸資産の税務会計─原価構成の理論と実際─』森山書店,

1957年6月,A5判,444総頁。

(23)

にした。

 第3編は,企業が生産する方法によって取得する棚卸資産である,いわ ゆる生産棚卸資産について企業の原価計算との実際的な関係を究明しなが らその原価構成に関し説述した。この生産棚卸資産の原価構成は,製造原 価の計算につながる問題であり,多元的な機能が付与されている原価計算 における重要な役割である実際の製品原価を正確に算定し一般財務諸表の 作成に必要な原価数値の提供をなす損益計算目的に奉仕する棚卸資産原価 の決定を追求することを課題とするものである。

 製造原価の計算に関しては,製造原価の範囲の決定をめぐり極めて重要 にして,かつ,困難な問題がある。この問題を解明するために,まず,企 業の原価計算上の原価と税務上の原価の異同について一般的に考察し,さ らに「製造原価に算入される費用」と「製造原価に算入しないことができ る費用」の税務上の処理について,退職給与金の支給額,退職給与引当金 勘定繰入額,従業員賞与支給額,従業員賞与引当金勘定繰入額,普通減価 償却費,増加償却費,陳腐化償却費,無形固定資産の償却費,営業権の償 却費,工業所有権等の使用料等,普通償却不足繰越分の償却費,特別償却 費,特別償却不足繰越分の償却費,試験研究費,特別修繕引当金勘定繰入 額,租税公課,寄附金,交際費,利子,税務否認金等その製造原価性の当 否について実務上問題となる項目を丹念に取り上げ,徹底的に究明し,具 体的に解明することに努めた。

⑵ 恩師黒澤清先生と東京国税局長から推薦のお言葉

 同刊の刊行に際し,恩師の黒澤清先生 (横浜国立大学教授) は,原価計算 に対する税の専門家のあり方について厳しい所見をも表明されている以下 の推薦の「序文」を寄せられている。

 「本書は,棚卸資産会計の3つの課題,すなわち棚卸資産の原価構成,

(24)

棚卸資産の原価配分及び棚卸資産の評価という3つの問題を取り上げて 予備的考察を試みた後,原価構成の問題を中心として,購入棚卸資産及 び生産棚卸資産に関する税務会計的研究を精細に展開している。購入棚 卸資産については,取得時のタイミングの決定,購入主費及び購入副費 の処理という3つの課題を解決することに主眼をおき,税法の解釈と計 算例とをおりまぜ,会計原則と対比しながら,きわめて巧妙な解説を与 えている。

 本書の特に著しい特徴は,生産棚卸資産の原価構成の解明にあるよう である。生産棚卸資産の原価構成の問題は,製造原価計算の問題に連な る。税法上の評価原則ならびに税務会計の領域に,もし何らかの弱点が あったとすれば,原価計算に対する理解の乏しさにあったのではあるま いか。もちろん今日の税の専門家は,企業の実際に対するその豊富な観 察と税務会計上の経験に基づいて,原価計算に対しては充分以上の理解 をもつにいたっていることをわたくしどもは承知している。しかしこの ような原価計算に対する考え方が,税法及び税務会計の上に,充分に反 映しているかというと,多小の疑問がないではない。しかし本書は,第 3編,生産棚卸資産の原価構成の諸章を通じて,この疑問を完全に解消 してくれたのである。」

 また,東京国税局の篠川正次局長からは,本書が「難解な法人所得計算 の理解,ひいては,公正円滑な税務行政の確立に資するところが大きい」

とまで述べられている以下のような推薦の「序文」を頂いている。

 「明るい円滑な税務行政の基礎は,納税者の協力でありますが,それ には税法の理解が欠くことのできない要件であります。

 最近,納税者及び納税関係者の税法理解のための研究は,大いに進ん

(25)

で来たのでありますが,他面,社会,経済現象が複雑化するに伴い,税 法は難解の度を増し,課税所得の概念とその計算理論も複雑となって参 りました。この点に鑑み,この度,当局法人税課の富岡事務官が課税所 得と企業利益の把握に密接な関係をもつ棚卸資産会計の問題について,

税務と会計の両面にわたる詳細なる専門的研究の成果を公けにしたこと は,まことに時宜を得たものであり,難解な法人所得計算の理解,ひい ては,公正円滑な税務行政の確立に資するところが大きいと信じ,ひろ く江湖に推薦する次第であります。」

6 課税当局者でありながら「節税」を提唱しタックス・マネジメント の国民的権利を形成

 現役の課税当局であるにも拘らず我が国で最初の節税の本『租税節約の話』

を刊行し身をもって「節税」を納税者国民の権利として確立

 税務会計理論に関する著作のほかに,この時期の末葉には,大蔵事務官 として東京国税局に在職の立場にありながら,我が国で初めて 節税 の 本『租税節約の話─合理的納税のための会社経理─』 (昭和34年6月刊・中 央経済社) を刊行し話題を巻き起こした

5)

 大蔵省・国税庁の上層部には,「現役の税務職員が,このような著書を 出版するのはけしからん」として,国家公務員法違反で処罰しようとする 動きもあったようである。しかし,この著書は税法規定に抵触するところ は,全くなく,合法的なものであった。

 よって,この国において「節税」は,「脱税」や「避税」と異なり,納 税者国民の権利であることが確立した。

 以来「節税」という言葉とアイデアと文化を発明した「節税の教祖」と

5 ) 富岡幸雄著『租税節約の話─合理的納税のための会社経理─』中央経済社,

1959年6月,B4判,300総頁。

(26)

して一世を風靡したのである。

 税務会計知識の徹底的修得の結果とともに納税者の本性と自然の欲求に答え る申告指導業務の自然発生的到達点としての「節税」本の刊行の由来  本書を敢えて刊行した由来を税務行政執行の体験的事情とともに,私の 心情について,同書の「あとがき」に,次のように記述していた。

 「本書は,私が東京有楽町において「租税節約の会社経理」と題して 東京法人会連合会主催により行った講演の速記録を基として,これに修 正加筆を施したものであります。 (中略)

 私は,今日まで十年余にわたる税務行政の仕事を通じ,多くの会社の 方々や,納税者,税務関係者に接しこれらの人々からよく聞き,また受 ける感じは次のような声であります。

 「税法が複雑難解でわかりにくい」,「税金の話はむずかしく,面白く ない」,「税金は大切な問題であるがむずかしくて困る」,「税金はまだ高 すぎる,何とかならないか」

 しかし,税金は市民のビジネスであり,現在の社会に生きる者にとっ ては,いわば3度の食事と同じく日常茶飯事でなければなりません。

 私は,自分の本来の研究テーマである税務会計の理論的研究とは別個 に,このような多くの納税者,税務関係者の声に対して何とかして答え たいものであると常に考えておりました。そして,また,世の中には税 金の問題でイヤな思いをしている人もかなりあるのが現状ではないかと 思います。

 しかし,私は,脱税やその他不正の方法によらなくても明るく正しい 方法によっても合理的,合法的に税金の安い納め方のあることをお話し たいものと考えていたのであります。

 『租税節約』とは,税法で認められている方法により合理的な手段に

(27)

よって税金の負担の軽減をもたらすことであります。それは,明るく正 しい方法による安い税金の納め方をいうものであります。しかし,この ことは現在の複雑な税法取扱や膨大な税務会計の内容に完全に通撓した 上で,はじめて誤りなく達成できることであり,なかなか困難なことで あります。

 ましてや,私のような現職の大蔵事務官が,このような問題を,この ような形において,とりあげることは率直にいってなかなか問題である ことは私自身もよく知っております。私の多くの先輩同僚も,私のこの 企てに対し『それは税務官吏の泣きドコロだ』,『それは税法のヨワイと ころだからあまり広めない方がよいではないか』といわれ,また,私自 身の身のためにも『火中の栗を拾うようなことは止めた方がよいのでは ないか』と本当に心配して好意的に注意してくれる人々もあります。

 国税庁の『税務行政運営方針』もその重要事項の1つとして「法令や 通達の内容等についてもわかりやすく説明し,さらに納税者の利益とな る事項は進んで指導するように心がける」ように示しております。まさ に,納税者の有利になることは,すべての納税者が,これを利用し得ら れるように周知することが真に公平な税務行政であるというべきであり ます。

 私は,勇気と自身とをもって本書を世の納税者,税務関係者の皆さん に送り,「租税節約」を正しく理解して頂こうと決心しました。そして,

「租税節約」が正しく実践され,租税問題の運営に明るい灯が点じられ

申告納税のスムーズにして,正しく,進歩的な運営にいささかなりとも

役立ちたいと念願するものであります。」

(28)

同書を「合法的脱税法四十八手」と称賛し私を「節税の教祖」と呼称した週 刊誌の記事により 節税ブーム を喚起

 同書は,発行して暫くの間は,あまり反応がなかった。当時は,政治家 による税金の無駄遣いが国会でも取り上げられていて,『租税節約の話』

というタイトルからして政治家や官僚による税金の無駄遣いを戒める本で あると思われていたようであった。

 ところが,発行の翌1960 (昭和35) 年3月8日号の『週刊公論』 (現在は 廃刊) が,「合法的脱税法四十八手」などと大見出しで大々的に紹介した のである。この記事で世間の注目を受け,著書の売上げに火がつき,ベス トセラーになった。

 そして,私は,その月の3月31日に国税庁を退職したのである。これが 1年前であったとしたら,とても円満に退職できなかったのではなかった

と思われる。当時は,今のようにテレビのワイドショーなどがなかった時 代であり,情報や話題が広まるためには若干の時間を要したのである。

 世間から「節税の教祖」として,日本経済の高度成長の波に乗って 節 税ブーム の中心となった時は,中央大学に移っていた。

 国税庁のトップに近い現職にあった中央大学の大先輩の方から,「貴方 はグッドタイミングでしたね」といわれたことが印象的であった。

Ⅳ  1960 年代の活動──「暗中模索期の税務会計学」研究の時代    ──学的体系構築化の研鑽と方法論の形成を志向──

1 奮起と苦闘の税務会計研究で学的体系と方法論の形成を志向

 「官僚税務会計学」から脱却し「科学的税務会計学」の建設を志向した苦闘 の時期

 1960年代は,官界から学界に進出し,前半の5年間は,助教授時代であ

る。これまで日本税法の研究が中心であったが,この時期には意識して,

(29)

諸外国の税務会計研究に力を注ぎながら,いかにして「官僚税務会計学」

から脱却して「科学的税務会計学」の建設を志向するかにつき苦悩し奮闘 した。まことに,「奮起と苦闘の税務会計研究」の時期である。

⑵ 学的体系構築化の探究と方法論形成を志向

 税務会計研究の学的体系構築化を探究し,特に方法論形成に傾倒すると ともに,諸外国の税務会計について広汎な研究テーマに情熱的にチャレン ジした。

 しかし,新しい学問領域である税務会計研究には,敢えて学的体系の構 築化を意識した指標となる先導的な文献も殆どなく,あたかも暗闇の中を 自分ひとりで手さぐりで一歩一歩と進むようであったが,研究意欲は極め て旺盛であった。

2 学界進出後の10年間の行動と研究活動

⑴ 主要な職務・学術受賞

1960年3月 東京国税局を依願退職

1960年4月 中央大学商学部助教授,「税務会計論」を担当 1961年4月 日本商工会議所税制委員・特別委員・専門委員等

1964年5月 日本会計研究学会賞を受賞する(第23回大会,於慶應義塾大学)

      受賞論文「税務会計と企業会計の調整──企業会計制度確立のた めの基礎的前提問題の検討──」『会計』1963年9月号(日本会 計研究学会第22回大会研究報告,1963年5月,於大阪市立大学)

1965年4月 中央大学商学部教授,「税務会計論」を担当

1967年4月 中央大学より在外研究員として欧米各国に出張,この間,米国カ リフォルニア大学大学院ビジネススクール客員教授

1968年4月 中央大学大学院商学研究科教授,「税務会計論特講」を担当 1968年7月 中央大学経理研究所研究部長

⑵ 学会研究報告

1961年5月 税務会計論の課題と教程『会計』1961年12月号(日本会計研究学

会第20回大会「自由論題」研究報告,於神戸大学)

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1963 年5月 税務会計と企業会計の調整──企業会計制度確立のための基礎的 前提問題の検討──『会計』 1963 年9月号(日本会計研究学会第 22 回大会「自由論題」研究報告,於大阪市立大学)

1964 年5月 商法と税務会計との調整の基本問題──税務財務諸表制度の構想 とその提案──『会計』 1964 年8月号(日本会計研究学会第 23 回 大会「指定論題」研究報告,於慶應義塾大学)

1965 年5月 関係会社の税務会計問題──連結税務申告制度その他関係会社の 税務会計制度の整備をめぐって──『会計』 1965 年 12 月号(日本 会計研究学会第 24 回大会「統一論題」研究報告,於関西学院大 学)

1966 年5月 引当金会計──公表企業会計の実態分析──『公表企業会計の実 態分析シリーズ──第Ⅲ部 引当金会計』 1966 年8月,中央大学 経理研究所(日本会計研究学会第 25 回大会「スタディ・グルー プ」研究報告,於横浜国立大学)

1969 年5月 税務会計原則の探究──税務会計学研究における重要問題──

『会計』 1969 年8月号(日本会計研究学会第 28 回大会「自由論題」

研究報告,於甲南大学)

⑶ 主要な著作

1960年7月 交際費の税務会計 森山書店

1961年4月 報酬賞与の税務会計 森山書店

1961年12月 税務会計要論 森山書店

1963年1月 貸倒償却の税務会計 森山書店

1963年10月 交際費の税務会計〔全訂版〕 森山書店

1964年8月 節税経営政策──タックス・マネジメント入門 中央経済社

1966年1月 税務会計論・総論編 森山書店

1966年8月 引当金会計 中央大学経理研究所

1967年5月 税務会計入門(日経文庫) 日本経済新聞社

1969年10月 税務会計総論 森山書店

3 官界から学界へ進出し「税務会計学」の学的体系の形成に傾倒

⑴ 「官僚税務会計学」から脱却し「科学的税務会計学」の建設を志向

 これまでの約 15 年間は,たまたま国家公務員として行政執行上において

(31)

担当した専門的職務に従事することを通じて,その職責を遂行するために 関連する諸領域をも含めて勉強してきた時代であった。

 そこにおいては,自己の仕事である法人税務行政の業務,特に法人税法 の解釈と適用,その執行と管理を適確に行うためという見地からの学習で あった。したがって,租税問題を学問的研究の対象物として位置づけ,そ の研究を学的体系として構築しようとすることを明確な形において積極的 には意識していなかったというのが実相であろう。

 しかし,不思議なことに,この年代を通じて,いつのまにか,理論的解 明を深め,次第に理論的体系のようなものができ上りつつあったといえる ようである。もとよりこれは結果論である。

 ところが,やがて研究者として学問研究に専念し,税務会計の学的研究 に本格的に取り組むことができる環境が与えられることになったのであ る。それは,1960 (昭和35) 年4月中央大学商学部に招聘され,国税官庁 を退官し,専任助教授に就任することができたことによる。

 この時期は,税務会計研究を学的体系として形成することを明確に意識 し,特に,その方法論の確立のために力を注いだ。

 そこにおいては,「官僚税務会計学」ないし「徴税者税務会計学」から 脱却し,はるか彼方の彼岸である「科学的税務会計学」の形成を志向し目 標としたのである。

 まず,『税務会計要論』 (昭和36年12月刊・森山書店・A5判・390総頁) を 刊行したが,その序文において,「最近までにおける我が国の税務会計の 研究は,大蔵省,国税庁等税務官庁における官僚が主にこれをなし,いわ ゆる徴税者的立場であったといえよう。私は租税に関する学問的研究とし て会計経理及び企業経営との関連を中心とみて会計学的方法論により研究 する税務会計論の分野においては,従来のように,単なる徴税者的立場,

税務官庁的立場からする税の研究とは異なり,企業の立場,企業経営の立

(32)

場から,いわゆる納税者国民の学問として研究がすすめられるべきである と信じている。」と述べた。

 同書において税務会計論の学的成立を主張する立場を明らかにし,その 機能や研究課題ならびに領域につき所論を展開した。

⑵ 税務会計研究の方法論の構築に情熱を傾倒

 税務会計論の方法論研究関係として,「科学としての税務会計学」 (『税 務通信』,昭和39年9月号) ,「税務会計論の研究領域の進展」 (黒澤清博士還暦 記念論文集『近代会計学』昭和38年3月・森山書店・所収) ,「税務会計論の管 理的領域の進展」 (『経理研究』,第7号,昭和37年3月・中央大学経理研究所)

などを発表した。

 税務会計原理の研究関係として,「課税所得計算原則論序説」 (『企業会 計』,昭和37年4月号) をはじめとして,課税所得計算原則論につき,雑誌

『企業会計』 (中央経済社) 誌上に1年間連載執筆した。また,商法と税務 会計の調整問題の研究関係のほか,アメリカ税務会計の研究にも力を注 ぎ,アメリカ減価償却制度,関係会社の税務会計問題,アメリカ税法の引 当金制度などの研究を進めた。

 日本会計研究学会の全国大会における研究報告としては,この時期に

「税務会計の構造」 (『会計』,昭和34年10月号,第18回大会・統一論題報告・34年 5月・於関西大学) ,「税務会計の課題と教程」 (『会計』,昭和36年12月号,第20 回大会・自由論題報告・36年5月・於神戸大学) , 「税務会計と企業会計の調整」

(『会計』,昭和38年9月号,第22回大会・自由論題報告・38年5月・於大阪市立大 学) ,「商法と税務会計との調整の基本問題」 (『会計』,昭和39年8月号,第23 回大会・指定論題報告・39年5月・於慶應義塾大学) など,研究成果の発表に 務めた。

 なお,第22回大会において発表した前記論文につき,昭和39年5月の第

23回大会において日本会計研究学会賞を受賞することができたのは,教職

参照

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