• 検索結果がありません。

章 昭 『呉 書 』 に つ い て

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "章 昭 『呉 書 』 に つ い て"

Copied!
51
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

章 昭 『 呉 書 』 に つ い て

満 田 剛

目次

は じめ に

〔0〕 章 昭 の傳 記 と著 作

二 〕 章 昭 『呉 書』 侠 文集 成 につ い て

三〕 秩 文 か ら見 た章 昭 『呉 書 』 の性 格

四〕 章 昭 『呉 書 』 と諸 葛 恪 政権 お わ りに

は じめ に

陳 壽 『三 國 志』 呉 書(以 下,r呉 志』 と略す)の 典 擦 と して まず 考 え られ る の は,章 昭 が ま とめ た呉 の正 史 で あ る章 昭 『呉 書 』 で あ る。 この章 昭 『呉 書』 は 完 全 な形 で は現 存 して い ない 。 『階書 』 巻 三 十 三 経 籍 二 史 部 正 史 類 に

呉 書 二 十 五 巻 津昭撰。本五十五巻,梁 有,今 残歓。

とあ る1)こ とか ら,す で に 『階 書 』 経 籍 志 が つ くられ た段 階 で 全 て は残 っ て い なか った こ とが わか る。 したが っ て,『 三 國志 』 斐 松 之 注(以 下,装 注 と略す) や 『世 説 新 語 』 劉 孝 標 注,『 後 漢 書 』 章 懐 太 子 注,『 北 堂 書 紗 』,『藝 文 類 聚』,

文 選』 李 善注,『 初 學 記 』,『太 平 御 覧』,『事 類 賦 』 注 な ど に引 用 され た部 分 的 な 形 で しか見 る こ とが で き な い。 そ の た め もあ っ て か,陳 博 試 論 章 昭 《呉 書》 的特 鮎 及 其 債 値 」(r歴 史文献研究』 北京新6輯1995年),「 章 昭 《呉 書 》 考 」

(2)

(r文獣』1996‑31996年)の よ う な先 行 研 究 が墨 げ られ る2)も の の,基 礎 的 か つ 総 合 的 な研 究 が な され てい る とは言 い 難 い 。

また,章 昭 とい えば 『呉 書 』 の著 者 と して よ りもむ しろ 『國 語』 注 を ま とめ た 人物 と して有 名 で あ る が,彼 の著 作 の 中 で も 『呉 書 』 は彼 自身 が 生 きて い た 現 實 の政 治 の 世界 に最 も密接 な關係 を もつ もの で あ る と言 え る だ ろ う。 『呉 書 』

は孫 呉 王 朝 が編 纂 を命 じた 「同 時代 史」 で あ り,し たが っ て史 書 と して だ けで は な く呉 國 の プ ロパ ガ ンダ と して の 性 格 も持 つ か らで あ る。 そ れ 故,『 呉 書』

の持 つ性 格 や特 徴 に關 す る認 識 を深 め る こ とは,彼 の 立場 や 思 想 を把 握 し,彼 の他 の著 作 につ い て考 察 す る上 で も非常 に重 要 で あ ろ う。

そ こで,本 論 文 で は 陳博 氏 の見 解 を参 考 と しつ つ,章 昭 『呉 書』 侠 文 の性 格 に關 す る分 析 を行 ない,さ らに基 礎 的包 括 的 な研 究 を進 め てい きたい と考 え て い るが,本 論 に入 る前 に まず こ こで 陳博 氏 の 見 解 を簡 軍 に整 理 してお きた い。

陳氏 の 「章 昭 《呉 書 》 考 」 の論 旨 は以 下 の よ うな もの で あ る。

章 昭 『呉 書 』 は 章 昭 の ほか に周 昭,蘇 螢,梁 廣,華 藪 らが協 力 す る こ と で 編纂 され たが,最 終 的 に は章 昭 一 人 が 纏 め上 げ た。

呉 書 』 は紀 伝 膿 の史 書 で あ る が,表 ・志 は な い 。

階 書 』 経 籍 志 で は 『呉 書 』 は二 十 五 巻 とあ り,『 奮唐 書』 経 籍 志 に は 四 十 四巻 ・『新 唐 書 』 藝 文 志 に は 四十 八 巻 とあ るが,こ れ は階 代 まで は な

くな って い た完 本 が,肚 會 が 安 定 した唐 代 に な っ て 出現 した た めで あ る。

呉 書 』 の 記 述 の 上 限 は 『呉 書』 武 烈 皇 帝 紀 にあ っ た と推 定 され る孫 堅 の 生 誕 の記 事(永 壽元年 〔155年〕)で あ り,下 限 は章 昭 が 入獄 した鳳 皇 二 年(273)前 後 で あ る。

呉 書 』 の 目次 は,本 紀 の有 無 を除 き 『呉 志 』 と共 通 す る内 容 に つ い て は大 同小 異 であ る と考 え られ る。

呉 書 』 には,『 呉 志』 に は存 在 しな い陶 謙 ・陳 化 ・福 煕 ・沈 班 ・李 粛 ・ 鄭 泉 ・趙 苔 な どの 傳 が あ っ た。 陳 壽 は魏 や 蜀 の人 物 と比 較 して遜 色 が 明

らか だ と判 断 した た め に これ らの 人 物 を削 除 した の で あ ろ う(陶 謙 を除 く)。

(3)

呉 志』 は 『呉 書 』 の 内容 を削 る だ け で な く,篇 目や 内容 を増 補 して い る。 特 に 『呉 書 』 が 取 り上 げ る こ との で きな か っ た章 昭 没 後 の 記 事 や 華 藪 ・酵 螢 ・章 昭 らの傳 な どは ほ とん ど陳 壽 の 増 補 で あ る。 そ れ 故,陳 本 人 が 増 補 した 一F‑・昭 につ い て は司 馬 昭 の詳 を避 け て 「章 曜傳 」 と した の で あ ろ う。 董 昭 や 張 昭,周 昭 が 避 諦 され て い な いの は陳 壽 が 典 檬 と した 三 國 時代 の史 書 に も と も と記 されて い たか らで あ る。

呉 志』 と 『呉 書 』 の 編 目の 配 置 は基 本 的 に同 じで あ る。 巻 籔 の違 い は 内容 を合 わせ た り分 け た り した結 果 で あ る。

また,「 試 論 章 昭 《呉 書 》 的特 鮎 及 其 債 値 」 にお け る考 察 は,以 下 の よ う に ま とめ る こ とが で きる。

章 昭 『呉 書』 の長 所 と して は,王 沈 『魏 書』 な ど と異 な り権 力 者 に遠慮 す る こ とな く 「直書 」 を して い る こ とや,豊 富 な史料 に依 擦 してい る こ

と,簡 潔 な文 章 で事 實 を記 録 してい る こ とが墨 げ られ る。

鉄 黒占と して は 『呉 書』 が 一 部 未 完 成 で あ る こ と,志 や 表 が ない こ と,歴 史 的 に重 要 な人 物 を採 録 して い ない こ と,唯 物 史観 的 思 想 の 萌 芽 が あ る が 封 建 思 想 の束 縛 か ら逃 れ て い ない こ とが墨 げ られ る。

呉 書 』 の債 値 は 『呉 志 』 よ りも上 で あ り,『 呉 書』 侠 文 は三 國 時代 の 政 治 史 的 ・地 理 的 史料 の鉄 乏 を補 う もの で あ り,史 學 史 的 に も大 攣 重 要 な もので あ る。 陳 壽 『三 國 志』 で も 『魏 志』・『蜀 志』 が記 述 に偏 りを見 せ る の に,.し て 『呉 志』 が 不偏 不碕 で あ る の は各 書 の 史料 の來 源 と密接 な 關係 が あ ろ う。 『呉 志 』 が 『呉 書 』 の 内 容 を直 接 的 に引 き纏 い で い る か は 『呉 書』 の研 究 を深 め る こ とで さ らに理解 が 深 ま って い くと考 え られ る。

一 〕 章 昭 の 傳 記 と著 作

著 者 の章 昭 につ い て は 『三 國 志』 巻 六 十 五 王縷 賀 章 華傳 に傳 が あ り,そ こで は章 曜 と して記 載 され て い る。

(4)

章 昭(204〜273年,字 は弘嗣)は 呉 郡 雲 陽 の 人 で,i若 い 頃 か ら學 問 を好 み,良 い文 章 を書 くこ とが で きた。 建 興 元 年(252)孫 亮 が 即 位 し諸 葛 恪 が輔 政 の任 に就 くと太 史令 とな り,華 藪 や 薩 螢 ・周 昭 ・梁廣 ら と と もに 『呉 書 』 を撰 述 す る こ とに な っ た。

永 安 五 年(262)に 孫 休 が 郎 位 す る と中書 郎 ・博 士 祭 酒 とな り,劉 向 の故 事 に な らって 衆書 を校 定 す る こ とに な っ た。 そ の後,孫 休 は章 昭 を侍 講 の任 にあ て よ う と したが,左 將 軍 の張 布 が 強 く反..し た ため に沙 汰 や み とな っ た。

孫 晧 が 師 位 す る と(264),高 陵 亭 侯 とな り中 書 僕 射,さ らに實 際 の職 務 を省 か れ る とい うこ とで侍 中 ・左 國 史 とな った 。孫 晧 は 『呉 書』 の 中 に父 で あ る孫 和 の 本紀 を立 て たい と願 っ たが,津 昭 は孫 和 が 帝位 に登 って い ない ため傳 とす るべ きだ と主張 して譲 らなか った 。 これ 以外 に も様 々 な こ とが 積 み 重 な って孫 晧 か ら叱 責 を被 る こ とが 多 くな り,そ の後 鳳 皇 二 年(273)に 獄 に 下 され,庭 刑 さ れ た。

この よ うに見 る と,章 昭 は政 治家 と して は後 に引 用 す る 『三 國志 』 巻 四 十七 呉 主傳 斐 注 所 引 『志林 』 に あ る よ うに張 温 の 派 閥 に屡 してい た とい うこ と以外 は よ くわか らず,ほ とん ど と言 って い い ほ ど實績 が 無 い 。 む しろ 『呉 書』 の 編 纂 な どを通 じて呉 國 の た め に學 者 と して の 力 を生 か して 活 躍 して い た よ うで あ

る。

著 作 と して は 『呉 書 』 の ほ か に,『 洞 紀』・『春 秋 外 傳 國 語』 注 ・『漢 書 音 義』3)・ 『孝 経 解 賛』・『辮 繹 名 』・「博 奔 論 」・「因獄 吏 上 僻 」・「雲 陽 賦 」 や 孫 呉 の鼓 吹 曲 な どが あ るが,『 春 秋 外 傳 國語 』 注(r國 語』解叙 を含 む)や 呉 志』 に 記 載 され た 「博 奔 論 」・「因獄 吏 上辞 」,『宋 書』 巻 二 十 二 樂志 にあ る孫 呉 の 鼓 吹 曲以外 は ま とま った形 で は残 され て い ない4)。 ただ,彼 の 『春 秋外 傳 國語 』 注 は唐 代 以前 の 『國語 』 注 で 現 在 唯 一 残 って い る もの で あ り,『 國 語』 研 究 史 に お い て重 要 な位 置 を 占め てい る5)。

三 國志 』 巻 六 十 五 の記 載 を見 る と,章 昭 が 刑 死 した こ と,章 昭 『呉 書 』 に は孫 和 を扱 っ た本 紀 が なか っ た こ とが 記 され て い る。 また,『 史 通 』6)巻 十 二 古今 正 史 に は

(5)

呉 大 帝 の季 年,始 め て 太 史令 丁 孚,郎 中項 峻 に命 じて呉 書 を撰 ば しむ。孚 、 峻倶 に史 才 に非 ず して,其 の 文 紀録 す る に足 らず 。 少帝 の 時 に至 りて,更 に津 曜 、周 昭 、 酵 螢 、 梁廣 、華 藪 に敷 して往 事 を訪 求せ しめ,相 い與 に記 述 せ しむ。並 びて作 りた る 中で,曜 、 螢 を首 と爲 す 。蹄 命 侯 の 時 に當 りて, 昭 、廣 先 に亡 く,曜 、 螢徒 黒 せ られ,史 官久 し く閾 け,書 遂 に聞 く無 し。

藪 表 して 曜 、螢 を召 し前 史 を綾 成 せ しむ る こ と を請 ふ,其 の後 曜 凋 り其 書 を終 わ ら しむ,定 め て五 十五 巻 と爲 す 。

とあ り,『 三 國志』..五 十 三 薩 綜 傳 附薩 螢 傳 には

後 定 諌 せ らる,皓 聖難 の事 を追 ひて,螢 を獄 に下 し,廣 州 に徒 す 。右 國 史 華 簸 上 疏 して 曰 く:「 … …大 皇 帝 の末 年,太 史 令 丁 孚,郎 中項 峻 に命 じて 始 め て呉 書 を撰 ぜ しむ 。孚 、 峻倶 に史才 に非 ず して,其 の撰 び作 る所,紀 録 す る に足 らず 。少 帝 の時 に至 りて,更 に章 曜 、 周 昭、 酵 螢 、 梁 廣 及 び 臣

の五 人 を差 して,往 事 を訪 求 せ しめ,共 に撰 び立 つ る所,備 は りて本 末 有 り。 昭 、廣 先 に亡 く,曜 恩 に負 き罪 を躇 み,螢 は出 で て將 と爲 り,復 た以 て過 徒 し,其 の書 遂 に委 滞 し,今 にい た る も未 だ撰 奏 せ ず 。(後 略)」

とあ る。 『史通 』 は 『三 國志 』 巻 五 十 三 を見 て書 い た もの と思 わ れ るが,章

呉 書 』 序 文 を見 て い た 可 能 性 もあ る。 また,陳 氏 も指 摘 され て い る こ とで あ るが,『 玉 海』 巻 四 十 六所 引 『中興 書 目』 に

項 峻 『呉 書 』 を撰 び,章 昭 績 け て 之 を成 す,五 十 五 巻,『 階 志 』 に は二 十 五 巻 。 … …壽 集 め て 『三 國志 』 と爲 す 。

とあ る こ とか ら,章 昭 『呉 書 』 は最 初 か ら書 き直 した の で は な く,項 峻 の 『 書 』 を受 け纒 い で書 か れ た と も考 え られ る。 先 に引 用 した 『三 國志 』..五 十 三

の記 事 や 『三 國志』 巻 六 十 五 章 曜 傳 の

而 る に華 簸 上 疏 を連 ね曜 を救 は ん と して 曰 く:「 … … 今 呉 書 當 に千 載 に垂 らん と し,諸 史 を編 次 す べ し,後 の 才 士 善 悪 を論 次 す る に,曜 の如 き良才 を得 る に非 ず ん ば,實 に不 朽 の書 を閾 け使 む可 か らず 。 臣 の如 き頑 蔽 は, 誠 に其 の人 に非 ず 。(後 略)」

とい う記 載 を見 る と,『 呉 書 』 は章 昭が 罪 を得 た 頃 に は ほ ぼ完 成 して い た こ と

(6)

が わ か る。 た だ,鳳 皇 二 年(273)に 阜 昭 が獄 死 した後 の 編 纂 過 程 は よ くわ か って い な い。

以 上 の よ うな記 事 か ら,章 昭 『呉 書 』 の編 纂 経 緯 に關 して は

① 大 皇 帝(孫 権)治 世 の 末 年 に太 史 令 の 丁 孚 と郎 中 の 項 峻 が 命 ぜ られ て

呉 書IIの 編 纂 を 開始 した が,彼 ら に は史 才 が な い と考 え られ不 充 分 な もの と され た。

② 少 帝(孫 亮)の ころ に な っ て諸 葛 恪 が 政権 を握 る と 〔建 興 元 年(252)〕, 章 昭,周 昭,醇 螢,梁 廣,華 藪 の五 人 が 編 纂 を命 じられ たが,周 昭 は孫 休 に よっ て諌 殺 され,梁 廣 も早 く亡 くな り,薩 螢 は地 方 勤 務 か ら配 流 と

な り,章 昭 は鳳 皇 二 年(273)に 獄 に下 され て し ま う こ とで都 に は 華 蝦 0人 とな っ て作 業 が ス トップ して しまっ た

史 通』 に よる と,最 後 は章 昭 が 一 人 で 完 成 させ た こ と にな っ て い る。

呉 書 』 は章 昭 が 罪 を得 た 頃 に は ほ とん どで きあが っ て お り,iや 賛 が で きて い な い とい う朕 態 で あ っ た。

⑤ 鳳 皇 二 年(273)に 章 昭 が 獄 死 した 後 の編 纂 過 程 は よ くわ か っ て い な い。

手 が 加 え られ なか っ た可 能 性 もあ る。 も し編 纂 が 績 い て い た とす る と, 華 藪 が 天 冊 元 年(275)か ら敷 年 後 に は亡 くな って い る こ とか ら,最 後 の仕 上 げ を したの は醇 螢 で は ない か と考 え られ る。

と ま とめ る こ とが で きる。

こ こで 注 目 してお きたい の が,孫 権 治 世 の 「季 年 」(も しくは 「末年」〉 に 『 書』 編纂 を命 ぜ られ た丁 孚 ・項 峻 に 「史 才 」 が ない と考 え られ,諸 葛恪 政権 に な っ て章 昭 らが任 命 され た とい う経 緯 で あ るが,こ れ につ い て は後 で考 察 した い と思 う。

二〕 章 昭 『呉 書 』 侠 文 集 成 につ い て

現 在 の とこ ろ,章 昭 『呉 書 』 侠 文牧 集 は以 下 の よ うな状 況 とな っ てい る。

三 國志 』 斐 注 か ら117條,U世 説 新 語 』 劉 孝 標 注 か ら3條,『 後 漢 書』 章 懐 太

(7)

子 注 か ら6條,『 北 堂 書"」』 か ら22條,『 藝 文 類 聚』 か ら14條,『 類 林』 か らは 1條,『 文 選』 李 善 注 か ら7條,『 初 學 記 』 か ら5條,『 太 平御 覧』 か ら61條,

事 類 賦 』 注 か ら6條 を見 つ け る こ とが で きた。 また,『 水 経 注』 か らは管見 の 限 り見 つ け る こ とが で きなか っ た。 敦焼 文書 につ い て見 る と,王 三慶 敦 煙 類 書 』 な どか ら も管見 の 限 り見 つ け る こ とが で きなか った 。

斐 注 の髄 裁 に關 して,彼 の 「『三 國志 』 注 を上 る表 」 に は

「壽 の載 せ ざる所,事 宜 し く存 録 すべ きは,則 ち 以 て其 の 閾 を補 ひ取 り畢 らざ る な し。」

「同 じ一事 を説 く も僻 に乖 離 有 り,或 ひ は事 本 異 に 出 で て 疑 ひ を判 ず る能 は ざ る は,並 び に皆 抄 納 し以 て 異 聞 に備 ふ 。」

「紙 謬 顯 然 と し,言 理 に 附せ ざる は,則 ち違 に 随 ひ て矯 正 し以 て其 の 妄 を懲 ら しむ。」

「時 事 の當 否 及 び壽 の小 失 は,頗 る愚 意 を以 て論 辮 す る所 有 り。」

と記 され て お り,こ れ に よる と注 の 基準 を4種 類 に大 別 で きるが,上 記 の斐松 之 自身 が語 る注 の基 準 か ら判 断 す る と,斐 注所 引章 昭 『呉 書 』 侠 文 は① の もの が ほ とん どで あ る(た だ,も ともと陳壽が記録 していなが ら簡潔 に過 ぎる部分 を補足 した もの と陳壽 『三國志』 にまった く記事が ない事柄 を補足 した もの とをあわせて この ようにな ってい る)。 す な わ ち,陳 壽 『三 國 志』 と比 較 す る と内容 が 重 複 しな い

もの,陳 壽 が 削 除 した内 容 を補 足 す る もの が 大 半 だ とい うこ とで あ る。 その 他 に は 『三 國 志』 と内容 が 若 干 異 な る(上 記 の基準 の② にあて はまる)も のが 存 在 して い るが,實 際 の とこ ろ,斐 注所 引 『呉 書 』 につ いて は 陳 壽 『三 國 志』 と同 じ事 柄 を取 り上 げ て 内 容 が 異 な る もの は ほ と ん どな い(〔 表1〕 装松 之注 所引

呉書』侠文 目録 を参照 されたい)。

陳壽 が 削 除 した と思 わ れ る内容 を補 足 した(上 記 の装松之 「r三國志』注 を上 る 表」の4つ の基準 の① にあては まる)『呉 書 』 の秩 文 は多 いが,こ こで は一 例 と し

章 曜呉 書 に 曰 く:太 租 嵩 を迎 ふ る に,輻 重 百鯨 爾 。 陶謙 は都 尉 張 閣 を遣 は

(8)

し騎 二百 を將 い て護 送 せ しむ,閨 泰 山華 、 費 問 に於 ひて嵩 を殺 し,財 物 を 取 り,因 りて准 南 に奔 る。 太 租 答 を陶謙 に蹄 す,故 に之 を伐 つ。

(『三國志』巻一武帝紀) を墨 げ て お く。 『三 國 志』..武 帝紀 の

興 平 元 年 春,太 租 徐 州 よ り還 る,初 め,太 租 の父 嵩,官 を去 りて後 誰 に還 る,董 卓 の齪 に,難 を郵 邪 に避 け,陶 謙 に害 せ らる所 と爲 る,故 に太 祀 の 志 雌 を復 す る に在 りて東 伐 す 。

に附 され て い る文 章 で あ るが,こ の 『呉 書 』 の文 章 の前 に

世 語 曰 く:嵩 泰 山 の華 縣 に在 り。 太 租 泰 山太 守 鷹 勘 を して家 を送 り克 州 に 詣 で しめ る に,勧 の兵 未 だ至 らず して,陶 謙 密 か に藪 千 騎 を遣 は して掩 ひ 捕 ふ。 嵩 の家 以 て勘 の迎 へ と爲 し,備 へ を設 け ず 。謙 の兵 至 り,太 租 の弟 徳 を門 中 にて殺 す。 嵩 催 れ て,後 垣 を穿 ち,先 づ其 の妾 を出 す も,妾 肥 え

て,時 に出つ る を得 ず;嵩 廟 に逃 る る も,妾 と倶 に害 せ られ,闊 門皆 死 す 。 勘 惟iれて,官 を棄 て衰 紹 に赴 く。 後 太 祀 翼 州 を定 め る に,勘 時 已 に死 す。

(『三國志』巻一武帝紀) が 引用 され て い る。 斐 松 之 は 陳壽 が省 い た曹 操 の父 ・曹嵩 が殺 害 され た事 情 を 補 足 す る た め に これ を引 用 した と思 わ れ る。

陳壽 は この よ うな事 情 を記 載 して い な い。 「曹 操 は父 を殺 され た復 讐 の た め に陶謙 を討 伐 した」 とい う事 實 を 「簡 潔 」 に記 載 して お り,こ の よ うな 内容 は 逸 話 的 ・小 説 的 で あ る とい う こ とで 削 除 した と考 え られ る。 た だ,王 書 』 武 帝 紀 ・魚 察 『魏 略 』 な どで この よ うな事 情 は つ か ん で い た と思 わ れ,陳 壽 が章 昭 『呉 書 』 も参 照 し内容 を踏 ま えて記 載 して い る こ とは間違 い な い で あ

ろ う。

三 國志 』 と内 容 が 若 干 異 な る(上 記の斐松之 「『三國志』注 を上 る表」 の4つ の 基準 の② にあてはまる)も の と して は,以 下 の よ うな秩 文 が基 げ られ る。

呉 書 曰 く:謙 死 す る時,年 六 十 三,張 昭 等 之 が 哀僻 を爲 して 曰 く:「'Ja」

使 君,君 侯 將 軍 た りて,乗 りて酪 徳 を麿 し,允 に武 允 に文,膿 剛直 に足 り て,守 る に温 仁 を以 てす 。 紆 及 び盧 に令 と して,民 を遺 愛 す;幽eび 徐 に

(9)

牧 と して,甘 業 と是 れ均 し。 憬 憬 た る夷 、豹,侯 に頼 りて以 て清 し;蚕 ひ た る妖 冠,侯 に匪 れ ば寧 か らず 。唯 だ帝 績 を念 ひて,爵 命 以 て章 らか な り, 既 に牧 且 つ侯,土 を漂 陽 に啓 く。遂 に上 將 に升 り,號 を安 東 に受 け,將 世 難 を平 げ ん と し,肚 稜 是 れ崇 ぶ。 降年 永 か らず,奄 忽 して姐 嘉 す,喪 侍 を失 ひて,民 困窮 を知 る。 曾 て旬 日な らず,五 郡 潰 崩 す,哀 しき我 の 人 か,將 に誰 か仰 ぎ愚 か ん,追 思 して及 ぶ 靡 し,皇 弩 仰 ぎ叫ぶ 。 鳴 呼 哀 しき か な!」 謙 の二 子:商,1'4,皆 仕 へ ず 。(r三 國志』巻八 陶謙傳)

呉 書 』 陶謙 傳 と思 わ れ る この文 章 は 『三 國 志』 魏 書(以 下r魏 志』 と略す)..

八 陶謙 傳 の

興 平 元 年,… … 是 歳,一謙 病 死 す 。

に 附 され て い る もの だが,こ の文 章 と比 較 す る と陳 壽 が 削 除 した陶 謙 の享 年 と 張 昭 らの哀 僻,陶 謙 の子 た ち につ い て補 足 して い る。 削 除 の理 由 と して は哀 僻

な ど を 『三 國志 』 に記 載 す べ き事 實 と認 め ず,歴 史 的 「事 實 へ の 謹 愼 ぶ り」7) を求 め たか ら と も考 え られ るが,こ の直 前 の 『魏 志』..八 陶 謙 傳 本 文 で の

而 る に謙 道 に背 き情 に任 す:… …刑 政 和 を失 ひ,良 善 多 く其 の害 を被 る, 是 れ に 由 りて漸 く齪 る。

とい う陶 謙 評 と 『呉 書』 の 内容 を比 較 す る と,陳 壽 は陶 謙 を評 す る に あ た っ て

呉 書 』 を典 振 と しなか った と考 え られ る。

この よ うな陶 謙 に封 す る評 債 の違 い を見 る と,王 沈 『魏 書 』 を主 な典 振 の̲̲̲̲

つ と して い る 『魏 志 』 と章 昭 『呉 書 』 の そ れ ぞ れ の 傾 向 が 垣 間見 え る。 王 沈

魏 書』 な どで は曹 操 と敵 封 した人 物 と して描 か れ た た め に評 債 が 低 く,『 呉 書』 で は全 く同 じ理 由で 逆 に高 い 評慣 が 下 され てい る よ うに見 受 け られ る。 加

え て,張 昭 が徐 州 の 出身 で あ る こ と も關係 してい るの で あ ろ う。

② に あ て は ま る と思 わ れ る上 記 の文 章 の性 格 と して指摘 で きるの は,事 實 上 魏 王 朝 を成 立 させ た 曹操 に とって都 合 が 悪 い と考 え られ る部 分 で 陳 壽 が 取 り上

げて い ない もの が異 聞 と して記 され てい る とい う こ とで あ る。

加 え て,〔 表1〕 を見 て もわ か る よ う に,斐 注 所 引 『呉 書』 は特 定 の 人物 に 關 す る記 載 が多 い こ とが 指摘 で きる。特 に陶謙 ・張紘 ・甘 寧 ・虞 翻 につ い て は

(10)

引用 が多 い 。 これ らの 人物 につ い て は,章 昭 『呉 書 』 に記 載 が あ りなが ら陳壽

三 國 志』 に は採 用 され なか った部 分 が 多 い とい うこ とで あ ろ う。

この よ う に見 る と,斐 松 之 が 異 聞 と して引 用 した 『呉 書 』 秩 文 に は一 定 の傾 向が あ る。 しか し,基 本 的 に は陳 壽 の記 述 が 章 昭 『呉 書 』 に依 振 しなが ら も簡 潔 に過 ぎる と ころ を補 うた め か,陳 壽 が記 さな か っ た 内容 を補 うた め,も し く

は陳 壽 の記 述 の典 嫁 を示 す た め の引 用 が ほ とん どで あ る こ とは指 摘 して お か ね ば な らな い だ ろ う。

世 説 新 語 』 劉 孝 標 注(以 下,r世 説』注 と略す)所 引 『呉 書 』 侠 文 に は斐 注 所 引 『呉 書』 と同内 容 の ものが1條,異 な っ て い る ものが2條 あ る。 先 に 引用 し

た 『階 書』 経 籍 志 を見 る と梁代 に は 『呉 書 』 の完 本 が 存 在 して い た と考 え られ,

『世 説』 注 所 引 『呉 書』 は章 昭 『呉 書 』 の完 本 を参 照 した もの と思 わ れ る。 因 み に 『世 説』 注 所 引 『呉 志』 は3條 あ り,細 か い文 字 の異 同 は あ るが 全 て現 行

呉 志 』 と同 内 容 の もの であ る(r後 漢書』 章懐太子注及びその他の類書 については

表3〕 『後漢書』章懐太子注及び類書所引 『呉書』侠文 目録 を参照 されたい)。

斐 注所 引 『呉 書』 と内容 が 異 な る もの につ い て見 る と,ま ず

呉 書 曰 く:「 遜 字 は伯 言,呉 郡 の 人 な り,世 々 冠 族 爲 り。 初 め海 昌令 を領 し,神 君 と號 せ られf丞 相 に累 遷 す 。」(r世 説新語』方正第五) が あ る。 これ を 『呉 志』 陸 遜 傳 本 文 と比 較 す る と,

陸 遜 字 は伯 言,呉 郡 呉 の人 な り。本 名 は議,世 江 東 の大 族 な り。(中 略) 孫権 將 軍 と爲 り,遜 は年 二 十 一,始 め て幕 府 に仕 へ,東 西 曹 令 史 を歴 し, 出 で て 海 昌 屯 田都 尉 と爲 り,並 び に縣 の 事 を領 す 。(中 略)赤 烏 七 年,顧 雍 に代 わ りて 丞相 と爲 る。

とあ り,内 容 は類 似 してい るが相 違 黒占もい くつ か 指 摘 で きる。 最 も明 らか な違 い と して は 『世 説』 注 所 引 『呉 書 』 に あ る 「號 碑 君 」 が 『呉 志』 に は な い こ と で あ る。 この 理 由 と して は,陳 壽 『三 國志』 の傾 向 と して指摘 され てい る 「事 實 へ の 謹 愼 」8)の た め に,ま た奮 敵 國 で あ っ た呉 の 宰 相 を持 ち上 げ る こ とに 封 す る晋 王朝 へ の 遠慮 の た め に削 除 した と考 え られ る。

(11)

ま た,そ の他 の 違 い と して は 『呉 志』 にあ る 「本 名議 」 が 『呉 書 』 秩 文 に は ない こ とや,細 か く見 る と 「世 爲 冠 族 」 が 「世江 東 大 族 」 に,「 初 領 海 昌令 」 が 「始仕 幕 府,歴 東 西 曹令 史,出 爲 海 昌屯 田都 尉,並 領 縣事 」 とな って い る。

た だ,全 禮 と して は類 似 鮎 が 多 く,基 本 的 には 陳 壽 『呉 志 』 が章 昭 『呉 書 』 の 内 容 を採 録 してい た と考 えて 問題 ない と思 われ る。

次 に

呉 書 曰 く:「 理 乱 を避 け江 を渡 り,大 皇 帝 取 りて 長 史 と爲 し,遣 は して 蜀 に使 ひす,但 だ弟 亮 と公 に會 ひ相 見 ゆ る も,反 りて私 に面 す る無 し。而 し て又 容 貌 思 度 有 り。 時 人 其 の 弘 量 に服 す 。」(r世 説新語』品藻第九) が學 げ られ るが,こ れ を 『呉 志』 諸 葛理 傳 本 文 と比 較 す る と,

諸 葛 理 字 は子 喩,瑛 邪 陽 都 の 人 な り。 漢 の 末 齪 を江 東 に避 く。(中 略)後 権 の 長 史 と爲 り,中 司 馬 に韓 ず 。建 安 二 十年,権 理 を遣 は して蜀 に使 ひ し 好 を劉 備 に通 ず,其 の弟 亮 と倶 に公 に會 ひ相 見 ゆ る も,退 きて私 に面 す る 無 し。(中 略)理 の人 と爲 りは容 貌 思 度 有 り,時 にあ ひ て其 の弘 雅 に服 す 。 とあ り,非 常 に よ く類 似 して い る。 こ れ を見 る と,陳 壽 『呉 志』 が 章 昭 『 書』 の 内 容 を ほ ぼ そ の ま ま採 録 した もの で あ る こ とが よ く理 解 で きる。

後 漢 書 』 章 懐 太 子 注(以 下r後 漢 書』 注 と略 す)所 引 呉 書』 は 斐 注 所 引

呉 書 』 と同 内容 の もの が4條,異 な っ て い る もの が2條 あ る。 斐 注 所 引 『 書』 と内 容 が 異 な っ て い る もの は

呉 書 曰 く:忠 字 は嘉 謀,朱 篤 と共 に曹 陽 にお い て李催 に敗 る る也 。 (『後漢書』巻四十五周榮傳附周忠傳)

呉 書 の 韓 酸 の衰術 に與 へ た る書 に 曰 く:「 凶代 郡 に出づ 。」

(『後漢書』志巻十八五行六) の二 つ で あ る。 これ らは 『三 國 志』 本 文 と も重複 して い ない 。

後 漢書 』 注 所 引 『呉 志 』 は7條 あ るが,全 て現 行 呉 志 』 と比 較 す る と文 字 の異 同 ・省 略 は あ る ものの 斐 注 か らの 混 入 は ない 。

(12)

北 堂 書!1』 所 引 『呉 書 』 侠 文 に は斐 注 所 引 『呉 書』 と同内 容 の もの が17條, 異 な っ て い る もの が8條 あ り,あ わせ て も同 書 所 引 『呉 志 』(56條)と 比 べ る

と約 三 分 の0と な って い る。 斐 注 所 引 『呉 書 』 と異 な っ て い る もの と して は 呉 書:孟 宗 豫 章 守 と爲 り,民 其 の徳 に感 ず,是 の時 子 生 まれ る故 に名 づ け

て云 ふ 。(『 北堂書紗』巻三十五政術部徳化)

呉 書 曰 く9):陸 遜,曹 休 を破 る 。 上 撃 僚 と大 い に 會 し10),酒 酉甘に して, 遜 に 命 じて 封 舞 せ しめ11),着 る 所 の 髄 子 襲 を解 き之 を賜 ふ12)。

(『北 堂書 鋤』 巻 一百 二十 九衣 冠部 三 裏,『 藝 文類 聚』 巻 四十 三樂 部 舞,

事 類賦 』 巻十 一樂 部 舞)

呉 書 云 は く 孫 権 周 鍮 に衣 を寒 暑 ご と に皆 百 領 賜 ふ に,諸 將 及 ぶ 者 有 る な

し。(『 北堂書i沙』 巻一百二十九衣冠部三 衣)

呉 書 曰 く:陸 遜 曹 休 を破 り,上 脱 ぐ所 の御 金 校 帯 を以 て遜 に賜 ふ 。 (『北堂書砂』巻一百二十九衣冠部三 絡帯,『 藝文類 聚』巻六十七衣冠部 帯)

呉 書:全 綜 年 高 云 云(賜 以復 杖)。(r北 堂書 鋤"̲"百 三十 三儀 飾部 四 杖)

呉 書 日:陸 遜 曹 休 を破 り,當 に 西 陵 に 還 ら ん と し,公 卿 並 び て 會 し,祀 を設 く。 上 御 船 を賜 ひ,絡 練 を以 て 之 を飾 る 。

(『北 堂書,」』 巻 一百 三十 七舟 部舟 総篇,『 藝 文類 聚』.,七 十 一舟 車部 舟,

太 平御 覧』 巻 七七 〇舟 部 三 肪 ・巻八 一 四布 吊部 一r')

呉 書 曰 く:洪 規 郡 を罷 め會稽 蹄 る も資 糧 無 し,又 人 の知 る を欲 せ ず,乃 土 を載 せ る も反 す 。(r北 堂書紗』巻一百三十七舟部舟総篇)

(13)

呉 書 曰 く:衰 術 壽 春 に在 りて,穀 石 百 鯨 萬,金 銭 を載 せ て市 に之 き羅 を求 む る に,市 に米 無 く銭 を棄 て て去 る。 百 姓 飢 窮 し,桑 椹 蜆 巌 を もっ て乾飯

と爲 す 。

(『北堂書紗』巻一百 四十四酒食部 飯篇,『 藝文類聚』巻一百災異部 蜆) が 基 げ られ る。 特 に..一・百 三 十 七 の文 章 は類 似 した文 章 が 他 に全 くない ので 興 味 深 い。

た だ,全 騰 と して は斐 注 所 引 『呉 書』 と同内 容 が 多 数 を 占 め る こ とや唐 代 に

呉 書 』 の 完 本 が残 っ て い た か ど うか わ か らな い こ とか ら,主 に斐 注 所 引 『 書』 を参 照 してい た と考 え る ほ うが 自然 で は ない か と考 え られ る。 た だ,一 異 な っ て い る もの が あ る こ とか ら,虞 世 南 は 完 本 で は な か っ た と して も 『 書 』 を参 照 してい たか 『修 文殿 御 覧』 な どの 現在 残 って い ない類 書 を蓼 照 して

い たの で あ ろ う。

北 堂 書'」」』 所 引 『呉 志 』 の 中 には,『 呉 志』 と稻 しなが ら他 書 か ら引用 され た ものが あ り13),ま た 『呉 志』 斐 注所 引 の 史 籍 の 文 章 を 『呉 志 』 と稻 して い た りす る。 この こ とか ら 『北 堂 書紗 』 も斐注 の あ る 『三 國志 』 を参 照 して い る こ とが わ か る。

藝 文 類 聚』 所 引 『呉 書 』 侠 文 に は斐 注 所 引 『呉 書 』 と同 内容 の ものが9條, 異 な っ て い る ものが5條 あ るが,『 呉 志』(48條)に 比 べ る と引 用Xは か な り少

ない 。 斐 注所 引 『呉 書 』 と内 容 が異 な って い る5條 は 『北 堂書 紗 』 巻 一 百二 十 九 と類似 して い る文 章 や 同..一 百 四 十 四 と同0の 文 章 以 外 に

呉 書 陸 凱奏 して 曰 く:臣 お もへ ら く西 陵 を以 て 國 の 關首 と し,宜 し く其 の 備 へ を重 くすべ し。備 へ 重 け れ ば則 ち敵 敢 へ て輕 んぜ ず,備 へ 輕 け れ ば則

ち敵 の侮 る所 と爲 る。(『 藝文類聚』巻六地部 關)

呉 書 曰 く:陸 遜 曹 休 を破 り,帝 御 金 帯 を脱 ぎ以 て 遜 に 賜 ふ,又 親 し く以 て 之 を帯 す 。

(『藝 文類 聚』 巻 六十 七衣 冠部 帯,『 北 堂書'」』 巻 一・百 二十 九衣 冠部 三 絡帯)

(14)

呉 書 曰 く:陸 遜 曹 休 を破 り,當 に西 陵 に還 らん とす る に,公 卿 並 會 し,遜 の爲 に祀 道 す 。 上 遜 に御 船 一 肪 を賜 ひ,維 練 舟 梁 た り。

(『藝文類聚』‑‑i¥七十一舟車部 舟) が 墨 げ られ る。 内容 を見 る と,斐 注所 引 『呉 書』 だ けで は な く陳 壽 『三 國 志』

と も全 く重 な らな い(陳 壽 『三國志』 に記載 されていない)も ので あ る こ とが わか る。 この こ とか ら考 え る と,章 昭 『呉 書』 は陳 壽 『三 國志』 呉 書 と内容 が ほ と ん ど同 じで あ っ た た め,内 容 が 重 な る部 分 は 『呉 志 』 の ほ うが 引 用 され,重

らな い部 分 の み毒 昭 『呉 書』 が 引 用 され た ので は ない か と考 え られ る。

しか し,全 髄 と して は斐 注 所 引 『呉 書』 と同内 容 が 多 敷 を 占め る こ とや 唐代 に 『呉 書』 の 完 本 が 残 っ て い た か ど うか わ か らな い こ とか ら,主 に斐 注 所 引

呉 書』 を参 照 して い た と考 え る ほ うが 自然 で は ない か と考 え られ る。 とは い って も,一 部 異 な っ て い る ものが あ る こ とか ら,欧 陽 詞 は部 分 的 に残 っ た 『 書 』 を参 照 して い た か 『修 文 殿御 覧』 な どの現 在 残 っ て い な い類 書 を参 照 して い た と考 え られ る。

藝 文 類 聚』 所 引 『呉 志 』 で あ る が,ほ とん どが 現 行 『呉 志 』 と比 較 す る と 文 字 の異 同 ・省 略 は あ る もの の混 入 は な い。 しか し,中 には

呉 志 曰 く:賀 齊 新 都 郡 守 と爲 る,権 出 で て祀 道 し,樂 を作 り象 を舞 はす 。 権 齊 に謂 ひ て 曰 く:「 今 天 下 定 ま り,中 國 に都 し,殊 俗 を して珍 を貢 が し め,百 獣 を率 ひ て舞 は しむ るご と きは,君 に非 ず して誰 か?」

(『藝文類聚』巻九十五 獣部下 象) とい う文 章 が あ る。現 行 『呉 志 』 巻 六 十 賀 齊 傳 を見 る と

齊 復 た表 し獄 を分 ち て新 定 、 黎 陽 、休 陽、 井 、 影 、獄 の凡 そ六 縣 と爲 さん

とす。権遂に割りて一,府 を始新に立て,偏將

軍 を加 ふ 。十 六 年,呉 郡 飴 杭 の民 郎 稚,宗 を合 わせ 賊 起 こ り,復 たX千 人, 齊 出 で て 之 を討 ち,即 ち復 た稚 を破 る,表 言 して蝕 杭 を分 か ち 臨水 縣 と爲 す 。命 を被 り所 在 に詣 り,當 に郡 に還 るべ きに及 ん で,権 出 で て組 道 し, 樂 を作 り を舞 は しめ ん 。

(15)

とあ り,こ の文 章 につ い て の斐 注 所 引 『呉 書 』 に は

呉 書 曰 く:権 齊 に謂 ひ て 曰 く:「 今 天 下定 ま り,中 國 に都 し 殊 俗 を して 珍 し き を貢 が しめ 狡 獣 を 卒 に舞 は しむ る ご と き は 君 に 非 ず して 誰

か?」(後 略)。

とあ っ て,『 藝 文 類 聚』 所 引 『呉 志 』 と比 較 す る と,波 線 の部 分 の 内 容 が 共 通 して い る。 この よ う に,『 藝 文 類 聚』 所 引 『呉 志』 に は 『呉 志』 本 文 と斐 注 所 引 の 『呉 書 』 の 史 籍 の 文 章 の 混 合 文 も見 られ る こ とか ら,『 藝 文 類 聚 』 所 引

呉 志』 は斐 注 のつ い た もの を参 照 して い る こ とが わか る。

類 林』 は 『新 唐 書 』 藝 文 志 に も記 述 が あ る よ う に14),唐 代 の宰 相 ・干 志 寧 の子 の干 立 政 に よ り7世 紀 半 ば に完 成 され た と考 え られ る類 書 で あ る。子 立 政

類 林 』 の原 本 は失 わ れ て い るが,金 代 の 王朋 壽 が 編 纂 した 『増 廣 分 門類 林 雑 説 』 や西 夏 本 『類 林 』 な どか ら原 本 を復 原 し よう と した 史金 波 ・黄 振 華 ・最 鴻 音 諸 氏 のx作 が あ り15),こ こで は そ の 中 に あ る 『類 林 』 復 原 本 に依 振 しつ つ

呉 書』 侠 文 を見 て い きたい 。 『類 林 』 復 原 本 には斐 注 所 引 『呉 書 』 と同内容 の もの が1條 あ る。

鄭 泉 字 は文 淵,陳 留 の 人 な り。 之 を嘆 ず る毎 に 曰 く:「 三 百 斜 酒 を得 て, 我 が船 中 に満 た し,又 甘 餉 を頭 尾 に置 く,加 ふ る に金盾 を以 て し,便 ち樂

と爲 さ ん。」 死 に 臨 む 日,妻 に謂 ひ て 曰 く:「 我 を陶家 の側 に積 せ,百 歳 の 後 化 して土 と成 り,水 とけ て酒 と爲 り,誠 に心 を獲 ん 。」 呉 主孫 権 時 大 中 大 夫 と爲 る。 『呉 書 』 に 出づ 。(嗜 酒篇第三十六)

呉 志 』..四 十 七呉 主傳 斐 注 所 引 『呉 書 』 の鄭 泉 に關 す る秩 文 を見 る と, 呉 書 曰 く=一 。博 學 に して奇 志 有 る も,性 酒 を

嗜 む,其 の 聞居 す る毎 に 曰 く:「 願 は くは美 酒 を得 て 五 百 角斗船 を満 た し, 以 て 四 時 の 甘脆 を爾頭 に置 き,之 を反 覆 没飲 し,態 れ て は郎 ち住 み て肴 膳

を啖す 。 酒升 斗 の 減 る有 りて,随 ひて 自口ち之 を盆 さば,亦 快 な らず や!」

… …泉 卒 す る に臨 み,同 類 に謂 ひ て 曰 く:「 必 ず 我 を陶 家 の側 に葬 れ 庶 は くは百 歳 の後 化 して土 と成 りて に して取 られ て酒 壺 と爲 ら ば 實 に

(16)

我 が心 を獲 ん や 。」

とあ る。波 線 部 が 共通 す る部 分 と考 え られ るが,一 見 して 文字 ・内容 の 異 同が 激 しい こ とが わ か る。干 立 政 は 『呉 志 』 斐 注 を参 照 したか,部 分 で あ っ た と し て も 『呉 書 』 を参 照 して い た,ま た は 『修 文 殿 御 覧』 な どの現 在 残 って い ない 類 書 を参 照 して い た とい う可 能性 が考 え られ る。 が,侠 文 が この1條 しか ない

こ とや 『類 林 』 の原 本 が存 在 しない こ とか ら断 言 す る こ とは難 しい 。

文 選 』 李 善 注 所 引 『呉 書』 侠 文 に は斐 注 所 引 『呉 書 』 と同 内容 の もの が6 條二,異な って い る もの が1條 あ る。 また,管 見 の 限 り 『文 選』 五 臣注 に は 『 書 』 侠 文 が存 在 しな い 。

文 選』 李 善 注 所 引 『呉 書』 侠 文 で 斐 注 所 引 『呉 書 』 と内容 が 異 な る もの は 善 曰 く:呉 書 曰 く:孫 策 初 め魏 武 と倶 に漢 に事 ふ る も,亮 ず 。周 鍮,魯 権 を諌 め て 曰 く:「 將 軍 父 兄 の 飴 資 を承 け,六 郡 の 衆 を兼 ね,兵 精 く糧 多 し,何 ぞ匿 匿 と して 人 に制 せ らる を受 け んや!」 権 遂 に江 東 に撮 り,西 は 蜀 漢 を連 ね,劉 備 と和 親 す 。故 に書 を作 りて権 に與 へ,來 る を得 て 同 じ く 漢 に事 ふ る を望 む な り。(『 文選』i四 十二書中 「爲曹公作書與孫権」) で あ る。 『呉 志 』 本 文 中 に は 内容 の 類 似 して い る もの は な く,部 分 的 に類 似 し て い る もの と して は 『呉 志 』 巻 五 十 四周 鍮 傳 斐 注 所 引 『江 表傳 』 の

江 表 傳 曰 く:… … 鍮 曰 く:「 … … 今 將 軍 父兄 の飴 資 を承 け,六 郡 の衆 を兼 ね,兵 精 く糧 多 し,… … 質 一 た び 入 らば,曹 氏 に與 へ て 相 首 尾 せ ざ る を得 ず,,與 に相 首 尾 し,則 ち命 じて 召 さ る れ ば 往 か ざ る を得 ず,便 ち 人 に制 せ

ら る る な り。(後 略)」

を墨 げ る こ と が で き る(傍 線 部 が 類似 す る部 分)。 こ の よ う に見 る と,斐 注 所 引

呉 書 』 だ け で は な く陳 壽 三 國 志 』 本 文 と も全 く重 な ら な い(陳 壽r三 國志』

に記 載 さ れ て い な い)も の で あ る こ と が わ か る(し た が っ て,『 三 國 志 』 本 文 と上 記 の斐 注所 引r江 表 傳』 が 混 ざっ た文 章 をr呉 書』 と構 した可 能性 も低 くな る)。 〔表3〕

の 内 容 も踏 ま え て 考 え る と,章 呉 書 』 は 陳 壽 『三 國 志 』 呉 書 と内 容 が ほ と ん ど 同 じで あ っ た た め,内 容 が 重 な る部 分 は 呉 志 』 の ほ う が 引 用 され,重

(17)

らない 部 分 の み 章 昭 『呉 書』 が 引用 され たの で は ない か と考 え られ る。

以 上 か ら,全 膿 と して は斐 注所 引 『呉 書』 と同内 容 が 多 籔 を 占め る こ とや唐 代 に 『呉 書 』 の 完 本 が 残 って い た か ど うか わ か らない こ とか ら,主 に斐 注 所 引

呉 書 』 を参 照 して い た と考 え る ほ うが 自然 で は ない か と考 え られ る。 た だ, 一 部 異 な っ て い る もの が あ る こ とか ら,李 善 らが 部 分 で あ っ た と して も 『 書 』 を参 照 して い た か 『修 文 殿 御 覧』 な どの現 在 残 って い な い類 書 を参 照 して い た可 能性 もあ る。

初 學 記 』 所 引 『呉 書 』 侠 文 に は斐 注 所 引 『呉 書』 と同 内 容 の もの が3條, 異 な る もの が1條,部 分 的 に異 な る もの が1條 あ る。

装 注 所 引 『呉 書 』 と内 容 が異 な る もの は

章 昭呉 書 曰 く:呂 蒙 病 登 し,孫 権 時 に公 安 に在 り,迎 へ て 内殿 に置 く,夜 森 る能 は ず 。病 中疹 る有 らば,爲 め に赦 令 を下 す 。

(『初學記』..二 十政理部赦) で あ る。 『呉 志』 呂蒙 傳 を見 る と,

封 爵 未 だ下 らざ る に,蒙 疾 登 す る に會 ひぬ,権 時 に公 安 に在 り,迎 へ て 内 殿 に置 く,… …夜 媒 る能 はず 。病 中滲 れ ば,爲 め に赦 令 を下 し,華 臣畢 く 賀 す。

とあ り(傍 線 部は上記侠文 と共通す る部分),非 常 に よ く類 似 して い る。 これ に よ る と,『 呉 志』 が 『呉 書 』 の 内容 を襲 っ て い る こ とが よ く理 解 で きる。

た だ,『 初 學 記』 所 引 『呉 志』 は32條 あ るが,そ の 中 に は

呉 志 曰 く:黄 武 五 年,丹 楊 、會 稽 、 呉 郡 の 山冠 に攻 没 せ る諸 縣,乃 ち三 郡 の要 害 の地 を分 か ち て東 安 郡 を置 き,富 春 に居 す ユ6)。

(『初學記』..八 州郡部江南道) の よ うに 『呉 志 』 本 文 と斐 注 所 引 の 『呉 書 』 以 外 の史 籍 の文 章 の混 合 文 も見 ら れ る こ とか ら,『 初 學 記 』 所 引 『呉 志 』 は斐 注 の つ い た もの を参 照 して い る こ とが わ か る。 この こ とか らす る と,先 述 の 『初 學 記 』 巻 二 十 所 引 『呉 書 』 も,

呉 志 』 を誤 っ て 『呉 書』 と して 引 用 した 可 能 性 も否 定 し きれ ず,注 意 が必 要

(18)

で あ る。

以 上 の よ うな こ とか ら,全 膿 と して は斐 注所 引 『呉 書』 と同 内容 が 多 敷 を 占 め る こ とや唐 代 に 『呉 書 』 の完 本 が 残 って い たか ど うか わか らない こ とか ら, 主 に斐 注 所 引 『呉 書 』 を参 照 して い た と考 え る ほ うが 自然 で は ない か と考 え ら れ る。 た だ,0部 異 な って い る もの が あ る こ とか ら,徐 堅 らが 部分 で あ っ た と して も 『呉 書 』 を参 照 して い た か 『修 文 殿 御 覧』 な どの現 在 残 って い ない類 書 を参 照 して い た と考 え られ る。

太 平 御 覧 』 所 引 呉 書 』 侠 文 に は 斐 注 所 引 呉 書 』 と 同 内 容 の も の が38條 (そ の う ち 『呉 志』 本 文 と装 注 所 引 『呉 書』 の 混 合 文 が1條),異 な る も の が23條 (『太 平御 覧』 で 初 出 とな る文 章 が6條,『 呉 志』 本 文 と同内 容 の文 章 が5條 重 複 一 つ を含 む〕,『呉 志』 と斐 注所 引 の他 の史 籍 の混 合文 が2條,斐 注 所 引 の 『呉 書 』 と他 の史 籍 の混合 文 が1條,『 呉 書』 以外 の斐 注所 引 史籍 と同 内容 の ものが2條)あ る(〔 表2〕

太 平御 覧』 所 引 『呉 書』 侠 文 目録 を参 照 され たい)。

他 の 典 籍 に 比 べ て 斐 注 所 引 呉 書 』 と は 内 容 が 異 な る も の も多 く(23條), 特 に初 出 と な る の が,

呉 書 曰 く:孫 晧 牛 渚 を以 て 督 と爲 し,何 植 を以 て 使 と爲 して 晋 軍 を禦 が し む 。 當 塗 に牛渚 山有 り。(『 太平 御 覧』.:一 七 〇州 郡部 一 六 宣州)

呉 書 曰 く:賀 齊 上 に從 ひて合 肥 を討 ち し時,城 中戦 に出 て,徐 盛 牙 を失 ひ, 齊 別 れ て拒 ぎ撃 ち,盛 の失 ふ 所 の牙 を得 る。

(『太平御覧』巻三三九兵部七〇 牙)

呉 書 曰 く:趙 沓 魏 に 使 ひ す る に,i魏 人 曰 く:「 聞 くな ら く江 東 に 掃 有 り, 菜 を 蹄 し て 作 り し若 き を 食 と爲 す 。」r%¥曰 く:「 當 に 倉 を 得 て,鱗 を 以 て 養

を作 る。」(『 太平 御 覧』巻 九 七六 菜部 一 菜)

呉 書 曰 く:徐 盛 曹 休 と戦 ひ,賊 茅 草 を積 み焚 盛 せ ん と欲 す,盛 ん に舩 を焼

(19)

きて去 る,賊 一 も得 る所 無 し。(r太 平御 覧』巻九九六百卉部三 茅) の6條 で あ る。 これ らは斐 注 所 引 『呉 書』 だ けで は な く陳 壽 『三 國志 』 と も全

く重 な らない(陳 壽 『三國志』 に記載 されていない)も の で あ る。全 膣 と して は斐 注 所 引 『呉 書』 と同 内容 が 半Xを 超 え る こ とや 後 述 す る よ うに北 宋期 に は 『 書』 の完 本 は残 っ て い な か っ た可 能 性 が 高 い こ とか ら,主 に斐 注 所 引 『呉 書 』 を参 照 して い た と考 え る ほ うが 自然 で あ ろ う。 とは い っ て も,異 な っ て い る も の もあ る こ とか ら,完 本 で は な か っ た と して も 『呉 書』 を参 照 してい る可 能 性 や 『修 文 殿御 覧 』 な どの現 在 残 っ て い な い類 書 を参 照 して い た可 能 性 が 高 い 。

加 え て,

呉 書 曰 く:壬 申,王 溶 皓 の 降 を受 け て,縛 を解 き襯 を焚 き,延 講 して相 見 ゆ。 吾 陽秋 曰 く:溶 呉 を平 らげ,溶 其 の 圖籍 を牧 む るに,州 四,郡 三 十 三, 縣 三 百 二 十 三,戸 五 十 二 萬 三 千,男 女 口 二 百 三 十 萬,後 宮 五 千 鯨 人 を領

す17)。(『 太平御覧』巻三二四兵部五五 降〉

呉 書 曰 く:諸 葛 恪 字 は元 遜 理 の長 子 也 。少 く して名 を知 られ,髪 眉 少 な く,折 頻 廣 穎 た り18)。(『 太平御覧』巻三六七人事部八 頗) の よ う に 「呉 書 日〜 」 とあ る に もか か わ らず 『呉 志 』 と斐 注 所 引 の他 の 史籍 が 混 ざ った文 章 が存 在 して い る場 合 が あ る。河 野六 郎 研 究 代 表 「三 國志 に記 され た東 ア ジ アの言 語 お よび民族 に關 す る基 礎 的研 究」 で は 『太 平 御 覧』 に引用 さ れ て い る 『魏 志 』 の 中 に は斐 注 の文 章 を加 えて 『魏 志 』 の 本 文 と して 引用 して い る場 合 が あ る こ とが 指摘 され て お り19),こ の こ とは 『呉 書 』 で も同様 で あ る。

したが って,『 太 平御 覧 』 所 引 『呉 書』 侠 文 につ い て は取 り扱 い は注 意 が 必 要 で あ る。 ま た,

呉 書 曰 く:酵 綜 上 疏 して 曰 く:交 州 刺 史 米 符,多 く郷 人 虞褒,劉 彦 の徒 を 以 て分 か ち て長 吏 と作 し,百 姓 を侵 虐 し,彊 く民 に賦 す,黄 魚 一枚 稻 一解

を牧 む,百 姓 怨 み て叛 き,山 賊 並 起 す 。

(『太平御 覧』巻四九二人事部一三二 貧)

(20)

呉 書 曰 く:嘉 禾 五 年 春,大 銭 を鋳 る,一 は五 百 に當 る。詔 して 吏民 を して 銅 を輸 さ しめ,銅 を計 りて直 を卑 ふ。 盗鋳 の科 を設 く。

(『太平御覧』1..八三五資産部一五 銭上) の よ う に 「呉 書 日〜」 とあ る文 章 で 『呉 志 』 と同 内容 の場 合,本 當 に 『呉 書 』 に も存 在 して い た 可 能 性 と,『 呉 志 』 に しか存 在 しな か った 可 能 性 を考 慮 して 取 り扱 わ な けれ ば な らな い(先 に引用 した二つの文章 は,r呉 書』 にも存在 していた

と考 えて問題 ない と考 えられる)。

太 平 御 覧』 所 引 『呉 志 』 は管 見 の 限 り438條 あ る。 これ らの 中 には,

呉 志 曰 く:天 璽 元 年,鄙 陽 郡 歴 陵 山石 文 理 字 を成 す と言 ふ,巫 石 印肺 三 郎 有 りと言 ふ,晧 使 を遣 は し,大 牢 を以 て祭 り井 び に印 綬 を して三 郎 を拝 し

て王 と爲 す 。(r太 平御覧』巻四八 石 印山)

呉 志 曰 く:孫 桓 字 は叔 武,儀 容 端 正,器 懐 聰朗,博 學 強 記,論 議雁 封 を能 くす,権 常 に稻 して宗 室 の顔 淵 と爲 し,擢 りて武衛 都 尉 と爲 す 。從 ひ て關 羽 を華容 に討 ち,羽 の鯨 黛 を誘 ひ,五 千 人 を得 て,牛 馬 器械 甚 だ衆 し。

(『太平御覧』巻二四一 都尉)

の よ う に,や は り 『呉 志 』 本 文 と斐 注 所 引 史 籍 との混 合 文 も見 られ る20)こ と か ら,『 太 平御 覧 』 所 引 『呉 志 』 は斐 注 の つ い た もの を参 照 して い る こ とが わ か る。

事 類賦 』 注 所 引 『呉 書』 秩 文 に は斐 注 所 引 『呉 書 』 と同 内容 の ものが3條, 異 な って い る もの が1條,『 呉 志 』 本 文 の文 章 と同 内容 の ものが1條,『 呉 志 』

と斐 注 所 引 『呉 書 』 が混 ざ って い る もの が1條 あ る。

斐 注 所 引 『呉 書 』 と内容 の異 な っ て い る もの は 『北 堂 書 紗 』 巻 一 百 二 十 九 と 同 内容 で あ る。 『呉 志』 本 文 の文 章 と同内 容 の もの は

呉 書 曰 く:諸 葛 恪 將 と爲 る。 蜀 使 至 る,上 使 に謂 ひ て 曰 く:「 元 遜 將 と爲 る,君 蜀 に還 り,丞 相 に報 じ,爲 め に嘉 馬 を致 す 可 し。」恪 起 ち て陳 謝 す, 上 曰 く:「 卿未 だ馬 を得 ざ る に,何 爲 れ ぞ 謝 す?」 封へ て 曰 く:「 夫 れ蜀 は

(21)

陛 下 の外 康,今 詔有 り,臣 必 ず得 る な り,是 れ を以 て 謝 す る な り。」

(巻二十一獣部 馬) で あ る。 『呉 志 』 巻 六 十 四諸 葛 恪 傳 には

諸 葛 恪 字 は元 遜,理 の 長 子 な り。(中 略)後 蜀 使 至 りて,翠 臣並 會 す,権 使 に謂 ひて 曰 く:「 此 の諸 葛 恪 雅 よ り騎 乗 を好 む,還 りて丞 相 に告 げ,爲 め に好 馬 を致せ 。」 恪 因 りて下 り謝 す,権 曰 く:「 馬未 だ 至 らざ る に謝 す る

は何 ぞ?」 恪 封 へ て 曰 く:「 夫 れ 蜀 は 陛 下 の外 腹,今 恩 詔 有 り,馬 必 ず 至 らん,安 んぞ敢 へ て 謝 せ ざ らんや?」 恪 の 才捷,皆 此 の類 な り。

とあ り,内 容 が 類 似 して い る。 ま た,『 呉 志 』 と斐 注 所 引 『呉 書 』 の 混 合 文 と して は

呉 書 曰 く:賀 齊 新都 太 守 と爲 り,孫 権 祀 道 に出 て,樂 を作 し象 を舞 は しむ。

権 齊 に謂 ひ て 曰 く:「 今 天 下 定 ま り,殊 俗 を して珍 を貢 が しめ,狡 獣 を率 ひ舞 わ しむ る ご と きは,君 に非 ず して誰 そ や?」 倦 二十獣部 象) が墨 げ られ る。 『三 國志 』 巻 六 十 賀 齊 傳 本 文 には

権 遂 に割 きて新 都 郡 と爲 し,齊 太 守 と爲 る,(中 略)権 祀 道 に 出 て,樂 作 し象 を舞 は しめ ん。

とあ り,こ の 本 文 に附 せ られ た斐 注 所 引 『呉 書』 に は

呉 書 曰 く:権 齊 に謂 ひ て 曰 く:「 今 天 下 定 ま り,中 國 に都 し,殊 俗 を して 珍 し きを貢 が しめ,狡 獣 率 ひ舞 わ しむ る ご と きは,君 に非 ず して誰 か?」

齊 曰 く:「 殿 下 紳 武 を以 て期 に慮 じ,王 業 を廓 開す,臣 幸 ひ に際 會 に遭 ひ, 風 塵 の 下 に駆 馳 し,末 行 を佐 助 し,鷹 犬 の用 を致 す を得 る は,臣 の願 ひ な

り。殊 俗 を して 珍 し きを貢 が しめ,狡 獣 を率 ひ舞 わ しむ る ご と く,宜 し く 聖徳 在 るべ くは,臣 の 能 くす る所 に非 ず 。」

とあ る。

以 上 の よ うな秩 文 を一 見 す る と,『 呉 志 』 が 『呉 書 』 の 内 容 を襲 っ た こ との 登左 の よ う に見 受 け られ る。 しか し,後 述 す る よ うに 『事 類 賦 』 が完 成 した北 宋 期 以 降 に 『呉 書 』 が 残 っ て い た と考 え に くい こ とか ら,主 に斐 注 所 引 書 』 を参 照 して い た と考 え る ほ うが 自然 で あ ろ う。 つ ま り,『 呉 志 』 と装 注 所

参照

関連したドキュメント

 なお豊岡県は1871年(明治4)の廃藩置県に より豊岡藩が県となったもので、同年 9 月の第

その為、有る所では普通の写本について理解することが困難になったことさえ

特許 2990534 号活用事例.. JAXA の保有特許(本誌未掲載分含む)の内容は、下記サイトでご覧いただけます。.

宇都宮大学|第2次大戦下の西欧政治・社会情勢・第1部~第6部・マイクロフィルム版 (Conditions and politics in occupied Western Europe, 1940-1945) 埼玉大 学I Moody's

多変 数関数解析の観点に重心がおかれている一方, 熱力学そのものの説明は簡潔で, 人によっては物足りな

[r]

[r]

法政史学第二十二号