朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国憲 法 史 にっ いて の 一 素描
龍 澤
1.は じめ に
北 東 ア ジア に あ って,半 万 年(5,000年)の 歴 史 を 誇 る韓 国 ・朝 鮮 で は あ るが,日 本 に よ る植 民地 支 配 及 び それ に続 くア メ リカ と 旧 ソ連 に よ る南 北 の 分 割 占領 に起 因 した 南 北 分 断 は,今 日に 至 る も継 続 した ま まで あ る。 か っ て分 断 され て いた ベ トナ ム も ドイ ツ もsす で に統 一 され,事 情 を 異 にす る中 国 を除 け ぼ,今 や 分 断 され て い る国 は韓 国 ・朝鮮 の み に
な って しま った 。
一 時,韓 国 と朝 鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国(以 下F北 朝鮮 とい う)の 「板 門店 」 の壁 の崩 壊 は東 西 ドイ ツ の 「ベ ル リンの壁 」 よ り も早 い で あ ろ う
とい う こ とが 当 然 の摂 理 の ご と く主 張 され た こ とが あ る。 そ の理 由 と し て は,東 西 の統 一 は 周辺 の 旧 ソ連 や フ ラ ンス な どが 反 対 して い る の に反
して,南 北 の統 一 にっ い て は 当 時者 で あ る韓 国 ・北 朝 鮮 だ け の 問題 で あ る こ とが 挙 げ られ て い た。 それ は韓 国 ・朝鮮 の人 々の統 一 へ の絶 望 的 と も思 え る現 状 を救 って くれ る,ほ のか な期 待 と安 堵 と 自負 心 の拠所 で も あ った 。 しか し,結 果 は,も っ と も困難 と思 わ れ て い た ドイ ツ の統 一 の 方 が 早 か った 。 海 の彼 方 に い る一 在 日韓 国 ・朝 鮮 人 と して誠 に じく じた る思 い を禁 じ得 な い。 確 か に,東 西 ドイ ツの場 合 に は,直 接 的 には,隣 … 国 で あ り,か っ最 も影 響 力 を有 して いた 旧 ソ連 に お け る民主 化 とい う外 的 な要 因が 大 き く作 用 した こ と は間違 い な いが,し か し,そ の外 的要 因
朝鮮 民主主 義人民共湘 国憲法史 にっ いての一素描
を積 極 的 に活 用 で きた 背 景 には,東 西 冷 戦 の さ なか に あ って も着 実 に相 互 理 解 を深 め て い った ドイ ツ 自 らの 努 力 が あ った こと を忘 れ て は な らな いで あ ろ う。
この よ うに 見 る と き,残 念 なが ら南 北 の問 に は未 だ 相 互 理 解 のた め の 努 力 は不 十 分 で あ る といわ ざ る を得 な い。 本 稿 は,若 干 な りと も南 北 の 相 互 理 解 を深 め る た め の一 つ の 資 料 と して,北 朝 鮮 憲 法 の歴 史 を概 観 し
よ う とす る もの で あ る。
しか しなが ら,北 朝 鮮 の 資料 は著 しく入 手 が 困難 で あ る。 例 え ば,日 本 の代 表 的 な北 朝 鮮 研 究家 た ち に よ って構 成 され た 訪 朝 社 会 科 学 者 代 表 団(国 際法 の安井郁 教授 を団長 と し,朝 鮮史の.̲: ̲教 授 を副 団長 と した総 勢6名)の 一 員 と して1972年 に訪 朝 した 木 田純 一 教 授 は,訪 朝 に 際 し
て の個 人 的 希 望 の 一 つ と して 「法 学 教 科 書(憲 法,行 政 法,民 法,家 族 法,刑 法,訴 訟 法,労 働 法 な どを含 む),参 考 書,法 典 集 が あ った ら, 朝 鮮 語 の もの で も持 ち帰 り,日 本 で 在 日朝 鮮 人 科 学 者 協 会 の友 人 と研 究
した い 」 旨 を 申 し出 て い た が,「 法 典 集 につ い て は,存 在 はす るが,細 則 な どが っ い て い るの で外 国 人 には 現 在 で はお 渡 しで き な い と の こ とで
1)
あ った 」 と い う。 また 金 日成 総 合 大学 を 見学 した 際 に も,「(法 学関係 の) 教 科 書 は,大 学 出版 で解 決 して い る と い う こ とで あ った が,そ の現 物 を
2}
み せ て貰 う約 束 に な ってい た が 実 現 しなか った 」 とい う。 更 に,朝 鮮 対 外 文 化 連 絡 協 会 の招 請 に よ り1973年9月 下 旬 か ら一 月 間 滞 在 し,今 日
3}
に至 る まで最 も詳 細 な北 朝 鮮 憲 法 の解 説 書 を執 筆 され た 福 島正 夫 教 授 も
「共 和 国訪 問 に あ た っては,私 は,法 令 資 料 の入 手 を希 望 して い たが, これ は直 ちに実 現 で き ない よ うで あ った 。 何 よ り も私 自身,朝 鮮 語 を会 得 して い ない。 しか し,斬 憲 法 にっ い て,滞 在 中,法 学 研 究 所 の研 究 員
の
の方 か ら講 義 が あ った ので,貴 重 な参 考 と な った こと を特 記 して お く」
と述 べ て い る。
この よ う な状 況 で あ るので,私 ご とき が 直接 か っ十 分 に,北 朝 鮮 の 法 令 や 書物 を入 手 す る こ と は殆 ど不 可能 に近 い が,幸 い に もa近 時,韓 国 にお い て北 朝 鮮 の 法 律 に関 す る本 格 的 な研 究 書 が相 次 い で発 刊 され て い る。 確 か に,比 較 法 の研 究 に際 して は,対 象 とな る国 の 原典 を も と に研 究 す るのが大 原 則 で あ る ことは今 更 言 うまで も ない。 また,分 断 国 にあ っ
て は,一 方 が他 方 を意 図 的 に悪 宣 伝す る こ とも容易 に推 測 され る。 事 実, 韓 国 にお い て も,北 朝 鮮 に関 して悪 意 に満 ち た 書物 を 目にす る こ とは 決 して希 で は な い。 しか し,国 際 的 に は 旧 ソ連 の崩 壊 や 急 激 な東欧 の 民 主 化,南 北 の関 係 に お い て は 南 北 高 位 級(首 相)会 談 の 開催 や 体 育 関 係 及
び芸 術 家 の相 互 往来,そ して 国 内的 に は韓 国経 済 の発 展 とあ い ま った韓 国 の 民主 化 の 発 展及 び 北 方 政 策 に よ る共 産 圏 との 国交 樹 立 は,韓 国 に お い て も,こ れ まで の よ うに ス テ レオ タイ プ的 な 「北 朝 鮮 壽共 産 主義=悪 」 とい う図式 の成 立 を不 可 能 に して き て い るの もまた 事 実 で あ る。 法 制 処
(日本の法制局 に相 当す る)が1992年 に 出版 した 『北 韓 法 制 概 要 』 で 崔 相 曄 処 長 は,「 国 際 情 勢 の 変化 と統 一与 件 の 改 善 に よ って,今 や 統 一 は 遙 か な夢 物 語 で は な く,生 々 しい現実 と して我 々の前 に近 づ い て い ます 。
ドイ ツの よ うに 想像 よ りも遙 か に早 く我 々の統 一 が 現 実 に な る可能 性 も 決 して排 除す る こ とは で き ませ ん。 した が って,今 こそ統 一 のた め の我 々 の新 た な覚悟 と努 九 そ して着 実 な準 備 が切 実 に要請 され る とい え ま し ょ う。 ドイ ツの統 一後 遺 症 に見 る ことが で き る よ う に,東 西 ドイ ツは長 い 間,統 一一の た め に 多 くの 着 実 な準備 を して きた に も拘 らず,い ざ統 一 さ れ た 後 は途 方 も ない 問題 点 が 生 じて き て い る こと を見 る とき,我 ・々は よ り一 層,周 到 か っ綿 密 な準備 を怠 って は な らな い こと を痛 感 せ ざ るを得 ませ ん 。 この た め に は何 よ りも北朝 鮮 の 実相 にっ い ての 正 確 な理 解 と研 究 が 先 行 しな けれ ば な らない で し ょう。 ….,.この 本 を書 き なが ら特 に念 頭 に あ った 点 は,北 朝 鮮 法 制 の実 相 を 可 能 な限 り事 実 に近 づ い て整 理 す
朝鮮 民主主義人民共和 国憲法史 にっ いての一素描
るという ことで あ りま した。 この ような趣 旨か ら北朝鮮 法制 に対す る批 判 と評価 は北朝鮮法制 の実相 を知 るのに助 けに なる場合 を除 いてはで き
5)
るだ け 自制 す る よ う に しま した」 と述 べ て い るが,こ れ は,北 朝 鮮 の法 制 の 実 相 を誰 よ り も真 剣 に知 りた が っ て い る の は,ほ か な らぬ 一 方 の
「当事 者 」 で あ る韓 国 で あ る こ と を物語 る もの で もあ る。 この意 味 にお
ラ
い て本 稿 で も,北 朝 鮮 側 の 資料 と併 せ て韓 国側 の 資料 を も参 照 して執 筆 した次 第 で あ る。 しか しなが ら,基 本 的 に は,北 朝 鮮 の法 制 度 を知 るた め に は,北 朝 鮮 で 発行 され た 資料 に基 づ くべ き こ とは 当然 の こ とで あ りs 北 朝 鮮 の信 頼 で き る資料 が 入 手 で きた 暁 に は,本 格 的 な研 究 を 手掛 け た
、い と思 って い る。
本 稿 は,こ の よ う な 資料 的 限 界 を意 識 しっ っ も,現 に38度 線 以 北 を 統 治 して い る北 朝 鮮 の憲 法 を 全 く知 らな いで は韓 国憲 法 の理 解 の妨 げ に も な るで あ ろ う こ と に鑑 み て,比 較 的 批 判 や 評 価 が入 る こ との 少 ない と 思 わ れ る憲 法 の制 定 及 び改 正 の歴 史 に焦 点 を絞 って,北 朝 鮮 の 憲法 史 を 概 観 した も ので あ る。 した が って,い わ ば筆 者 個 人 の これ か らの北 朝 鮮 憲 法 の研 究 のた め の覚 書 の ご とき もので あ り,本 稿 を 「一 素 描 」 と題 し
た所 以 で もあ る。
注
1)木 田純 一 「発 展 す る朝 鮮 の社 会 主 義 」 安 井 郁 。高橋 勇 治編 『チ ュチ ェの 国 ・朝 鮮 を訪 ね て』(読 売 新 聞 社,1974年)所 収,1◎2頁 ◎
2>前 掲 論 文,117頁 。
3)福 島正 夫 『朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国社 会 主i義憲 法 』(日 本 評 論 社,1974 年)は,今 日に至 る まで,日 本 で 出版 され た最 も詳 細 な北 朝 鮮 憲 法 の 解 説 書 で あ る。
4)福 島 正夫 「社 会 ・政 治 ・法 律 の仕 組み 」 安 井 郁 ・高橋 勇 治 編 『チ ュチ ェ の 国 ・朝 鮮 を訪 ね て』(読 売新 聞社,1974年)所 収,92頁 。
5)法 制 処 編 著 『北 韓 法制 概 要 』(刈音,韓 国法 制 研 究 院,1992年)(1)〜(2)頁 。
6)韓 国及び アメ リカの図書館 に所蔵 され てい る北朝鮮 の法学文献 を丹念 に 調査 した もの と しては,雀 鐘庫 「北韓 潮 法学 誹 法 思想 」慶南大学校極 東 問題 研 究所 編 『北 韓 潮 法 斗 法理 論』(刈 音,慶 南 大学 校 出版 部,
iii年 〉所収,が ある。
1)
2.48年 憲 法 の 制定 過 程
北 朝 鮮 に お い て は,1936年5月,反 日民族 統 一 戦 争 の 大 衆 的 革 命 組 織 と して,現 在 の金 日成 国 家主 席 を会 長 とす る祖 国光 復 会 が 創 立 され, そ こで発 表 され た10大 綱 領(1936年5月5日)が 北 朝 鮮 憲 法 の始 源 で あ
2)
る といわ れ る。 しか し,少 な くと も,我 ・々が 「北 朝 鮮 」 と して意aす る の は,1945年8月15日 の解 放 以 後 の こ とで あ る◇ 日本 に よ る植 民 地 支 配 か らの解 放 を迎 え るや,北 朝鮮 で は行 政 区 域 単 位 に各 地 方 で人 民委 員 会 が 結 成 され た が,1945年8月24日 の 「威 鏡 南 道 人 民 委 員 会 」 の結 成 を初 め と して,5つ の道(日 本の県に相 当す る行政区画)で 道 単位 の人 民 委 員会 が結 成 され た。 しか し,こ の よ うに分散 され た状 況 で は不便 で あ っ た の で,同 年11月19日 に1◎ 個 の 部 ・局 を 置 い た 臨 時 中 央 行 政 機 関 と
して 「北 朝 鮮 行 政 局」 が設 け られ た 。
こ の よ う な状 況 の中 で,同 年12月 に モ ス ク ワで 開 か れ た 米 ・英 ・ソ 三 国外 相 会 議 は,朝 鮮 半 島 に信 託統 治 を実 施 す る こと を決 定 した が,北 朝 鮮 の各 政 党a社 会 団体 は ソ連 の指 示 に従 って,外 相 会 議 の 決定 を 支 持 す る共 同声 明 を 出 した 。 しか しr北 朝 鮮 行 政 局 の責 任 者 で あ った 曹 晩 植 委 員 長 を は じめ,多 くの 民 族 陣 営 指 導 者 が,こ の決 定 に反 対 して,北 朝 鮮 行 政 局 か ら去 って 行 った 。 こ こ に,1946年2月8日,共 産 主 義 を 指
3)
向す る朝 鮮 労 働 党 をは じめ とす る各 政 党,社 会 団体 と各 道 ・市 ・郡 の 人 民 委 員会 の代 表 が 集 ま っ て,「 北 朝 鮮 臨 時 人 民委 員 会 」(委 員長:金 日成, 副委員長:金 科奉)を 結 成 した 。 この 北 朝 鮮 臨 時 人 民 委 員 会 は23名 の 委 員 で構 成 され,そ の機 能 は 「北 朝 鮮 の中央 行 政 機 関 と して,北 朝 鮮 の 人 民,
朝鮮 民主主義人 民共和 国憲法史 につ いての一素描
社 会 団体,国 家 機 関 が 実行 しなけれ ば な らな い臨 時 法 令 を制 定,公 布 す る権 限 を 有 す る」(「北朝鮮臨時人 民委員会 の構 成 に関す る規定 」3条)と 規 定 して いた とお り,金 日成 委 員 長 が 自 ら起 草 した と され る 「20ヵ 条
4)5)
の政 綱 」(1946年3月23日)を は じめ,多 くの法 令 を制 定 した。
しか し,北 朝 鮮 臨時 人 民 委員 会 は,そ の 名 称 が 示す よ う に あ くまで も 臨 時 の 政 権 機 関 で あ った の で,恒 久 的 な政 権 を樹 立 す る た め に,1946 年11月3日 に 道 ・市 ・郡 人 民 委 員 会 委 員 の選 挙 が実 施 され た 。 これ は
6)
北 朝 鮮 で最 初 の普 通選 挙 で あ る といわ れ る。 この選 挙 の結 果 に基 づ いて, 1947年2月17日 に平 壌 で 「北 朝 鮮 道 ・市 ・郡 人 民 委 員 会 大 会 」 が 開 催
・され た。 この大 会 に お い て 北 朝鮮 の最 高 立 法機 関 と して 「北 朝 鮮 人 民 会 議 」 の 設 立 をみ る こ と に な った 。 ま た,こ の 北 朝 鮮 人 民 会 議 は,1947 年2月21日 に平 壌 で 第1回 会 議 を 開 い て,北 朝 鮮 の 最 高 執 行 機 関 と し て 「北 朝 鮮 人 民 委 員 会 」(委 員長 二金 日成)を 成 立 させ た 。
1947年11月18日,北 朝 鮮 人 民会 議 第3回 会 議 にお い て,朝 鮮 臨 時 憲 法 草 案 を制 定 す る こ とが 決 定 した 。 そ こで,金 科 奉 を 委 員 長 とす る31 人 の委 員 で 「朝 鮮 臨時 憲法 制 定 委員 会」 を構 成 して,次 期 会 議 に憲 法 草 案 を 提 出す る こ と を 決 議 した 。1948年2月7日 の北 朝 鮮 人 民会 議 第4 回会 議 に 憲法 草 案 が提 出 され た が,北 朝 鮮 人 民会 議 第4回 会 議 は この 憲 法 草 案 を審 議 す る前 に全 人 民 の 討議 に付 す る こ と を 決 定 して,1948年
2月13日 か ら4月25日 まで 全 人 民 的 討 議 を実 施 した 。 こ の過 程 で,憲 法 草 案 を 支持 す る5万8千 通 の手 紙 と220件 の修 正,補 充 意 見 が受 理 さ
7}
れ た といわ れ て い る。 この よ う な全 人 民 的 討 議 に よ って修 正 補 充 され た 憲 法 草 案 は,1948年4月28日 に 招 集 され た北 朝 鮮 人 民会 議 特 別 会 議 で 審 議 され た 。 同会 議 は,翌 日の29日,憲 法 草 案 に対 す る全 人 民 の討 議 結 果 を総 括 して,今 後 樹 立 す べ き朝 鮮最 高 立 法機 関 で 承認 を受 け る こ と を前 提 に,臨 時 憲 法 草 案 を 原 案 どお り可 決 した 。
1948年7月10日 に 北 朝 鮮 人 民 会 議 第5回 会 議 が 開 か れ,全 朝 鮮 が 統 一 され る と き まで 北 朝鮮 人 民 会 議 特 別 会 議 で 賛 同 した 憲 法 草案 は
,北 朝 鮮 内 の地 域 で施 行 す る こ と と,こ の憲 法 に基 づ い て全 朝 鮮 の最 高立 法 機 関 を選 挙 す る こ と を決 定 した 。 そ こで1948年8月25日,総 選挙 を実 施
8)
して最 高 人 民会 議 代 議 員572名 を選 出 した 。
か くて1948年9月2日 か ら最 高 人 民 会 議 第1期 第1回 会 議 が 平 壌 で 開 催 され た。 この 会議 で は,憲 法 制 定 委 員 会 を組 織 して,同 委 員 会 は既 に北 朝 鮮 で 実 施 され て い る憲 法 を朝 鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国憲 法 草 案 とす る こ と を決 定 して,最 高 人 民 会 議 の 審 議 に提 出 した 。 そ して,1948年
9月8日,=満 場 一致 で朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 憲 法(以 下,こ の憲法 を48 年 憲法 と称す ることにす る)を 採 択 して,同 日か ら施 行 す る よ う に した 。 この憲 法 の規 定 に よ って,金 日成委 員長 を首 相 とす る 内閣 と最 高 人 民 会 議 常 任 委 員 会 を選 出 し,翌 日の9月9日 に 「朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国」
9)
の樹 立 を正 式 に 宣布 した。
と ころ で,韓 国 が 憲 法 の 制 定 に公 式 に着 手 した の は,1948年5月31
日に国会が構成 された ときか らであ るの に対 して,北 朝鮮で はそれ よ り 半年 も早 く憲法 の制定 に着 手 した理 由は何 で あろうか。金 日成委 員長は
「北朝鮮で は,朝 鮮 民主主義共 和国憲法の基本精 神がす で に実生 活で具 現 され てい ます。 …… したが って,一 日も早 く朝鮮民主主義人民共和 国 憲法 を実施 し,南 北朝鮮 の人民を代表す る全 朝鮮最高主権機関 をうちた
まわ
て なけれ ば な り ませ ん」 と述 べ て い る。 確 か に,北 朝鮮 憲 法 は,そ の 内 容 にお い て,既 に1946年2月 に樹 立 され た北 朝 鮮 臨 時 人 民 委 員 会 で 制 定 した土 地 改 革,労 働 保 護,男 女平 等,重 要 産業 の 国 有 化 な どに関す る 法 令 の 内容 を確 認 す る もの で あ った し,ま た政 権 の形 態 も臨 時 人 民 委 員 会 の人 民 民主 独 裁 を発 展 させ た プ ロ レタ リア ー ト独 裁 を規 定す る もの で あ った 。 しか し,ま た別 の 見 方 も存 在 す る。 す なわ ち,北 朝 鮮 が 憲 法 の
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調定 を急 いだ主要 な動機iは 「第一 に,既 に実施 した経済 的,政 治的及 び 社 会的改革 と統制 を法 的に強 固 に しようとす ること,第 二 に朝鮮半 島に お いて逸速 く憲法 草案 を発表す ることで生ず る宣伝的利 点,第 三 に国連 臨時委員 団の活動 を妨害 して,北 朝鮮で選 挙 を実施 しようとす る同委員 団の努 力を挫折 させ ること,第 四 に主 にソ連 と ソ連 の衛星 国家か ら北朝 鮮が合法 的 な政府 及び 国際的 な政府であ るとい う国際的 な外交承認 を獲
ラ
得 す るた め の もの に大 別 して見 る ことが で き るで あ ろ う」 と い うので あ る。
]3)
この憲 法 は,10章,104条 で構 成 され てい るが,1936年 の ソ連 憲 法(ス ター リン憲法)の 大 き な影 響 を 見 る こ とが で き る。 例 え ば,統 治 構 造 に お い ては,最 高 主 権 機 関 と して最 高 人 民会 議 とそ の常 任 委員 会 を設 け た こ と(3章1,2節),内 閣構 成 員 と して,首 相,副 首 相 の ほ か 各 相(国 防相以下)を 列 記 した こ と(58条),こ れ らが 最 高 人 民 会議 に対 して宣 誓 す る こ と(61条)な どが,そ の例 で あ り,ま た 公 民 の権 利 と義 務 に関 し
て も,単 一 民族 で あ る とされ る北 朝 鮮 に あ って 「① 朝鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国 の公 民権 を もっ 少 数 民族 は,朝 鮮 公 民 と 同等 の 権利 を有 す る。 ② こ れ らの少 数 民族 は 自己 の母 国 語 を使 用 す る 自 由 を有 し,自 己 の 民族 文 化 を発 展 させ る こ とが で き る」(31条)と 規 定 した ご とき は(こ の規定は72 年 憲法 の制定 にお いて削除され た)}ソ 連 憲 法 の 影 響 が いか に大 きか った
の
か を端 的 に示 す もの と思わ れ る。 た だ し,北 朝 鮮 憲 法 で は朝 鮮 労働 党 の 地 位 を 明 文化 した 規 定 をお か なか った が,こ れ は ソ連 憲 法 と大 き く異 な
る点 で あ る。
事 実,北 朝 鮮 憲 法 公 布4周 年 記 念 式 典 で,当 時 の法 務 相 リー ・ヨ ング は,公 然 と,「1948年9月8日 の 最 高 人 民会 議 第1回 大 会 でi採択 さ れ た 共 和 国憲 法 は,世 界 で 最 も普 遍 的 か っ 民主 的 な憲 法 で あ る。 何 故 な らば, 共和 国 の憲 法 は,そ れ を草案 す るの にお い て全 国的 な討論 を実 施 した し,
ス タ ー リン憲 法 の最 も罠主 的 な特 性 をす べ て継 承 した た め で あ る◎ … … また,共 和 国憲 法 は我 々が ソ連 の助 力 に よ って達 成 した 民主 的 業 績 にt
t5)
そ の基礎 を置 いてい るもので もある」 と述べ ているので あ る。
ともあれ,こ の憲法 の性格 は人民民主主義段 階 の憲法で あ り,所 有綱 で は国家的,協 同団体 的所 有のほか に個人所有,個 人経営が認め られ3 国家機関 の体系で は最 高主権機 関が最高人民会議 と規定 され,そ の休会 中 におい ては その常任委員会 を最高主権機 関 と規 定 した。 また 内閣 は濁 家 主権の最高執行機関 とされ,内 閣首相 の地位 はこの憲法が施行 され る や 現在の金 賃成主席が 占めたのであ る◎
注
1).s憲 法 の 制 定経 過 につ い て はa福 島 正 夫,前 掲 書,a◎ 頁 以下,及 び, 法 制 処,前 掲 書,65頁 以下 を 主 に参 照 した ◎
乞)祖 国 光 復 会10大 綱 領 の 全 文 は,福 島正 夫,前 掲 書,223頁 に 収 録 さ れ て い る0福 島 教 授 は こ の10大 綱 領 を 「共 和 国(北 朝鮮)憲 法 の始 源 とい え よ う」 と述 べ,更 に 「(それ は 〉マ ル ク ス ・レー ニ ン主 義 を 当時 の 朝 鮮 の 境 実 に創 造 的 に適 用 した も の で,朝 鮮 革 命 の性 格 を反 帝反 封 建 の 民 主 主 義 革 命 と規 定 す る入 民 政 府 の路 線 で あ る。 した が っ て,そ れ は綱 領 で あ りな が ら,朝 鮮 人 民 が 将 来 う ちた て るべ き国 家基 本法 の萌 芽 で もあ った 。 の ち の20ヵ 条 政 綱,さ らに共 和 国 憲 法 に っ なが る革 命 の 法 統 は,そ の源 を こ こに み い 出す の で あ る」(福 島 正 夫,前 掲 書,23頁)と 評 価 して い る。
3)「 朝 鮮 労 働 党 の 創 立 は1945年10月 ユ0臼 と され,こ の 日が 党 創 立 記 念 日と な って い る。 しか し,こ の ヨ創 立 され た のは 朝 鮮 共 産 党 北 朝 鮮 組 織 委 員 会 で,1946年8月 それ が 朝 鮮 新 民 党 と統 合 して 北 朝 鮮 労 働 党 が 結 成 さ れ た の で あ る」(福 島正 夫,前 掲 書s29頁)。
4)「20ヵ 条 の 政 綱 」 の 訳 文 は,福 島 正 夫s前 掲 書,223〜224頁 に収 録 さ れ て い る。 また,こ の 「20ヵ 条 の政 綱 」 を 福 島教 授 はrこ の政 綱 は,民 族 独 立 達成 の 時 期 に,前 項 の祖 国光 復1◎大 政 綱 を 具体 化 し発展 させ た も の
で あ って,政 権 構 成 の原 則,公 民 の基 本 的 な 自 由 と権 利,経 済,財 政,労
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働,教 育 文 化,保 健 等 の広 範 な領 域 にわ た り,法 律 の形 は と らな いけれ ど も,将 来 の憲 法 の 中 核 と して の 性 格 を もつ 」(福 島正 夫,前 掲 書,26頁) と評 価 す る(下 線 部 は,原 文 の ま ま 〉。 これ に対 して,姜 求 真 教 授 は 「こ の 『20ヵ 条 の 政 綱 』 を 注 意 深 く研 究 してみ れ ば,こ れ は1936年 の ソ連 憲 法 で採 択 され た政 治 的,経 済 的 諸 制 度 を簡 略 に した文 句 で要 約 した もの に 過 ぎ ない とい う結 論 に必 然 的 に到 達 す るよ う に な る」 とい う(姜 求真 『北 韓 法 到 研 究』(刈 音,博 英 社,1975年)16〜17頁)。
5)こ の時 期 に制 定 され た代 表 的 な法 令(法 律)と して は,北 朝 鮮 土 地 改 革 に 関す る法 令(1946年3月5日),北 朝 鮮 労 働 者 及 び事 務 員 に 対 す る労 働 法 令(同 年6月24日),北 朝 鮮 の 男 女 平 等 権 に対 す る法 令(同 年7月30
日),北 朝 鮮 臨 時 人 民委 員会 の 産 業,交 通 運 輸,逓 信,銀 行 等 の 国 有 化 に 関す る法 令(同 年8月10日)が あ る(こ れ らの 法 令 の 訳 文 は,福 島正 夫 , 前 掲 書 の巻 末 に収 録 され て い る),,こ れ らは一 面 に お い て は 農 民 や 労働 者 の支 持 を得 る こ とで 「早 期 に社 会 主 義 体制 を樹 立 しよ う と の計 画 か ら始 め られ た 」(法 制 処,前 掲 書,66頁)も の で あ る こ と も容易 に想 像 で き るが , そ の 内容 が 進 歩 的 で あ る こと は否 定 で き な い。
6)福 島教 授 に よれ ば,こ の選 挙 は 「99.6%の 高 い得 票 率 を も って道 ・市 ・ 郡 人 民 委 員会 委 員 の選 挙 と して,実 施 され た 」(前 掲 書,28頁)と い う。
7>金 日成 は,こ の全 人 民討 議 にっ い て 「わ が 祖 国 に作 り出 され た この よ う な緊 迫 した 情 勢 に て ら して,わ が党 は 北朝 鮮 の 民 主 的 な諸 政 党,大 衆 団 体 と と も に,朝 鮮 人 民 の進 む べ き道 を も う一度 明 らか にす るた め,人 民 の要 求 と完 全 に一致 す る臨 時 憲 法 草 案 を作 成 し,全 人 民 の 討議 にか け ま した 。 い ま,わ れ わ れ は南 北 朝 鮮 人 民 全 体 の 熱烈 な支 持 の も と に,憲 法 草 案 の 討 議 を行 な って い ます 。 わ れ わ れ が 発 表 した 憲 法 草案 は,北 朝 鮮 人 民 が 政権 を 自分 の 手 に に ぎ り,解 放 後 の2年 間 に社 会 の 民 主 主義 的 改 革 を実 施す る 過 程 で か ち と った獲 得 物 を法 的 に確 認 し,固 着 させ,全 朝 鮮 人 民 に,わ が 祖 国 の進 む べ き道 を さ し示す 歴 史 的 な文献 で あ ります 」(『金 日成 著 作 選 集』
第1巻(平 壌,平 壌 外 国文 出版 社,1970年)221頁 。 こ こで は福 島正 夫, 前掲 書,32頁 か ら引 用 〉 と述 べ て い る。 こ の 人 民 討 議 の 形 式 は,1936年 の ス ター リン憲 法 の 制 定 にお い て採 用 され,そ の後,通 常,社 会 主 義 国 で は行 わ れ た もの で もあ る。 も っと も,1972年 に 全面 改 正 され た際 に は,人
民討 議 は行 わ れ なか った。
8)北 朝 鮮 で は,こ の 「南北 総 選 挙 」 に は,北 半 部 で は 全 選 挙 人 の99。7%, 南 半 部 で は77.9%が 参 加 した と い う(『 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共和 国 の 国家 ・ 社会 体 綱 』(日 本 評 論 社,1966年)27頁 以下 。 こ こで は,福 島正 夫,前i掲 書,3◎ 頁 か ら引 用)。 そ して,最 高 人 民 会 議 の代 議 員572名 の う ち212名
は北 半 部 の地 域 か ら,360名 は 南半 部 の 地 域 か ら選 出 した と主 張 して い る (法制 処,前 掲 書,68頁 〉。
9)従 って,北 朝鮮 で は毎 年9月9日 を創 建 日と して 記 念 して い る。
10)韓 国憲 法 の制 定 経 過 にっ い て は,拙 稿 「韓 国第 一 共 和 国憲 法 制 定 前 史 に 関 す る一 考 察 解 放 か ら制 憲 国会 の構 成 に 至 る ま で の 政 治 的 背 景 を 中 心 と して 一一 」 『言 語 文 化研 究 』 第9号(1987年)所 収,を 参 照 され た い。
11)『 金 日成 著 作 集 』 第1巻(未 来 社,1970年)113頁 。 こ こで は,福 島正 夫t前 掲 書s32頁 か ら引 用 。
12)姜 求 真,前 掲 書,26頁 。
13)こ の 憲 法 の 日本 語 訳 と して は,1957年 まで の改 正 を経 た も の で は あ る が,福 島正 夫s前 掲 書,巻 末 お よ び金 圭 昇 『朝鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国 の法 と司 法 翻 度 』(日 本 評 論 社f1985年)の 巻 末 に収 録 され て い る。
14)ソ 連 憲 法 と の類 似 性 にっ い て,姜 求 真 教 授 は 「北 朝 鮮 の種 々の政 府 機 関 の機 能 が,ソ 連 のそ れ と類 似 性 が 多 い こ とは 勿 論 で あ る。 一 っ だ け 明 白 な 差 異 点 は,北 朝 鮮 の権 力構 造 が も っと簡 単 で あ る と い う こ と で あ る。 北 朝 鮮 は単 一 民族 に よ って構 成 され,そ の規 模 も小 さ い ので,連 邦 共和 国,自
治 区,そ して ソ連 に存 在 す る他 の属 国 の 複 合 体制 を採 択 す る必要 性 が な い ので あ る。 のみ な らず,ソ 連 で の よ うに 『国 家評 議 会 』 も必 要 な い。 北 朝 鮮 憲 法 に規 定 され た 公 民 の権 利 と義 務 は ソ連 憲法 の そ れ と殆 ど一致 して い る・ 北 朝 鮮 憲 法 で 一 っ だ け規 定 して い ない点 は,ソ 連 憲 法(ユ26条)が 共 産 党 の 地 位 を承 認 す る規 定 を置 い て い る の に反 して,北 朝 鮮 憲 法 は 労働 党 の地 位 を 明 文 化 した条 文 を置 か な か った と い う事 実 で あ る」(姜 求 真,前 掲 書,27頁)と 論 断 す る。 しか し,福 島 正 夫 教 授 は,ソ 連 憲 法 の影 響 を 認 め な が らも,そ の章 構 成 な どに独 自性 を見 いだ して い る(福 島正 夫,前 掲 書,35頁 参 照)。
15)姜 求 真,前 掲 書,20〜21頁 か ら引用 。
朝鮮民主主義人 民共和 国憲法史 につ いての一素描
3.48年 憲 法 の 改 正
こ の48年 憲 法 は,そ の 後,幾 度 か 部 分 的 な 改 正 が 行 わ れ た 。 ま ずわ
1954年10月30日 の最 高 人 民会 議 第1期 第8回 会 議 で ,最 高 人 民 会 議 の 任 期 を3年 か ら4年 に延 長 し,地 方 主権 機 関 で あ る 「各 級 人 民 委 員 会 」 を主 権 機 関 と して の 「各 級 人 民会 議 」 と これ に よ って選 挙 され る執 行機 関 と して の 「人 民 委 員 会 」 に分 離 した 。 「これ は地 方 国家 機 関体 系 の大 き な発 展 を意 味 す る と とも に,中 央 の地 方 に対 す る指 導 を強 力化 した も の と考 え られ る。 っ ま り民 主 主 義 的 中央 集 権 制 の い っそ う の前 進 とみ る
2}
べ きで あ る」 とい わ れ る。
翌1955年3月11日 の最 高 入 民 会 議 第1期 第9回 会 議 で は,最 高 人 民 会 議 常 任 委 員 会 の構 成 及 び 内 閣 の構 成 に 関す る条 項 を簡 明 に した 。続 い て,1956年11月5日 の最 高 人 民 会 議 第1期 第12回 会 議 で は,選 挙 権 及 び 被 選 挙 権 の年 齢 を満20歳 か ら満18歳 に引 き下 げ た。
さ らに,1962年10月12日,最 高 人 民 会議第3期 第1回 会 議 で,最 高 人 民 会 議 代 議 員 の選 出基 準 を,「 人 口5万 人 当 た り1人 」 か ら 「人 口3 万 人 当 た り1人 」 に増 や し,最 高 人 民会 議 に対 す る 内閣 構 成 員 の宣 誓 を 廃 止 した。
と こ ろで,48年 憲 法104条 はf「 朝 鮮 民 主 主i義人 民共 和 国 憲 法 の修 正3)
は,最 高 人 民会 議 に お い て の み,こ れ を行 う こ とが で き る。 憲 法 の修 正
の
に関す る法令の草案は,最 高人民会議代議員 の3分 の2以 上の賛成 によ っ
5)
て採 択 す る」(「法令」 とは,日 本 におけ る 「法律」を意味す る独 自の用語で あ る〉 と規 定 して い る。 した が って,憲 法 を 「法 令 」 の 一 つ の 形 式 と理 解 し,「 法 令 」 に よ って憲 法 を改 正 す る こ とが で き るよ うで あ る。 も っ
とも,「 法令 の 採 択 は,そ の会 議(最 高人民会議…筆 巻)に 参 席 した 代 議 員 の 多 数 決 で 行 う」(40条2項)と され て い るの で,少 な くと も議 決 定 足 数 の面 か らは憲 法 の最 高規 範 性を 見 る こ とは で き るが,し か し,憲 法
制 定 にお い て全 人 民 的 討 議 を華 々 し く伝 え た こ と と比 較 す る と き,対 照 的 で は あ る。
また 憲 法 の 改 正 は最 高 人 民会 議 で のみ 行 う こ とが で き る と規 定 して い るが(37条 但書1号),い ま 明 らか に な っ て い る1956年11月7日 に行 わ れ た 憲 法12条(選 挙権年齢)の 改 正 にっ い て の最 高 人 民会 議 で の 資 料 を 見れ ば,「 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国主 権 機 関 にお け る選 挙 権 及 び 被 選 挙 権 を有 す る公 民 の年 齢 に 関す る1956年9月1日,朝 鮮 民 主 主i義人 民 共 和 国最 高 人 民会 議 常 任 委 員 会 政 令 を承 認 して,こ れ に関 連 して朝 鮮 民主 主 義 人 民 共 和 国 憲 法 第12条 第1項 中 《満20歳 》 と い う文 句 を 《満18
6)
歳 》 に変 更 して,次 の よ う に叙 述す る」 と記 載 され て い る。 この よ うに
「1948年 憲 法 を5次 にわ た って 改 正 す る過 程 を 見 れ ば,憲 法 の 修 正 を 直 接 目的 とす る法 令 草 案 が 最 高 人 民会 議 に 提 案 され た 場 合 は なか った よ うで あ り,大 概 は最 高 人 民会 議 が常 任 委 員 会 政令 を 承 認す る過 程 で 憲 法
7)
の修 正 が 付 随 的 に な され た もの と 見 られ る。 … …結 局,憲 法 に違 う政 令 を既 に施 行 して,そ の後 に最 高人 民 会 議 が 開会 され た と きに政 令 に合 わ
8)
せ て憲 法 を修 正 す る と い う こ とを意 味 す る」 と思わ れ る。 した が って, 実 体 面 にお い て北 朝鮮 憲 法 が 最 高 規 範 性 を有 す るの か はr疑 問 で あ る。
注
1)こ こで 「幾 度 か」 と書 い た の は,北 朝 鮮 の 公 式 資 料 に基 づ い て執 筆 され た と思 わ れ る福 島正 夫 教 授 の前 掲 書 と,韓 国 側 の 資 料 と の間 に食 い違 い が 見 られ るか らで あ る。 本 章 で は,福 島 正 夫教 授 の 記 述 に従 った が,韓 国側 の 資 料 に よれ ば1948年 憲 法 は5回 改 正 され た と い う。 参 考 と して,以 下 に,韓 国 側 が 主 張 す る改 憲 の経 過 と そ の主 要 内 容 の表 を掲 載 してお く(法 制 処,前 掲 書,69〜70頁 か ら翻 訳 引用)。
朝鮮 民主主義人民共和 国憲法史 にっ いての一素描
区 分 改 正 日 主 要 内 容
第1次 1954.4.23 ・地 方 行 政 区 域 の う ち 「面 」 を 廃 止 して
,「 邑 」 と 「労 働 者 区 」 を新 設(38条2項8号)
・内 閣 の 構 成 員 を 一 部 変 更a)
第2次 1954.10.30 ・最 高 人 民 会 議 代 議 員 の 任 期 を 「3年 」 か ら 「4 年 」 に 延 長(36条)
・地 方 主 権 機 関 で あ る 「各 級 人 民 委 員 会 」 を 「各 級 人 民 会 議 」 と 「人 民 委 員 会 」 に分 離(5章)b) 第3次 1955.3.11 ・ 「里 人 民 委 員 会 」 を 「里 人 民 会 議 」に改 正(3条)
・最 高 人 民 会 議 常 任 委 員 会 の 構i成員 の 定 数 を 「副 委 員 長2名 」 「委 員17名 」 か ら各h「 副 委 員 長 若 干 名 」 「委 員 ら」 に 改 正(48条)
・最 高 人 民 会 議 常 任 委 員 会 の 権 限 中 「外 国 と の 条 約 の 批 准 」 を 「外 国 と の条 約 の 批 准 及 び 廃 止 」 に改 正(49条2項8号)
・内 閣 が 「決 定J及 び 「指 示 」 を 公 布 す る こ と が で き る よ う に して い た の を,「 決 定 」 及 び 「命 令 」 を 公 布 す る こ と が で き る よ う に 改 正(55
・地 方 主 権 機 関 の 権 限 を 一 部 変 更(5章)条1項)
第4次
c)
1956.11.7 ・選 挙 権 及 び 被 選 挙 権 の 年 齢 を 「20歳 」 か ら
「18歳 」 に 引 き下 げ た(12条1項) 第5次
d)
1962.lo.18 ・最 高 人 民 会 議 代 議 員 の 選 出基 準 を 「人 ロ5万 人 当 た り1人 」 か ら 「人 口3万 人 当 た り1人 」 に 変 更(35条)
・内 閣 で 採 択 した 決 定 は 「首 相 」 が 署 名 ・公 布 す る よ う に して い た の を,「 首 相,副 首 相 と 関 係 相 」 が 署 名 ・公 布 す る よ う に した(57条2項)
・内 閣 構 成 員 を 具 体 的 に 列 挙 し て い た の を ,「 首 相,第 一 副 首 相,副 首 相 ら,各 相 」 と 抽 象 的 に 規 定(58条)
・内 閣 構 成 員 の 調 整 に 伴 い
,首 相 に事 故 が あ った と き の 職 務 代 理 者 の 順 序 を 調 整(59条)
・首 相 ・副 首 相 ・相 の 就 任 時 の 宣 誓 条 項 を 削 除 (61条)
※a)こ年3月の と き の58条 の 改 正 内 容 に っ い て の 明 ら か な 資 料 は な い が ,1955 11日 の 憲 法 改 正 に お け る58条 に 対 す る改 正 内 容 と 関 連 して 見 る と き,58 条 で 列 挙
さ れ て い た 内 閣 構 成 員 の 一 部 を 変 更 した も の と 思 わ れ る 。
b)特 に,74条 で 列 挙 さ れ て い た 地 方 政 権 機 関(各 級 人 民 会 議)の 任 務(権 限)を 削 除 した も の と 思 わ れ る 。
c)福 島 正 夫,前 掲 書 は,こ の 憲 法 改 正 の 日を11日5日 と す る 。d)福島
2)福 島 正 夫,前 掲 書,35頁 。
3)北 朝 鮮 で は 憲 法 の 内 容 を変 更 す る こ とを 「修 正 」,法 令 の 内容 を変 更 す る こ と を 「改 正 」 と い う。
4)現 行(1972年)北 朝 鮮 憲 法 で規 定 して い る成 文 法 の種 類 は,憲 法 ・法 令 ・命 令 ・政 令 ・決 定 ・指 示 の6種 類 が あ る。 憲 法 の制 定 及 び 改 正 は 最 高 人 民会 議 の在 籍 代 議 員3分 の2以 上 の賛 成 で行 わ れ る。 法 令 もや は り最 高 人 民会 議 の 出席 代 議 員 の過 半 数 で制 定 され るが,最 高 人 民 会 議 の 休 会 中 の と き は最 高 人 民 会 議 常 設 会 議 で 法 案 を審 議 ・決 定 して,次 回 の 最 高 人 民会 議 の承 認 を受 け る。 行 政 立 法 に属 す る もの と して,朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国主 席 の 「命 令 」,中 央 人 民 委 員 会 の 「政 令 」 「決 定 」,政 務 院 の 「決 定 」 及 び各 級 国家 機 関 の 「指 示 」 が あ る。
5)1948年 憲 法 の 条 文 引 用 は,福 島 正 夫,前 掲 書 巻 末 に 収 録 され て い る 日 本 語 訳 に よ った 。
6)法 制 処,前 掲 書,72頁 。
7)こ の 推 察 の根 拠 は,「 明 らか な 資料 は な い が,憲 法 修 正 が あ った 第1期 第7回 会 議(1954.4),第1期 第8回 会 議(1954.10),第1期 第9回 会議
(1955.3),第1期 第12回 会 議(1956.11),第3期 第1回 会議(1962.10) の議 案 中 に は憲 法 修 正 に 関 す る事 項 は な く,『 最 高 人 民 会 議 常任 委 員 会 政 令 承 認 に 関 して』 とい う議 案 が 見 られ る。 北 朝 鮮 の最 高人 民会 議 資料 集 な
どを 通 じて具 体 的 な修 正 内 容 を知 る こ と の で き る憲 法12条 修 正(第4次 修 正,1956.11.7)の 場 合 に も,議 案 は 『法 令 改 正 案 』 で あ るが,そ の 内
容 は 政 令 承 認 に関 連 して,憲 法12条 を修 正 す る事 項 及 び 内 閣構 成 法 の 改 正,そ して 『国 民所 得 税 に関 して』 と い う法 令 の改 正 が 含 まれ て い る こ と か ら見 て,す べ て の憲 法 修 正 が 政 令 承 認 過 程 で な され た も の と見 られ る」
(法制 処,前 掲 書,72頁)こ と に あ る。
8)法 制 処,前 掲 書,71〜72頁 。
4.72年 憲 法 の 制 定 経 過
北 朝 鮮 は,1972年12月27日 に,最 高 人 民 会 議 第5期 第1回 会 議 で, 全 文11章149条 か ら な る 新 し い 憲 法 を 制 定 して,同 日か ら施 行 した 。
朝鮮 民主主義人民共和 国憲法史 にっ いての一 素描
名称 も,従 来 の 「朝鮮 民主主義 人民共和 国憲法」 か ら 「朝鮮 民主主義人
ユ
民 共 和 国社 会 主 義 憲 法 」(以 下,こ の憲法を72年 憲法 と称す ることにす る) へ と変 え た 。 こ の 憲 法 改 正 は,実 質 的 に は 新 憲 法 の 制 定 で あ り,48年 憲法104条 の 「修 正(改 正)」 の範 囲 に 入 る の か 疑 問 も あ るが,72年 憲 法 で は この疑 問 を解 消す るた め で あ ろ うか 「憲 法 お よ び法 令 を採 択 また
は修 正 す る」(76条1号)と 規 定 して い る。
と こ ろで,最 高 人 民 会 議 で72年 憲 法 の 草 案 報 告 を行 った の は金 日成
2)
首 相 自身 で あ った が,そ の報 告 にあ る制 定経 過 にっ い て の記 述 は次 の と お りで あ る。 す なわ ち,
「同志 のみ な さん/朝 鮮 人 民 が そ の歴 史 上 は じめ て真 の人 民 の憲 法 を も ち,共 和 国 の旗 の も と に新 しい社 会,新 しい 生 活 を創 造 す る道 にふ み だ した と きか ら24年 が 過 ぎ さ りま した 。 この 期 間 に,わ が 人 民 は 朝 鮮 労 働 党 の賢 明 な指 導 の も と に,社 会 主 義 革 命 と社 会 主 義 建 設 で偉 大 な 成 果 を お さ め ま した。 そ の 間,わ が 国 に は文 字 どお り天 地 開 び ゃ くが起
こ り,わ が 人 民 の政 治 ・経 済 ・文 化 生活 に は画 期 的 な変 化 が 起 こ り ま し た 。 こん に ち のわ が 国 の現 実 は,新 しい社 会 主 義 憲 法 を制 定 す る こ とに よ って,わ が 人 民 が 社 会 主 義 革 命 と社 会 主 義建 設 で お さめ た 偉 大 な成 果 を 法 的 に固 定化 し,社 会 主 義 社 会 に お け る政 治 ・経 済 ・文 化 分 野 の諸 原 則 を法 的 に規 定す る こ と を切 実 に求 め て い ます 。 この こ とか ら,わ れ わ れ は朝 鮮 民主 主 義 人 民 共和 国社 会 主 義 憲 法 起 草委 員 会 を組 織 し,社 会 主 義 憲 法 草 案 を作 成 しま した 。 朝 鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国社 会 主義 憲 法 草 案 は,朝 鮮 労 働 党 中央 委 員会 総会 で 討 議 され,祖 国統 一 民主 主 義 戦 線 中央 委 員 会 の審 議 を経 て最 高人 民会 議 に提 出 され ま した。 この た び の最 高 人 民会 議 で,朝 鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国社会 主 義 憲 法 を制 定 す る こ とは,わ が 人 民 の 革 命 闘 争 と建 設 事 業 で歴 史 的 な意 義 を もっ 大 き な 出来 事 と な り
ヨラ
ま し ょ う」 と 。 一 般 的 に い っ て,社 会 主 義 国 の 憲 法 草 案 報 告 で は,起 草
委 員 会 の設 置,そ の後 の審 議,人 民 討議 の 内容 な ど制 定 過 程 を詳 細 に説 明す る例 が 多 い が,北 朝 鮮 の72年 憲 法 の制 定 に 際 して の報 告 で 憲 法 制 定 の過 程 にっ い て触 れ られ て い る箇 所 は,こ こに記 した もの がす べ て で あ る。 した が って,い か な る過 程 を経 て72年 憲 法 が 制 定 され た の か を
4)
知 るた め に は,他 の資 料 に頼 る ほか な い。
まず,い っ 新 憲 法制 定 の決 議 と起 草 委 員 会 の設 置 が な され た の で あ ろ うか 。1970年11月 の朝 鮮 労働 党 第5回 大 会 で 金 日成 首 相 の報 告 は新 憲 法 の制 定 につ い てふ れ て お らず,ま た大 会 の 決議 もそれ に関 した も の は な い ので,新 憲 法 制 定 の決 議 と起 草委 員 会 の 設 置 は,こ の大 会 以 後 の時
5)
期 で あ る こ とは 明 白で あ るが,公 表 資 料 が な くて具 体 的 には 分 か らな い。
憲 法 草 案 が 公 表 され た の は,憲 法 が 採 択 され る僅 か2ヵ 月前 の1972 年10月23日 か ら10月26日 まで 開 か れ た 朝 鮮 労 働 党 中 央 委 員 会 第5回 総 会 の 記事 で あ る。 こ の会 議 の議 案 第1号 は 「朝 鮮 民主 主義 人 民共 和 国 社 会 主 義 憲 法 につ い て」 で あ った 。 総 会 で は 多 くの 出席 者 が 討論 に参 加 し,金 日成 朝 鮮 労 働 党 総 秘 書 が 議 案 の憲 法 草案 につ き重 要 な発 言 を行 っ た と い う。 そ して,憲 法 草 案 を全 面 的 に支 持 賛 同 し,こ れ を最 高 人 民 会 議 と祖 国統 一 民主 主 義 戦 線 中央 委 員会 の審 議 にか け る こ と を満 場 一 致 で 可 決 した 。
そ こで,1972年12.月15日,祖 国統 一 民主 主 義 戦 線 中 央 委 員 会 第7回 会 議 で審 議 され,満 場 一 致 で採 択 され た 。 そ して最 高 人 民会 議 第5期 第
1回 予備 会 議 が12月22日 に 開 か れ,こ こで の審 議 を経 た後,本 会 議 に 移 され た とい う。
と ころ で,こ の制 定 過 程 で 若 干 の疑 問 点 が 生 ず る。 それ は,社 会 主 義 国 で は一 般 的 で あ り,ま た48年 憲 法 の 制 定 に 際 して も行 わ れ た 全 人 民 的 討 議 が,な ぜ72年 憲 法 の制 定 の 際 に は行 わ れ な か った の か 。 換 言 す れ ば,全 人 民 的 討 議 を経 る こ とがで き ない ほ ど急 い で新 憲 法 を制 定 しな
朝鮮 民主m人 民共和 国憲法史 にっ いての〜素描
け れ ば な らなか った 理 由は何 なの か,と い う ことで あ る。 金 日成 首 相 の 憲 法 草 案報 告 は,「 社 会 主 義 憲 法 の制 定 に よ り,共 和 国政 府 は プ ロ レタ リアー ト独 裁 の新 た な武 器 を もっ よ う に な り,わ が 人 民 は,社 会 主 義 の 完 全 な勝 利 と祖 国 の 自主 的 平 和 統 一 を な しとげ るた め の た た か いで,確 固 と した 法 的 裏 づ け を もっ こ とに な るで し ょう。 共和 国 北 半 部 で の社 会 主 義 憲 法 の実 施 は,社 会 の 民主 化 を 実現 し,祖 国 の 自主 的 平 和 統 一 を め ざ してた た か う朝 鮮 人 民 を 力強 くは げ ます で あ りま し ょう。 社 会 主 義 憲 法 が 実 施 され る こ とに よ り,わ が 人 民 の政 治 ・経 済 ・文 化 生 活 で は新 た な転 換 が お こ り,わ が 人 民 は,自 己 の偉 業 の 正 しさ を深 く確 信 し,社 会
6)
主 義 ・共 産 主 義 の道 を 力強 く前 進 す る こ とで し ょう」 と,憲 法 剥 定 の意 義 や使 命 にっ い て は と うと う述 べ るが,そ の制 定 の動 機 につ い て は7今 一 っ 明確 で は な い。
韓 国 の研 究 者 た ち は,当 時 の様 々 な事 情 を勘 案 して,72年 憲 法 の 制
り
定 の理 由 をお お よそ 次 の よ うに解 してい る。 まず 第 一 に,人 民民 主 主 義 憲 法 で あ った48年 憲 法 が 社 会 主 義 に移 行 した とす る北 朝 鮮 の 主 張 に合
8)
わ な くな り,ま た,チ ュチ ェ(主 体)思 想 と い う新 た な理 念 も憲 法 に入 れ る必要 が あ った た め で あ る。 第 二 にa国 内政 治 的理 由 と して は,権 力 が 安 定す る に従 い,国 内 の権 力 の 中心 を 労働 党 か ら政 府 に移 転 す る必 要 が あ った た め で あ る。 第 三 に,国 際政 治 的理 由 と しては,中 国 とソ連 の 対 立か ら距離 を お き,非 同盟 諸 国 の り一 ダー と して位 置付 け るた め には,
内 閣 首相 よ りは 国家 元 首 で あ る主 席 に な る こ とが都 合 が 良か った た め で あ る(従 来は,国 家元首は崔庸健 ・最 高人民会議常任委員会委員長 と解 され
9ラ
ていた)。 第 四 に,こ の時 期 に 南 北 の秘 密 裏 の 接 触 が あ った だ け に,将 来 の 南北 交 渉 にお い て不 利 に な らない よ う に,韓 国 の大 統 領 ・国務 総 理 制 に対 抗 で き る よ うに主 席 ・政 務 院総 理 制 へ の 改 憲 を した と い う。
韓 国 の研 究 者 が 制 定 理 由 と して挙 げた もの の 当否 は と も あれ,全 人 民
的 討 議 も な く短 期 間で 制 定 した こ とは,や は り通 常 の理 解 を越 え る もの
10)
といわ なけれ ば な らな い。
11)
こ の72年 憲 法 の 特 色 と して は,ま ず 第 一 に,そ の 名 称 に お い て 「社 会 主 義 憲 法 」 と した こ とで あ るが,こ れ は 他 に例 を 見 な い も ので あ り,
北 朝 鮮 が 社 会 主 義 国家 で あ る こ とを 宣 言 す る ことで,い わ ゆ る人 民 民主 主i義に基 づ い て いた48年 憲 法 との違 い を 明確 に して い る。 した が って, 個 人所 有 制 を 認 め ず,生 産 手 段 の 国家 及 び共 同体 の所 有 を 規 定 した ・ 第 二 に,憲 法 草 案 報 告 で1新 し く起 草 され た社 会 主 義 憲 法 は,わ が 国 にお け る社 会 主 義 革 命 と社 会 主 義建 設 の 諸 成 果 を正 しく反 映 してお り,社 会 主 義 に お け る政 治 ・経 済 ・文 化 分 野 の諸 原 則 な らび に公 民 の・基 本権 利 と 義 務 を規 定 して お り,ま た 国家 機 関 の構 成 とそ の任 務 と活 動 原 則 を定 め
て い まず ㌔ と 述 べ て い る よ う に,そ の構 成 を 第1章 「政 治 」,第2章
「経 済 」,第3章 「文 化 」,第4章 「公 民 の 基 本 権 利 と 義 務 」,第5章
「最 高 人 民会 議 」,第6章 「朝 鮮 民 主主 義 人 民 共和 国 主 席 」,第7章 「中 央 人 民委 員 会 」,第8章 「政 務 院 」,第9章 「地 方 人 民会 議,人 民 委 員 会 お よび 行 政 委 員 会 」,第10章 「裁 判 所 お よび 検 察 所 」,第11章 「国章,
国旗 お よび 首 都 」 と して い るが,政 治 ・経 済 ・文 化 にそ れ ぞ れ 独 立 の章 を 当 て て い る点 は ユ ニ ー クで あ る。 第 三 に,綱 領 的 な規 定 が 多 く,特 に 文 化 の 章 に そ の傾 向 が 強 い 。 例 え ば,「 朝 鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国で は ・ 全 人 民 が学 び,社 会 主 義 的 民族 文 化 が 全 面 的 に開 化 発 展 す る」(35条),
「国家 は,あ らゆ る分野 で 古 い 社会 の 生 活様 式 を な く し,新 しい社 会 主 義 的 生 活 様 式 を全 面 的 に確 立 す る」(38条),「 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 にお い て公 民 の権 利 と義 務 は 『一 人 はみ ん なの た め に,み ん なは 一 人 の た め に』 と い う集 団主 義 の原 則 に も とつ く」(49条)な どで あ る・ 第 四
に,「 朝 鮮 民主 主 義 人 民 共 和 国 は,マ ル ク ス ・レー ニ ン主 義 をわ が 国 の 現 実 に創 造 的 に適 用 した 朝鮮 労 働 党 の チ ュチ ェ思 想 をそ の活 動 の指 導 指
朝鮮民主主義人民共和 国憲法史 にっ いての一 素描
針 とす る」 と して労 働 党 の憲 法 上 の地 位 を認 め た点 と,い わ ゆ る 「チ ュ チ ェ思 想 」 を憲 法 規 範 化 した こ とは,72年 憲 法 の大 き な特 色 の一 つ で あ る。 第五 に,権 力構 造 に お い て,国 家 主 席 制 を新 設 して,こ れ まで最 高 主 権 機 関 で あ った 最 高 人 民 会 議 常 任 委 員 会 を格 下 げ した。
と ころで,度 々引 用 して い る金 日成 首 相 のr憲 法 草案 報 告 」 で は,権 力機構 の変 動 にっ い て,人 民委 員会 と行 政機 関 を分離 させ た こと と,民 主 主義 中央 集権 制 の 原 則 をす べ て の 国家 機 関 の組 織 と活 動 の基 本原 則 と
して規 定 した こ と に言 及す る のみ で,国 家 主 席 制 の導 入 と中央 人 民 委員 会 の新 設,そ して最 高 人 民会 議 常 任 委 員 会 を常 設 会議 に格下 げ した 部 分
、に対 して は何 ら言及 して い ない。 これ は,憲 法 草 案報 告 が 「朝 鮮 民主 主 義 人 民 共和 国社 会 主 義 憲 法 は,も っ とも革 命 的 な憲 法 で あ り ます 。 国家 機 関 の体 系 を主 に して書 か れ た 憲 法 とは異 な り,社 会 主i義社 会 の政 治 ・ 経 済 ・文 化 分 野 に お け る諸 原 則 を全 面 的 に規 定 して い るわ が 国 の社 会 主
義憲 法 は,わ が党 と共 和 国政 府 の政 策 を擁護 し,社 会 主 義 革 命 の獲 得 物 を し っか りと守 る プ ロ レタ リア ー ト独 裁 の鋭 利 な武 器 と して,ま た,社 会 主 義 経 済 建 設 を力 強 くお しす す め,思 想 革 命 と文 化 革命 を 強化 し,社 会 主 義 的 生 活 様 式 を確 立 して全 社 会 を革 命化,労 働 者 階級 化 す る強 力 な
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手 段 と して服 務 す る こ とで し ょう」 と い って い る よ う に,「 国家 機 関 の 体 系 」 は さほ ど重要 で ない の か も しれ な いが,国 家 主 席 制 の新 設 は客 観 的 に 見 ると き統 治 構 造 にお け る最 も大 き な変 更 で あ る と思わ れ るだ け に, 不 自然 さを拭 い去 る こ と は で き な い 。 け だ し,72年 憲 法 が 規 定 す る 国 家 主 席 の地 位 と権 限 は 強 大 で あ り,「 朝 鮮 民 主 主 義 人 民共 和 国 主席 は, 国家 の首班 で あ り,朝 鮮 民主 主義 人 民共 和 国 国家主権 を代表す る」(89条), 北 朝 鮮 の 国家 主 権 の最 高 指 導 機 関 で あ る 「中央 人 民委 員 会 の 首位 は,朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 主 席 で あ る」(101条),中 央 人 民 委 員 会 を直 接 指 導 し,必 要 に応 じて最 高 主権 機 関 の行 政 的 執 行 機 関 で あ る政 務 院 会 議 を