入 門期 の 日本語 教育 にお け る ローマ字 使用 の意 味す る もの 0)
日本 人 の意 識 、 シ ンガ ポ ール 華 人 との 出会 い を 中心 に
鹿 島 英 一
1.は じめに
英語を習い始めたばか りの子供の頃を思い出す。先生の真似が うま くで き ない時など、その発音をカタカナでなんとか書 き留めようとした ものである。
やがて、初心者用の英和辞典にある発音記号を、また後には様々な外国語の 学習に絡んで国際音声符号 ( iPA) を覚えたために、 この方法 とは割に縁 遠 くなっていた。要 は、あまり推奨 されないものであるという気持ちが働い
たためであろう、 この方法を軽視 したのである。
だが、日本語を成人の外国人に教えるようになって暫 くしたころか ら、ま た再びこの方法が気にな り始めた。要す るに、その普遍性 l )に改めて気付い たのである
。というの も ( 音の種類がそう多 くないために)学習者にとって
も簡単だろうと思い込んでいた平仮名に、学習者が 自国語や英語等の馴れ親 しんだ文字でル ビを振 る光景に しば しば遭遇す るようになったか らである
。勿論、それは耳 と口だけでは平仮名の表す音がよ く捉まえ られないために行 な う暫定的な音の記憶法の一つなのだが、実際には上達後 も相 当長期間に 亙 って続 く傾向があ り、軽視できない。
ところで、学習者が日本語音を うま く捉え られない場合、現行の 日本語教
育では学習者の母語の ( 標準語の)音韻体系や IPA 等の音声符号を始めと
す る音声学の知識に基づいて、いろいろと矯正法を示せばよいというのが一
般的な了解のようである
。事実、その種の具休的な方法についての論 もよ く
見かける
2)。勿論、それはそれでいいのだが、現実の日本語教育の場で実行
す るのはそ う容易ではないためか、入門期の学習者には 「ローマ字表記」を
平仮名が定着す るまでの過渡的措置と称 して与え利用す る場合がかな り広範
に見 られる
。要す るに、 (クラス編成や学習者個々人の資質 ・経験 ・目的の
2 入 門期 の 日本語教育 におけ るローマ字使用 の意 味す る もの
多様性のために)始めか ら平仮名だけで押 し通す ことはあまりしないのであ る
3)。その際、理 由と して は 「 新概念の導入を円滑にす るための補助的 ・過 渡的な措置」とい うことが先ず考え られ る。だが、実際には ( 漢字圏の学習 者を含む)非 ラテ ン系文字の言語を常用 している学習者 に対 して も ( 幾 らか は蹄跨 しなが らも、結局 は)行なわれ るよ うであ る
。一方、( 基本的には同 じことの裏表の現象だ と思われ る) 日本人の中学生な どに対す る入門期の英 語教育では、( 新概念の円滑な導入を促す過渡的な手段 と して)カタカナを 使 うことをあま り快 く思わない風潮が強いよ うである
。従 って、 この両者を 併せて判断すれば、入門期の 日本語学習者 にローマ字を与え るという先の現 象 は学習者の便宜のみを考慮 した純粋 に教育技術的な ものではない らしいと
い うことになる
4)。しか も、 ローマ字の導入が必ず しも目的通 りの結果を生 まない ことも薄 々感 じている経験者が少な くないか ら尚更である。
実際、 これは考えてみれば不思議な ことであ る
5)。本稿 は、 ローマ字に対 す る 「 過大な評価」ない し 「 過大な期待」の帰結 とで も言 うべ きこの現象を 日本人の意識 とい う面か ら考えるものである。 この種の論は直接的な効果 に 直結 しに くい面があるの は事実だが、かな りの数の 日本人が潜在的な 日本語 教師予備軍であ る昨今であれば充分一考に値 しよ う
。尚、考察に当た って は (日本 とは対照的な社会 に住む) シンガポールの華人 との比較を多用 した。
2 .学習者 と教師の官需環境
ここでは、本題に話を進 めるための準備 と して、学習者 と教師の言語環境 に対す る認識の差異 について述べ る。用 いる例の多 くは筆者が 日本語教師な どとして過去十数年以内に一定期間以上滞在 して得た直接の見聞による もの である。始 めに、教師側である日本人があまり意識 していない誤解 とその原 因 について、幾つかの例 に即 して述べ る。
最初 は、 日頃返事や回答を日本語学習者 に繰 り返 し ( 無意識の内に半ば) 強要 している常用表現、 「 母国語」 と 「 国語 」(ない し 「( 国名) +語 」) に関 してである
。尚、それが問題 となるのはこの表現が 日本語 としては全 く自然 であるために、類似の概念が世界の大半の地域で も意味があると思い込んで い る点 と、( 英語 などに)翻訳で もしない限 り気づ く機会が殆 どない点であ
る。
ところで、我 々日本人 はこれ らの言葉 にどうい うイメー ジを抱 き、それを
長 崎 大 学 外 国 人 留 学 生 指 導 セ ンター年 報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 9 94 年 3
半ば当然の前提 として使 っているのだろうか。先ず は ( 使 う文脈 は違 うと し て も)「 母国語 ‑国語」とい うことであろう。次 に、国民の全員 ( か大多数) が 自分の感情や意志を意の ままに (口頭で)表現で きる唯一の言語 というも のであ り、最近では 「 読めて、書ける J という意味 も加わ りかけている。 ま た、 日本語を国 として使 う地域 は日本以外には無 いとい うこともあ りそ うで ある。
ここで話を翻訳問題 に移そ う
。誤解 に気づ くいい機会だか らである。そ こ で、 「 母国語」や 「 国語 」 を和英辞典で調べてみ るが、 どうも適訳 に出会わ
ないよ うであ る
。そ して、実際には 「 母国語」には mot hert ongue などが、
また 「 国語 」 には nat i onall anguage や or f i c i all anguage などが候補 に 挙が ってよ く使われ るわけだが、その結果得 られ る (ア ンケー トなどへの) 返事 は必ず しも日本人側の期待にそ ぐわないもの となる。
先ず は、 この辺 りの事情をイン ド亜大陸での例 に即 して見てみよう
。例え ば、今か ら十数年前の こと、デ リー大学の寮の隣室の住人でよ く筆者の部屋 に話を Lに来 るチベ ッ ト系の学生がいた。 この男の故郷 は中印国境紛争の暫 定的な停戟 ライ ンの近 くであると言 う。 .所謂チベ ッ ト難民の子弟ではな く、
れ っきとしたイン ド人 ( 連邦国籍)である。その彼 に 「 母国語」は何か と問 えば、それを多分 mot he r' ss peaki ngl anuage と解釈 して、その言語 には
「 名前 が無い。」 と答え るだろ う
。また、イ ン ド亜大陸西海岸の商業都市 ボ ンベ イと同 じマ‑‑ラシュ トラ州の古都 プ‑ナに住む 「 黒ユ ダヤ」(イ ン ド 系のユ ダヤ人)の血を引 く知人 (キ リス ト教徒)の息子な ら、 ヒンディー語 だ と言 うだろう
。だが、 この息子の場合にはマラーティ一語な ら分か るが、
(「 国語」(イ ン ド連邦の公式言語) と して答える) ヒンデ ィー語 はあま り得 意で はないのである
。そ して、それに も増 して問題なの は、(この聞 き方で は)現在最 も得意で普通 に使 っている (イン ド)英語の顔を出す余地が無い ことである
。なぜな ら、(「 言葉がで きる」 という基準の採 り方に大 きく左右 されようが)オース トラ リアかカナダの全人口と大差が無い程度の使用者数 しか無 いよ うな (イン ド)英語 は 「 母国語」で も 「 国語」で もな く、実際に 行政 と教育 ・文学に大 きく貢献 してはいて も、十数個ある連邦の公用語の単 なる一つに過 ぎないか らである
。ところで、 ここで挙げた二人はイン ドでは 殊更特別な例ではないが、 日本人には理解 しに くい。そ して、 この場合はイ
ン ドの連邦制度 に対す る馴染みの薄 さが主たる原因である。
4 入 門期 の 日本 語教育 におけ るローマ字使用 の意味 す る もの
ところで、「 国語」には s t at el anguage ( 連邦を構成す る各国の言葉)と いう解釈 も可能である。例のプ‑ナ出身者の場合な らそれはマラーティー語 となろう
。尚、 この解釈を採ればイン ド連邦内での 「 国語」はヨーロッパ各 国の 「 国語」とほぼ同 じ意味になる
6)。実際、現在 も分離独立運動を行な っ ている地域や州はイン ドには少な くないか ら、 この ことは単なる可能性の話 には留 まっていない。 しか も、既にその先例 と見 られる状態が東ベ ンガル州 ( バ ングラ ・デシュ)や西パ ンジャブ州 ( パキスタンの主要部)に存在 して いるのである。尚、 イ ン ドで は個 々人の出身地や帰属す るコ ミュニテ ィー ( 信奉する宗教)や社会的な地位によって解釈 に幅があるのが現実である。
従 って、 ここまでの話は基本的にはス リ ・ランカを含むイン ド亜大陸全体に 通 じるもの と思われ る。
この他では、マ レー語を 「 国語 」 とするシンガポールの例が少 し変わ って いる。実 は、 この言葉を常用す るマ レー人 は人 口の一割程度である。(四つ ある公用語中の)用途の広い英語や使用人 口の多い華語ではないのである。
一般には、国家の成立前後の国内外の政治的な情勢に配慮がなされた結果だ と見 られている。尚、類似の配慮 は決 して少な くないよ うで、( 見掛 けは違 うが)旧ソ連邦 には 「ソ連語」が無か ったのはその一例であろう。( 大 日本 帝国時代はともか く)現在の 日本人の常識 とは異なる点である。
さて、次は 「 方言 」 という語の用法である。 これ も日本人側が無造作に使 うために誤解を生み易い例である
。そ して、 日本人が 「 方言」に対 して抱 い ているイメー ジは多分 こうである。即ち、先ず 「 標準語」ない し 「 共通語」
に対 して ( 担 っている国内文化の基準で判断すれば)劣 った亜種である。勿 論、「 標準語」の無い言語などはまず念頭に無 い7 ) 。従 って、例えばアラ ビ ア語のアンミ‑ヤ (口語)には標準語がな く、最有力のエ ジプ ト (カイロ) 方言 も共通語の レベルには適 していないとか、他に もイラク方言などを始め とするライバルが国家の数に迫 るほどあるなどという話は ( 一部の専門家を 除けば)ち ょっと理解の範囲を越えることであろう8
)。他には、「 方言」は 「 標準語」に対 して基本的な文法で は大差が無 いが、
使用語集や発音面では時に外国語に も匹敵するような違いがあることを日本
人 は 「 方言」に是認 している。だが、同時に母語者な ら初めて耳に して も話
の大意の見当が付 くこと、( 語学学校などで理論か ら習わな くて も)充分理
解できるようになるまでに二、三か月 とは要 しないこと、また 「 方言」は文
長 崎 大 学 外 国 人 留 学 生 指 導 セ ン タ ー年 報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 9 9 4 年 5
字が無 いのか普通であ ることなどを暗黙の前提 と している。 と、 まあ こんな ところであろ う
。さて、そのため 「 方言」に関 してよ く起 こる誤解が少な くとも二つある。
一つは現在の使用総人 口が十二億程 と見 られている漢語 ( 中国語 )の場合が 代表的であ る。即 ち、中国の語言学 ( 言語学)の用語では、北方、呉、湘、
韓、客家、尊、関の七っの 「 大方言 」 があ るが、漢語の方言 は印欧語 などと は違 う基準 9 )で分 けるので、実用会話 ( 音声)面での理解の し易 さと関係が あ るの は寧 ろその下位分類 に当た る 「 次方言 」 の方である。 これ は別の話か らも納得が い こう
。例えば、官話 ( mandar i n) と通称 され る北方方言 は 人 口で ( 母語者数で全漢族の)七割、単純計算で約八億強を 占め るか ら、正 教 キ リス ト教 徒 ( or t hdoxc hr i s t i ani t y) を除 く、全 ヨー ロ ッパ と南北 ア メ リカの人 口を併せ た程の数であ る。従 って、 これが (日本人の常識的な理 解で言 う)一つ言語の‑方言の人 口に当た るなどとはとて も信 じられない。
寧 ろ、( (北京大学 1 9 8 9 )を見れば、厳密 な論拠の有無 はともか く)漢語が ヨー ロ ッパ諸語、北方方言が ロマ ンス話語、方言内部の分岐の複雑な閏方言がゲ ルマ ン話語で‑‑‑・ といった理解の方が容易であろ う
。なに しろ、他の六方 言 も大抵 は数千万単位の使用人 口を誇 って いるのだか ら当然 と言えば当然の 話であ る
l̀ '
)。さて、 「 方言 」 に纏わ る第二の誤解 は 「 国語」 と 「 国語」の関係であ る
。例えば、 日本語 と朝鮮 ・韓国語 は全 く別の言語であ る。同一言語の別方言 な どとい う人 は恐 らくいあ るまい。だが、スペ イ ン語 とポル トガル語や英語 と オ ラ ンダ語 な どはどうだろ うか。 そ うい う言語を学んだ 日本人か らは日本語 の方言差程度の違 いだ とい う話をよ く聞 く
。また、実際に 日本人が少 し遠隔 地の別方言 に慣れ る程度の努 力で これ らの双方の言語 に通ず るヨーロ ッパ人 や南米の 日系人 に も出会 う し、( 同 じ言語系統 に属す と見 られ る)欧州内の 数 力国語や イ ン ド内の数個の公用語 に通 じて いるヨー ロッパ人やイ ン ド人 に 出会 う頻度 も決 して低 いわけではない。 に も拘 らず、彼 らの内の少な くない 者が、 日本語やアラ ビア語の様な異な った タイプの言語の習得 となると全 く だめなのを直接 目にす ると、現実感覚 と して は ( 英語 とオラ ンダl i 吾は日本の 方言程度の違 いだ とい う)今 さっきの話 に も一理あ ると思えて くる。だが、
これはまだ 日本人の多数が賛意を示す ところで はない。
勿論、その理 由は定かで はない。だが、結局 は ( 国民国家の制度が全盛の
6 入 門期 の 日本 語 教育 にお け る ローマ字 使 用 の意 味 す る もの
現代で は) 「 国語」( 即 ち 「 言語 」) の違 いか 「 方言
」の 連 いかの判断 には 政治が大 きく絡んでいるか らであろう
。言い換えれば、 日本で も ( 政治情勢 次第で)琉球語 と東 日本語 と西 日本語の少な くとも三つが、「 国語」にな り 得 ることを認めなければな らないためではないかということである。特に、
琉球語 と日本語の分離 した時期は ドイツ語 と英語 とオラ ンダ語の分離 よりは 遥かに古いと見 られているか ら尚更である
11)。尤 も、それ と似た心理 は中 国にも見 られ、独 自の文字 さえ持つ広東語を中国語 ( 普通話)の方言 と言い 張 るのはその一例 と言えよう
12).さて、 日本人の自意識上の三番 目の盲点 は言語併用に関す ることである。
あるいは、 この中に書面語 と話言葉の区別に関す ることも含めることもで き る
。周知の様に、大多数の日本人は少な くとも二つの言葉 ( 言語)を併用 し ている。筆者の場合な ら、母語 とで も言 うべ き日本語の一方言 と二十歳前後 に数年を掛 けてなん とか話せ るようにな った所謂 ( 外国人に教える)「日本 語」が何 と言 って もその基本である。実際、高校を卒業す るまで 「日本語」
は教科書中の決 まり切 った表現の意味を取 った り、ラジオやテ レビで聴いて 理解 した りす るだけ しかできなか った
13)。幾 らか誇張気味に言えば、今現 在の英語の使用能力よりひどい状態であった。要す るに、母語 と教育言語が 違 ったのである。無論、その何れに重点が掛か るかは各当事者の受けた教育 や住んでいる地域や家庭環境 に左右 され るが、 日本人な ら誰で もその事情に 大差がないだろう
14)。だが、 日本人はそのことを殆 ど意識 していないのが実情で、例えば 「 バイ リンガル」という語 は往 々に して英語かそれに近い地位の西欧語がで きると い うほどの意味に転用 されるほどで、言語に関する技術論にはあまり立脚 し ていないと言 ってよい。無論、それは一面では敢えて言及す る必要がないは どありふれた ことであったということだが、 もはや現実 との裂 目が拡大 して 目を隈れな くな って しまった今 となっては改めて問題視せ ざるを得ない。そ して、その辺 りの事情は、東北や関西の人は勿論の こと、時には沖縄 出身者 や中国残留婦人や所謂在 日朝鮮 ・韓国人です ら 「 バイ リンガル 」 の範噂か ら 外 されているのを見れば容易に想像がつ こう
。なぜな ら、最近にな って急増
した留学生や不法滞在の外国人の多 くはこの範噂の人々の後継者に分類 され ているようだか らである。
さて、 ここまで 「 国語」や 「 方言」などとい う使用頻度の比較的高い日本
長 崎 大 学 外 国 人留学 生 指 導 セ ンター年 報 第 2 号 研究 論 文 編 1 994 年 7
語の語嚢やその用法を個別に取 り上げて、外国の事情の誤解 に纏わ る日本人 の言 語意識を考えて きた。そ こで、今度 はこれ らが複合 された結果、実際に はどの ような問題が発生す るかということを考えてみる
。例えば、‑ ワイや 南米の 日系人の二世や三世、 ロシア語 とウクライナ語を使 うウクライナ人、
ヒンデ ィー語 とパ ンジャビー語を話す シー ク教徒、マラヤラム言 吾とタ ミール 語を話すイ ン ド西岸のケララ州のキ リス ト教徒、エ ジプ トの コプ ト・キ リス ト教徒、マ レー語 に通 じているスマ トラ島のイ ン ドネシア人、書面語 は英語 しか使えないシンガポールの華人の二世や三世、台湾の本省人、スペイ ン系 の名前 を もった フィリピン人などとい う情報を得た場合、 日本人 は彼 ら学習 者の言語能力をどう判断す るのだろうか。 ま して、 日本の大学‑来 る留学生 の場合 には、他 に英語の能力に関す る 「自己申請 による報告 」が付いている
ことが多い。 ことはかな りや っかいである
。無論、学習者の言語背景を全 く無視す るか個 々に詳 しく調べ るとい う方法 があることは事実である
。だが、実際には両方 ともかな り難 しいか ら、何 ら かの方法で分類作業が行なわれ るのが普通であ る。 日本人の場合には方法 は 三つはどある。一つは国籍か らであ り、 もう一つは (旧植民地の場合な ら) 旧宗主国の名前か ら見当をっける方法であ る。そ して、他に相手の 自己申告 をその まま採用す る方法がある。それぞれの問題点を見てみよ う
。先ず、国 籍を使 う方法で は次の様な一風変わ った名称を時々耳に した経験がある。皆 ( 現代言 吾名 と して は) 普通の専門書 には載 っていない。即 ち、「カナダ言 吾 」 「 エ ジプ ト語 」 「イスラエル語 」 「 ベル一語 」 「ヨルダ ン語 」 「 ケニ ア語 」 「 ザ ンビ ア語 」 「 マ レーシア語 」 「 チ リ言 吾 」 「 (旧) ソ連語 」 「 ベルギー言 吾 」 「 ス リラ ンカ 語 」 「 イラ ン語 」 な どであ る。尤 も、中には 「フィリピン語」や 「 中国語」
や 「 バ ングラ語」の様に意味が分か って使 っているのか俄には判断に迷 うも の もあ る
。一方、二番 目の方法には英語圏、 フランス語圏などの過大評価 とい う問題 がある
。これはアラ ビア語圏、 ヒンデ ィ一語圏などの過小評価 と言 い換え る
こともで きる
J5)。具体的には、英語で 日常会話ので きる外国人 は英国人並
みに英語が 自由に操れるということか ら始 まって、 英語が国際語( か世界語)
に近いとい うところまで繋が ってゆ く一連の誤解がある
。因みに、 もしこれ
に従えばタイや 日本まで も英語圏 とい うことにな りかねない。尚、その場合
で も英語圏 とい う発想には (イン ド方言、華人方言、 日本方言‑‑‑ とい う
β 入 門期 の 日本語教育 にお け る ローマ字使用 の意味 す る もの 様な意味での)方言 とい う概念の導入が不可欠であろう
。では、相手の自己申告をそのまま採用す るという三番 目の方法な ら問題点 は無いのだろうか。実はこれにも基準がバラバ ラだという難点がある上に、
一部は日本人 自身が 自分の都合に従 って作 り換えている節がある
。例えば、
曾て ソ連人 という概念はあまり認めようとしなかったが、キ ン族や漢族より ベ トナム人や中国人 は多用 したことがいい例であろ う
。また、[ 英格蘭語]
は(日漢両語共 に) [ Engl andl anguage] の訳語だが、 [ ( 大)莱 ( 帝)国]
は [ ( Gr e at )旦亘麺 ( Empi r e) ] の意味で使 った り、香港や シンガポール は英語の国であると微妙 に言 い換えていることもそ うであろう。従 って、実 際にはこの方法は存在 していないのである。
さて、 ここか らは日本語学習者側 に関係す る外国での事情を見てみ よう。
基本的には日本よりも言語事情が複雑な場合が多い。例えば、北西イ ン ドの デ リーやパ ンジャブ州周辺で は ヒンデ ィー‑ウル ドゥー語
16)やパ ンジャ ビー語に加えて (イン ド式靴 りの)英語を使 う人によ く出会 う
。この場合、
多 くは英語が教育言語である
。中には、大学に入 った後で突然、教育言語が 英語に変わ った者 もいる。大学教育 は英語でな され るか らである。従 って、
この場合には最近の シンガポールの学生の様に第‑ ( 教育)言語、第二 ( 敬 育)言語 という表現の方がふ さわ しい。無論、 シンガポールの学生の場合は 第一言語 ( f i rs tl anguage) は英語
17)である。ただ、華人の場合 は母語が 中国の沿海地方の南方の漢語方言 の ことが多 いか ら、第二言語 ( s econd l anguage) である華語 ( mandar i n) とは近 い。
もう少 しイ ン ドの例を見てみよう
。もう十数年前の ことである
。ビハ‑ル
州のランチ‑の郊外で、近 くにあるイン ド政府の計測器の研修所に長期研修
を受けに来ていた( 東部の ミャンマー国境近 くの)ミゾラム州の技術者 に会 っ
た ことがある。そ して、 この男の母語 は地元の言葉であ ったか ら教育言語で
ある英語 とは異なっていた。 また、既述の ヒマ ンチャル ・プラデーシュ州の
寒村か ら来たチベ ッ ト系の隣室の学生の場合の教育言語 は高校はヒンディー
語、大学では英語 というふ うで苦 しか ったとい うことであ った。 また、当時
のイン ドに多か ったタイか らの留学生 も大学での教育言語は英語だ ったか ら
状況は似ていたわけである。尤 も、知 り合いになった僧侶の学生は (タイの
英語教育のために)英語の読み方 ( 発音)が殆 ど分か らないと言 っていたか
らもっと大変だ ったようである。尚、 この辺 りの事情 は南西 イン ドのボンベ
長 崎 大 学 外 国 人 留 学 生 指 導 セ ン ター年 報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 9 94 年 9 イ周辺で も、西洋 (イギ リス)化の進度の差で英語の通用度合が大 きいこと と、有力な公用語が グジャラーテ ィー語 とマラーティー語に変わ ることを除 けば北西イ ン ドと基本的な違 いは無か った。
一方、エ ジプ トや中国の北方地域の事情 はイ ン ドよりも日本に近いよ うで ある。ただ、両者の間には幾 らか違 い もあ って、北方中国の場合は漢族であ れば 日本人 とほぼ同 じ状況であ るのに対
し 18)、エ ジプ トの場合 は大学の理 科系教育は英語でなされているようだか ら幾分 イ ン ドに近いと言える
。また、
英語の普及率 も話言葉を中心 としてエ ジプ トの方が 日本や中国よりは高いと い うのが実感である
。ところで、母語 と教育言語の違いに関 して一つ付け加 えてお くことがある。それ は、 この両者での差異 は日本語 よ り遥かに明瞭な ことである
。即 ち、アラ ビア語や漢語では口語 と文語の不離の程度が ( 共通 語の) 日本語よ りかな り大 きい
19) 。従 って、( 中国や シンガポールでは差が 締 まる方向にかな り動 きだ しているとは言え)一般 には口語 と教育言語の違
いは相当な ものである。
以上、長 々と個別の事情 について見て きたが、勿論 目的はその こと自体で はない。一つは、稿の性質上、文献で 見知 った他人の経験の羅列ではあまり 意味がないこと、 もう一つはここに記 した ことが決 して特殊 な例ではないこ
とである。類似の知見を持つ向きもあろう
。以上で この章を終わ る。
3. シンガポールの言帝事情
今度 はシンガポールの言語事情 について概観 しよ う
。本稿で特 に、 シンガ ポールを取 り上 げた理由は、 この地が 日本 と極めて対照的な、多言語の併用 を当然視す る社会だか らである。また、西洋化 とい う面では日本より先を行 っ ていることのために、ある意味では未来の 日本を占うのに役立っか もしれな いという思い もある
。さて、 ここは基本的には移民か ら成 り立 っている国家 であ り、よ く使われ る分類で は英語圏である。だが、( 実際には各民族共通 の行政 と教育の言語である)英語 も公式には華語、 タ ミール語、マ レー語 と 並ぶ四つの公用語の一つに過 ぎず、国語ではない。尚、政府 は民族構成の複 雑 さが似ている、スイスやイスラエルに親近感を持 っている節があ り、特に イスラエルとはその傾向が強い。因みに、イスラエルは英語 とヘ ブライ語 と アラ ビア語の三つが公用語である
。次に、 ここでの 日本語学習者 は基本的には華人である
。また、華語の軽視
10 入 門期 の 日本語教育 にお け る ローマ字使用 の意 味す る もの
政策 を避 けて シ ンガ ポールの各 レベルの学校 に留学 中の 、マ レー シアや イ ン ドネ シア国籍の者 もここに含 め る ことがで きよ う。 だが 、皆 が漢字 に通 じて い るわ けで はな い。 いずれ に しろ、華人 の言 語生 活 はか な り複雑 で あ る 20)。
通常 は、英語 、華語 、卑語 ( 広東語 )、閏語 ( 福建語 、海南語 、潮州語 )、客 家語 の 内の幾 っ か を話 す
。その内、 「 大 方言 」の大半 は専 用 の文字 が無 いか ら 「 語 」を 「 話 」 と言 い換 えて もいい。人 によ りマ レー語 (国語 ) もで きる が、 タ ミール語 やパ ンジャ ビー語 等の イ ン ド系 の言葉 はで きないのが普通 で あ る。従来 、文語 に関 して は華語 が第一言語 ( 英語 が第二言 語 )で あ る者が 多 か ったが 、昨今 は英 語 が第一言語 の者 も出始 めて い る。 ただ、後者 で は第 二 ( 教 育 )言語 が華語 で あ る ことは多 くな い。一般住民 の場 合、老人 は英語 は勿論 の こと、概 して華語 もで きない し、字 の読 み書 き もで きな い。 ただ、
その場 合 で も福建 語 や マ レー語 が で き る ことが 多 く、 や は り bi l i ngual か mul t i‑ 1 i ngual で あ る ことには変 わ りが無 い。
で は、 シ ンガ ポール人 は実 際 に幾つ くらいの言葉 を操 るのであ ろ うか。筆 者が 日本人 の感覚 で行 な った ア ンケー ト調査 の結 果が あ るので次 に示す
21) 。対 象者 は筆 者 が長 崎大 学 に赴 任 す る前 に勤 務 して いた工科 系 大学 の 日本 語 コースの学 生で、実施 時期 は 1 991 年 1 0 月 であ る。 その内、(表 1 ) と 〈表 2) は話言葉 に、 また 〈表 3 ) と く表 4) は母語 に関す る表 であ る。 ただ し、略 記法 は英語 を英 、華語 を華、広東語 を広 、福建語 を福 、潮州語 を潮、海 南語 を海、 客家 語 を客、福 州語 を福州 ( 関北 )、 マ レー語 を M 、 タ ミール語 を T
とす る
22)。尚、福州語以外 の関語 はどれ も関南次方言 に属す。
Ⅰ. 口語言語 と能 力
平均 : 3.4 言語 / 1 人
‑
き
⊂コき ロ⊂I 五 人 %
6 4 3. 5
5 l l 9 . 6 4 31 2 7. 2 3 5 0 43. 9 2 1 8 1 5. 8
く表 1 〉
Ⅱ. 母語 :子供の 頃の最 も親 しい言語 平均 : 1 . 3 言語 / 1 人
‑
善 書五⊂
コロEj人 %
4 2 1 . 8
3 6 5.3
2 1 6 1 4. 0
1 89 78.1
無 回答 1 人 0. 9%
く表 3〉
長 崎 大 学 外 国 人 留 学 生 指 導 セ ンタ ー年 報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 9 94 年 11
英 華 広 福 潮 客 3 英 華 広 福 潮 M 1
英 華 広 福 潮 8
英 華 福 潮 海 1
英 華 広 福 海 1
英 華 広 福 客 1
英 華 広 福 1 8
英 華 福 潮 1 0
英 華 広 客 1
英 華 福 福
川1
英 華 福 M 1
英 華 海 4
美 章 福 27
英 華 広 9
英 華 潮 5
英 華 客 1
英 広 福 2
英 M T 2
英 華 1 2
英 福 1
英 広 3
英 M 2
合計 11 4
華 広 福 潮 1
華 英 福 M 1
華 福 潮 1
華 英 広 1
華 英 福 2
華 英 客 1
華 福 福州 1
華 美 4
華 広 2
華 福 8
華 潮 1
華 客 1
莱 3
華 36
広 1 2
福 24
潮 7
港 2
客 2
M 2
T 1
無回答 1
く表 2 〉
*華 人 1 1 0 名 、 マ レー人 2 名 、 イ ン ド系 2 名
く表 4 )
(結 果)
1.回答者 は 7 クラス 11 4 名 ( 1 人‑約 0.9%)で、その内訳 は次の様である。
工 : 81 名 商 : 1 5 名 成 : 1 8 名
尚、質問により非回答者が異なる ( 最大 2 名)ので%表示 とした。 また、
工 は工学部生 (各 Engi ne er i ngDepar t ment ) 、商 は経営学部生 ( Bus 呈 ‑
12 入 門期 の 日本語 教 育 にお け る ロー マ字 使 用 の意 味 す る もの
ne s sAdmi ni s t r at i o n) 、成 は諸専攻部門の成人 ( DTS) **コースの学生 である。尚、マ レー人 とイ ン ド系の計 4 名 は何れ も外国語 (日、仏、独)が 必修科 目であ る成人 コースに属 している。商は最終学年、他 は全て一年生で あ る。
2. 本稿 に関係す る質問項 目とその回答 は以下のよ うである。
A.学習経験 : ( a) な し 73 .7% ( b) 少 し 2 3 .7% ( C) 適当2. 6%
B. 学習上の難点 :延べ1 29 名 (+無回答 4 名)
( a ) 文法 70 名 ( b ) 文字 35 名 ( C ) 音声 2 4 名
複数回答の者がいるため延べ人数表示方式を取 った。
C. 書面語の能力 :英語 と華語で いずれが得意か
( a) 英語 60. 5% ( b) 華語 3 4.2% ( C) 同程度 5 . 3%
( ( a) は非華人の3 . 5%を含む)
( a) の場合の漢字能力 ( 非華人 4 名を除 く)
( 1 ) 充分 : 90 . 6% ( 2) 或 る程度 : 9. 4% ( 3) な し :0%
( 1 ) は華語の雑誌 ・新聞が読 めるか とい う注釈付 きで質問 した。
*商 と成 は( 1 ) が 1 0 0% 。( 2 ) は工 の 6 名 で、 1クラス に はぼ 1名である。
D. 口頭言語の能力 :( 詳細 :表 1 、表 2)
英語 : 1 1 4 華語 : 1 04 福建語 : 75 広東語 : 47 潮州語 : 28 海南語 : 6 客家語 : 6 Mal ay 語 : 6 ( 華人 : 2 含) 福州語 :1
Tami 12 ( 華人 : 0 含)
*英語の数 は見倣 し計算。
E. 母語 :( 詳細 :表 3 、表 4)
華語 : 60 福建語 : 3 8 広東語 : 1 6 英語 : 1 2 潮州語 : 1 0
客家語 : 4 海南語 : 2 Mal ay 語 : 3 ( 華人 : 1 含) 福州語 : 1 Tami l:1 ( 華人 : 0 含) 無回答 : 1
3. 華語を話 さない者 ( 非華人 は除 く)は 5 名だが、漢字 は全員が分か る
。尚、その内、 3名 は広東語が、 2名 は福建語がで きるとい う
。また、商 は
全員が 3 言語以上で きる。因みに、残留者 はみんな女子学生であ った。
長 崎大学外 国人 留学 生 指 導 セ ンター年報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 994 年 1 3
注 1)HDTS ( DualTr ai ni ngSc he me) とは、 主 に外 資 系 の会 社 か ら派 遣 されて くる大 人の学生 の ための コースで、 日本 の夜 間部 に当 た る。昼 間 も開 か れて い る上 、通常 の学 生 の コー スよ りやや厳 しい よ うで あ る。
注 2) 商 と成 は標 本数 が 少 く、工 の傾 向 は全体 の傾 向 とはぼ一 致 した。尚、 質 問 は英 語 に漢字語 を混 ぜ た形 式 で行 な った。
以上で シンガポールの言語事情の概要、特 に若年層の華人学生 について は ほぼ明 らかににな ったので、後 は幾 らか補足 して本章 は終わ りとす る
。最初 は華語 とい う用語であ る
。これ は ( 東西マ レー シア, イ ン ドネ シア、 フィ リ
ピンを始め とす る広大な海外地域 に散在す る、南方の沿海地方起源の華僑 ・ 華人の共通語 と しての)東南 ア ジア官話 とで も言 うべ き もので、台湾の国語 や ( 北京官話 とも呼ばれ る)中国の漢語普通話 とは必ず しも同 じで はない。
理 由は大 き く分 けて二つあ る
。即 ち、先ず一つ 目は言語 自身 にことであ り、
( 少 し大雑把 だが)文字 と書面語 は ( 若年層 に限れば)中国 と同 じで、話 は 台湾に近 いと言 えば分か り易 いだろう. 。尤 も、台湾の方言 は概ね主の福建言 吾
と従の客家語の二種類だけだ し、国語 は華語 に比べれば外来語嚢の脅威 にあ ま り曝 されて いないようであ る
。また、華語 は第二言語 として使われ る傾 向 がある。言 い換 えれば、北 ・西 ヨーロ ッパでの英語の使 われ方 と似ていると い うことが華語の二つ 目の特徴である
。実際、 シンガポール政府が周期的に 熱心 に唱え る 「 学華語、説華語 」運動 はこの方向に沿 った ものであ る
。そ し て、それ は本格的な漢語の書籍を取 り扱 う書店の衰退振 りや華語大学の卒業 生 の社会的な地位の現状や繁 ・簡両字体の漢字の併用の野放 し状態な どか ら
も容易 に察せ られ る。従 って、北京官話の発音 を殊更奨励 しないどころか、
[t ざ] [t p h] [?][ち] 音 ( 所謂、巻舌音)が往 々に して中国 (国籍)人 に 対す る身構え る合図 にな って いること も故のない ことで はない。尤 も、英国
・米国 とい う地域的 に偏 った情報発進源に対応す ることを迫 られ る (シンガ
ポール)英語であ って も話言葉の靴 りがな くな らないのだか ら、例え意志が
あ って も技術的に難 し い か もしれない。 また、同時 にこれ は シンガポール内
に限 った ことで はな く、(イ ン ドシナ半 島、香港、マカオ は もとよ り、場合
によって は台湾 も含む)東南 ア ジアか ら英語圏を中心 とす るよ り広 い世界へ
向けて、現在第二次移動の真 っ最中にある華語の共通の特徴 で もあ る。
14 入 門 期 の 日本 語 教 育 に お け る ロ ー マ字 使 用 の 意 味 す る もの
4 . 日本籍教育 における ローマ字使用
さて、本論 に入 ろ う
。教師であ る日本人 は仮名の定着がなかなか進 まない とき、結局 はローマ字 に頼 ろ うとす るのは何故なのか。 これが本章で考え る ことである。無論、結果が良 ければ別段問題 にな らないのだが、 どうもそ う で はない らしい し、上達の障害 になることも稀で はないのである
。この問い の よ くある返事を予想す ることは別段難 しいことで はない
。即 ち、① 日本語 には平仮名 とカタカナと漢字があ って、 どれか ら教えて も全部が身に着 くこ とは直 ぐには期待で きない。②仮名文字 は 日本語 だ けに使 う特殊 な文字で あ って、 字形 も含めて外国人学習者 には馴染みが無い。 ③音節文字 ない しモー ラ文字であ るため、単音文字 を使 って きた人 には馴染むのに時間が掛か る。
④文字の並ぶ順序や字形の構成法を理解す る手掛か りが乏 しい。 まあ、 こん な ところであろ う
。要す るに、 これは仮名文字 は馴染みが無 いか ら慣れ るのに時間が掛か ると い うことである。従 って、( 学習時間の制約が強 い)現実の 日本語教育では、
先ず はローマ字の力を借 りて会話 を教え、読み書 きを含めた本格的な教育 と は切 り離す とい う基本的な考えが背後 にあ るよ うに思われ る
。だが、結果的 には覚え るべ き文字を一種類増や して四種類 にす ることによ って更に混乱 に 拍車を掛けているだけだ とい う事実 になぜ気が付かないのは不思議である。
尤 も、そ う言 う筆者 もシンガポールでの経験か らよ うや く気がつ いたのであ る
。ここで、少 し検討 してみよ う
。例えば、① は全 くその通 りであ る。だが、
もしそ うな ら、何故 もう一つ文字 を増やすのか とい う議論 も当然成 り立っ は ずであ る。 それ に対 し、 「ローマ字 は ( 英語等 によ って)学習者 に馴染みが あ る 。」 とい うのがその答 な ら、それ は字形 ‑文字 とい う (日本の仮名をモ デルに した)誤 った認識のせ いだ と言わ ざるを得ない。 ラテ ン文字 は ( 現代 語 に限 って も)百を越え る言語の表記 に使われて いる。 ( 一言語 に しか使わ ない)仮名 と違 って、音価の設定 は言語によって異 なるのであ る。従 って、
その約束 も一緒 に教えなければな らない。
だが、問題 はここにあ る。 とい うの も、子音 には訓令式 もあればヘボ ン式
もある し、母音 に も ( 長崎市の路面電車の様 に)長音を [ ]で表記す る方
式 もあれば、( 広 く見 られ る)長短の区別を しない方式 もあ る。 また、中に
は [ ん]の表記で も [ m] と [ n] で書 き分 ける方式 もあ る
23)。だが、 卜
長 崎 大 学 外 国 人 留 学 生 指 導 セ ンター年 報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 9 9 4 年 15 ル コ語 やマ レー語 とは違 って、正式な文字で はないか ら厳 しく使用法を規制 で きないのであ る。だが、詳 しく説明す ること もで きな
い 。暫定的な使用 と い う目的に反す るか らであ る
。そ して、 この ジ レンマを解消す るために通常 採 られ る方法 は 「 学習者 は英語 に充分通 じている上、 ラテ ン語式の読みの知 識 もあ る 。 」とい う前提 を仮定す ること らしい。[ ち]や [し]を([ t i ]や [ s i ] で はな く) [ chi ]や [ shi ] とす るの はその一例 であろ う
。だが、現実 はそ の前提 は満 た されない場合が非常 に多 い
。なぜな ら、 日本語学習者の多 くは ア ングロ ・サ クソンや西欧人ではない こと、 またラテ ン文字が広 く世界 に馴 染 まれて い るとい うまさにその理 由 ( ②)のため に、( 転写法 に基づ く)各 言語固有の音価 とよ り強 く結 びついて いるか らであ る。次に例を一つ見てみ
よ う
。あ る日、韓国人の学生 に 「 最近、 自分の発音が よ くない と分か った 。」 と 流暢 な 日本語で言われた。原因の一つ は 「日本語 の [ ぱ] は [ pa]で [ ば]
は [ ba] だが、韓国語 には [ ba] はないので、 [ ぱ]行 は [ 正]で [ ば]行 は [ d U]で ( 代替) して いる 。」 こと らしい。要す るに、韓 国語 には [p]
に近 い音を表す文字が三つあ るが、 [ ぱ]行 と [ ば]行 に苑て た文字が あ ま り適 当で はなか ったのであ る
。彼 は先ず [ ぱ]行 に [ 正]を宛てた。 [ ぱ]
は [ pa] と書 く上、 [ 正] も英 語 の [p] も有 気 音 ( as pi rat i on) だ か ら
24)、 英語の知識を利用 したわけであ る。次 に、 [ ば]行 は [b]だか ら困 っ たが、結局 は [ U H]を宛て ることに した。多分、 [t ]]で は [b] をイ メー ジで きなか ったのであろ う
。だが、 日本人 にはそ うは聞 こえないのだか らし かたがない。実 は韓国語 に も [b]音 自体 はあ る。 [ 臼]が語 中に来 るとき は[b ] 音なのだが、 自然 にそ うな るのであ って本人 にその意識 はない。 ち ょ うど日本語の [ ん]の様で、後続者によって音 は変わ るが、本人に意識がな いの と同 じであ る。 この場合 もそ うだが、留学生の大半 は専門が非言語関係 なのだか らこれ は別段特別な ことではない。 日本人の英語昔が 日本人 に分か り易いのやイ ン ド人の英語のイ ン トネーシ ョンが( 筆者 には) 殆 どヒンデ ィー 語 などと区別がつかないの も同 じ範噂の現象であ る
。さて、次 は③であ る。例えば、仮名で [とけい] と書 けば各文字の表す音 の長 さは同 じはずであ り、ア クセ ン ト ( 高低の変わ り目) も仮名 と仮名の問 であ ることが分か り易い。要す るに、モーラとい う概念が身 に付 くのである。
だが 、 [ t okee] [ t oke] [ t oke] と書 くと、 この重要 な原則 を遵守す る こと
76 入 門期 の 日本語教育 にお け るローマ字使用 の意 味す る もの
はほぼ期待で きないか ら、まともに日本語に対応す る気な ら時間が掛か って も仮名で押 し通す ことには充分意義があろ う
。また、 [ け] と [ げ]の音的 関係や五十音表に代表 される④ は、言語の知識の整理になる効果があるほど で、却 って推奨 され るべ きものである。ただ、 日本の中学 ・高校の英語教育 にある様な学習経験を少年期 までに持 ったことのない学習者連には苦 しいこ とである。そ して、 シンガポールの場合はちょうどこれに当たる。なぜな ら、
彼 らの英語 は幼少時か ら耳 と口と生活習慣 によって身 に付 ける、所謂 クレ オール言語だか らである。
今度 は、 シンガポールで経験 した問題点の実例に話を移す。 さて、 シンガ ポール人の意識 は英語圏である。英語がで きない ( のは無論の こと、 自分の 言語の字 も読めない)ためにタクシー も病院 も一人では利用で きない老人が どんなに多 くいようとも英語圏である
。従 って、 日本語 ( 外国語)を学校で 習 う際は学習者の頭 は英語 との対照に切 り変わ る。華語や漢語方言を始めと す る身についた言葉 との対照を活用 しようという発想はまず無い。 日本人が 外国語 ( 非印欧語)を習 うときの身構え方 に幾分似ている
25)。従 って、平 仮名にローマ字ル ビを振ればほぼ 自動的に英語 ( 式)と認識す ることになる。
当然 、[ Ei i c hi ] ( 筆者の名)などは読めない。その上、 この英語式なるもの が問題である。曾ての ドイツ語や 日本語の様に綴字改革で もすれば別だが、
音価 との対応が複雑で今では表音文字 とは名ばか りだか らである。例えば、
[うう]( 長音)には [ s h99t ] がいいか もしれないが、[ 将軍 : s hoogun ]( 吹 画名)が [しょうがん]か [しゅうがん]にな ってはまずい。それに、例え ば [ cat ] を ([ k 記 t ] でな く) [ ket ]( ケ ッ ト) と発音す る地域だか ら、 こ の種の専門知識がないと予期 しない結果を生む ことになって しまう。
例えば、曾ての奉職先の クラス ( S t af fc l as s) でのこと、長い間どうして も [ え]段の平仮名の音が掴めなか った、或 る Engl i s he duc at e d の教員は とうとうヘボ ン式 ローマ字の [e] [a] [u] に [ e h] [ ah] [ uh] と振 り は じめた。それはマ レー語の表記だ った。満足のい く代替音が彼の英語
26)にはなか ったので困 っていたのであろう
。なに しろ高学歴揃いの華人である 学習者連は ( 漢字はともか く)仮名文字が相当に嫌いだ ったため、仕方な く
ローマ字をル ビとして与えたところ、更にそれにル ビを振 り出 したのである。
今度 は学生の場合である。二言語教育制度下で育 った彼 らは、華語のロー
マ字表記 ( 所謂中国式)がで きる
。現在のベ トナム語 とほぼ同 じ様に、アク
長 崎 大 学 外 国 人 留 学 生 指 導 セ ンタ ー年 報 第 2 号 研 究 論 文 編 1 9 9 4 年 ノア セ ン ト符号 も付 いて いる例のやつであ る
。しか し、街中には方言名 に適 した ラテ ン文字が会社や商店 の看板 に氾濫 して いる
。どこか 日本語のヘボ ン式 と 似て い る擬似英語式であ る。 ただ、定 まった方式 とい うよ りはどこか 日本語 の カタカナ表記 に似 た 自由度があ るよ うに見え るが詳細 は知 らない。 また、
( 今 はあ ま り見 な いが) ウェ‑ ド式 とい う辞書 に も採用 されて い る方式 が別 にあ る。今で も漠英辞典 な どには見 られ る
。さて、 こうい う状況下で ローマ 字 のル ビを与え るとど うな るかであ る。何 も言 わなければ ( 華人の)英言 吾音 であ り、特 に言及すれば中国式 ローマ字 (ローマ字併音 )に頭 を切 り替え る ことがで きる。 だが、擬似英語式 はかな り難 しく、 ウェ‑ ド式 はまず無理で あ る。一 例 を挙 げれ ば、 [ 北 京] は [ beij i ng] [ peki ng] [ pe ichi ng]で あ る
。だが、 [ zhongj iyan] [ chongchekyi n][ chungchiyi n]が 同 じ
( 漢字 )人名 を表 して い るとな ると、 ( 少 な くと も学生 は 日常生活で各種 の もの に接 して い るの は確かだか ら) 日本語 に ローマ字 ル ビを振 る行為 に対す る解釈 は教師 と学習者の間で大 き く異 な ることは容易 に予想で きる。何 れ に して も、 ( 英語 や マ レー語 の様 に)全課程 を ローマ字で教 え ない限 りは、文 字 ない し発音記 号 とは見て いないよ うであ る。 (尚、 ア クセ ン ト符号 は全 て 省 略 した。) ところで、彼 らは ローマ字排音 を ど う見て い るので あろ うか。
ど うや ら、 日本人の仮名 に対す るよ りず っと軽 い らしい。 あ る時、平仮名 に 興味を示 さない学生 に他 の学生が言 った。 [日本 的漢語排音 的了尼 !] (お まえ、 そ りゃあ 日本の漢語桝音だよ。) それで余計勉強 しな くな った。 で は、
ローマ字桝音 を例 に問題点 を見てみよ う
。さて、 あ る時授 業 中 に学生 が隣の学 生 に [しゃ] ( sha)の読 み方 を教 え て いた。 [ 休不全岬 !殺人 的殺 噂B ]( で きないのか。サ ー ・レンのサー [ sa]
だよ。)英語音で は代替で きないために理解 に苦 しんでいたのであ る
。だが、
正 しいの は シャー ・レンの シャー [ ea] であ る。実 は教 え て い る方 も [ 写
真]が [さ しん] に、 [ 謝辞]が [ 匙] にな って しま う くせ が直せな いで い
たので あ る
。と ころで、 この背景 には殆 どの人が話せない音 を標準語 に して
い るとい う漢語 の事情があ る
。以前 に中国の天津で 日本語 を教えていた とき
に、特別の訓練 を受 けたアナ ウンサーだけが この種 の標準音 に近 い音が言え
るのを知 って驚 いた ことが あ る。く北京大学 1 9 8 9 ) に も、北 京 と山東省以 南
の地域 には [ ea]が全 くない。多分、 こう しない と同音語が多 くな って実用
に耐 え ないので はな いか と実感 した経緯 が あ る
27)。もし日本語で似 た現 象
18 入 門 期 の 日本 語 教 育 に お け る ロ ー マ字 使 用 の 意 味 す る もの
を探せば鼻濁音 [ 9 ]や 「 四つ仮名」( ず、づ、 じ、ぢ)問題がそ うであろ
う 28)。